畜生ォ…持っていかれた…!(執事に)
冷たく冷やされたトマトとあっさりして癖の無いフレッシュチーズとは実に相性がいい。トマトの甘味に新鮮なチーズのコクが加わることで旨味が何倍にも感じられる。上に掛けられたソースがまた絶妙で、ニンニクやオイルの香りがより一層食欲をそそる。この味のバランスはこれ以上無いと言っていいほど素晴らしく、一緒に飲む酒をより一層引き立ててくれる。もちろん、このサラダに合わせるのは軽めの果実酒だ。風味の強い穀物酒ではこの繊細な味の組み立てを全て押し流してしまう。
「お待たせしました。メインディッシュです」
前菜を食べ終わった頃、タイミングを見計らっていたかのようにメインの料理が運ばれてくる。こういった料理以外のサービスにこそ、一流とそうで無いレストランとの差が現れると思う。
運ばれてきた料理に視線を移す。ミディアムレアに焼き上げられたステーキが熱々の状態でそこに置かれていた。立ち上るその匂いは否応なく食欲をそそり、まるで三日は何も食べていないかのような気分にさせる。たまらずナイフを肉に入れると何の抵抗も無く通っていき、切断面からは肉汁が滴り鉄板の上でジュッと音を立てた。左手に持ったフォークを刺して肉を口に運ぶ。殆ど力を入れずとも噛み切れてしまう柔らかさ、とろける様に口の中に広がっていく肉汁の旨味。シンプルに塩胡椒のみでされた味付けはそれらを更に際立たせる。こういった料理にこそ重厚な穀物酒がふさわしい。芳醇な香りとその味わいは、旨味の強いステーキに勝るとも劣らない。酸味や甘味、それに渋味など様々な味が複雑に混じり合ったその液体は口の中に残る脂を全て押し流し、再び次の一切れへとナイフとフォークを進ませる魔力を持っている。この酒とステーキもまた最高の組み合わせの一つである。
ある種の感動を覚えつつステーキを平らげる。満足感に包まれていると
「食器をお下げします。デザートをお選び下さい」
ウェイターがやってきて皿を下げ、デザートが何種類も乗ったプレートをこちらに見せてきた。
「じゃあ、この熱帯イチゴのムースを」
「かしこまりました」
チーズケーキやアップルパイにクレープなども心惹かれる物があったが、メインが結構ボリュームが有ったので軽めの食感と清涼感がより魅力的に眼に写った。
「こちら、デザートの熱帯イチゴのムースです」
運ばれてきたプレートにはソースやフルーツが丁寧に飾り付けられ、主役であるムースを引き立てる仕事をこなしていた。まるで一枚の絵画のような芸術性が皿の上に広がっていた。
手を付けるのがもったいないようなその作品にスプーンを入れる。ふわりとした口どけの中に混ざる果実の食感が楽しく、次いでイチゴの香りが口一杯に広がる。自然な甘さと僅かな酸味が舌に優しくどこか安心するような感覚を与えてくれる。
素晴らしい食事であった。
「お姉さーん!お酒お代わりと鳥揚げたやつー!」
「ええと、先程と同じお酒とガーグァのフライでよろしいですか?」
「うん、それで!」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
一緒に来たのがこの男で無ければもっと良かったのだが。
「大声を出すな恥ずかしい。少し落ち着け」
「えー、良いじゃん別に」
高級店ではあるが、比較的賑やかでカジュアルな雰囲気を持ち合わせている店で助かった。俺の様に礼服で来ている客と普段着で来ている客が半々ぐらいである。だがレクターの場合、静かなレストランでも同じ事をしそうだからとても連れていけない。
「それにしてもそんな服持ってたんだね。いつもの服で来るかと思ったよ」
「この前一式貰ってな。折角だから使う機会を作っているんだ」
あまり思い出したくない記憶であるが、だからと言って服に罪は無い。着てやらねばかわいそうだろう。口の中にあの味が蘇ってくるような気もするがそこは我慢だ。
「いつもの服より良いんじゃない?いっその事普段からそれ着た方がマシだと思うけど」
「カジュアルな場にこの服は相応しくないだろう。お前こそもうちょっと服を選んで着たらどうなんだ」
反対側に座る派手な格好をした男に問いかける。カジュアルな服装が許されるとはいえ、さすがにここまでカラフルなのは居ない。何処のパレードから抜け出してきたんだお前は。
「別に誰も止めなかったよ。それにさっきから注目を集めてるっぽいし。これはモテ期到来かな?」
「片方礼服でもう一人がその恰好じゃ違和感が有りすぎるだろう、全く」
このポジティブさは見習うべきだろうか……いや、止めよう。こうは成りたくない。
「うーるーさーいー。そんな文句言うなら他の人と来れば良いじゃん。良い店なんだし女の人とか」
「……」
「……うん、ゴメン」
確かにまともな女性の知り合いはいない。でも友人なら……今日は皆偶々用事が有って連絡が付かずコイツと来ることになってしまっただけだ。もう何十回も二人で食事をしているような気もするが、きっと勘違いだ。
「ま、それは置いといてさ。さっきのステーキ美味そうだったね」
「ん、ああ……お前もコース料理にすれば良かったじゃないか」
「だって野菜嫌いだから」
「その偏食はいい加減直さないか。ラーメン有る?などと聞いた時は噴き出しそうになったぞ」
東方から伝わったその料理は、スープの中に麺を浸して食べるというこれまでに無いスタイルであった。だが聞くところによると魚の切り身を生で食べるという習慣も有るというから、この程度は驚くに値しない事なのかもしれない。そんなこんなでその目新しさからラーメンは瞬く間に広まり、今や定番ともいえるメニューになっている。とはいえ飽くまでも大衆向けであり、格式高いレストランでは間違っても頼むようなものでは無い。
レクターの子供のような味覚と我儘にはもう慣れてしまったとはいえ、他人に迷惑を掛けるのは頂けない。
「メニューには無かったけどわざわざ作ってくれるんだから凄いよね。味も良かったし」
そう、驚いた事に多少時間は掛かったもののちゃんとラーメンを持ってきたのである。スープのベースは他のメニューに使われている物と同一であったが、他の料理用の麺をアレンジし仕立て上げトッピングに香草や煮込み料理の肉を用いるそのセンスには脱帽だ。シェフには感心させられるとともに申し訳無さが募る。それとも実はこういった自分勝手な客は多いのであろうか。
「ちゃんとメニューを見て注文しろ。しっかり探せば食べられる物も有っただろう」
「だって奢ってくれないんでしょ?だったら好きなもの食べたいし面倒臭いし」
「当たり前だ。自分の分は自分で払え」
「ケチだなー。G級ハンター様なのに」
「お前も同じじゃないか」
年上なのだから少しはしっかりしてほしい。それでいてハンターの間では俺より少し人気が有るというのだから世の中は不条理だ。
「おい、見たか?」
「ああ、凄かったな」
心の中で人知れず憤りを覚えていると、他のテーブルから他の客の会話が聞こえてきた。
「凄い美人だったな。金髪で眼鏡も似合ってて……」
「スタイルも良かったぜ。一回駄目元で声掛けて見たら良かったかな」
「おいおい止めとけって。お前なんか万に一つも相手される訳ねーって」
「いや一兆に一つしかなくても挑戦する価値有るってアレは。それに冷たく断られるならそれはそれで……」
「お前そんな趣味が有ったのか?いやでもあの人ならそれも……」
どうやら新しい性癖が芽生えつつあるようだ。しかしそれより気にかかるのは、
「レクター、今の聞いたか?」
「ん、どしたのシド?聞こえてたけど……あ、もしかして気になるの?その美人な女の人の事。いやー、隅に置けないねえ。だけど変な趣味に目覚めたらこっちに近づかないでね、うつったらヤダし」
コイツはまだ気づいていない様だがどうにも厄介事の予感がする。俺は慌てて立ち上がる。
「早く店を出るぞ」
「何さ急に。まだ注文したのも来てないっていうのに」
「キャンセルしろ。先に会計してるぞ」
「まあまあそう焦んないで。折角だしもっと食べてこうよ」
「そうだよ。急いでいたって良い事は無いんだから」
俺たちの会話に急に女性の声が入り込んできたかと思えば、急に後ろから抱きつかれた。何やら背中に柔らかい物が押し付けられ、抱きしめられることでそれが押し潰されて形が変わるのが分かり少しドキリとさせられる。
……遅かったか。
「レストランは落ち着いて食事をする所だよ、シド。慌てちゃってみっともない」
金髪、美人、眼鏡と聞いてもしや……と思っていたが、どうしてこう悪い想像ばかり当たってしまうのか。
両手で顔を優しく包まれそちらを振り向かされる。まさしく絶世の美女とでもいうべきか、不覚にもつい見とれてしまった。
「それとも何か急な用事でも出来たのかい?折角久しぶりに会えた私を放り出して行かなければいけないような、さ」
「…………いや、大丈夫だ」
観念して席に着く。気分はさながら食虫化に捕えられた蜜蜂だ。
「それは良かった。ちょうど席も空いている様だし、座らせてもらうよ」
見ればいつの間にやらレクターの姿が見えなくなっている。恐らく先程振り向かされた時に逃げ出したのだろう。モテたいモテたいというのなら、こういう時にこそ度胸を示して欲しいものだ。
「それで、フラン。……今度は何をさせるつもりだ?」
「がっつく男は嫌われるよ?君と私の仲だから許してあげるけど」
「そうか用事は無いのかそれは良かった。じゃあこれで」
ここから逃げ出すために早々と話を切り上げ席を離れようとする。そんな俺の耳に届いたのは引き留める声では無く、向かいの席の女性のすすり泣く声だった。
「そう……悲しいけど仕方ない。私では君を引き留める事なんて出来そうも無いから、これでもうサヨナラだね。じゃあ、元気でね……」
「おい、あの男……」
「ああ、許せんな。あんな美人を泣かせるなんて」
「……やるか」
「……ああ」
マズイ。俺が悪者にされた上に剣呑な雰囲気になっている気がする。しかし何故だ?普段なら俺と関わろうとする人は残念ながら殆ど居ないのに。
「あのスーツの男の顔分かるか」
「いや分からん。これから調べる」
「頼む。絶対に逃がさん」
しまった、今日はいつもの格好ではないのだった。場所に合わせた服を着るなど俺らしくも無い行動を取ったのが悪かったのか。やはりあの逃げ出した奴と同じく自分を貫くべきであった。
「分かった、分かったから泣くのを止めてくれ。話を聞こう」
「そうかい?それじゃ場所を変えようか。……ここよりもっと良い場所へ行こう?」
泣き真似を止めると笑顔でそう言い放ち、こちらにウインクを飛ばしてきた。依然としてこちらに向けられる殺気は弱まることを知らず、むしろその勢いは増すばかりだ。
「それじゃあエスコートをお願いするよ。ナイトは姫を守るものだろう」
そういうと手を差し出してきたので不承不承手を取り立ち上がらせる。店中の男共がこちらを睨みつけてくるが、フランが隣に居るため手を出せないでいる。これではどちらがナイトか分からない。
「心配しなくても最後まで一緒に居て上げるよ。怪我でもしたら可哀想だからね」
「そもそもお前が引き起こした事だろうが。わざとらしい泣き真似までして……」
こういうのを何と言うんだったか……そう、マッチポンプだ。
「悲しかったのは本当だよ?ほんの少しだけど。さ、早く会計を済ませよう」
この場合悲しいのは俺に断られたからでは無く、自分の望みが達成できなくなるからだろう。もう言葉を返す気力も起きず、うなだれつつ会計をした。そして気付く。
あの野郎、自分の分も払わずに行きやがった。
俺を尻目にさっさと逃げ出した男に怒りを覚えながら、食べずに終わった追加注文の料金も支払い俺たちは店を後にした。
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「で、結局ここに来るのか」
「良い場所だろう?依頼の話をするのにはもってこいだよ」
店を出た私達はそのままギルドへ向かった。途中シドが着替えるから先に行っててくれと言い出したのでじゃあ家の前で待っていると返すと、慌てた彼はすぐに終わるからと走り去ってしまった。あそこまで言っておけば逃げ出される心配は無いだろう。
もし本当に来なかったら、あちこちでシドさんの家はどちらですか?と聞き回るだけだ。一体どんな噂が立つんだろうね。彼は息を切らせながらギルドに駆け込んできたので、実行される事は無かったが。
「それでどうしろって言うんだ?わざわざレストランにまで乗り込んできて……」
「それじゃ本題に入ろうか。十分楽しんだし」
「……おい」
彼がこちらを呆れたような目つきで見てくるが、それを無視する。
「実はラージャンが出たらしくてね。一緒に行ってもらいたいんだ」
「ラージャン?強敵には違いないが、G級ハンターがわざわざ二人揃って行かなくても良いだろう?」
「普通なら問題無いんだけど、場所が悪くてね。密林に現れたらしい」
それを聞くと彼は不思議そうな顔でこちらに尋ねてきた。
「おかしいな。火山か雪山ぐらいでしか出てきた話を聞いた事が無いぞ」
「だろう?それを確かめる為に私が行こうと思っているんだ」
如何にも説得力のある話を提示し納得させる。世の中には知らない方が良い事も有るのだ。
「……お前が行く理由は取り敢えず分かった。だがどうして俺が行く必要が有る」
まだ疑っている様子を見せながらも、一応納得したらしい彼は質問を続けた。
「まだ確実とは言えない情報でね?他のハンターには知らされていないんだ。だから現在も密林には多くのハンターが居るし、これからも向かってる。ラージャンを見つけたら君の笛で人が寄って来ないようにしてもらおうかと思って」
「俺の笛は虫除けか」
的確な突っ込みが入る。やはり彼をからかうのは楽しい。
「まあそんな訳で君を誘ったのさ。着いて来てくれるかい?」
「……悪いが断る。現地のハンターにはさっさと呼び戻してこっちからは出発を後らせれば良いだろう。言い訳なんて適当に考えればいい。それに、お前からの頼みはロクなことが起きないからな。それじゃ」
席を立ち家に帰ろうとする彼に最後の誘い文句を言い放った。
「そっか、折角夢の手助けが出来るかと思ったのに。残念だよ」
その言葉を聞くと、彼は立ち止まり再び席に戻った。
「……どういう事だ」
「君の演奏する音楽は人とは違っているよね?もし君が望むような結果を残したいのなら、笛そのものを変える必要が有るのかもしれない。変わり者のラージャンか……どこか君に似ているかも知れないね」
それを聞くと彼は考え込んでしまった。ここで畳み掛けなければ。
「いや、やっぱりいいよ。私一人で行くから。無理する事は……」
「今の話、本当だろうな」
「さて?何の事だろう。私はもう準備が出来ているからすぐに向かうよ」
「……やはり俺も行こう。少し待っていてくれ」
私は笑みを浮かべ彼に感謝を述べた。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思っていたよ。出発は一時間後だ」
「ああ、じゃあな」
ひたむきに夢を追いかける人間は素晴らしい。真っ直ぐで勇敢で……分かりやすい。
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「本当に居るとはな……」
大小様々な木々や草花が生い茂る密林の奥深く、その中に場違いな生物……ラージャンの姿が有った。
「じゃあ頼んだよ。私は後ろから援護するから」
こちらが引き止める間もなくあっという間に後ろへ下がってしまった。呆然として見送り、仕方なく気を取り直して前に視線を戻すともうラージャンが目前まで突進して来ていた。
「クソッ!」
横に――いや、駄目だ。それでは間に合わない。ラージャンが最後の踏み切りを終えこちらに飛び掛かってきた。ギリギリまでそのタイミングを待ち、前に飛び出す。低空で飛来する金獅子の巨体、それよりもさらに低い地面スレスレの高さで前方へ体を投げ出す。お互いの体が擦れ合う音が耳に届いたが、何とか捕食されずに済んだようだ。一か八かだったが、何とか上手く行ったらしい。
この事態を引き起こした女は、何とか姿が見えるぐらいまで遠くへ行ってしまっている。その狙いは正確無比でどんな距離からでも外した事を見たことが無いため理に適ってはいるが、どこか釈然としないものが有る。いっその事そちらへ誘導してやろうか。
少し考えに耽っていると、休む間も無く上空からこちらへ飛来する黒い物体が見えた。いくらラージャンが好戦的であるとはいえ、ここまでの猛攻をしてくる事は初めての体験だ。わざわざこんな所へやってきたのは敵でも探しに来たのだろうか?そうだとするならこの積極性も頷ける。
着弾点から遠ざかりながら笛を吹く。何故かモンスターには効果抜群の俺の演奏、相手は途端に苦しみだした。性格は変わり者だが性質そのものは変化が無いらしい。これなら上手くやれそうだと安心していたが、その見通しは甘かったらしい。耳を押さえもがいていたかと思いきや、突如その体を光らせだした。呆気に取られていると、すさまじい咆哮が辺り一面に轟く。見た所、演奏の影響は無くなっているらしい。全身で起きている放電現象が音をシャットアウトしているのかもしれない。俗に激昂と呼ばれる状態になったようだ。
これまで結構な数を倒してきたが、それでもこの状態の時に戦ったのは数度しかない。まして、通常の奴がこの状態に移行するのを見たのは初めてだ。恐らくギルドでも報告例は無いだろうこの希少な事態に、後ろの知識フェチ女が狂喜する姿が目に浮かぶ。もしかして、俺のせいでこうなったんじゃないよな。
いずれにせよ、強敵が現れた事には変わりが無い。こうなった理由を考えるのはアイツがすればいい。俺がやるべきことは被害を出さず討伐する事だ。
鋭さを増した攻撃を掻い潜り柄を突き刺す。動きは見切れているが、一撃でも貰えば死は免れないという恐怖感からかどうしても慎重にならざるを得ない。大振りな一撃を当てるのは、そう、こちらを叩き潰そうと上から振り下ろしたパンチが地面に直撃するこのタイミングだ。攻撃を当てた直後に振動がこちらに伝わりやや足を捕られるが、向こうも姿勢を崩しているので問題無い。例え俺より早く立ち直られそうになったとしても、先程から的確なタイミングで飛んでくる射撃がそれを邪魔してくれる。腐ってもG級ハンターなのだ、戦況を見極める目に狂いは無い。この調子で戦って行けば問題無く倒せそうだ
こちらに有利なまま戦いは続き、気が付けばどれ程の時間が経ったのかそれすらも分からない。角は折れ体には各所に傷が刻まれているというのに、未だにその闘志を衰えさせる気配が微塵も感じられない。体力はとうに限界を超えていると思うのだが、傍目からはまるで分からない。一方の俺は大分疲労が溜まりスタミナが削られている。フランはどうか分からないが弾は有限であるのだ、いずれ終わりを迎える。いい加減根負けしそうだ。
戦場はすっかり荒れ果て、あれ程生えていた筈の植物はすっかり見る影も無くなっている。密林というよりこれでは荒野だ。おかげで動きやすくなったものの、それはお互い様だ。むしろ体が大きい分その恩恵はこちらより大きいだろう。戦況はどうやら少しずつ向こうに傾いているようだ。
焦りが心を満たしていく。落ち着こうと思っても金獅子の重圧も相まって中々冷静さを取り戻せない。手汗がじっとりと滲み出す。どうにかして気持ちを静めようと努力していると、急にラージャンが後ろへ下がるのが目に入った。
とうとう弱みを見せたか!?これまでに無かったその行動に先程までの考えも吹っ飛び、このチャンスを逃がすまいと正面から突っ込んだ。
だがそれは迂闊すぎる行動であった。もしかしたら本当に弱っていたのかもしれないが、まだ戦う力を残していたのは明らかだ。となればその動きは逃げ出すための物などでは無く――次の攻撃への布石であると考えるべきだったのだ。
異変に気付いたのはあと一歩踏み出せば手が届く、という所まで来てからだ。どうもこの目の前の敵からは焦りを感じない。心なしか表情からも余裕が伺えるのだ。その事に疑問を感じ速度を緩める。次の瞬間、口の中に大量の電気が溜まっているのが見えた。咄嗟に右に転がるように飛び退いた。次の瞬間には元々立っていた場所が強烈な電撃によって焼き尽くされ、そのまま背後にあった大木に直撃しゆっくりと倒れていくのが見えた。何とか直撃は免れたので着ている物が少々焦げて使い物にならなくなったぐらいで済んだが、心はそうは行かなかった。そのあまりの威力に圧倒されたのかはたまた時間が経つにつれ忘れて行った恐怖が蘇ってきたのか、理由は定かでは無いがショックで動けなくなってしまったのだ。
これまでのスピーディーな動きとは違いゆっくりとこちらへ迫ってくる。俺はそれを見ている事しかできない。勝利を確信したのか笑みを浮かべている。逃げなければ、と思うのだが未だに足はその仕事を果たそうとしない。眼前まで迫ってきたラージャンは拳を振り上げ――
ダンッ!
発砲音と共に肉片と血を撒き散らしながら後ろへ仰け反る。次いで、訪れる獣の悲鳴。
味方が静止し敵もゆったりとした動きを見せていたあの時間、どうやらガンナーにとっては絶好のチャンスだったようだ。通常なら狙えないような小さな場所も、あそこまで動きが無ければ当てるのは朝飯前だったらしい。弾が飛んできた方を見つめる獅子の目は、一つしか残っていなかった。
自身の一部を失ったにも関わらず怒りは微塵も収まっていないようで、残念ながら戦闘力にさしたる変化は見られない。それでも気が付くと俺は両の足で大地を踏みしめ笛を構えていた。先程の弾丸は俺にここで諦めるのか?と尋ねているように感じられたのだ。俺はこの依頼を受けると決めた訳を思い出す。……こんな所で挫けては居られない。
これまで追い掛け続けて分かったことが有る。夢というのは厄介な生き物だ。こちらの都合や気持ちに関係なく成長し続ける。それでもずっと一緒に育ってきたのだ、ソイツはもはや親友と言ってもいい。だから誰一人それが実現すると思っていなくとも、俺だけは諦めず信じ続けてやりたいのだ。
可能性が低い事は気づいている。だが俺に分かるのはそれがゼロでは無いという事だけだ。そしてその事は手を伸ばし続けるのに十分であることも。
我ながら大変な夢を持ってしまったものだが、しょうがないから最後まで面倒見てやるとしよう。俺は人知れず笑みを浮かべ気持ちを入れ直した。
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どうしてここに居るのだろう。元いた場所のあの熱気が懐かしい。たった三度太陽が昇っただけなのに、遥か昔のように感じられる。
そこらにいる獲物を狩って生きているあの日々、幸せではあったが退屈さも感じていた。それが崩れたのはあの時、自分より小さなあの生き物が襲いかかってきた時だった。
最初は見慣れぬ姿に少し興味が引かれただけだったが、手が届く筈が無い位置から急に未体験の痛みを与えられたことで認識を変えた。コイツは敵だ、久々に表れた敵なのだ、と。本能が刺激され、戦いが出来る喜びが溢れてくる。
だがそう思っていたのはこちらだけのようで、その相手は一切攻撃をもらうこと無く一方的に何かを当ててきたのだ。それも敢えて急所では無く手足などを中心に。たまらず違う場所へ飛び去るが、行く先々で待ち構えられていた。
遊ばれている。
屈辱に打ち震え怒りを覚えたが、どうする事も出来ない。慣れ親しんだ地を離れこれまで立ち入った事のない場所まで逃げ出した。
傷が大分治りかけそろそろ戻ろうかと考えていた時、この前と同じくらいの大きさの生き物が今度は二つも現れた。いや、間違い無い。遠くへ行ってしまったもう片方、あれはこの前の敵だ!
身に刻まれた恐怖と怒りから先にそちらへ向かいたかったが、どうしてももう一つの方から目が離せない。
何かされる前に仕留めてしまえば問題ない。こちらに気づく前に飛び掛かったが躱されてしまった。構うことなく追撃するがそれも避けられかえって距離は離されてしまった。慌てて詰めようとするが向こうの方が動きが早く、奇妙な音を立ててきた。
強烈な頭痛が襲いかかりそれに耐えていたが、急にパァン!という音がして何も聞こえなくなった。頭痛は収まったが、耳の奥へと痛みが移動しただけであった。
どうしてだ。どうしてこんな目に合わなければならない。これまで以上の怒りが体を満たす。するとその時、力が全身に漲るのを感じた。
腕を見ると、光り輝いていた。脚、体、体毛……あらゆる場所を確認したがどれも普段とは違っている。これなら確かに勝てるかもしれない。だが、これは生命を削っているという事も同時に理解した。僅かに逡巡したが、覚悟を決めた。コイツらを倒せるのなら構うものか。戦いの中で死んでやる。
速さを増した拳を振るう。まるで自分の腕では無いような軽さと力強さに喜びを覚える。
殴る、殴る、殴る……。何度も何度も繰り返すが一撃たりとも当てる事が出来ない。突進したり飛び上がって攻めたりと色々試すがどうしても躱される。段々と絶望が押し寄せてくる。
諦めずに攻撃を続け、もうかなりの間こうしている。だが状況は依然として変わりなく、一方的に攻められるままだ。いくらこの状態になったとはいえ、もう八度は倒れていてもおかしくない。
まだこの命が繋がっている理由はただ一つ、遠くから飛んで来る物のせいだ。当たった時は僅かに痛みが走るものの、すぐさま体力が戻ってくる。初めは喜んだものの、すぐにその恐ろしさに気づく。
これでは死ぬ事も出来ない。
こちらに殴りかかってくる敵からは必死さが伝わってくる。となればこれは遠くの敵が勝手にやっている事なのだろう。一体どこまで弄べば気が済むのか。
もうこれ以上好きにはさせない。これをすると太陽が沈むまでに死を迎える事になるだろうが、それでも構わない。
準備の為に後ろに引き下がる。こちらへ向かって来る姿に安心し、そのまま体中のエネルギーを一か所に集める。お前を倒したら次こそはアイツ、それを見届けてから死んでやる。
渾身の一発を口から放つ。結果としてそれがトドメとなることは無かったが、動きを止める事には成功した。
予定とは違うが、まあいい。笑みが隠しきれず表情にまで現れた。動く事が出来ず餌に成り下がった生き物に最後の一撃を加えるため悠然と近づいていき――突然視界が半分になった。襲い来る痛みに耐えかね悲鳴を上げる。何が起きたか分からなかったが、誰がそれを起こしたのかは瞬時に理解した。形振り構わず先にあちらを仕留めるべきだったか……!
更に怒りは増すがこれ以上はどうにもならない。態勢を立て直し近くの相手を見ると、もう立ち直っている事が確認できた。
恐らく勝つことは出来ないだろう。ならばせめて戦いの中で命を使い果たしたい。残された力を振り絞り目の前の敵に襲いかかった。
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もういいかな。すっかり様変わりしてしまった戦場を見つめ、そう考える。元々の目的は達成できたし他にも面白い物が見れた、言う事なしだね。
回復弾を取り外し、攻撃用の弾丸を装填する。その間よそ見していたので気付かなかったが、一緒に来たパートナーが相当追い詰められていた。ここで死んでしまったら寝覚めが悪いし、何よりセンスが悪いのが玉に傷だが腕が立って性格も良い人間をむざむざ死なせる訳には行かない。
狙いを一撃で怯ませられる急所に定め発射する。弾を取り換え狙いを定め発射するまでに掛かった時間は三秒といった所か。G級を自称するぐらいなら、何より彼らと同列のつもりでいるのならこのぐらいは出来ないと話にならない。
スコープで着弾を確認する。どうやら成功したらしく、シドも立ち直る事が出来たようだ。覗いた限りでは大分体力を消耗しているようだからもう演奏はしないだろう。
再び弾を取り換えながらラージャンに接近する。彼との戦闘に集中していると思っていたが、私の接近に気付いたのか体を反転させ飛び掛かる構えを見せた。
「おや、どうもありがとう」
狙いやすくなってむしろやり易い。引き金を引くと弾丸が連続で飛び出た。少々のダメージなど気にせずにこちらへ突っ込んで来ようとしていたのだろうが、所詮は猿知恵だから考えが甘い。一歩目を踏み出す事無くその場で硬直してしまった。
「やっぱり体の中に直接当てると効きが早いね」
強力な麻痺弾という事も有るが、皮膚越しでは無く傷口に直接浸透させたというのも大きい。目を狙っておいて良かった。
さて、そろそろフィナーレだ。動けなくなっている隙に爆弾を設置する。場所は背後だ。呆気に取られていたシドもすぐに立ち直り私のサポートをしてくれている。おかげで予定より早く設置し終えたので少しサービスだ。ゆっくりと拡散弾を装填していると、ようやく痺れから解放されたラージャンがリベンジと言わんばかりにこちらへ猛スピードで接近し――仕掛けて置いた落とし穴に嵌まった。
「その罠は時間が余ったからオマケだよ。それじゃ、天国で会おうか――百年後ぐらいに」
この戦いの最後を飾る攻撃を放つ。着弾すると同時に一斉に爆弾が爆発し閃光が辺りを包んだ。
大量の煙が晴れると、驚いたことにまだ息が有る獣の姿が有った。最後の一撃を放とうと電撃を溜めているのが見える。が、遅い。それよりもはるかに速く接近したシドが、笛の柄で残った目を突き刺し――ようやく死を迎えた。
「ふう、大変だったね」
笛を引き抜き血を拭っている彼にねぎらいの言葉を掛ける。
「ああ。……もう少し近くで手伝ってくれると楽だったんだが」
「無茶言わないでよ。私はレクターみたいに耳を塞いで戦えたりしないもの。それに激昂する瞬間も見る事が出来たんだから結果的に良かったじゃない」
「それが嬉しいのはお前だけだ」
そう言うと彼は座り込んでしまった。よほど疲れていたんだろう。
「本当に助かったよ。色々発見出来たし」
「全く……。良かったな」
「文句は言っても人の喜びを自分も喜べるのは君の良い所だね」
彼を誉めるとそっぽを向いてしまった。照れているんだろうか?
すっかり別物になってしまったこの土地を散策しながら考える。世の中で私よりも知識を持っている人はそうは居ない。世界でも有数であると自負している。それでも狩りはいつも新しい発見をもたらしてくれるのだ。これだからハンターは止められない。
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「はいこれ。今回の報酬」
手渡された袋の中には結構な額が入っていた。
「私は別にお金に困っていないから。全部上げるよ」
「いや、まあ遠慮無く受け取るが……」
確か他の方面から収入が入ってきているはずだ。俺などより遥かに金持ちなのは間違いない。だが問題はそんな事では無く。
「これで終わりなのか?」
「何か問題でも?十分な金額だと思うけど」
「そうじゃ無くて、出発する前に色々言っていただろう。それについてはどうなるんだ」
「ん?何の話だい?」
とぼけているのでは無く心底分からないと言った顔をしている。だが腹芸の上手さでは俺など比べ物にならない事を知っているのだ、ここで追及しなければ。
「笛を変えるとかあのラージャンが俺に似てるとか……」
「ああ。そういえばそんな話もしたね。世間話のつもりだったよ」
いかにも今思い出したと言わんばかりに振る舞うが、少し大袈裟だ。やはり演技だったか。
「何となく思った事を口に出したんだけど、それが?新しい笛があれば何か変わるかもしれない、他とは違う場所に居るラージャンが君と似ているかも知れない。そんな事が今回の今回の依頼と何の関係が有るの?」
「いやあのタイミングで言えば何か有るのかと――」
「私は知識は有っても鍛冶が出来る訳じゃ無いから新しく笛なんか作れないよ。それにラージャンを倒すのも初めてじゃないし、そこから笛だって作ったことも有るんでしょう?もし本当にあのラージャンが何か特別だとしても、あそこまでボロボロにしたら使えないよね」
反論する材料が思いつかないが、かろうじて言葉を振り絞る。
「いや、その、アレだ……そうだ、夢の手助けが出来るとか言っていただろう。ソレはどうなったんだ」
「ああ、君は本当に優しいね。わざわざ私の夢の手助けをしてくれるために着いて来てくれるなんて思いもしなかったよ」
「夢?……お前の?」
「うん。ちょっと研究したい物が有ったんだけど、中々見つからなくてね。探し回っていたらあの密林で見つけたんだよ、一番大きな木の上に。どうしてもその実なんかが欲しかったんだけど、勝手に切ったりしたら怒られちゃう。どうしようかなーって思ってたらラージャンが出て来たから、慌てて戻ってその木を守るために君を連れて行ったのさ。確実じゃないなんて嘘を付いてごめんね?全部言うと手伝ってくれないかもと思ってさ」
謝罪をしてくるが、どうもおかしな気がする。そう都合良くラージャンなんか現れたりするだろうか。
「いやでも、あの時は焦ったよ。電撃を撃たれて君が避けたのは良いけど、守ろうとした木に当たっちゃうんだもの。まあおかげで終わってから回収出来たからかえって良かったけどね」
もしかして、それが狙いだったのか?俺が電撃の射線上に入らなかったら回復弾をぶつけてでも場所を変えて来ただろう。コイツならやりかねないし、出来る腕も持ち合わせている。
「上手く行って何らかの効果が証明されたら、公式に採取や伐採が許可されるようになる。これで研究がより捗りそうだよ。……どうかした?」
どうもこうも無い。そんな自分勝手な事の為に人を巻き込む奴がどこに――結構いるな、そういえば。
もう反論する気力も起きない。やはり夢などという言葉に騙されず、最初の勘を信じれば良かったのだ。
「それじゃ、研究が有るからこれで。そうそう、今回の発見、君の名前も入れておいてあげるから感謝してね?またよろしく」
何か言う暇も与えずさっさと出て行ってしまった。あれでも外面が良いせいで、『女神』やら『探究者』といった名で呼ばれ絶大な人気が有るというのだから理不尽だ。俺と違い学者になるという夢にかなり近づいている、あるいは殆ど叶えている事も悔しさに拍車を掛ける。
ポン、と肩に手を置かれる。振り返るとこちらを同情するかのような目をしたレクターの姿が有った。
「食事でも行こうよ。奢るからさ」
そのまま二人揃って無言でギルドを後にする。
「……なあ、レクター」
「何も言うなよ。大変だったのは分かってるからさ」
「いや、この前のレストランの代金――」
「さ、こっちだ。行こう」
「おい待て人の話を――」
強引にはぐらかされ店に連れて行かれる。その後もあの女の所に俺一人置いて逃げ出した事などを追及したが、躱し続けられてしまった。結局、食事を奢ってくれたは良いが俺が払わされた分の半分にも満たなかった。
その後聞いた話によると、今回の研究の結果どうやら難病に効く薬が完成し女神の名声は更に上がったらしい。一方の俺はそれなりに感謝はされたものの、ラージャンを激昂させ密林を破壊し尽くした男としてより一層恐れを抱かれることとなった。何故だ。
おかしい、最初は五千字程度の短い話をテンポよく投下していくはずだったのに。
何故か文字数がどんどん伸びていく。次こそはもっと短く……!