深夜のUD城。
豪奢なベッドでお気に入りの美女たちとともに寝ていたユダは、ぶんぶんとうるさい羽音で目を覚ました。昆虫が顔のすぐ近くを飛んでいる。なんでこんな虫が室内にいるんだと思いつつ、ユダは毛布をかぶってやり過ごそうとした。
「起きろ」
耳もとで誰かがささやいている。
「起きんか、この若造め」
顔を叩かれ、ユダはむっとした。払いのけようとした手が何に触れ、とっさにそれを掴んでしまった。予想していたよりずっと大きな物体だった。正体を確かめようとユダは寝台のうえに起き上がった。
「離さんか、無礼者!」
手の中にいる何かが言葉を発した。ユダはぎょっとした。握り締めていたのは人形や昆虫にも似て、そのどちらでもなかった。羽根が生えた白髪の老人のミイラといえば一番近かっただろうか。そいつは生きて、動いて、喋っていた。
室内には紫色の靄が立ちこめ、不気味な妖気で満ちている。
一緒に寝ていたはずの女たちもいなかった。
「わしは妖精だ。神仙免許二種・営業資格も取得済みの正真正銘の妖精さんじゃ!」
「妖精だ?」
ユダはこの非現実的な状況を夢だと思い込むことにした。
「フェアリーというのはもっと可愛らしい生き物だろう。お前はどこからどうみても羽根の生えた干物ジジイじゃないか」
「なんと失敬な。この姿はより仙人に近いがゆえのものだと知らんのか」
「お前らの世界の事情など、おれが知るか。それで、その妖精さんとやらがいったい何の用だ」
「きさまの罪業は近隣に鳴り響いておるぞ。夜な夜な、この城の地下から響く女たちの悲鳴は聞くに耐えぬ。調べてみれば、きさまに攫われ、弄ばれ、捨てられた女が男どもに慰み者にされている叫びではないか。女たちが苦しむさまに、いてもたってもいられず、こうしてまかり越したというわけじゃ」
「ふん、待遇改善の要求か」ユダは鼻を鳴らした。「おれを喜ばせることができない女に何の価値がある。おれはゴミに相応しい扱いをしてやってるだけだ」
「なんという冷酷非情な男じゃ。きさまのような邪悪な人間はいまだかつて見たことがないわ」
「だからどうした。人間は見た目がすべてだ。不細工な人間にかぎって性格がどうとかいうんだ。おれはこの美しさで全ての欠点をカバーしている。この美貌以外に何が必要だというんだ」
「それほどの美形というわけでもなかろう」
ユダは思いきり手を握り締めた。彼の握力はリンゴを簡単に粉砕できる。妖精ジジイはじたばたもがき、ユダの手を叩いた。
「ぎゃああああ! ギブ! ギブ! ギブ!」
「おれの居城にお前みたいな不気味な羽虫が棲みついていたとはな。ほかにも仲間がいるんだろう。バルサンを焚いて皆殺しにしてやる」
「悔い改めるのじゃ。いまならまだ間に合うぞ」
妖精ジジイは息も絶え絶えになりながら、なおも説得しようと試みた。
「今度はカトリックか。宗教の勧誘ならお断りだ」
「つまり反省する気ゼロなんじゃな?」
「パーフェクト・ビューティーな俺様に悔い改める点など一片もない」
「ここまで言ってもまだ分からぬとは」
妖精ジジイは改心の試みを完全に放棄したらしい。
「きさまには大反省が必要じゃ。女たちの気持ちが分からぬというなら、きさま自身が女になってその苦しみを味わってみるがよかろう」
掴んでいる掌から閃光がほとばしった。灼熱した棒を握っているような激痛が走り、ユダはおもわず手を離した。目が眩むような白光が室内に満ちる。妖精ジジイの声が響いた。
「きさまは女になるのじゃ。ぴっちぴちのうら若き生娘にな。この世で最も嫌いな男に身をまかせ、ヴァージンを捧げれば元の姿に戻れよう。気の毒だから二番目でも可としておこうかの。どっちにしろ、果たせなければ一生そのままじゃ。ぐははははは! ザマーミロ!」
ユダは唐突に目を覚ました。
全身が汗でびっしょりだった。
変な夢を見たものだと思って身を起こしたユダは、胸もとで揺れる二つの大きなかたまりに気づいた。乳房がついていた。頬に手を当てる。もっちりした肌触りをしていた。あわてて寝台を下り、鏡の前に立った。
丸い乳房にくびれた腰、豊かな臀部。肩にも足にも柔らかい脂肪がつき、身体全体が丸みを帯びている。どこからどう見ても女の身体だった。
「うわあああああ!」
悲鳴を上げながら、自分の声にも愕いていた。女そのものの甲高い声だった。
一緒に寝ていた妾どもがユダの叫び声に飛び起きた。
「どうかなさいましたか、ユダ様?」
ユダはとっさに鏡の裏に身を隠した。できるだけ低い声を出して言った。
「こっちに来るな。すぐに部屋から出ていけ。それとダガールを呼んでこい。いますぐにだ」
女たちは訝しく思いながらも言いつけに従った。
室内に誰もいないことを恐る恐る確認したユダはもう一度、自分の姿を映し見た。
鏡の前にいるのは正真正銘の若い女だった。これが他人だったら、すぐさま後宮の一員に加えたいほどの美形だが、しかし映っているのはまぎれもなく自分なのだ。
近くにあった椅子に倒れ込み、ひたいを押さえた。
夢じゃなかった。現実だった。自分は本当に女になってしまったのだ。
ちくしょう。頭が痛くなってきた。あのクソ妖精ジジイのせいだ。今度会ったらスリッパで叩きのめしてやる。
その妖精ジジイの言葉が頭によみがえった。
“この世で最も嫌いな男に身をまかせ、ヴァージンを捧げれば元の姿に戻れよう”
ユダの顔は赤くなり、青くなり、また赤くなった。
この世で一番嫌いな男といったら、あいつしかいないではないか。
ということは、あいつと寝なければ元の姿に戻れないのか。
なんなんだ。そのおいしい条件。じゃなかった。ろくでもない条件は。
ダガールが何事かと飛んできた。ユダはよろよろと立ち上がった。
「ダガール、見てくれ」
ユダは両手を広げた。
「女になってしまった」
ダガールは目を見開いた。ユダの頭のてっぺんからつま先まで視線を走らせた彼は一瞬、卒倒しそうになり、かろうじて踏みとどまった。
ダガールが妖精ジジイの話をどう思ったかは定かではなかった。しかし、目の前にいるユダが女になってしまった以上、信じないわけにはいかなかった。ガウンを羽織り、椅子にかけたユダを振り返った。
「それで世界で一番嫌いな相手にヴァージンを捧げないと元には戻れないと、その妖精さんは言ったのですね。二番目でも可だと」
「そうだ!」
「それはまた厄介なことになりましたね」
ユダはさっきからダガールが奇妙な眼差しを向けてくることに気づいた。まるで視姦しているような目つきだ。
「おい、おれをそんな汚らわしい目で見るな」
「……申し訳ありません」
いちおうは謝るものの、なおも舐め回すようにユダを見ている。ユダは身の危険を感じはじめた。ダガールはユダの白い首筋や胸もとに目を据えたまま訊ねた。
「で、あなたが世界で一番嫌いなのは誰なんです」
「レイに決まってる」ユダは即座に言った。「おれはこの世であいつが一番に嫌いだ。不倶戴天の敵というやつだ」
「ずいぶんと嫌われたものですね」
ダガールは苦笑した。
「ちなみに二番目はどなたで?」
「お前だ」
ユダはまたもや即答した。
「レイの次にお前が嫌いだ」
「そうですか。私は二番目ですか」
傷つくと思いきや、なぜかダガールは嬉しそうな顔をしている。
「では、あなたがレイに拒まれたら、私に順番が回ってくるというわけですね」
ユダはうっと息を詰まらせた。
レイに振られたら、こいつと寝ることになるのか。冗談じゃないぞ。部下に犯られるくらいなら、自殺したほうがましだ。ユダはガウンを身体にきつく巻きつけた。
「お、お、おお、お前となんか絶対に寝ないぞ」
「そうは言っても、そのままでいるわけにはいかないでしょう。ご安心なさい。私は女性の扱いには馴れていますから。めくるめく快楽の一夜をお約束いたしますよ。なんなら、いまここで試してみましょうか」
「いやああああ!」
ダガールが上着を脱ぐそぶりを見せたのでユダは椅子から飛び上がった。テーブルのうえにあった燭台を武器に取る。ダガールは笑って、両手を上げた。
「冗談ですよ。そんなに怯えないでください」
「いいや、いまのは本気だった。絶対におれを犯る気だった」
「まあ、ちょっとは。でも、私はあなたとはちがいますよ。嫌がる女を力づくで犯したりはしません」
「おれだって女をむりやりモノにしたことはないぞ」
「でしたら、この前のマミヤとかいう女にした仕打ちはなんです。女を手に入れるために親まで殺すとは。この際ですから言わせていただきますが、あなたの女性に対する扱いは決して褒められたものではありませんよ。だから、神様の罰があたったのです」
「おれに説教する気か。おれはこんなことになった原因を追求しているんじゃない。これからどうするか、その相談をしているんだ」
ユダに今後の提案を聞かされたダガールは難しい顔をして首を振った。
「賛成できませんね。紅鶴拳も使えない今のあなたはただの無力な女なんですよ。荒野になんぞ行ったら、一日だって無事ではいられません。ご無理をなさらず、身近なところで手を打ちませんか」
「絶対にいやだ」
ユダはきっぱり拒絶した。残念そうな表情を浮かべるダガールを無視して室内を歩き回る。
「おれはレイを捜す。やつはいまも荒野のどこかをさまよっているだろう。あいつを捜し出してヴァージンを捧げてしまえば元の姿に戻れるはずだ」
「なんだか妙に嬉しそうですね」
「そんなことはない」
ユダは顔を赤らめ、咳払いした。
「とにかく、おれがレイを誘惑してベッドを共にすれば万事解決するんだ」
「はあ……どうにも賛同いたしかねますが。まあ、あなたのお気の済むようになさるとよろしいでしょう」