【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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18.虚飾と真実と

「今夜柳洞寺に攻め込むだって? 本気か?」

 

「ええ、本気よ。チャンスは今夜しかないわ」

 

 午後二時。俺が公園から戻った後、少し遅い昼食を終えたあたりで、遠坂はそうとんでもない事を言い出した。

 唖然とする俺を余所に、平然と腕を組む遠坂と、この展開を予見していたのか然したる動揺も見せず座ったままのサーヴァントたち。この様子からすると、俺が買い出しに行っている間に三人で話をしていたのだろうが……それにしても、まさか今夜とは。

 

「やけに驚いてるわね……そんなに予想外だったの?」

 

「いや、そういうわけじゃない。でも、あそこはキャスターの拠点、つまり魔術師の工房って事だろ? そこに突っ込むっていうのは……」

 

 工房。魔術師、つまり魔術という一ジャンルの研究者にとっての研究所と言い換えても良いだろう。

 魔術師の資料や研究成果が蓄積されたそこが、無防備である筈がない。世間一般の研究所が警備員や電子ロック、監視カメラといったセキュリティシステムを備えているのと同様、魔術師の工房には魔術的な防御手段が備わっている。

 工房の危険度は、精々侵入しても逮捕される程度で済む研究所とは比べ物にならない。捕縛するどころか抹殺する、生きては帰さぬという敵意の塊だ。死に直結するトラップが無数に張り巡らされているのは当たり前、相手がキャスターのサーヴァントならその工房は軍事要塞にも等しいだろう。そこにのこのこと足を運ぶのは、鴨が葱を背負って行くようなものではないのか。

 

「あっちも予測してるだろうし、わたしも気は乗らないんだけどね。このままキャスターを放っておくと、こっちが不利になる一方なのよ。

 ライダーの結界は無くなったけど、キャスターはこの町から幾らでも魔力を集められる。ライダー共々、すぐに復活して来るわ」

 

 そうなれば一巻の終わり、と遠坂が目で伝えてくる。

 昨日の戦いで、ライダーが強力な宝具を持っている事は確認出来た。同じく強力な宝具を持つランサーと、魔力を蓄えたキャスター。万全の状態となった三騎のサーヴァントが襲い掛かってきたら、勝てる見込みはまず無いだろう。

 脅威の度合いで言えばバーサーカーも変わらないが、一騎と三騎では戦術の幅がまったく違う。セイバーの宝具であればバーサーカーを打倒しうる可能性が高いという以上、今優先するべきはキャスターたち三騎だ。

 それに、キャスターは町中で頻発するガス漏れ事件の犯人だ。これ以上町の人に被害を出さないためにも、また事件を起こして魔力を集め出す前に止める必要がある。

 ……嫌な事だが。危険を冒してでも敵陣に飛び込む以外、俺たちに選択肢はありそうになかった。

 

「幸い、私は殆どの魔術を無効化出来ますし、キャスターの()()()()()()()()()手段も持っています。今の段階ならライダーも回復しきっていないでしょうし、極度に不利な戦いにはならないでしょう」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。工房をぶっ壊すって……」

 

 さらりと言ってのけたセイバーに絶句する。いや、確かに敵が要塞に籠っているなら、要塞ごと壊してしまえばいいというのは解るんだが……キャスターの工房っていうのは、つまり柳洞寺そのもので。

 

「そんな事したら、お寺に住んでる人はどうなるんだよ?」

 

「人の心配はしなくていいわよ、士郎。今あのお寺にいるのは、サーヴァントかマスターだけだから」

 

「え……? どういうことだ、遠坂」

 

「使い魔を飛ばして、さっきちょっと調べてみたんだけどね。柳洞寺で改修工事をやるって事になってて、あそこに住んでる人たちはここ何日かでみんな山を下りてるのよ。多分キャスターが暗示を使ったんでしょうね。

 あっちも柳洞寺での戦いを視野に入れてるんでしょうけど、こっちとしても好都合だわ。これで誰かを巻き込む心配はないもの」

 

 碧の瞳が、好戦的な色を宿して細められる。冬木市の管理者だという遠坂は、自分の土地で好き勝手に一般人に被害を出すキャスターたちが余程腹に据えかねているのだろう。

 いや、それにしても建物ごと壊すというのはどうなのか。魔術師同士、サーヴァント同士で戦うだけならならまだしも、利用者の多い寺を吹っ飛ばすというのは大問題になる。というか、紛れもなく犯罪だ。

 

「柳洞寺自体をどうこうするのは最後の手段。でも、場合によってはそれも考えなくちゃいけないのよ。今はまだある程度魔術師としてのルールを守ってるようだけど、一般人から魔力を吸い取ったり、あんな結界を貼るライダーと組むような奴が、追い詰められたら何をするかわからない。被害者や犠牲者を増やさないためには、やれるだけの事をやるべきよ。

 ……あ、ちなみに、聖杯戦争で壊れた建物の修理費用なんかはアインツベルンが出す事になってるから、それは心配しなくていいわ」

 

 そうでなければお寺ごと吹っ飛ばすなんて絶対しないわよ、と言う遠坂。おまえ、それは自分が払わなくていいなら、建物を壊してもいいと言っているのと同じなのでは。

 いや、それは兎も角。確かに遠坂の言う通り、俺たちには贅沢を言っていられるような余裕はない。キャスターを倒して、これ以上被害を拡大させないようにするのが最優先事項なのだから。気は進まないが……人の命と建物一棟では、どちらがより重要なのかは問われるまでもない。

 

「わかった。でも、真正面から乗り込むっていうのはやっぱり危険じゃないのか? 柳洞寺は山の中にあるし、裏手に回るとかで不意を突いた方がいいと思うんだけど」

 

「それが、そうもいかないのです」

 

 そう言うと、難しい表情を浮かべるセイバー。

 

「この寺院には、自然霊以外を排除する結界が張られています。サーヴァントである私たちが入ろうとすれば、能力にかなりの制限を受ける。唯一正面の参道にだけは結界が張られていないので、あの寺院に踏み入ろうとすれば、私たちはその道を使うしかありません」

 

「一旦中に引き籠っちゃえば、あとは正面を見張っているだけでいいんだから、キャスターにとってはまさに打って付けね。癪だけど、どうしてもこっちが不利になる」

 

 正面から攻めようとすれば、手薬煉を引いて待ち構えている三騎のサーヴァントと、キャスターの罠の洗礼を受ける。

 別の道から攻めようとすれば、結界でセイバーとアーチャーの能力が制限される。ただでさえ数で劣っているのに、能力まで下げられては勝ち目などある筈がない。

 キャスター側にとっては、別にどちらの選択肢を取られても構わないという訳だ。こうなっては、キャスターが立て籠もる柳洞寺ごと吹き飛ばしてしまえという乱暴な戦術が多分に現実味を帯びてくる。

 

「そう悲観する事もあるまい。彼奴らが地の利と数で優位に立つと言うのなら、貴様らは貴様らの長所を活かすが良い」

 

 俺たち三人がどうしたものかと考えを巡らし始めたところで、それまで黙ってお茶を飲んでいたアーチャーが、湯飲みを置いてそう口を挟んできた。

 この数日で、アーチャーがこうして口を開くのは、何か違った視点から助言をしようとしている時なのだという事が朧げに理解出来てきた。アーチャーの鋭い洞察力、観察力からの言葉に驚かされたのは一度や二度ではない。見ている世界が違うのではないかという程、黄金の英霊は高みから遠くを見据えている。

 他の皆に議論をさせ、意見が出尽くした所で、一段上の視点から指摘や助言を行う。そうした役が自然と出来ているアーチャーは、生前はやはり人の上に立つ人物だったのだろう。

 

「長所って……セイバーには魔術が効かないって事か?」

 

「この聖杯戦争に於いて、魔術に対する抵抗力は決定打にはならぬ。宝具を持ち出されるか、端からマスターを狙われてはサーヴァントが魔術に強かろうと大した助けにはなるまい。

 そうではない。魔術という先入観を捨てて考えてみよ。集団戦闘で優劣を決定づける要素が他にあろう」

 

 キャスターたちにはなく、俺たちにはある長所……一体何だろうか。

 数では元からこちらが負けている。個々の能力ではセイバーがおそらく一番だろうが、万全の状態のライダーを知らない以上断言は出来ない。

 補給面では、魔力のストックを幾らでも増やせるキャスターが圧倒的。情報面では、ランサーとライダーの真名・宝具を把握し、且つアーチャーとセイバーの手の内を明かしていないこちらが有利だろうが、キャスターについては殆ど情報が無い。キャスターの拠点に攻め込む必要があるのに、この点は大きな不安要素だ。

 どの面を見ても、こちらが不利か、精々が互角というところだろう。俺たちだけが持っている長所、というのが今一つ思い浮かばない。

 

「連携ですね。先の戦いで、ランサーとキャスターは十分な連携を取れていなかった。彼らが十分な連携を取っていたら、昨日の戦局は変わっていたかもしれません」

 

「五十点だ。着眼点は良いが、視野が狭い」

 

 熟考の末に結論を出したセイバーに、アーチャーが辛辣な評価を下す。むっとした表情を浮かべる彼女を面白そうに眺めていたアーチャーだったが、頭を捻っている俺と遠坂に目を向けると、呆れたように溜息を吐いた。

 

「何故貴様らはサーヴァントではなくマスターに目を向けぬ? 兵士がサーヴァントなら、指揮官はマスターだ。重要視するべきは寧ろそちらであろう」

 

「でも、キャスターとランサーのマスターは結局出てこなかったっていうし、そっちは何も判らないままじゃないか」

 

「ふん、そこで思考を止めるから視野が狭いと言うのだ」

 

 俺が抗議すると、何故解らぬのだ、とでも言いたげな紅い視線が飛んできた。そう責められても、アーチャーの視点に合わせろというのが無理がある。アーチャーの中では全てが繋がっているのだろうが、俺たちにとってアーチャーの言葉は異次元のそれに等しい。俺たちがキャスターより優れている点と、未だ姿さえ見せない敵マスターとの間に一体何の関わりがあるというのか。

 

「姿を見せぬから判らぬ? 逆だ。出てこないからこそ立てられる推測もある。彼奴らが手を組んでいるのは事実であろうが、おそらく対等な関係ではあるまい。サーヴァント同士のみならず、サーヴァントとマスターの関係もな」

 

「…………頼む、アーチャー。人間の言葉で話してくれ」

 

 降参だ、という意味を込めて両手を上げる。そこまで出来が良くない俺の頭では、アーチャーが何を言っているのを理解するのが困難を極めた。

 同意者を求めて遠坂とセイバーの方を見ると、彼女たちも疑問の表情を黄金の英霊へと向けていた。通訳が必要なのは俺だけではなかったようで、少し安心する。

 不愉快そうに目を細めるアーチャーだったが、この場には彼と同じ視野を持つ人間は存在しない。それを把握したのか、はたまた諦めたのか、ぐるりと全員を一瞥すると、アーチャーは再び講義を続けた。

 

「ではまず、昨日の戦いを振り返ってみよ。何故ライダーは、魔力も無く弱った状態で現れた? 潤沢な魔力を持つキャスターと手を組んでいるにも関わらず」

 

「それって、キャスターが自分の魔力を使いたくなかったからじゃないの? いくら魔力を溜めこんでいたとしても、あそこまで弱ったライダーを回復させるにはかなりの魔力を使わなくちゃいけないし、時間もかかるわ。やり口を見る限り、キャスターは慎重派のようだし、自分を弱らせる選択肢は嫌だったのかも」

 

 遠坂の分析に俺も頷く。柳洞寺という優れた拠点、町中から魔力を収集出来る補給手段、更にランサーという同盟者と、キャスターは確実に自分の手札を増やす戦略を選んでいる。ライダーという手札が増える事よりも、今の自分の持ち札を減らす事を嫌がったのではないだろうか。結果論とはいえ、キャスターは自分の魔力を維持しつつライダーと手を組むことが出来ているし。

 だがアーチャーは、それは違うというように首を振った。強ち間違いではない、と前置きしつつ、再び口を開く。

 

「今少し視野を広げてみよ。キャスターが何故その行動を取ったのか―――そもそも何故彼奴が他のサーヴァントと手を組もうと考えたのか、その理由に着目するのだ。此度の聖杯戦争を真っ当に勝ち抜こうとするならば、誰でも目に留まる障壁があろう」

 

「―――バーサーカー」

 

 セイバーの呟きに、然り、とアーチャーが頷く。

 

「此度召喚された英霊で、あれに単独で勝ち得る者は存在しまい。貴様らがそうであるように、他の者もまた手を組む事を考えるのは当然だ。が、バーサーカーを倒した後の事を考えれば、手を組む相手はなるべく御しやすい方が良い―――そうであろう、娘」

 

 にやり、と嘲るように遠坂を見やるアーチャー。腕を組む赤い魔術師は、渋面でそれに答えた。

 アーチャーの言いたい事が解った。他の全てのサーヴァントを倒す事が聖杯戦争の目的である以上、手を組んでいる相手も将来的には倒す必要がある。だとするとその相手は、例え先に裏切られても勝利出来るような、脅威の少ないサーヴァントが相応しい。強すぎず、且つ自分よりも弱いサーヴァント―――記憶を失い宝具を使えないアーチャーは、確かに格好の対象だ。

 

「ランサーは知らぬが、その点で言えばライダーは十分に条件を満たす。他の誰とも組んでおらず、マスターは素人だ。適度な戦力で、しかも操りやすい。

 一昨日の戦いも、恐らくはキャスターの手の内だ。傷つき、生存も危ぶまれるライダーと、判断力を失ったマスター―――その状況を作り出せれば、ライダー側には選択肢はない。生き延びたければ、差し出された蜘蛛の糸を掴む他ないのだからな」

 

 アーチャーの言葉に、思わずはっとする。

 一昨日の雑木林での戦いで、ランサーはセイバーを、キャスターはアーチャーをそれぞれ妨害した。それは手を組む必要があったライダーを助けるためだと思っていたのだが……そうではなかった。キャスター側としては、ライダーに適度に傷つき、しかし生きていて欲しかったのだ。ライダーが俺と遠坂を狙った後は、これ幸いと状況を利用されたのだろう。ライダーは、最初からキャスターに監視されていたのだ。

 知らなかったから仕方がないし、あの状況ではあれが最善の行動だったと思うのだが……ライダーと戦ったセイバーは、敵の掌の上で踊っていたことになる。俺と同様の結論を出したのか、セイバーの顔が怒りに歪んだ。

 

「故に、キャスターとライダーの関係は対等ではない。いわばライダーは、キャスターの慈悲で死んでおらぬようなもの。反抗の意思はあろうが、当座はキャスターに縋る他ない。

 一方のキャスターも、ライダーが操りやすいのは好ましいが、かと言って死なれる訳にはいかぬ。彼奴とランサーだけではバーサーカーを突破出来ぬからな。ライダーは回復させず、しかし結界の発動には手を貸すという行動もその矛盾の顕れであろう。自らの戦力を温存して裏切られた時のリスクを低め、且つライダーを十全の状態にしたかったのだろうよ」

 

 だからバーサーカーが現れた時に焦ったのだ、と笑うアーチャー。昨日の話は遠坂とセイバーから聞いていたのだろうが、それにしてもここまでの思考の明晰さを見せつけられると驚きしか出てこない。僅かな情報からでも、この英霊はあっという間に真実を繋ぎ合わせてしまう。

 まさかあの大乱戦にバーサーカーが介入してくるとは、キャスターでも予想外だったのだろう。あれが想定内の出来事なら、最初からライダーの回復にリソースを割いていたはずだ。

 

「真っ当な同盟を結んでいたなら、魔力を消費してでもライダーを回復させるべきだった。あの場でライダーが倒されれば、そもそも手を組んだ意味がないのだからな。その上で結界を使い、三騎で以て我とセイバーを打倒した後にバーサーカーを倒せば良い。それが出来なかったのは、歪な形で手を組んでいるからだ。

 常に裏切り裏切られる事を想定し、一時的にでも自らの優位性を潰さぬよう立ち回る―――あの雌狐、余程他人を信じておらぬと見える。最終的な自分の損益よりも、目先の裏切りの方が怖いのだろうよ」

 

 空恐ろしい程の冷静な分析で、アーチャーはそう断定した。たった一度しか直接顔を合わせていないというのに、相手の為人すら見抜いてしまうその眼力。情報の破片を結び付け、意味のある形へと編纂するその頭脳。身体能力で劣っていても、宝具を使えなかったとしても、この強みは揺るがない。有益な情報は、他の何物にも勝る武器となるのだから。

 つくづく、何故自分がこの青年のような英霊を召喚出来てしまったのかと疑問に思う。このサーヴァントと、マスターである自分とに、何の共通項があるのか……ちょっと待て、マスター?

 

「……待って。そこまで他人を警戒する魔術師なら、マスターを放っておく訳がない……!」

 

 俺が顔を上げた瞬間、遠坂がそう愕然とした表情を浮かべる。結論に辿り着くのは、彼女の方が一瞬早かった。

 そうか……アーチャーがマスターがどうこうと言っていたのは、ここに繋がっていたのだ。キャスターがそこまで極度に他人を信用せず、裏切りを警戒しているなら、令呪を持ち、自分に命令を下せるマスターを快く思う筈がないのだ。そしてマスターの方でも、そんなサーヴァントを信用するとは思えない。双方の間に亀裂が生じるのは当然と言える。

 しかし現実には、キャスターは好き勝手に行動している。ランサーやライダーとは違って、他の意思が介在しているとは思えない程に。という事は、キャスターのマスターは―――。

 

「漸く気付いたか。キャスターのマスターはとうの昔に骨抜きにされていようよ。令呪を使い切らせたか、自由意思を奪ったか、殺して何か代わりの依り代を見つけたか……いずれにせよ、今のキャスターを縛る枷は感じられぬ」

 

 主殺しを示唆するアーチャーに、セイバーの顔が蒼白になる。清廉な騎士である彼女にとっては、反逆や裏切りは到底考えられない選択肢だったのだろう。

 

「この時点で敵の頭数は一つ消える。自分を縛る鎖から逃れたいのなら、令呪を無駄に使わせるのが確実で手早い選択だ。よもやサーヴァントが自由意思で令呪を行使出来る訳でもあるまい、切り札となる令呪も使えぬと見て良いだろう。この時点で、魔術師一人分と令呪三つ分の差が生じる」

 

 アーチャーが言及していた長所というのがそれか。サーヴァントの空間転移さえ可能にする令呪、それをキャスターは丸々使えず、逆にこちらは使う事が出来る。おいそれと使えるものではないが、切り札の有無はそれだけで大きな差を生む。こちらには真っ当な魔術師は遠坂しかいないのだから、魔術師の数が一人減るというのも大きい。慎二は魔術を使えないから、実質警戒しなければならない魔術師はランサーのマスターだけになる。

 キャスターとライダーの関係は悪く、おまけにキャスターのマスターは現状存在しないと言っていい。セイバーの話によれば、ランサーとキャスターの間の連携も取れていなかったそうだから、あちらが数の差を有効に使えるかどうかは疑問が残る。セイバーとアーチャーの関係は良好ではないかもしれないが、少なくとも険悪ではない。これは大きな違いだろう。

 

「やるわね、アンタ……」

 

 目を丸くした遠坂が、呆然とそう呟く。アーチャーの精緻な推測は、目から鱗が落ちるようだった。

 不利な立場に追い込まれたと思っていたのに、実際はそうではなかった。連携の無さ、令呪の有無、魔術師の数という要素は、どれも無視できない重みを持つ。それに気づかされただけでも、今後の戦いは随分と違ったものになってくるだろう。

 アーチャーは今、キャスターの立場になって思考や行動原理をトレースし、それに判っている情報を結び付ける事で結論を導き出した。その着眼点と思考速度が尋常ではないだけで、俺たちにも同じ事は不可能ではないだろう。しかし、それを実際に行えるかどうかと言われれば難しい。どうすれば、この青年のような洞察力が得られるのだろうか。それがあれば、俺も正義の味方に近付けるのでは―――。

 

「視野を高く、広く持つ事だ。一つの向きに拘るな、雑種。下ばかりでは地面しか、後ばかりでは過去しか見えぬ」

 

 宙を彷徨う俺の瞳を、紅蓮の矢が射抜いてきた。その言葉の重みに、思わず背筋が強張る。

 いつもどこか余裕を漂わせ、超然とした態度を崩さないアーチャー。ともすれば軽薄であると錯覚させかねない青年から、今の一瞬だけ、その雰囲気が喪失していた。

 アーチャーの言葉は抽象的で、何が言いたいのかが今一つ掴めない。しかしこの英霊が本気で、何か真剣な意図を籠めて今の言葉を発したことは疑いようもない。アーチャーは一体、俺に何を伝えようとしていたのか。

 

「さて、ここまでは過去の道程だ。次は未来を読むとするか」

 

 考え込む俺を余所に、アーチャーが話を続ける。一旦思索を続けるのは止め、サーヴァントの言葉に耳を傾ける事にした。

 

「キャスターの行動原理、そして昨日の戦いの趨勢から、彼奴がどう動くかはある程度予測出来よう。―――ふん、貴様らに有利な要素がもう一つか二つは出てくるぞ」

 

 そこから先は自分で考えろ、とでも言いたいのか、アーチャーは湯飲みに入った茶を口にすると、そのまま黙り込んでしまった。

 本来聖杯を望まず、マスターさえ必要としないサーヴァントであるアーチャーは、本人が言う通り半ば道楽で聖杯戦争に付き合っているに過ぎない。何から何までアーチャーの頭脳に頼っていては俺たちの立つ瀬がないだろう。

 アーチャーが分析したキャスターの情報、そして昨日の戦い。考える為の材料は揃っている。自分がキャスターだとしたら、これからどう動くだろうか。アーチャーの思考法を真似てみよう。

 

「キャスターが最も危険視しているのはバーサーカーです。ですが、バーサーカーと戦う前に私たちと戦う事になるのは目に見えている……」

 

 思考を整理する為か、セイバーがそう小さく呟く。

 昨日の学校での戦いでライダーを倒しきれなかった以上、俺たちがキャスター陣営相手に勝機を掴むには速攻を仕掛ける他なくなった。キャスター側もそれは理解しているだろうから、それ相応の対策を打ち出してくるのは間違いない。

 

 俺がキャスターだとするなら……自軍の戦力は絶対に温存しておきたい。セイバーとアーチャーを倒したとしても、そこで一人でもサーヴァントが欠けてしまったら、その後バーサーカーを倒せずに負けが決まる。本当なら真っ先にバーサーカーと戦って倒しておきたいが、ライダーが消耗している為その選択肢は選べない。ライダーが回復する前に俺たちと戦わなければならないのは、キャスターにとっても頭が痛いに違いない。

 おそらくキャスターは、昨日の戦いでセイバーとアーチャー、最低でもどちらか片方を倒しておきたかったのだろう。実際、結界が完成してライダーが完全な状態になっていれば、窮地に立たされていたのはこちらだった。キャスターの目論見通りに行っていれば、俺たちはサーヴァントを失って不利な立場に追い込まれ、一方のキャスターはバーサーカー打倒へ向けてゆっくりと態勢を整える事が出来た筈だ。

 

 自軍のサーヴァントに一人の犠牲も出さない。その上でセイバーとアーチャーを撃破、もしくは撃退する。これがキャスターの勝利条件になる。

 

「本当は昨日俺たちを倒しておきたかったんだ……でも、セイバーに勝てなかったし、バーサーカーが乱入してきたから出来なかった……」

 

 普通ならあの状況で飛び込んでこようとは思わない。しかしバーサーカー……そして、そのマスターであるイリヤが普通では無かった事で、バーサーカー陣営は一気に不確定要素になった。慎重に計画を練るキャスターは、また同じ事をされて場を滅茶苦茶にされてはたまらないと思うだろう。

 どうにかしてバーサーカーの動きを制限し、不確定要素を排除した上で、セイバー・アーチャーと対決する。戦場が自らの庭である以上、余計な闖入者が混じらなければ、幾らでも有利な環境を用意する事が出来る。

 同じく不確定要素として、俺たちを襲いに現れた謎の影の存在があるが……あれに関しては一切の情報が無い。ひょっとしたらキャスターが何らかの対策を講じているかもしれないが、情報が無さ過ぎてそこまでは流石に予想がつかない。その件については措いておくしかないだろう。

 

「俺がキャスターなら……ライダーかランサーをバーサーカーの足止めに回す。その間に、もう一人のサーヴァントと自分で、アーチャーたちと戦う。倒せなくても、追い返して時間さえ稼げばいいんだから、三人のサーヴァントで迎え撃つ必要はないんだ」

 

 ゆっくりと、おかしな部分が無いか検討しながら、自分の考えを口にする。

 キャスターが欲しいのは時間だ。ライダーを回復させ、自分の魔力を十分に集める為の時間。時間が稼げれば俺たちに対してはかなりの優位に立てるし、バーサーカーにも勝ち目が出てくる。一気に魔力を補填する結界が失われた今、キャスターが選べる道はそれしかない。幾ら町の人から魔力を吸い上げられると言っても、神秘の秘匿が足枷となる為、その数や速度には限界がある筈だ。

 

「ランサーもライダーも、足が速いわ。バーサーカーを足止めして逃げるだけならどうとでもなるし……一人のサーヴァントが居なくても、自分の陣地で戦うなら、同数で不利になるって事はない。うん、わたしがキャスターでもそうするかも」

 

「ライダーは回復し切れていない筈なので、恐らくはランサーがその任に就くかと。彼は非正規戦の名手です。あのバーサーカーが相手でも、足止め程度であれば何の問題もないでしょう」

 

 遠坂とセイバーが、補足するようにそう続ける。アーチャーの言う通り……集めた情報とこれまでの経験を、自分がキャスターの立場ならどうすれば有利になるかという視点で纏めると、その行動がある程度予測出来てしまった。

 行動が予測出来れば、対策も立てられる。今まではキャスターに利用され、動きを読まれていたが、今度は俺たちがそうする番だ。無関係な人間を利用し、危害を加え、あまつさえ大量殺戮にまで手を貸そうとしたキャスターは、ここで倒しておくべき敵なのだから。

 

「つまり、今夜柳洞寺にはキャスターの他にサーヴァントが一人しかいない可能性が高い。それも、傷の癒えていないライダーが。

 地の利はあちらにありますが、こちらにも令呪と私の宝具がある。サーヴァントとマスターの数が同じなら、戦況は互角と言っていいでしょう」

 

「分が悪いと思ってたけど、これなら勝ち目があるわね。誰でもいいから、一人でもサーヴァントを倒せればこっちの勝ち。今度こそ勝つわよ」

 

 勝機を見出した事で気合が入ったのか、遠坂の目が闘志の炎を纏い出した。

 今の話は推測に過ぎないが、可能性としては十分にあり得る話だろう。それに、仮に三人のサーヴァントが待ち構えていたとしても、俺たちは戦いを挑むしかない。俺たちが黙っている間に、キャスターたちがバーサーカーと衝突して弱ってくれると願うのは虫が良すぎる話なのだから。

 やおら張り切りだした遠坂と、キャスターへの憤怒に燃えるセイバー。不利な状況だと思い込んでいたせいで落ち込み澱んでいた空気が、情報の分析と視点の変更という換気によって一気に澄み渡った。人間、希望が見えればやる気が出るものなのだ。

 

「―――ふ」

 

 一方。二人に火をつけ、場の流れを変えたアーチャーはと言えば、口角を上げて俺をじっと見つめていた。あの様子だと、どうやら及第点ぐらいは貰えたらしい。

 本当に、つくづく場を支配する事に長けた男だと思う。僅かな片鱗から人や事象の本質を把握し、理解してしまう。ただそれだけなら頭の良さで説明がつくだろうが、この英霊は兎に角見ている光景が広すぎるのだ。

 この男が生前、どこかの王か指導者であったのは間違いないだろう。人の上に立つための要素が、これでもかという程揃っている。記憶が戻らぬ手前、正体は未だ不明だが―――ヘラクレス、メドゥーサといった名立たる豪傑たちと比しても劣らぬ存在感。さぞ名のある英雄だったに違いない。

 

「じゃ、あっちの出方が判ったところで作戦を立てましょうか。ライダーの手札は割れてるんだから、こっちにも打てる手があるわ」

 

 二度は負けぬと意気込んだ遠坂が、どこからか地図を持ち出してくる。一度落ち込んでも、必ずやり返してやろうと跳ね上がる力を持つのが彼女の強さだ。セイバーの清廉な戦士としての強さとも、アーチャーの他を超越した自我故の強さとも違うそれが、少しだけ眩しい。

 

「わたしたちを散々コケにした事、後悔させてやるんだから!」

 

 自らの他に、二人のサーヴァントと手を組んだキャスター。キャスターには数で劣るが、それでも二人のサーヴァントを擁する俺たち。知恵と策略によって、二つの陣営同士の前哨戦が始まろうとしていた。

 

 

 

***

 

 

 

 夕方。数時間にも及んだ作戦会議を終え、俺は一人土蔵へと来ていた。

 食事の時間まではまだ余裕があり、今夜の対キャスター戦については語りつくした。この微妙に空いた時間を活かして、サボりがちになっていた魔術の鍛錬をしておこうと思ったのだ。

 切嗣が亡くなって以降、毎晩絶えず続けてきた鍛錬。しかし聖杯戦争が始まってからは、やむを得ないとはいえ、鍛錬のための時間が取れない事が多かった。毎日の習慣になっていた事を突然やらなくなるというのは、それだけでどうにも落ち着かない。

 遠坂のお陰で、俺が今までやっていた間違った方法……魔術回路を一から作るという命を賭けた鍛錬を続ける必要はなくなった。だが、それはそもそもの目的の入り口に過ぎない。俺が習熟しなければならないのは、強化の魔術だ。緊張感と集中力が高まっていたからか、実戦ではすんなり成功したが、あれはまぐれだったのかどうかを試す必要がある。

 本当なら魔術の指南を請け負ってくれた遠坂に見てもらうのが一番なのだろうが、彼女は差し迫った柳洞寺の戦いに向けて準備をしている。魔術を教わる機会を逃しがちなのは残念だが、戦いの準備の時間をわざわざ割いてもらう訳にもいかない。俺は俺で、出来る事をやるしかないのだ。

 

「……にしても。変わらないよな、ここ」

 

 慣れ親しんだ床に座り込んで、周囲を見上げる。聖杯戦争に巻き込まれ、俺の生活は激変してしまったが、この土蔵だけはいつもと変わらない。

 藤ねえが持ってくる謎めいた品々。修理や分解途中の機械類。強化魔術に失敗した結果、壊れてしまった部品たち。そして、不完全な投影魔術で生まれた空っぽのガラクタ。

 一見すればゴミの山にしか見えないが、それでもこの場所には思い入れがある。何年も入り浸り、時には泊まり込む事もあるこの土蔵は、俺の私室と言ってもいい。他の場所とは違って、ゆっくり落ち着ける気がする。

 

「でも、聖杯戦争が始まったのもここからなんだよな……」

 

 あの晩。ほんの一週間やそこらしか経っていないというのに、あまりに濃密な時間を過ごしたせいか、遥かな昔のようにも感じる。

 ランサーに追い詰められ、後は殺されるばかりだった俺。生き延びられるはずがないと思いながらも、一縷の希望を抱いて土蔵に飛び込み―――そして、アーチャーと出会ったのだ。

 自信に満ち溢れ、絶大な存在感を放つ黄金の英霊。意図せずして召喚されてしまった、記憶を失ったサーヴァント。偶然巻き込まれた俺と同じく、聖杯戦争に於いてイレギュラーな存在である英雄だが……なんだかんだで、ここまでは上手くやって来たのではないかと思う。

 意に沿わぬ事をすれば、殺されるに違いないという確信。しかし、道を違えない限り、あの英霊は決して俺を見放さないだろうという奇妙な信頼感もある。

 人を統べ、導く事に長けた英雄。彼の記憶が戻った時、俺たちの関係はどうなってしまうのか。それが気にならないと言えば嘘になるが……不確定な未来より先に、差し迫った戦いで生き残らなければ。

 

「ふぅ……」

 

 深く息を吐き、集中する。集中を怠れば、待っているのは魔術の失敗。その衝撃はそのまま、術者へと跳ね返る。魔術は常に死と隣り合わせなのだ。

 

「――――」

 

 呼吸を整え、深く自己の内面に埋もれていく。段々と頭が冴え渡っていき……それにつれて、脳裏にぼやけた映像が浮かんできた。

 

 ―――真紅の剣。

 

 最近、こうして魔術の鍛錬をしようとする度に、この剣がぼんやりと浮かび上がってくる。こんな変な剣は、テレビの世界ですら見た事が無いのだが……一度や二度では無く、何度も出てくるという事は、何か意味のあるイメージなのだろうか。

 以前まではこの剣ではなく、もっと別の……煌く黄金の剣が見えていたのだが。いったい何時から、この紅の剣に変わってしまったのか。

 黄金の剣が、技巧を尽くされた芸術品としての美しさを持っていたのなら。この紅の剣は、あらゆるモノを支配する王者としての風格を宿していた。―――まるで、あの黄金のサーヴァントのように。

 

「……いや、集中しないと」

 

 雑念を払う。今自分がやるべき事は、それではない。

 イメージするのは剣ではなく撃鉄。これが落ちると同時、衛宮士郎は魔術を成す装置となる―――。

 

「―――同調(トレース)開始(オン)

 

 前までは一時間以上をかけて生成した魔術回路を、一瞬で起動する。元からあったものを毎回作り直していたのだから、今までのやり方はまさしく無駄だったと言う他ない。それを改めるだけで、魔術行使の手間は劇的に改善された。

 回路の問題が解決されたなら、次は肝心の強化魔術だ。対象の構造を把握し、魔力を通す事でその能力を補強する。今目の前にある木材の硬度が上がれば、強化成功という事になる。

 

「―――構造物質、解明」

 

 どこで拾ってきたのかも判らない木材。恐らくは、工事現場かどこかに落ちていたのだろう。細く長いそれの構造を把握し、魔力を通すための隙間を探す。精確に魔力を通さなくては、異物を押し込まれた木材は、硬度を増すどころか壊れてしまう。

 

「―――構造材質、補強」

 

 見つけた隙間の中に、慎重に自分の魔力を流していく。多すぎず、少なすぎず。適度な量を適度な場所に。

 基本とされる強化は、魔術の中では初歩に位置づけられるという。しかし、今の俺にはそれすら難しい。実戦では何故か成功していたが……魔力を流し終えたというのに、手応えがない。

 

「っ……!?」

 

 おかしい、と瞑っていた目を見開いた瞬間、破砕音。見れば、金属バット並の強度になっている筈だった木材は、無残にも中途から折れ曲がってしまっていた。

 どこかしらで流す魔力の調節量を間違えたか、違う場所に流し込んでしまっていたのか。いずれにしても、望む結果が得られなかった事には変わらない。下手をすれば自分の身体にダメージを負う羽目になっていたのだから、それよりはマシと考えるべきか。

 溜息を吐いて、壊れてしまった木材をじっと見つめる。すると、木材を照らす陽光が何かに遮られ、影が落ちてしまった。

 

「―――なんだ。どこに消えたのかと思えば、鍛錬とはな。殊勝な心掛けではないか、雑種」

 

 顔を上げると、土蔵の入り口にはアーチャーの姿。夕日の光を受け、容姿を一層輝かせたサーヴァントは、腕を組んでこちらを見下ろしていた。

 視線の先にあるのは、今しがた強化の失敗で折れた木材。並外れた鑑識眼を持つ英霊は、俺が何をしていたのかを一発で看破したらしい。失敗の現場を見られるのは、少し気まずいものがある。

 

「戦いに行く前に試してみようと思ったんだけど、上手くいかなかったんだ。実戦だとやけに成功するんだけど……」

 

「ふむ。貴様は碌に魔術を使えぬ魔術師と聞いたが、修行半ばの身か。出来ぬ者に出来ぬ事をやれと言う程我は酔狂ではないが―――敵は貴様の事情なぞ斟酌せぬ。自分の身を護る術程度は身につけておくが良い」

 

 失敗を詰られるのかと思ったが、予想外の言葉に少し驚く。この男なら、この程度の事は出来て当然、出来ないなら切り捨てるとでも言いそうなものだったが……考えてみれば、確かに出来ない者にやってみろと言ったところでどうしようもない。やる気が無いならまだしも、実力が伴っていない事柄を無理にやらせようとするのは愚かだろう。

 今の俺の実力では、成功する方が珍しい。失敗は寧ろ当然の帰結なのだと、そこまで見抜かれていたのだろうか。いや、単に俺が強化魔術もまともに出来ないレベルだと最初から諦められていただけかもしれないが……。

 

「アーチャー。それって、心配してくれてるのか?」

 

「たわけ。仮にもマスターともあろう者がこの様では、サーヴァントたる我の沽券に関わろう」

 

 ふん、と尖った目線で一蹴される。まあ、端から他人の心配をする筈はないと判っていたが、富士山よりもプライドが高いアーチャーらしい発言だ。俺が魔術師として未熟なのはどうでもいいが、自分のマスターが自分の身も守れない程弱いのは困るという事なのだろう。

 こちらを見下ろしていたアーチャーの瞳が、興味を失ったのか土蔵の中へと向けられる。俺が座り込んだまま見上げていると、アーチャーはそのままずかずかと土蔵の中に踏み込んで来た。

 

「で、この蔵が貴様の工房か。みすぼらしいにも程がある、宝の一つでも収めてやらねば蔵が泣こ―――」

 

 と。周囲を見渡していたアーチャーが、突然一点で動きを止めた。何を見つけたのか、一瞬前まで嘲笑が浮かんでいた顔にはこの上ない真剣さが宿っている。触れれば切り刻まれそうな張り詰めた空気に、自然と俺も息を飲んでしまう。

 何事かと問い詰める事も出来ない、尋常では無い雰囲気。動く事すら出来ぬままに固まっていると、目を細めたアーチャーが、一点を凝視したまま口を開いた。

 

「―――雑種。なんだ、あれは」

 

「あれって……」

 

 アーチャーの視線を追う。その先に転がっていたのは、()()()()()古いストーブ。

 

「ああ、あれか。前に投影の練習をした時に失敗したヤツでさ……外見だけは上手く作れるんだけど、中は空洞なんだ。機能も全然ないし、ただのガラクタだよ」

 

()()()()()()()()だと?」

 

 説明を聞いたアーチャーは、一体何が気に食わなかったのか、眉根を寄せると顎に手を当てて何事かを考え始めた。

 俺の魔術のレベルが予想以上に低すぎたせいで、機嫌を損ねたのだろうか。強化の魔術も成功率は低いが、投影魔術の方もお世辞にも上手く行くとは言えない。外側だけ、見た目だけならそっくりに見えるのだが、中身が伴っていないのだ。

 確か前に一度、ハサミか何かを投影した時はそれなりに上手く行った気がするのだが、あれはただの偶然だろう。まともな物が全然作れず、ガラクタしか生まれないのだから、強化よりも更に使い道が無い。

 

「……雑種よ。貴様、自分が何をやっているか理解しているのか?」

 

 暫く考え込んだ後、こちらを向き直るとアーチャーが低い声でそう訊ねてきた。質問の意味が解らず、困惑する。

 

「何って……ここでやってるのは強化と投影の練習だけど、おかしな所でもあったのか? そりゃあ、確かに失敗しかしてないけど……」

 

「―――そうか。何も知らぬのだな、貴様は」

 

 納得が行ったのか、そう低く呟くアーチャー。一体何が気にかかったのか、アーチャーはストーブの他にも転がっている幾つかのガラクタに目を向けると、変わらず難しい表情を浮かべている。怒るでもなく、喜ぶでもなく、ただ考え込んでいるアーチャーの姿は、俺が知る限り初めてだった。

 ここまでの反応は、単に俺の魔術がお粗末だという域を超えている。一体アーチャーが何を見出したのかは判らないが、このサーヴァントは俺の投影品に並々ならぬ関心を寄せている。それも、どちらかといえば負に近い感情を懐いて。

 

「投影魔術の件はあの娘に話したか? ―――いや、それならばこの無知は有り得ぬ。小僧、今宵の戦の後にでも、その失敗作の話をあの娘にしておけ」

 

「あ、ああ」

 

 あの娘、というのは遠坂だろう。俺に魔術を指導してくれる彼女に伝えろというのは……それも、戦いの後にしろという事は、余程の時間が必要と判断されたに違いない。アーチャーは一体、俺の失敗作がどうしたというのだろうか。

 状況が理解出来ずにいる俺を一瞥し、来た時と同じように堂々と土蔵を出て行こうとするアーチャー。呼び止める事も出来ずにその後ろ姿を追っていると、土蔵を出る直前ではたとその動きが止まった。こちらを顧みる事無く、声だけが流れてくる。

 

「一つ言っておこう、衛宮士郎―――貴様の本領は強化ではない。投影だ」

 

 それだけを言い残すと。沈みゆく夕日と同時に、アーチャーは土蔵を去って行った。

 

 

 

「―――贋作者(フェイカー)

 

 

 

***

 

 

 

 日が沈み、既に数刻。深く暗い森は、底知れぬ闇に沈んでいる。獣の姿さえ見当たらぬ其処には、ただ静かさだけがある。無数の木々しか見当たらないというのに、何とも言えぬ不自然さを感じさせる、奇妙で静かな森だった。

 冬木市郊外、アインツベルンの森。遡る事二百年、第一次聖杯戦争が開かれた折、アインツベルン家の所有地と化した広大な森である。

 森全体には結界が敷かれており、それは実質的にこの森がアインツベルン家によって管理され続けている事を示している。彼らの妄執が染みついたこの地に、踏み入る者など皆無。この場に現れる者があるとすれば、それは。

 

「わたしの森に勝手に踏み入るなんて、無礼な鼠よね。ここが誰の森なのか、しっかり教えてあげなくちゃ」

 

 この森の支配者である、アインツベルンの少女に相違なかった。

 闊歩する少女には、闇に対する恐れはない。それもその筈、自らの庭に恐怖心など懐く道理はないのだから。あるのはただ、庭を踏み荒らす害虫に対する嫌悪感のみ。

 無論、ただ迷い込んだだけの者に対して少女がここまでの敵意を示す筈はない。今宵森の結界を潜り抜けた者は、明確な意思を持つ敵対者。透視魔術越しに映った敵の正体は、紛れもなくランサーのサーヴァントだった。

 サーヴァントが侵攻して来たとあれば、迎え撃つ他に選択肢はない。単独では勝てぬと判りきっている槍兵が、この期に及んで何故単身での突撃を選んだのかは知る由もないが、挑んできたとあれば叩き潰すのが、バーサーカーのマスターたるイリヤスフィールの採るべき道だった。

 昨日の戦いは、ライダーの宝具によって三人のサーヴァントが逃げ果せた事で、有耶無耶の内に終結した。再度戦うため、キャスターの本拠地を強襲する算段を立てていたイリヤだったが、向こうから来たとなれば手間が省けたというもの。それも単騎で挑んできたのだから、飛んで火にいる夏の虫と言う他はなかった。

 

「…………」

 

 続く従者は無言。狂化により理性を奪われた彼には、元より口を開く機能は無い。しかし、理性を失って尚残る知性の欠片と本能が、周囲を鋭く睥睨していた。

 ランサーのサーヴァント、クー・フーリンは弱敵ではない。しかし、知名度補正とマスターの力不足によって本来の実力を発揮出来ぬ彼では、バーサーカーには及ぶべくもない。彼とて半神の大英雄、全力を揮える状態ならばこのヘラクレスとも渡り合えただろうが、幾重もの足枷がそれを困難にしていた。

 だが。力を削ぎ落とされようとも、彼の宝具は未だ健在。刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)の真髄は、対象への絶対命中能力にある。神の加護(呪い)を身に纏うバーサーカーなら兎も角、マスターであるイリヤスフィールを狙われればひとたまりもない。それを本能で理解しているからこそ、大英雄は並々ならぬ警戒を周囲に向けていた。

 伝承に於いて、狂ったヘラクレスは我が子を炎に投げ込み殺したと謳われる。例え再び狂気に侵されようとも、その罪と記憶は彼の魂に焼き付いている。その彼が再び庇護の対象である幼子を殺されるなど、誇り高き英雄であり、父でもあった彼が受容できる筈も無かった。

 

「……あれ。バーサーカー、どうしたの?」

 

 暗夜の森を進む最中、唐突に狂戦士が少女を制した。戸惑う主を庇うように前へ進み出たバーサーカーは、ゆっくりと斧剣を持ち上げる。

 

 ―――ここにいる。

 

 姿こそ見えずとも、研ぎ澄まされた狂戦士の本能は敵の気配を察知していた。ことアサシンのサーヴァントでも無い限り、バーサーカーの感覚を潜り抜ける事は叶わない。

 しかし、気配こそ確認したものの、敵対者がどこに潜んでいるのかは判らない。気配遮断のスキルを有さずに、この距離でヘラクレスに位置を感づかせぬなど、相当な戦巧者で無ければ有り得ない。生前幾度となく非正規戦闘に明け暮れた、クー・フーリンならではの技だった。

 

「――――」

 

 斧剣を構え、周囲を見渡すバーサーカー。彼が独りならば、頑強さに任せて周りの地形ごと吹き飛ばすような戦術も採れたが、後ろにいる雪の少女の存在がそれを許さない。バーサーカーが自ら動いては、彼女の身を危機に晒す事になる。

 故に、待つ。相手の出方を待ち、マスターである少女を護りつつ敵を撃ち滅ぼす。

 主の指示が無く、理性を喪失しているにも関わらず、尚戦術的判断を下せるだけの知性が残るのは、彼がそれだけ高潔な武人である事の証左。ギリシャ最強の英雄に相応しく、狂戦士と化してもその誇りは微塵も失われていない。

 山脈の如き威圧感を放つバーサーカーと、木々の中に潜むランサー。互いに動かず、相手の出方を探り合う両者。耳が痛くなるほどの緊張感に満ちた時間は―――風を切る音と共に、突如として引き裂かれた。

 

「せや―――ッ!」

 

 直上。天より落ちる流星の如く、魔槍を構えたランサーが襲い掛かった。狙いは霊核が宿る頭部、そのただ一点のみ。自由落下の勢いすら乗せた最速の一撃は、過たず狂戦士に炸裂する。反応する間すら与えず、並の英霊ならそれで終わっていたであろう槍撃は、しかし。

 

「ちぃ、やっぱり効かねえか……!」

 

 甲高い音と共に、火花を散らして跳ね返った。不意を突いた完全な直撃すらも、神の加護(呪い)を乗り越えるには能わない。

 一方。必殺の一撃を何の傷も負わずに凌いだバーサーカーは、姿を晒した槍兵を蹂躙せんと斧剣を振りかぶる。隠密行動からの奇襲という術を失った以上、この場に於けるランサーの優位性は失われてしまっている。正面からの殺し合いなら、今回召喚されたサーヴァントでバーサーカーに勝る者は存在しない。

 槍を跳ね返され、着地して体勢を立て直そうとするランサー。だが、ここに攻守は入れ替わる。空を泳ぐランサーに、大上段からの一撃を振るうのはバーサーカーの方だった。

 

「■■■■■■■■■■──────!!!」

 

 爆裂する大地。槍兵が着地した刹那、振り下ろされた斧剣が掘削機となって地面を破砕した。地震と見紛う程の打撃は、衝撃波さえ伴って周囲一帯を破壊し尽くす。

 持ち前の敏捷性により、寸前で斧剣を回避したランサー。しかし衝撃まで殺しきる事は出来なかったのか、躱し切ったにも関わらず、槍兵の顔には苦悶が浮かぶ。単なる余波でこの重み、まともに受ければ肉片さえも残るまい。

 単なる振り下ろしが、宝具の一撃にすら匹敵する規格外。一手で地形を変える程の暴力を撒き散らすバーサーカーは、存在自体が災害に等しい。腕力のみで山脈を砕いたという伝説、その一端が今宵此処に具現していた。

 

「このオッサンの相手はちっとキツ過ぎるぜ……」

 

「あら。わざわざ死にに来るなんて、一体どういうつもりかしら?」

 

 距離を取り、冷や汗を拭うランサー。その彼に、いっそ残酷な程の無邪気な声が向けられる。

 たった一撃で死を覚悟した槍兵に対し、イリヤスフィールはあくまで余裕。それはそのまま、両者の力関係を示していた。

 己が従者が負ける筈はないと信じきる少女。それは油断でも慢心でも無く、ただ純然たる事実。最強の英霊の一人に数えられるヘラクレスに、並の英霊が抗し得る術など無い。それを誰よりも知っているからこそイリヤスフィールに怯えは無く、一方のランサーは内心で苦虫を百匹ほど噛み潰していた。

 

「ぬかせ、こっちにも事情があんだよ。子供は寝る時間だ、すっこんでな」

 

 しっしっ、とぞんざいに手を振るランサー。イリヤスフィールは敵ではあるが、今宵彼女を殺せという命令は下されていない。ランサー本人も好き好んで女子供を手に掛ける性格ではなく、必要性が無い以上は端から相手にするつもりもなかった。

 

「レディに対して随分な暴言ね。―――バーサーカー。そいつ、潰しちゃっていいわよ」

 

 そんな内心を知る筈も無く。己への侮辱と受け取り、目を細めた雪の少女は、忠実な従者へと殺戮命令を下す。一撃を放った後、主の声を待ち続けていた戦士は、狂気に染まった眼をゆっくりとランサーへ向けた。

 ゆらり、と大英雄が動く。一歩踏み出しただけだというのに、大陸が鳴動しているかのような錯覚。歴戦の英雄であるクランの猛犬をして、畏怖すら懐かせる程の圧力。紅槍を構え直すランサーだったが、因果逆転の力を持つ魔槍といえど、あの巨躯を前にしては木の枝ほどにしか見えなかった。

 

「バーサーカーを相手に時間稼ぎをしろだぁ? ―――あのクソったれ野郎が」

 

 無理難題を下した己の主に対し、ランサーは小声で悪態を吐く。令呪の縛りさえ無ければ百回は槍を叩き込んでいる程、彼は今の主を嫌悪していた。

 強者と武を競い合う為に召喚に応じた以上、他の英霊と争うのは望むところだ。しかし、それが叶わぬ内に無駄死にするのだけは断じて認められない。バーサーカーと戦うのは望みの内だが、ただ時間稼ぎをして来いというだけの命令は彼にとって屈辱の極みだった。

 キャスターと同盟を結んでいる今、ランサーも自分に課せられた役割は理解している。キャスターにとっては時間が何より必要であり、それが足りなければバーサーカーに蹂躙されるだけだという事も。聖杯そのものに執着を持たないランサーとしては、気に食わぬキャスターがどうなろうと知った事ではないのだが、マスターの命令とあれば拒否する事も出来ない。

 結果。嫌々ながらも、彼は命令を果たしにこの森へとやって来ていた。ギリシャ最強の英雄を相手に、一定時間を稼ぎ、生きて逃げ延びる。それもまた戦いの術を競い合うのには違いないと、ランサーは無理矢理自身を納得させていた。狩人として、猟師としても達人であるヘラクレス。それから逃げ切らなければならないとすれば、確かに死力を尽くした戦いは実現されるのだから。

 

 ―――それが真っ当な一騎打ちでないのは、大いに不満が残ったが。

 

 すっ、と何の前触れもなく、槍を構えたランサーが闇に消える。特殊な歩法を用いた、足運びすら悟らせぬ一瞬の後退。武術を知らぬイリヤスフィールの目には、ランサーが突如として消失したように見えただろう。

 正面からの殴り合いで勝てる見込みはない。宝具を用いた即死攻撃も、十二の試練(ゴッド・ハンド)の前には無力。時間を稼ぐのが目的なら、正面攻撃は有り得ない。

 よって、ランサーが選んだのは闇に紛れての一撃離脱。奇襲と逃走、隠れての待ち伏せを交互に繰り返し、足止めを図る遅滞戦術。生前、七年にも亘って大軍と戦い続けたクー・フーリンにとっては、馴染み深いとも言える戦法だった。

 

「何のつもりか知らないけど……追いなさい、バーサーカー。まずは一人目、ここで片付けるわ」

 

「■■■■■■■■■■──────!!!」

 

 姿こそ晦まされたが、バーサーカーの感覚器官はランサーの気配を捉えていた。狂化しているが故に一度は受けた攻撃も、本能が二度は許さない。後ろに立つ少女を護る為なら、狂戦士はあらゆる敵を排除する悪鬼となる。

 森を進軍する少女と、最大最強の大英雄。闇で待ち伏せ、機会を伺うクランの猛犬。狂戦士が槍兵を炙り出し、粉砕するのが先か。時間を稼ぎ切り、槍兵が逃げ果せるのが先か。

 

 ―――そうして、命がけのかくれんぼが始まる。各所で謀略の糸が紡がれる中、柳洞寺に先んじて、死闘の火蓋が切って落とされた。


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