逆に読みにくくなったかもしれませんが、キャラの感情重視ということで。
冷たい風が頬を打ち、町の明かりが尾を引くように前から後ろへ流れていく。
またひとつ、街灯を蹴って飛んでいる影は、青年の姿をしていた。
夜明けの頃。アンリとシャルは魔女狩りに出ていた。
マミにしばらくの休息を与えるため、その間の町を二人でしっかりと守ると誓ったからである。当然、使い魔一匹逃がす訳にはいかず、シャルのようにおいそれと契約する事も出来ないゆえ、いくら魂がまだ人間の括りにいたとしても、殺し――喰わなければいけないと判断したからである。
といっても、彼の元はただの人間であり、英霊と言っても『救うための力』ではなく、『壊すための力』を有しているのだ。ならば、切り捨てるものは切り捨て、足りない力は他人から貸してもらうほかない。切り捨てるそれがまだ人間であってもだ。
そこに葛藤など、あってはならない。
大通りから見える路地裏を見やり探しつつ、彼は町中に解き放っていた獣の一体と鉢合わせになる。いくら形状が違えど、それは自分自身を構成するものと同じに他ならない。それぞれが一瞬の交差で見つめ合うと、別方向に軌道を変え夜の闇に溶け込んでいった。
彼らの居た大通りには、太陽の光が差し込み始める。
「結局は見つからずじまいか……平和はいいことだが、どうにも」
「ソダネー」
その日の昼。彼らは探索を打ち切り、とある電波塔の上から町を眺めていた。
ここまでの間、使い魔さえも見つけることができなかった。大抵の魔女の活動時間は夕暮れから夜明けまでの間であり、シャルのように突然孵化でもしない限り魔女が昼に現れることはほとんどない。
今は太陽が真上に来ており、マミも学校に登校している時間帯である。彼女も今頃はアンリお手製の弁当とシャルロッテ印のお菓子をクラスメイトにおすそ分けしていることだろう。
あくまで魔法少女の仕事を休憩しているだけで、学校に行かない訳ではない。彼女は正史と違い、学校では人気者で友人も多い。今の彼女を覇気つけるためにも友人とのコミュニケーションを大切にしてもらいたいのだ。なにより……
「日常ほど、良い安定剤はないって聞いたこともあるからなぁ」
閑話休題。
アンリたちにとっても、この時間帯は休憩時間でもあるので、彼らは適当に町を歩いていた。もっとも、彼の足は一つの人が集まっている、ある場所に向かっていたのだが。
「こんにちは。あら、可愛らしいぬいぐるみさんね? アンリさんもこういう一面があったんですか」
「時田さん、どうもっす。実はぬいぐるみじゃないんっすよ。ほら、シャルロッテ、挨拶」
「コンチャー」
おお、と一同からは感嘆の声が上がる。
「すっげー兄ちゃん!どうしたのコイツ!」
「オレの村での呪術の一種を使って……そうだな、こっちでは『付喪神』みたいなモンでな。こうして自立意識を持たせてみたんだ、っつーわけで力もあるし、かなり賢い。これからはコイツもこれからお願いしますってな」
「フッフッフ。いいわよ。それじゃアンリちゃんに続いてこの町のマスコット決定ね!」
「ちょ、町内会長!?何すかマスコットって!」
「実のところ去年から決定してたのよ!ほら、アンリちゃんの模様をまねたキーホルダー!!」
「い、いつの間に……」
「「「「アッハッハッハ!!!」」」」「ナカマー? ナカマー!」
上の人たちはこの見滝原町内会のメンバーであり、その顔ぶれといえば、この町に立っているビルの社長から近くの家の住人まで様々であり、その誰もがこの町を思う気持ちであふれる人たちだ。
この数年間アンリが慈善活動をしていた所を見たこの女会長が建てた会合で、2年前から結成されている。会議などといった堅苦しい事は無く、一人が町の為にやりたいと思った事を皆でするといったノリで、気のいい人たちがたくさん集まっている。
先程の説明で皆が誰一人疑問を持たなかったのはアンリが最初の会合の折「実際に存在する呪術の発達した村から捨てられた忌み子」と説明をしたからである。それ以来、アンリ頼みで来た人を簡単な占いや、愚痴を吐きだす心理治療まがいの事が出来る人として受け入れられ、親しまれてきたのだ。
「それはそうと、そっちは最近どうだ? 数カ月いなかったオレが言うのもアレっすけど」
「中々売上が伸びなくてねぇ……そうだ、シャルちゃんをモデルに家の会社でマスコットグッズにしてもいいかしら?」
これはまた、と言って息を吐く。どうだと肩のシャルに問いかけてみれば、
「イイヨー」
町内会長は、シャルが快く承諾したことで舞い上がる。
おそらくモデリングのための写真を欲しがったのだが、何を思ったのかアンリにも要求してきた。
「? いいっすけど……」
「それじゃ寄って寄って! ……そうそう、そんな感じで!ハイ、チーズ!」
デジタルな電子音が響くと、続いていくつかの写真を撮られた。
それらすべてがご満悦だったのか、彼女は満面の笑みを浮かべて、
「いい感じにできたわ。ありがとうね?」
「(o*゜ー゜)oワクワク」
「そんじゃ今日はこれまでっすかねぇ。もうこんな時間になったみたいだし。島野さんはこれから老人ホームじゃないですか?」
「覚えててくれたんだねぇ。うん、若い子たちに負けないように頑張るよ」
「バイバーイ!」「今度は、マルクナルドで集まりましょうか」「さぁ、これから忙しくなるわよ!」「社長。案件の作成しておきました」「それじゃあねー」
口々に言いたいことを話し合った一同が、次々と自分の業務、自分の日常へと戻っていく。二人、最後までカフェテラスに残ったアンリは、小さく笑ってシャルを撫でた。
「……よかったな」
「ウン♪」
多少異様だが、刺青男とぬいぐるみが仲よさそうに笑っている光景。
微笑ましい、と周りの人間が少し瞬きをしている間に、彼らの姿も消えていたのだった。
時は過ぎ去り、夕刻となった。
見滝原中学校の校門には、最近の廃工場倒壊、ここの生徒が被害にあった集団催眠自殺などのほとぼりが冷めるまで、授業を終えたら即下校というシステムになったらしく、幾人もの生徒が校門から去っていく光景が見られた。
そして、そこに近づく影が一つ。普段なら不審者として扱われそうなものだが、一度は講義を開きに招かれた客。その立場を利用して、校門前で佇んでいるアンリの姿があった。
そんな彼に、話しかける青髪の少女。
「あ、アンリさん! どしたの? こんなとこまで来て」
「美樹ちゃんか、いや実はな……っと」
ほかに多くの生徒がいる手前、小さな声で彼は説明した。魔法少女の真実と、そのせいでマミはしばらくの間は休暇を取り、その間はツアーは休止で自分がその分の魔女を狩る事。魔女になっても魂は人間のままである事などだ。
話を聞き終えたさやかの顔色は悪かった。まぁ、当然ともいえるが。
「嘘、そんなことって……」
「残念ながら本当だ。わりぃが鹿目ちゃんにも言っといてくれねぇか?」
そんな大役を押しつけていいのか、という思考も片隅にはあったが、『裏』を知っている人物にはなるべく広めておかなければならない。まして、契約前の候補生ならなおさらだと考えた。
一度はショックを受けていたさやかだったが、顔つきは真剣なものに変わる。
「うん分かった。伝えておくから。それじゃあ、また」
「またな……なに、強いもんだな、人間って奴は」
とはいえ、人を簡単に捨てた自分が言える義理ではない。とアンリは嘲笑する。
そう思っているとマミが学校から出てきたようだ。此方の姿を見つけると近くの友達と軽く別れの挨拶をし、駆け寄ってくる。表面上は取り繕っているが、まだその心情は傾きやすい天秤だな、という印象をアンリは感じていた。
「ごめんなさい。待ったかしら?」
「いんや。ああ、さっき美樹ちゃんにも『あの事』言っといたから。言伝になるが、鹿目ちゃんも大丈夫だろう」
あの事、と言って昨夜の真実を思い浮かべるが、マミはその思考を振り払った。
不幸などと、思ってはいない。ただ自分は間が悪かったのだと、言い聞かせて。
「そう……それじゃ家までお願いね?」
「りょーかい。行きますか」
声色はどこかぎこちない応答ではあったが、二人は歩きだした。
そしてこの送迎、マミが十分に乗り切れるまでは一度も変身させないためにアンリが出した提案だ。変身すれば魔力を消費し、その分ソウルジェムが黒ずんでマイナス思考になりやすく、せっかくの休憩も無駄になるためである。
当然、最初にマミが言った感想は「アンリって、案外過保護なのね」だ。
「そういやマミ」
「なにかしら?」
思い出したように、唐突に切り出したアンリ。一体どうしたというのだろうか? そうしていると、彼は少し陰りの見える顔立ちで次を告げた。忘れてはならない、あの存在の事を。
「キュゥべえだがな。アイツをどうする?」
「!!」
そう、キュゥべえについての処遇。インキュベーターのやり方やその目的が分かったのはいいが、これまでの間、マミとアンリは少なからずキュゥべえと過ごしてきた。
時にはテレパシーで位置を知らせてくれたり、またある時はちょっとした相談のはけ口として付き合ってくれたこともあり、肉体的にも精神的にも、キュゥべえに助けられたことも少なくは無いのだ。
もちろん、キュゥべえにとっては魔法少女の精神状態を安定させ、効率的に魔女を狩らせる事によって彼らのエネルギー収集効率を上げる過程にすぎないのだろう。だが、裏があったとしても、彼には実際に恩と借りがあり、それを無下にできるほど彼らは冷酷にキュゥべえを切り捨てられない。
だからこそ、マミが出せる判断は、一つしかなかった。
「出来る事なら……キュゥべえも『――――』してあげたいわ…」
――ちょうど、近くを暴走バイクが走り抜けたせいで聞き取り辛かったが、彼女の決心は固い。あきれるように、しかし眩しいものを見るようにアンリの目は細まり、マミの提案に諾の意を告げる。
「そうか……分かった。そんじゃやってやる」
「え、でもどうやって? キュゥべえ達はみんな…」
「ちょいとやり方は荒いが、確実にあいつだけは『――――』出来るだろうよ。それともなんだ? オレは今までマミの言った事を出来なかった時は在ったか?」
「ふふっ、それもそうね。でも洗濯はどうだったかしら?」
「い、今はもう出来るからいいだろ! ……ったく、昔の事ぶり返しやがって」
「アハハッ!ごめんなさい。でもお願いね?」
「ハイハイ。マスターの言うことはやって見せますよっと。それがサーヴァントの生きがいさね」
久しぶりに主従だということを主張し、笑う二人。彼らはキュゥべえを『――――』することに決めたようだ。どういうことになるのかは……また今度である。
そうして家に着いたマミをシャルロッテが出迎えた。アンリが外にいて、マミが家にいる間の守りはシャルに一任してある。元々の魔女としての能力とサーヴァント補正の付属スキルによってシャルは大幅に強化されているからだ。
アンリも当然だが、手練れの魔法少女が2人来てもシャルは倒せないほどの強化を施されていたのだ。自宅警備を任せるに、これほど頼もしい存在もいないだろう。
そうして家を後にしたアンリは再び夜の街へと繰り出た。夕暮れ時の学校で美樹さやかとの会話中、今度は色つきの鷲を2体さやかの影に潜ませたので、それぞれ一体ずつが守りにつくであろうから、今夜の美樹さやかと鹿目まどかの安全は保証されている。今回はアンリ一人での戦闘となる。
マミ達魔法少女とは違い、ソウルジェムを持たないアンリが魔女を捜索するのはかなり骨が折れることは間違いない。
いつも捜索手段として使っているのが、獣の形の泥。オート操作で命令を実行し、獣という指向性を持たせた形なので泥も殆んど消費せず使い勝手がよいが、今は宝具補助なしの限界数をすでに他の人物への警護に当たらせているゆえ、その身一つで捜索をしなければならない。
だが、自分の主の為にも、アンリはサーヴァントとしての身体能力をフルに生かし、結界の捜索を行っていた。疲れを知らず、物を摂らずとも自分で魔力を生成できる彼は、ただひたすらに淀んだ感情の混じった魔力を探し、夜の街を走り抜けていた。
遂に―――
「見つけた。かなり不安定だな……これは使い魔の結界か」
不安定な出入り口を武器で引き裂いて広げると、すかさずその中へと潜り込んだ。
少し進めば、すぐに使い魔を発見。見た目はおもちゃのプロペラ飛行機におさげの女の子がのった落書きのような姿をしていた。居るのはこれ一体だけらしく、近くに似たような魔力の波長は感じられない。保有する『負』もあまり感じないことから、これはほとんど人を殺していないらしい。
「発見。っつーかアレってアイツと会った時の奴か?」
まぁいい、早めに終わらせよう。そう言って泥を発動。自律思考を持たせた泥が作れないだけであって、普通の泥は鞭一本分くらいなら作りだせる。それを使い魔に命中させようと大きく振りかぶったところで――
「待ちな!」
弾き飛ばされた。目標に当たったと思った瞬間、横から伸びてきた『それ』は使い魔を弾き飛ばし、別の通路へと吹っ飛ばした。使い魔自身がバリアの様なものを張っていたので、おそらくはノーダメージだろう。
すぐに追おうとも考えたが、ここにあった結界が引いていき、どこかに移動したことで再び気配を見失う。すぐに見つかるだろうと舌打ちをすると、アンリは声の方へと振り向いた。そこにいたのはいつしかの――
「よーう。ひっさしぶりだなぁ?会いたかったよ、悪神サマ」
「お前か…随分立派に育ったじゃねぇか、『佐倉』?」
凶悪な笑みを張り付けた紅槍の魔法少女。佐倉杏子がそこに佇んでいた。槍を構え、肌に焼けつくような殺気を此方へ飛ばしてきている。対するアンリも口元まで裂けた笑みを張り付ける。
客観すればどちらが悪人か判別のしようがない状況。悪、ということであればアンリに軍配が上がるであろうが。
とにもかくにも、劇的な出会いには変わりなかろう。
どうにも、演技掛った口調で杏子が口を開く。
「あいも変わらず使い魔も狩り尽くすってか? もったいないなぁ。全世界共通語だぜ?」
「そういうテメェもなかなかに曲がった根性が板についたじゃねぇか。こんな子に育ってオレは悲しいよ」
よよよ、とアンリは心にもない事を言い放ち、杏子の琴線に触れる。
言わば挑発行為であったのだから、それに彼女が乗らないはずもない。
「っけ、心にもない事言いやがって。アタシはアンタに育てられた覚えなんざ……」
言うが早いか、二等辺の穂先がアンリを捕える。そのまま槍は引き絞られ――
「無いっての!!」
アンリへと発射される。魔法少女としてずっと戦ってきた、熟練の彼女が放った一撃。
恐るべき速度の槍は、真紅の閃光と成りて彼の喉笛をかっ喰らった。かのように思われたが、
「甘えっての」
恐るべき動体視力で捉えられ、穂先の腹から叩き落とされる。いつの間にか彼の左手に握られていた歪な剣によってだ。この数年間着続けたおかげか、すっかり自分の普段着として情報を登録されたライダースーツを消し、鮮血を塗りたくったような戦闘装束を纏う彼が悠然と構えてそこに居た。
低く腰を落とし、飛びかかる獣のような体制をとる。
「おいおい、結構本気で投げたってのに弾きやがったよ。……おまけに、前と違って随分けったいな恰好じゃねーか」
「こちとら伊達や酔狂で英霊なんぞやってねぇさ。ついでにこれはオレの本気の戦闘服さね」
「へぇ、アタシとやり合おうってか?」
軽口をたたくが、先のは正真正銘全力の一撃。冷や汗が吹き出そうになるが、汗腺をカットした杏子は余裕を持って返答を待った。さもなければ、ペースをつかまれる。
「まあな、こういう雰囲気は大抵がこのまま戦うパターンだ。来るなら先手は譲るぜ?」
「面白いじゃねーか!しっかりと躾けてからアタシの回復台としてヤンよぉっ!」
「上等ォ! 来いよ、人間ッ!!」
同時、ドォッと地を蹴る二人。
「シッ――!」
まずは先手。
杏子の下段から振り上げた槍がアンリの二の腕を狙う。それをザリチェで受け止め絡ませ、武器を封じたが、杏子の槍は持ちて半ばから節を増加。重心を失った穂先はするりとザリチェから抜け出し、放物線を描いてアンリの頭部を狙う。
彼は身を屈んでそれを避けると、ばねの原理で伸ばした刃でお返しとばかりにその足を切断しようと一閃を放つ。が、武器を絡められて体ごと杏子の頭上へ投げ飛ばされた。
「危ない危ない、乙女の足を切ろうなんざ随分外道じゃないか!」
「乙女だぁ? 寝言は寝てから言いやがれ!」
空中に泥の足場を出現させると、それを蹴って急降下。同時に泥をも細かい針へと変えて雨を降らせる。
衝突。再び刃と刃が交差する。杏子の槍は伸び、その手に握る一本と後方から連動する無数の棍がアンリへと飛来、同時に降り注ぐ元泥の針をすべて弾き飛ばす。そのいくつもの斬撃と打撃がアンリを掠り、その肌に傷をつけていくが、ただそれだけ。アンリ自身は一度もまともに当たらなかった。
そして剣舞の押収は続く。
「そらそらそらそらそらそらァァァッ!!!」
突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。突く。
「クッ、ハハハハハハハハハァァァッ!!!」
防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。防ぐ。
正に一進一退の攻防が繰り広げられ、両者の武器はとめどなく破壊され、創造される。
不意に、杏子の槍が突きから左薙ぎに変わった。だが、突然の変化に大した動揺も無く、アンリは再び刃を受け止め、捻り上げる。が、杏子は両手に槍を握り、同時に袈裟切りと逆袈裟に放った。アンリはそれを受け止める。そのまま武器破壊を行おうとし、
「おぉ……ぜえぃっ!!」
「―――チィッ」
予想以上の力に支え切れず、逆短剣を破壊されアンリの両腕を通過するように刃が通り、両腕が切断された。切断された腕は武器を握ったまま転がり落ちるが、流れる血は無く、代わりに『黒い靄』がアンリの腕の切断面から滲み出ていた。そう、視認できるほどの人々の負の感情が魔力を帯びたモノ――それが、彼の体に循環しているのである。
それを見た杏子はぎょっとするが、込み上げてきた嘲笑そのままに叫ぶ。
「アンタもよっぽどの化け物じゃないか! 血さえ出ないなんてねぇ? お次は足を貰うよ!」
「そこが甘えって言うんだよ。この程度、ただのパージだ」
嘲笑しながら突撃してくる杏子にもアンリは恐怖を見せず、あくまで冷静だった。形作るようにアンリの両腕からもやが伸び――高い金属音が響き渡る。
「んなあっ!?」
「クカカッ」
元通りに『生えてきた』アンリの手に収まる、地面に突き立てられたタルウィによって止められる。確かに切ったはずの両腕がいまだ健在な事に驚愕し、杏子には一瞬の隙ができた。
そこを狙ってアンリは首を刈りに行くものの……
「しまっ――って無い!!」
付け込まれ、首を狙った一撃を引き寄せた槍で大きく弾く。容赦なく首を刈りに来た光景にぞっとするが、先の攻防の結果、まだ自分が有利な事は自明の理。そう感じた杏子だったが
「
「んなぁ!!?」
アンリの全身に奔った模様に、黒い泥が塗りつぶすように出現した瞬間。アンリの纏う空気が一変する。縦に割れた瞳孔と刻印は赤黒く発光し、彼が動くたびに残光を引いて景色を変える。
獣が風下を得たかのごとく、彼の動きはより俊敏に変貌した。
迅すぎる。
最初に杏子が感じた感想がこれだ。拮抗していた先ほどと違い、より獣じみた……いや、予測の出来ない動きになり、彼を捕えるので精一杯になったのである。先ほどまで押していたというのに、その攻防が途端に入れ替わった。
剣線の中。彼の腕は人体的にあり得ない方向へ圧し曲がり、あまつさえは新たな腕が虚空より出現する始末。先ほどからもそうであったのだが、いざ守りに入るとこの上なく厄介な曲芸であると、杏子は思っていた。
何よりアンリ自身がこの戦闘を楽しみ、格段とその手数と重さを増加させてゆく。
左手の『
加速の限度を知らないのか、と突っ込みたくなるほど彼は留まるところを知らない。ジリ貧に持ち込まれてしまっているのだが、何よりもこの実力差が気に入らない。
「クッ、この、ままじゃ……終われないんだよ!!」
焦るあまり、彼女は身を引き絞って己が矢であるかのように飛び出した。疲れを知らない英霊と違い、杏子には疲労が貯まる。打ち付けられる一撃は腕に響き、確実に自身を陥れる。その末にはこの行動。
アンリの瞳に、魔力の発光とはまた違う火が灯ったのが見えたが、もう遅い。
「クッ……!」
ならばせめてと、渾身の力を込めた一撃。杏子は全ての力を込めた突出の砲撃。アンリは英霊としての全能力を込めて刃を振り上げる。
アンリの刃が掬いあげるように翻った暁には――
バギィッ、と武器が砕けた音が路地裏に木霊し、決着はついた。
杏子の槍は刺し伸ばされた形で、アンリの剣は――その曲がった刃が、杏子の首を捕えた形であった。杏子の槍は中ほどから砕け、アンリの体には傷一つ付けられていない。
正に、詰み。
「これでチェックメイトだ。大人しくしろ」
「クッ……アタシも年貢の納め時ってか?」
忌々しげに首の刃を見つめた彼女。だが、彼の返答は意外なもので――
「ああ? 何言ってやがる」
「アタシが居るから取り分が減っちまう。だから殺そうとしてんだろう?そんくらいは分かって――」
「違うっつの。そりゃあさっきは楽しかったが、んな面倒なことはやらねぇよ」
「はぁ?じゃあコレは一体何だってんだ!」
「丁度いい、このまま聞いてくれや。チョイと長い話にはなるがな――」
彼女には簡潔に話した。ソウルジェムの真実と……もう一つ、協力を呼びかけたのだ。『ワルプルギスの夜』の討伐依頼を。
「ふぅーん? ソウルジェムが濁りきったら魔女にねぇ…そんなの浄化し続ければいいだけの話じゃないか。んなゾンビみたいな体っては気に食わないけどさ」
首に刃を突き付けられながら話を聞いた杏子は、素っ気なく反応を返した。
浄化し続ければいい、という言も、目の前にいる男がいれば無理な話ではないがゆえに。
「あーあつまんねえ。もうちょっとリアクションはねえのかよ? こう、なん……だと? とかよ」
「この状態でそんなことしたら、頭と胴がオサラバしちまうだろうが。阿呆かテメェ」
「あ~そうだな。で? でっけえ魔女の方のご返事はどうだ」
そう聞き、アンリは首から剣を離し、霧散させる。
杏子は自由になった体をコキコキと鳴らし、答を返した。
「ったく。……しょーがねぇ、乗ってやるよ」
その代わり、と杏子は意地の悪い笑顔を作る。多少いやな予感がよぎっても、ここで返さなければ話は進まないと思ったアンリは、彼女に何を思ったのかを聞き返した。
すると、彼女の提案は――
「これからしばらく、お前んとこに世話になるし、穢れの回復役になって貰う」
「アァ!? オイオイ何の冗談だよ」
「対価としては安いもんだろ? アタシは残念ながら根無し草の身でねぇ。それとも、アンタはこんなか弱い乙女を危険な夜の街に放り出す趣味でも持ってんのかい?」
「乙女ってオマエ、それこそ冗談――」
言い終えないうちに、アンリの腹からは鈍い音が響く。
見れば、先の戦闘よりもいい動きで彼の腹に一撃を放った杏子の拳がめり込んでいた。それはもう、深く深く。
「ッヅ、グ……!」
「え? なんだって? もう一回言ってくれるか?」
「お、乙女であります……ハイ」
「ふふん。そんじゃ宜しくな?」
いまだ腹を押さえているアンリに杏子はイイ笑顔を向ける。顔をひきつらせ、何とか手で返事をしたアンリはそのまま巴宅まで連れていくのであった。
いつの時代も女性は強い。後にアンリはそう語ったという。
「『解』・『伝』っと」
「ん? 何やってんだ」
結局、マミの家までゆっくりと歩いている二人。その途中でアンリが何かを解除し、再び何かを飛ばしたのを見た杏子は尋ねる。泥が指の先から出ていく光景は、意外とエグイものであったが。
それはともかく、そのことかと返したアンリは、続けて言った。
「何、お前に協力を取り付けれたってのを、ちょいと伝言にな」
「なんだ、アタシ以外にも居るのかい?」
「まあな。オレもソイツから誘われたクチだ」
ふーん? と彼女は興味なさげに言い捨てる。
両手を組んで後ろに回すと、彼女は先の会話を思い出した。
「しっかし、ソウルジェムが本体で、この体は強化された遠隔操作の抜け殻みたいなもんだって? にわかに信じがたいもんだねぇ」
確かめるように後ろに回した手を握り、開くが、長年慣れ親しんできた自分の体には変わりない。契約時もそのような兆候は一切感じられなかった故に、気にはしているのだろう。
そんな彼女に、苦笑したアンリは冗談交じりに提案を持ちかけた。
「なら、試すか? ソウルジェムを大体100メートルぐらい離すと肉体の機能が停止すると言ってたが……」
「流石にやめとくよ。そこまで確信持っちまったら、もう引き返せない気がするしさ」
「そうかい。そりゃ残念」
「おい、どういう意味だよ?」
「さあなぁ? クカカッ」
あの激しい戦闘で刃を交えた雰囲気はどこへやら。とはいえども刃を交えた者同士、なにかが心に伝わったのだろうか、すっかり仲が良くなっているのだった。
……他人同士の衝突があり、互いにその身をすり減らして初めて、人間は相手の歯車と噛み合うのかもしれない。それは、人が生きていく中で一度は通る道だろう。今の彼らには、その表現が合っているのだから。
そしてこの後。
杏子を連れて家に着いた時にもひと騒動が起こるのだが、それはまたの話。
残る期限は2週間。その日に最大の運命が覆され、幸せを得られるのかどうかは、まだ決まった訳ではない。
だからこそ、この先を知る時の少女と悪の青年は奔走するのだ。
たとえその身を、犠牲にしても。
アンリ君が悪人化していく……いや、悪神だから良いのかもしれないけど。
えっと、言い忘れてましたが、ここの主人公そのものに恋愛描写はありません。
とりあえず恋愛要素はさやかちゃんと恭介君に任せておいて、主人公は駆け回り、いつでもニタニタ笑う派ですから。
では、今回10000字オーバーということもあって、お疲れさまでした。