【完結】Fate/Epic of Gilgamesh   作:kaizer

16 / 41
14.嵐の前の静けさ

 あの黒い影が去った後。念のため様子を窺っていた俺たちだったが、予想に反して、その後は何も起こらなかった。

 その後、安全を確認すると話もそこそこに学校から脱出し、セイバーの護衛の下、警戒しながら夜道を歩いてきた。幸いにも、他のサーヴァントやあの影が再び襲ってくることはなく、何とか安全に帰ってくることができたが……。

 

「……で、そろそろ説明してもらうわよ。一体何があったの?」

 

 開口一番。我が家に帰った直後、居間で腰を下ろすなり遠坂はそう切り出した。帰宅中も只ならぬ警戒心を見せた俺とセイバーに不吉なものを感じていたのか、その声は真剣そのもの。

 道中で話せるような内容ではなかったし、俺自身も気持ち悪さを抑え込むので精一杯だったため、ここまでろくに会話もしないで来たが、家まで来れば流石に安心感を取り戻す。一度セイバーと視線を交差させると、俺は遠坂に今までのあらましを話して聞かせた。

 

 慎二がマスターであり、学校の結界を仕掛けた犯人だったこと。

 ライダーに深手を負わせたが、ランサーの妨害によって慎二共々取り逃がしてしまったこと。

 そして謎の影が現れ、それは街で頻発する事件に関係しているらしいこと。

 

 話があの影のことに及ぶと、遠坂は整った眉を顰めた。

 

「影? サーヴァントじゃなかったの、そいつ」

 

「……いえ、私が今まで見たこともないモノです。人間にもサーヴァントにも、私が知るどのような幻想種にもあのような存在は該当しない。

 ただ、私見ですが、アレは魔力を求めて動いているように見えました」

 

 セイバーのその言葉で、はっとあの時の事を思い出した。

 林での戦い。セイバーとランサーが共に宝具を発動しようとした瞬間、あの影は現れた。そしてアレが最初の標的にしていたのは、周囲の魔力を収束させていたランサー。

 魔力を狙っているとすれば、ランサーが口にした人攫いや行き倒れの犯人、という台詞にも納得がいく。俺たちが予測していたキャスターのやり口では、行き倒れはまだしも、行方不明など起こるはずがないのだ。

 だが、あの化け物にはサーヴァントのような知性があるとは思えない。意図的に魔力を求めているなら、人間を丸呑みしたとしても不思議はない。

 ……その場面を想像して、恐ろしさと共に、胸やけのような不快感が沸き起こった。アレが何者なのかは知らないが、そんなことを放ってはおけない。ただ人を喰らうような存在は、何としても排除しなければ。

 

「厄介なことになってきたわね。どこの魔術師だか知らないけど、ふざけた真似してくれるわ」

 

「ああ。あいつは俺たちの敵だ。あんなのに襲われたんじゃ、サーヴァントだって──」

 

 言葉を続けようとしたところで。ふと、今に至るまで姿を現さないアーチャーのことが頭を過った。

 学校での戦闘を、あのサーヴァントが気付いていないはずがない。だがアーチャーは、最初から最後まで結局姿を現さなかった。連絡を取ろうにも、俺はアーチャーへの連絡手段を持たない。遠坂とセイバーは相互に念話が出来るらしいが、俺はどうやらアーチャーに拒否されているらしく、辛うじて経路(パス)の繋がりを確認するのが精一杯だ。

 令呪に異常はないし、まさかあの傲岸不遜な男が窮地に陥っているとも思えないのだが……。

 

「──ふん。しぶとく生き残っていたか、雑種ども」

 

 と。心配していた矢先に、唐突に当の本人が襖を開けて入ってきた。

 はっとして顔を上げるが、アーチャーにどこか変わった様子はない。いつものライダースーツ姿で、唖然とする俺たちの間をすり抜け、何食わぬ顔で空いていた上座に腰を下ろす。

 突然の乱入に驚いていた俺たちだったが、真っ先に我を取り戻した遠坂が、じとっとした目つきをアーチャーに向ける。不機嫌なオーラを隠そうともせず、遠坂はふん、と鼻を鳴らした。

 

「ちょっとあんた、今まで何やってたのよ」

 

「は、少しばかり魔女と戯れてやっていた。此度のキャスターは、中々に小賢しい雌狐のようだな」

 

「キャスターと戦ったのですか!?」

 

 アーチャーがさらりと言った一言に、セイバーが瞠目する。それは……道理で今まで戻ってこなかったわけだ。まさか、街中で仕掛けてくるサーヴァントがいるとは。

 学校の敷地を監視できる場所にアーチャーを向かわせたのは、サーヴァントの奇襲も考慮に入れてのことだ。ビルの屋上なら他のサーヴァントが向かって来ればすぐに分かるし、騒ぎを起こせばすぐに周囲に知れ渡るため、仕掛ける方にもリスクが伴う。にも関わらず戦闘になったということは、相手が俺たちの予想を上回る存在だったに違いない。

 全員の視線を一身に集めたアーチャーは、不愉快そうに腕を組んだ。その姿には傷一つ見当たらないが、仮にもサーヴァントと戦って、よく無事で帰ってきたと思う。

 

「正体までは分からぬが、小癪にも我の足止めを計りおった。

 ──で、貴様らはどうなのだ。我の許にあの雑種が現れたということは、貴様らの方でも何事かが起こったのだろう」

 

 どうやら何かを察していた様子のアーチャーに、先程遠坂に説明した内容をもう一度繰り返す。話し終えると、流石に只事ではないと理解したのか、アーチャーが漂わせている余裕が微かに薄まった。

 

「──影だと?」

 

「ええ。アーチャー、アレの正体について心当たりはありませんか?」

 

 セイバーの問いかけに、アーチャーは首を横に振る。やはりと言うべきか、この男にもあの異界の存在については分からないようだ。その様子に、遠坂が疲れたようにため息を吐く。

 

「処置なしか……ひとまず、その変なヤツについて考えるのは後にしましょう。確かに見過ごしてはおけないけど、情報がないんじゃどうしようもないわ。それより、今分かっていることからまとめましょう」

 

 あのイレギュラーの影については、不明点が多すぎる。人を襲っているアレには早急に対処する必要があるが、下手に手を出せば火傷をするのは明白。サーヴァントでさえ脅威と認識しているモノに、考えなしに突っ込むのは無謀だろう。

 俺たちが無視できないモノに遭遇したように、アーチャーの言葉にもまた聞き捨てならないものがあった。片手を挙げ、気になった部分を指摘する。

 

「アーチャー。アンタ、キャスターが足止めに来た、って言ってたよな。ってことは……」

 

「ふん。我の方には魔女が、貴様らの方へは狗が現れた。結果、ライダーめはのうのうと逃げ果せた──手を組んでいるのは、どうやら我らだけではないらしい」

 

 嘲笑混じりに呟くアーチャー。だがそこから導き出された予測に、全員の表情が自然と険しくなった。

 セイバーを妨害したランサーと、アーチャーの前に立ち塞がったキャスター。二者の動きは連動している。そして両者は、明らかにライダーを助けるために動いていた。

 敵同士であるはずのサーヴァントが協力し、他のサーヴァントを助ける理由は言うまでもない。ランサー、キャスター、ライダーの三者は、恐らくは同盟関係にある。ランサーの強さが跳ね上がっていた謎も、キャスターのバックアップがあったと考えれば不思議ではない。

 

「ますます面倒になって来たわね……まさか、三組のサーヴァントが手を組んでるとは思わなかったわ」

 

 遠坂が、苦虫を纏めて百匹ほど噛み砕いたような表情になる。その心情は、俺も十分理解できた。

 俺たちと遠坂たちは例外的に手を組んでいるが、それは諸々の環境が上手く噛み合ったおかげで、一種の奇跡と言ってもいい。聖杯戦争の参加者は本来、互いに互いの命を狙う存在であり、不倶戴天の敵同士でしかない。それが三組も協力関係を築いているというのは、いくらなんでも異常だった。

 が、一旦同盟が組み上がってしまうと、厄介なことこの上ない。如何なサーヴァントであっても、同格の相手を同時に三人敵に回しては、勝ち目など無きに等しいだろう。こちらにもはセイバーとアーチャーという二人のサーヴァントがいるが、二対三ではやはり不利だ。

 

「多分、あっちが同盟を組んでるのも、バーサーカー戦を見据えての事でしょうね。敵の敵は味方、ってヤツよ」

 

 そう分析する遠坂の向こうで、アーチャーが何やらごそごそと動いている。何をするのかと思って注視していれば、部屋の隅に置いてあった幾つかの将棋の駒を取り出し、机の上にそれを並べ始めた。

 駒はそれぞれ、三つ、二つ、一つ、一つ。どうやらこれは、今の戦況を表しているらしい。

 ランサー・ライダー・キャスターの同盟。セイバー・アーチャーの同盟。恐るべきバーサーカー陣営。そして、未だ姿を見せぬアサシン。

 力関係で言えば、謎に包まれたままのアサシンが圧倒的に不利だろうが、暗殺者の役割は元よりサーヴァント戦ではない。闇に潜んでマスター殺しを行うのが主戦術である以上、一度機会を掴めば一発逆転も可能。まだ公に姿を現さないのも、隙を伺っているか情報収集に専念しているのだろう。

 

「一対一で相手をするなら、キャスター陣営が最も与し易いのですが……」

 

「よりによって、一番楽に戦えそうなとこが、全部手を組んでるってわけね。変なのは出てくるし、ほんっと今回の聖杯戦争は滅茶苦茶ね」

 

 揃って深刻な顔になるセイバー主従。その一方、黙り込んでいたアーチャーは、持ち出してきた将棋の駒を無造作に動かし始めた。乱雑に動くアーチャーの手によって、整然と並べられていた駒は、すぐにどれがどれだか分からなくなった。その様子を眺める俺たち三人に、黄金の青年は酷薄な笑みを浮かべる。

 

「組織戦で不利ならば、混戦に持ち込めば勝ちの目も拾えよう。敵戦力の分断は戦術の基本、一匹ずつ潰していく他あるまい。

 そうでなければ、他の雑種どもが潰し合うのを待つか。その場合、最初に狙われるのは我らであろうがな」

 

 確かに……。俺たち以外の陣営が互いに戦ってくれればそれが一番だが、集団戦の場合、真っ先に狙われるのは最も弱い陣営と相場が決まっている。アサシンの所在が不明な以上、俺が他のマスターだったなら、迷わず俺たちを標的にする。セイバーは確かに強いサーヴァントだが、バーサーカーのように無敵めいた能力を持っているわけではない。まして、アーチャーに至っては言うまでもないだろう。

 俺たちにとって大変不利な戦況。黙っていても、いずれ追い詰められるだけ。何か、ここから逆転の一歩を導き出すためには──

 

「……こっちから攻めよう。こっちが不利だって言うんなら、せめて先手ぐらいは取らないと」

 

 と。俺の発言に、三人の表情が変化する。

 遠坂は目を見開き、セイバーは微かに眉根を寄せて、それぞれに驚きの感情を表現する。その一方で、やはりアーチャーだけは、面白がるような薄い笑みを浮かべていた。

 

「珍しいわね。あんなに戦いは嫌だ、って言ってたのに……どういう心変わりかしら、士郎?」

 

 ややしばらくして、驚きから立ち直った遠坂が疑念も露にそう口にする。

 ……まあ、驚くのも無理はない。俺はこの聖杯戦争というゲームが大嫌いだし、積極的に戦うのは嫌だと常々皆に伝えてきた。好き好んで参加したのでもないし、何か叶えたい願いがあるわけでもない。そんな俺に、受け身の立場を脱しろという方が難しいだろう。

 

 ──けれど。正義の味方を目指すなら、絶対に譲れない一線がある。

 

「ああ、戦うのは嫌いだ。けど、慎二のヤツは『人間は餌だ』って言い切った。あいつのせいで関係のない人が襲われて、ひょっとしたら死んでいたかもしれない。

 もうこれ以上、犠牲者を増やしちゃいけない。何の関係もない人たちを犠牲にするような奴は──倒してでも、止める」

 

 慎二が禁断の一線を踏み越えた瞬間に、俺の覚悟は決まっていた。あいつが同級生だろうと、長年の友人だろうと、そんな事は関係ない。これ以上人を巻き込む前に、何としても止めて見せる。衛宮士郎は、その為に聖杯戦争の参加者となったのだから。

 

「……ふうん。少しはマシな顔になったわね、士郎。

 いいわ、手伝ってあげる。どっちにしろ、この街の管理者として、慎二の行動は見過ごせない。まずライダーから倒す、っていう方針には賛成するわ。後手に回るのは趣味じゃないしね」

 

「私も賛成です、凛。ライダーは魔力の供給が不十分なようでしたし、先程の一戦では、消滅していてもおかしくはない傷を負わせました。キャスターと手を組んでいるとしても、傷の完治には時間がかかるはず。本調子ではない内にライダーを排除できれば、キャスターとランサーの相手も楽になる」

 

 凛とセイバーが、それぞれそう口にした。俺の考えが呆気なく受け入れられたことに、若干拍子抜けする。

 だがよく考えてみれば、アーチャーが先程述べた通り、戦力を分断し、最弱の敵から攻撃するのは理に適っている。そしてアサシンが未だ現れない今、最弱のサーヴァントは間違いなくライダーだ。俺の個人的な心情が混じっているにしろ、この選択肢は間違ってはいないだろう。

 敵は決まった。問題は、ランサーやキャスターと手を組んでいるであろうライダーを、どうやって対等な条件下に持ち込んで戦うかだが……。

 

「でも、ちょっと腑に落ちない所があるのよね」

 

 と。俺が首を捻っていると、訝しむように遠坂がぽつりと漏らした。

 

「ライダーが初めから他のサーヴァントと協力関係にあったのなら、もっと早いタイミングで襲って来れたはず。それに、わざわざ倒される寸前になってからライダーを助ける、っていうのも変じゃない?」

 

 言われてみれば……確かにその通りだ。他のサーヴァントを確実に倒したいなら、ライダー一人で動くよりも、ランサーやキャスターと連携した方が遥かに効率的だ。

 けど、敵はそうしなかった。何らかの理由で同時行動ができなかったと仮定しても、慎二にもライダーにも、援軍を待つような素振りは全くなかった。それどころか、セイバーに危うく倒されかかるところだったのだ。つまり彼らは、あの時ランサーが来ることを想定していなかった……?

 

「──もしかすると、順番が違うのかもしれません」

 

「順番?」

 

「はい。ランサーたちとライダーは、当初無関係だった。ですが何らかの理由で、ランサーたちにはライダーを助ける必要があった。これなら、今回の行動には矛盾がない。

 ですが、何故ライダーを助ける必要があったのか。それが分からないのが不気味ですが……次にライダーと戦う時にも、彼らの横槍が入る可能性は高いでしょう」

 

 淡々とそう話すセイバー。その分析には舌を巻く他ない。

 が、問題点が消えた訳ではない。これからどうにかしてライダーと戦うにしても、またランサーたちに邪魔されたのでは意味がない。せめて裏にある理由を汲み取るか、或いは完全にランサーたちの妨害を阻止出来るだけの環境があれば良いのだが……。

 

「──ほう、誂え向きに盤面が整っているではないか」

 

 にや、と邪悪さと傲慢さが撹拌された笑みを浮かべて、アーチャーが突然そう嘯く。その血の色の瞳は、ここではなくどこか遠くを見つめていた。

 

「小僧。貴様は存外、運気に恵まれているようだな」

 

「なんだよ、突然」

 

 またわけのわからないことを言い出した男に、全員が胡乱げな目つきを向ける。そんな俺たちを鼻を鳴らして一瞥すると、アーチャーは先程机に並べた駒を手に取り、くるくると弄び始めた。

 

「ライダーめは、セイバーに深手を負わされたと言ったな。放っておけば確実に消える、という傷を。であれば、傷の治癒に専心するは当然。

 が、彼奴には魔力が足りぬ。それ程の傷ならば、相当量の魔力がなくば回復できまい。キャスターに縋ったとて、そこまで面倒を見てやるほどあの女狐は親切ではなかろう。

 ──さて、一つ質問だ。貴様らの学び舎には何があった?」

 

「──あ」

 

 その瞬間、遠坂の顔色が蒼白になるのが分かった。おそらく、それを見ている俺も同様だろう。

 学校だ。あそこにはライダーが敷いた結界がそのまま残っている。あれを発動させれば、数百人に及ぶ生徒と教員の魔力が吸い上げられる。それだけの量の魔力があれば、いくらライダーが重傷を負っていたとしても、治療するのは容易いだろう──膨大な数の人々を、犠牲にして。

 

「明後日になると、もう週末だ……ってことは」

 

「ライダーが行動するなら明日しかないわね」

 

 忌々しい、と言わんばかりに遠坂の整った顔が歪む。どこまでも他人を踏み台にする卑劣なやり口に、憤っているのは俺も同じだ。

 俺たちに結界は解除できない。つまり、結界を解除するためにはライダーを倒さなければならない。しかしライダーは寸でのところで逃げ出し、今は姿を消している。明日までにライダーを見つけ出すことは、おそらく不可能だろう。

 どうにかして、生徒たちを巻き込まない形に持って行かなければならない。結界の解除が不可能なら、逆に人間を結界に近付けないようにすることはできないだろうか?

 

「なあ、遠坂。人避けの魔術って、あの学校には掛けられないのか?」

 

「それも考えたんだけど、たぶんあの結界が邪魔になるわ。あそこはもう、それ自体が一つの括られた空間になってしまっている。空間そのものへ干渉するような魔術は、わたし程度じゃ上書きできないのよ」

 

「くそ……やっぱりどうにかしてライダーを倒すしかないってわけか。けど、どうやって探せば……」

 

「いえ、わたしたちが探す必要はないわ。あっちの方から出てきてくれるわよ」

 

 と。そこだけは自信を持って、遠坂が断言した。

 

「あれだけの規模の結界になると、発動する時には術者本人が近くにいる必要があるはず。あの結界を発動させたかったら、ライダーは自分で学校に出てくるしかない。そして、あの結界自体も不完全なままだから、発動させたとしてもすぐに効果が発揮できるとは思えないわ」

 

「では、私たちは学校の付近で待ち伏せを。ライダーが現れたところを急襲します。

 ライダーはほぼ戦力にならないでしょうし、ランサーとキャスターが現れても、数の上では二対二。通常の魔術は私にはほぼ通用しませんから、こちら側が有利でしょう」

 

 遠坂の言葉に続いて、セイバーが冷静に判断を下す。それを黙って見ていたアーチャーも、反対する様子はないようだ。

 結界を発動させるための条件を逆手に取って、ライダーを倒す。おそらくそれが、俺たちが優位に立てる最後のタイミングだろう。この機会を逃せば、情勢は一気にこちら側に不利になる。

 ライダーが戦力として復帰できる状態になれば、戦力比は三対二。いくらライダーが弱小サーヴァントとはいえ、真名も宝具も判明していない状態では手の内が見えない。無関係の生徒たちを守るという意味でも、戦略的なアドバンテージを確保するという意味でも、速攻を仕掛けるしか手は残されていない。

 残された時間は、今夜一晩だけ。その間に、決戦に向けて備えなければ──。

 

 

 

***

 

 

 

「ぐあっ……!?」

 

 手元から、竹刀が勢いよく吹き飛んでいく。まずい、と直感した刹那、俺の鼻先にはセイバーの剣先が突き付けられていた。

 

「──くそ、また駄目だったか」

 

「いえ、前回よりは格段に動きが良くなっています。実戦を経験したせいか、シロウの動きには迷いが少なくなりました。

 ですが、適切な対処が出来ているとは言い難い。動くタイミングは良いのですが、避けるべきか防ぐべきか、その判断が難しいようですね」

 

 気が抜け、どすりと尻餅をついた俺に、竹刀を下ろしたセイバーがそう助言を投げかける。荒い呼吸を繰り返しながら、俺は自分の無力さをまざまざと実感していた。

 

 居間での作戦会議の直後。俺はセイバーに、もう一度稽古を付けてくれるよう頼み込んでいた。前回稽古を受けた時は、アーチャーの介入で嫌な空気のまま終わってしまったが、今日の戦いを通じて、自分がどうするべきなのかを少しは見つめ直す事が出来たのだ。

 前回アーチャーは、サーヴァントと戦うための手段を欲する俺を厳しく叱咤した。人間はサーヴァントには勝てない、だから剣の訓練など無駄だと。あいつの言葉は冷酷な現実であり、ただの魔術師もどきがサーヴァントと戦うのは間違いだ……そう、()()()()()()と戦うのは。

 人間を殺したくないという感情から、俺は無意識のうちに選択肢を絞ってしまっていた。サーヴァントは人間ではない、だから戦える。無意識の内にそんな馬鹿げた理屈を掲げて、俺は間違った方向に進んでいた。味方のサーヴァントと、敵のマスターと、その両方を度外視して。

 ……けれど。あの林で慎二と相対して、俺は思い知った。サーヴァントだけではなく、そのマスターもまた、人間を手に掛ける敵となるのだと。サーヴァントと戦うのがサーヴァントの役割なら、マスターと戦うのは同じマスターであるこの俺だ。そして、人間と戦わなければならないのなら、剣の訓練は決して無駄にはならない。事実、セイバーの斬撃を何度も見ていたからこそ俺は慎二の甘い刃を躱せたのだから。

 多分、アーチャーが俺に伝えたかったのはそういう事だったのだろう。そう考えれば、あの時一見無関係に思えた質問の意図も分かる。俺が気付けなかった数々の矛盾を、紅蓮の瞳は最初から見抜いていたのだ。自分が為すべきこと、考えるべきこと。考えれば考えるほど、あいつの謎に満ちた言葉は物事の核心を突いていた。

 

 一般人を手に掛けるマスターと──慎二と、敵対する。サーヴァント打倒という一点に固執するのではなく、マスターとも戦う覚悟。それが固まったから、俺はセイバーに謝罪と嘆願を行い──そしてセイバーも、快くそれに応じてくれた。

 

「これは防げるかな? ……って思うんだけど、実際に動くといつの間にかやられてるんだよな。これってやっぱり、見極めが甘いのかな?」

 

「そうですね。防御か回避か、それとも反撃か。どの選択肢を選ぶべきかは、よく相手の動きを観察した上で決めた方が良い。

 しかし、シロウの腕前ではカウンターは難しい。防ぎ方と避け方が上達するまでは、無暗に反撃しようという考えは捨てるべきです」

 

 ふむふむ、とセイバーの言葉に頷く。確かに俺は、どうやって攻撃を凌ぎ切るかで精一杯になっていて、セイバー自身の動きに着目する余裕は無かった。しかし、攻撃に移るということは必ず予備動作があるわけだから、それを見分けることができれば自ずとどう対処するべきかも見えてくるだろう。

 

「…………」

 

 ちらり、と時計に目を向ける。日付がもうすぐ変わろうとしているあたり、セイバーと打ち合っていた時間は相当長かったのだろう。ずっと集中していたせいか、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 本来、夜は遠坂から魔術の指南を受けるはずだったのだが、明日はライダーや、場合によってはランサーやキャスターと事を構える可能性の高さを考えて、あいつは自分の準備に専念している。ただ他マスターやサーヴァントと戦うだけならとっくに準備は終わっているとのことだが、問題になるのはあの謎の影。全くのイレギュラーである怪物の対処も考えなくてはならないため、俺の方まで面倒を見ている余裕はなくなってしまったらしい。

 時計に向かう俺の視線に気付いたのか、セイバーの顔がふっと綻ぶ。訓練に使った竹刀を道場の隅に片付けると、まるで疲れを感じさせない様子でこちらの方に向き直った。

 

「遅くなってしまいましたね。シロウも疲れているでしょうし、そろそろ終わりにしましょうか」

 

「そうだな、そうするか。

……ありがとな、セイバー。戦ってきた後だってのに、わざわざ付き合わせちゃって悪い」

 

「いえ、気にしないでください。人に教えるという経験も、楽しいものですから」

 

 そう微笑むセイバー。しかしどこか、その視線は遥か遠くに向けられていた。その表情が気になって、思わず気になった質問をぶつけてみる。

 

「セイバーはさ。前にも、こうして剣を教えたことがあるのか?」

 

「ええ。数はそう多くありませんでしたが、そうした機会もありました」

 

 こくり、と頷かれる。セイバーは、剣の英霊として召喚される程剣の扱いに熟達した人物だ。剣術を教えるにはぴったりな人材だし、彼女ならさぞ優秀な教師だっただろう。

 だが。セイバーの表情は直前までとは打って変わり、どこか陰のあるものを宿していた。楽しい記憶を振り返るには、些か以上に不釣り合いな暗さ。

 

「……ですが。生徒を導けなかった私は、良い指導者ではなかったのでしょうね」

 

 俺の顔を見上げ、しかし俺ではない何かを見つめて。セイバーは、ぽつりとそう呟いた。

 

「……そうかな。セイバーはいい先生だと思うけど」

 

「いいえ。良い教師とは、教え子と強い繋がりを築き、その力をより良い形で伸ばし導く者のこと。その点で言えば、タイガは大変立派な教師です。

 ──ですが、私はそのどちらでもなかった。こうして剣技は教えられても、それ以上は荷が勝ち過ぎたのでしょう」

 

 藤ねえが良い教師だと形容されたことに驚き、思わず目を見張る……が、よく考えてみれば確かにそうかもしれない。

 抜けているようで肝心な所は押さえているし、あれで仕事はきちんとこなしている。生徒からの人気も高いし、親身になって相談に乗ってくれる。普段はダメ人間に見えても、何だかんだで藤ねえはしっかり教師をやっているのだろう。

 けど、セイバーが言いたいのはそういうことではない。彼女は、『良い指導者ではなかった』と口にした。それは、教師というニュアンスではなかったように思う。

 サーヴァントとして召喚される過去の英雄。そして英雄とは、王や皇帝のように指導者的な立場にあった人物も含まれる。多分セイバーは、生前の英雄としての自分を振り返っているのだろう。

 しかし……セイバーが浮かべている表情は、英雄らしい自信や誇りとは対極に位置する。むしろそれは、後悔しているような、自分を責め立てているような重さに近い。

 

「セイバー」

 

 だからなのか。無性に、彼女という人間が気になった。

 英雄と呼ばれるに相応しい武勇。万能と謳われる聖杯を欲する心情。過去に背負った重み。アーチャーやランサーのような、見るからに英雄然としたサーヴァントなら、その数々の理由も頷ける。だが、この少女が……それも俺よりも年下に見える女の子が、想像を絶する何かを背負っている事実は、やはりすんなりと受け入れられるものではない。そして、沈痛な面持ちで佇むセイバーを無視できるほど、俺は冷徹にはなれなかった。

 

「昔、セイバーに何があったのかは知らないけどさ。そこまで分かってるんだったら、セイバーはやっぱり良い先生だよ。

 生徒を導けなかった、って今セイバーは言ったけど、それはセイバーだけに責任があることじゃないだろ。生徒がみんな真面目なわけじゃないし、問題児だって当然いる。こっちがいくら正しく教えようとしても、上手く行かないことだってあるさ」

 

 と言うと。驚いたように、セイバーが目を丸くした。

 俺は藤ねえと付き合いが長いから、学校での愚痴を聞く機会も今まで何度もあった。その中には、いじめや不良生徒のような問題も含まれる。自分はちゃんと教えているつもりなのに、どうして問題が起きてしまうのだろう……と、藤ねえは真面目な顔で何度も悩んでいた。

 だけど、生徒が問題を起こしたから指導していた教師にも必ず問題がある、という結論に繋がるのはおかしいと思う。教える人間にも教えられる人間にも完璧はない以上、エラーが起きないはずがない。絶対数から見れば、むしろ教わる側に問題があることの方が多いだろう。

 セイバーの過去に何があったのかは知らないし、軽々しく踏み入っていい領域ではない。しかし、生真面目な性格のセイバーは、きっと真摯に問題に取り組んだに違いない。その結果、後悔するような何かが起きてしまったとしても、それはセイバーだけが責任を感じなければならないものではない筈だ。

 

「あ、偉そうなこと言ってごめんな。気に障ったなら謝る」

 

「いえ、そんなことはありません。シロウが私を慮ってくれたのは承知しています」

 

 静かにそう口にするセイバー。その端麗な容貌に浮かんでいた驚きは、穏やかな微笑みに変わっていた。どうやら、俺の言葉は悪い方向には働かなかったらしい。

 しかし、やはりその瞳はどこか遠くを見つめたまま。彼女が考え事に耽っているのは一目瞭然だった。これ以上ここに居ても邪魔になるだけだと判断して、木張りの床から立ち上がる。

 

「……っと、また遅くなっちまうな。じゃあ、そろそろ戻るか」

 

「シロウは先に戻っていてください。私はこの竹刀を片づけてから戻りますので」

 

「そっか、わざわざ悪いなセイバー。今日は本当にありがとうな」

 

「ええ。お疲れさまでした、シロウ」

 

 優雅に一礼するセイバーに背を向け、連日の運動で筋肉痛になりかけている足を動かして外へ向かう。外はとっくに真っ暗で、物音ひとつ聞こえない。深夜なのだから、考えてみれば当然だ。

 明日は戦いになる。他の生徒を巻き込む前に、ライダーを倒しきらなければならない。そのマスターである慎二とも戦わなければならない以上、今日は意識を切り替えて早めに休んでおくべきだろう。戦いの趨勢は、明日の一戦で決まると言っても過言ではないのだから。

 

 

「──アーチャーのように。人を見抜く眼があれば、また別だったのでしょうか」

 

 

 立ち去る直前。背後から、そんな言葉が聞こえた気がした。

 

 

 

***

 

 

 

 同時刻、衛宮邸の一室。

 

「──これで良し、と。ふう、一晩でできるのはこんなところかしらね……」

 

 ごそごそ、と床に配置された無数の器具の中から、目当ての宝石を取り上げる遠坂凛。代わって、今まで握っていた別の宝石が床に安置される。その隣に置かれているのは、細かく注釈の施された手書きの地図。翌日の戦闘に備えて、彼女もまた可能な限りの対策を講じていた。

 次の戦いで敵を仕留めなければ、状況はますます不利になる。加えて、魔力を求める影というイレギュラー。それがキャスター陣営の手によって操られているなら、脅威への対策は必須。場合によっては、切り札を使う局面も予想される。戦争は事前の準備でほとんど勝敗が決まっているという条理を、聡明な彼女が理解していないはずはなかった。

 

「…………」

 

 集中のし過ぎで疲れた目を擦り、一旦は取り上げた宝石を再び床に置く少女。もう少し作業を続けるかとも考えたが、備えは十分に講じてある。これ以上は疲労を重ねるだけだと判断し、床に散らばった器具を回収しようと腕を伸ばした──その時。

 

「ふん。忙しそうではないか、娘」

 

 ガチャリと扉が開かれると同時、予期せぬ来訪者が踏み込んできた。ぎょっとする凛を尻目に、闖入者は悠々と部屋を横切り、我が物顔で椅子を占拠する。そのままどっかと腰を下ろすと、アーチャーは愉快気に床に座り込む凛を見下ろした。

 驚きから立ち直った凛の表情が、ややしばらくして不快感に染まる。マスターである彼女にとっては、この得体の知れぬサーヴァントの接近に気付かなかったという事実以上に、自らの手札である魔術を覗き見られる事が気に食わなかった。今の状態を見られても特に支障はないが、かといって気分が良くなろうはずもない。

 

「ちょっと、女の子の部屋に入る時はノックぐらいしなさいよね」

 

「ハ、笑わせるな。貴様は()()()などという柄ではあるまい。淑やかさが今三つほど足りん」

 

「……なんですって?」

 

 額に青筋を立て、鼻で笑うアーチャーに向き直る凛。しかし自分がからかわれているのだと気付くと、渋面を作って真っ向からアーチャーを睨み付けた。

 人をからかうことを好む上、無駄に頭と口の回るこの男相手に舌戦を繰り広げるのは時間の無駄。それに普段気儘に動くアーチャーが態々自分の所まで出向いたのは、ただの気紛れではなく、何らかの用向きがあると見て然るべきだろう。そろそろ休息に移ろうかと思っていた矢先、降って湧いた珍事は早々に片付けておきたかった。

 床から立ち上がり、壁近くに置かれたベッドの上にどさりと座り込む。椅子に凭れ掛かるアーチャーに負けじと腕を組み、今部屋の主は自分だという意思を滲ませつつ、凛は早速本題を切り出すことにした。

 

「で、何しに来たのよ。あんた」

 

「なに、大した要件ではない。思えば、貴様とは然程言葉を交わした覚えもなかったのでな。少しばかり、セイバーのマスターを見定める気になったわけだ」

 

 感謝するが良い、と嘯くアーチャーに、さしもの凛も鼻白んだ。つまるところこの英霊は、ただ自分と会話をしに来ただけ。だが凛を『セイバーのマスター』と表現しているからには、それに相応しい人間であるかどうかを確かめる、という意味合いも含まれているのだろう。

 面白いじゃない、と笑みを浮かべる凛。全てを見抜く真紅の魔眼の前にも、臆した様子は見られない。そもそもこの油断ならぬ英霊の前で、遠坂凛ともあろう者が弱みを見せる気など更々なかった。

 

「む?」

 

 と。その様子を眺めていたアーチャーの視線が、床に置かれた紙に移される。その正体が学校付近の地図であることを見て取ると、機嫌の良さを表すように青年の口元が緩んだ。

 

「随分と用意周到ではないか、娘。だが確かに、他の雑種共を出し抜き聖杯を得るには、微塵の労力も欠かせまい。万能の願望器とやら、人間にとっては得難い魅力であろうよ」

 

「お生憎さまね。他はどうだか知らないけど、わたしは叶えたい願いなんてないの」

 

「……ほう?」

 

 予想外の返答に、アーチャーの瞳が僅かに見開かれる。この娘のサーヴァントであるセイバーには大きな願望があったが、マスターの方に欲望が見受けられないとは、人の欲望を愉しむアーチャーとしては些か拍子抜けだった。

 

「では、貴様は何を求めて戦う? よもやあの小僧のように、人助けをしたいなどとのたまうつもりではあるまい」

 

「冗談。わたしはあんなお人よしじゃないわ。

 ──ただ、そこに戦いがあるから戦うだけ。聖杯はおまけみたいなものよ」

 

 召喚の夜、セイバーに答えたものと同じ言葉を返す凛。何度問われようとも、彼女の持つ答えは変わらない。人の欲望を成就させる聖杯も、彼女にとっては景品の便利グッズと同列のものでしかない。この闘争は自身に課せられた義務であり、避けては通れぬ障壁。故に踏破する──聖杯自体を求める他者とは、前提の時点で違っている。

 その思いもかけぬ豪胆な言葉に、微かに驚いた様子を見せるアーチャー。凛の答えが琴線に触れたのか、一瞬品定めをするように目を細めた後、愉快でたまらぬというように笑い出した。

 

「ク──はは、はははははは! これはまた稀有な女よ、ここまで我を笑わせるとは! セイバーといい貴様といい、存外に見所がある!」

 

 呆気に取られる凛にも構わず、笑い続ける黄金のサーヴァント。しかしひとしきり笑った後、アーチャーは唐突に真顔に戻ると、先刻とは打って変わった冷たい目で凛の瞳を貫いた。

 

「だが、それならばセイバーと貴様は相容れぬな。あの小娘は貴様と異なり、聖杯に託す悲願を持っている。聖杯を求めぬマスターと、聖杯を求めるサーヴァント。どこかで胸襟を開かねば、いずれ歪みが生じるだろうよ」

 

「…………」

 

 アーチャーの指摘に、凛の表情が強張る。言われてみれば……セイバーの願望を、凛はまだ聞いていない。セイバーが善良な性質であることは疑いようもないが、その願いの質が凛と相容れるものとは限らない。

 十年前の惨劇は、聖杯を手にした者によって引き起こされた。例えセイバーにそのつもりがなかったとしても、願いの副産物によって思わぬ事態が発生するかもしれない。アーチャーに指摘されるまで失念していたのは癪だが、セイバーが聖杯に懸ける願いは聞いておかなければ──と、凛は密かに決意した。

 

「そもそも──この聖杯戦争とやら、それ自体が胡散臭い。万能などと謳ってはいるが、眉唾物よ」

 

 続けて、冷たい表情を崩さぬままそう言い放つアーチャー。流石に聞き過ごせず、凛は険しい顔で聞き返す。

 

「ちょっと。どういう意味かしら、それ」

 

「分からぬか? 我には、何故貴様らが聖杯などというモノを信じているのか、その呆れた愚直さの方が余程理解に苦しむが……いや、雑種にとって固定化された観念を変えろと言う方が無理な話か。

 仕方あるまい、ここは貴様らのレベルに合わせて話を進めてやるとしよう。感謝するがいい」

 

 尊大な態度のまま、どこから持ち出したのか、缶ビールの蓋を開けるアーチャー。その傍若無人ぶりに眉を顰める凛にも構わず、冷蔵庫から勝手に取ってきたであろう酒を一口飲むと、青年は再び足を組み直した。

 

「女。この聖杯戦争なる遊戯が、どのようなものであるかをもう一度語ってみるがいい」

 

「は……? それ、アンタが召喚された日に一通り教えたはずよね?」

 

「我が知っているかどうかは問題ではない。貴様自身の口で語る事に意味がある、疾く話してみよ」

 

 続け様にそう要求するアーチャーを前にして、凛の表情に困惑が浮かぶ。際立った聡明さを持つ凛であっても、この男が何を求めているのかは理解しがたかった。

 これこそが、並外れた頭脳と観察眼を有するアーチャーの話術。一見無秩序に見える言葉の羅列と問いは、彼にしか見えない線で繋がっている。この英霊の放つ人ならざる威圧感と相まって、話の先が全く読めないが故に、アーチャーと相対した人物は自在に絡まる言葉の鎖に翻弄されてしまう。それはこの男のマスターである衛宮士郎も、サーヴァントであるセイバーも、そして一流の魔術師である遠坂凛も同様だった。

 

 万能と謳われる聖杯は、七人の魔術師を選定し、それぞれにサーヴァントと呼ばれる英霊を召喚し従わせる力を与える。

 選ばれた魔術師はサーヴァントの(マスター)となり、自分以外のサーヴァント及びマスターとは敵対関係になる。

 六人のサーヴァントが倒されるまで聖杯戦争は継続され、最後に残った一組の主従に、聖杯の所有権が与えられる。

 

 読めぬ意図に惑わされながらも、アーチャーの要求通り、聖杯戦争の概要を語っていく凛。それは始まりの夜に、衛宮士郎とアーチャーの前で話した内容と何も変わらない。だが凛が話し終えると、青年は我が意を得たり、と言わんばかりの笑みを浮かべて頷いた。

 

「そら、事の始まりからしておかしいではないか」

 

「おかしいもなにも、事実を言ってるだけじゃない。一体何の不満があるって言うの?」

 

「ふん──己に相応しい魔術師を聖杯が選ぶだと? まずその時点で有り得ぬだろうよ。道具とは意思を持たぬ存在だ。意思に近いものがあったとしても、そもそもは何者かによって作り出されたものに過ぎん。この時代で言えば、人工知能が良い例だ。

 聖杯とやらが自然発生した道理はあるまい。となれば、何者かがそれを作り上げたのだ。では何故、そのような馬鹿げた真似をする必要があった?」

 

 万能の願望器を作り出せるような者がいるなら、それは神にも等しい存在だ。そこまで至っているような存在には、願望器など必要ない。

 だとすれば、上からではなく下から考えていくべきだろう。聖杯は最初から願望器であったのではなく、何らかの手段によって、最終的に願望器になるようなモノなのだ。

 

「……ええ、アンタの言う通り。冬木の聖杯は、遠坂・マキリ・アインツベルンの三家によって組み上げられたモノよ」

 

「は、それでは尚更不自然だ。ならば何故、魔術師の選定などという機能を付加した? 合理性を重視する魔術師どもにしては、随分と無駄な機能よな」

 

 魔術師たちが願望器を必要としているなら、そんな機能は要らない。選定も何も、自分たちが聖杯を使えばいいのだから。

 聖杯の召喚には七人の魔術師が必要だという話もあったが、その程度は御三家の人間だけを集めれば事足りる。わざわざ、外様の魔術師に干渉させる理由はないのだ。

 いや──そもそも、ただの魔術儀式ならば()()()()を起こす必要はない。単なる願望器の奪い合いなら、魔術師同士の内部抗争で済む。それが何故、英霊の現身を召喚し、戦い合わせるなどというルールに変わっている? 聖杯の成り立ち、所有権の所在、どこにもサーヴァントという要素の必要性は感じられない。

 願いが叶うという謳い文句の中に見え隠れする、不要な点、不審な線。聖杯戦争のルールをなぞっていくだけで、浮かび上がってくる複数の矛盾。深く考えれば理解出来るであろう事柄にも、ルールを盲目的に信じていた者と、端から懐疑的に見ていた者の差が如実に表れていた。

 

「流石にここまで言えば気付くか。この下らぬ遊戯には、怪しい点が多すぎる。何の裏もないと信じてかかるのは、愚策以外の何物でもあるまい。

 甘い言葉で人を惑わし、その裏で騙し利用するのは古来よりの人の性。万能の器という蜜の影には、如何なる棘が潜んでいるのだろうな?」

 

 凍り付いた凛の表情を、上機嫌に眺める黄金の英霊。聖杯戦争の矛盾に気付いていながら、この男はそれすら娯楽の一環としか捉えていなかった。

 

「まだまだ青いな、小娘。この聖杯戦争には裏がある。命がけの賭博だ、上手く立ち回らねば破滅を招くぞ」

 

「……どうしてそんなことを教えてくれるのかしら?」

 

 動揺を冷静さという仮面で覆い隠し、アーチャーに問い返す凛。十年かけて臨んだ儀式を、今まで疑いもしなかったものを根底から揺さぶられたにも関わらず、淡々と事実を受け止めるその様は、正しく一流の魔術師に違いなかった。

 一方、思いの他冷静さを崩さない凛に、肩透かしを食らったように鼻を鳴らすアーチャー。会話の間も飲んでいた缶ビールを一気に空にすると、伸ばしていた足を最初のように組み直した。

 

「なに、貴様とセイバーの間に軋轢が生じるのは望ましくないのでな。些末事でセイバーに退場されてもつまらぬ」

 

 そう言うとアーチャーは、空になった缶を弄びながら話は終わったとばかりに席を立つ。ベッドの上に座ったままの凛は、自然とその長身を見上げる形になった。

 威圧的な真紅の瞳に見下ろされるも、なによ、とばかりに睨み返す凛。会話の主導権を握られようとも、負けてなるものかという強気な瞳は、この英霊が纏う覇気にも微塵も劣っていなかった。

 

「わたしが気付かなかった事を教えてくれた事には感謝するわ。でも、あの娘はわたしのサーヴァントなんだから、アンタにはあげないわよ?」

 

「その意気だ。セイバーともども、精々我を愉しませるがいい」

 

 最後ににやりと口の端を吊り上げると、アーチャーはそのまま悠然と部屋を出て行った。

 

「…………はあ」

 

 アーチャーの気配が去ったのを確認すると、少女の体から一気に力が抜ける。どさり、とベッドに倒れ込むその様子からは、先程までの威勢はすっかり消し飛んでいた。

 並の人間なら、あの男の正面に立つだけでも緊張する。何もかもを見透かしたような瞳と、重みのある言葉に相対するのは、年齢に似合わぬ豪胆さを持つ凛であっても気力を消費し尽すものだった。

 加えて、アーチャーが指摘した矛盾の数々。言われてみれば……という内容ばかりで、何故今まで疑問を持たなかったのかとも思う。幼少期から()()()()()()であると教えられて育つと、疑うという選択肢がそもそもなくなるのだろうが……頭から信じ込むというのは、魔術という一分野の研究者としても問題だろう。その点は、素直に改めるべきだった。

 

「そういえばそうよね。どうして他の魔術師が聖杯戦争に加われるようにしたのかしら……」

 

 御三家が聖杯を作った、というところまでは良い。それぞれ数百年、アインツベルンに至っては千年を越す歴史を誇るが、それぞれの家に単体で聖杯を作り上げる力はない。異なる家門が協力し合う関係は、魔術の世界に於いても珍しくはないのだ。

 が、そこに他の魔術師が絡むとなると話は別だ。魔術師は須く保守的なものであり、御三家が聖杯の所有権争いで分裂したのだとしても、他の魔術師を介入させるとは思えない。

 では、魔術師が聖杯を奪い合った結果今日の聖杯戦争ができた、という前提がそもそも間違っていることになる。そうではなく、最初からこうなることを予測していた……つまり、他の魔術師を加えた上で、七人という数を揃える必要があった……?

 おそらくは、そう考える方が自然だろう。魔術師は無駄な労力は割かない。これほど大掛かりな魔術儀式であれば、尚更綿密な計算が行われたはずだ。となれば、サーヴァントの召喚、マスター同士の抗争というプロセスも、何らかの目的に繋がっている。

 聞こえの良い言葉の裏に隠された、見えない聖杯戦争の目的。始まりの御三家は、何の為に戦争というルールを敷いたのか──それを知らないままに戦いを続けるのは、その御三家の一人である凛にとって、ひどく危険な選択に思えた。

 

「何のために、ねぇ……」

 

 魔術師の最終目的は、根源へ至る事。聖杯がサーヴァントの召喚という桁外れな現象を起こしているのは事実なのだから、それ以上の奇跡があったとしても不思議はない。御三家が聖杯を作り出した理由も、間違いなくそれだろう。

 しかし、そう考えると『万能の願望器』という謳い文句さえ怪しく感じられてくる。七人という数を集める事が必要だったと仮定するなら、この謳い文句はこれ以上ない釣り餌になる。過去四度行われたという聖杯戦争、その全てで願いを叶えた者が確認されていないという事実も、それを踏まえれば納得できるものがあった。

 人数という条件、サーヴァントという存在、根源へ至る術。謎を解くパーツは揃ったが、それぞれを結びつける決定的な情報が足りない。聖杯を作った家系であるにも関わらず不足する情報に、父が早逝してしまったことが返す返すも悔やまれた。

 

「まあ、分からないことをあれこれ考えても仕方ないわね。最終的に勝てばいいのよ、勝てば」

 

 そう結論付け、ぼふっと枕を叩いて気合を入れる凛。裏に何が隠れているにしろ、まずは勝たなければ話にならない。事実はどうあろうと、他のサーヴァントは打倒するべき敵なのだから。

 聖杯戦争というファクターを差し引いたとしても、街に蔓延る不逞な魔術師は許しておけない。管理者として、責任を果たさなければならないという思いもある。そして自分自身とセイバーの力があれば、彼女は全ての相手に勝利する自信があった。

 

「それにしても……アイツ、ホントどういうヤツなのかしらね」

 

 ベッドの上に寝転びながら、アーチャーが去って行った戸口にちらりと目線を向ける凛。

 気儘に動いたかと思うと、嵐のように状況を乱すだけ乱してまだ去っていく。それだけならまだ天災という事で納得もできようが、情報という恵みの雨も降らせていくあたり、一概に迷惑だとも言えない。

 実際、セイバーと願望の話や、聖杯戦争に対する新たな見方は凛にとってプラスになる情報だった。今まで深く考え込むことさえしなかったそれは、人より一段上の視点から物事を俯瞰しているアーチャーだからこそ気付けた事実だろう。

 

 今回召喚されたサーヴァントの中で、異例中の異例と言えるイレギュラーな英霊。霊体を召喚するという大前提を根底から覆しておきながら、自身の情報が欠落しているという不安定さ。だがセイバーによれば、あの英雄は最強の切り札(ジョーカー)になる可能性を秘めている。

 前回の聖杯戦争時に無敵を誇り、無限の宝具を使いこなしたというアーチャー。万全には程遠い現在の姿であっても、あの観察眼と分析力は本物だ。味方になっている間は心強いが……騎士王をして勝てぬと言わしめたその力が、いつ敵に回らないとも限らない。いずれにせよ、あのサーヴァントから目を離すべきではないことだけは確かだった。

 

「その前に、まずは明日の戦いかしらね。勝つわよ、絶対」

 

 ぐっ、と拳を握る凛。決戦までの時間は、既にそこまで迫っていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。