笛使いの溜息   作:蟹男

20 / 26
前話のお話
元々は彼らが人質を取ってシドに無理矢理働かせる話で、最後もドドブランゴに食い殺される予定だった。だけど何となく路線変更した結果、カオスな感じに。


適材適所

当ても無く街を彷徨い歩き、目に付いたバーに入る。何の目的も無く思いつくままに行動するのも偶には良い物だ。

 

「……いらっしゃいませ、此方へどうぞ」

 

年配のマスターが物静かに、それでいて優しく俺を出迎えてくれる。殆ど客も居ないこの空間は実に居心地が良い。軽く会釈し、案内された席へ座る。こういった店には馴染みの客の席が決まっている事が多いし、そうで無くてもマスター各々の客に会った場所を考えてくれるのだ。ここは大人の空間、がっついて我先にと勝手に動き出すようなお子様が来るような場所では無い。

 

「初めてのお客様ですね、何になさいますか?」

 

「ああ、何となく目を惹かれてな。取り敢えず最初は軽い物を貰えるか?」

 

「かしこまりました。ではこちらなど如何でしょう」

 

「良いな。それで頼む」

 

指し示したメニューを見て、了承の返事を返す。このファーストコンタクトが印象の九割以上を占めると言っても過言では無い。その位最初の一杯というのは重要なのだ。今勧められたカクテルの名前を見るだけでも此処は良い店なのだとすぐに理解出来る。

 

グラスを取り出し氷を入れると、甘く、そして何処か苦味も含んだ少し癖の有る独特な香り付けが魅力の、良く冷やされた蒸留酒がその中に注がれる。ストレートで飲むにはきつ過ぎるそのアルコールを和らげるかの如く、ほんのりとした優しい甘味を持ち香りの爽やかな炭酸水をそこに加え、泡を立てる事無く慎重にかつ全体を馴染ませる様に素早くかき混ぜて行く。最後にアクセントとして柑橘類の果物が添えられ、透明な中に炭酸の泡が宝石の様に輝く一杯の芸術が完成した。

 

「お待たせ致しました」

 

「有難う、頂くよ」

 

口に含むとまず鮮烈な柑橘類の香りが広がり、それに続く様にこの酒が持つ独特の香りがソレと混じり合う。そのままではややしつこくなってしまいそうな物だが、炭酸水の爽やかさがそれを防ぎ喜びだけを強調してくれる。嗅覚では十分に楽しませて貰った、お次は味だ。

 

強い香りに比べると味そのものは驚く程あっさりとしていて、苦味とほんの少しの甘味が感じられる程度でそれらもすぐに炭酸に押し流されてしまう。だがシンプルさこそがこのカクテルの魅力なのだ。香りを楽しんだ後はその余韻に浸るかの様な淡い味わい――最初の一杯にするにも締めとして飲むにも相応しい、個人的にはカクテルの一つの理想形では無いかと思っている程のお気に入りである。

 

シンプルでは有るがそれ故奥が深く、たった一杯でそこがどんな店なのか理解出来る程バーテンダーの腕前や個性が表れるのもまたこの酒の面白さの一つだ。幸いこの店は俺の感性に合っているらしい。

 

ゆっくりと時間を掛けてこの一杯を楽しみ、飲み終えた頃にマスターが話し掛けて来た。実に良いタイミングだ。

 

「如何でしたか?」

 

「うん、実に素晴らしい……美味かったよ、マスター」

 

「それはどうも。……お次は如何致しましょう?」

 

「そうだな……次はきつめの、味の強い物を貰えるかな?それと、何か軽くつまみになる物も有ると嬉しいんだが」

 

「畏まりました。では――」

 

問い掛けられるとついついお任せします、などと言ってしまったりする人も居るのではないだろうか。一見それらしく聞こえるが、それは大きな間違いだ。バーには数多の酒が置いて有るのだ、その中には当然各々の好みに合わない物も存在する。此処には格好を付ける為では無く酒を楽しみにやって来るのだ、であれば自分の好みはしっかりと伝えるべきだろう。何よりそういったバーテンダーとのコミュニケーションもまたこの空間ならではの面白さなのだ。

 

シェイカーを取り出したマスターは、琥珀色の熟成された甘くスモーキーな香りとまろやかな味わいが魅力の蒸留酒、薄いエメラルドの様な緑色を帯びた他に真似出来ない唯一無二の香りと味を持つ薬草系リキュール、そして先程も楽しんだばかりの透き通るような透明感の有る酒を計りもせずしかしきっちりと同じ分量だけ中に入れて行く。

 

小気味よいリズムでシェイカーを振るマスター。単純ながら耳に心地良いそのメロディが鳴り止むと、グラスの縁ギリギリまで注がれた薄いイエローのカクテルと共に、一緒に食べるとより酒を楽しめそうなナッツの盛り合わせが俺の前に置かれた。

 

「どうぞ。少々アルコールが強いのでゆっくりとお飲みになって下さい」

 

まずは軽く一口、グラスからこの魅惑的な液体を一滴も零してしまう事の無い様慎重に口に運ぶ。その途端、全身にまるで地震がやって来たかのような強い衝撃が訪れた。各々の酒がどれも強烈なアルコールと味を持っているのだからそれも当然と言えるだろう。だがこれまた不思議な事に、それぞれが自分を強調しながらもお互いの良さを消し合う事無くきれいにハーモニーを奏でているのだ。

 

俺は悪魔など信じてはいない。だがもしも居るのならそれはきっと見た目には美しく、中身は強烈な毒を持ちながらも人を惹き付けて止まない魅力を持ち合わせているのだろう――丁度、このカクテルの様に。……何を考えてるんだか、俺は。どうやら少し酔いが回ったらしい。

 

口の中と頭をリセットする為ナッツを一つ摘み口の中に放り込む。食べ慣れた筈のポリポリとした食感と香ばしいフレーバーが何処か新鮮に感じる。少し塩気の強いソレを食べたお蔭なのか、ついつい酒に手が伸びてしまう。この単調なサイクルをじっくりと時間を掛けて繰り返す――正に至福の時間である。ゆっくりと時が流れる大人のバーだからこその楽しみだ。

 

「こちらをどうぞ。あちらのお客様からです」

 

グラスの中身がほぼ無くなり幸せな時間にひとまずの終わりが近付き、満足感とほんの少しの寂しさが心の中に訪れる。他の客から粋なプレゼントが届いたのはそんな時であった。こういった見知らぬ人の優しさに触れ会話を楽しむ事もバーで飲む楽しみの一つだ。その事を思い出せてくれたお礼を言おうとそちらを向き――すぐさま顔を背け慌てて帰り支度を始める。

 

「すまない、マスター!会計を頼む」

 

「どうかなさいましたか、随分と急な――」

 

「良いから!早くしてくれないか!」

 

「落ち着いて下さい。まだ折角のカクテルも残っているじゃないですか」

 

「そうですよ、シド君。こんな静かなバーで騒ぎ立てて見っとも無い。それに人の好意は有難く受け取っておくのが大人の男という物です」

 

遅かった。出来れば早く逃げ出したかったんだが……残念ながら手遅れの様だ。諦めて座り直し、話し掛けて来た男の方を向く。

 

「……どうしてアンタがこんな所に居るんだ、キーンさんよ」

 

「おや、何かおかしな事でも御座いますかな?良い店が有れば立ち寄りたくなるのは当然では有りませんか」

 

「それはまあ納得するが……。やれやれ、本当に運が悪かっただけらしいな」

 

「まあまあ、どういう巡り合わせかこうして出会えたんですから。まずは乾杯から始めましょう」

 

カチン、とグラス同士が軽い音を立てる。中に入っているカクテルを一気に煽ると、酩酊していた頭をスッキリさせてくれる様な爽快感が体を包み込む。どうやら俺の体調を考えた注文をしてくれていたらしい。となると結構前から見られていたという事か……。

 

「どうです、アルコールに打ちのめされた体に優しく染み渡って行くでしょう?雑誌の記事に影響されて少し格好付けたくなる気持ちも分かります。ですがあまり背伸びしないで自分らしく振る舞うのが本当の大人の男という物ですよ」

 

「…………何の事か良く分からんが、忠告は有難く聞いておこう」

 

改めて、その男をじっくりと観察した。小奇麗に纏めてはいるが何処か胡散臭さの残る相変わらずのその風貌。ちょっとした弱みを握られ散々に振り回され痛い目を見た事は今でも鮮烈に記憶に残っている。出来ればもう関わり合いになりたくなかったんだがな。

 

「すっかり酔いも醒めてしまったな。それで、本当に一体何の用なんだ?」

 

「まあまあ、その話はゆっくりと食事をしながらにしましょう。私の奢りですので。――マスター、ダイミョウザザミの棒肉のサラダと極上ザザミソのパスタを二人前頂けますか?」

 

「おい、そんな高級な物……」

 

「大丈夫ですよ。この店はリーズナブルに料理を楽しめるバーとして人気ですから。ほら、メニューの値段を見て下さい」

 

リストを見ると確かに全てのメニューが良心的な価格に設定されている。マスターの姿勢と腕前を考えても手抜きの料理が出て来るとは思えないから余程努力しているのだろう。とはいえあくまでも高級食材にしては、というレベルの話である。一般人に手が届かないと言う程では無いにしろ気軽に人に奢れる値段では無い筈だが。

 

「……随分と羽振りが良いな。何を企んでいる?」

 

「疑り深いですね。大口の依頼が入りまして懐が暖かいだけですよ」

 

「成程、まあそういう事にしておこうか」

 

「お待たせ致しました、ごゆっくりどうぞ」

 

会話の切れ目を見計らっていたかのような丁度良いタイミングで料理が運ばれてくる。まずは瑞々しい野菜の上に見た目にも鮮やかな紅いザザミの脚肉が盛り付けられ、華を添える様に全体をドレッシングで美しく彩られたサラダだ。小皿に取り分け早速頂く事にする。

 

シャキシャキとした歯ごたえの野菜にコクと酸味が有るドレッシング、そして繊細な甘みと旨味がギュッと濃縮された盾蟹の脚肉。これらの全てが口の中で混ざり合い見事に調和している。これからの料理に期待を持たせ食欲を更に増進させてくれる前菜として相応しい一品だ。

 

「どうぞ食べながら聞いて下さい。お察しの事と思いますが、またアナタの手をお借りしたいのです。と言っても今回は前よりも簡単な依頼でしてね、こうして此処で出会わなければ一人で行こうかと思っていましたよ」

 

「だったら一人で行ってくれ。俺にはアンタを手伝う理由も無い」

 

「先日、街中でモンスターが暴れ回る事件が有ったそうですな。恐らくギルドに内容を知らせず依頼したのでしょうが、一体何処から連れ込まれたのか……身元が判明すれば依頼人とハンター共に罰が下される事でしょう」

 

「…………そ、そうか。それは大変だな」

 

「フフフ、冗談ですよ。実際には殆ど被害も出ていませんし混乱も起きませんでしたから、少し注意される程度で済むでしょう。あまりお気になさらず」

 

「失礼します、こちら極上ザザミソのパスタです」

 

今の話を聞かれていないだろうか、と心配になったがその顔に特に変化は見られない。だがこのマスターなら客の込み入った事情に深入りはしないだろうし、万が一秘密を知ってしまっても誰かに漏らす事は無いだろう。酒の席では誰しもお喋りになるのだ、店の信頼に関わる以上口が堅く無ければ到底バーのマスターなど務まらない……筈だ。

 

「今回やるのは只のダイミョウザザミの分布調査です。最近どうも数が減っているらしく、密漁の可能性も有るとか。万が一の為に、と思いましたが別に一人でも――」

 

「いや、やはり手伝わせて貰えないか?借りを作っておきたくは無いし、何より……コイツが食べられなくなるかもしれないと言うのはちょっと見過ごせないな」

 

深いコクと風味が身以上に詰まっているこの珍味が溶かし込まれたソースを、解した身と麺に良く絡めてから口へと運ぶ。一般には好き嫌いが多いとされているが本当に新鮮な物を食べればそれは正に至上の美味さと言えるだろう。勿論どんな立派な食材でも使い方を誤ればそれはゴミ以下の屑と成り果てるが、此処の料理はそんな事は無く一切の生臭さを感じさせずザザミの魅力を詰め込んだ一皿に仕上がっている。コレが味わえなくなると言うのは最大級の不幸では無いだろうか。

 

「……フム、なら手伝って頂きましょう。望み通りの結末になるとは限りませんがね。ではまた明日の昼過ぎ、ギルドでお会いしましょう」

 

代金を置き、店を去って行く背中を眺める。さっきから気掛かりだったのだが、居なくなってしまったのだから別に構わないだろう。食べ終えた皿を端に寄せ、手を付けられていないサラダとパスタのセットを目の前に移動させる。残してしまっては勿体無いからな、仕方無い仕方無い。二皿目のパスタに手を付けながらふと思う。

 

……バーでこんなに大食いするのは大人としてどうなんだ?

 

若干の葛藤が有ったが食欲には勝てず急いでそれを食べ終え、料金を支払いそそくさと店を後にする。中々大人の男として振る舞うのは難しい物だな。

 

「――やあ、どうも。体調は如何ですか?」

 

「ああ。お蔭様でバッチリだな」

 

「それは良かった、二日酔いなども無いようですね……それでは早速ですが、密林へ出発しましょうか」

 

挨拶もそこそこに目的地へ向けて動き出す。そういえば、今回の依頼の詳細を確認していなかったな。簡単だという事だしそれ程気にしなくても良さそうだが、道中することも無いし聞いておいても良いだろう。

 

「一つ聞きたいんだが、今回どういう経緯でアンタにこの依頼が回って来たんだ?」

 

「おや、お話していませんでしたか。依頼主様はギルドの幹部クラスの偉い方です。……実はですね、依頼されたのは私だけでは無いのですよ。まあやる事は調査なのですから人手が多いに越した事は無いのでしょうが、全員に同じ報酬を払うと言うのですから随分と太っ腹な方です」

 

「へえ……」

 

それだけギルドもこの件を重く見ているという事だろうか。少し気を引き締めて行った方が良いかもしれない。

 

「さて、そろそろ到着します……用意は良いですか?」

 

「大丈夫だ。それじゃ行くとするか」

 

地面に降り立ち周囲を見渡す。少し薄暗くなってきているが相変わらず自然に満ち溢れており木々が生い茂っている……少なくとも、今の所無理矢理道が切り開かれたりしている様子は見受けられない。

 

「随分と静かですな」

 

「此処は何時もこんな感じさ。なあ、密漁者なんて本当に存在するのか?それ用のルートなんかが有っても良さそうな物だが、特に何も見当たらないし――」

 

「そんな分かり易い事をする集団なら苦労しません。犯人は余程用意周到なのかそれとも他に原因が有るのか……いずれにせよ、それを調べる為に来ているのです。さあ、さっさと行きますよ」

 

「あ、おい!先走るな!――ったく」

 

先に行ってしまった男を追い掛ける為、少し遅れて走り始める。当然ながら体力では負ける筈が無いが、俺は武器や防具の他にも様々な物を所持しているのだ。その所為で中々近付く事が出来ず、やっとの事で追い付いた時にはかなり奥深くまで入り込んでしまっていた。

 

「勝手な事をするんじゃない!モンスターに出会ったらどうする――」

 

「静かに……ご覧ください、あそこに居ますよ」

 

折角の忠告を遮って俺に遠くの方を指し示す。その指の先にはのんびりと歩くダイミョウザザミの姿が有った。数が少なくなったとはいえ一応まだ生きている奴も居るらしく、その事に安堵を覚えた。

 

「絶滅した訳じゃ無さそうだな、取り敢えず一安心だ」

 

「ええ、狩り尽くされていたら犯人を見つけられませんしね」

 

「そういう事じゃ――いや、そういう事なのか?まあ良い、近付いて様子を伺ってみるか。何か手掛かりが有るかもしれない」

 

呑気に歩くその姿は、命のやり取りに慣れているハンター達にとって一種の癒しでも有るらしい。見ていると殺伐とした心が落ち着いて行くそうだ。結局戦う事になるかもしれない相手を見てそんな気分になるとは俺には少し信じられないが。

 

「待って下さい、アナタが先程注意したばかりでしょう?見つかったらどうするんですか」

 

「心配無い、ダイミョウザザミは元々大人しいんだ。何か仕掛けたりしなければこっちの事なんか気にもしないさ。だから見つかっても襲われたり――」

 

する心配は無い、そう続けようとした俺の目の前を突進してきたダイミョウザザミが通り過ぎて行く。木々を何本も薙ぎ倒してやっとの事で動きを止めた所から見るに、完全に俺を狙って攻撃してきたのだろう。偶々目測を誤った様だが、直撃していたらと思うとゾッとする。

 

「襲われたり、の続きは何です?」

 

「しない筈、なんだがな……。どうやら異変が起きているのは確かな様だ。まあともかく――逃げろ!またあの突進が来る前に少しでも距離を離すんだ!」

 

今来た道を走りながら戻って行く。体勢を立て直される前に出来るだけ遠ざかりたい所だが――そう考えていた俺に、わざわざ俺に合わせて走るキーンが話し掛けて来た。

 

「どうして攻撃しないんですか?アナタならあの程度どうにでも出来るでしょう」

 

「何を言ってるんだ、此処に来たのはアレを守る為じゃないか。護衛対象を自分で倒す馬鹿が居るか!」

 

「勘違いなさってませんか?この依頼はあくまでも調査です、ダイミョウザザミの保護では有りませんよ」

 

「それは……そうかもしれないが、守る対象が居なくなったら何も意味が無いだろう!?大体、ハンターじゃない人間を引き連れながら戦うなんて危険すぎる!」

 

「フム……でしたら笛でどうにかしたりは――」

 

「いや、あの殻の所為で音が反響して効き過ぎてしまうんだ。多分すぐに気絶するだろう。……密漁者がウロウロしているかもしれないこの場ではあまりやらない方が良いな」

 

もう少しで開けた所に出る、という所で突如としてその広場に何かが降って来た。砂煙が舞い上がっている所為で姿をハッキリ見る事は出来ないが、シルエットだけでそれが何なのかすぐに判別できた。

 

「逃げろ、キーン!犯人はコイツだ!」

 

「この状況ではとても動けません。ですがご安心を、自分の身は自分で守って見せます。それよりどうしますか、このままではあちらさんもやってきてしまいますが……いっそアナタの笛でこれ以上近づかない様に出来ませんか?」

 

「チッ……後少しでお互い気付いてしまうか。止むを得ん、ダイミョウザザミを気絶させてさっさとコイツを――ティガレックスを仕留めるしかないか」

 

笛を構え演奏を開始する。――水流が俺の体を叩いたのはその直後であった。幸い距離もが離れていた所為でダメージは殆ど無いが、思わず演奏を中断してしまった。何事かと思いそちらを見ると、盾蟹が水を吹き出し鋏を振り回して狂ったように暴れている。こんな僅かな時間では何の曲も奏でられていない。とするとアレは――

 

「まるで音そのものに怯えている様ですな……ですがお蔭で私にも追い払えそうです。後はお任せしますよ!」

 

キーンがダイミョウザザミの方へ駆け出し、音爆弾を投げつける。混乱は更に増した様で暴れながら明後日の方へ移動していく。後は上手く残りの爆弾で遠くへ誘導してくれる事を祈るしかない。それよりも俺がすべき事は別に有る。

 

「うわっ……と」

 

視界の外からティガレックスが地面を削って土の塊を飛ばしてくるのを確認し、追撃に警戒しつつソレを躱す。この辺りにはあまり慣れていない所為か岩などを使う事は出来なかった様だが、それでも当たると威力が有る事には変わりない。おまけに治まり掛けていた土煙も再び巻き起こり視界が遮られてしまう。普段通りかえって砂漠や雪山で戦うよりも厄介かもしれない。とはいえ砂のカーテンの向こうにその巨体の影が浮かび上がっている為、位置を掴むことは簡単だ。

 

「喰らえッ!」

 

此方の位置を悟られる前に近付いて渾身の一撃を脚にぶつける。ダメージ的には頭を狙った方が良いのは当然の事だが、姿が見えないアドバンテージを失う危険を冒してまで行うメリットは無い。ましてや今笛など吹いては完全に場所を察知されてしまう。現時点で最良の行動を選択した……筈だった。たった一つ、ミスが有るとすれば――相手の姿をシルエットでしか確認していなかった事だろうか。

 

「なっ――弾かれただと!?」

 

期待していた物とは全く違う、硬すぎる鱗の手応えに驚き思わず動きを止めてしまう。予想外の事態は更に続く。この状況ではまだ俺の正確な位置は分かっていないだろうから警戒すべきは回転しての薙ぎ払いだけであるし、その攻撃は右足を軸に回転する為近くに居ても当たらない場所が有る。そう考え念の為そこに陣取っていたのだが、奴が仕掛けてくると同時に俺の体は宙に浮いていた。

 

「グハッ……!コイツ、もしかして……!」

 

モンスターは同じ種類に見えても生まれた環境や育ち方によって動き方は変わってくる。今食らった様な前進しその勢いを利用しての回転攻撃は、此処から遠くの別の地域に住むティガレックスだけが使う。本来ならそんな奴が居るのは有り得ないのだが、そもそも密林に居る事自体が異常なのだ。その可能性まで考慮出来ていなかったのは俺のミスである。

 

「見知らぬ土地からの乱入者、っていう事か。どんな事情が有るか知らないが、これ以上荒らされる訳にはいかないんだ。悪いが討伐させて貰うぞ!」

 

普段そこまで遠くの土地へは出掛けないとはいえ、このタイプのティガレックスとは二、三度戦った事が有る。先程は驚かされたが大凡その攻撃パターンは把握出来ているのだ。

 

「鱗は堅い様だが、此処ならどうだ!」

 

「グギャアッ!?グゥゥゥッ……!」

 

あちこち動き回られては戦いにくいし何より環境が破壊されてしまう。戦いに勝ったとしても生物が住めなくなってしまっては何の意味も無いのだ。その為にまず狙うのは足――脚では無く足、だ。ハンターや餌となる動物を切り裂くその爪目掛けて思いっきり笛を振り下ろす。思った通り結構効いている様だ。飛び散った爪の破片が顔を掠って僅かに血が流れる。だがこの程度でどうと言うことも無い、それより気にしなくてはいけないのは――

 

「ギャオオオオンッッ!」

 

「クッ……!これからだな、問題は……」

 

先程まで舞い上がっていた砂煙は落ち着きを取り戻しつつあるが、日が陰ってきている所為か相手の姿がどうもハッキリしない。おまけに今の一撃が良すぎた所為か相手を怒らせてしまったらしく、血流が活発になり体中に紅く光るラインが走っているのが見て取れた。

 

再び飛んでくる土塊。だが先程の物より飛来するスピードは増しており、寸での所で避けるのが精一杯であった。安心する暇も無くその場を飛び退く。間髪入れずにこちらに突っ込んできたティガレックスはしばらく進んでから停止した。おかしい……どうして奴はこの視界の悪さで小さな俺をすぐに見つけられるんだ?

 

疑問に答えが出るよりも早く、またしても突進を開始するティガレックス。余裕を持ってその直線的な動きを避けるが、今度は通り過ぎたと思った所から急に反転し連続で突っ込んできた。流石にそんな事を二度三度と続けられては避け続けるのは難しい。奴の脚が俺の左腕に衝突し、硬い鱗で左腕の皮膚が削り取られてしまう。

 

「――ッ!」

 

どうにかして大声を出すのを堪えたが、その部分から流れる血までは止め様が無かった。どうやら間違い無く奴は俺の居場所を把握している。しかも頭を此方に向けている事から考えるに先程よりも正確に分かっている様だ。対する此方は動き回られた所為で中々クリアにならない視界に苦しんでいる。

 

「ほら、此処だ……さっさと来い!」

 

状況は不利だが、この程度で戦いを止めるつもりは無い。頭に血が上っている今なら恐らく近付いて喰らい付く事を選択する筈だ、確実にそれを誘導する為声を上げて呼び掛ける。チャンスは一瞬、失敗すれば一気にピンチに陥るだろう。恐怖を心に押し込み砂塵を上げて迫り来る巨体へ向けて駈け出す。噛り付こうと大きく開いた口、体勢を低くしその下を掻い潜る――!

 

「痛ってえな……だがッ!」

 

全身を擦り剥き額から血を流しつつ振り返り突進を続けるティガレックスを追い掛ける。急停止し反転した瞬間に、脳天を狙ってこの笛を叩き込むのが狙いだ。異変が起きたのはその直後であった。真っ直ぐ進む筈のその突進が、突如軌道を乱し不規則な弧を描きだしたのである。

 

攻撃を跳ね返す硬い鱗、する筈の無い行動、そして僅かな音にあれ程の怯えを見せたダイミョウザザミ……。俺はもっと疑問を持つべきだったのだ、これ程までに異常な事態が続いている事に。早い段階でシルエットを確認してしまった為か、薄暗さに惑わされてしまった為か、焦りや油断が有った為なのか――いずれにせよ、判断を間違えてしまった事は確かだ。そして……その代償はすぐに払わされることになる。

 

「ガハッ――!ゲホッ、ゲホッ……そうか、それがお前の正体か……ッ!」

 

叩きつけられた樹に背を預けながら何とか立ち上がる。骨や内臓までは何とかダメージが行かなかったらしいが、体中に走る痛みまでは抑えきれない。しかし俺の視線はそんな状況をまるで気にする事無く目の前の相手に向けられていた。

 

突如放たれた強烈すぎる咆哮。あまりの音の大きさに質量さえ感じる程凄まじい衝撃を受け、成す術無く吹き飛ばされてしまった。影響はそれだけに留まらず細かい砂粒まで全て吹き飛ばしてしまった為、完全な姿を俺に晒す事になったのである。

 

通常よりも凶暴な性格を持ち、硬さを増す特殊な成分を含んだ鱗。近年発見された特殊な個体――黒轟竜ことティガレックスの亜種だ。こうして実際に目の当たりにするのは初めてだが、この恐るべき威圧感は並みのティガレックスの物を遥かに上回る。

 

「どうしたモンかな、全く……」

 

ダメージが蓄積し只でさえ不利な状況なのに、どのような動きをするのかさえも定かでは無い相手。命が惜しければ決して戦うべきでは無い状況だ。そもそも直接引き受けた訳では無いし調査という目的は既に達成されていると言っても間違いでは無い。早く此処から逃げるべきだ――頭の中ではそう考えているのに、どうして俺は大地を両足でしっかり踏みしめ対峙しているのか。どうして俺は――笛を構え戦いの意志を捨て去っていないのか。

 

「俺もハンターだった、って事か?」

 

危険なのは分かっているがこれ程の昂ぶりは随分と久し振りだ。偶にはこの気持ちに流されてみるのも悪くないだろう。

 

「散々好き勝手やってくれて有難うよ。今度は……俺の番だッ!」

 

奴にとっても簡単な事では無かったのだろう、息を整える為此方を見ずに大きな呼吸を繰り返している。どうやらスタミナが余り無い事は普通の奴と変わり無いらしい。気付かれていない今がチャンスだ、一気に間を詰め鱗に覆われていない腹の部分を狙い走り出す。しかし残念ながら後少しで届くという所で惜しくも気付かれ、尻尾を振り回し攻撃を妨害されてしまった。回避する事は出来たが、距離は離れてしまう。

 

何故だ……何故こうも俺の動きが読まれる?どうして見もせずに場所が分かるのだ?未だにその答えは見つからないが、何時までもそれを考えても仕方が無い。俺は学者では無いのだから成すべき事は他に有る。

 

策が通用しない、小細工も出来ない……ならば正面からぶつかるだけだ。持てる力を全て発揮しアイツを打ち倒す――それだけで良い。

 

「ウオオッ!」

 

頭目掛けて一気に接近し笛を振り被る。先程よりはマシになったとはいえ体力は回復し切っておらず、その場を離れる事は出来無いらしい。そうなるとティガレックスは一気に攻撃のバリエーションが少なくなり、回転するか噛み付く位しかやれることが無いのだ。しかも脳に酸素が足りていない所為か考える事も単純になっており、正面から近づく俺を迎え撃つべく噛み付こうと不用意にも首を伸ばしてきた。当然そんな見え見えの攻撃に当たる事は無く、手前で停止し差し出された頭に強烈な一撃をお見舞いする。

 

「グギャアァアッ!?ギャアア……ッ!」

 

頭蓋の中では脳が存分にシェイクされている事だろう、フラフラと揺れ動く頭がそれを証明している。俺はこの隙を見逃してやる程優しい心を持ち合わせてはいない。今の位置から狙える数少ない鱗に覆われていない場所、眼球目掛けて笛の柄を突き刺す。

 

「ゴアアアアッ!ゴアアアアッ!」

 

ほぼ同時に辺りに咆哮が響き渡り吹き飛ばされる。だが先程のブレスにも似た強烈な衝撃波では無く、痛みにより思わず漏れてしまった悲鳴の様な物だろう。ダメージもあまり感じない。さっさとケリを付けるべくもう一度接近を開始する。相も変わらず首を伸ばし待ち構えるティガレックス、だが何処かに違和感が有る。良く見ると脚への血流が量を増し、赤い輝きがより強くなっていた。

 

しかし残念ながら俺にはそれが何を意味するのか分からない。ただ単に更なる怒りを覚えただけなのか、力が戻り始めているのか……どちらにせよ早く仕留めてしまうのが一番だ。先程と同じ様に頭部を攻撃しようと構え、そこまで来てやっと自身の失敗に気付く。同じ行動を取る相手に同じ攻撃を返す事、それ自体には何の問題も無い。だが俺は今片目を潰したばかりだ、ロクに見えやしないのに同じ動きを取る事自体がそもそも不自然であるとどうして気付けなかったのか。

 

動き始めてしまった俺の体を無理矢理引き止めるだけの力は残っておらず、あえなく攻撃は空振りしてしまう。脚に力が戻ったティガレックスは間一髪で地面を踏み切り後ろへ跳躍したのだ。無防備な所に再び叩き込まれる特大の咆哮、直撃した俺の体は木々にぶつかるまでゴロゴロと無様に地面を転がり続ける。スタミナを限界まで振り絞るかの様に涎を垂らしながら突進してくるティガレックスを見て、諦めの気持ちが心に浮かび上がってくる。

 

メシャアッ!という音と共に奴の牙が食い込む。死を覚悟し待っていたが何時までもそれは訪れない。恐る恐る目を開け確かめると、隣の大木に牙が突き刺さりそれを引き抜こうと必死にもがくティガレックスの姿が目に入った。

 

「そうか、確かあの木は……。成程、それがお前の“目”だったのか」

 

牙を捉えこんで離そうとしない大木を眺める。この樹は最初に咆哮で吹き飛ばされたときに衝突した樹であり、俺の血がべっとりと大量に付着していたのだ。思えばかなり早い段階から俺は出血してしまっていたし、それを止めようともしていなかった。肉食動物で凄まじい食欲を誇るティガレックスは血の匂いにも敏感で、その嗅覚で位置を確かめていたのだろうが最後の最後に裏目に出たのだろう。

 

脱出される事の無い様笛で頭を横から殴り付け更に深くまで牙を埋め込む。いつの間にか体中を満たしていた筈の熱が何処かに行ってしまった事に一抹の寂しさを感じながら、戦いに幕を下ろす曲を演奏し始める。幾ら鱗が硬かろうと音には何の関係も無い、逃れる事も出来ず苦しみの表情を浮かべどんどん動きを鈍らせていく。

 

「ハァ……ハァ……。この一撃で最後だ、散々苦しめてくれやがって。じゃあな、あの世で待ってろ――ッ!」

 

最後の一撃で頭を潰し、完全に体力を使い果たした。思わず崩れ落ちそうになる体を誰かが支えた。それが誰かなど考えるまでも無い、あの胡散臭い探偵に決まっている。

 

「いやいや、お疲れ様でしたな。お蔭でダイミョウザザミを守る事が出来ましたよ」

 

「……色々言いたい事は有るがな、キーン。しばらく休ませてくれないか?もう一歩も動けそうも無いんだ」

 

「ええ、後はお任せ下さい」

 

疲れ果てた体を休める様に地面に寝転ぶ。重くなっていく瞼に逆らう事が出来ず、そもそも抵抗しようとする意志すら存在しない。心地良い闇の中の静寂に意識が落ちて行くのを止める者は誰も居なかった。

 

「――君、シド君!着きましたよ」

 

「ん……?此処は……?」

 

「街に戻って来たんですよ。アイルーにも手伝って貰ってアナタを乗せたんです」

 

「そうだったか、迷惑を掛けたな」

 

血を大分失った所為かまだかなりふらつくが、どうにか歩ける程度までは回復した様だ。キーンに手を貸して貰いながら地面に降り立ち伸びをする。体中が軋みを上げ、あの戦いは凄まじい激闘であったのだと今更ながらに実感させられた。

 

「それでは私は報告に向かいます。――腕が鳴りますな」

 

「え?一体どういう事だ?単純にティガレックスの事を伝えに行くだけだろう、すぐに終わるじゃないか。勿論どうしてあそこに居たのか考えたりもしなければいけないだろうが……」

 

「事はそう単純では無いのですよ、依頼主の方には色々と問い詰める必要が出てきました。ああ、シド君はお疲れでしょうから来て頂かなくても構いませんよ。私一人で――」

 

「いや、そういう事なら俺も付いて行こう。少し心配だしな」

 

確かギルドの幹部クラスの偉い人間が依頼主だった筈だ、あの組織で上に上がる人間が並大抵の相手で有る筈が無い。まともな人間では太刀打ち出来ないだろう。

 

「そうですか?では一緒に行きましょう」

 

俺を気遣ってかゆっくりと歩みを進め、辿り着いた時にはもう完全に暗くなっていた。しかしこれからする話を考えれば人の殆どいないこの時間帯の方が丁度良いだろう。

 

「失礼します」

 

「こんな時間に何の用だ。探偵に……おや、G級ハンター様じゃないか。もしや彼の手伝いでもしたのか?わざわざご苦労な事だ、おまけにその汚らしい恰好からするとどうやら帰ってきてすぐ報告に来たらしいな。全く、明日でも構わんというのに」

 

「いえいえ、是非ともお伝えしたい事と――お聞きしたい事が御座いまして」

 

嫌味タップリに出迎えてくれたこの男、ギルド内でもかなり強い権力を持っている。こうして個人の部屋を持っている所からもそれが明らかだ。実に都合が良い。

 

「実はですな、依頼された密林にティガレックスの亜種が現れたのです。本来居る筈の無い相手でしたから危うく命を落とすところでしたよ。シド君が来てくれていなかったらどうなっていた事か……。簡単な調査と伺っていましたが、一体コレはどういう事なのでしょうな」

 

「ほう、そんな事になっていたのか。それは済まなかった。そんな報告は受けていなかったのでな、気付く事が出来なかったよ。お詫びに報酬を上乗せして――」

 

「残念ですがそう簡単に誤魔化される訳には行きません。何故ギルドにその報告が上がらなかったのか、それこそが何よりも問題なのです。もしもティガレックスがダイミョウザザミを食い荒らしていたとするなら、何故その痕跡が一切残っていないのでしょう?」

 

「……成程な」

 

ティガレックスが捕食していたとしても、流石に食べるのはその身だけだろう。つまり密林には殻の残骸などが残っている筈なのだ。だが俺達はそんな物を見つけられなかったし、ギルドだって調査を依頼するまでも無く気付けたに違いない。

 

「偶然密漁者達が来ている密林に、これまた偶然居る筈の無いティガレックスがやって来る――幾ら何でもその可能性は低すぎます。しかし現にあのモンスターは密林に現れた。だとすれば考えられるのは……何者かがあの地にティガレックスを連れてきた、という事になりますな」

 

「フン……まあこんな遠くまで餌を求めてやって来ると考えるよりはマシだろう。だが一体何の為にそんな事をすると言うのだ。愉快犯にしては随分と手間の掛かる――」

 

「当然、ダイミョウザザミを手に入れる為ですよ。密漁する際に最も問題になるのはどうやってそのモンスターを弱らせるか、です。それ故にハンターは容疑者として名前が上がりやすい。しかし他にも方法は無い訳では有りません。例えばそう――モンスター同士を戦わせる、とかね。ティガレックスにダイミョウザザミを仕留めさせ、亡骸を持って帰る。準備するのは大変ですが実現すればこれ程簡単で安全な手段は他に無いでしょう。ギルドに無断でモンスターを殺すのはご法度ですが、転がっている素材を持って帰る位ではあまり煩く言われません。精々不法侵入程度でしょうか」

 

「下らん。結局ダイミョウザザミが食べられてしまっては台無しではないか。そもそも別の場所からモンスターを連れてくること自体が――」

 

「御存知ですか?あらゆる生き物は生まれてからのほんの僅かな期間で味覚が決まります。その時期に与えられた食べ物が好物として頭に刷り込まれるのですよ。このティガレックスはかなり小さい時期かもしくは卵で捕まえられたのでしょう。そして餌として――人間を与えたのでは?本能に従いダイミョウザザミを仕留めさせ、食べ物として人間を与える……出来ますよね?アナタの立場なら。何せ捕獲する事も人を集めるのも依頼を出すだけですぐに済む。ああ、そういえば私の他にもこの調査依頼を受けた人は居らっしゃるんでしたね。その方達は誰もお戻りになっていない様ですが……」

 

戦う準備もせずに出かけたとすればとっくにあのティガレックスの胃の中に納まっている事だろう。随分羽振りが良いとは思っていたが、払うつもりも無いのだからそれも当然だ。

 

「本当にシド君が居て良かったですよ、一人だったら今頃同業者の方と体の中で挨拶していた事でしょう。随分と酷い真似を――」

 

「いい加減にしろ!証拠も無いクセに好き勝手言いおって……これ以上侮辱するのは許さん、さっさと出て行け!」

 

「証拠、証拠ですか……。こういった密漁で足が付く原因として最も多いのは、取引相手からの物です。話は変わりますが、アナタの父親はこうして出世なさった事を大変喜んでいるのではないですか?随分と親孝行なさっている様ですな――バーを経営しているお父様に、ね」

 

「おい、まさかそのバーって……」

 

「きっとあのマスターは詳しい事はご存じ無いのでしょう。アナタからダイミョウザザミが安く手に入るルートが見つかったなどと言われ素直にそれを信じているのでは有りませんか?……どうか罪をお認めになって下さい、これ以上大事な家族を傷付けてはいけませんよ」

 

一転して静かになる室内。先程までの怒りの様子が嘘の様に――いや、事実嘘なのだろう。今伺える表情は冷静そのもので、汗の一つも掻いていない。

 

「フ、フフフ……良く調べているな。脱帽だよ、どうやら貴様の腕前を舐めていたらしい。確かに父親はバーのマスターをしているし、そこで使われているのは密漁されたダイミョウザザミだ。本当に残念だ……まさか実の父親を捕まえなければいけないなんて」

 

「なっ――」

 

「ギルドでも調べは付いていたのだ、幾ら何でもあそこの店で違法な物が使われていると。だが私は信じたく無かった、だから万に一つの可能性を信じてこうして調査を依頼したのだが――彼らには悪い事をしてしまったな。このやり口に気付いていれば無駄に殺してしまわずに済んだのに」

 

「まさかアナタ、自分の父親を身代りにするつもりですか!?」

 

「人聞きの悪い事を言わないでくれたまえ、只単に職務に――正義に準ずるだけだよ。何たる悲劇だ……まさか大事な家族にそんな事をしなければいけないとは。だが君らが決心させてくれたよ、感謝しようじゃないか」

 

「クッ……」

 

コレがキーンの持っていた切り札だった、という訳か……。確かに普通の人間であれば十分追い詰められただろう。唯一の間違いは権力闘争を勝ち抜く人間が並大抵の相手である筈が無いという事が分かっていなかったという事だ。権力に取り付かれた人間は只の怪物と成り果てるのだ、それをまともな手段で倒す事など不可能である。

 

「さて、仕事の準備をしなければいけなくなった。……君の方からは何か言う事は有るかね、シド君?」

 

「いいや何も無い。俺は只付いて来ただけだからな、もう十分だ」

 

「そうかそうか。身の程を分かっている様で嬉しいよ、それじゃあさっさと出て行って――」

 

「お客様をそう簡単に追い返すんじゃないよ。彼はG級ハンターなんだから、もっとおもてなしして上げなくちゃ」

 

扉が開かれ一人の男が入ってきた。ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべてはいるが、どこか得体の知れない所が有り見る人が見れば只者では無い事がすぐに分かる。組織を束ねる人間――ギルドマスターのお出ましだ。

 

「久しぶりだねえ、シド。こんな遅い時間に来るとは思わなかったよ」

 

「どうも初めまして、ギルドマスター殿、私キーンと申します探偵で――」

 

「煩いな、僕は今シドと話してるんだ。何処の誰だか知らないけど黙ってなよ。ついつい気になったから様子を見に来たんだけど……随分面白そうな話をしてるじゃない、僕も混ぜてよ」

 

あまりの言われ様に絶句し押し黙るキーンの事などまるで気にせず会話を続けてくる。当然か、コイツ程の立場の人間にとって探偵の一人や二人など吹けば飛ぶ様な軽い存在でしかないのだろう。そして俺も何時そうなってしまうか分からないのだ、気を引き締めなければ。

 

「お、お騒がせして申し訳御座いませんでしたギルドマスター!もう話は終わりましたのでどうかお引き取りを――」

 

「黙れ。僕はシドと話してるんだ、今言ったばかりだよね?そんな簡単な事も理解出来ない頭なら何処かに捨てて肥料にでもしたらどうだい。……それで、シド。どんな話か聞かせて貰える?」

 

「そう難しい話じゃない。そこの奴が密漁を行って罪を自分の親に擦り付けようとした、それだけの話だ」

 

「成程ねえ……うん、中々に面白い話だよ。親がどうのっていうのは興味無いけど、よりにもよってこの僕のギルドに損害を与えたんだね。やってくれるなあ――」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!こちらの話も――ガハァッ!」

 

幹部が弁解しようとギルドマスターに詰め寄ったが、まるで聴く耳を持たず逆に蹴り飛ばされてしまった。鳩尾に綺麗に決まったからしばらく息が出来ないだろう。

 

「それじゃ悪いけど、僕は彼と話し合いをしたいから今日は帰って貰えるかな?」

 

「ゴホッ……ま、待て!待ってくれ!本当の事を言う、何でも話す!だから……だから行かないでくれ!私を助け――グアアアアッ!」

 

ペキリ、という乾いた音と共に再び悲鳴を上げる。どうやら指の骨を折られた様だ。いかに悪人とはいえ、これからコイツの身に起こるであろう恐怖を思い浮かべると同情を禁じ得ない。

 

「あまり恥ずかしい姿を見せないで貰えるかな?お客様の前なんだから。バイバーイ、シド。また今度」

 

「……それじゃあな。行くぞ、キーン」

 

「……失礼致します」

 

部屋を出てドアを閉める。くぐもった悲鳴が中から漏れ出しているがそれも自業自得という奴だ、目先の金に目が眩んだアイツが悪い。そう自分に言い聞かせながら建物を後にした。

 

……怪物はより強い怪物に食わせてしまうのが一番楽だ。その意味ではあのギルドマスター以上に適任は居ない。

 

「本当にお世話になりましたな。私一人ではどうする事も出来ませんでしたよ」

 

「仕方無いさ、アイツらと会うのは初めてだったんだろう?あんな奴らが居るなんて普通は思いもしないだろうよ」

 

「ええ……次戦う時はもっと強い気持ちで行かねばなりません」

 

「まだ戦う気力が残ってるのか?良くアレを見てそんな気になれるな、感心するよ。――さて、飯でも食って帰るか」

 

空腹というのは一度自覚してしまうとどうしても抑える事が出来無い。今日一日の苦労はすっかり隅に追いやられ頭の中はこれから何を食べるかで満たされてしまっていた。

 

「ふむ、私も腹が減りましたな……御一緒しても宜しいですか?」

 

「ん?まあ構わんが――」

 

「でしたら折角ですので私が昨日したのと同じ様に奢って頂けると有難いのですが。報酬を貰い忘れてしまいまして素寒貧なのですよ」

 

「ハハハ、それは大変だな。良いよ、今日は俺が出してやるさ」

 

どうして俺はもう少し考えて発言しなかったのか、そして何故キーンという男のタチの悪さを忘れてしまったのか……この軽はずみな行動が悲劇を呼んでしまったのだ。

 

詳しい事は今でも思い出したくない。だが『同じ様に奢る』という言葉の持つ意味、そして――ダイミョウザザミは普通に食べると結構な値段になると言う事実だけで十分だろう。ああ……俺の財布から金が消えて行く……。




(メタ視点での)登場人物紹介その四
クリス
実は作中屈指のチートキャラ。通常の笛の演奏とモンスターだけ能力を下げる演奏を両方扱える。が、参考にするのが師匠であるシドであるため一人で狩りに出ることが多くほぼ誰もその事に気づいていない。それでもその能力もあって新人では一、二を争う強さが有るが年相応でしかない身体能力の低さがネック。
名前の由来は「コイツの弟子になりたいとか頭おかしいんじゃね?」→「カルト宗教見たい」→「宗教と言えばキリスト教」→「つまりクリスチャン」→クリスという連想ゲーム。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。