IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

21 / 82
※注記※
今回はセリフの一部を原作から引用しています。


某国の密偵疑惑(十一) 掲示

 ビットの不規則な動きはとても厄介だった。一組のクラス代表決定戦の際にも、当たり前のように死角からの攻撃を採用したセシリアの辞書に情けや容赦という言葉はなかった。

 

「わわっ……危なあ」

 

 はじめはレーザービットを水平に配置してから一斉射撃を行った。次に垂直方向へ配置して射撃を続けた。セシリアは水平、垂直の順番を何度も繰り返し、あえてパターンを作って桜の頭を順応させた。そして回避が慣れてきたところを狙ってパターンを崩した。

 その直後、ISコアがセシリア自身も含めた三方向からの射撃を警告する。桜はスターライトmkⅢから放たれた極太レーザーから逃れるため、丹田を軸に体を倒した。スラスターの噴射とPICを利用してコの字に回避行動をとる。セシリアはこの動きを予期していた。スターライトmkⅢの砲口から閃光が発した瞬間を狙ってビットを波状に繰り出す。桜の進路上に次々とレーザーを射出し、立て続けに被弾させることに成功した。

 学内ネットワークのサーバーが打鉄零式のシールドエネルギー残量を瞬時に弾き出す。桜はその値を見るや()頓狂(とんきょう)な声をあげてしまった。

 

「こんなに減るんか!」

「あら。至近距離でレーザー兵器を喰らえばそれぐらい減りますわよ」

 

 驚いたことに打鉄零式のシールドエネルギーが三割以上減少していた。

 セシリアは上品な笑顔を浮かべ、淑女らしい気品を漂わせた。余裕を絶やすことなく柔和な表情を見せつける。彼女は表情を崩すことなくサーバーから提示された損害状況を確認した。レーザービット一基の出力が六割まで減少している。一夏の射撃に偶然被弾した他の一基は出力三割まで落ちている。思ったより被弾率が高かった。

 ――誤算ですわ。

 打鉄零式の武器は今のところ、一二.七ミリ重機関銃一挺だ。桜は一般生徒にもかかわらず、射撃の命中率がおそろしく高かった。

 しかもレーザービットのロケットエンジンの外殻に被弾が集中しており、一夏のようなまぐれ当たりではないと結論づける。空中戦は互いの位置が目まぐるしく変わる。破れかぶれに撃ったのであれば被弾場所にばらつきが生じるものだ。

 ――さすがはクラス代表ということなのかしら。

 さらにPICを利用した方向転換などの基本的な操縦技術に長けている。操縦ミスをしてもすぐに立て直す。一夏や箒、留学生をのぞいた同じ一組の生徒と比べて技量の差があまりにも隔絶している。

 ――死角からの攻撃がかすりもしないなんて……。

 だから罠にかけた。

 搭乗時間を考慮すれば、一夏の操縦技術は他の生徒とくらべて頭ひとつ飛び抜けている。それでもなお技術の完成度が甘く、一夏は一度崩してやれば簡単にボロを出すので御しやすかった。視野の狭さや操縦の不安定さを突けばセシリアの勝利はたやすい。

 ――気に入りませんわ。演習モードを差し引いたとしても、実技試験くらいしかまともな戦闘経験がないくせに、どうしてそんなに落ち着いていられますの。

 桜は被弾した事実よりもむしろシールドエネルギーが大きく減少したことに驚いていた。普通は被弾を怖がる。生身で被弾した場合、実弾なら良くて挽肉だ。レーザー砲撃ならば炭化か蒸発する。IS学園に合格する力があるのだから、その程度の想像力を持ち合わせているはずだ。

 ――引っかかりますわね。

 留学生同士の交流の場でナタリア・ピウスツキが「メガモリは素人に見えない」と話していた。総搭乗時間を話の種にして周りを驚かせていた。そのくせ三組といえば毎回鬼ごっこに興じている。桜に至っては操縦訓練と壁に向かって素振りばかり取り組んでいる。三組に注意を向けているのは本音ひとりだった。

 ――弓削先生がつききりで教えた? あんなに忙しそうにしているのにありえないですわ。

 ピットに行けば、確かに三日に一度の割合で弓削の姿を見かけた。彼女は熱心な指導者なのかもしれない。だが、毎日真耶の忙しそうな姿を目にしている。同じ立場の弓削も似たような状況だと考えるのが自然だろう。さらに、二組の担任である連城はIS搭乗資格を持たなかった。実技指導の負担は弓削に集中しているはずだ。

 ――特待生で専任搭乗者。機体はあのとおり曰くつき。

 ナタリアがほらを吹いていると思っていた。実際に戦ってみると玄人はだしの腕前だ。始業式の頃、実技試験で真耶を追い詰めて本気を出させたといううわさを耳にしていた。三組の練習風景を目にして眉唾だと決めつけたのは時期尚早だったのか。

 ――彼女の技量はこれから見極めていくとして……。

 セシリアはいったんビットを自機の周囲に集めた。桜との会話を個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)に切り替える。開放回線(オープン・チャネル)のままでは一夏や箒に自分の思いを悟られる懸念があった。

 

「あなたも一夏さんに手を出そうとするなんて、いったいどういう了見ですの」

「さっきも言うたんやけど、どうしてそんな解釈になるんや」

 

 桜は空中で浮遊しながら胡乱(うろん)な視線を向けてくるセシリアを見やった。互いの距離は約一〇メートルほど離れている。ISに乗ってしまえば至近距離である。

 桜はセシリアの誤解を解くことが先決だと考えた。嫉妬の矛先を向けられてはかなわないと思ったからだ。

 

「私は織斑に手を出すつもりはない」

「それを信じろ、とおっしゃりますの」

「信じるも何も最初からそんな気はあらへんわ」

「布仏さんがいるのに。男性と仲良くしようとして……。パートナーはひとりで十分でしょう」

 

 櫛灘が流したうわさを頭から信じきっているのか、セシリアはとげのある発言をやめなかった。そのくせ表情だけはいかにもお嬢様然としている。

 彼女の言い方が妙に気になった。うわさを正しいものとして彼女の発言を聞くうちに、なんだか自分が二股をかけているような気分になる。桜は困ったと言わんばかりに眉根を寄せ、口をへの字に曲げた。二度の生を経験したが、恋愛を経験したことは一度もなかった。

 

「なんやの。私と本音が付き合っとるような()(ぐさ)やないか」

「あら……違いまして?」

 

 セシリアがきょとんとしている。目を丸くして、すぐさま追い打ちをかけるように状況証拠を並べた。

 

「人目を気にせずいちゃいちゃしていましたのに。櫛灘さんがおっしゃっていましたわ。すでに寝所を共にしている、と」

 

 桜はうわさがひとり歩きしていることを知ってはいた。改めて他人の口から聞くと破壊力があった。桜の認識では本音が積極攻勢を仕かけているが、うまい具合に軽く流しているというものだ。

 ――私はつれない態度をとっとるつもりや。

 腕を絡めたり、体をくっつけるなどの積極攻勢によって、桜の態度がただの照れ隠しではないか、という見方が存在した。櫛灘の見解では限りなく真実に近いものと認知されていた。

 本音が置かれた状況を改善しようと楯無が間接的に櫛灘への懐柔を試みていた。今のところ実を結んでいなかった。それどころか本音が部屋を訪ねたことを契機に、うわさの内容に変化が生じ、楯無自身も巻き込まれつつあった。

 

「寝所を共にって……そもそもルームメイトなんやから一つ屋根の下になるのは当然や」

「そんなお子さまのような意味で言ったつもりはありませんわ」

 

 セシリアは真顔でじっと見つめ、さも当然のように告げた。桜は大人同士の「寝る」ことだと理解した後、強く呼びかけられるまでぽかんとした。我に返るなり心臓の上に手を置いて深いため息をついた。

 

「そっちの寝所か……」

「どちらの寝所だと思っていましたの」

 

 桜は必死にとぼけようと試みた。セシリアの的確な指摘によって失敗に終わった。

 

「わたくしは別に女同士がいけない、とは言っていません。二股がよくないと申しあげているのです」

 

 セシリアは咳払いしてから、したり顔になって人差し指を左右に振った。自分は正しいと信じきっている顔だった。

 聞く耳を持たないセシリアに、桜はうんざりとしながらも根気よく説得を続けた。

 

「本音とはそんな関係やあらへん。ほんまや」

「周りの目を気にしているのですね。わかりますわ。その気持ち。わたくしもそうでしたから」

「……も?」

 

 桜はものすごい発言を耳にしたような気分になった。セシリアは演技がかった動きで両手を広げたかと思えば、心臓を愛おしむように手を丸めて重ねた。そして恋愛の熱に浮かされたような顔つきに変わる。

 

「布仏さんの気持ちはよく分かります。別に見せつけたいわけではありませんの。好きな人と一緒にいるときはいつであろうと、どこであろうと愛を(ささや)きたいだけですわ。たまたま周りの目があるだけですわ。初々しいから目立ってしまうのです。メガモリさん。あなたにもそんな経験があるでしょう?」

「……いや、今まで一度も」

 

 桜は口をすぼめ、否定を示すべく右手を左右に振った。

 そんな経験があったら死ぬ間際に「嫁がほしい」などとは言わない。桜はだんだん決まりが悪くなってきて目を伏せた。

 セシリアはその様子を好機と捉えた。口の端を軽くゆがめて意地悪な顔つきになる。そして桜が顔を上げる前に元の表情に戻った。互いの目が合うタイミングを図って、あえて大げさに驚いてみせた。

 

「まあ。意外ですわ。()()()!」

「ちゃうわ!」

 

 桜は()()と決めつけられた気がして激しく否定する。男女交際の経験がなくとも童貞を捨てることは可能だった。

 

「ちゃんと女とやった経験あるわ! あっ……これちゃうから。ちょこっと意味ちゃうから」

 

 セシリアにあおられて、桜はつい作郎時代のつもりで叫んでしまった。セシリアのにやけ面を見てあわてて訂正するも手遅れだった。個人間秘匿通信だったのがせめてもの救いだろう。

 桜はしどろもどろに弁明するよりもむしろ、セシリアの発言の揚げ足を取って話題を逸らそうと考えた。

 

「西洋人形さんやって、さっき『わたくしもそうでした』と言ってたやろ。もしかしてあんたも」

「ええ。そういった時期がありましたの。あの頃はもっと純粋でしたから」

 

 桜は攻めあぐねた。もしセシリアが失言をあわてて否定するような言動をみせれば畳みかけて判断力を奪うことができた。しかし、落ち着いて肯定したので桜は聞き役にまわらざるをえなくなってしまった。

 

「過去形か。彼女とは終わったん?」

「きれいに終わりましたわ」

 

 セシリアが悲しげに微笑んだので返す言葉が見つからなかった。

 

「ですから、今は新しい恋に生きていますの。あなたと違って」

 

 セシリアが一夏を意識して狙っていることは一連の態度を見れば明らかだ。過去に女性と交際、少なくとも好意を抱いていた事実を認めたうえで立場の違いを強調してきた。セシリアに対して過去の恋愛をばねにしているかのような印象を抱いてしまった。

 桜は自分の失言にほぞをかむ。いとも簡単に墓穴(ぼけつ)を掘った自分が憎らしかった。

 桜が悔やみながらも次の手立てを思いつく前に、セシリアは晴れやかな笑顔を浮かべて言葉を継いだ。

 

「それからご安心なさってください。先ほどの発言を誰かに言いふらしたりするつもりはありませんわ」

 

 桜はセシリアの態度が、どことなく田羽根さんと似ている気がしていた。田羽根さんは何かあるとすぐに桜の足もとを見る。自分が優位となるように交渉する。セシリアの口調や仕草に同じ臭いを感じとった。

 彼女はとても上品な雰囲気を漂わせている。田羽根さんとは比べものにならないほど好印象を抱いた。しかし素直に心根が純粋と思いこむのは早計だと感じていた。

 突如としてBT型一号機のスラスターから噴射音が轟く。機動力が最も低下したレーザービット一基は浮遊砲台とした。残る三機を下部、そして両翼へ扇を広げるように展開し、打鉄零式へ照準を合わせる。さらに瞬時加速で一気に差を詰めた。桜の腹にスターライトmkⅢの砲口を押しつけた。

 一方、桜はすぐさま一二.七ミリ重機関銃を構えた。腕の伸縮機構を利用してセシリアの左胸に銃口を押しつける。彼女の乳房の形が変わるのも気にしなかった。

 互いに零距離射撃がいつでも可能な状態である。セシリアは一夏や箒から背を向けるようにその場で踊るような動きで互いの向きを入れ替え、わずかではあったが底意地の悪い雰囲気を漂わせている。

 

「……もちろん、無料(ただ)ではありません。おわかりになっていると思いますが」

 

 セシリアがホホホと笑う。

 ――真っ黒や。

 桜はその腹の中をのぞいた気がした。

 

 

 篠ノ之箒は突然の訪問者の扱いに困っていた。

 (ファン)鈴音(リンイン)。一夏曰く、セカンド幼なじみである。彼女は一〇二五号室へ押しかけるや箒に向かって、突然「部屋を替われ」と言い出したのである。

 いきなり替われ、とは乱暴な話だ。よく見れば足もとにボストンバッグが置かれていた。中にはきっとお泊まりセットが用意されているだろう。しかも入浴済みらしく、石けんのさわやかな匂いが鼻孔をくすぐった。

 

「私の一存では決められない」

 

 箒は眉根を寄せていかにも不機嫌そうな雰囲気がにじみ出ていた。無理な要求を突きつけて逆上させようという見え透いた交渉術を駆使する鈴音をにらみつける。百歩譲って「泊めてくれ」ならまだ納得がいく。実際、他の生徒の部屋に泊まる者も出てきている。どうやら寮監の千冬が黙認している節がある。今回のように波風が立つようなやり方はどうかと思った。

 さらに言えば鈴音の言い方が気にくわなかった。「一晩部屋を交換しませんか?」ではなく「あんたに一夏の隣はふさわしくないのよ。彼の隣はあたしのものだから去りなさい」というメッセージだと解釈していた。

 箒は腹の中で鈴音への対抗手段を練りながら、彼女に怒りのまなざしを向け続けた。

 鈴音は箒に構わず愛想良く笑っていた。

 

「いやぁ、篠ノ之さんも男と同室なんてイヤでしょ? 気を遣うし。のんびりできないし。その辺、あたしは平気だから替わってあげようかなって思ってさ」

 

 あくまで友好関係を取り繕うつもりらしい。

 ――いけいけしゃあしゃあと……。

 鈴音の見え透いた態度に、箒は今にも激高しようとする自らの心を律することに努めなければならなかった。腕を組んだまま彼女と対峙する。表情筋だけで笑っているのがよく分かる。箒は眼光を鋭くして威圧を試みたが、目的のためには手段を選ばない女の前には効き目がなかった。

 一方、本日二度目の修羅場を前にして一夏は再び肝を冷やしていた。どっちつかずの態度を取れば一方に角が立ち、沈黙すれば自分のせいにされる。どちらに転んでも理不尽な仕打ちが待っているのだ。できることならこの場から一刻も早く逃げだしたかった。

 一夏はほどなく名案を思いつき、お茶を取りに行くという口実を作って席を立った。冷蔵庫に麦茶とミネラルウォーターが入っている。それに来客時にお茶を出すのは一夏の仕事と決まっていた。箒のほうがどっしりと構えているため、気がついたら暗黙の了解が成り立っていたのである。

 

「この部屋を明け渡すつもりはない。それにだ。私と一夏の問題だ。部外者に首を突っ込んでほしくないのだ」

 

 箒は声音を低く抑え、できるだけ感情を消した。我を忘れて不用意な発言をすればたちまち足もとを見られて立ち退きに応じたことにされかねない。また、初恋の相手と同居という好機を逃す手はない。好いた男と一緒にいられるのだ。さすがに本音のような強引な手段の採用は気が引けた。それでも幼なじみの垣根を超えて、より親密な関係になるには良い機会だと捉えていた。

 ――断固としてこの部屋に居座らせるものか。

 実のところ、鈴音の要求を突っぱねなければならない切実な理由がほかにあった。

 ――この部屋は私が寝起きしたばかりに霊が集まりやすくなってしまった……。

 奥から冷蔵庫の扉を開ける音がした。箒は音に気を取られたふりをして、扉のほうへ視線を滑らせる。そこには紺色の旧海軍第一種軍装を着用した佐官が椅子に腰かけていた。足があっても全身が透けている。彼は毎日決まった時間になるとぼうっと横須賀基地の方角を見つめた。そして決まった時間になると去っていくだけなので実害はなかった。

 はじめは、てっきり桜の血縁者だとばかり思っていた。桜曰く海軍関係者の最終階級は大尉だという。少尉のときに特攻で死んだと話しており、桜とは無関係なことが判明している。

 ――余計に怖がらせるのであえて言わなかったのだが……。

 学園のそばに寂れた漁港がある。学園島はその昔海軍の特攻基地があった。殉職者はひとりやふたりで済まなかっただろう。先日、地元の商工会議所を訪ねたら戦跡巡りのチラシをもらった。史跡の説明文に墓石の数が記されていた。足し算の結果、学園島付近で一〇〇〇名以上の者が非業の死を遂げていたのである。

 

「大丈夫。あたしも幼なじみだから」

「だから、それが何の理由になるというのだ」

 

 鈴音は箒と同条件だから、という理由で一夏と寝所を共にしてもよいと言い張った。今のメッセージは一夏に聞かせるためのものだろう。「ああ。そうだな」と同意の言葉を引き出すのが目的だ。その発言を根拠に攻勢を強めてくるはずだ。

 鈴音は相変わらず表情筋だけで笑っている。「朴念仁をいつまでたっても振り向かせられないあんたの役目は終わったのよ」と心の中で毒を吐いているに違いない。

 箒は圧力に屈するものかと息巻いてから、鈴音と旧海軍の佐官とを見比べた。

 ――言ってやりたい。すぐそばに霊が座っている、と。

 一夏がおそるおそる顔を出す。机に麦茶のボトルと人数分のグラスを置いた。そして鈴音のボストンバッグを話題にしていた。

 すぐさま鈴音は軽やかな足取りで箒の(ふところ)に潜った。そしていかにも人懐(ひとなつ)っこそうな笑顔で見上げる。

 

「とにかく、今日からあたしもここで暮らすから」

「ダメだっ。出ていけ! ここは私の部屋だ!」

 

 なし崩し的に居座ろうとする鈴音から距離を取るべく一歩下がり、両手を広げて語気を荒げる。箒はチラと扉のほうを見やった。

 ――増えた。佐官ばかりだ。全員酒瓶を抱えている……花見のつもりだろうか。

 しかも箒や鈴音を認識しているらしく、しきりに手招きしてくる。彼らは濁り酒をお猪口(ちょこ)に注いで、恐ろしい勢いで飲み干していく。しかも未成年は飲酒禁止というルールを理解していないのか、お酒を勧める、勧めないと言って騒いでいる。コーペルやボディナイス、ブルームなどの隠語が飛び交っていた。箒は意味が分からないとばかりに怒りの表情を向けた。

 

「一夏の部屋でもあるでしょ? じゃあ問題ないじゃん」

「俺に振るなよ……」

 

 一夏の鈴音の鋭い視線から逃れようと悩ましげに眉を寄せる箒の顔色をうかがった。怒っているな、と思ったが、口にする勇気を持ち合わせていなかった。

 

「とにかく! 部屋は替わらない! 出ていくのはそちらだ! 自分の部屋に戻れ!」

 

 竹刀を振り回して追い払ってやりたかった。だが、手を出してしまえば鈴音の思うつぼだ。彼女は腹の中でほくそ笑みながら、暴力を振るった(とが)で追い出すつもりなのだ。箒は自分が不利になるようなまねを避けたかった。

 ――こんな霊のたまり場に置いてはいけない!

 だから箒は声を大にする以外の手段がなかった。鈴音はもちろん、勝手に酒盛りを始めた霊たちに向けて激しい口調で主張を伝えようとした。それでも鈴音や霊たちに思いが通じた気配はない。

 

「ところでさ、一夏。約束覚えてる?」

「む、無視するな! ええい、こうなったら……」

 

 ――いっそ暴露(ばくろ)してしまうか。いやいや、そんなことをすれば一夏まで出ていってしまう。どうすればよいのだ!

 箒は話が通じない鈴音を前にして頭を抱えたくなった。逆上し、大声を出す自分の姿が悪者のように思える。一夏がもし鈴音の肩を持つような発言をすれば、箒には打つ手がなかった。それに霊が集まっていると口にしたら正気を疑われるだろう。「あなた、憑いてますね」と告げるのは簡単だ。だが、鈴音が信じてくれるとは思えなかった。

 

「……悪霊退散? 部屋の雰囲気に合わないわよ」

 

 鈴音は上目遣いで一夏を見上げ、壁に貼られた御札に気がついた。洋風の内装とあまりに不釣り合いだった。一夏に昔の約束を思い出す時間を与えるつもりで、壁際に歩み寄るなり、背伸びして御札に手を伸ばした。

 

「り、鈴。……それは」

 

 一夏は御札をはぎ取られるのではないか、という激しい焦燥感に駆られた。小学校の頃、箒が御朱印を書く練習をしていたことを覚えていた。だから桜の幽霊騒ぎの翌日に頼み込んで書いてもらったのだ。あの騒ぎよりも前から箒の周囲に黒いもやもやが漂う光景を目にしている。騒ぎの前はストレスによる目の錯覚とばかり考えていたが、最近はそうではないと確信するにいたっていた。

 鈴音の指先が御札の端に触れる。

 

「鈴!」

 

 一夏はあわてて鈴音の背後に駆け寄り、机に置いたボトルやグラスを脇に避ける。逸る心を抑えながら鈴音をやんわりと注意した。

 

「待て。その御札にはさわるな」

 

 一夏は力を込めないよう、左手で鈴音の手首を軽くつかむ。御札が破れて何が起こるか予測ができなかったので、右手で彼女の指を一本ずつ優しくはがそうとする。

 

「いいな。絶対にさわるなよ」

「何よ。声が怖いわよ」

 

 一夏の声がわずかに震えている。鈴音は違和感を抱き、その場で顧みて彼の表情を探った。指の力を抜けば一夏も力を緩めた。そのまま後方で思案に暮れる箒を振り返ってから、すぐに顔を戻す。

 

「御札なんて効果があるかわからないじゃない。むしろ、あたしと一緒のほうが心強いわよ」

 

 御札に固執する一夏に向かって断言した。彼は理解を示すように何度かうなずき返したが、やはり恐れを抱く態度に変化はなかった。こんなに信心深かったっけ、と鈴音は不思議がった。一年やそこらで何があったのか。

 

「とりあえず御札の話から離れよう。……で、何の話だったっけ」

 

 一夏は鈴音から手を離した。そのとき、彼女の顔から寂しがるような切なさを感じ取った。それも一瞬のことで、ふたりに背を向けるやグラスに麦茶を注いだ。結露した水滴が指先を濡らす。三人分注いで、鈴音、箒の順番で手渡していく。

 自制心を失ってアリーナのような事態になるかもしれなかった。一夏は箒がグラスを受けとる間、彼女の顔をじっと見つめる。理不尽な怒りを向けられる兆候がないことにほっとしていた。

 

「すまんな」

 

 箒は麦茶を飲み干す。グラスを流しに置こうと冷蔵庫に向かって歩いていった。途中で海軍の亡霊に酌を求められたが、無視して通り過ぎた。霊などいない。それが事実のように振る舞わなければきっと彼らは不安がるだろう。そして酔っぱらいの相手をする暇はなかった。

 グラスを置き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだそうと考えて扉へ足を向ける。ふと、ドアが開いて隙間が空いていることに気づいた。

 箒は額を手に当て、大きくため息をついた。

 

「お前たち……」

「しのののさーん。修羅場? 修羅場ってさ。どうなった?」

 

 隙間から櫛灘のはしゃいだ声が聞こえてくる。おそらく相川もいるだろう。鈴音が来たので、いつでも退室できるよう鍵を開けたままにしていた。まさか外から盗み聞きされているとは思いもしなかった。

 箒は扉を半分開け、野次馬たちに冷ややかな視線を浴びせかけた。

 ――櫛灘、相川、布仏、谷本、鏡、夜竹……佐倉までいる。

 箒は最前列にいた櫛灘を見つめる。彼女は満面の笑みを浮かべていたのであえて無視することに決め、次に桜を見やった。

 

「さっきお隣の櫛灘さんに誘われてな。めっちゃおもし……大変ことになっとるって。あっ、今」

 

 乾いた音が聞こえた。後ずさった一夏が頬を押さえていた。状況を把握できないのか呆けた顔つきをしている。どうやら一夏が墓穴を掘って自滅したらしい。続いて鈴音が早口で一夏の鈍感さへの不満をぶちまける。最後に捨て台詞を言い放った。

 

「犬にかまれて死ね!」

 

 

 四月末日の朝。

 連休前日のため、学園中に浮ついた雰囲気が漂っている。生徒はもちろん教員も連休の予定を気にして、自然と口元がほころびがちだった。

 

「うわっ。あの集団はなんや」

 

 桜が驚いて生徒出入り口に向かって指を差した。なにか重大発表が掲示されたのは間違いない。混雑のあまり、背伸びしてみても文字が小さくて判読ができなかった。しかたなく人混みをかき分けて前に進む。ようやくたどり着いた先には「クラス対抗戦日程表」と書かれた張り紙があった。試合開催は五月中旬から下旬にかけて、場所は第二アリーナである。

 

「最初の相手は四組か」

 

 クラス対抗戦は総当たり形式である。最も勝率の高いクラスが一位となり、半年間デザートフリーパスを得ることができる。最下位になれば部室棟の掃除が待っている。

 第一試合は一組対二組だった。

 

「一組代表、織斑一夏。使用ISは白式。二組代表、凰鈴音。ISは甲龍。三組は……私の名前やな。ISは打鉄零式。四組は更識簪。ISは打鉄」

「四組だけ訓練機なんだね」

「結局間に合わなかったんやな……」

 

 桜は堀越との雑談の内容を思い出していた。堀越が上機嫌なとき、自社の他の製品について当たり障りのない範囲で情報を提供してくれる。打鉄弐式絡みで最近耳にしたのが「菊原さんが提案をしぶしぶのんでくれた」というものだ。

 

「桜ったら。倉持の人から何か聞いているとか?」

「弐式はなあ。零式と織斑の白式を作った実績があるから、機体の設計開発には困らなかったらしい」

「何か問題があったの?」

 

 倉持技研には打鉄弐式の開発と並行して誘導兵器開発のノウハウを手に入れる目論見(もくろみ)があった。もちろん四菱や他企業のミサイルシステムをライセンス生産で導入する案もあった。だが、事業拡大のためにあえて自社開発に踏み切ったのである。

 ノウハウも無しに手探りで開発を進めれば当然壁にぶつかる。打鉄弐式は誘導兵器の発射装置を機体や非固定浮遊部位に内蔵させる予定だったため、見事に足を引っ張る形になってしまった。悪いことは続くもので、もうひとつの目玉武装「春雷」も砲身寿命に関する技術的な問題を克服できなかった。仕方なく一型として割り切った設計に変更せざるを得なかった。

 

「武装が……。兵器開発の現場ではよくあることや。白式を見てみい。あんなストイックな機体だってあるんやし」

「新機軸を盛り込もうとしたとか」

「当たり。朱音。ようわかったな」

「新しいことには失敗がつきものだってよく言うでしょ」

 

 山嵐が自社開発となった理由はマルチ・ロックオン・システムにあった。四菱のミサイルシステムは一対他よりも多対多の運用を考慮して設計されていた。マルチ・ロックオン・システムは今のところ、どの企業も研究こそすれ、開発には成功していなかった。実際には四菱のような考え方が主流を占めていたことが大きく、有用性を疑問視していたのである。

 

「ISって相性さえ良ければ何でも搭載できるんじゃなかったっけ?」

「そうやろな。零式も貫手以外の近接武器を搭載できるとか言っとったし。白式の剣は無理やけど、対複合装甲用超振動なんちゃらも使えるんやって」

「貫手ってただの物理攻撃じゃん」

「そうなんやけど。毎回人体に向けるなってうるさいんや。堀越さんなんか貫手があればほかの近接装備はいらへんって豪語しとったし」

 

 そして自社開発に踏みきったもうひとつの理由。倉持技研はある斬新な誘導兵器の開発に成功していたのである。

 その名もヴァル・ヴァラ。ブーメラン型ミサイル、または手裏剣型ホーミングブーメランとも呼ばれている。

 呼称から明らかなように戻ってくるブーメランと形状が酷似している。目標を失探すれば、まるでブーメランのようにミサイルが手元に戻り、目標の再設定や再攻撃が可能である。研究試作中の試験において戻ってきた弾頭なしブーメランをISがつかもうとして、マニピュレーターが粉々に破壊されてしまったことがある。

 幸いなことにマニピュレーター側の強度を劇的に高める技術を開発することにより問題解決に至ることができた。

 

「マニピュレーターが特製らしくてな。何があっても絶対に砕けないようになっとるんやって。堀越さんの恩師が設計したから言うて太鼓判を押しとった……誰やったっけ。ええっと名前が思い出せん」

「有名な人なの?」

「業界では有名人らしいわ。ちょこっと待って。思い出せそうなんや」

 

 ヴァル・ヴァラは強化型マニピュレーターを搭載したISでなければ使用不可能だった。能力を最大限に発揮するためには、従来の機体に対して人間の背骨に相当する内部骨格(インナーフレーム)に対して大幅な改修を施さなければならなかった。

 改修にかかる費用を見積もったところ、機体を新規開発したほうが安価だと結論づけられた。そこで次期主力ISとその試験機への搭載が決まったのである。

 打鉄零式は強化型マニピュレーターを搭載した最初のISである。このときに得たノウハウが打鉄弐式にも生かされている。残念ながら白式は強化型マニピュレーター搭載計画が発表されるよりも早く、機体の開発が終了してしまったため搭載を見送った。

 

「弐式は本命の武器が完成するまでの間、代替武器で専任搭乗者に受け渡しするみたいなんや」

「それでここ最近の簪が渋い顔ばかり見せるんだ」

「……やっぱりかあ。実はな。曽根さんが止めてくれんかったら、私が代替武器を使う可能性があったんやって」

 

 堀越は当初、この珍妙な兵器を打鉄零式に搭載しようと画策した。四菱から派遣された協力社員一同がこの動きを阻止。炸薬重量が最大約六〇キロもあることから、扱いには慎重を期する必要があった。そこでISの扱いに慣れた者でなければ運用が難しいとの観点から打鉄弐式の専任搭乗者に白羽の矢が立った。

 

「この話に触れると堀越さん、ほんまに悔しそうにするんや。どうも代替武器の開発に携わった時期があって思い入れがあるんやって」

「それならこだわるのもしょうがないか」

「あっ……思い出したわ」

「誰なの」

千代場(ちよば)博士や。ちょばむ……やなくて千代場(ちよば)(たけし)。知っとる?」

「全然知らない」

 

 ヴァル・ヴァラ開発に携わった者たちは量産化への野望を諦めていなかった。特にヴァル・ヴァラ、そして強化型マニピュレーターの設計開発で陣頭指揮をとっていた千代場博士とほか数名の動きが執念じみていた。彼らは自社の新人歓迎会に参加し、(したた)かに酔った菊原の口から「考えておく」という言葉を引き出すことに成功する。その後、正式な提案を行うに至った。

 結局、千代場の根回しが功を奏した。菊原は上層部から早く専任搭乗者に機体を渡すように強く言われた。菊原が折れる形で山嵐の代替装備としてヴァル・ヴァラが暫定採用されてしまった。その後、菊原から打鉄弐式の引き渡しが六月中に決定したと更識簪に伝えられている。

 なお、打鉄弐式の武器リストには貫手が存在しない。もともと白式(打鉄壱式)用に開発された対複合装甲用超振動薙刀「夢現」の流用が決定事項となっており、設計段階で腕が伸びる構造は不要と判断された。

 

「更識さんは使い慣れた機体で出てくるんやろ。ベテランをなめてかかると怖いから気いつけんとな」

 

 朱音は思わず桜の顔をのぞきこんでいた。

 ――ああ。やっぱり。

 朱音が予期したとおりの答えだった。約一ヶ月の間行動をともにしてわかったことは、桜は勝負事が絡むと決して敵をあなどらない。それどころか脅威に感じているかのような物言いをすることだ。

 ――オルコットさんと遜色のない動きをするのに。

 口元が軽くゆがんでおり、わずかに歯をのぞかせている。緊張しながら「半年間定食フリーパスのためにがんばる」というおかしな宣言をしたことを思い出した。

 ――こんな子、ほかにいないだろうな。

 朱音が見つめていると、桜はどこか遠くを眺めるかのような目つきに変わった。

 

「朱音。信じてくれんと思うけど、技量が高いとな。性能の限界を超えてくるんや。昔、ほんまの名人たちを見たとき、私は恐れおののき、こう思った」

 

 桜はかつての先輩たちの姿を思い浮かべていた。

 

「この人たちが味方でよかった」

 

 首をかしげた朱音を置いて、桜は踵を返した。再び人混みをかき分けて教室に向かった。

 後ろから朱音の戸惑った声が聞こえる。桜は無我夢中だった真珠湾の潮風と油臭さを思い出しながら独りごちた。

 

「ほんでもって、みんな逝ってしもうた」

 

 

 




極一部の人にしかわからないネタを仕込んでしまい大変申し訳ありませんでした。

これにて「某国の密偵疑惑」はおしまいです。次回から新章です。
以前活動報告にてお知らせしたとおり、次章投稿開始まで期間をあけます。
よろしくお願い致します。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。