【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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34.進撃

 柳洞寺地下、大空洞。

 英雄王と騎士王の激戦は、重厚な岩盤と魔術防御に守られた地下深くにまで影響を与えていた。鳴り響く振動音や、揺れに伴ってパラパラと降り注ぐ岩の欠片は、常人であれば肝を冷やしたことだろう。

 大聖杯が安置されるこの場所は、その重要性から高度な秘匿と防御が施されている。稼働を開始してから数百年に亘って動き続け、天変地異にさえ動じぬ魔術的設計は、未だ現在の科学技術が及ばぬ領域にある。理論上、ここは戦略核攻撃にも耐えうる強固さを誇るのだ。

 

「──それも、連中が下に矛先を向けぬ間に限るがな。その時は、主への信仰心が足りぬこの身を恨む他あるまい」

 

 ズン、と響く重い衝撃。小規模な地震に等しい揺れだが、巌のように鍛え上げられた身体はびくともしない。

 平たい岩場に腰掛けた言峰綺礼は、静かに目を瞑り、まるでサーヴァントの激戦音がクラシック音楽でもあるかのように寛いでいた。代行者として幾度となく激戦を潜り抜け、第四次聖杯戦争さえ踏破した猛者は、休むことの重要性をよく理解している。()()()が来るまでは、砲火の音が聞こえる戦場であろうとリラックスできるのが戦士の素養である。

 

「フム。四度目の折は、尻の青い小僧であったがな。男子三日合わざれば刮目して見よとは言うが、十年も経てば相応に余裕も出るか。綺礼よ、愉しんでいるようではないか」

 

 うっすらと言峰が目を開ける。虫の群れに見えたものは、一度瞬きをした後には間桐臓硯へと変わっていた。

 

「私にとって、アレの誕生を見届けるのは悲願だ。悲願を前にして心が昂ぶらぬのでは、健全な人間とは言えまい。もっとも、おまえにこの定義を適用できるかは疑問だが」

 

「カ。なに、儂も今宵は二百年ほど若返った心地よ。魂の腐り落ちる苦しみから解き放たれる時が近づいておるのだからな。生まれた時より腐肉のモノなら、共感してもらえるはずだがのう」

 

 二人の間に、同盟者に対する仲間意識はない。皮肉に満ちた会話は、この二人がただ利害の一致によって手を結んだことの証左だった。最終目的こそ異なれど、聖杯戦争を完遂させるという一点が、同盟の下支えとなっている。

 

「それで、上の様子はどんなものだ?」

 

「わからぬ、というのが正直なところよ。使い魔で様子を見ようと試みたが、見えているという時点で近すぎる。まともに情報を送る前に、儂の可愛い蟲たちはみな焼かれてしもうたわ」

 

「ふむ──」

 

 僅かに上を見る言峰。そのタイミングを見計らったように、一際大きく洞窟が揺れた。

 黒化したセイバーは、恐ろしく強力なサーヴァントだ。だが、言峰の見立てでは、最終的に勝つのはギルガメッシュ。いつもの慢心をやらかす可能性がないではないが、彼の騎士王に対する執着は十年前から知っている。それに、いかに英雄王とはいえ、今のセイバー相手に手を抜けるものではないだろう。

 

「アーチャーを取り込まずにおいて正解だったの。土壇場の裏切りがなければ、セイバーと二騎で英雄王を相手取れたものを……。

 まあよい。仮にセイバーが敗れたところで、英雄王も無傷とはいくまい。そこにアーチャーをぶつければよし、それで及ばずともその時には七騎分が揃っておるでな」

 

 小聖杯に回収されたサーヴァントは、解放されると英霊の座へと戻っていく。その際に空く世界の外側への道を大聖杯で固定することで、根源へ至ろうというのが聖杯戦争のコンセプトだ。しかし、今回は小聖杯が二つに分かれているという異常事態のせいで、この二つを完璧にリンクさせるか、あるいは一方にサーヴァントの魂を寄せる調整を行わない限り儀式が遂行できない。臓硯は令呪や召喚術についてはスペシャリストだが、聖杯の器に関してはアインツベルンの領分であるため、この部分の最終調整に難航していた。この調整が終了していれば、ギルガメッシュを打倒するにしろセイバーが倒されるにしろ、即座にアーチャーを自害させれば七騎分の魂が揃うのだが、間に合いそうにないのが実情だった。

 上の状況はまるで見えぬが、大火力宝具が飛び交っているであろうことだけは確実だ。そんな戦場に、闇雲にアーチャーを介入させては、英雄王を討つどころか時間稼ぎになるかも怪しい。それよりはセイバーが倒された際、後詰めとして聖杯の調整が完了するまでの時間稼ぎに徹させれば良いというのが臓硯の判断である。

 

「アーチャーの配置は完了したのか」

 

「他愛ない。泥をたらふく飲ませてやったでな、もはや儂の命令しか聞かぬ傀儡よ。マスターは桜ゆえ、令呪を使うには少々手間だが、捨て石にそこまでは必要なかろうて」

 

 呵呵、と笑う老翁。一方の言峰は、自分の元サーヴァントが悲惨な目に遭っているという話に、微塵も動じた様子を見せない。赤い弓兵は彼にとって単なる手駒に過ぎず、裏切られた時点で利用価値を失っている。再利用できるというのなら、そのマスターが自分であれ他者であれ関係はなかった。

 激戦の余波に、揺れ続ける大空洞。先ほどより振動が大きくなっているのは、王たちの戦いが佳境に入っているからか。再び上を見た言峰は、数秒考え込む仕草を見せた後、小さく頷いた。

 

「……なるほど。となれば、こちらの勝利は近いな。

 が、()()()()()はまだ多い。こちらの目的を達成するには、確実に排除しておく必要がある。

 アーチャーがギルガメッシュを止めるというのなら、衛宮士郎の相手は私になるが──その前に、主に祈りを捧げても良いかね?」

 

「カ、堅物なのは変わらぬのぅ! おぬしの父親も相当なものであったが、未だ神父であることに拘るか! よいよい、好きにすればよかろうて」

 

 悲願が手に届きかけている余裕か、好々爺然とした笑みを見せる臓硯。それを最後に興味をなくしたのか、言峰に背を見せた老人は、小聖杯である二人の少女の方へ注意を向けた。……そう、()()()()()()のだ。

 

 ──神への祈りは、静かに始まった。

 

「──私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す」

 

「む……?」

 

 歩き出そうとした臓硯の動きが止まる。いや、止まるというより、進めなくなったという方が正しいか。

 足元を見下ろした老人の目に、魔力の線が飛び込んでくる。その線を境に透明な壁が生じており、向こう側へ行くことができないのだ。

 結界。中でもこれは、外部のものを排斥するのではなく、内部のものを逃がさぬための性質だ。大した強度でも精度でもないが、こんなモノが敷かれていること自体がおかしい。臓硯自身には、結界を張った覚えなどない──。

 

「綺礼、これは──ガ!?」

 

 はっと臓硯が振り返った刹那。稲妻の如き剛拳が、老いた腹に炸裂した。

 拗歩捶。八極拳の基礎にして、空手では逆突きとも呼ばれる一撃は、言峰ほどの達人が用いれば岩すら砕く猛威となる。大地を沈ませる踏み込みは絶大なエネルギーを与え、老怪の五臓六腑を一打にして破砕した。

 

「──我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」

 

 攻撃は止まらない。言峰は結界に叩きつけられた臓硯の頭を掴むと、鞭でも振るうかのように片手一本で投げ落とした。背骨が砕け散る、おぞましい怪音。

 

「グ、ガ──!? 貴様、狂ったか!? ここで儂を裏切れば、アーチャーの制御は──」

 

「配置が済んだと言ったのはおまえだ、臓硯。そして、アーチャーのマスターは間桐桜。ギルガメッシュと戦わせるのであれば、もはやおまえの出る幕はない」

 

 立ち上がる隙さえ与えない。極め抜いた斧刃脚は、臓硯の足を払うどころか諸共にその骨をへし折った。萎びた足が、あらぬ方向にねじ曲がる。

 

「──打ち砕かれよ。

 敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。

 休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

 

「お、のれ──儂を殺すか綺礼! 聖杯に用はない、生まれ出るモノに用があるというのは偽りであったか!?

 愚か者めが……儂を裏切り、おぬしは何を求める、何を願う? よもや聖杯に、幸福とやらを託すつもりか!」

 

 黒鍵が舞う。霊体干渉に特化した刃は、人であることを捨てた魔蟲にも覿面に刺さり、ただの投擲で臓硯の両腕を千切り飛ばす。

 反撃の暇などない。言峰が鍛え上げた套路、積み重ねた功夫は、数百年生きた魔術師をも凌駕する。死徒にも迫ろうかという戦闘能力に、虫ごときがどうして及ぼうか。

 

「これはあの男の受け売りだが。裏切りとは、同じ道を志しながら背中を討つことを言う。はじめから道が違うのなら、それはただの()()()だ。間桐臓硯、おまえが散々繰り返してきたことだろう」

 

「カ──他者を陥れ、不幸を食らうおぬしが共食いを語るとはの! 笑わせる、不幸しか食せぬおぬしに、幸福が訪れることなど絶対にないわ!」

 

 両手両足を破壊してなお、言峰の追撃は止まらない。恐るべき打撃が、蹴撃が、黒鍵が、老人の体を粉砕していく。常人ならば初手の一撃で絶命しているに違いないが、虫の集合体で人体を再現したに過ぎない臓硯にとっては、この程度は致命傷になり得ない。

 故に。真に臓硯を滅ぼすのは、物理攻撃ではなく。

 

「──装うなかれ。

 許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を」

 

 洗礼詠唱、という魔術がある。

 魔術を滅ぼすべき異端と定義し、魔術協会と長きに渡る確執を持つ聖堂教会において、公的に使用が認められた数少ないモノの一つ。主の教えに基づき、迷える魂を在るべき場所へと還す浄化の儀式である。

 この魔術は物理的な効力を持たない。呪いを解くといった用途を除いて、生者に対してはほとんど意味をなさないが──人ならざるモノ、人であることを捨てたモノに対しては、絶大な効果を発揮する。聖堂教会の信仰、人類最大の魔術基盤の力は、異端を決して許さない。

 

「──休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。

 永遠の命は、死の中でこそ与えられる。

 許しはここに。受肉した私が誓う」

 

「ク、カカカ……! よかろう、好きにせよ! だがな綺礼、貴様はしょせん、腐肉を食い漁る蛆虫に過ぎぬ。幸福という陽の光を浴びることなどない、世界の落伍者よ! 儂から聖杯を奪ったところで、貴様の望みなぞ何一つ叶うものか……!」

 

 手足を引きちぎられ、臓器を破砕され、臓硯の体はもはや頭部しか残っていない。体を構成していた無数の虫は、過剰なまでの暴力に耐えかね、血肉の破片となってそこら中に散らばっていた。

 首だけになっても哄笑を続ける老魔術師。その脳髄を、ぐしゃりと踏み潰して。

 

「──"この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)"」

 

 人ならざる異形、人の生を超えてなお現世にしがみつく魂を、神の摂理が浄化する。魔力の燐光は、奇跡めいた輝きを伴い、老翁の哄笑をかき消していく。

 この魔術こそは、穢れを浄化する聖なる祈り。清らかな部分など欠片も持たぬ、腐りきった虫の魂が抗える道理もない。五百年を生きた魔術師は、それ故に、信仰の力に敗れ去った。

 

 ──そうして。祈りの時間は、静かに終わりを迎える。

 

 後に残されたのは、散らばる虫の肉片だけ。それを感情のない瞳で見下ろし、血に濡れた拳を引いた言峰は、小さく息を吐いた。

 

「間桐臓硯。おまえは一つ、勘違いをしていたな」

 

 音が止む。

 大空洞を揺るがせていた轟音は、いつしかぴたりと静まっていた。ギルガメッシュとセイバーの死闘が、ついに決着を見たのだろう。

 踵を返す。勝敗の結果など見るまでもない。本来の力を取り戻した英雄王がどれほど圧倒的な存在なのか、それは元マスターであった自分がよく知っている。その相手はアーチャーに任せるべきだが──現マスターの前には、やはり自分が立つべきだ。

 

「私には特段、聖杯に託す願いなどない。私の望みは、聖杯から生まれ出るモノへの祝福。その点において、おまえを裏切ったわけではない」

 

 去っていく言峰。胸元の十字架に触れた聖職者は、一瞬だけ足を止めて。

 

「──ただ。十年前から、おまえを殺しておこうと思っていただけだ」

 

 どこから流れ込んできたのか、一陣の風が吹く。虫の残滓は、冬の冷気に押し飛ばされ、塵となって消えていった。

 

 

***

 

 

「──投影(トレース)開始(オン)

 

 手に現れる双剣。アーチャーの膨大な経験値が流れ込んだ影響か、あれだけ苦しんだ工程が、いとも容易く再現できる。

 左方より迫る影に、一刀を投擲。揺らめく異形は、宝具の刃に突き穿たれ──苦しむように震えた後、ばしゃりと音を立てて破裂した。

 

「これで十二。くそ、何匹いやがるんだ……!」

 

 ()()()()を再投影し、池から湧き出るように現れる魑魅魍魎に向き直る。聖杯から桜を経由して現れたという異形の群れは、嫌悪感を催す怪音とともに、次から次に陸へ上がろうとしていた。

 意志がないのか、その動きは緩慢で、見てさえいれば恐れるに足りない。戦場に幾度か現れたあの影……便宜上『本体』と呼ぶが、アレと比べると脅威度は何段も落ちる。おそらく、攻撃範囲も攻撃力も大きく下回っているだろう。

 アーチャーとの戦闘で、干将・莫耶の投影が可能になったことも幸いした。この武器は、怪魔に対する特効を持つ。『本体』ならまだしも、この程度の木っ端な連中なら鎧袖一触だ。

 

 ──だが。それを考慮してなお、数の暴力は絶大だった。

 

 制限があるのか、同時に現れる数はせいぜい十体と少し。真っ黒に染まった池から現れると、陸地にいる俺に向けて次々寄ってくるのだが、倒せど倒せど数が減らない。倒した分だけ、再補充されているようだ。

 終わりが見えないというのは神経がすり減る。加えて言うなら、こちらは一撃でも受ければアウト。いかに『本体』より脅威度が劣るとはいえ、あの呪いの塊に囚われて無事で済むとは到底思えない。掠めただけでも、ごっそり生命力を持っていかれるだろう。

 

「でも、ギルガメッシュがセイバーを倒すまで、ここで食い止めないと……ッ、横か!」

 

 いつの間にかするすると上がってきていた影が、両腕らしき触手を伸ばして寄ってくる。即座に莫耶を投げつけて触手を切り落とし、弧を描くように飛んだ干将が、顔面らしき場所に突き刺さる。途端、風船のように破裂した怪物だったが、その後ろにはさらに一体……!

 

「野郎──」

 

 がら空きの右手を腰に落とし、ホルスターから拳銃(グロック)を引き抜く。安全装置を外しながら照星を合わせ、胸部と思われる部分に二連射。初めての射撃と、腕への反動にも関わらず、切嗣の技量を再現した銃弾は怪物に吸い込まれていったが──。

 

「物理攻撃はやっぱりダメか」

 

 当たってはいる。だが、すり抜けか吸収されでもしたかのように、金属の塊は何ら効力を発揮しなかった。

 ギルガメッシュの見立てどおり、あれはこの世ならぬ虚数の概念で括られている。通常の物理攻撃はおろか、宝具ですら通用しまい。特別な効果を持つ宝具──それこそ、このような怪魔を切り払う干将・莫耶のような剣でなければ、黒い影は倒せない。

 近づくのはリスクが高すぎるが、投擲で十分通用することは実証済み。しかし、宝具の投影は、代償に俺の魔力を奪っていく。ギルガメッシュの宝具と違って、際限なく繰り出せるわけではないのだ。 

 

 ──ゴォン、と凄まじい音が響く。

 

 距離があるせいで直接は見れないが、後方ではギルガメッシュとセイバーが激戦を繰り広げているのだろう。エクスカリバーらしき熱気さえ、何度かここまで伝わってきた。俺のいるこちら側に広範囲宝具が飛んでこないのは、ギルガメッシュが抑えてくれているからか。

 

「サーヴァントに任せっきりで、マスターが役立たずなんじゃ、立つ瀬がないよな!」

 

 気合いを入れ直す。揺れながら触手を伸ばしてくる影に自分から距離を詰め、スライディングで躱しながら攻撃を避けると、すれ違いざまに即時投影からの一閃。次に上がってこようとする二体に双剣を一本ずつ投擲し、戦果を視認することなく、後続を一掃するため次の手を用意する──。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 イメージするのは弓矢。弓はシンプルなものでいい。ただ矢を射ることさえできれば問題ない。

 問題は矢の方だ。あの激闘で流れてきたアーチャーの経験値は、できると言っている。しかし、投影剣の形状を変化させ、矢として用いるなど聞いたことすらない。ぶっつけ本番で、果たしてできるものなのか。

 

「──I am the bone of my sword.(体は 剣で できている)

 

 創造された理念に共鳴し、

 基本となる骨子を解析し、

 構成される物質を準備し、

 制作された技術を模倣し、

 憑依すべく経験を学習し、

 蓄積された年月を再現する。

 

 本質は変わらない。その形を、在るべき姿に創り変える──!

 

投影(トレース)完了(オフ)!」

 

 右手に現れたのは、奇妙に捻じくれた黒白の矢。大弓にそれを番え、列をなして押し寄せる影たちへ狙いを定める。

 聖杯戦争が始まってから、俺はずっと剣ばかり使っていた。だけど、弓道部としての経験があるからか、弓の方が遥かにこの体に馴染む。まだ射る前から、弾道や結果の全てが見えてしまうほどに。

 射出。一直線に飛んだ矢は、群れの真ん中の個体に命中した。胸部への直撃は有効打だったのか、矢が突き刺さった影がのたうつように身を捩らせ──。

 

「──是、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 爆発。

 衝撃波と爆炎が、池ごと怪物たちを薙ぎ払った。対魔の神秘を含んだ爆裂は、影たちの触手を千々に引き裂き、元いた虚無へと還していく。

 これは、未来の自分(アーチャー)の秘奥が一つ。投影した宝具を自爆させ、内包した魔力と神秘で広範囲を一掃する禁じ手だ。

 通常の英霊であれば、自らの半身たる宝具を使い潰す戦術など決して用いないだろう。しかし、偽の宝具を生み出せる俺の投影魔術なら話は別だ。魔力の持つ限り、いくらでも投影宝具で代替できるから、このような裏技が生み出せる。宝具の質やそれを使いこなす力量に於いて、到底原典に及ばない贋作者(フェイカー)が編み出した必殺技。

 

「これで少しは時間が稼げるか。次は……あれ?」

 

 ふと違和感に気づく。雨後の筍のように、池からにょろにょろと生えてきていた影たちが、ぴたりと出てこなくなった。

 今の爆発が効いたのか……いや、そんなはずはない。あれは単に、出てきた個体を一掃しただけ。どうやって影が生み出されているのか、そのプロセスを俺は知らないし、干渉することもできない。ギルガメッシュの戦闘が終わるまで、ここで悪質なもぐらたたきを続けるしかないと思っていたのだが、唐突な変化に戸惑ってしまう。

 影そのもののせいではないとすると、送り込んできている側の問題か。あれを使い魔として行使するのは桜だというが、その後ろで糸を引いているのは間桐臓硯だ。臓硯本人に、使()()()()()()()()()()()事態でも発生したのか。

 

「…………」

 

 警戒を解かないまましばらく様子を伺うが、魔物を生み出し続けていた池はすっかり沈黙している。俺の周りでひょんひょんと飛ぶ自動迎撃宝具(オートディフェンサー)だけが、自分の出番はないかと催促しているようだった。

 偶然にも、池が静まり返ったタイミングで、後方で響いていた大轟音も聞こえなくなった。ギルガメッシュとセイバーの戦いが、ついに決着を見たのだろうか。

 このまま立ち尽くしていても仕方がない。池に踵を返し、王たちの戦場へと移動する。柳洞寺の建物はもう見る影もない瓦礫の山と化しており、地形もぐちゃぐちゃになっているせいで、歩くのに難儀してしまう。

 それでも、どうにか開けた空間に出ると。いつか夢で見た赤い剣を握るギルガメッシュが、堂々と立っているのが見えてきた……が。その姿は、先ほどとはまるで別物になっている。

 

「勝ったんだな、ギルガメッシュ──って、どうしたんだアンタ! ボロボロじゃないか、大丈夫か?」

 

 逆立っていた髪の毛は乱れ、上半身の鎧はどこかに消し飛んで、裸の素肌はそこかしこに血の跡が残っている。本人は余裕の顔で立っているが、よほど強烈なダメージを受けたであろうことは火を見るより明らかだ。

 心配して駆け寄ると、フン、といつものように鼻で笑われる。黄金の空間へ赤い剣をしまったギルガメッシュは、大したことがないと言わんばかりに手を払う仕草を見せた。

 

「たわけ。この程度、かえってよい肩慣らしだ。

 首尾よく前座を潰してきたな、雑種。ならばよい──ここからが本番だ。貴様の宝を取り返しに行くぞ」

 

「潰したっていうか、あっちが勝手に出てこなくなっただけなんだけど……。

 先に行くのはいいとして、その前にセイバーはどうなったんだ。倒したのか?」

 

 そう訊くと、あっちを見ろと顎を動かすギルガメッシュ。視線を追うと、なにかとんでもないエネルギーが激突したような断層とクレーターが広がっており、その向こうにうつ伏せになった人影を見つけた。

 

「……生きてるのか?」

 

「ああ。だが、ヤツが敵になることはもはやあるまい。捨て置いて構わぬ」

 

 言葉こそ少ないが、ギルガメッシュはなぜだかひどく上機嫌だった。セイバーとの戦いで、なにか機嫌を良くするような出来事があったのだろうか。

 深く聞きたいところだが、あまり悠長にしていられる余裕はない。まだサーヴァントを一騎戦闘不能にしただけで、ついぞ出てこなかったアーチャーと、マスター二人がこの後に控えている。その全てを排除し、呪われた聖杯を破壊しない限り、俺たちに勝利はない。

 

「よし。じゃあ、先に進もうか。桜とイリヤが待ってる。

 ……って言っても、どこに行けばいいんだ? 大聖杯はこの地下にあるっていうけど、俺、入口なんか見たことないからな……」

 

「ハ。目を養え──と言いたいところだが、魔術師共が数百年隠し続けた本丸を、小僧に見つけよというのも難題か。

 穴蔵の入り口ならば、既に目星をつけている。命が惜しくば我から離れるなよ、雑種」

 

 俺の上を巡回していた円盤宝具が、英雄王の蔵に回収される。護衛の任はギルガメッシュが引き継ぐ、ということだろうか。

 影たちは遠距離攻撃をまるで使わず、警戒していた言峰や臓硯、アーチャーも終ぞ現れずじまいだったため、持たせてもらった宝具の出番はなかった。俺たちを倒すなら、タイミングを見計らって横槍を入れてくるのが最も効果的だと思うのだが──俺ですら考えつくような手を、どうして敵は打ってこないのか。

 不自然に影の増援が途絶えたことといい、もしかすると、敵に何らかのアクシデントが起こっているのかもしれない。攻め込むこちら側が不利な現状、相手に弱みがあるなら遠慮なく突かせてもらいたいところだが……。

 

「目星をつけたって、いったいどうやったんだ? 今更だけど、こんな夜の山で手がかりもないんだから、苦労するだろうなって思ってたのに」

 

「鍵はそこだ、雑種。()()()()()()()ことが、逆に宝への地図となる。

 この聖杯戦争は、根本である大聖杯が敵の手に落ちれば破綻する。それ故に、大聖杯へ向かう路には高度な隠蔽が施されているはずだ。何百年経とうと効力を持つ強力な魔術が、な」

 

「……! もしかして、その隠蔽魔術から逆算して──」

 

「冴えているではないか。そう、場所は見えずとも魔術の痕跡までは隠しきれぬ。雑種では『魔術が敷かれている』ことを見抜くのが精々だろうが、我の目には裸も同然。なまじ隠そうとしたばかりに、衣の厚さが目につくわ」

 

 相変わらず、とんでもない目をしているサーヴァントだ。山全体から僅かな違和感を見つけ出し、魔術の痕跡を逆に辿って道を見つけ出すなど、この男にしか不可能だろう。

 

「雑種、貴様は物品の解析を得意としていたな。長ずれば貴様もこの程度は見抜けるようになろう。

 貴様たち人間、殊に現世の雑種どもは視野が狭い。世界が広くなろうと、人の見える道はそうそう変わらぬ。見ようとしなければ、目の前のものしか見えぬのが人間という生き物よ。

 故に心せよ、雑種。大事を成そうというのであれば、より遠く、より広くを見ることだ。その違い一つで、ほとんどの愚か者に先手が打てるだろうよ」

 

 そう言って腕を組むギルガメッシュ。この英霊の瞳には、既に戦いの終着点までが見えているようだった──。

 

 

***

 

 

 ──洞穴への入り口は、巧妙に隠されていた。

 

 山門から外れ、道なき道を進んでいき、流れる川を逆に辿る。すると、小さな横穴に行き当たった。

 三歩も進めば壁にぶつかって行き止まりになるその場所は、見つけること自体が困難な上に、仮に見つけられたとしても入ろうとさえ思わないだろう。

 が、それこそが魔術による隠蔽。中には狭く細い、人が辛うじて歩けるぐらいの通路が、下へ下へと続いていた。

 先導するギルガメッシュに続き、暗い道を降りていく。真っ暗で冷たい下り坂は、人の歩く道というよりは、大蛇の腹の中を思わせる。事実この道は、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』という怪物の胎へと繋がっているのだ。

 決戦への道行きにしては、あまりに静かで暗い歩みに、そこはかとない不安を覚える。このまま怪物の腹で消化され、永遠に闇を彷徨うのではないかという、半ば妄想めいた恐怖。

 だからだろうか。長い沈黙に堪えきれず、俺は先を進んでいるはずのサーヴァントへと話しかけた。

 

「ギルガメッシュ。アンタ、この戦いが終わった後はどうするつもりなんだ」

 

「……藪から棒に訊ねてきたかと思えば、よほど死に急ぎたくなったと見えるな、雑種」

 

 えっ。ちょっと待て、これそんなに機嫌悪くするような質問だったか……!?

 わけがわからずに混乱していると、前の方から低い笑い声が響く。その声からすると、別段不愉快そうな感じはしないが……。

 

「なんだ、知らぬのか。大一番を前にして過去や未来を語り始める者は、高確率で死ぬという法則(ジンクス)があるのだが」

 

「…………あっ」

 

 聞いたことがある。確か、死亡フラグとかいうやつだ。

 ホラー映画で一人だけ集団から離れて行動したり、戦争映画で突然婚約者の話をし始めたりするキャラクターは、次の場面でだいたい死んでいるという法則。もしかして今、俺は思い切りそれをやらかしているのではあるまいか。

 一人で青くなっていると、ギルガメッシュの笑いが愉快げになる。この男の笑いの沸点は未だによくわからないが、どうも何かがツボに入ったらしい。

 

「ククッ、まあよい。無聊の慰みにはなろう。どの道、その程度の法則(ジンクス)を破る運気がなくば、地上の全悪など倒せまい。

 して、雑種よ。その質問の意図はなんだ?」

 

「いや……これから最後の戦いなんだと思ったら、その後のことが気になっただけだ。

 聖杯戦争が終われば、サーヴァントは英霊の座に戻る。だけど、現実の肉体を持ってるアンタは違うだろ? この先どうするんだろうと思ってさ。

 そういや、前回の聖杯戦争で呼び出されてから、もう十年こっちにいるんだっけ。どこかに家とかあったりするのか?」

 

「ああ、話していなかったか。十年前の戦い以降、我は言峰の屋敷に住んでいた。特段やることもなかったのでな、ほとんどは()()()に任せていたが。

 確かに、この戦が終われば我の愉しみは一つ減る。この先どうするかというのは一つの課題よな。さて……また幼年体に丸投げというのも芸がない。巡っておらぬ地を旅するか、はたまた新たな娯楽を見出すか」

 

 幼年体……? なんだかよくわからない単語が出てきたが、まあそれはいい。

 ギルガメッシュの王としての仕事は、生前に終わってしまっている。サーヴァントとしての役目は、聖杯戦争の終了と同時になくなる。唯一、裁定者としての役割が残っているが、それは遥か未来の話なのだろう。

 やるべきことがないから、娯楽を求める。この男の金ピカぶりからすると、財産には一生困らなそうだし、そういう第二の生もありなのかもしれない。カジノあたりで豪遊している絵面が、確かにぴったりだ。

 

「で、雑種よ。かく言う貴様はどうなのだ。

 貴様の戦いはまだ続く。が、戦が生き甲斐という野人でなければ、戦いだけの人生などに味はない。無味無臭の食い物を味わったところで何になる?

 趣味の一つでも持たねば、人生を楽しむことは能わぬ。そして、楽しみを味わえぬのであれば、他者を助けることなど叶わぬ。余裕も楽しみもなく、ただ救うだけのモノなど、それは機械と同じだ」

 

 機械と同じ存在──それが何を示唆しているのか。考えるまでもなく、赤い弓兵の姿が想起される。

 あの男に楽しみなどなかった。あったのはただ、強迫観念と苦悩に満ちた孤独だけ。そうして誰にも理解されず、誰を理解しようともしなかった男は、最後には皆に裏切られた。誰にも理解できない存在は、恐怖の対象でしかないのだから。

 俺はあいつのようにはならない、と決断した。ならば、あいつと同じ道を選んではいけない。

 趣味、と言えるものがないわけではない。料理の腕を磨いていくのは好きだし、夜を徹していじくり回したガラクタたちは土蔵に山ほど転がっている。銃もバイクも興味はあるし、ゲームだって嫌いじゃない。

 だけど、それを心から楽しんでいるか? 寝食を忘れるほど、人生に食い込むほど没頭しているか? と問われると自信がない。いや、そもそも、本当に『楽しい』と感じたことなどあっただろうか。心から笑ったことなどあっただろうか……?

 

 ──自問して、ぞっとした。

 

 楽しさが分からないことではない。自分が笑うという機能さえ十分に持っていないこと。そして、今の今までそれにまるで気づかなかったことに、背筋が冷たくなった。

 俺の人生に、『楽しみ』や『笑い』は存在していない。客観的に見て、これはおかしい。それは、人間として最低限の機能のはずだ。そんなことに俺は、今の今まで気づいていなかったのか。

 

「…………」

 

 愕然としているうちに、狭い通路はいつの間にか終わっていた。魔術の光なのか、緑色に照らされた、大きく広い一本道が俺たちを出迎える。

 真っ暗闇から一転した明るい輝き。奥へ奥へと誘うその光は、どこか誘蛾灯めいている。先の見えぬ闇から解放されたというのに、仄かに抱いていた不安は、むしろ強くなっていた。

 その理由は、()()()()。この通路全体に、おぞましく黒い活力が満ちている。それは奥に行くほど強まっているようで、今ここで感じられる力は、ほんの欠片に過ぎないのだろう。

 生まれよう、生み出そうというエネルギー。しかし、その対象はこの世の呪いを煮詰めたもの。一歩歩くごとに、吐き気がするような薄気味悪さが増していく。生まれてはならないモノが、現れようとしていることへの嫌悪感。

 だが。あってはならないものが誕生することと、あるべきはずのものが欠落していること。その二つに、いったいどれほどの差があるのだろうか。

 

「これが『この世全ての悪(アンリ・マユ)』とやらの臭気だ、雑種。人より生まれ出て、人を溶かし殺す呪いの獣。兵器としては確かに優秀だろうよ」

 

 その異常すら、鼻で笑い捨てて。英雄王は、黄泉路を堂々と歩いていく。

 

「アレは己しか持たぬ妖魅だ。この世の全てが殺されれば、最後にはヤツという呪いだけになる。抗うために必要なのは、群れではなく個人の強さよ。アレが我を取り込めなかったのは、我という個の強さに劣っていたからだ。

 だが、現世の雑種ではあの呪いには敵うまい。ただ数が多いだけの、漫然と生きる弱い個体などたかが知れている。我がウルクの民であれば別だろうが、さて」

 

 サーヴァントに続く。生物としての本能が、この先に進むのは危険だと訴えているが、人間としての理性でそれをねじ伏せる。

 直感は正しい。洞穴の奥に待ち構えているのは死だけだ。だからこそ、死地に辿り着かなければならない。この空間の外に、アレを出すわけにはいかない。

 ホルスターの銃把を握り、己が成すべきことを再確認する。ある意味同質と言えるものであっても、呪われた聖杯に慈悲など無用。まずアレを倒さなければ、自分に向き合える日すら来なくなってしまう。

 

「覚えておけ、衛宮士郎。呪いというのは『この世全ての悪(アンリ・マユ)』だけではない。人の世には、有形無形を問わぬ、幾多数多の呪いが溢れている。

 呪いというのは、人の在り方を、その魂を捻じ曲げ汚染するものだ。強靭な自我を持たねば、人は容易く呪いに染まる。

 貴様は我の問いに返す答えを持たなかった。『楽しみ』を持たぬ、一つのシステムだけで成り立つ機械は、それ故に一つが狂うだけで全てが破綻する。『楽しみ』とは人間であるための冗長性、と言ってもいいかもしれんな」

 

 この世の快と悦を味わい尽くしたと豪語する英雄王。楽しさという事柄について饒舌なのは、この分野について一家言あるからだろうか。

 たとえ話を出してくれたおかげで、言っている意味が理解できる。俺はよく機械を弄るが、重要な機構であればあるほど、必ず予備や補助といった、故障に備えるための冗長性が確保されているものだ。人間の場合、それが趣味や楽しみにあたるのだろう。

 そういったものを全て投げ捨てて、一つの目的だけを抱え続けて。その結果、目的が壊れた途端に魂まで破綻してしまった実例を、俺はつい昨晩目にしている。ヤツから流れ込んできた記憶が、経験が、何より雄弁に物語っていた。

 

「雑種よ。貴様に一つ宿()()だ。

 この下らぬ茶番(聖杯戦争)に幕を下ろし、本題となる大戦(魔術師との抗争)に挑むまで。それまでの間に、『楽しみ』を見出だせるようになっておけ。

 そうさな──この教師役は、王たる我より()()()()()()の方が適していよう」

 

 ……重い宿題が出されてしまう。

 本当に楽しいと思えること、心から笑えることが、俺にはない。代わりにあるのはなんだろうと自問した時、浮かび上がってきたのは、十年前の炎の夜だった。

 多くの人が死に、多くの人を見捨てたあの夜で生き残ってしまった俺には、楽しいと思う資格などない。生き残ってしまい、助けられたのだから、自分は人のために生きなくちゃいけない。俺はずっとそう思っていた。

 だが、そうやって突き進んだ結果を見た。自分の根底にあったのは、理不尽さへの怒りだったことを思い出した。他人を助けたいという気持ちに偽りはないが、本当にその想いを貫きたいのなら、まず自分自身と向き合う必要があるのだろう。

 

「この宿題に解を出せぬ限り、貴様はどれだけ勝利を重ねようと、人間による呪いで醜悪な幕切れを迎えることになるだろう。そんな滑稽な顛末には何の面白みもない。

 そうして、愚かに道を違えた末路が──」

 

 通路が終わる。開けた空間が、俺たちを迎え入れる。

 本当に地下なのかと疑いたくなるほどの、広大な面積。全力で走っても、端まで辿り着く前に息切れしてしまうだろう。天井も軽く十メートル以上はあり、部屋というよりはほとんどホールに近い。

 けれど、これだけの広さだというのに、大聖杯らしきものはどこにも存在しなかった。このだだっ広い空間でさえ、まだ中盤に過ぎないというのか。よく見渡してみれば、奥にはまだ道らしきものが見える。

 

 ──そして。その道の手前。人生そのものに立ち塞がる、障壁であるかのように。

 

「──あの偽物というわけだ」

 

 もう一人の自分(エミヤシロウ)が、悠然と待ち構えていた。

 

「なんだ。今更になってのこのこ現れたか、贋作者(フェイカー)

 

 ギルガメッシュが、嘲りと共に吐き捨てる。言峰も臓硯も、桜もイリヤも、他には誰もいない。この広間にいる人影は、あの弓兵ただ独りだ。

 が、しかし。

 

「あいつ、本当にアーチャーか……?」

 

 つい昨晩、死闘を繰り広げた相手を見間違えるはずがない。あの男は未来から召喚され、自分自身(エミヤシロウ)を殺そうとする異端の弓兵(アーチャー)だ。だが、その容貌があまりにも変わりすぎている。

 白い頭髪は、刈り上げたか切り落とされでもしたかのように短くなり、肌の色は褐色を通り越して真っ黒だ。赤かった外套さえ、泥のように黒ずんでいる。

 そして何より、漂う雰囲気が別人だった。昨晩までのあの男からは、確たる己の意思、強い信念が感じられたが、今のヤツにそんなものはない。失ったというよりは、()()()()()()()()かのような禍々しさを感じる。身体だけでなく、魂まで黒く染まってしまったように──。

 

「哀れだな、雑種。どういう経緯かは知らぬが、あの泥に飲まれたか。反転、と言うよりは純粋な汚染だな。

 我やセイバーであればともかく、貴様ごとき三流の英霊では、満足な自我も残ってはいまい。それが我の前に立とうとは、滑稽どころか笑いも出ぬわ」

 

「まさか、聖杯の呪いか……!」

 

 違和感の正体がはっきりした。あの男の状態は、セイバーと同じなのだ。

 この一晩で何があったのか、俺に知る術はない。ギルガメッシュに受けた傷が禍々しい黒で塞がれている理由もわからないし、先の戦いで予測したアクシデントの正体がこれだと断言もできない。確たることは何一つ分からないが……ただ、強い憤りを感じた。あの英霊は、()()()()()()()()()()

 セイバーもそうだ。バーサーカーもそうだ。信念があり、誇りがあり、俺なんかより何万倍もすごい英雄たち。そんな彼らの在り方を歪め、狂わせる呪いは、筆舌に尽くしがたい侮辱だ。許されていい道理がない。

 あいつだってそうだ。その道は俺と相容れなかったかもしれないが、それでもあいつは英霊に辿り着くほどのことをやり遂げたのだ。それがあんな、生きる屍のように成り果てるなんて──呪われた聖杯は、一刻も早く破壊しなくてはならない。あいつがこうなっている理由が人為的なものだとすれば、そんな邪悪は一秒だって生かしておいてはならない。

 

「…………」

 

 ヤツと睨み合う。いや、睨むという表現は正しいのか。黒い弓兵は、ただ無機質な瞳でこちらを見つめている。そこに昨夜見せた人間味は欠片もなく、目的を果たすためだけの機械めいた冷たさがあった。

 どうする。ここで黙っていればいるだけ、こちら側が不利になる。桜が聖杯の汚染に抗いきれず、暴走して無差別に呪いを撒き散らすようになってしまえば終わりだ。今夜中という時間制限の前に、なんとしても聖杯を破壊しなければならない。

 ここに来るまでギルガメッシュは、セイバーとの戦闘で消耗した分、霊薬や回復宝具を使用して自身の状態を万全にしている。いかに相性が悪いとはいえ、正面切っての戦いなら劣る理由はないだろう。こちらから、先制攻撃を仕掛けるか……?

 

「────。オレが受けた命令は、英雄王の相手だけだ。その小僧に()()()()

 

 唐突に。澱んだ昏い声が、洞穴内に低く響いた。

 一拍遅れて、その言葉の意味に驚愕する。あの男は、敵サーヴァントに止めを刺す機会を擲ってまで、俺を殺すことに拘った。それほどの執念の塊が、まるで逆のことを言っている。恐るべき呪いは、弓兵から目的さえ奪ってしまったのか。

 判断に困り、ちらりとギルガメッシュの様子を見る。セイバーを前にした時とは打って変わって、冷たい剣のような表情の英雄王は、こちらを見もせずに小さく頷いてみせた。

 

贋作者(フェイカー)めの言葉に嘘はない。アレはもはや、命令を実行するだけの機械に過ぎぬ。自我を持たぬ機械が、命令以外の行動を取ることはなかろう」

 

 そうか、と低く返す。あいつはもう、エミヤシロウでさえなくなってしまったのかもしれない。

 ギルガメッシュが判を押すなら疑いはない。あいつが俺を無視するというなら、こちらは遠慮なく先に進ませてもらう。

 悠長に二人の決着を眺める余裕はなく、残る敵にサーヴァントは存在しない。恐るべき老魔術師と、底の見えぬ神父が待ち構えているだろうが──英霊でないのなら、暗殺者(魔術師殺し)の刃が届く相手だ。

 

「──ここは任せた、ギルガメッシュ。後から追いついてきてくれ」

 

「フン──良かろう。あの見苦しい偽物は、我が引き受けた。我が贋作者(フェイカー)を仕留める前に、虫程度は片付けておくがいい」

 

 

***

 

 

 ──夢を見ていた。

 

 現代より遥か昔、千年以上前のこと。まだ神秘の残り香が強く残っていた、その最後の時代。

 地中海で覇権を誇っていた大帝国が、この時滅びを迎えようとしていた。外敵の猛威に耐えきれなくなったその国は、各地へ派遣していた軍を本土へと引き上げさせてしまう。

 軍という抑止力、治安維持機構を喪った地方は、当然のように荒れ果てた。外部からは異種族が攻め込み、内部では村ごと、部族ごとに戦いが絶えない、暗い内戦が訪れたのだ。

 その島国も、惨禍に喘ぐ地の一つだった。昼も夜もなく、悲鳴と剣戟の音が響くそこは、地上に現れた地獄だった。そんな闇の時代、一つの国で、ある王の跡継ぎが産声を上げる。

 

『なんということだ。まさか女子とは──』

 

 だが。不幸なことに、その嫡子は男子ではなかった。この時代において、為政者たる資格は男以外に存在しなかったのだ。

 彼女は王の家臣である老騎士に育てられ、順調に成長を重ねた。混迷の時代の中でも、その少女には光るものがあり、彼女は誰に言われるでもなく自ら鍛錬を積み重ねた。断末魔に喘ぐ国を救えるのが王だけならば、次代の王たる自分はそれだけの強さを持たねばならないと、そう誓っていたがゆえに。

 

 そうして、十五年あまりの月日が流れた。

 

 その日は、魔術師によって予言された、『相応しき者』を時代の王として選定する日である。国中から集まった騎士や領主たちは、我こそが王たらんという野望を胸に抱いていた。

 選定の場に用意されていたものは、黄金の剣。岩に突き刺さった剣を引き抜けた者こそが、王の資格を持つ。名だたる騎士たちが次々と挑戦するが、誰一人として剣を引き抜けた者はおらず。誰にも抜けないのならもはや試す意味はないと、呆れた騎士たちは、別の手段で王を選ぶべくその場を離れていった。

 

 後に残されたのは、その少女だけ。誰もいなくなった選定の場に進み、岩に突き刺さった剣に、ためらいなく手を伸ばそうとして。

 

『それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ』

 

 いつからそこに現れていたのか。声をかけたのは、白いフード付きのローブを纏った、銀髪の青年だった。

 長い杖を持ち、超然たる雰囲気のその人物は、その国で一番恐れられていた魔術師だった。容姿は若々しいにも関わらず、どこか老人のようにも感じられる。

 その男の忠告に、少女はただ頷いた。人ではなくなる、王という機構になることがどれほど恐ろしいか、彼女は十分にわかっていた。人ではなくなった者の末路が、どんなものになるのかも。

 

 ──それでも。

 

『多くの人が笑っていました。それはきっと、間違いではないと思います』

 

 そうして、黄金の剣は引き抜かれ。伝説となる、王の時代が始まった。

 

 多くの騎士たちを従えた彼女は、軍神そのものだった。

 父に代わって王の座に就き、アーサー王となった彼女は、ひたすらに戦い抜いた。十の年月、十二もの会戦を、尽く勝利する大英雄。

 彼女が女性だと気づく者もいた。しかし、そんな瑣末事を吹き飛ばすほど、彼女の功績は桁が外れていた。これだけの奇跡を前にして、性別を気にする者はいなかったし、彼女の王としての機能はそれほどまでに優秀だった。……誰も、文句を口にできないほど。

 

 内乱を繰り返していた領主たちを統率し、侵略してくる外敵を撃破していく姿は、まさしく理想の王。突如現れて聖剣を抜き、王となった子供を快く思わぬ騎士たちは大勢いたが、皆その結果に黙らされた。内心に多くの不満を抱えながらも、騎士たちは彼女に従う他はない。

 力と結果で全てを押さえつける若い王。玉座にいる時も、戦場にある時も、街を歩く時も、業務以外で彼女に話しかける人間はいない。その徹底的な孤立が、彼女の王としての実態だった。

 

 それでも、彼女は理想の姿を維持し続けた。真実、彼女は国のために己を捧げたのだ。

 敵を滅ぼし、味方を守り、犠牲を抑える。戦時に於いて王の役割とは、いかにして犠牲(リソース)を振り分けるかというものだ。彼女は最も効率が良い戦略を選び、あらゆる敵を打倒し続けたが、そうするうちに騎士たちは犠牲(リソース)の配分に不満を抱き始めた。

 備え、戦い、勝つ。騎士たちの心情になど配慮している余裕はない。そんな余分が許されるほど、この国に力は残っていない。そうして勝ち続けるうちに、ようやく荒れ果てた国は安定の兆しを見せ始めた。

 

 ──だが。有時から平時に移るにつれて、不満の声は大きくなっていった。

 

 ある騎士は、王城から去っていった。ある騎士は、裏切りとしか取れぬ行為を働いた。

 それらの問題も、それ以外の問題も、全ては王である彼女に押し付けられた。彼女から離れ、裏切り、不満を蓄積させながら、それでも周囲は彼女に理想の王であることを求め続けた。

 少しずつ大きくなっていく歪みとズレ。それがいつか爆発するのは、自然の理だった。

 

 ──カムランの戦い。

 

 アーサー王が王城を不在にした一時。その隙に、一人の騎士が反乱を起こした。

 その火種は、あっという間に燃え広がった。予てより彼女に対し向けられていた不信と不満。今まで抑えつけられていたそれが、この一件を機に、連鎖反応を起こしたのだ。

 国は真っ二つに分かれ、あらゆる人間たちが互いを殺し合った。アーサー王が戻ってくる頃には、凄惨な戦いはもう止めようがないところまで拡大していた。

 

 ──それでも、彼女は理想の王だった。

 

 今までと変わらず、王という機械として彼女は動いた。裏切られ、不満を抱かれることに、彼女はとっくに慣れきってしまっている。感情を捨てた機械に、この程度で不調が出るはずもない。

 自身に忠を誓っていた反逆者を斬り捨てる。かつて守った土地を焼き払う。人の笑顔で溢れていた街に、人だった肉塊を積み重ねる。今まで異民族に向けていた力をかつての同胞に向け、彼女は屍山血河を築き上げた。

 ……けれどこの戦いは、今までのものとは段違いだった。彼女に忠実な騎士たちも次々に倒れ、無敵だったアーサー王自身もまた、少しずつ傷を負っていく。

 

 そして、誰もいなくなった。

 

 国は荒れ果て、人は死に絶える。血染めの丘で、動いているのは彼女独りだけ。孤高の王が、行き着いた末路がここだった。

 自分の感情も人生も幸せも、何もかも放り捨てて。頑張って頑張って頑張って、戦って戦って戦い続けた。後世に名を残すほど、英霊の座にその名を刻むほど。

 その結末が、この地獄だった。憎まれ、恨まれ、詰られ、最後には殺される。彼女の献身に対し、褒章として与えられたのは無限の悪意。守りたいと願った国も、人も、全てが炎の中に消えていった。報われるどころか、理解を得られる機会すら、ついぞ彼女には訪れなかったのだ。

 丘を染め上げたのは、斬り捨てた臣下の血か、それとも騎士に突き刺された彼女の血か。赤い夕暮れとともに、彼女の生もまた、落日を迎えようとしている。

 

 そんな、変えられない終わりを前にして。

 

「────ふざけんじゃないわよ」

 

 はっと目が覚める。視界に映るのは、赤い丘ではなく、真っ暗な天井だった。

 混乱する記憶。何がなんだかわからず、大きく息を吐いて深呼吸。少し体を動かすと、かけられていたタオルケットが落ちていった。

 今の光景は夢だ。思い出せ。夢を見る前、意識を失う前、自分には一体何があった──?

 

『──時臣師もさぞお喜びになることだろう』

 

「綺礼ッッッ!」

 

 がば、と体を起こす遠坂凛。敵意とともに周囲を見渡すが、見えるのは暗闇だけだった。

 瞬きをすると、徐々に夜目がきいてくる。この場所には見覚えがある。彼女が居候している衛宮邸の一角、自由に使っていいと貸し出されている部屋だ。どうやらそこに寝かされていたらしいと、今の状況を理解する。

 

「……そうだ。わたし、綺礼にやられて、その後衛宮くんと会って……」

 

 記憶を辿る。実の親を殺した怨敵に、彼女はイリヤスフィールと二人がかりで挑み──代行者の戦闘能力の前に、敗北を喫したのだ。いかに優秀な魔術師とはいえ、まだ若い彼女たちでは、死線を潜り抜けてきた猛者の力には及ぶべくもなかった。

 彼女が殺されていないのは、言峰がイリヤスフィールの確保を優先したため。神父にもう少し時間があれば、凛という少女は父親と同じ最期を迎えていたことだろう。逃げることすら敵わないほど、凛の傷は深かったのだが──。

 

「あれ? 傷が、消えてる……」

 

 痛みを感じないことに違和感。服をたくし上げて体を見下ろすと、肋骨どころか臓器まで破砕されていた腹部は、痣の一つもなく完治していた。肺も片方は破れていたはずだが、息をしてもまったく息苦しさがない。腕も足も、傷つき折れていた場所は軒並み元の状態へと戻っている。

 

「衛宮くん……じゃないわね。あの金ピカが助けてくれたのかしら」

 

 死を覚悟していた傷だけに、こうも健康体になっていると拍子抜けだった。首を傾げつつ立ち上がろうとする凛だが、軽い立ち眩みを覚えてふらついてしまう。傷こそ治れど、体調はまだ万全とは言い難い……今夜一晩休めば治るだろう、と彼女の直感は告げていたが、その一晩を寝て過ごすことなどできようはずもなかった。

 時計を見ると、時刻は既に真夜中。屋敷に人の気配がないことからして、士郎と黄金のサーヴァントはとうに出撃したのだろう。今まさに、敵と剣を交えている最中かもしれない。

 

「……遅くなったけど、行かないと」

 

 活を入れる。出遅れはしたが、まだ間に合いはする。ここで動かなければ、自分はなんのためにこの十年を過ごしたのか。

 

 ──遠坂凛は、既にマスターではない。

 

 聖杯戦争において、彼女は既に外様だ。その観点からすれば、戦場に向かう意味などない。彼女を守るサーヴァントは既に存在せず、そして彼女に聖杯を掴む資格はない。

 だが、彼女は遠坂の魔術師だ。そして、恩義を忘れない一人の人間でもある。

 衛宮士郎という少年に、彼女は何度も助けられた。魔術師としてはほとんど素人でありながら、彼は最前線で戦い続け、人の身でありながらサーヴァント・アサシンを撃破するという大殊勲を挙げている。彼と手を組んでいなければ、凛はとうに退場していただろう。

 凛だけではなく、妹の桜もそうだ。仲の良い後輩というだけで、士郎は躊躇なく彼女を助けることに命を懸けた。ここまでのことをされておいて、後は任せたと自分一人残っているなど、そんな真似は凛の矜持が許さない。

 

『おまえの成長は、師として実に鼻が高い』

 

 ギリ、と歯噛みする。士郎が戦っているであろう相手は、他ならぬ自分の怨敵。兄弟子という面をしながら、裏で凛を嘲笑っていた、言峰綺礼という悪徳神父。あの薄ら笑いを殴り飛ばしてやらなければ、自身の屈辱も、父の無念も晴らせない。

 士郎を助ける。言峰を倒す。これは聖杯戦争とは関係なく、遠坂凛という人間が、決着をつけなければならないことだ。

 しかし。聖杯戦争に参加した者として、元マスターとして──一人の友人として、彼女が果たすべき責任も残っている。

 

『──問おう。あなたが私のマスターか』

 

 召喚に応じた、剣士(セイバー)のサーヴァント。ちょっとびっくりするぐらい綺麗な、金髪の女の子。

 彼女が伝説のアーサー王だと知って、さすがに驚愕した。その強さは本物で、ヘラクレスという埒外の大英雄にも拮抗し、女怪メドゥーサ、魔女メディアを尽く討ち果たしてみせた。人間としても誠実で、その善良さは凛とよく噛み合った。凛は彼女のことを、単なるサーヴァントではなく友人だと考えていたし、向こうもそうだと嬉しいと思っている。

 

 それ故に、この現状が許せない。

 

 聖杯という極大呪詛に汚染され、セイバーは変わり果ててしまった。間桐臓硯の傀儡と化した彼女は、頼もしい戦友から恐るべき強敵へと立場を変えたのだ。

 けれど、セイバーには自我も記憶も残っている。ならば何故、あのような外道に隷属しているのだろう?

 

『だが、それならばセイバーと貴様は相容れぬな。あの小娘は貴様と異なり、聖杯に託す悲願を持っている。聖杯を求めぬマスターと、聖杯を求めるサーヴァント。どこかで胸襟を開かねば、いずれ歪みが生じるだろうよ』

 

 サーヴァントが戦う理由は、聖杯に託す悲願のため。思えば凛は、彼女の願いを聞いたことが一度もなかった。

 黄金のサーヴァントの予言通り、凛とセイバーの道が分かたれてしまった理由。彼女が今敵対している理由は、きっとそこにあるのだろう。凛はそれを、ずっと知りたいと思ってきた。

 

「セイバーとの契約は、もうとっくに途切れてるっていうのに……なんで今更になって、サーヴァントの記憶なんか」

 

 夢で見たもの。それは、アーサー王という英雄の歴史だった。

 マスターとサーヴァントは、契約の経路(パス)を通じて互いの記憶を垣間見ることがあるという。間桐臓硯に奪われた時点で、彼女との契約は切れているはずだが、魔術回路の記憶領域(バッファ)にでも情報の断片(フラグ)が残っていたのだろうか。

 けれどそのおかげで、ようやく疑問の答えを知った。カムランの丘でセイバーが見せた表情、彼女がこだわり続けた王の責任を鑑みれば、どうして聖杯を求めたのかがわかる。……それが、無性に腹立たしい。

 

「セイバーのせいじゃない。あの子はもう、頑張りすぎるぐらい頑張った。それであんな終わり方をして……それでもまだ、あの子は責任を果たさなきゃって思ってる」

 

 公私の『私』が欠如した、異常なまでの自己献身。強烈な自罰感情と、責任を果たす(他者を救う)ことへの拘泥。その姿は、この家の家主とよく似ているようで。

 

「ああもう、なんで私の周りにはそんなやつばっかりなのかしら」

 

 誰か一人ぐらい、よく頑張ったと言ってやる人間はいなかったのか。彼女()の周りの人間は、一体何をやっていたのか。

 遠坂凛は、客観的に見て自分が努力家だと思っている。それ故に努力の価値を重く見ているし、頑張って努力した人間は報われなければならないと信じている。

 だからこそ。十分に責任を果たしているのに、何一つ報われていないのに──それでも頑張り続けて、傷つき続けて。誰かのため、何かのためと言いながら、自分の破滅しかない道に突っ走る。そんな人間、どうやったって放っておけない。

 

「わたしに、セイバーの願いをどうこうする資格があるかはわからないけど。それでも、一言言ってやらないと。それがマスターとして、友達としての責任ってものでしょう」

 

 立ち上がる。

 決戦の地は、消去法で柳洞寺だけだ。今から走れば、ちょうど魔術回路が絶好調になる時間帯にたどり着けるだろう。

 虎の子の宝石は大半を使い果たしてしまったが、まだ幾つかストックはある。体調も万全ではないが、傷は癒えているのだから贅沢は言えない。

 セイバーに一言言い、士郎を援護し、腐れ神父を最高のタイミングで横合いから殴りつける。途中参加の形になるが、レフェリーはいないのだから、誰にも文句は言わせない。

 

「行くわよ、わたし。今夜が天王山、やるからには派手に決めなきゃね!」

 

 ──遠坂凛の、決戦の夜が始まった。


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