三歳、或いは四歳の頃だったか……昔の事だから日付までは覚えていない。ただ一つ確かな事はそれが俺にとって最も古い記憶であり、原点でもあるという事だ。
何の変哲もない田舎の村に吟遊詩人がやってきた日、俺はソイツの語る物語に魅了された。人間をはるかに上回る大きさの怪物、それが街を襲い与える恐怖、そして……それらを打ち倒す勇壮なるハンターの姿。俺は瞬く間に魅了された。そして、俺もこんな風になりたいと願ったのだ。
大きくなっても俺の中に根付いた憧れは消えることなく、むしろその勢いを増し体中を満たしていった。そして十五になってから数日たった或る日……俺は村を出た。
そういえば夢を叶えに行くと告げた時、親兄弟には反対されたものだったな。おかげで半ば家出のように家を出たものだからそれ以来顔を見ることも無い。元気にしているだろうか……やはり素直に言う事を聞いておいた方が良かったのではないか……。
――グイッ
「……ふう」
頭に浮かんだ後悔をグラスに残った酒と共に飲み干す。強いアルコールが喉を焼く感触が妙に心地いい。確かに彼らのいう事を聞いて生きていく道も有った。しかし結局俺はその道を行かなかったのだ、今更後戻りすることなど出来るはずも無い。また会う時は俺が夢を叶えた時だ。それまでは早くその日が来ること、それまで彼らが息災であることを祈るだけだ。
それにしても酒を飲んでいるとどうしても心に浮かぶのは過去の事ばかりだ。まあ一人で飲んでいる以上他に肴になるようなものも無いから仕方ないと言えば仕方ないが、もう少し前向きなことを考えられない物か……。
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「おい、兄ちゃん」
人が楽しく飲んでいるっていうのに辛気臭い奴がいるものだから目についてしょうがない。最初は我慢して見ていたが、さっきから溜息をついたりしてばかりで鬱陶しいことこの上ない。ここは一つガツンと言ってやるしかあるまい。
「……何の用だ」
俺が声を掛けると面倒くさそうに振り返り、小さな呟きを漏らした。その姿は一言で言うなら……黒。後姿からは黒一色にしか見えなかったが、それはマントを羽織っている所為だと思っていた。だが実際はその下の衣服も黒で統一され、その上施されている装飾も気味が悪く……その姿はまるで死神だった。
「あー、あのな……その、こういうみんなが楽しく飲んでる場所で暗い雰囲気出してんじゃねえよ。ったく、人が折角強えモンスター倒してきたってのによ」
その恰好に少し圧倒されてしまったが、何もビビることは無い。俺は今日も強敵を倒してきた一流のハンターなんだ。
「強いモンスター?」
「ああ、ティガレックスだ。中々の強さだが俺たちのパーティに掛かれば一日で十分だったぜ。なんせ俺のハンマーがアイツの頭を……」
「……その程度か」
その呟きを耳にした途端、先程まで見た目にやや萎縮していた事も忘れ俺の中から怒りが込み上げてきた。しまった、といった顔をしているが見過ごしてやる訳には行かない。
「……おい。お前今、何て言った」
「いや、気にするな。忘れてくれ」
「そうは行かねえな、人を馬鹿にしておいてタダで済むと思って――」
――ガツッ
俺がソイツに詰め寄っていく途中、足に何かがぶつかった。見てみると、それは狩猟笛――恐らくコイツの獲物であろう――であった。
「おいおい、兄ちゃん笛使いか?何で笛使いごときがそんなに偉そうにしてんだよ」
「何を使おうと関係ないだろう。それに笛使いだからと言って文句を言われる筋合いは無い」
生意気な口聞きやがって……。
「ハッ、モンスターを相手にしても後ろでピーピー鳴らしてるだけのチキン野郎を馬鹿にして何が悪いってんだよ。前ウチのパーティーにも居たけどよ、役立たずなクセに報酬だけは一丁前に持って行きやがるもんだからすぐクビにしてやったぜ。所詮笛吹きなんてそんなもんだろうが。お前もハンターなんかやめてどっかで歌でも歌ってろよ」
まあそんな恰好じゃどこも歌わせてくれないだろうけどな、と続けようとした時ソイツが笛を手にするのが目に入った。
「……おいおい、やる気か?ここは酒場だぜ?」
「……一曲、聴いていくか?」
それを聞くと先ほどまでの怒りはどこへ行ってしまったのか、気が付くと俺は大笑いしていた。
「ハハッ、ハハハハッ。あんまり笑わせんなよ兄ちゃん。マジで根性無しか?いいぜ、一曲弾いて――」
「おーぅい、いつまで絡んでんだぁー?」
弾いてみろ、と言おうとした俺の言葉を遮ったのは、今日も一緒に戦った同じパーティの仲間であった。言葉が間延びしている所からして大分酔っているのが分かる。
「ああ、いや、この兄ちゃん笛使いなんだけどよ、どうやら歌うたいに転職するらしくてな。今から一曲やってもらうとこだからお前も聞いてけよ」
「なにぃー?笛使いが転職ぅー?ハハッ、コイツぁ面白ぇ。どれ、どんな奴なん……ヒッ!」
つくづく面白い奴らだ。ヘタレの笛使いにそれにビビる奴。中々こんな面白い物を見る機会は無い。
「おいおい、何ビビってんだよ。やっぱこの兄ちゃん服のセンスが――」
「馬鹿、止めろ!す、すいません失礼しました!コイツ酔ってたんで勘弁してください!おい、行くぞ!」
……ん?全身真っ黒だからそれに驚いたのかと思ったがどうやら違うようだ。それにしても何をそんなに慌てているんだ?
「なあ、どうしたよ。少しは落ち着いて――」
「知らないのか!?コイツ、いや、この人はシド、あの『地獄の呼び声』だぞ!?」
地獄の呼び声。その名を聞いた時俺は一気に酔いが覚め、同時に全身から血の気が引いていくのを感じた。
「え……じゃ、じゃあアンタがあの『葬奏人』なのか?」
「その名で呼ぶのは止めろ。好きじゃない」
実際に姿を見るのは初めてだが、確かに噂通りの佇まいだ。今までどうして気づかなかったのか、この見るからに危険そうな雰囲気に。
「す、すいませんでしたシドさん!つい酔ってて心にも無いことを……」
「歌を聞きたいんだったな。少し待ってくれ」
「いや、その、俺ら連れを待たせてることを思い出したんで!失礼します!」
冗談じゃない。これ以上コイツと関わっていたら冗談抜きで命が危ない。俺達は慌ててその場を離れた。
「やれやれ、心臓が止まるかと思ったぜ」
「それはこっちのセリフだこの馬鹿。誰に絡んでるのかと思ったらよりによってアイツに、しかも笛使いの文句を言うなんて……マジで死ぬ気か?」
俺がアイツに言った笛使いへの悪口、やや大げさではあるが実はそれほどおかしなことを言っているわけでは無い。むしろ多くのハンターの気持ちを代弁していると言ってもいいだろう。
だが……あの男だけは別だ。奴の奏でる旋律は聞くものすべてに恐怖を与え、一度耳にしてしまうと死を免れる事は出来ないと言われている。そのせいでアイツはほとんどいつも一人で狩りに出かけるという――笛使いなのにも関わらず、だ。
そうしてアイツはハンターの中でも数少ないG級と呼ばれるハンター、その中でもトップクラスとして扱われ「地獄の呼び声」やら「葬奏人」などと言う二つ名までつくような存在になった。なのに俺はそんな奴に喧嘩を売ったのだ。
「お前の酒癖が悪いのはいつもの事だけどな、いくら酔っててもやっていいことと悪いことが有るぞ」
「あー分かってる分かってる。今回はさすがに俺が悪かったよ」
「あのな、今日の事だけじゃないぞ。いつも酒を飲んだら見境なくあちこちに絡みやがって……少しは反省を――」
「だからゴメンって。それよりすっかり酔いも覚めただろ?戻って飲み直そうぜ」
「少しは反省しろって!おい、ちょっと待て――」
小言を聞き流して元の席へ向かう。喉元過ぎればなんとやら、俺はさっきの恐怖を早くも忘れ笑い話として仲間に話し、新たな酒の肴にして楽しむことと次は何を飲むかで頭が一杯だった。
……反省の色を示すためにも最初は少し軽いのを飲むか。二杯目以降は元に戻るだろうけどな。
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「……行ってしまった、か」
ああやって絡まれるのは久しぶりだ。昔はもっとこちらに突っかかってくる相手も多かったのだが、いつの頃からかめっきりそんなことも無くなっていた。
今のようになったのは、そう――あの二つ名で呼ばれるようになってから、だ。それまではただ普通に飲んでいるだけなのに言いがかりをつけられる事も有ったが、「シド」という本名よりあの物騒なあだ名が有名になってからは周りは静かになった。だがその代り、ほとんどの人間から恐れられ――俺から離れて行った。
当時は鬱陶しいと思う事も多かったが、今になってみればあれはみんな俺の事を気にかけていてくれたのかもしれないとも思う。そこで上手くやれていれば今の状況も少しは違っていたのだろうか?
一体どこで俺の人生はおかしくなってしまったのか。村を出るきっかけとなった師匠との出会いの時か、それとも村を発つ師匠に無理矢理ついてこの街に来た時か、はたまた――笛を選んで叩くことを決めた時か。
多くの人に聞けば、きっと笛を選んだことが間違いだったと言われるだろう。いや、実際に面と向かって言われたこともある。だが、俺はこの選択だけは、笛を選んだことだけは
後悔したくない。ここで他の武器を選ぶわけにはいかなかったのだ――俺の夢のためには。
師匠からは他の武器を使う事を勧められ、同期の仲間たちからも反対されたがそれでも俺は笛にこだわっていた。我儘を押し通し何とか自分なりの戦いのスタイルを身に着け今のランクまで来ることが出来たが、そのせいで結局師匠と狩りに行く事は無くなってしまったし、これからもその機会は訪れないだろう。もう二、三年師匠とは会っていないが元気にしているだろうか。悲しく思う気持ちも有るが、またあの時に戻れるとしても――やはり俺は今と同じ道を歩むのだろう。
「……すまない。もう一杯同じのを」
「お客さん、大丈夫ですか?さっきからずいぶん強いお酒ばかり頼まれてますが――」
「問題ない。持ってきてくれ」
「は、はい!かしこまりました!」
少し驚かせてしまったようだ。気分の悪さが言葉に表れてしまったのかもしれない、気を付けよう。
きっとこの気持ちとは今後しばらく付き合って行かなくてはいけないのだから……少なくとも夢が叶うその時までは。
「お、お待たせしました。ご注文の品です」
「ああ、ありがとう。少ないが取っておいてくれ」
「こんなに……!?い、いえ、お気持ちだけ頂いておきますので。それでは失礼します」
お詫びをしようと思ったのだが、ずいぶん真面目な店員らしい。記憶の隅にとどめておくとしよう。
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「店長……あのお客さんに届けてきましたよ」
「ああ、すまない。常連さんに言うのもなんだが……私は彼が苦手なんだ」
それはそうだろう。あんな格好で一人で飲んでいる人間とは近づきたくない。
「まあそうでしょうね。チップを渡されそうでしたけどあんまり多い物だからつい怖くて断っちゃいましたよ。ああでも勿体なかったかな……」
「いや、賢明だよ。出所も分からないしなるべくああいう手合いとは関わり合いにならない方がいい。とはいえ払いもいいから出入りを断ったりもしないがね」
「さすがですね店長。尊敬しますよある意味」
「まあ商売だからね。正当なお金なら断る理由は無いさ。君も将来は店を持ちたいんだろう?だったら割り切ることも重要さ」
レストランを開くことは昔からの夢だったが、こうして実際に飲食店で働いてみると現実が見えくじけそうになる事も有る。だが今はそんな事より、
「それよりもあのお客さん、何かこっちを見ているような気がするんですけど……気のせいでしょうか」
「……なるべくあっちを見ちゃだめだよ。大丈夫、ここには人が一杯いるから何かあったらすぐに助けてもらえるよ」
「さっき話しかけてた人があっという間に逃げて行ったような気がするんですが……」
「ほら、腕っぷしの強そうな人は他にも一杯いるから……きっと何とかなるよ」
よくよく聞いてみると、さっきからこの人は自分が助けるという言葉は一切発していない。いざとなったらあっさり見捨てるかもしれない。
「ホントに店長は凄いですね」
「そうだろう?このぐらいでなくちゃ自分の城を持つなんて出来やしないよ」
……自分の店を持つの、止めようかな。
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「……はあ」
花畑に咲き乱れる様々な花、生命の息吹を感じさせる芳醇な土、さらには樽の熟成香など様々な香りが見事に調和し口の中へ広がっていく。そして後から追いかけてくる見事な果実の味わいと上質なアルコールが体に染み渡り活力を与えてくれる。だがそんな素晴らしい酒を持ってしてもこの沈み込んだ気持ちが晴れる事は無かった。村を飛び出したあの時から俺は前に進めているのだろうか。地獄だのなんだの呼ばれている今の姿を昔の俺が見たらどう思うだろうか。
今を必死に生きれば生きるほど、他人との距離は遠ざかっていく。俺が求めていたのはこんなものではない。かといって、今の立場を捨てるには俺の名前は大きくなり過ぎた。何もかも捨てて「シド」という一人の人間としてゼロからやり直すだけの勇気も持てずただ惰性で生きている。絶対に無くしてはいけないはずの、夢を叶えられるという自信さえも薄れてきているように感じる。結局夢を追いかける事も捨て去ることも出来ず中途半端なまま漂っているのだ。
どうしてこんな事になってしまったのか。俺は、俺はただ――吟遊詩人になりたかっただけなのに。