笛使いの溜息   作:蟹男

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前話のあらすじ
温泉回ならお色気シーンが有ると思ったか?俺もだよ!


裏返り

ある日依頼を終えギルドへ戻ってくると、眼鏡を掛けた金髪の女が一心不乱に書物を読み漁り何かを書いていた。こんな所に、しかも一人でいるなんて珍しい。やはりこの必死な形相では声を掛ける事も出来ないという事か。不思議に思いながらも観察していると、一旦ペンを置いて伸びをしたフランがこちらを見つけ声を掛けてきた。

 

「やあ、シド。依頼に行くのかい?」

 

「いや、もう終わった。お前はどうしたんだ?普段は自分の部屋に籠っているのにわざわざこんな所に来るなんて」

 

「こんな所呼ばわりは酷いな、君と私の職場だっていうのに。立ち話も何だし取り敢えず其処に座ってよ」

 

そう言って反対側の席を指し示す。見ればその席だけで無く、他の席もほとんど埋まっていない。まあこの時間ならそれ程おかしくも無い事だ。促されるまま椅子に座る。

 

「で、何だってギルドに来たんだ?」

 

「そんな大した理由じゃないよ。家で研究してたんだけど、データが足りなかったりして煮詰まっちゃったから、気分を変えようとして此処に来ただけさ。あ、お茶でも飲む?」

 

俺に向かってコップをスッと差し出してきたので、それを有難く受け取る。ちょうど依頼終わりで喉が渇いていたのだ。思いやりに感謝して口を付けようとし――直前で思い止まる。

 

コイツはそんなに気遣いの出来る女だったか?いや、そんな筈はない。基本的に自分の事しか考えていないような人間だ。それがこうもタイミング良く飲み物をくれるなど怪しい事この上ない。そもそも気晴らしにギルドに来るというのはともかく、それなら何故最初あんなに熱心に本を読んだりしていたんだ?家で出来る事を此処でやる意味……そういえば、データが足りないと言っていた。まさか、このお茶に何か入っている!?

 

確信は持てなかったが、疑問は晴れず仕舞いだったのでテーブルにコップを置く。すると随分と残念そうな顔をしてこちらに問いかけてきた。

 

「おや、飲まないのかい?折角用意してあげたのに」

 

「いや、それ程喉が乾いていないからな。後で頂くよ」

 

「いやいや、依頼から帰って来たばかりだろう?それに今飲みそうになっていたじゃないか」

 

「いやいやいや、受け取ったから反射的に飲もうとしただけだ。それより、どうしてこんなに用意が良いんだ?偶々此処に居て俺が戻って来るのに居合わせただけだというのに」

 

「いやいやいやいや、君が依頼に出ているっていうのを教えてもらったから用意しておいてあげたんだよ。それとも私から貰ったものは飲めないなんて言うのかい?」

 

「いやいやいやいやいや……」

 

「楽しそーだね二人とも。何話してんの?」

 

必死に渡されたお茶を躱そうとしていると、いつの間にかカラフルな男が傍に居た。少し顔が赤くなっているから軽く飲んでいるのだろうか。

 

「お前も居たのかレクター。何をしていたんだ?」

 

「ん?そっちの飯屋で飲んでたんだよ。そしたら楽しそうな感じがしたから見に来たって訳」

 

ギルドに併設された食堂を指差す。ハンターと職員しか利用する事は出来ないが、料金は普通の店に比べるとかなり安い。味は推して知るべし、といった所だが。

 

「それよりさ、聞いておくれよ。シドが私のお茶を飲む気が無い、って言うんだ。酷い話だろう?」

 

「えー?そりゃそうでしょ。やっぱり仕事が終わったらこっちでしょ、こっち。はいシド」

 

良く冷やされて周りに水滴が浮かぶジョッキを俺に突き出す。中には黄金に輝きシュワシュワと音を立てる液体、そしてそれに蓋をするかのように上を覆うきめ細やかな泡が満たされていた。今の俺にとって正に宝石にも等しいその酒の喉越しを思い出すだけで思わず唾を飲み込んでしまう。謎の飲み物から逃れる嬉しさも相まって躊躇いなくそれを受け取った。

 

「ああ、有難う。コレが飲みたかったんだ」

 

勢い良く流し込む。口の中を駆け抜ける苦味、そしてコク。それらをスムーズに体の中へ押し流してくれるのは炭酸の爽やかさであろうか。これらが三位一体となってお互いを高め合い、そこへ更に香りまで加わって次へ次へと進ませてしまうのだ。

 

世の中には様々な酒が有る。少しずつ味を楽しみゆっくりと時間を掛けて楽しむ酒、料理に合わせる事で良さを引き立てあうような酒、あるいはただ単に盛り上がる為に飲むような酒など無数に広がっている。だが短い距離を一気に駆け抜けるような爽快感が魅力の、一息で飲みきってしまうのが最も美味いこの酒の魔力は何にも代えがたい物が有る。

 

空になったジョッキをテーブルに置く。満足感と次の一杯への渇望が同居する不思議な感覚、コレが有るから止められない。

 

「いやー良い飲みっぷりだね、シド。持って来たかいが有ったよ」

 

「やれやれ、お茶を飲んでくれても良かったのに。まあでもそんな風に飲むのを見ると気持ちが良いね」

 

レクターはまだしも、フランが予想外に上機嫌だ。飲み終わった直後にじゃあ次はこっち、などと言い出すかと思ったが。もしや考え過ぎだったのだろうか?

 

急に瞼が重くなる。普段ならこの程度でどうにかなったりなどしないのでおかしいと思ったが、殆ど水分を取っていなかった所に酒を注ぎこんだから周りが早かったのだろう。残された二人に悪いと思いつつも、眠気には逆らえずそのまま目を閉じてしまった。

 

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「いやー、上手く行ったね。約束通り紹介状書いてよ?」

 

「鍛冶職人宛てで良いんだよね?別にコネが有る訳じゃ無いからどうなるか分からないけど」

 

「女神様のお願いを断れる男なんかいないから大丈夫だよ。うーし、次こそは成功させよっと」

 

「……まだ諦めて無かったんだね。それはともかく御協力有難う。全く、素直に私の飲み物を飲んでいれば違う結果だったのに」

 

「そーだよね。やっぱり人を疑ったりしたら――」

 

「こっちの結果はまた別の機会に確かめるとしようか」

 

そっちにも入ってるんかい。思わず聞き返しそうになったが、喉まで出かかった言葉を何とか飲み込む。試して見るかい?などと聞かれたら面倒な事になりそうだ。ふと見ると、視線が手に持ったコップと俺を行ったり来たりしている。このままでは飲まされてしまうかもしれない!

 

「ま、まーこれでこの前実験の生贄にされた復讐は出来たし良かった良かった。いきなり気絶させられたんだから、このぐらいやり返したって罰は当たらないよね!」

 

「生贄とは中々酷いね。別に健康的には問題無かっただろう?誤解されたままだと悲しいから、そのイメージを払拭させてあげよう。さあ、このお茶を――」

 

「それよりもさ、今回飲ませたのはどんな物なの!?いやー気になるなー!」

 

「……チャンスはまだ有るし、まあいっか。シドに飲ませたのは、新しく調合してみたオリジナルの薬だよ。このデータが有れば研究が進みそうなんだ」

 

完全にという訳には行かないが、取り敢えず難を逃れたようだ。しかし、効果が分からない?大丈夫なのだろうか。

 

「ちなみに聞くけど、それ安全なの?」

 

「やれやれ、そんなの……今確かめている所じゃないか」

 

「ちょっと待ってよ、どうして先に効果を確認しないのさ!恨みは有ったけどそこまでしなくて良かったのに!」

 

「愚問だね。既に結果の分かっている実験をして、それでどんな発見が有るっていうのさ。もちろんそういうのが大事だっていうのは知っているよ、世の中に役立てるためには。だけどそれは提供した実験結果が有れば、他の人でも出来る事さ。私は追い求めたいんだよ――新たな発見を、一人の研究者として」

 

何かカッコよく言っているけど、要するに自分の知的好奇心を満たしたいだけじゃないのか?だがもうシドには一服盛ってしまったのだ、取り返しは付かない。せめて何を飲ませたのかだけでも確かめておいた方が良いだろう。

 

「それで、一体何を混ぜたの?まだ目を覚まさないし凄く気になるんだけど」

 

「ええっと……ハチミツににが虫、ドキドキノコと毒テングダケそれと何だか良く分からない骨。そんな所かな」

 

「サラッととんでもない事言ったよね、今。ハチミツとにが虫は知ってるよ、増強剤に使うし。でもドキドキノコって食べたら何が起こるか分からないじゃん!それに毒テングダケって、シドを殺す気なの?」

 

「おやおや、私がそんな悪い事をするように見えるのかい?」

 

見える。というより今現在そうしているようにしか見えない。顔色も赤くなったり青くなったりして大分おかしな事になってるし。

 

言葉には出さなかったが意図をくみ取ったのか、仕方ないとでも言わんばかりに説明してきた。

 

「しょうがないね、少し講義してあげよう。そもそも、薬というのは基本的に毒なんだよ。例えば頭痛薬、頭が痛い時に飲む薬だね。コレを飲めば苦しみからは解放されるけど、それは必ずしも良い事ではないんだ。痛みというのは体からの危険信号だ、それを受け取れなくするんだから当然の事だけど。まあメッセージを受け取った事を体に教える事が出来ないから、こういった薬が無いとそれはそれで大変なんだよ」

 

「それは分かったけど、それでどうして毒テングダケを」

 

「分からなかったかい?薬というのは毒、逆に言えば毒を上手く使えば薬になるという事なのさ。今回使ったのは割合的にすごく少ないから、そのまま摂取しても体に影響は何もないぐらいの量しか入っていないよ」

 

「……まあ一応納得したけど、それじゃ最後の良く分からない骨って何なのさ。そもそもどっから持って来たの?」

 

「拾っ――じゃなくて、そう、山菜爺さんに貰ったんだよ。あの人が、ほら、体に良いっていうから使ってみようと思ってさ。実際骨を材料にする薬も珍しくないからね」

 

「いやいや、誤魔化されないからね?最初拾ったって言おうとしたでしょ」

 

流石他に並ぶ者の居ない研究者である、危うく信じてしまう所であった。だがやはりこの女がまともで有る筈が無かった。まさか拾った骨を混ぜて人に飲ませるとは。

 

「まあここまで来たら言い訳しても無駄みたいだね。確かに拾った骨を入れたのは本当だ。でも適当に持って来た物じゃない、ちゃんとした根拠が有っての物なんだよ」

 

「根拠って?」

 

「それを説明するためにまずはこの薬を作った目的を知って貰わないと。この実験の目的は、ドキドキノコの効用の安定化に有るんだ。知っての通りこのキノコには素晴らしい効果も有るけど、体に変調を来たす事も有る。もし安定して良い効果だけを得られる事が出来れば、採取もしやすいから新しい回復薬として一気に広まるだろうね。私自身もコレがどうなっているのかずっと気になっていたから研究し甲斐も有る」

 

「へー、成程ねー」

 

「まあそんな訳で最初は効用を安定させるために色々混ぜ込んで試しているんだ。毒テングダケは一部の効果が似ているし、入れた骨は昔生息していたドキドキノコを好んで食べていたと思われる動物の物だよ。近い成分を一緒にしたらそれを高め合うのか打ち消し合うのか、そしてその動物の骨に悪い効果を打ち消す成分が残っているか。その辺りがこの薬のテーマだよ。ハチミツとにが虫は結果を分かり易くするためだね」

 

もし本当にこれが実現できたとしたら、秘薬など高すぎて中々手を出せない高級品と近い物が気軽に使えるようになる。そうなればハンターの犠牲者は減り、そうで無い人も病気などが減るかもしれない。確かに素晴らしい事であるが、その過程がコレである。付き合わされる方は堪った物じゃない。

 

「ねえレクター。ここまで説明したんだから分かってると思うんだけど、まだまだ他の調合パターンも試さないといけないんだ。だからこのお茶を飲んで、皆の役に立ってよ」

 

しまった、つい話に引き込まれてその存在を忘れてしまっていた!あの話を聞いてしまった後では、尚更逃げ辛くなった。何せ世の中の人々の為という大義名分を持ち合わせている、それを拒否するに値する理由は中々見つけられない。並みの人間であれば信じられないと切り捨て振り切ることも出来るが、相手は人気知名度共に抜群で信頼も厚い。無理矢理断ったりしたらどこから恨みを買うか分からないのだ。タチの悪い事に、コイツはそれを分かっていてそれを利用している。それでも邪険に扱えない辺り、男というのは本当に美人に弱いのだと嫌でも実感させられる。

 

いくらオスの本能に怒りを覚えようと、この状況を改善する事は出来ない。絶体絶命のピンチにもう諦めるしかないかと思ったその時、テーブルに蹲っていた男が弾かれた様に起き上がった。

 

「シ、シド!大丈夫?どっか変なとこ無い?」

 

急に起き上がった友人に対する心配が三割、謎の薬から逃れる事が出来る喜びが七割ぐらいの割合で話し掛ける。パッと見異常は無いがとても安心は出来ない。

 

「ああ、大丈夫。とても清々しい気分だ」

 

そう言うと何を思ったのか身に着けていた衣服を急に脱ぎだし、とうとうインナーだけになってしまったのだ。

 

「全然大丈夫に見えないよ!一体どうしたっていうのさ」

 

「ハハハ、少し暑くなったから脱いだだけじゃないか。こんな真っ黒な服を着たい気分じゃないしね。素晴らしい解放感だ、レクターも一緒にどうだい?」

 

駄目だ、完全におかしくなっている。やはりあの薬の所為か?そういえば酒と薬は一緒に飲んではいけなかった気がするし、その所為も有るのだろうか。謎が多いとはいえ、ドキドキノコにこんな効果が有るとは思いもしなかった。

 

「……何処か体に異常は感じたりしないかい?力が出ないとか、体が痺れるとか」

 

「いいや、全く問題ないよ。むしろ全身から力が漲る様だ」

 

こんな時でも冷静に問診をするその姿勢は有る意味尊敬に値する。だが相手が正気じゃない以上、それに一体どれほどの意味が有るのか。

 

「こうしては居られない、出掛けるとしよう!さあ行くぞ二人とも!」

 

「え、ちょ、ちょっと……」

 

止める間もなく腕を引っ張られ、気付かぬ内に一緒にクエストを受注されてしまっていた。実に三十秒にも満たない間の出来事だ。

 

「うむ、やはりこの景色は素晴らしい!川の流れの音が心を洗うようだ!」

 

あれよあれよという間に連れ出され、その衝撃から回復したころには既に目的地へ着いてしまっていた。火山や雪山など過酷な環境では無く穏やかな渓流であった事は不幸中の幸いだが、何も準備出来ていないしそもそもクエストの内容も分からないのだから不安は募るばかりだ。

 

「どうしよっか、フラン」

 

「私はもう少し経過を観察したかったから別に構わないよ。流石に少し驚いたけどね」

 

未だに心の整理が出来ていない俺とは違い、特に動揺することも無くレポートを書きだしていた。どうやら俺の味方は一人もいないらしい。

 

「ねえ、シド。眺めは良いのは分かったからさ、もう帰ろうよ。何か出てくる前に――」

 

「おや、これはまた大きなお客さんがいらっしゃったものだ。存分に楽しんで頂こうじゃないか!」

 

その言葉と共に、こちらへ向かって駆け寄ってくるモンスターの姿が見えた。サファイアやエメラルドのような色を持つ体毛に無数に光を纏うその体、雷狼竜ことジンオウガだ。何の覚悟も無しに挑むには京大過ぎる相手だが、幸いにしてこちらはG級ハンターが三人も揃っているのだから十分に対処できる。……そのうち一人を戦力として数えていいか不安が残るが。

 

「頑張ってね。私は何も武器を持ってきていないから遠くで見てるよ」

 

「――え?」

 

聞き返す間も無く遠くへ逃げられてしまった。一人で相手する事への重圧や見捨てられた怒りなど様々な思いが交錯し、ついその場で硬直してしまった。それが致命的な失敗である事に気付いたのは、ジンオウガを見た時――では無くシドが笛を吹こうとしているのが横目で見えた時であった。

 

「ちょ、シド、待っ――」

 

慌てて止めようとしたが一足遅く、既に演奏を開始してしまった。準備もせずに来てしまったため、いつもの耳栓を持ってきていない。いくら何でもモンスターを目の前にして倒れるのは危険すぎる!少しでも被害から逃れようと耳を塞ぐが完全にはシャットアウト出来ず、隙間から音が体中に浸み込んでいくのが分かる。

 

異変に気付いたのはそれから間も無くの時だった。以前うっかり聞いた時の様に眩暈や吐き気が襲って来ない。それに良く考えてみればメロディーが普段と異なっているように感じる。疑問に思い思考の中に取り込まれていた俺を引き戻したのは、猛然と襲い掛かって来たジンオウガの巨体による体当たりだった。

 

比べるまでも無く遥かに小さい俺の体は打ち出された大砲の弾の如くあっという間に遠くへ吹き飛ばされる。その衝撃を受けた時は死さえも覚悟したが、不思議な事に全身に猛烈な痛みが走るようなことにはならなかった。ほんの少し痛い事は痛いのだが、この程度なら百回くらい連続で当たったりしなければどうと言う事は無い。

 

理由を考えるがそんなのは一つしか有り得ない。あの薬の所為で演奏がおかしくなっているのだろう。だがこれが実用化されれば一緒に戦う上で大きなプラスになるし、ついでにアイツの夢も少し近づいてくるような気がしないことも無い。偶には良い事もするんだな、あの女も。

 

後ろを振り返ると如何にも楽しそうに記録を取っている姿が目に入った。なるべく注意があっちに行かない様に協力してやるとするか。俺は双剣を構え距離を詰め、雷光虫を誘き寄せているジンオウガに攻め掛かっていった。

 

隙だらけの姿を晒している顔面に一撃、それを嫌ったのか顔が上に逸らされ届かなくなってしまったので足を切り付ける。だが遠くへ飛ばされた分時間が掛かってしまったせいか、溜めを中断させることは出来なかった。一旦離れ次の攻撃に備えると、その大きさに似合わぬ軽やかな跳躍を見せた。

 

その場を離れるが残念ながら間に合わず、直撃は避けたものの地面を走る電撃にぶつかってしまった。それ程のダメージは貰わなかったから良いものの、どうにもまだ戦いへ入っている事へ頭が切り換えきれていない。普段であればこのような致命的な一撃を貰う筈が無いのだが、予定外にこの場に来た事に加え演奏によりダメージが少なくなっている事がかえって緊張感を欠けさせてしまっているらしい。今の電撃はそんな状態から脱却させ気合を入れるのに十分な一撃であった。もう油断はしない、一気に片を付けてやる。

 

鬼人化し素早く刀を振るう。舞を踊るかのように滑らかに、それでいて容赦の無い連続攻撃がジンオウガを刻む。危険を感じ半歩ほど体をずらすと上空から落ちてきた足がスレスレを通っていく。ゴオッと言う音と共にやって来る風圧、そしてスリルが脳内を駆け巡り狩りへの楽しさを増幅させてくれる。笛のお蔭なのか鬼人化は未だに終わらない。その後も連続で振ってきた足を全て避けると再び舞を始める。リズムに乗ってしまえばこっちの物、最後に御代として命を頂戴するまで続けるだけだ。

 

こうやって相手の事など何一つ気にする事無く思いのままに戦うのは、実に楽しい。切り札に等しいであろう全身を帯電させてからの落雷攻撃も、それを増すスパイスにしか感じられない。これだからハンターは良い、止めようと思っても中々止められる物では無い。困ったものだ――俺はひっそりと笑みを浮かべていた。しかしそうやって気持ち良く戦いを続けてしばらく経っての事、俺はようやくその異常に気付いた。

 

これ程攻撃し続けているのにまるで効いている感じがしない。一旦手を止め観察してみると、あちこちに毛は散らばっているものの血の一滴も流れていない様であった。よくよく思い返せば手応えもいつもと違っていたかもしれないが、相手の攻撃をそれほど気にする必要が無いため手数で言えばいつもより多かった筈なのに。

 

また新たな疑問が生まれる。そもそも何故いつもより手数が多いのだ?一つには体重を乗せた攻撃ならともかく電撃があまり効かないため、それを無視して切り付けていたというのも有る。だが何よりこのジンオウガ自身もかつて戦ったことのある相手より積極的に攻撃してくるので隙が大きいのだ――まるで、こちらの攻撃をまるで気にしていないかのように。

 

そこまで考え一つの結論に結び付いた。普段、シドの笛は本人を除き皆その強弱は有るものの同じような効果が表れている。そしてそれはモンスターも例外ではない。曲自体は変わっていても、アイツの演奏そのものが変わってないとしたら?

 

振り回される尻尾を掻い潜り体に剣を突き刺す。だが一切肉に食い込んでいる様子が見られない。間違いない、俺と同様体が硬くなっている。全く、アイツの演奏を聞くと本当にロクな事が起こらない。

 

受けたダメージはもう回復したが、スタミナはそうは行かない。それは相手も同じ様でこちらが与えたダメージなど所々に刈り取られた体毛以外まるで見当たらないが、呼吸は荒くなっている。ハンターもモンスターも無傷だが、お互いに疲労困憊の状態で向き合っているという奇妙な構図が出来上がっていた。その間も音楽はずっと流れ続けているので、更に奇抜さを増している。

 

目が合った。本来言葉を通じ合わせる事など出来る筈も無い間柄だが、この時ばかりはそんな垣根を飛び越えて心が通じ合ったのが分かった。

 

――もう止めよう、この不毛な争いを。

 

剣を収める。傍から見れば何と無防備な状態だと思われるだろうが、俺は自分の身の安全を確信していた。ふと相手を見ると、ぐったりとした体を引き摺ってここから立ち去ろうとしている。俺はそれをただ黙って見送る事しか出来なかった。今日は厄日だったな、お互いに。

 

「おや、もうお終いかい?このままではクエストが失敗になってしまうよ?」

 

息も絶え絶えになって戦いを終えようやく一息ついた頃地面に座り込むと、いつの間にか後ろで観察していた筈のフランが傍に立っていた。

 

「勘弁してよ。もー無理、全然動けないって」

 

先程までは一種の興奮状態に有ったため疲労を自覚しつつもそれを無視出来ていたが、一度解放されてしまうと忘れていた分まで積み重なり体の重さが十倍にもなったように感じられた。

 

「まあしょうがないか、十分良く分かったし。はい、お疲れ様」

 

「あ、ありが――」

 

慌てて投げ捨てる。中に入っていた液体は地面に零れてしまったのでもう飲むことは出来ないだろう。一先ず安心だ。

 

「やれやれ、何をするんだい?折角疲れているだろうから飲み物をあげたのに」

 

「そりゃ嬉しいよ?最初にシドに渡そうとした奴と同じじゃ無ければね。アレを見てまだ実験しようと思うのは凄いけどさ、頼むから俺を巻き込まないでくれるかな」

 

「全く、折角面白――じゃなくて医学の発展に役に立ついい機会だったのに。ところで、構わないのかい?」

 

途中で言いかけた言葉がちょっと、いや物凄く気に掛かるがそれを口にはしない。その先に有るのはきっと喜びや希望では無く、恐怖や絶望であるからだ。

 

「構わないって、何が?」

 

「君らが戦いを終えたらさ、つまんなそうな顔をしてシドが何処かに行っちゃったけど。それも笛を吹きながら」

 

疲れた体に鞭を打って無理矢理起き上がると、既にアイツの姿はどこにも見当たらなかった。しかも笛を吹きながらという事は……マズイ、危険だ!当然の事ながらこの辺りに来ているハンターは俺達だけでは無い。依頼というのは無数に存在するのだ。しかし彼らは急に聞いてはいけない音楽が流れてくる事など想定しては居ないだろう、今の所は大丈夫かもしれないが薬の効果が変に切れたりしてしまえば倒れるハンターが続出だ。そうなったハンターの末路はモンスターの餌以外に有り得ない。

 

また、アイツ自身も今はまともに防具を着けていないのだ。恐らく自分自身への笛の効果は異なっているだろうから何かの拍子に攻撃でも受けたらひとたまりも無いだろう。

 

早く止めに行かなくては!だが立ち上がろうとする俺の意志とは裏腹に、下半身は活動する事を許してはくれない。

 

「ねえフラン、何か疲れが取れる薬とか持ってない!?早くしないと大参事が……」

 

「そんな事言われても急に出て来たからね、記録する物を持ってくるのが精一杯だったよ。唯一可能性が有ったのは君が捨ててしまったし」

 

「う……」

 

だがアレを飲むのは問題を増やすだけに成りかねない。捨てた事は正しい判断だったと思いたいが、現状の問題に対する打開策は一つも浮かんでこないのである。

 

「そんなに嫌そうな顔をしなくていいのに。彼に現れた効果からしてもそう大したことは起きなそうだし」

 

「本気で言ってる?あのはっちゃけ振りを見てさ」

 

「推測だけど物の見え方とか感じ方が変わったぐらいだよ?あの薬の効果は。黒い服を鬱陶しく感じたりいつもと違う曲を演奏したくなったり、さ。あの振舞いは単純にお酒に悪酔いしてるだけじゃないかな」

 

まあ言われてみれば確かに日頃との違いは言動と服装と演奏ぐらいか。それ以外は同じだ――聞いた人に結局迷惑を掛ける事とかも。

 

「取り敢えず私はもう少し観察してくるよ。どれくらいで薬が切れるのかも調べたいし。それじゃ」

 

それだけを言い残すとあっという間にシドが消えたと思われる方角へ走り去ってしまった。もうこうなったらどうしようもないので、最後の手段をとることにする。俺は足をブルブル震わせながらも立ち上がり、ベースキャンプへと向かって行った。

 

見なかったことにしよう。早く戻ってアリバイを確保しないと――

 

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目が覚めると何故か自室のベッドの上だった。何故かインナーしか身に着けておらず、来ていた筈の服は丁寧に折りたたまれテーブルの上に置かれており、そしてその傍に何やら書置きが残されていた。何々……?

 

『緊急搬送しましたが、検査の結果異常は見られなかったためご自宅にお送りしました。代金はお渡しする報酬から天引きさせて頂きます』

 

記憶に無いが、随分と深酒してしまったのだろうか?そういえば随分と倦怠感を感じる。だが事の真相を確かめねばなるまい。俺は着替えを終えるとその足でその場に居たであろうレクターの下へ向かった。

 

あちこち探し回った結果、結局いつもの様にギルドでその姿を見つける事が出来た。大分疲れが溜まっているように見えるのでやはり昨日は大変だったのだろう。

 

「おい、レクター」

 

「シド!?大丈夫だった?改造とかされてない?」

 

「ああ、お蔭様で。昨日は良く覚えていないが大変だっただろう?」

 

「うん、本当にね……」

 

「すまなかったな、思い出そうとしているんだがどうにも上手く行かなくてな」

 

「だ、大丈夫だから!昨日の事は忘れなよ」

 

必死に止めるその姿に、余程の失敗をしてしまったのだと理解できた。だがこうして気にするなと言ってくれているのだからその言葉に甘えるとしよう。

 

「そー言えばフラン知らない?昨日一緒に運ばれてたから気になるんだけど」

 

「いや、今日はまだ見ていないが――」

 

「やあ、お早う……」

 

噂をすれば何とやら、青い顔をしたフランがギルドへやって来た。

 

「物凄く顔色が悪いが大丈夫か?休んでいた方が良さそうだが」

 

「油断していたよ。効果が切れたら即音が切り替わったものだから途中で途轍もない頭痛に襲われてね。耳を押さえてもどうにもならないし、もう駄目かと思ったよ。幸いすぐに終わってくれたけど、とても立っていられなくて気絶してしまったんだ」

 

「良く分からんが、あまり飲みすぎるなよ?酔いを抑える薬とかも切れると一気に回ってくるらしいからな」

 

「いや、私は全然飲んでいないんだけどね?」

 

「……まあとにかく、酒には気を付けろ。恐ろしい物だからな」

 

俺が言う事でも無いかもしれないが、それでも一応忠告はしておく。何かが有ってからでは遅いのだ。

 

「うん、良く分かった……。もう今日はこれで失礼するよ」

 

「あ、俺も」

 

どうやら二人とも今日は休みにする様だ。俺も万全とは言えないししっかりと体調を整えるとしよう。窓口に行って半額にされてしまった報酬を受け取るとギルドを後にした。

 

その日ギルドにはあるエリアで創設以来初めて奇跡的に一人の死傷者も出さなかったという輝かしい記録と、一つのクエストも達成出来なかったという不名誉な記録が同時に生まれた。何故そんな事が起きたのか知る者は居ない。異変と言えば愚直なまでに研究に命を懸ける女神が何故か途中の物を投げ出した事ぐらいであろうか。

 

また後日G級ハンターが三人がかりでクリアできなかったクエストが有ると話題になり、人々を恐れさせた。そうとは知らずそれを引き受けた上位のハンター達がそれをクリアしてしまい物凄く注目を集める事になるのだが、それは此処では語られない物語である。

 




最近ヌルイ話が続いているから次当たり後味の悪い話でも問題無い筈だ。よし決定。

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