魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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StS編第24話:「査察官、終了」

 

 新暦76年、4月28日。

 その日、時空管理局は正式に組織の根本的な再編についてに討議に入ることを決定した。

 それに伴い方針も変更、次元航行艦部隊の管理世界拡張政策も一時凍結されることになった。

 歴史的なことだがまだ議論は端緒についたばかり、変化があるかは今後次第と言える。

 

 

「事件解決から半年以上。思ったよりも、局に混乱は無いものね」

「まぁ、元々最高評議会は平時の運営について口出しはしない組織だったし。地上本部と本局は事実上別の組織として折衝を重ねながら棲み分けを行っていたから、今さら衝突することも無いしね」

 

 

 半年前の事件のダメージをすっかり修復し、転送ポートの能力も完全に回復した時空管理局本局。

 その中で、レティは人事・運用の責任者と言う立場からリンディに自身の見解を述べていた。

 曰く、最高評議会の消滅――まだ公にはされていないが――は、管理局の組織に致命的なダメージを与えるものでは無い、と。

 

 

「まぁ、でも管理世界の拡大を停止する分……本局の地上への関与姿勢は強まるだろうから、そこで揉めることはあるかもしれないけれど」

「そう……」

 

 

 最高評議会の影響を良くも悪くも受けていた地上本部上層部と本局上層部は、先に述べたように、これから今後の管理局の在り方について協議を重ねることになるだろう。

 結論については、まだ誰にもわからない。

 まだ全ては始まったばかりで、何が決まると断言することもできない。

 

 

 常設の協議会が置かれるかもしれないし、臨時の際に話し合いの場が置かれる慣習が作られるかもしれない、あるいは双方のトップ間にホットラインが敷かれるだけかもしれない……場合によっては、地上本部と本局が分離して権力を分ける案まで出るかもしれない。

 ただ、悪いようにはならないようにも思うのだ。

 

 

「地上本部のレジアス中将、最近はめっきり強硬発言が減ったらしいわよ」

「そう……まぁ、当面は地上本部の再建に忙しいということかもしれないわね」

 

 

 レジアス・ゲイズ中将は……半年前と変わらず、地上本部の防衛局長官の地位にある。

 戦闘機人のことは隠しようも無いが、彼が戦闘機人の開発に関わっていた事実は一般には伏せられている。

 質量兵器の横流しの件についても、すでに地上本部の中で政治決着が図られたと言うことだ。

 

 

 例え犯罪に手を染めても、彼以外に地上を纏められる人間はいない。

 それが現実だからと、リンディの良く知る査察官の青年は彼への告訴を留保したのだ。

 今、彼を告訴すれば……地上は混乱し、多くの被害が出るだろうという、司法判断である。

 無論、それだけを理由に許したわけでも……否。

 

 

(……許すわけが無い、ね)

 

 

 友人に進められた執務室のソファに深く座り、リンディは微かな笑みを漏らした。

 『闇の書』事件の時と同じ、償いと贖罪の道を歩く人間をただ見つめ続けること。

 責任を取らせて辞めさせるよりも、それはきっと酷く重い枷となるだろう。

 ただ、レジアスにはそこまで長い時間今の地位に留まる気は無いようだと……グレアムから聞いているが。

 

 

「……どうしたの、嬉しそうな顔をして」

「ん? ふふ、別に何も。ただ……クロノ達が大変そうだと思って♪」

 

 

 嬉しそうに言うことじゃない、そう思ってレティは肩を竦めた。

 それに実際、役職持ちの自分達だって人事では無いのだ。

 組織の変革期にぶち当たった人間は、いずれにせよ苦労するのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ジェイル・スカリエッティ配下の戦闘機人は、公称として「ナンバーズ」と言う物が与えられている。

 その身柄は事件後機動六課・合同捜査本部の共同管理下に置かれ、査察官イオス・ティティアの監査の下、執務官フェイト・T・ハラオウンによって待遇を分けられることになった。

 つまり、裁判を受けて更生する者と裁判を拒否して収監する者に、である。

 

 

「あのお兄さん、いつかマジでぶっ飛ばしてやるっス……」

 

 

 その更生組の1人である所のウェンディは、人工の芝生の上に転がりながら灰になっていた。

 しかも更生のこの字も見えないような発言をして、である。

 事件当時の青のスーツではなく、白の長袖シャツと七分丈のパンツと言う姿だった。

 襟元に数字が印字されたその服は、いわゆる囚人服と言う物だった。

 

 

「チンク姉、アイツ何ブツブツ言ってんの……?」

「うん? ああ、午前中のイオス査察官との面談で絞られたんだろう」

 

 

 何でも無い顔でセインの疑問に答えるのは、チンクである。

 彼女達もウェンディと同じ衣服に身を包み、今は刑期に服している身だった。

 後見人扱いになっているフェイトの尽力で、近い将来には厳重監視付きだがそれなりに自由に過ごせるようになる……らしいが。

 

 

 彼女達がいるのはミッドチルダ海上に存在する、特別犯罪者の更生のための隔離施設。

 俗に言う海上隔離施設であって、彼女達はそこで一般常識などを学び、社会復帰を目指している。

 チンクが口に出したイオスなどはその処置にやや難色を示したそうだが、フェイトが「彼女達は確かに犯罪者だけれども、それは正しい教育を受けられなかったから」と主張してこの形になった。

 まぁ、社会復帰のハードルは低くは無いが……。

 

 

「あの査察官、ここ出るのに通らなきゃいけない試験と面談いくつ作るつもりだよ……」

「……社会見学を含む更生プログラム27種、奉仕活動を含むレクリエーション14種、管理局法及び保護観察遵守事項に関する法務試験5種です」

「その他、職能訓練11種、生産作業14種、経理作業5種、事業部作業7種などがあり、この施設からの出所予定は最短で3年後となっています、ノーヴェ姉様」

「あと、それぞれのハードルごとに面談と復習の試験があるよー」

 

 

 ノーヴェ、オットー、ディード、ディエチもここにいる。

 ちなみにここを出てからも、能力封印の上での厳重監視が数十年単位続く。

 その上で管理局への就労が決まっているのだから、なかなかに厳しい。

 罪と比して軽いのか重いのか――チンクあたりは「軽め」と言うだろうが――は、ウェンディ達にはまだわからない。

 

 

 とにかく、この7人がスカリエッティ配下の戦闘機人の中で更生組と呼ばれるメンバーである。

 後見人と保護監察官についてはすでにそれぞれ決まっており、チンク、ノーヴェ、ウェンディの3人はスバルとギンガの保護者であるゲンヤ・ナカジマが、セインはカリム・グラシアが、ディエチは八神はやてが、そしてオットーとディードはギル・グレアムである。

 ちなみに、オットーとディードは名目上グレアムの保護下にあるが……。

 

 

「おぃーっす、午後のプログラム始めんよー」

「全員、整列!」

 

 

 ……事実上は、更生担当の一員としてここにいるリーゼ姉妹の保護下にある。

 どうやら本局での戦闘以降、奇妙な縁が出来てしまったらしい。

 それを本人達がどう思っているかは、それこそ本人達にしかわからない。

 なお、ディエチは自分で希望して八神はやてを保護監察官に選んだそうだ。

 

 

 そしてスカリエッティを含む残りの戦闘機人、ウーノ、ドゥーエ、トーレ、クアットロ、セッテの5名は捜査協力も裁判も拒否し、今は各世界の軌道上の監獄に収監されている。

 おそらく、フェイトの説得にも応じることは無いだろう。

 そして更生組は、今日もリーゼ姉妹によって更生への道を歩いていく……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 戦闘機人……ナンバーズのいる海上隔離施設は、服役している人間が生活を営むために必要なあらゆるものが整備されている。

 病院設備もその一つであって、無菌状態に設定された集中医療室を備えた本格的なものだ。

 そして現在、そこには1人の患者が「入院」している。

 

 

 そしてそれを部屋の窓越しに見つめるのは、紫色の髪の少女……ルーテシアだった。

 チンク達と同じ白の囚人服を身に纏い、病室のベッドの上で眠る母親を静かに見守っている。

 その瞳は静かだが、もしかしたなら以前よりも温もりのあるものであったかもしれない。

 しばしの間そこでそうしていたルーテシアは、立っていた時と同じように静かにその場を後にした。

 

 

「もう良いのか?」

「……うん」

 

 

 肩上、アギトの言葉に静かに頷く。

 ゆっくりと揺れる肩の上から、ルーテシアと同じ衣装に身を包んだアギトが少女の横顔を見上げる。

 そして何を言うでもなく、困ったような笑みを浮かべて肩を竦めた。

 

 

 ルーテシアは現在、チンク達とは別のプログラムで更生を受けている。

 アギトも、それは同じだ。

 アギトに関しては、最終局面でのヴィータへの協力が好意的判断を生んでいると言える。

 出所予定はまだ先だが、しかし2人共に今後がどうなるかはまだわからない。

 

 

「……アギトは、どうするの?」

「え? そりゃあ、ここを出るまではルールーの傍にいるよ。旦那の分も……」

「それは嬉しいけど」

 

 

 ……ゼストは、事件後に発見された時点で、すでに息が無かった。

 らしい最期だと、アギトは思う。

 いつ死んでもおかしくない身体で、最後の時間を騎士の借りのために使った。

 自分の時間ではなく、騎士の時間として。

 

 

 本音を言えば、生きていてほしかった。

 身体を労わってほしかったし、研究所から救われた恩を返したくもあった。

 だが、もうそれも叶わない。

 ならばせめてと、隔離施設院いる間はルーテシアの傍にいる。

 今さら、ルーテシアの人生において自分がどれだけ役に立てるかはわからないが。

 

 

「あの人達の所に、行くんでしょう?」

「え? ああ、まぁ……なぁ。まだはっきりどうなるかってのは、決まってないんだけど」

 

 

 頭を掻きながら、アギトはうーんと考え込む。

 その脳裏では、八神はやてと面談した時のことを思い出していた。

 そう、あれは半年前の事件から間もない時のことで――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――こうして会うんは、初めましてやな。八神はやてです、先日はヴィータを手伝ってくれてありがとう」

「え……ああ、いや、別に。何と言うか、アタシは大したことしてないし……あ、ですし」

「無理に敬語とかせんでええよ。それにアギトちゃんがユニゾンしてくれたおかげで傷も塞げたわけやから、やっぱりここは、ありがとうや」

「い、いや……まぁ、じゃあ、はい」

 

 

 そんな会話を、はやてとアギトは陸士108部隊の拘置施設で行っていた。

 六課隊舎も地上本部も壊滅している今、108部隊の敷地に間借りしている状態だった。

 まぁ、それはともかく……アギトとしては、一部とは言えスカリエッティの計画に関与していた自分がこうしてはやてと話していいものかと悩んでいた。

 

 

 そんなアギトを、はやてはじっと見つめている。

 見つめられている側としては、何とも居心地が悪い。

 ……そして自身もまだ入院が必要なはずのはやては、再び口を開いた。

 

 

「単刀直入に言うわ、アギトちゃん。私達に力を貸して欲しい、その代わり罪一等を減ずるよう精一杯のことをさせてもらう」

「えっと……あのヴィータって騎士の、相棒(デバイス)になるってこと?」

「それもある」

 

 

 急な話に戸惑うアギトに、はやては一度目を閉じつつ頷いた。

 

 

「でも私達が……ううん、違う、私が欲しいんはデバイスとしてのアギトちゃんの能力やないんよ。私が欲しいんは……アギトちゃんの、存在そのもの」

「……? どういう意味だ?」

融合機(ユニゾンデバイス)、それも古代ベルカの純正体としてのアギトちゃんが欲しい」

 

 

 瞬間、アギトの脳裏に蘇るのは、ゼストとルーテシアに拾われるまでの記憶だ。

 研究素材として扱われた日々であって、それはけして気持ちの良い記憶ではない。

 むしろ彼女にとってはトラウマそのものであって、出来れば思い出したくも無い。

 

 

 目の前にいる女性は、自分にあの頃に戻れと言うのだろうか。

 それは、アギトに失望にも似た感情を一瞬抱かせた。

 これが、あのヴィータが命を賭して救おうとした主か……と。

 

 

「お願いします」

 

 

 そんなアギトの胸中を知ってか知らずか、はやてはその場で頭を下げてきた。

 

 

「助けたい子がいるんです。その子を助けるためには、古代ベルカ式ユニゾンデバイスの基礎構造の情報がどうしても必要なんです。アギトちゃんに縋るしか、停滞を打破する有効な手段が……無いんです」

「え、いやっ、ちょ……あ、頭を上げてくれよ!?」

 

 

 これにはアギトも驚いた、まさか部隊長に頭を下げられるとは思わなかった。

 そしてどうも、事情は良くわからないが……どうやら、昔自分を弄繰り回した科学者とは違うらしい。

 助けたい子、とは、古代ベルカに何か関係があるのだろうか。

 

 

「非人道的なことも、アギトちゃんが嫌がることもしません、約束します。今すぐでなくても構いません、私が第六技術部の……しかるべき地位についてからでも良い。だから……私に、力を貸してください」

「え、えーと、いや、でも……アンタ別に科学者とかじゃ無いみたいだし、いや部下がそうなのか。だけど、非人道的な手段以外でアタシのことを調べたって、それが効果あるかなんてわからないし。大体、古代ベルカ式融合機の扱いの予備知識だって……」

「それは、たぶん大丈夫」

 

 

 アギトの懸念に、はやては妙に自信を覗かせる表情で頷いた。

 頭を上げて、真っ直ぐにアギトを見つめる。

 そして怪訝そうに首を傾げるアギトに対し、右手の人差し指で自分の頭を示して見せる。

 

 

 意味がわからなくて、アギトはますます首を傾げた。

 それに対して、はやてはどこか哀しそうな顔で笑う。

 そして、告げた。

 

 

「……私の頭の中に、知識と技術がある」

 

 

 最後の<夜天の王>であり、稀代の科学者の意識を融合させた唯一の存在。

 蒐集と、蓄積。

 今、八神はやての中にはこの世の全ての欠片があった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――いずれにしても、まだ何もわからない。

 ただ、手伝っても良いとは思っている。

 もしかしたら研究所で飼われていた時とは全く別の形で、迎え入れられるかもしれない。

 それも、自分とルーテシアのために精一杯のことをしてくれている人達だから。

 

 

 ゼストの葬儀をしてくれた分のお礼は、しても良いと。

 そう、アギトは思っていた。

 だけど、少なくとも今は。

 

 

「まー、今はとりあえずルールーと一緒にここでの刑期が終わるのを待つさ」

「……そう」

 

 

 アギトの言葉に頷いて、ルーテシアは口元に僅かな笑みを浮かべた。

 以前は無かったその表情に、アギトも嬉しそうに笑う。

 そして、歩き出す。

 

 

 ここから先は、彼女達の人生だ。

 誰に何かを強制されるわけでもない、ただ自分で考え自分で決めたことをする。

 そう言う、人生だ。

 

 

「そういえば、結局あのエリオとキャロって奴らとは友達になれそうなのか?」

「……さぁ。でも、良く笑ってくれる……」

「ふーん、ルールーは楽しいか?」

「……たぶん」

「そっか、ルールーが幸せで、私も嬉しいよ……きっと、ゼストの旦那もさ」

「うん……」

 

 

 まずは――――贖罪と、贖いの道を。

 少女達の歩みは、まだ始まったばかりだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 年をとってくると、墓参り一つ難儀になってくる。

 そんなことを考えながら、御影石の墓の上に白い花で揃えた花束を置く。

 花束の意味など良く知らないが、娘がミッドチルダでも有名な花屋で見繕ってきた花束だ。

 そう言えば、妻が生きている頃には家に良く飾られていたかもしれない。

 

 

(お前が生きてる時にゃ、そんなの気にしたことも無かったけどなぁ)

 

 

 苦笑して顔を上げると、陸士制服に身を包んだゲンヤ・ナカジマは妻の墓標を視界に収めた。

 周囲に同じ形の墓がいくつも並んでいるそこは、ミッド西部エルセア地方――スバルやギンガ達の出身地――ポートフォール・メモリアルガーデン、いわゆる公園墓地(メモリアルパーク)である。

 春の陽光に包まれ、涼やかな風が緑の木々を揺らす……とても、のどかな場所だ。

 

 

 ゲンヤが隣に視線を移せば、そこには濃紺の髪の彼の娘が彼と同じように目を閉じて祈っていた。

 冥福を祈っているのかもしれないし、あるいは何かを語りかけているのかもしれない。

 ……戦闘機人事件、その根を潰したと報告しているのかもしれない。

 

 

「……そろそろ、行くかぁ」

「はい」

 

 

 ゲンヤの声に頷いて、ギンガが頷いて立ち上がる。

 陸士の制服に身を包んだその姿は、半年前の事件で受けた傷が完治していることを印象付けていた。

 すでに捜査本部への出向は終わり、元通り陸士108部隊に所属する身だ。

 

 

 彼女は母の墓を見下ろして、内心で「今度はスバル達も連れてくるね」と呟いた後、父について母に背を向けて歩き出した。

 そして、そこで気付いた。

 父はまだ気付いていないが、彼女の目にははっきりと映っていた。

 

 

「あ……」

 

 

 墓地の入り口、そこには2人の人間が立っていた。

 ガッシリとした身体つきの初老の男と、眼鏡をかけた長身の女性だ。

 どちらも特徴的な青の制服を着ているので、誰かは良くわかるつもりだった。

 

 

「あん? どしたぁ、ギンガ……って、ありゃぁ……」 

 

 

 急に立ち止まったギンガに怪訝な目を向けた後、その視線を追ったゲンヤも気付いた。

 表情と身体をやや固くして、その2人に視線を向ける。

 その後、彼は娘と共に敬礼を行った。

 何しろ相手は、特に男の方は、ずっと上の階級なのだから。

 

 

「……レジアス・ゲイズ中将に、オーリス・ゲイズ三佐……」

 

 

 ギンガが口の中で2人の名前と階級を呟くと、レジアスは目礼し、オーリスは頭を下げてきた。

 その後、2人は敬礼を返してくる。

 そして4人は、しばらくの間無言で互いを見つめていたと言う……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「いや、実際大変だったんだよ? 僕だって半年前の事件ではものすごーく頑張ったわけで、結果的にはやて達も無事だったわけじゃない? 後のこともクロノ君とかイオス君とかが大体やってくれるって言うしさ、じゃあもう僕の仕事とか残ってないと思うんだよね、うん」

「それでは騎士カリム、私とロッサは一時退出させて頂きます」

「はぁい、気をつけてね」

「あ、僕の話は完全無視なんだね……いや、わかってたけどね……」

 

 

 そんな会話の後、シャッハの手によってカリムの部屋から引き摺られていくヴェロッサの姿に、クロノは頭痛でも覚えるかのようにこめかみに指を当てた。

 いや、実際に頭痛がするのかもしれない、眉間に皺を寄せてこめかみをひくつかせている。

 そんなクロノの様子が何かの琴線に触れたのか、丸テーブルを挟んで向かい合って座るカリムがクスクスと上品に笑い声を上げた。

 

 

「ごめんなさいね、ロッサがご迷惑をかけてしまって」

「いえ、別に迷惑と言うわけでは……ロッサは優秀な人材ですし。……優秀なんですけどね……」

「サボり癖が珠に瑕……でしょう?」

「ええと……まぁ」

 

 

 流石に直接「サボりで迷惑被ってます」とは言えず、クロノは明言を避けた。

 紅茶を飲んで間を稼ぐあたり、手馴れた感がある。

 カリムはそれに好意的な笑みを返しながら、自分も手元の紅茶のカップに指を添えて。

 

 

「それで、その後奥様とお子様のご様子はいかがですか?」

「あ、ああ、おかげさまで妻も子供達も元気に過ごしてますよ」

「それは良かったです」

 

 

 まるで自分のことの嬉しそうに微笑むカリムに、クロノ自身も笑みを返す。

 しかし彼は、その後すぐに表情をやや固くして。

 

 

「子供と言えば……その、例の子供についてなのですが」

「ヴィヴィオのことですか?」

「……ええ」

 

 

 半年前の事件で機動六課が保護した少女、ヴィヴィオ。

 彼女は今、聖王教会系列の聖王医療院で検査入院の状態にある。

 しかしそれは表向きのことであって、事実上の「保護・軟禁」に近い状態だった。

 理由は、彼女の出生にある。

 

 

 ヴィヴィオは、最高評議会が<聖王のゆりかご>――現在は局の正式な管理下にある――と呼称される古代の戦艦を動かすための「鍵」として生み出された、古代人のクローンだったのである。

 オリジナルは300年前、古代ベルカの聖王と呼ばれる人物が覇権を握っていた時代の人間。

 そして、ヴィヴィオは聖王……<聖王オリヴィエ>に関係する人物か、本人をオリジナルに持つ可能性が高いとされている。

 

 

「今頃は、聖王医療院を退院したのではないでしょうか?」

「は?」

 

 

 あっさりとしたカリムの物言いに、クロノは間の抜けた表情を浮かべてしまった。

 それが面白かったのか、カリムはクスリと微笑んで。

 

 

「そう言うお顔も、素敵ですね?」

「え、あ、ああ、いや、どうも……」

 

 

 どもりながら、クロノは内心で疑問を感じていた……いや、喜ばしいことではあるが。

 <聖王オリヴィエ>といえば、翡翠と紅玉の瞳を持つ――そう、ヴィヴィオと同じ――古代ベルカの王であり、カリムの所属する聖王教会の崇拝の対象でもあるはずだ。

 それが「退院」、つまりは「解放」である。

 俄かには、信じ難かった。

 

 

「……六課や半年前の事件に対して、私は大して役に立てませんでしたから」

 

 

 そんなクロノの内面の疑問に答えるように、カリムは微笑を浮かべた。

 どこか哀しさを含む微笑に、クロノは居住まいを正す。

 

 

「私達は確かに聖王陛下を崇拝していますが……必ずしも、1人の女の子を「聖王陛下」と崇める必要性を感じてはいません。そう、それに……何と言いましたか、あの子のお母さんがこんなことを言っていましたから」

 

 

 ヴィヴィオは<聖王>じゃない、ただのヴィヴィオ。

 甘えん坊で泣き虫で、寂しがり屋で怖がりで、ピーマンが苦手で転んだら1人では起きれない、そんな普通の女の子。

 だから、私はあの子が<聖王>って人と何か関係があるなんて考えもしない――――。

 

 

(なのは……)

 

 

 クロノの脳裏に、栗色の髪の後輩の笑顔が浮かんだ。

 そして確信する、ヴィヴィオの敵はあの後輩の敵になるのだろうと。

 それを嬉しく思うべきか、そうではないのかは……彼にも、まだ判断はつかない。

 ただ彼の妻であれば全力で応援しただろうとは、思った。

 

 

 そして同時に、カリムの言葉から教会の事情も慮ることが出来た。

 極端に言えば、今さら<聖王陛下>に「帰還」されても困る人間が多いのだろう。

 これまで「いないもの」として崇めていた存在が実在したとなれば、教会内部のパワーバランスに変化が生じる。

 その混乱を嫌って、手の届く所に置きつつ、近付き過ぎず……というわけなのだろう。

 

 

「そういえば……」

 

 

 最も、教会内には少数ながら逆の判断をする勢力も……とクロノが考えた所で、カリムは窓の外へと視線を投げた。

 教会の外になかなか出る機会の無い預言者は、どこか遠くを見るような目をしていた。

 つられて、クロノも窓の外を見る……春の陽光に包まれた、美しい世界を。

 

 

「……今日は、機動六課の解散日でしたね」

「ええ……」

 

 

 頷いて、クロノも想いを馳せる。

 同じ空の下、まったく別の時間を過ごしているだろう仲間達のことを想って。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 機動六課の隊舎は、地上本部とほぼ同時にその機能を回復していた。

 時間はおおよそ2ヶ月弱、10月末から11月初めにかけて通常の業務が可能になった。

 とはいえ、機動六課の機能自体は途切れることなく続いていた。

 部隊長不在の、あの1週間を除けば……であるが。

 

 

「この1年間で、皆がこの機動六課で何かを得ることが出来ていればと思います。次の赴任先でも、皆どうか元気で頑張ってください」

 

 

 復旧直後の真新しい隊舎、そこでスバルははやてのスピーチを聞いていた。

 隣にはティアナ達フォワードの仲間達もいて、一緒に手を打って拍手している。

 フォワードだけでなく、バックヤードやロングアーチの面々も、彼らの整列を前に敬礼しているはやてや隊長陣に敬礼を返していた。

 

 

 そう、機動六課の運用期間終了に伴う「解散式」。

 それが今日だ、明日からは皆、それぞれ別の赴任先で新しい日々を送ることになるだろう。

 かく言うスバルも、湾岸特別救助隊と言う災害陸士担当の花形部隊への入隊が決まっている。

 ティアナとは訓練校以来初めて進路が別れることになるが、それについては話がついている。

 曰く、離れていても……だ。

 

 

「現時点でもって、私は貴方達の部隊長ではなくなりました。だから、もう一つだけ――――個人的に言いたいことがあります」

 

 

 終わったかと思った話に続きがあって、スバルを含めた全員が意外そうな表情を浮かべた。

 そんな彼女らを、はやてはどこか愛おしそうなものを見るような目で見渡した。

 それから、柔らかな微笑を浮かべて。

 

 

「……助けてくれて、ありがとう」

 

 

 微かな声が、不思議な拡散をもって機動六課隊員……否、「元」機動六課隊員達の耳に届いた。

 それは半年前、隊員の前に無事な姿を現した時にも聞いた言葉だ。

 だから大方の反応としては、「何を今さら」「水臭いことは無しですよ」と言うものだろうか。

 そう言う意味では、はやては部隊長として受け入れられていたと言える。

 元々、半分は身内のような部隊だったが……。

 

 

「じゃあ、皆……1年間、ありがとうざいました!」

「「「「ありがとうございました!!」」」」

 

 

 そして、解散式は終わる。

 荷物のまとめや施設の引継ぎの事務処理などはすでに終わっているので、後は夕方まで最後の業務を行い、夜には解散の打ち上げである。

 三々五々散っていく隊員の中には、もちろん業務に戻ろうとしたフォワード4人も含まれているのだが……。

 

 

「あ、スバル達はこっちだよ、ちょっと時間頂戴ね」

「え、あ、はいっ!」

 

 

 なのは達隊長陣に呼ばれ、他の隊員とは別方向に進むことになった。

 実の所、スバルなどはあまりなのは達と話したくなかったりする。

 何故かと問われれば、寂しいからだ。

 訓練校の時もそうだったが、別れとか卒業とか解散とか、そう言うものが苦手なのだ。

 なのは達の教導が終わると言うのが、今回はそれにあたる。

 

 

『ほら、馬鹿なこと考えてないで行くわよ』

『あ、う、うん』

 

 

 パートナー、「元」パートナーの少女に軽く肩を叩かれて、スバルは曖昧に頷いた。

 ドライな言葉の裏に何を考えているのか、ティアナはいつもよりやや早い足取りで歩き出した。

 そして、エリオとキャロも伴って歩き出す。

 

 

 どこに向かうのかと聞けば、なのはもフェイトも教えてはくれなかった。

 ……隊長陣も、半年前の事件で負傷を負っていた。

 特にシグナムとヴィータは重傷で、そしてこの場にはいないシャマルとザフィーラを含む騎士達は主人とのリンクが切れて魔力を減じていた。

 そう言う意味では、変化が最も大きかったのではないか。

 

 

「「あ」」

 

 

 隊舎を出た所で、エリオとキャロが声を上げた。

 そこには一台の自動車がほとんど同時に乗り入れてきていて、2人の人物が出てきた所だった。

 その2人は、その場にいる人間がとても良く知る人間だった。

 

 

「ままーっ!」

 

 

 1人は、小さな女の子だった。

 車から飛び降りるように駆け出したヴィヴィオは、破顔して先頭のなのは、フェイトの所へ行って抱きついていた。

 足に抱きついてきたヴィヴィオを、なのはもフェイトも笑顔で迎え入れている。

 

 

 聖王医療院からの退院を知らなかったスバル達は驚いたが、喜ばしいことには違いなかった。

 口々の祝福の言葉を述べて、スバルなどはなのはに抱っこされたヴィヴィオの頭を撫でていた。

 その傍にあって、キャロは視線をもう1度車へと戻して。

 

 

「お兄さん、お久しぶりです!」

「おーぅ、まぁそんな久しぶりってわけでもねーけどな」

 

 

 車から降りて、姪的存在の少女の笑顔に応じる水色の髪の青年。

 そんなイオスを、はやては目元を緩めて見つめた。

 春の空気の中、はやてはゆっくりとした足取りでイオスへと近付いて行った……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「イオスさん、ヴィヴィオのお迎えに行ってもらってすみません」

「イオス、わざわざありがとう」

「何で俺に頼むんだよ、ユーノあたりに言えよ、そう言うのは」

 

 

 機動六課の敷地内を全員で連れ立って歩きながら、イオスは自分にヴィヴィオのお迎えを頼んできた2人に抗議していた。

 彼としても姪にあたるので別に構わないと言えば構わないが、それでも言うべきだと判断した。

 しかしまぁ、正式になのはの養子になるというヴィヴィオを放ってもおけない。

 損な性格と、そう言えるかもしれない。

 

 

「ユーノお兄ちゃんね、おみまいにきてくれたよ? たくさんご本をもってきてくれたの」

「そっか、良かったねヴィヴィオ。またユーノ君にお礼言わないとね」

「そうだね。はい、ヴィヴィオ。イオスにもお迎えありがとーって言った?」

「うん!」

 

 

 イオスが自分の家族構成について考えていると、なのはとフェイトと手を繋いでご満悦なヴィヴィオ――入院中、寂しかったのだろう――は、フェイトの言葉に満面の笑顔で頷いた。

 そして、後ろを歩いているイオスの方を向いて。

 

 

「イオスおじちゃん、ありがとうございます!」

 

 

 ――――それは、致命的な一撃だった。

 絶大な威力を持ち、そして照準も正確……これまでの人生で受けたことの無い、そんなダメージ。

 膝から力が抜け、手をつき項垂れる。

 立ち上がれない、これまでどんな攻撃にも耐え忍んで来た歴戦の魔導師が立ち上がることも出来なかった。

 

 

 かつてエリオやキャロに「おじさん」と呼ばれた時も、ここまでのダメージは無かった。

 何故かと言えば、フェイトが直前に「伯父」と説明していたためだ。

 しかし今回は違う、こう、もっと無垢な感情でもって「おじちゃん」と呼ばれたわけである。

 そんなイオスの様子に慌てたのは、当のヴィヴィオではなくなのはとフェイトだった。

 

 

「こ、こらヴィヴィオっ、おじちゃんじゃなくてお兄さんでしょ?」

 

 

 なのはのその発言がさらにイオスを傷つけていたのだが、彼女はそれに気付いていなかった。

 イオスは思う、仕方が無いと。

 6歳の子供からすれば、25歳はもう十分に「おじちゃん」なのだろうと……。

 

 

「ぷっ……」

 

 

 今、ティアナがあからさまに口元を押さえて通り過ぎて行ったのは気のせいだろう。

 でなければ停職ものである、だがエリオとキャロの「元気出して」な視線もそれはそれで傷ついた、そして笑うのを我慢しているスバルに何故か一番腹が立った。

 

 

「……ん、んんっ!」

「今年で一番の出来事だったな……っと、おーこわ」 

 

 

 咳払いだけで済ませたシグナムはともかく、何事か呟いたヴィータは看過できなかった。

 かなり強く睨んでやれば、肩を竦めながらさっさと先に進んでしまう。

 普段は固まるくせに、今回に限ってはイオスの睨みに効果はまるで無いらしかった。

 今のイオスは敗者であった、実に惨めである。

 

 

「あはは、元気出してやお兄さん?」

「ぶっ飛ばすぞお前」

「あははっ」

 

 

 そんな彼の傍にしゃがみ込んで、慰めるように肩を叩いてきたのははやてだった。

 文句を言いつつ彼女を一瞥すると、そこには朗らかな笑顔があった。

 毒気の無いその笑顔に、イオスは溜息を吐く。

 まぁ、後輩達が笑顔であれば良いか……などと。

 絶対に思ってなどやらない、そう考えて。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 向かっている先は、どうも六課の湾岸訓練スペースらしかった。

 無味乾燥なアスファルトの道路に人工の自然を植えつけた、そんな道を歩く。

 4月後半にしては気温が高い気がするが、それも含めての春の陽光というものであろう。

 

 

 はやてと並んで歩く形になっているイオスの前方では、ヴィヴィオが加わったことで騒がしさを増した隊長陣とフォワードが楽しそうに歓談しつつ歩いている。

 どうも次の進路について不安がっているスバルを慰めている様子なのだが、正直イオスとしては取り越し苦労に思えてならない。

 

 

「……というかスバルに限らず、あの4人はどこでもやってけるだろ」

「才能あるもんなぁ」

「お前がそれを言うと、やけに嫌味に聞こえるなオイ」

「うーん……でもほら、指揮官の才能は無かったわけで」

「それはお前の自業自得」

 

 

 言い切られて、部隊長にも関わらず敵に拉致されると言う失態を演じたはやてはうぐっ、と言葉を詰まらせた。

 イオスにしてみれば、自己の才能を否定する行為だったとしか言えない。

 まともにやっていれば、普通にやっていれば……たられば話は意味が無いとはいえ、だ。

 

 

 まぁ、その件に関しては、機動六課の稼動期間の後半でイオスが出した数百枚に及ぶ監査書――要するに、「機動六課はここがダメです」と言っている書類――を出し続けたことで良しとしている。

 そればかりははやても少々キツかったようだが、おかげで予定通り六課を解散できたので良しとする。

 奇しくもそれは、六課結成当初にはやてが望んだ形でもあった。

 

 

「……それで、あのー……」

 

 

 不意にやや表情を固くして、俯きがちになりつつ隣へと視線を送る。

 

 

「身体の方は……大丈夫ですか?」

「んー、至って健康だよ。昨日も病院行ってきたし、どっこも悪い所はねーよ」

「……そっか」

 

 

 眉を下げて微笑むはやてに、イオスはうむと頷いて見せた。

 さらに元気をアピールするために片腕を掲げて力瘤を作る仕草をして見せると、はやては口元に手を当ててクスクスと笑った。

 ――――眉の下がった笑みは、無理をして作っているとわかってしまう程に拙いが。

 

 

 誤魔化しきれていない、とイオスは思った。

 半年前の事件、そこでイオスは魔導師として致命的な負傷を得ていた。

 魔力を生む機関、魔導師として最重要のもの……リンカーコアの重大な損傷。

 リンカーコアの再生治療は現在の技術では不可能だ、幸い魔力精製が停止したわけではないので魔導師人生が終了したわけでは無いが、発揮する魔力量は7分の1以下にまで減少してしまった。

 

 

(ま、リインの加減が上手かったんだろうな)

 

 

 リインは事件直後、泣いて謝っていたが――――だがアレはイオスが望んだことで、リインが謝罪する必要は無い。

 後悔が全く無いとは言わないが、要するに自分の力不足、恨むなら自分を恨むべきだろう。

 むしろ、7分の1でも機能を残してくれたリインに感謝すらしているのである。

 

 

 ただ、空戦技能の低下は流石にどうしようも無かった。

 魔法の出力が下がり高速戦に対応できなくなった、なので今、イオスは空士資格から陸士資格への変更をレティを通じて人事部に願い出ている所だった。

 一尉の階級のまま行えるのかはわからないが、ちょうど良いかもしれない。

 地上でレジアス達の行動を直に見れるし……今は亡き同期の(アベル)への餞にもなろう。

 

 

「そう言う八神さんこそ、大丈夫なのか?」

「え?」

「いや、ほら……何と言うか、身体とか」

 

 

 沈黙は良い結果を生まない、なのでイオスは話題を逸らした。

 実際、事件直後ははやての肉体的な衰弱も酷いものだったのである。

 頭の中を弄られたことが影響しているのかどうかは知らないが、数日は40度を超える熱にうなされる日々を過ごしたのだ。

 ……治った直後に監査書の山を送りつけたイオスも、それはそれでなかなかだが。

 

 

「うーん、至って健康。この間も病院で診てもろて、どこも悪い所は無いって」

「そーかい」

 

 

 そのままの言葉を返されて、イオスは苦笑した。

 

 

「まったく、お前は本当に目ぇ離せねぇなぁ」

「えー、そんなことないと思うんやけど」

「どの口が言ってんだよ」

「あぅっ」

 

 

 後ろから頭を掴まれて、はやては少し前に身体を倒しながら鳴き声を上げた。

 そのままグシグシとしてやれば、あぅあぅという鳴き声に変わった。

 それが終わると、はやては乱れた髪を撫で付けながら恨みがましい視線をイオスへと向ける。

 

 

「女の子の髪に軽々しく触るのは、紳士としてどうかと思うよ?」

女性(レディ)ならともかく、女の子(ガール)相手にそんな配慮は必要ないなぁ」

「査察官がセクハラって、どうかと思うっ」

「……あれ、何かどっかで似たようなこと言われたような……?」

 

 

 イオスが首を傾げて記憶を探っている間に、どうやったのかはやては髪を綺麗に直していた。

 それから、僅かの時間考え込んで。

 

 

「うーん……私って、やっぱりそんな目ぇ離せへん?」

「そうだな、危なっかしくて見てらんねぇ……いや、目は離さないんだけどな」

「どっちや、それ」

 

 

 ――――それなら。

 

 

「じゃあ、残りの私の人生、最後まで見とってくれる?」

 

 

 ふわり、と、春の暖かな日差しの下ではやてが微笑する。

 今度は眉も柔らかに曲げ、目元を緩めて頬を上げ、形の良い唇を綺麗に笑みの形に。

 軽く傾げられた頭の動きに揺れて頬にかかるのは、黄色と赤の髪留めのついた茶色の髪だ。

 

 

 その笑みはとても柔らかで、見る者の心にスっと入ってくるような温かなものだった。

 イオスは僅かな時間、目を丸くしてその笑顔を見つめた後……こつん、と、はやての額を指先で小突いた。

 その顔には、苦笑にも似た表情が浮かべられている。

 

 

「調子乗んな、ばか」

「ひどっ、イオスさんが言うたんやん」

 

 

 イオス・ティティアと八神はやて、その出会いはけして幸福なものではなかった。

 2人の間には最初から『闇の書』――――『夜天の書』の存在が横たわっていて、時としてそれが複雑な事態を生むこともある。

 しかし同時にそれは、『夜天の書』が2人を引き合わせたとも言える。

 

 

 なのはやフェイトに、『ジュエルシード』によって引き合わされたように。

 それ自体は、単なるきっかけに過ぎない。

 だがそれでも、評価は正当に成されなければならない。

 物事にマイナス面があるように……。

 

 

「あ、そう言えば私もなのはちゃんもフェイトちゃんも、20歳やん? そこで今夜の打ち上げでついにお酒を解禁してみようかと思うんやけど、どうやろ?」

「え、絶対やめろよお前、お前ら3人が酔っ払うと大変なことになりそうな気がする」

「大丈夫、イオスさん以外には迷惑かけへんから」

「絶対やめろ」

 

 

 『夜天の書』は、イオスにとっては災厄の象徴である。

 それは変わらないし、変えてはいけないものだ。

 だが『夜天の書』に関わって全てが悪くなったかといえば、どうだろう。

 

 

 最近になって、そう思えるようになってきた。

 そこまで来るのに、父が死んで20年以上の時間を要したわけだが、それでも。

 それでも、それだけではなかったと。

 今になって、許すでも願いでもなく……単なる事実として、そう思うのだった。

 はやての笑顔を見て、『夜天の書』に人生を壊された女性の笑顔を見て、そう……。

 

 

「はやてちゃ――――んっ、イオスさぁ――――んっ」

 

 

 顔を上げれば、訓練場に桜並木を再現して待っていたらしいリインの姿が遠目に見えた。

 小さな身体で両手を振り上げて呼んでいる姿が見えれば、イオスもはやても表情を緩める。

 再現されたものとは言え、第97管理外世界……地球・海鳴市の桜を再現し、無数の桜色の花びらが舞う様はまさに壮観だった。

 僅かな懐かしさを刺激されて、イオスが息を吐いた。

 

 

「……すごいな」

「うん」

 

 

 頷くはやての目にも、僅かな郷愁の感情が見える。

 はやて達の故郷の、別れと始まりを象徴する花だ。

 

 

「……ところで、前線メンバー集めて何するんだ?」

「全力全開で模擬戦するんやって」

「この景観も、あと数分で見納めか……」

「あはは」

 

 

 これからも共に歩むことになるのだろう仲間達に酷いことを言って、イオスは笑う。

 隣では、やはり共に行くことになるのだろう、はやてがいる。

 『夜天の書』に選ばれた、かつて少女だった女性が、笑顔でそこにいる。

 かつて連鎖していた事件の――――終着点が、ここだったのかもしれない。

 そんなことを考えて、はやての隣、イオスは桜色の花びらが舞い散る様を見上げて……笑った。

 

 

 ……全てが上手くいったわけでは無い、全員が幸福になれたわけでは無い。

 しかし彼らは可能な限りのものを救い、助けて……「こんなはずじゃない現実」と、戦い続けている。

 願いは異なる、世界も異なる、しかし想いは同じだと信じて「正義」を行う者達。

 

 

 

「ところでイオスさん、いい加減、私のことはやてって呼べません?」

「え」

「……はぁ~……」

 

 

 

 ――――彼らの名を、「時空管理局」と言う。

 

 





最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
本編は次回のエピローグで終了になりますが、事実上今回がラストになります。
エピローグ後に番外編のような形で4話続きますが、とにかく本編はこれでラストになります。

「リリカルなのは」を描くにあたって、読者の方々から頂く感想やメッセージは本当に力になりました。
途中、かなり苦しかった場面でも最後まで描くことができました。
本当にありがとうございます。

それでは、あと少しお付き合いくださいませ。

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