湯煙温泉の惨劇(一) メガフロート
神機将ニ動カントス
皇国ノ降替懸リテ此ノ一挙ニ存ス
各員奮戦敢闘全敵ヲ必滅シ
以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ
▽
七月某日。
赤い鳥居が正面にそびえ立っている。芝の緑色を横目に、道沿いに進む。佐倉桜は鳥居までの距離を縮めることに夢中だった。
歩むにつれ、瞳の奥で思いが熱を帯びてくる。鳥居を見上げたとき、何もせずに通り抜けるのは
海上自衛隊厚木航空基地。佐倉作郎として厚木を訪れてから八〇年近く経っている。
盛夏ゆえ、汗が頬を伝い落ちる。あたりに生ぬるい風が流れていた。
「……どうしたの」
桜は微かに身じろぎした。踵を返す足音を耳にした。そして、ゆっくり顔をあげて声の主を探す。更識簪だった。つばの広い帽子を目深にかぶり、長袖の制服を身に着けて肌の露出を避けている。日焼け止めクリームを塗っただけの桜とは大違いだった。
桜は手の甲で額の汗をぬぐった。
「すまん」
理由を告げても怪訝に思うだけだろう。
桜は不安げに鳥居を眺め、ほどなくして暑さから逃れるべく簪の後を追う。
守衛がリストと顔写真を照合する。
簪と並んで日陰に入ったが、とりとめのない会話をするでもなく生い茂った一群の葉からもれた淡い日を見つめるだけだった。
名を呼ばれ、返事をした。
「私です。佐倉桜。IS学園一年三組」
簪も続いた。
「更識簪。IS学園一年四組」
門扉を通り抜けると、かつて赤土だった道は舗装されていた。守衛の連絡を受け、自衛官が案内を引き継ぐ。
桜たちは飛行場へ直行した。
「……軍用機に乗ったことは?」
海上自衛隊の
「へ? 何でそういうこと聞くん?」
桜はいきなり話しかけられてドギマギした。
つい先日、簪と女の闘いを繰り広げたばかりだった。桜は動揺を悟られまいとしたが、自然と足取りが重くなる。急ぎ足になって取り繕おうとした。だが、簪が桜の瞳に浮かび上がった恐れを見逃すはずがない。
「ないない。あるわけないわ。だいたい一般人にそんな機会、あるわけない」
「……残念。仲間がいると思ったのに」
簪は車の後部座席に座りながら残念がった。
桜は簡単に引き下がったのでほっとする。近親者に自衛官がいるならまだしも、農村育ちの一般人が軍用機に乗る経験があったとすれば、間違いなく異常なことだ。
——仲間?
ふと気になって問い返す。
「仲間って何なん。ほかに更識さんのお仲間がいるってこと?」
簪が無言でうなずいた。ややあってから説明をつけ加える。
「……私は代表候補生……何度も軍用機のお世話になっている……」
「そういうもんなん。……ねえ、更識さん。わが国の代表って今、誰やったけ……」
桜の声は暖気中のターボプロップエンジンの音にかき消された。もう一度疑問をぶつけようと大声になったが、気にとめた様子はない。簪の眼差しは車窓の光景に釘付けとなっていたのである。
車を降りて、目を凝らした。桜たちは先頭の輸送機に乗る手はずだ。
しばらくして自衛官が行き先を告げた。
——メガフロート。
海上自衛隊が所有する設備において最大の移動式浮体である。
同時にインフィニット・ストラトスの標準機能を最大限活用した事例として高い知名度を有していた。あえて懸念を示すならば行き先であるメガフロートが宙に浮いていることだろう。一枚あたり、全長が一㎞超であるため——防衛省並びに日本国は
「曽根さん。やっぱり武山とか羽田あたりからヘリを飛ばせんかったの……」
曽根が苦笑しながら首を振る。一緒に運びたい装備があるのだという。
桜は今回お世話になるパイロットたちの技倆を微塵も疑ってはいなかった。それでもやはり不安と驚きがないまぜになった複雑な気分に陥る。実証実験を終えているとはいえ空中を航行中の滑走路へ輸送機を着陸させるのだ。
倉持技研はおろか、協力企業である四菱や菱井インダストリーなどは連日膨大な人・物・金をメガフロートへ運び入れていた。彼らは当然のようにメガフロートからの離発着を繰り返していたのである。
彼らの言い分はこうだ。臨海学校当日から輸送を始めたのでは
簪が持参していた臨海学校のしおりを広げる。低白色のわら半紙を
「え、なに」
「……姉から正誤表をもらった……」
肩をつつかれ、桜は促されるまましおりをのぞきこんだ。
どうやら訂正があったようだ。簪は「影響は限られているのだけれど……」とつぶやく。
桜は示されるがまま表に記された文言を確かめた。
「マーシャル諸島!?」
思わず声をあげてしまう。極めて小さな文字で書かれていて、末尾に(佐倉)という二文字が記されていたのだ。
——
半ば唇を開いたまま簪を見つめる。先日、学園の敷地内にある出張所で旅券を申請した。もちろんオシコシ航空ショーが目的なのだが、どういうわけか、
簪の瞳の奥から何ら感情を読み取ることができなかった。
桜は促されるまま、しおりを小脇にかかえて機内へと歩き出す。乗り口へと足を掛け、後ろを振り返った。次いで空を仰ぎ見たとき、
▽
メガフロートの内部へと
——あいたっ。
額をさすっていると、妙な自信に満ちた声音が響いた。
「
するとどよめきに沸き返り、眼前のソレを理解したとき、すーっと収まっていく。手すりから身を乗り出す者さえ現れた。
——何や。
桜は半ば予期していたが、いざ目にするとしないでは大きく印象が異なった。
麦わら帽子を取り落とす。拾い上げようとしたとき膝の
ふたりとは対照的に技術者たちの表情は自信と誇りに充ち満ちていた。
桜は寡黙な性質ではない。それでもなお、技術者たちの……認可を出した役人の狂気を感じて押し黙る。唇を堅く引き結びながら記憶を探った。
つい最近、似たような感覚を味わっていたのを思い出す。
——カノーネン・ルフトシュピーゲルング……の類いや。
かのISは、大戦末期ドイツ陸軍の求めに応じ、K社が製造した四五口径一〇〇センチ列車砲を運用する。別名『空飛ぶ列車砲』。ドイツ連邦共和国が生み出し、代替機の名目でIS学園に持ちこまれた。その後学園から搬出され、仮置き場である
眼下の高機動パッケージはもはや重爆と化していた。翼に懸架した巨大な航空魚雷が沈黙を保っている。
桜はぎこちなく頬の筋肉を動かしながら自問自答する。
いったい何と戦うつもりなのだろう。
戦争はとっくの昔に終わってしまった。終戦を体験することなく銃後を生きている。
桜の脳裏に守りたい人たちの姿がよぎった。奈津子、安芸、両親、祖父、作八郎の子孫や親戚、中学までの友だち……IS学園を通して出会った人々。自分を好きだと言ってくれた
じっとりと汗ばんだ掌を手すりから離し、ゆっくりと深呼吸をしてみせる。落ち着くべきだ。やはりというべきか、立ち直るのは簪のほうが早かった。
旧帝大出身だという技官のあとに続いて階段を降りた。
レバーを前後左右に倒して機械腕を遠隔操作したり、配線を終えた部品を組み込み、二人作業で外殻をはめこむ姿が目に入った。淡々と作業しているように見えて、高いプロ意識を感じる。
体重を支えている鉄板を踏み込むたびにしなり、軽い音が鳴る。
高機動パッケージへ近づくにつれて、桜の眼差しは再び落ち着きを失っていった。
嫌な予感がどんどん膨らんでいった。
桜はこっそり携帯端末を確かめる。腹をさすって空腹感を紛らわせた。
ちょうど簪が抑揚のない声で質問するところだった。
「作業終了まで……あと何時間……かかるのですか……今の様子だと……港には……私たちが神津島港に着いたとしても……終わってないんじゃ……」
技官は自信たっぷりに答えた。
「現在、全行程の九割以上が完了しております。残りは調整工程ですから、ISを搭載……もとい、ISコアとパッケージを接続し、ソフトウェアの登録と微調整が残っています。なお、トーナメントで取得したデータをもとに検証を実施しており、手順に問題がないことを確認しています。実作業ですが、引き続き突貫作業を計画、実施しております。受け渡しまで、
答えを聞く間、桜は変わり果てた打鉄零式の姿を思い浮かべた。
曽根や技官の爛々とした眼光にひるむ。開いた唇を閉じ、パッケージの周囲を歩いた。
——乗らんとあかんの……。
実験時な目論見とはとことん相性が悪い。高機動パッケージが不具合の塊でないことを祈りつつ正面に立って偉容を仰ぎ見る。
大人たちは桜の力を推し量っている。期待は途方もなく大きい。名状しがたい思念に駆られた。
——私は訓練を始めて、たかが三ヶ月程度の
桜は溜息をついて、不安そうに曽根を見やる。
「では、更識さん。佐倉さん。ISコアを預かります。よろしくお願いします」
腕時計を外して、差し出されたトレーに置き、簪も