【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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1/4(月)にもお話を投稿しておりますので、未読の方はそちらからお読みください。


31.遺産の価値

 ──そうして、最後の夢を見る。

 

 雨が降っていた。

 荒れ果てた、草木の生えぬ石塊の大地。その物寂しい場所で、男が膝を突いている。

 よく注視せねばそれと分からなかっただろう。黄金の髪に鍛え上げられた肉体、下半身を覆う黄金の鎧──その特徴は確かに古代都市の頂点に座す王のもの。しかし、彼が常に纏う超然たる王気……他を圧し頭を垂れさせる、人も神も世界すらも尽く凌駕する王者の覇気は、ほんの僅かにさえ伺い知ることができなかった。

 常に傲然と立っていた王は、力なく大地に座り込み、その両腕に何かを抱えている。見る影もなくやせ衰えたそれが、王と覇を競った緑の髪の人形であると、(にわか)には信じがたい。自由奔放に地を馳せていた人形は、深刻な病にでも罹患したように、生気の感じられぬ姿だった。

 熱にでも浮かされているのか、虚ろな瞳からはまるで力が感じられない。それでもその眼差しは、彼を見下ろす王に向けられていて──雨ではない透明な液体が、その頬に一滴ほろりと溢れ落ちた。

 

「悲しむ必要はありません。僕は兵器だ。君にとって数ある財宝の一つにすぎない。この先、僕を上回る宝はいくらでも現れる。

 だから──君が頬を濡らすほどの理由も価値も、僕にはとうにないのです」

 

 黄金の王の顔は見えない。しかし、痛切なまでに震える肩を見れば、人形の言葉を聞かずとも彼の表情を知ることはできた。

 傲慢で余裕綽々で、笑うか怒るかという感情しか見せなかった絶対王者。それが深い哀切に包まれ、絶望に膝を屈しているなど、誰が想像できたろうか。

 おそらくは人形にとっても、王の姿は胸に刺さるものがあったのだろう。喉から絞り出すような声で、自分のためにそのような顔を見せる必要はないと訴える緑髪の人形だったが、王は激しく頭を振って否定する。

 

「価値はある。唯一の価値はあるのだ。

 我はここに宣言する。この世において、我の友はただひとり。ならばこそ──その価値は未来永劫、変わりはしない」

 

 あらゆる財宝を手中に収め、あらゆる存在の頂点に立つ孤高の王。その彼が、どの財宝とも比にならぬ『友』のことを明言する──その重みがどれほどのものか、目を見開いた人形が雄弁に物語っていた。

 瞬間、人形に浮かんだ表情は、幾つもの感情が入り乱れたものだった。喜び、高揚、驚き、苦しみ、悲しみ……。そうして最後に残ったものは、やるせない慟哭。何よりも友誼に厚く、何よりも朋友を想うからこその、深すぎる悔恨だった。

 

「この僕の亡き後に、誰が君を理解するのだ? 誰が君と共に歩むのだ?

 朋友(とも)よ……これより始まる君の孤独を偲べば、僕は泣かずにはいられない……」

 

 今や泣いているのは、王ではなく人形の方。最初は剣を交え、その後は歩みを共にし、苦楽を分かち合った二人の絆は余人には計り知れない。間近に迫った死期よりも、絆を結んだ友に孤独という鎖をかけてしまうことをこそ、人形は嘆いているようだった。

 それが、最後の力だったのか。人形の手がふらりと垂れ下がり、瞳から光が消えていく。その最期に漏れた懺悔の声を、果たして慟哭する王は聞き届けていただろうか。

 

「──ああ。なんて、罪深い」

 

 僕は君に、消えない瑕をつけてしまったんだね──。

 

 ……そうして、エルキドゥという名の英雄は息を引き取った。後に残されたのは、かつての輝きが嘘のような、崩れ果てた石塊だけだった。

 土より作られた兵器は土へ返り、残されたのはただ独り。掌に残る友の残滓を握りしめ、長い、とても長い間……王はその場に座り込んでいた。滂沱と流れる雨が肩を打つのも、轟雷が近くに落ちるのも構わず、薄暗い空の下、男はただ何かを噛みしめるように独りその場に留まり続けた。

 やがて雨が小降りになった時、男はようやく立ち上がる。乱れた髪のせいで、彼の目元は伺えない。だが、頬を流れる雨ではない雫と、固く結ばれた口元……そして、天を見上げるその姿は、何某かの決意を伺わせた。

 

 ──それからの道筋は、王が今までに築き上げた冒険譚の数々と比して尚、苦難に満ちたものだった。

 

 統治者として君臨していた街に戻ると、最低限の引き継ぎ処理だけを済ませた彼は、側近の女性が止めるのも聞かず独りで荒野に踏み出した。まるで、何かを振り払おうとしているかのように。

 共に笑い合い、どのような窮地でも支え合い、競い合って切り抜けてきた相棒はもういない。襲い来るあらゆる困難を、彼は独りで切り払っていった。そこにかつての愉しみはなく、王の表情に余裕はない。焦燥に突き動かされるようにして、男は人知を超えた魔境を歩き続けていく。

 野盗崩れから魔獣の群れまで、数多の敵が立ちはだかった。極寒の大地から獄炎の火山まで、幾多の環境が彼を阻んだ。……その尽くを、余裕も愉しみもないまま、彼は斬り伏せていった。

 

 彼を突き動かしているのは、信じがたいことに、死に対する恐怖だった。最強の神獣でさえ討滅し、贅と財を貪り尽くした絶対の王だというのに──彼に比肩する力を持った親友は、死という呪いの前に敗れ去った。そんな友を助けることさえ、男にはできなかった。同じ立場になった時、自分も為す術なく死に膝を屈するのか? 森羅万象を裁定する王が、死に際しては無力だというのか? そのような末路は認められぬという怒りと恐れが、彼の歩みを止めさせない。

 この世のどこかにあるという、不老不死の秘密。霞のような伝説を求めて、男は何年も荒野を彷徨った。そうしてある時、ついに耳にする……ある賢者が、不死に至る秘宝を持っていると。

 

 更に幾年もの冒険の末、何度となく死の危険に直面しながらも、遂に男は伝説の賢者と邂逅した。陸を渡り海を超えた秘境──この世ならざる冥界で賢者と語った彼は、とうとう永遠の命に繋がる霊草を手に入れた。遠い遠い道のりの果て、男は掴んだ勝利に酔う──これでようやく、友すら敗れた死という難敵を上回ったのだと。

 かつて君臨した都市へ、凱歌と共に戻ろうとする男だったが、道中ふと自分の姿に気づく。常人では一度だろうと耐えられぬ苦難を数限りなく切り抜け、一つでさえ伝説になる冒険を数え切れぬほど繰り広げた彼の姿は、王であるとは誰も信じぬであろうほど荒んだ状態だった。これはいかんと、彼は泉で身を清めることにする。

 積もり積もった汚れと疲れを清水で洗い流す彼は、友を喪って以降一度も浮かべることがなかった笑みを浮かべていた。恐ろしいほどの執念を以て、ついに死を乗り越える術を手にした英雄。神も呪いも恐るるに足らずと、彼は溢れんばかりの悦びに打ち震えていた。

 そうして身を清めたところで、笑いながら荷を置いた木陰に戻る男。しかし、荷を検めた途端、その表情が凍りつく。筆舌に尽くしがたいほどの日々を越えて手に入れた、勝利の証である不老不死の霊草──ほんの一時目を離した隙に、地上のどの財より貴重なそれが。こともあろうに、そこらの蛇に貪り食われてしまっていたのだ。

 

「────ク」

 

 数瞬、色を失っていた男。ややしばらくして我に返った時、彼を襲ったのは絶望でも激怒でもなく──途方もない笑いの衝動だった。

 

「フ──ク、ふははは、ふははははは、はーっはっはっはっは!!!!!」

 

 それは、何に対する笑いだったのか。苦笑でも嘲笑でも哄笑でもなく、その全てでもあるような高らかな笑い。何十年と追い求めた秘宝が一瞬で零れ落ちるという末路に、この男は何を見出したのか──紅蓮の瞳は絶望どころか、新たなる希望を浮かべて遥かな空を見上げていた。

 友を喪って以来、何十年にも亘って男に積み重なっていた、死という滅びへの恐れや焦り。不滅へ至る術が消え失せたというのに、男からはこの時負の感情が完全に払拭されていた。輝ける英雄王が、再び地上に君臨した瞬間だった。

 ひとしきり高笑いをすると、王はその身一つのまま、颯爽と街へと戻っていく。彼の冒険は終わり、手に入れたはずの宝は失われた。しかし──彼自身の手には確かに、得られたものがあったのだ。

 そうして、男の旅路は終わる。彼が冥界を旅する間にすっかり荒廃していた城塞都市を再興し、伝説の宝物庫を完成させ、王は長い眠りにつく。その偉業を称えた民衆は、一つの物語を書き記した。

 

 それこそが──一人の英雄の、世界最古の英雄譚。旧き叙事詩に描かれた、ギルガメッシュという男の歩みだった。

 

 

***

 

 

 ──遠い夢を、見ていたようだ。

 

 目が覚めると、横になっていた居間に夕日の欠片が入り込んでいた。万一に備えて部屋ではなく、すぐに動ける居間で仮眠を取っていたのだが、ぐっすり眠れたということは悪い出来事は起こらなかったのだろう。

 起き上がって伸びをすると、思いのほか体が軽いことに驚く。この聖杯戦争が始まって以降、度重なる激戦や傷のせいか、体に残り続けていた疲労感や倦怠感……そういったものが綺麗さっぱり消え去り、気分まで不思議と清々しい。神代の霊薬は、途方も無い効き目だった。

 念のため各部位のチェックを兼ねて軽くストレッチをしてみるが、打ち身も切り傷も骨折も、どこもかしこも完全に治っている。そればかりか、この数年感じたことがないほど体のキレがいい。これならば、万全の状態で最後の戦いに臨めそうだ。

 

「……雑種よ、何をしている? 我の知らぬ異教の(まじな)いか?」

 

 そうして体をほぐしていると、どこからともなくギルガメッシュが現れた。ちょうど屈伸をしている最中だったせいか、怪訝な目を向けられてしまう。

 

「ただのストレッチだよ。薬のおかげで体は治ったみたいだけど、一応傷が残ってないか確かめなきゃいけないからな。

 そういうあんたは何やってたんだ? 俺が休んでる間、ヒマだっただろ」

 

「そうでもない。散策がてら、少しばかり街を偵察してきてやったところだ。およそサーヴァントの気配が見当たらぬあたり、我の読み通り、敵はどこぞの拠点に潜んでいるらしい」

 

 何気なく口にするアーチャーだったが、その言葉の意味するところに、顔からさっと血の気が引く。この男が街に出ていたということは、つまりその間、この家は寝ている俺と遠坂しかいない無防備な状態だったってことか──?

 青ざめた俺に、ふんと鼻を鳴らすギルガメッシュ。見てみろ、と首の動きで示してくるサーヴァントに疑問を覚えつつ、台所の窓から外を覗いてみると……そこに、ふよふよと小型のUFOのような円盤が浮かんでいた。え、一体なんだこれ。

 

自動防御宝具(オートディフェンサー)だ。我が不在の折、敵の奇襲を甘受したとなれば、力を貸すと口にした我の沽券に関わる。ありがたく思うがいい」

 

 よく見れば、宙を漂う謎のUFOは、バチバチと小さな紫電を放っていた。敵対者や攻撃に対して、あの雷で迎撃を行うのだろうか。家主の知らない間に、この家は要塞化されてしまっていたらしい。

 この男のことだし、自分がいない間は貴様たちでどうにかしろとでも言い出すものだと思っていたが、先の霊薬といいこの宝具といい、どうにも大判振る舞いしてくれているように感じる。この英霊に限って単なる善意であるとは考えられないし、いったいどういう魂胆なのだろうか。

 

「そんな宝具まで持ってるのか……なんにせよ、助かった。寝てる間に襲われたらひとたまりもなかったからな。

 それで、サーヴァントが街にいないって本当か?」

 

「アサシンは既に消え、セイバーとアーチャーに気配遮断の技能はない。我の目と偵察宝具を潜り抜けて街に潜むことなど能わぬ。となれば、何処かに籠っているのだろうが──敵の目的を考えれば、(ねぐら)を絞り込むこともできよう」

 

 あとは自分で考えろ、とばかりに顎をしゃくってみせるギルガメッシュ。やっと寝起きから通常運転に移り始めた脳みそを動かし、状況を整理していくことにする。

 俺の目的は、桜とイリヤを取り戻し、この腐った聖杯戦争を破壊すること。一方臓硯と言峰は、聖杯戦争の完遂を目論んでいる。

 遠坂やイリヤから聞いた話によると、聖杯戦争は単純に全てのサーヴァントを打倒するだけでは成立しない。最終段階においては、然るべき霊地で聖杯の器を用いる必要がある。前回の聖杯戦争では、あの公園が霊地として選ばれたらしい。

 となると、敵はその場所を押さえておかなければ勝利条件を満たせない。是が非でも俺は二人を取り戻しに行くと分かっているなら、先に霊地を押さえた上で待ち構えておくのが常道。冬木の霊地とやらが一体どこにあるのか、へっぽこ魔術師の俺にはさっぱり分からないが、ある程度の見込みはつく。

 霊地というのは、大地に流れる霊脈の位置関係などが理由で魔力が溜まりやすい土地のことだ。何らかの魔術的儀式を行うなら、このアドバンテージを活かさない理由がない。つまり、この地に住まう魔術師の住居は間違いなく霊地と言えるだろう。

 その中でも、街にいないという条件から遠坂邸と間桐邸は除外。市民公園も違う。となると残る場所は、郊外のアインツベルン城かもしくは──魔術師(キャスター)が拠点としていた柳洞寺。このうち、敵の迎撃に適している場所は。

 

「──柳洞寺。言峰たちがいるのは、そこじゃないのか?」

 

「ほう。貴様も頭が回るようになってきたではないか」

 

 この男が人を褒めるとは珍しい……いや、褒めているかというと微妙な言い回しだが。それはさておき、ギルガメッシュが否定しないということは、俺の推測も捨てたものではなかったようだ。

 

「この国の寺社仏閣というのは、おおよそそのような地に建立されるものだが……あの寺は中でも指折りの霊地よ。なにせあの寺の下には、大聖杯そのものが埋まっている」

 

「柳洞寺にか!? いや、でも、一成からそんな話は聞いたことも……」

 

 この聖杯戦争の根幹を成す大聖杯。英霊の魂を集める聖杯の器、小聖杯と称されるものと違って、何百年と稼働するそちらは純粋なハードウェアのはずだ。どこに置かれているという話は聞いたことがなかったが、魔術的なシステムである以上は、最高の霊地に設置するのは理に適っている。

 しかし、柳洞寺は数十人からの僧職関係者が詰める大きな寺だ。葬祭や参拝のために一般人も数多く訪れるし、そんな場所にどうやって大聖杯などという嵩張りそうなものを隠しておけるのか。

 

「我も実際に足を運んだわけではないが、あの寺の地下には洞穴があるらしい。衆目に晒されぬよう隠蔽された上で、その中に大聖杯は安置されている。

 人の目につかぬ隠れ場所、霊地という地理的条件──この儀式の終幕を飾るに、これほど適した場所もあるまい」

 

 地下の洞穴? 柳洞寺には一成がいる関係でちょこちょこ足を運んでいたが、そんなものは見た記憶がない。

 ということは、逆に信憑性が出てくる。その洞窟にはアーチャーの言う通り、一般人や俺のような木っ端魔術師では気づくことさえできないような高度な隠蔽が施されているのだろう。今にして思えば、キャスターが柳洞寺を拠点にしていたのは、魔術師に利する霊地であると同時にこうした背景まで掴んでいたからなのかもしれない。

 

「キャスターが陣を敷いていた場所だ。本格的な工房を築くには至るまいが、魔術師どももそれなりの守りは固めていよう。

 さて、じき夜になる。戦端が開かれるまでは近い。雑種よ、門を崩すに至る槌は持っているか?」

 

「……心当たりがないわけじゃない」

 

 破城槌の代わりになるもの、敵陣に攻め込むための武器。俺が使えそうなものといえば、中途半端な投影魔術ぐらいだが、以前にセイバーから聞いた話と、仮眠を取る前にギルガメッシュから聞いた話。それらを踏まえると、浮かび上がってくるものがある。

 親父──衛宮切嗣は、手練れの暗殺者だった。それも、魔術師を現代の軍用火器で殺傷するという、魔術世界から見れば異端にも程があるやり口を用いる『魔術師殺し(メイガス・マーダー)』。

 諸々の時期から逆算すると、切嗣は第四次聖杯戦争の最中にはこの家を手に入れていたはず。そして俺を大火災から救い出し、養子として引き取るまではそう期間は開いていない。つまり……第四次聖杯戦争の際、切嗣が用いていた武器。この家のどこかに、それが眠っている可能性がある。

 もちろん、俺の知らない間に処分されているかもしれないが……どうにもだらしなかった親父の性格から考えると、分の悪い賭けではないはずだ。ただ、掃除や手入れでこの家のほとんどを見て回っている俺に、そんな怪しいものを見かけた覚えがまるでないという問題が残る。

 

「現世の銃火器か。言峰は多少の知識を持っているようだが、臓硯とやらは五百年を生きる妖虫。まず現代戦の知識を持ってはいまい。素人の貴様に多くは求めぬが、意表を突く一手にはなるやもしれん」

 

 俺の話を聞いて、ふむ、と顎に手を当てるギルガメッシュ。

 警察や自衛隊ではあるまいし、俺は銃の訓練なんか受けていない。切嗣の武器があったところで、ないよりはマシというぐらいだろう。

 それでも、今は一手でも多くの切り札が必要だ。圧倒的な戦力を揃え、万全の布陣で待ち構え、桜とイリヤという人質まで握っている敵勢力。あらゆる手立てを考え尽くしていかないと、勝機は見いだせない。

 

「こっちの手札は多いに越したことはないからな。あんたの宝具に頼りっぱなしってのも格好がつかないし、そこを崩されると昨日の戦いみたいになっちまう」

 

「ふん? 殊勝な心がけではないか、小僧。我の手を煩わせぬよう、精々励め。

 しかし、肝心の現物がないのでは話にならぬな。この家に住まう貴様が知らぬと言う以上、我が探し出せる道理もなかろうが──」

 

「だよなあ……」

 

 絵に描いた餅か、とため息を吐くと、どこからか冷たい風が吹き込んできた。南西側が派手に壊されているせいか、そこから冬の風が侵入してきたのだろう。

 壊れた理由を藤ねえにどう言い訳するか、業者に修理を頼もうにもどう予算を捻出するか、改めて考えるとひどく頭が痛くなってくるが…………待てよ。

 

「……修理?」

 

 ふと何かが引っかかる。

 俺がまだ小さかった頃、切嗣が生きていた頃に一度業者を呼んで工事を行ったことがあるはずだ。土蔵が老朽化しているから、その補修工事をするとかなんとか。

 工事用の機械が音を立てて動くのが楽しかった俺は、ちょろちょろと現場にくっついて回っていた。それは確か、切嗣が業者と一緒に土蔵に入っていて暇だったからで……今にして思えば、作業の途中でそんなに立ち会う必要はあっただろうか。あの時既に、切嗣はかなり体調を崩していたはずだ。

 俺は工事の専門家ではないから、ひょっとしたら家主が付きっきりで立ち会う必要のある何かがあったのかもしれない。だが、仮にそうではないとすれば? 魔術的な暗示なり賄賂なりで、工事のついでに何かを隠させていたのだとすれば……?

 

「ちょっと土蔵を見てくる。もしかしたら、もしかするかもしれない」

 

「なんだ、宝探しでも始める気になったか? 享楽がてら、付き合ってやろうではないか」

 

 思いの外前向きなギルガメッシュ。少し驚いたが……夢で見た記憶の中で、この英雄は冒険を繰り広げた末に様々な宝を手に入れていた。根本的に、そういう宝探しが好きな性質なのかもしれない。

 なんにせよ、尋常ならざる眼を持つ英雄王がセコンドになってくれるなら心強い。防寒着を纏い、ダメ元で土蔵に向かってみることにする。

 ……といっても、土蔵は藤ねえが持ち込んだ謎のグッズやら、投影魔術に失敗したハリボテやら、そこらじゅうよくわからないガラクタだらけだ。毎日のように入り浸っていた俺でも、正直何がどこに転がっているか分かったものじゃない。記憶を遡る限りでは、銃火器のような危険物はさすがになかったはずだが、これを探すのは骨が折れそうだ。

 

「まったく、何度見ても貧しい蔵よ。ガラクタと贋作ばかりではないか」

 

 土蔵に入るや否や、つまらなそうな嘆息が聞こえてくる。蔵自体は年季が入っているというのに、中身については言い返しようがないのが悲しい限りだ。

 後ろで突っ立っているサーヴァントは手伝ってくれる気配がないので、積み上がったあれやこれやを崩していく作業に取り掛かる。壊れたストーブ、画面の割れたテレビ、藤ねえがどこからか持ってきた怪しい人形……これ、一度まとめて廃品回収業者にでも頼んだほうがいいんじゃなかろうか。

 

「親父の武器なんか、ほんとにこんなとこにあるのか……?」

 

 脚が二本しかない椅子やらハンガーの束やらを引っ張り出していると、自分の仮説が疑わしくなってきた。このガラクタの中で武器になりそうなものなど、せいぜい鉄パイプがいいところだろう。年末にここも大掃除しておけば、もう少しはマシなものが見つかったかもしれないが……。

 と、溜息を吐きながら物を整理していた時だった。

 

「む、下がれ雑種」

 

「へ……?」

 

 突然の警告に、並べていた古タイヤから目線を上げる。すると正面から、不安定になっていた戸棚が倒れてくるのが見えて──。

 

「うおっ!?」

 

 間一髪。後ろに飛び退いた瞬間、倒れた戸棚が古タイヤに激突し、どしーんと派手な音を立てた。ガラスがなかったから破片が四散する心配はないが、それでも肝を冷やした。

 危なかった……聖杯戦争の決戦が控えているというのに、ガラクタ漁りをしていたら怪我をしましたなど、冗談にもならない。冷や汗を拭いつつ、戸棚をずるずると引きずって安全な場所に移動させる。

 いよいよもって大掃除めいてきたが、この一大オブジェクトを除けたことで少しは終わりが見えたかもしれない。戸棚の後ろにあるのは壁だけで、後は散らかった小物をまとめれば大方の物品はチェック完了。残念なことに、やはり武器や役に立ちそうなものは見つからなさそうだ。

 

「結局、ただの整頓で時間を無駄にしただけか……」

 

「──いや。そうとは限らんぞ」

 

 後ろで欠伸をしていたギルガメッシュが、戸棚の裏から現れた空間を示してみせる。その目線を追ってみるも、ただの壁しか見当たらないが……?

 

「壁ではない、床だ。あの一帯だけ色が新しいではないか。そこだけ()()()()()()()()()()かのようにな」

 

 ちょうど戸棚が乗っていたあたりの部分。サーヴァントの言うとおり、よく見ると確かにそこだけ色がやや白い。他の部分とは違う塗料で、正方形に染められている。

 以前業者が入っていた時の工事は、確か壁の補強が目的だったはずだ。にも関わらず、色の違うエリアは壁からやや離れた部分にある。ガラクタと棚の下敷きになっていたせいで今の今まで気づかなかったが、こうして見ると明らかに違和感を覚える。

 切嗣の遺産が眠っているかも、というのは我ながら投機的な思いつきだったが、ここに来てそれが現実味を帯び始めてきた。単に工事の際に必要があって手を加えただけ、というオチの可能性も高いだろうが、何かあるのではないかと勘が囁いている。後で補修材を買ってくればいいし、とりあえず掘り返してみようか。

 

「確か、ツルハシがこのへんに落ちてたよな」

 

 ガラクタだらけの我が屋の土蔵だが、探すと大体の工具が落ちているというのが良いところだ。さっそく発掘したツルハシを拾い上げ、色の違う床に叩きつける!

 

 ──バキィッ!

 

「なんだ? 思ったより柔らかい……」

 

 金属が床を抉った刹那、手応えとともに、あっさり大きなヒビが入ってしまう。コンクリートにしてはやけに柔らかいし、ぶつけた際の反動も少ない。

 首を傾げつつも、餅つきのようなスイングでツルハシを振るい、次々に亀裂を広げていく。重労働を予想していたが、思ったより床が柔らかいせいで、あっという間に色の違う一帯はボロボロになってしまった。砕けた床の破片を押し退けると、中から現れたのは──。

 

「……嘘だろ」

 

 傍目にも頑丈そうな茶色のスーツケースに、よく楽器が入っているような横に長いケース。まさか本当にこんなものが埋まっていたとは、さすがに唖然としてしまう。この宝探しを思いつかなかったら、おそらくこのケースは永遠に見つからないままだったろう。

 ずっしりと重いそれを、埋まっていた地下から引き上げるのはそれだけでかなりの汗をかいた。背後から感じる面白げな目線に晒されながら、ゆっくりと留め金を外していくと。

 

「こいつは──」

 

 今度こそ、俺は言葉を失った。

 ケースの中に入っていたのは──この国では明らかに法律違反の、黒光りする金属の数々。映画の中でしか見たことがない無数のそれは……紛れもなく、銃と呼ばれるモノだった。

 俺だって一応男子なわけで、かっこいい銃に憧れた時代はあるし、慎二と一緒にシューティングゲームに興じていたこともある。クラスにはミリオタの同級生だっているし、そういう映画や雑誌を見たことだってある。しかし、いざ本物を目にしてしまうと、ただただ圧倒されるだけだ。

 それぞれに時代や誇り、信念や美麗さが感じられた、歴史ある宝具たち。武器というカテゴリーにおいて同じはずだが、それらとこの銃器はまるで異なっている。神秘の体現が宝具であるなら、この銃たちは人殺しという一点に特化した技術の究極だ。

 

 狙撃銃──ワルサーWA2000。

 突撃銃──ステアーAUG。

 短機関銃──キャリコM950。

 自動拳銃──グロック17。

 破片手榴弾──M67。

 

 この他名称のわからない銃や弾丸、軍用ナイフ、対人地雷(M18クレイモア)軍用爆薬(C4)、予備弾倉、防弾チョッキ……個人で戦争でも起こせるのではないかという量の武器弾薬に、驚愕を通り越して恐ろしさを感じてしまう。切嗣が暗殺者だったという過去は、もはや疑いようもない。

 

「ハッ──これはまた随分と豪勢な宝を掘り当てたな、雑種。侘しい蔵にも、一つぐらいは見どころがあったというワケだ」

 

 横からひょいと覗き込んだギルガメッシュが、そう愉快そうに言い放つ。半ば愕然として武器を眺めていた俺だったが、第三者の声が聞こえたことで、ようやく眼前の現実に意識が追いついてきた。

 

「本当にこんなのが見つかるなんて……。でも俺、今更だけど銃なんか使ったことないぞ……?」

 

「たわけ。使ったことのない贋作を生み出す貴様が何を言う」

 

 俺のぼやきに返ってきたのは嘲笑だった。言われてみれば、まあ確かにそのとおりである。

 アーチャーの双剣も、あの男の干将・莫耶も、当然ながら俺は過去に一度だって使ったことはなかった。にも関わらず俺が武器を使えたのは、長年使われた宝具に宿る、担い手の技術や経験ごと投影していたからだ。

 刀剣宝具とは違い、構造要素が複雑すぎる銃火器の投影はできない。しかし、構造そのものの情報を読み取ること、宿る想念を投影することであれば──あるいは、手が届くのではないか。

 ケースの中から短機関銃(キャリコ)を引き出すと、ちょうど大きなペットボトルぐらいの重量がずしんと馴染む。かつてこれを手にした切嗣は、どのような想いで戦っていたのか、思いを馳せつつ──。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 魔術回路を起動する。普段であれば、基本骨子や構成材質を解明していくのが解析の手順だが──ここに、実戦で散々使った投影魔術のプロセスを加える。

 切嗣には、何もかもを読み取れるのは無駄な才能だと呆れられたが、今はそれが必要だ。武器の構造を読み取るだけでなく、そこに宿る担い手の経験を解析。黄金の双剣を投影した際に、ギルガメッシュの記憶ごと再現した感触の応用だ。

 今まで何度もやってきたことを、ただ組み合わせるだけ。担い手の記憶ごと武器を投影可能というなら、そもそもその記憶を解析できていなければおかしい。たとえ銃を投影することが能わずとも、情報に焦点を当てる程度、できない道理がない……!

 

全工程(トレース)完了(オフ)!」

 

 手応えと同時に、銃把横のレバーを操作し、銃身上部にある円筒状の弾倉(ヘリカルマガジン)を着脱。ケースの中にある予備弾倉を掴み、即座に弾倉交換しつつ、照門と照星を重ね合わせて狙いを定める。

 ……なるほど。切嗣はこうやって、この銃を使っていたのだろう。本人には遠く及ばないだろうが、その経験を模倣することには成功──こんなわけのわからない形をした銃、経験を読み取れていなければ初見でスムーズなリロードなどできるはずがない。最低限、これなら使うことぐらいはできそうだ。

 同じように自動拳銃(グロック)も手に取り、手首の動きだけで弾倉の着脱、リロードを実施。問題は、ここで試し撃ちをするわけにもいかないため、反動や威力がよくわからないことだが……元々、不意をつければいいぐらいに思っていた武器だ。実際に使えそうだというだけでも、特大の収穫に違いない。

 

「……ん? なにか落ちたようだぞ」

 

 警察の押収現場よろしく、取り出した銃器を並べていると、背後からそう告げる声が。ギルガメッシュが指差す先に顔を上げると、武器ケースから白い紙状のものがこぼれ落ちたところだった。これはもしや、手紙だろうか?

 防腐処理でも施されていたのか、まるで古びた様子もなく綺麗なままの手紙。封の横には、「士郎へ」と書かれていて……もしかして、これは切嗣の字か。

 

『士郎へ。

 この手紙を読んでいる頃には、僕はもうこの世にいないだろう。そして、君がこの手紙を読んでいるということは、とうとうこれが必要になる時が来たんだろう。

 きっと君は、たくさんの武器を見て驚いていると思う。君に話したことはなかったが、僕は昔、傭兵のような仕事をやっていた。これは、その時に僕が使っていた武器だ。

 もし君が必要ないというなら、これは処分してしまっても構わない。処分方法は別の紙に書いておいたし、そうでなければまた埋めてしまっても構わない。

 だけど。もし君が力を求めていて、そのために武器が必要だというなら。その時は、これを使うといい。君には、間違ったことのために力を用いない分別があるはずだ。

 ただ、一つだけ約束してほしい。君には僕のように、あてのない理想のために戦場を彷徨って欲しくはない。この力を使うのは、大切な誰かを守るためであって欲しい。武器を取る覚悟があるならば、それだけは決して忘れないでくれ。

 この手紙が、君に読まれる日が来ないことを祈って。

 ──衛宮切嗣』

 

 手紙の後ろには何枚か別紙がついており、武器の処分方法や使い方が手書きで記されていた。それが紛れもなく親父の直筆であることに、どうにも感傷的な気分になってしまう。

 切嗣は、どんな想いでこの武器を手にしたのだろう。何を思って暗殺者という道を選び、何を願って聖杯戦争に挑んだのだろう。

 正義の味方に憧れていたと口にした切嗣。しかし、親父は正義からは程遠い、血塗られた魔術師殺しの道を歩んだ。そうして第四次聖杯戦争で、決定的な何かを失い……娘であろうイリヤとの再会も叶わないまま、命を落としてしまった。

 一つだけ、分かることがある。切嗣は、きっと本当は……それでも、正義の味方になりたかったのだ。他の何を措いてでも、人を助けたかったから……けれど切嗣は、その道を歩む過程で多くのものを喪ってきた。切嗣が自身の家族の話を何も語らなかったことがその証左で、この手紙からも後悔が読み取れる。最後にはきっと、抱いた夢さえ見えなくなったに違いない。

 だから。

 

「──わかった。約束するよ、切嗣」

 

 大切な誰かを守るため──俺が目指す正義の味方は、きっとその先にある。それが分からなかったから、エミヤシロウという英霊は何もかもに裏切られたのだろう。

 桜とイリヤを取り戻し、遠坂の敵を討つために、この銃を取る。彼女たちのような、魔術による理不尽な犠牲者を産まないために、魔術師という敵と戦う。かつての惨劇を繰り返さないために、いつもの日常を守るために、この力を振るう。

 『魔術師殺し』。俺が向かおうとしているものは、奇しくもかつての切嗣に近い在り方だ。けれど、その本質はおそらく違う。俺は切嗣の夢を引き継ぎながら、これ以上何も失わないため、失わせないため──理不尽な悲劇が許せないから、戦うのだ。

 

「これ、借りてくぞ」

 

 服の上に防弾チョッキを纏い、ベルトとホルスターを装着。銃の記憶に導かれるまま、各所に設けられたハードポイントやホルスターに銃と予備弾倉をはめ込んでいく。銃に染み付くほどに記憶が残っているということは、切嗣はきっとこの動作を血が滲むほど繰り返したのだろう。

 狙撃に関する専門知識を持たない俺では、狙撃銃は使えない。そこそこ鍛えているとはいえ、軍事訓練を積んだわけではない俺は突撃銃を制御できない。だから、こいつらは置いていく。持っていくのは俺でも使えそうな武器と──切嗣の書き置きに記されていた、とある「切り札」。

 各種の武器を全身に装備し、最後に俺の身長からはやや丈の長いコートを纏うと、格好だけは兵士らしいものができあがった。さすがに重いので、一部の弾倉や投影で代用できる刀剣類は置いていくが、それでも数キロの重量が体に加わっている。切嗣から受け継いだ重み、果たして今の俺にどれだけ使えるか。

 

「爺さんの夢は、俺が──」

 

 最後に手にしたのは、やけに銃身の長い、見慣れない形の一挺。「競技者(コンテンダー)」という名の拳銃は、不思議と手に馴染む形をしていた──。

 

 

***

 

 

 陽は山に沈み、最後の夜がやってくる。

 切嗣の遺した装備一式を居間に運び込んで確認や点検を済ませ、ありあわせのもので夕食を作っていると、あっという間に時間が過ぎていく。気づけば時刻は午後九時を回り、深夜帯に差し掛かり始めていた。

 ギルガメッシュの偵察のおかげで、街中にサーヴァントの姿がないことは判明している。決戦の舞台は柳洞寺と見たが、ここががら空きだったとすれば、俺たちが大聖杯そのものを破壊してゲームセットになってしまう以上他の場所は考えられない。

 柳洞寺に侵攻するのは真夜中。街から離れた山中とはいえ、人目につくリスクは可能な限り避けたい。かといって、これ以上引き伸ばすと桜の安全が保証できないから、ここがギリギリのラインだ。

 何度も遊びに行き、一度はキャスターたちと戦った場所だ。道順も地形も頭に入っている。霊薬のおかげで魔力も体調も万全、投影宝具以外の武器も手に入れた。準備は全て整い、後は機を待つだけなのだが──この一戦に桜やイリヤの命、事によってはもっと大きな範囲の人命がかかってくると考えると、緊張が拭えない。

 

「肩に力が入りすぎているぞ、雑種。そう気負わずとも、楽に構えておくがいい」

 

 俺の様子とは正反対に、ギルガメッシュは呑気にくつろぎながらみかんを剥いている。こっちは正直夕飯の味も怪しいところがあったのに、一体どういう肝の太さをしているのだろう。

 

「楽にって……そんなことできるもんか。『この世全ての悪(アンリ・マユ)』を倒せなかったら、どれだけの人が犠牲になるか」

 

「なに、逆に考えてみよ。ここで膝を屈すれば、貴様を責める者なぞ誰もいなくなる。失敗したとして誰に後ろ指を指されることもない、気楽な戦であろうよ」

 

 あまりの言葉に、開いた口が固まった。

 人類全てを呪い殺すという特大の呪詛、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』。それが聖杯から解き放たれた場合、最悪日本どころか世界そのものを巻き込む大惨事になる。そりゃあ、人間全てが死んでしまえば文句を言う人だっていなくなるだろうが、それが気楽って……何をどうしたら、ここまで堂々と構えていられるのか。

 

「……なあ、一つ聞いていいか。ギルガメッシュ、あんたはいったい何のために戦うんだ」

 

「うん? 何を妙なことを。言ったであろう、我は貴様の苦楽に付き合い、その顛末を愉しむのみ。我にとってはこれも娯楽の一つ、愉悦を味わう糧に過ぎん」

 

「それは聞いたよ。そうじゃなくて……俺が聞きたいのは、ギルガメッシュという英霊にとって、『人間』とは何なんだろうってことだ。

 人間を愉しみだって言いながら、あんたは人類が滅ぶかもしれないっていうのに大して気にしてないみたいだし、俺に付き合うっていっても、俺なんかそんなに面白い奴だとは思えない。

 あんたと一緒に戦うのは、これが最後になるかもしれない。その前に──マスターとして、サーヴァントの戦う理由ぐらいは知っておきたいんだ」

 

 そうだ。これが、ずっと引っかかっていた。

 最初に召喚された時から一貫して、ギルガメッシュは衛宮士郎という人間を鑑賞して愉しむと言っていた。俺のサーヴァントとして力を貸すのはそのためで、勝利も敗北も俺に帰着するものであり、自分にとっては他人事なのだと。

 人間観察が趣味、というのはまあ理解できなくもない。そういう人も中にはいるだろう。しかし、人間全てが死に絶えてしまえば観察も何もない。趣味のために戦うというのであれば、この局面に至っても泰然と構えていられるのがどうにも腑に落ちない。

 夢の中で、俺は英雄王の歩んだ歴史を見てきた。ほんのさわりだけだが、授業でギルガメシュ叙事詩に触れたこともある。にも関わらず、このギルガメッシュという男の根本には何があるのか、どうしても理解が及ばない。

 伝説ではギルガメシュ王は、あれほど追い求めた不老不死の薬を手に入れることが叶わなかったという。それが真実であることは、俺も本人の記憶で確かめた。だというのにこの英霊は、それに執着することもなく、ただ人間を観察して愉しめればいいと嘯き、かと思えばその楽しみが失われることにさえ拘泥する様子がない。

 同じように何かを求めた果てに、抜け殻のようになってしまった切嗣とはあまりに違いすぎる。この男の精神性が桁外れだからと言ってしまえば、それだけかもしれないが──。

 

「貴様の様子から見るに──なるほど。サーヴァントとの経路(パス)越しに、我の記憶でも垣間見たか。

 まったく、王の歩みを覗き見るなど本来であれば斬首に値する不敬だぞ。貴様が望んだのではなく、我から流れたものであることを鑑み、ひとまずは不問とするが……まあよい。

 雑種よ。貴様は、何を見てきたのだ? またぞろ下らぬ疑念でも持っているようだが」

 

「何って……まあ、いろいろ。宝探しをしたり、森の化け物と戦ったり、でかい牛と戦ったり……不老不死の薬を求めて旅をしたり。そんな感じの、あんたが出てくる夢だ」

 

 古代ウルクに君臨した王、ギルガメッシュ。

 人の王と女神から生まれた英雄は、友と出会い、数々の冒険を繰り広げ、数多の財宝を手に入れた。しかし、友の死を契機に死の恐怖へ取り憑かれ、旅の果てに不老不死の薬を手に入れるものの、結局それも失ってしまう。

 プロフィールだけを見るのであれば、聖杯戦争に参加した理由は、友との再会や不老不死への執着ではないかと思うだろう。ところが、蓋を開けてみればご覧の有様だ。いったいこの英霊の『軸』がどこにあるのか、未だに俺は理解できずにいる。

 中でも、一番気になること。人間を愉しむと言いつつ人の滅びに無頓着な現状と重なる、夢で見た最も不思議な光景は。

 

「失った不死の薬を、惜しいとは思わなかったのか?」

 

 みかんを飲み込んだギルガメッシュが、そのまま固まった。

 眉根を寄せているが、不機嫌になったというわけではない。どうも予想外のことを聞かれたとでも言うような、少し面食らったような顔つきだ。

 ややしばらくして、深い溜息を吐く英雄王。その瞳は俺ではないどこか遠くに向けられ、なにか懐かしいものを見たように微かな笑みを浮かべている。

 

「──かつて、似たような問いを口にした馬鹿者がいたな」

 

 この男にしては珍しい、静かな声音。誰のことを言っているのか想像がつくと、否が応でもその最期を思い出し、軽々しい言葉を口にできなくなってしまう。

 

「偶然の一致だが、あの時返した言葉は真理を突いていたということか。ならば同じ言葉を紡ぐとしよう──使うべき相手であれば、くれてやるのも悪くはない。

 結果論にはなるが、蛇めに霊薬をくれてやったことで、我の精神は成熟を迎えた。忌々しいが、それこそが我の成長に必要だったものなのだろうよ」

 

「……ワケわかんないぞ。あんた、目の前で財宝を掻っ攫われたらめちゃくちゃ怒るタイプじゃないのか」

 

「ふむ。ま、その通りではあるが……あの時の心境は、我ながら不思議であった。余人に察せよ、と言ったところで容易には行くまい。

 思えば、当世で我自身の話をしたというのは記憶にない。喜べ雑種、本邦初となる栄誉を与えてやろう」

 

 何やらうむうむと頷くと、勝手に語り出した英雄王。何を言っているのかわからず混乱しているうちに、続きが始まってしまったので、おとなしく座って拝聴することにする。

 

 ──ギルガメッシュという人物は、始まりからして特別な存在だった。

 

 人と神のハーフ、というのは神話上珍しくはない。今度の聖杯戦争だと、クー・フーリンやヘラクレスもその例だ。彼らとギルガメッシュが決定的に異なるのは、この古代王はある目的のために作られたという点だ。

 今より遡ること約五千年。西暦が始まるより遥か昔の時代には、今では考えられないような神秘が溢れていた。自然現象に人格が宿った古代の神々──機械(システム)が神となったものなど、他の神話体系では違ったパターンもあるらしいが、メソポタミアの神々はそれには該当しない──は人々に崇められ、権能と呼ばれる力を振るっていた。

 しかし、人の数が増えるにつれて、神々の権勢には陰りが見えてきた。欲望を際限なく溢れさせ、文明を築き、世界を作り変えていく数の暴力に対し、個々が強力とはいえ少数に過ぎぬ神々では世界に対する影響力が劣っていたのだ。

 このままでは、人間に神が駆逐される時代がやってくる。それを恐れた神々は、人間の側に属しつつも神の立場に立つ存在を求めた。人間の行く先を神々に都合よく誘導しようとして作り出された一種の神造英霊、天が打った楔とも呼ぶべき存在が──。

 

「つまり、この我というわけだ。まったく、実に下らぬ話よな──この身は生まれる前から、神々の代弁者になるよう設計されていたのさ」

 

 そう口の端を釣り上げるギルガメッシュ。叙事詩には語られぬ裏事情、傍若無人を体現したような男にはあまりに似つかわしくない話に、驚きを隠せない。

 だが、これほどプライドが高い男が、唯々諾々と創造主の意向に従うだろうか。俺は僅か二週間あまりしかこのサーヴァントのことを知らないが、到底素直に従ったとは思えない。

 

「幼少期の我は、それなりに神どもの意向に従っていた。人を守り神を敬う善なる王──だが、我の人生は我のものだ。古びた神どもに従う理由などない。我は奴らの意図を跳ね除け、自らの王道を見定めた。

 始めから王として君臨した我は、人間の姿を見続けてきた。欲望のまま、新たなモノを次々に生み出し続ける生命種……そこには呆れるようなゴミもあったが、同時に得難い宝もあった。無作為に、野放図に溢れていく発明の数々。なればこそ、それを裁定する存在が必要だ。

 人であっては、外側から俯瞰することができん。神であっては、真に発明を理解することが能わぬ。人と神、その双方の視点を持つ絶対の裁定者──その仕事は、我にこそ相応しい」

 

 そうしてギルガメッシュは、人という種が生み出す宝、国という概念が作り出す可能性、それらを片端から蒐集した。

 このあたりは、夢で見たとおりだった。エルキドゥという無二の友を得た王は、無数の冒険を繰り広げ、その過程で幾度となく強敵と戦った。森の神(フワワ)天の牡牛(グガランナ)という怪物さえ打ち倒した功績は、紛れもない英雄のそれだ。

 しかし、その背景にあったのは、名誉欲でも金銭欲でもない。人も神も超越した、人間そのものを見定める裁定者にして罰の化身。ギルガメッシュが財宝を蒐集し、難敵と戦い、民衆を守り、国家を繁栄させたのは、偏にそう貫くと決めた在り方故だった。それこそが、英雄王の王道なのだ。

 ギルガメッシュが、いつも一歩引いたところから状況を俯瞰し、時折俺たちにヒントを示していた理由もそれだろう。記憶が失われていても、この男の本質はまったく変わっていなかったということか。

 

「目算の狂った神どもは大いに慌てた。我を諌めるなどと抜かし、『天の鎖(エルキドゥ)』などというモノを送り込んでは来たが、それも纏めて反旗を翻したわけだからな。

 ……だが、愚かな神どもにも、さすがに二度目は保険をかける程度の能があった。奴らの呪いで、我が友の命は土に還った。それを目の当たりにした我は、その時初めて死というものに恐怖を抱いた。

 まったく、神どもを笑えぬな。奴らが延命措置として我を生み出したのと同様、我は自らの滅びを恐れて不老不死を求め始めたのだ。これほど馬鹿馬鹿しい話はあるまい」

 

 荒野を彷徨い、何年という月日の果てに冥界に辿り着いた彼は、遂に不老不死へと手をかける。しかしその帰り道、ようやく掴んだ不死の秘宝は、ふと目を話した隙に蛇に食べられてしまった。

 分からないのはそこからだ。夢の中の英雄王は散々笑い倒した後で、蛇を追うでもなくもう一度秘宝を取りに行くでもなく、そのまま街へと戻っていってしまったのだ。それも、やけに晴れ晴れとした顔で。

 長い努力と執念の果てに目指したものが、消え去り裏切られる時の感情──それは二十年も生きていない俺には、想像すらできないものだ。だが、その立場にあったものがどうなってしまうかは知っている。他ならぬ未来の自分を、聖杯を求めた後の切嗣を、俺は目にしてきているのだから。

 ギルガメッシュは、何故そうならなかったのか。もしかしたらそこに、俺があいつ(エミヤ)とは違う道を歩むための、道標になる何かがあるのではないか──。

 

「若い貴様には理解が及ばぬだろうが、苦難の果てに至高の財を手にした瞬間──その達成感に勝る美酒はそうない。中でも、あの時は別格だった。

 長い努力が報われ、困難を乗り越え、遂に我は不死に手を届かせた。これで友の雪辱を晴らせる、神の呪いなど恐るるに足らずと、我はこの上ない喜びに浸っていた。極上の酒を味わった瞬間、悪の難敵を討ち果たした瞬間、秘めた宝を手に入れた瞬間──それまでに感じたどの感情も、あの時の陶酔には及ぶまい。我は生まれて初めて感激し、歓喜し、勝利という美酒に酔いしれていたのだ」

 

 ほんの少しだが、俺にもその時の心境は分かる。

 数学で悩み続けた難問の答えが出た時とか、ゲームで苦戦の末にボスを倒しレアアイテムを手に入れた時とか。努力と困難の果てに報酬を手にした時の達成感というものは、確かに得難い。それが人生をかけて追い求めたものだとすれば、その時の喜びはどれほどのものになるだろう。

 

「今にして思えば、これもおかしな話よ。我はそれまで、あらゆる贅を貪っておきながら、心の底から悦んだのはこれが初めてだったのだからな。

 だが、あの時はそんなことなどどうでもよかった。これほどの悦びを永遠に味わい続けられるのだと思うと、天にも昇る心地だった──だというのに戻ってみれば、肝心の霊草は蛇に食われて消えていたのだからな! いやまったく、これほど笑えるオチはあるまい。自らの愚かしさがこれほど笑えるとは、我は思ってもみなかったわ」

 

 ふはは、と肩を揺らして思い出し笑いをする英雄王。何故そこで笑えるのか、これまでの話は理解が及んだというのに、ここが聞いていてちっとも分からない……。

 

「これほどの悦びも達成感も、刹那の時に消えゆくもの。最終的に、我が手にするものは『無』だけ──それこそが我の仕事に対する報酬なのだと、この時我は理解したのだ。

 これこそが人の世というものの味。不滅の英雄? 不死の王者? ハッ、そんなものになったところで、この味を感じることなどできぬ。そして、この味が分からぬのであれば人の世の裁定など夢のまた夢。

 我の目は遥かな未来を見通す。そして、我が築いた伝説はこの時代にもあるとおり、後世に残り続ける。先が見え、後に残るものがあるのであれば、死を恐れる理由など存在しない。何十年という時を彷徨ったが、答えは始めから我自身が持っていたのだ。

 そもそも、死から逃れようなどという後ろ向きな考えが惰弱であった。死など何度でも乗り越え、いくらでも蘇れば良い。ヒトが遥かな先に辿り着き、裁定に値する時が来るまでな」

 

 そう、か──。

 分かった。どうしてギルガメッシュがそれほどに面白がったのか、やっとそれが腑に落ちた。

 英雄王は、ただ宝を失っただけではない。喪失によって、失ったものよりなお価値のある財を見出した。そしてそれは、どこか遠くにある楽園ではなく、すぐ目の前に転がっていたものなのだ。

 切嗣やあいつ(エミヤ)はきっと、それに気づくことができなかった。あるいは、気づいた時には遅すぎた。だから喪失は喪失でしかなく、それは彼らの末路に致命的な影を落とすことになった。

 都合のいい理想も、恣にできる果実も、所詮はお伽噺に過ぎない。地道に築き上げてきたもの、最初から自分が持っていたものこそが答えになる。学園の授業では確か、ギルガメシュ叙事詩には寓話としての色合いも強いと聞いた覚えがあるが──その意味合いを、今ようやく理解できた。

 ある意味では、俺は彼と同じだったのだ。俺は不老不死の代わりに、正義の味方という幻想を追い求めていた。しかし、何もかもを救おうという暴挙の果ては、何もかもに裏切られるという結末にしかならなかったことを俺は知っている。

 どうして正義の味方を目指したかったのか──その原点を掘り下げていった時、俺は自分が最も許せないことが、魔術という理不尽による犠牲であることに気づいた。それと戦うためには多くの人の助けが要ることも、多くの人を頼ればいいことも。そして、助けてくれる、助けられる大切な人々がすぐ近くにいたことも。自分の内側に、自分の周りに、すぐそこに答えはあったのだ。

 確かに失ったものは多かったかもしれない。けれど、その代わりに得たものだってある。自分自身の在り方と向き合うことを心がけ、それでいて一点に拘らない視野……英雄王が教えてくれたものを忘れなければ、きっと俺はこの先も戦っていけるだろう。

 

「そして我はウルクに帰還し、城塞都市と宝物庫を完成させ、人としてこの世を去った。

 ……ま、ウルクに戻ると領民どもが去っていた故再興に苦労したり、こっそりもう一度冥界に出向いて霊草を回収したりと、細かなネタはあるがな」

 

 いなくなってたんだ……。まあ、王様が何十年も玉座投げ出してたらそりゃみんな他の国に移ってるだろうな……。

 ってかそんな有様なのに、結局不老不死の霊草もう一回取りに行ってきたのか。柄にもなくちょっと尊敬の目で見たりしていたのに、オチがあるのがなんというか。

 

「さて、問いに対する答えはこんなところだ。この問いの代償といいくれてやった霊薬といい、我への負債は大きいぞ、雑種」

 

 にやり、と邪悪に笑う英雄王。どんな借金を取り立てられるのか、考えるだにぞっとするが……いやちょっと待て。二つ目の質問には答えてもらったが、一つ目の質問にはまだ答えが返ってきていない。

 

「ええい、どうせ借金払わなくちゃいけないなら、とことんまで答えろってんだ……!

 人間の世界を裁定するって、あんたそう言ったよな。でも、『この世全ての悪(アンリ・マユ)』が外に出てしまえば、何もかも吹っ飛ぶかもしれない。そうなったら裁くも何もないだろうに、なんでそんなに余裕なんだ?」

 

「ふん。人理を焼かんとする魔獣(ビースト)、星の外より来たる捕食者(ヴェルバー)──そのような奴儕であれば、我が本気を出すこともあるかもしれん。

 だが、聖杯は貴様たち人間が作り上げた欲望の化身。自らの業によって滅びるのであれば、それもまた一つの末路。我はその愚かさを裁定するのみよ」

 

 自業自得の結果滅びるのであれば、手を差し伸べる理由などない──英雄王は、そう淡々と言い切った。

 この英霊は、一人の人間、一人の英雄として戦う他のサーヴァントたちとはあまりに違う。人類そのものを外側から俯瞰し、裁定する絶対者。

 どのような道を選び、どのような結末に至るかを選ぶのはあくまで人間。時折口を挟んだり、手を貸すことぐらいはあるかもしれないが、ギルガメッシュは自分を人の営みの外側に位置づけている。この男が人間に対してどのような立場を取るのか、それは俺がどんな扱いを受けていたかを思い返せば分かりやすい話だった。

 

「じゃあなんで、あんたは俺に手を貸してくれるんだ? 人の自滅を放っておくっていうなら、あんたが手を貸す理由はない。サーヴァントとして令呪の縛りはあるかもしれないけど、あんたぐらいの英霊で、しかも受肉してるんならどうとでもできるだろう?」

 

「たわけ。何度も同じことを言わせるな、愚か者。これは我の仕事ではない。我は人類に肩入れするのではなく、いわば娯楽として貴様という個人に力を貸してやっているのだ。

 正直なところ、貴様は所詮期待外れ。暇潰し程度にしかなるまいと見込んでいたのだが──」

 

 フ、と目を細めたギルガメッシュがこちらを見る。いつものダメ出しが来るのかと思えば、サーヴァントの瞳には、何やら面白がるような色が浮かんでいた。

 

「掲げる理想が偽物なら、使う武器は贋作。動機も感情も全てが偽物、人間にさえなれぬ人形もどき。マスターとしての義理立てがなければ、貴様など切り捨てていただろうよ。

 だが、愚かさも極まれば一廉の輝きを持つ。貴様は戦の中で成長し、己の在り方を見据え、借り物ではない自らの欲を見出した。自分自身の道を歩み出し、未来の自分にさえ打ち克ち、あまつさえ王たる我の窮地を救ってのけた。

 贋作が真作へと化ける──こればかりは、この我も予想できなかった。喜べ、衛宮士郎。おまえは我の予想を覆し、我が財を使うに能う価値を見せたのだ」

 

 怒るでも笑うでもなく、語り聞かせるようにして言葉を紡ぐ英雄王。それだけに、この男が真剣なのだと伝わってくる。

 人類最古の伝説が、どれほど偉大なのか。人の世の外側から見定めるという王道が、どれほど孤高なのか。その一端を知ってしまった今、当の本人に自分の価値を肯定される──これまでに感じたことのない熱で、体に炎めいた力が宿る。

 悪夢の夜、大勢の人を焼き殺した忌むべき炎。あの煉獄とも、怨嗟の重みとも違うもの……英雄王の裁定という熱が、重圧が、心地よさすら伴って魂を震わせる。ああまったく、俺はとんでもないサーヴァントのマスターになってしまったらしい……!

 

「武器が贋作というのは気に食わんがな。宝具とは、伝説に至った重みが宿るもの。その力だけを真似ようなぞ、それは英霊どもへの侮辱であり、源流である我への冒涜だ。

 故に──贋作を振るうのであれば覚悟せよ。英霊の宝具を用いておきながら何の結果も出せぬのであれば、そのような愚昧には存在する価値などない」

 

 あらゆる財を収めた王の言葉は重い。本物の宝を愛するから、その価値を認めるからこそ、ギルガメッシュは贋作を毛嫌いするのだ。その怒りは正しいものだと、彼の王道を知ったからこそ頷けてしまう。

 だけど、未熟な俺では先人たちの力を借りるしかない。英霊たちの宝具、切嗣の遺した武器……これらに頼らなければ、俺なんかの力はどこにも届かないだろう。

 英雄たちの武器を使うのであれば、それ相応の結果を見せよ──それは、この男なりの発破か。借り物の力に縋るのなら、せめて信念と功績ぐらいは固めなければ話にならない。そして、それが実現できないと思う者に対して、英雄王はこのような言葉を口にするまい。

 

「よいか。我が貴様に求めるもの、我へ支払うべき負債はただ一つだ。

 この聖杯戦争に幕を引き、今の世に戦いを挑み、無様に足掻く姿を以て見事我を愉しませよ──おまえにそれができるか、衛宮士郎」 

 

 ──それは。これまでの中で、もっとも重く、深い問いかけだった。

 

 あらゆる英霊の頂点に立ち、人類全てを裁定する原初の王。その規格外の存在が、半人前の魔術師見習いに、やってみせろと言っている。

 聖杯戦争を勝ち抜くことなど、あくまでも過程の一つ。その先へ進み、無法を働く魔術師たちが是とされる世界と戦えと、ギルガメッシュは命じて……いや、期待しているのだ。

 この男は衛宮士郎という人間の『先』を、行く末を心待ちにしている。だからこそ、目の前の聖杯戦争に本腰を入れる気になったのだ。その期待がいったい、どれほどの重みを持つことか。

 手が震える。意図せずして、召喚してしまったサーヴァント。傲岸不遜で、傍若無人で、迷惑に感じたことも契約を後悔したこともあった。いつ殺されるかと、正直ひやひやしていた。

 だけど、今は違う。俺はこの男に、幾度となく助けられた。英雄王とはどんな存在なのか、孤高な王道がどれほど気高いのかを知ってしまった。白状すれば、俺はこの英雄を尊敬してしまっているところがある。

 相容れない部分はある。それはどうかと思うところもある。けれど、それら全部をひっくるめて、今なら言える。この衛宮士郎にとってのサーヴァントは、ギルガメッシュただ一人だ。

 そんな男の寄せる期待に、偉大な王の問いに、俺は果たして応えられるのか──?

 

「──ああ。やってみせるよ、ギルガメッシュ」

 

 拳を握り、正面から赤い瞳を見つめる。俺が衛宮士郎である以上、答えなんか始めから決まっていた。

 できるかできないかじゃない。やるか、やらないか。それがどれだけ困難な道だろうと、諦めることだけはしないのだと、俺は最初から誓っていたはずだ。

 だからこれは、答えではなく一つの確認。王の期待が向けられようと、失敗すれば多くの命が失われる重みがあろうと、やるべきことは変わらない。揺れていた感情が、浮足立っていた心が、炉で鍛えた刀のように鋭い決意となる。

 

「ならばよし。その言葉、努々(ゆめゆめ)忘れるなよ。

 ふむ──ちょうど頃合いも良い。この下らぬ茶番を終わらせに向かうぞ、雑種。敵を乗り越え、女どもを救い出し、呪われた聖杯を砕いてやるがいい」

 

 パチン、と英雄王の指が鳴る。それと同時、中庭になにか大きいものが現れる気配がした。

 一体何を持ち出したのかと、慌てて居間から出てみれば……そこにあったのは、庭をまるまる埋め尽くすような、黄金の船体と翠玉の翼。和風の屋敷にはあまりに似つかわしくないゴージャスな威容に、あんぐりと口を開けてしまう。

 夢の中で見た覚えがある、思考に等しい速度を有する空飛ぶ船だ。確かギルガメッシュは、これを使って天の牡牛(グガランナ)との戦いに臨んでいたような……?

 

黄金帆船(ヴィマーナ)。我が財の一つ、この時代でいえば戦闘機になるか。

 特に許す。雑種よ、呆けていないで乗り込むがいい。王とは天に座す者であると、不埒者どもに一つ教授してやろうではないか」

 

 横に立つギルガメッシュは、いつの間にか黄金の鎧を纏っていた。

 夜の闇を切り裂くような、鮮烈な存在感。豪奢な帆船よりもなお煌めく超常の英霊が、天地に我ありと歩き出す。

 圧倒的なカリスマに世界が怯えたのか、一筋の風が吹く。人類最古の英雄王は、星の恐れを一顧だにせず玉座に腰掛けると、王気(オーラ)を纏った笑みを浮かべてみせた。

 

「行くぞマスター。これより挑むは最後の砦、世界の行く末を賭けた決戦────聖杯戦争の終幕だ!」


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