【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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7.固まる決意

 ──翌日の朝。

 

 意外にも、藤ねえと桜への説明はあっさりと済んだ。

 アーチャーたちを見た瞬間に凍り付いた桜と藤ねえだったが、俺の説明と遠坂のサポートの甲斐あって、何とか三人が居候することを納得させられた。

 曰く、セイバーとアーチャーは遠坂の外国での知人。この度遠坂に会うために冬木市にやって来たのだが、折しも遠坂の家は改装中。というわけで、事情を聞いた俺が、我が家を提供することにした──という建前だ。

 よくよく考えてみれば、何故日本に来るのに連絡を寄越さなかったのか、何故遠坂に外国人の知人がいるのか、とツッコミどころが満載なのだが、そこはそれ。遠坂の演技力には舌を巻いた、と言うほかない。アイツ、本当に学校では猫を被っていやがった。

 ちなみに、一番面倒臭そうなアーチャーについては、旧い貴族の出身だからちょっとワガママ、というデタラメを桜と藤ねえに吹き込んである。あの金ぴかが偉そうな態度を取っても、これで怪しまれることはない……はずだ。たぶん。

 そんなわけで二人への説明を済ませると、一気に賑やかになった朝食が始まった。

 今までは俺と桜、藤ねえの三人で食べていたのだが、人数が一気に倍になったので、作る量も二倍になる。今朝は何とか間に合ったが、これは明日にでも買い出しに行かないとまずいかもしれない。

 

「どうぞ、先輩」

 

「ん。……サンキュ、桜」

 

 居間の一角で、差し出された茶碗を受け取る。白米の温度が、陶器越しに腕に伝わってくる。

 ……結局、今朝の食事の用意は大半を桜に任せてしまった。このままでは申し訳ないし、今夜からはきちんと腕を振るわなければ。人数が倍に増えたので、俺としても思う存分料理ができるのは楽しみだ。

 それに、遠坂たちに不甲斐ない家主だと思われたままなのも癪だ。桜が料理を作っている、と聞いた瞬間のあの生温かい目線、絶対にアイツはろくなことを考えていない。

 

「──ふむ。この卵焼き、砂糖が一匙多いようだな。今少し減ずれば主菜との調和が取れよう。精進せよ、娘」

 

「えっ、一口食べただけなのに、そんなことまで判っちゃうんですか? 貴族の方って凄いんですね。

 実は私も、今朝はちょっと入れ過ぎたかな、って思ってたんです。細かい味の調整とかは、まだまだ先輩には敵いません……。

 ありがとうございます、アーチャーさん。次は気を付けますね」

 

「アーチャー。作って頂いた食事に対して、その傲慢な態度は何なのですか。

 ……気にしなくて構いません、桜。私には、この味が心地良い」

 

「ハッ。料理の機微を解さぬとは、器が知れるぞセイバー。さては貴様、満足に調理を学んだこともあるまい?」

 

「なっ……! 私の調理経験など、貴方には関係ないでしょう!」

 

「……貴方たち。食事の時くらい、ケンカしないで食べない?」

 

「今日は賑やかねー。うちの若い衆も、この位元気に食べればいいのに。やっぱり若い子は元気が一番よねー」

 

 ……なんだ、この混沌(カオス)

 衛宮家史上、かつてない程の複雑怪奇な食卓が出来上がってしまっている。人数が増えると、食事とはかくも騒々しくなるものなのだろうか。何というか、果物も野菜も関係なしにごった煮にして鍋に放り込んだような状況である。要するに、収拾がつかない。

 どうすればいいのか判らず、一人黙々と箸を進める。会話……になっているのかどうかは謎だが、言葉の応酬には加わらず次々とおかずを口に運んでいく。

 

 アーチャーは偉そうに、料理一品一品を口にするごとに文句やら注文やらを細かく言っている。おまえ、少しは客の立場というものを理解してくれ。

 それを聞いている桜は予想外にも、ふむふむ、と頷きながらメモなんかを取っているし。いや、アーチャーの意見は確かに参考になるんだが、どうしてこうやる気を出しているんだ。

 セイバーはアーチャーを諌めようとしていつの間にか口喧嘩になってしまっているし。その合間にも箸の動きを止めないあたり、余程お腹が減っていたのだろうか。

 遠坂はと言うと、この騒乱ぶりに慣れたのか、諦めたように時々口を挟みながら、的確におかずを平らげていく。その牛肉の時雨煮、高かったんだから一人で独占するんじゃない。

 藤ねえは基本的に騒がしいのが好きな人なので、何時にも増して上機嫌だ。一旦遠坂たちを居候と認めてしまうと、人数が増えたことで楽しくて仕方がないらしい。いつも以上にご飯の減りが早いので、そろそろ胃が心配になってくるが、アレは虎なので大丈夫だろう。

 

 うん。まあ、それはさておき。食事の必要のないサーヴァントが何故普通に朝食を食べているのかと言うと、それには当然理由がある。

 サーヴァントは霊的な存在であるため、食事だけでなく睡眠の必要もない。しかし、食事や睡眠は僅かながら魔力消費を抑える効果があるらしい。ないよりはマシといった程度だが、一円を笑うものは一円に泣くとも言う。後々困らないためにも、細かい部分まで気を使っておくべきだろう。肝心な時に、魔力が切れてガス欠になってしまうのは困る。

 それにセイバーはともかく、アーチャーは現実の肉体を持っている。普通の人間とは異なるようだが、それでも多少腹は減るようだ。アーチャーとの間には最低限のパスしか繋がっていない以上、アイツの状態がどうなっているのかは未知数だが、できる手は打っておくに越したことはない。

 ……それに。俺たちが食事をしている中、アーチャーとセイバーだけが仲間外れというのは、何となく嫌だ。本人たちはよくても、それでは俺の気分が悪い。

 

 ──と。そんなこんなで騒がしかった朝食を終えて、後片付けも済ませてしまった。

 桜は弓道部の朝練があるし、藤ねえはうちの学校の教師なので、いつも俺より一足先に学校へ行ってしまっている。となると、残りの家事の担当は俺になるわけだ。

 なんとも朝から慌ただしいせいか、時間の経過が早いように感じる。いつの間にか、洗い物の時間になってしまっていた。

 人数が増えた分だけ食器も増えているが、まあ大した負担にはならない。朝は時間に余裕があるから、少しくらい洗い物が増えたところでどうってことはない。

 

「──次のニュースです。多発している冬木市新都での行方不明事件ですが、今朝になって新たな行方不明者が判明したという情報が入ってきました。警察では、海外の人身売買組織が関係しているとの見方を強めており……」

 

 居間にいる誰かが、テレビの電源を入れたらしい。たまに見ている朝のローカルニュースが、よくない情報を伝えてきた。

 

「ん? まだこのニュースやってたんだ。

 ……馬鹿ね。こんなの、深山町(こっち)でも起きてるっていうのに」

 

 ──と。遠坂が、聞き捨てならない言葉を呟いた。

 それを聞き逃せず、皿を洗っていた手を止める。居間の方を振り向くと、不機嫌そうに腕を組む遠坂の姿が視界に映った。

 

「遠坂。それ、どういう意味だ」

 

「そのままの意味よ。ここ数日、新都での行方不明事件が報道されてるけど、それはあっちだけの話じゃない。深山町でも、何人か行方不明者が出てる」

 

「おい、それって──」

 

 聖杯戦争に関係しているんじゃないか。

 そう続けようとした口は、遠坂の冷たい視線を前に固まった。

 

「ええ、衛宮くんの想像通り。十中八九、マスターかサーヴァントが関係していると思っていいでしょうね」

 

「──ふん。此度の聖杯戦争、随分と愚鈍な鼠が紛れ込んでいるようではないか」

 

 遠坂に続いて、つまらなそうな顔をしたアーチャーが吐き捨てる。その言葉の意味は、未熟な俺でも嫌でも分かった。

 魔術師というものは、世間に神秘が漏洩するのを極端に恐れる。理由は様々だが、これは常識以前の問題、神秘に携わる者ならば誰しもが持っている共通認識と言っていい。魔術師を束ねる魔術協会も、そもそもは『神秘の秘匿』の一点のみを守るために作られた組織だ。

 にも関わらず。こうしてニュースになるほど、大々的に何かを……しかも、一般人を行方不明にするような何かをしでかしている魔術師がいる。この騒動が更に広まれば、魔術協会の執行者──即ち、ルールに反した魔術師を殺すための処刑人が派遣されてもおかしくはない。

 魔術師としての最低限の法を無視するとは、俺よりも物事を知らぬ愚者か、或いは魔術協会の制裁すら恐れぬ豪傑に違いない。

 

「これだけじゃないわ。まだ噂程度だけど、最近ガス漏れ事件が頻発してるのは知ってるでしょ? あれも多分、サーヴァントの仕業よ。被害者は、揃って魔力を抜かれてる。

 町の人たちから少しずつ、生命力という魔力を奪い取ってるのよ。難しいけど、魔術師としてのルールにも触れていないし、確実な方法ではあるわ。」

 

「な──」

 

 瞠目する。

 それは……他のマスターやサーヴァントは、一般人を巻き込むことを厭わないとでも言うのか。

 絶対に賛同など出来ないが、魔術師にとっては神秘が秘匿さえされていれば後はどうでもいい。一般人が何人死のうが、世間に露呈しなければ構わないという、自分勝手な奴らが魔術師なのだ。

 しかし、それにしてもこれは異常だ。

 ニュースになっているという時点で、犯人は既にギリギリのラインを踏み越えている。それでも事件が続いているということは、尋常では有り得ない。

 

「今回の聖杯戦争、何かキナ臭いわ。一人くらいならおかしいのがいるのも解るけど、行方不明事件の犯人とガス漏れ事件の犯人は多分別々よ。

 ガス漏れ事件の方は、やり方は気に食わないけど、下手人はきちんとルールを守ってる。被害にあった人間も命に別状はないし、何日かすれば元気になるでしょう。世間では、単なる事故と判断されて終わりでしょうね。

 ──でも、行方不明事件の方は違う。こっちは、本気で頭の悪い三流の仕業よ。神秘の漏洩なんて、端から気にかけてもいない」

 

「……遠坂。その犯人、誰だか判るか?」

 

「判ってたらこっちからぶん殴りに行ってるわよ。わたしの町でこんなふざけた真似しようなんて、聖杯戦争以前の問題だわ」

 

 憤然と吐き捨てる遠坂。この状況に怒っているのは、俺一人だけではなかったらしい。その様子を見て、少し安心した。

 アーチャーは相変わらず無表情のまま座っているが、セイバーは鋭い視線でニュース画面を睨んでいる。自分を騎士だと言っていた彼女も、こんなふざけた事を見過ごしてはおけないのだろう。

 戦いを覚悟している者が巻き込まれたのなら、まだいい。聖杯戦争に参加している者同士が争うなら、それは解る。それぞれに聖杯を求めるだけの理由がある以上、他の参加者を蹴落とすべく策を巡らすのは当たり前だ。敵のマスターを攫う、意識を失わせる、或いは……その命を奪う。どんな手法を使おうとも、賛同はできないが理解はできる。

 

 ──だが。何も知らない普通の人を巻き込むなんて、そんなのは間違っている。

 

 巻き込まれた人にも、生活があったはずだ。それぞれに仕事があり、家庭があり、友人があったに違いない。明日もまたいつも通りの一日をこなそうと、そう生きていたはずなのだ。

 ……しかし。その生活は、理不尽によって打ち砕かれる。

 サーヴァントの暴威。人を超えた存在による暴力。そんなものは、天災と何も変わらない。普通の人間には、抗えるはずもない。最悪なのは、これが意思持たぬ自然災害ではなく、人の欲望によって生み出された惨劇だということ。

 十年前。前回の聖杯戦争の結果、この町は前代未聞の被害を被った。何百人もの人々が、不条理な欲望の犠牲になったのだ。そんなことは、もう二度と繰り返させるわけにはいかない。

 そんなヤツを止めるために、俺は聖杯戦争へ参加する覚悟を決めたのではなかったか。

 

 ──喜べ、少年。 

 

 なのに、なんで。

 

 ──君の願いは、ようやく叶う。

 

 言峰(アイツ)の声が、こんなにも耳に残るんだ。

 

「……前回の聖杯戦争でも、犠牲を厭わぬ輩はいました」

 

 その声に、無意識に伏せていた顔を上げる。

 声の主はセイバー。正座したまま、何かを悔やむように暗い表情を浮かべた少女は、僅かに肩を震わせていた。

 

「え、ちょっと待ってセイバー。貴女、前にもサーヴァントとして召喚されてたって言うの?」

 

「はい。私がこの聖杯の争いに参加するのは二度目です。前回の時も──無差別に子供を攫い、殺害していたサーヴァントがいました。

 余りにも被害が拡大し過ぎたため、監督役の判断で聖杯戦争は一時中断され、そのサーヴァントは全陣営から敵と見なされた。

 最後は私の宝具で決着をつけましたが、そのサーヴァントを倒すまでの間、無辜の民に少なくない犠牲が出たのは事実です」

 

「そっか、監督役……この件は綺礼も確認してるだろうし、アイツが何か手を打つかも……借りを作るのは癪だけど、どうにか……」

 

 むう、と何やら考え始めた遠坂。その間に中途半端になっていた洗い物を終え、居間へと足を運ぶ。

 

「…………」

 

 ぶつぶつ唸っている遠坂と、深刻な顔で座っているセイバー。それぞれ何かを考えているようで、俺が来たことにも気付いていないようだ。前回の聖杯戦争にも参加していた、と言ったセイバーに訊きたいこともあるが、今の彼女は話をしたくない、という雰囲気を放っている。後で、改めて訊いた方がいいだろう。

 となると……自然と、俺の視線はアーチャーに向くことになる。

 退屈そうな表情で、流れ続けるニュースを追う黄金の青年。禁忌を破った聖杯戦争の関係者がいると聞いても、興味も関心もない、所詮は他人事という態度のままだ。冷酷無比なこの男にとっては、一般人の生死すら何も感じないのだろうか。

 

「アーチャー。おまえ、この事件についてどう思ってるんだ?」

 

 気付けば。思わず、そんな言葉を口にしていた。

 テレビの画面を見つめていた紅い瞳が、こちらに向けられる。相変わらず、そこには何の感情も宿っていない。あるのはただ、無関心という冷たさのみ。

 

「別段思うところはない。人間とは、犠牲がなくては生を謳歌できぬ獣の名だ。己が欲望の為ならば、弱者を踏み躙り、平然と女子供を犯し殺す。

 加えて、此度の遊戯は『何でも願いが叶う』などという願望器の争奪戦だ。その謳い文句に目が眩んだ雑種は、法を無視してでも己が本懐を遂げるべく動こうよ。

 ──ふん、まあ良い。それよりも、気付いたか雑種。このガス漏れ事件とやら、裏に潜んでいるのは中々腕の立つ魔術師らしい」

 

 アーチャーに促され、テレビの画面を見る。

 いつの間にか、ニュースの内容は新しいものに切り替わっていた。最近はガス漏れが多いので気を付けましょう、というそれだけの短いニュース。

 先程の連続行方不明事件と比べると、そのインパクトは小さい。マスコミの方も、単なる事故としか認識していないようで、早々にニュースを終えると天気予報のコーナーへと移ってしまった。

 

 ──人間とは獣の名、か。

 確かに、アーチャーの言う通りかもしれない。人間は身勝手で、我儘な生き物だ。もし欲望を抑える手段がなければ、人類はあっという間に自滅することだろう。

 けれど……そうならないために、法律や道徳というブレーキが存在するのだ。倫理、宗教、哲学、規範。様々な基準があるが、どれも大概同じことを言っている。即ち──『他人に危害を加えるのはやめよう』、と。

 人は、数多の他人が構成する社会という基盤の上に成り立つ存在だ。自分一人だけの世界にいるのではない以上、自由気儘に生きていくことなどできない。

 だけど、偶にそういったルールを理解せず、犯罪に手を染める者が現れる。当然ながら、そういった人間は社会組織によって速やかに裁かれる。他者に危害を加える者を放置しておいては、それは社会全体にとって害悪となるからだ。

 

 ──ならば。人の域に留まらぬ『悪』とは、一体誰が裁けば良いのか。

 

「どうやら深山町(こちら)側のみならず、新都(むこう)でも同様の事件が起きていたようだ。町二つ分が射程範囲とは、雑種にしては腕が良い。

 だが、些か手際が良すぎるな──安直な結論ではあるが、魔術師(キャスター)のサーヴァントの仕業と見るべきか」

 

「……キャスター?」

 

 俺の反芻に、然り、とアーチャーは頷く。

 

「キャスターは、魔術に長けた英霊のサーヴァントだ。人間ならば規格外の所業でも、太古の時代に生きた英霊にとってこの程度は児戯に等しい。

 この事件の下手人がキャスターと仮定するならば、雑種どもから周到に魔力を掻き集めている理由にも納得がいく。魔術以外に取り柄を持たぬクラスである以上、その燃料は幾らあっても困らぬからな」

 

 第五のサーヴァント、キャスター。

 遠坂の説明によると、武器を使いこなすセイバーやアーチャーとは違い、キャスターは文字通り魔術を用いて戦うサーヴァントだ。現代の魔術を易々と凌駕する神秘を引き起こす、本物の大魔術師のクラス。そいつが、町の人たちを巻き込んだ事件を引き起こしているのだろうか。

 でも……先程報じられていたニュースは、一つだけじゃない。寧ろ、ガス漏れ事件の方はおまけに過ぎなかった。昨日の夜も報道され、今も特集が組まれていたニュースは──多発する、謎の行方不明事件。

 

「そっちの犯人がキャスターだって言うんなら……じゃあ、行方不明事件の方は?」

 

「さてな。如何に我とて、情報がなければ結論を導けぬ……が、推論はできよう。

 考えてみよ雑種。その狭隘さを脱し、消息を絶った人間どもを『道具』としての視点から見るがいい。

 血、肉、骨、魔力──そら。単なる材料として見れば、人間という生物は魔術師好みのモノであろうに」

 

 そう言い放ったアーチャー。その残忍さよりも先に、言葉の内容に怖気が走った。

 俺は、『人間が消えている』という事件にしか目を向けず、それが何故引き起こされているのか、という原因には思い当たらなかった。それを考えれば、その事件の根本に辿り着けるかもしれない。

 古来より、魔術には代償が付き物だ。神秘の世界に於いては、動物や植物、或いは人間そのものを捧げる儀式など珍しくもない。

 聖杯戦争に参加したマスター、或いはサーヴァントが、人間を使って何かをしようとしている──。

 

 ──ふざけている。そんな蛮行を、見過ごしておけるはずもない。

 

 他人に迷惑をかける、どころの話ではない。拉致された一般人は、恐らく帰ってくることはないだろう。犯人にとっては、彼らは『道具』でしかないのだから。

 単なる殺人などではない。そこに人間の尊厳などない。何が目的なのかは知らないが、普通の人を攫って材料にするなど、許されていい道理がない。

 止めなければ。

 こんなことは、止めなければならない。

 たとえ、マスターやサーヴァントを倒すことになったとしても。衛宮士郎は、そのために戦うと決めたのだから。

 怒りを抑えて、拳を握りしめる。酷薄な笑みを浮かべたアーチャーは、冷たい瞳で俺の様子を見つめていた。

 

「他人の命が大切なのだろう、小僧? ならば、歩むべき道はただ一つ。それを、努々忘れぬ事だ」

 

 確かな非情さを滲ませて、そう告げたアーチャー。これ以上話す気はないのか、その視線は再びテレビの画面に向けられている。

 賑やかだったはずの、朝食。だが……分かっていたことだったが、聖杯戦争の話になった途端、各人の纏う空気が冷たくなった。四人もの人間が集まっていると言うのに、今やこの空間に響くのはテレビの空虚な音声だけ。

 自分の家だと言うのに、どこか居心地の悪さを感じる。そんな状態のまま、朝の時間は静かに過ぎていった。

 

 

***

 

 

 ──学校での、昼休み。

 

 今まで授業を受けていたはずだったが、頭の中には何も入ってこない。今考えるべきなのは学校の勉強などではないと、俺自身が何より知っている。

 授業中もずっと考えていたのは、他ならぬ聖杯戦争のことだ。

 

 今までに出会ったサーヴァント。

 マスターだという、遠坂凛とイリヤスフィールという少女。

 冬木市で引き起こされた、数々の事件。

 

 それらに、俺はどう立ち向かえばいいのか。覚悟を決めたとはいえ、素人に近い俺には、どうすれば良いのか具体的な形が浮かび上がってこない。ずっと考えていたのだが……一人で悩んでいても、結局答えは見つからなかった。

 なら、他人に相談してみるしかない。幸い、今の俺は一人じゃない。一時的な同盟とはいえ、頼れる仲間がいるのだから、こんなに心強いことはない。

 折しも、今日は遠坂から屋上に来るよう誘われている。向こうでも何か話があるのだろうが、俺からも彼女に訊いておきたい話は山ほどある。

 

 ……というわけで、昼食を買ってから屋上に向かう。

 本当なら、昼食はいつも自分で作っているのだが、今日は朝食の用意が忙しかったせいで作っている暇がなかったのだ。最近は桜が手伝ってくれることもあるが、部活の朝練がある後輩に頼ってばかりというのも申し訳ない。

 

「────」

 

 屋上の扉を開ける。途端、吹き込んできた冷たい風で身体が震えた。

 見渡す限り、人の姿は確認できない。そもそも、冬場に屋上に出てくるような物好きは滅多にいないだろう。こんな場所でのんびりしていた日には、風邪を引くこと間違いなしだ。

 でも──人がいないからこそ、大声でできないような話も堂々とできるわけで。

 

「遅い! 何してたのよ士郎!」

 

 隅の方で小さくなっている遠坂と、こうしてこっそり会うこともできるのだ。

 

「悪い。おまえの分も昼飯とコーヒー買ってきてやったから、それで勘弁してくれ」

 

「あれ……アンタ、意外と気が利くのね」

 

 ずい、とサンドイッチとコーヒーを差し出すと、きょとんとした顔を見せた遠坂。でもそれは一瞬で、失礼なコトを言いながら何の遠慮もなく差し入れを攫っていった。

 震えながら缶コーヒーを握りしめ、ふーふーと息を吐いている。それが小動物のようで、何となく微笑ましかった。

 

「意外って……まあいいけど。それより遠坂、一つ気になってたんだが──」

 

「ん?」

 

「俺の呼び方。何時の間に、『衛宮くん』から『士郎』になってたんだ?」

 

 意識してみて、初めて気が付いたが。呼び方だけでなく、どことなく態度も親しげになっているような気がする。

 

「あ、なんだ。そんなこと? 協力関係になったんだし、いつまでも他人行儀じゃよくないかなー、と思って。嫌なら戻すけど?」

 

「……いや、そのままでいい。ちょっと気になっただけだから、遠坂がそれでいいって言うならそれでいい」

 

 何と言うか。女の子に名字ではなく名前で呼ばれることが滅多にないせいか、どうにも落ち着かない。必要以上に遠坂を意識しないよう、一度深呼吸する。

 桜は俺を先輩、としか呼ばないし、藤ねえは……あれは、異性の人と言うより異星の人だ。改めて、俺は人付き合いが上手い方じゃないんだな、と実感した。

 そんな俺を不思議そうに見ていた遠坂だったが、コーヒーを一口飲むと、唐突にニタリと笑みを浮かんで見せた。

 今わたし悪いコト考えてますよー、と全力主張しているような笑い方。多分、人を騙そうとしている悪魔はこんな感じに笑うのだろう。さながら、今の遠坂はあかいあくまとでも言うべきか。

 

「ははーん、そういうコトか。なるほどなるほど。

 ……さては。女の子に名前で呼ばれたことないんでしょ、士郎」

 

「…………ぐ」

 

 それが真実だけに、言葉に詰まる。というか、何でそれを見抜いたんだコイツ──!?

 

「ほうほう。やっぱりそっかー」

 

 口を噤んだ俺を見て、益々笑みを深める遠坂。この悪辣さ、悪の組織の幹部だと言っても疑う者はいないだろう。何日か前まで、コイツの被った猫に騙されていた俺を引っ叩いてやりたい気分だ。

 すす、と僅かに距離を開ける俺。このままでは何か邪悪なものが移る。悪霊とか不運とか、よくないものがやってくるに違いない。

 ……ところが、何故か俺へ寄ってくる遠坂。もう一度距離を開けると、更に距離を詰めてくる。ええい、何かいい匂いはするし、そんなに近寄ってこられるとこっちはドキドキするんだっての──!

 

「士郎。わたし寒いんだけど、そっちへ寄ってもいいかしら?」

 

「ちょ、おまえ、何でこっちに来るんだおい──!?」

 

 狼狽する俺を見て、けらけらと笑う遠坂。間違いない、コイツ超楽しんでる。純真な男子をからかって楽しむ、いじめっ子タイプに違いあるまい。

 俺が独り確信を深めている合間にも、楽しそうに俺の全身を眺めてくる。間違いなく、今の俺はこの悪魔に弄ばれている。

 ……ややしばらくして。手に持ったままだったコーヒーを更に一口飲むと、遠坂は空気を切り替えるように真剣な表情を向けてきた。

 

「──さて、お遊びはこれぐらいにして、と。それじゃ本題に入ろうかしら。

 単刀直入に言うけど。士郎、この学校の結界には気付いてる?」

 

「────?」

 

 結界? 遠坂が何の事を言っているのか、今一つ判らない。

 首を傾げる俺を、あからさまに呆れた顔を浮かべる遠坂。やれやれと言わんばかりに、ため息さえついて見せた。

 

「マスターかサーヴァントか、どっちの仕業かは判らないけど。この学校の敷地全体に、強力な結界が仕掛けられてるのよ。

 それも、外界からの防御じゃなくて、内部の人間の生命力を奪うっていうあくどいヤツ。発動はまだ先になると思うけど、それでも何かおかしいって判らなかった?」

 

 ……そう言われてみれば。

 ここ数日、学校全体に妙な違和感があった。どことなく元気がないと言うか、活気が失われていると言うか。最近寒くなってきたせいだと思っていたのだが、どうも原因は違ったらしい。

 でも、ここに結界を張ったということは──それは、即ち。学校の内部にマスターが潜んでいる、という証明なのではないか。

 そう気付いた瞬間、鳥肌が立つ。すぐ近くに敵が隠れているなら、いつサーヴァントが襲ってきてもおかしくはない。アーチャーやセイバーを連れていない今の俺たちは、敵にとっては格好の標的だろう。

 

「ここのところ、妙な魔力を校舎から感じるのよ。多分、そいつが敵のマスターだと思う。

 ま、向こうはわたしたちの存在には気付いてないみたいなんだけどね。こっちも相手のマスターが判らない以上、どうしようもないんだけど……今回の聖杯戦争、ホントにおかしいかも」

 

「……? おかしい、って何がだ?」

 

「ルールを守ってない奴が多すぎるのよ。普通の魔術師なら、こんなこと有り得ないわ。

 今朝、ガス漏れ事件と行方不明事件の話が出たじゃない。それって、多分別々のヤツが犯人だって言ってたわよね。この結界も、そのどっちかの仕業だと思ってたんだけど……よく考えてみたら、その二つとは別の魔術師が裏に居るかも。

 ガス事件の方は、多分慎重なマスターが後ろにいるわ。よく考えてるからヘマもしないし、あれだけ大規模に魔力を集めていても世間は事故としか思ってない。それだけ隠蔽が上手いのね。

 行方不明の方は、何考えてるのかも判らない。騒ぎになるほど一般人を攫うなんて、よっぽどトチ狂ってるわよ、そいつ。このまま放っておいたら、何をしでかすか想像できない」

 

 ん?

 俺は、行方不明事件を起こしているサーヴァント……或いは、そのマスターがこの結界を仕掛けたのではないかと思っていたが、違うのだろうか。

 今朝のアーチャーの推測が正しいなら、その犯人は人体を必要としている。何の魔術や儀式に使うのかは判らないが、碌なものではないだろう。そこまで手段を選ばないヤツだったら、学校を標的にしてもおかしくはない。

 この結界は、人の生命力を奪うモノだという。犯人がそれを求めて事件を引き起こしているのだとすれば、多くの人間が集まる学校は宝の山に思えるだろう。

 

「こんな結界を張れるなら、そもそも人を攫う必要なんかないのよ。一度発動させてしまえば、数百人規模の人間を取り込めるんだから、わざわざ余計なリスクを犯して何人かの一般人を使う意味がない。

 ガス事件の方の奴が裏に居るとしても、こんな大胆な手段に出る理由が思いつかないわ。バレないようにこっそり魔力を集めてるのに、こんな博打に訴える理由がない。こんなもの、他のマスターが見たら一発でおかしいって判るわよ」

 

「それって、つまり──今回の聖杯戦争は、他人を巻き込むようなヤツが三人もいるってことか?」

 

「そ。本来はこうならないように、監督役がいるんだけど……綺礼の奴、一体何やってるのかしら」

 

 ふん、と荒々しくコーヒーを飲み干す遠坂。このふざけた状況に、彼女も苛立っているのが判る。

 

「本当、厄介なのが多すぎるわ。バーサーカーだけでもてんてこ舞いだって言うのに、他のサーヴァントまで変なのばっかりだと始末に負えないわ」

 

 確かにその通りだ。

 バーサーカーは桁違いに強力なサーヴァントだが、理性が存在しない以上、正面から突っ込んでくるパワータイプとしての戦い方しかできないだろう。その性能は凄まじいの一言に尽きるが、逆に言えば戦いやすい相手でもある。

 しかし、他のサーヴァント……或いはそのマスターが、手段を選ばないような者だとすると状況は複雑になる。勝つためにルールを無視するような輩なら油断など存在しないだろうし、ルールを守って戦うつもりの俺や遠坂は、戦略の幅が狭まるだけ相対的に不利になっていく。 

 加えて、俺と遠坂が手を組んでいるとはいえ、俺は半人前の魔術師だし、アーチャーに至っては記憶がないために全力を発揮することができない。そのため、他のサーヴァントと比べて著しく不利なのだ。

 こんな状況の中、最強の敵であるバーサーカーと、魔槍を使うランサー……それに、まだ見ぬ三人のサーヴァントを相手にしなければならない。しかも、その内の三人は平然と他人を巻き込めるようなヤツなのだ。

 

「とにかく、この結界を張ったヤツだけでも早めに倒さないとまずいわ。

 この結界、ほとんど魔法の領域よ。解除は不可能に近いし、放っておけば何百人もの犠牲が出る。一刻も早く、これを仕掛けたマスターかサーヴァントを見つけ出さなくちゃ」

 

 その意見に同意する。他の二つの事件も気になるが、この結界は桁が違う。これを張ったヤツは、大勢の人間を殺すことに何の疑問も抱かないような外道だ。

 遠坂があまりに普通だったから忘れていたけど……魔術師というのは、そもそもそういう奴らだった。バレなければ、何をやってもいいと言う論理破綻した連中。世間に露見しないようにしているのも、結局は自分の不利益を招くからに過ぎない。一般人の命なんて、何とも思ってはいないのだ。 

 ……甘かった。俺は心のどこかで、他のマスターも最低限のルールを守るものだと思っていた。自分が戦うことになるとすれば、それは自己防衛のためだけだと。十年前、何が起きたのかを身を以て知っているにも関わらず、そんな楽観がどこかに残っていた。

 だが、現実はどうだ。

 バーサーカーのマスターは、街路の破壊など厭わず俺たちに強襲を仕掛けてきた。

 ガス漏れ事件の犯人も、人を攫っているヤツも、この結界を仕掛けた外道も皆同じだ。誰も彼も、ルールなんか守っちゃいない。自分さえ良ければ、そいつらはきっとそれで良いのだ。 

 願いを叶えるという、聖杯。それを手に入れるためだけに、他のマスターやサーヴァントは平然と他人を巻き込むつもりだ。そんな無法が、罷り通って良いはずがない。

 

 ──倒すしかない。

 

 そんな大量殺戮者は、排除されるべき敵だ。無関係の人間を殺すような下種に、手加減してやる理由は何処にもない。

 

『貴様は自分の進むべき道を見定めたのであろう。ならば、それ以外の道など考えるに能わぬ』

 

 ああ、アーチャーの言うとおりだ。衛宮士郎は──正義の味方として、戦う。

 

 

***

 

 

 午後の授業も、結局頭に入らないままだった。気が付けばホームルームが終わり、放課後になっていた。

 特に用事もないので、まっすぐ家に帰る。ひょっとすると、帰り道に襲われるのではないかという不安があり、なるべくサーヴァントが攻撃してこなさそうな人通りの多い道を選んで帰ったため、いつもよりも多少時間がかかってしまった。

 杞憂だと思うが、人を巻き込んでも気にしないという連中が敵である以上、警戒しておくに越したことはない。いくらなんでも、人で賑わっている道で襲い掛かってくるような愚か者はいないだろう。

 そんな風に気を引き締めながら、家にたどり着いた。

 

「ただいまー」

 

 一声かけて、我が家の玄関に入る。

 ……中にはアーチャーとセイバーがいるはずだが、返事がない。声が届かないような場所に居るのだろうか?

 はてな、と首を傾げながら靴を脱ぎ、居間に移動する。帰ったぞー、と言いながら慣れ親しんだ畳を踏むと──

 

「…………へ?」

 

 そこには、予想外の光景が広がっていた。

 こちらの現実感を突き崩すような、それでいて現実味に溢れた光景。奇妙と言うか奇異と言うか、想像を遥か斜め上に突き抜けた現実がここにある。

 

「──王手。ふん、また我の勝利か。手温いぞ、セイバー」

 

「ぐっ……! 今のは卑怯でしょう、アーチャー! 私を動揺させ、隙を突くなど……」

 

「たわけ。戦に卑怯もハチの頭もあるか。それだけ貴様が未熟だったという事よ。

 ──は。無様な敗北を喫しておいて、まだ我に挑みかかる気か、セイバー?」

 

「無論です。今度こそ貴方を倒して見せよう、アーチャー──!」

 

 サーヴァント。

 神話伝承に語られる、人類史に名を刻んだ英雄。人の身でありながら、偉業を成し遂げ大敵を打ち倒し、時には神すらも滅ぼして見せる霊長最強の存在。

 それが。

 それが、どうして。

 我が家の居間で、将棋なんかやっていらっしゃるのでしょうか……!?

 

「……えっと。何やってんだ、二人とも?」

 

 このまま突っ立っているわけにもいかないので、躊躇いながらも声を掛ける。

 すると、盛り上がっていた二人は今初めて気づいたように、同時に俺を見上げてきた。

 

「む? 戻ったか雑種。丁度暇を持て余していてな、貴様も付き合うが良い」

 

「おかえりなさい、シロウ。

 ……勝手に将棋盤を使ってしまい、申し訳ありません」

 

 相変わらず偉そうなアーチャーと、小さくなって頭を下げるセイバー。一体、何がどうしてこうなったのだろう?

 話を聞いたところ、家の奥にあった将棋盤をアーチャーが勝手に引っ張り出してきたらしい。それで退屈凌ぎにと、街の巡回から戻ったセイバーを付き合わせて遊んでいたようだ。ご丁寧に、古くなったルールブックまで転がっている。

 セイバーの方も、初めは嫌々付き合っていたのだが、アーチャーとの対戦で負けが込むにつれて熱くなり、気付けば勝負に熱中していたとのこと。彼女は冷静な性格だと思っていたのだが、意外にも負けず嫌いのようだ。

 下手をすれば、俺と遠坂が学校に行っている間にまた揉めているのではないか、とこっそり心配していたのだが、どうやらそうでもなかったようで少し安心した。この二人は相性が悪いように感じていたが、仲良く将棋に熱中していたあたり、ひょっとしたら気が合う部分もあるのかもしれない。

 ……まあ、それはさておき。

 

「アーチャー。将棋強いんだな、アンタ」

 

 セイバーと十回目の対局に臨んでいるアーチャーだが、傍から見てもその上手さは歴然だ。どう見ても、昨日今日将棋を始めた人間の動きじゃない。

 おまけに、ほとんど考え込む時間がない。セイバーが一手一手考えながら駒を動かしているのに対し、アーチャーはセイバーが駒を置いた次の瞬間には手を打っている。まるで、初めからセイバーがどう動くかが判っているような迷いのなさ。

 前に確か、何かの機会で将棋の達人とコンピュータの対戦を見たのだが、もしかしたらあれよりも速いかもしれない。それほど将棋に熟達しているのか、或いは頭の回転がコンピュータ並なのか。 

 過去の英雄であるサーヴァントが将棋のルールを知っているわけはないし、そこに置いてあるルールブックには明らかに読まれた痕跡がある。ということは、あの英霊はただルールに目を通しただけで今プロ顔負けのゲームを行っているのか。俺も少しは将棋の経験があるから、その異常性が理解できる。

 このサーヴァントは底が知れないと思っていたが、改めて驚嘆する。英霊という奴らは、頭の出来も常人とは次元が違うのだろうか?

 

「ふん。勝負とは先を読むものではなく、常に俯瞰して視るもの。

 戦場全体、或いはその更に外側から全貌を把握すれば、何がどう動くかなど手に取るように判る。

 小手先の一手、二手などに意味はない。重要なのは瑣末な戦術ではなく、盤面全てを動かす戦略よ」

 

 角行を動かし、自身の桂馬を牽制していた飛車を討ち取るアーチャー。その動きには一点の曇りもない。一方で、強力な手駒を奪われたセイバーは渋い顔になる。

 見た感じ、セイバーも初心者とは思えない……いや、明らかに俺よりも上手いレベルで駒を動かしている。しかし、どれ程アーチャーの駒を牽制しようと、一体どういうカラクリなのか、いつの間にかセイバーの守りが突破されていくのだ。アーチャーの駒を奪ったと思っても、それは十手先でセイバーの駒を奪う為の布石だった、などということもしばしばだ。 

 あっという間にアーチャーの軍勢は勢力を増していき、セイバーの玉将は呆気なく討ち取られてしまった。

 ぐ、と悔しそうに呻き声を漏らすセイバー。それに対して、アーチャーは余裕綽々。どこから持ってきたのか、勝負の合間に缶ビールを飲む豪胆さすら見せている。……あれ、確かこの間藤ねえの爺さんが送ってくれたヤツなんだが、勝手に飲んでいいのかおまえ。

 

「…………」

 

 ふるふる、と震えるセイバー。どうやら、アーチャーに連敗しているのが相当悔しいようだ。

 正直、これは相手が悪すぎた。でも、セイバーだってかなり上手く立ち回っていたようにも思うのだが……。最終的には負けてしまったが、要所要所ではアーチャーが配置しておいた重要な駒を奪い取ったり、鋭い牽制でアーチャーが切り込む隙を与えないように動いていた。

 アーチャーが規格外すぎるだけで、こっちも腕が立つと思う。俺が相手をしても、勝てるビジョンが見えてこない。セイバーは明らかに西洋圏出身の外見をしているが、まさか将棋をしたことがあるのだろうか?

 

「セイバーは、将棋の経験があるのか?」

 

 将棋は東洋のゲームなんだけど、と内心で思いながら質問してみる。

 

「ええ。ルールは異なりますが、よく似たものなら私の時代にもありました。この時代では、チェスとして親しまれている遊びですね」

 

「あ、そうなのか。そりゃ、道理で強いわけだ」

 

 よく、チェスは西洋将棋などと言われたりしているが、それには理由がある。

 元々、将棋もチェスもその起源は同じと言われている。大昔のインドにあったチャトランガというゲームが東西に伝わり、それぞれの形で発展していった、という説を前に何かの本でちらっと読んだ。

 つまり、チェスが強い人間は大抵将棋の腕も立つというわけだ。それなら、セイバーが強いのも頷ける。確か、大昔のロシアやヨーロッパにもチェスの元になったゲームが伝わっていたというから、セイバーもそれを嗜んでいたのだろう。

 

「……あれ? じゃあ、アーチャーはどうなんだ?」

 

「本来の我には経験があったやもしれぬが、今の我には記憶が欠けている。だがこの程度の遊戯、一目見れば理解できよう」

 

 うわ。とんでもないコト言いやがった、このサーヴァント。一目見て理解できるって、絶対コイツ人間じゃない。

 唖然としている俺をつまらなさそうに一瞥し、缶ビールを飲み干すアーチャー。空になった缶を机の上に置くと、黄金の英霊は再びこちらに向き直った。

 

「まあそんなことは良い。それよりも雑種、貴様は学校とやらに出向いたのであろう? 戦果を語り聞かせてみるがいい」

 

「そうですね。私が学校近くに居る間は異常は察知できませんでしたが、あの学校には特殊な結界が張られている。シロウの目から見て、何か変わったことがあれば教えてほしい」

 

 座り込んだ俺を、二人がじっと見つめてくる。だが、セイバーの言葉を聞いた途端、アーチャーは訝しがるように眉を顰めた。

 

「──ん? 結界と言ったか、セイバー?」

 

「はい。シロウとリンが通う学校には、大規模な結界が張られています。リンの見立てでは、発動すれば内部の人間を生贄にする物だと」

 

「ふん……つまらん仕掛けだ。三流らしい頭の悪さよ、斯様な動きを見せれば他のマスター共の関心を惹く事など一目瞭然であろうに。

 しかし──セイバーよ、そのような情報を知っていたならば、そこの雑種に教えておく程度の親切心を見せても良かったのではないか?

 その小僧は、結界とやらについて何ら聞き及んでおらぬ。我も今初めて知った事実だが、下手をすれば死んでいたぞ」

 

 予想外の言葉に、思わず目を見開く。

 まさか……この傲岸不遜なサーヴァントが、少しでもマスターの身を案じるようなことを言うなんて、それ自体が驚きだ。てっきり、俺の生死すらも無関心に違いないと確信していただけに、衝撃を隠しきれない。

 だがあの結界について、アーチャーも知らなかったとはどういう意味だろう? 確かに直接見ていない以上、アーチャーが結界の存在を知る理由はないが、遠坂やセイバーから話を聞いていなかったのだろうか。

 俺と同じく、驚きの表情を浮かべているセイバー。そちらに目を向けると、おそるおそるといった様子で少女は口を開いた。

 

「……シロウ。貴方は、あの結界について知りながら学校へ行ったのではないのですか?」

 

「いや、全然。今日、学校で遠坂に言われて初めて気づいた」

 

「な──」

 

 セイバーが絶句する。

 その驚きようから察するに、彼女は俺が結界の存在を知っているものと早合点していたらしい。アーチャーに伝えなかったのも、俺が既に伝えていると思っていたが故のこと。

 遠坂が、昼休みに呆れていた理由にも想像がつく。恐らく、彼女たちの想像以上に俺は魔術師として未熟だったのだろう。

 そういえば……遠坂は、あの結界を見たマスターは一発で気付く、というようなことを言っていた。つまり、学校に張られた結界は普通の魔術師なら即座に看破できる物だったのだ。

 

「……申し訳ありません。知らなかったとはいえ、シロウを危険に晒してしまった」

 

 元気を失くして俯くセイバー。伝えておけばよかった、という後悔がありありと伝わってくる。

 

「いや、セイバーが悪いんじゃないから気にしなくていい。

 俺の方こそ、へっぽこでごめんな。何かおかしいっては知ってたんだが、アレが結界だなんて気付かなかったんだ」

 

 申し訳なさそうな顔を見せるセイバーを見て、罪悪感が湧いてくる。

 協力関係になったと言うのに、俺は何もできていない。それどころか、早速二人の足を引っ張ってしまった。

 俺が悪いのに、責任感の強いセイバーはすっかり落ち込んでしまっている。女の子にこんな顔をさせるなんて、つくづく自分の未熟さが嫌になる。

 

「──ふん、下らん戯れ合いはそこまでにしておけ。貴様らにとっては、その結界とやらをどう止めるかが先決であろう。放っておけば、巻き込まれた雑種が死ぬぞ」

 

 王将の駒を掌で弄んでいたアーチャーが、見下した口調で吐き捨てる。その威圧感に、はっとセイバーが顔を上げた。

 

「……そうですね。貴方の言う通りです、アーチャー。

 あれだけの規模の結界は、完成までに時間がかかる。あれが高度な魔術や宝具だとしても、最低でも十日は必要でしょう。リンによると、あの結界は二日前には張られていたそうですから──」

 

「──あと八日。それまでに結界を止めないとまずい、ってことか」

 

 遠坂は、結界の解除は不可能だった、と口にしていた。止めるには犯人のマスターかサーヴァントを倒すしかない、とも。

 だが、マスターは学校の中に潜んでいるらしい。それさえ判れば、大分敵が絞り込めてくる。つまり──生徒か教師のどちらかが、マスターである可能性が高い。

 しかし、それ以上絞り込むことは難しい。結界が既に張られている以上、相手が易々と出てくるわけがない。後は隠れていれば、勝手に結界が起動するのだから。

 こちらとしては頭が痛いところだ。せめて、敵のマスターかサーヴァントが表へ出てくれば手の打ちようもあるのだが……。

 

「そうだ。あの結界、遠坂が言うにはほとんど魔法の領域らしいけど、サーヴァントにとっちゃアレも簡単なことなのか?」

 

「いいえ。あれほどの結界の構築は、それこそキャスターのクラスのサーヴァントでなければ難しい。純粋な魔術ではないとすれば、何らかの宝具を使っているという可能性もありますが……」

 

 宝具、か。

 その単語を聞いて真っ先に連想したのは、ランサーの紅い槍。放てば必ず心臓を穿つ、絶対必中の魔槍。

 因果を改竄するというその効力がどれ程の神秘に括られているのか、半人前の魔術師に過ぎない俺には想像すら及ばない。 

 英雄とは、一人につき最低でも一つの宝具を持つと言う。宝具にはそれぞれ特殊効果があり、ランサーの槍のような攻撃系宝具、或いはバーサーカーの肉体のような防御系宝具と、その種類・用途も多岐に亘る。英雄の必殺技という表現は、誇張でも何でもないのだ。

 その中に、もしかしたら結界を張るような種類の物があるかもしれない。魔術の技量ではなく、宝具の効果によって結界を展開しているのなら、アレを張った者はキャスターのサーヴァントとは限らないのではないだろうか。

 

「それって、ランサーの槍みたいな宝具で、あの結界が作られたかもしれないってことか? だったら──」

 

「──いや。案外、下手人はそのランサーかもしれぬぞ、雑種」

 

 返事はセイバーではなく、アーチャーから聞こえてきた。何か知っている風なアーチャーに、俺とセイバーの視線が集中する。

 

「アーチャー。アンタ、ランサーについて何か知ってるのか?」

 

 二日前の戦闘を思い返す。

 ランサーが宝具を使った時、そういえばアーチャーは何か言っていた。クランの猛犬、とかなんとか。

 そういえば、ランサーが使っていたあの槍は、ゲイ・ボルクという名だった。本人がそう言っていたのだから、間違いないだろう。本やゲームで時々聞く名前だし、それを辿ればランサーの素性が判るのではないだろうか。

 

「ランサーめが用いたあの槍は、海獣の骨から創られた後、影の国の女王(スカサハ)の手に渡った逸品だ。投げれば必ず命中し、鏃となって敵を屠る棘の槍。

 ──アレの使い手たる男の英雄は、ただ一人しかおるまい」

 

「──クー・フーリン。ランサーの正体は、アイルランドの光の御子ですか」

 

 セイバーが感嘆する。俺は聞いたことがない名前だが、ランサーはそんなに凄い英雄なのだろうか。

 

「えっと……強いのか、そいつ」

 

「はい。幾多の魔物や軍勢を一人で退けたと言われる、半神半人の大英雄です。槍の英霊としては、間違いなく最強の一角に入るでしょう」

 

 断言するセイバー。けれど、何故かその言葉に違和感を覚える。

 二日前の校庭で、俺はランサーとセイバーが戦っているのを見た。しかし、傍目にも判るほどランサーは圧倒されていた。もう一度戦ったとしても、ランサーがセイバーに勝つことは有り得まい。あの宝具を使われたらセイバーが負けるかもしれないが、基礎能力での実力差は明白だ。

 アーチャーと戦った時もそうだ。ランサーは、明らかにアーチャーより技量で勝っていたが、それでもアーチャーを打倒する事が出来なかった。それどころか、発動した宝具すらも防がれる始末だ。確かにアーチャーの方が不利だったが、ランサーが最強だと言われると容易には頷けない。

 どうにも腑に落ちない。そんな俺の困惑を見て取ったのか、セイバーが話を続ける。

 

「私たちサーヴァントの強さは、人々の信仰度に比例します。私の真名はこの国でもよく知られているものですが、今のシロウがそうだったように、ランサーの真名はほとんど知られていない。その影響で、彼の性能はかなり劣化しています」

 

「加えて、彼奴は何らかの──おそらくは、令呪による縛りを受けている。そのせいで、更に質が落ちているのだろうよ。

 ……ふん。生前ばかりか死後も制約に囚われるとは、つくづく運のない男よな」

 

 セイバーに続いて、アーチャーが嘲るように語る。

 このサーヴァント、自身の記憶は思い出せないと言っていたが、それ以外の物事については随分と博識なようだ。現代の知識については聖杯から情報が渡される、という話は聞いていたが、これもその一つなのだろうか。

 それに……ランサーが令呪で縛られていた、とはどういうことだろう。その事実を見抜いたアーチャーの眼力も凄まじいが、それ以上にその一節が引っかかる……が、今はアーチャーの話を聞いておこう。

 

「クー・フーリンの伝承は数多いが、その中でも有名な一文がある。曰く──彼の者は影の国で、武芸とルーンの魔術を学んだ、とな」

 

「それって……つまり、ランサーが魔術で学校の結界を張ったのかもしれない、って事か?」

 

 然り、と頷くアーチャー。

 そう言われてみれば……結界が張られたという二日前に、俺はあの学校でランサーの姿を見ているではないか。校庭でセイバーと戦っていたのも、結界を張った後で鉢合わせしたか何かだと考えれば納得がいく。

 どうやら同じ結論に至ったようで、セイバーも同意するような表情を浮かべている。

 

「確かに、あの英霊は全身に高度なルーンの守りを纏っていました。彼自身はあのような結界を好む性質には見えませんでしたが、彼のマスターはそうではないかもしれない。マスターとサーヴァントの方針が食い違うのは、そう珍しいことではありません」

 

 感情の籠った声で、そう低く呟く少女。心なしか、その顔には陰りが生まれているようにも見える。

 

「──とすれば、些か面倒だな。ただの雑種と侮ったが、大規模な結界を築ける程魔術に長けているなら話は別だ」

 

 そう嘯きながら、アーチャーが将棋の駒を盤面に並べていく。またセイバーと一戦しようというつもりなのか、と見ていると、将棋盤を見てみろと促された。

 意図が分からずに首を傾げる俺とセイバー。注目が集まったのを確認すると、アーチャーは盤上から一つの駒を摘み上げた。

 

「サーヴァントとは、ある意味では将棋の駒にも似ている。例えばこのように──」

 

 言いつつ、手を動かすアーチャー。相手側の手番など無視して、黄金の青年に操られた香車が只管前へと進んでいく。

 

「香車は、前方に好きなだけ動かせるという性質を持つ。飛車なら縦横、王将なら全方向。桂馬のように、変わった位置にしか動けぬ駒も存在する」

 

「我々にも、同様の性質があるという事ですね。私なら剣、貴方なら弓、ランサーならば槍。それぞれに、異なった特長がある」

 

「うむ。そして、歩兵でも王将を討ち取れる可能性を持つように、どの駒も等しく互いを倒す事のできる能力を持つ。

 ──となれば、重要になって来るのは手駒の長所をどう活かすか、相手の短所をどう突くかよ。その点に於いて、複数の能力を持つ敵は厄介だ」

 

 それを聞いて、何かを思いついたようにセイバーが動く。その右手にはアーチャーと同様、将棋の駒が握られている。

 盤面に置かれた駒は、角行。しかし、斜めにしか動けぬはずの角行は、セイバーによって前方に動かされていた。

 

「本来なら一つの動作しか出来ない駒が、このように別の駒の特長を備えている。取られる戦略の幅が広がる以上、その相手をする側はより慎重にならざるを得ない。

 あのランサーは、おそらくキャスターのクラスの適正も持ち合わせているのでしょう。あれだけ高位の魔術を駆使できるとすれば、確かに強敵です」

 

 む、と考え込むセイバー。

 ランサーの魔術の腕前が推測通りだとすれば、容易に侮れない相手だ。槍しか使えないという先入観に囚われていては、裏を掻かれることにもなりかねない。

 単純な戦闘能力ではセイバーに圧倒されていたランサーだが、それだけの魔術を使えるとなれば話は変わってくる。あの宝具の能力とも相まって、奴が強力な英霊だというのも頷ける。能力が劣化しているという日本でこれなのだから、聖杯戦争の開催地が他国だったらもっと強力なサーヴァントとして召喚されていたのかもしれない。

 

「だが、彼奴だと断定できる確証がないのもまた事実だ。まだ見ぬサーヴァントの仕業という可能性も高い。

 ──せいぜい警戒しておけ、雑種。我にとっては遊びに過ぎぬが、貴様にとっては身命を賭した戦い。凡俗なら凡俗なりに、無様に足掻いて見せるが良い」

 

 そう言い捨てると、アーチャーは弄んでいた香車を元の位置に戻した。傲慢な発言を咎める様なセイバーの視線を無視し、二本目の缶ビールに口を付ける。……それ、一体何本飲む気なんだ、おまえ。

 二人分の非難の視線を受け流し、アーチャーがビールを口に含む。だがその瞬間、不愉快そうに端麗な顔が歪んだ。

 

「しかし、ほとほと話にならぬ安酒よな。無聊の慰みに口にしたはいいが、嘆かわしいにも程がある味よ。怒りを通り越して哀れみを覚えるわ。

 身なりばかりか蔵にある酒までもが貧しいとは、底が知れるぞ雑種。我のマスターを名乗りたければ、早々に財を移し、蔵の中身を満たすがいい」

 

「アーチャー。他人の物を勝手に飲んでおいて、その言い草は何なのですか。せめて一言、家主に断りを入れるのが筋でしょう」

 

「たわけ。この我が自ら、雑種風情に力を貸してやろうと言うのだぞ? この程度の安酒、嬉々として差し出すが礼であろう」

 

 アーチャーの常識外の発言に、眉を吊り上げて怒りを露にするセイバー。良いぞ、もっと怒ってやってくれ。

 しかし、怒られている側のアーチャーに反省の色は見られない。それどころか、嫌悪を見せていたはずのその顔には、今や微笑すら浮かんでいる。 

 意図を明らかにせず、ただ微笑んでセイバーを眺める黄金の青年。一体何が楽しいのか、理解の出来ないその感覚には一種の気持ち悪さすら覚える。脇で見ている俺ですらそう感じるのだから、見られているセイバーの不快感は俺の比ではないだろう。

 怒るのでもなく睨むのでもなく、柔らかさすら漂わせるその表情。だがそれとは裏腹に、紅い眼差しには形容出来ない感情が宿っている。どこか生理的な嫌悪感すら催す淫靡な瞳は、まるでセイバーの体を舐め回すように観察していた。 

 セイバーは怒りから、俺は不気味さから、そしてアーチャーは得体の知れない笑みを見せたまま、全員が口を閉ざして黙り込む。

 

 ──唐突に、響き渡る呼び鈴の音。

 

 誰も予期していなかったその音は、無言に沈んだ居間には不釣り合いに明るく響いた。

 

「……? 凛でしょうか、様子を見てきましょう」

 

 アーチャーの視線から逃れるように、セイバーが足早に席を立つ。

 その後ろ姿を、笑みを湛えて見つめるアーチャー。優しいとも形容できる微笑みだが、血の色に濡れた双眸には穏やかならぬ光が宿る。何の遠慮もなしにセイバーを眺め回すその姿が気に食わず、思わずその横顔を睨み付けてしまう。

 

「──アーチャー。アンタ、セイバーと話してる時は上機嫌だな」

 

「ほう。やはりそう見えるか、雑種」

 

 さも満悦そうに、悠然と微笑む黄金の英霊。だがその笑みは、今し方セイバーに向けられていたものとは違う。

 その歪んだ口元は、確かに笑みを象っているのだろう。しかし、それを笑いと称するには、アーチャーの雰囲気はあまりにも異質過ぎた。

 

「あの女、見た目も声も極上だが、何よりその在り方が興味深い。あのような宝に巡り合うとは、聖杯戦争という遊戯も捨てたものではないな。

 己の過ちに気付かず、更なる過ちを以て責を担おうと足掻くその道化ぶり──フフ、良いぞ。実に我好みだ」

 

 そう呟くアーチャーの表情は、いつしか陶然としたものに変わっている。宝箱を開けた時のような、限りなく純真で、しかし果てしない欲望を宿した瞳。

 アーチャーの言葉の意味は解らない。否、そもそも俺に伝えようとして話しているわけではないのだろう。だがそれでも、この男がセイバーという少女に並々ならぬ興味を向けているということは理解できた。 

 最優のサーヴァントであるという、セイバー。ランサーを圧倒し、あのバーサーカーとも互角に戦った彼女は、未だに素性も宝具も謎のまま。その実力も未知数な部分は多く、同盟関係にあると言っても、気になる部分は数多い。

 それに、まだ出会ってたったの数日だが……セイバーは美人だし、とても魅力的な性格だと思う。凛とした声に、穏やかな物腰。確固とした価値観を持っているかと思えば、意外に感情的な部分もある。もし彼女が俺のサーヴァントだったとしたら、色々と大変そうではあるが、それを差し引いても良い関係を築けるかもしれないと思わせるほどに、俺はセイバーに気を許してしまっている。 

 ……だが、この黄金のサーヴァント。未だ何一つとして事情の判らぬこの英霊は、それとはまた別の部分でセイバーを気に入っているようだ。他の何事にも興味を示さない冷然としたこの男が、セイバーにだけは関心を示している。その事実は意外でもあり、同時に妙な納得を抱かせるものでもあった。

 と。そんなことを考えている間に、廊下を鳴らす足の音が聞こえてきた。

 

「ただいまー。寄り道しなかったでしょうね、士郎?」

 

「お邪魔します、先輩。今日は、珍しく早かったんですね」

 

 開かれた扉。仲良く買い物袋をぶら下げて、遠坂と桜が入ってきた。二人の後から、セイバーが静かに続く。

 ふと視線を戻すと、あれだけ歪な笑みを見せていたアーチャーは、また無表情に戻っている。セイバー以外には興味はない、とでも言わんばかりに傲然と腕を組んだまま。

 しかし、数日もすればこの男の唯我独尊振りにも多少は慣れてくる。出迎えの言葉一つ発さないアーチャーを軽く無視して、遠坂が俺の横を通り過ぎる。

 

「……さて、と。材料は買ってきたし、久々に腕を振るうとしますか」

 

 荷物を置くなり、いきなり気合を入れ始めた遠坂。その横で、桜が苦笑を浮かべている。

 

「帰りが一緒だったんですけど、遠坂先輩、今日は私が当番だから立派な夕飯作るんだー! ……って張り切っちゃってて。

 あの……先輩、わたし、お夕飯の支度はどうしたらいいでしょうか?」

 

「ああ、桜にはいつも作ってもらってるからな。しばらくは俺と遠坂で夕飯作るから、たまにはゆっくり休んでくれ。

 ……あ、でも、桜がどうしても作りたいっていうなら考えるぞ」

 

 休んでくれ、と言った瞬間に残念そうになった後輩の表情に、慌ててそんな言葉を付け加える。

 

「えっと……じゃあ、わたしは遠坂先輩のお手伝いに回りますね」

 

 そう言って微笑むと、遠坂の後を追うように桜も台所へ消えていった。いつも穏やかな桜にしては珍しいが、ひょっとすると遠坂に台所を取られるとでも思ったのかもしれない。

 しばらくすると、台所の方で危なげなく包丁を振るう音が聞こえてきた。遠坂だけでなく桜も付いているし、あの分では心配することはないだろう。今夜は、どうやら俺の出る幕はなさそうだ。

 

 ──こうして、新たな一日が終わる。

 

 危うい均衡の中で続く、偽りの平和。いつか終わりが来ると知っていながらも、俺は日常を演じ続ける。

 聖杯戦争という狂気。サーヴァントという暴力。そんなものに取り巻かれている以上、いつまでもぬるま湯に浸かっていられるわけがない。

 けれど、それでも。現実がいくら冷たくても、祈ることくらいはできるだろう。今はこの生活が、一刻も長く続くようにと──。


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