愛は世界を救う ~※ただし手の届く範囲に限る ~   作:とり

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明日も続けて更新予定。
話が少し重複気味かなぁと反省。そのうち以前の話を改稿するかも。


原風景・後

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奇怪な力には矢張り奇怪な宿業があるのだな、と小次郎は目を細める。

嗣郎が振るっていた無数の剣。それが今嗣郎の肉を喰い破っているのだから。

 

 

奴はやっぱり英雄だ、悪い意味でもな、とクーフーリンは呆れたように顔をしかめる。

力を得るには相応の苦行と代償が必要なのだと、戦いに生きた大英雄は知っている。

 

 

なんだか親近感が涌きますね、とメデューサは哀れむように笑う。

姉達を護るために身を削り、怪物に堕ちた己の生き様を思い起こした。

 

 

それぞれの思いを抱く英霊達を置いて、少女達の悔恨が続く。

 

 

......................................................

 

 

 

 

 

甘かった。甘く見ていた。

知りもしないのに知った風に、弟の努力を分かったつもりでいた。

 

全然、分かってなんていなかった。

 

 

弟は強かった。

私よりも年下で、それも魔術を学び始めて二年程度の時点でさえ、戦闘に特化したアインツベルンのホムンクルスを辛うじてでも薙ぎ払える程に。

あれから三年経った今では衰えたとはいえ教会の元代行者と渡り合える程に。

 

そんな力が、何の代償も無く手に入るなんて、あるわけがないのに。

 

 

 

「どうしよう、治す、治すからっ」

 

今も蠢いて弟の肉を裂き続ける剣の群れ。

理由も状況も理解できなくても、とにかく血塗れの弟を治療しようとして。

 

「っ……!」

 

新たに弟の肉を貫いて()()()剣先に、伸ばした手のひらを切られる。

 

「だめだ、イリねぇ、あぶないから、はなれ、て」

 

弟は優しく笑う。力なく笑う。

わずかに歪む表情が、弟が隠そうとしている苦痛を知らせる。

 

「ああ、ごめん、きずつけた。イリねぇのきれいなてが。ごめん、ごめんな」

 

身体中が穴だらけの弟が、わずかに手のひらを斬られただけの私を気遣い謝る。

なんだ、これは。

 

「なんで、なんでっ……!」

 

なんで、こんなことが。

 

「だい、じょうぶ、これは、ただの、しっぱいだよ。これまでも、あった。たいしたことじゃ、なジっ」

 

喋る弟の口の中から、頬を切り裂いて刃が生えた。

大したことじゃ、ない?

これまでもあったから?

これまでも、私の知らないところで、こんなことになっていたのか────!

 

「この、ばかっ……っ、いい、しゃべらないで、治すからっ」

 

口に剣を生やしながらもどうにか言葉を続けようとする弟を、

私を離れさせようとする弟を無視して、弟に触れる。

触れた手のひらが、生えた刃に貫かれる。

 

「っぁ……っ!」

 

それでも治癒の魔術をかけて。

 

失敗に気付く。

 

 

「っ……!」

「あ……」

 

私の魔術で、弟の表情がはっきりと苦悶に歪む。

 

 

当たり前だ、身体中に剣が生えて蠢いている。

治そうとすれば。傷を塞ごうとすれば。

閉じようとする皮膚が肉が、生えている刃に再び切り裂かれるのは当然のこと。

それは弟からすれば、全身の傷口を同時に切り開かれるのと同じこと。

 

「あぁ、ぁぁ……」

 

考えなしで、ただ治さなくちゃと思って、

弟の全身を切り裂いたのだ。

 

 

 

「シロウ、シロウ、ごめ、ごめんなさい、わたし…っ」

 

どうしようもない。私にはどうにもできない。

治療は少しばかり得意だと調子に乗って、────肝心なときに、こんな。

 

ただ揺れ乱れることしかできない私の手を、弟がとる。

動くたびに刃に傷を開かれながら、優しく。

 

「だか、ら、だい、じょうぶ、だっ、て。まってて、その、うち、おさまる……」

 

優しくて、いつも通りで、でも刃を生やした歪な笑顔。

 

安心することなんてできない。

気にしないことなんてできない。

 

その笑顔は、私の心をどうしようもなく切り裂く────

 

 

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おねえちゃんがおにいちゃんを治そうとする。

でもおにいちゃんはなおせなくて、おねえちゃんは泣いちゃって。

 

「おにい、ちゃん……」

 

わたしはおにいちゃんにさわれない。

さっき、おにいちゃんの手をにぎろうとしたけれど、ケンが出て。

いたくて、こわくて。

 

おにいちゃんにさわれない。

 

 

「さくら、ごめん、ごめんな。そう、はなれるんだ。きちゃ、だめだ」

 

おにいちゃんは笑う。

いつもみたいに。

わたしはこれでいいんだって。

 

「やだ、やぁ……」

 

いやだよ、こんなの。

おねえちゃんはおにいちゃんからはなれない。

おにいちゃんがはなそうとするのにはなれない。

わたしだって、そうしたい。

 

「やだぁ……」

 

でも、でも。

 

いたいよ。こわいよ。ケンがこわいよ。

 

それに、それに。

 

 

「ごめんなさい……っ」

 

ケンだらけの、おにいちゃんが、こわいよ。

 

 

大好きなのに。

いっしょにいたいのに。

おにいちゃんが、こわいよ。

 

 

 

ヒトじゃないみたいな、おにいちゃんが、こわいよ────

 

 

 

 

「さく、ら」

 

大好きなおにいちゃんが、わらう。

 

「さくら、は、なにも、わるくない」

 

こわれたおにいちゃんが、わらう。

 

「おれが、わるいんだ。ぜん、ぶ。おれが」

 

ちかづけないおにいちゃんが、わらう。

 

「だから、さくら、も。なくな、ってば」

 

やさしいおにいちゃんは、いつもみたいに、わらう。

 

 

 

 

 

「ごめん、なさい……」

 

わたしは、だめだ。

こんなのじゃ、だめ。

 

「ごめん、なさい……」

 

おにいちゃんが、おにいちゃんで、おにいちゃんなのに、

 

「ごめんなさい……っ」

 

こんなわたしは、だめ……!

 

 

 

 

兄の笑顔は。

妹の心も、切り裂いた。

 

 

 

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何もできなかった。失敗した。

 

その後悔は、イリヤスフィールを魔術の鍛錬に駆り立てる。

自分よりもあらゆるもので先を行く弟に、どうにか追いつきたくて。

並び立ちたくて。

 

 

何もできなかった。怖れた。受け入れられなかった。

 

その後悔は、桜を己の壁に挑ませる。

兄の全てを受け入れたくて、兄を愛したくて、兄の力になりたくて。

だめな自分から変わりたくて。

 

 

 

……これはもう過去の話。

 

すでに少女たちが乗り越えた話。

五年という時のなかで、少女たちの血肉となった古い思い出。

 

 

それでもきっと、少女たちの始点の一つだった鮮烈な記憶────

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

落ち着いていく世界。

細くなっていく同調性。

 

 

(…………)

 

 

少女達の根幹を成す追憶の終わりを感じながら、それを見届けた一人の女は黙考する。

 

 

(あの子たちの根源は、分かった)

 

どちらも笑顔と涙が柱となって。

彼女たちのそれぞれの意思が彼女たちを歩かせている。

 

(けれど)

 

少女たちを救い、護り、傷付け、少女達の魂に根付く少年。

 

衛宮嗣郎。

 

(彼は何を考えているのかが、全く分からない)

 

 

少年は優しく、勇敢で、理性的で、献身的。

素晴らしい人間だろう。

理想的な男性像のひとつと言ってもいいかもしれない。

 

そう、まるで、都合の良い英雄(ヒーロー)のようだ。

 

 

 

 

けれど、そこに何かの欠落を感じるのは、気のせいだろうか。

歪で、不気味で、怪しく感じるのは、自分だけだろうか。

 

 

(……穿ちすぎ、かしらね)

 

今、同じ世界を共有しているらしき三騎の英霊。

彼らはどう感じているのだろうかと少し気になる。

……彼らはあまりこだわらなさそうだ、となんとなく思った。

 

 

(……私が気にしすぎかしら)

 

なにせ自分は、少年に一度求愛されている。

女として、自分に求愛する男のことを気にしてしまうのも仕方がないことだろう。

まぁ、彼は求愛行動を自制していてこの先はないだろうし、自分が彼の求愛に応えることもないだろうけれど。

 

(顔に釣られる男に、興味ないもの。ごめんなさいね)

 

関係を悪くしないために面と向かって言うことはないだろう断りを、誰にも向けず思う。

 

嗣郎が何を考えているのかは分からないが、嗣郎が自分の顔に惚れたことは間違いないのだ。

それだけですでに自分の恋愛対象外である。

 

 

 

(まぁ、そのこともまだ納得できていないけれど……あら)

 

あの少年が面食いということに違和感しか覚えないのがすっきりしない、と考えていると、とある気配に気付く。

 

姉妹二人の気配が薄くなった契約ライン。

特定の強い同調がなくなったことで、契約している者たちの気配を感じやすくなった。

 

元々暗示や精神操作を得手とする女にとって、無防備な夢の世界などバイキング形式の昼食並に気軽に動ける場所でもある。

 

 

共に夢に引きずり込まれた三騎の気配は未だにあり。

 

そして、問題の少年の世界につながる道筋も見えた。

 

 

 

(……どうしようかしら)

 

きっと、見ようとすれば見られるだろう。

彼の記憶を。彼の心を。

 

彼は現状で完全に無防備であるし、さらに彼は起源の特性か、暗示や呪法に絶望的なまでに耐性がないという。

女にとって彼の心を開くことくらい本当に造作もない。

 

 

とはいえ人の心を許可なく覗くなど、悪趣味と謗られても否定出来まい。

姉妹の大切な記憶を覗いた身で何を言うかという話だが、あれは記憶の逆流という不可抗力なのだし。

 

逆流などしていない主の記憶を、わざわざ覗き見るなど、真に悪趣味。

 

悪趣味、なのだが……

 

 

 

(…………正直に言えば、見たい)

 

気になる。気になるのだ。

 

少年は不気味で、信用し難いけれど。

 

理解できないからこそ、理解につながる機会があるのなら。

 

 

 

(あ)

 

気付けば、少年の世界の気配が近付いていた。

少し意識を向けただけでこちらに引っ張られたらしい。

まさに造作も無い。無さすぎる。

これは精神防壁を用意してやる必要がある、と考えながら。

 

(ま、いいわよね。私もともと悪趣味ですもの。知られて態度が変わるのならそれでもいいのだし)

 

少年の世界に、触れる。

 

 

 

開かれた世界で、原初にあるのは──────

 

 

 

 

 

(……なによ、これ)

 

 

 

 

 

 

 

────── 涙を流す、黒い太陽。

 

 

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

 

「大丈夫よ、士郎。怖くないからね」

 

 

『母さん』がおれを抱きながら泣き笑う。

 

二度目の両親というものをうまく受け入れられなくて、どこか余所余所しく接してしまった、おれの罪悪。

『両親』の名前も記憶にないなんていうふざけたことがまかり通っているくらいに、かみ合えなかった。

 

 

「大丈夫、大丈夫だからね」

 

 

そんな可愛くない子供にも、ひたすら優しく愛を注いでくれていた母は、泣いている。

ここは家のリビングで、寝室は瓦礫に潰されていて、一緒に寝室にいたはずの『父』の姿はなくて。

おれが寝ていた間に、知りたくもないことが起きたのだと、察せてしまう。

 

 

「士郎はお母さんが守るから。士郎は死なせたりなんかしないから……」

 

 

もう家そのものが、炎に包まれている。

母は家中から水を集めて、おれにかぶせて、自分でもかぶって。

父のジャンパーでおれを包んで。

 

 

「大丈夫、怖くないからね」

 

 

胸に抱いたおれに笑いかけながら、玄関までの道を遮る炎に、身を投じた。

 

 

 

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

 

言葉にならない嗚咽をあげながら、見知っているはずの道を歩く。

耳には母の優しい声が焼き付いて、

鼻には母が焼ける臭いがこびりついて、

目にはそれでも笑いかけてくる母の姿が刻み込まれて。

 

逃げなさい、と。母が言ったままに。

おれは歩く。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

町はどこもかしこも燃えていて、潰れていて。

知っているはずの町並みは、もう記憶の中にしかなくて。

最初からこうだったんじゃないかというくらい、絶望的な存在感をもっておれの周りにある。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

目の前で、商店が崩れた。

友だちのひとりの、やんちゃな男の子の家だ。

声がした。

だから、ふらふらと、近付いた。

目にすることができたのは、ぐちゃぐちゃにツブれた赤黒いナニカと、見覚えがあるような気がする小さな子供の手だった。

 

ああ、おれはただ、終わったモノを見ることしかできない────

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

ふらふらと。ゆらゆらと。

 

圧し掛かる凄惨な光景を、うつろな足取りで進む。

 

 

 

まってくれ、と。

瓦礫の山の一つから声。

 

言葉は返せない。

ただ、呻いて振り返る。

 

瓦礫に足を潰された男。

その胸に泣く子供を抱いている。

おれを抱いていた母のように。

 

この子を、この子をたのむ……。

血を失い過ぎたのだろう、青白い顔で、それでも目をぎらつかせながら、おれにすがる。

男が守っていたのは友だちの女の子。

この間一緒にお風呂に入ったなあと、回らない頭で考える。

女の子は泣いている。

父らしき男にすがっている。

おれに手をひかれ、父に背を押され、おれと一緒に歩き出す。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

子供の足で、地獄はなかなか抜け出せない。

 

女の子は泣いている。

おれも人のことは言えない。顔はぐちゃぐちゃだし、ずっと呻いている。

それでも、歩いている。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

女の子の足が止まった。

だめだ、おれの母さんが、お前のお父さんが、生かそうとしたんだ。

歩き続けなくちゃ。

 

そう言って女の子の手を引きながら振り返り。

 

「しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねさいしょのつみはけぷっ」

 

機械のように呪いを口から吐き出して、ぐるんと白目を剥いて、口から血を溢れさせて。

 

女の子は死んだ。

 

 

 

 

 

ああ、ああ──────────

 

 

 

おれは守れなかった。生かせなかった。

 

守れなかったよ。生かせなかったよ。

 

死なせてしまった。

 

殺してしまった。

 

潰してしまった。

 

おれは、託されたのに────

 

 

 

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

みんな、必死に生きようとしていた。

必死に生かそうとしていた。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

みんなすごいのに。

命を掛けて守って、生かして。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

それなのに、それなのに、おれは。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

みんな命を掛けて為しているのに、

おれは何も出来なくて、それどころか無に帰させてしまって……──

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

ああ、ああ、おれは、おれは……

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

ぼろぼろと、何かが崩れていく。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

おれの中に染み込んでいるナニカが、おれのなにかを崩していく。

 

 

呻き声が聞こえる。

 

 

ああ、ああ、それでいい、それでもいい……

 

 

呻き声が、聞こえる。

 

 

こんな無能は、こんな罪悪は、崩れてしまえ。

おれなんてものは、ぼろぼろにくずれてしまえばいい……────

 

 

 

 

嗚咽が、聞こえた。

 

 

 

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

嗣郎が後の養父に抱き上げられ、神秘の塊を埋め込まれるまで、その記憶は続いた。

 

 

嗣郎の『罪』を。

 

嗣郎が『罪』と定めるものを前にして。

 

神代の魔術師は理解する。

 

 

 

(……自責と汚染の相乗で失われたモノ)

 

己を己と定めるもの。

我欲。私欲。熱意。自我。

それが喪われ。

 

(崇敬と神秘の相乗で助長されたモノ)

 

他者を敬うこと。

尊敬。肯定。希望。愛。

それが増幅した。

 

 

 

献身利他。

 

衛宮嗣郎の行動原理たるそれは、結局のところ……贖罪。

何もできなかったことへの、託されたものを無に帰してしまったことへの、生涯を掛けた贖い。

 

罪を被る道理などないだろうに、彼はそれを己の根底に据えている。

 

 

(……なんて、馬鹿な子……)

 

 

ある面で、愚直に過ぎるその在り様。

 

それを見て魔術師が抱くものは、憐れみか、嘆きか。

 

 

 

 

 

 

 

『 ──── “身体は剣で出来ている” 』

 

 

 

そして、愚直な少年の哀しい世界は、まだ続く。

 

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

力が欲しかった。

 

誰かを守れる、誰かを救える力が。

 

 

力が欲しかった。

 

誰かが託したものを守れる、何かを貫ける力が。

 

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

 

 

全身の筋肉が密集する刃と化し、耳障りにギシギシと擦れる。

 

 

「 “身体は剣で出来ている” 」

 

 

 

刃鉄(はがね)の躯を束ねるのは贖いの意思、軋む刃鉄を動かすのはわずかな渇望。

 

 

「 “誓いを熱に、渇きを血潮に” 」

 

 

 

涙の如く誓いを溢し、血を吐くように渇望する、薄暗い(タマシイ)

 

 

「 “心の臓は(くす)んだ硝子” 」

 

 

 

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『綺麗だったから憧れた』

 

 

あの物語で一番好きな台詞。

一番好きな言葉。

 

俺も憧れたかった。

俺もその情熱を抱きたかった。

 

 

妬ましいよ、衛宮士郎。

 

俺は、綺麗だと思っても、自分がなりたいとは思えないから。

 

なれるはずがないと、思ってしまうから。

 

世界はこんなにも、綺麗なもので溢れているのに。

 

 

 

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世界は美しい。風は煌き、命は燃える。輝く世界が己を包む。

 

 

「 “視える天地は(まばゆ)く生きて、聞こえる命は未来に弾む” 」

 

 

 

どこまでも美しい世界で、希望に満ち溢れた世界で、衛宮嗣郎だけは輝かない。

 

 

「 “四方八紘輝く大地に、()る場違いの人形(くぐつ)がひとつ” 」

 

 

 

真に己のものと断言できぬ身体に、己の意思すら不確かな心。

 

 

「 “身を振るう理は虚、身を向ける信は朧” 」

 

 

 

ゆえにその命の拠り所は、他者に他ならず。

 

 

「 “ゆえに傀儡(くぐつ)は、人に捧ぐ” 」

 

 

 

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大魔術、固有結界は己の心象風景の具現。

 

だから、詠唱は己の心をさらけ出すこと。

 

あまり人に聞かせたいものでもないけれど。

これこそが、俺の心のカタチだろう。

 

力を手に入れるためだ。

この程度の躊躇、気にしてはいられない。

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

「 “受ける。()れる。(いだ)()む” 」

 

 

深く、深くへ。

己の心のカタチを晒せ。

 

 

「 “認める。許す。包み守り(がえん)ずる” 」

 

 

(のたま)い拡げ、侵し歪め纏めて(ひた)せ。

 

 

「 “我が根源はただ一つ。我が心象はただ一つ” 」

 

 

これこそが──── 衛宮嗣郎の心のカタチ。

 

 

 

「 ──── “()()()()()()()()()()” 」

 

 

 

 

世界は、侵食された。

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

 

どこまでも、透き通った淡青の空。

 

どこまでも、透き通った硝子の大地。

 

 

ただ、それだけがあった。

 

 

 

 

「はは、なるほど、確かにこれは、俺の心象風景だな」

 

嗣郎は笑う。

嘲笑う。

 

透き通りきった天地の世界で、衛宮嗣郎は己を笑う。

 

 

 

この世界を見る者がいれば、まずは最初に美しいと評すだろう。

一切の穢れなく透き通る天地。

空はどこまでも広がり、硝子の大地は芸術のごとく滑らかだ。

空気も透き通り、目を凝らせば輝きさえ見えそうな錯覚を覚えるだろう。

透き通る大地の遥か下方に、見通せぬ闇の(うつほ)が見えるのが不安になるくらいか。

けれどその不安を煽る遠い黒もまた、この世界を幻想的に仕立てている。

もしこれを目にしたのが詩人であれば、己の語彙を尽くして賛美しただろう。

 

 

だがその世界の主は、一言で切って捨てる。

 

 

「あぁ、気持ち(わり)ぃ」

 

 

 

これは心の世界。

 

心のカタチ。

 

その世界が、こうも透き通って。

 

こうも淀みなく。

 

これが、こんなものが……人間(ヒト)の心でありえてたまるか。

 

 

 

 

これは(はて)なき(うつほ)。鞘の内。

 

 

己を持たぬ、ただ受け入れるだけの綺麗な荒野────

 

 

 

 

「……見せたくないな。でも見たがるよなぁ」

 

固有結界が使えるとなれば、間違いなく姉妹は、特に姉は見たがるだろう。

きっと二人なら賞賛してくれるのだろうが、個人的にはこんなものは見せたくない。

何よりも嫌悪するモノの塊なのだから。

 

「空に歯車でもあればまだ見栄えもしただろうに。空と硝子、ああ、水晶か? まあいいや、ただどこまでも広がるだけってなぁ」

 

まぁ、見せないわけにもいかないのだが。

 

 

 

「……装飾でも作っとくか」

 

そう呟き、世界の主が腕を振るえば。

 

 

 

無数の水晶剣が瞬時に大地を埋めた。

 

 

 

 

ここは(はて)なき鞘の内。

 

無限の剣の眠る場所。

 

未だなまくらであり張りぼてしかないが、剣など幾らでも引き抜ける────

 

 

 

「……墓標にしか見えねえ」

 

うんざりしたように世界の主は呟く。

一段と幻想的となった光景も、嗣郎には嫌なものでしかない。

 

 

 

 

「墓標、墓標だな。……誰の墓標だ?」

 

そこまで言葉を続けた嗣郎の顔から、表情が抜け落ちる。

 

「誰の。誰のって? 決まってる。ハッ、決まってるじゃねえか」

 

その声に宿るのは、無力感と、絶望と。

 

「俺の無力が殺した綺麗なやつらの墓標に決まってる……っ」

 

己に対する、憎悪。

 

 

 

 

衛宮嗣郎は、自分の手の届く広さに限界があることくらい分かっている。

衛宮切嗣や衛宮士郎のように、誰も彼もを幸せにしようだなんて、幸せにできるだなんて、そんな理想は抱いていない。

嗣郎ができることなど、せいぜい手の届く範囲の身近な人を可能な限り幸福にすることくらいだ。

 

けれど。

 

 

自分のすぐ近くにいたのに、自分に託されたのに、死なせてしまったことを。

力が無かったから仕方が無いだなんて、割り切れはしない。

 

 

あれは罪だ。

衛宮嗣郎の罪だ。

助ける術があったかどうかすら関係無い。

 

あの地獄で。

あの原風景で。

誰一人助けられなかったという事実。

 

それだけは衛宮嗣郎が背負わねばならない罪────!

 

 

 

 

少年は、僅かに笑って、空を仰ぐ。

 

「ああ、ちょうどいい。忘れないために。何度でも俺の心を切り裂くために。この墓標はちょうどいい」

 

あらためて、『墓標』に向き直る。

 

 

 

「誓いを此処に」

 

名前も分からず、顔ももうまともに思い出せない『両親』を想う。

 

「生かされたこの身は血の一滴まで誰かの為に」

 

自分に娘を託した男を、自分が守れなかった少女を想う。

 

「己無きこの命は余すことなく他者の為に」

 

どうにか救えた姉妹を、養父を想う。

 

「救い、守り、愛し、助け、導こう」

 

 

 

 

鞘の世界で、鞘たる少年は、天地に謳う。

 

 

 

 

「 ──── この身はただ、鞘ゆえに 」

 

 

 

 

 


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