魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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P.S.2:「査察官とナンバーズ」

 

 ――――「ナンバーズ」。

 スカリエッティ製作の戦闘機人の内、『レリック』を巡る事件に関わった少女達の公式総称である。

 全部で12人いる彼女達の内、5番・チンクを筆頭とする7人は己の罪を認め、更生の道を歩み始めた……のだが。

 

 

「あ~……何か、足がウズウズするっス」

 

 

 ナンバーズの11番、ウェンディは白の長袖シャツと七分丈のパンツ姿で芝生の上を転がっていた。

 人工の芝生が髪先や衣服にくっついて散るが、彼女はそれを意に介した風も無い様子だった。

 ただ、彼女が基本的にいつもいる人工の庭の空間、硝子の天井の向こうに見える青い空を見つめて目を細めている。

 

 

「あー……空、飛びたいっスねぇ」

「しょうが無いだろ、ボード無いし、大体あったって能力使えないし」

「わかってるんスけどぉ~」

 

 

 ゴロゴロと芝生の上を転がるウェンディに呆れたような視線を向けるのは、ノーヴェである。

 彼女はウェンディのように芝生の上を転がったりはしていないが、どこか手持ち無沙汰と言う点では同じようなものだった。

 カリキュラムの合間には、やることがなくなるためである。

 

 

 しかしこれは、一概には彼女達自身の無趣味が原因とも言い切れない。

 何しろ生まれてから延々と戦闘訓練を受けてきた戦闘機人だ、幼少期を人間として過ごしたスバルやギンガとは根本的に異なる。

 平和な時間、あるいは余暇の時間に何をすれば良いのかわからない「世代」なのだ、彼女達は。

 

 

「ノーヴェだって、走りたいんじゃないっスかぁ~?」

「そりゃあ……まぁ、そうだけど。仕方ないだろ、IS使っちゃダメなんだから」

 

 

 事件からすでに数ヶ月が経過して、現在の生活に新鮮さを見出せなくなったこの頃。

 チンクやセイン、ディエチのような柔軟さも無ければ、逆にオットーやディードのような無垢さも無い。

 その狭間にいる彼女達は、能力封印による欲求不満と更生プログラムを受ける毎日に飽いていたのだ。

 

 

 つまり、ストレスである。

 スカリエッティの所にいた頃は無縁だった感情だ、その名は「窮屈」と「退屈」。

 これを人間的な成長と捉えるかは意見が別れるだろうが、とにかくもノーヴェとウェンディはそうした自分達の感情を持て余しているのだった。

 

 

「まぁ、ダメってんなら仕方ないっスけどねぇ。ところでノーヴェ~、今日って誰かが来るって言ってなかったっスか?」

「ああ、そう言えば朝にそんな話聞いたかな……確か、監査だったか査察だったか」

 

 

 ナンバーズが現在生活している海上隔離施設は、当然だが管理局の所有だ。

 特殊な彼女達の境遇と扱いもあり、監査役がつくのも当然と言えば当然だった。

 まぁ、ウェンディなどは全く無関心なわけだが。

 

 

「へぇ、査察っスかぁ~。まぁ、こっちが特にやることないっスし、それにどーせ査察なんて相手の悪いとこばぁっか指摘する陰険で根暗でしょーもない心根の奴がやってるに決まってるっスよ」

「へぇ、そうなのか」

「そうっス。ああ、そう言えばあの鬼畜なお兄さんも査察官だったっスかね。女の子を縛らせれば天下一品のとんだ変態野郎だったっスよ、かく言うあたしも……って、うお!?」

 

 

 女の子らしからぬ声を上げて、芝生の上を転がっていたウェンディが跳ね起きた。

 毛先を逆立たせて手をついて声のした方を睨む様は、まさに猫の子そのものだった。

 ノーヴェは流石にそこまで過剰な反応を示さなかったものの、片手を地面についてやはり若干の警戒心を覗かせている。

 下手をすれば、次の瞬間には突然現れた相手に飛びかかりそうであった。

 

 

 その様子を見て固まるのは、水色の髪の青年だ。

 査察官の制服に身を包んだ青年は、いや流石に好かれているなどと自惚れているつもりは無かったが、それにしてもここまでの警戒を呼ぶとは思っていなかった。

 戦場での邂逅からすでに数ヶ月、イオスとナンバーズの関係は主にこんなものであった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 今さら説明する必要もないかもしれないが、ナンバーズのいる海上隔離施設の監査を行っているのはイオスである。

 彼は自身の査察官資格でそれを行い、リーゼ姉妹やギンガといった更生担当官の作る更生プログラムについても参画しているのだった。

 なお、戦闘機人の能力封印は彼の発案とサインによって行われている。

 

 

「久しぶりだな、イオス査察官。その節は大変お世話になった、六課の人々は壮健だろうか」

「ああ、皆それぞれの職場でピンピンしてるよ」

 

 

 戦闘機人が整列した庭で――ルーテシアとアギトは今日は外部の病院で検査中――イオスは、チンクと軽くだが握手を交わした。

 社交的な挨拶と柔らかな物腰、流石はこの施設の戦闘機人の長姉的存在であるだけのことはある。

 まぁ、チンク自身は妹達の面倒を見るためにここにいるようなものだから、当然かもしれないが。

 

 

 ちなみに横一列に整列したナンバーズ7人の前にイオスが立ち、そのイオスの両側にそれぞれ更生プログラムの担当官であるリーゼ姉妹とギンガがいる。

 今日は、ギンガの案内でここまで来たのだ。

 イオスはチンクから顔を上げると、改めて他の面々の顔を見て行った。

 

 

「……」

「…………」

 

 

 まずオットーとディード、相変わらず無表情で言葉少なである。

 幸いというか、この2人はイオスと直接どうこうということは無い。

 ただ心無しリーゼ姉妹の近くに立とうとしているあたり、イオスとしては戦々恐々である。

 まさか、将来的にリーゼ姉妹と共にイオスを悩ませることにならないだろうか。

 

 

 そしてさらにその外側、端の方にぽつんと立っているのがディエチだ。

 彼女は戦闘機人の中でも比較的大人しい、見ている分には可愛らしい女の子である。

 が、六課の隊舎を半壊させたのは彼女だという事実を忘れたわけでは無い。

 

 

「あの……ザフィーラさんも、お元気ですか」

「え? あ、ああ……たぶん、今日も毛並みふっさふさだと思うけど」

「そうですか……」

 

 

 何故ザフィーラ? と首を傾げるイオスだが、それ以降は特に会話が無かったので何も進展しなかった。

 そういえば彼女を捕縛したのはザフィーラだったような気がするが、それが何か関係あるのだろうか。

 まぁ、それはそれで良い。

 むしろ問題は、残りの3人であって……。

 

 

「お、おい、お前ら……わ、私を盾にするなよ」

「ノーヴェ、もっとそっちに寄るっスよ! 見えちゃうじゃないっスかぁ」

「それじゃこっちが見えるだろがっ、お前がそっち詰めろよ!」

 

 

 ……アレは何をしているのだろう、と、イオスは思った。

 目の前の事実をただ述べるのであれば、セインの背中にノーヴェとウェンディが隠れようと頑張っているとしか言えない。

 ただ、体格のため当然ながらセインの背中で2人を隠すことは出来ない。

 

 

「ひっ」

 

 

 しかも、セイン自身がイオスと目が合った瞬間に怯えたような吐息を漏らしていた。

 セインにとって、どうやらイオスの存在はトラウマらしかった。

 別に何もしないと言うのに、目尻に涙を浮かべて後ずさろうと――妹2人が邪魔で出来ないが――している姿を見ると、イオスは何とも言えない心地になった。

 

 

「うおっ、こっち見たっス! セイン苛めてんじゃねーっスよ、この鬼畜! 何しに来たか知らないっスけど、とっとと帰れこの野郎っス!」

「…………」

「……って、ノーヴェが言ってたっス!」

「あたしかよ!? 言ってねーよそんなこと。でもこっち見てんじゃねーよ、この卑怯者!」

 

 

 そして、凄まじい嫌われようだった。

 毛嫌いされていると言っても過言では無い、それにしても凄かった。

 いや、さっきも言ったように好かれているなどと思っていたわけでは無いが。

 

 

「こら、お前達なんてことを! すまない、アレらには後で私がキツく言っておくので……」

「あ、ああ、うん。大変だな、お前も」

 

 

 ペコペコと頭を下げるチンクに、イオスはどこか引きつった笑みを見せる。

 隣でリーゼ姉妹が腹を抱えて笑っているのは強靭な精神で無視するとして、イオスとしてはチンクに対し言うべきことはなかった。

 チンクからすれば、自分達の運命を決定できる査察官に暴言を吐くなど何事だと言うことになるのだろう。

 

 

 まぁ、嫌われる要素についてはイオスも自覚してはいるが……。

 しかし『闇の書』事件後の守護騎士達との関係もそうだったが、敵対していた関係性と任務からして、ある程度のことは仕方ないわけであって。

 イオスとしても、まぁ、毎度のことではあるのだが。

 

 

「あ、あの……」

 

 

 その時、隣からギンガがイオスの肩に手を置いていた。

 同じ戦闘機人として、人間社会で生きていく術を教えたい――そう言ってプログラムに参加してくれた濃紺の髪の女性は、どこか憂い気を帯びた目でイオスを見上げていた。

 大体の男なら、この状態で何かを言われても首を縦に振るだろう魅力的な女性だ……が。

 

 

「元気、出してください」

「いや、別に好かれたいわけじゃないから」

 

 

 そこで首を横に振れるのが、イオスという青年だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「で、実際の所はどんな感じなんだよ、アイツら」

 

 

 一応の挨拶を終えた後、施設の通路を歩きながらイオスはそう聞いた。

 隣を歩くギンガはもちろん、前を歩くリーゼ姉妹も耳と尻尾を震わせながらうーむと首を傾げる。

 そして悩むこと数秒、おそらくは3人の共通見解だろうことをイオスへと告げてきた。

 

 

「まぁ、オットーとディードは良い子だねぇ。2人でしか行動しない所と自分の意思が無さそうな所は何とかしなけりゃだけど、まぁ3年かけて何とかやってくよ」

「間違っても、お師匠みたいな性格に育てないでくれよ……」

「何、イオス。私の性格に何か文句でもあんの?」

「い、いや、別に……俺がお師匠に文句なんてあるわけないじゃないっすか」

 

 

 歩きながら後ろを振り向いてきたリーゼロッテの視線から目を逸らすイオス、ただ、服から覗くロッテの首筋に火傷の治療痕があることを気にしているようでもあった。

 白い肌の上、別の種類の白い肌があってやや目立っているような、そんな痕だ。

 ただロッテ自身は特に気にしていない様子で、実にあっけらかんとした様子である。

 

 

「チンクとセイン、あとディエチもまぁ問題は無い。この3人はオットーやディードよりよっぽど感情豊かだし、頭も良い。今の調子なら、最初に施設を出られるようになるのはこの3人の誰かだと思う」

 

 

 続けるのはリーゼアリアだ、彼女はファイルを両手で抱くようにしながら歩いている。

 コツコツと響くヒールの音と同時に、チリチリと鈴の音が続く。

 それは、アリアが首に着けている鈴付きのチョーカーから出る音だ。

 ロッテと違い、首の後ろに伸びている火傷の治療痕を髪とチョーカーで隠しているらしい。

 

 

「ただ、その……ノーヴェとウェンディが、あまり今の環境に馴染めないみたいで」

「ああ、あの2人ねぇ……」

 

 

 そしてギンガの言葉に、イオスは天を仰ぐ。

 先程のアレは自分を嫌ってのことかと思えば、それだけでもないらしかった。

 まぁ、まさか最初から馴染んで社会復帰するなどとはイオスも思っていない。

 

 

 だからこそ、彼はリーゼ姉妹やギンガに対して出来るだけ厳格なプログラムを求めているわけだ。

 別に社会復帰を阻害するつもりは無い、しかし不真面目にやって復帰されても困る。

 彼女達の今後の人生における行動は、更生プログラムを担当したリーゼ姉妹とギンガが保証し、責任を負うことになるのだから。

 

 

「……まぁ、結局はあの連中次第、か」

 

 

 呟いて、イオスは頷いた。

 目の前でロッテが手を広げて肩を竦めるのを、彼は見た。

 師匠のその姿に、イオスは何故か苦笑を覚える。

 

 

 何故なら、それはかつてイオス自身がリーゼ姉妹に言われていた言葉だからだ。

 幼い頃、修行の中で……「強くなれるかは、お前達次第だ」と。

 あれから、20年近くが経って。

 いつの間にか、その台詞を誰かに言うようになったのだと……そう、思った。 

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 午後の更生プログラムの一環としての、ギンガの講義。

 いつものように芝生の上に座ってギンガの話、その中でウェンディは何とも微妙な心地でそれを聞いていた。

 普段なら特に何を思うでもないのだが、今日ばかりは様子が違った。

 

 

 横に座るノーヴェを見れば、彼女もどこか落ち着かない様子だった。

 それこそいつもなら2人揃ってチンクの傍に座るのだが、今日に限ってはチンクから離れている。

 何と言うか、良くも悪くも「彼」の存在が彼女達にそうさせているわけだ。

 

 

「――――皆は、私達は戦闘機人です。その事実は、どう足掻いても変えることは出来ません」

 

 

 7人が芝生に座る前に立って、ギンガがチンク達に語りかけている。

 戦闘機人として生まれた自分達が、どうやって普通の人間と共存していくのか。

 強い力を持って生まれたからこそ考えなければならない、そのことについてギンガは語る。

 今、この施設で受けるプログラムのことだけ考えるのではなく、その先のことを。

 

 

 技術的なことは、リーゼ姉妹が肉体言語で教えることができる。

 だからギンガの担当は、人間社会で生きる戦闘機人の先輩として、心構えを教えること。

 先輩として、後輩達に生き方の範を示すことだ。

 戦闘を宿命とする戦闘機人でありながら、自身の力を使って何を成したいか。

 それを、考えさせるきっかけを与えるために。

 

 

「私達も、皆がここを出てやっていけるように……私達が、手伝うから」

 

 

 それを聞いた7人の反応は、それぞれだった。

 稼動して半年程度のオットーやディードは素直に聞いているし、ある程度の思考の柔軟さを獲得しているチンク、ディエチ、セインも頷いている。

 やや硬直的な思考をしているノーヴェも、納得はともかく理解はしているだろう。

 しかし、ウェンディには良くわからなかった。

 

 

(何と言うか、窮屈な話っスねぇ……)

 

 

 頭が悪いとか、気質が悪いとか、そう言う話ではない。

 稼動から4年、他の姉妹との経験共有能力があるとは言え……人間としては4歳に過ぎない。

 閉ざされたラボの中でずっと生きていて、それ以外は知らない、と言うより実感が湧かない。

 経験が足りず、かつ相手の話を鵜呑みにするには自我が確立している。

 それが、ウェンディと言う少女だった。

 

 

 やりたいことをやって、したいことをする、何者にも縛られない自由を愛する。

 だから、今の状態はウェンディにとって相当に窮屈なのだった。

 生きていく上で必要と言われても、実感としてピンとこないから。

 

 

(……でも、チンク姉にめちゃくちゃ怒られたっス)

 

 

 そんな彼女が何故ここにいるのかと言えば、チンクの存在が大きい。

 まぁ、チンクはある程度意識して妹達を引っ張っている所があるが……。

 先程も、リーゼ姉妹やギンガ達がいない間に、イオスに対する態度について叱られてしまった。

 それは、結局の所……ウェンディ自身の、姿勢の問題でもあった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イオス達との挨拶を終えた後、ウェンディとノーヴェは芝生の上に正座していた。

 チンクによって説教されているためであって、2人共しょぼんとした表情で俯いている。

 目の前で小さな身体を大きくして腕を組むチンクは、胸を膨らませるようにして。

 

 

「まったく、お前達と言う奴は。苦手なのはわからんでもないが、あんな態度をとっていては失礼だろう」

「いや、でも……」

「……だって……」

「でももだっても無い、今後生きていく上で必要なことなんだぞ」

 

 

 チンク達が今後の人生を生きていく上で、この施設での更生プログラムのクリアは絶対に必要なことだった。

 いや、ここにいる3年間はもしかしたら今のままでも良いのかもしれない。

 だが、外に出た後はどうなる?

 

 

 チンクが心配しているのは、そこだった。

 クアットロより上のナンバーの姉妹に次いで稼動時間の長いチンクは、ある程度の社会性も身に着けてはいる。

 一方で、オットーやディードは何も無さ過ぎて吸収が早い。

 ノーヴェとウェンディは、その意味で――――幼稚だ。

 

 

「良いか、2人共。お前達がイオス査察官に対して隔意を持つのは、まぁ仕方が無い。だが、今後人の中で生きていく上では、嫌な相手でも付き合っていかなければならない状況がいくらでも出てくる。そう言う時、今のような態度をとっていてはダメなんだ」

 

 

 3年後、施設を出た時……お互いしか頼りに出来ないようではダメなのだ。

 罪に対する償いはもちろんだが、それ以上に生きていく上で必要なのだ。

 ……いや、償いの気持ちなど無くてもいいとすらチンクは思う。

 少なくとも今の段階では、持ちようも無いだろうと思う。

 

 

 だが、人の社会の中で生きていく上では必要なのだ。

 だから厳しいようだが、チンクは小言を言わなければならない。

 姉として、スカリエッティの庇護の無い世界を生きていくしかない妹達のために。

 

 

「だから、良いか2人共。今日中にイオス査察官に謝罪するんだ、良いな?」

「「……」」

「……良いな?」

「う……」

「……は、はぁーい……」

 

 

 渋々ながら頷いた2人の妹の頭に、チンクは手を置いた。

 困ったような、それでいて心配するような、慈しみに満ちた笑みだった。

 くしゃりと掌の中に触れた髪の毛を、愛おしそうに撫でる。

 

 

 その手の下で、ノーヴェとウェンディの頬が微かに朱に染まっていた。

 それは姉に叱られて、そして褒められた妹のそれだった。

 これもまた……一つの家族としての形だろう。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――視線を、感じる。

 皆から離れて、休憩所で缶コーヒーを飲みながらイオスはそう思った。

 もう、自販機を前にコーヒーを飲んだまま固まっている。

 その原因は、彼の背中に舐めるように注がれる視線にあった。

 

 

(な、何だ……何か知らねーが、物凄く見られてる気がする……)

 

 

 コーヒーの缶に口をつけたまま、イオスは首と目を回して後ろを見た。

 すると、いた。

 通路の曲がり角で、縦に並ぶ2つの顔を。

 こう、壁に手をついて顔を半分だけ出してこちらをじっと窺っている。

 

 

 赤い髪と、濃いピンクの髪――――見ただけでわかる、ウェンディとノーヴェだ。

 何か話しかけてくるわけでもなく、ただこちらを半目で見つめてきている。

 何と言うか、凄まじく眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいるようにも見えた。

 顔を前に戻して、頬や額に汗を滲ませつつコーヒーを飲むフリを続行した。

 

 

(な……何だ? 明らかに俺を見てたよな? 俺に用があるのか? え、何?)

 

 

 ダラダラと汗を流しながら心当たりを探るが、ノーヴェとウェンディが自分からイオスに近付いてくる理由などわからない。

 むしろ、先程のように離れると言うならわかるのだが。

 ……そこでイオスは、はっと気付いた。

 

 

(ま……まさか、お礼参りか……!)

 

 

 更生中にいやまさかと思うが、以前から首の痣の恨みとか何とか言われていたような気がする。

 それに実際の所、イオス自身は彼女ら自身の更生への意思を信じているわけではない。

 いやむしろ、ここで襲撃してきた方が彼のイメージには合っている。

 

 

(実際、すげー睨まれてるわけだしな……)

 

 

 缶コーヒーを飲むフリを続けながら、イオスは背中に感じる視線の圧力が徐々に増していくのを感じた。

 こう、ジワジワと。

 ごくり、と今度は本当にコーヒーを一口分飲み込んで、頬を一筋の汗が伝わり落ちる。

 

 

(ふ……良いぜ、向こうは能力が使えない。こっちは魔法が使えない、条件はほとんど同じ)

 

 

 さぁ、来るが良い。

 背中にそんな意思を乗せて――実際に伝わっているかは不明だが――立ち続けるイオス、しかしそんな彼の背中を睨み続けている2人の少女はと言うと。

 

 

「……なぁ、アイツいつまでコーヒー飲んでんだよ」

「わかんねっスよそんなの、一気飲みにしちゃ長いっスけど」

 

 

 2人仲良く……かは不明だが、とにかく並んでイオスの背中を見つめながらボソボソと話しているノーヴェとウェンディ。

 2人はチンクに叱られ、一応、形の上だけでも謝っておこうとやってきたわけだが。

 

 

「もう良いっスから、ちゃちゃっと「さーせん」って言って帰ろうっスよ~」

「ば、ばかっ、そんなこと言ってチンク姉に伝わったらまたどやされるだろ!?」

「えぇ? じゃあ、何て言うんスか?」

「え、いやそれは……わかんない、けど」

「えええぇぇ~~?」

 

 

 ――――この2人の原動力は、結局の所チンクである。

 セインも含まれると言えば含まれるが、姉としての存在感であればノーヴェの教育係でもあったチンクの方が大きい。

 それは、人間で言えば……まさに、子供のような思考だ。

 

 

 親に叱られるから、先生に叱られるから、姉に叱られるから……だから、やる。

 2人にとっての更生や贖罪は、現在の所それだけのものでしかない。

 今後の3年間でそれがどれだけ変わるのか、チンクの言う「外に出てからの人生」の内容がおそらくはそれで決まるのだろう。

 

 

(……どうした(ヘイ)来いよ(カモン)……!)

(あーもう、面倒臭いっスね~。あのお兄さんが関わるといっつも……)

(ち、畜生、何て言って謝れば良いのか全然わかんねぇ……てか、いつまでコーヒー飲んでんだアイツ)

 

 

 コーヒーを飲んだ姿勢のまま固まるイオスと、それを見つめ続けるノーヴェとウェンディ。

 その奇妙な睨み合いは、奇異な目を向ける職員が何人そこを通ろうと変わることがなかった。

 声をかけようにも、奇妙な緊張感が3人の間にあって人を寄せ付けなかった。

 

 

「あ、あの……?」

 

 

 そしてその睨み合い――目は合わせていないので「睨み合い」と言えるか微妙だが――は、その後2時間という長丁場に入って。

 

 

「何、してるんですか……?」

 

 

 たまたま通りがかったギンガが、心の底から不思議そうな顔で首を傾げるまで続いたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……いろいろあったが、最終的には有意義な査察だった。

 そう自分に言い聞かせながらイオスが施設を後にしようとしたのは、すでに空が赤らみ始めた頃になってからだった。

 それまでは施設の見学と更生プログラムの見学、関係者との会議などに時間を費やしている。

 

 

 その中には当然、被験者たるナンバーズとの交流も含まれる。

 まぁ、正直その点においてどこまで出来たのか謎ではある。

 と言うより、心象としては悪化した感すらあるのかもしれない。

 

 

(……あ、最初から印象最悪だから下がりようがねぇか)

 

 

 そもそも敵側の戦闘機人に良い印象は持っていなかったと、身も蓋も無い結論に達するイオス。

 よって、イオスがこの査察で彼女達から悪印象を受けようとも。

 現状を変化させる理由には、ならないのだった。

 ――――甘いだろうか、彼は?

 

 

「今日は……いや、今日も妹達がいろいろと世話になった、イオス査察官」

「んー……まぁ、今までで一番平和的ではあったろ」

「…………ふ、そうか。そうだな」

 

 

 血を見なかっただけ平和的、そんなイオスの言葉にチンクは苦笑する。

 別れ際の握手を交わした手を離し、3秒目を閉じた後にイオスの目を真っ直ぐに見つめる。

 人工の庭に吹く人工の風が、彼女の銀の髪を靡かせて揺らす。

 その銀の髪先を視界に入れつつ、イオスもチンクの表情の薄い顔を見つめた。

 

 

「私達は今後、ここを出発点に歩みを進めようと思う。その意味では、私達に選択の機会を与えてくれたことに感謝している。ありがとう」

「別に形式の感謝はいらねーよ、大体頑張ったのはフェイトだしな。それにお前だって、はたして心の底から贖罪の意思を持ってるんだか……どうだかな」

「ふ、辛辣だな」

 

 

 イオスの辛辣な言葉に、チンクは薄い笑みで応じる。

 己の罪を――先の事件までは欠片も感じていなかった罪の意識を――認めて、ここにいるのか。

 それとも、妹達の将来を守るためにあえて口裏を合わせているだけなのか。

 チンクの真意は、結局の所彼女にしかわからない。

 

 

 イオスにはそれを見抜くことは出来ない、実際、守護騎士達の時にもわからなかった。

 だからこそ、その行動でどうするのかを見るしかない。

 そして見続けることが、彼にとっての仕事のようなものだった。

 

 

「まぁ……私や私達のことは良いさ、これから証明していく。それより、一つ頼みがある」

「何だよ、能力解除なら無理だぞ」

「私自身は特に不自由していないが、妹達については後々にでも検討を頼む。いや、今はそれでは無くて……」

 

 

 そこで初めて、チンクは表情を崩した。

 薄い笑みではなく、今は亡い人を想う1人の存在としての表情を。

 その意味では、イオスは今日初めてチンクに会ったといえる。

 

 

「私達は良い、ただ……ルーテシアお嬢様とアギトに、僅かな時間で良いから外出の許可を出してほしい」

「ルーテシアとアギト? あっちはフェイトの管轄なんだが……まぁ、一応理由を聞いておこう」

「……騎士ゼストの墓参りをしたいらしい、そのための時間を、お願いしたい」

 

 

 僅かに首と背を倒して、願い出てきた。

 騎士ゼスト、クアットロを打ち倒した後に絶命した騎士……の、影のような存在だった男。

 彼は、ルーテシアを守り、アギトを救った男だった。

 

 

 それを何故、チンクが頼むのか。

 ルーテシア達の口からは頼めないだろうことが一点、そして自分達の贖罪の一部として二点。

 点数稼ぎと言うにのは簡単だ、しかし……。

 

 

「……じゃーな」

 

 

 直接的には応じないままに、イオスはチンクに背を向けた。

 それに対して、チンクは特に何も言わない。

 もとより、聞いてもらえると思う程に互いの関係は健全ではない。

 それこそ、今後の彼女達の行動次第だろう。

 

 

「…………ありがとう」

 

 

 しかしその背中に、チンクは礼を述べた。

 受け入れられたと思った? まさか、そこまで彼女は楽観的では無い。

 実際、その声はイオスの耳には届かない程に小さい。

 

 

 それでは、何に対しての礼なのか――――それは、彼女にしかわからない。

 今後、事実上のナンバーズの長姉として生きていくだろう彼女にしか。

 話を聞いてくれたことにか、妹達を問答無用で牢獄に放り込まなかったことか……。

 ……それとも、他の何かか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「今日はお疲れ様でした、イオス査察官」

「んー、いや俺よりギンガさんのがお疲れ様だろ」

「いえ、私のは好きでやってることですから」

 

 

 査察も好きでやってことなんだが、と答えかけてやめるイオス。

 何故かは知らないが、査察が好きというのはあまり褒められることでは無いような気がした。

 何と言うか、常識的に。

 

 

 しかし、確かにご苦労様ではあると思う。

 施設の通路、ギンガと2人で歩きながらそんなことを思った。

 同じ戦闘機人とは言え、大変だろうに……とは、思う。

 監獄組の相手をしているフェイトも、大変さでは似たようなものだろう。

 

 

「まぁ、でもこの数ヶ月で随分と仕事減ったよな」

「それでも、残業は減らないんですよね」

「不思議だよな、仕事量と残業時間って比例しないんだもんな……」

 

 

 管理局でも民間企業でも、そこはあまり変わらないかもしれないが。

 とは言え、休暇が全く無いわけではない。

 

 

「そういえば、次の休暇で何か八神さんがやるって言ってたなぁ」

「あ、はい……確か、海に行くとかどうとか、スバルに聞きました」

「海ね……ミッドのじゃないよな、じゃあどっかの世界のってことか」

 

 

 海……と呟いて、ギンガが密かに自分のお腹周りを撫でたことをイオスは知らない。

 難しそうな顔でイオスの横顔を見上げるギンガだが、イオスが視線に気付いてギンガを見ると、綺麗な笑みを浮かべて首を傾げて見せた。

 結果、やはりイオスには何もわからなかった。

 

 

 しかし、海。

 第97管理外世界にいた頃、実は海に行ったことは無かった。

 その代わりにプールになどは行ったことがあるが、フェイト達が中学生くらいの時の話だ。

 あの時は確か、クロノやユーノと一緒に借り出された覚えがある。

 男よけと言う意味で。

 

 

「海か……そうか、海か」

「……もしかして、楽しみですか?」

「いや、かなり大所帯になりそうな予感がして」

「…………そうですか」

「……?」

 

 

 何だろう、噛み合っていない。

 そんな気はするのだが、複雑そうな表情を浮かべているギンガをいくら見つめても問題は解決しなかった。

 そもそも、女性が何を考えているかなどイオスにはわからない。

 わかった気になってはいけないと、無駄に学んでいたりする。

 

 

 いずれにしても、日々と言う物は過ぎていく。

 仕事して、たまに休んで、どちらに転んでも誰かと何かをするのだろう。

 ……よくよく考えていると、「誰」と「何」の部分が重要な気もする、今日この頃だった。

 

 

「……ちなみに、イオス査察官は水着の好みとか……」

「え? 男の水着なんて種類無いだろー」

「……ですね。はぁ……」

 

 

 ――――今日、この頃。

 

 





最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

と言うわけで、次回は海です。

季節感? そんなの関係ありません。
次元世界には無限の可能性がありますから、だから関係ないんです。
ないったら、無いんです。

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