魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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時系列的にViVidですが、本編とは関係ありませんのであしからず。
では、どうぞ。


P.S.4:「査察官、その後」

 

 ――――新暦79年、4月28日。

 機動六課の解散からちょうど3年が経ったこの日、27歳を過ぎたイオスは改めて自分の人生について熟考していた。

 具体的には、Dランク級の自分の魔力で現場に出るタイプの査察官はやはり無理では無いかと。

 

 

「いや、まぁ……今回はしょうが無いと思うんだけどな」

「お、おじちゃん……大丈夫?」

「ん? ああ、おじちゃんは大丈夫だよ、おじちゃんだからな」

 

 

 彼に声をかけているのは、綺麗な深緑のパーティードレスを着た6歳くらいの女の子だった。

 もはや子供に「おじちゃん」と呼ばれることに抵抗を覚えないのは、周囲の子供に呼ばれ慣れているからだろう。

 それに、イオスとしても可愛らしい女の子に純真な瞳には弱い、義妹やその幼馴染達のせいだろうか。

 

 

 まぁ、それでも場所と状況がもう少し平穏だったらの話だ。 

 例えばイオスはミッド沖合いの海上で今まさに沈没しようとしている船の甲板にいなくて、小脇に逃げ遅れた女の子を抱えていなければ、だ。

 ちなみに女の子の手には大きなテティベア、救命ボートに乗る前に部屋に取りに戻り逃げ遅れたと言うわけだ。

 

 

(わっかりやすい状況だな、オイ)

 

 

 そして、それを助けに行ったのが仕事で船上パーティーに参加していたイオスと言うわけだ。

 実際、彼はタキシード姿である。

 斜めに傾き始めている豪華客船の無人の甲板、女の子(+テティベア)を抱えて脱出法を探るイオス、脱出ボートは全て使ってしまっている。

 

 

(さて、どうすっか……飛べれば話が終わるんだが、出来ない相談だしな……)

 

 

 うーむ、と考え込む。

 

 

「おじちゃん?」

「あー、大丈夫大丈夫、うん。オールライトだお嬢ちゃん」

「おーるらいとってなーに?」

「大丈夫って意味だよ」

「じゃあ、おじちゃんは大丈夫って3回も言ったのー? 変なのー」

 

 

 将来が楽しみな女の子であった。

 最近の子供の発育具合に脅威を覚えたその時、不意に海上に光を見た。

 遠目なのでどこの物かは判然としないが、艦形からして湾岸警備隊の物だとわかる。

 事実、周辺に散っている救命ボートを呼び集めるために上げている信号パターンに見覚えがあった。

 

 

「おー、お嬢ちゃん、何だかギリギリで助かりそう……」

 

 

 だ、と言おうとしたまさにその時、事態は急変した。

 具体的には元々浸水が進んで傾いていた船が、いよいよ限界を迎えたのだ。

 メギメギと言う不吉な音が船体全体を揺るがし、デッキが多い分強度が低い客船は半ばから折れそうになっていた。

 

 

「~~~~っと、オイオイオイオイオイ!」

 

 

 傾きを増す船体の上で、イオスは子供を抱えたまま走って手すりへと飛びついた。

 もちろんそれで船の沈没が遅れるはずも無く、腕の中で悲鳴を上げる女の子を取り落とさないようにするので精一杯である。

 そして本格的に船体が折れて、流石にヤバいと思った次の瞬間。

 

 

「――――手を!!」

 

 

 耳に、高い声が届いた。

 同時に、視界の端に青い輝きが映る。

 

 

「上に! 早くっ!!」

「――――っあ!」

 

 

 船体が折れる、と同時にイオスは手すりから手を離した。

 自殺行為である、実際、やや斜めながら傾度が70度を超えた甲板で手すりから手を離せば海中へ真っ逆さまである。

 しかし、イオスは迷わず手を離した――――何故か?

 

 

 手すりから手を離し、その手を伸ばす。

 耳に船が海に沈む轟音が響く中、イオスは三度目の声を聞いた気がした。

 その直後、手を力強い誰かに掴まれるのを感じた。

 そして、もはや懐かしさすら覚える浮遊感に身を任せた。

 

 

「――――……!」

 

 

 イオスが女の子を抱えて空中へと飛び出した直後、船は完全に沈んだ。

 暗い夜の海の底、轟音を立て、渦を巻きながら沈む船の迫力は圧巻の一言に尽きた。

 あと数秒遅ければと思うと、ぞっとする所ではない。

 

 

「ふぃ――――っ、あっぶなかったぁ~~~~」

 

 

 そしてそれは、救助する側も同じ心境だったらしい。

 「彼女」は青い髪を風に靡かせて、ローラーブレード型のインテリジェントデバイスで空に描いた青い光の道(ウイングロード)を駆け抜けながらほっと胸を撫で下ろしていた。

 斜めに、そして螺旋状に展開した道をグルグル回りながら、自分が手を掴んで引き上げた対象を改めて見る。

 

 

「えーと、怪我とかありませんか? 私は湾岸特別救助隊(レスキュー)所属の――……って、あれ? イオスさんじゃないですか、こんな所で何をやってるんですか?」

「見てわからないかナカジマ一等陸士、映画の主人公よろしく逃げ遅れた女の子を沈没寸前の船から助け出してたんだよ」

「いや、助けたの私だと思うんですけど……あと、もう私一等陸士じゃないんで」

「マジか」

 

 

 その女性は、3年前に比べて精悍さを増したスバル・ナカジマだった。

 六課解散の後、特別救助隊に入隊した彼女はこうして海難事故に見舞われた人々を救う毎日を過ごしていた。

 その噂は、地上本部にまで届いている程だ。

 

 

「ところで、何ですかそのタキシード姿。後で写真撮ってギン姉に送っていいですか?」

「仕事しろよ」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦79年、5月2日。

 イオスの同僚は基本的にミッドチルダに居を構えているのだが、それは例えば彼の義妹についても同じことが言えた。

 次元航行艦勤務なので、実は年の半分以上を家で過ごせなかったりするのだが。

 

 

「つーわけで、とうとう俺も元六課のフォワードに世話になっちまったわけよ」

「そっか、スバルも頑張ってるんだね」

 

 

 フェイトの家――20代前半で持ち家(マイホーム)とか、衝撃的なエリートである――で、養母であるリンディから預かった出張先からのお土産を渡しつつ、イオスは先日のスバルとのことを話していた。

 いやしかし、後輩に抜かれるのが自分のキャラクターだと認識してはいただ、スバルに助けられるようになるとは感慨深いものがあった。

 

 

 通されたリビングは程よい広さで、フェイトの給料にしては控え目だ。

 そんなリビングのテーブルに向かい合わせに座って、何故か今渡したお土産をお茶菓子に湯飲みを手にするイオス。

 そして、義妹の淹れてくれたお茶を一口。

 

 

「……フェイトってさ、料理とかお菓子作り上手いよな」

「そ、そう? リンディ母さんに教えて貰ったんだけど」

「ああ、でも……お茶だけうち(リンディさん)の味じゃないんだよな……」

「え、えっと……ごめんね?」

 

 

 何故か心の底からがっかりしている義兄に苦笑しつつ、フェイトは自分の分の紅茶に口をつけた。

 ちなみにお茶の淹れ方は『アースラ』のお茶汲み係をしていた頃に、エイミィに教えてもらった。

 なので、リンディが教える隙が無かっただけである。

 と言うか、お茶にミルクと砂糖を山ほど放り込むのは健康に悪いとフェイトは確信していた。

 

 

「え、えーっと、スバルと言えばね、ティアナのことなんだけど」

「スバルと言えばティアナって、セットじゃあるまいし」

「またルームシェアするんだって」

「セットだったのかよ」

 

 

 何でも仕事が無い日にはスバルがティアナの部屋によくいることが多いので、「じゃあもういっそのこと一緒に住んじゃう?」と戯れにスバルが言った所、ティアナがあっさりOKしたのだとか。

 ティアナ的には、フェイトの補佐官として次元世界を飛び回っていて使わないのももったいないし、たまに掃除とか料理とかしてくれるスバルがいたほうが設備が無駄にならずにすむ……と思っているらしい。

 

 

「元六課の女性陣は異常に距離感が近いな……」

「同性だけじゃないよ? グリフィスとルキノなんて結婚しちゃうし」

「式って来月だっけ、レティさん経由で招待されたんだが」

「うん」

 

 

 なお、エリオとキャロは辺境で自然保護隊に所属しているらしい。

 現地でも公認のパートナー認定なのだそうだ、まったくご馳走様な話である。

 運命の人と早めに出会うと面倒が多いと聞くが、あの2人は例外のようだった。

 

 

 それはそれとして、元六課のメンバーから夫婦が誕生することをフェイトは心から喜んでいる様子だった。

 まぁ、3年も経てばいろいろと変わる。 

 同僚の結婚話が出たからか、フェイトは相変わらずの金糸の髪を揺らしながら不意に聞いた。

 

 

「イオスは、結婚とか考えないの?」

「……………………相手がね」

「ど、どうしたのイオス!? ごめん、何かごめんね!?」

 

 

 リビングの隅の観葉植物の葉っぱを撫で始めたイオスの腕を引っ張って、元の椅子に座らせる。

 イオス・ティティア、未だ恋人無し。

 正直な所、どうしたら良いかわからない状態だった。

 

 

「いやね、義妹に言われるとね、何かね、他の人間に言われるよりね、キツくてね……」

「イ、イオス? 口調がおかしいよ? 大丈夫だよ、イオスならすぐに恋人できるよ」

「そう、言われ続けて10年が経ちました……」

「経ってないから!」

 

 

 面倒な義兄だと思わないでもないが、実際、その気になればすぐに恋人の1人くらいは出来ると思う。

 フェイトの知る限りでは何人か心当たりがあるし、そもそもイオスに女性を口説くと言う発想があまりないことが問題だと思っていた。

 ……まぁ、フェイト自身も恋人など出来たことは無いが。

 

 

「「ただいまーっ」」

「あっ……ほ、ほらイオス、なのはとヴィヴィオも帰って来たから。ね、今日は晩御飯食べていくと良いよ、ビーフカレーだから」

「……あ、うん」

 

 

 どたどたどた……と言う足音と姦しい話し声が聞こえて、次の瞬間にはリビングへと2人が駆け込んでくる。

 3年前とあまり変わらない戦技教導隊の白制服のなのはと、聖王教会系列の魔法学校の制服に身を包んでいるヴィヴィオだった。

 ヴィヴィオは、3年前に比べて随分と背が伸びたような気がする。

 

 

「あ、イオスおじさん、こんにちわ!」

「おーぅ」

 

 

 おじちゃんからおじさん、果たしてこれはランクアップなのかダウンなのか。

 そんなことを言っている間に、ヴィヴィオは2人の「ママ」のお手伝いをするとか言う話になっていた。

 良い子だ、素直で、ただイオスとしては何と言うか。

 

 

「2人共おかえり、一緒だなんて珍しいね」

「家の前で会ったんだよ、時間が合うなんて珍しいねって話してた所、ねーヴィヴィオ?」

「うん! フェイトママもいれば完璧だねって、なのはママと言ってたんだよ」

「うふふ、そっか」

 

 

 目の前にあるのは、3人によるアットホームな家族的空間である。

 何も問題は無い、無いはずなのだが……しかし、とイオスは3年前から考えていることを今も考えていた。

 なのは、フェイト、そしてヴィヴィオ。

 これはアレである、このまま行くと本当に……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦79年6月2日。

 その日、イオスは珍しく休暇を得たと言うクロノの下を訪れていた。

 

 

「あの3人、あのまま固定化されるんじゃないか?」

「いきなりお前は何を言ってるんだ」

「いやでもよ相棒」

 

 

 カラ……ンと音を立てるのは、2人の間に置かれたグラスの氷だ。

 滑らかな色合いの液体は酒であって、子供の頃から一緒だった相手と酒を飲めると言うのは貴重なことだとも言える。

 そんな2人の様子を「何だかなぁ」と言いたげな顔で見ているのは、エイミィだった。

 

 

 キッチンで氷を砕いて持ってきてみれば、何やら物凄く馬鹿な会話をしているのである。

 男の子はいくつになろうと立場がどう変わろうと会話をすると馬鹿になれる、そこを羨ましいと思うかそうでないかは、まぁ人によって変わるだろう。

 ちなみに、エイミィにとっては……「慣れた」であった。

 

 

「何の話? どうせまた馬鹿なこと話してたんでしょ?」

「いや待てって、待てよ奥さん」

「いや、奥さんじゃなくて」

「え、エイミィ? キミは僕の奥さんだったはずだが……」

「そう言う意味でもなくて」

 

 

 夫と幼馴染のグラスの中に小さく砕いた氷を追加しつつ、エイミィは苦笑する。

 聞いてみれば、話の内容はやはり馬鹿な話だ。

 なのはとフェイトが、ヴィヴィオと言う鎹を得てますます「そっち」に行くのではないかと言う話だ。

 

 

「いや、だってあの2人さ、たぶんヴィヴィオ見て「ま、いっかー」みたいなことになってると思うんだよ俺は」

「良いんじゃ無い? 別に。それはそれで家族の形ってことで」

「そう言うものなのかな……」

 

 

 男性と女性とでは気にするポイントが違う、そんなことをしみじみと思うクロノだった。

 まぁ、クロノもイオスほどには心配していなかった。

 と言うか、気にしたことがあまり無い、慣れたとも言う。

 

 

「というか、イオス君もそろそろさ、女の子と付き合ったりとかしたら? クロノ君に遅れを取るって相当だよ?」

「エイミィ、改めての確認だがキミは僕の奥さんだよな?」

「それより、結婚してなお君付けな所に突っ込もうぜ……まぁ、良いけど。でもなぁ、俺、モテねーし」

「モテるモテないは、恋人が出来るかどうかとは関係ないよ。それに意外と、近くにイオス君のことを良いなって思ってる子もいると思うよ? 割と近くに、いやホントに」

 

 

 妙に近くにいるという部分を強調するエイミィに適当に相槌を返しつつ、イオスはグラスに口をつけた。

 何と言うか、女性に好意を持たれている自分というのが想像できていない顔をしていた。

 そんなイオスに溜息を吐きつつ、エイミィはここにはいない誰かのことを考えた。

 

 

「エイミィ」

 

 

 その時、イオス達が飲んでいる部屋の扉が開いて赤い髪の少女が顔を見せた。

 アルフである、相変わらずの子供フォームで尻尾がふさふさであった。

 彼女は後ろに6歳ほどの男の子と女の子を従えつつ、部屋の中を視線で探るとエイミィを見つけて。

 

 

「カレルとリエラ、もう寝るってさ。ママにおやすみを言いたいんだって」

「あ、うん、ありがとう」

 

 

 ととと、っとエイミィが扉の方に近付くと、男の子と女の子の双子の子供達がエイミィの身体にぶつかってきた。

 エイミィはそれを両手で受け止めるとしゃがみ込んで、おやすみを言いながら息子と娘の頬に口付けた。

 双子……カレルとリエラの兄妹も母の頬にキスを返して「おやすみなさい」を言う。

 

 

 実に平和な光景だ、傍で見ているアルフの眼差しも柔らかい。

 そこでイオスはクロノを見る、クロノは「何だ」と言いたげな視線を向けてきた。

 イオスは幼い頃と変わらない、そんなニヤニヤとした笑みを向けると。

 

 

「パパには無いのな」

「殺すぞ」

「沸点低くなったなお前……」

 

 

 そんな会話をしている間におやすみの挨拶が終わったのか、子供達がアルフに連れられて部屋を出て行った。

 ちなみに、双子が去り際に残した言葉は。

 

 

「「おとーさんもおやすみ! おじさんもね!」」

「じゃあね、おっさーん」

 

 

 ちなみに最後のはアルフである、後でシメようとイオスは固く決意した。

 ただとりあえずその前に、彼はクロノの方を改めて見て。

 

 

「子供の教育方針について、話し合おうぜ」

「普通だろう、おじさん」

「ふふっ、おじさーん」

「どいつもこいつも畜生!」

 

 

 幼馴染3人、付き合い方は子供の頃とは違うけれど。

 それでも付き合っていけるのは、何よりの宝なのだろうと思う。

 

 

「もう一杯いくか、おじさん」

「おつまみ追加持ってこようか、おじさん」

「くっそ、お前ら何かもうホント……クッソ!」

 

 

 ……そんな関係。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦79年6月30日。

 グリフィスとルキノの結婚式から1週間程が経ったこの日、イオスは珍しく本局にいた。

 訪問先は人事運用部、もはや名実共にレティ・ロウランが責任者となっている部署である。

 

 

「うぃ――っす、レティさん、課題の人事査定の書類持ってきましたー」

「ご苦労様、そこに置いておいて頂戴」

「うっス……って、あれ、リンディさん」

「はぁ――い」

 

 

 何年経とうが外見年齢が上がらない2人、レティとリンディ。

 2人が並ぶと新人提督のようだが、実際にはもはや上層部の一員と言っても言い地位にいる。

 出世が止まったイオスなど、通常であれば恐れ多くて会うことも出来ないような存在なのだ。

 まぁ、本人達の気質のせいか、他の上層部に比べれば気さくに下と付き合っているらしいが。

 

 

「ふふ、先週のグリフィス君の結婚式の話をしてたのよ、とっても素敵な式だったわねって」

 

 

 手を合わせてそんなことを言うリンディは年頃の少女のようにも見えて、イオスも苦笑だが笑みを浮かべる。

 何にしろ、紛争だ腐敗だなどという話よりはよほど平和で好ましい話題だ。

 しかし、何故かリンディが随分とニコニコした笑顔で自分を見つめている理由がわからなかった。

 

 

 何だろうと思っていると、呆れるレティの前で何やら表示枠を開き始めた。

 それは何と言うか、履歴書のような画面の横に妙に綺麗に着飾った女性の全体写真が映されていて。

 あえて言うなら、そう、お見合い写真のような――――。

 

 

「この()なんてどうかしら、イオスさんの好みのタイプだと思うのだけど」

「さ、さん付け? いや、と言うか何の話!?」

「あら、イオス君の好みのタイプならちょっと気になるわね」

「いやいやいや、好みのタイプとかないですから!」

「「…………」」

 

 

 好みのタイプが無いと言ったら、2人から物凄く心配な子を見るような目で見られた。

 いやちゃんとあるから、と言うか自分もう28だからそんな目で見るなと言い募って、とりあえず誤解を解いた後。

 

 

「いきなり何ですかリンディさん、まさかリアルにお見合いとか言わないですよね」

「まさか、お見合いなんて言わないわよ、世話焼きおばさんじゃあるまいし」

「で、ですよねー」

 

 

 ほっと胸を撫で下ろすイオスに微笑を見せて、リンディは再び別の表示枠を持ってきて。

 

 

「じゃあ、この()はどうかしら?」

「世話焼きおばさ――――じゃない、やっぱ世話焼き! これどう考えてもお見合いでしょ!?」

「ちょっとお茶して2人きりで趣味の話とかしてくれれば……」

「それがお見合いだよ!」

 

 

 突っ込むイオスにクスクスとした笑みを向けるのは、レティだった。

 

 

「まぁ、イオス君もそろそろ考えても良い頃なんじゃない? 自分の息子のことで恐縮だけど、後輩の結婚話が出てくるぐらいなんだから」

「んー……でも、なんつーかこうピンと来ないって言うか」

「ふぅ、しょうが無いわねぇ……サルヴィアも心配してたわよ、だから私がこうして知人の娘さんを紹介して」

あの人(かぁさん)か! 最近妙に元気になってきたと思ったら何やってんだよあの人!」

 

 

 サルヴィア・ティティア、寝たきりも脱して順調に快復中である。

 ただ、こういうことはホントに勘弁してほしいと思うイオスだった。

 まさか孫の顔が見たくなったとか言うわけではあるまい、まさかだが。

 

 

 ……まぁ、27にもなって恋人の1人もいないと言うのを心配してくれているのかもしれない。

 余計なお世話と言うのは簡単だが、母親陣営としては心配になるのかもしれない。

 クロノとエイミィが早かった分、余計に。

 

 

(でもなぁ、相手がいる話だしなぁ)

 

 

 そもそもにおいて、自分を好いてくれるような女性がいるのかどうか。

 結婚におけるメリットデメリット、いろいろあるだろうが……。

 いろいろ考えて、イオスは溜息を吐いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦79年、7月29日。

 ミッドチルダでは学生達が夏季休暇に入ろうかと言うその時、外の時間とは全く無関係な施設があった。

 独自の時間が流れると言う隔離施設の特徴を備えたその施設は、海上にある。

 

 

 パシンッ……と手を打つ乾いた音が響く、それは手刀を弾いた別の手によるものだ。

 打ち込んでくる手刀は4つ、防ぐ手は2つだ。

 ロングヘアとショートヘア、2人の茶色の髪の少女の打ち込みを黒い制服の猫の女性が1人で捌いている。

 

 

「……へぇ」

 

 

 顔を狙ってきた手刀を手首のスナップで弾いた後、制服の女性が感嘆の吐息を漏らす。

 その所以は、頬が薄皮一枚切れたためである。

 血も出ない程に薄い傷ではあるが、流石は戦闘機人という所か、突きの出力が違う。

 それに笑んだ後、リーゼロッテは組み合ったオットーを片手で投げ、人工の芝生を捲り上げるように身を低くして跳躍、すでに受け身の体勢にあるディードの下へと向かった。

 

 

「…………」

「……ノーヴェ、私ちょっとあの3人の動きが目で追えないんスけど」

「アタシだって見えねぇよ……つーか何だアレ、戦闘機人の瞳で見えないってマジで何だアレ」

 

 

 そしてそれを、イオスはリーゼアリアを含む他のナンバーズの面々と見ていた。

 場所は海上隔離施設の例の人工芝生の広間である、ギンガなどが社会常識を講義していたあそこだ。

 彼の傍にはノーヴェやウェンディ達がいて、皆一様に感心したように目の前で繰り広げられる組み手を見つめている。

 

 

 魔法無し、IS無しの純粋な体術戦で、しかもリーゼロッテに対してオットー・ディードの双子は2人がかりだ。

 とはいえ、ロッテが割と本気で動いていることは愛弟子であるイオスにもわかっている。

 そして肉体的な成長期を過ぎてしまい、力も減じたとは言え、ロッテの動きに慣れているはずの自分でも目で追うような高速戦闘を目の当たりにした彼は。

 

 

「……この3年で何を教えてんだよ、アンタ達は」

「教えられることは全部教えたよ、もうあの2人は立派にクロノとイオスの妹弟子だね」

「冗談キツいぜ、お師匠」

 

 

 彼に親指を立ててくるリーゼアリアに割と本気で愕然としつつ、イオスは呻いた。

 しかし事実は事実である、そして予想外と言うか意外と言うか、オットーとディードはナンバーズの中で最初にこの施設を出ることが確定してしまっていた。

 大多数の関係者はチンクあたりだと思っていたので、まさに大番狂わせと言える。

 

 

「素直さの上に知識を乗せて、そして自我が芽生えれば、後はトントン拍子だったね。ここ1年で一番伸びたのは間違いなくあの2人だよ」

「だからつい力を入れて鍛えてしまったと」

「……後悔はしていない」

「俺の目を見て言ってくださいよお師匠、監査の評価書で上に説明すんの俺ですからね!?」

 

 

 出所する前と後で戦闘能力が飛躍的に上昇しましたと……しかし、それ自体は特に問題ではないことにふと気付いた。

 ただこの施設で重要なのは精神面の成長なのであって、むしろそちらの方を強調したいとイオスなどは思っていたりするのだが……まぁ、ダメならダメで良いかと酷いことも考えたりもする。

 

 

「あ、イオス査察官。ちょっと良いですか」

「お?」

 

 

 そこへ声をかけてきたのは、跳ねた髪を首の後ろで縛った少女、ディエチであった。

 彼女はナンバーズの中では比較的イオスとの関係が薄く、そのため気兼ねなく話しかけて来る存在だった。

 そして、外部との個人の連絡手段が無い彼女はある時からイオスにある頼み事をするようになっていた。

 

 

「これ、お願いします」

「あ、ああ……うん」

「ありがとうございます」

 

 

 ペコリ、と丁寧に頭を下げて去っていくディエチの背中を、イオスは何とも言えない表情で見送っていた。

 ディエチの向かう先にはチンクがいて、イオスに対して会釈してきた。

 ちなみにその背中にはセインが隠れている、どうやらまだイオスが苦手らしかった。

 

 

 ……なお、ルーテシアとアギトはすでにここにはいない。

 アギトははやてが身元引受人になって1年ほど前に出所、ルーテシアはそれよりもさらに早く目覚めた母親と共に辺境世界に送られている。

 どちらも、今ではそれぞれに生活を営んでいる。

 

 

「……何、それ」

「手紙、ザフィーラと文通してるんだと」

 

 

 何とは無しに言ったイオスの手には、白い便箋に丁寧に入れられた手紙が一通。

 最初の頃はイオスを通じた言伝だったのだが、途中から本格的な文通になってしまったのだ。

 以来、内外を自由に出入りできるイオスが郵便屋よろしく手紙を運んでいるのである。

 

 

「ふーん……あ、終わった」

 

 

 そんな会話をしている間に、リーゼロッテがオットーとディードを地面に転がしていた。

 リーゼアリアはそれを見届けた上で、自分も彼女らの所へと歩いてイオスから距離を取った。

 それから、ちょうど3歩目で立ち止まって。

 

 

「……ああ、そうだイオス」

「ハイ? 何ですかお師匠」

「うん、別に大したことじゃないんだけど」

 

 

 振り向いて、リーゼアリアはニコリと笑みを浮かべた。

 その笑みが妙に淡くて、イオスは目を点にして……。

 

 

『私達、あと1、2年くらいでいなくなるから』

 

 

 などと、言われた。

 

 

『頑張れば3年くらいは何とかなるかもしれないけど、うん、時間の問題だから。そのつもりでいてね』

「え、ちょ……なん」

『…………あと3年以内に、たぶんお父様が亡くなるから』

 

 

 癌だって、と、リーゼアリアは念話で告げた。

 傍にいるノーヴェ達に聞こえないように、イオスにだけそう告げてきた。

 使い魔である自分達は、創造主であるグレアムの死とは無関係でいられないし。

 いたくないから、と、彼女は告げた。

 

 

『だから、まぁ、私達がいなくなったらこの子達のこと、お願いね。ここまで面倒見て放りっぱなしじゃ、ちょっと後味悪いし……まぁ、このペースならその前に自立しちゃいそうだけど』

『…………お師匠』

 

 

 人は、いつか死ぬ。

 それは逃れられない現実で、しかし人は死を普段は意識していないが故に忘れてしまうのだ。

 自分の前で笑っているこの人も、いつか死の扉を潜るのだと。

 

 

『何て顔してるんだ』

 

 

 本当にどんな顔をしていたのか知らないが、リーゼアリアはイオスを見て笑っていた。

 それがあまりに綺麗な笑みで、確かにそこにあるものだから、イオスには実感が湧かない。

 3年の後、この笑みを見せてくれている人がいなくなるかもしれないと言う現実を。

 

 

『……俺』

 

 

 念話は、リーゼアリアに教えて貰った最初の技術だ。

 魔力を認識して、初めて行使した魔法らしい魔法が念話だった。

 もう、20年以上昔の話だ。

 20年、言葉にすると――――こんなに短いのに。

 

 

『まだ、お師匠達に何も返せてねぇ』

『そうか、じゃあ、あと3年で頑張れ』

 

 

 ――――などと、言いつつも。

 リーゼアリアは、もう十分にいろいろなものを返して貰ったと思っている。

 14年前、最後の『闇の書』事件の時に――――もう、全部返して貰ったのだと。

 後の人生は、言うと酷だが、余生のようなものだった。

 

 

 償いを込めて、弟子達のために動く毎日。

 輝いていたし、苦しかったし、楽しかったし悲しかった、だけど、やっぱり。

 自分達の人生は、やはり14年前のあの日に。

 

 

((私達が消えた後の世界で戦い続ける愛弟子達(かぞく)に、幸いがありますように))

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦79年、8月2日。

 その日、イオスは仕事ついでに本局の医務室の一つを訪れた。

 別に怪我をしたわけではなく、単純に用があっただけだ。

 

 

「うぃーっす、失礼しますよー……っと」

 

 

 扉の横の壁をノックした後、自動で扉が開いたのでそのまま入った。

 中はもちろん白い空間が広がっている、医務室独特の薬品じみた空気が鼻腔を擽った。

 そして医務室には簡易だがベッドもあるわけで、そこで医務官が誰かを診ているとしても何の不思議は無い。

 

 

 なので、ベッドに腰かけ制服のシャツの前を開いたヴィータが、驚いた顔で入室してきたイオスの方を振り向いたとしても不思議は無い。

 まぁ、普通に大問題であるが。

 扉側に背中を見せている形なので肌色部分は何一つ見えていないのだが、それでも彼女は顔を赤くして。

 

 

「んな……っ、お前! ちゃんとノックくらいしろよ!」

「したよ」

「返事くらい待てよ!」

「それはすまん、でもじゃあロックしとけよ」

「……それは、ごめん」

「うん」

 

 

 と言う会話を、ヴィータの胸元に手をかざしたままシャマルはクスクスと笑いながら聞いていた。

 この2人は口喧嘩してからでないと会話が出来ないので、いつものことであるとも言える。

 とはいえイオスがいる前でいつまでも服装を乱すことも出来ない、診察を一時中断してヴィータはシャツのボタンをとめて制服を着直した。

 

 

「終わったぞ」

「おーぅ……うぉっ、いつ見ても教導隊の制服が生意気に見えて仕方が無い」

「うっせ、お前の査察官の制服よりマシだろ」

「デザインがか?」

「着こなしがだ」

「くたばりやがれ」

「お前がくたばれよ、あと70年ぐらい生きて老衰で死ね」

「おう」

 

 

 変わらないように見えて、しかし実は変化がある。

 例えば身長、例えば体重、例えば魔力総量、例えば……肉体と精神。

 イオスが、ではなく、ヴィータやシャマルが、だ。

 

 

 それは普通の人間の変化に比べれば極めて緩やかで、傍目には何の変化も無いように見えるだろう。

 だがよく見れば、ヴィータは数ミリだが背が伸びてシャマルは僅かに髪が伸びている。

 ここにはいない他の2人もそうで、彼女達はもはや守護騎士とは呼べない存在になりつつあった。

 停止した時間の中で生きるのではなく、変わり続ける毎日の中に生きる存在に。

 

 

(生きて、死ぬ存在に……か)

 

 

 かつて『闇の書』の騎士として永遠を約束されていた彼女達も、もはや永遠ではありえない。

 リーゼ姉妹の話を聞いた後だったからか、イオスとしては微妙に考え込まざるを得なかった。

 そんなイオスに片眉を上げつつ、シャマルは小首を傾げた。

 

 

「それで、どこか具合でも……?」

「ああ、いや。単純に預かりもんだ、家に帰った時にでもザフィーラに渡しといてくれ」

「何だ? って、アレか、ディエチとの文通かよ。よく続くなそんなチマチマ……」

 

 

 ディエチから預かった手紙を渡して、それでイオスの用件は終わりだった。

 そうなるとヴィータの検診の邪魔をするわけにもいかないので、イオスは退散することになる。

 そして彼はふと、扉の所で振り向いて。

 ……ために、すでにボタンに手をかけていたヴィータはぱっと手を離すことになった。

 

 

「な、何だよ!」

「いや……どっか悪いのか?」

「あん? ただの定期健診だよ、身体が絶賛変化中だから」

「そっか、なら良いんだ」

 

 

 それだけ言って、イオスは今度こそ退出した。

 見送る形になったヴィータは、不思議そうに首を傾げていた。

 

 

「何だぁ、アイツ……?」

「……心配してくれたんじゃない?」

「アイツがそんな気持ち悪いことするわけないだろ」

 

 

 と言いつつ、別に嫌悪を表に出しているわけではないヴィータにシャマルはクスリと笑む。

 彼女にもイオスの意図はわからないが、それでも悪いようには取っていなかった。

 そしてそれは、ヴィータも同じだろう。

 頬の筋肉が若干震えていることが、その証明であるとシャマルは……。

 

 

「……はやてに、着替え見られたって言おうかな」

「そ、それはやめておいた方が良いんじゃ無いかしら、家庭の平和的に」

 

 

 ……そう、思いたかった。

 たぶん。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦79年、8月15日。

 その日にイオスが向かった先は、陸士の108部隊だった。

 イオスが陸士資格に転向して以降、最も訪問する機会が多い部隊でもある。

 現在、この部隊の監査官はイオスであるからだ。

 

 

「うーん……」

「……イオス一尉、どこか問題でも?」

「え、うん、問題……と言えば、そうなのか?」

「えぇっ、どこですか!?」

「あ、いや、108の監査で問題があったわけじゃないよ」

 

 

 一緒に監査の書類を整理していたギンガが勢い込むのを、イオスは慌てて手を振ることで押し留めた。

 横から身を乗り出すようにイオスの手元の書類を覗き込んできたギンガは、ほっとした表情で身を引いていった。

 それに伴い、二の腕のあたりに感じていたぬくもりも元の位置に戻る。

 

 

 ヴィータや戦闘機人と異なり、ギンガはここ3年で女性としてさらに完成していた。

 濃紺の髪は艶を増し、僅かに化粧を施した目元や薄い色合いの口紅などは元々の肌や唇の色をより引き立てて美しい。

 何より年々姿勢が良くなっているような気がするので、凛とした雰囲気も増していた。

 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花……という表現が似合いそうな美人と言える。

 

 

「では、何か悩み事でも?」

「悩み事……うん、まぁ、悩み事なの、か?」

 

 

 煮え切らないイオスの態度に、ギンガは首を傾げて見せる。

 それだけの動作でさえも、濃紺の髪がさらりと横に流れて綺麗だった。

 部屋の窓から入る日の光を髪の一本一本が映えて、清らかさの中に華やかさがあった。

 そんな彼女に対して沈黙を保つのもアレなので、イオスはとりあえず考えていることの一つを話すことにした。

 

 

「ギンガさんってさ」

「あ、はい」

「……結婚について、どう考えてる?」

「結婚ですか? 私はやっぱり両親の影響が……って、け、けっこ、結婚ですか!? イオス一尉、もしかして結婚なさりまするので!?」

 

 

 ギンガの動揺を鎮めるのに、2分を要したとだけ言っておく。

 

 

「……な、なるほど、周囲からの結婚の圧力ですか」

「うん、俺の場合幼馴染が結婚してるのがデカい。昔から世話になってる年上女性陣(リンディさん)が凄く世話焼きたがっててさ、どうしたものかと」

「はぁ……私もスバルも、まだそう言うのは無いので」

 

 

 ギンガは知らない、陸士108部隊の若手を中心に彼女がかなりの人気を誇っていることを。

 そして父であるゲンヤが悉くその芽を摘んでいることを、彼女は知らなかった。

 知っていたら、おそらく今すぐ部隊長室に直行していただろう。

 

 

 それはそれとして、ギンガはあのイオスの口から結婚の話題が出たことに驚いていた。

 何しろ、そう言う関係の話では他人の世話ばかり焼いているイオスなのだ。

 ……その意味では、イオスはリンディの影響を受けているのかもしれない。

 

 

「えっと……ちなみに、イオス一尉は結婚への関心はいかほど……?」

「人並みには持ってると思うけど、やっぱりお嫁さんほしいし」

「そ、そうですか……なるほど、なるほど」

「ギンガさんは?」

「ふぇ? わ、私ですか?」

 

 

 イオスの切り返しにやや頬を染めて、それでいて若干の期待を込めた表情を浮かべるギンガ。

 それから照れ笑いのような表情で首を傾げて、明るい声になるように努めながら。

 

 

「そ、そうですね、やっぱり……そう言う願望は、あると言えば、はい。……お嫁に行く、と言うのは特別なことですし」

「そっかぁ……だよなぁ、やっぱ」

「は、はい」

「…………あ、それでこの書類なんだけどって、あれ?」

 

 

 話を仕事に戻したイオスに対して、ギンガは「えぇ――――!?」と言うような顔をした。

 それはもう目が口ほどに物を語っていたと、後にイオスは証言している。

 何と言うか、全力で肩透かしを喰らったような顔で。

 

 

「お、おぅ? ギンガさん?」

「――――何でもありません! この書類ですね!?」

「あ、はい」

 

 

 何かを決定的に間違えたと気付いたイオスは、女性に囲まれて生きてきた経験を活かして非常におとなしくなった。

 それがまたギンガの機嫌を斜めにすることになるのであるが、それはまた別の話だった。

 ――――……ちなみに。

 

 

「け、結婚……だと……!?」

 

 

 仕事の様子を見に来ていたらしいゲンヤ・ナカジマが、部屋の扉に手をかけた体勢のまま固まっていたと、後に何人かの陸士職員が目撃していた。

 ちなみにこれが原因で後に凄まじい誤解が生じるのだが、それもまた別の話である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦79年8月21日。

 その日もその日で、イオスは本局・地上の様々な部署を飛び回っていた。

 情報が命の仕事なので、顔出しだけでも結構な量なのである。

 その内の一つが、いあわゆる「第六技術部」である。

 

 

 3年半前のスカリエッティの事件において完膚無きにまでに破壊されていた第六技術部も、現在では破壊の痕跡など欠片も残されてはいない。

 と言うか、3年以上経過して残っていたら管理局本局の沽券に関わる。

 とはいえ3年前とは微妙に異なる部分もある、設備などのレベルは年々上がっているからだ。

 

 

「あ、イオスさんですぅ――――!」

「よぉ、リイン。相変わらず元気だな」

「はいです、リインは元気いっぱいですよ!」

 

 

 第六技術部の中に入った途端、まず銀髪の妖精の出迎えを受けた。

 この部署の専属デバイスでもあるリインは、最近は常にここにいる。

 そして彼女が常にここにいると言うことは、その他の事実をも付随していることになる。

 例えば……。

 

 

「アギトか」

「……おぅ」

 

 

 赤い妖精、アギトの存在である。

 管理局の制服を着ているためか、3年前の快活さやガサツさは鳴りを潜めている様子だった。

 しかし髪色や目つきの鋭さは相変わらずであって、加えて言えばイオスに対する態度がヴィータに似ている。

 

 

 パートナーデバイスともなると、ロードに似るのだろうか。

 リインを見ていると、一見あまり似ていないような気もするが……悪戯好きな所ばかりが似てきているような気がする。

 そう言う意味では、融合機はロードに似るのかもしれない。

 

 

「マリーさんは?」

「今ちょっと第四技術部の方に出てる、何か部下がヘマしたんだってさ」

「へぇ、珍しいな」

 

 

 専属技師の不在を意外に思いつつ、イオスはやや薄暗い室内を見渡す。

 古代ベルカ式デバイスの調整を行うための機材が揃ったそこは、妙な圧迫感のせいか手狭な感覚がした。

 実際は、かなり広い間取りになっているのだが。

 

 

「あ、でもはやてちゃんは奥にいるですぅ」

「ふーん」

 

 

 イオスの目の前に浮きながら、リインがはやてがいることを教えてくれる。

 その指先には、第六技術部にとって最も大事な部分がある。

 あの扉の向こうは、一時破壊されたとは言え……基本はしかし、変わらないのだ。

 何しろ――――。

 

 

 ――――14年前から、時間が止められている場所なのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一等陸佐、特別捜査官、上級キャリア、部隊指揮官――――そして、第六技術部「部長」。

 それが、現在の八神はやての立ち位置である。

 当面において、彼女はこの3年で自身の目的完遂のための手段を手中にしたと言える。

 ――――ここまで来るのに、14年。

 

 

「まぁ、それでもやっとスタート地点って所が何とも言えへんのやけどな」

 

 

 封印ルームに入ってきた誰かに「誰?」などとは聞かずに、はやてはそんなことを言った。

 3年前に比べて若干伸びた茶色の髪のせいか、少女らしさが抜けた透明感のある顔立ちのせいか、あるいは全身から放つ爽快な雰囲気のせいか、あるいは他の何かなのか。

 徐々にだが女性として、そして彼女だけが持ち得る魅力を備え始めたはやては、特殊な多重強化ガラスの向こう側を見つめ続けていた。

 

 

 その姿勢だけは、不思議と14年前と何一つ変化が無い。

 そしてそんなはやての隣まで歩いて、イオスもまた強化ガラスの向こうを見る。

 変わることなくそこに存在し続ける、茶色い装丁の魔導書を。

 

 

「……アイツさ、凍結封印されてるから外のことわからないだろ」

「うん?」

「目が覚めたらきっとビビるぜ、はやて見て「デカ!?」、守護騎士連中見て「成長してる!?」みたいな」

「あはは、それリインフォースのキャラやない気がするけど」

 

 

 でも、それは物凄く素敵な未来だった。

 まぁ、そんな未来のために頑張っているのは事実だが。

 はやては隣に立ったイオスの横顔をチラと見上げると、ふむ、と目だけで頷いて。

 

 

「どうかしたん? 何か元気ないみたいやけど」

「いやいや、別に。お前こそ元気なさそーじゃん」

「うん、元気ないよ」

「…………」

 

 

 あっさりと認めて、はやては目の前のガラスを撫でた。

 まるで、その向こうの魔導書を撫でようとするかのように。

 

 

「ここに来る時は、いつも元気なくなるよ」

「……そうか」

「うん」

 

 

 ここが、リインフォースの前だけが「はやて」になれる時間だから。

 それは酷く弱く見えるが、しかし同時に彼女が強さを放っているとも言える。

 とても、人間的な。

 

 

「だからイオスさんも、元気なくても別にカッコ悪いなんて思わへんよ?」

「前々から思ってたけどな、お前実は俺のこと舐めてるだろ」

「セクハラ?」

「違う、事実だ」

 

 

 一転してコロコロと笑うはやて、やはり女性の機嫌と言う物は移り変わりが激しい。

 実際はそんなことも無いのだが、男から見るとそう感じることもあるのだった。

 

 

「それで? 何かあったん?」

「いや、大した問題じゃねーよ。ただ何かリンディさんが見合い話を持ってくるようになったってだけで」

「……ふーん」

 

 

 はやての反応に、何故か内心で身構えるイオス。

 実に悲しい性であるが、それは女性に囲まれて生きることの多かった彼の生存本能の成せる反応だった。

 特に、ギンガと言う前例がある今は。

 

 

 それに、はやての反応が微妙であったこともそれに拍車をかけていた。

 何と言うか、眦が下がっていたと言うか。

 微妙に纏う空気の温度が下がったと言うか、気のせいでなければやや肩の位置も下がっている気が……。

 

 

 

「何か、悲しいことでもあったん?」

 

 

 

 今度は、イオスが纏う空気の温度を下げる番だった。

 視線だけで見れば、はやては変わらず前を見ているだけだった。

 イオスの方を確認するでも、気にするでもなく、ただそこにいた。

 

 

 イオスは天井を仰いで、浅く溜息を吐いた。

 実際、リンディが持ってくる見合い話などと言う物はそこまで深刻な悩みではない。

 しかしそれをこうまで普通に見抜かれると、なかなか考えさせられるのだった。

 

 

「……まぁ、悲しいことは無いさ。むしろこう、やってくるかもしれないと言うか」

「……ふーん」

 

 

 同じ反応を別のトーンで返して、しかしそれ以上ははやても何も言わなかった。

 しばしの間、沈黙が続く。

 互いの呼吸音を機材の駆動音以外、何も聞こえない時間がしばらく続いた。

 

 

 ――――リーゼ姉妹やグレアムが、そう遠くない将来にいなくなることをはやては知っているのだろうか。

 不意にイオスは確認したくなってしまったが、彼はそれをしなかった。

 確認して、もし仮にはやてが知っていたとしても……それが、現実に対して何ら意味を成さないことだと知っていたから。

 また知らなかったなら、それはまさに余計なことだと思うからだ。

 

 

「……楽しいことの後には、悲しいことがあって」

「……?」

「悲しいことの後には、楽しいことがあったり……とか」

「…………?」

 

 

 はやての言葉に、イオスは首を傾げた。

 何の話かと思って見ていれば、普通にはやては言葉に詰まっていた。

 それに対して、イオスが徐々に目を細めていく。

 比例するように、はやてはイオスの視線から逃れるように明後日の方向に顔を背けて行った。

 その頬が、少しずつ赤くなっていく。

 

 

「……お前」

「…………いやぁ」

「良いこと言おうとして、失敗しただろ」

 

 

 そう言って笑うと、はやてはますます顔を赤くして「あー、うー」と唸りだした。

 事情を知らないなりにイオスを励ましたかったのかどうなのか、何と言うか、先程までの超然としてさえいた態度とのギャップが凄くて。

 可愛い、と、思うのだった。

 

 

「そうだな、楽しいこともあるよな」

「ちょ、ちょっと待って、もうすぐ物凄く良いこと言うから……!」

「いや、俺すげー感動したわ。実際、楽しいこともあるしなー」

 

 

 ムキになって詰め寄ってくるはやてを片手で抑えつつ、イオスは笑った。

 自分でも驚くほど自然な笑いだったのが本当に意外で、彼は僅かながら胸奥の蟠りが軽くなるのを実感していた。

 ――――リーゼアリアも、落ち込んでほしくて告げたわけではないと思える程には。

 

 

「……もう、知らん!」

「はは、悪かった悪かった。いや、まぁ実際、人生には楽しいこともあるし? どんな楽しいことがあるのかはわかんねぇけどさ」

「結婚とか?」

 

 

 そのネタで反撃するのかと苦笑して、イオスは軽く肩を竦めて見せた。

 

 

「残念ながら、相手がね」

 

 

 リンディの勧めるようなお見合いと言うのも、高い階級を持つ家々の間では局員間でもあるのかもしれないが。

 仕事の忙しさのためかどうなのか、管理局は意外と職場恋愛が多かったりする。

 まぁ、もちろん個人差があるわけだが……。

 

 

 ……イオス自身がその例になるかは、今一つイオスには確信が無かった。

 何と言うか、恋人の出来たことの無い人間にありがちな思考であるのかもしれないが、「自分が他の女性に好かれている」と言う可能性を無意識の内に排除してしまうのである。

 その意味で、イオスはやはりクロノやユーノとは別のタイプの恋愛下手であると言えた。

 

 

「相手がいたら、するん?」

「それはまぁ、結婚も立派な法律契約なわけだから。双方の同意の上で書類上の」

 

 

 ただ、その3人に共通項があるとすれば。

 

 

「手続きを……っ、お?」

 

 

 自分が女性に好意を抱かれていると確信するまでのレベルが、他の男性に比べて高いことだ。

 勘違いするよりは良いように見えて、それはそれとして問題と言えた。

 エイミィなど……好意を抱く側としては。

 

 

「おい……?」

 

 

 そっと腕を組んで身を寄せて――――それでも首を傾げられると、若干だがイラッとする。

 しかしそれも、仕方無いとはやては随分と前に諦めていた。

 ああ言う手合いはある程度の実力行使が必要と、エイミィが言っていたことを思い出す。

 実体験を交えての話は随分と役に立つ、そんなことを思うはやてだった。

 イオスの口から出た結婚の話が、僅かながら彼女の背中を押したのかもしれない。

 

 

 一方でイオスはと言えば、なかなか面白い状態になっていた。

 顔が赤くなったり青くなったり白くなったり、最初のはともかく後の2つはどういうことだと言いたくなるが。

 それが……それが良いのだと、そんなことも思った。

 

 

「イオスさん」

「お、おぅ?」

「相手…………○○○、とか」

 

 

 そっ……と、二の腕のあたりに微かに感じる女性の身体のぬくもりに、イオスはどぎまぎとしていた。

 相手は長い間を一緒に過ごしてきた5つ年下の少女、のはずだが、しかしそれは20歳を過ぎた女性のもので。

 それは、14年前とはまるで違うもので――――それが、イオスを戸惑わせた。

 

 

 そんなイオスを、はやては身を寄せながらそっと覗き見て。

 下から見上げてくるその瞳は少女のそれでは無くて、身を寄せながら言葉が少ないことが、逆に「そう」なのだと意識させられてしまう。

 意図してのことならな大したものだが、おそらく違う。

 何故なら、イオスの右腕に緩やかに当てられたはやての左半身からは。

 

 

 

「……どう、ですか――――……?」

 

 

 

 高い、鼓動が。

 頬を薔薇の色に染めた笑みと共に、そこにあって――――。

 

 




最初はリインフォースの前という事実。
いえ、世迷言です、申し訳ありません。

最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
一応、今話でこの物語の本編は終了ということになります。
長らくのご愛読、誠にありがとうございます。

後は次回と次々回、最後のエピローグ調の話と、せっかくなので六課時代のバレンタイン話を特別編として投稿します。
その時点で完結する流れを想定していますので、本編はまさにこれが最後になります。

それでは、もう少しだけお付き合いくださいませ。

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