君の名は。ショートストーリー   作:アンコール・スワットル

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 一方その頃三葉は――硬くなった瀧を握りしめ、トイレの前で用が足せないと二の足を踏んでいた。
 この話は原作小説にて語られているため、申し訳ないが割愛させてもらう。中身が女子高生とは言え、男がトイレで悪戦苦闘する様を書きたくないなどとは思っていない。思っていないぞ。


洋式美

 平穏無事――とは言い難いが、俺は見知らぬ土地で自分なりに満足いく学校生活を送っている。

 どうやら俺の友達らしき人物。サヤちんとテッシーの助力もあり、机の位置やロッカーの場所もなんとか把握することができた。

 

 この女、三葉は実に面倒な学校生活を送っているらしく、今日だけで何度怒ったか数えるのもバカらしくなってきた所だ。こんな時は飯でも食って落ち着かせるに限る。幸いにも今は昼休み。俺は誰憚れることなく堂々とカロリーを胃にぶち込めるのだ。

 

 ――と、その前にトイレトイレっと

 

 妙にそわそわすると思ったら尿意だったか。なんていうか、性別が違うだけでこうも尿意の感じ方が違うとは夢にも思っていなかった。連れションという女子特有の文化を思い出し、クラスの女子に気づかれることなく廊下へ逃げることに成功。

 教室移動でトイレの場所は把握している。友達らしいサヤちんに出くわすこともなく、なんとかトイレへと辿り着けた。

 

 そこで新たな壁にぶち当たった。男女を隔てる厚い厚い壁だ。今朝はよかった。家のトイレは通常一つ。広い家で複数のトイレがあったとしても、目の前の壁は存在しないだろう。心の壁と言ってもいい。いくら俺が女の子になったとは言え、心の中ではバリバリの男子高校生だ。エッチなビデオを借りるときに周囲の目を気にする感覚に似ているだろうか。

 昼休みが相重なり、トイレの出入り口で駄弁る集団。いつもなら気にも止めなかったが、それが目的の先ともなれば否応無しに反応してしまう。どうして女子はトイレの手洗い場で話すのか。今日ほど女子の行動を恨めしく思ったことはない。

 トイレの前で一人思考していても仕方がない。中の女子に気づかれ妙な噂が立っては事だ。俺は女、俺は女。なんらやましい思いなど何もない。ただトイレを利用したいだけであり、それ以上でも以下でもない。

 相手の目を気にしちゃダメだ。冷静に、いつも通りトイレに入るんだ。それで中の扉を開けて入る。俺は一連の動作を頭の中で何度もシュミレーションし、何度めかの逡巡を終え自信をつけていく。胸が高まり、心臓の鼓動が聴こえるくらいばくばくと鳴り響く中、高校二年生の瀧。ついに女子トイレへと突撃します。

 

 女子トイレ。たったの五文字がどうして胸をときめかせるのだろう。男子の俺では入ることの許されない聖領域。故に過度な幻想を抱いてしまったのだろう。

 実際に目にした俺自身が言うのだから間違いない。

 男子トイレから立ちション用を取り除き、扉を左右に配置した。これが女子トイレの正体だ。きらきらと光る訳もなく、いい香りがする訳でもない。至って普通のトイレだ。

 並ぶ扉。どの扉を選ぶかで俺の一生が変化すると言っても過言ではない。まずは手前の扉。トイレの通路と言う公の場から一刻も早く逃げ出したい気持ちを抑えつつ、華麗にスルー。先手必勝とは上手く言ったものだ。しかしよく考えて欲しい。出入り口近くの扉だと忘れてはいないだろうか。多くの女子の目に止まり、混雑時には多くのノックを受ける羽目となる。

 一番奥が無難かと思ったが、このトイレには窓が設置されている。窓から外の友達に声をかけた場合、出るときに目が合いかねない。

 奥から三番目は花子さんが居るとされるトイレ。女子グループが冗談で花子さんを探した場合、俺が花子さんになってしまう。

 ここは奥から二番目がベストトイレ。ファイナルアンサーだ。

 

 俺は手洗い場の女子を努めて無視し、ただ真っ直ぐ、トイレの奥まで直進した。奥から二番目、奥二の扉を確認する。指し示す色は青。シリアスブルーな俺の気持ちにぴったりだ。ここで先客が居ても、扉を閉ざさなかった相手が悪い。俺はノーリスクでラッキースケベを味わえるが、今はエロとは遠ざかりたい気分だ。女の子の身体になって心境まで変化したのだろうか。答えなどどこにも無いが、先ずは扉を叩くべきだろう。かも知れない運転は大切。未来を予想するのだ。

 空室を確信した俺はすぐさま戦場へと突入した。女子トイレの個室に入る。第二関門は無事突破。あとは今朝の復習だ。何も焦ることはない。昨日の今日より今朝の今、数時間前の記憶など辿るに容易いと言うもの。

 

 そんな俺は、ただの一撃で絶望の淵へと立たされた。そう、和式だ。

 生まれてこの方和式トイレなんて見たことしかない。自宅では洋式だし、学校では個室に入ったことすら無かった。故に完全成る盲点。よくよく考えてみると、トイレの扉には洋式の標識が掲げられているではないか。この重大事実をなぜ今になって思い出すのか。そしてトイレは入口付近が洋式、奥に進むと和式トイレ。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 

 悩んでも仕方ない。俺は知識を総動員し、この和式トイレを使いこなすのだ。

 金隠しに向かい蹲踞(そんきょ)する。う――何とか座りなど品の無い言葉は慎んでおこう。女の子がうんこなんてしないし言わないのだ。これがズボンだと脱ぎ方でややこしくなるが、幸いと言うか俺はスカートだ。いや、俺がスカートではないぞ。穿いているのがスカートなだけだ。

 そんな胸の焦りを察したのか、どこからともなく小川のせせらぎが聴こえてきた。空耳だろうか。不思議なこともあるんだなと思いながら、今の俺が一番の不思議だと気づき、これからどうなるのかと未来を嘆いてしまう。なぜトイレはこうも人を哲学的にさせるのか。検証の余地ありだ。

 

 パンツをふとももの中頃まで下ろし、金隠しと靴先が水平を保つようにしゃがみ込んだ。洋式と違い、余計な力が掛からないと評価されつつある和式。便座に肌を触れることのない和式は清潔的だと、海外からの支持も厚い。良いことずくめな和式ではあるが、精神的に落ち着かないことが数少ない難点だろうか。

 俺は下半身を弛緩させ、生暖かさが湯気となり臀部(でんぶ)を湿らせている感覚に陥った。圧迫感から解放され、思わず笑みが溢れてしまう。

 

 初めて知ったことだが、学校では一枚層のトイレットペーパーを使用していた。どうせ重ねて使うから最終的な長さは変わらず、見せ掛け上のコストカットに過ぎないことは言わずもがな。

 しかし、どうしてちょうど良い位置からおしっこが出てくるのだろう。男の時分は低確率でカーブを描くことがあったが、今は安定した直線放出を決めている。女の子万能説の始まりだ。

 

 ――瀧は知る由もないが、小陰唇は尿道から放出される尿。つまりおしっこを下に落とす役割を担っている。巷で流行っている縮小手術により、おしっこが良い角度で落下できず便器から壮大に跳ね、大惨事を招いている悲劇はあまり知られていない。立ちションが可能になると言えば分かりやすいだろう。立ちションの状態で腰掛ければ跳ねるのは当然の帰結。むべなるかな――

 

 初めての和式トイレ体験。略して初体験を終えた自分。余裕ができたことで視野が広まった俺は横に設置されたラジオらしき小箱を発見した。

 そこにボタンがあれば押すのは明々白々。もしや落とし穴が!? などと警戒するも、小川のせせらぎが警戒心を緩めていく。なぜ水の音がするのかと首を傾げる中、箱に書かれた“姫”の文字に着目してみた。姫――つまりはアイドルだ。女の子はトイレに行かない。この箱から水音を流すことで相殺し、その事実を隠匿するのが目的だろう。音が聴こえなければしていないのと同じ。疑わしきは罰せずだ。なんか違う気もするが追求するだけ無駄なこと。無駄なのは音を消すために流され続けるトイレの水だけで十分である。

 

 終わってから音を流しても意味ないな……この箱は停止させて、ペダルを押して水に流すことにしよう。

 屈んだ姿勢のまま押したことで、下半身を流れる水しぶきが心も冷やしてくれる。ペダルは脆い。足蹴にするなど以ての外だ。ダスキンの人もそう言っていた。

 

 手洗い場へ向かった俺はスカートを確認する。濡れた手で触れば、一時とはいえシミができてしまう。男のときは気にも止めなかったが、女目線では恥ずかしいのだろう。いや恥ずかしい。

 ポケットからハンカチを取り出した俺は、軽く咥えてみせた。ハンカチを咥える機会に恵まれなかった俺は恥ずかしさを感じつつ、周りも咥えていると自分に言い聞かせ、鏡を一瞥する。ふむ、この姿も悪くない。いや可愛い部類に入るだろう。一瞥と言いつつ凝視している自分に、男だから仕方がないと心の中で言い訳をした。

 そういえば昼食前だと思い出した俺は、爪を立ていつも以上に念入りな手洗い。ハンドウィッシュを披露した。

 

 朝の洋式、昼の和式。最早向かう所敵無しだとしたり顔な俺は、トイレを後にした。

 教室に戻った俺を見るや否や「大か?」とからかうテッシーにチョップを食らわせたのは言うまでもない。いらぬ誤解を受けないためにも、これからは丁寧かつ迅速に済ませないといけないな。次回への課題だ。




洋式美(洋式トイレとは言っていない)

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