渇きを覚え、冷水で唇を濡らす。机に置いたコップの底は、水面が揺れるたびに机の木目を照らした。
桜は外へ出る前に、冊子の内容に目を通しておくつもりだった。
冊子の隣に置いた携帯端末は一枚の写真を映していた。曽根が追加で送ってきた資料の一部だ。ISを着装したとき、視野に広がるであろう映像を切り取っていて、四角い枠のなかに文字が綴られている。
いつもと違うのは画面の隅にいるはずの、ISコアを象った
誤植があり、訂正内容を印刷したコピー用紙を切って、のりで貼り付けてある。
見出しには、追加武装リスト、とゴシック体で銘打たれていた。
『追加武装リスト(主な装備)』
・九一式空対艦誘導弾
・九七式短魚雷
・一二式短魚雷
・ヘルファイアⅡ
・LJDAM(レーザー統合直接攻撃弾)
・〇四式空対空誘導弾
・Mk82無誘導爆弾
・ロケット弾
・三〇ミリ航空機関砲(増設)
・その他多数
桜は冊子から目を離し、できるだけ遠くを眺めた。
――このリスト、なんなん……。
打鉄零式の装備は戦闘機、あるいは襲撃機として遭遇しうる状況を想定していた。自衛隊の装備を転用しているのだが、これは四菱重工との共同開発だったことから、倉持技研が単独開発した機体よりも装備品調達が容易であったためだ。
今回も同様の理由により装備品を調達したのだと窺い知れる。
しかし、偏りがあった。対艦装備に力を入れすぎている。
対IS戦闘を重視するのであれば、空対空装備と白兵戦用の装備を充実させるものだ。
桜は改めてページを見下ろし、目を凝らした。薄らと下の文字が透けている。空対空装備ばかり書かれていて、何かしらの理由があって訂正したようだ。
――艦攻、艦爆、陸攻は専門外や……。シミュレーターは経験に入れたらあかんし……。
一応、例の航空機シミュレーターで操縦してみたことはある。
――ううう……装備だけで生涯年収を超えとる。
一介の学生に持たせてはいけないし、撃たせてもいけない装備群である。
確かに、作郎であった頃よりも兵器の射程距離が飛躍的にのびている。相手方の装備も射程距離が伸びていることに他ならない。敵の姿を肉眼で目視こそできないが、代わりに電波探知機によって把握しており、兵器群をたたき込む。抽象化された戦闘の形だ。
人間をコンピューターの代わりに誘導装置として搭載する、などという考えよりも正常な思考といえる。
桜はページをめくり、眼球を高速に動かしながら考える。
――アウトレンジ戦法を採用するならば、こんな物騒なもん、わざわざISに搭載する必要はない。対艦装備をつけたと言うことは、
桜の言う『そういうこと』は過去に一度だけ発生している。
白騎士と第七艦隊戦闘部隊との交戦だ。合衆国海軍に今もなお深い爪痕を残す事件。
白騎士事件の第一ステージがミサイル迎撃にあるとすれば、第二ステージはその後生起した海戦と言えよう。
しかし、一〇年が経過した現在でも、白騎士事件の詳細はわかっていない。有象無象の説が飛び交い、篠ノ之束は宇宙人のお告げにより、
桜は眉唾な説のひとつを思いだした。
航空機シミュレーターのユーザー掲示板へ頻繁に出入りしていた頃、あるユーザーがオカルトめいた書き込みをしたのだ。
書き込みの主は自称退役軍人で、第一世代IS開発の最初期に籍を置いていたらしい。
彼は、篠ノ之博士が立ち会う中、実際に白騎士を解体、戦闘ログの解析を行った。ログを解析した結果、第七艦隊と戦っていた時、搭乗者のバイタルサインは
毎年、日本ではミサイル・ショックの犠牲者追悼番組が放送される。番組内で白騎士事件を取り上げ、その映像は、必ず動画投稿サイトのライブ映像から始まった。航空自衛隊の迎撃機や迎撃ミサイルが乱舞するなか、高速に揺り動き、弾道ミサイルと同じ高度で飛びながら撃墜していく。
破壊と閃光、爆発。
放送事故と思しき沈黙から一転、望遠レンズが低空へ降下した白騎士の姿を捉える。超音速で飛翔する一〇〇発以上ものミサイルが白騎士に迫り、直撃する。すさまじい爆煙が白騎士の姿を隠した。
――あのとき迎撃に成功したミサイルは約八割。一九〇〇発と少しやった。
桜はその映像を初めて目にしたとき、その場で立ち尽くしてしまった。
煙の中から現れた白騎士は、左肩から先が消し飛び、両膝がちぎれていた。右手には
自称退役軍人のいう、最初の
すべてのミサイル迎撃に成功したあと、
二回目の
一回目よりも深刻であり、蘇生に成功したという文言を見つけられなかった。蘇生失敗という文字をログに繰り返し刻みながら、
まるで何かを探し求めるかのように、低空を飛行し、その最中にハワイに向けて航行中の艦隊を見つける。すぐに攻撃することはなく、第七艦隊の真後ろ、高度一五〇〇まで上昇し、これ見よがしに姿をさらした。艦影を確認するかのような素振りだったようだ。
この時点で、航行中の艦隊は東京湾ミサイル来襲の知らせを受け取っている。空中を浮遊するISに対し、
海戦で撃沈されたタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦シャイロー。その生存者の証言によれば最初の一発は榴散弾であったという。空中で炸裂した榴散弾は危害直径が約五〇〇メートルにおよんでいた。周囲に二〇〇〇個もの子弾と破片をまき散らし、
問題は、航行中の第七艦隊所属艦艇のいずれも対空用の大口径榴散弾を持っていなかったことだ。炸裂後の規模からして、戦艦の主砲から発射されたことは間違いない。
最初の一発目は南から北に向けて放たれていた。炸裂点から右へ三角形を形作っていたという証言と一致する。
自称退役軍人はこう唱えた。
第二ステージにおける
序盤、最初の
この八相は半身になって太刀を寝かせる形だ。
ISの開発者である篠ノ之博士は古流剣術である篠ノ之流を修めている。篠ノ之流の開祖は神社の
今もなお明かされていない
では、太平洋上にあった
遠隔操作ならばどうだったのだろう。
遠隔操作を実現するには、本体とリモコン側にそれぞれISコアが必要になる。リモコン側は信号遅延に対応するため、操縦者にISコア接続因子を持つナノマシンを大量摂取させ、強制的にIS側へ適応させる措置が必要だ。
実際にナノマシンを用いた人体強化実験が行われていた。ドイツ共和国軍の超人化計画だ。白騎士事件のとき、秘密裏に実験が行われていたものの、ドイツ共和国軍はIS理論そのものを眉唾扱いしていた。
しかし、ISの登場により、超人を生み出すよりISを一機でも多く集めたほうが効率が良いことに気付いてしまった。超人化計画は頓挫し、被検体のほとんどは解雇されている。
篠ノ之博士率いるSNN開発部隊には、超人化計画の元被検体が数多く在籍しており、彼あるいは彼女たちは口を揃えてこう証言している。
『そんな話はなかった』
さて、この一見もっともらしい話にはオチがある。
自称退役軍人は、この説を提唱する前に、篠ノ之束は宇宙人と交信し、
『織斑千冬は
他の常連と同じく、桜も一笑に付した。
自称退役軍人はその後しばらくの間、掲示板に出入りしていたが、就職が決まったらしく律儀に報告している。
『ゼネラル・ヘビー・インダストリーに就職したった!
受験勉強すべくPC自体を封印したため、この自称退役軍人がどうなったのかは知らない。
――横須賀から近いし、海自の
リストのことを心に留め置きながらページをめくる。離着陸の項目がずいぶん簡素化されており、煩雑とされる内容のほとんどはISコアがやってくれるという。
ISコアは
――このマニュアル、最低限しか書いとらん……。
ある意味、桜の試行錯誤がマニュアルに反映されるわけだ。嫌な予感に襲われつつ、補足事項を確かめるべく携帯端末に手を伸ばした。
携帯端末にはメッセージ受信の通知があった。
「堀越さん。こっちに来とるんか」
倉持技研の堀越技師だ。堀越は簡素な挨拶を綴ったあと、こう続けた。
『佐倉くん。零式を飛ばさなくてもいいからね』
堀越は離陸できるとは思っていないようだ。桜は返信した。
「航空機シミュレーターで空母からの離発着をたくさんやりました。イメージはできています」
送信すると、すぐに返事があった。
『シミュレーターのことは知っているよ。もしリストを見ていなかったら見て欲しいのだけれど、訓練機であの装備を搭載したまま離発着させるのは、とても無理だと思う。重すぎるんだ』
「最初は、空対空で飛ばすつもりだったのでは……」
『最初はね。僕もそう聞いていたし、もっと軽かった。けれども、途中で横槍が入った。チョバム……千代場武博士が装備の変更を強引にねじこんできたんだ』
「あのリスト、どういう状況を想定しているんですか?」
『リストを見たとおりだよ。直接は言えないのだけれど、海保のホームページにある航行警報を確かめてほしい』
桜は言われたとおり、海上保安庁のホームページを開いた。
航行警報には『伊豆諸島、大島東南東、射撃』とある。予定日は明日だった。
「さすがに無茶や……」
『無茶をやるのがチョバム、もとい千代場博士だ』
桜はマニュアルを閉じた。思うところがあって、堀越に相談する。
「堀越さん。個人的なお願いがあります」
『何かな?』
「変なメールが届いて困ってるんです。私だけやなくて友達にも届いてて……」
『できれば転送くれないかな。本文とヘッダ情報のキャプチャでいいから』
指示にしたがってキャプチャを送信した。
『ザ・バトルシップ?』
「そうなんです」
『わかった。この手の話に詳しい知り合いがいるから、聞いてみる。それから変なメールアドレスは拒否設定しておくこと』
「よろしくお願いします」
携帯端末をしまい、席を立った。黄色い背嚢を背負い、壁掛け時計を横目にホテルの出口に向かう。
クラスメイトや本音たちが待っているはずだ。それに、一緒に走るなら打ち合わせが必要だ。
「頭の中がとっちらかってきとるし、身体をうごかさんと!」
やるぞー、と桜は海に向かって両手を突き出した。
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