進撃のガッツ   作:碧海かせな

3 / 3
第2話 化け物の心

 外から扉が叩かれた。

「——ミケ・ザカリアス」

 入れ、とエルヴィンが背にある扉に向かって応える。

 入ってきた男はガッツと同じほどの背丈で、顎に髭を生やした男だったが、ガッツと比べれば体躯の厚さが違った。

 大きめの窓から差し込む光に、その男は眩しそうに目を(すが)めた。

——どうにも、こっちの連中は細いな。

 目の前にいるリヴァイ(チビ)にしても、である。

 

「ハンジは?」

「今、遣いを出した」

 ミケはちらりとガッツを見たが、何も言わない。

「壁の外からの人間だと伝えたか?」

 エルヴィンが尋ねると、ミケは小さく頷いた。あまり饒舌な方でもないようである。

「この手の法螺吹きを見抜くにはハンジの奴が最適だろ」

 リヴァイは壁に寄りかかった姿勢のまま、顎でガッツを指す。

「調査兵団の中でも、知識量は随一だからな」

 

 ミケはガッツからは遠回りにイルゼに近づいた。

「お久しぶりです、ミケ隊長!」

 イルゼは直属ではなかったが、ミケの部下であったこともある。だから、この()()も知っていた。

 ミケはイルゼの首筋に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。

——変な野郎だ。

 ガッツがそう思ったのも仕方がないことであろう。

 嗅いだ後、ミケは小さく鼻で笑った。ここまでが一つのルーチン。

 懐かしいミケの癖に、イルゼも苦笑を浮かべる。

「……第34回壁外調査兵団、イルゼ・ラングナー、よく帰還した」

 ミケは姿勢を正すと、心臓に右手を打ち付ける仕草をした。

 イルゼも慌てて立ち上がり、その所作を返す。ガッツはそれが、この世界の敬礼だと聞いている。

 

 自らの心臓を、人類のために捧げるという決意の表れ、だと。

 それを話してくれた時、イルゼはあまりに真剣な顔をしていたから、ガッツも笑うことができなかった。

 だが、なんと虫のいい話だろうか。

 俺の心臓は俺のものだ。

 人類なんて大層なもんに捧げるなんて、考えたこともない。

 かつて使徒を殺しまくっていた頃であっても、彼は彼の望むままに使徒を殺していた。

 かつて傭兵として人を殺しまくっていた時も、自分の信じるものを信じて殺していた。

 この体も、そして魂も、決して誰に差し出すものではない。

 例え化け物たちに捧げられる生贄の烙印を押されたとしても。

 グリフィスをぶん殴るまでは、絶対に死なない。

 血の一滴だってくれてやるつもりなどなかった。

 無意識にガッツは右手を自分の首の後ろに伸ばしていた。

 ないはずの傷が、疼いたような気がしたのである。

 

 ミケがイルゼに敬礼をしたことで、エルヴィンは少し胸を撫で下ろした。

 イルゼ・ラングナーが帰ってきてから、エルヴィンやリヴァイたちの頭から離れなかった考えがあった。

——本当に、このイルゼ・ラングナーは本人なのか。

 だが誰よりも鋭い嗅覚を持ち、調査兵団の中でも特に勘の鋭いミケが彼女を本人と認めたことで、とりあえずの安心を得られたのである。壁外調査の度に失われ、そして補充される調査兵団員。この中でまともにイルゼ・ラングナーを個人として認識していたのは、彼の上司であったミケくらいのものだろう。

 団長であるエルヴィン・スミスですら、あまりに消耗率の早さに名前と顔程度しか覚えることができていない。

 

 彼は壁外調査で失った全ての部下の名前と顔を覚えている。

 だが、それ以上のことを敢えて覚えないように、心の中で壁を作っている。

 死んでいく仲間の一人一人に情を入れすぎれば、いつか自分も壁の外に行けなくなるだろう。

 それは怯えでも、増してや勇気の欠如でもない。

 かつての調査兵団長、キース・シャーディスが前線を退き、訓練兵団の教官になっていることも、ただ年齢の問題だけではなかった。

 きっと、キースの中で彼を支えていた何かが、折れてしまったのだ。

 無限に続く消耗と忍耐の日々に。

 だから、調査兵団にいた者は、キースの勇退を責めなかった。現場を知らない、駐屯兵団や憲兵団、一般市民は彼を詰ったが、調査兵団には一人としてそのような人間はいなかった。

 キースは良き隊長であり、良きリーダーであり、良き仲間であった。

 ただ、無理なのだ。

 ずっと調査兵団にいれば、いつかは限界が来る。

 いつ自分が死ぬのかという恐怖に怯え、昨日までの戦友を失っていく日々に。

 体ではなく、心が堪えられない。

 

 だからこそ、自分の中で戦死者名簿に加わっていたイルゼ・ラングナーが帰還した時は心底驚き、そして喜んでもいたが、それを素直に信じられなかったのである。

 本人でなければ、目の前にいるイルゼ・ラングナーの皮を被ったそれが何であるかなど、考えてはいなかった。

 ただ、失ったはずの人間が帰ってくるなどということが、信じられなかっただけである。

 たった二ヶ月前の壁外調査、兵站部隊の壊滅、のち撤退時に巨人の群れに遭遇し最左翼の崩壊によって、多くの仲間が失われた。

 最左翼、第二旅団に所属していたイルゼ・ラングナーは、戦闘中行方不明からすぐに戦死認定となっている。巨人との戦いにおける戦死は、ほとんどが戦闘中行方不明と同義だ。巨人に食われてしまえば、死体が残らないからである。

 誰が、イルゼ・ラングナーの生存を信じられたであろうか。

 

 ミケはイルゼに対して小さく頷くと、今度はガッツの隣に歩み寄った。

 座っているガッツに顔を近づけようとするより前に、

「男に匂いを嗅がれて、喜ぶような趣味はねぇ」

 左目がミケを睨み付けた。

 ミケは小さく肩を竦めると、それきり興味を失ったようにエルヴィンたちの背後、扉の隣まで歩いて、壁に寄りかかった。

 ガッツは視線をエルヴィンに戻した。

 

「俺から聞いていいか」

「ああ、もちろんだ」

 エルヴィンは促すように、机に両肘をついてガッツを見た。

「だいたいの話は、イルゼから聞いている。そちらの事情も、な」

 ガッツの隣で、イルゼは久しぶりの果物ジュースを飲みながら、こくこくと頷いた。

 果物のジュースは、調査兵団から生きて帰ってきた時にだけ振る舞われる、贅沢品であった。誰も知らなかったが、今回のそれはエルヴィンの自腹だった。

「俺がお前たちに聞きたいのは、俺以外に俺みたいのがいないか、ってことだ」

「てめぇみたいなデカ物なら、壁の外にうじゃうじゃ歩いてるぜ」

 リヴァイがバカにしたように口を挟む。

「黙ってろ、チビ」

「……なァんだと?」

 リヴァイが一歩踏み出した。

「リヴァイ、抑えろ」

 エルヴィンの一言で、動きを止めた。盛大に舌打ちをして、エルヴィンの斜め後ろ、定位置に戻る。

 

「君みたいな、というと、壁の外からの人間かい?」

 ああ、とガッツは頷きながら、仲間たちの顔を浮かべる。

 騒がしい妖精(エルフ)のパック。

 偉そうなガキのイシドロ。

 かつて敵の女騎士だったファルネーゼ。

 その従者の食えない男、セルピコ。

 騎士道気取ったアザン。

 魔女見習いの少女、シールケ。

 そのお目付の妖精(エルフ)、イバレラ。

 

 そして、旧鷹の団千人長、彼が唯一愛した女、キャスカ。

 

「恐らく、鋭い君のことだ。我々の反応からわかっているだろうが、君のように壁の外から来た人間を、我々は把握していない」

 ガッツも、さきほどの反応からそれくらいはわかっている。

「三年前にシガンシナ区が巨人に奪われ、ウォール・マリアが放棄されたあと、多くのがウォール・ローゼの内側に避難したきた。そもそも我が国は住人一人一人を把握していない。今回の君のように、何かがないと我々としてはそれを知ることもできないのだ」

「つまり、把握してないだけで、可能性はあるということか」

 大いにありうるだろう、とエルヴィンはそれを肯定した。

 ガッツはしかし、心のどこかで必ず会えると、わかっていた。それにはなんの確証もなかったが、ただそう思えたのである。

 彼が着ていたはずの狂戦士の甲冑が、かつて着ていた普通の黒い甲冑になっていても。

 指に結わえたはずのシールケの髪の毛がなくなっていても。

 失いつつあったはずの五覚が戻っていても。

 彼はどこかで感じていた。

 同じ世界に、仲間がいると。

 

「だが、そもそも我々は君が壁の外から来たということに、確信を得ることができない」

 エルヴィンは言葉を続ける。

「だろうな」

「イルゼくんは、君が戦っているところを見ればわかる、と言ったが、そもそも今の人類において戦うというのは巨人との戦いを意味する」

「人と人との戦いがない、ということか」

 

 ガッツは元傭兵である。争わず、一致団結する人間など、信じられるはずもない。

 

「小規模なものならあるだろう。だが、大規模のものとなると、存在しない。……いや、存在しようがない、というべきか。我々は建前として、巨人という共通の敵の前に団結している。かつては巨人を崇める一派があったが、それも壊滅された。だから、君の戦いを見ようと言って、ハイそれと戦うところ見られるわけではないのだ。君がもう一度壁の外に出て、巨人と戦うところ見るというなら別だが」

「俺がそれをやってやる義理はないな」

 外に出たところで扉を閉められれば、ガッツとしては為す術がない。さすがのガッツも、50mの壁を上ることはできないのだ。

「かといって立体機動装置など、恐らく君は知らないだろうし、君のその重武装では立体機動の利点が殺されるだけだ。つまりは、我々には君の強さが計れない」

 

 立体機動、とはエルヴィンやリヴァイ、ミケなどが腰につけている機械で、アンカーとワイヤー、そして高圧ガスを利用した巻き取りによって空中を舞う概念、らしい。

 らしいというのは彼が実物を見ていないからで、人間が空を飛ぶということもイマイチ実感が湧かない。セルピコが魔女からもらったシルフェのフードでもって浮いているところや、使徒のゾッドが羽を生やして飛んでいるところが思い浮かぶ。

 だがイルゼによれば、より早く、巨人の弱点である後頭部より下のうなじにかけて立て1m幅10cmを斬るために発達した技術なのだという。

 これによって、人類は初めて巨人を葬ることができるようになったのだ、とイルゼは語った。

 だからこそ、ガッツの戦い様はイルゼにとてつもない衝撃を与えたらしいが——

 

「なんなら俺が戦ってやろうか」

 リヴァイは口の端に笑みを浮かべて言った。彼の経歴を知っているエルヴィンやミケは、笑うことができない。彼は王都の地下街でも有名な男だった。言わないだけで、影で何人殺したか、スカウトしたエルヴィンでも知らなかった。巨人殺しの腕が人に向けられるなど、想像したくもないことである。

「そんなペラペラの刃で、俺をやれると思ってるのか」

 対するガッツも、嘲笑を返すように言った。

「この部屋じゃお前だけが人殺しの目をしてるがな、ちゃちな人数で凄むなチビ。弱い犬ほどきゃんきゃん吠えるもんだぜ。そういう子犬ちゃんを俺は何人も殺してきたんだ」

 プチ、という音が聞こえたのは隣のミケだけだったろう。

 慌てて伸ばしたミケの手は、リヴァイによって払われた。

「……俺は冷静な男で通ってるがな、そこまでバカにされたのは数年ぶりだ」

 改めてリヴァイは一歩を踏み出した。ブレードが装着済みの柄を握った両手が、白くなるほど力が入っている。

「煽てられて図に乗ってたのか、お笑いだな」

「……俺はキレたくなると巨人を斬ってたんだ。団長に言われてたからな。だからここ数年、人を相手にしちゃいない」

「はっ、おめでたい奴だぜ。雑魚(巨人)を殺してすっきりってか」

「ガッツ!」

 エルヴィンが制するようにガッツを呼んだが、ガッツはわざとやっている。ここで一番の実力者であろう人間を制して、自分の思うように運ぼうとしている。ガッツなりの、腕力に頼った交渉術だった。

 

——それが一番、手っ取り早ぇからな。

 

 対するリヴァイも、久しぶりにぶちキレている。

 もともとのリヴァイは激情家である。

 だがエルヴィンに拾ってもらってからは、人類のため、巨人を殺すためにその感情を利用してきた。怒りを、情熱に燃やしてきた。

 だからこそリヴァイは皆に人類最強と呼ばれ、そして畏れられた。

 それをこの男は嘲笑っている。

 壁の外から来たか、なんてリヴァイにはどうでもいい。

 この人を馬鹿にしたような態度が、リヴァイには許せない。

 

「来いよ、チビ助」

 ガッツは椅子に立てかけられた剣に手を伸ばしてすらいない。

 あと二歩踏み込めば、リヴァイの刃はガッツに届くだろう。

 椅子から立ち上がったエルヴィンを、リヴァイは視線で制した。

 激情で燃え上がった瞳の中に、冷静な光を見たエルヴィンが戸惑う。

 リヴァイもまた、売られた喧嘩の意味を理解しているのだ。

 理解して、それを買おうとしている。

——俺が力を測る、と目が語っていた。

 エルヴィンは身をどけた。

 

 そして、リヴァイが一歩踏み出した時だった。

 

 高圧ガスの吹き出る音。

 この部屋にいるガッツ以外の人間が聞き慣れた音が、遠くから急速に近づいてくる。

 ガッツの頭上の窓。

 

 

 太陽の光が、陰った。

 

 

 次の瞬間、

 窓から人が飛び込んできた。

 飛び散る窓ガラス。

 手にはブレード。

 両腕で顔の前でクロスし、入ってきた人物。

 

 ハンジ・ゾエだった。

 

 皆の思考が停止している中、ハンジがクロスした腕の先に見たのは——

 

 バカでかい剣。

 それは剣と言うにはあまりにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。

 それはまさに、鉄塊だった。

 

 

 一瞬で剣を振りかぶった、ガッツの剣がハンジの目の前に迫っていた。

 誰も反応できなかった。

 エルヴィンでさえ、ミケでさえ、リヴァイでさえ、その動きに対応できなかった。

 あの巨大な剣をこんなに速く振るうとは、誰が想像できようか。

 ただ一人を除いて。

 

 

「ダメぇ!」

 イルゼがガッツの腰に抱きつくのと、

「うひゃあ!」

 ハンジがブレードで巨剣をさばきつつ、死にそうな思いでそれ避けるのは、

 同時だった。

 

 もの凄い音を立てて、取調室の壁にぶつかるハンジ。

 ガッツは、腰に抱きついたイルゼによって咄嗟に止めた剣を、静かに下ろした。

「危ねぇ嬢ちゃんだぜ」

 はぁはぁと息を乱すイルゼは、ガッツを見て強ばった笑みを浮かべる。

「よかった、間に合って」

 

 エルヴィンはもうどうすれば良いのかわからなかった。

 いきなり突入してきたハンジを、信じられない速度で斬りかかったガッツ。

 それを必死に止めたイルゼと、なんとか避けきったハンジ。

 さしものリヴァイもミケも、呆然としていた。

 

「し、死ぬかと思ったよぉ」

 壁に顔から激突して、なぜかメガネも割れていないハンジが言った。

 エルヴィンは、とりあえず医者を呼んだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「私はハンジ・ゾエ、こう見えてもミケと同じ調査兵団の分隊長なんだ」

 ハンジはよろめきながらも立ち上がり、さきほどまでエルヴィンの座っていた椅子に、ガッツの目の前の椅子に座り込んだ。ハンジの目は、ずっとガッツから離れず、なぜか蒸気した顔で息を乱していた。

「俺はガッツだ」

「きききき君って壁の外から来たってホントッ!?」

 どこにそんな力があるのか、ハンジは机を両手で叩いて、身を乗り出してガッツに問うた。

「ああ、俺は壁のないところから来たん——」

「やったぁぁぁ!!!」

 ハンジは言葉を聞き終えるより先に立ち上がり絶叫した。

「壁の外から人が来るなんて! ああ、なんてことだろう!!! これがどんなに凄いことかわかる!? わかるよねッ!!!」

 顔には満面の笑み。

 

 

「で、どうなってんだよ、オイ」

 リヴァイですら、今まで見たことのないようなテンションのハンジに、引き気味だった。もはや狂乱という他ない。

「私が迂闊だった」

 手で顔を覆って、懊悩してるのはエルヴィンだった。

「あの知識欲の権化、好奇心の塊のハンジくんに<壁の外から人が来た>なんて言ったらどうなるか、考えればわかりそうなものなのに」

 おかげで、と言いかけてエルヴィンたち三人は大穴が空いた窓を見た。

 窓ガラスの修繕費は高くつく。

 ただでさえ調査兵団は慢性的に金銭不足なのに、余計な出費である。

 ミケはエルヴィンの肩に、そっと手を置いた。

「ハンジの自腹だな」

 吐き捨てるように言ったのは、リヴァイである。

 

 

「それにしてもそれ凄いねッ! 超硬質スチールのブレイドがほらッ!」

 ハンジが見せたのは真っ二つに折れたブレイドである。

「こんなに簡単に折れちゃって! それなのにそのおっきな剣にはまともな傷すら付いてないじゃん! 凄いよ! というか何それ、人に持てるの? ねぇ、持ってみていい?」

 ハンジは言葉も聞かず、椅子にかけられた剣に手を伸ばし、持ち上げ——

「あ、無理!」

——すぐに手を離した。

 床に落ちる前に、ガッツの右手が柄を掴む。

 ガッツは、小さく溜息をついた。

「何それ、重すぎるよ! 全然持ち上がらないじゃん! 何それ、巨人の剣なの? ってかガッツさん身長でかくない? ミケよりおっきいんじゃないの? ってか腕太ッ! 私の脚より太くない、ねぇ、何食べたらそんなに——」

 

 ばたん、と突然扉が開く。

「す、すみません! ハンジ分隊長飛び込んでないですか……って隊長! 何してるんですか!?」

 エルヴィンの記憶が正しければ、ハンジの副官の男だった。

「おい、今は取り調べ中だぞ」

 リヴァイは混乱を極めつつあることに頭痛がしそうだった。

 それもこれも、ハンジのせいである。

「り、リヴァイ兵士長! エルヴィン団長にミケ分隊長まで! す、すみません!」

 副官は扉の横にいた調査兵団のトップに気付いたように、直角の綺麗なお辞儀をした。ただでさえ急いで来たのだろう。汗まみれの顔が、色醒めている。

 

「ハンジくん、君も少し落ち着きたまえ」

「団長、ですがガッツさんは壁の外から来たんですよ!」

 ハンジは純粋な少年のような目で、飛びっきりの笑顔でエルヴィンに詰め寄った。その勢いに、エルヴィンは仰け反るほどである。

「どういうことだ」

 リヴァイはハンジが断定口調で言ったことを気にかけていた。

 ハンジは、壁の外から来た、と言ったのだ。

「彼のしているあの義腕、あんなの私見たことないよッ! それにあの弓矢発射装置……? 凄い細かいギミックで、どうやったらあんなに精密にできるか、想像もつかない!」

「立体機動装置だって細かいじゃねぇか」

「だから、まったく違う技術だよ。ぱっと見ただけでわかる。あんなの、壁の中じゃ作れない!」

 リヴァイは眉間に皺が寄っていることに気付いていない。

 ハンジが言ったことは、ガッツが壁の外から来たということを、補足し増強する証言だった。

 そして先ほど見せた、あの剣裁き。

 恐らく、リヴァイですらあの剣をまともに振るうことはできないだろう。

 下手をすれば、リヴァイの体重ほどあるかもしれない鉄の塊。

 それをガッツは片手で振り回した。

 立体機動装置はその性質上、体重や筋力よりを重視しない。

 巨人を立体機動によって狩るには、必要の無いものだからだ。

 だからこそ巨人を倒して来たと言った、イルゼやガッツのことを信用できなかった。

 だが、あの速度で、あの巨大な剣を振るうとすれば——

 

 

()()()

 取調室の扉で突っ立っているハンジの副官の後ろから、女の声が聞こえた。

「すみません、エルヴィン団長に呼ばれてきたんですけど」

 副官の男は、自分が邪魔になっていることに今更気付き、扉から体を避けた。

 後ろに立っていたのは、白く清潔なワンピースと、薄い茶色のスカート、長い髪を結び、片手に鞄、もう一方の手で古びた()をついた若い女性だった。

「ああ、先生、お呼び立てしてすみません」

 エルヴィンは愛想良く、敬語でその女性に接する。そのことに疑問を持つ調査兵団の人間はいない。

 彼女は彼女の家に伝わる医療術で、重症を負った多くの調査兵団員を救ってきた医師だったからである。彼女に救われた調査兵団員は数多い。それが例え、理解できないものであったとしても、一瞬で怪我を治す()()であったとしても、調査兵団の人間は、彼女感謝し、そして尊敬していた。

 まるで、()()のように人を救う彼女を。

 

 

「壁の外から帰還した調査兵団員がいまして、彼女の体を見ていただきたいのと、さきほど大騒ぎしたハンジ分隊長を見ていただきた——」

 話しかけられたエルヴィンから、部屋の中に視線を移した彼女は、とある人物を見て、硬直した。

 左手の鞄が手から零れ落ち、ミケがそれを掬い取った。

 大きく息を吸い込み、目が見開かれる。

 みるみる涙が目に溜まり、頬を一筋流れ落ちた。

 

 

「ガッツさん!」

 

 

 その女性は既に少女ではなかった。

 だからガッツも、それが誰であるかはすぐにはわからなかった。

 だが顔を見て、そしてその目を見て、気付く。

 

 

「シールケ、か」

 

 

 女性——シールケは、涙を流しながら、精一杯の笑顔で頷いた。

 4年振りの、ガッツを見て。

 ずっと会いたかった、その人を見て。

 

 

 

「で、どうなってんだよ、オイ」

 誰に問うでもなく、リヴァイはそう言う。

「感動の再会ってことよ、鈍い男ね」

 シールケとガッツにしか聞こえない声で、ミケが持った鞄の中から顔を出したイバレラが、茶化したようにそう呟いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 強さとは何か。

 物理的なもの。

 人間が鍛え、自らを磨く末に手に入れる肉体的な強さ。

 精神的なもの。

 人間が自らと向き合い、現実に立ち向かう強さ。

 そのどちらか一方では、完璧な強さとはならない。

 そのどちらも手に入れなくては、強くはいられない。

 

 愛する人が傷つけ奪われる悲しみ、信頼する仲間たちが死にゆく苦しみ、何よりも信じていていた男から裏切られる怒り。

 そのどれもが彼の強さを形成するには必要なものだったろう。

 だが、その絶望は彼の望んだものではなかった。

 そんな絶望の末に手に入るものなど、彼は決して望んでいなかった。

 

 ガッツは、あの烙印の剣士は、彼でなければ生き残ることすらできないような地獄を生き抜いてきた。

 化け物を殺しながら迎えた朝の数を、彼は既に知らないだろう。

 彼にとって朝とは、戦いの終わりだった。

 彼にとって夜とは、戦いの始まりだった。

 彼は夜寝ることもできず、ただひたすらに殺し続けた。

 化け物を、かつて人であったものを、使徒と成り果てた者を。

 

 それなのに、そんな苦しみを背負ったのに。

 彼は優しい。

 彼女は自分の頭に置かれた、彼の手の感触を未だ覚えている。

 大きく、骨張っていて、普段は剣だけを握っている手で、優しく撫でてくれたその感触。

 その感触は、彼の信頼とともに与えられたそれは忘れることの出来ない、彼女の大切な思い出だった。

 

 最後に彼と会ったあの船の上から、既に4年が経っている。

 あの頃はまだ幼く、ただの少女だった彼女も、この4年ですっかりと成長し、一人の女性へと変貌しつつあった。背が伸び、体つきは既に女性のそれとなりつつある。かつては短かかった髪も、いつからか伸ばすようになって長髪にも慣れた。

 お師匠さまから譲り受けた服も何年着ていないだろうか。身長が変わるにつれ、服を仕立て直してはいたが外に着ていくこともない。かつては大きすぎた帽子も、今ではちょうどよい大きさになってしまった。

 

 だが、杖だけは持ち歩いている。

 

 人には昔の怪我が痛むから、と言って持ち歩いている杖だけれど、これだけは持っていなければなかった。

 これは自分がお師匠さまの弟子であることの証。

 自分が、魔女であるということの誇り。

 

 そして、自分がガッツの仲間であったということを忘れないために。

 

 

「また寂しそうな顔してる。なーに考えてるの?」

 ホットミルクを入れたマグカップの後ろから、妖精(エルフ)のイバレラが顔を出した。この世界にはエルフがおらず、また人間にはエルフが見えないようだったため、むしろ元の世界よりもイバレラは自由に動き回っている。世界は変われど、この世界にも精霊はいるそうで、また長命種らしい楽観主義で私を励ましてくれた。

 この4年、常に一緒にいてくれた相棒。

 彼女がいなければ、私一人ではとても生きていけなかっただろう。 

「もう4年、と思って」

 この世界に来てから、である。

「そうね、あっという間だったわね」

「最初はどうなることかと思ったけど、調査兵団の皆さんのおかげで、どうにかなってるもの」

 シールケは四年前、この世界に来てすぐにウォール・マリア放棄の混乱に巻き込まれた。その時、救ってくれたのが当時は調査兵団の分隊長であったエルヴィンである。シールケは持ち前の魔法を隠しつつ、治療を提供し、彼の保護下に入った。

 この世界には魔法使いがいない。

 仲間を救ってくれたことを恩義に感じたエルヴィンを初めとする調査兵団のみんなは、 下手をすれば異端とされる彼女の施術を隠し、そして保護してくれた。今のシールケの立場は、調査兵団付きの医師である。

 普段は街の市民も診療し、有事には壁外調査にもついて行く。

 そんな立場だった。

 

「シールケはしっかり協力してるんだもの、そのお返しはしてもらって当然よ」

 イバレラはそう言ったが、もし彼らの保護がなければ、10代を超えたばかりの自分がどうなっていたか、想像もつかない。

 彼女一人では、生き抜くこともできなかっただろう。

 ウォール・マリア放棄によって、食料は逼迫している。

 満足に食事も出来たかはわからない。

 

「どうやら、噂をすれば影、みたいね」

 物思いに耽っていたシールケを浮上させたのは、イバレラの言葉。

 次の瞬間、玄関のドアノッカーが叩かれた。

『シールケ先生! 団長がお呼びです! 至急来ていただけませんか!?』

 ふぅ、と息を吐き出す。

「わかりました! すぐ行きます!」

 シールケはテキパキと鞄に薬草や包帯などを詰め込み、そしてイバレラもその中に躍り込んだ。

「私も一応付いていってあげる」

「ありがとう、イバレラ」

 外套を羽織り、鞄を持ち、そして杖を持つ。

 玄関のドア開け外に出る時、彼女は家の奥で厳重に鍵のかかったドアに、目をやった。

「行って来ます、ガッツさん」

 出かける時、いつもかける言葉。

 そのドアの向こうには、ガッツにいつか渡すべきものがある。

 

 

 狂戦士の甲冑。

 

 

 なぜシールケとともにこの世界に来たのかは、彼女も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お待たせしました、碧海かせなです。
2週間も経ってしまいすみません。
リアルが忙しかったというのもありますが、今後の展開をどうしようか悩んでというのもあります。
一応筋道がたったので、一気に書き上げることができました。
とうとう彼女が登場です。
結局、特に理由のないハンジがガッツを襲って、死にかかっただけでした。
では、次回も宜しくお願いします。
感想も、よい励みになりますので、お気軽にどうぞ!

次回、特に理由のないガッツがあいつと出会う!(予定)

よろしくです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。