IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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御無沙汰しています。
取り急ぎ短編だけ投下します。


短編
短編 X day -1


 梅雨の間の晴れが十代の少女たちの肌を焦がす。本音は日焼けを嫌うように、影の中をゆったりとした速さで歩いていた。臨海学校のしおりを小脇に抱え、幼なじみの姉を訪ねるところだった。

 

「おっじょうさまはーっ、ぼーじゃくぶっじん。おっじょうさまはーっ、むっせきにんっ」

 

 音階がめちゃくちゃだが、本音は気にしなかった。思いついたフレーズで聞いたことのある楽曲を思い浮かべながら唄っているだけなのだ。お嬢様が特定の誰かなどと心にも思っていなかった。

 本音が進む廊下は、主に二年生の居住階にあった。灰色の瞳をした、すらりと背の高い異国の美人が歌を耳にして眉をひそめる。夏なので薄い生地のタンクトップとショートパンツを身につけ、襟首がずれて首から肌にかけてが露出していた。

 

「フォルテさーん、こーんにちはー。おっじょうさまはー部屋~?」

 

 フォルテ・サファイアの脚線美に目もくれず、本音は垂れた袖口を振り回した。

 あごをしゃくるフォルテ。楯無はまだ部屋にいるとみて、本音は礼を告げた。

 

「ありがとー」

 

 通り過ぎようとしたとき、フォルテの視線が薄紫色の表紙に注がれているのがわかった。

 おそるおそる足を止めた。振り返りざまに長身を見上げる。可愛さ、可憐さとは無縁の雰囲気で、スパイ・アクション映画に出てきそうな女暗殺者のような顔つき。黒いラバースーツを着込めばさぞかし似合うに違いない。

 

「明日、旅行、一年生いない」

「そーだよー。彼理(ペリル)さんに会いに行くんだよー」

「ペンシルベニア州、マシュー・ペリー。去年、行った」

「あれれー? フォルテさんってさー。『去年、下田に行ったんスよー。ペリー黒船(くろふーねー)バンザーイ』ってな感じでなまってなかった?」

 

 フォルテは無表情を貫く。本音のなかで、フォルテという女性はもっと軽くてチャラチャラしたチンピラ風の話し方で、気さくなお姉さんといった風情。タスク・カナタ社のコールド・ブラッドを駆ってなおエリートらしさとは無縁の存在だった。激しい違和感に抗いながら、なおも本音はにこにことした表情と態度を変えなかった。

 

「チガウ、チガウ。ワタシ、ムカシカラ、コンナハナシカタダッタ」

 

 あからさまに怪しい。

 

「バツゲーム、チガウ、チガウ」

「わかった! おじょうさまが原因なんだね」

 

 鎌をかけてみると、案の定フォルテが目をそらす。

 

「レイゾウコ、オク、カクシテアッタ、プレミアムヤキプリン、タベテミタダケ。オイシカッタ」

「おじょうさまはやることがせこいからねー。わかった。あとでフォルテさんのこと許してあげるように頼んでみるよー」

「オンニキル」

「明日こっちにいないけど応援するねー」

 

 本音は垂れた袖を振って廊下を後にする。

 目的の扉の前に立つと、隣室の住人が自室の扉を開けて不気味な笑みを浮かべていた。本音は目を合わせないように顔を背けた。

 ――暇な先輩がいるんだけどー。

 部活に在籍する二年生は激烈な予算獲得闘争の真っ最中であり、生徒会と各部活動はことあるごとに議論を戦わせていた。中でも決して入部してはいけない部活ナンバー1が新航空部である。旧航空部を内紛状態に突き落として三つに割ったのち、そばに立っている人物が乗っ取っている。

 本音は見なかったことにして扉をノックした。

 

「おっじょーさまーっ」

 

 返事はなかった。

 代わりに隣室の住人が答える。

 

「生徒会長は今電話で取り込み中なんだ。……といっても、数少ない選択肢のなかで結婚相手を選んでいる最中なんだけどね」

 

 本音の耳元から声が聞こえてた。

 隣室の住人はわざわざ柱の陰を選んでいた。つま先立ちになってささやきかけてくる。

 

「彼女と結婚すれば即、政財界に取り入ることができる。だというのに、昨今の男子はもっとがっつくべきだと思わないかい? 更識の家格に尻込みして本家に良い縁がなかなか舞い込んでこない。外務省の更識さんのご令嬢は引く手あまたなのに、ね。彼女と彼女の間には、大きな溝が存在するとでも言うのかい」

 

 愛想笑いを浮かべる本音。

 話を聞き流してしまいたかったが、様々な事情が絡んで邪険にすることもできない。

 件の人物の最大の問題点は、楯無や本音が所属する組織の内情に詳しいことだろう。教えてもいないのに本音が置かれている状況を理解しており、苦渋の決断を強いられたことすらも察している。

 

「ときに、佐倉くんとはどこまでいったんだい? アルファベットで答えよ」

 

 ――AもBもCもないよ!

 桜のなかの一線を踏み越えるには至らず、本音は清い身体のままだった。

 正直に話すべきだろう。彼女なら口にしてはいけない秘密を理解してくれるのではないか。魔が差した本音は言葉を選ぶつもりでうなった。

 

「え~と」

「Aまで行ったのか。初対面で押し倒した割には手が遅いんだな」

「違うよー。違うんだよ~」

 

 眼前の少女は端から話を聞く気がなかった。わざとらしく首肯し、自室のドアノブを回す。本音は垂れ下がった袖口を振り回し、生まれるべくして生まれた誤解を解こうとした。

 

「わたしはストレートだよ。信じてぇ~」

 

 半ば開いたドアに腕を差し込み、つかんだ手首を軽く回して動きを止めようとした。対人戦のプロフェッショナルである本音には簡単な動作だ。

 しかし、眼前の少女は突然歩みを止め、本音の意図を外す。手首が決まる前にカバンに手を突っ込み、B6版の書籍を取り出す。空を切った本音の手に本を載せた。

 

「正直に答えてくれた布仏くんにプレゼントだ。部室を掃除していたら先輩の忘れ物を見つけてね。私には不要なものだから古本屋に売るなり捨てるなり自由にしてくれたまえ」

「こ、困るよ」

「なんなら隣の生徒会長の部屋に置き忘れていってもいい。古い本だし、かさばるのが嫌なんだ」

 

 B6版二〇〇ページ程度にしてはずっしりと重い。古すぎて売るにも中途半端だった。

 

「私、廃品回収屋じゃないんだよー。捨てるくらい自分でやってよー」

 

 食堂のすぐ側にゴミ箱と古紙回収ボックスがある。先日、眼前の少女が科学雑誌を押し込んでいる姿を目にしていた。何か裏があるに違いない。本音は自分よりも背丈の低い先輩に疑いのまなざしを向けた。

 

「じゃ、処分よろしく。……おっと、ついでに佐倉くんへの伝言を頼まれてくれないか」

「やだよー。私、メッセンジャーじゃないもんっ」

 

 はかない抗議を口にしたものの、話を聞く気がない人物には無駄だった。

 

「発、岩崎。宛、佐倉くん」

 

 再びドアノブを回す。

 

「――陸軍機は飛ばせるかい? 以上」

「わかった! 先輩もサクサクのお仲間なんだね?」

「布仏くん。正確に伝えてくれよ。返事は臨海学校明けにでも」

 

 本音が口を開こうとするより早く、彼女は自室に引っ込んでしまった。

 ――勝手な人だよ。もー。おじょうさまはぼーじゃっくむっじん、だっ。

 しかたなく押しつけられた古本と冊子を重ねる。目的の部屋の扉を開けると、鍵はかかっていなかった。元々試験勉強以外では鍵をかけないのが常だ。見られて困る物ははじめから置かないし、施錠しないのはルームメイトのためでもある。しかし、本音は生徒会長のルームメイトを一度も目にしたことがない。今回も外出しているらしく、生徒会長の靴が整頓されていた。

 部屋に入り、上履きを脱ぎ、キッチンを通り過ぎる。本音の部屋と内装はほぼ一緒である。違いを見いだすならば篠ノ之印のお札の有無くらいだろう。

 楯無は携帯端末をベッドに投げつけ、手元にあったクッションで追い打ちをかけた。水色の髪をいじって鏡の前に立ち、舌打ちしながら何着もあるISスーツを手に取った。どうやら色柄で悩んでいるらしく、何度も確かめている。

 本音は外で耳にした結婚云々の虚実を確かめるのは下策と考え、驚かせてやるつもりで背後から忍び寄った。

 

「本音。いるのはわかっているわ」

「フォルテさん、変なしゃべり方だったよー」

 

 楯無はフォルテの名を聞くなり唇をとがらせてしまった。ISスーツを乱暴にうち捨て、その場で踵を返してベッドに腰を下ろす。スプリングがきしんで端で危ういバランスを保っていた携帯端末とクッションが絨毯に落下する。

 

「プリン食べたアイツが悪い」

「そんなことぐらい許してあげなよ」本音が諭すように言った。

「一個千円のプレミアム焼きプリン。トーナメント前の景気づけに食べようと思ってたのに! アイツが勝手に入ってきて!」

 

 わっと大げさに顔を覆った。足下の段ボール箱を蹴飛ばし、四菱ケミカルのロゴが目に入った。本音は冊子と本を重ねて小脇に抱えたまま、楯無の四菱ケミカル製ISスーツを拾い上げ、制服や水着が散乱したベッドに置いた。

 

「そーだった。おじょーさま。どーしても聞きたいことがあるんだよー」

 

 軽快に一回転。スカートの裾が舞い上がり、膝に手を置いて楯無の不機嫌な顔に両手を突き出す。

 本音には知らねばならないことがあった。

 そのために臨海学校のしおりを持参してきたのである。

 構成を生徒会が担当しており、記憶では毎年姉が編集しているという。

 しかし、今年は違った。

 

「お姉ちゃんに聞いたよ! 生徒会長がやったって」

 

 両腕を突き出したまま視線は麦茶の入ったポットに向けられている。すぐ隣の白い箱には伊勢佐木町(いせざきちょう)の住所が記されていた。焼きプリンやケーキが入っていた箱と思われたが、本音の位置からでは中身が見えない。

 

「ごめんっ! 私じゃ力になれないっ。経験がないんだもんっ」

 

 千円の焼きプリンに気を取られていた本音は、楯無の突然の否定に戸惑った。

 ――おじょーさまは何を言っているの?

 本音は首を戻して、両腕を突き出したまま楯無に詰め寄る。

 

「おかしいよ。経験がないなんて」

「ししし……なんて、あああ相手がいなきゃ、できないでしょ。イメトレだけじゃ、結局ものにはならないしっ!」

 

 楯無は顔を真っ赤にしてひどくあわてている。自分から後ずさりするうちに壁際まで追い詰められていた。

 ――まさか一から十まで全部お姉ちゃんに丸投げだったってこと?

 本音は首をかしげた表紙に、冊子の表紙が目に入る。うっかり押しつけられた古本を表にしてしまったらしい。笑ってごまかそうとした。

 

「ごめん、ごめん。間違えちゃった」

「あなた。カマをかけたんじゃ」

「なんのこと~?」

 

 今度は本音のほうが首をかしげる。楯無の言うことがさっぱり理解できない。改めて古本の表紙を見やる。

 

「ぷっ」

 

 合点がいき、長い裾で口を覆ったものの腹がよじれて涙を浮かべながら全身を震わせた。

 そして、大きな声ではっきりとタイトルを口にした。

 

「はじめてのC」

 

 耳を覆う楯無。主家の当主が男女の恋愛に夢を見ていると感づいていたが、それでもやはり、いちいち反応が面白かった。本音のなかで抑圧し続けてきた嗜虐心が鎌首を持ち上げた。

 もちろん日頃の仕返しのつもりである。

 

「ねえねえおじょーさま。……Cって?」

 

 古くはUNIXの実装に使われたプログラミング言語である。B言語の次に設計された、という他愛もない理由でC言語と命名された。もはや古典であり、後発の言語が開発現場の主流となってから久しい。

 

「本音。生徒会が何をやったって?」

「話をはぐらかそうとしてる~」

 

 先ほどまでの狼狽ぶりはどこに行ってしまったのか。虚勢を張っているのは明らかだ。

 楯無は、失望をあらわにしたまなざしをはねのけて本音の手元を凝視すると、一度だけわざとらしい咳払いをしてみせた。

 

「力になれないのは本当よ。今回、そのしおりには一切手を付けていないのだから」

「あっれー。いつもお姉ちゃんにお仕事丸投げしてるよねー」

「その虚が忙しかったのよ。本音だって知ってるでしょ。学年別トーナメントでてんてこまいなの」

 

 楯無は虚を信頼しており、今やなくてはならない存在だと思っていた。もちろん本音も、眼前の少女が姉に信頼を寄せていることを知っていた。同時に虚が今の立場を築き上げてきた涙ぐましい努力も目にしてきた。

 

「だから、別の生徒会メンバーに仕事を任せてみたの」

「わたし、そんな話聞いてないよー」

 

 本音も生徒会書記である。幽霊生徒会役員として微力ながら名義を貸していた。

 

「当然よ。話してないもの」

 

 ――あれ? 任務優先だから生徒会のお仕事はやんなくていいってかいちょーが言ってたけど、うちの生徒会ってお姉ちゃんひとりで切り盛りしていたはず。あれれ~?

 

「でもさ。生徒会役員ってもうひとりいたっけ?」

「いるじゃない。先日、私が任命権を行使しました」

「あ、あーっ……。くし、くしっ櫛灘さんっ」

 

 本音がレズビアンだというデマを学校中に広めた主犯である。深刻な事態を招いた張本人が、生徒会の、それも副会長という立場に収まってしまったのだ。当時、本音はショックのあまり頭が真っ白になり、現実から目を背けて記憶から焼き消そうと努力したが無駄だった。

 

「だ、だから、あんな部屋割りになっちゃったんだ……」

「部屋割り? 特に問題なかったわよ? 私、先生に提出する前にチェックしたもの」

 

 ――どーせ。

 提出データに対して目を滑らせただけのザルチェックだろう。本音は怒りで手が震え、強く握りしめて荒れる感情を抑えつけようとした。

 

「どうして私にもチェックさせてくれなかったの」

「だって、本音。事務仕事、好きじゃないでしょ。忙しい時期だったし、副会長の仕事ぶりを確かめてみたかったし」

「ど、どーだったの」

 

 ザルチェックでは評価もへったくれもないのだが、聞くだけ聞いてみる。

 

「私、変なうわさを書き立てられて目が曇っていたのかしら」

 

 ――目が曇ってなかったらそんな感想にはならないよね!?

 

「……私がいる意味」

「本音、誤解しないでちょうだい。組織の公平性を保つためよ。会社だって第三者機関のチェックを受けるでしょう? 一般入試突破組だから経歴に問題は……ない、はず、だと思う」

 

 楯無の声が尻すぼみになっていく。佐倉桜問題は未だ解決にいたっていない。ISに乗って約三ヶ月の少女が、ドイツ軍人の手を借りたとはいえ優勝してしまった。ありがちな天才のサクセスストーリーとも受け取れるのだが、桜は何かがおかしい。違和感をぬぐい去るには至らず三ヶ月も浪費してしまった。

 

「だからって、なんで、一言でいいから私に声をかけてくれなかったの~」

「しょうがないじゃない。私も忙しかったし。……虚の後釜がほしかったし」

 

 楯無が口ごもる。虚が卒業してからのことを考えていたに違いない。

 ――布仏家は苦労性っていうけどさー。

 歴代楯無の信頼を勝ち取ってきた。裏返せば難しい仕事を必死にこなすうちに鍛えられていったのである。しかし、気をつけねばならないのは、いくら仕事ができても歴代楯無の失敗を阻止できなかった点だろう。戦時は諜報戦の敗北。バブル崩壊後は特需景気創出の機会を失い、ミサイルショックでは千代場博士ら()()()の暴走、もとい台頭を防ぎきれず後手に回ってしまった。

 

「理由になってないよ~」

「あなたが、ほんの少しだけ仕事を覚えてくれさえしたら、こんなことにはならなかったのよ」

 

 楯無が白々しい声を発したのち、目を逸らす。

 

「身を削って仕事してるよー。ずうっと」

「生徒会のお仕事のほう」

「やんなくていいって、かいちょーが言ってたよ。初日に」

「あ」

 

 ――今まで忘れていたんだね。そういうところがザルなんだよ!

 楯無は笑いながら本音の隣に回って肩に手を置いた。

 

「本音。別にいじめっ子と同室になれっていうわけじゃないんだし、まあ、犬にかまれたと思って諦めなさいな。今年は催事が多いから疲れて眠っちゃうわよ。臨海学校のために海上自衛隊が特別協力で快く()()を提供してくれるってアナウンスがあったし、空自と第七艦隊艦載機が航空ショーを披露してくれるわよ。ISが飛ぶからって毎年苦労して調整して航空路を空けてもらってるの。超巨大なアレつながりでB-52iS(B-52iS Stratofortress)も呼びたかったんだけど、予定が重なっちゃって。でも、まあ、好きな人には好きなんじゃない?」

 

 くくく、と喉を引きつらせて笑う楯無。本音には必死になってごまかそうとしているとしか思えなかった。

 

「観光気分でいられるのは最初の日ぐらいよ。夢のビーチで地獄のしごきが待っている」

「しごきって、聞いてないよ!」

「そりゃあ秘密だもの。上級生はみんな知ってるわよー。……みんなでゾンビになったのはいい思い出だった。これ、櫛灘さんにも言ってないことなの。だからほかの生徒に秘密にしておいてね。ビーチで――最高じゃない!」

 

 

 




サブタイトル『X day -1』
真のサブタイトル『おじょうさまはぼうじゃくぶじん』

参考文献:
国土交通省 航空路とRNAV経路の詳細
http://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000344.html

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