笛使いの溜息   作:蟹男

21 / 26
前話の内容
おっさん臭え。

もっと読む人の心を抉る内容にしたかったのに……結局ダラダラ延びるだけになってしまった。無念。


運命からは逃げられない

その日は空が何時もとまるで違う顔を見せていた。前日までは爽やかに晴れ渡っていたと言うのに嘘の様に雲が陰り、紫色に怪しく光っていたのだ。わざわざ朝早くからギルドに出向いたと言うのに、これでは狩りに出掛ける事は難しいだろう。本当に運が悪い。

 

「変な天気……。何も起きなければ良いのだけれど……」

 

別に霊感が有る訳でも無いのに妙に胸騒ぎがする。こんな日は何かが起きてしまうのではないか?幾つもの悲しい想像が思い浮かび根拠の無い不安が胸を満たす。そして――現実は何時もソレを上回ってしまうのだ。

 

「誰か、誰か居ないか!早くしないと――」

 

ドアを開け飛び込んできた男性の姿を見て驚いた。ソレが私と同じ新人のハンターであったのも理由の一つだが、何より着ている物がボロボロで所々怪我をしていたのである。

 

「ヤース君!?どうしたのその恰好!?ギルドに帰って来るのは明日の筈じゃ……」

 

「クリスか!?説明は後だ、医者呼んでくれ!アイツが――エルヴィンが死にそうなんだ!」

 

瞬間的に頭が真っ白になり、我に返ってその言葉を理解した途端辺りに居る人を押しのけ外に飛び出す。ざわついている人々を掻き分けて進んだその先には、息も絶え絶えになって寝込むアイルー、ヤース君と同じ様に傷ついた女性ハンター、そして……右膝が所々焼け焦げそこから先が存在しなくなっている男性が其処に居た。出血が未だ止まっておらず危険な状態なのが素人目に見ても明らかだ。

 

「――!エル君ッ!しっかりしてッ!」

 

「ク、クリスちゃん……?よ、良かった……。戻ってくる事が出来たんだ……安心したよ……。あれ、何か眠くなって――」

 

「ど、どうしたら……お願い、目を開けて!」

 

「揺さ振ったら駄目よ、クリス!今に医者が来てくれるから落ち着いて!」

 

ふらつきながら立ち上がった女性に引き剥がされるが、頭の中は未だに錯乱したままだ。人というのは無力な物で、これまで直面した事の無い事態に陥るとどうする事も出来なくなる。ギルドからやって来た医者が彼を運んで行くのを眺めながら、私はそんな当たり前の事を今更ながら噛み締めていた。

 

「大丈夫?クリス」

 

「ええ……もう大分落ち着いたわ。ゴメンなさい、ユナ。アナタの方がずっと大変だったのに――」

 

「気にしないで。ハンターとしては下かもしれないけど、私の方がお姉さんなんだよ?妹分の面倒位見てあげたいじゃない。怪我だって大した事無いしね」

 

「そう、良かった――って駄目よユナ!血は止まってるみたいだけど、服が穴だらけになってる!そのままじゃ色々見えちゃう!」

 

回復薬を飲んだお蔭なのだろうか見た所彼女にそう大きな傷は無いらしい。だが衣服は薬を飲んだからと言って直る筈も無く、程良く鍛えられ男性を惹き付けて已まない魅力的な肢体が衆目の目に晒されてしまっている。

 

「え……?きゃあっ!」

 

指摘されて初めてその事に気付いたのか、その緩やかなウェーブが掛かった長い髪の毛の色と同じ様に頬をピンクに染め上げ、大きく実ったその胸の果実を覆い隠すように身を屈めた。だが彼女は気付いていないのだろう、背中やお尻の部分も所々破けてしまっておりその陶磁器の様な美しい白い肌が露出する事を防ぎ切れていない。見ようによってはより扇情的に映るのではないだろうか?……私も大きくなったらこんなスタイルになれるかな。

 

やや場違いな感想を頭に浮かべながら若干の現実逃避をしつつ立ち尽くしていると、この場に集まっていた人混みを掻き分け誰かが近付いて来た。その人は恥ずかしがっている彼女に優しくマントを羽織らせ、私達二人に声を掛けてくる。……というか師匠だ。何をしにこんな所に?

 

「取り込み中すまないな、話を聞きたいから着いて来て貰えるか?」

 

「は、はい。分かりました……」

 

「師匠、どうして此処にいらっしゃったんですか?」

 

「どうもマズイ事になっているみたいでな、詳しく調べてからだが……G級ハンターが出なければいけないかもしれないんだ。その先はあまり一般人には聞かせたくない、詳しくはギルドで話そう」

 

鼻の下を伸ばして私達を取り囲む野次馬を師匠が一睨みすると、蜘蛛の子を散らす様に逃げ去って行く。流石師匠だ、こういう時は本当に頼もしい。……だけどそんな事より気になるのは、一緒に歩くユノの事だ。さっきから顔が隠れて表情が伺えない。初めて会うG級ハンターに怯えているのか、それとも……

 

「胸がドキドキする……もしかしてコレって――駄目よユナ!私にはあの人が……でもこうやって大事なマントを――」

 

私には何も聞こえない。ずっとブツブツ何かを言っている様だがきっと気のせいだろう。真実を確かめる勇気が今の私には湧いて来なかった。

 

――今にして思えば、こうして私達が事件に無関係な事を思い浮かべて一喜一憂していたのは待ち受けている真実から目を背けたかっただけなのかもしれない。そして、そこから始まる更なる悲劇からも……。もしも現実から目を背けずに居られたら、ほんの少しでも覚悟を持てていれば何かは変わったのだろうか?過去に戻れる訳でも無いのだ、どうなっていたかなど決して分かりはしない。確実に言えるのは、一度訪れた運命は変わらないという事――それだけだ。

 

「さて……人が集まり過ぎた所為で時間が掛かってしまったが、ようやく到着したな。じゃあ詳しい話を――と、忘れていた。すまんな、クリス」

 

「ふぇ?な、何ですか?」

 

何時の間にかギルドの一室に入っていた事と、師匠に声を掛けられるまでソレに気付かなかった事に驚き、ついつい変な声が漏れてしまう。自覚は無かったがやはりまだ心中の動揺は治まっていないのだろうか。

 

「今からする話は部外者には聞かせたくない話なんだ、悪いが出て行って貰えないか?」

 

「そんな!だって皆同期だし、それに私は師匠の弟子なんですよ!?なのに……」

 

「――だからどうした。何かを知っている訳でも無い、実際に動く訳でも無い……そんな人間に何故話を聞かせる必要が有るというんだ」

 

「それは、その、だって……」

 

何かしらの言葉を続けようとするが、今までに見た事が無い様な師匠の冷たい目に全て阻まれてしまう。悔しい気持ちは有るが何も言い返せず、かといって部屋を出ずにその場に留まり続ける。暫くの間威圧するような強い視線を浴び続けていたが、ふっとそれが和らいだ。

 

「――まあそこの彼女が不安だから一緒に居て欲しい、と言うのなら話は別だがな。どうする?一緒に話を聞いて貰うか?」

 

「……ええ、是非お願いします。私もクリスには聞いて貰いたいので。辛い話になると思うけど――」

 

「ううん、私は大丈夫だから。有難う、ユナ」

 

「フフッ、どう致しまして」

 

部屋に入ってからずっと不安な表情を浮かべていたユナが、クスッと笑みを零す。やはり今の彼女を一人にはしておけないだろう。

 

「あ、それと……マント有難う御座いました。大事そうな物なのに私に――」

 

「ん?別に気にしないでくれ。そう大した物では無いし、何よりあのまま人目に晒し続ける訳には行かなかったからな。此処には替えの服も無いだろうし君にプレゼントするよ」

 

「はい、大事にします!それと私の名前はユナと言います、是非そう呼んで下さい」

 

「あ、ああ……。別に構わんが……」

 

師匠はあっさりと譲ってしまったが、私が見た所生地も良いし仕立ても上手いから結構な値段がする筈だ。流石にG級ハンターともなると金銭感覚が人とは違うらしい。

 

「大分気持ちも解れた様だな、それじゃ……聞かせて貰えるか、ユナ。――何が起きたんだ?」

「…………初めはどうって事ない普通のクエストだったんです。三日前に出て沼地に着いて、順調に狩りをしていました。でも昨日の夜になって天気が変わって――急に襲われたんです、見た事も無いモンスターに。暗かったんでどんな相手だったのかハッキリ分かりませんでしたが」

 

「見た事無いモンスター、だと?間違い無いのか?」

 

「はい。実物はまだそこまで一杯遭遇していませんけど、訓練所で絵で見たりしたモンスターとは全く違うような気がしました。でもとにかくアレは間違い無く私達が勝てる様な相手じゃなくて、パニックになって道も良く分からなくて……。三人で必死に逃げ回ったんですけど、どうしても振り切れなかったんです。皆疲れが溜まって来て、このままじゃ捕まってしまうと思い危険だけど少しだけ戦って追い返そうって決めました」

 

私の同期で新人とはいえこの三人は良く一緒に狩りに出掛けており連携や腕前はある程度経験を積んだハンター達にもそうそう劣る物では無い、と思う。それなのに手も足も出なかったなんて……一体何と出会ったのだろう?

 

「確かランスとボウガンとスラッシュアックスの組み合わせ、だったか。悪くない取り合わせだな。パーティーを組むのも初めてじゃないし連携だって取れているんだろう?」

 

「ええ、自分で言うのも何ですけど悪くない戦い方だったと思います。でも全然怯む様子も見せないしダメージも増えて、もう駄目かなと思った時――急にエルヴィン君の悲鳴が聞こえてその後すぐに何かが飛んで行くのが見えました。その時は良く分かりませんでしたけど、多分、彼の脚だったんだと思います。モンスターはそっちに気を取られたみたいで、その方角へ向かって行きました。それで何とかやり過ごしてからエルヴィン君を二人で抱えてキャンプに戻って、明日の帰還の準備をしていたアイルーさんに急いで出発して貰って――ようやくさっき帰って来る事が出来たんです」

 

「そうか……すまなかったな、辛い事を思い出させて。取り敢えずこの件は俺達に任せて今はゆっくり休んでくれ」

 

「はい、そうさせて貰います……」

 

ユナを残し部屋を出ようとする師匠。きっと原因を調べモンスターを退治しに行くのだろう。友人を傷付けられたと言うのに黙って見ているなんて、私にはそんな事出来ない!

 

「師匠、私も行きます!沼地ですよね?今すぐ準備を――」

 

「連れて行く訳が無いだろう、コレはG級ハンターがする仕事だ。師匠としても一人のハンターとしても危険過ぎて到底許可出来ないな」

 

「そんな……!私にだって出来る事ぐらい――」

 

「何も無い。確かに少しはハンターとして腕前は上がって来たかもしれない、だけどその程度の成長で差が埋まる程この世界は甘く無いんだよ。ハッキリ言ってやる……足手纏いだ、邪魔をするんじゃない」

 

話を聞きたいと部屋に居座った先程より遥かに強い視線が向けられ、言葉を失くす。もっと私に力が有れば……今この時以上にそう強く思った事は無かった。

 

「――最も、例え実力が伴っていても今のお前を同行させる気は無いぞ。彼に降りかかった不幸はもう変わりはしない、一体何をしに行くつもりなんだ?仇討ちか?復讐か?罪滅ぼしか?そんな気持ちを持つのは構わないさ、俺達は所詮人間で感情を失くす事なんか出来やしないんだからな。だけど誰かの我儘に他人を巻き込む様な事はされたら困るんだよ。……あくまでも今回G級ハンターが出向くのは安全確保の為、調査の為だ。名も知らぬモンスターに怒りをぶつけるのが目的じゃない。分かったら大人しくしていろ、帰って来るまで決して狩りに出たりするなよ」

 

「有難うね、クリス。私達の為に戦おうとしてくれて……。でもお願いだから危ない事はしないでね?アレはまだ新人に倒せる様な相手じゃないし、エルヴィン君もアナタがそんな無茶な事しても喜んだりしないと思うわ」

 

「うん……分かった。それじゃ、お見舞いに行こう?今出来る事と言ったらそれ位だし。良いですよね、師匠?」

 

「――本当なら面会謝絶だという所だが……どうせ止めても聞きはしないんだろう?だったら特別だ、話は付けておくから俺の名前を出せばいい。だけどもう一度言っておく、お前に出来る事はもう無いんだ。例え何が待っていても後悔するな、そして何かをしようともするな。……じゃあな、行って来る」

 

何時にも増して怖い雰囲気を漂わせながら師匠は部屋を出て行った。もしかしたら師匠も心を痛めていたのだろうか?だとしたら随分私ばっかり勝手な事を言ってしまったかもしれない。後で謝らなければ……。

 

「――ス、クリス!」

 

「え、あ、ゴメン!どうかした?」

 

「こっちのセリフよ、さっきから呼び掛けてたのに返事が無いから……。それより、早く行きましょう?どうなってるのか気になるし」

 

「あ、ちょっと待ってよ!」

 

部屋を出て行くユナを慌てて追い掛ける。入院している病室へ向かう道中、建物内が嫌にざわついていてバタバタと色んな人が駆けずり回っているのが凄く気になった。やはり今回の事件はギルドにとっても大事らしい。

 

「あ、申し訳御座いません。その病室は現在一般の方の立ち入りをお断りさせて頂いてまして……」

 

「えっと……シドさんが許可してくれると仰ってたんですけど――」

 

「ああ、アナタ方がそうですか。どうぞお入りになって下さい。……くれぐれも、気はしっかり持って下さいね。私は診察が有るので失礼します」

 

「え、それって一体どういう――」

 

私の質問に答える事無くその医者は行ってしまった。彼が担当医なのかと思っていたが違うのだろうか?それとも付きっ切りになる程でも無いという事なのか……まあ取り敢えずそんな事は後回しだ、早く元気な顔が見たい。重々しい病室のドアを開け、明るく声を掛ける。

 

「お邪魔しまーす!エル君、お加減は……ッ!」

 

「ちょっとクリス、もう少し静かに――ウッ!何、この臭い……」

 

病室に一歩踏み込んだ私を出迎えたのは来訪を喜ぶ声や笑顔では無く、部屋に充満する腐敗臭であった。次いで入って来たユナもその事に顔を顰めるが、私の頭の中からは既にそんな事は追い出されていた。それ程までに目の前の光景が衝撃的だったのだ。

 

ベッドに横たわるエル君、それだけならまだ良い。問題は……そこから先が無くなっている右膝、ソレに巻かれているどす黒く変色した包帯だ。ベッドサイドに近付き容体を確かめると、高熱が出ているのか随分苦しんでいる様だった。何が起きているのか分からないが、良くない事が起きているのは確実に分かる。

 

「クリス、来たのか……」

 

「ヤース君、コレって――」

 

「俺達も頑張ってたんだけどな、どうも遅すぎたらしい。毒を持っていた相手みたいで、運び込まれて来た時にはもうすっかり体に回っていたらしい。もっと早く追い払えていれば……いや、せめてちゃんと応急手当出来ていれば――」

 

「どうして……どうしてこんな事になったのよ!?二人共もっと頑張っていれば、ちゃんと戦っていたら無事だったんじゃないの!?ううん、せめて良く傷口をしっかり見てたら――」

 

どうにもならない怒りと悲しみを八つ当たりするかの様に二人にぶつける私を止めたのは、ベッドから伸びてきた他ならぬエル君の腕だった。

 

「そんなに怒らないでくれよ、クリスちゃん……。君は笑顔の方が似合うんだからさ。ほら、笑って笑って……。それに、二人は悪くないんだ。良く頑張ってくれたと思うよ。僕がちょっと不注意だったのが、いけなかったんだよ……」

 

「エルヴィン!無理するな、寝ていた方が良い!」

 

「し、心配いらないよ……。今すぐにでも、退院出来そうな位元気一杯、さ。ホラ――」

 

「相変わらず、だね。そんな顔で言っても誤魔化される訳無いじゃない。嘘が下手なんだから……。どうせすぐにばれちゃうんだから正直に言った方が良いよ?」

 

だけど彼のそんないつもと変わらない様子に心が落ち着いたのもまた事実。思えば、エル君はどんな時でもこうやって強がりを言って皆を励ましたり笑わせたりしてくれた。その下手な嘘にどれ程助けられてきた事か――これまでの様々な思い出が蘇ってくる。

 

「すまなかった、エルヴィン。あのモンスターをもっと早く追い払えていれば……。毒や麻痺も色々試したんだが、俺にはどうする事も出来なかったんだ」

 

「ううん、それを言うなら私だって……。怖くてあまり攻撃できなかったし、もっと注意を引き付けられていたら――」

 

「だから二人は悪くない、ってば。あんな化け物相手に良くやってくれたよ。後はもう少し僕が上手く動けていればちゃんと追い返せた筈さ。それに、今、こうして三人揃って生きて帰れたじゃないか……それを思えば足の一本位どうって事無いのさ――ゴホッ!ゴホッ!」

 

「エル君!」

 

足の一本位とは言うものの、どう見ても事態はそれで収まってはいない。腐り始めている脚、そしてそこから全身に回っているだろう毒……。素人目に見てもこのままでは良くないと言うのはハッキリ分かる。

 

「ゴメン、折角来てもらったのに……ちょっと……眠くなって……来たんだ……」

 

「私達の事は気にしないで、今はゆっくり休んで。……お休み、エル君」

 

「クリスちゃんが、お休み、って言ってくれた……。幸せ、だな……」

 

そう言い残すと、間も無く彼は寝息を立て始めた。せめて良い夢を見て欲しい、と願うがその寝顔を見るととても苦しそうでそんなささやかな願いすらも叶いそうに無かった。

 

「ヤース君、今の内だから聞くけど……エル君は助かるの?」

 

「……医者が言うには、非常に危ない状態らしい。退院するよりあとどれ位持つのかを考えた方が良いような状態だそうだ」

 

「そんな!でも、それならどうして担当医の人が付いていないの?何か起きたら――」

 

「もう手の施し様が無いんだとさ。この患者を診てるより他にする事が有る、そう言って出て行ったんだ。だけどソイツの言う事も――」

 

病室に入る前に会ったあの医者の事を思い出す。恐らく彼が担当医なのだろう。こんな状態の患者放り出すなんて、私の大事な友達を見捨てて何処かに行くなんて……絶対に許せない!

 

「お、おい!クリス!何処へ――」

 

「その人に合って言ってくる!エル君を無視するなんて許さないんだから!」

 

「待ってよクリス!行っちゃった……」

 

二人が引き止める声を無視し、建物内を駆け回る。人の出入りが激しくとても大変だったが、運良く休憩室で寛いでいる所を見つける事が出来た。我慢出来ずノックするのも忘れその部屋に飛び込む。

 

「うわっ、何ですか慌ただしい……と、アナタは確か――」

 

「どうしてこんな所で休んでるんですか!医者なんでしょう!?」

 

「ああ、あの方のお弟子さんでしたね。別に私が休憩する位構わないでしょう?ぶっ続けで働いていたら疲れますし、ミスなんか起こしたら大問題ですからね。こうやって体を休めるのも仕事の内なんですよ」

 

「……とぼけないで下さい。目の前の苦しんでいる患者を放置する事が医者のやる事ですか……エル君の事を見捨てるのがアナタの役目なんですか!?どうしてエル君を助けてくれないの!?答えてよッ!」

 

内に秘めた感情を爆発させた私を、嫌に冷静な目で見つめながら手に持っていたカップの中身を口に運ぶ。冷静さを崩さないその姿が凄く腹立たしい。そんな私の気持ちなど露知らず、如何にも面倒臭いと言った感じで聞き分けの無い子供に語りかけるかの様な口調で言葉を返してきた。

 

「お言葉ですけどね、彼に関しては最善を尽くして治療しました。その結果がアレなのです。つまり改善する見込みが無いって事ですよ。これ以上の事をするのは時間の無駄でしか有りません」

 

「そんな……でも――!」

 

「此処に居る患者は彼だけでは無いのです。治りもしない人ばかり気にして助かる人を助けられなくなったら、それこそ医者として失格でしょう?我々は少しでも多くの人が助かる様最善の努力を尽くしているんです。そもそも、彼がああなったのは自業自得ですよね?初心者が狩りを甘く見て夜に出掛けて……私にだってそれが危ないって事は分かりますよ。全く、コレだから未熟なハンターは――」

 

「エル君を――皆を馬鹿にするな!何も知らないクセに、そんな勝手な事言わないでよ!」

 

まるで彼らが悪者であるかの様なその発言を許す事など出来ず、続く言葉を遮り医者に食って掛かる。あれ程頑張った皆を褒めるでも無く慰めるでも無く、ただ貶したのだ。エル君は今も苦しんでいると言うのに――!

 

「……まあ今のは少しだけ言い過ぎだったかもしれませんね。ですが基本的に間違っているとは思いませんよ?身の丈に合った振舞いをしていれば起きなかった事故なのですから。まあ……その犠牲のお蔭でギルドで把握していない危険を発見出来たのだから、少しは感謝しています」

 

「それじゃ……それじゃまるで、エル君が生贄みたいじゃないですか!」

 

「人聞きの悪い事を言わないで下さい。何時でも起こりうる危機を、若くて無謀なハンター一人の被害だけで乗り切れた……これ以上無い結果です。御理解頂けましたか?分かったら我儘を言ってあまり我々を困らせないで欲しい物ですね――アナタにはそんな偉そうに振る舞う権利など無いのだから。こうして話を聞いて上げているのもシドさんの顔を立てての事で、本来なら門前払いしていますよ。ですが実力も伴わない子供の戯言にはこれ以上付き合って居られません。それでは、私は助かる見込みのある患者さんの診察が有るので失礼します」

 

歩き去って行く背中を私は只黙って見つめる事しか出来なかった。悔しさが心中を満たし涙で視界が滲む。そこに暫くの間立ち尽くした後、いつの間にか私は建物を飛び出し何処をどう通ったのか分からないが自分の家に辿り着いていた。食事も取らずベッドの上で一人涙を流し続ける。

 

――エル君……もっと力が有れば……今の私には何もしてあげられないよ……ゴメンなさい……。

 

「――て!起きて!クリス!」

 

ドンドンと叩かれるドアの音で目が覚める。泣き疲れてそのまま眠っていたらしい。泣き腫らして真っ赤になった目をそのままに、疲れが取れず重さの残る体を無理矢理引き摺り起こし玄関へと向かう。

 

「……お早う、ユナ」

 

「クリス、その顔――まあ良いわ。それより、聞いて!エルヴィン君を見てくれる医者が見つかったの!すぐに病室に――」

 

その意味を理解した途端、慌てて家を飛び出した。髪も整えず皺だらけの服のまま病室に飛び込むと、ベッドに寝ているエル君と傍で看病するヤース君、そして一人の見知らぬ男性が其処には居た。

 

「随分な登場だな、お嬢ちゃん。此処を何処だと思ってるんだ?」

 

「す、スミマセン。お騒がせして……。所で、アナタが――」

 

「キリク、だ。一応医者をやっている。わざわざ呼ばれたから来ては見たが……成程、確かにコイツは俺が見るべき患者らしい。引っ張り出された甲斐が有るってモンだ」

 

「宜しくお願いします――彼を、エル君を助けて!」

 

スカーフを巻き黒いコートを身に纏った白髪の男性に、最後の希望を託し縋りつく。何処と無く怪しい雰囲気を漂わせており、そう簡単に信用して良い物か疑問が残るが――他に方法は無い。もう私には彼に賭けるしか道は残されていないのだ。

 

「とはいえ……そう簡単に治療してやる、っていう訳にもいかないがな。俺が此処に居るのはボランティアでも無ければ安っぽい同情なんかでも無い――只のビジネスだ。払うモン払わなきゃ仕事なんかしてやれないぜ?」

 

「お金なら幾らでも払います!だから――」

 

「おおっと、勘違いしないでくれ。そんなに金に困っちゃいないんだ、アンタみたいな女の子から金をむしり取ったりはしない。だけど世の中には金を積んでもそう簡単には手に入らない物が有る、今回はソレが俺への報酬だ。体が小さくてもハンターなんだろう?だったら引き受けてくれるよな」

 

ふと頭の中に出発前の師匠の注意が蘇る――決して狩りに出るな、と言うその言葉が。きっとソレは私の事を心配しての事だったのだろう。だが同時にこうも言っていた……お前に出来る事は何も無い、と。その言葉は間違いだ、今の私にはエル君の為に出来る事が有る。約束を破るのは心苦しいが、師匠だって間違っていたのだからお互い様の筈だ。

 

「分かりました、何でも戦います!一体どんなモンスターを倒せば良いんですか?」

 

「威勢が良いな、そうでなくっちゃな。まあ心配はいらねえ、ヒヨッ子のハンターでも倒せる相手だ。モンスターの名前は――ドスガレオス。ソイツの肝をちょっとばかし取って来て貰おうか」

 

「ドスガレオス……」

 

倒した事は無いが、話位は聞いた事が有る。それ程の強敵では無かった筈だ。

 

「すぐに行ってきます!それじゃ――」

 

「待ちなさいクリス!私達も行くわ!それに……そんな恰好で出掛けるつもり?早く準備を整えてらっしゃい!」

 

「え……?あ!早く着替えなきゃ!」

 

今更ながら寝起きのままの格好で飛び出して来た事を思い出す。恥ずかしさに顔を真っ赤にさせながら家に戻り、すぐに準備を整え病室へ舞い戻る。既に二人は用意を済ませており、先程の騒ぎのせいかエル君も目を覚ましてしまっていた。

 

「話は聞いたよ、クリスちゃん……。気持ちは嬉しいけど、僕の為に無理は――」

 

「大丈夫!さっさと終わらせて戻って来るから、待っててね!」

 

「話が弾むのは結構だが、早くした方が良いぞ?このままだと、そうだな……持ってあと三日、って所か。取って来るのが遅れたら――」

 

「それでも、こんな事が有ったのに君達三人だけで行くなんて……。せめてもう一人位腕の立つ人が……そうだ、シーゲル君とか――」

 

エル君の提案で、私達と同期の一人の男性を思い出す。同じ新人とは言うもののその判断力と度胸は凄まじく、私から見ればソレは師匠にも負けない程の物だ。一度一緒に出掛けただけだがその時の光景は今でも目に焼き付いている。確かに彼が一緒なら――そう考える私の考えを、ずっと黙っていたヤース君が否定する。

 

「駄目だ!俺はあんな奴信用出来無い、あの目付きを見ると寒気がするよ!それに……エルヴィンは俺達の手で助け出すんだ、俺達は仲間なんだ!」

 

「……分かったよ、ヤース。それなら僕はもう何も言わない。だけど――クリスちゃん、せめてコレを受け取って欲しい」

 

エル君は胸元に忍ばせていた宝石の付いたネックレスの様な物を私に差し出してくる。戸惑いながらソレを受け取ると、何となくだが温かみを感じた。ずっと肌に触れていたと言うだけでなく、この石自身から何かの力が発せられている様な気がする。

 

「お守り、だよ……。きっとクリスちゃんの身を守ってくれると思うから――」

 

「有難う、エル君。必ず返すよ――それじゃ皆、すぐに行こう!」

 

部屋を飛び出し目的地の砂漠に出発する。何時もと変わらない筈のその道程が今日は何十倍にも感じられた。

 

「ねえ、ドスガレオスってどんなモンスターなの?一度も見た事が無いんだけれど……」

 

「スマンな、実は俺も遭遇した事が無い。だけど強さ的には俺達でも十分勝てる相手らしいから、それ程心配はしなくて良いだろう。問題はどれだけ早く倒せるかだが――」

 

「砂の中に居るって聞いた事は有るけれど、依頼自体あまり見かけないから情報が少ないのよ。何か問題でも有るのかしら……」

 

「――詳しい事は戦ってみれば分かるよね。さあ、到着したよ!すぐに行こう!」

 

照りつける日差しの中地面に降り立ち、一目散に砂地の広がる平原へ向かう。吹き出る汗を拭いながらやっとの事でその場所に辿り着いた。だがそこに広がっていたのは輝く太陽に雲一つ無い青空、そして何処までも広がる砂漠――それだけだ。ドスガレオスどころか虫の一匹さえ見当たらない。

 

「何処……何処に居るの!?見つからないよ……!」

 

「ハァッ、ハァッ……落ち着け、クリス!一人で先走るんじゃない!」

 

「ヤース君……だけど……」

 

「気持ちは分かるけど、助けたいと思っているのはアナタだけじゃ無いわ。皆で力を合わせて戦うのよ!」

 

その言葉を聞いて少しだけ冷静になる。焦る気持ちが無くなった訳では無いが、落ち着いて物事を考える事が出来る様になった。そうだ、私は一人じゃない。頼もしい仲間が二人……いや、三人付いているのだ。胸元のお守りを握り締め気持ちを整える。待っててね、エル君。すぐにモンスターなんかやっつけて、皆が未熟なハンターじゃないって証明して見せるから――!

 

「ゴメンなさい、勝手な事をして……」

 

「大丈夫だ、まだ幾らでも取り返せる。それと――良く思い出すんだ。ドスガレオスの習性を、な」

 

「――!そっか、考えてみれば見当たらないのは当然よね」

 

「ええ、砂の中を移動しているのだから普通に見ても見つかる筈は無いわ。それにこのエリアには他の生き物が全く見当たらないから……全てドスガレオスにやられたか逃げ出した、って事。つまりこの辺りに居るのは確実よ、皆で手分けして探しましょう!」

 

辺りを良く見渡す。相変わらず地上には何も見つからないが、目を凝らすと所々で地面が盛り上がり移動している所が目に付く。きっとコレがドスガレオスなのだろう。そこに近付き笛を振り下ろす。が、地面に届く頃には既にその場を離れており攻撃が当たる事は無かった。諦めずに何度も何度も繰り返し、数を数えるのが億劫になった頃ようやく手応えを得る事が出来た。

 

「やった――」

 

地中から飛び出したその姿を見て喜びが生まれる。だがその油断がいけなかったのか、すぐに砂に潜り逃げられてしまった。

 

「ボーっとするな、クリス!出て来たらすぐに倒さないとまたやり直しだぞ!」

 

「それに今のはかなり小さかったわ。多分普通のガレオスね」

 

「そんな……まさかこの広い砂漠の中から、姿も見えないのに探し当てないといけないの!?しかも早く仕留めないとやり直しだなんて――」

 

「コレが強さの割にあまり討伐されない理由か、素材が中々出回らないのも頷けるな。だけどやるしかない、手遅れになる前に……!」

 

どうやって探して良いのかも分からないのに、時間が無い。私の心に絶望が訪れる。だがヤース君の言う通り、やるしかないのだ。ここで諦めるという事は大事な友達の死を受け入れるという事に他ならない。

 

何とか気持ちを奮い立たせ捜索を続けるが、一向に見つからない。二頭程只のガレオスを仕留めた辺りですっかり日が暮れてしまった。

 

「もう今日は無理ね……戻りましょう、クリス」

 

「まだ、まだ私は大丈夫よ!休むなら二人だけで休んでて、私はもう少し――」

 

「エルヴィンの怪我を忘れたのか!?夜になったのに危険を忘れ狩りを続けた所為であんな事になったんだぞ!……それに、どうやら奴らも眠りに付いたらしい。この状態では探す事は出来ないさ、また明日頑張ろう」

 

「……そうだったね、ゴメン。私達が怪我したらエル君も悲しむよね」

 

口惜しいが、今日は一旦引き揚げる。明日だ、明日こそは――!

 

しかし次の日も、私達の努力は実る事無くドスガレオスは倒せず仕舞いだった。どうしよう、あと一日しかない。だがまるで収穫が無かった訳でも無い、偶然では有るが空中に飛び出したドスガレオスの姿を見る事が出来たのだ。すぐに引っ込んでしまったが、お蔭で他のガレオスとは砂の盛り上がり方が違う事が分かった。ほんの僅かだが希望も見えている。

 

……全ては明日、明日で決まってしまう。私は本当に彼を助ける事が出来るだろうか?不安で中々眠れない。

 

「眠れないの、クリス?」

 

「ユナ……うん。本当にドスガレオスを倒せるのかな、って。もしも倒せなかったら――」

 

「そうね、私も本当の事を言うとちょっと怖いの。だけど心配し過ぎて体力が無くなったら元も子も無いわ。だから早く……そう言えば、昨日の夜もそうだったけど随分元気そうね。私達は完全に疲れちゃってたのに――」

 

「多分そのお守りのお蔭だろうな。確か体力を回復させる加護が有った筈だ」

 

私達が話し込んでいた所為か、ヤース君まで目を覚ましてしまったらしい。もしかして声が大きかったのだろうか?

 

「あ、ゴメンね。煩かった?」

 

「いや、俺も中々寝付けなくてさ。それより、エルヴィンがくれたそのお守りだけど確か結構珍しい品だった筈だ。……大事な物なんだろうな、きっと」

 

「そっか……じゃあ絶対に返して上げなくっちゃ!二人共、お休みなさい!」

 

コレを握っていると、不思議と不安な気持ちが何処かへ行ってしまい代わりに立ち向かう勇気が湧いてくる。きっとお守りの効果だけでは無く、エル君が見守ってくれると感じられるからだろう。さっきまであれ程目が冴えていたと言うのにあっという間に眠りに付く事が出来た。

 

「――準備良し、さあ……行くよ!」

 

「元気が良いな、クリス。それじゃ出発するか」

 

「ええ。すぐに帰れる様に頑張りましょう!」

 

朝日が昇ると共に目を覚まし、二人を起こして用意をさせる。若干眠そうでは有ったが素早く支度を済ませてくれた。大丈夫、コレならきっと――!

 

同じエリアに入り、良く地面を観察する。闇雲に全てを倒していたらとても時間が足りない、目標はドスガレオスだけだ。

 

「――居た!ヤース君の左!」

 

「コイツか!くらえ!」

 

一際大きい砂の盛り上がり、その少し先に狙いを定め弾丸を発射する。動線を読み放たれたその弾は見事に地中の巨体に命中し悲鳴を上げさせた。この二日間の経験は無駄では無かったのだ。

 

「やった――!」

 

「いや、まだだ!クソ……足りないのか!?」

 

だが予想に反しドスガレオスは地上に飛び出しては来なかった。大きい分少しダメージが足りなかったらしい。

 

「でも今のが間違い無くドスガレオスよ!この調子で行きましょう!」

 

再び潜り始めたその背中を眼で追い掛ける。この砂漠は人間が動きやすいフィールドでは無い、無暗に走り回っても決して追い付けないのだ。だが恐らく地中に居る所為だろう、奴らは簡単な事に気づいていない。その進むルートが単純で、同じ道を繰り返して動いている事に。私達はそれを待ち伏せするのが最良の手段なのだ。早くしなければという思いからついつい走り出したくなるが、此処は我慢しなければ。

 

「もう少し、もう少し……今よ!」

 

三人で一斉に攻撃を放つ。流石に耐え切れなかったらしく、ついに地中から引き摺り出す事に成功した。だがまだ手を休めてはならない。もう一度逃げられたら警戒され最悪の場合何処か別の場所に行ってしまうだろう。そうなったらお手上げだ。仕留めるなら今しかない!

 

「クッ……しぶといな――ぐあっ!」

 

「ヤース君!?キャッ!」

 

「ユナ、大丈夫!?」

 

万全の計画を立てていた心算であったが、たった一つ重要な事が頭から抜けていたらしい。私達はこの二日間追いかけ続けている内にどこか頭の中で相手を只の獲物と思うようになっていた。ドスガレオスは人間よりもずっと強力な力を持ったモンスターだというのに……。

 

失敗はすぐに形となって現れた。まずヤース君に向かい砂が吐き出され、ボウガンを弾き飛ばされる。その様子を見て動きを止めたユナに振り回された尻尾が激突した。思わず心配し、手を止め二人の方を見る。考えるまでも無い、最悪の行動だ。何せ、ドスガレオスの傍で無防備な姿を晒しているのだから。

 

「クリス!逃げて!」

 

私の体を貫かんばかりの勢いで放たれた砂のブレスが胸の真ん中を直撃する。あまりの強さに後方に吹き飛ばされる体。ドスガレオスは悠然とこちらへ向かい歩みを進め、止めを刺そうと近付いて来る。その姿を見つめ、私はボソリと呟いた。

 

「ゴメンね、エル君……」

 

私の後悔など知る由も無く、悠然と此方に近付いて来る。勝利を確信しているのだろう、その歩みはあれ程のスピードで地中を泳いでいたとは思えない程ゆっくりだ。最もその原因はこの場から動こうとしない私にも有るのだろうが。体に影が差すほどの距離まで迫ったドスガレオスは立ち止まり喰らい付こうと首を伸ばし――下から振り上げられた私の笛にぶつかり頭を大きく揺らした。

 

「お守り、返せなくなっちゃった。だからせめて――コレだけは間に合わせないと!」

 

立ち上がると同時に、粉々になったお守りの破片が地面に零れ落ちる。その内幾つかは風に乗り、光を反射させ輝きながら何処かへ飛んで行ってしまったから修復する事も出来そうに無い。きっと砂のブレスから私を守った時点で役目を終えてしまったのだろう、残りの欠片からも力は感じられなかった。

 

「それじゃ、サヨナラだよ。私には待っている人が居るんだ」

 

その平たい頭目掛けて全力で振り下ろす。見た目通りの骨格をしている所為か横以外からの攻撃には極めて弱いらしく、簡単に骨が砕ける手応えを感じゆっくりと前のめりに倒れていった。

 

「やったな、クリス!お疲れ様――」

 

「まだだよ、早く肝を取って帰らないと!もう太陽も大分高くなってる、急がなきゃ!」

 

「後は私達に任せて先にベースキャンプに戻ってて。ダメージを取らないと心配されちゃうわ」

 

「……分かった。じゃあお願いね」

 

一足先に寝泊まりしていた地点に戻り、帰りの支度を整える。アイルーにも話を通し出発の準備が出来た辺りでようやく肝を持った二人が戻って来た。

 

「お待たせ、それじゃ行きましょうか」

 

「ええ、アイルーさん――」

 

「分かってるニャ!しっかり捕まってるニャ!」

 

全員が乗った事を確認すると、猛スピードで動き出す。中の人間の事をまるで考えていないその運転は、通常の半分より更にも短い時間で私達を街へと運んだ。

 

「有難う、アイルーさん!」

 

「何だか知らないけど、頑張るニャ!」

 

応援を背に受け、真っ直ぐに病室を目指す。途中何人もの人に注意されながらもそれらを全て無視し走り続ける。そしてその勢いのまま部屋へ飛び込み、大きな声で帰還した事を伝えた。

 

「エル君!帰って来たよ!」

 

予想に反して何の反応も無い。おかしいと思って良く見てみると、ベッドに寝ていたのは見ず知らずの老人であった。ポカンとしたその顔を見て、自分が何か間違えている事に気付く。

 

「……アレ?」

 

部屋は間違っていない筈だ。一番奥なのだから勘違いという事も有り得ない。不思議に思っていると、部屋の中に居るあのエル君を見捨てた医者が私に声を掛けてきた。

 

「またアナタですか……ここ二、三日見掛けなくて静かだったのに――」

 

「それより!エル君は何処ですか!?」

 

「全く……彼なら地下ですよ。部屋を移ったんです。霊安室だからお静かにお願いしますよ」

 

「そうですか!分かり――霊、安室……?」

 

その言葉が意味する事が理解出来無い。いや、分かっては居るのだが認めたくないのだ。エル君が霊安室に居るという事、それはつまり――

 

「早く出て行って下さい。患者さんが驚いていますから」

 

部屋を追い出された私は暫くその場に立ち尽くし、いつの間にか追い付いていたヤース君とユナに声を掛けられるまでずっとそうしていた。

 

「――――」

 

「――――」

 

何かを言っている様だが、耳に入らない。どうしても信じる事が出来なかった私は二人を置き去りにし地下へと駈け出した。ヒヤリとする冷気が立ち込めている気がしてくるそのフロア、普段の私なら怖くて立ち寄れなかっただろう。しかし今その怖さを認める事はそのまま此処には死者しか居ない事を肯定してしまう様に感じられ、敢えてソレを無視して突き進んだ。

 

「エル君!」

 

「よう、遅かったじゃないか。もう少しで焼いてしまう所だったぜ?何せ相当腐って来た所為でウジが湧いてるからな」

 

「そんな……私は何の為に……」

 

冷たいベッドで寝ているその顔は、紛れも無くエル君だった。表情だけは随分と穏やかだが、どう見ても血の通った人間の物では無い。もう事実から逃げられない、彼はもうこの世に居ないのだ。だが……一つ気になる事が有る。

 

「どうして、どうして私は間に合わなかったんですか?余裕で、とは言いませんけど結構早く帰って来れたのに……」

 

「だーかーら、言ったじゃねえか出発する前に。今のままの状態では持って三日だ、ってよ」

 

「ええ、だから――」

 

「俺の見立ては間違っちゃいねえよ、あの時点ではな。予想外だったのはその後だ、まさかお守りを渡しちまうとは思って無かったぜ。回復の効果が有るアレが有ったから何とか生きてたのに、外しちまったらそりゃすぐお陀仏だ。ま、それだけ渡したかったんだろうがな。形見になったんだ、大事にしろよ」

 

「そんな……そんな……!」

 

ドアが開かれ、置き去りにされた二人がやって来た。一目見て状況を理解したらしく、無念そうに言葉を発した。

 

「エルヴィン……間に合わなかったか」

 

「ゴメンなさい、エルヴィン君。こんな事になるなんて……」

 

「悲しむのは結構だがな、そろそろ報酬を払って貰おうか?」

 

「え、ああ……。これで良いか?」

 

ヤース君がドスガレオスの肝を袋から取り出し、そのまま手渡した。私には何故今更そんな事をするのか理解出来無い。

 

「確かに受け取ったぜ。注文通りだな」

 

「……どうしてアナタが今になってそれを欲しがるんですか?エル君の怪我を治すのには間に合わせられなかったのに――」

 

「なーに勘違いしてんだ、俺は最初からコイツを治療に使うなんて一言も言ってねえよ。わざわざ取って来て貰ったのは個人的にこの肝が必要だっただけだ。ま、その所為で死に目に会えなかったってのも笑えるがな、ハッハッハッ!」

 

ヒヤリとした冷気が漂う静かな部屋に、大きな笑い声が響き渡る。だがその声は決して雰囲気を明るくする様な物では無く、むしろ彼の薄気味悪さを更に強調させていた。

 

「折角だ、改めて自己紹介させて貰おうか――俺はドクターキリク、安楽死の専門家だ。巷じゃあ人殺しの医者なんて呼ばれてるぜ?酷い話だと思わねえか、全くよ!」

 

「じゃ、じゃあ……エル君が死んだのは――」

 

「そうだよ、俺がトドメを刺してやったのさ!どうせ助からねえんだから気持ちよく逝かせてやるのが優しさって奴だろ?人助けをするのは最高に気持ちが良いよな!なあ、そう思うだろ?」

 

「違う!お前なんか只の人殺しだ!」

 

あんなに頑張ったのは、大事なお守りを壊してまで戦ったのはこの男を楽しませる為じゃない!始めからこんな人間だと知っていたら絶対に――え?

 

「当然だが患者が死んじまうからな、普通報酬は先払いなんだ。でも今回は特別だ、事後でもオーケーにしてやったよ。なあボウズ、俺って優しいだろ?」

 

「な――!?話が違うじゃないか!依頼人の事はばらさないって言っていたのに――」

 

「なーに言ってやがんだバカタレ。俺は何も言ってねえぞ?テメエが勝手に自分で言っちまったんじゃねえか」

 

「ヤース君、ユナ……二人共、知っていた、の?」

 

目の前が真っ暗になる。私は友達と思っていた、仲間だと思っていたのに……二人はそうじゃ無かったの?

 

「ゴ、ゴメンなさい、クリス。中々言い出せなくて……」

 

「そうだ、医者の言う通り助かる状態じゃ無かったんだ。だから少しでも安らかに――」

 

「演技派だなあ、ボウズ!賞をやりてえ位だぜ!だけど、医者に嘘が付けると思うなよ?俺は本当に患者が助からねえか確かめる為に自分で診察するんだが、随分面白い物を見つけちまったぞ?」

 

ニヤニヤと楽しそうに笑みを浮かべながらドクターは話を続ける。止めて、もうこれ以上聞きたくない!そう思うがどうしても引き込まれ耳を塞ぐ事が出来ない。一体これ以上どんな残酷な真実が待ち受けているというの?

 

「そもそもよ、どうして今こんなに騒ぎになってるのか分かるか?コイツの怪我が毒と炎の両方による物だったからだよ!ギルドじゃ新しいモンスターが現れた、って大慌てだよ。でもな……調べて見たらこの毒、そっくりなのが見つかったんだ。ハンターが使う毒弾、ソレと全く同じなんだよ。それに加えてこの火傷、多分弾を発射した時の火薬が原因だろう?ボウズ……てめえ、仲間を撃ちやがったな?」

 

「そんな……ヤース君がエル君を――」

 

「嘘……そんなの嘘よ!そんなことしないよね、アナタはそんな事する人じゃないよね!?」

 

問い詰めようとした私を遮り、ユナが半狂乱に陥りながらヤース君に食って掛かる。そう言えば、ヤース君に恋心を抱いていると本人から聞いた事が有る。きっと自分の好きな人が殺人者などと信じたくないのだろう。

 

「ち、違う。アレは事故だったんだ。エルヴィンが目の前に居るから、そう、アイツが現れて俺はパニックになって、何処を狙ったらいいのか分からなくて、だから、俺は悪くないんだ!」

 

「ヤース君、本当にエル君を――」

 

「その呼び方を止めろッ!どうして、どうして死んだ奴なのに仲良さそうにあだ名で呼んだりするんだ!俺が最初だったんだ、俺の方が先にクリスを好きになったんだ!話し掛けたのも俺が先だ、食事をしたのも一緒に狩りをしたのも全部俺が先だ!なのに、なのに何故エルヴィンばかりを見る!俺の方が絶対――」

 

思いも寄らぬ告白の途中で、突如ヤース君が突き飛ばされる。何事かと思いその反対側を見ると。スラッシュアックスを構えたユナがゆっくりとヤース君に近寄って行く姿が有った。

 

「信じていたのに……エルヴィン君の為にやるんだと思っていたのに……私の事を好きだって言ってくれたのも本当だって信じていたのに……!」

 

「待ってくれ、ユナ!い、今のはほんの冗談で――」

 

「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだウソダウソダ――嘘だッ!もう信じられない……お前なんかヤース君じゃない……只の偽物だ!返せ……本物のヤース君を、返せッ!」

 

高く持ち上げた斧が、這いつくばり許しを請うヤース君に向かって振り下ろされた。鮮血が飛び散り、周囲に肉片がばら撒かれる――そんな光景を幻視し思わず目を背ける。そんな私の耳に届いたのは悲鳴でも飛び散る血肉の音でも無くガキン、という振り下ろされた斧を受け止めた鈍い音だった。

 

「ギルドから帰還命令が出て戻って来てみれば……とんでもない場面に出くわしてしまったな。間に合ったから良かったが、危うく大惨事じゃないか」

 

目を開けると、いつの間にか部屋には師匠が入っていた。間一髪の所で新たな殺人を防いだらしい。

 

「邪魔をするな!この男は、この男だけは……!」

 

「君の様な女の子にはそんな恐ろしい事をさせられないさ。コイツを裁くのは他の人間に任せて、ほら……涙を拭いてくれ。今は好きなだけ腕を貸すよ」

 

「うう……うわぁぁぁんッ!」

 

持っていた斧を取り落とすと、ユナは師匠の腕に縋り付き大声で泣き始める。軽く頭を撫でているその光景を見て、私の心の中は悲しみと嫉みで満たされてしまった。

 

どうしてユナには辛い時、絶望に陥った時に助けてくれる人が居るのだろう。どうして師匠で有る筈のあの人は――私を救ってはくれないのだろう。どうして私一人が……抜け出せない絶望の中に居なければいけないのだろう。

 

私の事を気にするそぶりも無く、師匠はヤース君の方へ振り返り冷たく言い放った。

 

「報告は受けている。ハンターによるハンター殺し……逃げられると思うな。処分が決定するまで好きにしろ、それがお前にとっての最後の自由だ」

 

ヤース君は顔を真っ青にして崩れ落ちた。許せないと思っていたが、こうなってしまってはもうどうでも良い。いや、彼の絶望を思えば同情する気持ちさえ芽生えてくる。

 

「よう、美味しい所持ってくじゃねえか。なあ、死神よ。いや……色男の方がお似合いか?」

 

「からかうんじゃない。それより、かなり世話になったな。アンタの報告が無ければまだ未知のモンスターを探していた所だよ。……ああ、そういえば。なあクリス」

 

今頃になってやっと声を掛けてくる。此処まで後回しにしておいて、一体何を言うつもりなのだろうか。

 

「言った筈だぞ、狩りに出たりするんじゃないって。こうなる事は目に見えていたんだ、ちゃんと人の言う事は――」

 

「煩い!放っといてよ、私の事なんて!」

 

「クリス!何処へ行くの!」

 

攻め立てる様なその言葉に、とうとう心の堤防が決壊してしまう。もう嫌だ、誰も信じられない。引き止めるユナの言葉も無視し、流れる涙を止めようともしないまま部屋を飛び出す。もう何も考えたくない、今は只一人で居たいのだ。

 

「もう疲れたよ、エル君……」

 

太陽が沈みゆく中フラフラと街をさ迷い歩き誰も居ない場所を探し求めるが、結局辿り着いたのは自分の家だった。明かりも付けず、かといって眠りにも就かず只座り込む。頭の中に浮かんでくるのは今まで皆で過ごしてきた楽しい思い出ばかり。もう二度と帰って来ないのだ、そんな日々は……。

 

不意にドアがノックされる。だけどほんの数歩歩いて玄関の扉を開く、という簡単な動作すらする気が起きない。

 

「クリス、開けてくれないか?――いや、やはりそのままでいい。さっきはすまなかったな、お前の気持ちを考えていなかったよ。凄く辛かっただろうに……これでは師匠失格だ。今は声を聴かせてくれなくても良い、だけどせめてコレだけは受け取ってくれ」

 

その言葉と共に、郵便受けから何かが落とされる。

 

「キリクの奴から受け取ったんだ。あのエルヴィンというハンター、彼の遺書だそうだ。お前に渡してくれって頼まれてたらしいから俺が代わりに持って来たんだ。……じゃあな、また明日。待ってるぞ」

 

遠ざかって行く足音。郵便受けにはその言葉通り手紙の様な物が入っていた。ゆっくりと拾い上げ、慎重に開封していく。

 

『クリスへ。

こんな手紙を書かなければいけない事がとても辛い。本当ならもっと色々なモンスターと戦いたかった、みんなと一緒に馬鹿騒ぎしたかった、――もっと君と一緒に居たかった。

でももうそれが叶わぬ願いで有る事は気付いている。せめて僕の所為で皆がバラバラにならないで欲しい、それだけが願いだ。

あの医者を呼ぶ様に頼んだのは、僕だ。決してヤースとユナじゃない。だからあの二人を責めないで欲しい。

君の顔を見る前に終わりを迎えるのも、格好悪い所を見せたくないからだ。お守り一つでお詫びにするのは申し訳無いけど、どうか勘弁して欲しいな。

最後に、君に伝えたい事が一つだけ有った。でもそれを言ってしまうのはフェアじゃないから心にしまって置く。それじゃあ、元気で。  エルヴィンより』

 

涙で視界が滲み、読み返す事が出来ない。だけどエル君の最後のメッセージはちゃんと心に刻まれた。唯一残された遺品を失くしてしまう事が無い様、大事に仕舞い込む。

 

「ホントに嘘が下手だね、エル君……。でも、有難う」

 

その嘘はすぐにばれる様な単純な物ばかりだったが、それが皆を笑わせてくれた。それだけでは無い、エル君の傍にはいつも笑顔が有った。もしかしたら私は彼に恋をしていたのかもしれない。今となってはその気持ちの本当の意味は分からないが、きっと忘れる事は無いだろう。

 

頬を伝う涙は何時までも止まらない、でも今はそれでいい。明日からは彼が好きだと言ってくれた笑顔で皆に会おう。師匠にゴメンなさいと謝りたいし、ユナともまた楽しく話せるようになりたい。だから……今日だけは泣いても良いよね?

 

辛い出来事は沢山有ったけど、それでも切れない絆が有るのだと信じたい。師匠の様に、ユナの様に、そして……エル君の様に。

 




・この話の登場人物
ドクターキリク
名前はブラックジャックのドクターキリコから。構想ではもっと悪人な感じでコイツが一人勝ちする予定だったのに。残念。

ヤース
犯人はヤス。

ユナ
フューチャーなダイアリーのヒロイン兼ラスボスなお方が名前の由来。感想で「女ヲ……モット女ヲヨコセ……!」(意訳)というメッセージを受け登場が決定した。やったねぺッちゃん、ヒロイン(地雷)が増えるよ!

ヤース
犯人はヤス。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。