……まあ、時が経つという物は早いもので。連れ添った夫の姿が近くに見える。ぼやけては、いるけども。
―――ピ…ピ…ピ…
「気付けば私も…『白寿』。ねぇ……」
しわくちゃになった、見慣れた自分の手を見て溜息。
垂れ下がった皮膚は若いころと比べるべくもない。艶も張りも、老いと共に失われていった。こんな状態では点滴が友達。それでも……
「元気さだけが、取り柄だったのに」
90までなら、まだ散歩が日課だった。
それでも、やっぱりその時期までがピークだったのか、どんどん足も悪くなっていって…
ふとその時、目に入ったのがクロスワードの冊子。
「ふふふ……ねぇ、『あなた』?」
「…どうしたんだ?」
「いつの間にか、私たちも老いたものね」
「……そう、だな。それでも、おまえより先に逝きたかったのだがなぁ」
「それは、言わない約束よ…」
旦那にこたえるために、この手だけは、いつものように動かせる。
ほとんど考える事も無く、脳裏のよぎる走馬灯を背景に、クロスワードの問題をスラスラと解いて行く。まだまだ頭は捨てたもんじゃない、なんて。
「お医者さんからは?」
「まあ、今日の内、らしいな」
「あらまぁ……」
「わたしも、信じられないよ」
「どうやって死んじゃうのかしらね?」
「…寿命だろう。おまえは、本当によく生きた」
コトリ、ペンを置く。
最愛の夫。
ずっとこなかった愚義兄、アンリがこの世界に訪れなくなってからというもの。
あの町内会長の会社で秘書になった私は、働くうちにこの人を見つけた。
きっかけは、あちらからのプロポーズ。
そんな時に丁度良く兄が現れて、その人と一対二での面談だった。
結局のところ、この人の『妹さんと一緒に、幸せになります!』なんて、私一人だけじゃなく、そんな欲張った言葉に絆されて、兄は承諾。ものの見事に話術で踊らされている彼は、見ていて道化師にしか見えなかったわね。
とまぁ…めでたく結婚し、銀婚式を迎えて、金婚式をあっという間に駆け抜けていった。
楽しい日々だった。魔法少女として戦っていた頃に比べても、謙遜のない幸せな日々。
いまでも魔法のリボンを創りだすことは出来るけど、その技も今となっては近所の子供たちへのプレゼントマジック。引っ越しや、持ち切れない時の荷物を縛る方法。日常に使える能力でよかったと言えば、戦った頃を思い出して情けない涙が出てきていた。
そこまで思い出して、突然に、手が動かなくなった。
「あら、こっちもげんかいかしら」
「…ほら」
心配そうな表情ではなく、仕方ないな。という顔で、寝込んでいるベッドに手を戻してくれた夫。
彼もまた、同じく90代の大台に乗っているというのに、私と違って元気な人だ。年下趣味と言われていたあの頃も、今となってはどちらもジジババ。過ぎる年月って、個性をすり減らしていくものね。
「あたたかい……これだけは、わすれそうにないわね」
「おまえの友達も、家族も、皆どこかへ
「っ……ありがとう」
彼の言う通り、私の古い友人は、皆――命の輪廻に戻って行った。
鹿目さんは、暁美さんと世界を飛び回ってNGO。だけど、8年と5ヶ月前のある日、突然に連絡が途絶えた。きっと、そこが最後だったんでしょうね。
美樹さんは、『上条さやか』と名を変えて、世界的なヴァイオリニストになった上条くんと家族に包まれて過ごし、今から5年前には逝ってしまった。
佐倉さんは、13年前、店仲間の多くの魔法少女と魔女に囲まれて、涙だけは絶対に流れない最期を看取ってらっていた。もちろん、彼女が逝ったあとには皆、泣いたけれども。
そして、今度は最後は……私の番。
皆のコトは、伝えた。
彼が変えたこの世界。さすがに全員がそうとは言えないけど、それでも幸せな人はとても多い。
それでも、冒険譚は幾つもあった。
どうやったのか、魔法少女の祈りを使って、非道な実験をしていた場所を潰した。
何処かの馬鹿が魔女の絶望を利用して、一つの大陸が消えそうになった。
エネルギーの困窮にインキュベーターが友好的に協力して、今や宇宙との外交さえも可能になった。
そうして世界は、変わって行った。
それでも、その礎には、中心には彼が居た。私たちが居た。魔法少女が居た。魔女が居た。インキュベーターが居た。そして、なによりも……
「わたしたち、にんげんが、がんばったのよね…」
「ああ、頑張った。おまえは本当に頑張ったよ。だからもう、
「ありがとう、あなた」
シーツの柔らかい感触が、途端に引いてきた。
魔力を全て生命力に回していたけど、その根源が無くなったみたいね。徐々に、頭の奥から、真っ黒な物が見えてくるもの。
「お別れだが、また会おう―――マミ」
「ええ、またあいましょう―――■■」
最期の言葉、上手く言えたかしら?
もう、見えるものが皆……
まっくろ
明るい――?
「…………約束通りか。待ってたぜ?」
「(-_-)zzz」
あかない筈の瞼が開き、最初に映った人物は、ずっと変わらない
「あらあら、この子ったらまた寝てるの?」
「此処はやる事ねぇからなぁ。クカカっ……ま、彷徨い続けて早2年。飽きが来るのもいつもどおりっつうワケだ」
「もう、それじゃ私も暇になっちゃうじゃない」
「そこは、オレの土産話とマミの人生語り、ってコトでどうだ?」
「仕方ないわねぇ……」
懐かしいもので、彼と話すのも数十年ぶり。
何をしていたのかと思えば、また迷子やってたのね。
「…あー、その…なんだ」
「どうしたの?」
「アイツ、最後まで居てくれたか?」
「…ええ。私の最期、看取ってもらったわ」
「そうか! それは良かった…」
年齢を感じさせない、いつまでも若々しい反応か。おばあちゃんだった私には、羨ましいものね。ま、言わないけど。
「ふふ…大丈夫よ。彼以外にも、ちゃんと伝道師はいるわよ」
「あぁっと、そーいやそうか」
もう、いつも通り要領をえないわね。
「あら、何かしら……光?」
「ん? …………ハァ、あんの神さん…待ってやがったな」
「それって、あなたの転生したっていう?」
「まあな。もう会う事は無いとか言っておいて、実は何度か顔合わせしてるっつうね」
彼がそう言う間にも、目の前の光は私たちを飲み込んで……
「よくぞここまできた。まあ、座るがいい」
真っ白な部屋。
穢れなど知らないかのように、無機質に温かい不思議な感覚がする部屋。
真っ白な机が1つと、真っ白な椅子が4つ。
彼らは全員、その場に腰掛けた。
白い老人は、自然と口を開いた。
「それでは、君の魂の浄化について、そして彼らとの同行についての話をしようか」
「とりあえず言っておきますけど、私はアンリと共に行くつもりです」
「それはまあ、うむ。受諾しておこうか」
突如出現した紙に、何のためらいも無くハンコを押す。また紙が消えて、神が残った。なんて……つまらないわね…………
「そりゃともかくだ、神さん。まずは浄化だろ?」
「That`right.世界を渡るに至って、まずは英霊化からいってみようか」
「軽っ、そんな簡単にできんのかよ?」
「なに、この娘は
「うへぇ…良かったなぁマミ。神さんが呼んでくれて。守護者ルート一直線から外れたらしいぞ」
「え? …え、えぇ。そうね」
何の話か判らなかったけども、今後と『もしも』の話だというのは理解出来ていた。
そして…
「それでは、君達『放浪者』の契約はもう終わった。好きに『生きてこい』!」
老人―――アンリ曰く『神さん』が、衰えを感じさせない覇気のある声でそう言った。
すると、音も無く扉が現れる。
「――次なる人生にこそ君達に多くの幸あらんことを――
これは、私の定型文だが、受け取って行きたまえ」
「ありがとうございます。アンリがいつもお世話になってるみたいですね」
「いやいや、私も暇なのでね。彼が時々淹れてくれる紅茶は、君譲りだろう? 嗜好品としては申し分ない。そう畏まらずともいいよ」
「それでも……」
私は扉に手を掛け、神さんへ言った。
「アンリと、出会わせてくれたんですから」
生前から変わらず、ふわり、微笑んで。
――また、会おう
ぎぃぃ、と……扉は閉められた。
それでは―――開幕のベルを鳴らしましょう。
最悪の夜、最高の友。そんな混沌が、はじまり・はじまり……