【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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0.運命の夜

 

 じりじり、じりじり、じりじり。

 

 脳を揺らす、不快な音。

 眠い。寝たい。

 このまま寝ていろと本能が囁くが、じりじりという派手な音がそれを許してくれない。

 

「……なによ、もう。うっさいわね。もうちょっと寝かせてくれても……」

 

 ただでさえ、わたし──遠坂凛は朝が弱い。

 だというのに、昨日は……いや、今日になるまで、十年前に亡くなった父の遺言を解読していたのだ。体力も頭脳もフルに使って、へとへとに疲れている。

 

「もうちょっと……」

 

 目覚まし時計の音に揺さぶられながら、時間帯を思い出す。いつも設定している時間は、六時半。学校の始業時間を考えると、少しぐらい寝ていてもまだ貯金は残っている。

 うん、もう少しだけ寝ていよう。これを見越して、昨日は目覚まし時計を三十分後にセットしていたのだ。

 

 ──あれ。これって、なんかおかしくない?

 

「ってことは、もう七時じゃない……!」

 

 回らない頭に喝を入れ、慌ててベッドから起き上がる。

 正直に言えば、七時でもまだ時間に余裕はあるのだが、ギリギリの生活は家訓に反する。

 

 どんな時でも、余裕を持って優雅たれ──。

 

 随分と風変わりな家訓だと思うが、わたしはこれを気に入っている。

 余裕のない人生なんて、なんというかこう、カッコ悪い。できれば、家計にももっと余裕が欲しいのだけれど──。

 

 ──自慢ではないが、わたしの家は『魔術』を伝える魔術師の一族だ。

 家柄自体も古く、当然のように資産もある。だが、魔術というのはとにかくお金が消えていくもので……そんなわけで、わたしは年中資金繰りに奔走している。

 

 魔術、というのは読んで字の通り。呪文を唱えたり、怪しげなお香を使ったりして、ヘンなことを起こすのである。

 こう言ってみると、ファンタジーで神秘的な香りがするのだが、実際にはそう愉快なものではない。色々と制約もあるし、命の危険なんてしょっちゅうだし、「わたし、魔術師なんですー!」と吹聴するのは論外だ。

 それに、どんなに凄い魔術でも、時間と技術さえあれば別の手段で代替できてしまう。例えば、火を出したり空を飛んだりなんてコトは、一見凄いものに見えるかもしれないが、わたしたちは同じことを魔術を使わずもっと簡単にできてしまう。ライターや飛行機があれば、わざわざ小難しい魔術なんてものは使わなくても良い。

 つまり、魔術師というのは採算の合わない職種なのだ。色々手間を掛けて魔術を用いても、現代の科学技術はもっと簡単に同じ事象を再現することができる。それでも何故、世間に顔を出せないようなモノを研究しているのかというと──。

 

 話は変わるが、次元論の頂点、この世の外側には『根源』というモノがある。

 この世の全てが記録されており、知識の全てが内包されているという事象の出発点。そこへ至ることこそが、全ての魔術師に共通の目的だ。

 何とも胡散臭い話だが、『魔法使い』という存在が、『根源』の存在を逆説的に証明している。

 

 『魔法』とは何かというと……これは、魔術とは似て非なるものだ。

 文字通りの、魔法。その時代の文明の力ではどれほど努力しても辿り着けない、再現不可能な『奇跡』。それが魔法であり、それを用いる者が魔法使いだ。

 根源から湧き出たモノが魔法であり、魔法を使えるということは、即ち根源に至っているのと同義。

 人類史上でもほんの数人しか存在しない魔法使いだが、それでも確かに彼らは存在する。そして、それを目指すのが魔術師であるわたしたちの最終目的である。

 

 そんなことを思い出しながら、顔を洗い、朝食を済ませる。学校に行くために鞄を持ったところで、ふと昨夜のことを思い出した。

 

 遠坂の魔術師は、宝石魔術を得意とする家系だ。

 本来、魔力という概念は貯蔵が難しい。だが、宝石は比較的魔力を溜めておきやすい性質を持つ。そして、魔力のストックがあれば、様々なことに応用ができる。まあ、少々お金がかかりすぎるのが欠点ではあるのだが……。

 それはさておき。昨日の夜はとんでもないものを見つけてしまったのだ。父の遺言を解読して手に入れた、百年ものの宝石。

 魔術に使う道具は、年月を経ていればいるほど良い。百年ものの、しかも魔力を大量に蓄えた宝石は、まさに宝と言ってもいいかもしれない。

 今のわたし、十年分の魔力の詰まった宝石。他にも宝石はあるが、これに比べれば石ころのそれに等しい。

 

 ……と、いつのまにか危ない時間になっていた。

 手で弄んでいた宝石をしまって、鞄を持つ。学校に行かないと、そろそろまずい時間かもしれない。

 

 

***

 

 

 煌々と輝く夕日の中、玄関の鍵を開けて慣れ親しんだ居間に入る。

 特に何も変わったことはなく、今日も平穏な学校生活を終えた。波乱万丈な学生生活なんて、小説かアニメの中にしか存在しない。実際の学校というものは、わりと味気ないものだ。

 ……そう思うのは、わたしが変わっているからなのかもしれないが。

 学校でのわたしは、自分で言うのもなんだが、完璧な優等生として振舞っている。

 遠坂の名を貶めるなんてもってのほかだし、何よりわたし自身、やるからには一番がいい。というワケで、学業においても手抜きは一切していない。

 でも、それだけ。

 学校でわたしの評価を聞いても、「優等生」以上の答えは返ってこないだろう。友人はそれなりにいるが、それでも休日くらいしか付き合いはない。他人が嫌いなわけではなく、極力他人と付き合わないようにしているのだ。

 

 魔術師というのは、秘匿されるべき存在。

 

 色々と理由はあるのだが、基本的に魔術というものは表の世界へ出してはならないものだ。当然、一般人に魔術の存在を知られることも避けなくてはならない。

 そして、魔術という神秘を知ってしまった一般人は、消すのがセオリーだ。

 当然、わたしはそんなことはしたくない。

 特定の人間との付き合いが深くなれば、何かの拍子で魔術師であることがバレてしまうかもしれない。そんなことにならないためにも、波風を立てないように日々の生活を送っている。

 

「──む」

 

 そんなわたしを出迎えたのは、留守番電話のランプ。

 家に電話がかかってくるなんて滅多にないのだが……まあ、大体中身の想像は付いた。はあ、とため息をついて、再生のボタンを押すと……程なくして、男の声が流れ始めた。

 

『私だ。解っているとは思うが、期限は明日までだぞ凛。あまり悠長に構えられては困る。残る席はあと二つだ。早々にマスターを揃えねばならん』

 

 うん、この面白味のない台詞。やっぱり綺礼か。

 

 言峰綺礼。

 わたしの父──遠坂時臣の弟子であり、わたしにとっては兄弟子にあたる。神に仕える神父でありながら、魔術師に師事したという何とも珍しい経歴の男なのだけれど……まあそれは置いておこう。

 

『マスターの権利を放棄するというのなら今日中に連絡しろ。予備の魔術師を派遣するにも時間がかかる』

 

 ムカつくけど、この男、声だけはいいと思う。

 重厚で、静かに響く声。改めて聞くと、本当に聖職者らしい声だ。……声だけだけど。

 

『おまえには既に令呪の兆しが現れているのだ。さっさとサーヴァントを召喚し令呪を開け。

 ──もっとも、聖杯戦争に参加しないというのなら話は別だ。命が惜しいのなら、早々に教会に駆け込むがいい』

 

 そこで、留守電は切れていた。

 ふん。戦うのならさっさと支度しろ、そうでないならリタイアしろ、という催促か。アイツにとっては、どちらでもいいのだろうけど──わたしには、とっくに戦う準備ができている。後はもう、最後の準備に臨むだけなのだが……。

 

「聖杯戦争、か……」

 

 その重々しい響きを口にすると、わたしはそっと瞼を閉じた。

 

 ──それは、十年前の話。

 

『それでは行くが。後のことは解っているな』

 

 背が高く、彫りの深い顔立ち。何か大事なコトを考えながら、その人はわたしの頭を撫でていた。

 いや……撫でている、というよりは。頭をぐりぐりと掴んでいる、と言うべきか。

 それもそうだろう。だってこの人は、たぶん初めてわたしの頭を撫でてくれたのだから。

 慣れない手つきでわたしを撫でながらちょっと考え込んだ後、その人は矢継ぎ早に話を始めた。

 

 家宝のこと。

 大師父のこと。

 地下室の管理のこと。

 

 今までは教えてくれなかったことを話すその姿を見て、わたしはわかってしまった。

 人間は、死の間際には変わった行動に及ぶという。だから、わたしはもう──この人と、会えることはないだろう。

 

 戦争だった。

 国家同士の戦争ではなく、個人と個人……七人の魔術師が互いを狙い合う、冷酷無比なバトルロイヤル。

 その内の一人が、この人。

 この人も誰かを殺し、殺される立場に立っている。それだけは、幼いわたしにもわかっていた。

 

『凛、いずれ聖杯は現れる。アレを手に入れるのは遠坂の義務であり、何より──魔術師であろうとするのなら、避けては通れない道だ』

 

 そして、最後に。優しくわたしの頭を撫でて、その人は去って行った。

 

 遠坂時臣。

 わたしの父であり、師であり──そして聖杯戦争のマスターであった人の、最後の姿。

 わたしは、あの人のことが好きだった。父親としても魔術師としても、あの人はとても優れていた。

 わたしのことを愛してくれて、厳しく指導してくれた。

 だから、ずっと前から決めていた。その人が最期に残した言葉で、わたしは自分の道を選ぶのだと──。

 

「そっか。もう始まるんだ……」

 

 目を開くと、そこにあるのは父の姿ではなかった。時計の音だけが、静かな部屋に響いている。

 

 聖杯戦争。

 何でも願いを叶えるという聖杯を巡って起こる、七人の魔術師たちの殺し合い。

 そんな便利なモノなら、みんなで使えばいいじゃない! ……と思わなくもないのだが、世の中そう上手くはない。聖杯を手にできるのは、一人だけ。その所有権はただ一人のみに与えられ、その聖杯はただ一人の願いしか叶えない。

 しかし、聖杯を召喚するには七人の魔術師が必要だった。にも関わらず、ただ一人の願いしか叶えられないというのなら──七人の魔術師が、お互いを殺し合い始めるのは時間の問題だった。

 それが、聖杯戦争の発端。

 

 聖杯戦争に参加する魔術師は、『マスター』と呼ばれる。

 

 マスターの証は、二つ。

 使い魔──『サーヴァント』と呼ばれる存在を召喚し、それを従わせること。

 また、サーヴァントを律するための、三つの聖痕を宿すことだ。

 マスターは召喚したサーヴァントと協力し、最後の一人になるまで他の魔術師・サーヴァントと殺し合う。

 このルールが肝心なところで、いかに魔術師として優れた技量を持っていようとも、サーヴァントを従えていない限り、聖杯戦争に参加する資格はない。

 使い魔と聞くと、フクロウだのネズミだの、そういう小動物が頭に浮かぶ。だけど、この聖杯戦争の使い魔は桁が違う。召喚方法も使役方法も、通常のそれとは次元が異なる。

 

 英霊、という存在がいる。

 

 英霊とは、要するに英雄の魂だ。

 大国を治めた王様、歴史の教科書に載っている英雄、有名な物語の豪傑──そういった、歴史に名を刻んだ超人たちは、死後に英霊の座という場所に召し上げられる。

 英霊として祭り上げられた彼らは、ある種の精霊へと昇格し、人間の守護者となる。神話伝承、史実虚偽を問わず、人々に信じられてさえいれば彼らは英霊になる。人間の想念が、彼らを英雄としてカタチにする。そして、そんな途轍もない奴らを使い魔として引っ張って来るのが……この、冬木の聖杯戦争というわけだ。

 彼らは、人間を超越した存在だ。例え魔法使いであろうとも、そんな存在を使役することなどできるわけがない。

 しかし、そんな規格外を召喚し、人間の使い魔にできてしまうのが聖杯だ。これだけでも、この冬木にある聖杯がとんでもない代物だとわかるだろう。あらゆる年代、あらゆる地域を問わず、英雄たちをこの現代に復活させ、最強を競い合う殺し合い。それが、この冬木の聖杯戦争だ。

 ……ここで、その召喚が問題になってくる。

 英霊は、本来世界の外側に在る存在。それを現世に引っ張って来ようというのだから、それ相応の準備が必要になるのは当然だ。故に、聖杯は彼らが形になりやすい器──クラスを設け、そこに適合する英霊を選別し、召喚する。

 予め用意されたクラスは、七つ。

 

 剣の騎士、セイバー。

 槍の騎士、ランサー。

 弓の騎士、アーチャー。

 騎乗兵、ライダー。

 魔術師、キャスター。

 暗殺者、アサシン。

 狂戦士、バーサーカー。

 

 召喚された英霊は、この七つのクラスのどれかに振り分けられ、サーヴァントとして具現化する。だが、サーヴァントを召喚するには、その人物に縁のある品物が必要だ。

 つまり、その人物が持っていた剣や盾、或いは着ていた服や鎧。そういうものが必要になってくる。

 実は、そういった聖遺物がなくても、サーヴァントを召喚できないことはない。だけどその場合は、どんな英霊が出て来るのかわからない。

 ひょっとしたら、とんでもなく有名な大英雄を引き当ててしまうのかもしれないし、逆にマイナーで弱っちい奴が現れるかもしれない。要するに、ギャンブルなのだ。命を賭けた戦いで、そんな運試しはしたくない。

 

「ふ、ふふ。ふふふふふふ……」

 

 もう既に、サーヴァントを呼び出す事自体はできる。この遠坂邸は、霊地として一級品。他の魔術師なんかには遅れを取らない。問題だったのは、サーヴァントの縁の品だけだったのだが……。

 

「やったわ。これで、セイバーが出て来るのは確実。さすが父さんね、まさかこんなものを遺してくれてるなんて思わなかったわ」

 

 わたしの目の前にあるのは、箱に収まった木の破片。

 見た感じ、そのへんの木をむしって取ってきたものと言っても違和感は無い。ぶっちゃけ、ただのゴミにしか見えない。しかし──これは聖遺物として、最上級の逸品だ。

 

 ──()()()()()。それが、この木屑の正体だった。

 

 イギリスを起源とする、アーサー王伝説。何を隠そう、この木屑は、そのアーサー王が提案した円卓の欠片なのだ。

 英霊というのは、単純に有名であればあるほど強い。そして、アーサー王と円卓の騎士の名前を知らない者など、世界規模で見ても少数だろう。

 アーサー王を筆頭に、『湖の騎士』ランスロット。『太陽の騎士』ガウェイン。そして、『叛逆の騎士』モードレッド──。

 誰も彼も、その伝説を歴史に刻んだ勇者だ。そんな英雄たちに纏わる遺物は、この聖杯戦争では最高の宝と言ってもいい。

 何せ、これを触媒としてサーヴァントをすれば、誰が召喚されても外れがないのだ。強力なサーヴァントを呼べるのは、それだけで絶大なアドバンテージになる。

 

 十年前の聖杯戦争で、父さんは別の聖遺物を使ってサーヴァントを召喚したらしい。遺言によれば、これはその時の予備として確保しておいたものだという。

 予備でこの逸品なのだから、本命のサーヴァントはどれ程の聖遺物を使って召喚されたものなのだろう……と思わなくもないが、今は素直に喜んでおこう。

 昨夜解読した遺言で、わたしはこの破片と、切り札となる赤い宝石を手に入れた。これさえあれば、準備は万端だ。今夜万全の状態でサーヴァントを召喚して、最強のセイバーを引き当ててやるんだから……!

 

 

***

 

 

 深夜。

 わたしにとって最も相性のいい時間帯は、午前二時ジャスト。その時刻に合わせて、準備を整えた。

 

 ちらりと時計に目をやると、()()()()に差し掛かろうとしていた。

 実は今朝、わたしは七時半に家を出たはずなのだが、学校に着いた時には七時過ぎの時間だったのだ。

 それでは辻褄が合わない……と疑問に思って、帰宅してから時計を確認してみれば、案の定時刻がずれていた。しかも、ずれていた時計は一つだけではない。示し合わせたかのように、家にある全ての時計がぴったり一時間進んでいた。

 どういうことなのかはわからないが、家中の時計を直すのも時間がかかるので、まあいいか、とひとまずは放置している。ひょっとしたら、お父様がなにかしてたのかしら。

 もしこれに気付いていなかったら……と考えると恐ろしい。そうなると、わたしは一時間ずれた時間に儀式を始めようとしていたワケで……うっ、考えるのは止めよう。

 

 さて……そろそろ、時間だ。

 綺礼は、「残る席はあと二つ」と言っていた。ということは、もうわたし以外に五人の魔術師が準備を整えていることになる。遠坂の魔術師として、これ以上遅れを取るわけにはいかない。

 慎重な手つきで、地下室の床に陣を刻んでいく。

 魔法陣は血液で描くのがセオリーだが、今回は溶解した宝石を使っている。その魔力量は、血液とは比較にならない。なにせ、わたしが溜め込んでいる宝石の半分を使うのだ。サーヴァントの召喚なんて大挑戦、万が一にも失敗するわけにはいかない。だから、出し惜しみはなし。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 集中する。

 かつてないほどに神経を細く尖らせ、僅かなミスも残さない。

 英霊の召喚、と聞くと途方もない大儀式を想像するが、彼らを招くのは聖杯の仕事。わたしたちマスターは、ただサーヴァントを現世に繋ぎ止めるための魔力を供給すれば良い。実際のところ、面倒な手間は聖杯がやってくれるので、わたしは召喚に成功さえすれば良いのだ。

 とはいえ、この儀式に失敗が許されないことには違いはない。万一サーヴァントが呼び出せなければ、わたしはその時点で不戦敗になってしまう。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 一瞬だけ、時計に目を走らせる。時間は完璧。後は、本番に移るだけ──!

 

Anfang(セット)

 

 体の中にある、見えないスイッチを入れる。途端に起動する、わたしの魔力回路。

 励起した魔力回路を通じて、わたしの全身に魔力が行き渡る。この大気に含まれる、膨大にして純然たる魔力。これを変換して、別なカタチにする。

 全ての魔術に共通のこの手順。身体に走る鈍い痛みは、魔術を使うための代償だ。本来人に成しえない神秘を成す対価として、この鈍痛は永劫付き纏う。

 それでも、集中を緩めない。痛みを堪え、自分を抑え、魔力を編んだその先に、わたしが求める道がある──!

 

「──―告げる」

 

 準備は万端。

 魔力は完璧。

 失敗なんて許さない。

 変換した魔力を召喚陣に注ぎ込み、()()を呼ぶためだけにこの身を動かす。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 空気が、変わる。

 膨大な魔力は渦を巻き、ただ見えずともその猛威を感じさせる。

 わたしはとっくに目を閉じている。こんな状態で目を見開いていたら、それだけで失明しかねない。

 もう後戻りはできない。後はただ、終わりまで突っ走るだけだ。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」

 

 ──来た!

 

 よしっ、かんっぺき!間違いなく最強のカードを引き当てた……!

 我ながら最高の手応え、会心の一撃ってもんよ!ああもう、どんなのが来たのかしら……!?

 

 期待七割、不安三割の状態で目を開ける。

 すると、そこには──

 

 

「──―問おう。貴方が、私のマスターか」

 

 

 鈴のような、少女の声。

 宝石のような翠の瞳は、静かにわたしに向けられている。

 確証もなく、一目で判った。これがわたしの欲しがっていたカード。サーヴァント中最優の、剣の英霊。

 身を包む白銀の鎧は、光の届かぬ地下であっても尚燦然と輝く。僅かに靡く金砂の髪は、触れば零れてしまいそう。

 その美しい出で立ちに、呆然と見惚れてしまう。

 でも、仕方がないと思う。だってその女の子は綺麗で、ちょっと悔しいくらいに可愛かったんだから──

 

 

***

 

 

 ──結論から言うと。わたしが召喚したサーヴァントは、間違いなく最高のカードだった。

 

 アーサー王。

 かつてブリテンの王として君臨し、幾多の戦いを勝ち抜き、サクソン人の侵攻を撃退したとされる大英雄。

 中世においては九偉人の一人として崇められ、現代に至るまで世界各地にその名を残す騎士の王。

 その手に握られた聖剣はあらゆるものを両断し、聖剣の鞘は不老不死の力を持つと伝えられる。

 

 そんな破格の英雄を召喚できたのだ、飛び上がって喜んでもいい場面だろうが……一つ、重大な問題があった。

 アーサー王だと名乗ったこのサーヴァントは、わたしとそう年の変わらない女の子だったのだ。

 どーゆーことなのよ、と叫びたい気持ちを抑えて、まずは冷静に自分の体を確かめる。

 ……うん、確かにわたしの体から魔力の何割かが目の前の女の子に流れて行っている。やっぱり、この女の子がわたしのサーヴァント──セイバーで、間違いないようだった。

 

「──―」

 

 契約を確認するために、自分の右手を見下ろす。サーヴァントと契約した今、わたしの右手には不思議な紋様が刻まれている。

 これが、令呪。

 サーヴァントを従えた証にして、サーヴァントを律するための三画の鎖。

 令呪には強大な魔力が凝縮され、自分のサーヴァントに三度まで命令を下すことができる。その命令は、文字通りの絶対。人間を超越した存在である英霊を、問答無用で跪かせる切り札だ。

 例えばそれが、"自殺しろ"という不条理極まりないものであったとしても、サーヴァントはそれに逆らう事はできない。

 しかしこれは、サーヴァントを縛るためだけの鎖、という訳ではない。場合によっては、彼らを支援する強力な武器にもなる。「わたしの所へ来い」と命じれば、遠くに離れていても一瞬でわたしの近くまで移動して来ることができる。また、「今あの敵から逃げろ」と命じれば、どんなに不利な状況でも逃げ出せる可能性が見えてくるのだ。

 

「──マスター」

 

 その声で、はっと正気に戻った。

 頭をふるふると振って正面を見る。翡翠色の瞳が、わたしを静かに見つめていた。

 何かを問うようなその視線に、はてな、と首を傾げる。

 ……あ。そういえば、大事な事を忘れていた。

 

「ごめん、自己紹介がまだだったわ。……わたし、遠坂凛よ。貴女の好きなように呼んでいいわ、セイバー」

 

「それでは、凛と。ええ、私としては、この発音の方が好ましい」

 

 少し変わった発音で、わたしの名前を呟くセイバー。

 けど、不思議と悪い気分はしない。彼女の声はとっても綺麗で、ただ名前を呼ばれているだけでも穏やかな気分になる。

 ……うん。この娘を召喚して、本当に良かった。

 召喚の儀式の後、女の子が出てきたのにはびっくりしたけど、セイバーはちゃんとした英雄だし。正直、今の所はケチの付けようがない。実体から霊体に移れない、というのはちょっと問題だけど、それを差し引いても十分お釣りがくる。

 考えてみれば、四六時中ごっつい男がくっついてくるのはアレだし。第一、筋肉ムキムキの英雄って、ちょっとわたしの趣味じゃない。

 一人で頷いていると、セイバーが再び口を開いた。

 

「凛。こうして召喚された以上、私は貴女のサーヴァントだ。しかし、主の望みを知らなければ私も剣を預けられない。聖杯に託す、貴女の願いを聞かせてほしい」

 

 ……あ、そうか。

 聖杯を手に入れた時、そのマスターが何を望むかはサーヴァントにも関係がある。いくら聖杯が凄い力を持っていても、やる気のない英雄を引っ張ってくることは難しい。現世に召喚されるサーヴァントには、皆何かしらの願いがある。

 古来より、英雄譚というものは悲劇的な結末が多い。裏切りや不運が原因で、目的を果たせずに命を落としたという逸話には事欠かない。

 そんな彼らに、再び願いを叶えるチャンスを与えるのが聖杯戦争。なら、その魅力的な条件に飛びつかないはずがない。

 こうしてわたしに質問してきたってことは、セイバーにも聖杯に託す願いがあるのだろう。アーサー王伝説も、悲劇の結末を迎えた逸話の一つなのだから。

 マスターとサーヴァントは、願いを叶えたいという共通の目的を持つ。なら、当然マスターであるわたしは──

 

「願い? ないわよ、そんなもの」

 

「……は?」

 

 ぽかん、とあっけに取られるセイバー。

 ややしばらくして、呆然としていた少女は慌てたように矢継ぎ早に喋りだした。

 

「そ、そんなはずはありません。聖杯とは、願いを叶える万能の杯。マスターであるのなら、貴女も聖杯に託す望みがあるはずだ」

 

「だからないって、そんなもの。いい、セイバー? 聖杯が万能だっていうなら、そりゃあ何だってできるでしょう。だけど、勝手に望みが叶っちゃうなんて面白くないわ」

 

「……では、貴女は何の為に戦うのですか」

 

「そんなの決まってるじゃない。──勝つためよ。ついでに、もらえるものはもらっておく。聖杯ってのが何なのかは知らないけど、あって困る物でもないでしょ」

 

 ぱちぱち、と綺麗な瞳を瞬かせるセイバー。けれど、それは一瞬のもので──彼女は静かに、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「……参りました、凛。貴女は、確かに私のマスターに相応しい」

 

 そう穏やかに言うセイバーに、図らずもわたしは見惚れてしまった。

 ……って、あれ?なんでさっきから、わたしはこんなにぼーっとしてるんだろう。

 セイバーの顔をぼんやりと眺めた後で、ようやく原因に思い当たった。つい先ほど、わたしはサーヴァントの召喚なんて途方もない儀式を終えたばかりなのだ。魔力も大分持っていかれてるし、疲れていないわけがない。

 というかそもそも、ここ数日はろくに寝ていない。普通なら、倒れているかもしれないような状況だ。まだやることは残っているけど、とりあえず一番の大仕事は終わった。なら、もう休んでもいいかもしれない。

 

「……ごめん、なんだか疲れたみたい。先に休むわね、セイバー」

 

「では、後は私が。──ご安心を、マスター。私がいる限り、敵サーヴァントが貴女を傷付けることはありません」

 

 凛とした口調で宣言するセイバー。その表情は確固とした自信に溢れている。

 その言葉に偽りはない。例えどんなサーヴァントが現れようと、わたしのセイバーの敵ではないだろう。

 見た目は可愛らしい少女だが、彼女が内包する魔力は桁が違う。なにせ彼女は、このわたし、遠坂凛のサーヴァントだ。自慢じゃないけど、そんじょそこらの魔術師には負ける気がしない。うん、今夜は安心して寝られそう。

 

「おやすみなさい、セイバー」

 

「はい。おやすみなさい、凛」

 

 軽く会釈をするセイバーに踵を返し、地下室から抜け出して二階にある自室を目指す。

 一世一代の儀式をこなしたせいか、サーヴァントに魔力を送っているせいか、どうにも眠気が酷い。ああ、今夜はぐっすり眠れそう──。

 

 

***

 

 

 サーヴァントを召喚した翌日は、まる一日を使って市内の案内をした。

 セイバーに町の様子や地形を教えつつ、ついでに他のマスターやサーヴァントを炙り出してやろうという心積もりだったのだが……世の中、そう幸運は転がっていないものらしい。

 まあ、無為に一日を過ごしたというワケでもないので、その点では良かったと考えるべきだろう。収穫もそれなりにはあったのだし。

 ……それで。一晩ぐっすり眠った後、わたしは居間でセイバーと向かい合っていた。

 

「──で、学校に行こうと思うんだけど」

 

「……は?」

 

 わたしの宣言に、セイバーは目を丸くした。

 その驚いた表情を見て、説明が足りなかったかな、と言葉を付け加える。

 

「あ、ひょっとして学校のこと知らない? ええと、学校っていうのは──」

 

「いえ、その情報は知識として知っています。サーヴァントは、聖杯から現世の知識を与えられる」

 

 そういえばそうだった。

 英霊というのは、基本的には古代に生きた人間たちだ。中には、未来の英霊というヤツも居るのかもしれないが、ほとんどの英霊は神話・伝承の中の人物。つまり、大昔に存在した者たちだ。

 だけど、そんな時代に生きていた連中が突然この現代に現れて、上手く適応できる訳がない。そこで、聖杯はサーヴァントに知識を授ける。この時代の一般常識を叩き込んで、色々と不都合が出ないようにするわけだ。

 

「私の疑問はそこではありません。凛、マスターであるからには貴女は敵の攻撃を警戒しなくてはならない。学校という場所は、敵を迎え撃つには不適切です」

 

「そうかしら。いい、セイバー? わたしは、聖杯戦争中だからって今まで通りの生活を変えるつもりはないわ。それに、学校は公共の施設よ。何百人という生徒がいる前で、わたしに襲い掛かる勇気があるヤツがいると思う?」

 

「……可能性としては、考えられます」

 

 気のせいか。どこか暗い表情で、セイバーはそう呟いた。

 

「凛。マスターになった人物は、貴女のように高潔な人間とは限らない。中には、他人を巻き込むことを厭わない者もいるでしょう」

 

「……む」

 

 うん、確かにそうだ。

 ガス漏れ事故に見せかけるとか、校舎の老朽化による事故に見せかけるとか。はたまた、テロリストの爆弾テロに仕立て上げるとか。一般人なんて関係ないと割り切ってしまえば、学校の中にいるわたしを狙うなんていくらでもできる。

 基本的に、『神秘の秘匿』という一点さえ守られていれば魔術師の戦いはルール無用だ。そういう手を使ってくる外道がいないとは言えない。

 

「それに……仮定の話になりますが。学校の中に敵がいた場合、私はマスターを守ることができません。霊体化ができず、気配遮断のスキルを持たない私が学び舎の中に入るのは難しいでしょう」

 

 んー……確かにセイバーの言うとおりかも。でも、学内にマスターが潜んでいる可能性は限りなく零に近い。

 遠坂家は、冬木市一帯を管理している特別な家系だ。当然、他の魔術師の家系も確認しているが、この街には遠坂以外に魔導に関わる家は一つしかない。その家も既に没落し、今代の後継者は魔術師としての素養すら持ち合わせていないという。当然、聖杯戦争のマスターになどなれるはずもないのだ。

 となると、今回の聖杯戦争に参加する魔術師の大半は、冬木市の外からやって来ることになる。そんな連中が、学校までいちいち調べている余裕があるとは思えない。

 わたしが学校にいる間、セイバーは学校の近くに居てもらえれば大丈夫だろう。近い距離なら、わたしに何かあってもセイバーが間に合うし、逆にセイバーの方が襲われたとしても、わたしのセイバーはそう簡単にやられるほど弱くはない。

 それに、わたしとセイバーが別行動を取っている事による利点もある。例えば、情報。二手に分かれていればそれだけで手に入る情報が増すし、逆に敵のマスターやサーヴァントからしてみれば、片方を発見したとしてももう片方の情報が掴めない。

 それをセイバーに話すと、難しい表情が返ってきた。

 

「マスターがそう仰るのでしたら、私は従うまでですが……どうか気を付けてください、マスター。戦というのは、何が起きるか判らないものですから」

 

 真剣な瞳でこちらを見つめるセイバー。その言葉には、確かな実感がある。

 

 ──アーサー王。かつて戦場を馳せ、十二の会戦を勝ち抜いた騎士の王。その本人が言うのだから、忠告には従うべきだろう。

 

「わかったわ。ありがとう、セイバー。……っと、そろそろ行かなきゃ。わたしが学校に行ってる間は、打ち合わせ通りによろしくね」

 

「はい。いってらっしゃい、凛」

 

 セイバーの見送りを受けて、わたしは玄関へと足を向けた。

 

 

***

 

 

 また、新たな一日が終わる。

 太陽はとうの昔に沈み、街は静かな闇に覆われている。

 時刻は、既に夜の八時。学校に残っているのは、わたしと……横にいる、甲冑姿の少女だけ。

 目の前の異物を見下ろしながら、わたしは静かに口を開く。

 

「セイバー。貴方たちってそういうモノ?」

 

「…………」

 

 対するセイバーは、無言。その沈黙が、何よりも雄弁な答えだった。

 

 ──結界。

 

 古来より存在する魔術であり、基本的には術者を守る働きを持つ。一定の区域に作用し、範囲内への人目を避けるものから、踏み入った者へ何らかの束縛を与えるものまで、その効果は様々だ。その中でも最上位のモノが、わたしの目の前には存在している。

 堂々と描かれた刻印は、魔術師にしか見ることができない。刻まれた文字は見たことも、聞いたことすらないカタチだ。

 魔術師であるわたしの知識にないモノ。だがそれでも、これが桁違いの技術で張られたモノであることは理解できる。更に厄介なのは……この結界の性質は「攻撃」であることだ。

 おそらくは、生命活動に干渉する結界。まだ未完成のようだが、こんなものが完成すれば、一般人はひとたまりもない。

 しかし、これは魔術師にはほとんど無意味な結界だ。結界というのはあくまで地形・場所に作用するもので、自分の体に魔力を通している魔術師には効きにくい。

 ということは……この結界の狙いは、マスターやサーヴァントではない。標的になっているのは学校全体……つまり、この学校に通う生徒そのものだ。

 

「…………」

 

 朝のうちに異物の存在を探知したわたしは、夜になるのを待ってからセイバーと合流し、こうして結界を調べていた。

 この屋上で、結界の起点、所謂呪刻は七つ。当然全てを解除した……と言いたいところだが、これはもうわたしの手には負えない。発動の妨害くらいはできるが、呪刻そのものの撤去はできない。

 

「──―」

 

 セイバーは口を結んだまま開かない。しかしその険しい表情が、彼女の怒りを示している。

 それも当然と言えば当然だ。こんなモノ、まっとうな人間なら許容できるはずもない。発動したが最後、この結界は内部の人間を殺し尽くす。

 魔力を奪う、活動を制限する、なんて生易しいモノじゃない。精神力や体力ではなく、魂そのものを奪う血の結界(ブラッドフォート)

 だが、魂なんてモノを手に入れたところで、それを扱える魔術師は存在しない。魂という概念は扱いが難しく、それを確立させた者は歴史上たった一人しか確認されていないのだ。

 そんな集める意味のないモノを、大規模な結界を設置してまで奪おうとする目的。一般人にも、魔術師にも使い道のない魂が必要だとすれば、それは──

 

「──サーヴァントのエネルギー源、か。どう、セイバー。わたしの予想、当たってる?」

 

「はい。サーヴァントは霊体ですから、人間の魂はそのまま魔力として転用することができます。

 ──純正の英霊が、このような蛮行に及ぶとは考えたくありませんが」

 

 ……やっぱり。

 当たって欲しくはなかったが、わたしの推測は的中していたらしい。

 確かに、手段としては確実だろう。学校の生徒を丸ごと魔力にできるのだ、効率だけを考えれば確かに優れている。

 だけど、これを張ったヤツは何も考えていない。

 何百人もの一般人を巻き込む結界に、神秘の秘匿なんて要素は見当たらない。そんな基本すら無視する魔術師なんて、余程の馬鹿か、或いはとんでもなく自信がある者だけだ。

 

「──潰すわ。こんなものをわたしの土地で使おうなんて、癇に触るったらありゃしない」

 

「同感です、凛。私はサーヴァントですが、その前に一人の騎士だ。騎士として、無辜の民を犠牲にするやり方は見過ごせません」

 

 セイバーと頷き合い、地面に描かれた呪刻に向き直る。

 左腕を突き出すと、刻まれた魔術刻印が淡く光った。魔道書そのものであるこの刻印は、ただ魔力を流して必要な一節を読み込むだけで効果を発揮する。

 地面に直接左手をつけ、結界消去の呪文を詠唱。慣れ親しんだ感触と共に、魔力がわたしの体から流れていく。迸る魔力はそのまま、呪刻に宿っていた魔力をも押し流す。

 ……さて。これで、一時的に結界の完成を妨害できたはずなのだが──。

 

 

「なんだよ。消しちまうのか、勿体ねえ」

 

 

 その声に、身体が咄嗟に動いた。

 振り返る。

 気配は、わたしの斜め上。給水塔の上で、若い男がこちらを見下ろしていた。

 

 身を包むのは、青い鎧。

 愉快そうに吊り上った口元は、粗野でありながらもどこか親しみ深さを感じさせる。

 顔は笑っているが、こちらに向けられた目線は鋭い。そこに込められた殺気は、この男が歴戦の戦士であることを示していた。

 だが何よりも先に、その圧倒的な存在感が、それが人間ではないと告げている──!

 

「まあ、オレにとっちゃあどっちでもいいんだが。用があるのは、そっちの姉ちゃんの方だ」

 

 隣に立っているセイバーが、ぴくりと身じろぎする。セイバーに用……ということは、コイツやっぱり──!

 

「サーヴァント……!」

 

「そうとも。で、それが判るお嬢ちゃんは、オレの敵ってコトでいいのかな?」

 

 背筋が凍る。

 何でもないという風に、まるで世間話のように告げられたその一言。だがその言葉の意味は、他の何より恐ろしかった。

 まるで、蛇が鎌首を擡げているような。そんな、危険な感覚。

 ……まずい。何がまずいのかも判らない。ただ、ここで戦うのだけは、絶対に危険だと本能が警鐘を鳴らす……!

 

「……ほう、大したもんだ。年の割には度胸が据わってる。こりゃあ、ひょっとしたら楽しめるかもな?」

 

 男の腕が静かに上がる。

 その、一瞬。

 次の刹那、何も握られていなかったその手には……血のように、不気味な槍が現れていた。

 

「まず────っ!」

 

 横に飛ぶ。

 考えるよりも先に、身体が動いていた。とにかく一瞬でも早く、この屋上から離脱する……!

 

「────!」

 

 きぃん、と甲高く響く音。

 瞬きの間に突っ込んできたソレは、容赦なくわたしを狙い──その直前、白銀の少女に叩き伏せられた。

 

「は、いい腕してるじゃねえか、姉ちゃん……!」

 

 青い旋風が向き直る。

 確認している暇はないが、男の一撃はセイバーが防いでくれたらしい。

 

「下がってくださいマスター、このサーヴァントは私が!」

 

「ごめん、ちょっと任せた……!」

 

 頼りになる言葉に踵を返し、左腕の魔術刻印を走らせる。

 組み上げた魔術は、身体の軽量化と重力調整。ほんの一瞬で、わたしは後方に跳躍し──そのまま、フェンスを跳び越えた。

 背後に響く音は、剣戟。セイバーがアイツを防いでくれてる間に、広い場所へ移動する……!

 飛翔の最中、更に幾つかの魔術を発動し、着地の勢いを殺す。地面に足が付いた瞬間、遮二無二走り出す。

 

 ──とにかく、あの場所はまずい。

 

 セイバーの武器は、あんな狭い場所で使えるものじゃない。もっと自由な空間がないと、アレは使えない。なら、遮蔽物のない、とにかく広い所に移動しないと……!

 強化魔術を発動。脚力を強化し、百メートル以上を一瞬で走り抜ける。この速度は、オリンピック選手すら凌駕しているだろう。

 

 ……背後に、猛烈な悪寒。

 

 直感のまま、右に身を投げ出す。その直後、旋風が髪を舞い上げた。

 まさに、危機一髪。

 一秒前まで、わたしが居た空間。それを抉り取るように、男の槍が振るわれていた。

 

「──っ! 申し訳ありません、マスター!」

 

 空気を軋ませる魔力の波動。それがセイバーだと理解するより先に、男が反応していた。

 わたしを追撃しようとした槍は、矛先を変えてセイバーへと迫る。稲妻のように男を猛追してきたセイバーは、裂帛の気合を以て槍を防ぐ。

 その隙に、わたしは距離を取る。危なかった……一瞬とはいえ、あの男はセイバーを振り切ってわたしに追いついたのだ。

 

「──ハッ」

 

 攻撃を防がれた男は、口元を綻ばせると掌でくるくると槍を弄ぶ。

 

「いいねぇ、そうこなくっちゃ。逃げられると厄介なんでマスターを追ったわけだが……まさか、オレの脚にあっさり追いつかれるとはな。マスターもサーヴァントも、どっちも楽しませてくれそうじゃねぇか」

 

 不敵な笑みを浮かべ、男が槍を構える。どこまでも真紅に輝くソレは、紛れもなくその男の武器だった。

 

「ランサーの、サーヴァント──!」

 

「如何にも。そういうアンタのサーヴァントは、セイバーに相違ないな」

 

 槍兵──ランサーの問いに、セイバーは無言で構えを取る。

 その手に握られているのは、透明な何か。微かに空気を歪める、一振りの武器。剣士(セイバー)である以上、得物は剣に違いないが……その形状も刃渡りも、何一つ確認することができない。

 それこそが、あの宝具の能力。無色透明の風の鞘、『風王結界(インビジブル・エア)』。

 

 ──宝具とは、伝説の象徴だ。

 

 伝説の剣豪ならば、その剣技が。

 名立たる戦士であれば、その武器が。

 人々の「かくあれかし」と信じる想念で編まれた、究極の逸品。英雄ならば遍く誰もが持つ、築き上げた伝説の具現。力という一点に於いて精霊にすら匹敵、或いは凌駕する能力を秘める、英雄たちの切り札。

 わたしのサーヴァント、セイバー……彼女が持つ宝具の一つが、この透明な鞘だった。

 

 ならば──それと対峙するランサーも、当然のように宝具を持っている。槍兵のクラスで召喚されたからには、十中八九あの槍が宝具だろう。

 

「セイバー」

 

 その小さな背中に、静かに語り掛ける。

 

「手助けはしないわ。貴女の力、ここで見せて」

 

「──分かりました、マスター。必ずや、貴女に勝利を」

 

 そう力強く応えると、白銀の騎士は剣を構えた。

 正眼に構えた剣の標的は、槍兵。その槍ごと捻じ伏せると、迸る闘気が語っている。

 

「ハッ、面白え──!」

 

 先に動いたのは、ランサー。

 予備動作すらなしに、最速で槍を突き出す。狙い違わず放たれる、神速の穂先。剣で捻じ伏せると言うのなら、その剣ごと貫き穿つと言わんばかりの槍撃。その速度は、わたしを狙ったものの比ではない。

 迸る稲妻に、セイバーが呼応する。振るわれた一閃が、槍の穂先を叩きつける。

 返す刀で距離を詰めるセイバー。その速度は、槍より尚速く。魔槍が戻されるより先に、青の戦士は斬り伏せられる──!

 

「たわけ、その程度かセイバー!」

 

 しかし。セイバーが風の速度で奔るなら、ランサーは音すら凌駕する。

 長柄の武器というのは、攻撃の後に隙が生じる。槍で刺突を放った後は、再び手元に戻すまでに僅かな時間が必要だ。

 ……だが、この男にそんな条理は通用しない。

 セイバーの反応を超える速度で引き戻される槍。瞬きの間すらなく、次の刺突がセイバーの首元を狙う。

 

「く──―っ!」

 

 白の騎士が止まる。

 槍という武器は、剣に比べて射程距離が長い。だがその代償として、敵に距離を詰められると対応が難しい。

 故に、ランサーはセイバーを近づけさせない。自らに有利な距離を保ち、セイバーを迎撃する。

 その槍は、さながら豪雨の如く。頭、喉、首、胸、腕、脚。間断なく容赦なく、あらゆる箇所を穿たんと降り注ぐ。

 連撃に次ぐ連撃。隙など欠片も見当たらない。音すら遥か置き去りにして、紅い雷撃が放たれていく。あれだけの速度、あれだけの重み。どんなに堅牢な鎧でも、あれを受けては瞬時に細切れにされるだろう。

 

 ──だが。ランサーが最速のサーヴァントならば、セイバーは最優のサーヴァント。その程度の槍撃、避けることなど造作もない──!

 

「は──―!」

 

 刺突を避け、払いを弾き、雷撃の如き三閃を打ち落とす。

 ランサーが繰り出す槍撃。その全てを、こともなげにセイバーは凌ぎ切った。

 ……いや、凌いだというのは語弊がある。攻守は既に逆転している。セイバーの剣撃をこそ、ランサーは渾身の連撃を以て防いでいる……!

 

「ちっ、面妖なモンを使いやがって……!」

 

 漏れるは舌打ち。

 ランサーが使う槍は、強力な武器だ。穂先は鋭く、射程は広い。白兵戦において、リーチの長さはそのまま優位と成り得る。

 だが同時に、槍という武器はポピュラーだ。有名であるということは当然、槍を用いた戦術も知れ渡っているということになる。

 

 ──故に、攻撃を読むのは容易い。

 

 如何に速力や攻撃力を持とうと、使われる攻撃手段は決まっている。ならばそれを予測し、防ぐことは十分可能だ。

 あのランサーが神域の戦士であろうとも、こちらのセイバーもまた伝説の英雄。攻撃の先読みなど、優れた直感を持つセイバーにとっては容易いことだ。

 

「卑怯者め、自らの武具を隠すとは何事か──!」

 

 そして。セイバーのもう一つの優位性は、武器の特性だ。

 あの剣は、視認することができない透明な武器。それ故に、間合いも長さも鋭さも、何一つ読み取ることができない。

 無論、ランサーとてサーヴァント。セイバーの体の動きから、剣の軌道を読む程度は可能だろう。

 しかし、そこまで。相手の武装に確証が持てない以上、ランサーは常にそれを警戒せざるを得ない。

 

 そして最後に──この二人は、基本性能が違い過ぎた。

 

「はァ──ッ!」

 

「チッ……!」

 

 セイバーから放たれる颶風。一撃ごとに、セイバーの身体から魔力が迸る。

 少女が振るう剣を受けた瞬間、ランサーの槍に光が宿る。絶大な魔力が、ランサーの槍を軋ませているのだ。あんなもの、受けるだけでも衝撃が走るだろう。

 魔力の上乗せを以て放たれた剣撃を、ランサーは辛うじて凌ぐ。今や守勢に回っているのは、確実にランサーの方だった。

 そもそも、セイバーは基礎能力からして桁が違う。ほぼ全てのステータスが最高値(Aランク)と同等以上で、有する能力もまた優秀だ。

 対するランサーは、瞬発力でこそセイバーを上回るが、それ以外の能力はほとんどセイバーを下回る。その差は、武器や技量で埋められるものではない。

 

「──―」

 

 息もつかせぬ連撃。

 ランサーの槍は、際限なしに速度を上げていく。どこまでギアが上がるのか、推し量ることすらできはしない。

 あまりの速さに、宙に残る残像すらブレていく。一体どれが本物の槍なのか、それすら傍からは分からない。

 刺突だけではなく、打撃・薙ぎ払いすら織り交ぜた戦い方は、まさしく獣のそれだ。あらゆる暴力を以て、ランサーはセイバーを迎え撃つ。

 だが、無差別の攻撃に見えて、その狙いは正確。緩急など付けず、ただ只管に槍の豪雨が降り注ぐ。

 応じるセイバーは、無言。僅かずつ後退していくランサーを、正確な剣撃で追い詰める。

 神槍の暴虐を以てして、騎士王の攻勢は止められない。刺突を打撃を打ち落とし、それらを圧倒する逆撃を繰り出していく。

 刀身こそ見えずとも、その軌跡は文字通りの必殺。秒間数十と放たれる剣撃は、伴う風圧だけでランサーを刻んでいく。

 

 ──これが、聖杯戦争。

 

 人間では手の届かない、英霊という超越者たちを使役する戦争。

 わたしでは、この戦いには介入できない。セイバーを掩護する間も、ランサーを攻撃する隙も見当たらない。

 知らないうちに、わたしはその戦いに見入っていた。

 

 時間にすれば、僅か一瞬。しかし、長く果てしない応酬の後、一際甲高い鋼の音が響く。ランサーの槍が跳ね上げられたのだと知覚するより先に、セイバーが突貫した。

 今度こそ、絶体絶命。セイバーの剣は、一片の躊躇も無くランサーの首を狙う……!

 

「くそ──―!」

 

 男の口から悪態が漏れる。

 セイバーの斬撃を防ぐには、同等の槍撃を用いるしかない。だがその槍は大きく跳ね上げられ、手元に戻す間もなく男は切り伏せられるだろう。

 先程の剣戟とは異なり、セイバーの速度はランサーをすら上回る。ならば、槍を戻すことなどできはしない。

 故に、ランサーが採った手段は単純。

 槍が使えぬのならと、己の脚でセイバーの刀身を蹴り上げた──!

 

「な──!?」

 

 セイバーの驚愕。しかしその僅かな時間で、ランサーは確かに生き延びた。

 一瞬にして間合いが離れる。不利に陥った戦況を立て直すためか、常軌を逸した速度でランサーは離脱する。セイバーの一撃は、僅かにランサーの頭髪を薙ぐに留まった。

 

「──―」

 

 鬼気迫る形相で、ランサーはセイバーを睨みつける。

 それも当然か。彼の槍は、その悉くが打ち落とされた。正しく全力を以て挑んだにも関わらず、その槍は造作もなくセイバーに防がれている。

 一方のセイバーには、疲労した様子すら見られない。あれ程の槍撃を凌ぎ切り、圧倒しておきながら、まだセイバーには余裕がある。

 

 確信した。わたしのセイバーは──文句なしに、最強だ。

 

「──どうしたランサー。御身の槍、その程度の物ではないでしょう」

 

「ほざけセイバー。貴様の剣こそ、その風の中に何を隠してやがる? ……っと。やり合う前に、一つ提案だ」

 

 予想外の言葉。ランサーの言葉に驚いたのか、セイバーが眉を顰める。

 

「お互い初見だしよ、ここらで分けって気はねえか? そこの嬢ちゃんは惚けてやがるし、オレのマスターとて姿を晒せぬ腑抜けときた。お互い、万全の状態になるまで勝負を持ち越した方が好ましいと思うが──」

 

「──断る。貴方はここで斃れろ、ランサー」

 

 鎧袖一触。間髪を入れず、セイバーは槍兵の提案を切り伏せた。

 当然だ。こちらが有利なのに、何故わざわざ敵の提案を受けなければならないのか。このまま押し切れば、セイバーの勝利は揺るがない。

 その答えを予想していたのか、ランサーは、そうかよ、と一言呟くと──

 

「……じゃあな。その心臓、貰い受ける──―!」

 

 轟、と空気が震えた。

 今まで構えらしい構えを取らなかったランサーが、初めて構えを取った。

 槍の穂先は、地を舐めるかのように伏せられている。一分の隙もないその姿は、今までのそれを尚上回る。

 

 ──まずい。そう直感した刹那、ランサーの姿が沈んだ。

 

 槍が傾いた途端、空気がねじ曲がる。

 莫大な魔力が、槍に吸い上げられていく。まるでそれを主と仰ぐかのように、マナが一点に収束していく。

 あれこそが、あの男の切り札。唯一無二の必殺兵器、『宝具』。ランサーは、それを解放しようとしている。

 宝具とは、ただそれだけで他を圧倒する武器だ。しかしその真髄は、『真名』を以てその力を発動させることにある。

 かつて、魔を討ち、邪を断ち、神を殺した英雄たちの武器。サーヴァントは、自らの魔力によってその真価を再現する。

 それはまさに、伝説の具現。数々の偉業を成し遂げ、世界に名を刻んだ、英雄たちの究極の奥義。

 ランサーが放とうとしている攻撃は、間違いなくその類だ。アレが何の宝具かは知らないが、発動されたが最後、セイバーは倒される。

 アレは多分、そういうものだ。いかにセイバーが優れていようと関係なしに、アレはセイバーを殺すだろう。

 

「──―」

 

 セイバーの顔が強張る。彼女の直感もまた、己の死期を悟ったのか。

 ランサーに呼応して、セイバーの剣から風が迸る。事此処に至って、セイバーに油断はない。宝具には宝具を以て、セイバーもまた自らの最終兵装を解き放とうとしている──!

 

「…………っ」

 

 指一本、動かすことができない。

 ここは、正しく死地だった。ランサーの槍が奔るか、セイバーの剣が唸るか。一瞬の後に、決着はつくだろう。

 次に立っているのはランサーか、セイバーか。どちらかの敗北を、塗り替えることができたとすれば、それは──

 

「────誰だ…………!!!!」

 

 わたしたちが見逃していた、第三者という存在に他ならなかった。

 

「……え?」

 

 呆然とする。一瞬だけ見えたその姿は、確かに学生服だった。

 うそ。まだ学校に、生徒が残ってたなんて……!

 失敗した。ランサーにばかり気を取られて、周囲の状況に気を配っていなかった。何かの事情で、遅くまで学校に居残っていたヤツがいたとしても不思議じゃない──!

 

一瞬の自失の後、正気に戻るとランサーが消えていた。

 慌てて周囲を見渡すと、今にも走り出しそうな姿勢でセイバーが待機している。その視線は、何かを待つようにわたしを真っ直ぐ貫いていた。

 セイバーはわたしのサーヴァント。律義な彼女は、ランサーを追撃せず、ぼうっとしていたわたしの指示を待っていたのだ。

 なんて、迂闊。許可もなしに、セイバーがマスターの側から離れるわけがない……!

 

「やば──! セイバー、今すぐランサーを追って!」

 

 こくり、と頷くセイバー。こちらに向き直りすらせず、セイバーはランサーを追って消えた。

 彼女にも解っている。神秘の目撃者を消すのが、魔術師の一番基本のルール。あのランサーは、セイバーとの決着を後回しにしてでも、自らを目撃した学生を殺しに行ったに違いない──!

 ああ、くそっ、なんて間抜けなわたし……!

 今まで十何年、ずっとそんな失敗はしなかったのに、よりによってなんで今日に限って……っ!

 

 

***

 

 

 冷たい廊下。月明かりすら差し込まぬその場所で、セイバーは静かに佇んでいた。

 唇は噛み締められ、憤りを抑えるように俯いている。その足元には……物言わぬ躯が、一つ転がっていた。

 ……つんと鼻を突く、錆びた鉄の臭い。

 廊下に溢れた血だまりは、つい先ほどまで、その躯が生きていたことを物語っていた。

 

「……追って、セイバー。ランサーはマスターの所に戻るはず。こいつの手当ては、わたしが引き受けるわ」

 

「……分かりました」

 

 苦渋の呟きを残し、セイバーは走り去る。

 その一言に含まれていた苦悩は重い。たった数日の付き合いでも、彼女の責任感の強さは解っていた。だけど……この責任は彼女ではなく、わたしにある。

 わたしがもっと気を配っていれば。わたしがもっと早く指示を下していれば──こんな事態は、きっと避けられたに違いない。 

 だから、これはわたしの責任。魔術師の道に善悪はない以上、いつかこんな日が来ると、とうの昔に覚悟は決めていた。

 決めていた、はずだというのに──。

 

「っ────」

 

 手が震える。

 何故なのか……落ち着いているはずのわたしは、その実、手を動かすことさえできなかった。

 

 うつ伏せになって倒れているその生徒を確認するのが──怖い。

 責任を見つめるのが怖い。

 全部おまえのせいだと、そう死者に告げられるのが怖い。

 

 いつだって、こうなるのだと覚悟していたくせに……わたしは、ひどく自分勝手に怯えていた。

 

「……ごめんね。看取るくらいは、してあげる」

 

 震える指を無理やり押さえつけて。わたしは、その生徒の顔を確認した。

 

「──―え?」

 

 時間が、止まる。

 

「嘘でしょ。なんで、アンタがここに──」

 

 頭にきた。

 一瞬前の恐怖なんか忘れて、ただひたすらに頭にきた。

 ……わかっている、全部わたしのせいだ。

 ランサーがコイツを殺したのは、当然のこと。目撃者を消すのは基本中の基本なのだから、それを責められる筋合いはない。

 だけど、こんな日に限ってこんな場所に居合わせたコイツが、とにかく憎らしくて腹が立つ──!

 

「──―」

 

 けど──なんて、幸運。

 そいつはまだ、死んでいない。

 貫かれたのが頭なら、問答無用で即死していた。だけどこいつが穿たれたのは、心臓だった。

 ただの一刺し。

 綺麗に破壊された心臓からは、思ったより血液が吐き出されていない。

 だけど、脳に血液が回らなくなれば、それで終わり。何の奇跡か、こいつはまだ息があるけど……数秒と経たずに、その息も止まるだろう。

 

 ……方法は、ある。

 

 現代の医学では、こいつを生かすことなんてできない。それでもわたしには、どうにかできる手段があった。

 わたしの切り札。それを使えば、どうにかできるかもしれない。

 けれど……そこまでする意味は、あるのだろうか。

 こいつの死は、わたしの責任だ。だが、元はといえば、こんな時に学校に残っていたこいつが悪いのだ。

 第一これは、わたしの父さんが、わたしだけに残しておいてくれたもの。強力な魔力の結晶。こんな切り札を、おいそれと使ってしまうなんてこと──

 

「──だからなんだってのよ、ばか」

 

 そう呟いて、わたしは死にかけのそいつに屈みこんだ。

 

 

***

 

 

「……あーあ、やっちゃった」

 

 後悔と共に、軽くなってしまったペンダントを持ち上げる。あの後家に帰ってきたわたしは、ソファーに座りこんで絶賛落ち込み中だった。

 ()()()()()()()()()なって、慌てて拾ってきたこの宝石。まだそこそこ魔力が残ってはいるけど……最初に蓄えられていた魔力と比べると、スッカラカンと言ってもいい。切り札の一つを、こんな前哨戦で使ってしまった。

 そりゃそうだ、心臓があれだけ壊されてたヤツを生き返らせるなんて、とんでもない無茶をした。それが成功したのだから、宝石の一つや二つ、安いものかもしれないが……。

 宝石が持っていた価値を考えると、流石のわたしも凹む。あれだけの魔力があれば、大抵のコトはできただろうに……。

 

「ま、いっか。やっちゃったものは仕方ない。反省」

 

 セイバーには、念話を通じて自宅に戻っていることを伝えてある。時間が経てば、彼女も戻って来るだろう。

 使っちゃったものは戻ってこないのだから、後悔しても仕方ない。もっと有意義な時間の使い方をしよう。

 うんうん、と無理やり自分を納得させて、思考を切り替える。

 先に考えるべきは、ランサーとの戦いだ。初めての対サーヴァント戦、あれはわたしの想像を遥かに超えたものだったのだから。

 

「実際、なんにもできなかったのよね……」

 

 セイバーとランサーの戦い。

 わたしのセイバーが圧倒していたからいいようなものの、ランサーがもっと強かったら……と考えると、ぞっとしない。ただ突っ立っているだけのマスターじゃ役立たずだ。次からは、もっと戦略を練る必要がある。

 ……それに、ランサーが発動した宝具。如何にセイバーの方が有利でも、アレが発動されたら、コロっと倒されてしまう可能性もある。

 英雄の宝具はそれだけ強力なのだ。物語に出てくる伝説の武器、それがそのまま使われるということなのだから。

 

「でも、使われてれば誰だか判ったのよね、あいつ」

 

 宝具には、弱点もある。

 サーヴァントとは、即ち英霊。人々の信仰によってカタチを成す存在が英霊ならば、その伝説は当然歴史に刻まれている。ならそれをたどっていけば、サーヴァントの能力も経歴も、ことによっては弱点すらも判ってしまう。

 故に、サーヴァントは本名を晒さない。ランサー、セイバーといったクラス名は、本名の隠蔽のためでもある。やすやすと宝具が使えないのは、その解放が即ち正体の露見と同義だからだ。 

 軽々しく宝具を使うなんて下策も下策。自分のサーヴァントの正体を隠しつつ、如何に敵のサーヴァントの正体を見破るか……それが、この聖杯戦争のカギを握ると言っても過言ではない。

 ……だが、サーヴァントの強さは宝具のみならず、他の条件によっても決まる。

 例えばそれは、英霊の格。より偉大な功績を残した英雄、より優れた武器を持つ英雄が強いのは言うまでもない。

 その点、わたしのセイバーは最高クラスの知名度を誇る。イングランドの大英雄、アーサー王。彼──実際には女性だったが──の格は、間違いなく最上級のものだ。

 けれども、この聖杯戦争にはそれ以外の要因が絡む。それが七つのクラスと、それに付加される特殊能力だ。相性によっては、格下のサーヴァントでも格上を打倒する可能性を持つ。実際、過去にはそういった事例もあったらしい。

 

「────」

 

 そんな事を考えていると、いつの間にか深夜になっていた。

 丁度セイバーも帰ってきたので、どうだったのか成果を聞いてみる。わたしの問いに、セイバーは申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「申し訳ありません、凛。相手は、余程用心深いマスターのようです。ランサーの姿も、途中で見失ってしまいました」

 

「ご苦労さま、セイバー。……はぁ、やっぱり簡単にはいかないか」

 

 はあ、とため息をつく。

 そのわたしをどう思ったのか、む、とセイバーが眉を吊り上げた。

 

「凛、此度の一戦でランサーを倒せなかった原因は、私の不手際にあります。今すぐに彼を探し出し、先程の決着をつけるのも吝かではありません」

 

 あれ。心なしか、セイバーが怒っているように見える。

 ……ひょっとして、本当に自分に落ち度があったと思っているのだろうか。

 苦笑を浮かべて、ちがうちがう、と手を横に振る。

 

「セイバー。さっきの戦い、貴女はよくやってくれたと思うわ。だから落ち度があったとすれば、それはわたしの方。そもそも、まだマスターの数が揃ってないのに、勝手に戦うことになっちゃったのが問題だしね」

 

 聖杯戦争は、七人のマスターが揃って初めて開始される。まだ数が揃っていない──揃ったならば、綺礼が何らかのアクションを起こすはず──以上、その前に戦うのは本来なら避けたかった。

 でもまあ、やってしまったものは仕方がない。

 考えようによっては、今回は幸運だったのかもしれない。可能性は低いけど、あのランサーが積極的にわたしを狙って来たり、或いは敵のマスターがランサーと一緒に行動していたとしたら……わたしは今ここに居なかったかもしれないのだから。

 今回だって、ランサーの宝具が発動していれば危なかった。セイバーも宝具で迎え撃とうとしたようだが、確実にランサーの方が早かった。ランサーが、アイツを追う事を優先したから引き分けのまま終わったわけで……って、ちょっと待て。

 

「──やばいかも」

 

 待て。もう一回冷静に考えてみろ、遠坂凛。

 そういえば、わたしは戦いを覗き見たアイツの記憶を操作していない。

 ランサーはわたしたちとの決着を差し置いてでも、目撃者の抹殺を優先した。もしかしたら、宝具でセイバーを倒せる可能性があったにも関わらず。そこまでして目撃者を消したかったランサー……或いは、ランサーのマスターが、アイツが生き残っていたと知ったらどうするか。

 

「そんなヤツ、生かしておかない──!」

 

 慌ててソファーから立ち上がる。時計に目を向けると、あれから三時間余りが経過していた。

 時間的には、かなりまずい。ひょっとしたら間に合わないかもしれないけど、間に合わなかったら切り札を使ってまで助けた意味がない──!

 目を丸くするセイバーを尻目に、わたしは夜の街に飛び出した。

 

 

***

 

 

 走る。

 走る。

 全力で走る。

 明日の新聞に載ってもおかしくない速さで、わたしは街を走り抜ける。

 幸いというべきか、アイツの自宅は知っている。道に迷うことがなかったのは、僥倖と言ってもいい。

 

「──―」

 

 わたしに追従するセイバーは無言。

 しかしその表情は、真剣そのもの。おそらく彼女も、わたしが気付いたのと同じ結論に至っている。

 サーヴァントは、マスターに似た性質のものが呼び出されると言うが……まさか二人揃って、アイツがこの後どうなるかに考えが及ばなかったなんて、笑い話にもならない。

 

 ──午前零時。

 

 曇天の夜の下、わたしたちは目的地へ到着した。

 住宅街の隅っこにあるこの武家屋敷。何度か見ただけのある家だったが──今この場には、明らかに異様な雰囲気が漂っていた。

 

「っ……! 下がってください、凛!」

 

 息を切らせて屋敷に進もうとしたわたしを、セイバーが制する。その右手には、再び透明な剣が握られていた。

 止められて、初めて気づいた。……あの中には、サーヴァントがいる。

 この気配は間違いなく、さっきのランサーだ。わたしたちより一足早く、ランサーはアイツを追って来たのだ……!

 

「こうなったら、先手必勝……! セイバー、アイツを──」

 

 戦闘準備を整えたセイバーに指示を出そうとした、その刹那。

 

 ──昼と見違えるような閃光が、屋敷から迸った。

 

「──!?」

 

 感知できたのは、その力だけ。

 直接確認せずとも、屋敷の壁越しでも判る膨大な魔力。一瞬にして現れたそれは、たちまち実体化し……間違いなく、そこに召喚された。

 

「嘘でしょ──」

 

 信じられない。

 だが、信じるしかない。

 わたしがぼうっとしているうちに、脱兎の如く屋敷から逃げて行ったランサーが、何よりの証拠だった。

 

「セイバー、これって──」

 

「──はい。おそらく、七人目のサーヴァントでしょう」

 

 剣を構え、油断なく塀を睨むセイバー。その眼光は、塀の内にいるまだ見ぬ何者かに向けられている。

 隙のないセイバーに対して、わたしは何もできない。雪崩のように引き起こされた幾つもの事態は、わたしの思考能力を超えていた。

 

 風が吹く。

 空を覆っていた雲が晴れ、月明かりが差し込んでくる。

 その光に照らされて──予想外のモノが、塀の上に立っていた。

 

 

「──無礼者。凡夫雑種の分際で、(オレ)の許しなくして(オレ)を見るな」

 

 

 目を眩ませるような光。

 ソレは、空に浮かぶ月輪の輝きではなく──目の前にいる、金色の男の輝きだった。

 月に照らされるのではなく、月を従えるように。黄金の甲冑を纏った男は、酷薄な瞳でこちらを見下ろしていた。

 

「貴様ら俗人が我を見ることは許さん。我に請うことも許さん。我と語ることも許さん。

 ──雑種。我を覗き見た大罪、その命を以て償うがいい」

 

 あまりにも尊大。

 あまりにも傲岸。

 ただ聞いているだけでこちらが凍り付くほどの、冷酷で残忍な声。

 

 絶対的な存在感を放つ、その男こそが──第五次聖杯戦争における、七人目のサーヴァントだった。


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