【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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32.輝いていたもの

 黄金の船が、翠の翼で空を切り裂いていく。

 眼下に見えるのは冬木市の夜景。真夜中だからか、ビルや民家の明かりは消えているが、それでも街灯や信号の光が街の形を照らし出している。

 上に目を向ければ、今度は星々が冷たく煌めいている。遥か上空にいるせいか、星との距離は普段より近く、雲や街明かりに阻害されない素の輝きがはっきりと伺えた。空から見る夜の世界は、どこを見ても美しい。

 

「なんだ。『黄金帆船(ヴィマーナ)』が随分と気に入ったようではないか、雑種」

 

 初めての景色に見とれていると、後ろから呆れたような声が響く。振り返ればそこには、黄金の玉座で苦笑する英雄王の姿があった。

 

「そりゃあ、まあ……俺、飛行機とかに乗ったことないからさ。こういうのって、テレビでしか見たことなかったんだ」

 

「決戦を前に観光気分とは、随分と肝が据わった雑種よな。まあよい、気張るばかりでは余裕もなくなるというもの。我のマスターを名乗るのであれば、愉悦の味も少しは覚えておくがいい」

 

 そう言うと、ギルガメッシュが鷹揚に手を振った。途端、それに応えるようにぐん、と船の高度が一段上がる。

 英雄王の有する宝具の一つ、黄金帆船(ヴィマーナ)。インド神話に縁を持つという輝く舟には、飛行機のような機器類は備わっていない。所有者である英雄王の思考、あるいは命令を読み取ることで、それと同じ速度で空中を飛び回っているのだ。

 物理法則に囚われないという能力も有しているようで、これだけの高度を飛んでいるというのに、俺は気圧の変化も風圧も感じずただ腰掛けることができている。更にはステルス機能も展開しており、これだけ豪華に輝いているというのに、魔力を持たない一般人は知覚することができないらしい。聞けばギルガメッシュは、十年前この空中戦艦でサーヴァントが操る戦闘機(F-15J)と争ったのだとか。

 

「さて、寺はあそこか。見たところ、備わっているのは天然の結界のみ……キャスターが敷いた術は消えたが、魔術師どもが罠を張る隙もなかったとみえる」

 

 陸路では一時間かかる場所でも、空を飛べば何分とかからない。ギルガメッシュの目は、既に目的地を捉えて観察に入っているようだ。

 俺の目からは、遠いし暗いしで今ひとつわからない。キャスターが何か工作でもしていたのか、柳洞寺は今改装工事中という扱いになっているようで、住んでいた寺の関係者は別の場所に移っている。立入禁止の看板が立っているため、参拝客が訪れることもなく、夜は文字通り真っ暗闇に……あれ。今、何か光ったような。

 

「地下に潜んでいるのか、ならば──いや待て。伏せていろ、小僧!」

 

 ギルガメッシュが鋭い警鐘を飛ばし、ヴィマーナが急激に加速する。角度が変わって振り落とされないよう、慌てて突っ伏した刹那──ごおん、と凄まじい圧力が通り過ぎていった。

 なんだ、今の……!? 埒外のスピードで回避した船だったが、かなりの距離があったはずなのに、肌がちりつくような危険を感じた。見間違いでなければ、今のはどす黒い魔力の塊のようで。

 

「騎士王め、小癪な手を打つではないか。王の座す舟を地に這わせようとは度し難い」

 

「セイバー……!? まさか今の、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』か」

 

「剣圧を飛ばしてきているだけだ。あの聖剣の真価には程遠いが……受ければそれなりの火傷はするか!」

 

 再び船体が急加速し、ジグザグに複雑な軌跡を描く。その合間を射抜くように、再び黒い一閃が飛来し、空気が切り裂かれる音が響いてきた。

 床に伏せながらも注視していたおかげで、今度は観測することができた。柳洞寺のあたりで何かが光ったかと思うと、次の瞬間にはビームのように魔力の塊が放たれてきたのだ。これが聖剣の一撃だとすれば、セイバーは遥か上空にあるヴィマーナを弓兵のように()()しているのか──。

 旋回するヴィマーナに、更なる光閃の一撃。回避行動のため、船は通常の飛行機では到底叶わないであろう無茶苦茶な軌道を描き、なんとか黒い脅威から離れる。物理法則の干渉を防ぐ機能がなければ、俺はとっくに振り落とされていただろう。

 さっきよりも余裕がない……わずか二度の斬撃で、恐るべき狙撃手は早くも()()てきているのか。思わずギルガメッシュの様子を伺うと、黄金の青年は何ら臆した様子もなく、獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「小賢しい──弓兵(アーチャー)は我の領分よ。撃ち合いでこの我に勝とうなど笑わせるわ、セイバー!」

 

 パチン、と指が鳴る。途端、ヴィマーナの船体をぐるりと取り囲むように六つの門が出現した。

 輝舟とはまた異なる黄金から垣間見えるのは、一つ一つが膨大な魔力を秘めた原初宝具。セイバーが放った攻撃に倍する刀剣が、瞬きの間に斉射される。流星のように降り注ぐ六連撃は、さながら宝具による空対地ミサイル(ASM)か。

 超音速で飛翔した弾丸は、黒光が放たれた基点を直撃し、大地を抉り抜いて微塵に吹き飛ばす。余波で生えていた木が吹き飛ぶ光景が、朧げながら確認できた。

 一発でも地形を変えるミサイルが、優に六発。通常の戦争であれば、過剰攻撃(オーバーキル)にも程があるであろう火力の一極集中であったが、しかし──。

 

「これで倒せるなら苦労はしてないか……!」

 

 土煙の間から、漆黒の砲弾が迫りくる。油断していなかった英雄王は、難なく船体を急旋回させて躱したが……その頭を押さえるように、間髪入れずに二撃目が放たれた!

 ぶつかると悟り、顔から血の気が引いていく。投影宝具を合わせようにも、このスピードだと追いつかない──!

 

「猪口才な……」

 

 英雄王が何か呟いたかと思うと、閃光の斜線上を遮るような形で黄金の盾が現れた。天を塞ぐ防御宝具は、船体を直撃するかと思われた猛威を正面から弾き返し、ヴィマーナは無傷な姿を保ったまま悠々と飛行を続ける。

 次いで三の矢、四の矢が飛来するが、空中戦艦の機動力と繰り出される盾の宝具がその尽くを凌ぎ切る。返礼代わりに再び宝具が放たれ、セイバーがいるであろう地帯を爆撃するが、恐るべき斬撃は止まることがない。

 そのまま幾度かミサイルと対空砲火の応酬が続くが、おそらくは双方無傷のまま。一見膠着状態のようだが、一度に一発しか光弾を放てないセイバーと違い、ギルガメッシュの攻防宝具は展開数に際限がない。それを考えれば英雄王の方が有利だろうが……相手もまた、宝具の真名解放という切り札を秘めたまま。魔力を籠めた剣圧を飛ばす、いわば通常攻撃でこの火力なら、全力の宝具解放はどれほどの脅威になるか。

 

「チ、小煩い羽虫めが……!」

 

 突如、ヴィマーナが急すぎる角度で高度を上げる。光弾の回避とはまったく違うパターンの機動に、何が起きたのかと首だけ出して下の様子を覗き見ると……街から、無数の靄のようなものが沸き立っていた。

 暗くてよくわからないが、冬木市のそこかしこから、数え切れないほどの黒い点が空に上ってくる。同時に聞こえてくるのは、ブンブンという耳障りな羽音。まさかこれは、全部虫なのか……!?

 十中八九、間桐臓硯の差し金だろう。一匹一匹は小さな虫が何十何百と集まって群体となり、その群体がまた幾つも地上から飛翔してくる。魔術師の使い魔とあらばただの虫ではあり得まい、セイバーの対空砲火だけでも手を焼いているのに面倒なことになった──!

 

「あんなのに集られたらたまったもんじゃないぞ……」

 

 蝗害、という単語がある。

 日本では見られない現象だが、アフリカや東南アジアなどではたまに発生する、バッタの大量発生という災害。なぜ虫の異常繁殖が災害とまで呼ばれるかというと──その群れが通り過ぎた後は、あらゆる草木が食い尽くされ、時には生物さえ被害を受けるからだ。現れたが最後、航空機の飛行さえ叶わなくなるのだというニュースを見たことがある。

 通常では考えられないほどの高速で迫る虫は、まさしくそれを思わせた。あれに群がられたが最後、俺はあっという間に骨だけになってしまうだろう。

 そうしているうちにも、また空間を薙ぐ黒い光が。単純なスピードであれば、虫ごときがヴィマーナに追いつける道理はないが、回避や防御のための動きを強要されるせいであっという間に距離が近づいてくる──。

 

「まずいぞ、アーチャー!」

 

「たわけ、見えているわ。

 やれやれ──空中戦を楽しむつもりだったが、あのような汚物に横入りされては興も削がれるというもの。一息に焼き払ってくれる!」

 

 上へ上へと高度を取っていたヴィマーナが反転、数え切れないほどの虫の群れに突貫していく。同時に黄金の砲門が展開、刀剣宝具が釣瓶撃ちに放たれ、黒刃の発射地点を絶え間なく蹂躙!

 

「セイバーの相手は後回しよ。まずは前座からだ」

 

 射出、射出、射出、射出、射出──。

 音を超えて放たれる弾丸は、一発一発が超級の火力。息もつかせぬほどの宝具をセイバーめがけて連射し続け、対空砲火を牽制すると、ギルガメッシュはまた別に砲門を開いた。

 虫との相対距離は縮まり続け、不気味に光る赤い目が何千と輝いているのが見える。会敵までは十数秒とないだろうが、英雄王の不敵な笑みは、羽虫ごときは何ら脅威にならぬと物語る。

 小さな虫の群れに対し、刀剣を放ったところで効果はほとんどあるまい。俺などより遥かに頭の回るサーヴァントがその事実を見落とす道理はなく、黄金の門から現れたのは刀剣でも防盾でもない──怖気がするほど魔力の感じられる、何本もの魔杖だった。

 

 ──閃光。

 

 杖の先にそれぞれ、キャスターを思わせる魔法陣が描かれたかと思うと、膨大なエネルギーが迸った。爆炎、吹雪、暴風、豪雷──それこそ魔術師のお株が奪われるような神代の大魔術が、空間ごと羽虫を薙ぎ払っていく!

 それでも分散し、生き残った虫たちが船に集ろうとしてくるが……今度は先程より一回り小さい杖たちが召喚され、機銃掃射のような勢いで小魔術を連射して片端から塵に変えていく。宝物庫から呼び出されたものに加え、ヴィマーナ本体にも砲門が現出し、バルカン砲のそれに等しい魔力砲弾が十重二十重に張り巡らされた。

 その防空網さえ潜り抜ける個体も絶え間なく現れるが、それは船体の目と鼻の先まで近づけたかと思うと、ある地点で壁にぶつかったかのように歪んで蒸発する。またある個体は炎上し、ある個体は引き裂かれ、ある個体は潰され──おそらくこの船には何十という防御宝具、防御魔術が展開されているに違いない。

 

「このまま突き進むぞ。振り落とされるなよ、雑種!」

 

 ぐん、と船体が急加速。雲霞の如き無限の群れを、防御力と対空砲に任せて強行突破。その時にはもう柳洞寺までの距離は半分を切っていた。

 虫たちを迎撃する間にも、セイバーを牽制するための宝具は次から次に放たれていたが、にも関わらずまたしても黒い刃が正面から迫りくる。もはやこの距離では回避など望めず、ギルガメッシュが即時展開した盾と船の守りが正面から防御するものの──焦げ臭い匂いと共に、盾が斜めに吹き飛んでしまった。

 回収用の宝具でも使っているのか、あらぬ方向に飛んでいった盾はすぐに黄金の門に収納されるが、ちらりと見えた防具の表面は黒く焦げてしまっていた。今のは防げたからまだいいが、ただの剣圧でなんという火力か!

 

「……雑種よ、貴様に一つ露払いを命じる」

 

 後ろからしつこく迫ってくる虫の群れを迎撃し、同時にセイバーへの宝具射出数を増やして斬撃を封じながら、ヴィマーナは目的地の上空まで辿り着いていた。

 爆撃に次ぐ爆撃で敷地はめちゃくちゃになっているが、その中で立つサーヴァントの姿がぼんやりと見える。降り注ぐ宝具の弾丸を叩き落とし、弾き、回避していくその動きは、見間違えるはずもないセイバーのものだ。

 臓硯の使い魔であろう虫は、その大半が殲滅された。後はセイバーと、どこに隠れているのか分からない敵のアーチャーを打倒するのみだが……露払いとは、いったいなんのことか。

 

「寺の裏手を見よ。あの池のあたりだ」

 

 ぐりん、と派手に宙返りしながら、柳洞寺の上空を旋回。何故これで地面に投げ出されないのか不思議に思いつつ、促された池の方を見ると……そこに、黒い人形の何かが蠢いていた。

 虫とは違う。どこか式神めいた形をしたそれは、うようよと不気味に動いている。姿形はやや異なっているが、その恐ろしさを感じる雰囲気は、幾度か遭遇したあの黒い影に酷似しているようで。

 

「あいつら……一体何だ? サーヴァントも食うとかいうあの影に似てる気がするけど」

 

「あれはいわば、聖杯の使い魔よ。見たところ、あの娘の性質を受け継いでいるな……虚数属性に吸収能力、おまけに聖杯の呪詛まで併せ持つか」

 

 会話している間にも、黒い光が大気ごと俺たちを断たんと迸る。急旋回、ランダム機動で回避しつつ猛爆撃を行う空中戦艦だったが、距離が縮まったせいで避けきるまでの余裕が遂になくなってきた。

 

「上を取り、空を抑え、手数・火力・防御のいずれも優位にある。セイバーのみならこのまま勝てるだろう。

 だが、あの影は面倒だ。闇雲に宝具、魔術を擲つだけでは()()されかねん。本腰を入れれば幾らでも手はあるが、雑にあしらうには相性が悪い──自動人形の類も、あれに触れられれば終わりだ」

 

 聖杯の『影』は、その成り立ちから魔力を吸収する性質を持つ。そればかりか、サーヴァントを汚染し、取り込むという反則的な能力さえ有しているのだ。まっとうなサーヴァントでは到底対抗できず、あれに飲まれればどうなるかは眼下のセイバーが物語っている。ギルガメッシュが彼女と戦うのなら、あの怪物たちを通すわけにはいかない──ヘラクレスでさえ、セイバーと影との連携攻撃には防戦一方だったのだから。

 宝具を撃っても魔術を叩き込んでも吸収され、近づかれればアウト。まったくとんでもない反則ぶりだが……池の周りをうろついているのは、あの『影』本体ではない。ここから見ているだけでも、あれよりは格段に脅威度が落ちていることがわかる。

 敵の正体は割れ、能力は知れ、()()()()()()()もある。何も俺たちは、影を相手取ることを諦めていたわけではない。あれが聖杯に由来するものだと判明してから、通用するであろう対策を練った。今の俺でも、あの使い魔連中ぐらいなら相手にできるはずだ。

 

「わかった。あいつらは俺が引き受ける。セイバーは任せたぞ、ギルガメッシュ」

 

「ハッ、誰に物を言っている」

 

 自信満々の嘲笑が、こんな時は頼もしい。

 黒い刃を回避しがてら、ヴィマーナが急降下して池に近づく。二発目の閃光を盾が防ぎ、ほんの数秒船が止まった刹那、俺は大地へと降り立った。

 振り向けば、飛行戦艦は猛スピードで空を駆けていき、途中でひらりとギルガメッシュが飛び降りていくのが見えた。宣言通り、セイバーと戦ってくれるのだろう……かつての仲間と矛を交えることへ嫌悪感はあるが、事此処に至っては仕方がない。

 主を降ろしたヴィマーナの方だが、こちらには自動操縦システムが搭載されているらしい。『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』からの宝具掃射はなくなったが、空中を自在に飛び回る輝舟は、自前の砲塔と防御宝具を駆使して虫の残党と空中戦を始めた。

 

「──さて」

 

 セイバーに対してはギルガメッシュ。

 あの虫の群れは黄金帆船(ヴィマーナ)が駆逐し、同時にまだ姿の見えない敵のアーチャーへの備えも兼ねる。

 俺の近くでぐるぐると空中を飛び回る円盤たちは、ギルガメッシュが付けてくれた防御宝具。臓硯と言峰の攻撃はこれが防いでくれるし、連中に対しては専用の()()もある。

 後はこの、影の使い魔たちを相手取るだけ。不気味な響きを上げるこいつらが何故ここに現れたのかは分からないが、友好的な存在でないのは確実。戦いに水を差される前に、ここでまとめて斬り伏せる──!

 

投影(トレース)開始(オン)──」

 

 

***

 

 

 柳洞寺境内。 

 猛爆撃の中でも奇跡的に無傷だった山門の内側は、廃村のような有様と成り果てていた。ほんの数十分前までは歴史ある寺社がそびえていたはずのそこは、度重なる聖剣と宝具の暴虐を受け、元が何であったか想像もできないような状況だ。この只中に生命体がいたとして、無事でいることなどあり得まい。

 にも関わらず。残骸に囲まれて、君臨する者がいる。地上の喧騒など知らぬという、月明かりに照らされた金髪が眩い。その、瓦礫の玉座の上──

 

 ──無傷の騎士が、傲然と剣を構えていた。

 

 全身を覆う甲冑は漆黒に染まり、聖杯の侵食の影響か、赤い紋様が走っている。各所の防具は厚みを増し、鋭角になった形状は恐るべき攻撃性を表しているよう。

 翠水晶を思わせた瞳は昏い黄金に淀み、地上に輝いた星の聖剣は、もはや見る影もない。かつての清廉な剣士は変わり果て──しかしその威圧感は、以前の何倍にも増している。

 

「ほう──」

 

 がしゃり、と鳴る金属音。規則正しく繰り返されるそれは、具足が石段を踏みしめる音だった。

 悠然と、山門から現れる黄金の王。不用意に境内に降下したのでは、着地際をセイバーに狩られるだけ。そう悟った弓兵は彼女を牽制している隙に、境内ではなく石段の中ほどへと飛び降り、そのまま歩いて上ってきたのだろう。

 その姿を認めた刹那、剣士から迸る膨大な殺気──あと一歩でも進めば、瞬きの内に斬り捨てる。その無言の決意を感じ取ったのか、彼女が動くか動かないかという微妙な境界線上で、青年は足を止めた。

 

「あれを受けながら無傷か。相変わらず大層な剣捌きだが、そうでなくては面白くない。滑稽な三文劇とはいえ、盛り上がりを欠く終幕など見るに堪えぬからな。

 さて──此度は貴様が()()()側か。()()()とは配役が逆だな、セイバー」

 

「……!?」

 

 黄金の英霊が零した言葉に、剣士の眉がぴくりと動いた。

 ほんの僅かだが、セイバーが示したのは明らかな動揺。それを見逃さなかったギルガメッシュは、ふん、と鼻を鳴らして嗤う。

 

「配役が変わろうと、聖杯を求める執念は同じか。そのような姿に成り果ててまで、願望機に縋ろうとはな──汚染されようと悲願を捨てぬその気概、我が見込んだだけはある」

 

「その口ぶり、あの宝具──もしや記憶が戻ったのか、アーチャー」

 

 聖剣を握るセイバーの手に、明らかな力が籠もる。絨毯爆撃の如き宝具掃射、宙空を自在に馳せる黄金帆船(ヴィマーナ)──そのいずれも、彼女は第四次聖杯戦争の折に目にしたことがあった。此度は使えなかったはずのそれらを自在に振るう姿を目にすれば、絡繰りに思い当たるのは自明の理。

 見る見るうちに、騎士の殺気が強まっていく。十年前、セイバーが唯一勝機を見いだせなかった英霊。それが十全の力を持って現れたとなれば、油断などできるはずがなかった。

 

「然り。まったく、聖杯めに遅れを取ったおかげで、随分と手間取ったわ──十年も待たされた宴だというのに、招かれてみればこの始末とはな。ま、これはこれで楽しめたが」

 

「十年……? それはおかしい。サーヴァントは召喚される度に記憶を調整されるはず。以前の記憶を持ち得るはずが────まさか」

 

 そう。新たに召喚されたサーヴァントであれば、以前の聖杯戦争の記憶を持つことなどありえない……そう、()()()()()()()()サーヴァントであれば。

 僅かな言葉と、以前より抱いていた違和感。そこから真実に辿り着いたセイバーの瞳が、大きく開かれる。一方の青年は、その動揺を愉しむように笑みを深めるばかり。

 

「ようやく気づいたか。我は前回から消えずに、この世に留まったサーヴァントだ。これはおまえの功績だぞ、セイバー?

 十年前、おまえは衛宮切嗣の令呪によって、現れた聖杯を破壊した。その下にいた我は、聖杯の中身を浴びる羽目になったのだ。我が生身の肉を持つ理由は、つまり今のおまえと同じよ」

 

 息を呑む音。

 悪性に汚染されて以後、白みを増していたセイバーの顔色が、青白いとまで言えるほど色を失う。弓兵が口にしているのは、正気を疑わざるを得ない内容だった。

 聖杯の中身を知った今だから分かる。世界を呪うほどの極大の呪詛を受けて、無事で済むはずがない。他ならぬ彼女自身が、自分が変質してしまったことを自覚している。魂の奥底から溢れ出る破壊衝動と、呪詛に汚染された霊基は、かつての自分がどのような価値基準で動いていたかを思い出すことさえ危ぶまれる有様だ。

 だが、この英雄は十年前から今に至るまで、まるで変わった様子がない。平然と嘯くその姿はあまりにも落ち着いていて、それ故にセイバーの背筋を凍えさせる。

 

「馬鹿な──あの呪いを浴びたのですか、貴方は。なら、正気を保てるはずが──」

 

「──ほう。そう思うか、騎士王」

 

 ざわり、と風が吹いた。

 あるいはそれは、世界が怯えた余波だったのか。青年が目を細めた瞬間、想像を絶するほどの威圧感が、空間そのものを塗り替えた。

 音がするほどに柄を握りしめていた自分を、セイバーは遅れて自覚する。眼前の英霊から立ち上る王気(オーラ)……かつてブリテンを蹂躙した卑王暴竜(ヴォーティガーン)すら、この男の前にはひれ伏そう。

 

「たわけめ──貴様と一緒にしてくれるなよセイバー。

 この世全ての悪? 人類全てを殺し尽くす呪いだと? 笑わせるな。この我を染めたくば、その三倍は持ってこい!

 たかが世界の一つや二つ、背負えずして何が英雄か。元よりこの惑星(ほし)は、余す所なく我の庭だ。この世の全てなぞ、とうの昔に背負っている」

 

「────な」

 

 今度こそ、セイバーは絶句した。

 大陸を持ち上げる、海水を全て飲み干す──この英霊が口にしているのは、そういう類の内容だ。荒唐無稽にも程がある。

 いかな英霊であろうと、あの呪詛は片鱗に触れただけでも影響が出る。この世全ての悪(アンリ・マユ)とは人を呪うもの、英霊とて元が人間である以上はその対象から逃れ得ない。にも関わらず、この男は汚染されぬばかりか呪いを弾き返し、あまつさえそれが当然のように宣うのだ。

 

「アーチャー、貴方は一体何者だ。あの呪いを受けて自我を保てる英霊など、存在するはずがない──」 

 

 十年前から、そして聖杯によって変異して以後も頭の片隅にあった疑問を、遂に剣士は口にした。

 最初に顔を合わせた時から、この男は常軌を逸していた。あれほどの数の宝具を所有している時点で異常極まりないが──いや、それだけならば宝具の性質として納得もできよう。しかし、今の話は飲み込める範囲を超えている。なにせあの泥を受けて、()()()()()()変わってしまったのだから。

 半神の大英雄たるヘラクレスとて、呪いには抗いきれなかった。それを受けて平然としているというのは、もはや人間ではありえず、それこそ神にでも連なる者でなければ──。

 

「──いや。まさか、貴方は……」

 

 ふと、直感に触れたものがある。凶暴性を抑え、平然と振る舞うため、彼女の直感は低下しているが……それでも、一つ引っかかってしまえば連鎖的に閃くものがあった。

 聖杯戦争のシステム上、神霊を召喚することは不可能だ。しかし、ヘラクレスやクー・フーリンのような半神、あるいはメドゥーサのようなかつて神であった者であれば召喚されている実績がある。そして、セイバーの知りうる英霊の中に、たった一人だけ、人よりも神に近い男が存在した。

 尋常ならざる王気。理解を超えた価値観。自在に振るわれる無限の宝具──いや、宝具の()()。かつて神の時代に終止符を打ったその英霊であれば、古代ペルシャの悪神とされるこの世全ての悪(アンリ・マユ)すら物ともすまい。古代ウルクに君臨し、文明の原初を築き上げ、無数の財を収めたという魔人の名は──。

 

「ギルガメッシュ──人類最古の英雄王」

 

 戦慄と共に呟かれる真名。それを聞き届けた黄金の王は、いっそ優しげとも取れる笑みを浮かべた。

 

「──いかにも。ようやく思い至ったか、騎士王よ」

 

「っ──!」

 

 上段の構え。対峙する敵の脅威度を跳ね上げたセイバーは、初手から火力を集中する姿勢に切り替えた。生前から今に至るまで剣を交えたどのような相手も比較にならぬほど、このサーヴァントは規格外だと判明したが故だった。

 十年前の戦いで、征服王イスカンダルを以てしても傷一つつけられなかった破格のサーヴァント。全英霊中、最も古い伝説を持つ存在ともあれば、その結果も納得だった。

 ギルガメッシュが見せた数々の宝具。真名が知れれば、その正体にも自ずと合点がいく。それは即ちあらゆる宝具の原典であり、想像を絶する数の攻撃手段を持ち合わせているのに等しい。ならば何かをされる前に、圧倒的な火力で粉砕する──その鮮烈な戦意に、対する英雄王は目を細める。

 

「ふん。我の名を知った上でなお抗うか。その意気は買うが──どうだセイバー? 我が軍門に降るのなら、願望機の一つや二つ、くれてやっても構わんが」

 

「──戯れ言を。貴様はここで斃れろ、英雄王」

 

「やれやれ……我を倒せば聖杯が手に入り、望みが叶うと本気で思っているのか。

 あのように歪み果てたものが、願望機足り得る確証もなかろうに。過去のやり直しとやらに拘りおって……おめでたい女よな」

 

 一閃。

 黒の魔剣が、大地を叩き割った。一瞬前までギルガメッシュが立っていた場所は、隕石でも直撃したかのように、蜘蛛の巣状にひび割れる。セイバーの一撃は、あのバーサーカーさえ上回る埒外の威力を有していた。

 その一撃を見切ってか、攻撃が炸裂する寸前、大きく後方に飛び退いていた黄金の青年。その口元が嘲笑の形に歪み──途中で止まる。

 秀麗な頬に入るのは、一筋の線。そこから僅かに、紅い雫が滴り落ちている。回避のタイミングは完璧だったが、騎士王の斬撃はただの余波だけで彼にダメージを与えていたのだ。己の予測を上回る一撃をどう思ったか、紅蓮の瞳に凍えるような光が宿る。

 

「なるほど。痛い目に遭わねば、自分の立場を解せぬと見える──よかろう。挑んでくるがいい、セイバー。その執念に免じ、我の財を見せてやろう」

 

 ──そうして。英雄王は、死闘の始まりを告げた。

 

「やぁ──っ!」

 

 大地が爆発する。

 受肉したことによる絶大な魔力生成量、そして聖杯から与えられる無尽蔵のバックアップは、セイバーの持つ魔力放出能力(スキル)を極限まで強化していた。ただの踏み込みでさえ、地面が氷のように割れていく。

 そのスピード、そのパワー、共に数日前とは比べ物にならない。ヘラクレスとアインツベルンの森で戦った時は、マスター側の不具合のせいで、回復能力をはじめ彼女の能力には制限がかかっていた。その枷が取り払われた今、騎士王の力は伝説に等しい。最優を超え、最強の名を恣にするサーヴァントが、この夜に顕現していた。

 

「フン──」

 

 ギルガメッシュは、どこからともなく黄金の剣を持ち出したが……二刀を重ね合わせた防御ごと、セイバーの斬撃は弾き飛ばす。打ち合うことさえ叶わず、甲冑を含めて百キロ近いであろう体が吹き飛び、大地を削って態勢を立て直す頃には次の斬撃が目前に。

 このまま斬り伏せる──聖剣を振るおうとした刹那、セイバーに走る稲妻めいた直感。後方に飛び退いたその瞬間、直前まで踏みしめていた大地から、幾本もの槍が飛び出していた。

 警戒して距離を取る、と見せかけ、ランダム機動で突貫。進路を塞ぐように剣や槍が地面から飛び出すが、宝具が召喚される速度よりも、彼女が突き進む速度が早い。三度距離を詰めたセイバーは、下から跳ね上げるような斬撃を放ち、対するギルガメッシュは黒い刀身の長剣でそれに応えた。

 

「っ……!? これは、復讐の呪詛を孕んだ魔剣か──」

 

 セイバーの膂力を以てすれば、剣ごと砕け散らしたであろう一撃。ところが剣がかち合った瞬間、放った衝撃がそのまま戻ってくるような感触があった。物理攻撃に対し、呪詛を絡めて反射してくる宝具──打ち合いは悪手だと剣士が飛び退いた直後、男の手には異なる武器が握られていた。

 鋼色の刀身が赤く輝いた刹那、轟、と火炎が迸る。触れるもの全てを焼き払う紅蓮の奔流は、右から左に空間を蹂躙し、散らばる瓦礫を灼熱地獄に飲み込んだ。

 炎の魔剣による、ナパーム弾めいた一撃。魔力放出による跳躍で辛うじて避けきったセイバーだったが、熱波が過ぎ去った時には、英雄王が次の刀を引き抜いている。到底届くはずのない間合いから、刺突が打ち放たれ──その直後、大地を削る白い光!

 

「ぐ、ぁ──っ!?」

 

 聖剣で防御した瞬間、セイバーの全身に衝撃が走る。防ぎきったはずなのに、強かに体を貫くダメージは、彼女の思考に空白を生じさせた。

 視界がちらつき、体中を痺れさせる一撃は、刀から繰り出された雷撃によるもの。光速の攻撃を直感のみで防いだ騎士王だったが、電流は柄から手に伝わり、その余波で彼女を感電させていたのだ。

 耐久力に欠けるサーヴァントなら、これだけで動けなくなっていただろう。しかし、圧倒的な防御力と回復能力を持つセイバーは、ほんの一瞬で回復する。電撃の残滓を打ち払い、剣を正眼に構え直すセイバーだが──男の背後に見える光景に、目を疑った。

 

「────っ」

 

 剣がある。槍がある。鉾がある。槌がある。

 黄金の"門"から覗くのは、どれ一つを取っても恐ろしいほどの魔力に満ちた宝具の数々。十や二十どころか、優に数十を超える武具たちが宙に浮き、射出態勢を整えていた。

 古今東西、人類史の随所で名を馳せた伝説の具現。十年前の戦いでこの光景を目にしているはずのセイバーだが、それでも肌が粟立つのは抑えられない。一つ一つが英霊の全力に相当する宝具が、無数無限に振るわれる──これを悪夢と言わずしてなんと言うのか。並の英霊が束になってかかったところで、この男には一矢報いることすら叶うまい。

 

「どうしたセイバー。聖杯が欲しいのだろう? 見事我を打ち倒し、願望機とやらに手をかけるがいい」

 

 無数の武具を従え、傲然と腕を組むギルガメッシュ。それは油断──いや、慢心の表れか。

 一騎当千の英霊を前にしてこの余裕、正気とは思えぬ振る舞いだ。しかし、通常のサーヴァントと英雄王の間に広がる差は、圧倒的という表現さえ超えて絶望的。それこそ神霊級の存在でなければ、戦いを演じることもできまい。

 あらゆる英雄たちの王の名を戴く英霊は、アーサー王ほどのサーヴァントをしても届かぬ高みにある。十年前のセイバーは、ただその暴力に蹂躙されるばかりだった。聖剣の一斬を以てさえ、喉元に手が届いたかは怪しかっただろう。

 

 ──では、今の騎士王はどうか。

 

「────"王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)"」

 

 パチン、と指が鳴る。

 それが号令だったのか、空間に展開された宝具たちが、弾丸となって放たれた。一撃一撃が途方も無い威力を有し、未知の能力を秘める必殺の鏃──この英霊が弓兵(アーチャー)たる所以がここにある。

 殺到する魔弾の群れ。避けられぬ死の使い魔は、降り注ぐ星屑を思わせる。万象を蹂躙する嚆矢を前にした剣士は、その口元を微かに上げて。

 

「侮ったな、アーチャー。私を止めたければ──」

 

 神速の踏み込み。

 襲い来る剣の雨に、騎士王は自ら距離を詰めた。ぶん、と聖剣が横薙ぎに振られ──

 

「──この三倍は持って来い!」

 

 気合一閃、その尽くを薙ぎ払う……!

 直撃の軌道を描いていた第一陣の八挺は、その剣圧だけであらぬ方向に吹き飛ばされていった。続く第二陣に、間髪入れずに立ち向かうセイバー。

 初手の長剣を防ぎ、二手目の短槍を躱し、三手目の大斧を叩き、左より迫る円刃から逃れ、上から降る大槌を弾き、受け、避け、走り、飛び、進む──!

 

「は、ァ──っ!」

 

 ()()()()()

 ギルガメッシュが撃ち放つ宝具群は、同時に数十を超える。だというのにセイバーは、その全てを事も無げに打ち払い、弾き返し、斬り伏せる。無尽蔵の魔力供給による際限のない魔力放出は、それだけでも破壊的なエネルギーとなり、低級の宝具などは余波だけで飛ばされていく有様だ。

 それはさながら、機銃掃射の中に突き進む主力戦車(MBT)めいていた。人間相手であれば、確かに銃弾(宝具)は脅威であろう。しかしながら、重装甲と大火力を併せ持つ戦車に対して、それが如何程の効果を持とうか──!

 

「吼えるではないかセイバー。ならば、三倍の数をくれてやろう──!」

 

 追尾効果のある魔剣を斬り伏せたセイバーが、はっとして正面を見つめる。ギルガメッシュが展開する宝具、その数が目に見えて増えていく!

 正面だけではない。上方、左右、後方、足元に至るまで、全周囲に黄金の"門"が開き、そこから刃の切っ先が現れ始めていた。三倍どころの話ではない、数百を超えようかという宝具の網──!

 これは物理的に回避できない。いかに英霊とて人体の軛からは逃れ得ぬ以上、同時に防御可能な範囲は決まっている。どこかで限界が来ると即断したセイバーは、ならばその()()を薙ぎ払おうと、滾り溢れる魔力を己が愛剣に注ぎ込んだ。

 

 ──ごおん、と音が鳴る。

 

 莫大な魔力で起動した聖剣は、刀身が倍以上に膨れ上がったように見えた。埒外の魔力量を叩き込まれたからか、余剰魔力が黒い呪いのように刃に纏わりついている。

 直後、全方位から殺到する宝具。しかし、可視化できるほどの魔力量はそれ自体が一種の防御壁となり、空間自体に渦を起こしている。中低位の宝具はそれだけで軌道を変えられ、妨害を物ともせず進む上位宝具は、臨界直前の聖剣が弾き飛ばす。

 対するギルガメッシュは、その手に黄金の剣を握っていた。簡素な拵えではあるが、セイバーはその形状に既視感を覚える。悠長に思い出すだけの余裕はなく、神秘を宿した武具が直撃する前に、大上段に振り上げられる聖剣──!

 

「"約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)"──!」

 

 地を灼く黒竜の咆哮。

 黒に染まった星の聖剣は、取り巻く宝具を千々に蹴散らし、莫大なエネルギーを大地に叩きつけた。

 際限のない魔力を収束させた、闇の光による究極の一撃。その破滅的な火力は数ある宝具の中でも最上位に位置し、対人火器どころか戦略兵器に匹敵する。本来このような間合いで使うものではなく、数キロの距離を経てもなお要塞を消滅させるほどの斬撃が、一個人を相手に振るわれる。

 それに臆することなく、同じタイミングで剣を振るう英雄王。途端、絶大な魔力が刀身に集中し、黄金の光となって解き放たれた。まるで鏡合わせのように、全てを焼き尽くす光同士が、真正面から鍔競り合う──!

 

「チィ……!」

 

 拮抗。

 しかし、甚大なエネルギーの真っ向勝負は、徐々にセイバーへと軍配が上がり始めた。

 黄金の光は黒の闇にじりじりと押され、舌打ちしたギルガメッシュが空間から盾を追加召喚。剣を斜めに振るうことで聖剣の攻撃を相殺するのではなく捻じ曲げ、殺しきれぬ余波は防御宝具を前面に立てて防ぎ切る。

 時間にすれば、ほんの数秒ほどの攻防だっただろう。光が消えていくと、両者とも無傷の姿が現れるが、その周囲は地形が変貌していた。熱エネルギーに蒸発させられた瓦礫は燻り、何百という宝具が突き刺さって捲れ上がった地盤は天変地異の後を思わせる。

 

「……まったく、底なしの魔力よな。選定の剣(カリバーン)の原典を以てしても、相殺すら叶わんとは──なに?」

 

 熱エネルギーを放った反動か、白煙を上げる原罪(メロダック)を握ったままのギルガメッシュが驚愕する。それも当然、セイバーは既に、()()()の態勢に入っていたのだから──!

 

「──"約束された(エクス)"」

 

 これほどまでの破壊力の行使には、絶大な魔力が要求される。本来サーヴァントとして召喚されるセイバーは、消耗を度外視すれば聖剣の連続発動も不可能ではないが、ここまで雑に取れる選択肢ではない。

 受肉したことで発動可能となった、莫大な魔力を生成する竜の炉心。そして、聖杯と直結したマスターから送られる無限に等しい魔力量。その二つが合わさった今だからこそ、セイバーにとって聖剣発動による消耗は無視できる程度に抑えられている。それこそ、際限のない連射が可能となるほどに……!

 

「おのれ──!」

 

 恐るべき分析能力で、即座に背景を読み取ったのだろう。セイバーが聖剣を振り下ろすより早く、ギルガメッシュの号令が先んじた。

 無理に真名を解放することが能わぬ、絶妙な配置の宝具投射に、断念した剣士は即座に回避行動。跳躍した彼女を追うように、幾本もの剣が大地に突き刺さっていく。

 刀剣宝具の連射に次ぐ連射は、息をつくほどの暇さえない。数秒あれば放てるエクスカリバーだったが、鋭さを増した宝具投射は一発一発が狙撃の精度だ。防御力を頼みに一秒以上棒立ちになるのは、あまりに分が悪い賭けだろう。

 

「これは手を抜いて戦える部類ではなかったか。聖杯という宝を求め、息吹を以て世界を焼く──なるほど、赤き竜と謳われただけはある」

 

 唐突に、無数の武具がかき消えた。

 飛び回りながら剣群を迎撃し、攻撃の手を組み立てようとしていたセイバーは、たたらを踏んで急停止。次はどんな宝具を繰り出してくるのかと、剣を中段に構えながらギルガメッシュを睥睨する。

 ここまでの攻防は互角──いや、セイバーが若干押している。このまま推移すれば、いずれセイバーが力任せに押し切る形で決着がつくだろうが、聡明な英雄王がそれを把握しておらぬはずがない。

 再び指が鳴らされる。男の背後に黄金の"門"が開き、無数の刃が覗くまでは今までの焼き直しだったが……そこから感じ取れた脅威に、騎士王の体が硬直した。

 

 破滅の黎明(グラム)

 幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 力屠る祝福の剣(アスカロン)

 天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)

 

 竜を殺す宝具、女を殺す宝具、王を殺す宝具、悪を殺す宝具、宝具、宝具、宝具──。

 英霊アルトリアという存在が持つあらゆる特性、属性に対して効力を持つ武器たちが、何十、何百という暴威となって現れる。ただの一つを取っても、容易く流せるものなどありはしない。あのうち一つが突き刺さっただけで、セイバーの霊基は深い傷を負うことだろう。

 ある程度予想はしていたが、英雄王の真価とはこれほどかと、セイバーは内心戦慄を覚えていた。宝具の数だけを見ても、尋常ならざる戦闘能力を誇るギルガメッシュだが……この英霊の真骨頂は、その対応能力にある。相手の弱点となる武器が必ず、それも山のように出てくるのだからたまったものではない。

 

「前座は終わりだ。我も、少々本腰を入れるとしよう。

 音に聞こえた聖剣を見せてくれた礼に、我が財の力をとくと味わうがいい……!」

 

 一斉射撃(フルバースト)

 数え切れぬほどの天敵に対し、直感が選んだのは前進。『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』の有効範囲は広い上、弓兵である相手に距離を取るのは自殺行為でしかない。元よりセイバーの真骨頂は白兵戦闘、距離を詰めて魔力と身体能力で押し切るのが最適解と判断。

 矢のように突き進むセイバーを縫い止めようと、全方向から砲火が降り注ぐが、彼女は聖剣を振り回して強引に道を切り開く。この特効宝具たちは一撃でも受けられぬと、長期戦を考えぬ極限の集中力を見せていた矢先……英雄王の方から迫ってきたことに、剣士の瞳が驚きに見開く。

 男が握るのは漆黒の魔剣。その刀身を見た瞬間、セイバーの直感が最大の警鐘を鳴らし、下段から斬撃を防御する……!

 

「そら、受けてみよセイバー!」

 

「これ、は……!」

 

 無毀なる湖光(アロンダイト)

 もしくはその類似品、あるいは源流のどこかにあたる宝具か。かつての臣下(湖の騎士)の剣によく似た武器は、セイバーを僅かに動揺させた。十年前の戦の終盤、彼女はこの剣を振るうバーサーカー(ランスロット)に追い詰められ──その末に、友であった彼を斬り捨てたのだ。

 心情的な痛みだけではない。竜退治の逸話を持つアロンダイトは、竜の因子を持つアルトリアにとって天敵の一つ。後の逸話が反映されたのか、それともこの原典宝具が元から効力を持っていたのかは定かではないが、これで負った傷はそれに数倍するダメージを及ぼすと彼女の直感が告げていた。

 

「私に剣で挑もうとは、片腹痛い!」

 

 だが。いくら特効宝具を使おうとも、ここは剣士の距離。莫大な魔力で膂力をブーストさせ、一気呵成に蹴散らそうとするセイバーだったが……魔剣を弾くことにこそ成功したものの、手応えがおかしい。

 二人の間には、身体能力の面で数段差がある。華奢な少女であるアルトリアは、当然体格面でギルガメッシュに及び得るはずがないが、絶大な魔力と魔力放出能力(スキル)はこの関係を容易く逆転させる。一番最初の一撃で、ギルガメッシュが吹き飛んでいったのがその証拠だ。

 この切り上げもそうならなくてはおかしかった。不審に思った騎士王が、男の全身に視線を走らせ──その体に、魔力の燐光が宿っていることに気づく。アロンダイトの効力かそれとも他の宝具のバックアップによってか、自身の身体能力(ステータス)を強化している……?

 

「余所見とは余裕だな、セイバー! 慢心は真の王者にのみ許された特権と知れ!」

 

「戯れ言を……この程度で私と打ち合おうとは、驕ったなアーチャー!」

 

 再び振り下ろされる魔剣を中段で防御し、ギルガメッシュと至近距離から睨み合うセイバー。

 身体能力(ステータス)をどれだけ強化しようが、英雄王に剣の騎士とやり合えるだけの技量はない。彼の本質は無数の宝具を従える戦略家であり指揮官、武技を磨き上げる類の戦士ではないからだ。

 ところが、ここでその恐るべき戦略眼が光る。セイバーが男の体勢を崩し、あるいは決め手に訴えようとした瞬間、ちょうど彼女にとって致命的になる位置に各種の宝具が配置されているのだ。距離を取れば先程のように宝具が殺到し、剣技で押し切ろうとすれば巧妙に刃が舞う──鍔競り合うしかない現状こそが彼の術中なのだと、騎士王はようやく気がついた。

 

「十年前よりは歯ごたえがある。その妄執、余さず我にぶつけるがいい!」

 

 哄笑する英雄王が、力任せに長剣を振り切る。受け流し、返す刀で胴体を抉り抜こうとした矢先、セイバーに走る死の予感。

 右に体を捻ると、ギルガメッシュ自身にさえぶつかるのではないかという超至近距離から、黄色い槍が抜けていった。かつて見た、英霊ディルムッド・オディナが振るう必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)に酷似したそれは、直撃を許せば回復不能の手傷を負わされただろう。

 魔力放出で体勢を立て直した時には、英雄王が手にした十字槍(人間無骨)が突き出されている。横薙ぎに聖剣を振るって弾くが、これも直撃は看過できぬと直感が叫んでいた。桁違いの魔力によって防御力を底上げしているセイバーだが、あの槍はおそらくその防御を無効化する力を秘めている。

 英霊アルトリアという存在に特効を持つ宝具、彼女の防御力を無視する宝具──秒間ごと、一手ごとに切り替わる脅威は、その全てが異なる能力を有しており、それぞれ違った対処を求められる。相手のペースに飲み込まれれば、無限の手札に対応できなくなると判断し、セイバーは自ら相手の懐に飛び込んだ。

 

「そら、上手く読まねばたちまち死ぬぞ! 貴様の悲願とはそんなものか、セイバー!」

 

「黙れ、英雄王。貴様の吠え声は耳に障る……!」

 

 燦然と輝く王剣(クラレント)

 叛逆の騎士モードレッド卿がアーサー王の武器庫から強奪し、彼の王の直接の死因となった白銀の剣。おそらくは、その原典宝具がこれだろう。

 至近距離で切り結びながら、いやに見覚えのある剣と、ここでそれを持ち出してきた英雄王に嫌悪感を募らせるセイバー。だが、この宝具は間違いなく彼女にとって相性最悪の部類。ギルガメッシュの宝物庫は、いったいどれほど多様な武器を収めているのか──。

 

「耳に障る? 言葉は正しく使うものだぞ、騎士王。おまえは()()()()のだろう?」

 

「なにを……ッ!」

 

 剣の柄から左手を離し、そのまま裏拳で『燦然と輝く王剣(クラレント)』の刀身を殴りつける。その剣の使い手、血縁上の子供であるモードレット卿のような戦い方は彼女の流儀ではなかったが、怒りに任せた一撃は、ギルガメッシュを数歩後退させた。

 この隙に切り込みたいところだったが、全方向から向けられる宝具の照準が、不用意な突撃を許さない。ギルガメッシュも強烈な打撃を受けたことで危うく剣を取り落しかけ、体勢を立て直すまでの間、奇妙な膠着状態が発生する。

 貴重な時間を活かし、どう踏み込むか、どのように自分のペースに持ち込むかを考えるセイバー。そんな彼女に、黄金の王は──剣ではなく、言葉でもって畳み掛けた。

 

「なあ、セイバー。おまえも理解しているのだろう? 我を倒し、聖杯を手にしたところで、あの願望機は呪われている。おまえの悲願が正しく叶えられるとは限らぬ」

 

「…………」

 

「だというのに、何故聖杯に拘る? 見たところ、貴様に令呪の縛りはない。新しい主への忠義立てでないのなら、貴様が剣を抜く理由はそれだけだろう。これだけ剣を交えれば我でなくとも読めるわ」

 

 言葉での挑発や、弓兵の間合いを捨てての白兵戦闘に応じたのは、それを見極めるためだったのか。

 淡々と語るギルガメッシュに、セイバーの殺気は強まる一方。だが、黒化してなお残る王としての矜持が、問いに力で応えることを是としなかった。数秒の沈黙の末、セイバーは言葉を返すことを決断する。

 

「知れたことを。十年前の記憶があるのなら覚えているだろう、アーチャー。

 私の国は、私の過ち故に滅びた。民草や臣下の忠義に応えることもできず、国を割って滅ぼした私には、王である資格などなかったのだ。ならばこそ──より王に相応しい者を、選び直す。

 かつての征服王、そして英雄王。自分の我欲を追い求める貴方たちには理解できまい。だがこれが、かつて王であった者の責任だ」

 

 征服王イスカンダルは、彼女を哀れんだ。そんなものは王ではないと、王とは清濁を併せ人を魅せるものだと、臣下を従える彼は豪語した。

 英雄王ギルガメッシュは、十年前彼女を嘲り笑った。此度は一度理解を示したものの、それは彼女を信じた民衆への裏切りだと突き放した。

 騎士王アルトリアは、そんな彼らと相容れない。人々の幸福を、祖国の救済を希う彼女は、彼らとは目線が違うのだ。それこそが彼女の王道であり、そのために彼女は聖杯を──。

 

「──この愚か者めが」

 

 哀れみでも、嘲りでも、怒りでさえもない。セイバーの言葉を聞いたギルガメッシュが見せたのは、呆れたような溜息だった。

 

「過去のやり直しが王の責任だと? つまりあれか、セイバー。雑種どもの忠義とやらに応え、国を滅ぼさず繁栄させる"完璧"な結末とやらを求めているのか、貴様は。そのために"完璧"な王を選び直すと?

 我は言ったはずだぞ、()()()。それはおまえを王として信じた者どもへの裏切りであるとな」

 

「その信に応えられぬことこそが裏切りだろう、英雄王。私の過ちによって、彼らは要らぬ苦しみを味わうことになった。彼らに報いるのであれば、その過ちを正さなくてはならない。

 数多の悲劇を消し去る、そのために過去を変える。誰も悲しまなくていい世界を、人々が笑い合える時代を。僅かでも可能性があるのなら、そのために私は、聖杯を勝ち取らなければならないのだ」

 

 それが、アルトリアという英霊の唯一の悲願。

 滅びという結果は間違っている。結果がおかしいということは、すなわち過程に問題がある。その端緒こそが、自分が王として立ったこと──始まりからして間違えていたのだと、セイバーは絶望と確信を抱いている。

 その過ちを是正する。いや、しなくてはならない。そうでなくては、この愚かな王を信じた民たちに、自分が斬り捨てたかつての臣下に、申し訳が立たないではないか。

 

「かつての私は弱く、()()()()。強さを超えた強さ、徹底した統治、自由なき自由……その果てに、結果として民の安寧は守られる。

 暴君と謗られようと、私はそうするべきだった。たとえ、どのような手段を用いたとしてもな」

 

 この世全ての悪(アンリ・マユ)。呪いに囚われたことで、根底にある目的は同じでも、彼女の価値基準は大きく変容していた。

 聖杯は汚染され、願望機としての機能が十全に果たせるかも怪しい兵器もどきと化している。今のマスターは非力な少女だが、その実態は邪悪な老人の傀儡であり、意識を奪われセイバーに魔力を供給するためだけに利用されている状態。かつての騎士王であれば、こんな状況を是とすることはなかった。

 使えるのであれば、どんなものでも利用する。聖杯が動くか怪しい? 使ってみて動かぬのであれば、次を待てばいいだけのこと。可能性があるのであれば、手段に拘るなどという無駄は捨てるべきだ。徹底した冷徹さ、力による目的遂行こそが、今のセイバーの根幹だった。

 

「──そうか。雑念に堕ちたか、セイバー」

 

 変わり果てた剣士の答えに。英雄王は、氷点下にまで冷え込んだ瞳を向けた。彼らしくない、いっそ静かなまでの声音が、その失望の程を物語る。

 

「かつてのおまえは美しかったが、今の貴様は見るに堪えん。届かぬ理想(ほし)を追い求め、身を超えた悲願(ゆめ)に苦しみ、なお矜持を捨てぬ生き様──その儚くも眩しい魂こそが、我が愛でるに相応しい宝だった。だというのに、愚かさに目を曇らせた挙げ句、理想を捨て去るとはな!」

 

 よりよい結果を求めることと、結果のためならば何をしてもいいというのは全くの別問題だ。

 ある意味、今のセイバーは現実的になったのだろう。選定のやり直しという目的のために、優しさや正義というものを切り捨て、いかなる暴虐であろうと是認する──だがそれは、かつて彼女が嫌厭した暴君の在り方ではないか。言い分こそ身勝手ではあるが、正当と言えなくもない憤りを見せるギルガメッシュに、セイバーもまた凍てついた視線で応える。

 

「好き勝手に抜かすな、金色。誰が貴様に愛でてくれなどと頼んだ。

 我欲で民を蹂躙し、自ら国を滅ぼした男に何がわかる。その妄言ごと、我が剣の錆になるがいい」

 

「ほざくではないか。薄汚れた貴様になど用はない、冥府の闇に叩き込んでくれるのが慈悲というものだが──その前に、ある小僧の話をしてやろう」

 

 突然の話題の転換に、訝しげな表情を浮かべるセイバー。それが何の関係があるのだと不快感を強める彼女だったが、口を挟む機会を逸し、気づけば男の話に耳を傾けてしまう。

 

「その小僧はな、まったくもって見るべき点がなかった。

 我欲がない。野望がない。幸福を知らず、愉悦を解せず、快楽さえも望まない。口を開けば、出てくるのは『他人を助けたい』などという世迷言。ヒトが求めるモノの尽くを顧みず、他者を救うことだけを追い求める──そら、どこかで聞いた話だとは思わんか」

 

 衛宮士郎のことだと、セイバーは確信した。

 あの少年は、この社会の基準から見ても、彼女の生きた時代から見ても何かが致命的におかしかった。自分のサーヴァントですらないセイバーを庇うために、バーサーカーの刃に割り込むなど、まともな神経では土台不可能だ。同じサーヴァントだったとしても正気の行いではない。

 彼の異常さに、セイバー自身思うところはあった。ただただ他人の幸せと救済だけを追い求め、自己がすり減るのも厭わず戦う姿──かつての自分は、もしかするとあのように見えていたのかもしれない。サー・ケイが苦言を呈し、サー・トリスタンが去っていった理由が、ほんの少し見えた気がする。

 

「知っているかセイバー? 四度目の戦の最後、どういうカラクリかは知らぬが、聖杯の中身が街へ零れ落ちた。呪いは街を飲み込み、およそ五百の人間が焼き尽くされたという。

 ヤツはその生き残りだ。故にヤツは──生き残ってしまった贖罪として、()()()()()()()()()()()を救わねばならぬと思っているのさ」

 

「な──ッ」

 

 セイバーと衛宮士郎は同盟者であり、聖杯に取り込まれる前は彼の家に厄介になっていた。

 言葉を交わした機会は一度や二度ではない。彼の過去や内情について、断片的とはいえ聞き及んでいたセイバーだったが……その真実は、彼女の想像を超えていた。

 

「……待て、ギルガメッシュ。十年前ということは、シロウはほんの子供だったはず。その彼が、どうして責任を感じなければならないのですか」

 

「珍しく意見が合ったな、セイバー。然り、ヤツが負うべき罪過などない。十年前の小僧は、間が悪く巻き込まれただけだろうよ。

 だが、当人はそうは思わなかった。事もあろうに、ヤツは贖罪の手段として、他人の理想に縋ったのさ。正義の味方という愚かな妄想にな」

 

 その言葉で、ある人物を思い出した。

 かつてのマスターである衛宮切嗣。彼が見せた怒りは、嘆きは、紛れもなく一度は正義の味方を追い求めた男のものだった。衛宮士郎は、彼が諦めた理想を追い求めているというのだろうか?

 

「正義の味方? 誰も傷つかない世界だと? おかしなことを。誰も傷つかず幸福を保てる世界はない。人間が人間である以上、この世の根幹は変わらぬ。それを厭うのであれば、それこそ()()()()()()を変える必要があるだろうよ。

 ありもしない罪を抱え、他人の願望に縋り、贋作の刃を振るい、この世にないモノを求める──何から何まで、薄汚い偽物だ。ただの一つも本物などない。実におぞましい雑種だとは思わんか、セイバー」

 

「…………」

 

 嘲るギルガメッシュに、セイバーは同調できなかった。

 衛宮士郎の過去と、彼の歪んだ在り方。男の言う通り、確かに士郎は間違えているのかもしれない。しかし、どうしてもその姿に親近感を覚えてしまう。

 

 火災で人命が失われたことに責任を感じる士郎。戦乱で王国が滅びたことに責任を感じるセイバー。

 正義の味方という理想を追い求める士郎。理想の王たらんと日々を駆け抜けたセイバー。

 身が斬られようと抉られようと、他人の救済を求める士郎。呪詛で霊基が染められようと、故国救済に聖杯を求めるセイバー。

 

 彼の姿と自分の姿が随所で重なる。もしかしたら自分は、本来衛宮士郎のサーヴァントになるべきだったのかもしれない。

 だとするのなら──彼が目指すべきものは()()()()()()。聖杯を手に入れ、全てを失った過去を変える──そうでなければ、彼は救われない。そうしなければ、彼が行き着くのは自分と同じカムランの丘(血塗れの地獄)になってしまう。過去という世界そのものを変える奇跡が、士郎には必要だ。

 

「我はなセイバー、おまえを高く買っていた。おまえの理想は自ずから抱いたものであり、それ故におまえの在り方は輝かしかった。

 翻って、小僧はどうだ? まったく度し難い有様ではないか。マスターとしての義理立てがなければ、早々に見切りをつけていたぞ。我の庇護を賜るべきは、それに相応しき宝だけだからな」

 

 男はそう吐き捨てたが、ふとセイバーに疑問が過る。散々な言いようだが、ならば何故、この青年はここに立っているのか。

 サーヴァントの優れた視力は、ギルガメッシュが操る空中戦艦にマスターが同乗していたことも、彼がマスターの守りを重視してあれだけの防御宝具を展開していたことも見抜いていた。セイバーが全力で聖剣を叩き込んだところで、黄金の英霊は衛宮士郎を守り抜いたに違いない。

 それほど悪し様に罵るのであれば、これだけ肩入れしているのはおかしいし、そもそもこの英霊がサーヴァントとして付き合う理由もない。困惑を深めるセイバーに、ギルガメッシュは肩を竦めてみせた。

 

「だが、番狂わせとは起こるものよ。あの小僧は我の見込みを覆した。不死鳥が灰から生まれるように、偽物(ゴミ)から本物が生まれたのだ。

 ヤツはな、最初から聖杯なぞ求めてはおらん。ヤツは過去の軛から逃れ、自分の力の限界を悟り、なおその手で世界と戦う心算を決めた。ありもしない幻想ではなく、ありうるかもしれない未来に向けてな」

 

 今度こそ、アルトリアには理解できなかった。

 この英雄王が、満足げにマスターへの評を一転させたことも驚きなら──衛宮士郎の選択が、彼女にとっては想像の埒外だったのだ。

 何故、士郎は聖杯を求めない? 何故、士郎は同じ道を選ばない? 何故、士郎はこの男の評価を勝ち取った?

 ギルガメッシュの言葉は抽象的で、彼のマスターが具体的にどのような変化を遂げたのか、何を目指すことに決めたのかは分からない。だが、それでも……自分と重なっていたはずの道、一つしかないはずの道に、士郎が新たな選択肢を見出したことは疑いようもない。その背景を、それを認めた英雄王の思考を、セイバーは初めて知りたいと思った。

 

「我の目も、少々曇っていたらしい。見るに堪えぬとヤツを見切っていれば、化けた姿を愉しむこともできなかった。いかに我とて万に一つ程度は見誤りもするということだな。

 故に、喜べセイバー。一度光を忘れた程度で、我は貴様を()()()()()()()。かつての貴様は、この英雄王が認める輝きを宿していた──再び火が灯る確率で言えば、小僧などより遥かに高かろうよ」

 

「どういう意味だ、アーチャー。私を倒す気はないとでも言いたげだが、侮っているのか」

 

「それは貴様の選択次第だ、騎士王。

 ──知りたいのであろう? 衛宮士郎の選んだ道を。我が何故それを良しとしたかを」

 

 ギルガメッシュの言葉は、甘美な毒のようでもあった。

 口にしたつもりも、態度に出したつもりもない内心を言い当てられ、セイバーの目が微かに泳ぐ──それが何より雄弁に、答えを語ってしまっている。英雄王の言葉は、どのような宝具よりも浸透性の高い猛毒として、彼女の思考を蝕んでいた。

 おまえは間違っていると正面から否定され、その一方で、自分に近しい境遇の少年が選んだ道を肯定する。真っ向から切って捨てることも、自分が正しいと言い切ることもできず、耳を傾けてしまった時点でこの場の主導権は英雄王に移っていた。それはあるいは、名だたる英雄たちに否定され続けてきた彼女の、なら答えを示してみろという反発心でもあったのか。

 

「ならば挑んでくるがいい、セイバー。おまえの全てを、万象の王たる我に見せてみよ。

 道というのはな、元より全力で戦わねば拓けぬものだ。自らの道を押し通すにしろ、他の道を探し求めるにしろ、ここからは剣で以て語るがいい」

 

 パチン、と指が鳴る。王の背後に輝くのは、いずれ劣らぬ無双の軍勢。

 それを見てセイバーも、再度聖剣を構え直した。元よりこの英霊は自分の敵。武で以て挑まねば、いかなる結論も見出だせまい──男の口を割らせたいのなら、聖杯を手に取るのなら、どの道ギルガメッシュを倒す他はない。

 

「──承知した。ならば我が剣に斃れようと異存はないな、英雄王!」

 

 君臨する無限の剣と、蹂躙する無双の剣。二人の王者が、十年という時を経て再びぶつかり合った。


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