話は一昨日の夜へと遡る。
試合後、部屋で一人落ち込む桜庭に会いにやって来たのは…金剛雲水だった。
「ど、どうしたんだ雲水、こんな時間に?」
「うん、迷っているお前に渡したい物があってな」
動揺する桜庭に対し、いつも通り淡々と話す雲水。
「わ、渡したい…物?」
明後日学校で会うのにわざわざ来た雲水に怪訝な表情になる桜庭。
「ああ」
そう言うと雲水は、何か入った紙袋を差し出した。
「…」
ベッドに腰掛けたまま、とりあえず両手で受け取る桜庭。
「軽いな、木?」
軽く振ってみるとカラカラと音がした。
「中に二つ入っている、片方だけ受け取ってくれ…そして、選ばなかった方は…捨ててくれ」
「あ…うん、わかった」
試合でのショックで思考停止状態の桜庭は、ほとんど反射的に返事をした。
「それだけだ……じゃあな、また学校で会おう」
そう言うと雲水はさっさと帰ってしまった。
「……なんだったんだ」
結局最後までベッドから立ち上がることがなかった桜庭、見送る気力すら今の彼にはなかった。
とりあえず中を見てみようと袋を開け、逆さにすると中から表札くらいの大きさの木の札が二枚出てきた。
木札には文字が書いてあり、それを読んだ瞬間、桜庭は全身に鳥肌が立った。
それぞれの札にはこう書かれていた。
【アメリカンフットボール】
【モデルの仕事】
思わずベッドの端に逃げてしまう桜庭。
混乱した頭を抱えてうずくまってしまった。
「………う…うぅ……」
恐怖の表情で低い呻き声をあげる桜庭だったが、
「うわぁぁぁ~~~!!!」
自身も気付かずにいつの間にか悲鳴をあげていた。
雲水がさっき言った言葉が頭をよぎる。
(中に二つ入っている、片方だけ受け取ってくれ、そして、選ばなかった方は…捨ててくれ)
選ばなかった方は捨ててくれ
捨ててくれ
どちらかを。
唐突に試合中の一休の言葉が鮮明に蘇ってくる。
(いいか、アメフトの神様、いや、仏様はな、なんもかも捧げねえと何一つ与えてはくれないんだよ、生活の全てをアメフトに捧げて初めてたった一つのことを成し遂げられるんだよ、そうしないと何も得られない、お前みたいにモデルの仕事をしながら女の子にキャーキャー言われてついでにアメフトするような奴には特にな)
一休の言っていたことが今ようやく身に染みてわかった。
(雲水の贈り物と、一休の言っていることは同じなんだ)
更に一休の言葉が勝手にどんどん思い出してくる。
ハーフタイムでの一休の説教は、聞いてはいたが、そんな本気で暗記しようとしていたつもりもないのに、一言一句誤らず正確に憶えていた。桜庭本人には自覚はなかったが、一休が言った言葉は彼の心に深く刻みついていた。
(自分が凡人であることを自覚しているくせに、モデルの仕事とアメフトを両立させてやっていけると思ってる事そのものが、アメフトをナメてんだよ、さらにそんなどっちつかずの中途半端で、俺と戦えると思ってること事体、俺をナメてんだよ、いいか……)
一休の言葉をBGMのように思い出しながら桜庭は思った。
(雲水…そういうことなんだな…俺に…選べと…そして、どちらか捨てろと)
桜庭はゆっくりと這うように床に落ちた木札に近づいて拾うとテーブルに並べて置いた。
そして、正座して座ると真上から睨みつけるように二つの木札を凝視した。
(俺がこれからやらなきゃいけないこと…ヒントはあったんだ、一休の言葉とか、それを雲水は形にして示してくれた………でも、俺に選べるのか…)
・
30分経過。
桜庭は微動だにせず汗をダラダラ流しながら木札を睨み続けている。
(え、選べない!!!)
心の中で彼は悲鳴をあげていた。
(正直、アメフトを辞めるなんて考えもつかない、そんな選択考えたくもない、じゃあモデルの仕事を辞めるしかない…でも、モデルの仕事だって大事だ、そもそも始めたのはマネージャーがスカウトしてくれたからだけど、俺自身の意思でやると決めたんだ、それをこんな中途半端なところで辞めるなんて、俺に言えるのか?言う資格があるのか?ならアメフト辞める?いや、それはない)
桜庭はさっきからずっとこんな思考で無限ループをしていた。
「このままでは埒があかない、考え方を変えよう、この選択は俺の一生を左右する人生の分岐点かもしれない気がする」
桜庭は正座していた足を胡座に変え、腕を組んで考え始めた。
「一生の問題となると、そもそも俺はいつまでアメフトが出来るんだろう、高校は当然だが…大学は…やってるだろうな、ならその先は、社会人になってやっているかといえば、就職先がアメフト部のある会社ならやってるだろうと思うが、プロに行くというのは俺にはいくらなんでも現実的ではない気がするのでこんなところか、アメフトは運動量が激しいので選手の寿命はそんなに長くない……一生の問題として考えればモデルやってるほうがマシか、タレントに転進して芸能界に入れれば一生食いっぱぐれはないし…じゃあこっちか!」
そう言うと桜庭は「モデルの仕事」の方の木札に手を伸ばした。
しかし、手に触れる直前にピタリと止まる。
「いや待て…待てよ俺、こんな安易な考えで選んでしまったら一生後悔する気がする」
伸ばしていた手を戻すとまた腕を組んで唸り始めた。
・
更に一時間後。
考えがまとまらず、堂々巡りを延々と繰り返していた。
そしてそのうちに、今日は試合で疲労困憊し、精神的にも落ち込んで飽和状態だった桜庭の心にいつしか妥協する考えが芽生え出した。
どうしても選らばなきゃいけないの?
と。
(雲水はどっちか選べって言ってたけど、別に選ばなくったっていいんだ、適当に楽しく部活をやって、楽しくモデルの仕事をやって、俺もマネージャーもファンもみんな幸せに過ごして、誰も辛い思いもしなくて、何の悩みもない、苦しみもない、それは幸せってやつじゃないか…そうだよ、ファンやジャリプロの人達の思いを踏みにじってまで苦しい思いをする必要がどこにあるんだよ…俺は今ここで何も選ばないだけで、幸せな人生を手に入れられるんだ、高見さんや雲水だって、俺が真剣に考えて出した答えなら認めてくれるハズだ、天才になんて勝てないんだから、身の程を知ってわきまえただけ…それでいいじゃないか、そんな選択肢だってあるさ)
水は低きに流れるように、思考も低きに流れ易い、そのほうが楽だから。
だがその実の半分は思考放棄であることに気付かない。
何でも一人で抱え込んで悩む人間は一度低く流れ出した思考の修正がきかない。
しかし、そうでない場合、修正がきく場合は、その人間は一人ではない。
そんな選択肢だってあるさと考え、少し心が軽くなった次の瞬間に心に浮かんだのは、
セナの姿だった。
(なんでここでセナを思いだすんだ?)
桜庭自身にもどうしてセナが心に浮かんだのかわからなかった。
今日彼が見せたプレーの数々がビデオ映像のように次々と思い出してくる。
(さっき一休の言葉を思い出したのも意味はあった…ならばセナのプレーを思い出したのも何か意味があるのかもしれない…少し考えてみよう)
相変わらず木札を見つめたままだが、腕を組んで考え出した。
・
少し冷静になって考えてみると、疑問点が浮かび上がってきた。
(あの最後のプレー、セナはどうしてあんなボロボロだったのに出場したのだろう、交代を告げた監督を説得してまで…どうして?)
疲労と絶望から煮えていた頭が少しずつ冷えてきた桜庭はゆっくりと順序だてて考えていく。
(俺が見たって無茶だったのはわかるくらいだ、セナがわかってないハズがない…もし怪我なんかしたらアイツは将来プロになれるかもしれないくらい有望なのにそれを棒に振るような……)
自分はたった今将来のことを計算してモデルの仕事を取ろうとした。
だが今日の試合のセナはこの先のことだってわかっているはずなのに出場を強行した。
…つまり
「………………そんなことはどうでもよかったのか?」
頭に湧き上がってきた答えらしきものに困惑する。
「でも、そんな…その場限りの感情に任せた迂闊な選択じゃないか…賢明じゃない」
それを必死に否定しようとするが、自分の中の何かが出てきた答えを肯定していた。
「…セナとは知り合ってそんなに経っていないけど、彼はそんな迂闊な判断をする人間とは到底思えない…ならば、この答えは合っているのかな?」
でも何がどう合っているのかわからない、後少しで納得する答えに辿り着けそうなのに届かない。
もどかしい思いに頭を掻き毟る。
「頭で理解することと心が納得することは違うということなのか…」
・
更に時間が経過したが、未だ納得できる答えには至っていなかった。
「何が正しいんだろう?…答えって何だろう?…真実って……一体何なんだろう?」
胡座をかいて座って考えていたが、とうとう後ろに倒れこんで大の字に寝転がった。
「…わかんねえよ……………」
そう呟き、そのままうつらうつらとうたた寝をはじめた。
・
・
・
そんな中で桜庭は夢を見た。
旅をする男の話。
(あ、この夢覚えてる…子供の頃に読んだ絵本だ…確かタイトルは…「エルドラドの旅人」だったっけ?)
明晰夢というやつなのだろう、自分が夢を見ているということを自覚しているが、その時はそれを疑問とも思わずに夢の続きを見ていた。
~エルドラドの旅人~
いつかどこかの時と場所。
理想郷エルドラドを探して放浪する旅人がいました。
エルとは国。
ドラドとは黄金。
そこは全てが満たされた国。
争いもなく、苦しいことも悲しいこともない。
人々は笑いさざめき、暖かく穏やかな日々を享受している。
そんな国があるはずだと旅人は信じ、放浪を続けていました。
だが一向に見つかりません。
どこに行こうと争いは絶えず、人々の顔は暗く、世界は残酷でした。
それでも旅人は諦めず探し続けていました。
そんなある日、旅人は一人の男と出会いました。
長い銀髪の不遜な態度の若く美しい男。
その男は旅人の目的を聞くと、鼻で笑ってこう言いました。
「はっ、そんな都合のいいモン、この世にあるワケないだろ!」
真っ向から否定されましたが、それで諦める旅人ではありませんでした。
銀髪の男の言うことに揺るがず、理想郷の存在を信じていました。
男と別れ、旅人は放浪を続けます。
エルドラドを探して。
探して
探して
見つからず、挫けそうになるも
それでも探して
旅人はボロボロになりながらも放浪を続けましたが見つかりません。
ある雨の日、疲れ切った旅人は、這うように進んでなんとか大きな木の下に辿り着いて身体を休めます。
疲れた旅人は止まぬ雨を見つつ、とうとう思ってしまう。
あの銀髪の男の言うとおり、理想郷などないのではないかと。
だがすぐ否定します。
「そんなはずはない、もしそうならば、この世は絶望しかないではないか、希望はあるはずなのだ、人には必要なのだ、なければならないのだ」
雨空に向かい、大声で叫ぶ旅人。
旅人は天に向かって放った叫びだったのに、驚くことに返事がありました。
「それで、見つかったかい、理想郷は?」
旅人が休んでいた大木の木の枝に腰掛けてそう言ったのは、以前出合った銀髪の男でした。
旅人は疲れていましたが気力を振り絞って言い返しました。
「まだだ、だがないのではない、未だ見つかっていないだけだ」
それに対し、銀髪の男は以前と同じように不遜で皮肉めいた顔と口調で言います。
「理想郷ねえ…それってつまり、争いは全く無く、全ての生き物が平等な世界ってことかい?」
そう尋ねる銀髪の男に旅人はそうだと肯定します。
それを聞いた銀髪の男は、不遜な表情が消え、憐れみの表情になると、こう言いました。
「もし、そんな世界があったとしたら、そこに住んでいるのはもう…人じゃあないよ」
言われた事の意味がわからない旅人に、銀髪の男は続けて言います。
「君はさあ、自分の愛する家族と、会った事も無い大地の裏側にいる人殺しを平等に公平に見ることができるのかい?出来るわけないよね、極論すればつまりそう言うことさ」
旅人は絶句し、何も言えませんでした。
「愛する人には幸せになって欲しい、他の人よりも…それって言い換えれば差別なんだよね、平等なんかじゃない、人間の根本には「愛」があるのは認めるけど、愛があるからこそ争いは生まれるのさ」
「つまり、完全な平等ってことは、人間が愛を捨て去らなければ実現不可能なんだ」
「矛盾しているんだよ、理想郷の存在そのものが、だって…人間の愛は…壊れているんだから」
・
・
・
「…はっ!」
ここで桜庭は目が覚めた。
「うたた寝しちまったか…しかし、今の夢…」
起き上がって身体を伸ばす。
時間はもう深夜になっていた。
「なんであんな昔に読んだ絵本の夢なんかを…」
またその場で座り込んで考え出す。
「…俺が今悩んでいて出せない答えと似てたからリンクして思い出したのか?」
「結末なんだっけ?読んだの子供の頃だし、内容が小難しかったのでよく覚えてないけど確か…旅人が幸せになってめでたしめでたしで終わったような気がする…なんであの状態からハッピーエンドになるんだ?」
何とか思い出そうとまた立ち上がって部屋の中をウロウロする。
「駄目だ、思い出せない…くそ、今の俺の求めている答えのヒントになりそうなのに…あ!」
桜庭は走って部屋を出て行った。
「あの絵本、まだ捨ててなかったハズだ」
進むと逃げるの木札:逆境ナインから。リアルでやってみるとわかるがこれ実は結構効果ある。
「エルドラドの旅人」
こんな絵本は実在しません。書きたいから書きました。
来週更新予定