IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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今回からIS学園が舞台です。


GOLEM(三) 試合・白式VS甲龍

 オーストラリア海軍コリンズ級潜水艦が消息を絶ってから約二週間が経過していた。海軍はGPSの通信記録を手がかりに沈没したと思われる水域を深海潜水艇で捜索した。魚雷やスクリュー・プロペラの破片が見つかった。だが、圧壊した船体を見つけることができなかった。

 潜水艦の失踪は事故の可能性があるものとして報道されている。いつまで経っても帰宅しない夫や兄弟、息子たちについて、家族からの問い合わせの電話がひっきりなしにかかり、事務方はその対応に忙殺されていた。

 そのころ、IS学園第二アリーナの広すぎる観覧席に生徒や来賓客が詰めかけていた。最寄り駅周辺には警察車両が一定間隔で停車し、招待客以外の部外者が侵入できないよう警戒態勢が敷かれていた。IS学園へ近づくにつれ警備はさらに厳重となっていく。特車隊の姿を目にすることができた。指揮車、大型輸送車、常駐警備車の順で停車し、その周囲には紅白のしま模様が入った三角コーンが置かれている。

 施設の職員は落ち着かない雰囲気のなか、不用意な職務質問を受けないようにカードキーを首に下げる。カバンからあわてて取り出す者が続出した。来賓のなかには政府関係者やIS産業の要人の姿があった。軍服を礼装代わりに身に着けてきた者もいる。彼らの襟章から判断するに佐官以上の階級であることは間違いないだろう。

 自治体に対して事前に申し送り状が送付され、IS学園の物資搬入に使われるすべての道路に立ち入り禁止のバリケードが置かれている。毎年同じ時期にイベントが開催される。地元の住人は慣れてきたのか特に物珍しいとは感じなくなっていた。むしろ屋台を出させてくれないかと粘り強く交渉している。文化祭以外は認めない、と学園の警備部が突っぱねているものの、懲りる気配がなかった。

 イベント名は新入生クラス対抗戦だ。一年生と整備科以外の二、三年生は丸一日特別授業扱いとなる。もちろん出席したと認められるためには観戦後のレポートの提出が必須である。原則としてアリーナに足を運び、クラス対抗戦を観戦する。所感や考察をレポートに(したた)めて提出することで単位を取得できる。もちろん事前に中継観戦を申し込めば、学内ネットワークに接続できる環境があれば好きな場所で観戦して過ごすことができた。ただし、この制度の利用者は生徒会や航空二部一会に所属する者、当日体調不良になった生徒くらいだった。

 

 

 桜の姿は第二アリーナのAピットにあった。電球色の照明のもと、右手に管制モニターを一望できる座席で背筋をまっすぐのばして座っている。

 額には日の丸の鉢巻き。ノースリーブにスパッツ状の派手な試作ISスーツに身を包む。試作品のせいか白地を基調とし、ところどころに赤いストライプが入っている。彼女のISは全身装甲なのでどんなに派手でもあまり関係がなかった。

 桜はクラスメイトの笑顔を夢想し、片ほほをつりあげてほくそ笑んだ。

 

「全員墜とせば半年間定食フリーパスが手に入るんやな」

 

 桜自身は食費免除の特典を受けていたのでフリーパスを入手する意味はない。だが、優勝特典はクラスメイト全員に恩恵がおよぶ。桜は喜ぶ顔が見たい一心で訓練に励んできた。田羽根さんに額を地面にこすりつけた土下座を何度も披露してがんばったのだ。

 ――私を土下座マスターと呼んで……ほしくないわ。

 五月になってからGOLEMシステムは頻繁にアップデートされるようになっていた。最近気付いたことだが、田羽根さんがふんぞり返るとき首の付け根の線が見えるようになっていた。更新履歴を閲覧するだけでもごまをすらなければ見せてくれない。新しいことを始めようとすれば、田羽根さんを必ず上機嫌にさせなければならなかった。田羽根さんは日に日に鬱陶しさを増していく。自尊心を投げ捨てて頭を下げ、口八丁手八丁でよいしょしてなんとか戦える状態まで調整した。

 ピット内には、桜のほかに一組と三組の教師と生徒の姿がある。桜の左手にはIS格納庫直通の扉が設置されており、対岸のBピットも同じ構造になっている。二組と四組の関係者はBピットで待機することになっていた。

 桜はぼんやりと管制モニターの中央に座る真耶を眺めた。

 若苗色のワンピースでふくらはぎが少しのぞく程度の服装だ。全体として露出が少ないように見える。

 ――なんというか……うん。けしからん。

 胸元が大きく開いている。本音や朱音たちで豊満な胸に慣れたつもりだった。改めて真耶の横顔を眺めるとどうしても下へ、下へと目が行ってしまう。

 ――じろじろ見とるって気づかれたら印象が悪くなる。せやさかい、本能には勝てへん……。

 真耶が横を向いたのを見るや、あわてて視線をそらす。そのとき、左手の電子ロックが解錠され、扉が左右に分かれた。千冬が姿を表し、黒い出席簿を脇に抱えている。

 

「気合いが入っているな」

 

 千冬は桜を見下ろし、目を合うなり明瞭な声を発した。にこやかに笑いかけてから、真耶たちのもとへ向かう。彼女は普段と同じく白のカーディガンに黒いスカートスーツを身に着けていた。パンプスの踵がリノリウムの床にあたって小気味よい音が響く。背筋をのばし、大股で歩く。桜は千冬の腰と太股が躍動するさまに目を奪われて困り果てた。

 ――織斑先生の体つきはまあまあ好みなんやけど。武人の気合いっていうんか。素人っぽくないのがなあ。

 桜は、千冬を堅気として見ることができずにいた。修羅場をくぐった数なら負けないつもりだが、千冬の横顔がやけに老けて見える。老いているとすら感じる。二十代の若さが感じられないのだ。

 桜は千冬のような顔つきをした人間を何人も見てきたから、妙に懐かしさを感じていた。

 ――戦争は人を成長させる。まさか、ね。

 千冬から視線を外し、管制モニターに映し出されたフィールドを見つめた。

 

「あいたっ」

 

 弓削の声がしたので振り返ってみると、千冬が彼女の頭に出席簿を振り下ろしていた。今まで弓削がなにをやっていたかといえば、お茶菓子を冷蔵庫の上に置いていた。教師や整備科、クラス代表に付き添う生徒に配るためだ。ほかにもドリンク類の在庫確認などの雑用に勤しんでいた。

 

「連城先生を手伝えといっただろう。だいたい君が試合に出るわけではない。どうしてそんなに緊張しているんだ」

 

 千冬が両腕を胸の前で組み、黒い出席簿を指に挟んでいる。弓削が彼女の足下で長身を屈めてうずくまっていた。千冬が管制モニターを見やると、ドリンクサーバーからコーヒーを注いだ連城が真耶の隣席に座った。マグカップを置き、視線に気づいて顧みるや、千冬と目が合う。

 連城はいきなり千冬に見つめられて戸惑っていた。

 

「実は……私も仕事がもうないのです。山田先生や弓削先生が手伝ってくれたおかげで、今はこうしてコーヒーを飲んでるんですよ」

 

 弓削が千冬の横で手を合わせてしきりに拝んでいる。その姿が目に入ったので、千冬に注意されるようなまねをしたものと、連城は推測した。

 千冬が連城に笑顔をみせる。

 

「連城先生がそうおっしゃるなら」

 

 千冬はあっさりと引き下がった。

 桜は何度か連城と千冬のやりとりを目にしている。千冬は連城を自分よりも上の序列に置いているように見えるのだ。同僚とはいえ先任だからだろうか。

 弓削は千冬の機嫌が良くなった様子を見て、そそくさと立ち上がった。布巾を手にしたついでに冷蔵庫の脇に置かれた黒電話の埃を払う。

 

「弓削せんせー。誰かにうわさされてるんじゃー?」

「ちょっとほこりを吸っちゃって」

 

 弓削は何度もくしゃみをして鼻をこすっていた。茶化す朱音に向かって律義に答える。朝のあいさつからずっと落ち着かない様子で、桜よりもむしろ弓削のほうが緊張しているように思えた。

 

「試合に出るのはメガモリやけん。せんせーがそわそわしても意味なか」

 

 ナタリアがクスクスと笑った。

 

「そうなんだけどね」

 

 弓削は背筋をのばして頬をかく。彼女は対抗戦対策のため、代表候補生の過去の試合記録を分類した表を生徒に渡していた。試合記録があるのは二組と四組だ。四組の更識簪とはマリア・サイトウが公式戦で対戦している。学内サーバーに試合記録のデータベースが構築されており、簪とマリアの試合も保存されていた。

 試合記録の分類表は毎年一年生の担当教諭が共同で作成している。生徒から要望があれば開示するようにしており、求めがなければ存在を知ることができないようになっていた。

 三組ではナタリアと朱音が弓削に相談した。自分のクラスはもとより勝ち目が薄いとされている。教え子であるふたりの申し出を快く受けたのだ。ふたりの行動は他クラスの代表に啖呵(たんか)を切ってしまい、引くに引けなくなった結果でもある。クラス全員を巻き込み、試合記録を分析した。動きの癖を盗み取り、整備科志望の生徒を送り込み、先輩方から情報収集するなど水面下で激しく動いた。一組にも同じことを考えた生徒がいて、何度か鉢合わせている。その生徒はいわく付きと目される二年生と接触し、なにやらあやしげなことをもくろんでいた。

 

「織斑先生。ミーティング、終わったんですか」

 

 真耶がコンソールに手をついた千冬を見上げる。

 

「さっきな。織斑には調子に乗らないように釘を刺しておいた」

 

 千冬が軽く笑う。真耶は彼女の頬がゆるむのを見逃さなかった。千冬が一夏の求めに応じて時間を作っては、付ききりで稽古をつけていることを知っていた。彼女とて忙しい身だが、生徒の求めを断るような人柄ではない。しかも血を分けた弟の頼みだ。なおさら断る理由がなかった。

 千冬は私情を挟まないと言い張る割に一夏をとても慈しんでいるのがわかる。真耶は教師として、IS搭乗者としての仮面を外した千冬を見たいと願った。

 

「おまえたち」

 

 千冬がセシリアと箒を呼んで一夏の言葉を伝える。ふたりは一夏の付き添いでAピットを訪れていた。観覧席に戻ることなくここで観戦するつもりで居座っている。

 セシリアの前にガラスポットが置かれている。ティーパックの紅茶を蒸しているらしく芳しい香りがピット中に広がった。さすが英国人というべきか。セシリアはこの場にいる誰よりも紅茶をいれるのがうまい。

 ダージリンだろうか。真耶はひとときの間、紅茶の香りから種類にあたりをつけてから、ようやく桜を見やった。自分が特待生に推した生徒だ。クラス編成の際、彼女を手元に置いてみたいと主張したのだが、残念ながら一組に加えることができなかった。

 真耶と桜は目が合った。桜はなにやら驚いた様子であわてて視線をそらす。真耶は緊張して挙動不審になっているのだと軽く考え、目元に笑みを浮かべた。ふと以前受けた相談の内容を思い出す。気になってセシリアを見やった。

 

「あら。山田先生。紅茶はいかが?」

 

 セシリアは紅茶が入ったガラスポットを持ち上げ、軽く振ってみせた。

 

「お願いしていいかなあ」

 

 真耶は飲み物をちょうど切らしていたこともあり、彼女の申し出を受けた。セシリアはティーカップに紅茶を注ぎ、真耶の席に向かう。そのまま腰をかがめてコンソールに置いた。

 

「今日の試合で見極めができますわね」

 

 セシリアが妖艶な顔つきになる。指先で髪をもてあそぶしぐさがやけに色っぽい。真耶は胸のなかにもやもやとしたものを感じて赤面してしまった。

 先日、セシリアの口から桜のことが話題にのぼった。いわく「軍事教練を受けたことがない一般生徒が、重機関銃を手足のように使いこなす姿を目の当たりにしました。弾丸の雨のなかを発狂せずに飛び回っていたのですが、現実にあり得る話だと思いますか?」と深刻な表情を浮かべていた。

 真耶は口に手をかざして小声で答える。

 

「それって佐倉さんのことかな」

 

 セシリアはうなずく代わりに歯を見せる。

 真耶はずっと入試の桜と今の桜を別人のように捉えていた。セシリアに相談を受けて、桜と一戦を交えた理由と戦闘時の記録映像を確かめている。学内サーバーに演習モードの記録が残っていたので閲覧し、真耶はおそれおののいた。桜は入学してからずっと目にしていたフワフワとした雰囲気のまま、レーザービットに正確な銃撃を加えていたのだ。

 

「先生も記録を閲覧したでしょう。彼女、とても堅気には見えませんでしたわ。あんな目をする人。まともな人生を歩んだとはとても思えません」

 

 真耶の耳元で、セシリアがとろけるような声音でささやく。金髪が頬にあたってくすぐったい。セシリアの指がティーカップから離れ、コンソールに手をつく。真耶は微笑を浮かべるセシリアを不安そうに見上げた。

 

「凰さんが出てきた」

 

 桜の声だ。真耶は管制モニターに目を向ける。Bピットのカタパルトデッキから甲龍が飛び出してくる。真剣な表情を浮かべ開放回線(オープンチャネル)を接続し、遅れて飛び出してきた一夏を所定の位置に誘導する。

 試合開始直前に一夏と鈴音が言葉を交わしている。ふたりの会話に耳を傾けている者がいることを気に止めた様子がない。正々堂々やり合うといった内容が聞こえてくる。ふたりの会話を阻害しようと考える者はどこにもいなかった。

 

「クラス対抗戦第一試合。一組代表、織斑一夏。対、二組代表、凰鈴音。――試合開始!」

 

 合成音声による試合開始の合図が第二アリーナに響きわたった。

 

 

 

 それは不思議な光だった。

 鈴音は一筋の輝きを見た。白光がさらにのびる。青白く、それでいて黄金をちりばめたかのような赤さが間近に迫る。

 一夏が白式の単一仕様能力を使ったと悟ったとき、白い影がぬっと死角から姿を現した。鈴音はすぐさま少年の名を叫ぶ。

 

「一夏!」

 

 背面に回り込んでの奇襲。実姉から教わり、鈴音の意表を突くための一手だ。一夏は奇襲を意味あるものにするため、すれ違いざまに刀を返す。

 

「ッアアアア!」

 

 肩が触れ合うほどの近さで、鈴音の耳に獣の声が突き刺さる。あまりの激しさに驚くあまり、身をのけぞらせた。青白い炎が右肩から左脇腹を引き裂く。甲龍の表面を覆うシールドが零落白夜によって形作られた濃密なエネルギー体の前に次々と弾けた。分断されたシールドが行き場を失って紫電と化す。恐ろしいまでの熱さによって貫かれた。

 体ごと打ち込まれる。鈴音は斜め下へ数十メートルも吹き飛んで地面に激突する。何度も錐揉(きりも)み回転してようやく止まった。

 

「オオオオウ――」

 

 一夏は残心の声を上げ、奔流と化した高ぶりを腹の底から絞り出す。

 鈴音は顔を上げ、土まみれになった体を起こした。すぐさまシールドエネルギーの残量を確かめ、未だ五割を残していると知ってほっとする。

 一夏は先ほどの位置から動いていない。少年の面影を残す美しい顔。ずっと近くで過ごし見慣れたはずの顔が、初めて見る男のものに思えた。猛々しい一夏の姿をずっと見ていたい。鈴音は試合の場であることを忘れ、ぼうっと目を細める。

 だが、一夏の瞳に落胆の色が浮かんだ。

 

「浅かった!」

 

 一夏が悔しげに叫ぶ。その声は開放回線を通じて鈴音やAピットで見守っていた千冬の耳にも届いた。鈴音はどこか夢心地だったことに気づく。あわてて姿勢を整え、次の攻撃を警戒し、龍咆を撃ち込む準備を整えた。

 白式の体を照準の枠内に捉える。一夏は空中でうつむいたまま唇をかんでいた。なぜ、と鈴音が不思議に思った。

 目の前で零落白夜が輝きを止め、灰色の実体剣に戻ってしまった。

 

「あれ?」

 

 鈴音が拍子抜けする。いつまで経っても一夏は攻撃してこない。好機を逃せば、もはや勝ち目がないことが明らかなのだ。瞬時加速を用い、徐々に旋回半径を狭める。そして一夏の位置を見失う一瞬を突く。良い発想だ。一夏が瞬時加速を会得しているとは考えもしなかったから不覚にもつけいる隙を与えてしまった。

 白式のスラスターから排出された熱により陽炎が漂っている。よく見れば装甲の表面に無数の小さな氷塊が付着している。だが、ありとあらゆる隙間から排出された熱によって瞬く間に溶けてしまった。

 

「試合終了。勝者、凰鈴音」

 

 スピーカーから響きわたった合成音声を耳にして、一夏は審判をくだされた囚人のようにうなだれ、悔恨の色に染まった。

 

 

 格納庫で一夏を待っていたのはつなぎ姿の少女たちだった。少女特有の汗のにおいに混じって油臭さが漂っている。若さや華やかさとは異なる真剣な顔つきに一夏は息をのんだ。指示通りに台座に立ち、不安そうにあたりを見回す。

 

「固定完了。終端装置を展開」

 

 屋内スピーカーから若い声が聞こえる。

 台座の移動を終えると、天井から四本のロボットアームが降りてきた。背面に二本、両足に一本ずつ作業用マニピュレーターが取り付き、装甲の裏に隠れていた終端装置が露わになる。それぞれ直径がおよそ一〇センチのケーブルが接続されている。耳障りな高周波ノイズが終端装置から漏れた。

 その間、一夏は目を泳がせていたにすぎない。胸の奥には先ほどの試合の悔しさが(とげ)が挟まったようなしこりとして残っている。体ごと打ち込んだつもりだったが、鈴音は避けた。

 ――迷いがあったのではないか?

 一夏は零落白夜の危険性を認識している。エネルギーを無効化し、実体に刃を届かせるとはつまり、生身に剣を浴びせることだ。勝負をつけようと考え、同時にできるだけ浅く斬ろうとした。

 ――箒ならどんな結果だっただろう。

 幼なじみにして同門の少女を思い浮かべる。今の箒の剣ならば、同じ状況で仕損じるようなことはないだろう。なにしろ彼女の剣は命のやりとりを強いるものだ。一刀必殺の教え。彼女の父、柳韻が時折口にしていたことを覚えている。

 ――千冬姉だったら……。

 彼女ならば経験と技術をもってして鈴音をねじ伏せるだろう。道場では円陣のなかにひとり置かれて掛かり稽古をよくやっていた。打ち込むほうは通常の竹刀を使う。受ける者は長さ四〇センチという特注の短い竹刀を持たされる。一斉に打ちかかってくる先輩たちを迎えては打ち返す。相手に打たれる前に、懐へ深く飛び込み、胸板を突き刺す訓練を繰り返し行っていた。姉にとっては、集団戦が一対一と変わらないのだという。

 一夏は箒の実家を剣術道場とばかり思いこんでいた。記憶を掘りおこしてみれば姉が剣以外を学ぶ光景が次々と思い出される。杖、槍、飛槌(ひつい)、二刀、手裏剣、体術、舞など。そして銃火器類を相手取ったときの戦闘法。モンド・グロッソの試合を見たとき、一夏は姉が出した結果に納得がいったものだ。

 ――おそらく箒は千冬姉と同じ稽古をしているはず。

 今から同じ訓練をすれば肩を並べられるのだろうか。だが、一夏は稽古の激しさに子供ながら戦慄したことまで思い出した。

 

「エネルギー注入完了まで残り二五分。ひとまずこのままにしておきます。織斑君。ISから降りて休憩に行っても構いませんよ」

 

 意識が夢想から、現実へと引き戻された。一夏は薄目を開け、見覚えのある顔に気付く。

 

「三年の布仏です。一組に妹がいるんですよ」

「布仏……ああ。のほほんさんの」

 

 赤みがかった髪が目に映る。質も似ているのか、艶までそっくりだ。つなぎを着てめがねをかけていなければ、すぐには気づかなかっただろう。それくらい立ち姿が似ていた。

 

「そういえば、のほほん……妹さんは来ていないんですね」

 

 一夏はピットとIS格納庫をつなぐ扉から、桜が出てくるのを見かけた。

 一夏の耳にも本音のあやしいうわさが届いている。一夏は、自分は賢者だと唱えることで理性の糸を切らさないようにしていた。クラスメイトの艶姿を想像したことを箒に知られでもしたら刀の(さび)になりかねない。本音と接するときは、うわさの存在を知らないものとして振る舞うことにしていた。

 虚が台座に足をかけた。一夏の鼻孔にまろやかな女の汗のにおいが広がる。つなぎの奥からうっすらと女の鎖骨と肩が浮き出るのを見るや、股ぐらに熱がたぎった。

 

「今日は公の場だから、さすがに三組を応援するわけにはいかないでしょう」

「うん。確かにそうだ」

 

 虚の白い首すじを見つめながら相づちを打つ。腕と太股の拘束が外れ、白式と繋がっていた意識が閉じられる。視覚や知覚の範囲がせばまっていく感覚に寂しさを覚えた。前のめりになり、足を踏み出して体を支える。ISから降りてすぐ、全身でおもりを担いでいるような妙な感覚がのしかかった。まるでプールを全力で泳いだような気だるさに戸惑う。

 一夏が前のめりに倒れかけ、とっさに虚が支える。

 

「あ、いや、その……」

 

 一夏は胸に顔を埋める形になってしまい、すぐさま顔を上げてうろたえた。だが、虚に胸があたったことを気にする素振りはまったく見られない。

 一夏は疲労感のほうが勝り、思った以上に消耗している事実にびっくりした。少し足がもつれかけていたので、虚が手を取って支えてくれなければ転んでいただろう。

 

「休憩、行ってきます」

 

 普段の一夏は女性に対して平静を保つことができた。だが、今の一夏はおかしかった。戦闘直後のためか心が高ぶるあまり、虚のなかの女を意識してしまった。熱に浮かされたような感情に戸惑いを覚えた。ひとりになって冷静になりたいと切に願う。鈴音相手に自滅して負けたことを悔やむ場所が欲しかった。

 

「エネルギー注入が終わったら端末にメッセージが届くようになっていますから、後で確認してみてください」

 

 一夏は礼をいって休憩室に向かう。虚が小さく手を振って後ろ姿を見送った。

 

 

「織斑? 顔が赤いけど……」

 

 一夏はピットではなく、自販機が立ち並ぶ休憩所へと足早に去っていった。桜は声をかけようとする。だが、先ほどの試合の終わり方が歯切れの悪いものだと感じたので、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

 ひとりになりたいときがある。男とはそういうものだった、と思い出した。

 桜は下を向いて自分の体を眺める。

 ――女や。

 戦に赴くのに男女の垣根はないと考えてきた。ずっと女として過ごすことで身も心も桜になりきっていたのだと気づいて急におかしくなった。

 露天デッキへの階段を上り、相好を崩して含み笑いを続ける。整備科の生徒が桜とすれ違ってぎょっとしてしまった。クスクス笑う桜の姿を不気味に感じた。

 

「ここは潮風がするんやな」

 

 露天デッキだけに吹きさらしだ。桜は縁に近づいて首をのばし、フィールドや観覧席を見下ろす。カタパルトデッキから入場しても構わなかったが、鉄板を張っただけの床に足をつけていると懐かしさがこみ上げてくるのだ。

 ――ええなあ。空が広い。

 桜は空を見上げる。忌々しい爆撃機や対空砲火、高角砲の弾丸が(はじ)けて煙が漂うこともない。仲間が火だるまになって墜ちていく姿を見ることもなかった。

 

「選手の方ですか」

 

 つなぎ姿の少女がいきなり日本語で声をかけてきた。振り返ると、こめかみのそり込みが目に入る。真っ黒に日焼けしている顔があった。角張った顎に分厚い桃色の唇。藍色の瞳にのぞき込まれて、日焼けではなく地の肌だと気づいた。

 

「ISの準備をお願いします。担任の先生から説明を受けていると思いますが……」

「あの信号灯が青になったら出撃ですね」

 

 桜はうなずいてから標準語で答える。カタパルトならば時間になれば自動的に射出される。だが、露天デッキにそんな設備はない。観覧席上部にちょうど野球場のバックスクリーンと似た壁が設置されている。打鉄をまとった簪の凛々しい立ち姿や打鉄零式の禍々しい姿を映し出している。ナタリアの発案とはいえ、中指を突き立てたのはやり過ぎだったと後悔している。壁の最上部に青・黄・赤の信号灯が設置されており、交差点の信号と同じ役目を担っていた。

 ――今は赤色や。

 もう一度露天デッキの縁に手をかけ、身を乗り出す。柘植研究会のISがフィールドに散った金属片を回収している。零落白夜の攻撃によって甲龍(シェンロン)の装甲が一部剥離(はくり)したためだ。今ごろ対岸のIS格納庫では応急修理がなされているだろう。

 桜は露天デッキの真ん中に移動する。色黒の少女が桜の動きを目で追った。

 

「あっ。うっかりしとった」

 

 桜は額の鉢巻きに手を触れ、つなぎ姿の少女を呼んだ。風が強いので大きな声で間延びした言い方を使う。少女は弾かれたような動きで桜のもとに駆け寄る。風が強いので近くまで寄らなければ声の聞き取りが難しいためだ。

 桜は額に巻いた日の丸の鉢巻きを外した。つなぎ姿の少女の名前がわからなかったので上級生とあたりをつけ、無難に先輩と声をかける。

 

「これをピットにいる連城先生に渡してください。緊張していて、うっかり外すのを忘れていました」

 

 額に風があたる。桜は少女が鉢巻きをポケットに突っ込むのを確かめ、にっこりとした。

 桜は頭を下げ、楚々とした雰囲気を放つ。年上であるはずの少女は、桜が急に大人びた顔つきになったことに目を丸くする。弓削や真耶と年頃が変わらない雰囲気なので、つい教師に対するような返事をしてしまった。

 

「よろしくお願いします」

 

 そういって、桜は少女が十分に離れたことを確かめてから打鉄零式を実体化した。桜の周囲に無数の黒い糸が出現する。体に巻き付いていき、一瞬のうちに禍々しい姿に変わる。清らかな雰囲気を身にまとっていた少女の面影が消えていた。

 目視の距離感を狂わせる幻惑迷彩。レーダーユニットの赤い輝きが血涙を流すさまを思い起こさせる。さらに浮遊装甲を実体化すると、最初から実弾装備を搭載していた。

 蜂の巣の断面を思わせる多目的ロケットランチャーの筒が長くのびて目立った。あまりの存在感に単砲身のチェーンガンや一二.七ミリ重機関銃の存在が影に隠れてしまっている。

 両手には何も装備していない。その代わり研がれた刃物のような指先が鈍い輝きを放った。

 

「行こか。勝ち続ければ全員分の食事が手に入る」

 

 フィールドの掃除が終わったのか、信号灯が青色に変わった。

 

 

 


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