――――もう、眠りについてから何年の間眠りについていただろうか。
暗く冷たい氷の棺の中、深い眠りについた「彼女」にはそれもわからない。
ただ、長い時間が過ぎたのだろうとは思う。
しかしそれも、「彼女」が生を受けてからの時間に比べればほんの瞬きのような時間だ。
それでも、何故だろうか。
その時間は、それまでの1000年の時間よりも妙に長く感じられた。
瞬きのようでありながら、しかし――――待ち遠しい。
そんな時間に、どのような名をつければ良いのかわからなかった。
(――――夢を)
眠りについてはいても、「彼女」は夢は見ない。
しかし、夢を見たような気がするのだ。
それはとても楽しい、温かな……幸福な夢だ。
そして、見る夢は一つでは無かった。
(見ていたような気がする……)
栗色の髪の魔導師が、空を駆けて多くの人を育てる夢。
そして翡翠と紅玉の瞳を持つその娘が、紫水晶と蒼玉の瞳を持つ少女と出会う夢。
さらに青髪の拳士とオレンジの髪の銃士が、それぞれの夢の道を走り抜ける夢。
金糸の髪の魔導師が、白と並び立ち多くの人々を救う夢。
そして赤髪と桃髪の子供達が、紫の髪の少女や多くの生き物と道を共にする夢。
さらにそんな彼女を見守る、赤い毛並みの使い魔の夢。
黒髪の青年提督が、同期の仲間を率いて組織を導く夢。
そしてそんな彼を支える、母や妻や子供達の夢。
さらに金髪の司書長が、陰ながら仲間達の手助けをする夢。
桃色の髪の騎士が、赤髪の騎士が、金髪の騎士が、青い獣が……炎の妖精が。
――――大きな変化をその身に受けながら、「彼女」よりも先にその道を歩んでいる夢。
そして銀の髪を持つ小さな末っ子が、それらを優しく見守っている夢。
数字を名前として与えられた少女たちが、騎士達と同じ道を歩んでいく夢。
そしてその傍で、濃紺の髪を持つ少女やその父たる男が少女達を見守る夢。
さらに、残念ながら道を違えた科学者と少女達の姉妹達の夢。
かつて地上の頂点に君臨していた男が成すべきことを成し、娘に託して逝く夢。
そして、次元の海の頂点近くにいた男が静かに眠りにつく夢。
――――2匹の猫が、人知れずどこかに消える夢。
金髪の預言者と補佐の修道女、そして緑の髪の査察官が、世界を守り続ける夢。
そしてやはり……それを支える、あらゆる人々の夢だ。
そんな人々の夢を、「彼女」はずっと見ていたような気がする。
(……それから……)
茶色の髪の「彼女」の王が、たゆまぬ努力を続けている夢。
どんな困難に阻まれても諦めることなく、僅かずつでも前に進んでいた夢。
泣きながら、けれども笑って、怒りながら、しかし楽しんで。
多くの人の手を借りながら、ずっとずっと頑張ってくれている夢だ。
「彼女」は、その夢を見るのが一番好きだった。
そしてもう一つ、忘れ得ぬ夢がある。
水色の髪の魔導師が、仲間達と共に歩んでいる夢。
「彼女」の王と一緒に、頑張ってくれている夢だ。
多くの理不尽な現実に直面して、それでもなお自身を曲げない彼。
自分の眠りは、そのためにあるのだと……忘れずにいるために。
(私は……どれくらい、眠っていたのか……)
――――あの雪の日から、どのくらいの時間が経っただろうか。
長い時間が過ぎたのだろうと、「彼女」は思う。
長い、時間が……過ぎたのだろうと、思う……。
◆ ◆ ◆
――――。
――――――――。
――――――――――――光。
夢ばかりを見ていた彼女に、不意に光が差し込んだ。
目を開いても闇しかないその場所に、まず星空が広がる。
夜天、夜の天空に瞬く小さな星々の輝きが、「彼女」の世界を不意に照らし出した。
「彼女」の夢が、唐突に終わる。
そして、「彼女」の前に黄金に輝く十字の星が降りてきた。
金の剣十字、懐かしさすら覚えるそれの輝きに、「彼女」は目を細める。
その輝きに目が慣れた後は、不思議そうに首を傾げる。
それから……そっと、手を伸ばす。
求めるように手を伸ばし、光を遮るように指を動かす、そしてその輝きに触れた瞬間。
(ああ…………)
全てが、裏返った。
夜天の世界の全てが裏返り――――夜明けの時が、訪れる。
闇に慣れた「彼女」に、新鮮な世界が広がる。
蒼天――――透き通るような青空と日の光が、まるで何かを祝福するかのように白い雲の間から顔を覗かせる。
(眩しい、な……)
そして全てが、現実感のある何もかもとして「彼女」の肌に触れた。
まどろむように夢を見て、現がどこかもわからないような世界にたゆたっていた「彼女」。
それが、不意に全て現実感のある何かとして「彼女」に感じられるようになっていった。
ただ、その結果として――――。
◆ ◆ ◆
――――不意に、足の下が冷たくなった。
次に肌が、現実の寒さを感じる……皮膚の下が痺れるような感覚に、電気を受けたかのように身体が震える。
何よりも、唇が湿るようなぬくもりのある吐息が新鮮だった。
「……ぁ……」
だが、その動きは生まれたばかりのようにぎこちない。
そのためだろう、最初の1歩目から先は動けなくなってしまった。
……1歩目?
「あ……」
今度は、意識して声を出すことが出来た。
記憶を頼りに動かせば、精神の動きに準じて腕が動くのを感じた。
指先がぎこちないが、それでも手を顔まで持っていくことが出来た。
ぺた、ぺた……と触れる指先は、やはりそこに何かを感じることが出来る。
触覚、今までは感じなかったそれをはっきりと感じることが出来る。
閉ざされた瞼、鼻の先、頬、唇に顎……そして、髪。
そこまで時間をかけて、ようやく確信に至った。
これは、現実だと。
「――――――――」
びくり、と身体が震えた。
耳朶を打つ音が「声」だと気付くのに、数秒を要した。
夢の中で何度も聞いた声に、目の奥に痛みが走った。
熱のこもったその痛みは、やがて雫となって頬を、指先を伝わって落ちていく。
これは、「涙」だ。
その涙のおかげか、瞼が震えるのを感じた。
溢れる雫に押されるように、震えながら瞼を少しずつ開いていく。
開いた瞳が、現実の光に焼かれる。
眩しげに細めて、しかし二度と閉ざすことは無い――――閉ざしてなど、やるものか。
「――――――ォース」
声が聞こえる、目で見ることができる、肌で感じることが出来る。
現実の世界で、全てに触れることが出来る。
生まれたての小鹿のように、頼りなく両足を震わせながら2歩目を刻む。
相手は、ずっとそこにいる。
待っていてくれている。
自分を待つその相手に、「彼女」は――――彼女は、瞳から零れる雫を拭うこともせずに両手を伸ばす。
歩き出した赤子が母を求めるように、手を伸ばした。
「あ……あ、る……ぃ……」
慣れない、馴染んでくれない口で、辿々しい言葉を紡ぐ。
思うように動かない足にもどかしい思いをしつつ、それでも待っていてくれている相手に歩み寄る。
顔の筋肉もまだぎこちないが、それでもくしゃくしゃになってしまっていることはわかる。
……たくさん、聞きたいことがあった。
自分が眠っている間、どんな人生を歩んできたのか。
どんな楽しいことをして、どんな哀しいことを経験して、何に怒り、何を喜んだのか。
自分が見た夢のままの人生だったのか、それともまったく違うのか。
他にもたくさん――――たくさん、話したかった。
ただ、今は……今は、とにかく。
「あ、る……じ……!」
この温もりを、実感していたかった。
長い眠りの時間を終えて、たどり着いたこの温もりに触れていたかった。
例えこの先、「生」と言うより辛い日々が待っていたのだとしても。
今は、自分の腕の中の、背中に回されたその温もりに包まれていたかった。
それが、二度と失われない――――いや、いつかは失われるだろう。
だが、失われていく時間を共に過ごせることの幸せを、感じていたかった。
今は、今だけは……もう少し、もう少しだけ。
もう少しだけ、このままで――――。
「……おはよう、