IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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少し長くなったのでキリの良いところで二分割しました。


某国の密偵疑惑(八) 事情・上

 一〇二六号室。壁際に配置された机に向かい、顎をやや上向けた壁に一枚の御札が貼られていた。

 悪霊退散。

 高級ホテルと見紛うほどの内装とはあからさまに不釣り合いの文字だ。この部屋を訪れた者は、御札を見るやそろって顔をしかめる。事情を知る者は限られており、知っていたとしても超常現象や迷信の類だと片付けてしまいたくなる。だが、少なくとも二人の居住者にとって御利益があるものとされていた。

 この部屋の住人である本音は同じくIS学園に在籍する姉に対して「暗部に言霊(ことだま)を検証しているグループが存在していたと記憶している。その研究成果について何か知らないか」と質問したことがある。言霊と書けばオカルトのような響きがある。しかし霊的な何かを追い求めてはいなかった。社会に対して言語を用いた印象操作を研究するグループで、表向きは広告代理店ということになっている。最近は広告代理店が好調なので、研究よりもむしろ隠れ蓑のほうに精を出していた。本音はこの質問に現状を打破するささやかな期待感を抱いていたのか、実態を聞いた途端肩を落とした。姉はさすがに心配になって妹の愚痴を聞くなど親身に接していた。

 もうひとりの住人である桜は、本音の前で机に課題とノートを広げている。数式と関数電卓を交互に見てはあーでもない、こーでもないとしきりにうなっていた。頭をひねりながら何度も関数電卓をたたく仕草からしてことから、どうやら課題の計算手順を誤ってしまったらしい。手計算の結果に食い違いが発生している事実への原因究明に取り組んでいたのだが、どうにも解決手段が思い浮かばない。仕方なく、同じ課題に取り組んでいた本音に助言を求めた。

 

「ここなんやけど、計算が合わへんの」

「あっ。そこはね……」

 

 桜の目から見て、ルームメイトの本音は少々変わった性癖に目をつむれば、気立てのよいほんわかとした女の子である。出会った初日にやらかしさえしなければ、彼女が時折見せるわずかなぎこちなさが消えていたのかもしれない。

 ――ぎこちなさと言えば。

 本音の指先が目に入った。彼女は普段から手首から先を隠したがった。この時は腕まくりしていたので、桜が注意を払って見つめると、彼女の指先には古傷とおぼしき裂傷の痕跡(こんせき)が残っている。

 本音はときどき学校説明会で見かけた警備員たちのようなしぐさをする。

 ――数十年も経過すればいろいろ混ざるんやろな。

 ISで取っ組み合いをすることがあるので、対人格闘技を習っておいて損はない。本音の腕前はかなりのもので、桜は実際にいとも簡単に組み伏せられて痛い思いをしていた。

 ――本人はもっと痛い目をしたんやけど……。

 物理的にではなく精神的なものだ。桜のちょっとした勘違いが発端なので同情の余地があった。

 この状況を作り出した犯人、すなわち一〇二七号室の櫛灘のことを、本音はこっそり「デビル」というあだ名を付けていた。もちろん良い意味ではないのだが、本音の被害者意識からすれば妥当(だとう)な呼び方だった。

 その後、彼女が本当にそっちの気があると打ち明けられた時はびっくりした。複雑な気分ではあったがうれしくもあった。もしもこの身が男ならばぜひともお付き合いしてみたいものだ。本音の思いを今すぐ受け入れたときのことを想像した。愛情ではなく同情だと悟られて友人関係にひびが入るかもしれない。うかつに答えることができなかった。百歩譲ったとしよう。行きずりならば寝所を共にして快楽に身を委ねることができるかもしれない。だが、三年間は付き合うことになる仲間と肉体関係を持つのはいかがなものか。

 桜と本音がわからないところを互いに教えあう形で、淡々と課題をこなしていった。気がつけば、そろそろ正午という頃合いだ。昼食が恋しくなる。桜の頭の中は土曜のランチのことでいっぱいになっていた。

 そのとき、桜の携帯端末に着信があった。マナーモードに設定していたので断続的なバイブ振動が机を小刻みに叩いて騒々しい。誰かと思い、手に取ってみれば、画面に佐倉奈津子と表示されている。

 

「奈津ねえやん。なんやろ」

 

 そのまま通話ボタンを押して、携帯端末を耳に当てた。

 

「もしもしー。奈津ねえ。電話なんかしてどうしたの」

「ちょっと聞きたいことあって電話したんや。サク、最近調子はどうなん」

「最高や。この前久しぶりにお(はら)いしてもろうてな。なんだか肩が軽くなったんや」

「あんた。また神社に行ったん」

「ちゃう。ちゃう。同級生にな。実家が神社の子がいてな。その子にお願いしたんや」

「別にええけど。小学生になる前やったか。あんた、津の神社に行ったら突然、時代がかった男みたいなしゃべり方しとったから、また周囲を驚かせとるんやないの」

「ま……まさかー」

 

 幼い頃から行動を共にしていたせいか、奈津子の勘の鋭さは際だっていた。

 桜は目元が引きらせ、肩を大きく揺らす。努めて何事もなかったかのように取り繕いながら、本音を一瞥していた。

 

「そう? 最近はそうでもないけど、サクってひとりぼっちになると泣くか動揺して俺と貴様……みたいな言動になるから。泣くのは構へんけど、なりきりは周りが引くからやめた方がええよ。前に見たときは思い切り引いたわ」

「奈津ねえ。それって小学校のときの……あれ、見てたの!」

「物陰からこっそりな。いたずらのつもりやったけど、あんたが変なこと口走るから出られんかったわ」

 

 桜は恥ずかしさのあまり大声を出した。そうかと思えば赤面して目を泳がせた。

 ――奈津ねえに見られてた?

 あの時はどこかに自分の名前がないか探したのだ。仲間たちが命を散らした事実の痕跡が残っているかどうか、それだけを確かめたくて、桜ではなく作郎として言葉を発したのである。

 

「で、奈津ねえの聞きたいことってこれなん?」

「ちゃうわ。さっきな。あんたの部屋掃除したんやけど」

「ええ! 勝手に部屋に入らんでよ……」

 

 電話越しに桜の動揺が伝わったはずだが、奈津子の声はいつもと変わらなかった。

 

「前に私物をまとめて寮に送ったやろ。そのとき私があんたに、と思って段ボールに入れたはずのよそ行きの服が出てきてな。気になって私の部屋の押入を調べたら、預かっとったゲームのコントローラやったか。海外から贈られてきたやつが消えとったんやけど」

「何のこと? ワンピースとか靴とか私知らんよ」

 

 桜はとぼけた振りをして、奈津子が言わなかった事実までも口走った。

 すぐさま奈津子のため息が聞こえてきた。

 

「ワンピースなんて言っとらんよ。ええわ。あんたのことやから、どうせ、とっくの昔に浮かれていつものやったんやろ。引かれても知らんわ」

「奈津ねえ。幸い、ルームメイトは心が広い子でな。見なかったことにしてくれとる」

「それ手遅れやないの。まあ……勉強をおろそかにせんかったら好きにしたらええわ」

「ほんま? 私な。ずっと、奈津ねえこと大好きやった。結婚してもええくらい愛しとるんや」

「調子に乗るんやないの。あんたから愛の告白されたの何回目やと思っとるの。そんでGWはどうするん? うちに帰る?」

「学校に残るわ。やることようさんあるし」

「わかった。お母さんやお父さんには私から伝えとく。安芸ねえにもメールしとくわ」

「おおきに」

「それじゃ。サク、くれぐれも女の子らしくしてな」

「わかっとるよ。奈津ねえも過度なダイエットには気いつけてな」

 

 

 奈津子との電話を終えた桜は、思いつきで土日にアリーナが使えるかどうか問い合わせた。休日出勤していた先生が電話に出てふたつ返事で許可が出た。しかも訓練機まで使えるという。

 その後、食堂で千冬の姿を見つけ、桜はあることに気がついて肩をすくめた。

 

「織斑先生に聞けば電話する手間が省けた……」

 

 桜の電話に対応した教員は柘植(つげ)と名乗った。二年のIS理論を受け持つ女性教諭だが、ISの搭乗資格を持たない。その代わり幾つか著書を持ち、同好会扱いの勉強会を主催していた。桜は一度、勉強会に入らないか誘われたことがある。

 桜は午後はアリーナで過ごすつもりだった。いつものようにライスのメガ盛りを頼んで腹ごしらえを済ませた。食堂を観察し、おしゃべりに興じていた朱音ら三組の生徒を見つけて歩み寄って、ISが使えそうだから、と前置いて第二アリーナへ誘った。

 第二アリーナへの道すがら制服姿の一夏と箒の姿を見かけた。一緒についてきた本音の話では、一夏はずっと外出許可が下りず学園島に軟禁状態だとか。白式を受領してからは、気分転換をかねてISに乗りに来るのだという。

 

「織斑も難儀しとるんやね」

 

 桜は同情のつもりでコメントを返した。先日のお祓いに立ち会ってから一夏が寝不足気味になっていることも知っていた。もちろん自分も面倒なことに巻き込まれているとは、まったく気付いていない。

 

「確か、ピットに柘植先生がおるから、IS使うって先にあいさつせんと」

 

 桜がメモを見て、アリーナ内の地図を探してきょろきょろとあたりを見回した。

 朱音やナタリア、本音も桜の動きにつられて首を左右に動かす。

 

「あれじゃないかな~。案内板があるよ~」

 

 本音が指し示した先には、ピットへの矢印が書かれていた。

 ピットのすぐ隣にIS格納庫があった。つなぎ姿の生徒やクリップボードを片手に持ちながら白衣を身に着けた生徒が何やら忙しそうにしている。だが、一行は予想外の場所に出たことに困惑を隠せなかった。

 先導した桜は頬をかきながら肩をすくめ、愛想笑いを浮かべた。

 

「曲がるの、早かったみたい」

「もー何やってるの」

 

 朱音が桜をせっつく。その横で本音が扉の横の案内板を見て、格納庫からピットに抜けられそうだと気付いた。桜はチラと案内板を指さす本音を目にして、むすっとした顔の朱音たちに向かって笑ってごまかし続けた。

 

「せっかくやし、見学ついでにぐるっと回ろか」

 

 桜が奥に鎮座するISを指差しながら、みんなに提案した。桜が示した先には見慣れぬISが整備を受けていた。朱音やナタリアをはじめとした生徒は、雑誌やカタログでしかお目にかかれなかった機体を目にするや、興奮を隠せないでいたのである。

 

「テンペスタ。コールド・ブラッド。ミステリアス・レイディ。多脚型? 見たことがない機体まである」

 

 朱音がそれぞれの機体を指差し、歓喜のあまり声が震えている。ナタリアら留学生も同じで、思わず祖国の言葉を口にしていた。

 複雑な形状をしたスラスター。鱗状の半透明装甲。洗練された技術によって産み落とされた工芸品の数々。説明を受けなくとも専用機だと認識できた。そして徐々に、奥へ目を移すに連れて、装甲が単純な構造になっていく。武骨な金属の塊だ。四角いブロックを組み合わせたような形状は、訓練機だとしても量産を意識しすぎており、美しさの欠片(かけら)もなかった。

 格納庫はさながらISの展覧会となっていた。整備の邪魔をしないよう遠巻きに眺めながら歩いていく。ISの整備に当たっていた生徒も、桜たち一行に気がついて時折顔を向けることがあった。中には本音のことを知る生徒がいて、手を振ってきたので本音もその手を振って返した。

 桜は一番奥の機体を前にして首をひねった。

 専用機がもてはやされる要因のひとつに外見の格好良さ、華やかさがある。先日見かけたBT型一号機や白式は格好良い。模型を買って思い思いのポーズをとらせて一日中眺めていたいくらいだ。打鉄やリヴァイヴは華やかさにかけるとはいえ、コレクター魂をくすぐるものだ。

 ――うわあ……見るからに量産機や。

 目前の濃緑色のISは少しでも工数を減らすために、直線を多用しながら辺の少ないデザインを採用している。そして、どう見ても春雷一型にしか見えない太くて長い筒を右肩に背負っていた。背中には黒い装甲板で覆った巨大コンデンサ二基を横倒しになっておりケーブルでつながれていた。しかも多脚型である。

 ――携行電源……IS以外での運用も視野に入れとるんやろか。

 

「あなたが佐倉さん?」

 

 多脚型ISのすぐそばに立っていた四十路半ばの小柄な女性が桜に声をかける。灰色のスーツが一見地味に感じさせるのだが、控えめで抑えた雰囲気を醸し出している。若い頃は美人だったのだろう。ショートボブに切りそろえた髪は艶があり、整った目鼻立ちに薄化粧を施している。柔らかく微笑み、その顔つきは見る者を和ませた。

 

「そうや」

「さっき電話で話した柘植です。今日、アリーナとISを使いたいって言ってらしたから」

 

 その名を聞いた桜たちは教師だと気付いて姿勢を正した。IS学園の生徒で柘植の名を知らない者はいなかった。なぜなら、彼女が書いた教科書を使っていたので嫌でも目に入るからだ。

 桜は意識して言葉遣いを改めた。

 

「柘植先生でしたか。私は専用機があるので、ISを使うのは彼女たちになります。あのー。手続きは……」

「勉強会で確保した訓練機が二機あります。そちらを使用するなら手続きは不要ですよ。事後で構いませんから、使用者はこちらの用紙に学籍番号と署名を行うだけで結構です」

 

 柘植の説明に他の生徒がうれしそうに声を上げた。訓練機を使用するには複雑な手順を踏む必要があり、申請してもすぐに使えないことのほうが多い。署名だけで使用できる機会はめったになかった。

 

「ちなみに制限時間などはありますか? 勉強会でもISを使うんですよね」

「今日のところは、うちのISで間に合いますから心配せずとも大丈夫ですよ。ただ、あまり遅くまで残らないようにしてください」

 

 柘植は優しく釘を差した。

 朱音たち三組の生徒は元気よく返事した。そして誰が一番最初に乗るのか、輪になってじゃんけんし始めた。

 

 

 気がつけば、桜たちは延べ五時間も訓練を行っていた。はじめの頃は訓練機が二機しかなく、じゃんけんに負けた生徒は自分の番が来るまで手持ちぶさたにしていた。そこに柘植が欠員が出たと理由を付け、勉強会所属ISの使用許可を出した。おかげで一人あたり三〇分もの訓練時間を確保することができたのである。

 柘植はついでと言わんばかりに、勉強会所属ISとの鬼ごっこを持ちかけた。打鉄零式の運動性能を確かめ、勉強会所属ISを前にして桜たち一年生がどんな反応を示すのか興味があったからだ。

 柘植は企業から依頼を受けてISの運用実験を行っていた。勉強会が扱うISは多脚型や逆関節型、無限軌道など人型からかけはなれた下半身を持つ。部品点数が少なく、各部品の換装が極めて容易なことから整備員の受けが良い。

 解体を前提とされた第三世代実験機。これらは世界中から持ち込まれるISとの対戦データを収集し、次世代機への糧となることを運命づけられた実験機群だった。新世代機が生を受けると、実験機群は解体され、初期化される。世代交代のサイクルが短ければ解体までの期間も短くなる。

 偶然搭乗した生徒はその機体が最新鋭の実験機だと誰も気づかなかった。

 

「逃げ回るのが上手ですね! 追いかけるのは下手ですね!」

 

 桜が勉強会のISを相手取った結果、田羽根さんが下した評価である。

 勉強会所属ISは三次元空間にもかかわらず見えない壁を足蹴にするかのようにジグザグに動いた。多脚型などは実に不気味な動きだった。

 桜は一度も勉強会のISを捕まえられず田羽根さんからPICを使った三角跳びという奇妙な課題が出されることになってしまった。なお、勉強会所属ISの搭乗者は先輩だけあってこの機動を難なくこなした。技術面は目を見張るものがあった。しかし多脚型のためかタコが墨を吐いて逃げる姿を想像してしまい、目撃者全員が気味悪がっていた。

 

 

 時間が押しているため、書類の署名を終えた者から順番に解散することになった。本音は最後に署名した。ちゃっかり書類上は重機、実際はISに乗って鬼ごっこに参加していた。本音と対したとき、桜は風船のように宙を漂ってぎこちない動きを見せたにもかかわらず捕まえることができなかった。

 ――専用機をもらえるだけあるよ~。

 空間把握能力がずば抜けている。短時間で動きが修正され、洗練されていく姿に末恐ろしさを感じた。しかも、初心者は空を飛ぶことに本能的な恐怖をあらわにするものだが、空の中にいることが当たり前のような雰囲気を醸し出している。

 桜には初心者らしさがない。彼女は一夏と変わらぬ搭乗時間のはずだ。むしろ彼よりも周りがよく見えている印象があった。一夏の場合、セシリアや箒が教師役になるなど比較的指導者に恵まれた環境である。最近は二組のクラス代表も彼と旧縁があるらしく何かと構っているので、模擬戦の相手には事欠かないはずだ。本来、IS搭乗資格を持つ教員から指導を受けるのが正攻法だ。しかし、担任を持つ教員は何かと忙しく、生徒一人当たりにかけられる時間はそれほど多くはない。結果として指導者の代わりができる生徒が不在のクラスは、どうしても不利にならざるを得なかった。

 ――その点、三組は少しおかしいんだよね。

 三組でセシリアのような役目を担うことができる生徒はマリア・サイトウしかいない。ブラジルからの留学生で、搭乗時間は三組最長となる一五〇時間に達していた。

 だが実際には、専用機を受領してからISに乗り始めた桜が指導者の役目を担っている。マリアよりも熟練した動きを見せ、彼女を指導している。桜の態度は熟練者に見えたので彼女が初心者だという事実を忘れかけていた。

 ――彼女は視野が広いのかもしれない。イメージを正確に修正するのってものすごく難しいんだよ……。

 桜は従来の航空機との比較した例えを用いることがあり、総じて親切な説明を心がけていた。初心者が同じ初心者に向けてかみ砕いた教え方になるのがセシリアや箒との違いだろうか。

 ただし、その説明には常に田羽根さんの影があった。桜が気がついたところを田羽根さんに質問し、その答えを桜が理解してから他の生徒へ助言するという過程をたどっている。田羽根さんを認識できるのは残念ながら桜一人のため、本人の思惑をよそにコーチ兼選手のような立場として認識されつつあった。

 本音は整備科に用があったので、少しの間だけ格納庫に残るつもりでいた。学生証をかざして電子ロックを開け、格納庫へ降りると、桜が本音の後を小走りで追いかけてきた。

 

「本音。ちょっと待ってえ」

「なになに~」

 

 本音は瞬く間に表情を切り替え、足を止めて顧みるなりにこやかな表情を向ける。いつも通りの声音で、桜を警戒するそぶりなど微塵も表に出さなかった。

 

「本音って前にお姉さんが整備科言うてたやろ。せっかくやから整備科の人にあいさつして行きたいんやけど、誰か知り合いとかおらへん?」

「さっきお姉ちゃんを見かけたから紹介するね~」

 

 桜はむしろあいさつが遅すぎた位だと感じていた。ISの生命線を握ると言っても過言ではない整備員たちと親交を持つことは、稼働率だけでなく生存率向上にも役立つ。最高の整備を受けてもなお、不良品にあたる確率の高さをほんのわずかでも下げたかったのである。

 ISには自己修復機能がある。だが、奇妙なことに人の手を介して調整が行われる。初期化・最適化、一次移行・二次移行……と、ISコアは搭乗者の特性に合わせて自動的に機体の形状や能力ですら変化させるものだ。それでも人間の目や手を介さなければ、いつかは動かなくなるのだ。

 ――本音のお姉さんはどんな人やろか。

 桜は二つの期待を胸に抱いた。ひとつは三年整備科主席がいかなる人柄なのか。もうひとつは本音と姿や雰囲気が似ているかどうか。

 本音はほとんど当てずっぽうに歩き、ミステリアス・レイディの元へたどり着いた。

 眼鏡を掛け、長い赤毛を後ろで一つにくくった女性はどこだろうか。本音はきょろきょろと左右を見回して姉の姿を探す。

 

「お姉ちゃん」

 

 見覚えのある大人びた雰囲気の女性。投影モニターに向かって前屈みになって、画面に表示された値を指差す。キーボードを操作するつなぎ姿の女性と画面を見つめたまま会話している。

 本音の呼びかけに気づいて背筋を伸ばした女性を眺め入って、桜はスーツの方が似合う、と気付いた。

 本音は再度姉に向かって呼びかけた。

 

「お姉ちゃん」

 

 布仏虚が振り返ったとき、妹の隣に引き締まった体つきの少女が立っていることに気がついた。彼女の名前を楯無の口から何度発せられたか分からない。

 ――写真で見るより美人ね。

 虚は桜の姿を認めた。一瞬だけ品定めするべく目を細め、すぐに何事もなかったかのように笑顔で本音たちの側へ歩み寄った。

 

「本音じゃない。訓練終わったの?」

「そうだよ~」

 

 桜は布仏姉妹を見比べていた。顔の造形が似ていた。緩そうな本音よりも、年相応に大人びて上品な雰囲気を醸し出している。

 桜は自分が緊張している事実に気づき、そっと胸に手を置いた。脈がいつもより早かった。

 ――うわっ。めっちゃ美人や。

 そして緊張の理由に気付くと、桜はつい顔を赤らめてしまった。

 ――安芸ねえみたいなんが好き、思っとった。けど……ああ、私の好みが分からんようになってきたわ。

 

「本音。そちらは?」

 

 虚が顔を伏せがちにして緊張した面持ちの桜を見るや、本音に紹介するよう促した。

 

「この前話したルームメイトの子だよ」

「はじめまして。い、一年三組佐倉桜です。本音さんとは仲良くさせてもらってます」

「あなたが佐倉さん。私は布仏虚と言います。よろしくね」

 

 虚は桜に微笑みかけ、次いで本音を見やった。唇を半月形に歪め、意地悪な顔つきになる。耐電手袋をはめたまま本音の手を引っ張った。

 桜は身内の話だと思って終わるまでミステリアス・レイディへ注意を向けた。

 

「本音。彼女が例の」

「う、うん」

 

 虚は少し顧みて桜を一瞥し、その視線がミステリアス・レイディへ吸い込まれていく様子を確かめてから、本音に向き直る。

 虚は普段通り笑顔のままである。が、本音は姉の瞳に生暖かい感情の色を帯びていると気付いて、苦笑いを浮かべて半歩後ずさった。

 汗が引き、せっかく貼り付けた笑顔が凍る。お互いにろくでもないことを考えている。

 それでも聞かずにはいられない。

 

「お、お姉ちゃん。あの話ってどこまで広がってるの」

「全学年と先生方にも。安心なさい。あなたのこと応援している子って結構いるのよ」

「面白半分に、だよね」

「一割は本心からよ」

 

 本音の噂は学園中で知らない者はいなかった。外堀どころか内堀も埋まっている。IS学園にいる限り本音はレズビアンとして過ごさなければならなかった。

 本音は桜に気づかれないよう背を向けてから眉根を寄せた。

 ――お姉ちゃんの前でも演技とか拷問だよ。おじょうさま~。

 本音は頭を抱えたくなる衝動を必死にこらえた。虚から視線を外せば、顔見知りの上級生が面白半分と言った風情で姉妹のやりとりを見つめている。

 彼女たちの顔を直視し続けることができなかった。本音は諦観の念を胸に抱く。それでもなお、桜に想いを寄せる女の子を演じ続ければいつか報われることがあるかもしれない。淡い希望を抱いて踏みとどまることを選んだ。

 

「おじょうさまは?」

 

 本音は会話の流れを逸らすつもりで、ミステリアス・レイディの専任搭乗者の居場所を聞いた。

 

「休憩中。多分ピットの片隅か観覧席で報告書に目を通しているはず」

「ピットにはいなかったから観覧席だね~」

 

 本音が答える。生徒会の事務仕事は虚がほとんどやってしまっているので、桜や一夏の監視報告に目を通しているはずだ。

 桜は資材置き場の脇に身を潜めるように小さくなって、コールド・ブラッドの専任搭乗者を眺めていた。

 

「サクサク~」

「話、終わったんやね」

 

 本音は桜の横に移動して腕を絡める。桜の方は本音が体を押しつけてくることに慣れてきて、最近は動じなくなってきたが、この時は違った。

 

「あっ……」

 

 桜は本音の弾力に富んだ触り心地を意識したのか真っ赤になった。

 ――おや?

 桜の初な反応を見て、虚は意外に思った。本音のアプローチは空回り気味だと監視から報告を受けていたのである。

 ――実は案外うまく行ってる?

 まさか自分を意識して赤くなっているとは思いもよらず、若干見当違いの感想を抱いた。

 

「今日はあいさつだけ?」

 

 虚が固まっている桜に助け船を出した。桜は弾かれたように身じろぎして口を開いた。

 

「できたら整備科のみなさんに、私の機体をみてもらえたらなって思ってます」

「もう少しいるつもりだったから、軽くパラメータの確認だけでもしましょうか」

 

 虚は手空きの生徒を数名呼んだ。中には打鉄零式は解体処分されたものと思いこんでいた上級生がいた。桜がISの名前を告げると、彼女たちは目を丸くした。早速実体化させ、幻惑迷彩に驚く先輩方を見やって、

 

「色、変えます」

 

 桜は格納庫で悪目立ちしても仕方がないから、という理由で全身の塗装を灰色に変えた。

 そして全身装甲を正中線で観音開きにして生身を半分露出した状態で整備科の作業を見守った。

 ISの端末接続用端子規格は事実上統一されていたことや、試験機ならではの思い切った設計変更が施されているとはいえ、基礎部分は打鉄と変わらないことから打鉄零式への端末接続は難なく終わった。

 学内ネットワークに接続し、整備科用にカスタマイズされたターミナル・エミュレータを起動した。コマンドラインでの操作は手順が少ないこともあって好まれる傾向にあった。

 整備科の生徒が桜に話を聞きながらコマンドを打ち込む。打鉄零式の仕様一覧を取り出し、他のISのものと値を比較表示する。

 整備科の面々と本音は肩を寄せ合い、打鉄零式の開発陣があの手この手で図った性能向上の結果を見つめていた。

 桜は彼女らの様子を見守りながら、視野の隅っこで赤縁眼鏡をかけた田羽根さんがごそごそと作業しているのが気になった。

 

「田羽根さんは働き者ですよ!」

 

 独り言を言いながらちゃぶ台の上にノート型端末に向かって勢いよく打鍵している。

 ――うわっ。何やいらん機能がある。

 田羽根さんやちゃぶ台は3Dオブジェクトなので視点移動によって全方位から観察することができた。桜は視点をずらして田羽根さんの後ろから画面をのぞき込む。

 そこには、ノコギリとハンマー、電動ドライバーを腰にくくりつけた田羽根さんのアニメーションが映し出されていた。

 ――後ろ手に扉を開けて、こそこそ左右を見回して中に入って扉に鍵をするとか……それ仕事なん?

 桜は不思議に思って首をひねっていた。

 

 

 


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