私にはティファニアという可愛い妹分がいる。
あの子は王弟であるモード大公の一人娘という止ん事無き立場でありながら、同時に王弟であってもその存在を隠さなければならない特殊な境遇を負っている。
始祖ブリミルを信仰対象に掲げているブリミル教において、その直系の子孫である王家の血筋というものは何より尊いものとされている。
でもティファニアの体には、ブリミル教において最も忌むべき敵対者の血も同時に流れてしまっている。
それはエルフの血だ。
私達は小さい頃からエルフを凶悪で恐ろしい存在として教えられる。
「そんな悪い子はエルフに食べられちゃいますよ」といった感じだ。
そうやって幼心に恐怖心を刷り込まれ、成長して歴史を学ぶようになると、その恐怖に肉付けがされる。
聖地を奪還するための聖戦だ。
始祖ブリミルがこの地に降臨した際に最初に足を着けたとされる地をブリミル教では聖地と呼んでいるけれど、ブリミルの手を離れて以降、6000年に渡ってその地はエルフの支配下に置かれている。
そのため過去何度となく聖地奪還を謳った聖戦が繰り返し行われたが、しかしその悉くは失敗に終わっている。
ブリミル教にとってエルフは天敵と言っていい。
とは言っても、幸いにもここ数百年はこの手の遠征は行われていない。
有り体に言ってしまうと、人類は懲りたのだ。
精霊の力を行使するエルフと、意志の力によって魔法を使う人間では、その戦力差に圧倒的な開きがあり、10倍のメイジを用意しなければ歯が立たないと言われている。
それだけの人、食糧、資金をつぎ込んで何とかエルフを退けたとしても手に入るのが見渡す限りの砂漠ではやる気もなくなるというもの。
ハイリスクノーリターンではお話にならない。
聖地のある砂漠に隣接している地方の人にしてみれば切実なものがあるのかもしれないけれど、浮遊大陸で生まれ育った私にしてみればエルフはおとぎ話の中の存在であり、怖いという意味において幽霊と差がない。
だから大公に初めてティファニアと引き合わされた時も驚きはしても現実感はなく、実際に話してみればその心の根の優しさに惹かれ、気付けば大好きになってしまっていた。
それから私はティファニアを妹として扱うようになり、ティファニアも私を「姉さん」と呼んで慕ってくれるようになった。
しかしエルフの尖った耳は人々にとって恐怖の対象である事に代わりはなく、ブリミル教にしてみれば迫害の対象だ。
もしバレてしまえば、異端者審問にかけられて死刑になるのは確実。
だから私達は、大公家とサウスゴータ家の中で特に信用のおけるごく限られた人数だけで情報を共有して、ティファニアと母親であるシャジャルさんを全力で隠す事で協力している。
それは上手くいっていると思っていた。
そう、あのダンスの時までは……。
「モード大公のご息女について調べがついています」
その言葉を耳元で囁かれた瞬間、あまりの衝撃に自分が何処で何をしている最中なのかを完全に忘れて、あやうく披露宴を台無しにしてしまう所だった。
それを思い出すと原因である彼に対してふつふつと怒りが湧き上がってくるけど、同時に私の失態を誤魔化してくれたのも彼なので単純に責める事も出来ず、これに関しては胸中複雑なものがある。
6歳年下の11歳の少年、カミル・ド・アルテシウム。
年齢にしては落ち着いていて、貴族らしいリップサービスも様になっている事から将来プレイボーイになる素質が垣間見えるけど、初めてというのも本当だったみたいで所々で緊張しているぎこちなさが伝わってきたのが初々しくて可愛いと思ってしまった。
まぁ直後の爆弾発言でそんなものは吹き飛んでしまったのだけれど……。
後から周りに少し聞いて回った所、あの年で既にラインメイジの実力らしく、父親について回って領地運営にも手を出している将来有望な次期当主らしい。
でもいくらなんでもまだ何の権限もない彼が独力でティファニアの事を調べ上げられたとは考えにくいから最低でも彼の親は関与していると思う。
もしかしたら他にも協力している貴族がいるかもしれない。
そうすると彼を抱き込んだり、口をふさぐ事は解決にならない。
むしろ現状では一応味方らしいスタンスが、こちらのせいで敵対させてしまう事にもなりかねない。
ティファニアの存在は、王宮に報告されなくても噂が流れるだけでもアウトなんだ。
悔しいけどティファニアを守るためには下手に出るしかない。
本当に味方なのかどうかは今考えても答えがでないけれど、何かしらの下心があって接触してきたのは確かなのだから交渉次第では丸く収められる可能性もある。
しかも密偵や当主同士ではなく子供同士で接触をはかってきた事に、事を穏便に進めたい意図を感じられなくもない。
そうすると、相手は何を求めてくるだろう。
短絡的な所ではお金だけど、やり方がまどろっこしい気がする。
大公というアルビオンでの後ろ盾を欲している?
考えられなくはないけど、それなら婚姻関係を結んだオックスフォード家を挟まないのは不自然に思える。
それ以外だと…………え、まさか、わ、私って事はない?
あのダンスホールでの危険なやり取りは、良し悪しは抜きにして見れば、私に一生忘れられないくらいの強力な彼の第一印象を刻みつけた。
そしてこの後は、夜の密室で二人きりで密談。
秘密を共有する形で自然に私の懐に入り込んで、味方をする事で距離を縮めてくる。
最終的には関係を強化するという建て前で結婚、なんて事に……。
ま、まさかね、6歳も離れてるし、今回が初対面だし、お互い跡取りだし……。
で、でも、う、うん、ティファニアを守るためなら仕方のない事よね。
ないとは思うけど、万が一って事もなきにしもあらずだし、お姉ちゃんとしては妹のためにどんな風にも身を振れるように覚悟くらいは決めておかないと。
カミル君か……まだまだ背伸びしてる感があってちょっと可愛かったかも。
優秀みたいだし、成長が楽しみ……って、何考えてるのよ、私っ!?
まだそうと決まったわけじゃないんだから先走り過ぎだわ。
こほん、ここは一つお茶でも飲んで落ち着きましょう。
はぁ、何だか違った意味で緊張しちゃいそうだわ。
もうお姉さんをこんなに困らせるなんて悪い子なんだから。
ふふ、お仕置きが必要かしらね。
◇◇◇◇◇
周りに誰の目もない事を確認してから一定のリズムでノックを3回。
間を置かず、すぐに返事が来ます。
「こんな遅くにどなたかしら」
「夜分に失礼します。先程ダンスのお相手を務めさせていただいた者です。お許しいただけるならもう少しお話をさせていただきたく思い、恥を忍んで押し掛けてしまいました」
「積極的なんですね。でも私ももう少しお話したいと思ってました」
扉がゆっくりと開き、逆光の中でシルエットが浮かび上がります。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
部屋に入り、扉を後ろ手に閉めます。
次いで杖を引き抜き、密談をする際のお決まり魔法セット、ロック、ディテクトマジック、サイレントを続けてかけていきます。
これから話す内容を考えれば当然の処置。
彼女もそう考えているのでしょう。
特にこれといった反応は示さず、好きにさせてくれます。
「それでは改めて。Miss.サウスゴータ、夜分にレディの私室に押し掛けて申し訳ありません。なにぶん話す内容が内容だけに周囲を憚る必要がありましたのでご容赦ください」
「構いません。それにその配慮はこちら側のためなのですから、むしろお礼を言わせてください」
「それではお互い様という事で」
「はい」
挨拶が済むと「今お茶を入れるのでちょっと待っていてくださいね」と言って彼女は席を外します。
貴族の子女に手ずからお茶を振る舞われるなんて貴重な体験ですね。
そんな風に思いながら一口。
「美味しいです」
「お口に合って良かった」
「よく自分で入れたりされるんですか」
「必要にかられてですけど。あの子の部屋にメイドを呼ぶわけにもいきませんし」
「そうですね」
部屋に来るまではどう話を切り出そうか考えていましたが、この自然な流れに乗ってしまいましょう。
「色々聞きたい事もあると思いますが、まずは説明させていただいてよろしいですか」
「はい」
彼女は姿勢を正し、正面から私の視線を受け止める。
「事の発端は、姉のジュリアがアルビオンへ嫁ぐ事を決めた事でした。お恥ずかしながら私は年の離れた優しくて気さくな姉が大好きでして、それゆえに心配でなりませんでした。ただし心配と言っても、嫁ぎ先で上手くいくかではありません。地繋ぎでない空に浮かぶ大陸、アルビオンという異国の統治について、内乱となる危険はないか心配したのです。ハルケギニア最強の空軍を擁する空に浮かぶアルビオンは、外敵から見れば難攻不落を地で行きますからね。まず心配するのは内乱というわけです。とは言っても私個人ではどうする事も出来ないので、そこはある有力貴族に交換条件を持ち掛ける事でお願いをしました。そして位の高い貴族や重職に就いている貴族から身辺調査を行っていきました。その結果」
「あの子の事が引っかかったと」
「はい」
彼女にとっていかに今回の事が重大な問題かという事が、場に落ちた重たい沈黙から伺い知れます。
その強張った面持ちを見るに、つい「そう悲観しないでください」と慰めてしまいますが、上辺だけの言葉では納得されるはずもないので根拠を挙げていきます。
「まず私達はアルビオンでの騒動を望んでいません。姉はもう嫁いでしまっているのですから、その姉がいかに平穏に過ごせるかが私達の最重要案件なのです」
あの子を大切にしている彼女なら分かってくれると思います。
「次に、まだ私達はモード大公のご息女について全てを把握したわけではありません。不自然な物や人の流れから幽閉に近い形で母親と娘らしき存在を囲っている事くらいしか調べはついていません」
「えっ……そ、それだけ」
「まぁ親子が亜人、多分エルフであろうとは推測がついていますが」
「な、なにを根拠に」
ワザとではないのですが、上げて落としたせいで狼狽が酷いですね。
「あの徹底した隠し方から王弟である大公でもその存在が明るみに出た場合、守りきる自信がないという事が分かります。それで平民や非合法な人身売買、要は奴隷ですが、その手の類は除外できます。王弟を正面から罰する事が出来る存在なんて限られています。つまりブリミル教絡みが有力となりますから亜人が候補に上がり、亜人の生態系の特徴から絞り込むとエルフの線が濃厚というわけです」
実は吸血鬼とどっこいどっこいの確率だという事はあえて説明しません。
面倒くさいですからね。
「はは、凄いのね」
その乾いた笑いは、誤魔化す事は無駄だと観念したという事でいいですか。
「えぇと、話が逸れてしまいましたね。要するに私達は姉の平穏、ひいてはアルビオンの平穏を求めています。これには当然貴女達の平穏も含まれています。王弟を異端者審問、または内密に粛正なんて悪夢でしかありません。なので、私達と貴女達は協力できると思っているのですが、どうですか」
「貴方達は匿っているのがエルフだと分かっていて、その、怖くないんですか」
ブリミル教に支配されたハルケギニアでは当然の質問ですね。
「私は別に。友達に水の精霊様とエコーという人語を解するイタチみたいな亜人がいますからね」
「は?」
「エコー、イズナって名前なんですが、イズナさんはお留守番をしてもらっているので無理ですが、水の精霊様ならすぐ会えますけど、会ってみますか」
「え、えぇ、じゃあお願いします」
「ミツハさん」
腕を横に振るい名前を呼ぶと、腕輪の水石が光り、人型サイズのミツハさんが現れます。
「呼んだか、カミル」
「はい、彼女に友達であるミツハさんを紹介させてもらいたくて」
「そうか。単なる者よ、我とカミルは友誼を結んでいる。敵対しようとは思わない事だ」
「は、はい」
「ミツハさん、嬉しいですけど、彼女は心配しなくても大丈夫ですよ」
「む、そうか、すまなかったな単なる者よ」
「い、いえ、大丈夫です。気にしてません」
ミツハさんには、それから二三言葉を交わしてから戻ってもらいました。
「というわけで、ミツハさんと友達の私にしてみればエルフなんてちょっと耳の尖った人と大差ありません」
「な、納得したわ」
精神の乱高下で、表情がお疲れモードに入ってますよ?
でも良い感じに吹っ切れたみたいですね。
「さっきの質問に対する答え」
「はい」
「あの子が安全に過ごせるならどんな協力でもします」
「ありがとうございます。大公に穏便に接触する方法が貴女しかありませんでしたから助かりますよ。無茶はしたくありませんからね」
「聞くのが怖い気もしますけど、その無茶は例えばどんな」
「雨の日にミツハさんに大公邸ごと囲ってもらって逃げ場をなくし、大公とエルフ親子以外の意識を奪ってから直接交渉ですね」
「ははは……」
しないで済んで本当に良かったです。
「それでは、とりあえず貴女にお願いする事は2つ。大公への取り次ぎと、私のアルビオン滞在を延ばすための理由になってもらいます」
「取り次ぎについては明日早々にフクロウ便を飛ばしておきます。貴方については……そうですね、披露宴でお互いに関心を持ち、その後に、つまり今ですね、部屋を訪ね意気投合。私から我が家への逗留をお誘いしたというのでどうでしょう」
「ありがとうございます。それで構いません。両親には明日その話をしておきますから、案内を寄越してもらえますか」
「はい、任せてください」
そんな感じで話は上手くまとまっていった…………はずだったんですけど。
すれていないマチルダさんに妄想モードを追加してみました。
勢いでやった。
後悔も反省もしている。
姉妹丼は駄目ですかね。