【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

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16.混迷の戦場

 

 疾走する。

 魔力を以て脚力を強化し、背後より響く轟音を無視して校庭を駆け抜ける。後方では遠坂たちが戦端を開いているのだろうが、それを気にしている余裕はない。

 天地の区別なく赤く塗り潰された空間は、ここが学び舎であるという印象を完全に払拭している。校舎まで辿り着いた時には、見ずとも感じ取れる程に死の臭いが漂っていた。

 その悪臭に……玄関に走り込もうとして、直前で足が竦んだ。もしかしたら、既にこの中には死体の山が築かれているのではないか―――そんな益体も無い恐怖が、じわりと胸を侵食する。

 

 あの日の夜、劫火に焼き尽くされた何百もの人々。

 ガス漏れ事故に見せかけられ、訳も解らず意識を失った大勢の人々。

 つい先日、サーヴァントに襲われた女子生徒。

 

 それらの列に、見知った知人たちが加わりかけている。生きながらにして生命力を、魔力を搾取されようとしているのだ。クラスメイトたちの安否を確認したいという衝動に駆られるが……それでは何の解決にもならない。彼らがまだ無事だと、死んでいないと信じて動かなければ、この妄想が現実になってしまう。

 

 悪夢の残滓を振り払い、校舎の中へと走り込む。結界の基点に近付いたせいか、粘りつくような邪悪な空気は益々強くなっていく。

 左右には目もくれず、アーチャーが続くのを足音だけで確認すると、階段を二段飛ばしで駆け上がる。一階から四階、その先の屋上の入り口までは遠くない。全力で走れば、三分とかからないだろう。

 だが、踊り場を殆ど左手一本で飛び越えるように回り、階段を飛び越え、馴染み深い廊下に踏み入った瞬間―――見えた。見えてしまった。

 

「―――な」

 

 時間帯のせいで、開け放たれていたのか。大きく開かれた教室の扉は、嘗ては活気に溢れていたであろう教室の姿をまざまざと見せつけてきた。

 これ程までに赤い光景を、俺は見た事が無い。空間そのものを塗り替えた結界の赤さだけではない……この濁りきった風景は、何度も見慣れた血液の赤。失われていく命の色だ。

 倒れ伏す生徒たち。微かに聞こえる呻き声。床に転がる無数の人影には、どれも外傷は見当たらない。濃密な赤色に侵されているにも関わらず、彼らは切り傷一つも負っていない。にも関わらず……血を吸い上げられたかのような、生気のない青ざめた皮膚は他の何より異様だった。

 全てが血の色に染まっているのに、誰も血の一滴も流していない。いや、これは血を流した訳では無い。物理的ではない手段で、無理矢理奪われているのだ。つまりこの教室を彩る色は、吸い上げられ、気化し充溢した生徒たちの血液だ。

 

「あの、野郎……!」

 

 それは、何に対しての怒りか。何に憤っているのかも解らないまま、俺は骨の軋む程拳を握りしめていた。

 さっき浮かんだイメージは、悪夢ではなく予見だった。惨劇は、とうに始まっていた。今はまだみんな生きているようだが……こんな地獄に囚われたままでは、本当に死んでしまう。

 

 これを作り上げたのは、間桐慎二でありライダー。魔術とは無関係である筈の、同級生さえ平然と命を奪う。そんな手段を是とする連中に、俺は今まで何と甘かった事か。

 現状を招いた原因の一因は、間違いなく俺にある。俺が早く奴らを倒していれば、こんな事は起こらなかった。衛宮士郎の迷いが、人の命を奪いかけている―――ふざけている。こんな事態を引き起こしておいて、何が正義の味方か。苦しんでいる人を助ける事すら満足にできないなら、俺は今まで何のために生きてきたのだ。

 

「憤るのは後にしておけ、小僧」

 

「……ああ、わかってる」

 

 背後からかけられた、いつも通りの冷たい声に、上っていた血がすっと引いていく。そうだ、怒るのは後でも出来る。俺が今やるべき事は他にある。今はただ、一刻も早く慎二とライダーを打倒するのみ。こんな時ばかりは、アーチャーの冷徹さがありがたい。

 

 苦痛の声に背を向け、残る階段を走破する。一息に階段を上りきり、閉ざされている扉を蹴破るようにして開け放つと、外だというのにドロリとした薄気味の悪い空気が肌を撫でた。

 そして、開いた扉の先。屋上の端、結界の基点が刻まれたそこには。

 

「ライダー……!」

 

 聳え立つ長身。露出の多い、鎧ですらない薄い黒衣。そして、右手に握られた鎖付きの短剣。一度見ただけだが、昨日の今日で忘れる筈もない。この結界を貼った張本人にして、間桐慎二のサーヴァント―――ライダー。その姿を目にした途端、抑えていた怒りが鎌首を擡げた。

 

 俺の真横に立つアーチャーとの距離は、僅かに十数メートル。詰めようと思えば一息で詰められる距離であろうに、飛び込んできた俺たちに動じるでもなく、ただ眼帯に覆われた瞳をこちらに向けてくるライダー。見た所、セイバーに負わされた傷は消えているが……それは外面だけだろう。ライダーからは、サーヴァント特有の威圧感が薄れている。結界を発動したとはいえ、このサーヴァントが纏うオーラは明らかに希薄だった。

 

 数瞬の間。どう出るべきか考えあぐねていると、こちらを観察していたライダーがぽつりと口を開いた。

 

「驚きました。まさかここまで来られるとは……キャスターとランサーだけで、十分足止め出来ると思ったのですが」

 

「ふん。卦体な眼帯に違わず、見える物も見えぬらしいな。虫が何匹集ろうが、象の歩みを阻めるものか。

 ―――虫と言えば、些か煩い小蠅が見えぬな。マスターはどうした、女」

 

 その言葉で、はっと気づく。今この場に立っているのは、俺を除けばアーチャーとライダーだけ……姿を隠す場の無い屋上に、特徴的な青い髪は見当たらない。となれば、どこか別の場所に隠れているのか。マスターさえ倒せばライダーも消え、この結界は消える筈だが、そう簡単にはいかないらしい。

 あいつの性格からして、そう遠くに離れているとは考えにくい。ライダーと離れたばかりに俺に倒されかけたばかりだし、目の届く場所でこちらを観察している事はまず間違いないだろう。

 ライダーの表情から何か読み取れないかと思うが、あのサーヴァントは完全な無表情を貫いている。まるで口を利く気が無いというその態度に、アーチャーの瞳が槍のように鋭さを増した。

 

「答えられぬか―――まあ良い。どちらにせよ、貴様を潰せば済む事だ」

 

 そう呟くと、無造作に組んでいた腕を解くアーチャー。その動作に連動して、黄金の粉塵を纏わせながら煌く双剣が現れる。その刃に映る魔力、その柄に宿る神秘は、ライダーが握る釘剣とは余りに格が違い過ぎた。あれに比べれば、ライダーの武器など棒切れにも等しいだろう。

 両腕を横に広げると、ぐるりと剣を一回転させる弓兵。威圧にも見えるが、それは余裕の表れか。セイバーやランサーには及ばずとも、アーチャーの力量ならば、弱りきったライダーなど歯牙にもかけずに屠れるだろう。それはライダーとて熟知している筈―――しかし黒衣の美女は釘剣を提げたまま、未だ動く素振りを見せない。満足に動くだけの力も残っていないのか……それとも、何らかの策を隠し持っているのか。

 

「あの蛇は引き受けよう。後は下がっていろ、マスター」

 

 一見して隙の大きそうな構えのまま、こちらを振り向きもせずにそう告げるサーヴァント。英霊同士の戦いで、魔術も碌に使えぬマスターの出る幕はない。

 それに、アーチャーは漸く……それがただの気紛れだったとしても、俺の事をマスターと呼んだ。なら俺も、マスターとしてサーヴァントの力を信じるべきだろう。ライダーに対する怒りはあるが、いくら弱体化していようが相手はサーヴァント。俺が突っ込んでいったところで、返り討ちに遭うだけだ。

 

「……ああ。ライダーを倒してくれ、アーチャー」

 

「――――――。」

 

 俺の声に、男は何と答えたのか。それを聞き届けるより先に、地を砕く音が空間を蹂躙した。

 

 コンクリートの床を割る程の強烈な踏み込み。ライダーが釘剣を振るうより早く、二本の黄金が左右より迫った。間違いなくライダーを両断していたであろう一撃は、後ろへ一回転する事で回避される。追撃の切り上げ、刺突、振り下ろしは釘剣によって受け流される―――ライダーの傷がどうあれ、少なくとも彼女の機動性は健在なままだ。

 ぐん、と刈り取るように放たれる回し蹴りは跳躍で回避。だが回った勢いのまま振るわれた横薙ぎの一撃は、剣を以てしても防御しきれず、大きく後方へと弾き飛ばされた。牽制のつもりで放ったのか、飛ばされながらも投げた剣は、防御すらせぬアーチャーの鎧に跳ね返される。如何に機動性で勝るとはいえ、攻撃力も防御力も、アーチャーとライダーでは比べ物にならない。攻撃が受けきれないと悟り、回避に専念するライダーは、瞬きの間に屋上の片隅にまで追い詰められていく。自在に動き回れる空間が無いこの場所では、速度を活かしきれないのだ。

 

 剣の双方を攻撃のみに注力し、流れるように斬撃を振るっていくアーチャー。その剣捌きは、必死に防御する騎兵を遥かに圧倒していた。

 

「くっ……!」

 

「つまらぬ。満足に足掻きたければ、宝具の一つでも出して見せるがいい。それすら出来ぬと言うならば、貴様は此処で朽ちて行け」

 

 アーチャーの宣告に、美貌を顰めるライダー。その肩は大きく上下しており、ただアーチャーの攻撃を凌ぐだけでも疲弊している様子が見て取れた。正面から戦って、生き延びられる確率は無に等しい。それは何よりもライダー自身が理解している筈だが、今更逃げ出そうにも、アーチャーには遠距離攻撃の手段がある。背を向けた瞬間、矢で射抜かれるに違いない。

 魔力吸収の結界を展開したとはいえ、俺と遠坂の度重なる妨害や、日数の不足からそれも不十分。そもそも魔力が足りていれば、ここまで圧倒される事もないだろう。

 つまり。どう足掻こうとも、ライダーは既に詰んでいる。十分な魔力を吸い上げる時間など無い。次の一手で、アーチャーの剣がその体を両断する。

 

「―――死ね」

 

 振り上げられる双剣。釘剣を掲げるライダーだが、その動きは緩慢にして稚拙。瀑布のような一撃は、釘剣ごとその主を叩き斬ろうと―――

 

「…………え?」

 

 俺が動けたのは、本能的な反射によるものか。戦いの決着を見るより先に、瘧のような寒気を感じて、咄嗟にその場に屈みこんだ。

 瞬間、髪を削っていく灰色の一閃。屈まなければ間違いなく俺の頭を叩き割っていたそれは、骨のような刃を持ってていた。

 

「なに―――?」

 

 驚きの声は、もう一つ。背後を見るより先に飛び込んできたのは、何者かに斬撃を防がれたアーチャー。ライダーを叩き斬る直前、骨のような何かが、盾となって割り込んでいたのだ。

 跳ねるように立ち上がり、状況を確認する。一体どこから現れたのか……誰もいなかった筈の屋上に、骨で編まれた人形が、大挙して湧き出していた。まさにその瞬間まで気配を感じさせぬ奇襲は、先程のランサーと同じ。という事は、この人形たちは。

 

「キャスターの使い魔……!?」

 

「だろうな。つくづく小細工の多い女狐よ」

 

 舌打ちするアーチャー。鋭い前蹴りで骨人形を吹き飛ばし、再びライダーに向け剣を振るうも、骨の犠牲で僅かな時間を稼いだ女怪は大きく跳躍し、アーチャーを跳び越え安全地帯へと逃げ延びた。着地したライダーを守るように、その周囲に骨人形が集結していく―――いや、骨人形が集まっているのはそこだけではない。雲霞のように湧き出る大群は、アーチャーを、俺を、屋上そのものを取り巻き埋め尽くすかのように次々と増え続けている。ぎしぎしと犇く怪物に囲まれ、恐怖を感じるより先に、邪魔者に阻まれる苛立ちが募った。

 この骨人形たち、おそらく一体一体は雑魚だ。武器さえあれば、俺でも簡単に倒せるだろう。だが、兎に角数が多い。こいつらに手間取った分だけ、貴重な時間が増えて行き……それだけ、生徒たちの命が失われる可能性も高まる。今は一刻でも早くライダーを倒さなければならないというのに―――!

 

「こいつら……!」

 

 邪魔だ。

 武器も持たない今の俺では、骨人形一体ですら脅威となる。けれど、そんな事は問題では無い。今はただ、ライダーを守るこいつらが鬱陶しい。

 為すべき事はただ一つ。人形どもを蹴散らし、ライダーを打倒するのみ。が、その為の武器が無い。化け物に取り囲まれた状態で、どうやって武器を手に入れればいい?

 

 骨人形から武器を奪う―――却下。如何に鈍いとはいえ、骨人形は数が多い。一体と戦っている最中に背中を斬られれば終わりだ。

 何かの道具を強化する―――却下。今の俺は徒手空拳だ。そもそも強化する材料が無い。無い物を作り出す事など……待てよ。

 

 無から有を作り出す、その術を俺は持っている。切嗣に「効率が悪いからやめておけ」と言われ、それ以降鍛える事さえしなくなったモノ。理念を以て幻想を練り上げ、贋作を生み出す俺の魔術。

 

 ―――投影魔術(グラデーション・エア)

 

 俺の記憶にある限り、これで武器を作った事はない。それ以前に、碌に取り組んだ事さえない魔術。成功するかさえ怪しいが……これなら、武器を生み出す事が出来るかもしれない。だが、一体何を作ればいいのか。

 金属バットか。ナイフか。銃器か。いや、そのどれでもない。リーチがあり、打ち負けぬ硬さがあり、且つ容易にイメージできるもの―――剣だ。

 

 集中する。骨人形が迫ってくる中、自身の内面に埋没する。想起するのは、アーチャーが携える二本の剣。

 

 傷一つなく、一見して儀礼用と見紛うような輝きを放つ黄金の剣。俺の知らない手段によって鍛え上げられたそれは、両刃の剣に、そして弓矢にすら変形して見せた。異なる幾つもの機構を持ち合わせながら、ただ一つの目的―――即ち、戦闘にのみ主眼を置いて作られた剣。あれならば、例え数百の怪物に襲われたとて負けはしまい。あの剣があれば、未熟な俺でも戦える。

 準備は出来た。覚悟は決めた。後は唱えるべき呪文を通じ、想像(イメージ)を具現化するのみ……!

 

投影(トレース)―――」

 

「―――そこを動くな、雑種」

 

 魔力回路を起動しようとした、まさにその瞬間。傲岸な声と共に、数十本もの光の束が降り注いだ。

 反応の隙さえ与えない。散弾銃かと見紛う程の魔力の矢は、俺を取り巻いていた化物共に雨霰と襲い掛かる。空中から一息で放たれた矢の群れは、蠢く骨の軍団を瞬時に塵へと変貌させた。

 骨人形の破片が転がる中、弓状に形を変えた双剣を握ったアーチャーが俺の横へと着地する。どうやら空中に跳び上がり、そこから骨人形を狙撃してくれたようだ。何十という敵を同時に撃ち抜いて見せるとは、流石は弓兵と言うべきか。

 正直、アーチャーの掩護が無ければまずかった。殆ど使った事もないような魔術を使うなど、正直言って賭けでしかない。魔術の失敗はそのまま身の破滅へと直結するのだから。

 

「助かった。ありがとう、アーチャー」

 

「たわけ。我のマスター足らんとするならば、自分の身程度自分で守ってみせよ」

 

 俺の感謝に鼻を鳴らして答えると、アーチャーはライダーの方へと視線を送る。この男からすれば、俺の事などついでに助けてやった程度の認識に過ぎないのだろう。アーチャーの狙いは、本命であるライダーまでの壁の排除だ。

 豪雨めいた範囲攻撃は、俺の周囲だけでなく、ライダーの頭上にも均等に降り注いだ。骨の壁に守られ、ライダー本人への直撃こそしなかったが……俺たちとライダーの間に立ち塞がる骨人形は、目に見えて減っている。新たに骨が湧き出す前に、ここは一気に押し切るべきだろう。

 

「アーチャー、こっちはこっちで何とかする。今の内にライダーを……」

 

 足元に転がっていた骨の刃を持ち上げ、佇むライダーを顎で示す。武器も手に入ったし、数を減らした使い魔相手ならこれで暫くは戦える。

 一方、壁となっていた雑兵を打ち崩され、後退する素振りを見せるライダー。だがアーチャーの鋭い視線に射竦められ、一歩退いたところでその動きが止まった。骨人形が出てきた瞬間に逃げておけばよかったものを、こうなってしまえば逃げる事すら出来ないだろう。骨の増援があればこちらを倒せると踏んだのかもしれないが、それは致命的な誤りだった。

 

「…………」

 

「小細工は終わりか?貴様といいキャスターといい、芸の無い女共よ。男を楽しませる事すら出来ぬ女なぞ話にならぬ」

 

 たじろぐライダーに対し、アーチャーが一歩前へ出る。骨人形は未だに何体も残っているが、アーチャーに一掃された穴はそう簡単には塞がらない。

 ……だが。使い魔による不意打ちも失敗し、勝敗がほぼ確定した今。ここまで追い詰められて尚、慎二が出てこないのが、疑問と言えば疑問だった。まさかただ隠れていれば、やり過ごせるとでも思っているのか。そんな甘えは許さない。何としてでも見つけ出し、ライダー共々報いを受けさせてやる!

 

「アーチャー!」

 

「フン……三流はどこまで行っても三流か。そろそろ引導を渡してやろう」

 

 言うが早いが、目にも留まらぬ速度で構えられた大弓から、魔力の矢が放たれる。銃の早撃ちの如き旋風を、驚異的な反応速度で躱したライダーだったが、アーチャーの連撃は二撃、三撃と続いていく。音すら置き去りにする矢を避けるのは難しいと気付いたのか、二撃目を辛うじて凌いだライダーは釘剣による迎撃に切り替えたが、間断なく放たれ続ける矢の群の前に徐々に後退を始めた。

 

 ライダーは悪手を打った―――屋上の隅まで退いた時点で、彼女の運命は決定する。初撃を避けた後、そのまま被弾覚悟で回避行動に移れば持ち前の機動性を発揮出来たものを、一度防御に回ってしまったが為にそれ以外の動きを取れなくなっているのだ。牽制目的の最初の数発と違い、既に今放たれている矢は紛れもなく必殺の威力を持つ。剣から弓への変化に対応できず、牽制と本命を見分けられなかったライダーは、選択肢を間違えた。今から逃げようにも、別の動きに移るにはどうしてもワンアクションを挟む必要がある。そして、アーチャーがその隙を逃す筈が無い。

 

 ここまでのライダーの立ち回りを見る限り、あのサーヴァントが戦略や戦術を以て戦っているとは思えない。二手先、三手先を考えていれば、こうも簡単に、アーチャーの術中に幾度も陥る事など有り得ないのだ。

 この結界を使ったやり口といい、おそらくライダーは真っ当な英霊ではないのだろう。戦闘訓練を受けず、戦略・戦術を学んでいないが故に、単純な力押しで戦うしかなく……地力で上回るセイバーや、常に先の先を読むアーチャーにはこうして手玉に取られるのだ。

 

 次々と速度を増すアーチャーの矢を受けきれなくなったライダーが、ついに隅まで追い詰められる。が、流石はサーヴァント。矢を捌き切れずに釘剣を弾かれ、一瞬隙を晒したものの、弾かれた勢いを逆手に取ると鎖を鞭のようにしならせて叩き付けてきた。咄嗟に動いた籠手がそれを防ぐも、反撃によって次の狙いが外れ、アーチャーの矢はあらぬ上空へと消えて行ってしまう。

 

「……!」

 

 僅かな一瞬。開いた活路を見逃す事無く、身を翻すライダー。実力で弓兵へ遠く及ばず、骨人形という手札すら失った現状では、速やかな撤退こそが最適解であり―――だからこそ、それは致命的な隙となった。

 

「―――莫迦めが」

 

 屋上より跳躍しようと身を屈めた刹那、ライダーの体が驚きに強張る。視界に映る、彼女が脱しようとしたその先にある領域。その全てに、拡散した矢が降り注ごうとしていた。この屋上から至れる範囲では、何処へどう逃げようとも、無数の矢が体を刺し貫く。敵の反撃すら利用……いや、予想して、アーチャーは上空へ放った矢を、ライダーの逃走を封じる柵として用いたのだ。

 逃げられぬと悟り、慌ててアーチャーへと向き直るライダー。だが、遅い。今までとは段違いの魔力を籠めた矢が、既にその眉間へと照準を合わせている。これこそは、あの怪物めいた耐久力を誇る狂戦士(バーサーカー)にすら手傷を負わせた一撃。これを喰らって、弱りきったライダーが生き延びられる道理はない。

 

 終幕の矢が放たれる。衝撃波すら伴って空間を抉り抜く矢は、砲弾となって射線上にある全ての存在を破壊する。それはサーヴァントであるライダーとて例外では無い。呆然と立ち尽くすライダーに、必滅の刃が炸裂しようとする寸前。

 

 ―――ぱさり、と。その顔から、眼帯が剥がれ落ちた。

 

 

 

***

 

 

 

 一方。ライダーがアーチャーの術中に陥っていたその頃、残されたサーヴァントたちもまた、互いの命を削り合うべく死闘を繰り広げていた。

 

 単なる余波で木々を薙ぎ払い、大地を爆裂させる赤の閃光。天を裂き、空を砕くのではないかと錯覚させる魔術の轟雷。ただの一撃ですら甚大な破壊力を持つそれらは、最早個人の域を超え、戦術兵器に匹敵しよう。だが、無尽蔵に降り注ぐ暴虐の嵐を前にして尚、敢然と立ち向かう騎士の姿があった。

 ランサーの槍撃。キャスターの魔術。共に超一流の術者が振るうそれを、防ぎ切る事数十回。それだけの攻撃を受けて尚、誇り高き剣士の姿には傷一つ無い。二倍の敵を前にしても微塵も揺るがぬその偉容は、さながら移動要塞とでも言うべきか。

 

「どうした。攻めが甘いぞ、ランサー!」

 

 ランサーの突きを難なくいなすと、稲妻めいた踏み込みで槍兵の首を刎ねるべく剣を振りかぶるセイバー。骨も砕けよとばかりの剛剣に、受けに回った紅の魔槍が大きく弾かれ、衝撃に大きくよろめくランサー。しかしそのタイミングで到来した砲撃によって、セイバーは追撃を断念せざるを得なかった。

 仕切り直しのつもりか、ランサーは詰めていた距離を僅かに開ける。また、ランサーの窮地を救ったキャスターも、機を伺うように慎重に高度を上昇させた。

 

 先刻から、セイバーとキャスター・ランサーの対決は膠着状態のまま推移している。いかにセイバーには凛の支援があるとはいえ、戦力比は実質一対二。相手が弱兵ならまだしも、キャスターもランサーも、聖杯の招きに応じたサーヴァントであり歴戦の英雄。数の差という決定的な要素があって尚、拮抗した状況が保たれている原因は、数で勝るキャスター陣営にあった。

 

 ほぼ魔法の域と呼んでも過言では無い空間転移を操り、一時的とはいえアサシンのそれに匹敵する気配遮断を施せる程の、卓越した力量を誇るキャスター。二度に亘って能力値で優るセイバーと渡り合い、一度はライダーやアサシンを同時に相手取った戦いを制したランサー。それぞれが、サーヴァントという超人たちの中にあってすら、紛れもなく強者に位置づけられる豪傑。しかしこの戦場に於いて、彼らが全力を出し切れているとは言い難い。

 協力関係を築いているとはいえ、それは双方の意に沿わぬもの。キャスターは手駒の不足故仕方なく、ランサーは主の指示故嫌々ながら手を組んでいるのが現状。互いへの信義も信頼も無く、利害関係すら希薄。ともすれば背中を刺されかねないとの疑心から、共通の敵を前にしてさえ、彼らは互いを警戒し合っていた。常に味方の監視に注力せねばならぬ以上、連携など望むべくもなく、それ以前にそれぞれが自分の力を発揮出来ない。

 

 一方、セイバーにはそのような縛りは無い。元々単純な能力値でキャスター・ランサーを圧倒している上、マスターとの信頼関係も強固。常に的確な指示と掩護というバックアップを受けているセイバーは、思うままにその力を揮える。直接彼女と打ち合うランサーは持ち前のルーン魔術を以て能力値を向上させているが、その差を埋めるには至らない。否、ランサー単独であれば、前回のように互角に戦う事も出来ただろうが、ここに来て油断ならぬキャスターの存在が足を引っ張る形となった。

 

 加えて、セイバーとキャスターの相性もある。並外れた対魔力を備えるセイバーは、事実上ほぼ全ての魔術を無効化する。如何にキャスターが優れた魔術師といえど、その防御力を超えて手傷を負わせるのは難しい。ここがキャスターの陣地ならばその手段もあっただろうが、今の彼女に地の利は無い。有効打となる大火力の魔術を放とうにも、今度はランサーが邪魔になる。セイバーと比して数段劣る魔術耐性しか持たないランサーは、キャスターの攻撃魔術を防ぎ切れない。必要とあれば背中から槍兵を撃つ事も視野に入れているとはいえ、今ここで味方を撃つのは最悪の選択肢でしかない。

 ならばとマスターを狙い撃とうにも、そのタイミングを見計らったかのように、セイバーの剣先がキャスターを牽制する。時折思い出したかのように飛来する凛の魔術攻撃も、その機を失わせるには十分なものだった。

 

 こうした条件が重なった結果、戦況は互角……いや、僅かながらセイバー側が優位に立っている。互いにまだ傷は負っていないが、激しい戦闘の余波はそこかしこに及んでいた。生い茂る草や木は根こそぎ破砕され、林は今や更地と成り果てている。つい数分前まで偉容を誇っていた弓道場は半壊し、崩れ落ちた屋根には斬撃痕が刻まれ、壁は魔術砲撃で粉々に砕け散っていた。最早生徒たちの鍛錬の場となっていた痕跡は無く、空爆でも受けたのかと見紛う程の破壊の爪痕が淡々と残されている。自然も人工物も等しく薙ぎ払われ崩壊していくその様は、個人の戦いと言うよりは自然災害の猛威を思わせた。

 

「…………」

 

 無言で剣を構え、敵対する両者を牽制するセイバー。これが二度目の聖杯戦争となる彼女にとって、この構図は奇しくも前回のそれと酷似したものだった。

 十年前に於いて、前哨戦となった最初の戦い。衝撃と破壊を撒き散らし、人工物を倒壊させながら、複数のサーヴァントと対峙するのはあの時と同じ。付け加えれば、対するサーヴァントがランサーであるという点も共通している。最初に立ち塞がるサーヴァントがランサーだった事といい、あの黄金の英霊が再び召喚された事といい、味方に"衛宮"と言う名の人間が存在する事といい……セイバーにとって今回の聖杯戦争は、あまりにも過去を想起させる事柄が多すぎた。

 だが。だからこそ、前回のような結果は繰り返せない。敵が以前に劣らぬ豪傑揃いといえど、彼女の剣捌きが鈍る理由になりはしない。聖杯を掴む為ならば、何としてでも敵を打倒し灰燼に帰す決意。それは、一対二の状況であろうと変わりはしない。アーチャーからキャスターの擬態魔術の事を聞き及んでいなければ、躊躇なく宝具を以て焼き払った事だろう。

 

『セイバー。このまま時間は稼げそう?』

 

『ええ。この二人は強敵ですが、守勢に徹する分には問題ないでしょう』

 

 睨み合いの最中、念話で意思疎通を図る凛とセイバー。敵前とはいえ、彼女たちにはそれだけの余裕がある。当初の敵の目的とは裏腹に、今や足止めを担うのはセイバー側、それを突破する必要があるのはキャスター側となっている。易々とアーチャーの離脱を許したのと、セイバーの守りを突破出来ない現実が立場を逆転させた。想定を凌駕するセイバーの強さに、キャスターが目論見を崩された形だった。

 ライダーが結界を完全発動させ、十分な魔力を手に入れればキャスター側は圧倒的な優位に立つ。しかしその前にアーチャーにライダーが倒されれば、一転して不利になるのはキャスター側だ。今更キャスターかランサーが離脱しようにも、剣の騎士はそれを鋭く牽制する。黄金の英霊が見せた信頼を裏切るような真似を、騎士の誇りが許す筈が無かった。

 

『ですが、マスターの姿が見当たらない。それが些か気がかりです』

 

 しかし、セイバー側にも懸念事項がある。キャスターとランサーのマスターは、いずれも姿を見せていないのだ。

 今の拮抗状態を作り上げているのは、セイバーの純粋な力量のみならず、凛との完璧な連携が保たれているという点が大きい。強力な魔術師が現れれば、凛はそちらに対応せざるを得なくなり、セイバーは単独でサーヴァント二体を相手取らねばならなくなる。サーヴァントのみならず、マスターまで倍の数が現れては、如何にセイバーたちが優れていようと苦戦は必至だった。

 簡単に宝具を使う訳にいかないのもそれが原因だ。セイバーにはサーヴァント複数体を相手にしても十分勝機を掴めるだけの宝具があるが、それには"溜め"が必要だ。どこかに潜む敵マスターが危険と判断し令呪を使えば、むざむざ真名と宝具を曝け出すのみの結果に終わってしまう。令呪による戦局の逆転は、常に警戒する必要がある。敵マスターが姿を見せないのは、利点でもあったが不確定要素でもあった。

 

『今回は、あいつらを倒す事が目的じゃないわ。下手にこっちの手札を見せるのも嫌だし、出てこないっていうならこのまま戦いを続けるだけよ』

 

『私としても、その方が助かります。……キャスターのサーヴァントからは、何か得体の知れない物を感じる。下手に突出すれば、返り討ちに遭うかもしれません』

 

『えっ……それって、ランサーよりも強いって事?』

 

『いえ。彼女は強力な魔術師ですが、私の守りを貫くのは難しい。こと直接戦闘に限って、私が負ける事はないでしょう。ですが、あのサーヴァントにはそれ以上の()()がある』

 

 最高ランクを誇るセイバーの直感。それは最早勘の領域を超え、殆ど未来予知に等しい。幾度となくその身を救ってきた直感が警鐘を鳴らす以上、迂闊に飛び込むという選択肢は既にない。

 

 今の状況と似通った、十年前の戦い。ランサーのサーヴァントと激戦を繰り広げたセイバーは、敵の計略に囚われ、宝具を使えなくなるという致命的な足枷を嵌められた。こと人知を超越した存在であるサーヴァントは、どんな埒外な秘術を隠しているか判ったものではない。召喚宝具、飛行宝具、固有結界と条理に囚われぬ数々の宝具を目にし、此度の聖杯戦争に於いても既に因果逆転、自動蘇生という超常の奇跡を目の当たりにした以上、相手の手札も知れぬ内に突貫するのは無謀どころか自殺行為。

 セイバー自身に余裕が無い状態であれば話は別だろうが、今のセイバーは正常な判断力を持ち合わせている。拮抗状態を維持するのは最適解であると、理性・直感の双方が彼女にそう告げていた。

 

「ちっ、埒が明かねえな……おいキャスター、得意の罠は品切れか?」

 

「ふん。貴方こそ、槍捌きが鈍っているのではなくて?それとも、相手が女では不満だったかしら」

 

「抜かせ。これだけの剣使いとあっちゃ、男も女も関係ねえ。それと三度もやり合ってんだ、こんなに愉しい事があるかよ。

 ……だがまあ、毎度のように邪魔が入るのは腹が立つ。オレがやりてえのは全力の、サシの戦いだ。水を差されちゃ困るんだよ」

 

 お前は引っ込んでいろと、皮肉げに口角を吊り上げるランサー。そのあからさまな侮辱に、流石のキャスターも気色ばんだ。

 

「これだから戦士ぶる男って……!」

 

 と。憤りにキャスターが腕を振り上げた刹那。ズシン、と、大地が鳴動した。

 地震かと見紛うその振動に、全員が慄然と周囲を見渡す。結界に覆われ、完全な異界と化したこの領域。このタイミングで響く轟音が、自然発生のそれである道理はない。

 

「なんだ……?キャスター、お前何かしやがったか?」

 

 真っ先に魔女の仕掛けを疑ったランサーが、胡乱気な目をキャスターに向ける。だが、戸惑ったように首を振るキャスターは、明らかにこの事態に困惑していた。偽りとは思えぬその振舞いに、ランサーの眉根が吊り上がる。彼が更に追求しようとした瞬間、再び響く重い音。心なしか、その音は先程よりも大きくなっていた。

 一度だった音は、二度、三度と続き、いつしか断続的な衝撃へと変わっていく。次第に大きく強く響くその衝撃は、並み居るサーヴァントたちをして警戒させるもの。

 

「まさか、これは―――ッ!?」

 

 その正体に逸早く思い当たったセイバーが、戦慄と共に左方を振り返る。丁度その瞬間、既に半壊した弓道場を粉々に消し飛ばし、聳え立つ巨体が姿を現した。

 

「■■■■■■■■■■──────!!!」

 

 常人の枠を軽く凌駕する、圧倒的なまでの筋肉の塊。絶望と暴力を体現するその姿は、威圧感を通り越して一種の神性ささえ感じられる。

 それもその筈。巌の如き巨躯を持つこの存在は、紛う事無く神の眷属に連なる者。ギリシャ神話にその名を轟かせ、最大最強の英雄の一人として今尚語り継がれる偉大な半神。五度目の聖杯戦争に於いて召喚された、規格外の大英霊に他ならない。

 

「まさか、どうしてバーサーカーが……!?」

 

 その強大さを知る凛が、驚愕の余り後ずさる。セイバーすら寄せ付けぬ超絶的な戦闘能力を持ち、半ば反則的とも言える防御力と蘇生能力を併せ持つ怪物。この英霊の介入は、彼女にとって完全な予想外だった。

 ……いや、この事態を予想していなかったのは凛だけではない。敵対するキャスターやランサーですら、驚きにその身を強張らせていた。キャスターに至っては、ローブの下から半ば畏怖めいた表情さえ覗かせている。

 この場に集まっているサーヴァントだけでも四人。別の場所で戦っていると思われるアーチャーとライダーを加えれば、六人。アサシンを除く全てのサーヴァントが、学校の敷地という狭い範囲に集結している。これ程の英霊が一ヶ所に集う事自体が異例であり、一度戦端が開かれれば、如何に広大な敷地といえども、不毛の地へと変り果てるのは想像に難くない。バーサーカーの参戦は、秩序を以て戦っていた英雄たちの戦場を、混迷の渦へと変貌させた。

 

「あら。久しぶりね、リン。貴女と会うのは、もうちょっと後になると思っていたのだけど」

 

 聳える狂戦士の肩に乗る、小さな雪の少女。その姿を認めた凛とセイバーの表情が、共に険しいものになる。どちらにとってもこの少女は、見知らぬ存在では無かった。

 

「イリヤスフィール、アンタ、なんでここに……」

 

「本当は遊びに来ただけだったんだけど……レディをパーティに招かないなんて、無礼だと思わない?それに、サーヴァントが一杯いるなら都合もいいし。

 ―――目障りな蠅は、潰しておかなくちゃ」

 

 そう、混じり気のない純粋さで告げると。少女に従うバーサーカーの殺気が、目に見えて膨れ上がった。見ずとも判る脅威に、その場の全員の表情が硬さを増す。

 外界と断絶した結界を力任せに通り抜けてきた、その桁違いの力もさることながら、この主従はセイバーやキャスターらの事情など全く考慮していない。異なる勢力が争う激戦で、その双方を同時に相手にしようなど、まずまともな思考の持ち主なら考えもしない。だが性質の悪い事に、隔絶した力量を誇るバーサーカーには、誇張でも何でもなく、この場に集う英霊全てを相手取れるだけの実力があった。

 イリヤスフィールは、どちらの陣営に肩入れする気も無い。それどころか、全てのサーヴァントを駆逐する為にこの場に現れたと豪語する有り様だ。ここからは、二つでは無く三つの勢力が互いを狙い合う大乱戦となる。

 

「これは―――」

 

 自軍の窮地を、目敏く感じ取ったのはキャスターだった。

 アーチャーがライダーを倒す前に救援に向かわねば不利だというのに、立ちはだかる壁が二倍に増えた。更に、セイバーとバーサーカーはその特性上、キャスターでは有効な打撃を与えられない。電撃戦による突破が唯一の勝機であったにも関わらず、それすら封じられたとあっては、一時撤退するのもやむを得ない。しかしここでライダーを見捨てては、後々の戦略に差し支える。何をどう選んでも、彼女にとって有利になる要素が無い。

 

 ―――だが。

 

突撃(ロース)!そいつら潰しちゃえ、バーサーカー!」

 

 そんな事情を忖度する筈もなく。肩の少女を下ろした直後、暴虐の大嵐が、三人のサーヴァントに襲い掛かった。

 

「マスター、下がって!バーサーカーは私が!」

 

「なんでここでこのオッサンが来るかねえ……!」

 

 飛び退く凛に代わって、セイバーが剣を構えて突貫する。その動きに連動し、ランサーもまた槍を携えバーサーカーへと挑みかかった。

 超一流の戦士たる彼らは、自他の戦力比を正確に理解している。単独では圧倒され、共に屍を晒すのみと判断した彼らは、自然と共通の敵を相手に共闘する形となった。戦端が開かれた以上どうする事も出来ず、渋々ながらキャスターも、中空から彼らの掩護に向かう。

 

「■■■■■■■■■■──────!!!」

 

 しかし。三人のサーヴァントを相手にしているにも関わらず、バーサーカーの雄姿は揺るがない。

 縦横無尽に振るわれる大剣は、掘削機の如く、大地を掘り返し木々を蹴散らし大気を震撼させる。細い槍しか持たぬランサーは容易く跳ね飛ばされ、膂力と長剣を併せ持つセイバーすら受けるだけで精一杯。キャスターの魔術砲撃は、神の加護(呪い)によって空しく光を散らすだけ。

 互角どころか、圧巻。元来彼が持つ神域にすら至る戦闘能力と、狂化による能力値の底上げは、それぞれが強力な英霊たる三者を前にして尚、絶大な優位性を発揮していた。

 

「ちいっ、こいつは流石にキツい―――!」

 

 クランの猛犬たるランサーすら、余りの猛攻に苦鳴を漏らす。ルーン魔術によって、一時的にセイバーに迫る身体能力を得たとはいえ、地力があまりに違い過ぎる。ランサーとて半神の英霊、万全ならば彼の大英雄にも劣らぬという気概はあるが、知名度やマスターの差は如何ともし難い。

 いや。彼やセイバーが全力で戦えば、バーサーカーを殺害する事自体は不可能では無い。しかし、それを補って余りある十二の試練(ゴッド・ハンド)という規格外を破る事が出来ないのだ。バーサーカーを殺せる程の一撃を放てば、その瞬間はどうしても隙が出来る。格上の相手に勝ちを拾おうとすれば、相打ち覚悟にならざるを得ない。だが、それだけの覚悟を負ってバーサーカーに致命傷を与えたとしても、相手は勝手に蘇生してカウンターを打ち込んでくるのだ。

 セイバーは実戦を通して、ランサーはキャスターの知識からそれを学んでいる。白兵戦闘を得意とする彼らにとって、この大英雄ほど相性の悪い敵は存在しなかった。

 

「くっ……!」

 

 幾度目かの斬撃。雪崩に等しい一撃を薙ぎ払いで弾き返し、返す刀でバーサーカーの胸板を切りつけるセイバー。通常ならそれだけで勝負が決まりそうな攻撃だったが、不可視の剣は甲高い音と共に弾かれるだけ。概念による守りを前にしては、攻撃の強度は意味を為さない。バーサーカーの肉体には、傷一つすらつけられないのだ。

 一方、バーサーカーが振り回す岩剣は、ただの風圧ですら殺傷力を持つ。未だ一度たりとも直撃を許していないにも関わらず、セイバーとランサーの鎧には、既に無数の細かい傷が刻まれていた。

 

「―――Αερο―――!」

 

 セイバーとランサーが離れ、狂戦士が独りになった隙を見計らい、キャスターが即座に魔術を放つ。高速神言により練り上げられたそれは、宝具にすら匹敵しよう。通常ならば瞬間契約(テン・カウント)を要する大魔術を瞬きの間に構築する彼女の力量は、現代の魔術師など足元にも及ばない。地形を変える程の火力を、キャスターは湯水のように叩き付ける。

 ……しかし。バーサーカーの肉体は、その砲撃すら弾き返す。戦場が自らの拠点ならば、このヘラクレスの襲来とて凌ぎ切る自信があったキャスターだったが、今の状況は分が悪すぎた。三騎がかりの攻撃すら受け付けぬ怪物を前にして、ローブの下に苦々しげな表情が浮かぶ。

 

 四人のサーヴァントが入り乱れる大激戦の中。二人のマスターは、別々の場所で戦況を見守っていた。

 片や凛は、予想だにしない展開に歯噛みして。片やイリヤスフィールは、己が従僕の雄姿を満足げに。丁度中間点で激戦が繰り広げられている故、ただサーヴァントの戦いを見ているしかない彼女たちだったが、間に戦場が広がっていないのならば魔術師同士の戦いが始まっていた事だろう。超一流の魔術師たる五大元素使い(アベレージ・ワン)と、アインツベルンが誇る最高傑作のホムンクルス。どちらが勝とうとも、無傷で済むはずがない。戦いを避けられたのは、果たして幸運だったのか。

 

「―――え?」

 

「あれって―――」

 

 故に。戦場を俯瞰していた彼女たちだけが、その異変に気付く事が出来た。

 学校全体を覆い囲んでいた死の結界。それが唐突に、何の前触れもなく掻き消えたのだ。それと同時、空を彩る血色に代わって、今度は眩い光が全てを染め上げる。

 凛の後方、イリヤスフィールの前方に立ち並ぶ校舎。生えていた林と建物が悉く打ち壊され、今や校舎とこの場所の間に阻む物はない。屋上に煌く白光は、この場からでも容易に観測出来た。

 太陽が二つ出来たのかと錯覚する程の極光。目を晦ませる絶大な輝きに阻まれ、その正体は判然としないが……屋上より弾丸のように飛び出した発行体は、宙を一回りしたかと思うと、隕石のように戦場へと突っ込んできた。

 

「セイバー!」

 

「バーサーカー!」

 

 迫りくるそれを危険と即断し、二人の少女がそれぞれのサーヴァントに警鐘を鳴らす。超能力めいた第六感と、獣の如き本能を持つ両者は、直前まで鍔競り合っていたにも関わらず、即座に己が主の元へと飛び退いた。

 ……だが。眼前の戦場に気を取られていたキャスターとランサーは、それに気付くのが一瞬遅れた。

 

「―――ッ!?」

 

 はっとして宙を見上げる二人だったが、遅い。迫り来る極光は、逃げ遅れた彼らを巻き込んで空間を貫き―――

 

「な……!」

 

 ―――そしてそのまま、空の彼方へと消え去っていった。

 

 後には、何も残らない。まるでそれが夢幻であったの如く、直前までその場にいた二人のサーヴァントは、その痕跡すら残さず消え去っていた。彼らが生きているのか、消滅したのか、それさえ判然としない。

 今の光が現実の物だと思わせる証拠は、粉々に砕け散った木々と建物の残り滓だけ。残された二組の主従は、消えて行く光を呆然と見送る他なかった。

 

 

 

***

 

 

 

 全てが、石になった。

 

 ライダーの顔の上半分を覆う、眼帯。それが取り払われた途端……万象一切が、悉く物言わぬ石と化した。

 彼女を貫く筈の矢は瓦礫細工と化し、物理法則を無視して地に堕ちて行く。コンクリートの床に落下した矢はパリンと砕け、元の魔力へと霧散して消えた。

 

「なんだ、あれ―――」

 

 魔眼。

 本来、外界からの情報を取得する為の器官である眼球を、逆に外界へと働きかける器官へと作り変えた物。入出力を逆転させる、魔術師の中でも一流の術者しか持ち得ない力。

 だが、今目の前で広がるこの光景は、魔術のそれとは格が違う。魔力の矢を一瞬で凝固させ、物理法則の一切を無視して見せた超常の干渉能力は、魔術と言うより超能力に近いだろう。

 あの灰色の魔眼は、果たして眼球と呼べるかどうか。宝石や水晶だと言われた方が、まだ現実味がある。瞳孔は四角く、虹彩は固まり、人の持つそれとはあまりにかけ離れすぎている。ならばあれは人ではなく、神に連なる瞳そのもの。

 

 石化の魔眼(キュベレイ)

 

 それが、ライダーのサーヴァント……いや、英霊メドゥーサの持つ宝具だった。

 

「フン。雑種にしては過ぎたモノを持っている」

 

 そう嘯くアーチャー。しかしその体勢は、矢を撃ち放った状態のまま固まっている。ただ見るだけで万物を石に代える魔眼は、矢や居並ぶ骨人形のみならず、サーヴァントもマスターも、一切の区別なく等しく射抜く。それがどれ程桁外れの神秘なのか。半人前の魔術師である俺にさえ、その異質さは理解出来た。

 

「しまった……!」

 

 目を閉じようとするが、遅すぎる。辛うじて口が動かせる程度で、気付けば俺の全身は、余す場所なく凍り付いていた。

 骨を握りしめた手は、そのまま開けなくなっている。血液はドロドロと固まり始め、感覚すら薄れて行く。このまま心臓か脳まで固まってしまえば一巻の終わりだ。足はまだ辛うじて動くが、今更どこへ逃げようというのか。あっちは対象を視界に収めるだけで、問答無用で石化させるのだ。狭い屋上が仇となり、身を隠す物さえ見当たらない。

 

「残念ながら。今の貴方たちでは、私を倒せない」

 

 硬直した俺たちを、人ならざる魔眼で睥睨しながら。ライダーはそう機械的な声で告げた。

 その言葉に嘘はない。ライダーを圧倒していたアーチャーは、地に足を縫われたように動きを止め……マスターである俺もまた、体の殆どが石化し身動きが取れなくなった。

 

 メドゥーサ。

 ギリシャ神話に於いて、英雄ペルセウスに倒されたと伝わる怪物だ。本来は女神だったとも言われるが、別の女神の嫉妬によって、石化の瞳を持つ化け物へと姿を変えられてしまったという。確かに有名ではあるが、英雄では無いメドゥーサが何故聖杯戦争に招かれたのか―――腑には落ちないが、それを思い悩むより先にこの石化をどうにかしないと、考えるだけの猶予すら与えられないだろう。

 

「ハ―――蛇蠍魔蠍であろうとは思ったが、よもや真正の蛇女であったか。魔物風情が英霊に並ぼうとは、度し難いにも程がある」

 

「虚勢もそれまでです、アーチャー。貴方たちはここで終わる。せめて苦しまないように、一息で首を刎ねてあげましょう」

 

 釘剣を握り締め、アーチャーを睨み据えたまま、大きく跳躍するライダー。動けぬアーチャーに、その攻撃を避ける手段はない。俺が声を上げる間もなく、騎兵の釘剣がその喉元を引き裂こうと―――

 

「痴れ者が」

 

「グ―――!?」

 

 ぐん、と跳ね上がる右足。稲妻を思わせる鋭さで放たれたそれは、油断しきっていたライダーの横腹に突き刺さった。蛙が潰れたような声を出し、ライダーは地面をバウンドして転がっていく。内臓を傷つけたのか、がは、とその口から真紅の血液が飛び散った。

 地に伏せ咳込むライダーを冷たく見下ろし、アーチャーは何でも無いかのように弓状の双剣を右手で回す。ライダーによる石化が解けたのかとも思ったが、俺の方は未だに動けない。となれば、あれは石化を解いたのではなく―――そもそも、効いてさえいなかったのだ。

 だが。マスターに与えられる透視能力……遠坂から教わった、サーヴァントを従える者の特権を以て見ても、アーチャーはそのような特殊能力を持っていない。本人にそんな能力が無いとすると、武器か防具のどちらか……おそらくはあの鎧に、石化を防ぐ為の機構が備わっていたのだろう。極めて限定的な能力だが、このタイミングでそれが発動したのは幸運としか言い様が無い。

 

 ライダーの切り札であろう宝具を、一方的に無効化出来る。それがどれ程の効力を持つかは、表情を歪ませるライダーの顔を見れば容易に想像がついた。

 

 逆転に次ぐ逆転。次々と移り変わる戦局だったが、アーチャーの優位は最終的に揺らがなかった。最終手段である宝具すら無効化され、真名も露見したライダーに対して、アーチャーは依然として隙を見せない。傲然と立つアーチャーと地に伏すライダーを見れば、勝敗は明らかだろう。

 

「脆いな!」

 

 弓状のままの双剣を、両刃の剣として叩き付けるアーチャー。ライダーは間一髪転がって躱したが、再び放たれたアーチャーの蹴りが、軽々とその体を吹き飛ばした。

 

「が、ぁ……っ」

 

 屋上の扉に叩き付けられたライダーは、そのままずるずると崩れ落ちる。その右手には未だ釘剣が握られているが、既にアーチャーの攻撃を凌ぐだけの力は残されていない。止めを刺すべく引き絞られる弓に対し、緩慢に伸ばされた右手は。

 

「な―――」

 

 あろうことか。釘剣はライダー自身の首を、深々と切り裂いた。

 自傷、などというレベルではない。ともすれば首が落ちかねない程の、何の躊躇もない一撃。幾らサーヴァントとはいえ、あれは致命傷だ。その意図を判じかね、矢を放とうとしたアーチャーの動きが止まる。

 しかし。血飛沫を上げながら、ライダーが笑みを浮かべるのを見て。あれは自殺などでは無く、何らかの計略なのだと悟った。瞬き程の間に、飛び散った血液は生き物のように集結し、空中に何らかの紋様を作り上げていく。……あれは。あれは何か、よくないモノだ。

 

「アーチャー!」

 

「ちっ、ここは退くぞ雑種……!」

 

 舌打ちし、アーチャーが身を翻す。石化し身動きの取れない俺を左手で抱え上げると、もう片方の手に双剣を携えたまま、何の躊躇いもなく屋上から飛び降りる。

 

 ―――その直後。何か流星のようなものが、絶大な光量を撒き散らして空へと駆け上がって行った。

 

「女怪め。この期に及んでまだ隠し玉を残していたか」

 

 俺を地面に置くと、アーチャーが苦々しげに空に舞う光を見上げる。絶大な魔力を纏うその光は、空を一度回ったかと思うと、凄まじい速度でどこかへ消えて行った。あれは俺たちを仕留める為ではなく、ただこの場から逃走するためのものだったらしい。

 あの光は……血の結界、石化の魔眼に続く、ライダーの三つ目の宝具だろう。恐らくは、今までの二つとは違う、騎兵たる彼女が跨るための乗物。その正体までは判らなかったが、何か強大な魔力と速力を持っている事だけは、遠目にも理解出来た。

 宝具が単一とは限らないとはいえ、何れ劣らぬ強力な宝具を、あのサーヴァントは三つも揃えているのだ。ライダーの不調と、アーチャーとの相性のどちらかが欠けては、遁走する羽目になっていたのはこちらだったかもしれない。

 

「だが喜べ小僧。この地に敷かれた結界は消え去った。ライダーめ、アレと結界の両立は手に余ったと見える」

 

「って事は……?」

 

「うむ。あの雑種は魔力を吸い損ねた。僅かばかりに吸い上げた魔力も、今のアレで使い切った事だろう。この学び舎にいる雑種どもは、命拾いしたと言う事だな」

 

 その一言に、全身から力が抜ける。石化していなければ、地面に膝をついていたに違いない。

 ……良かった。ライダーは倒せなかったが、結界は除去できたし、生徒たちには犠牲者を出さずに済んだ。結果だけを見れば上々と言えるだろう。

 

「っ―――」

 

「む?」

 

 気が抜けたせいか。段々と、目の前のサーヴァントの姿が見えなくなってきた。

 魔眼の主はもういない。石化も、このままなら自然と回復するだろう。しかし、全身を固められ、血流や内臓の動きすら鈍化させられた反動が、今一気に襲い掛かって来た。……まずい。このままだと、倒れる。

 こちらを振り返るアーチャーの横顔を最後に。俺の意識は、真っ暗な闇に落ちた。


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