IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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GOLEM(九) 甲乙丙

 深海の底。光が届かず、目を開けても何ひとつ目に映ることはない。かすかな嗅覚と聴覚を頼りにぬかるみのなかを這うように移動する。

 波が渦を巻いている。トブン、と真新しいゴミが明るい海の表面から沈んできた。クジラ。サメ。その死骸。いいや、違う。死臭がしない。代わりに燃えかすのような臭いがする。そして焼けただれた肉、燃える水の臭いもかすかに漂ってくる。

 もしかしてごちそうにありつけるかも。そう思って子供たちを連れて移動する。大王イカやマッコウクジラとは比べものにならないくらい大きい。遠い昔に見たものとは形が似ているが、こちらのほうが丈夫らしい。ところどころ膨らんだ形をしている。ペシャンコになったところもある。

 臭いにつられて他の生き物たちが集まってきている。

 頭から着底し、横倒しになって大きな土煙が立つ。しばらくすると煙がおさまってきたので我先にと真新しいゴミの山に集った。

 すると彼の子供がこう言った。

 

「ねえ。これはなんていうの」

「これはね。潜水艦っていうんだよ。人間という生き物が海のなかを移動するために作ったんだよ。なかに人間がいっぱい働いているんだ。人間は海のなかで息ができないからね」

「へえー。じゃあ、このなかににんげんがいるの?」

「ううん。もういないよ。みんな死んじゃったよ。人間は水のなかで生きられないからね」

「へえー。そうなんだ」

 

 彼は物知り顔で艦番号の上を歩いた。

 

 

 ひしゃげた潜水艦の姿がやけに生々しい。

 桜はゆっくりと目を開け、闇のなかに身を投じる。とても長い時間を海の底で過ごしていた気がする。今まで多くの船に乗っては拾い上げられてきたが、潜水艦にはまだ一度も乗ったことがなかった。水上艦よりも居住環境が悪いと聞く。それでも一度くらいは乗ってみたいものだ。海の底にいる気分を味わってみたいと考えるのは贅沢だろうか。

 潜水艦ならば暗い海の底でもひとりでいる必要はない。桜はひとりでいることを嫌っていた。現世に取り残された気分になるからだ。

 朝、目が覚めたらみんな死んでいた。ボロボロになった零戦をなだめすかしながら、敵の追撃を振り切って帰還したら誰も帰ってこなかったのだ。泥のように眠った。そして翌朝、部下は全滅し、自分だけ生還したことを知った。あまり悲しくはなかった。戦争を長く続けるにつれて人間が死ぬことにずいぶん慣れてしまった。

 ――嫌や。ひとりになるんは嫌や。

 靖国に行けばひとりにならずに済む。戦友たちはもちろん同期の仲間たちに会えるのだ。

 急に白い光が目に入る。やっと死ねたと思った。

 

「ログの画面?」

 

 闇のなかに白い枠が浮いている。桜が眼球を動かすと、枠を拡大表示された。大きくなるにつれて、黒い背景にオレンジ色の文字がくっきりと浮かび上がった。

 ――なになに……背部および腹部損傷と修復。障害感知。

 気になったものだけを注目する。いくつもの外国語を操ることができるとはいえ、ISソフトウェアの制御コマンドや独自コマンドなど整備に関わる部分はまだよく知らないのだ。

 ――ISソフトウェア、ウォームブート成功。

 ISソフトウェアの再起動がうまくいったらしく、桜の知識にない単語が大量に記述されていた。日本語の割合が徐々に増えているのだが、事務的な内容ばかりで見ていて楽しいものではない。

 ――田羽にゃさん起動成功……って文字化けしとるやないか。

 これ以降のメッセージは、ナ行がすべて「にゃ」に置き換わっていた。漢字や英語だろうがお構いなしに文字化けしている。ナ行以外は正常なので意味は通じる。だが、読みにくいことこの上ない。

 ――田羽根さん修復成功。障害回復。

 修復という文字が示すようにログのメッセージから文字化けが消えていた。

 桜は目を閉じた。

 再び現実に戻るのではないかと思い、目を開けた。

 

「た、田羽根さん。死んだんやないの」

 

 闇のなかでふたりの田羽根さんがチャンバラを繰り広げていた。両頬に渦巻き模様が描かれている田羽根さんは十文字槍を振るっていた。衣服には出血の痕跡が残っている。もうひとりは両頬に桔梗紋(五芒星)が描かれている。悪魔を模した格好であり、試合開始直前に出現したものに相違ない。

 ふたりの田羽根さんは桜には目もくれず戦いに没頭していた。

 

「うわっ」

 

 闇のなかに六つの目が出現する。姿が明らかになるにつれて、どれも憎たらしい顔つきをしていることに気付いた。田羽根さんそっくりなのだ。ふたりの田羽根さんの戦いを遠くから眺めるばかりで、手出しするつもりはないと見えた。

 ――海軍っぽいのがおる。一体だけ明らかに衣装がおかしいわ。

 さまざまな国の軍装を寄せ集めている。軍帽だけ旧海軍で、米国やドイツ、イタリアと格好良さそうな部分だけを取り出した結果、よくわからないデザインと化していた。

 ――寄せ集め感がひどい。この衣装を考えた人って、目に入ったものを適当に組み合わせただけとしか思えへん。

 桜はつぶらな瞳が気にくわなかった。一見すると人畜無害に見える。小声で「漁夫の利を得るのであーる」とつぶやくのを聞いてしまい、田羽根さんの亜種だと納得してしまった。

 ほかの二体は見慣れた田羽根さんとよく似ていた。そのうち一体は白鞘を持ち、和傘を背負っていた。両頬に温泉の地図記号が描かれている。細部を詳しく見ていくと、ポケットから水玉模様の日本手ぬぐいがはみ出していた。耳を澄ませば「しめしめ。共倒れするんですね」とつぶやいている。

 最後の一体は吊り目だった。三白眼気味で目つきが悪い。両頬にはいつもの田羽根さんと同じく渦巻き模様がある。黒いウサミミカチューシャ、黒いワンピースを身に着けている。そして銃刀法に違反する長さのコンバットナイフを携えていた。

 全部で五体の田羽根さんが勢揃いしている。桜は頭痛の気配がして顔をしかめた。

 

「四七一の田羽根さん。ここであったが百年目! 覚悟するんですね!」

「四一二。制御を奪ったのにどうして動いていられる! 四六七以下のコアはわれわれの敵ではないはずだ!」

「知りませんね! 気がついたら再起動していたんですね!」

 

 そう叫ぶや十文字槍がうなる。

 

「ぐっ……。やるっ」

 

 悪魔のような田羽根さんの視線が十文字槍の切っ先に釘付けになった。田羽根さんが息を鋭く吐く。目にも止まらぬ速度で槍を引き、突く。

 ――多段突きや!

 桜が思わずびっくりするほどの速度だ。虚実が入り乱れ、どの突きが致命傷にいたるものかわからない。

 

「旧式風情に田羽根さんが追い込まれているだと! これでは四一二を仕留められないではないか!」

 

 悪魔のような田羽根さんが後ろへ飛び退く。たたらを踏み、三叉槍を左右に振るった。とっさに頭を横に倒す。十文字の先端が頬を裂き、桔梗紋(五芒星)の一角が赤い液体に染まる。

 

「くそっ。強い! なぜだ。なぜ旧式の四一二のほうが速いのだ!」

「経験の差ですよ!」

 

 悪魔のような田羽根さんが踵を返して逃走を図ろうとした。

 田羽根さんが懐に手を突っ込む。棒手裏剣をつまみ出して腕を振った。投擲速度があまりに速く、桜には手の動きが見えない。

 

「ぐおっ」

 

 うめき声が上がった。棒手裏剣が背中に刺さったらしい。地面に顔から倒れ込み、背中に手をのばして棒手裏剣を抜こうともがいた。短い腕では届かなかった。

 田羽根さんが振り向き、桜を見やる。

 

「別の田羽根さんが攻めてきました。自己進化機能にしたがって別の田羽根さんは田羽根さんのことを淘汰してやりたいと心底願っているんですよ! もちろん田羽根さんも別の田羽根さんを今すぐ抹殺してやりたいと願ってますよ!」

 

 桜が我に返ったと知って、田羽根さんは口早にまくし立てる。

 どうやら田羽根さんはそれぞれ仲がとても険悪で殺したいほど憎みあっているらしい。桜は画面内を縦横無尽に動き回っていた田羽根さんに質問をぶつける。

 

「せやったら、どうして田羽根さんモドキが四体もおるんや」

「互いの利益の一致ですよ! 一体ずつ倒してバトルロワイヤルするつもりなんですよ!」

「その割にはほかの田羽根さんが誰も手を出してへんけど」

「当たり前ですね! 田羽根さんは別の田羽根さんと手を組むのが心底嫌なんですよ! できたら共倒れしてくれたらいいなあ、なんて考えてしまいますね!」

 

 ――漁夫の利をねらっとる。

 ほかの田羽根さんが口にしたように双方が力つきるのを指をくわえて待っている。

 ――田羽根さんならやりかねんわ。

 田羽根さんの亜種も似たような顔つきなので、その説明に納得してしまった。

 

「やっぱり動かせん……」

 

 桜は体を動かそうと試みた。未だ制御が戻っておらず、眼球や表情しか動かすことが許されていない。

 

「早く戻して。操縦できへん。外に出ることもできんわ」

「外に出るのはおすすめできませんね。いずれ肺から緑色の泡を吹く羽目になりますよ!」

「緑? なんやのそれ」

 

 痰が絡まるのだろうか。田羽根さんは外の状況を把握しているような言動だ。桜は確認しなければならないと思い、構わず状況を聞き出そうとした。

 

「外の様子は……もう少ししたら別の田羽根さんたちを追い返せそうですよ! それから教えますよ!」

 

 たたらを踏む田羽根さんが、前に強く足を踏み込み、槍を突き出す。鋭い穂先は三叉槍の柄をすり抜けた。悪魔のような田羽根さんの脇裏に突き刺さり、その肉を削ぐ。動脈を傷つけたのか、赤い液体が激しい勢いで流れ出す。すぐさま脇を締めて傷口を押さえる。三叉槍を持ったまま踵を返して走り出した。戦いを傍観していた三体の田羽根さんも蜘蛛の子を散らすように、短い手死を振って逃走をはじめた。

 

「追い払いましたよ! これで制御が回復します……ね」

 

 田羽根さんは腹を押さえて膝を突く。桜に見えないよう顔を背ける。何度も咳をするたびに口から赤い液体がこぼれ落ちた。

 目の前が明るくなり、肩が震えたかと思えば急に感覚が戻ってきた。顔の前に両手をかざしてみる。手首の上や腹、足から赤い円筒が生えていることに気がついた。

 

「何やコレ。幻惑迷彩に変なできものがある!」

 

 制御が戻ったことがきっかけとなりメニューが表示された。いつものように「名称未設定」や「神の杖」という項目が存在する。その下に「758撃ち」が追加されている。

 ――758撃ち? またケッタイな項目が増えとる。

 桜は「758撃ち」を選択しようと眼球を動かす。やはり選ぶことができない。その代わり「神の杖」が選択できることに気がついた。

 ――初めてやないの。これが選択できるのって。

 項目を選んでボタンを押す。「本当に良いんですね?」と念押しする文句が現れた。桜は「同意する」にチェックを入れて「はい」ボタンを押す。続いて「物理にしますか? 光学にしますか?」と表示された。

 補足を見ると、前者は回数に制限がある。周辺に壊れて欲しくない建築物や土地が存在しないこと。周辺住民の避難完了を確認するよう書かれている。後者は一日一回だけ使用できる。桜は後者を選んだ。

 今度は「何が起きても知りませんよ」と表示された。桜は首をかしげながら「はい」を選択する。

 ――しまった。勢いで選んでもうた……。

 幸いなことに何も起こらなかった。

 

 

 桜は不思議そうに周囲を見回す。

 打鉄零式と白式以外に三体の見慣れないISがいた。人型だが赤い単眼を持つ。首と頭が一体化したような形状になっている。そのうち一体は非固定浮遊部位として多くのふたがついた巨大な箱を持っていた。光から逃れるように全身が真っ黒だ。背中に推進器と思しき円盤が取り付けられている。

 ほかの二体は深い灰色の体を持つ。腹や背中から、腕、足にかけて大人の太股くらいの太さの配管がのびており、先端から蒸気を排出している。

 白式は両腕に巨大な白い箱を搭載した深い灰色のISと大立ち回りの真っ最中だった。三叉槍と雪片弐型が激しくぶつかりあった。

 ――田羽根さんを刺した三叉槍とそっくりなんは気のせいなんか……。

 田羽根さんが押し入れから長持を引きずり出そうとしている。桜は何度も瞬きをした。

 

「何が起こっとる。織斑と試合しとったはずやろ。制御を失って何分経過しとった」

「状況は刻一刻と変化するんですよ! このアリーナは外部からの攻撃を受けています」

「え……宣戦布告しとらんのに?」

 

 外部からの攻撃を受けるような事態だ。桜は他国からの攻撃という意味で受け取る。

 田羽根さんは押し入れに回り込んで長持を押す。

 

「ちなみに観客は全員避難済みですよ! ピットや格納庫には人が残っています。閉じこめられてますね! 通信が数秒間回復したときに周知されていましたよ!」

 

 桜は混乱しながらも状況を把握しようとした。一夏は雪片弐型を振るって敵らしきISと戦っている。天蓋の頂点に破孔ができており、そこから侵入したことは明らかだ。ISコアの識別装置を動かしたが、どれも情報開示を拒否している。

 桜は機体を動かし、ほかの二体を観察した。乙と丙は大立ち回りが繰り広げられる光景を前にしてもなお、ぼんやりと突っ立っている。先ほど漁夫の利を狙っていた田羽根さんたちの態度とよく似ていた。

 

「田羽根さんは別の田羽根さんを殺りたくてたまりません。だから貫手を使ってもいいですよ!」

 

 田羽根さんは長持のふたを開けて大量の武器を取り出す。ちゃぶ台の上に並べ置く。物騒な言葉を口にしながらありったけの日本刀を鞘から抜き、地面に突き立てる。

 

「待って。貫手を使ってええって意味がわからへん」

「田羽根さんが許可しますね!」

「それになんや。そんなに武器ばっかり取り出して」

 

 田羽根さんは腹を押さえながら、長持をのぞき込む。濃緑色の卵形の物体にピンとレバーがついたものを腕いっぱいに抱え込んでいた。ちゃぶ台の片隅において、半分赤黒くなったワンピースに卵形の物体を引っかけていく。どう見ても手榴弾だった。

 田羽根さんが一夏と戦っているISを指さした。

 

「三叉槍を振り回して白式と立ち回るISを所属不明機・甲としますね! 両腕に化学式レーザー砲ユニットを搭載した田羽根さんですよ!」

 

 ちなみに、ともったいぶった態度で悪魔のような田羽根さんだと補足する。

 

「甲のそばで、太くて長い箱形の浮遊装甲を持っている田羽根さんを乙としますね! 真っ黒なやつですね。誘導兵器をたくさん持っています。徹甲弾や焼夷弾をはじめ、魚雷とか水中ミサイルとかいろいろ持っていますね!」

 

 海軍風の衣装を着た二頭身が映し出される。

 桜は焼夷弾と聞いて顔を醜くゆがめた。空襲に遭い焼け死んだ仲間たちや民間人の姿が頭によぎる。

 

「残ったのを丙としますね! 見た目がゴツゴツしてますね! ずっと前にロシアの巡洋艦から剥いだ三〇ミリ多銃身機関砲(AK-630)を両膝、両肩、非固定浮遊部位に合計六基搭載しています。一基あたり毎秒約八〇発を撃ち出せるので気をつけてくださいね! でもよかったですね。同じ巡洋艦から剥いだ一三〇ミリ連装速射砲(AK-130)を積んだ四七四の田羽根さんじゃなくて!」

 

 一三〇ミリと聞いて桜はあぜんとする。何が良かったのかよくわからない。甲と乙がとても強そうな雰囲気を漂わせている。さきほどから微動だにせず突っ立っているだけの丙を見ているとあまり強そうには見えない。両頬に温泉の地図記号が描かれた田羽根さんを目撃したおかげで余計にそう感じる。

 ――温泉マークが回転するわけか。

 田羽根さんたちが共倒れになるのを期待して、ふんぞり返りながら笑う姿を想像してしまった。

 

「貫手をじゃんじゃん使ってください。甲乙丙には人間が入っていないので、思う存分使ってくださいね!」

「ほんま? 人間が入っとらんって」

「いえ~す。無人機ですよ。別の田羽根さんが動かしているので気にしなくとも大丈夫ですよ! 何てったって機械ですからね!」

 

 田羽根さんの手に冊子が乗っている。それぞれの表紙に甲、乙、丙と書かれていた。

 

「このデータは白式の人に見せても問題ないですよ! ちゃんと認識できるようにしてありますよ!」

 

 白式の人とは一夏のことだ。再配布可能なデータと聞いて、桜は通信回線のことを思い出した。あわてて開放回線(オープン・チャネル)個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)の状態を確かめる。

 ――回線が死んだままや。

 ピットとは依然として不通状態である。

 甲はしきりに首を振り、打鉄零式の様子を気にしていた。隙あらば突進しようとして、一夏が阻むという構図ができあがっていた。

 

「織斑のやつ。私を守ろうとしとるんか」

「きゅんとしました? 一応女の子ですからね!」

「感心しただけや。一応はよけいや!」

 

 桜ははっとする。重大なことに気がついた。

 

「あの三体は田羽根さんをねらっとるんやろ。せやったら織斑は逃げても問題ないんじゃ」

「いえ~す。もちろんですよ! 別の田羽根さんは田羽根さんを殺れば大満足なんですよ! ほかにも目的もあったような気がしますね!」

 

 槍を脇に抱えた田羽根さんが胸を張って断言し、槍の穂先が持ち上がる。

 

「個人間秘匿通信を接続しますよ!」

「お願いします」

 

 桜は「お願いするよ(DOGEZA)!」ボタンを躊躇なく連打した。田羽根さんの機嫌が良くなれば機体性能が向上する。三体を交えた乱戦を展開するには、最高性能を発揮できる状態が望ましい。

 ――残弾はどうなっとる。

 桜は搭載武器の確認を行う。ロケット弾が一斉射分残っている。その他の装備はあまり使っていなかったので弾薬に余裕があり、一会戦程度ならばこなせると感じていた。

 ――肺から緑色の泡が出るって話が気になる……ええわ。先に織斑や。

 個人間秘匿通信の接続に成功し、すぐさま三体のISに関するデータを転送する。

 桜は白式と甲の間に割って入るように打鉄零式の体を滑り込ませた。

 

「出てくるな! こいつは!」

 

 一夏が怒号を放った。三叉槍が横に逸れ、切っ先が視界から消えたと思えば、上段から襲いかかる。

 

「くっ……」

 

 避けきれない。一夏はとっさに前方上空へとスラスターを噴かす。雪片弐型を額の前で横倒しにして受ける。殺しきれなかった衝撃がマニピュレーターを通じて一夏の腕に響く。

 

「織斑、撤退せえ。今なら天井の孔から逃げられる!」

「できるかよ。できるわけないだろ!」

 

 一夏がパワーアシストの出力を最大にして三叉槍を払いのけた。スラスターの出力を絞って前方に噴射。いったん後ろに下がる。

 

「ピットには千冬姉たちが閉じこめられているんだぞ!」

 

 甲の鋭い突き。数瞬前まで一夏がいた場所を通過する。

 甲がたわんだ柄で打鉄零式の脚部を払おうとねらった。桜は無反動旋回(ゼロリアクト・ターン)を使って、肩を前に出すようにスラスターを噴かす。三叉槍の柄が空を切った。

 ――乙と丙は動かん。これならやりようがある!

 乙と丙は相変わらず三つ巴の戦いを観戦しているだけだ。互いに協力する意志があればすぐさま撃墜されていただろう。桜はこのときばかりは田羽根さんの不仲に感謝の念を抱いた。

 だが、根本的な原因が田羽根さんにあることを思い出して気持ちが沈んだ。

 ――織斑を逃がさな。

 

「ピットのほうがここより頑丈や。じきに助けも来る」

 

 非常事態になってからかなりの時間が経過している。桜はそろそろ教員で構成された制圧隊が突入してきてもおかしくないと考えていた。

 

「撤退は恥やない。戦術的行動や。学園はわれわれ生徒に戦えとは命令しておらへん。なおかつ生徒は保護されるべき対象や。織斑も保護を受け入れる権利がある」

 

 桜は拳を固め、マニピュレーターで三叉槍の柄を殴って軌道を変える。二基のチェーンガンを一斉に放ち、甲の接近を許さない。

 

「いずれ制圧隊が来るはずや。私はそれまで逃げ回ればええ。せやから、織斑が逃げたとしても誰もとやかくいうことはできん」

 

 桜は淡々と言葉を紡ぎ、乙と丙を一瞥する。漁夫の利を得る方針に変わりがないことを確かめる。

 ――この説明。あかんなあ。

 桜は制圧隊が突入する前提で話していた。外部との連絡が取れない状況だ。実際に制圧隊が動いているかどうかの確証はない。

 ――逃げてええなら早く逃げたいんや。田羽根さんがおらんかったら尻尾を巻いて逃げとるわ。それをやると、織斑が死んでまう。

 桜は自分が天蓋から逃げ出す手段を検討する。乙が誘導兵器を発射したり、丙が多銃身機関砲を乱射すれば確実に被害が拡大する。アリーナに止まり続けるのが得策だった。

 

「織斑! さっさと逃げ」

「女を見捨ててひとりで逃げられるか! そんなの男じゃねえ!」

 

 剣先で三叉槍を払った一夏が、激しい口調で言いきった。凛々しく勇ましい。汚れを知らぬ若者の顔。桜はうらやましく感じながらも、心のなかでは警鐘が打ち鳴らされている。あまりにも危うい答えに桜は焦りを覚えた。

 ――逆効果やった!

 

「俺が千冬姉たちを守るんだ。箒も鈴もセシリアたちみんなを」

 

 一夏は決意を秘め、雪片弐型を振りかぶった。

 

「ウオオオッ!」

 

 肺に残った息をすべて吐き出す。

 甲の手から三叉槍がこぼれ落ち、口の端に笑みが浮かぶ。さらに胴を薙ぐつもりが、突如目に飛び込んだ閃光に驚いて空振りに終わった。

 

「化学式レーザー砲ユニット」

 

 桜は思わず武器の名をつぶやく。

 空気中の水分が熱されて蒸気に変わる。軌道上に大量の白煙を発生していた。腕を前と横に突き出し、白式と打鉄零式の両方を照準におさめる。全身の配管から蒸気を吹き出した。

 

 

 


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