【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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36.神話再臨

 剣が舞う。

 刃が衝突し、槍が圧壊し、斧が粉砕し、鉾が崩壊する。

 鋼だけが聳える剣の丘で、轟音と火花の大合奏が響き渡り、破壊に次ぐ破壊が撒き散らされる。地獄のような光景の中、ギチギチと犇めく歯車の下で、二柱の英霊が激闘を繰り広げていた。

 

「──停止解凍(フリーズ・アウト)全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)……!」

 

 呪言を口にするのは、白黒の双剣を握る黒衣の英霊。指揮者のように剣を振るうと、赤い丘に突き刺さっていた刃が独りでに抜け、彼の周囲を取り巻くように浮遊し始めた。それだけでなく、何もないはずの空間から剣たちが()()()()()、次々にその列に加わっていく。瞬きの間に何十という剣が空中に立ち並び、主の号令一下、戦車砲となって飛翔する──!

 

「っ──ええい、薄汚い贋作ごときが……!」

 

 舌打ちしたのは、黄金の双剣を握る、下肢のみを鎧に包んだ英霊。彼が剣を振るうと、何もない空中に黄金の波紋が次々と現れ、そこから刃の切っ先が覗き始める。波紋は十や二十どころではなく、百にも及ぼうかという数が生まれ続け、そこから同数の刃が姿を見せた。王の命令に従い、疾風のように飛び出した宝具群は、迫りくる贋作たちと激突するが──。

 

「ちぃ────」

 

 押し負けたのは、黄金の軍勢の方だった。

 何十という宝具たちは、その尽くがギルガメッシュに近い位置で撃ち落とされる。この光景は既に数度繰り返されていたが、その度に原初宝具が撃ち落とされる位置は近くなり、アーチャーとの距離もまた縮まっていく。

 英雄王が誇る無双の宝具たち。人類史に燦然と輝く武具の群は、どれをとっても脅威であり、並の英霊であればただ一つを放たれただけでも対処に苦しもう。それほどの武器が、まるで効能を発揮せず押し込まれている理由は、致命的なまでの初速の差にあった。

 固有結界『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』は、それが展開された瞬間から、アーチャーがこれまでの戦いで目にしてきた武器たちをそれこそ無限に近い数用意している。最初からあるものを投擲するだけのアーチャーに対し、宝物庫から宝具を召喚するギルガメッシュは一手後に回らざるを得ない。その一手の差はそのまま宝具の射出速度差になり、ギルガメッシュの宝具はトップスピードに乗る前に出鼻を挫かれてしまう。同等の質量が単純にぶつかり合うのであれば、先手を取り速度で勝る方が優位なのは自明の理だ。

 

「せい……!」

 

 宝具同士が激突した直後に、アーチャーは間髪入れず次の手勢を送り込む。対する英雄王も即座に宝具で応射するが、迎撃される場所は先ほどより更に近くなり、飛んできた破片で鎧に守られていない上半身が僅かに傷ついた。初めは僅かだったはずの宝具速度差は、同じ工程が重なり続けたせいで、もはや傍目にも判るほど大きく開いている。

 

 ──このまま押しきれるか?

 

 飛来する刀剣を切り払い──数十本の宝具が猛スピードで飛び交う以上、迎撃率は百%とはいかない──独語するアーチャー。無銘の贋作たちは、次々に先手を打って畳み掛けることで、ギルガメッシュの対応能力を奪っていた。剣が届く距離まで詰め切るか、宝具の応射が追いつかなくなるか、どちらかが成立すればアーチャーの勝利は決まる。文字通り、時間の問題だ。

 だが、逆に言ってしまえば、時間を与えてしまえば状況は逆転する。刀剣宝具の複製に特化した『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』と異なり、『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』が内包する宝具のバリエーションは無限大だ。複製が困難、あるいは不可能な宝具を召喚する隙を与えてはいけない。隠し玉を持ち出される前に、勝負を決める必要がある。

 

「荒れ狂え……!」

 

 剣の嵐が吹き荒れる。名だたる聖剣魔剣が、互いを撃ち落とそうとぶつかり合う。

 空間が震えるほどの激突が繰り返される中、アーチャーはギルガメッシュまでの距離を、十メートルを切ろうかというラインまで詰めていた。宝物庫から矢継ぎ早に宝具を繰り出し、黄金の双剣で贋作宝具を叩き落とす男の姿は、もう目の前まで迫っている。

 あと数手で勝負は決まる。冷静に歩を進め、剣を閃かせるアーチャーは、既に詰め(チェック)へと入っている。守護者として無数の戦闘経験を蓄積してきた弓兵には、油断も慢心もない。

 

 ──狙うのは一撃、確実な致命傷。

 

 英雄王が有する財は無尽蔵、無限大だ。傷を癒やすという伝承が世界に数限りなく存在する以上、彼が持つ治癒宝具もまた膨大な量を誇るとアーチャーは判断している。どのような手傷を与えようとも、致命傷以外は全てが無意味。最悪の場合、霊核を砕いたとしても蘇生宝具で復活される可能性すらある。

 確実に霊核を破壊し、かつ回復すら許さぬ副次効果を与える武器。アーチャーにはその心当たりがあるが、それを使うには更に対象へ近づかなければならない。剣の丘から次々に武具を叩きつけ、応射される宝具を贋作で撃ち落とし、切り払い、叩きつけ──何時間にも思える数秒の後、遂にギルガメッシュを射程に捉える!

 

投影(トレース)開始(オン)──その心臓、貰い受けよう」

 

 陰陽剣を放棄し、無手となった弓兵。代わってその手に握られていたのは、赤く禍々しい長槍だった。それを認めたギルガメッシュの瞳が見開かれ、憤怒の形相となる。

 

「貴様──」

 

 ゲイ・ボルク。

 アーチャーが持ち出した武器は、かのクー・フーリンの愛槍だった。弓兵の投影対象は基本的に刀剣武具に限られるが、その延長線上で槍や斧などの武器、または一定程度の防御宝具なども範囲内となる。直接その力を味わったことがあるからか、今投影された魔槍は、本物と見紛う領域の神秘と精度を秘めていた。

 確実に命中し、致命傷を与え、呪詛を残す死棘(イバラ)の槍。これならば勝てる。ギルガメッシュがどのような治癒宝具、蘇生宝具を有していようと、使わせる前に確実に消滅させる。

 弓兵の目論見を瞬時に見抜いたのだろう、ギルガメッシュは今までのようにそこから宝具を撃ち放つのではなく、黄金の波紋に右手を突っ込ませた。必殺の武器に抗うべく、何かを取り出そうとするギルガメッシュに──

 

「遅い! "刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)"──!」

 

 瞬間、赤い稲妻が閃いた。

 三メートルもない至近距離から繰り出された魔槍は、物理法則ではありえぬ軌道を描き、双剣の防御さえ掻い潜ると、黄金の王を刺し貫く!

 

「ガ──!?」

 

 朱い華が咲く。

 必滅の槍を叩き込んだアーチャーは、返り血で黒い外套を汚しながら、そのままの勢いで駆け抜けた。最後の悪あがきか、未だ飛来する宝具を槍で薙ぎ払いつつ、戦果を確認するために振り返る。

 

 ──直後。叩きつけられた鮮烈な殺気に、アーチャーは魔槍で穿たれたのは自分の方だったのではという錯覚を抱いた。

 

「痴れ者が──狗ごときの真似事で、我の玉体に傷をつけようとはな! その不敬、八つ裂きにされても飽きたらぬ大罪と思え──!」

 

 鎧に守られていない、裸の上半身。英雄王の胸には、赤い穴が穿たれていた。そこからボトボトと鮮血が滴り、王の体と大地を汚していくが──倒れない。確実に槍を突き刺したにも関わらず、人ならざる紅の瞳は、烈火の如き怒りを湛えてアーチャーを睨み据えている……!

 

 ──心臓を外したか!?

 

 躱しようのないタイミング、必殺の一撃、肉を貫く感触。甚大なダメージを与えたことは間違いないが……ギルガメッシュが未だ倒れぬことに、弓兵は己の失策を悟って歯噛みした。直撃はさせたものの、紅の魔槍は王の心臓から逸れていたのだ。

 明らかに尋常ではない量の血が傷口から流れているが、英雄王は未だ健在。その手に握られた、つい先程見たばかりの螺旋の剣を再び目にし、アーチャーは必殺の一撃が外れた理由を悟る。

 

虹霓剣(カラドボルグ)禁忌(ゲッシュ)か──!」

 

 ケルト神話には、ゲッシュという概念が存在する。現代ではタブーを意味するアイルランドの言葉で、特定の縛りや制限と引き換えに恩恵をもたらす呪術の一つだ。

 アルスター縁の者がカラドボルグを用いた場合、クー・フーリンは一度敗北しなければならない──それがこの剣にまつわるゲッシュ。英雄王が用いた剣はあくまでもカラドボルグの原典であるため、厳密にはゲッシュは該当しないが、今回の場合はアーチャーが投影した武器がまずかった。

 アーチャーはゲイ・ボルクを投影する際、所有者の技量や経験を再現している。いわば、一時的に()()()()()()()()()()()()()ようなものだ。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが神話の、魔術世界のルールである。贋作者の投影武器は、その精度故に、神話の禁忌さえ忠実に守らざるを得なかったのだ。

 ギルガメッシュはメソポタミア神話の英雄であるため、ケルト神話との関わりはないが、彼はあらゆる宝具を所有する全英霊の原典──アルスターどころか、あらゆる神話体系の英雄に縁があるともいえる。その結果がこれで、ゲイ・ボルクは命中こそしたものの、因果逆転の効力も回復阻害の呪詛も発揮されず、致命傷を与え損ねる顛末となった。

 

「ちぃ──!」

 

 舌打ちしたアーチャーが、剣の丘から宝具群を浮遊させ、手負いの英雄王目掛けて雨霰と剣を降らせる。しかしながら、魔槍を命中させた後で相討ち狙いの悪あがきを恐れたため、アーチャーはせっかく詰めていた距離を離している。元の初速差ゆえ、応射するギルガメッシュの宝具は優位に立って叩き落とせるが、先ほどと違って英雄王には距離分の余裕ができていた。

 

「手品師にしてはよくやった方だ。確かに我も肝を冷やされた。だが──貴様は愚かにも一線を越えた。薄汚い贋作ごときで我の首を狙おうとは笑止!

 雑種風情が、鍍金(メッキ)で出来た偽物が、王たる我に届くと本気で思っているのか。その思い上がり、粉微塵に叩き潰すとしよう……!」

 

 宝具を降らせ、再投影した双剣を振るいながら地を駆けるアーチャー。だが、一息で詰め切るにはその距離はあまりに遠く、ギルガメッシュが透明な小瓶を取り出す余裕を与えてしまう。血を流し続ける傷に、小瓶の中身が振りかけられると──致命傷の半歩手前だったそこは、数秒としないうちに塞がれ、一瞬にして万全の状態を取り戻した。あらゆる傷を癒やすという伝承を秘めた、古代神話の治癒の霊薬。

 せめて回復阻害の呪詛だけでも発揮できていれば、解呪を必要とする分手間がかかり、その一手の差で再度詰め切ることも出来ただろう。しかし現実には、せっかく与えた大ダメージは、たちまちのうちに治療されてしまった。

 

「それがどうした。私が有利なことに変わりはない……!」

 

 叩き込まれる猛烈な火力。もはや爆撃に等しい全周囲砲火に、ギルガメッシュもまた全周囲に宝具を出現させて対抗するが、元の速度差故に再びジリジリと圧されていく。傷の回復にリソースを割いた分、新たに射出宝具を選定し直す余裕がなかったため、質の低い刀剣武具を手当たり次第に撃ち出すだけでは同じ展開になるのは自明の理だ。

 このままでは先ほどの攻防の再現だ。いずれギルガメッシュは投影宝具の弾幕に押し切られるか、近づいてきたアーチャーに切り伏せられる。だが、英雄王に焦燥の色はなく、自慢の宝具を次々に撃墜されているにも関わらず余裕のある表情だった。黒白の双剣を構え、接近してくるアーチャーに対し、最初に見せた黄金の双剣を取り出すギルガメッシュ。

 神話の怪物と戦うために作られた一対の兵装。『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』が使用不能だった間も唯一使えた剣は、アーチャー自身も幾度か目にしている。しかし、どういうわけか──今その剣を見たアーチャーは、死神の鎌が近づいてくる様を幻視した。

 

「我の宝具はほとんどが原典──つまり、貴様の贋作に限らず、どこかの雑種が派生品を手にしているものだ。が、後の世の源流となったものにあらぬ、我自身の宝具を持たぬわけではない」

 

 他のあらゆる英霊たちと同様、英霊の頂点であるからには、ギルガメッシュにもまた彼のみが持つ宝具が幾つか存在する。

 一つは『天の鎖(エルキドゥ)』。彼の朋友の名を持つ、希少な対神兵装。いかに強大な力を持つ神霊であれ、この鎖から逃れることはできない。人類悪(ビースト)の領域に達した超抜種でさえ、この宝具は通用する。

 一つは『乖離剣(エア)』。創造神の名を冠する、唯一無二の対界宝具。神霊級の領域まで幅を広げれば、世界を対象とする宝具がないわけではないが、世界そのものを破壊・創造する究極の権能はこの剣のみに許されたもの。

 そして、その他に。彼が生前愛用し、森の神(フワワ)天の牡牛(グガランナ)との戦いに用いた黄金の武具がある。それが超高硬度の鎧であり、彼らのような超級の魔にさえ通用する剣。

 鎧には副次効果として、石化のような特殊な呪詛を防ぐ効能があった。ならば──剣の方も、ただ形の変わる武器というだけであるはずがない。

 

「本来、貴様ごとき凡俗に見せてやるものではないが、それほど贋作を自慢したいというのであれば是非もない」

 

 双剣の柄尻が合体し、一つの大弓となる。

 刃の先端から伸びた魔力の弦。ギルガメッシュが右手で引くと、矢の先端があるはずの位置に、今まで彼が放ったものとは異なる異形が出現した。黄金の翼を持つそれは、中央に一つの紅球とそれを取り囲むような六つの蒼球を有し、生き物のようにも魔法陣のようにも見受けられる。

 明らかに異様な光景に、アーチャーの警戒度が跳ね上がる。形勢不利であるこの局面で取り出したということは、並の武器であるはずがない。ギルガメッシュへの接近を試みつつ、彼は遠距離武器への対抗手段となる『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』の投影準備にかかるが──。

 

「真実を見せてやろう、心して受け取るが良い──!」

 

 放たれる一矢。しかしそれは、アーチャーに向かうどころか、まったくあらぬ方向へ飛んでいくとそのまま大地に突き刺さった。

 盾を投影するまでもなく、攻撃が自分に向けられなかったことに、意図を判じかねて怪訝な顔をするアーチャーだったが……ギルガメッシュの浮かべた冷酷な笑みに、背筋が冷たくなる感覚を覚える。準備してある盾の用意はそのまま、英雄王に対して降らせる宝具とは別に、自分の近くにいくつかの宝具を呼び寄せる。この盤面で放った一矢が、果たして無意味であるものか。

 

 ──アーチャーの懸念は正しかった。

 

 この時、固有結界の外側──それどころか、この惑星の外側。大気圏外の衛星軌道上に、七つの黄金の矢が現れていた。一つ一つが星と見紛う輝きを持つ矢は、そのまま流れ星めいて地球へと落ちる中、融合するように一つの矢へと収束する。何人かの人間が、流星に気づいて夜空を見上げる中、それは日本の冬木市へ向かっていき……そして唐突に消滅した。

 次の瞬間。それが()()したのは、アーチャーの固有結界の内側だった。

 

「なんだ──!?」

 

 自らの世界の中に突如出現した異物。弓兵が驚愕して見上げる中、空で廻る歯車の上に出現した流星は、輝きと共に天空に赤い紋様を走らせた。ちょうど、ギルガメッシュが先ほど放った矢のあたりを中心にして。

 夕暮れの世界が、さらなる赤色で埋め尽くされる異様な光景。アーチャーが愕然とする中、哄笑した英雄王は弓を掲げて高らかに謳い上げる。

 

「天を見よ、滅びの火は満ちた! 来たれ、ナピュシュテムの大波よ!」

 

 ──そして。世界は、大波に押し潰された。

 

 ありとあらゆる空間から、膨大な水流が現れたのだ。鉄砲水のレベルではなく、津波の域にすら留まらない。無より現れ、大地を洗い流す大海嘯。四方八方から迫る高さ数十メートルもの水の壁は、空に浮かぶ歯車も地を埋め尽くす剣群も、何もかも一切合財をたちまちのうちに飲み込んでいく。

 反射的に、英雄王に向けていた宝具群を大津波に飛ばすアーチャーだったが、巨象に蟻が歯向かうようなものだった。岩を斬る剣も、地を割く槍も、その尽くが大波の前に押し負ける。炎も、雷も、氷も、その莫大な質量のほんの一部を削り取ることしかできない。圧倒的なまでの水流は一息に無数の名剣魔剣を飲み込み、その神秘と水圧を以て木っ端微塵に砕け散らせた。

 

「っ──!?」

 

 何百、何千という剣が投擲されるが足止めにもならない。空も大地も宝具も、全てが洗い流され蹂躙されていく。瞬きの間に迫ってきた波は、絶望するアーチャーも高笑いするギルガメッシュも、諸共に大質量の下に押し潰してしまった。後にはただ、無尽の海が満ちるのみ。

 

「────」

 

 ……そうして、世界のすべてに大海が満ちた後。ざぱん、と海を割って、黄金の輝舟が姿を表した。天へ駆けていく『黄金帆船(ヴィマーナ)』の玉座には、嗤う英雄王が君臨している。水除けの宝具か、それとも所有者故の特権か、彼だけはこの大海嘯の中でも無傷だった。

 何もかもなくなった、夕暮れの下に死の海だけが広がる世界。その遥か上で、黄金の王の高笑いだけが響き渡る。

 

「ふはははははは──! これが世界を滅ぼすということだ! 凡百の英霊が、この英雄王に歯向かった愚を呪え!」

 

 ──終末剣エンキ。

 

 それが、ギルガメッシュが振るった()()()()の正体だった。

 左右一対の黄金の剣は、変形させればトンファーになり、柄尻を合体させれば両刃の剣や大弓となる。状況に応じて可変する万能武器だが、この剣の本質は単純な武具ではなく、「水を喚ぶ」ことにある。

 この剣が呼び出す水こそは、かつて世界を滅ぼしたナピュシュテムの大海嘯。旧約聖書において、地上の文明全てを洗い流した、ノアの大洪水の原典である。

 天地を開闢した乖離剣(エア)と対になる、洪水を招聘する終末剣(エンキ)。それが真価を発揮するには、発動から七日という長時間を必要とし、また剣そのものは際立った力を持たない。ギルガメッシュが普段の戦いでこの剣を使わない理由はそこだ。

 しかし今回の聖杯戦争では、例外的に、ちょうど今から七日前にこの弓の起動を行っている。それは、学園の屋上でギルガメッシュが、ライダー(メドゥーサ)に対して矢を撃ち放った時。天空に向けて放たれた矢は、広範囲へ降り注ぐとライダーと共に現れた竜牙兵を粉砕した。あれは発動直後だったために真価を発揮できず、水を呼ぶことすら叶わなかったが故の()()()()の結果に過ぎない。

 あの瞬間を一日目の昼とした場合、今この時間は、六日目を終えて七日目に差し掛かったタイミングになる。最大の威力を発揮した終末剣(エンキ)は、何千何万という投影宝具を歯牙にもかけず、固有結界という世界全てを大津波で粛清したのだ。これほど桁外れの攻撃は、それこそ神霊の権能に等しい。たかが一英霊に抗しうるものではない。

 

「く、はは、ふはははははは────ん?」

 

 目障りな贋作も、贋作を生み出した偽物も、威を示して押し潰したことが愉快なのか。哄笑する英雄王だったが、ふと違和感に気づいたのか。突如それを中断した。

 ()()()()()()

 所有者が消滅するか、あるいは維持不可能なほどのダメージを受ければ、その固有結界は消滅する。だが、『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』は未だに健在だ。空の歯車も地の贋作も全て水に沈んだというのに、世界自体は未だ消えていない。

 ということは、即ち。

 

 ──その時、海が割れた。

 

 世界を埋め尽くしていた大水が真っ二つに別れる。とてつもない質量の海が、何か超自然的な力で押しのけられ割り開かれていく様は、まるで神話の奇跡だった。

 再び露わになった大地に立っていたのは、杖のようなものを掲げたアーチャー。五体満足どころか、水に濡れてすらいない弓兵は、真っ白な瞳で空に浮く帆船を睨め上げている。その姿を眼下に認めて、ギルガメッシュは口の端を吊り上げた。

 

「なるほど。預言者(モーセ)めの杖か。この我に神の奇跡とやらを見せつけようとは、つくづく神経を逆撫でする雑種だ」

 

 モーセの海割り。

 旧約聖書の「出エジプト記」などに現れる預言者であり、多くの宗教において重要とされる人物。彼が起こした奇跡の一つがこの光景である。

 弾圧され、奴隷化されていた民を率いたモーセは、エジプト軍に海辺まで追い詰められる。ところが、彼が杖を掲げると海が左右に割れ、民たちはその道を渡って逃げ延びることに成功したというのが伝説だ。

 アーチャーが投影した杖は、まさにその奇跡を再現していた。終末剣(エンキ)は洪水という途方も無いスケールの天災を起こすが、そこには指向性がなく、現れるものはあくまでも一つの現象に過ぎない。世界を押し潰して海に沈めるなら、海を割り道を開く宝具が通用するのは当然の帰結だった。

 

投影(トレース)開始(オン)──」

 

 次いで、アーチャーは役目を終えた杖を捨てると、開けた道が閉じる前に()()()()()()()()()()。その足には、神秘を宿す靴が履かれている。

 地上のみならず、空中や海上を自在に走る靴。北欧神話において、いたずら好きの神ロキが所有していたとされる宝具である。それを投影したアーチャーは、海の上まで飛翔すると、ギルガメッシュが乗る空中戦艦の正面に立ちはだかった。

 黄金とエメラルドで構成され、マハーバーラタ、ラーマーヤナのニ大叙事詩に名を残す飛行装置。こと空を飛ぶという点に限って、アーチャーが投影した靴は決してそれに劣るものではない。その事実を不愉快に感じたのか、ギルガメッシュは直前までの上機嫌さを打ち消すと、双眸に剣呑な気配を纏わせた。

 

「たかが贋作者(フェイカー)の分際で、我の体に傷をつけたばかりか、王の舞う天に昇るとは……度し難いにも程があるぞ、下郎」

 

「貴様の時代ならともかく、現代において空は人の世界だ。それが嫌ならば、古代の田舎(地元)にでも引っ込んでいるといい」

 

 英雄王の威圧に挑発を以て返すアーチャー。しかしながら、さすがの彼も、圧倒的優位だった戦局が変わったのを内心認めざるを得なかった。

 『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』に対する『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』の優位性、その最たるものは固有結界内に予め武器が設置されているという点だ。ところが、対界宝具による大海嘯によって、用意されていた無数の武器たちはその全てが破壊しつくされた。アーチャーが新たに武具を呼び出すには、一から投影し直す他はない。

 この固有結界は、刀剣武具を構成するありとあらゆる要素を内包するため、ただ投影するだけでもその速度・精度は段違いだ。再投影にかかる魔力も、聖杯からの供給がある限り考慮する必要はない。だが、ギルガメッシュとの間にあった宝具射出の速度差という優位は失われたも同然だ。宝物庫から召喚・射出するギルガメッシュと、新たに贋作武器を投影・射出するアーチャーではその速度は互角。通常空間よりはまだマシなので、不利になったわけではないというのがアーチャーにとって救いだった。

 

「これでようやく五分というわけか。既にハンデは失われた。喜ぶがいい、英雄王」

 

「思い上がるなよ凡俗。貴様ごときがこの我と対等だと? ──笑わせる。首を差し出し、惨めに慈悲を乞うが礼であろう……!」

 

 大海の上、夕暮れの空で対峙する二人。第二ラウンドは、神話の中でも稀に見る空中戦から始まった。

 

「──投影(トレース)完了(オフ)。行け!」

 

 五十を超える投影宝具。いずれ劣らぬ矛が、刀が、槍が、空間を激震させながら大空を飛翔する。一つ一つが誘導弾(ミサイル)に等しい火力を有する弾丸は、まさに死神の申し子。最新鋭の制空戦闘機でさえ、一度に保有できるミサイルはせいぜいが十程度だというのに、それが五十余りというのはもはや埒外を超えた火力に尽きる。

 しかし、それほど驚異的な宝具群の連射は、攻撃を主たる目的としたものではなく。

 

「ぐ、おっ──!」

 

 むしろ、防御のための()()用途だった。

 

「そら、どうした贋作者(フェイカー)! 上手く真似ねばたちまち死ぬぞ!」

 

 邪悪に嗤うギルガメッシュ。ヴィマーナを疾駆させ、無数の波紋から宝具を召喚し続ける彼は、その恐るべき火力を十二分に発揮していた。

 先ほどまで彼を抑え込めていたのは、先手を取り、宝具の速度差で対応する暇を与えていなかった部分が大きい。その縛りがなくなった今、余裕を持って宝具を選択・射出可能になったギルガメッシュは、次から次に破壊の矢を撃ち出し続ける。宝具が激突する甲高い悲鳴は、まるで薬莢が飛び散るような音でもあった。

 これが英雄王の恐ろしい対応能力だ。初見殺しで圧倒していても、態勢を立て直す暇を与えれば、たちまちのうちに対応されてしまう。たとえ今、初期状態のように予め投影宝具が準備されていたとしても、あれほど一方的な展開にはなるまい。

 だが、アーチャーに焦りの色はない。初手でやや押し込まれたのは認めるが、それはギルガメッシュの宝具展開数を見誤ったが故。互角ならば未だ五分の勝負ができるし、何より、無限の魔力がある今、アーチャーもまた宝具の展開数は天井知らず──!

 

「なに、ほんの小手調べ!」

 

 迎撃しきれなかった宝具の刃が突き刺さり、右手と左脇腹から血が飛び散る。その痛みすら笑い飛ばし、聖杯の呪詛で強引に傷を修復すると、アーチャーは何もない空中を踏みしめて()()()

 一息で数百メートルを飛翔した弓兵は、物理法則に囚われぬ軽快な動きで空を馳せる輝舟に追随すると、先ほどの倍以上──百を超える投影宝具を同時展開。名だたる聖剣魔剣を、それこそ機関銃のように乱射していく。一つ一つが炎や雷、氷や水、あるいは呪いや毒といった概念を内包する規格外の制圧射撃。

 膨大な宝具の弾幕は、同じく放たれたギルガメッシュの宝具と激突・破壊されつつも、その幾つかがヴィマーナの許まで辿り着いた。上下左右に飛び回る空中戦艦に対し、さながら蛇のような執念で猛追した宝具たちは、しかしその直前で防御宝具に迎撃されてしまう。宝具が砕け散る爆風の中、舟を操って空へ昇る英雄王には、獰猛な笑みが浮かんでいた。

 

「フン──空中戦を味わうのは、十年前の狂犬(バーサーカー)以来か。慢心ゆえ一度は不覚を取ったが、この我に二度同じ手が通じるはずがなかろう」

 

 ヴィマーナが急旋回。猛烈に宝具を撃ち出しながら、自らを追撃する猪口才な弓兵に向き直る。戦闘機の機動ではありえない、ほとんどその場での百八十度のターンは、まさしく思考と同速で天を翔けるという伝承のとおり。

 音速を超える速度で、正面から宝具を撃ち合いながら、二人の騎士が近づいていく。三秒後の正面衝突を前にして、ギルガメッシュの口元には残忍な、アーチャーの口元には皮肉げな笑み。幾つかの刀剣がヴィマーナの船体を擦り、幾つかの槍斧はアーチャーの体を掠ったが、二人に浮かぶ笑みは消えない。そしてそのまま、何十という砲撃を交えながら──。

 

「跪け、下郎。蹂躙するとはこういうことだ!」

 

 先手を取ったのはギルガメッシュだった。

 英雄王が駆る空中戦艦は、一千万トンに及ぶ超体積であろうと粉砕する大出力を誇っている。正面からぶつかれば、それだけでも対軍どころか対城宝具に匹敵する破壊力だ。その有り余るパワーを以て正面から粉砕しにかかるのだろうと読んでいたアーチャーは、眼前で突如急上昇したヴィマーナの前に虚を突かれ、次いで降ってきたモノに青ざめる羽目に陥った。

 山が降ってきた、と弓兵は思った。それは事実、大山に匹敵する大きさと質量を有している。無数の武具を目にしてきた、解析に特化したアーチャーの瞳は、コンマ一秒の後にそれがとんでもない化け物級の()であると判断した。

 

 ──千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)

 

 メソポタミア神話において、戦いの神ザババが有した剣の一つである。斬山剣という別名を持つそれは、人が振るえるサイズの剣ではない。あれは神が用いるための武器、超級の神造兵装の一つ。

 物理的に山さえ切り裂けるほど規格外の剣は、その刃に地平線の概念を有しており、「天と地は分かたれているもの」という理を押し付けることによって千の山だろうと一斬する途轍もない宝具だ。しかし、今ここで用いられたように、ただの質量武器としてもこの剣は尋常ならざる威力を秘めている。上下左右どこへ逃げようと、その凄まじい体積から逃れるには間に合わず、圧潰するより他に道はない。

 間違いなく詰みの一手だが、アーチャーは冷静さを失っていない。人の力では、神罰の一撃には敵いようもないが──では、英雄の業であればどうか?

 

「──投影(トレース)開始(オン)

 

 幾度となく口にした詠唱。一秒後の死を前にして、その言葉に焦燥はない。

 思い描くのは一つの大剣。暗殺者の魔剣にも、騎士王の聖剣にも、謎の怪魔の触腕にさえ屈しなかった大英雄の剣。アーチャーの腕ではあの剣は扱えないが、当人の怪力と技量ごと複製すれば話は別だ。

 投影途中にあった、ヴィマーナと撃ち合うための宝具を全て途中破棄。二十七の魔術回路、その尽くを単一の技術の再現に回す。己の全ては、今この窮地を打開するために。

 

投影(トリガー)装填(オフ)

 

 右手に大剣が現れる。人の身には余る大きさだが、それでも尚、迫りくる斬山剣に比べれば爪楊枝ほどのサイズに過ぎない。

 巨神の剣に対抗するには、あまりに心許ない武器。下段に岩の剣を構えた贋作者は、自ら死の山へと挑みかかり──

 

全工程投影完了(セット)────"是、射殺す百頭(ナインライブズ・ブレイドワークス)"」

 

 一息の間に、九つの連撃が解き放たれた──!

 

 ──激突。

 

 上方からの切り下ろし、唐竹割り、薙ぎ払い、下方からの切り上げ、斜めからの一斬、正面からの刺突──上下左右中央、あらゆる方向からほとんど同時に斬撃が放たれ、それが一点に集中した。膨大な破壊のエネルギーは、横向きに降ってきた巨剣に直撃し、そのまま刀身を穿ち抜く!

 

「おおおおおおおお──ッ!」

 

 神造宝具の破片が、空中に撒き散らされた。ヘラクレスの剣技は、針の穴を貫くような極限のコントロールによって、遂に神の試練を打ち破ってのけたのだ。

 斬山剣の側面をぶち抜き、死の包囲網から脱出したアーチャーは、その勢いのままヴィマーナまで急上昇。黄金の船体めがけて、続けざまに大英雄の剣を振りかぶる。

 彼我の距離は既に指呼の間だ。戦艦に搭載されている迎撃宝具は大半が対射撃武器用であり、この距離から『射殺す百頭(ナインライブズ)』の斬撃を放てば、船ごと叩き落とすことが可能だろう。ヴィマーナを墜とせば、ギルガメッシュは自ら生み出した大海へ真っ逆さまに突っ込むことになる。

 窮地からの逆転。詰みの一手を砕かれることを予期していなかったのか、『千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)』を突破した後、英雄王の迎撃はなかった。相手の対処が間に合わぬうちに、掴んだ流れのまま、一気呵成に押し切る……!

 

「────とでも思ったか?」

 

 英雄王に浮かぶ悪辣な笑み。いっそ淫靡にさえ感じる微笑に、直感の警鐘を聞いたアーチャーは、連続発動しようとしていた剣技を中断。左方から迫りくる熱を感じた、弓兵の顔に焦燥が浮かぶ。いつの間に召喚していたのか、空を割るように迫っていたのは、斬山剣に比するほどの巨大な剣。

 

 ──万海灼き祓う暁の水平(シュルシャガナ)

 

 イガリマと対になる、戦いの神が有したもう一つの剣。捻れた刀身から、複数の炎が刃を形成する異形は、人の手に依らぬ力で編まれたモノ。有する熱量は現代兵器のそれさえ及びもつかない。

 これは「水平線」の概念を持つ斬海剣。イガリマが千の山を切り裂くのならば、この剣は万の海すら灼き祓う。空と海の境界を暁の炎で一つにする、溶け混じる領域を生み出す溶鉱炉だ。常世全てを融解させる神の炎に、人の力でどうして抗えようか。

 迫りくる炎の波に、アーチャーの思考が高速で回転。イガリマと同じく回避は不能、この間合いとあの巨大さでは、どこへ逃げようとも伸びた炎が体を灼く。かといって英雄王に特攻するのは悪手であり、そこすらも炎の攻撃範囲。それでいて玉座に腰掛ける彼は、アーチャーが動揺した一瞬で自分だけ周到に防御宝具を展開しているのだから、悪質という他はなかった。

 英雄王の乗る舟は守られ、弓兵だけが炎に焼き尽くされるという絵面。斬山剣を抜けてくることさえ予想して、ギルガメッシュはこの罠を用意していたに違いない。

 

「く──」

 

 二つ目の神の試練。人の領域を超えたモノは、アーチャーには投影できない。『転輪する勝利の剣(ガラティーン)』さえ凌駕する炎を、贋作者が生み出せる道理がない。できるわけがないと、ギルガメッシュは()()()()()

 故に、アーチャーは。

 

「ぬおおおおおぉぉぉぉぉ──ッ!」

 

 躊躇なく、破滅へのギアを踏み込んだ。

 ぶわ、と彼の周囲に黒の霧が出現し、膨大な「悪」の気配が現れる。自分と繋がる『この世全ての悪(アンリ・マユ)』の経路(パス)、アーチャーは一気にそれをこじ開けたのだ。

 騎士王のように、呪いをねじ伏せて従えるのではない。自分はどのようになろうと知ったことではない、ただ力だけを寄越せという後先考えない滅びの一手。溢れ出る無限の呪詛に、肌には入墨めいた紋様が浮かび上がり、心象風景を映し出す夕暮れの空さえ、冥夜の黒へと変質していく──。

 

 月の綺麗な夜、養父と空を見上げた光景。

 始まりの夜、金髪碧眼の少女騎士と出会った光景。

 いつかの夕暮れ、憧れていた同級生と夕日を眺めた光景。

 

 摩耗しきった弓兵の心の中に、それでも残されていた、本当に大切なものたち。真っ黒な悪意に、呪詛に、殺意に、それらが上書きされ塗り潰されていく。自分を構成するものたち、自我を形作るものたちが、次々と黒塗りになっていく。

 ……それでも構わない。いちばん大切なものさえ、覚えていればいい。

 脳を弄り回され、内臓を掻き混ぜられるような激痛と不快感の中、弓兵はそう割り切った。どれだけ自分が破壊されようとも、聖杯からの呪いによって、戦う技能だけは衰えない。

 それならばいい。元より相手は格上だ。ヒトであることを捨てる程度で牙が届くなら安いもの。あの暴虐の王に立ち向かうためなら、最後に残ったモノを守るためなら、どれほど代償を払おうと知ったことか。

 

「──I am the bone of my sword.(我が 骨子は 捻れ狂う)

 

 炎に巻かれるより先に、弓兵の体は黒焦げのような有様となっていた。膨大な呪詛が体中に入墨となって浮かび上がり、灰のように白かった瞳は赤黒い呪いで塗り固められている。人形を通り越して、死人に近いような外観。

 されど──可視化出来るほどの呪詛と共に、アーチャーが有する魔力量は、途方も無い領域まで跳ね上がっていた。呪いに染まった魔力を、直結でそのまま供給されたことによる、霊基の損壊を顧みない自己強化。

 審判の炎が来る。善も悪も、祝福も呪詛も、万象一切を曙光に溶かす赫色の剣閃。逃れようのない裁きを前に、男の手には、()()()()()()()()が握られており──。

 

全工程投影完了(セット)────"永久に呪う暗黒の剣(エクスカリバー・イマージュ)"」

 

 黒竜の咆哮が、夜の大空に解き放たれた。呪いをカタチとした莫大な魔力と、斬海剣が織りなす火炎地獄がぶつかり合う。黒い世界を赤く染めるほどの、高エネルギー同士のせめぎ合い。

 だが、その拮抗は次第に神の剣に傾き始めた。究極の聖剣が、神代の熱量に膝を屈しようとしている。その趨勢は、武器の質の差によって生み出されたものだった。

 『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』は神造兵装の一つだ。精霊によって、星の外敵を討つために鋳造された剣は、人の理解が及ぶものではない。故に、アーチャーが投影することは叶わない。できるのはせいぜい、衛宮士郎が模倣した『終末剣(エンキ)』のような、外殻だけの投影だろう。

 その不可能を可能にしたのが、剣の製造に特化した固有結界と、聖杯による無限の魔力だ。回路が焼き付こうが魔力が不足しようが、呪いによって無理やり補うことで、アーチャーは聖剣の投影を可能とした。

 だがそれは、どうやっても模造品でしかない。本物の聖剣を騎士王が振るえば、あるいはこの炎さえ相殺したかもしれないが、膨大な代償を払った上でも贋作者(フェイカー)にはこれが限度。勝敗は、最初から見えている。

 当然、それは弓兵自身も理解していて。

 

「限界を超えろ……! "壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)"!」

 

 ぴし、と何かが割れる音が響いた。

 それは、漆黒の魔剣に入った罅の音。直後、悲鳴のように唸りを上げ、呪いの剣からさらなる光刃が生み出された!

 ()()()()()使()()()()ことで、そこに蓄蔵されていた全ての魔力を注ぎ込む、自爆前提の禁断の秘奥。英霊であればまず使わない禁じ手の使用は、聖剣から放たれる熱量を跳ね上げ、空を薙ぐ炎の剣を一挙に押し返してみせる。遂に打ち負かされた神の剣は、あらぬ方向へ吹き飛んでいき──その代償に、偽の聖剣は木っ端微塵に砕け散った。

 徒手となった黒い弓兵。しかし、彼の身は終ぞ無傷。異様な容姿に成り果て、計測の埒外にある呪詛を纏っていても、アーチャーは『万海灼き祓う暁の水平(シュルシャガナ)』による粛清を掻い潜ってみせたのだ。

 

「ほう──」

 

 その奇跡を目の当たりにしたギルガメッシュから、さすがに笑みが消えた。

 終末剣(エンキ)千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)万海灼き祓う暁の水平(シュルシャガナ)。いずれ劣らぬ超絶の神造兵装、英雄王が誇る宝物の中でも頂点に近い武具たちである。英雄たるもの、一度であればその猛威を掻い潜ることは可能だろうが、三度も続くのは異常に過ぎる。ましてや、それを贋作者風情が成し遂げたというのは、到底許容できるものではない。

 否。あれは既に、贋作者(フェイカー)ですらなく。

 

「なるほど。弓兵(アーチャー)……いや、復讐者(アヴェンジャー)と化しているな。そうまで我を恐れたか、この世全ての悪(アンリ・マユ)

 

 アーチャーが起こした奇跡の絡繰り。ヴィマーナの上から彼を観察していた英雄王は、ややしばらくしてその真実に気づいた。

 英霊の性能は予め決まっている。ましてや、聖杯により召喚されているサーヴァントなら尚更だ。英霊の全性能を再現するのが困難だからこそ、聖杯はサーヴァントという枠組みに収まるよう、英霊の情報を制限し()()()()()している。セイバーやバーサーカーのように、超一級の英霊であれば、その枠を跨ぎ超えることも可能かもしれないが──贋作者(フェイカー)のような二流三流の英霊が性能上限を超えるには、聖杯そのものの後押しが必要だ。

 ギルガメッシュには汚染されたアーチャー越しに、この世全ての悪(アンリ・マユ)の恐怖が見えていた。十年前、あらゆる生命を否定する死の泥を以てしても取り込めず、ただ外界に弾き出すしかなかった怪物こそが英雄王である。先のセイバーとの一戦で、微睡みから目覚め始めていた悪神は、自らを滅ぼしに来た天敵に抗おうとしていた。神造宝具を相殺するほどの異常極まる強化は、いわば弓兵と聖杯の利害一致の結果──いや。今のアーチャーは、もうほとんど、この世全ての悪(アンリ・マユ)()()()()となっているのだ。

 

「面白い。悪神との戦いは久方ぶりだ。贋作者(フェイカー)風情に、我の宝物をここまで使うのは腹立たしいが──神殺しならば是非もない。『この世全ての悪(アンリ・マユ)』を名乗るのであれば、貴様の力、この英雄王に示してみよ!」

 

 哄笑するギルガメッシュ。それを聞いたアーチャーは、滾り溢れる膨大な魔力を解放し──その場から、爆発的に加速した!

 ごう、と衝撃波が響く。無尽蔵の魔力を叩き込んだことで、無理やり性能限界を超えた速度を発揮させられた飛行宝具は、自壊寸前で赤黒い魔力の燐光を放っていた。それはアーチャーの体全体に波及しており、赤と黒の魔力に包まれながら俊足の英霊(アキレウス)もかくやという迅さで飛び回る彼の姿は、最早死神の使徒と変わりない。

 飛行宝具が壊れたら、即時次の宝具を再投影すれば足りるという、宝具を使い捨てにすることが前提の過剰暴走(オーバーロード)。英霊の誇りを足蹴にするかの如き蛮行に、ギルガメッシュの口が獰猛に歪んだ。

 

「さあ、貴様はどこまでついて来れる──」

 

 ピアニストのように、英雄王の指が踊る。直後、ヴィマーナは優美華麗そのものの動きで、消えるようにその場から発進した。

 高速で飛翔する英霊同士が、互いの背後を奪い合おうと、猛烈な格闘機動(ドッグファイト)を繰り広げる。その間、まるでミサイルの撃ち合いのように、膨大な数の宝具が二人の間を飛び交う。それは個人の戦いではなく、国同士の戦争そのものだった。

 

 破壊、破壊、破壊、破壊、破壊。

 

 剣が、刀が、槍が、矛が、槌が、斧が、鎌が、矢が、人が生み出してきた数々の武器たちが超音速でぶつかり合い、撃ち落とされ、その破片を魔力と共に撒き散らしている。秒間何十と響き渡る破砕音は、機関銃の連続掃射と変わりない。異なっているのはその破壊規模で、宝具が激突する度に生まれる爆炎は、それだけで軍艦さえ傾けようかという破壊力を有していた。

 ギルガメッシュが宝具を連続展開し、アーチャーが贋作を連続投影する。無限の宝具と無限の魔力の下支えを受ける両者に、弾切れなどあるはずもない。互いの首を狙うべく無数の宝具が飛び、攻撃と迎撃を繰り返していく。煌びやかな宝具が秒間何十と浪費され、色とりどりに世界に概念を撒き散らしていく様は、まるで神話の最終決戦だった。

 故に決着をつけるには、どちらかが決め手に訴える必要があり。

 

投影(トレース)完了(オフ)──"熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)"!」

 

 先に手札(カード)を切ったのは、アーチャーだった。

 度重なる激突の末に、背後を取った弓兵は盾を展開。投擲宝具に対して絶対の防御性能を持つそれは、この局面においてはまさに最適解。七枚の盾を前面に押し立て、空中を踏みしめて加速するアーチャーは、稼ぎ出した時間で更なる切り札を引きずり出す──。

 

「──鶴翼(しんぎ)欠落ヲ不ラズ(むけつにしてばんじゃく)

 

 投影するのは黒白の夫婦剣。アーチャーが長く用いた、二刀一対の愛剣。

 セイバーの聖剣、ランサーの魔槍。英霊が愛用する武器には、真名解放を始めとしたそれぞれの奥義が存在する。幾多の決戦、数多の死闘で、難敵を打ち負かしてきた必殺の構え。英雄王にそれはなく──そして、アーチャーはそれを保有している。

 空間を裂いて飛来する宝具を盾で弾きながら、生み出したばかりの双剣を即座に投擲。同時に用意しておいた無数の宝具を掃射し、ヴィマーナの防御処理を飽和させると、左右から迫る一撃を以て操縦者の首を狙う……! 

 

「フン──」

 

 指を鳴らすギルガメッシュ。即時召喚された二挺の槍が、あっさりと双剣を弾き飛ばす。その瞬間に、空を駆けたアーチャーは。

 

「──凍結(フリーズ)解除(アウト)

 

 接近。雪崩のように降り注ぐ投影宝具に、ヴィマーナの対空火器は未だ飽和状態。ここまでの攻防で、相手の限界防衛ラインは見えている。

 用意していた宝具を、撃ち合いの均衡を破るほどに短期連続掃射。この一手を凌がれれば、アーチャーは一気に不利になる。ギルガメッシュが展開する宝具群に、投影宝具が追いつかなくなる。

 だが構わない。元よりこの工程は必殺。この攻撃で、全ての勝負を決めれば良い。

 

「同じ武器? ハッ、馬鹿の一つ覚えが──」

 

 干将・莫耶を再投影したアーチャーを、ギルガメッシュが嗤う。ヴィマーナの火器は一時的に使えなくなっているが、何も彼自身が宝物庫から宝具を呼び出せば済むことだ。防御を突き抜けて迫るアーチャーに、原初宝具が火を噴き──その、直前。

 

「──心技(ちから)泰山ニ至り(やまをぬき)

 

 英雄王の背後から、飛来する()()()()()()──!

 

「なに──」

 

 目を見開く英雄王。ヴィマーナが急速降下し、後方からの奇襲を躱す。だがそれを読んでいたアーチャーが、手にした莫耶を以て切りかかった!

 

「散れッ!」

 

「雑種ごときが……!」

 

 陰剣・莫耶と、終末剣エンキが激突。アーチャーの全力の打ち込みは、しかし神造兵装の神秘には届かず、あっさりと砕かれてしまう。

 背後からの不意打ち、正面からの斬撃。その両方を見抜き、即時対処して見せたギルガメッシュの戦略眼は非凡そのものだ。並の敵であればどちらかを受けきれずに切り伏せられている。 

 だが。アーチャーが打った手は、()()()を相手にするものではない。

 

「──心技(つるぎ)黄河ヲ渡ル(みずをわかつ)

 

 二度、背後から押し寄せる剣。今度のそれは、()()()()()()。この双剣は二対で一つであり、遠くにある片方はもう片方に引き寄せられる性質を持つ。故に双剣、故に夫婦剣。

 一度目の同時攻撃は凌いだ。ならば、二度目の同時攻撃はどうか──。

 

「読めているぞ!」

 

 笑う。

 そうだ。凡百の英霊とは話が違う。相手はこの世のすべてを見通す英雄王。その神の瞳が、この事態を読めていないはずがない。

 黄金の波紋から出現したのは、魔杖。そこから放たれた大魔術、神代の雷撃が、神速を以て背後からの莫耶を打ち砕く。同時、横薙ぎに振るわれたアーチャーの干将に、同じ軌道で放たれる神の剣!

 

 ──砕かれる。

 

 アーチャーが双剣使いなら、相手が振るう武器も双剣。一手目を右の剣で防いだのならば、二手目は左の剣で凌がれるが道理。弓兵の渾身の攻撃、二つの双剣による四重連撃はその尽くが防御された。

 もう先はない。対空砲火を相殺し、防御宝具を潜り抜け、ギルガメッシュの喉元まで迫り、双剣の防御さえ打ち破った。

 しかし、これ以上は手詰まり。今すぐにこの場から撤退せねば、一秒後には無限の宝具がこの身を襲う。攻守は逆転し、大量の手札を一気に消費したアーチャーは窮地に追いやられるだろう。

 そう。この一秒を埋める、次の手を残していなければ……!

 

「──唯名(せいめい)別天ニ納メ(りきゅうにとどき)

 

 最初から用意していた設計図を読み込み(ローディング)、三本目の双剣を再投影。それを見たギルガメッシュの笑みが消える。

 瞬時の判断で、ギルガメッシュが双剣から手を離す。空いた手に、宝物庫から呼び出した別の宝具を握ろうとする。そう、判断力と戦略眼に優れた英雄王ならば()()()()()()。終末剣での防御に拘泥すれば間に合わないが、一秒以下で別の武器に切り替えれば間に合うのだ。

 その読みを、アーチャーこそが読んでいた。だからこの一瞬、武器を取ろうとしたその瞬間に、この隠し手が通用する。

 

「"我に触れぬ(ノリ・メ・タンゲレ)"──!」

 

 ギルガメッシュの動きが止まる。いや、止めさせられる。その体に絡みついているのは、赤く輝く聖なる布。

 この聖遺物こそは、マグダラの聖骸布。()()()()()()()という概念を持つ、かつて聖人の遺骸を包んだ拘束宝具である──!

 

「な──」

 

 この一瞬、ギルガメッシュの四肢は縛られた。完全に動きが固まり、無防備な状態となったのだ。

 ならば届く。この剣は届く。その身を守る宝具も鎧も既にない。練りに練った、計算の果てに生み出された、千載一遇の好機。弓兵が積み重ねてきた戦術経験が、英雄王の戦略眼を上回った一瞬。

 

「──両雄(われら)共ニ命ヲ別ツ(ともにてんをいだかず)……!」

 

 決まった。

 左右から振りかぶられる双剣。紛れもない決着の一撃が、英雄王の首を刈り取りに行き──

 

「────天の鎖よ────」

 

 ──寸前。王の朋友が、その一撃を払い除けた。

 

「ぬ────ッ!?」

 

 必殺の三撃目。その双剣が、現れた鎖によって弾き飛ばされたのだ。

 突如空間に現れたそれは、ギルガメッシュが予め準備していたものではない。彼が友のことを信じており、そして友がその声に答えた以上、この光景は必然だ。真の友とは、窮地に手を差し出すことを厭わない存在を言う。

 アーチャーに、彼にしか持ち得ぬ必殺の構え(鶴翼三連)があったように。ギルガメッシュには、彼にしか持ち得ぬ無二の友(エルキドゥ)が存在しただけ。その差がアーチャーの勝機を作り、そしてギルガメッシュの窮地を救い出した。

 

「く──」

 

 限界を超えた、最後の斬撃さえ凌がれた。縦横無尽に空間から迸り、英雄王を守るように展開する鎖を突破する手段は、今この瞬間どこにも存在しなかった。歯噛みし、後方に跳躍するアーチャーを追うように、息を吹き返したヴィマーナの対空火器が宝具の魔弾を乱射していく。

 そして、その一方で。

 

「────やってくれる」

 

 自らの首を撫でたギルガメッシュ。その指には、赤い血が付着していた。

 最後のアーチャーの斬撃、布石に布石を重ねた渾身の一撃は、ほとんど決まりかけていた。英雄王が最も信を置く鎖が、コンマ一秒間に合ったことが、文字通りの間一髪で彼の首を繋いだ。双剣の先端は彼の首に届き、そこに僅かな傷を付けていたのだ。

 今の攻撃で一時的に手札を消費しきったのか、半自動で放たれている宝具投射や魔杖による遠隔攻撃を、アーチャーは迎撃ではなくひたすら動き回ることで回避し続けている。再び手札が揃うまで、受けの構えを取るつもりなのだろう。

 ゲイ・ボルクによる初手の必殺狙い。三度に亘る神造宝具の打破。そして、鶴翼三連と聖骸布による畳み掛け。この期に及んでは認めるしかない。追い詰められているのは、ギルガメッシュの方だった。

 このまま戦いを続ければ、いずれ同じ展開になる。アーチャーの奇襲をどこかで処理できなくなれば終わりだ。治癒宝具や蘇生宝具があることぐらい、アーチャーはとうに読んでいよう。それを上回る手を、敵は確実に打ってくる。

 

「これが現代の神の力か。少々、我も慢心が過ぎたらしい」

 

 アーチャーだけではここまでの展開にはなっていない。固有結界という切り札は確かに有利だが、ギルガメッシュが本腰を入れれば趨勢がひっくり返る程度のものだ。

 聖杯だけでもこんな展開にはなりえない。すべての生命を呪い殺す泥、その総量を以てしても殺すどころか影響を与えることすら叶わなかった規格外が英雄王である。

 だが、その両者が手を組んだ時。その脅威は、森羅万象の頂点に立つ英雄王にさえ届く。届いてしまう。

 悪神『この世全ての悪(アンリ・マユ)』──ギルガメッシュが相手にしているのは、もはや贋作者(フェイカー)ではない。復讐者(アヴェンジャー)の霊基を持つ、現代に蘇った神霊である。ヒトが作り上げた呪いの塊は、遂に神となってこの世界に顕現していた。

 もちろん、アーチャーと半ば一体化しているだけであって、サーヴァントに過ぎない以上その在り方は不安定だ。現実世界に根を下ろすには、サーヴァントでは核となりえない。されど──それが有する力は、神そのものと遜色ない。アーチャーが纏う極大の呪詛は、一種の呪装防壁となっており、低級の宝具であればそれだけで弾いているような始末なのだ。

 

「フェニキアの女神程度であろうと侮ったが、存外にやってくれる。神どもめ、既に絶えた老いぼれの分際で、この時代にあってもまだ下らぬ試練を寄越すとは──いいだろう。旧世界の腐れた遺物に──」

 

 英雄王の右手。そこには、宝物庫を解錠する剣──王律剣バヴ=イルが握られており。

 

「この我が、手ずから裁きを下してやろう!」

 

 鍵が鳴る。それは、黄金の宝物庫(ゲート・オブ・バビロン)()()が開かれる音だった。

 

 空間に剣が現れる。剣が現れる。剣が現れる。剣が現れる。剣が現れ、剣が、剣が、剣、剣剣剣剣剣剣剣剣剣剣────。

 

 剣、刀、鉈、槍、檄、矛、鎌、棒、斧、杖、槌、球、矢、鏢、爪、鋏、鋸──。

 火、水、土、金、木、雷、氷、光、聖、闇、影、毒、呪、音、煙、香、無──。

 

 近接武器だけではない。大砲があり、戦車があり、戦艦があり、戦闘機があり、潜水艦があり、宇宙船があり、要塞があり、空中城塞があり、人形兵器があり、無数の兵器が存在する。

 攻撃武器だけではない。どんな攻撃も通さぬ伝説の鎧、神々が鋳造した絶対の盾、兵士となる無数の自動人形、神代の魔術を宿す魔杖、世界を震撼させる呪具、無数の道具が存在する。

 単なる刃だけではない。この世ならぬ炎を纏う剣、どんな距離でも命中する槍、相手の魔力を奪い取る鎌、空間ごと敵を凍結する刀、どんな防御も貫通する刃、無数の概念が存在する。

 

 百や千、万や億──いいや、そんな()()な数値では断じてない。過去・現在・未来・並行世界を問わず、人類が作り上げた、あるいは手にしてきた、戦うための技術の数々。宝物庫の中に眠る全ての宝具、全ての財宝が、世界そのものを埋め尽くそうという勢いで顕現していく。英雄王を中心に、果てのない闇夜に広がり続ける刃は、まさに無尽にして無限の権化。

 『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』。人類の知恵と技術、その全てが蓄蔵される神の宝物庫。今この瞬間も増え続ける神秘の目録、その全力がこれだった。英雄王が今まで見せていたものは、このほんの一滴にも過ぎない。

 人類の神話・伝承・物語・知識・技術の全てがここに集結していた。これはもう、人や軍、城や国といった単位に用いられるものではない。神霊の権能に依らず、人の手で世界を滅ぼすための、人類の叡智を積み重ねた宝物にして人類という種族の縮図。これほどの力、これほどの財を統べられるのは、天上天下に唯一人であろう。

 究極の一振りから数打ちに至るまで、全ての財を召喚したギルガメッシュ。彼の在り方の象徴、最強の軍隊を従えた英雄王は、その全力を以て号令を下し──。

 

「"天地波濤す終局の刻(ウト・ナピシュテム)"──!」

 

 ──その光景を、アーチャーは確かに見ていた。

 

 想像を絶する数の宝具展開。常に油断と慢心に満ちた英雄王、彼の本気の全力は、大半の感情を喪失した今のアーチャーさえ背筋を凍らせるものだった。

 どれほど強大な敵であろうと、あの力は圧倒する。何故なら、英雄王の背後に並ぶ武器こそは()()()()()()。まさしく人類全てを統べる絶対王者であり、あれが敗れる時は人類という種が滅びる時だ。贋作者(フェイカー)風情が届くものではない。

 だが、彼は()()()、武具の偽物を作り出すことに特化した英霊。そしてこの空間、『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』は、宝具の複製と貯蔵に特化した要素のみで構成された世界である。数限りなく増えていく宝具たち、その全てを、つぶさに見たアーチャーは片端から複製していく。人間の処理能力が到底及ぶ領域ではないが、見ただけで複製するという固有結界の特性と、聖杯による魔力供給が下支えとなった。

 腕を振るアーチャー。呪いを引き出しすぎたせいで、その体は真っ黒に染まり、視認さえ危ぶまれるような呪いの塊──否、()()()()()()と化していた。この神の権能は、あらゆる武器を模倣し、複製すること。彼を中心に、まるで鏡合わせのように、無限の宝具が広がっていく。爆発的な速度で広がり続ける剣たちは、その一つ一つが聖杯の呪いで真っ黒に染まり、投影によって劣化した性能を押し上げるほどの呪装宝具となっていた。

 投影できない宝具もある。『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』のラインナップは無限大で、戦車や戦艦や魔杖、あるいは超級の武器や神造兵装などは模倣のしようがない。その分をアーチャーは、一つの魔剣を百個複製することで補った。全てが一品物の英雄王の宝具と違い、アーチャーの複製品はいくらでも無尽蔵に投影が可能だ。恐るべき威力を持つ聖剣魔剣が、凄まじい呪いによって強化され、何千何万と複製されて固有結界に広がっていく。

 固有結界という世界そのものの力によって、無数無限の贋作宝具を従えたアーチャー。呪われた模倣品を従える現代の悪神は、その全霊を以て呪言を発し──。

 

全投影(オールウェポンズ)待機(フリー)──"呪装投影・無限掃射(ソードバレル・フルバースト)"!」

 

 英雄王の誇る人類軍と、悪神が操る呪いの軍。睨み合う二つの軍勢が、究極の"力"を解放し──

 

 ──ありとあらゆる砲火が、一斉に炸裂した。

 

「────────」

 

 全てが、割れる。

 

 『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』から放たれた宝具と、『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)』から放たれた贋作は、世界そのものを蹂躙した。

 あらゆる概念が入り乱れ、交わり、弾き合い、溶け、砕け、裂き、破れ、生まれ、朽ちる。炎の魔剣は水の刃に打ち消され、光の聖杖は闇の呪いに飲み込まれ、全てを貫く槍は全てを防ぐ盾と相打ちになって砕け、無数の軍勢が次々に激突しては消滅していく。一つ一つが英霊の全力に比する武器たちが、雑兵のように使い捨てられ消えていく。

 撒き散らされる破壊が生み出した光景は、「黒」だった。破壊された贋作宝具から溢れ出す呪詛が、毒の霧となって世界を覆い尽くしていくのだ。『天地波濤す終局の刻(ウト・ナピシュテム)』と『呪装投影・無限掃射(ソードバレル・フルバースト)』の激戦により、破壊されかけていた固有結界は、その溢れた呪いで無理矢理に修復されていく。ここは既に剣の世界ではなく、死の世界となっていた。

 何もかもがぶつかり、消えていく終わりの光景。座乗する黄金帆船(ヴィマーナ)すら呪装宝具の猛打を受け、墜ちていく中、すべてを見ていたギルガメッシュは。

 

「──裁定の時だ。起きよ、エア」

 

 宝物庫の最奥から、最後の剣を引き抜いていた。

 

 ──ごおん、と風が鳴る。

 

 無数無限に打ち砕かれ、闇の中へと消えていく宝具の爆風。その全てを吹き飛ばすように、凄絶な嵐が吹き荒れた。収束する暴風は、剣の使い手目指して飛来する呪装宝具のみならず、自ら展開した宝具群さえも巻き添えにして打ち払っていく。

 傲然と旋転する神の剣は、一秒ごとにその回転数を早めていた。周囲に満ちる風も魔力も呪いさえも、自分が従えるべき弱者に過ぎぬと、黒い剣身が飲み込んでいく。三つに別れた円柱は、その一つ一つが大陸どころか、星さえ鳴動させるほど埒外の力を放っている。これこそはヒトの認識(せかい)より遙か先に神が造りしモノ、世界に始まりと終わりを齎す開闢の剣。

 乖離剣が従えるエネルギーは、もう人類の秤で計測できる領域を超えていた。ギルガメッシュとアーチャーが展開した宝具群、その全てに比するか、あるいは上回るほどの力。天地創世の奇跡を演ずるにあたって尚、英雄王は悠然と笑い──。

 

「貴様には地の理では生温い。天の理を示してやる」

 

 その瞬間、宝物庫に控えていた宝具たちが励起した。

 

 攻撃力強化、攻撃範囲強化、火力強化、威力増大、属性付与、概念強化、筋力上昇、幸運付与、魔力供給、魔力補助──。

 防御力低下、回避能力低下、火力低下、威力減衰、属性弱体、概念弱体、筋力低下、不運付与、魔力剥奪、魔力妨害──。

 

 英雄王への強化(バフ)と敵対者への弱体化(デバフ)が、何千何万と重ねられる。同時、ギルガメッシュは宝物庫から供給される魔力と己が生成する魔力、その全てを愛剣に叩き込んだ。既に高速で回転していた乖離剣の刃は、爆発的なエネルギー供給によって超高速で廻り出し、その有り余る力は時空間にさえ亀裂を入れ始めた。

 ギルガメッシュの魔力回路が励起し、赤い入墨のような紋様が体中に浮かび上がる。それは体中に黒い入墨を宿し、呪いの塊を宿したアーチャーとは対象的な神々しさ。ほんの僅かなミスで自分さえ滅ぼしうるであろう、創世神話にしか語られぬ神の力を携えて、英雄王は傲然と構えを取る。

 

「──原初を語る。天地は分かれ、無は開闢を言祝ぐ。世界を裂くは、我が乖離剣!」

 

 これこそはあらゆる「死の国」の原典。世界が定まるより以前、数十億年の昔、この星は生命の存在さえ許されぬ原初の地獄であった。その地獄を切り分け、無から有を作り出し、星にカタチを与えたのが乖離剣(エア)である。全ての英霊の頂点たる英雄王が振るう、あらゆる宝具の頂点たる剣。

 音も光も時も空も、何もかもが破壊の中に消え去った世界で、唯一煌々と輝ける星。終わりゆく世界の中、天地には我のみと高らかに謳い上げるその様は、英雄王の魂の具現。万象一切を裁定する、究極の王者の姿だった。

 

「星々を廻す渦、天上の地獄とは創世前夜の祝着よ!」

 

 真空が、竜巻が、大嵐が、雷鳴が、あらゆる天変地異が乖離剣を中心にして沸き起こる。それは騎士王を相手に地上で見せたものとは、文字通り桁が違っていた。発動前の()()()()()でしかないのに、無数の災害、一つ一つが対城宝具さえ凌駕しようかという力が、神罰めいて荒れ狂っている。空間に入るひび割れは、擬似的な時空断層なのか。

 因果も次元も時空も世界も、この世の全てを破壊し創造する神の剣。それを振るわれるべき対象は、無尽の宝具が激突する終焉の戦場、そこを挟んだ対岸から恐るべき神威を目の当たりにしていた。

 

「────ッ」

 

 戦慄する。アレには抗い得ないと、見ただけでアーチャーには理解できた。

 英雄王が執る最終宝具は、人間に許された力を逸脱している。あんなものが放たれたが最後、この世界は真っ二つに切り裂かれるだろう。

 あの武器の外観を模倣するどころか、そもそも解析・理解することすらできない。あれは神霊の大権能がカタチとなったもの、剣という概念に収まらぬものを投影することは不可能。聖剣を投影して抗おうにも、鎧袖一触粉砕されるが運命(さだめ)

 アレに立ち向かうなど愚の骨頂、世界を切り裂く剣に耐えうるには、世界から逃げ出す宝具を用いるぐらいしか手立てはない。そんな超宝具はアーチャーのストックには存在せず、また存在したとしても投影することなど叶うまい。

 アーチャー単体ではどうしようもない。故に──。

 

「力を貸せ、聖杯──対価はくれてやる。既に腐れたこの体、好きなように喰らうがいい!」

 

 聖杯との経路(パス)、その出口を極限までこじ開けた。霊格の損傷など端から度外視、自分の霊基ごと爆砕しても構わぬという構えである。どの道死が避けられぬのであれば、可能性がある方に賭けるという博打。

 その()()()に応えたのか、アーチャーの胸に黒い穴が空き──そこから、真っ黒なエネルギーが吹き出した。呪いを凝縮したそれは、単なる魔力ではなく、聖杯に詰まった汚泥そのもの。溢れ出した呪詛は、何らかの力に括られているのか四散せず、限りなく増え続けながらもアーチャーを中心にまとまっていく。指数関数的に増え続ける泥の中央で、男の姿はすっかり埋もれて見えなくなっていた。

 まるで、十年前の再現のようだった。現れた大穴から聖杯の中身が零れ、世界に呪詛を満たしていく悪夢の光景。ところが十年前とは違い、肥大し続ける泥の束には、やがて手が生え足が生え、次第に人の形へと変貌していく。

 そうして現れたのは、呪いの泥で形成された黒の巨人。死の海を両足で踏みしめ、天に届かんという巨身を備えたヒトガタの顔は、無貌。その内にあるのは、あらゆる生命体を絶殺する害意のみ。弓兵(アーチャー)だった男の面影は、もうどこにも残っていない。

 

 常世全ての命を蹂躙し、呪殺する怪物──その名を、巨神『この世全ての悪(アンリ・マユ)』という。

 

「■■■■■■■■■■──!!!」

 

 巨神が咆哮する。響く衝撃波は、聞くだけで人を狂死させるほどの憎悪に満ちていた。これこそ六十億の人命を鏖殺する悪魔、現代に顕現した死の神である。こんなものが外界に現れた日には、その国は三日で焦土と化すだろう。

 サーヴァントを核にしているため、そのあり方は正しい生命ではない。怪物の外観しか象れず、知性はなく、存在にも制限が課せられている。されど──ゾロアスター教の悪神、その名に違わぬ力だけは本物だ。

 一英霊が相手取れるような存在ではなく、冠位級(グランドクラス)のサーヴァントか、それこそ抑止力でなければ対処できない真正の超存在。聖杯が六十年蓄えた魔力に、悪という方向性が与えられ、それが天敵に抗うべく不完全に生まれ落ちた結果がこれだった。

 

偽神(フェイカー)め、遂に本性を表したか! なりふり構わずに我の首を狙う、その意気込みは褒めてやる。

 が──貴様の如き汚物が我が庭に蔓延るなど言語道断。この英雄王が裁定をくれてやる! 死を以て静まるがいい──」

 

「■■■■■、■■■■■──!!!!!」

 

 腕を振りかぶる巨神。己の天敵を、その拳で粉砕しようというのか。計測不能の呪詛を宿した力は、生物器物問わず何もかもを汚染し破壊する。その威容に比べれば芥子粒の如き大きさの王者など、触れただけで蒸発しよう。

 相対するギルガメッシュが、右手を高く掲げる。握られた乖離剣の回転数は、もはや視認することも叶わぬほど。真なる悪神と成り果てた愚者に、天地開闢の神威を従え、英雄王が今裁定を下す──!

 

「"天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)"──!!!」

 

 ──世界を創造した究極の一撃が、此処に顕現した。

 

 黄金の王が振り抜いた剣は、世界に奈落を生み出した。時空間が罅割れ、因果律が破断し、次元も法則も尽くが崩壊する。神の刃は、森羅万象あらゆる存在を赦さず、四方千里を消滅させて虚無の穴へと()としていく。

 擬似的な時空断層が全周囲に走り、空間が前衛芸術のような姿に成り果てる。灼熱と極寒、暴虐に満ちた天変地異には、如何なる命も生きられない。この猛威ですら副産物に過ぎず、星を断ち切る斬撃の中央は、紛うことなき絶望の虚無。吹き荒れる暴風は、怯えた世界の慟哭か。

 

 これが天地創造の究極の一、乖離剣エアがかざす真実だった。

 

 地上で振るった一撃など、この武器にとっては単なる児戯。神の刃が秘める権能、それを全力で行使したならば、()()()()()()が崩壊してしまう。対界宝具の分類に偽りはなく、それ故にこの剣は普段は真価を発揮し得ない。星の抑止力(ガイア)人の抑止力(アラヤ)も、その存在を決して赦さず使用者ごと世界から排除にかかるからだ。

 しかし、ここは固有結界──この世ならぬ世界の内側。抑止力の対象外となるフィールドにおいて、乖離剣は遂にその奇跡を具現化させた。英雄王が示す創世の真実に、どうして悪神ごときが逆らえようか。

 

「──────ッ!」

 

 時空断層を纏う風と、悪神の巨腕が激突し──命を滅ぼす呪いの泥は、世を切裂く創世の刃に、拮抗すら叶わずに削られていった。巨神の胸にある穴から更なる泥が溢れ出し、削れた体を再構成しようとするが、圧倒的な破壊にまるで追いつかない。

 巨神の腕が削れ、裂かれ、抉られ、虚無に飲まれて消滅する。その破壊の衝撃は腕のみならず、巨大な体躯の全身に伝わり、呪詛で出来た体の隅々に至るまで罅が入る。そしてそのまま、究極の神撃は、巨神の胴体を直撃した。

 

「■■、■■、■■■……■■■──!!!!!」

 

 苦痛と絶望に染まった絶叫。終焉の一撃に、悪神が呑まれていく。いかなる呪詛、いかなる暴力を秘めようと、開闢の星の前に在ることは許されない。天に届くほどの巨体も、神を殺すほどの呪いも、滅びの光の中に消えていき──

 

 ──そして、世界が反転した。

 

 

***

 

 

「──ほう。まだ息があるのか。まったく、見上げた生き汚さよな」

 

 意識を取り戻した時。洞窟に倒れ伏すアーチャーには、体の感覚が存在しなかった。

 靄がかったような思考の中、頭を働かせる。ノイズ混じりの記憶は、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』から力を引き出そうとした瞬間、極限の苦痛と共に途絶えていた。あの瞬間、自分は完全に聖杯の意志に乗っ取られていたのだろう。

 自我が消え、記憶が消え、魂魄が消えた。霊基を構成するありとあらゆる要素が、呪いの泥で黒塗りされた。だというのに何故、自分は存在を保っているのか。疑問に思い、横たわったまま己の体を見下ろしたアーチャーは。

 

「────ああ。私の、敗北か」

 

 左半身が捩じ切れていることを認識し、自身の死を受け入れた。

 左腕も左足も、体からちぎれて消失している。そればかりか、左胸から脇腹にかけても大きく抉られ、そこからは命の水が滂沱と零れ落ちていた。当然、その内にある心臓──霊核が備わった部分も、完膚なきまでに破壊されている。即死していないのは、人間ではなくサーヴァントであることと、彼が持つ単独行動の技能(スキル)故だった。

 先ほどのように、聖杯の呪いで霊基を修復することは不可能だ。これはもうそういう次元の損傷ではない。それ以前に、自身を苛んでいたはずの無尽の呪いは、綺麗さっぱり消滅してしまっている。残ったのは、どうしようもなく損壊し摩耗した霊基のみ。

 状況から逆算するに、自分は『この世全ての悪(アンリ・マユ)』に飲み込まれ──そしてその悪神は、英雄王によって打ち砕かれた。あれだけの呪いを消し飛ばす力など想像を絶している。自分が消滅していないのは、悪神の中核に存在したが故、最も手厚く守られていたからだろうか。それにしても、蒸発していないのは奇跡の領域だろう。

 そう結論づけたアーチャーは、血を吐く唇を苦笑いの形に歪める。その奇跡さえ、一秒後の死を先延ばしにしただけに過ぎないというのが皮肉だった。霊核が破壊され尽くした今、アーチャーの消滅は確定事項であり、放置しておいても二分と持たないだろう。既に痛みさえ感じない体であり、残った右手以外は動かすことさえ叶わない。

 

「偽物にしてはよく戦った。この我に本気を出させるとは、千年語り継ぐに値する栄誉だろうよ。満足して死ね、贋作者(フェイカー)

 

 赤い剣を握った宿敵が近づいてくる。英雄王の体には、傷の一つも残ってはいなかった。

 黙っていても消えるだけだというのに、敗残兵相手に念入りなことだと、皮肉げに笑うアーチャー。死に体の彼目掛けて、無慈悲に乖離剣(エア)を振り上げたギルガメッシュは──。

 

「────ぬ?」

 

 

 ──気付いた時には、遅かった。 

 

 

「──貴様、よもやそこま、ガ──!!!???」

 

 ギルガメッシュの体が沈む。底なしの影の沼に、ズブズブと飲み込まれていく。

 逃げ場などない。荒れ果てた洞窟は、ほんの一瞬で、影が満ちる死地へと変わっていた。足掻く間さえなく、王の玉体は黒い影に沈み──そして、完全に見えなくなった。

 

「カ、カカ、呵々々々々々々々々──!!!」

 

 あまりの異常に、辛うじて開けられる右目を見開いて驚愕するアーチャー。その耳に、不快極まる笑い声が届く。首だけを動かして様子を伺うと、離れた場所で、一人の少女が立っていた。

 それは、アーチャーが魂を擲ってまで助けようとした少女の姿。しかし、その口から放たれる笑いは、あまりにも不釣り合いな嗄れた老翁の声だった。

 外観はあの少女だが、中身は違う。何者かに乗っ取られているか操られていると、アーチャーの頭脳は即断。呪詛に晒され、黒塗りと穴開きだらけの記憶の中、どこかでアレこそが最後の敵だと訴えている。

 

 ──ギルガメッシュは一つ忘れていた。

 

 天敵を排除するため、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』は蓄えた膨大なリソースを注ぎ込んで、アーチャーを核とした不完全体を誕生させた。しかし、そこに注ぎ込んだ魔力資源は全てではない。力のほとんどは振り分けたが、聖杯にはまだ『この世全ての悪(アンリ・マユ)』の本体が潜んでいる。そして、アーチャーとは別の窓口から、その呪いは黒い影として現れることが可能だったのだ。

 

「カ、いかに伝説の英雄王とて、足元を掬われるのは弱いと見えるわ! 王を殺すのは古来よりこれ、暗殺者と相場が決まっておる。今のでほれ、聖杯に焚べる魂はあと一つよ!

 ご苦労だったのうアーチャー! おぬしの踏ん張りのおかげで、マキリ五百年の野望が成就しようぞ──!」

 

 マキリ。間桐臓硯(マキリ・ゾォルケン)

 壊れた弓兵に辛うじて残る記憶領域。その名前は、確かに刻まれていた。倒さねばならない、少女を救う上での障害として、アーチャーの脳はその名を記憶していたのだ。今の今まで、呪いの泥の中に埋もれていた名だが、霊核だけでなく呪いも破壊されているせいか、はっきりと思い出した。

 

『──間桐臓硯は油断できる相手ではない。虫にいつ寝首をかかれるかという不安もある。ここはもう一つばかり、保険をかけておきたいところだ。

 アーチャー。そのために、君はまず、()()()()()()()()()()()()()を用意しろ。あの老人は蟲の集合体であり、本体はどこかに潜んでいる。表向きの虫を駆逐することで、一時的に行動不能には追い込めるだろうが、時間が経てば復活するだろう。

 あの蟲に引導を渡すためには、どこかにいる本体を殺さなければならない。私の読みでは、それはおそらく──』

 

 それを口にしたのは誰だったか。きっかけがあれば思い出せるかもしれないが、今のアーチャーに記憶を引き出すことは叶わなかった。しかし、重要と断じたその会話だけは、はっきりと記憶している。その時の思考の推移すらも。

 アーチャーが投影可能な宝具は、刀剣を基本としたものにこそ限られるが、そのバリエーションは多岐に亘る。この時、会話の主が口にしたような宝具もその中には当然含まれていた。

 奇遇にも、それはこの時、アーチャーが用意しようと考えていた武器と一致していた。彼はこの会話の主の()()()に備えて、速やかにターゲットだけを狙い撃てる宝具を思い浮かべていたのだ。その直後からアーチャーは、己の魔術回路の一本に、常時その宝具の設計図と投影用の魔力を準備させていた。

 

 ──そして、それは今なお有効だ。

 

「呵々、おぬしには褒美を与えねばならぬな、アーチャー! おぬしを影に取り込むのは容易いが、どの道数分で消える命。最期の時間をゆるりと満喫するがよい! その灯火が消えた後、おぬしの魂は、儂の悲願の礎にさせてもらうでな。カカ、呵々々々……!」

 

『助けてください、先輩──』

 

 少女の体で、老人の口が何かを言っている。しかし弓兵の鷹の目は、その頬に涙が伝うのを──ほんの僅かに、異なる声が混じったのを見逃さなかった。それは蟲に操られ、体を奪われながらも、なお諦めぬ少女の抵抗の証だった。

 

「────待ってろ、桜」

 

 その名前だけは。最も大切な名前だけは、どれだけ自分が壊れようとも、心の奥に残っていた。

 弓兵の魂に火が灯る。既に朽ちた蝋燭の、最後の一欠片が熱くなる。わずか数分だけ残された命、辛うじて動く右腕、残り滓のような残存魔力、その全てを今ここで使い果たすと男は決断した。

 

「それにしても綺礼め、儂の虫たちを砕いてくれたばかりか、教会の術まで使うとはの。おかげで、動けるまでに時を無駄にしたわ──桜を通じてしか動けぬとは、まっこと不便な有様よ。

 じゃが、それも今少しの辛抱。聖杯の器は儂の手の中、そして器は間もなく満たされる。あの小倅、悲願が成った暁には、ゆるりと縊り殺してくれようぞ──!」

 

 間桐臓硯には蟲の体が存在する。だというのに、今わざわざ少女の体を使って動いているのは、そちらの体が破壊されたからに違いない。メインが破壊されてバックアップに移行した──いや、その逆か。表の体が使えなくなったからこそ、裏の本体が出てこざるを得なかったのだ。つまり間桐臓硯の本体は、あの少女のどこかに潜んでいる。

 事前に聞いていた話と、現状の状態が一致した。そこまでは確定事項だ。だとするならば──少女を操る上で、その命令元は体の中枢になければならない。即ち、()()()()()()()()()だ。

 壊れた情報を引きずり出す。砕けた記憶を呼び覚ます。少女の性質、臓硯の情報、飛び散った断片を繋ぎ合わせる。虫の根源は、いったいどちらに潜んでいるのか──。

 

「ッ──投影(トレース)開始(オン)……!」

 

 最後の投影。それだけで残った魔力が失われ、早くも男の体が透け始める。しかしその瞳には、決意の炎が燃え盛っていた。

 残った右手に握られたのは、豪奢な拵えの黄金の剣。七つの星が描かれたそれには、大層な力は宿っていない。この剣は際立った神秘も、強大な破壊力もなく、ただ単一の機能だけに特化した武具。

 呵々大笑する老翁は気づかない。死にゆくサーヴァントに何が出来るでもなしと、高を括った虫は勝利の美酒に浸っている。そこにこそ、弓兵が付け込む隙がある。

 

「カ、今少し、今少しで肉の腐れぬ体が────ぬ?」

 

 ようやく異変に気づいたのか、少女の顔で醜悪に笑っていた老怪が、くるりとアーチャーを振り返る。その瞬間、男は逆手に握った剣を投擲し──

 

「邪悪を祓え、七星剣──!」

 

 一直線に、少女の心臓へと突き刺した!

 

「ギ──ガ、ギ、ギアアアアアアアアアアア──!?!? キサマ、正気か!? 負け犬の分際で、桜ごとこの儂を──!?」

 

「いや。死ぬのは貴様だけだ、間桐臓硯」

 

 心臓を穿たれ、背を反らして絶叫する老人。だが、その苦悶の声とは裏腹に、剣が突き刺さった部分からは一滴の血も溢れてはいなかった。それどころか、確かに刃に貫かれているのに、少女の体にはまったく傷がついていないという矛盾。

 七星剣──それは、古代中国や日本において、儀礼用に用いられた剣の一種である。道教思想に基づくそれは、破邪や鎮護の力が宿るとされ、百金の価値にも勝ると古文書に記されている。アーチャーが投影したのは、かつて目にした現存する七星剣の一つ。

 古代に鋳造され、人の想念と歴史を積み重ねてきた剣は、時として神秘を宿すことがある。この剣が持つのは破邪の力──善なるものは傷つけず、悪意あるものだけを滅ぼす概念である。悪を祓う力は、少女の心臓に巣食っていた虫の本体だけを貫いたのだ。

 

「足元がお留守なのは貴様も同じだったな。少女の体に寄生し、人を食らう怪物め。貴様の野望が何かは知らんが、今こそ墓場に入る時だ」

 

「ガ、ギ──キサマキサマキサマキサマァァァァァ……! わ、儂の、この儂の悲願をキサマごときに……おのれ、今一歩、今一歩で不老不死が────」

 

「ふん……酷い召喚だったが、最後はまあ悪くない。悪党の死に様ほど見応えのある見世物もないからな──良い断末魔だ、間桐臓硯」

 

 苦痛に悶えて踊り狂う虫の妖怪は、そうしてぐしゃりと崩れ落ちた。五百年を生き、人の体を捨て、魂を腐らせながら人間に寄生し続けた妖怪。そのおぞましい体で、幾度もの窮地を潜り抜けてきた魔術師は、遂にこの世にしがみつけなくなったのだ。

 支配者がいなくなった少女が倒れる。文字通り、憑き物が落ちたように、その表情は苦悶から安堵へと変わっていた。恐ろしい怪物から解き放たれた、その穏やかな顔を見届けて、男はほうっと息を吐く。その体は、もうほとんど粒子になっていて。

 

「ろくな先輩じゃなかったけど、最後の最後に、少しは助けてやれたか。遅くなって、悪かった。

 それじゃ、オレは先に行くよ──達者でな、桜」

 

 最後に、それだけを言い残して。エミヤシロウは、笑顔で戦場を去っていった。


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