「おっちゃん、やっぱりここのラーメンは最高だってばね」
店の外まで響いてくるその声に、自然とほほがゆるむ。
「やった! ハバネロきてた!」
声も出てしまう。
「ヒノキは好きだもんね。ハバネロ」
「ははは」
なんて声を背に、勢いよく店に入る。
「らっしゃい。好きな席へ座りな」
「うん」
おっちゃんが言うと同じくらいのタイミングで店内を見回す。
目的の人物を見つけ、そこへと歩を進める。
「こんばんは、ハバネロ。今日も元気そうだね」
男勝りな勢いでめんを口に詰め込んでいく女性、ハバネロに話しかける。
返事を待つ間にも隣のイスに座る。
「んっく、ちょっとヒノキ、はぐ、はぐ。その名で呼ぶなって言ったでしょう」
「落としてるよ。食べながらしゃべるから」
ムスッとした顔のハバネロに、笑顔で教えてあげる。
ハバネロは黙って手元のおてふきを手に取り、飛び散ったダシをサッとふきとった。
それから自身の口の周りも丁寧にふくと、無理して作ったような笑顔を浮かべ、語りかけてくる。
「もう前みたいなケンカはやってないの。いつまでも昔のことをグチグチ言っているとモテないわよ」
「でも、5日前に山中さんの花屋の前でケンカしていたよね」
「……それは、その。って、なんであんたが知ってんのよ!」
すぐムキになるからおもしろい。
知っている理由は霊化の術を使って覗いていたからなんだけど、もちろんそのことは教えない。
「秘密。忍びだしね」
ふふっ、と笑いながら言ってみる。
ハバネロはさらにいら立っていく。やっぱりおもしろい。
「ヒノキ、お前は何にする?」
と、ここで母さんがハバネロとは反対側の隣に座りながら言ってきた。
ハバネロは「あっ、綱手さんシズネちゃん、こんばんは」なんて言っている。
僕はそのハバネロが食べているものをチラと見る。塩ラーメンだ。
「塩ラーメンで」
「分かった。塩ラーメンだな」
母さんやシズネさんは何を注文するのかな。
「ヒノキ。それって私のマネよね。もしかして、私のこと好きなの?」
と、後ろから話しかけられた。
振り返ると、赤髪の美しい女性が、いたずらっぽい笑みを浮かべてこちらを見ている。
「えーっと、いろんな意味で好き、みたいな」
意識してしまうと、ちょっと恥ずかしい。
すごくきれいだから。ハバネロのクセに。
「何よそれ」
ハバネロは顔をしかめる。
少し助かったと思いながら、僕は「ははは」と笑う。
「ハバネロはどんな男の人が好きなの?」
お返しにと、今度はこちらが際どい質問をぶつけてやる。
「ええっ、それは」
ちょっと困ったふうなハバネロ。
こういう顔を見るのもおもしろい。
「それは私も興味があるな」
「えっ、綱手さんまで」
母さん、ナイスアシストだ。
木の葉には先輩の権力というものが存在したりする。
これで逃げ道はなくなったはずだ。
「そうですね。どこかの誰かさんみたいな、口だけ達者な人は、好きになれないかな」
こちらに視線を向け、にやりと笑いながら言ってきた。
しかし、それは大きな勘違いだ。
「僕はこれでも、学校で自分を高く言ったことはないよ。忍んでるからね」
と言ってから、確認を取るように母さんの方を見る。
「私もそう聞いている」
母さんは目をつぶってうなずいた。
どんなもんだ。
ハバネロは意外そうな顔をして「そうなんですか」なんて言っている。
「でも、それはそれで問題ありかな」
が、再びにやりと笑ってくる。
今度は僕が顔をしかめて「どうして?」と尋ねる。
「男の子なんだから、もっとでっかく、夢を持ってくれないと」
ハバネロはぱあっと明るくなって、笑顔でそう言った。
うっ、と僕は胸を詰まらされる。
光ではないけど、まぶしい笑顔だ。
「でっかくって、例えば?」
なんとか言葉をしぼり出して、尋ねてみる。
「ほら、火影とかさ」
その瞬間、先ほどとは別の意味で固まってしまう。その言葉はうちでは禁句だ。お父さんもおじさんも、それを目指したばっかりに死んでしまったらしいから。
チラと母さんを見やる。黙って水を飲んでいる。
もう一度ハバネロへと振り返る。期待いっぱいの、やさしい笑顔でこちらを見ている。
「えーっと、好きな人を守るとかが目標じゃ、ダメかな?」
無意識にそんな言葉が出ていた。
ちょっとはずかしい。思わずうつむいてしまう。
だけど気になるから、目だけ上に向けてハバネロの方を見てみる。
彼女はキョトンとしていた。初めて見る表情だった。
それから、よりいっそうやさしい表情になって、僕の顔を覗き込むように、笑みを浮かべながら顔を寄せてきた。
「うん、合格!」
その声と同時に、バンと背中を叩かれる。
思わず前のめりに倒れそうになる。
だけど、嫌な気はしない。どころか、けっこううれしい。自然とほほがゆるむ。
彼女は「ははは」なんてきれいな顔で笑っている。
「ハバネロも、守ってあげる」
と、恥ずかしいけど言ってみる。
「うん、ありがとう」
笑顔でそう言ってくれた。よかった。
ホッとしていると、ハバネロが笑顔のまま手招きしている。
なんだろう。
僕は少し腰を浮かせて顔を近づける。
その瞬間だった。
ハバネロが腕を真っ直ぐ伸ばしたかと思うと、僕の方へと倒れてきて、後頭部に腕のやわらかい感触があったかと思うと、さらに目の前の胸が近づいてきた。
胸はいつまでも近づき、やがて僕の顔に触れる。
顔は腕によってさらに押し込まれる。健康的な胸が、強く押し付けられる。
母さんのと似ているけど、少しだけ違う気持ちよさ。
僕はそれを味わった。
「もう。この、かわいいやつめ。お前なんかに守ってもらわなくても、私はやっていけるってばね」
と言いつつも、やはり元気に押し付けてくる。
「そのセリフはな。私も何度か聞いたんだ。ヒノキの殺し文句みたいなもんだな」
「ああ。そう言えば私も聞きました」
ふふっと笑う母さんとシズネさん。
こんなタイミングで言わなくてもいいのに。恥ずかしい。
いや、その前の時点でもかなり恥ずかしかったけどさ。
「ええっ。そうなんですか? まったく、ませた男の子ですね」
とそこで、2人のセリフを聞いた彼女に離されてしまった。
恥ずかしいのはましになったけど、ちょっと残念。