箒は空になった汁椀を置き、真正面に座る簪に話を振った。
「白味噌のほうがおいしいと思うのだが……」
「うちは合わせ味噌だから」
取りつく島もない。
簪の肩越しに生徒会長が熱い視線を投げかけていた。妹に話しかけたくてうずうずしているのか、簪が口を開くたびに何度もうなずく。
「妖精さんは気にしないで」
「おい」
簪の反応は冷ややかだ。以前から姉妹仲が良くないと知っていた。箒は間を取り持つほど親しくはないので、あえて干渉することはなかった。
「……約束は守って」
「もとよりそのつもりだ」
簪と手を組むために交わした契約のことだ。箒の目標は達成がとても難しい。単独で成し遂げるには実力が足らず、目的達成には協力者が必要だった。
「文化祭でヒーローショーだろ。出てやる」
「あなたの……身体能力が必要……」
簪は夜な夜なノートに落書きをし、箒にハコ書きを見せたことがある。
「共同脚本だから……変なことには……ならない」
「全身タイツのときは、やっぱり胸にサラシを巻いたほうがいいのか?」
「――ふっ」
簪がしたり顔を浮かべる。
「旧デュノア社のISスーツを着けてもらう」
「デュノアの?」
「そう。どんな爆乳でも……鉄板に……早変わり。
得意げなピースサイン。簪の口元だけが笑っており不気味極まりなかった。
「揺れたり、肩こりは……」
「ない。しっかり固定する。しかも蒸れない。妖精さんが……鏡の前で試したり……男装して中学の同級生をナンパしてお持ち帰りしたから大丈夫。デュノアは……マーケティングで大失敗……」
後のほうはよく聞き取れなかった。
だが、ISスーツの効能のほうに興味がわく。
「蒸れない上に肩こりが軽減されるだと……? 早速試着してみたいのだが」
「今は実家にあるから……休みに取りにいかないと」
箒は残念そうにため息を吐いた。
あごを引き、最近成長が著しい胸部に目を落とす。サイズアップのたびに下着を買い換えねばならず、大きくなるにつれて選択肢が減る。一夏ら男の目が集まるのは誇らしい。その反面、簪や鈴音、ラウラたちをうらやましく感じるときがあった。
「……で、今日の試合だが」
箒はおもむろに身をよじった。シャルロットと談笑する一夏の姿が目に入り、唇をとがらせてしまった。
「あなたは油断……しないで。今日の片割れは代表候補生。れっきとした本物」
「もちろんだ。打ち合わせどおり、私が一条を引きつける」
ルームメイトの姓を聞いて簪の顔がこわばる。今までにない反応だった。
▽
休憩室のモニター。シャルロットが先に回収された一夏のあとを追っていく場面だ。
箒は画面を見上げていた。
「一夏たちが勝った。私たちが勝てば次で当たる」
直前の試合で織斑・デュノア組がAブロック代表を勝ち取っている。
シャルロット・デュノアは強い。簪と一緒であっても油断ならない相手である。
その前にひとつ白星をあげねばならない。
――一条・サイトウ組は、落ち着いて対応すれば勝てる相手だ。
不意に、手のひらに熱がこもる。簪が手を重ねてきたのだと気づいたとき、箒は意外に思った。
震えている。今までの試合、圧倒的な力を見せつけてきたにもかかわらず、彼女は小刻みに震えていた。
「更識?」
簪の表情に強い決意が浮かんだ。次戦の相手を容易ならざる者と見ているに相違ない。昨晩もしきりに警戒するような言葉を発していた。マリア・サイトウが手を組んだ相手は尋常ならざる搭乗者だったからだ。
試合結果が一条の異常性を示している。
入試以来回避率一〇〇%。被弾率ゼロ。かすりもしない。どれだけ弾幕を濃くしても神がかった動きで避けていく。同じクラスの桜でさえ当てたことがなかった。まるで見えない戦場の流れを読んでいるかのようだ。
「落ち着け。無論、私が言えた話ではないがな」
簪の肩を抱く。それでも足りないと思い、強く彼女を抱きしめた。簪が心臓の鼓動を感じ取ってくれたらいいと願って。
▽
学年別トーナメント一年の部。四日目・第二試合。Bブロック決勝。
「いざ前にすると緊張するな……」
体当たり専用パッケージを搭載した打鉄を見据える。
今回は時間切れによる判定勝ちを狙う。箒が一条朱音を引きつける間、簪がマリア・サイトウを撃破する作戦だ。
簪の話によればマリアは平均的な搭乗者で、何でもこなせるかわりに突出したところがない。IS関係者から器用貧乏と評価されているが、基礎技能が完成されていて決してぶれない。もし桜がいなかったら、三組代表に選ばれていただろう。
「かといって代表候補生相手に私が勝利を重ねられるかと言えば、厳しいだろうな」
箒はせわしなく働く四体のAIを見やった。
レベル2の紅椿は、レベル1とくらべて能力の上限が三割以上も向上している。十段階まで速度調整できるようになった。ハイパーセンサーはかゆい所まで手が届く。
だが、もっぴいは今が地獄らしい。赤いメガホンを構えたもっぴいAが他の三体に呼びかける。
「今度の試合も重要な試合! 弐式が喜べばもっぴいがハッピー。地球が滅亡しなくてハッピー。みんながハッピー! 負けたら死の星でアンハッピー!」
もっぴいBは片隅で体育座りしながら親指の爪を何度もかんでいる。
「ガクガクブルブル……」
もっぴいCとDの見た目は平静を保っている。しかし声が震えていた。
「フフフ。もっぴい知ってるよ。弐式が
「死ぬ気でがんばるんだよ。もっぴいの尊い犠牲で全世界が救われるなら……」
今まで、相手が巨大な剣玉に気を取られている隙に距離を詰め、杖やブレードで殴ってきた。時には擲弾投射機からネット弾を発射して動きを封じ、時には寝技でシールドエネルギーを削って止めを刺す。
きれいな戦い方ではない。Dブロックで櫛灘の組が似たような戦術を駆使し、なりふり構わず勝ち上がったおかげで、非難の矛先を向けられずに済んでいた。
――作戦は頭にたたきこんである。
言葉以上のものは既に与えられていた。打てば響く。背中を合わせれば、言葉がなくとも答えが示される。簪の力で実力の上限を引っ張り上げられている。まるで優れた役者が素人でさえも名優に変えてしまうような、何かがあった。
――相性がいい。もしくは、合わせてくれている。ということなのだろう。
箒はゆっくりとスラスターを噴かす。
――今日の私は
「試合を開始してください!」
「先に行く!」
箒は手足と腰部に設けられたスラスターから炎を噴き出し、瞬時に最高速度へ到達する。
試合前、箒がクロエに質問して初めて知ったことだが、紅椿は瞬時加速が使用できない。それにもかかわらず同等の効果を得ることができる。その後聞いたこともないカタカナ言葉が飛び交い、箒は説明の途中で席を立っていた。
――まっすぐぶつかる気で。
弾丸となって飛翔する。
――もし相手が一夏なら剣を振りかざして突っ込んでくるはず。だが、今日の相手は違う。
打鉄はスラスターを暖気しながら滞空しているにすぎない。
「ふらふら動くか」
傘が回転して位置をずらした。箒は、桜が使った体当たり専用パッケージとの違いを見出す。銃砲が後付けされていないのだ。
――射撃の成績が悪い、と言っていた。
簪はルームメイトが漏らしていた言葉を記憶していた。特別なことではない。ISに乗り始めたばかりの者ならみんな同じだ。
打鉄を通り越した箒は方向転換する。出力を落として高度を下げ、巨大スラスターを見上げる形で
「銃を……」
レベルアップの特典で使用可能になった銃器を呼び出す。
――
篠ノ之束が「なんとなく格好良さそうだから」という理由で見た目だけコピーした機関銃だ。元となったMG34より貫徹力に優れ、反動も軽減されている。ISコアによる自動修復を前提に作られているため、分解機構が存在しない。おそらくこうに違いない、というあいまいな情報を元に設計したことで、中身はほぼ別物になっていた。クロエが小型レールガンと口にしたことさえある。
背部のランドセルから給弾ベルトを接続した状態で実体化する。ブレード類と異なり、ずっしりとした感触を得るまでに三秒以上必要だった。
箒はN-MG34を両手で構え、アイアンサイトでねらいをつける。紅椿もハイパーセンサーを用いた統制射撃が可能だ。しかし、箒はマーク1・アイボールセンサーを利用するほうが性に合っていた。
――くっと狙いをつけて、じっと息をひそめ……。
「ダダーン! ダダーン!」
他の対戦相手はこれでも当たった。誰かに伝える必要がなければわかりやすく直す必要はない。ISを歩かせたり、物を持ったりするだけなら、もっぴいは関与しない。つまり訓練で培った技術を生かすことができる。
「チッ!」
かわされた。打鉄は突然空中で静止して、直角に曲がった。
――何でそんな動きでよけられるんだ!
操縦は荒削り。ときどき止まったり、急に速く動き出したり、のろのろと蛇行したりと忙しない。
箒は追いすがって撃ち続けた。威嚇射撃のなかに直撃コースを混ぜる。不意打ちを食らってあわてふためくと思ったら、急にスラスターを噴かしてきた。
――回り込む気か……!
もっぴいDが画面に機動予測の演算結果を貼り付ける。箒は機体を横滑りさせた。
「攻撃下手に助けられたかっ」
神がかっているのは回避技術だけだ。
――こちらがミスをして接触しなければいい。
ぐうたらなもっぴいが汗水垂らして働いている。紅椿のレベルを上げるにはまたとない好機だ。箒はせっかくの幸運を逃したくなかった。
「これでもダメか!」
機動予測で補正した照準はすんでのところで空を切った。突然静止した体当たり専用打鉄が垂直に上昇したのである。乱暴にZ軸の値を増やしただけの機動だ。
――めちゃくちゃな動き! 気持ち悪いやつ!
そうかと思いきやミリ単位の精密機動で弾丸を避けていく。
箒は時間を見た。まだ二分も経過していない。
下唇をなめ、歯を食いしばった。インメルマンターンを終えた体当たり専用打鉄が増速する。
全身の血が沸騰して暴れ回っているような気分だった。
でたらめな動きは焦りを誘発するための撒き餌だと考え、箒は大きく息を吸う。戦闘に必要な動きは習得済だ。空間戦闘の息づかいや気の流れも見えている。
――役目に徹しろ。
箒は呼吸を律した。そうすることでひとりの武人として、己の心に静寂をもたらす。
――二分。
会場が突然歓声にわいた。
砂煙が晴れ、マリアが膝をついている。打鉄の装甲が焼けただれ、白煙が立ちのぼっている。回収機に抱きかかえられた姿を見て、簪がようやく撃ち勝ったと知った。
「約束……守ったから。仕事……お願い」
簪の顔つきは修羅のごとき面影が消え、物静かな少女の顔に戻っている。
肩に背負った四〇ミリ機関砲が凱歌の号砲をあげる。だからといって、油断したわけではない。攻撃に長けた相棒はもういないのだと知らせるための行動だった。
――知っていたけど性格悪いな……
「相方が仕事を完遂したのであれば、私も求められた結果を残すまでだ」
つかず離れず攻撃し続け、更識・篠ノ之組が判定勝ちを収めた。