【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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22.最後の主従

「──なんだ、言峰。話ってのは。こんな所に呼び出して、お前らしくもねえ」

 

 時刻は夜明け前。教会の外にある広場の中で、二つの影が佇んでいた。

 一人目の影は、言峰綺礼。この教会の主であり、聖杯戦争の監督役。そしてもう一人の影は、青い装束と赤い槍を手にした戦士。他ならぬ、ランサーのサーヴァントだった。

 

「なに。おまえには、これまで随分と働いてもらった。この辺りで礼を言っておいても、罰は当たらんのではないかと思ってな」

 

「ハッ、そりゃどうも。オレはただ、マスターの命令(オーダー)に従ったまでだ」

 

 ザ、と砂利を踏む音が響く。背で手を組んだ言峰は、ランサーを一瞥すると、ゆっくりと広場を歩き出した。その動きには、昨日行った大手術の疲労など、欠片も残されていない。既に肉体年齢は全盛期を過ぎているにも関わらず、未だ鍛え上げられたままの肉体は、それだけでこの男が歴戦の強者なのだと物語っている。

 対するランサーは、皮肉を込めて一言呟いた後は、所在なさ気に槍をくるくると弄んでいる。彼がマスターに向ける目は、黎明の気温を遥かに下回る温度まで冷え切っていた。

 それもそのはず。言峰綺礼は、ランサーの正当なマスターではない。本来のマスターから令呪を簒奪し、半ば強制的にランサーを使役しているだけの異端者である。誇り高き赤枝の騎士が、そんな男に忠誠心など抱く道理もない。

 

『おまえは全員と戦え。だが倒すな。一度目の相手からは必ず生還しろ』

 

 令呪によって課せられた命令。命の奪い合いである聖杯戦争に於いて、相手を倒すなという指示はまったくもって理解できない。令呪の縛りがなければ、ランサーとてそのような馬鹿げた命令には従わぬ。手加減という文字はランサーの辞書にはない。もしこの命令がなかったならば、アーチャー・アサシン・ライダーの三騎は、初戦で確実に討ち取れていた。セイバーに後れを取ることもなかっただろう。

 

 ──つくづく気に食わねえ野郎だ。

 

 槍を回しながら、内心でそう悪態を吐くランサー。多かれ少なかれ、他のサーヴァントとマスターが相互に信頼関係を築いている中で、この主従だけは唯一の例外だった。

 ランサーには、言峰の意向が理解できない。心の読めないマスターが、わざわざこんな場所に自分を呼び出したのは、如何なる心算があってのことか。またろくでもない命令を下す気なのか、とランサーの気分が悪くなるのも無理のないことだろう。

 加えて言えば、ランサーは一昨日、彼の大英雄──ヘラクレスと二度目の戦いを演じて来ている。森林地帯でのゲリラ戦はクー・フーリンが生前得意とした戦術であるが、ヘラクレスといえば狩人としても名高い英雄だ。ヘラクレスの足止めという無茶な命令を果たした代償に、ランサーはそれ相応の消耗を強いられた。未だ疲労の抜けぬ中、ふざけた指示ばかりを下す、いけ好かないマスターに呼び出される。こうした事情が積み重なり、ランサーの機嫌は、急速に負の方向へと傾いていた。

 

 ──さらに。

 

「おい、言峰。お前、気付いてねえのか」

 

「む?」

 

 俄かに真剣味を増したランサーの声に、歩いていた言峰の動きが止まる。何ことかと振り返る言峰に、槍兵は直接ではなく念話で語りかけた。

 

『サーヴァントだ。どいつかは知らねえが、この近くに潜んでやがる』

 

『──ほう』

 

 そう。マスターに呼び出されただけだというのに、ランサーが槍を手にする理由。それこそが、ランサーが先ほどから感じ取っていた、サーヴァント特有の"気配"だった。一見隙だらけのように見えて、クー・フーリンは、一瞬で戦闘に移行できるよう微かに姿勢を整えている。

 ランサーには、高い索敵能力は備わっていない。その彼に感知されるということは、相手はアサシンではない。言峰の話によれば、セイバー、キャスター、ライダーの三騎は、一昨日の戦いで敗北している。となれば、残るはアーチャーかバーサーカーなのだが……。

 

『どうにも妙だ。アーチャーもバーサーカーも、こそこそするような柄じゃねえ。──言峰。その三騎、本当に死んだんだろうな』

 

『そのはずだ。ライダーはセイバーに、キャスターとセイバーはアサシンに、それぞれ敗北したと聞いている』

 

『チ──となると、アサシンが誘ってるって線もあるか。どうする、言峰。引きずり出そうと思えばできないことはねえが』

 

 罠に誘われているとなれば、飛び込んで罠ごと食い破るのがランサーのやり方である。事実、アサシンとライダーが張った罠を、ランサーは正面から堂々と突破してみせた実績がある。にも拘らず、彼が飛び出していかない理由は、一応はマスターの趣向を尊重しているが故だった。

 敵の種別と、予想される罠を思考する。普段なら、些事を一々省みぬランサーではあったが、性懲りもなく、またアサシンが誘いを掛けている可能性もある。アサシンと連携していた、あの"影"を相手取るのは、戦巧者のランサーをしても難しい。あれと戦わねばならぬ事態だけは、どうしても避ける必要があった。

 しかし、向こうから来るというのなら話は別だ。売られた喧嘩を買わぬほど、ランサーは温厚な性格をしていない。敵サーヴァントを炙り出すべく、探索(ベルカナ)呪刻(ルーン)が描かれようとしていく。

 ……が。ランサーの雰囲気が鋭くなっていくのとは裏腹に、言峰はあくまで自然体だ。敵サーヴァントが近くにいるというのに、その表情には余裕さえ伺える。疑問を抱いたランサーが、今度は直接詰問しようとした時、言峰は静かに口を開いた。

 

「ランサー。おまえの働きぶりには目を見張るものがあった。彼の大英雄(ヘラクレス)と二度も戦い、二度とも生還するなど、並の英霊では到底為し得まい。

 ──認めよう。おまえは確かに、生き残ることにかけては一流の英雄だ。生半な方法では、おまえを倒すなど不可能だろう」

 

「なんだ、急に改まって。今更おだてたって何も出ねえぞ」

 

 思いがけない殊勝な言葉に、ランサーは気味が悪いと顔を顰める。無茶な命令を出すことこそあれ、この男がランサーを認めるような発言をするなど、未だかつてないことだった。

 らしくないことを言ったと自分でも分かっているのか、苦笑を漏らす言峰。一拍置くと、何のつもりなのか、その右腕が高く掲げられ──

 

 

「故に、令呪を以て命じよう。──()()()()、ランサー」

 

 

「な──ッ!?」

 

 驚愕する槍兵。令呪の発動。サーヴァントとして招かれた身である以上、その絶対強権には、どうあっても逆らえない。極端に高い"狂化"状態か、最高位の対魔力を有していない限り、令呪の命令はサーヴァントにとって絶対だ。──例えそれが、()()()()という、理不尽極まりないものだったとしても。

 マスターの令呪は問題なく発動した。英霊すら拘束する絶大な魔力が迸り、赤い閃光を放った令呪が消え失せる。青い槍兵は、此処に己が心臓を槍で貫こうと──

 

「──だろうな。いずれこんなことになるだろうとは思ってたぜ」

 

 直前。槍の穂先は、何者を貫くこともなく、その方向を変えていた。真紅の魔槍は、"マスター"から"裏切り者"へと変わった神父を睨み据える。

 如何なる事態にも動じない余裕を漂わせていた言峰は、ここに来て初めて、その表情に驚愕の色を纏わせた。令呪は確実に発動した。ならばランサーは、自らの心臓をその魔槍で貫かれていなければならない。だというのに何故、この男は傷一つなく悠然としていられるのか……?

 

「ランサー……質問は一つだ。なぜ私の令呪がおまえには届かない?」

 

「なに、キャスターの奴がちょいと面白い宝具を持っていたんでな。奴と同盟を組んだ時に、ひとつ頼み込んで、テメェとの契約をチャラにしてもらったってわけさ」

 

 

 

***

 

 

 

 時間は、少し遡る。キャスターの拠点となっていた柳洞寺。その境内で、二つの人影が相対していた。

 一方は、この場所の主であるキャスターのサーヴァント。そしてもう一方は、青い鎧に身を包んだ、ランサーのサーヴァントだった。

 サーヴァントとサーヴァントは、互いを殺し合う宿命にある。これほどまでの至近距離ならば、瞬きの間にどちらかの命は失われよう。にも関わらず、未だ戦端が開かれていない理由は、両者の結んだ奇妙な同盟──バーサーカーを倒すまでの、条件付きの契約にあった。

 

「──マスターとの契約を断ってほしい、ですって?」

 

 ローブに身を包んだキャスター。ギリシャ神話において、悪名高い魔女として語られるメディアは、冷酷な評判とは裏腹に、唖然とした様子でその言葉を口にしていた。

 対する槍兵は、平静さを崩さない。思わぬ頼みによってキャスターを驚かせたランサーは、どこか品定めをするような視線で魔女を射抜いている。ああ、と肯定の意を口にすると、ランサーは淡々と己が心情を語り出した。

 

「あの野郎……言峰はどうにも信用ならねえ。前々から疑っちゃいたが、今回のでようやくはっきりした。

 ──まるまる一晩、バーサーカーの足止めをしろだと? バカを言え。まともなマスターなら、そんな命令は寄越さねえ。あいつは完全に、オレを捨て駒と見てやがる」

 

 この晩、槍兵は一つの命令を下されていた。

 キャスターとライダー、セイバーとアーチャー、異なる二つの陣営の交戦。そこに要らぬ邪魔が入らぬよう、バーサーカーのサーヴァントを足止めする。キャスターの支援という意味では、確かにそれは理に適ったものかもしれない。

 しかし、此度のバーサーカーは規格外だ。知名度、功績、英霊としての格。ヘラクレスは、その全てで最高位と言える。何せ、死後には神に列せられたほどの英雄だ。生半な英霊では、まともに戦う事さえ不可能と言える。それの足止めなどという暴挙は、天災を相手取るにも等しかろう。

 クー・フーリンは、そのヘラクレスと真っ向から戦う事が可能な、数少ない大英雄の一人である。しかし、知名度の補正、マスターの力量などを鑑みれば、ランサーが圧倒的に不利になる。宝具である『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』さえ通用しないとあっては、勝ちの目は皆無に等しい。

 状況を十分に理解していながら、無謀な命令を下す言峰綺礼。それは彼が余程の愚鈍であるか──それとも、ランサーを使ってこれ以上まともに戦う気がないか。少なくともランサーは、彼の意図が後者にあると判断していた。

 

「オレも魔術の腕には覚えがあるが……今回のオレは魔術師(キャスター)じゃねえ。マスターがまともじゃなかろうが、従うしかないわけだ。

 だが、お前は違う。お前の今のマスター──葛木とか言ったか? あいつに魔術の素養はねえ。ということは、今のマスターとお前を召喚したマスターは別だ。つまりお前は、()()()()()()を持っている」

 

「……驚いたわ。ええ、その通り。確かに私は、マスターとの契約を破棄する手段を持っている。まさか、それを貴方に見抜かれるとは思ってもみませんでしたけど」

 

 葛木、という言葉が出た途端、キャスターの雰囲気が剣呑なものになる。しかし、そこから続けられた分析は、謀略に長けたキャスターをして唸らせるほど、正確無比なものだった。

 ランサーの言葉は正鵠を射ていた。奇しくもランサーと同様、キャスターもまた、今のマスターと本来の召喚主が異なっている。本来の召喚主は、それなりの魔術師ではあったのだが……同じ魔術師であるが故に、より優れた魔術の腕を持つキャスターとは折り合いが悪く、彼女は早々に己がマスターに見切りを付けていた。

 主を見限ったメディアは、数々の裏切りの逸話に相応しく、とある手段によってサーヴァント契約を破棄し、自らの召喚主を殺害した。だが運悪く、契約を破棄した直後にランサーと交戦する羽目になり……紆余曲折を経て、半ば拾われるような形で、今のマスターと再契約を結んでいた。

 

「貴方とマスターとの繋がりを断つことはできるわ。より優れたマスターが欲しいのなら、()()マスターになってあげましょう。

 ──でも、ランサー。貴方も魔術師というなら、等価交換の法則は知っているわね。見返りに、貴方は何をしてくれるというの?」

 

 メディアは、魔術師としては現代の魔法使いさえ凌駕するほどの腕を誇っている。魔術師としての力量と備蓄した膨大な魔力によって、サーヴァントがサーヴァントを従えるという聖杯戦争のルールを覆す行為さえ、彼女は容易く成し遂げる自信があった。

 だが、できるということと、それを実際に行うことは違う。ランサーの頼みに応じるのは簡単だが、それ相応の対価を払ってもらう──同じ魔術師として、キャスターはランサーにそう告げている。

 

「一つは、オレの首だ。オレはこれから、お前の軍門に下ってやる。オレは元々聖杯なんぞに興味はねえ。最後になったら、潔く退場してやるよ。

 そしてもう一つは──お前のマスターの命だ。見た所、お前はあの葛木って男に大層ご執心だ。赤枝の騎士の名において、この先お前と敵対する事になったとしても、あの男だけは見逃してやる。

 どうだ、キャスター。お前にとっても、悪い話じゃねえだろう」

 

「…………」

 

 自分がマスターに向ける感情が見抜かれていた。その事実に、ローブの下でキャスターは渋面を作る。

 元々、彼女が聖杯に託す願いは、ただ故郷に帰りたいというだけの純真なものだった。しかし、新たなマスターとの出会いを経て、彼女の願いは少しずつ変化していった。……率直に言えば。キャスターは、今のマスターである葛木宗一郎に、恋愛感情を持っていたのだ。

 主を裏切り、行き倒れていたキャスターと、元暗殺者という経歴を持つ空虚な男。その出会いは、一つの奇跡と言っても良かっただろう。今となっては、彼と過ごす日常こそが、彼女が懐くただ一つの願いだった。……その願いを叶えるためには。ランサーの申し出は、確かに有用である。

 クー・フーリンは強力なサーヴァントだ。バーサーカーやセイバーには一歩劣るにしても、その能力は信頼できる。加えて、聖杯に託す願いを持たぬという彼は、契約対象としては正に適任だ。マスターとなった自分のバックアップがあれば、ヘラクレスの足止めという難業さえ成し遂げることだろう。いや、セイバー陣営の撃退というキャスターの目論見を果たすためには、どうあっても彼にはバーサーカーを食いとめて貰う必要がある。その点においても、今契約を変更するというのは妙手だった。

 そして、彼が申し出た二つ目の条件。キャスターにとっては、そちらの方がより重要だった。如何に自分が魔術師として優れていようと、白兵戦能力では、クー・フーリンには及ぶべくもない。更に、彼の宝具は必中必殺。神の権能にも近いその力を揮われれば、キャスターでは主を守りきれぬだろう。そのリスクを予め消せるのであれば……確かに、キャスターにとってはこの上ない利益となる。

 

「……いいわ。その申し出、受けましょう、ランサー。これより汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に──」

 

 再契約の呪文を紡ぎながら、キャスターはローブの下から一振りの短刀を取り出す。

 武器として見るには、余りに歪な形状をしたそれは、英霊メディアが有する宝具。"裏切りの魔女"の異名を取る彼女の宝具とはすなわち──ありとあらゆる魔術を破り、魔力による契約すらも無に帰す、"裏切り"の具現に他ならない。

 キャスターの行為をどこ吹く風と、自然体で佇むランサー。その無防備な胸に、裏切りの宝具が振り下ろされる。短刀とランサーが触れ合う刹那、キャスターのローブの内で、静かに真名が紡がれた。

 

「──"破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)"」

 

 

 

***

 

 

 

「──つまり。テメェはもう、マスターでもなんでもねえんだよ」

 

 空気が凍る。空間そのものを怯えさせるほどの殺気が、言峰綺礼に叩き付けられる。

 キャスターが残した魔力は、未だランサーの性能を十二分に発揮できる程度の貯蔵がある。彼女は、契約対象の変更と同時に、経路の分割をも行って見せたのだ。ライダーと同様、マスター権はキャスターにあったが、ランサーへの魔力供給源は、柳洞寺に貯められた膨大な備蓄だった。経路分割の影響で、マスターとなったキャスターが消えた今であっても、貯蔵庫との繋がりは生きている。それほどまでの反則を行っておきながら、マスターであった言峰に気付かれず契約変更を行い、且つ念話の経路(パス)は残すという周到さ。メディアはまさしく、神代の魔術師に相応しい卓越した力量の持ち主だった。

 とはいえ、サーヴァントの維持には、魔力だけではなく、この世に留まるための依り代が必要となる。いかに膨大な魔力があれど、依り代を持たぬランサーは、このままでは一日と保たずに消えるが運命。……だが。それだけあれば、彼の目的を果たすには十分だった。

 言峰綺礼が、このまま自分をサーヴァントとして戦うならそれで良い。気には食わぬが、むざむざ消えるよりは、もう一度言峰と契約を結び直した方がマシである。

 

 ──だがもし。言峰が、自分を本当に切り捨てるつもりだったのなら、その時は。

 

「バゼットの仇を討たせてもらおう。覚悟はいいか、言峰綺礼」

 

 轟、と魔力が収束していく。あらゆる敵の心臓を貫く魔槍。その穂先は、真っ直ぐに怨敵の心臓に向けられた。

 この男が何を狙ったのかは知らぬ。しかし、自分に自害を命じた以上、言峰綺礼は既に敵だ。そもそもこの男は、正当なマスターから権限を奪い取った簒奪者に過ぎない。そのマスター権すら失われた今、ランサーにとって、言峰はここで倒すべき仇だった。

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。此度の聖杯戦争において、クー・フーリンを召喚した、正当なるマスター。聖杯戦争に最後まで勝ち残るという、彼女への義理が果たせなくなるのは惜しいが──だからこそ、彼女のサーヴァントとして、その仇を討つ程度はしなければなるまい。

 

「……ほう。聖杯を手に入れる気は、とうにないというわけか。すでに死んだ女に、そこまで肩入れするとはな」

 

「ハッ。願望器に託す願いなんざ、ハナから持ち合わせちゃいねえんだよ。オレはな、ただ戦うために召喚に応じたんだ。今のオレに望みがあるとすれば──それは、バゼットの信頼を裏切った、テメェの首を獲ることだけだ。

 さあ、赤枝の騎士を舐めてかかったツケ──揃って返してもらおうか!」

 

 響くランサーの怒声。姿勢は低く、一足で敵の心臓を射抜ける位置へ。最速の英霊、その神技を以てすれば、人間風情には抗うことさえ叶うまい。サーヴァントと敵対する、その致命的なまでの現実に相対していながら。

 

「──ク」

 

 笑っていた。先程までの狼狽は何処へ消えたのか。絶対の窮地にあるにも関わらず、言峰綺礼はくつくつと笑っていた。

 己の令呪は効かなかった。ランサーは既に敵となった。如何に歴戦の代行者であろうが、サーヴァントを前にしては、象の前の蟻も同然。だというのに何故、この男はこれ程の余裕を漂わせているのか。

 もしや、己の死期を察するに及び、とうとう気でも触れたのか。だが、言峰の内心がどうであれ、ランサーの採るべき道は決まっていた。コマ送りのように、槍兵の姿が掻き消える。

 

「あばよ。その心臓、貰い受ける──!」

 

 絶対の死刑宣告。過たず心臓を穿つ魔槍は、一瞬にして言峰の眼前へと迫り──

 

 

「──"赤原猟犬(フルンディング)"」

 

 

 ──その寸前。何処かより飛来した魔弾に、必滅の一撃を逸らされていた。

 

「……なに!?」

 

 ランサーの動きが止まる。螺旋に刃が巻き付いたような、異形の外観を持つ魔剣。滾り溢れるその魔力を、見間違うはずもない。これは紛れもなく、英霊の用いる最終兵器。物質化した奇跡──すなわち、宝具そのものだった。

 ゲイ・ボルクに着弾した魔剣は、その穂先を逸らすだけでなく、槍の持ち主へも牙を剥こうとしていた。一度直撃した後、奇妙にその軌道を変化させ、ランサーへと向かう謎の宝具。不意を打たれながらも、槍兵は大きく後退し、その剣先から辛くも逃れた。

 ……だが。一度逃れたにも関わらず、剣の動きは止まらない。遥か彼方へ消えるかと思われた魔剣は、再度その軌道を変え、舞い戻る様にランサーへと直進する。その埒外の脅威に、男の顔が驚愕に染まる。

 

「馬鹿な、この宝具は──!?」

 

 ()()()()。その事実に、ランサーは驚きを隠し切れなかった。

 あらゆるサーヴァントと交戦したランサー。彼の知る限り、このような宝具を用いる英霊は存在しない。唯一例外があるとすればアーチャーだったが、彼の用いた武具と比較して、この宝具は明らかに、含有する神秘も、武器としての質でも劣っていた。

 激突する剣を防御しながら、ランサーは急速に頭を動かす。こんな事態は、ランサーの想定に入っていない。今まで遭遇したどの敵とも異なる宝具──その存在は、ありえないはずの新たなサーヴァントの存在を示唆していた。

 

「しゃらくせえ!」

 

 何度目かの剣との交錯の後、遂にランサーの槍が飛来する剣を破砕する。元より神秘の格が異なるモノ同士が全力でぶつかり合えば、より劣るモノの方が壊れるのは自明の理である。執拗に自らを狙い続けた剣を破壊せしめたランサーは、態勢を立て直すと同時、言峰綺礼の側に佇む新たな影の存在を認めた。

 

「テメェは……!?」

 

 いつの間にか。言峰を庇うような位置に立っていたのは、長身の男だった。

 背丈や体格などは、ランサーとそう違いはない。だが、青い戦装束に身を包むランサーとは対照的に、その男は特徴的な赤い外套を身に纏っていた。その内には鍛え上げられた筋肉が見受けられ、この男もまた幾度となく死線を潜り抜けた猛者なのだと感じさせる。

 髪の色は白く、肌は浅黒い。これだけでは、その男が何者なのかは特定できないが──ただ一つ。彼から感じられる、人ならざる独特の気配は、ランサーにとってはある種馴染み深いものだった。それもそのはず。その気配は、ランサー自身も……いや、()()()()()()であるなら、誰もが持っている物に違いないのだから。

 

「正気か、()()()のサーヴァントだと──!?」

 

 信じがたい、と目を見開くランサー。聖杯戦争において、呼ばれる英霊は七騎のはず。その全てを、ランサーは自身の目で確認している。だというのに、眼前の光景は、彼の認識を根底から覆して余りある異常さだった。

 

「貴様──どういうことだ、言峰!」

 

 視線だけで射殺しかねぬ気迫を以て、槍兵は神父を睨み据える。だが、激昂する彼とは対照的に、言峰は笑みさえ浮かべていた。その得体の知れなさが、ランサーをいよいよ苛立たせる。

 

「紹介しよう。彼は私の新しいサーヴァント、()()()()()だ」

 

「アーチャーだと!? 馬鹿な、二人目のアーチャーなど……」

 

 絶句するランサー。彼の知り及ぶアーチャーと、眼前に立ちはだかるサーヴァントは、特徴があまりにも違い過ぎた。

 変身能力を持つ英霊がいないわけではない。しかし、この英霊は、彼が遭遇した黄金の弓兵とは違うと断言できた。あちらのアーチャーが纏っていた特殊な空気、神の血を引く者特有の気配が、このサーヴァントからは感じられない。半神の身であるクー・フーリンだからこそ、自身と同種の存在には敏感だった。

 新たなアーチャーは、大きな洋弓を携えたまま、ランサーをじっと観察している。おそらくは、先程放たれた宝具は、あの弓から射られたものなのだろう。ランサーに破壊されたとはいえ、あのサーヴァントがまだ次の手を隠していないとは言い切れない。謎の英霊を前にして、ランサーは迂闊な動きが取れなくなった。

 唯一、アーチャーの背後にいる言峰だけが、状況を楽しむように愉悦の色を貼りつかせている。大仰な素振りで手を広げると、言峰は元サーヴァントに朗々と異常の説明を始めた。

 

「ああ、おまえが言っているのはあのアーチャーのことか。アレは前回の聖杯戦争で召喚された英霊だ。此度の戦の正式な参加者ではない」

 

「なに……!?」

 

 前回の聖杯戦争。その言葉に、ランサーが思わず反応する。

 サーヴァントとは、聖杯戦争が起こる度に、英霊の座にある"本体"から複製され直す存在だ。聖杯の力で現界しているサーヴァントは、聖杯戦争が終わると同時に消滅する運命にある。

 だが言峰は、黄金のアーチャーは前回召喚された英霊だと口にした。本来消えていなければならないはずの存在が、なおも現界を続けているその矛盾。その不条理を成立させた原因は、ただ一つしか考えられない。つまり、あのアーチャーは……前回の聖杯戦争で勝者となり、聖杯を手にして受肉した英霊なのだ。

 そう考えれば、納得がいく部分もあった。いずれ劣らぬ英雄が集う聖杯戦争で勝ち抜いた豪傑ともあれば、並の英霊では有り得まい。それほどの存在ならば、最初の剣を交えた時、自身の『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』を防がれたことにも不思議はなかった。

 

「つまり。此度の聖杯戦争は、今までは始まってさえいなかったということだ。……だが、最後のサーヴァントであるアーチャーが召喚された今、聖杯戦争は正式に開幕を告げた。

 これまでに三騎の英霊が、器に捧げられている。ランサー。おまえには、四騎目の脱落者になってもらおう」

 

「…………」

 

 そう言峰が告げると。赤い弓兵が、僅かに半身を動かした。握られていた洋弓は掻き消え、その代わりに、どこから持ち出したのか、白と黒の二振りの短剣が現れていた。

 

「ハッ。最近の弓兵は、どいつもこいつも双剣使いと来てやがる──舐められたもんだな、おい」

 

 ランサーの全身から、苛烈なまでの怒気が迸る。言峰が発した言葉は、彼にとって不可解な部分が多かった。しかしそれでも、この八騎目の英霊が敵であることだけは、十分過ぎる程に理解できる。あのサーヴァントのマスターが言峰だというのなら、あれを打倒しなければ神父の首は討ち取れまい。

 ならば、事は単純だ。全力を以て、あの正体の知れぬ弓兵を撃破し、しかる後に言峰を抹殺する。そう結論付けると、ランサーは紅の魔槍を、謎のサーヴァントへとまっすぐに向けた。

 

「どこの英霊かは知らんが……ここで消えろ。オレの前に立った不運を呪うんだな」

 

 今のランサーには、令呪の縛りはない。キャスターが残した魔力量は、ランサーが全力戦闘を行ったとしても耐え得るだけの余裕がある。数々の横槍によって、今の今まで全力での戦いが望めなかったクー・フーリンだが、ここに来てようやく、何の枷もない戦いが可能となった。

 傍から判るほどの膨大な魔力を纏わせ、槍兵の体が微かに沈む。弓兵との間合いは三間。サーヴァントにとっては、瞬時に詰めることが可能な間合い。

 ランサーの態勢に対し、アーチャーは双剣を交差するように構える。彼が弓兵のクラスだとするならば、その得物は弓でなければおかしい。だが、如何なる思惑があってか、アーチャーは弓を用いた遠距離戦闘ではなく、双剣による白兵戦闘を行おうとしていた。その分を弁えぬ不遜に、ランサーの殺気が強まっていく。

 

「ふむ。おまえの生き汚さは美徳ではあったが、今となっては邪魔でしかない。既におまえの役目は終わっている。

 ──故に、令呪を以て命じよう。アーチャー。今この場で、全力を以てランサーを打倒せよ」

 

「了解した。その命令に応えよう、マスター」

 

 主の命令に応じるように、アーチャーが初めて言葉を発した。同時に、言峰の腕から莫大な魔力が迸り、アーチャーの全身を覆い包むような形で展開される。新たに消費された令呪に、ランサーは内心で悪態を吐いた。

 令呪というものは、下す命令が単純であればあるほど効力を増す。今言峰が下した命令ならば、ランサーと戦う時に限り、アーチャーは本来以上の能力を発揮できるだろう。この英霊の正体は知らぬが、令呪の後押しを受けたとあっては、最早微塵たりとも油断する訳にはいかなかった。

 

「そういうわけだ。君にはここで消えてもらおう、クー・フーリン」

 

 ランサーには知る由もないが。この英霊は昨晩、言峰綺礼によって召喚されたサーヴァントである。

 さらにその前、一世一代の大手術を行い、その疲労から未だ完全に回復していなかった言峰だが、元々サーヴァントの召喚にそう大それた用意は必要ない。前回の聖杯戦争で、アサシンを召喚した経験のある言峰にとっては、召喚の下準備は手慣れたものだった。

 それでも、十全な魔力が望めない状態では、サーヴァントの召喚には問題が生じる。それを補ったのが、凛が言峰に預けた家宝のペンダントだった。赤い宝石は、その魔力の大半を消費し尽されていたが、それでも言峰の補助を行える程度の残量は残されていた。

 そして、最後の問題──サーヴァントを召喚するために必要な、マスターとしての資格。令呪についても、天が言峰に味方した。本来ならば、予備令呪の残りを転用する事で強引にマスター権を得ようと目論んでいた言峰だったが、いざサーヴァントを召喚するという段階で、彼には新たな令呪が齎された。前回の聖杯戦争と同様、令呪の再配分という形で、大聖杯は言峰綺礼をマスターとして選出したのだ。ここに全ての用意が整い……言峰綺礼は、アーチャーのクラスに据えられた、最後のサーヴァントを召喚することとなった。

 今回の聖杯戦争が狂いだしている影響なのか、この英霊は、自身の記憶が曖昧なのだという。加えてこのサーヴァントは、ステータスの低さが際立っていた。

 しかし、サーヴァントに足りない部分は、マスターが補えばそれで良い。言峰の腕には、未だ幾画もの予備令呪が残されている。今この場でして見せたように、令呪を積極的に用いることで、言峰はサーヴァントの能力を補強する腹だった。

 

「抜かせ。消えるのは貴様の方だ、アーチャー。

 オマエには恨みはねえがな。オマエのマスターとは、少しばかり因縁がある。それを邪魔立てするつもりなら──決死の覚悟を抱いて来い」

 

 槍を構えたランサーの姿が、一瞬にして掻き消える。最速の英霊は、その名に違わず、音さえ置き去りにしてアーチャーに突貫した。

 交錯は一瞬。甲高い音を立て、アーチャーの右手から短剣が吹き飛ばされる。神速の刺突は、その衝撃だけで、アーチャーの守りを食い破ってみせたのだ。

 

「──間抜け」

 

 二撃目。双剣使いは、手数が多いというその特性上、守りに回れば巌の如き堅牢さを誇る。だが、それは二刀が揃ってこその話。片方の剣が失われた今、アーチャーにランサーの槍を防ぐ術はなく──

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 ──だからこそ。それを防いでみせた、有り得ないはずの双剣に、ランサーの表情が驚きに歪んだ。

 

 今度は吹き飛ばされることもなく、双剣はランサーの刺突を凌ぎ切る。しかし、今見た現象の不可解さに、ランサーは追撃を放つことなく、槍を戻すと大きく後ろに飛び退った。

 ……ありえない。黄金のアーチャーも、確かに同じことをして見せた。だがあれは、初めから一振りの剣を隠し持っていただけの話。吹き飛ばされた双剣が、再度現れたわけではない。

 剣が戻って来たのとは違う。まるで新たに生み出したかのように、あの剣はそこに現れてみせたのだ。如何様な手品を用いているのかは知らないが、存外の手応えに、ランサーの顔が驚きから喜びへと切り替わっていく。彼にとっては予定外のことだったが、強敵との全力の競い合いという願いが、今この場で叶えられようとしていた。

 

「行くぜ、アーチャー。剣を執るだけはある、腕に自信があると見た。そら、オレの槍にどこまで喰らい付けるか試してみろ──!」

 

 ランサーの姿が再び霞む。必殺の意志を以て放たれる槍は、弓兵の双剣に再び激突する。首を狙った一撃、足払いの一閃、腹部を狙った打突、腕に迫る薙ぎ払い。神域に達した槍の動きは、さながら一つの演舞のよう。美しささえ感じさせる流麗さで、槍兵は間断なく槍を繰り出す。

 ……本来、この戦闘は戦いと呼べるものですらないはずだった。遠距離攻撃を主体とするアーチャーは、槍の間合いに踏み込んだ時点で、自ら敗北を示すのと同義である。ならばランサーの槍は、とうの昔にアーチャーを貫いていたはずだが──どういうわけか、彼が繰り出す槍は、その悉くを凌ぎ切られる。その理由は、令呪の力のみならず、アーチャーが見せる巧みな戦術にあった。

 幾度となくランサーの槍が迸り、アーチャーの双剣を叩き落とすのだが、決まってその直後には、新たな双剣が現れている。無限に現れる双剣の壁と、巧妙に槍先を逸らす技の冴えが、間一髪でアーチャーの首を繋いでいる。それは黄金の英霊のような天性の眼力ではなく、血の滲む努力によって培われた、勘と経験によるものだった。

 自分と()()()()()。その事実が、ランサーに更なる喜悦を齎す。単なる邪魔者でしかないはずの敵は、守勢に徹しているとはいえ、自分の槍と競えるほどの実力者だった。無類の戦好きであるランサーにとって、これ以上の喜びはない。言峰を倒すための前哨戦ではあるが、ランサーの思考回路は、怨敵の存在を蚊帳の外に置いていた。

 

「面白え。これだけ弾いてまだあるとはな」

 

 二十七本。それだけの双剣を弾き飛ばしたところで、ランサーが再び距離を取る。一方のアーチャーはと言えば、変わらず双剣を構えたまま。武具が湧き出るように現れるその異様さ、いずれは種も尽きると見て攻勢を掛けていたランサーだったが、此処に至っては、その総量は底無しと断ずる他なかった。

 だが、槍を交わす内に分かったこともある。得体の知れぬこの英霊は、能力面ではそう優れていない。剣の技量も一流ではあり、あの黄金のアーチャーを遥かに上回ってはいたが、それでもセイバーほどには至らない。驚嘆すべきは、能力と技量の圧倒的な差を埋める、緻密なまでの戦術眼だった。

 心眼。修行・鍛錬において養われた、戦闘を有利に進めるための洞察力。天賦の才能ではなく、努力さえすれば誰もが手に届く、凡人が持ち得る数少ない技能。それを確かに、このサーヴァントは有していた。己の才の無さを、極限まで鍛え抜いた底力によって、この弓兵は補っているのだ。

 

「いいぜ、訊いてやらあ。テメェ、どこの英霊だ。双剣使いの弓兵なんぞ、聞いたこともねえ」

 

「フ──私がそれに答えるとでも思うかね、ランサー。疑問があるのなら、その槍で存分に確かめるといい」

 

「抜かしたな」

 

 アーチャーの挑発に、ランサーの瞳孔がすっと細まる。それに呼応して、槍が中空に文字を描いていく。

 刻まれた呪刻(ルーン)火炎(アンサズ)。戦闘に際し、魔術の使用を好まぬランサーだったが、この弓兵は自身の全力を揮うに値する。ならば、持ち得る手札を使わないというのは、好敵手への無礼であった。

 

「テメェを倒してから、その首に訊いてやるよ──!」

 

 閃光と化したランサーの一撃。劫火を纏った剛槍は、絶大な熱量を伴って空間ごと周囲を焼き尽くした。

 

「ぬ──!」

 

 その踏み込みに、アーチャーがたまらず後退する。ただでさえ、ランサーの槍捌きは神域に至る。鷹の目と戦術眼を以て、辛うじてその動きに追従していたアーチャーだったが、あくまで剣の腕は"凡人が極めた一流"に過ぎない。神代の魔術を纏った槍撃なぞ、受けきれる道理がなかった。

 退くアーチャーと、その領域を侵食するランサー。火炎を放つ魔槍は、獰猛なまでの勢いを以て弓兵に迫る。これほどまでの攻撃、令呪の支えがあったとしても、まともに受ければ腕ごと砕けよう。そうと悟ったアーチャーは、双剣で槍の穂先を流すことで、必死に致命傷を回避しようと試みた。

 

「そらぁ──ッ!」

 

 大上段からの渾身の一撃。炎を撒き散らしながら振りかざされた一閃は、アーチャーの決死の防御によって辛うじて防がれた。しかし、アーチャーの双剣とランサーの槍では、内に秘める神秘が違い過ぎる。結果、アーチャーの剣は僅か一撃で粉砕され、防ぎ切れなかった火炎が彼の肌を焼いた。

 

「──こいつで終いだ!」

 

 ぐるり、と回された剛槍が、今度は横薙ぎの軌道を取る。アーチャーが再びあの双剣を持ち出したとしても、ルーン魔術の上乗せを受けた攻撃には耐えられないことは立証された。ならば、この一撃は防げない。自らが砕ける未来を幻視し、アーチャーは戦慄する。

 そうと悟るや否や、即座に自己の裡に埋没するアーチャー。彼が持つ手札は、無限に湧き出る双剣だけではない。この状況、この盤面に適した武器を、彼は最速で検索する。コンマ一秒でも対処が遅れれば、この身は灰燼と帰するだろう……!

 

投影(トレース)開始(オン)──!」

 

 ガキ、と空気が凍り付く音。

 それは比喩でも何でもなく……アーチャーが新たに取り出した剣が、空間そのものを凍結させた音だった。炎と真っ向から反発する、氷という概念が、軋みを上げて魔槍に喰らい付く。互いの領域を奪い合おうと、異なる凶器が鎬を削っていた。

 

 ──誰が知ろうか。この剣の銘こそはアルマス。かつてシャルルマーニュ大帝に仕えた騎士が持つ、氷の刃と呼ばれる名剣であると。

 

 だが、剣の銘がアルマスであるのなら、その持ち主は、フランス王であったシャルルマーニュ麾下の武将、チュルパンという大司教に他ならない。しかし、アーチャーの外見は、明らかに西洋の人物とは異なっている。ありえないの現象が、またもこの場に顕現していた。

 その事実を知らぬランサーではあったが、アーチャーが自身の一撃を防ぐ剣を取り出したことを見て取ると、力任せに槍を振り抜いた。アーチャーはそれに逆らわず、ランサーの力を流すような形で、自身を致命の一撃から守りきる。またも必殺の槍が凌がれた事に、ランサーの表情には苦々しさが浮かんだ。

 最初に射出した魔剣。無限に現れた双剣。今構えている氷の剣。これらの状況から鑑みるに──この男は、宝具の数と種類を頼りとする英霊だ。だが、それ故に、ランサーはこの英霊の素性が分からない。仮に高名な英霊であるならば、複数の宝具を持つ理由にも納得が行く。しかし、この英霊の格は、大英雄のそれとは程遠い。では一体、この敵は何者だというのか──?

 

「──ハッ。言峰のサーヴァントにしちゃ、えらく面白いヤツだな、おい。こいつは手加減抜きで行くぜ」

 

 槍だけでなく、今度はランサーの全身を、隈なくルーンが覆っていく。原初十八のルーンを修めたランサーは、魔術師としても一流である。全てのルーンを身体強化に回した今、ランサーの能力値は一段階上にあると言ってもいい。難敵であるセイバーとバーサーカーのみに披露した、戦闘に特化した全力開放形態。今のランサーは、あの騎士王に迫るほどの力を有している。

 侮っていたわけでもない。手を抜いていたわけでもない。にも関わらず、ここまで自分に喰らい付いてくるのなら──ランサーは、自身の全てをこの一戦に注ぎ込むと決めた。

 今度はアーチャーの剣ではなく、ランサーの槍から、空気を凍てつかせるほどの魔力が放たれる。因果逆転の魔槍は、その存在だけで世界を畏怖させるのか。彼が発する膨大な殺気は、それ自体が一つの凶器でもあった。

 

 ──疾風。

 

 魔術の加護を受けた槍兵の体は、実に音の数倍という速度で、アーチャーまでの距離を詰めた。咄嗟に長剣を振り下ろしたアーチャーだったが、驚異的な速度の乗ったランサーの一撃は、その剣を弾き飛ばして宙に舞わせた。丁度二人の中間点で、剣が地に落ちるより早く──

 

「──"刺し穿つ(ゲイ)"」

 

 紡がれる真名。解放する宝具は、因果を狂わす呪詛を持つ。それが放たれたが最後、敵の心臓は必ず穿たれる。ランサーは遂に、詰め(チェック)に移ろうとしていた。

 アーチャーの表情が強張る。今から放たれる一撃は、生半なものでは防げまい。新たな得物を取り出す時間はない。無限に引き延ばされた一瞬の中で、アーチャーは静かに目を瞑り──

 

「"死棘の(ボル)"──」

 

「──"壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)"──」

 

 宝具発動の、その直前。両者の中間にあった氷の刃が、手榴弾のように爆ぜ割れた。

 

「なにっ……!?」

 

 それは、吹き飛ばされたランサーの言葉。あの英霊は、こともあろうに、宙に浮いていた自分の宝具を()()()()()のだ。爆風は両者を吹き飛ばし、弾け飛んだ剣の破片が、ランサーの全身に細かい傷を作っていく。

 吹き飛ばされ、大地を転がるランサー。彼がようやく受け身を取り、立ち上がったのは、この広場の入り口に当たる場所。実に百メートル余りの距離を、ランサーは爆風で飛ばされたことになる。彼が掠り傷程度で済んでいるのは、解放寸前だった宝具が纏う、膨大な魔力故だった。可視化出来る程の魔力は、ルーンの加護もあり、爆裂の威力を減衰する事に成功していたのだ。

 一方のアーチャーには、そのような護りはない。ランサーの宝具は、発動直前で防いだものの、その代償に爆裂を受けたアーチャーは、全身の裂傷から血を垂れ流していた。ダメージの度合いで言えば、ランサーを遥かに上回ろう。しかしこの時、ランサーの脳裏に浮かんだのは、ぞっとするような悪寒だった。

 

 ──まずい。

 

 この距離。百メートル以上の距離は、ランサーを以てしても一足には詰められぬ。この位置は、槍兵の間合いではない。ここは──弓兵(アーチャー)の距離だ。

 不利と断じたランサーが、距離を詰めようと飛燕となって疾駆する。しかしその時には、アーチャーの手には剣ではなく弓が握られており、その照準は、ランサーの眉間に合わせられていた。間に合わぬ、とランサーの直感が警告する。

 

「──―I am the bone of my sword(我が 骨子は 捻じれ狂う).」

 

 アーチャーの声が空気を震わす。悪手と悟ったランサーは、距離を詰めるのではなく、今度は回避しようと後ろに跳ねる。ここまで弓兵を圧倒していたランサーだったが、両者の距離が離れたことで、攻守は此処に入れ替わった。

 回避すら不可能だと判断したのか、身体強化に回していたルーンを、今度は防護障壁として展開するランサー。その焦燥を、はっきり見据えた上で。

 

「──"偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)"」

 

 アーチャーは、その一撃を撃ち放った。

 弓兵の渾身の一撃は、さながら竜巻の如く、空間そのものを捻じ曲げ切り裂いて貫いていく。その威力は、先刻の魔弾を優に凌駕する。この一撃ならば、かの大英雄(ヘラクレス)の護りさえ乗り越えよう。

 それほどまでの攻撃、直撃すればひとたまりもなく霧散するが定め。迫る矢の一撃を、ランサーは全力を以て迎撃する──!

 

「おおおおおおおお──ッ!!!!!」

 

 上級宝具すら凌ぐ原初のルーンと、アーチャーが放った必殺の一撃が激突する。互いに互いを喰らい合う極限の激闘は、光と風を巻き添えにして、悲鳴のような音を響かせていく。

 だが、どこまでも続くかと思われた盾と矛の競い合いは、辛うじて矛の方に軍配が上がった。守りを食い破ったアーチャーの矢は、その威力の過半を減衰されつつも、反射的に回避したランサーの半身を掠め、捩じ切るような傷を負わせていた。血煙が舞い、ランサーの戦装束を赤く染めていく。負傷の度合いは、これで五分に逆戻りとなった。

 しかし、ランサーの顔に浮かぶのは、傷を負ったことによる苦悶では無く、信じられないものを見たという驚愕。一瞬後には、驚きは怒りに取って代わられ、凄まじいまでの殺気がランサーの全身から放たれた。怒りのあまり、構えを取る足に力が入り過ぎ、足元の石畳に亀裂が走る。

 

「馬鹿な、()()()()()()だと……!? 貴様、いったい何者だ!」

 

 螺旋虹霓剣(カラドボルグ)。それはケルト神話に登場する英雄、フェルグス・マック・ロイが用いたとされる魔剣である。そしてフェルグスは、クー・フーリンの師匠にして盟友であった人物だ。

 だが、このアーチャーはフェルグスではない。加えて言うならば、彼が用いた今の宝具は、クー・フーリンが生前目にしたカラドボルグとは明らかに異なっていた。ありえないはずの人物が、ありえないはずの宝具を用いる異常。それも、使われた宝具が自身の盟友のものとあれば、ランサーは黙っていることはできなかった。

 恐ろしいほどの怒気を轟かす槍兵に対し、アーチャーは何ら感情らしきものを見せない。唯一、僅かに顰められた眉だけが、自らの必殺の一手を凌がれたことへの当惑を露にしていた。アーチャーにとって今の一撃は、本来なら決め手となるはずの技だったのだ。

 

「なに、そう大した者ではない。しがないただの弓兵だよ」

 

「抜かせ。フェルグス(叔父貴)以外の者が、その宝具を使えるものか」

 

 友人の剣を用いられた怒りと、得体の知れぬ相手に対する警戒心。感情に支配されかけたランサーだったが、彼の中の冷静な部分が戦況を分析することで、辛うじてその体を地面に縫い止めていた。

 一つ、理解できたことがある。今アーチャーが用いたカラドボルグは"偽物"だ。本物のカラドボルグは、三つの丘の頂を一振りで斬り落とす魔剣である。矢として放つような逸話なぞ存在しない。しかし、偽物と断じるには、あの宝具は余りにも力を持ち過ぎていた。ヘラクレスの十二の試練(ゴッド・ハンド)とまではいかぬにしろ、生半な宝具では、クー・フーリンの護りは貫けない。

 そしてもう一つ。この英霊は、アルスター伝説に縁のある存在ではない。もしこのサーヴァントがアルスター縁の者であれば、ランサーにはそれと分かっただろうし、仮にそうであったとすればランサーは今ここに立っていない。アルスターに縁深い者がカラドボルグを使ったならば、クー・フーリンはそれに一度敗北しなければならないという制約(ゲッシュ)を背負っているからだ。

 あの能力値の低さや、用いた武具の神秘の低さから察するに、あの英霊はそう深い歴史を持つ者ではない。おそらくは近現代に名を残した英雄であろう。しかし、浅い歴史しか持たぬ英霊が、あれだけの宝具を持ち、クー・フーリンに食い下がれるものだろうか……?

 

「──いや、違うな。テメェの武器は"持ってる"モノじゃねえ。どういう手品か知らねえが、テメェは武器を"創り出して"やがる」

 

 名の知れぬ英霊が用いた手品の種。俄かには信じがたいが、カラドボルグという名の武器を、アルスターと無縁の者が用いる以上は、そう判断せざるを得なかった。武器を創り出す異能こそが、この英雄が頼みとする秘儀に違いあるまい。

 

「……大したものだ。僅か一戦でここまで見抜かれるとはな。さすがはクランの猛犬といったところか」

 

「このオレにその宝具(カラドボルグ)を使ったのはまずかったな、アーチャー。フェルグス(叔父貴)の剣を勝手に使われ、挙句に負けたとなれば、あの人に合わせる顔がねえ。

 ──オレの槍の能力は聞いているな、アーチャー。ふざけたモノを見せてくれた礼だ。この一撃、手向けとして受け取るがいい」

 

 未だ、百メートル以上離れた彼我の距離。アーチャーの射程であるはずのこの位置で……ランサーは、地に伏せるような構えを取った。同時に、彼が携える真紅の魔槍が、莫大と呼ぶのも馬鹿馬鹿しいほどの魔力を収束させていく。キャスターが残した予備魔力にはまだ余裕があるが──今その全てを消費し尽くすつもりで、ランサーは決着をつけようとしていた。

 呼吸さえ困難な程に凍りついた空気の中、槍が静かに唸りを上げる。早く心臓を奪らせろと、そう言わんばかりの魔槍の猛り。その脅威を見て取ったアーチャーは、これだけ間合いが離れているというのに、背筋が凍るのを隠し切れなかった。

 

 ──伝説に曰く。その槍は、放てば無数の鏃となって敵軍を一掃したという。

 

 歴史に刻まれた、或いは伝説を築いた数多幾多の名槍宝槍。その中でもこの槍は、殊に格別の逸品だ。海獣の骨より創られ、影の国の女王より引き継ぎし魔槍。その真骨頂は刺突ではなく──遠距離よりの投撃にある。此処にランサーは、己が宝具を全力で揮おうとしていた。

 地を踏みしめた足は、石畳を割り、尚も深く沈んでいく。上半身は極限まで撓められ、逆手に握られた槍がギリギリと軋みを上げる。戦場を支配するその威容は、紛れも無く世に名を轟かす大英雄のもの。紅の魔槍は解放の時を待ち望み、大気から際限なく魔力を吸い上げていく。

 

「──行くぞ」

 

 青い颶風が空を翔ける。槍兵は突撃ではなく、踏み込みからの跳躍を選択した。神の血を引く紅の目は、赤い弓兵を睨み据え。手にした魔槍は、弓の弦のように引き絞られている。

 空が震える。因果を捻じ曲げる魔槍に、世界そのものが怯えているのか。凍てついた時間の中、その槍だけがどこまでも赤く輝いている。それと対峙する弓兵は、伝説の具現を思い知ることになるだろう。

 

「──"突き穿つ(ゲイ)"」

 

 紡がれる真名。己が魔槍を、限界まで振りかぶったランサーは。

 

「"死翔の槍(ボルク)"────!! 」

 

 己の全魔力を籠めて、その魔弾を撃ち放った──!

 

「…………!!」

 

 ゲイ・ボルク。因果を狂わせ、あらゆる敵を刺し貫く呪いの槍。その攻撃は、躱すことさえ望めない。一度放たれた槍は、相手がどこまで逃げようと、決して対象を逃がさない。その威力は人を相手取る領域を超え、軍勢をも薙ぎ払う対軍宝具に相当する。

 加えてこの一撃は、大英雄クー・フーリンの全力である。彼こそは、その槍で自身を貫かれるまで、一度たりとも敗北しなかった赤枝の騎士。因果逆転の呪詛に加えて、ルーン魔術の上乗せを以て放たれた槍を、一体誰が防ぎ得ようか。この一撃は防ぐことも、避けることも許されぬ破滅の槍なのだ。

 音を遥か飛び越す速度で、放たれた魔槍が弓兵に迫る。それに抗う無意味さを悟ったのか、此処に弓兵はその瞳を閉じ──

 

「──I am the bone of my sword(体は 剣で 出来ている).」

 

 叩き付けられた一撃が、己を貫くその寸前。

 

「"熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)"──!!」

 

 己の裡より、最硬の盾を顕現させた。

 

 ──激震。

 

 狙った相手を必ず貫く死棘(イバラ)の槍。本来ならば、防御さえ許されぬはずのそれは……アーチャーの盾に阻まれ、その役割を途上で放棄していた。

 アイアスの盾。この宝具こそは、ギリシャ神話に登場する英雄・大アイアスが所持した、七枚の皮で敷き詰められたと言われる盾である。その防御力は数ある防御宝具の中でも群を抜き、大英雄ヘクトールとの戦いでは、彼の投石、槍撃、投槍を悉く防ぎ切ったと伝えられる。

 その伝承故に、この宝具は投擲宝具に対しては無敵を誇る。他人が持つ宝具を、まるで己の物かのように次々と取り出すアーチャーは異様に過ぎるが、それもこの光景の前では些末なこと。無敵の盾は、最強の槍と真っ向から張り合い、空間そのものを揺るがしていく。アーチャーが持ち出した盾の前に、一旦は完全に停止したかのように思われた剛槍だったが……。

 パリン、と硝子が砕けるような音が響く。それは盾を構成する七枚の花弁が、次々と貫かれていく音だった。かつて担い手が死に際し、流した血から花が咲いたという伝説を持つ宝具。まるでその逸話を再現するかのように、無敵を誇るはずの盾は、儚く花のように散っていく。

 僅かな間だけ動きを止めたゲイ・ボルクは、猛烈な勢いで六枚の盾を打ち砕いた。一枚一枚が、城壁にすら匹敵する頑強な護り。並の飛び道具では、一枚目を破ることすら能わぬというのに──あろうことか、ランサーの槍は、一瞬にして六枚の盾を破砕し、苦もなく最後の一枚に到達してみせたのだ。大英雄ヘクトールの投槍すら防ぎ切った七枚目の盾が、途方もない衝撃に悲鳴を上げる。

 このままでは突破される。決して貫かれぬはずの盾は、魔槍の前に頭を垂れようとしている。そうと悟ったアーチャーは、己の右手に左手を添え、

 

「ぬ、おおおおおおおお──ッ!!!!!」

 

 全力を以て、護りを食い破ろうとする一撃に抵抗する──!

 

「────ッ」

 

 ──大気が爆ぜた。

 

 ランサー渾身の一撃を、全魔力を結集させて凌がんとしたアーチャーだったが……『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』の一撃は、無敵の盾による弓兵の護りを、遂に打ち破ったのだ。

 アーチャーの顔が歪む。それは己の敗北を悟っただけではなく、盾に莫大な魔力を注ぎ込んだ、その反動による激痛を堪えてのものだった。盾を支えていた右腕は裂傷に塗れ、胴から辛うじて繋がっているという程度。槍に貫かれるまでもなく、彼の体は既に限界に近づいていた。

 最強の槍と無敵の盾は、何れ劣らぬ性能を持つ。故に、勝敗を分けたのは武具の性能では無く──それを支えた使い手の技、ランサーが用いたルーン魔術によるものだった。

 ルーン魔術の後押しがあったランサーと、そのような技術を持たなかったアーチャー。だが、如何な言い訳を述べたところで結果は変わらない。アーチャーの盾を破壊し尽くした槍は、尚もその勢いを落とさず、一直線に猛進し──

 

「──な、に」

 

 アーチャーではなく。その背後に控えていた、言峰綺礼に激突した。

 威力はほとんど減衰していたとはいえ、そもそもは軍勢に対して用いる宝具。瞬時に腕を振りかざし、防御の体勢を取った言峰は見事だったが、深紅の魔槍はその守りを打ち砕き、神父の肩に食いつくと、彼を遥か後方まで吹き飛ばした。

 教会の壁に叩き付けられ、衝撃のあまり受け身すら取れずに地面に崩れ落ちる言峰。その槍の持ち主は、彼以外の誰もが予想だにしなかった結果に、ニヤリと口の端を歪めて笑っていた。

 

「最初に言ったろう、オレの狙いはオマエだと。サーヴァントを盾にした程度で、オレの槍から逃げられるとでも思ってたのか? 結局事の始まりから、テメェはオレの仇敵だったんだぜ」

 

 倒した仇敵を冷笑するランサー。彼に悟られぬ間に新たなサーヴァントを召喚した言峰、そして彼の槍と拮抗して見せた正体不明の英霊。この二人は確かに優れた戦術眼を持ってはいたが、此度に限ってはクー・フーリンに致命的な後れを取ることになった。ランサーはこのアーチャーが戦上手であり、容易には倒せぬと見て取ると、必中必殺という槍の特性を活かし、その標的を密かに変更していたのだ。

 しかし。怨敵を倒したというのに、ランサーはその場から動かない。マスターは倒れたものの、眼前のサーヴァントは未だ健在。彼の性格を鑑みれば、もう一悶着程度は起こっても良さそうなものだったが……。

 

「……チッ、この身体ももう限界か。まあいい、オレの目的は済んだ。仕留め損ねたのは惜しいが、お前の分の借りは返したぜ、バゼット」

 

 槍兵の体。青い甲冑が、まるで幻像のように揺らいでいる。ランサーはアーチャーの盾を貫く為、あの一撃にキャスターの残した予備魔力、その全てを叩き込んだのだ。

 その結果がこれだ。元よりサーヴァントとは幽世の住人。依り代を失い、単独行動のようなスキルを持たず、残した魔力さえ使い切ったサーヴァントは、この世から消え去るより他に道はない。

 

「どうだ。お前の喚んだサーヴァントは、最後まで負けなかった。オレを選んだお前は、間違っちゃいなかったぜ」

 

 クー・フーリン。クランの猛犬の異名を取る英霊は、正しく大英雄と呼ぶに相応しかった。

 知名度の恩恵もなく、宗旨替えを強要された上、戦いの半ばまでは令呪に縛られ、全力を揮うことさえままならなかった。にも関わらず、彼は全てのサーヴァントと交戦し、あらゆる戦いで終ぞ負ける事はなかった。生前と同じように、最後の最後まで、彼は不敗の英雄だったのだ。

 半分消えかけた体で、遠い空を見上げるランサー。その赤い瞳は、道半ばにして倒れた、本当のマスターの姿を見つめているのか。陽炎のように霞み始めた顔で、彼は苦笑いを浮かべて見せる。

 

「あいつに聖杯を届けてやれたら、言うことはなかったんだが……ここらが潮時か。気に食わねえこともあったが、存分に戦場を駆けられた。

 ま、元々二度目の生ってのが夢みたいな話なんだ。夢にしちゃあ、それなりに悪くなかったぜ」

 

 そう満足げに笑みを残すと。ランサーのサーヴァントは、光の粒子となって、大気の中に消えていった。

 

 

 

***

 

 

 

「……マスター!」

 

 ランサーの消滅を確認した後。傷ついた体を半ば引きずるようにして、アーチャーは神父の下へと駆け寄った。

 召喚されて数刻と経っていない以上、信頼関係を築くまでには至っておらず、アーチャーは神父について詳しくは知らぬが、それでもこの男はマスターである。彼に今死なれたのでは、如何に単独行動のスキルを持つアーチャーといえど現界には支障を来す。それでは、アーチャーがこの戦いに参戦した目的が果たせなくなってしまう。

 しかし、ランサーの槍はこと生物に対しては絶大な威力を誇る。あの槍は対象への絶対命中能力だけではなく、回復阻害の呪いも宿しているのだ。例え致命傷を避けられようとも、呪いからは逃げられない。

 地面に倒れ伏し、槍が貫通した肩だけでなく、内臓を傷つけたのか口からも血を流す言峰。これは危うい、と汗を流すアーチャーだったが。

 

「──問題ない。こればかりは、天運が私に味方したか。やはり、主は私を見放さなかったらしい」

 

 直後、眼前に広がる光景に、自らの目を疑う事になった。

 何の冗談か。死んでいてもおかしくないほどの傷を受けた男が立ち上がり、何でもないかのように、平然と言葉を発して見せたのだ。到底信じられぬ光景に、アーチャーの瞳が大きく見開かれる。

 

「な、に……? 無事なのか、マスター!?」

 

 ありえない。神父は確かに『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』の一撃を受けた。あれほどの速度で壁に叩き付けられれば、全身の骨が砕けているはず。

 アーチャーの驚愕と困惑。その視線を受けた言峰は、感情の宿らぬ瞳で僧衣を捲りあげた。筋肉に覆われた腕が顔を出し、監督役としての特権で得た、無数の令呪が姿を見せるが──残り少なかった刻印の数は、更に姿をすり減らし、既に数えるほどとなっていた。

 

「フ……よもやこのような奇芸を、二度も使うことになるとはな」

 

 どうも令呪を使ったようだが、アーチャーには追加の命令は加わっていない。理解できぬ、と首を捻るサーヴァントに対し、言峰は歴史の皮肉に唇を歪ませていた。

 盾の展開、及び破られた後の槍の回避で精一杯だったアーチャーは、言峰の動きにまでは気付けなかったが……彼が用いたのは、身に積んだ功夫。即ち、凄まじいまでの技量に達した八極拳だった。

 『纏』の化勁。格闘戦に於いて、相手の拳を巻き取って流す技の一つである。言峰は、二画分の令呪による魔力を叩き込む事で防御力と速度を跳ねあげ、飛来する槍を絡め取って軌道を逸らしたのだ。この超常的な防御手段は、十年前──彼の大敵であった衛宮切嗣に対して用いられたものだった。

 加齢により、当時より身体能力は落ちているが、技量の方は年月を経て更に冴えを伸ばしている。当時この技を使用した際は、反動で右腕が破壊されたものだったが、二度目ということもあってか今回はそれほどまでのダメージはない。しかし、槍が突き刺さった肩の筋肉は断裂し、魔力を注ぎ込まれた血管は破裂している。治癒魔術の達人である言峰をしても、しばらくは動けぬ傷だった。

 

「今のは、さすがに死を覚悟したのだがな。──以前にも言われたことだが。聖杯というものは、私に余程の期待を寄せているらしい」

 

 そう苦笑する言峰。いくら彼が達人の域に立つ拳法家でも、ランサーの一撃を受けては生きていられる道理がない。言峰が今立っていられるのは、先ほど彼が口にした通り、天の加護が働いたと言う他ない幸運によるものだった。

 まず第一に、ランサーの宝具の威力のほとんどが、熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)によって減衰されていたこと。本来の威力の『突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)』ならば、人間一人の体など粉微塵に打ち砕いていた。

 第二には、令呪の残存数。もし令呪が一画しか残っていなければ、彼が槍を逸らすことは敵わなかった。ただでさえ十年前の戦闘で消耗しているというのに、ランサーやアーチャーに行使した分もある。今回の聖杯戦争で脱落したマスターの数、彼らが遺した令呪の数が少しでもずれていれば、言峰に予備令呪は残されていなかった。

 そして第三に、言峰が飛び道具に対する切り札を持っていたこと。とはいえ、本来ならこのような防御手段は有り得ないし、言峰とて用いない。咄嗟に受け技の応用を思いついたのは、彼が十年前、この技によって命を救われていたからだ。皮肉にも、衛宮切嗣が今の言峰を助けたとさえ言えるだろう。

 

「まさか私の仇敵が、私を生き長らえさせる結果になるとはな。クランの猛犬は、つくづく運に見放されていると見える。

 ……だが、それも無意味ではなかった。即死は免れたが、これは深手だ。しばらくは私もここから動けまい」

 

 ランサーの執念の結果か。ゲイ・ボルクの一撃は、致命傷こそ与え損ねたものの、言峰の肉体を傷つけていた。呪詛の混じった槍の傷は、治癒魔術に対して耐性を持つ。アーチャーと共に以後の聖杯戦争に加わる方針を立てていた言峰だったが、これでは予定を大幅に変更せざるを得ない。呪詛の大本である槍が消えている以上、傷が治癒するまで、数日とはかかるまいが……。

 

「ふむ──数日もあれば十分だ。それだけあれば、聖杯戦争の幕引きには間に合おう。案ずることはない、アーチャー。此度の儀は、我らの手によって幕を引く事となる。

 そうだな。手始めに君には……アインツベルンの森に向かってもらおう。人使いが荒くてすまないが、あそこは今、少々面白いことになっているようだからな」

 

 通常の聖杯戦争ではありえない、八人目のサーヴァントとそのマスター。数多の宝具を用いる謎多き英霊と、人とは異なる理で動く教会の代行者。この異色の主従は、聖杯戦争を終局へ導くべく、遂に動き出そうとしていた。




アルマスは「ローランの歌」に登場する、「氷のように冷たく研ぎ澄まされた刃」という意味の剣です。氷の属性を持つという逸話はありませんが、本話では意味合いの拡大解釈を行いました。ギルガメッシュが本編Fateルートで用いた氷の剣は、これに近いものなのでしょう。

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