魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

79 / 88
サブタイトルはミスではなく、わざとですのであしからず。
では、どうぞ。


StS編第23話:「査察官、と、夜天の王」

 九死に一生を得ると言う状況は、前線の管理局員には割と日常茶飯事である。

 それは、今のイオスにぴったりの状況指摘と言えるだろう。

 

 

「……ほう」

 

 

 純粋魔力攻撃故に壁や天井に破壊痕は無く、魔法衝撃のみが吹き荒れた<ゆりかご>の玉座の間。

 魔力風に横髪を靡かせながら、はやて=スカリエッティは感嘆の吐息を漏らした。

 その視線の先には、『デアボリック・エミッション』の威力にすり潰された青年……ではなく、広域殲滅魔法の威力を逸らした黒い盾があった。

 

 

 黒き盾、『カテナ』。

 かつて師に託された黒き盾の陰に隠れるようにして、イオスは『デアボリック・エミッション』の威力から身を守ったのである。

 拡散型だったとは言え威力は高く、その表面からは白い煙が立ち上っている。

 

 

「や、やばかった……終わったらお師匠に礼言わねぇと」

<そ、そんなこと言ってる場合じゃ……きゃあっ!?>

 

 

 イオスの中でリインが悲鳴を上げる、それもそのはずだろう、『カテナ』に身を隠すイオスに対して続け様に砲撃が行われたのだから。

 はやて=スカリエッティの側からすれば当然の戦術であろう、『テミス』があるとは言え肉体の魔法特性は砲撃にこそあるのだから。

 

 

「ぐぅおおおおおおおおおおおおおぉぉっ!?」

 

 

 そしてその威力は思っていた以上に高い、盾の持ち手から手が弾き飛ばされてしまいそうだ。

 魔力の雷を伴うそれは余波となってイオスの身体を打ち続けているし、砲撃本体の威力は後ろへと流れているのである。

 それは対魔措置の施された壁を確実に削り続け、最終的には砕いて粉砕した。

 

 

(あーもう、面倒臭ぇくらい凄ぇ才能だよ、ったく……!)

 

 

 総合魔力ランクSS、特別捜査官として最前線に立ち続けて10年の身体だ。

 そこに稀代の科学者ジェイル・スカリエッティの知識と理論が加わっているのである、術式の構成もなかなか巧緻という他無かった。

 しかし土台になっているのは、あくまでも八神はやての巨大な才能だ。

 

 

 なのはやフェイトの陰に隠れてはいるが、はやても稀有な才能を有した魔導師なのである。

 だからこそ『闇の書』に選ばれたのであるし、最大射程と魔法効果範囲においては他者の追随を許さない。

 それこそ、イオスなどより遥かに巨大な才能を有している。

 

 

<『カテナ』表面、融解するです!!>

「んなっ……っおぉわっ!?」

 

 

 リインの言葉に驚愕した次の瞬間、次撃が来た。

 砲撃魔法特有の問答無用の圧力が『カテナ』を襲い、かつてリインフォースの『スターライトブレイカー』さえ2度防いで見せた『カテナ』の表面は、度重なる熱量に悲鳴を上げていた。

 ……冷静に考えれば、魔力量の差ではやての方が砲撃魔法の密度は濃い。

 となれば、『カテナ』のダメージの蓄積もそれに比例するのだろう。

 

 

「~~~~っ、どうする!」

 

 

 自分にかリインにか、とにかくイオスは声に出して言葉を発した。

 そうしなければ自分を保てなかったからだ、目の前の状況はあまりにも厳しい。

 まず、正面からの戦闘で完勝できると思う程イオスは自分の総合力に自信が無かった。

 悲しいことに、はやての身体のスペックが高すぎる。

 

 

<スカリエッティがはやてちゃんにどんな処置を施したのか不明なので、確かなことは言えないですが……>

「藁にも縋る思いで聞こう! 何だ!?」

<……それが『レリック』などを利用した特殊な物であるのならば、純粋な魔力攻撃での昏倒で意識を奪うしかないです。その後、適切な処置を行えば……>

 

 

 リインの回答は、正直に言ってイオスを満足させるものではなかった。

 第一、純粋魔力ダメージなどイオスから最も程遠い。

 魔力変換資質持ちは、純粋な魔力での魔法を行使することが極めて難しいのだ。

 

 

 さらに言えば、砲撃を留めるだけで精一杯な現状では反撃のはの字も覚束ない。

 現在も盾に隠れて、後方で何かが破壊され続ける音を聞いて身を竦めているのだから。

 実際、彼の周囲には魔力の暴風によって粉砕された壁の瓦礫や破片が山と積まれている。

 つまる所、打つ手が無い。

 魔法と言う点で見た場合の強度が、イオスとはやてとでは違いす……。

 

 

「……あー……」

 

 

 砲撃で熱を持つ盾の陰で、イオスは呻くような声を上げた。

 それは酷く弱った時特有の声音であって、出来ればやりたくないことを思いついたような。

 そして実際、彼の思いついた方法は魔導師として最悪の部類に入る物だった。

 

 

 しかし、魔法の強度は上がる。

 一時的には魔力総量も上がるだろうし、もしかしたならはやてと互角以上のポテンシャルを発揮できる可能性もある。

 ……しかし、それだけでしか無い策だった。

 

 

<『カテナ』、危険域です!>

 

 

 リインの言葉に唇を噛んだ、実際、彼の目にも『カテナ』の裏面に罅が入るのが見えている。

 時間が無い、他に代案が無ければそれを選ぶ他無い。

 だが、それをしてしまうと彼は。

 彼は……。

 

 

『イオスさん』

 

 

 ……彼は、噛んでいた唇を離して目を細めた。

 そして、深々と溜息を吐く。

 自分に名前で呼んでほしいなどと言って、自分を守るためにコソコソしていた後輩の声を思い出して。

 思った。

 

 

 ああ……仕方ないなと。

 何に対するものかは、彼にもわからない。

 ただ確かなのは、もしそうなったら寂しいなと言うことだ。

 自分を「イオスさん」と呼ぶ後輩が減ったら寂しい、そして。

 

 

「……リイン」

 

 

 そして、『闇の書』に人生を奪われた彼女が。

 

 

「頼みがあるんだ、たぶん、お前にしか出来ない」

 

 

 こんな所でいなくなるなど、あってはならないから。

 何の罪も無いのに罪人扱いされる彼女を見守ってきたからこそ、イオスは……イオスが、それをさせるわけにはいかなかった。

 だから、イオスは覚悟した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 顎を拳で打ち抜かれて脳が揺れ、瞬間的に意識が遠のく。

 しかし、意識を失いながらも肉体に刻まれた訓練がスバルを突き動かす。

 

 

「がふっ!?」

 

 

 脳を揺らされて目の前がボヤける中でも身体が自然と動き、反撃の形を取る。

 顎を打ち抜く右ストレートを放ったノーヴェの首の後ろに後ろ回し蹴りの要領で叩き込んだ踵がそれであって、無意識化でも行動しなければ潰されるヴィータとの訓練がそうさせた。

 一方でノーヴェも、天性の頑丈さでもって耐えていた。

 

 

 幾重も交差した『ウイングロード』と『ブレイクランナー』の青と黄の道は螺旋状の柱にも見えて、交差する部分は今やスバルとノーヴェの肉弾戦の小劇場と化していた。

 両者共に意識を飛ばし、直後に引き戻し、振り向きながら互いの顔に一撃を叩き込む。

 スバルの右拳はノーヴェの左頬を穿ち、ノーヴェの右拳はスバルの眉間と鼻の間に直撃した。

 

 

「~~~~ッッ!?」

 

 

 拳の衝撃に仰け反り、額から鮮血を散らせるスバル。

 対するノーヴェも無事ではなく、人工の頬骨が砕けているのか頬が黒ずんでいた。

 そして先の交錯が無かったとしても、互いの肉体は外部・内部共に深刻な損傷を受け始めていた。

 

 

 しかし出血は最低限であって、見た目には派手さは無い。

 だがバリアジャケットやスーツは所々で破れ、外気に晒されている肌は何箇所も赤黒く黒ずんでいる。

 骨折と深刻な内出血、痛々しさと言う意味では斬られたり潰されたりされるよりも伝わってくるようだった。

 

 

(キツい……!)

 

 

 表面上はともかく、内面ではスバルは泣き言を上げていた。

 姉とのシューティングアーツの訓練でもここまで痛い思いをしたことは無い、なのはやヴィータの教導であってもそうだ。

 ――――痛いのは嫌いだ、酷く辛い気持ちになる。

 

 

 しかし踏み込みは止めない、ガードを擦り抜けて腹部にノーヴェの拳が突き刺されば息を詰めながら目の前の背中に両拳を叩き付け、さらに膝でノーヴェの顔を打ち上げる。

 ノーヴェは打ち上げの勢いを利用してそのまま身体を縦に回し、足先の蹴りをスバルの顎を叩き込む。

 身体を仰け反らせた所に腹部へ再び拳が突き刺さる、連撃のボディブローにスバルは肺の空気を強制的に吐き出させられた。

 

 

<Full throttle>

 

 

 『マッハキャリバー』がローラーを回転させて無理矢理衝撃に耐えさせる、スバルの意思とは言え酷く厳しい処置だった。

 結果、ノーヴェの拳が突き刺さったまま踏み留まることになる。

 気付いたノーヴェは舌打ちし、拳を引き戻して身体を沈め、伸び上がるような打ち上げの一撃を放って来た。

 

 

「――――ッ!」

 

 

 身体を斜めに傾けて拳をかわす、拳圧が前髪を揺らす程の剛の一撃。

 それをかわされ、肩越しにスバルを睨むノーヴェの瞳には、鮮烈な感情が浮かんでいた。

 

 

「こ、の、ぉ……!」

 

 

 そこへ、スバルの右拳が撃ち込まれた。

 我慢のし合い、我慢比べ、ひたすら互いに我慢と忍耐を強いる肉弾戦。

 先に根を上げた方が滅びる、これはそう言う戦いだった。

 

 

 ……だが、そうした我慢が精神力に依拠している物である以上、長続きしないことはわかっていた。

 パートナーのティアナには、特にわかっていた。

 だから彼女は静かに地上から螺旋の柱の戦いの様子を窺いながら、近く訪れるだろうスバルの限界に備えて策を練っていた。

 

 

「――――どこを見ているのです?」

 

 

 静かに思考を巡らせるティアナの周囲に、4本のブーメランが発生する。

 己の相手であるセッテの放った物であるそれに対して、ティアナはただ冷たい視線を向けるだけだった。

 その視線は、はたして感情の起伏に乏しいセッテと比べてどちらがより冷酷であったろうか――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ティア――――!?」

 

 

 下で起こった爆発に、スバルは目を引かれた。

 魔力爆発特有の黒煙が巻き起こり、パートナーの姿が見えなくなることに不安を覚える。

 スバルにとって、ティアナはそこにいるのが当然の人間であったからだ。

 それは作戦面に限らず、精神的な支えと言う意味でもそうである。

 

 

「――――どこ見てやがる!!」

 

 

 動きを止めたそこへ、ノーヴェの両足での飛び蹴りが胸へと叩き込まれた。

 体内のフレームが衝撃でたわむ程の一撃に、胸の奥から嫌な味の液体がこみ上げてくるかと思った。

 しかしそれでも、スバルの目はパートナーを探していて……。

 

 

『余所見すんなっ、バカスバル!』

「ティアッ……う、おおおおおおおおぉぉっ!!」

 

 

 念話で響いたパートナーの声に下がりかけた身体を立て直し、空中に浮いたまま繰り出されたノーヴェの回転蹴りを左手で受け止めた。

 驚愕に瞳を見開くノーヴェ、その腹に右拳を撃ち込んで吹き飛ばす。

 これまでで一番気合の乗った一撃に、ノーヴェは空中で勢いを殺しきれずに背面の壁に激突した。

 

 

「ティアッ、ティアッ、大丈夫!?」

『あーもう、うっさいわねアンタは。大丈夫よ、ちょっと両足切れただけだから』

「それ大事だよね!?」

『うっさい! それより、行くわよ』

「え?」

 

 

 ティアナの声に首を傾げれば、スバルの脳裏に浮かぶのは自信満々に頷くティアナの顔だ。

 いつだって何かを考えていて、考えることが苦手なスバルはいつも考えることをティアナを任せていた。

 そのパートナーの少女が、告げる。

 

 

『――――クロスシフトG!』

 

 

 だから、号令のような言葉は胸の奥にストンと落ちてきた。

 そしてスバルは、ティアナの作戦を信じている。

 いつだって、どんな時だって。

 彼女のパートナーは、起死回生の一手を考え続けてきたのだから。

 

 

「てめ……っ、ああ!?」

 

 

 体勢を立て直したノーヴェが見たのは、『ウイングロード』を解除して下へと落ちるスバルだった。

 そしてそのスバルの身体を擦り抜けるようにオレンジ色の弾丸が飛来し、しかしそれは何に当たるでもなくその場で炸裂した。

 凄まじい閃光を放つそれは、疑いようも無く目晦ましだった。

 

 

「無駄なことを……」

 

 

 その閃光を頭上に抱きながら、セッテは呟いた。

 数秒焼けた視界はすぐに回復する、彼女とっては問題にもならない。

 そしてセッテは、冷静な瞳を前へと向けた。

 煙が晴れたそこに、オレンジの髪の魔導師がいた。

 

 

 無駄なことをと、セッテは重ねて思考した。

 近接用なのだろうか、銃型デバイスからオレンジ色の刃を発生させての近接戦を仕掛けてきた。

 中距離では不利と思ったか、しかしセッテは近距離も得意な戦闘機人である。

 感情に乏しい分、戦闘においては正しく判断が可能だった。

 

 

「沈みなさい」

 

 

 ブーメラン状の刃を持つ武装『ブーメランブレード』、それを裁きの神のように振り上げて振り下ろす。

 そして、オレンジの髪の魔導師――ティアナは、驚愕に見開いた顔でそれを受けた。

 ガラスの壊れるような音が響く。

 

 

「……なっ!?」

 

 

 驚愕の声を上げたのはノーヴェだった、彼女は拳を振り切った体制で『ブレイクランナー』上に留まっていた。

 そんな彼女の周囲には、ガラスのような魔力の残滓が漂っている。

 彼女は今、ようやくスバルを仕留めたと思った所だった。

 

 

 下から複数の『ウイングロード』を展開し、さらに幻術まで利用して分身しつつ上がってきたスバルを。

 小賢しい手をと罵り、分身したスバルごと全滅させたのは彼女だ。

 しかし今、ノーヴェの手に手応えは無い。

 

 

(全部、幻術だと……!?)

 

 

 分身の中に本物が紛れているのではない、全てが幻術による分身だったのだ。

 では、本物はどこにいるのか。

 ノーヴェがそう思い、頭を上げたその瞬間。

 

 

 銃声。

 

 

 ――――ノーヴェには、何が起こったかわからなかったろう。

 右のこめかみから左のこめかみへと抜ける、必中必倒の精密射撃。

 スバルの拳でも倒れなかった彼女の意識を刈り取った、針の穴を通すようなその射撃。

 それは当然、ティアナが放った物だった。

 

 

「目の前の敵に、固執しないこと……じゃないと、足元掬われるってね」

 

 

 右の『クロスミラージュ』のアンカーで天井にぶら下がり、そして左の『クロスミラージュ』で狙撃を刊行した。

 複数の『ウイングロード』もまた目晦まし、ティアナの幻術による戦場の支配であった。

 これがクロスシフトG、2対2の状況を想定した瞬間でのシフトチェンジである。

 ……スバルかティアナが目の前の敵の打倒に固執していれば、成し得なかった策であろう。

 

 

 そしてノーヴェの相手がティアナに変わっていたのであるからには、当然、セッテの相手も入れ替わっているはずだった。

 その疑問は、すぐに氷解することになる。

 セッテが打ったティアナの幻術、ガラスの砕けるような音と共に現れたスバルによって。

 

 

「……!」

 

 

 驚愕に見開かれるセッテの瞳、その目の前で『マッハキャリバー』に真白き翼を与えた少女を。

 

 

「一撃ぃ……必倒おおおおおおおおおおぉっっ!!」

<A.C.S. Standby>

 

 

 ギア・エクセリオン――――『マッハキャリバー』のフルドライブ・モードである。

 基本はなのはの『レイジングハート』に搭載されている物と同様だが、最大の違いは力の源泉。

 瞳の色合いが金に変わるのは戦闘機人の証、魔法とインヒューレント・スキルを組み合わせた絶対の一撃。

  

 

「『ディバイン……ッ!!」

 

 

 セッテが装備を盾として構え直すのと。

 

 

「……バスター』ァ――――――――ッッ!!」

 

 

 スバルの一撃が叩き込まれるのとは、ほとんど同時だった。

 一瞬拮抗した力は、全力全開での放出を行った側が優位に立つことで決着した。

 不屈の魔導師から継承された技術と魔法は、純白の本流となってピンクブロンドの戦闘機人の少女の身体を飲み込んだ。

 

 

 衝撃は激震となって放たれ、通路を貫いて壁を破砕し、何もかもを破壊して貫いた。

 後に残るのは、力を出し尽くした青髪の少女とその相棒のデバイスだけである。

 魔法の余波と、2つのデバイスが排出する白煙が舞った。

 そして、その構えのままその場に崩れ落ちた。

 

 

「ぐ、ぅ、は……ぁ~~……」

 

 

 ぜぇぜぇと息を切らせて、その場から動かないスバル。

 だからと言うわけでもないだろうが、近付いてきたのはティアナの方だった。

 負傷した両足から流れた血で足跡を刻み、そして最終的には半ば崩れるようにスバルの傍に腰を落とした。

 

 

 彼女は床とキスをしているパートナーに視線を向けると、疲れたように盛大な息を漏らした。

 そして、何とはなしに『クロスミラージュ』の片方をその場に置いて。

 その手を、倒れたまま上げられたスバルの掌に打ち付けた。

 戦場に、手を打ち合う乾いた音が響いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ミッドチルダの空の上で、ディエチは恐怖にも似た感情に囚われていた。

 狙撃砲を持つ手には汗が滲み、筋肉は緊張で震えていた。

 そしてその表情は、理解し難い何かを見ているかのような顔だ。

 

 

「何だよ、お前……」

 

 

 ゆっくりと首を横に振る彼女の周囲は、不思議な程に静かだった。

 当然だろう、ここはシャマルが作り出した封鎖領域の中なのである。

 外界を模した空間はどこか色が薄いが、しかし大地には数十機のガジェットの残骸が火を噴いて煙を上げていた。

 

 

 航空型ガジェットはすでにディエチが足場にしている物を除けば全機撃墜されている、だがディエチが怯えを感じているのはそんなことでは無い。

 彼女の視線の先にいる、褐色の肌の男だ。

 彼は空中にあってディエチの前に立っており、両腕を掲げるようにして仁王立ちの体勢をとっていた。

 

 

「くそ……っ!」

 

 

 問いへの回答が無いことに苛立ち、ディエチは狙撃砲の引き金を引いた。

 予備とは言え、狙撃砲の砲塔からエネルギーの塊が砲弾として放たれる。

 それは真っ直ぐに進み、物の数秒でザフィーラへと到達した。

 直撃し、当然のように爆発と白煙が広がる。

 

 

 巻き起こる爆風に髪を散らせながら、ディエチが頬に汗を流しつつ白煙が晴れるのを待つ。

 するとどうだろう、そこには前と変わらぬ光景が広がっている。

 騎士甲冑だろう防護服は無残に破れて千切れ、朱に塗れた筋骨隆々の上半身を夜空に晒して、しかしなおもザフィーラはそこに仁王立ちしているのだ。

 主との繋がりを失い、魔力を減じてなお衰えぬ眼光でディエチを睨み据えながら。

 

 

「……何なんだよ、お前!!」

 

 

 ディエチはこう見えても、12人の姉妹では5番目か6番目くらいには稼働時間が長い。

 時間にしておよそ12年だ、ウェンディやセッテなどに比べて経験も豊富だ。

 だが、これは初めての経験だった。

 ザフィーラに砲撃を撃ち込んだのはこれで1度や2度ではない、なのに倒せない。

 反撃が無いのは余力が無いからだろうが、しかし不気味だった。

 

 

「勝てもしないくせに頑張って、それで何が出来るって言うんだよ。守ってばかりで、それで何が……!」

 

 

 わからない、ディエチの常識の範囲の外にいるのが今のザフィーラだ。

 あえてディエチの砲撃に身を晒すその姿は、不気味でしかない。

 何を守るのか、人々か仲間か、姉であるクアットロが取るに足らないと評した命か。

 いずれにせよ、ディエチにはわからなかった。

 

 

「……貴様が」

「ああ!?」

「貴様が狙っているだろう場所には、私が背を貸した娘がいる」

 

 

 また、意味のわからないことを。

 苛立ちに任せて、ディエチは再チャージを始める。

 どうせ反撃は無いのだ、気にするだけ無駄だった。

 

 

「私はベルカの守護獣、主との繋がりが失われようとそれは変わらぬ。この背を貸した小さき命と、仲間を守るためにならば……いくらでも、いかようにも盾になる」

 

 

 それが。

 

 

「――――俺だ!!」

「……だったら、そのまま盾になって撃たれて消えろ!」

 

 

 狙撃砲を構えて、ディエチは再び引き金を引いた。

 砲塔にエネルギーが充満し、放たれるまでほんの数秒も無いだろう。

 過去数度の砲撃と同じだ、だから。

 だから、それまでの警戒心を保つことが出来なかった。

 

 

 ディエチの胸の真ん中が、切り裂かれた。

 

 

 声にならない悲鳴を上げるディエチだが、その胸から血も肉も飛ぶことは無かった。

 ならば何事が生じたか、視線を下げたディエチは驚愕に目を見開くことになる。

 何故ならそこには、あるべきではない物があったから。

 ――――白く細い、女の腕。

 

 

「……ごめんなさい、ザフィーラ。遅くなったわ……本当、嫌になるわね」

 

 

 女の腕が、ディエチの胸から伸びている。

 肘のあたりまで伸びたそれは、掌の上に輝く何かを握っていた。

 橙色に輝くそれは、ディエチにとって……戦闘機人にとっての、力の源。

 

 

(馬鹿な……!)

 

 

 あり得ない、と思う。

 しかし自分の体内のエネルギー循環に不備を見出して、混乱に陥る。

 この腕の持ち主は、いかようにして自分達のエネルギー供給機関の位置を把握したのか。

 

 

「味方の陰に隠れてコソコソするしか無いなんて……それも、スバルやギンガの身体を見せて貰って、マリーさんに手伝ってやっとだものね……けれど」

 

 

 スバルとギンガ、タイプゼロのファーストとセカンド!

 そうだったと、ディエチは己の無知と無関心を心の中で罵った。

 敵にも戦闘機人がいるのだから、メンテナンスの際に構造を見ているはずでは無いか。

 種類は違えど基礎構造は同じだ、だから。

 

 

「――――掴んだ」

 

 

 ザフィーラの後ろから、暗い表情でシャマルが告げる。

 そう、ザフィーラはずっと彼女を守っていたのだ。

 シャマルが「掴む」までひたすらに耐えて、待ち続けていたのだ。

 そしてそれは、今成就される。

 

 

「……っ、けど……!」

 

 

 狙撃砲の引き金はすでに引かれている、今さら砲撃は止まらない。

 この一撃でもってザフィーラの守りを抜けば、逆転の目はあった。

 

 

「ぬぅおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」

 

 

 しかし、ここでザフィーラが動いた。

 初めての行動に、ディエチが目を見開く。

 ザフィーラは全身から血を撒き散らしながら一足でディエチの前まで迫ると、砲塔の先端に大きな拳を叩き付けた。

 それを見て、ディエチが笑う。

 

 

「ははっ! そんな拳で砲撃が止まるわけ――――」

 

 

 言葉は最後まで続かない、その間に信じ難いことが起こったのだ。

 狙撃砲の各所から白い針のような物がいくつも突き出し、内部から砲身をズタズタにしてしまったからだ。

 この魔法は知っている、だがこれは地面からでないと発生し得ないのでは無かったか。

 

 

「『鋼の軛』……!!」

「……ほ、砲身内部を基点にしたのか!?」

 

 

 皮肉にも、魔力総量が下がったが故に術式の縮小に成功したらしい。

 守護の狼の白い牙は、10番の少女の爪を砕くには十分の威力を持っていた。

 そして、行き場を失ったエネルギーは暴発する。

 

 

 その暴発に、ディエチは巻き込まれざるを得なかった。

 避けようも無かったし、避けることも出来ず、そしてその気も無かった。 

 剥き出しの核を暴発するエネルギーに晒して、彼女は……。

 

 

「あ……」

 

 

 ……最後の瞬間、褐色の肌の胸に抱きすくめられたような気がした。

 まさか、暴発から自分を守ってくれたわけでもあるまい。

 ――――まさかな。

 そう思って、ディエチは姉によって課された全ての責務から逃れるように目を閉じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 リーゼ姉妹や捕縛・無力化したオットーとディードのことを母と同期の旧友に任せてクロノが『クラウディア』の艦橋に戻ったのは、現場での戦闘がほとんど終息した後であった。

 彼自身かなり急ぎはしたものの、それでも遅きに失した感は否めなかった。

 

 

『まぁ、役割分担って物があるからねぇ』

 

 

 そしてシートに座っての最初の通信、それまで艦隊――2隻だけだが――全体の指揮を執っていたハロルドからの指揮権返上を受けた時、彼女にそう言われた。

 どうやら通信前から最初に言う言葉を決めていたらしい、付き合いの長さと言うべきだろうか。

 どこか憮然とした表情で個人通信に出たハロルドに、クロノは苦笑にも似た表情を浮かべた。

 

 

『本局の方は大丈夫だった? 悪いね、ボクのミスの尻拭いをさせて』

「いや、いろいろな人の手を借りて収束はしたよ。そっちこそ艦が損傷したと聞いたが……」

『そぉーなんだって!! くっそボク達の城が……っと、失礼』

 

 

 彼女はオットーとディードに会わせない方が良いなと、クロノはこの時決めた。

 

 

『まぁでも、ボク達の頑張りで戦闘中に補修も出来たし、武装隊の皆も頑張ったからね。ポイントの制圧は比較的上手くいったと思うよ』

 

 

 満足そうに唇の両端を上げて頷くハロルドを、クロノはやや暖かい気持ちで見ることが出来た。

 昔から立身出世の効能について力説する所があったが、それを不思議と不快に思ったことは無い。

 今もミスを自分1人の責任にしつつ、功績は艦の人員全てで共有した。

 そう言う所が、上に立てる素養を持っていると言えるのかもしれなかった。

 

 

 その後は情報の交換に時間を使った、特に『テレジア』管轄の区域での戦闘に関する情報が多い。

 ガジェットの掃滅、ルーテシアの捕縛、キャロの戦線離脱やなのはの戦場移動、フェイトの地下への単身突入や陸士部隊の損害などだ。

 特にクロノの関心を引いたのはフェイトの件であって、これは義妹であるからと言うよりは事件の肝の部分であるように思われたからである。

 

 

『細部についてはボクにもわからないけれど……』

 

 

 その時、スクリーンが映し出したポイントの山、その麓の一部が大爆発を起こした。

 衝撃と共に上がった衝撃と砂煙は視界を覆うが、しかしその直前に黄色い雷が紫電のように周囲に付近に拡散していたことを『クラウディア』と『テレジア』の観測班が捉えていた。

 そして魔力で作られた雷鳴を背負う魔導師を、クロノは誰よりもよく知っているつもりだった。

 

 

『……まぁ、流石はエース。土壇場に強いよね』

 

 

 特に羨望のこもらない賛辞に、クロノは肩を竦めて見せた。

 義妹が怪我をしていなければ良いな、などと指揮官らしからぬことを考えながら。

 事態全体の収拾に必要な最後のピースを、幼馴染が持ち帰るのを待って……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イオス・ティティアは現実主義を標榜する割に、時として利害を無視する無謀を行う。

 と言うのは、リインの中にこの数年間で刻まれたイオス像である。

 しかしそれを加味してもなお、今回のイオスの提案は常軌を逸しているとしか思えない。

 

 

「そんなこと……そんなこと、出来るわけが無いです!!」

 

 

 周囲を水色の輝きが満たす世界、魔導師としてのイオスの内面世界とも言うべきその場所でリインは叫んだ。

 白を基調とした騎士甲冑姿のリインは、上も下も無い魔力で構成された世界に浮いているように見える。

 

 

「魔導師人生が終わる所じゃ無いですよ!?」

『いや、まぁ……うん。それはそうなんだけど……現状、援軍も期待できないわけで』

「諦めないでください!!」

 

 

 空間全体に響く低音の声に、リインは訴える。

 今、彼女は魔法に関するイオスの情報を全て所有している。

 例えば空間の壁が揺らいでいるのは、はやて=スカリエッティの砲撃による影響だ。

 そして彼女の眼前、まさに目の前で力強く輝いて活性化している光。

 

 

 それは、イオスのリンカーコアである。

 リンカーコアに作用する魔導書、その後継である彼女がリンカーコアに触れられるのは当然であるとも言えた。

 魔力の源であり体内機関であるリンカーコア、イオスのそれは本人の属性を現すように水面がさざ波を立てるように美しく揺らめいていた。

 

 

「きっと……きっと、他に方法があるはずです!!」

 

 

 主でありはやてを救い、何もかもを助ける妙案。

 今のリインが求めているのはそう言う解であって、しかし彼女自身もそれを持ってはいない。

 自分が持っていない解等を他者に求めるのは、無いものねだりでしか無い。

 

 

 現在の状況は、極めて厳しい。

 ユニゾンして能力を高めているとは言え、相手との相性が悪すぎるのである。

 『テミス』は奪われ、『カテナ』による砲撃魔法の防御も完全ではない。

 ダメージは蓄積され、かつ防御の膜は一枚、また一枚と破られていく。

 

 

(はやてちゃんの砲撃に関する才能は、管理局一です……!)

 

 

 贔屓目で見ている部分はあるものの、その見解はそれほど外れてはいないと思われる。

 しかもただの才能ではない、10年の経験が蓄積された成熟した才能なのである。

 それは、幾度と無くはやてとユニゾンしたリインが誰よりも良くわかっていた。

 だから、打開を可能とする戦術を思いつくことが出来ない。

 出来なければ――――。

 

 

『ふむ、そろそろ限界のようだね。いや、実に素晴らしい盾だったとは思うよ』

 

 

 ――――こういうことになる。

 砲撃が一旦だがやみ、同時にイオスの手から『カテナ』が床へと落とされる。

 彼の身体以上に焼き焦げた盾の表面はドロドロに融解しており、とてもではないが使用に耐えないと判断できた。

 つまり、今のイオスは無防備の状態である。

 

 

『さて、オリジナルの私がどうなったか定かでは無いが……そろそろ良い時間だろう。さぁ、来たるべき新世界の誕生を祝福する花火を上げよう、そして旧世界への餞となる花火を打ち上げようじゃないか』

 

 

 イオスの中で、リインは目を剥いた。

 何故なら、異色の『シュベルトクロイツ』を掲げたはやて=スカリエッティの背後に正三角形の魔方陣が3種展開されるのを見たからである。

 術式選択は非拡散の、貫通型――――はやての持つ直射型砲撃魔法の中でも、最強の一つ。

 かつて、闇と呼ばれた化物を葬った魔法。

 

 

「『ラグナロク』……!」

 

 

 リインの背中に、ぞっと冷たい物が滴った。

 あれは不味い、障壁貫通能力に限定しても凶悪すぎる。

 

 

『あぁ……厳しいなぁ……』

 

 

 現実がか、状況がか、魔法がか、いずれか、あるいは全てに対してか。

 イオスのその呟きに、リインは胸が締め付けられる心地がした。

 デバイスである彼女は、本来は理性的な思考で持って生き残りの道を探る。

 しかし同時に命ある者であるリインは、感情によって迷い、後悔するのだった。

 

 

 他に方法はあるはずなのに、それを思いつけない自分が憎い。

 そして何より救いが無いのは、イオスの案に乗ること以外に彼の生命を守ることが出来ないと言う現実だった。

 ある意味、リインは初めて――――現実と言う物の無情と非情に絶望していた。

 

 

『大丈夫だよ、リイン』

 

 

 そんな役立たずの自分に、イオスは「大丈夫」と言ってくれる。

 初めて出会った時からそうだった、イオスは自分に対してとても優しかった。

 他のヴォルケンリッターの面々には妙に厳しかったが、自分にだけは優しかった。

 自分と、はやてにだけは優しかった。

 たこ焼きを買って貰ったのは、いったい、何年前の話だっただろうか。

 

 

『リイン、頼む』

 

 

 頼む、と、イオスは重ねて言って来た。

 

 

『俺に、あの八神さんを…………はやてを、助けさせてやってくれ』

 

 

 吐息のような声に込められた感情を、リインはダイレクトに感じている。

 今にして思えば、反対し続けた理由はこの感情の流入もあったのかもしれない。

 望まないことを必要だからとしなければならない時、人はどんな想いを抱くのだろう。

 

 

 特にそれが、自分が今まで積み上げてきた物を突き崩すようなことであった場合。

 どれだけの嘆きが、悲しみがあることだろう。

 イオスとリンクしているリインは、己の感情とイオスの感情、2つの感情の相乗効果によって得られる悲しみに直面していた。

 

 

「うぅ……」

 

 

 ボロボロと、無垢な瞳から涙が零れ落ちる。

 子供が駄々をこねる時のそれに似た透明な雫が、白い頬を伝って甲冑を濡らす。

 その様子は、誰かが目の前にいれば目元の雫を掬い取りたくなるような。

 

 

『リイン』

 

 

 うー……と声にすらならない唸り声のような声を上げて、歯を食い縛りながら鼻をすする。

 それでも、イオスの声を無視はしなかった。

 頭の上に掲げた両手の中には、白く細い氷の短剣が握られていた。

 

 

『リイン……!』

 

 

 震えたまま動かない手が、ビクリと震える。

 下ろしたくない、やりたくない。

 だけど、やらねばならない。

 食い縛っていた歯を解いて、口を開き……そこから。

 

 

『リインッッ!!』

「う……わぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっっ!!」

 

 

 泣いて、叫んで、喚いて――――崩れ落ちながら。

 リインは、目の前で強く輝くリンカーコアに氷の短剣を突き刺した。

 そして彼女は、大好きな青年の魔導師としての核を破壊した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『ラグナロク』の一撃は、<聖王のゆりかご>と言うその地下施設の一部を確実に破壊した。

 はやて=スカリエッティの身から放たれた漆黒の熱線は、途上に無防備で立っていた青年を巻き込んで直進し、床や壁、柱や扉を粉砕しつつ数区画先まで削り取った。

 事実、『ラグナロク』の砲撃痕はその下半分で特殊な鉱物とコーティングで強化された床を綺麗に抉っていた。

 

 

「ふむ……魔法と言うのも、研究するのと実際に使うのとでは違うのかもしれないね。これも興味深いテーマではある」

 

 

 スカリエッティは科学者であって魔導師ではない、その点でプレシア・テスタロッサとは異なる。

 心得が無いわけではないが、大魔導師と呼ばれる程ではない。

 しかしそれも、「八神はやての肉体」と言う巨大なポテンシャルを秘めた素材を手に入れることで変わったかもしれない。

 

 

 まぁ、彼の目的は『夜天の書』経由での永遠の思考と破壊なので、肉体自体にはこだわりは無いだろうが。

 いずれにせよ、もはやこの<ゆりかご>に用は無かった。

 出来れば聖王のマテリアルを確保した上で浮上させたかったが、贅沢は言うまい。

 実際、復讐すべき最高評議会はおそらくもう……。

 

 

「……おや?」

 

 

 その時、はやて=スカリエッティは首を傾げた。

 砲撃によって舞い上がった白煙の中に、奇妙な物を見つけたからだ。

 青白い光だ、それが白煙の中で明滅しては消えていく。

 

 

 不意に、肩先に冷たい物を感じた。

 それは肉眼で確認できる程にはっきりとした、氷の結晶だった。

 白煙に紛れる氷霧と、さらに周囲に降り積もる細氷(ダイアモンド・ダスト)

 そして、はやて=スカリエッティはそれを見た。

 

 

「ふ……ふふふ、ふふふっ、はははははははははははははははははははははっ!!」

 

 

 少女の声でスカリエッティは哄笑した、それだけ目の前で起こっている事象には笑う価値があると思ったからだ。

 はやて=スカリエッティの目の前には、蒸気とはまったく逆の冷気を放つ存在がいた。

 身体から溢れ出る……いや、もはや常時放出されているとすら言える、だだ漏れの魔力。

 

 

 全身から白い陽炎のような魔力を立ち上らせたその存在は、ユニゾンによって髪を白く染めた青年だ。

 しかし様子が違う、それはそうだろうとはやて=スカリエッティは思う。

 それだけの魔力を常時放出し続けていれば、涙腺を通って血の涙を流すことになるだろうし、全身の筋肉の細かな組織も断裂せざるを得ない、食い縛った歯は欠けるかもしれない。

 そして、何よりも。

 

 

「くふふふふ……なるほど、私のこの肉体のポテンシャルに追随するために、まさに己の全てを賭けるというわけかね。私をしても理解し難い思考だ。キミは先程私の正気を疑ったが、私こそキミの正気を失う、何しろ……!」

 

 

 くっ、と歪んだ笑みを浮かべて、はやて=スカリッティは白の化身と化した青年を見る。

 その瞳は相変わらずどこか焦点があっていない、そして気付いてもいなかった。

 自分の頬に、透明な雫が一筋流れ落ちたことに。

 

 

「……己のリンカーコアを砕き、故意に魔力暴走(オーバードライブ)を引き起こす、か! 私でさえもやらなかったことをやるとは! キミはその力でいったい何をするつもりなんだね!? 後学のために聞かせてもらえないだろうかね!!」

 

 

 その言葉に、イオスは上体を前へと倒した。

 前傾姿勢のように見えるその体勢は、実の所、身体の中から溢れる力に押されての物でしかない。

 そして、彼は。

 

 

「はやてを……!」

 

 

 青白い輝きを瞳の中に宿し、炎として。

 

 

「……返して貰う!!」

 

 

 踏み込みが爆発と化して後方を吹き飛ばす、そんな己の前へ進む力をただ振るって。

 イオスは、行動を起こした。

 もしかしたなら……魔導師としての、最後の行動かもしれない行動を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イオスは今、冷たい熱が身体の中で荒れ狂っているような感覚に突き動かされていた。

 矛盾するようだが胸のあたりは冷たく、そして頭は熱に浮かされたように熱いのだ。

 衝動、そして後悔だけが――――今の彼を動かしている。

 

 

『うあああああぁぁぁ……ッ!』

 

 

 身体の中で、リインが声を上げて泣いているのを感じる。

 それがリイン本人の感情による物なのか、それともイオスからの物なのかはわからない。

 ただ一つ言えることは、今、2人は感情を共有していると言うことだった。

 取り戻したい何かのために、二度と取り戻せない何かを成すということを。

 

 

「ふふ……っ」

 

 

 笑うはやて=スカリエッティ、視界からイオスが消えたことがそんなに面白いのだろうか。

 しかしイオスの位置を把握できていないだけではない、皮肉なことに、イオスが放つ白い魔力のフィールドが目印になっている。

 床から壁にかけて出来ている氷柱の道は、イオスの通り道だ。

 イオスが通過した数秒後、本人を追うように氷柱が反り立っていくのである。

 

 

「ふふ、ははは……っ」

 

 

 自らがソフトウェアの基礎を作った『テミス』が、はやて=スカリエッティの知覚よりも素早く反応する。

 どうやらすでに肉薄されていたらしい、素晴らしいスピードと言うべきだった。

 そしてその『テミス』の自動防御の反応すら、追いついていない。

 何故なら鎖が跳ね上がった時には、天井方向へ向けてイオスの身体は跳ねていた。

 

 

 遥か上空と言っても良い、玉座の間の天井部分。

 もはや自分の跳躍すらも自分で調整できない、何しろ残りの人生で使う予定だった魔力を今使っているのだから。

 振り回されるのも、仕方ない。

 そして着地の瞬間、彼の周囲で円形にダイアモンドダストが舞った。

 

 

「『フリージングソーン』……!!」

 

 

 流水の針、それを氷結させて放つ千の針。

 しかし今、膨大な魔力を放ち続ける彼の『フリージングソーン』はもはや針ではない。

 小規模な柱の群れが、直下へと向けて高速で放たれるのだった。

 

 

「ふふはははははははははははっ!」

 

 

 それにははやて=スカリエッティも反応する、身体の付近に形成された4つの立方体から砲撃を放ち、直上から迫る氷の柱をまとめて砕いてしまった。

 しかしそれ自体には関心が無いのか、続け様に言う。

 

 

「それで、どうするんだね!? キミがいかに魔力を燃やした所で、キミの魔力変換資質は変わらない!」

 

 

 流水、そしてそれを基盤としたユニゾンによる氷結、それが今のイオスの魔法である。

 いかにリンカーコアを砕き、その後の生涯で使用するはずだった魔力を限界まで「前借り」しようと、その本質は変えられないのだ。

 1日分のはやての魔力に対抗するために、一生分の魔力をここで使い切るとしても。

 それでもなお、両者の間には隔絶たる才能の差が、相性が存在する……!

 

 

「しかしそんなキミに敬意を表して、一つ良いことを教えよう――――八神はやて君の身体に転写された私の記録情報は、あくまで魔法と彼女に埋め込んだ『レリック』によって――――」

「――――それだけ聞ければ……!」

 

 

 はやて=スカリエッティの眼前で、一際大きな氷柱が立った。

 氷の結晶を煌かせながら立ったそれは、白い蒸気のような魔力を立ち上らせる青年が目の前に着地したことで発生した物だ。

 視界が追いつくのと同時に、身体にかかる負荷に歯を食い縛っているイオスと目が合う。

 

 

「……十分、だ……っ!!」

 

 

 この時、当然のことながらはやて=スカリエッティの腕に巻かれた『テミス』の鎖はイオスの動きに遅ればせながら反応している。

 しかし、動けなかった。

 鎖が悶えるようにのたうちつつも動けなかったのは、直前のイオスの動きが関係している。

 

 

 氷の短剣、『フリジットダガー』。

 無数に放たれていたそれが、鎖の輪の一つ一つに刃を通して床に縫い止めていた。

 ――――いつだったか、戦闘機人のチンクが行った『テミス』対策だ。

 良策であれば敵の物でも真似る、恥や外聞よりも勝利を優先するのがイオスだ。

 

 

(八神さん、ごめん……!)

 

 

 策はある、しかしそのためには多少の肉体的ダメージが伴う。

 イオスの魔力の放出もいつまで保つかわからない、だから心の中で謝罪しつつイオスははやて=スカリエッティの身体を蹴り上げた。

 顎を、蹴りで打ち上げたのである。

 

 

 嫌な音が響き、そのパワーに耐え切れずはやての細い身体が顎を上に上げて飛ぶ。

 空中でクルクルと人形のように舞うその身体に、イオスは腕を掲げた。

 その手には今は何も無い、しかし今無くてはならない物だ。

 

 

(……手触り、重さ……匂い、音……)

 

 

 それは、イメージだった。

 技術的には、彼をサポートするリインが行うことだったのかもしれない。

 だがそれでも、彼は強いイメージを持つことが出来た。

 

 

 何故なら彼がイメージするそれは、10年以上ずっとそこにあった物だ。

 この世界の誰よりも、彼をおいて他にイメージできる人間はいない。

 魔法とは、心の力。

 例え肉体には無くとも、心の中には常にある。

 だから。

 

 

「『チェーン・バインド』オォッッ!!」

 

 

 右腕から放たれるのは流水、それらはただの水として宙を舞い、はやて=スカリエッティの周囲に散った。

 まるでホースから放たれる水のようなそれは、次第にある形をとり始めた。

 小さな輪が連環するそれは――――続けての氷結によって、それは固体としての特性を持つ。

 

 

 氷の鎖が、玉座の間の中ほどではやて=スカリエッティの身体を縛り上げた。

 手足を広げ胸と胴を巻かれるその姿は、蜘蛛に囚われた蝶のようにも見えた。

 しかしそうなってもなお、はやて=スカリエッティの顔から不敵な色は消えなかった。

 

 

「ふふふ、それでどうやって私の記録情報を持つ『レリック』だけを砕くのかな?」

「……純粋魔力ダメージでのノックダウンなら……」

 

 

 乱れた呼気を白く撒き散らしながら、イオスが相手の嘲弄に応じる。

 疲労が濃くなった足は震えているが、腕を掲げたまま倒れる気は毛頭無いようだった。

 

 

「専門家が、いるんだよ……!」

『助けて……助けてくださいです! はやてちゃんを――――イオスさんを!!』

 

 

 今一度、イオスは生涯最後の魔力を発揮する。

 雄叫びにのような声が玉座の間に響き、その空間そのものを濡らし、凍結させる程の魔力。

 それは遥か遠く、外部にまで届く。

 彼の中で、それを全力で外部に発信した小さな存在が、泣きながら叫んだ。

 

 

『――――みんなあああああああああああぁぁっっ!!』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――助けるよ、いつだって、どんな時だって」

 

 

 イオス達が内部に侵入した地下ダンジョン、<聖王のゆりかご>。

 スバルが砕いて開けた小さな侵入口、その上空でなのはは静止していた。

 その手にはすでに砲撃形態の『レイジングハート』が両手で握られており、桜色の魔力集束が行われていた。

 

 

 普段とは衣装が異なっており、スカートがロングに、胸元がリボン無しの前開きの上着になっている。

 よりシャープな純白のバリアジャケットは、『エクシードモード』と呼ばれる物だ。

 なのはの空戦技能を最大限活かすために考えられたモードであって、特徴的なのは『レイジングハート』の杖先にも似たビット4機を従えていることだろうか。

 そして4機の『ブラスタービット』にも、同規模の桜色の魔力が終束されつつあった。

 

 

「全力全開、限界突破(ブラスター)の『スターライトブレイカー』……これなら、最奥部まで貫ける……!」

<Countdown,10、09、08……>

 

 

 内部からの魔力誘導――知っている魔力だ、だが異様に大きい……何故かはわからないが、不安だ――と自前でのエリアサーチ、ガジェットの数が減少したためかAMF濃度も低下傾向にある。

 施設自体の動力は動いていないのが、幸いした形だった。

 

 

 だが、問題が一つある。

 目的の場所まで砲撃のエネルギーを保たせる自信はあるが、出来れば誘導が欲しい所だった。

 限界まで集束しかつ砲撃を誘導しつつ最奥部まで貫く、これはなかなか難儀なことだ。

 特にビット併用のブラスターでの全力砲撃は、身体への負担が大きいので1発が限界だ。

 何しろ術者とデバイスに負担を強いる自己ブーストだ、そう何発も撃てない。

 

 

<Master>

「……うん、仕方ないね。このまま撃……!」

 

 

 その時、なのははいくつかの魔力の高まりを感じた。

 それは自分が知っている魔力反応ばかりであって、ほとんどは<ゆりかご>内部から感じた。

 要所要所で魔力を燃やし、中の構造がわからないなのはに道標を与えてくれる。

 しかし、最も近い位置で感じた魔力は……知っているが、知らない。

 それはいつも以上に苛烈で、鮮烈で、そして――――熱かった。

 

 

「『……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉっっ!!』」

「ヴィータちゃん!?」

 

 

 なのはの後ろから、炎と共に空を駆け抜けた存在がいる。

 いつもよりなお濃い赤色の髪とドレス、装甲部を黄金へと変えたヴィータは、紅の魔力と炎を纏わせた『グラーフアイゼン』を振り上げた。

 リミットブレイク、ツェアシュテールングスフォルム。

 

 

 建造物破壊の分野において、まさに六課最強の威力を持つ『グラーフアイゼン』の最終形態。

 ヘッド部のドリルに込められたヴィータの……ヴィータとアギトの魔力が回転機構によってまさにドリルの如く一点特化、対象内部へと一気に抉り巻き込み破壊の限りを尽くす。

 その身に宿る、意思の炎のままに。

 

 

「『ツェアシュテールングス……ハンマー』ァアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 

 ――――直撃と爆発、火柱と雄叫びが同時に響く、己の技の威力で吹き飛ばされながらも、ヴィータの最後の一撃は確実に<聖王のゆりかご>の壁を一枚、まるごと砕いて破壊した。

 そしてなのはの目の前に晒されるのは、<ゆりかご>への砲撃口。

 

 

「なのはああぁっっ!!」

「――――全力ぅ、全開ッ!!」

<Starlight breaker ex fb>

 

 

 合計5本の『スターライトブレイカー』が一点に集束し、放たれる。

 それはなのはと『レイジングハート』に多大な負荷を与えつつも完成し、ヴィータの広げた砲撃口から中へと侵入する。

 そしてその場から最も近い位置にいたのは、桃色の髪の剣士だった。

 解けた髪が朱に塗れた身体の上で揺れて、どこか幻想的ですらある。

 

 

「……翔けよ、隼」

<Sturmfalken!>

 

 

 『レヴァンティン』の弓矢形態(ボーゲンフォルム)を構え、最奥部に向けて矢を放つシグナム。

 カートリッジ2発で強化された矢は彼女の持つ魔法の中で最速であり、炎を纏って矢が飛翔する様は不死鳥の羽ばたきの如く華麗だった。

 円形に空気を裂いて飛翔する矢を追うように、なのはの砲撃が進んでいく。

 

 

「……行け、高町」

 

 

 つまる所、シグナムの放った矢は道標のような物だ。

 なのはが目標に到達できるよう、道路標識……マーカーとして。

 途中でガジェットも何機か出るには出たが、全て桜色の砲撃に溶かされ、爆発すらせずに消滅した。

 

 

「スバル! 来るわよ!」

「……ねぇティア、私これやっぱり物凄く怖いんだけど……」

「私だって怖いわよ……」

 

 

 ノーヴェ達との戦場から先にやや進んだ位置、侵入口から見て斜め下あたりに位置する通路。

 侵入口、斜め上から徐々に近付いてくる破壊音に顔を青くしながら、スバルは構えた。

 右拳を引いて構えるいつもの構えから放たれるのは、彼女が持つ最大最強の一撃。

 

 

「――――今!」

「応ッ!!」

 

 

 スバルの瞳の色が再び金色の虹彩を帯びる、右腕から響くのは機械音だった。

 パートナーの少女以外には誰もいない空間だからこそ、安心して使用できる奥義だ。

 加えて言えば、破壊するのは道を塞ぐ扉だ。

 ――――深く息を吸い、吐いて、戦闘機人としての先天固有技能(インヒューレントスキル)を発動させる。

 

 

「一撃・粉砕! 『振・動・拳』んんん――――――――ッッ!!」

 

 

 ごばっ……と、スバルの右拳が叩き込まれた巨大扉全体が激しく震えた。

 振動破砕――――彼女の体内から外へ、触れている物へと超振動が伝播し、それが無機物を構成する基礎的な元素の結合を緩め、破壊する。

 円形に繰り抜くのでも貫くのでもない、扉全体を崩壊へと追い込んで破壊したのだ。

 

 

「『クロスファイアー……シュ――――ト』ッッ!!」

 

 

 そしてそこへ、無数のオレンジの誘導弾が走る。

 それは奥へと続く要所要所で留まり、マーカーの役割を果たすことになる。

 シグナムの矢同様、それはなのはの砲撃を対象へと導く道標となる物だった。

 

 

「「きゃあっ!?」」

 

 

 そしてその直後、桜色の砲撃が頭上を通り過ぎて行った。

 壁や柱を抉りながら下へ下へと進むそれは、砲手から離れてなお強大な威力を保っていた。

 自分の憧れの人が放っただろうそれに、尻餅をつきながらスバルは拳を振り上げた。

 

 

「いっけえええええええええええええええええええええぇぇぇぇっっ!!」

 

 

 それは、全員の意思を代弁していたと言える。

 ヴィータやシグナム、ティアナ……そして、なのは自身の意思だ。

 その意思のままに、砲撃は進み続ける。

 <ゆりかご>に破壊の惨状を突きつけながら、最終地点……イオスが魔力を放つその場所へと。

 

 

 はやて=スカリエッティは、イオスとリインを巻き込む勢いで放たれてきたその砲撃を目の当たりにした時、まず最初に驚いた様子だった。

 それから興味深そうな顔で何かを考えた後、ふむと頷いて。

 自分を氷の鎖で縛った青年を見やって、笑みを浮かべるのだった。

 

 

(……いや、何も面白くねーし)

 

 

 心の底からそう思って、イオスは溜息を吐いた。

 そして玉座の間がなのはの砲撃で粉砕されるのと、イオスのリンカーコアが魔力の放射を止めたのは同時だった。

 ユニゾン解除と砲撃、2つの輝きの中で。

 イオスは、やれやれとでも言うように……はやて=スカリエッティと同じように、笑ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 クアットロは、眉根を寄せつつも口元に笑みを浮かべると言う器用な表情を浮かべていた。

 イオス達が通った通路に比して狭い通路を駆けて、もしかしなくともどこかへと逃走を図っている様子だった。

 茶色の髪と羽織ったケープが一歩を踏み出す度に舞い、駆ける足音が反響して響く。

 

 

「まったく、ドクターにも困ったものねぇ……!」

 

 

 妙なことを言えば、それは母親が息子に言うような、あるいは娘が父親に苦言を呈するようなニュアンスで呟かれた。

 しかし今回の失敗がスカリエッティ個人の性格に起因するものなので、彼女の言い分もある程度は当たっていると言えた。

 そしてそれは、多分に「男」と言う属性があるのかもしれない。

 

 

「玩具を手に入れたら、遊んでみたくなるんだから……!」

 

 

 万が一のために用意していた秘密の――スカリエッティやウーノあたりは知っていたかもしれないが――抜け道を通り、外へと出るクアットロ。

 外に出てしまえば、後は彼女の先天固有技能(インヒューレントスキル)でいくらでも身を隠すことは可能なのだ。

 

 

「ドクターのクローンは私も持ってるし……しばらくは隠れてやり過ごすとしましょ。<ゆりかご>とラボはもったいないけど……」

 

 

 そっと撫でる腹部、その胎内にはスカリエッティのクローンが仕込まれている。

 生まれれば記憶の転写技術により1ヶ月ほどで「スカリエッティ」として覚醒する、クアットロ達の誰かが逃げ切れればそれで良いのだ。

 たとえ、オリジナルのスカリエッティがどうなろうとも。

 

 

「さて、と」

 

 

 笑みつつ、ケープの中から掌サイズのスイッチを取り出した。

 柄の上に赤いボタンがついたタイプ、そのボタンを覆う赤のカバーを親指の先で弾いて開ける。

 笑みを深くするのは、それが<ゆりかご>各所に仕掛けた反応型のコバルト爆弾とラボの自爆装置を発動させるスイッチだからだ。

 

 

 何の邪魔もなく作動すれば、周囲数キロを跡形もなく消滅させ、数百キロに渡って深刻な被害をもたらすだろう。

 少なくとも、周囲に展開している陸士部隊と2隻の次元航行艦は全滅は必至。

 ここにいる者達を片付ければ、管理局はおそらく自分を追えない。

 まさに、「大きな花火」だ。

 

 

「……あら?」

 

 

 外へ出る最後のストレート、下水道の出口にも似たその場所でクアットロは意外な人物と出会った。

 ボロボロのコートを纏ったその男は、通路の真ん中に仁王立ちしてクアットロを見ていた。

 

 

「……やはり、ここから逃げるか……」

「あらぁ、騎士ゼストじゃないですかぁ。どうしてここに?」

 

 

 ヘラヘラした笑みを浮かべつつ、しかし内心ではかなり意外な気持ちではある。

 ここは本当に秘密の逃走経路であって、そうそう見つけられるものではないはずだった。

 

 

「……アギトが、これに似た通路をいくつか見つけていてな」

「そうなんですかぁ」

 

 

 聞いて内心で舌打ちする、そういえばあの小さな融合機はラボや<ゆりかご>をやたらにウロウロしていた。

 最近はルーテシアやゼストについて外に出ていることの方が多かったから、失念していた。

 まぁ、そもそも気にもしていなかったのだが。

 ……しかし、ちょうど良かったかもしれない。

 

 

 いかに身を隠すことに長けているとはいえ、自分には戦闘能力は皆無。

 ならばゼストのような強力な護衛がついている方が、スカリエッティを「産む」にしても良いだろう。

 そう気持ちを切り替えて、クアットロは笑みを深くした。

 

 

「ドクターも姉様達も妹達も、ルーテシアお嬢様も管理局に捕らわれてしまいましたの。救出のため、手を貸してくださいな」

「…………ああ」

 

 

 頷くゼストに内心でほくそ笑む、『レリック』ウェポンの失敗作とはいえ実力は確かだ。

 かつての部下の娘であるルーテシアを餌に釣れば、いくらでも言うことを聞く。

 

 

「さぁ、まずはここを離れましょ……う?」

 

 

 すれ違い際、クアットロが間の抜けたような声を上げた。

 その理由は、手に持っていたはずの自爆スイッチが掠め取られてしまったからだ。

 目を丸くして顔を向ければ、それはゼストの大きな手の中にあった。

 

 

「なに」

 

 

 言葉を紡ぐ直前、凄まじい圧力が顔に来た。

 具体的には顔の下半分、鼻と唇の辺りに分厚い拳が直撃したのである。

 鈍い音が響き、鼻骨が砕ける嫌な感触が拳を伝わって来た。

 個人的な戦闘能力が皆無であるクアットロは、鼻と唇から流血しつつ通路の壁へと叩きつけられた。

 

 

「な、ぜ……」

 

 

 げふっ、と嫌な咳き込みをした後、クアットロはガクリと意識を失った。

 顔面を血に染めた彼女を見下ろすゼストは、小さな前歯が2本刺さった己の右の拳を見下ろした後、左手に握ったスイッチを床に落として踏み砕いた。

 そしてクアットロが倒れたのとは反対側の壁に背中を預けて、力尽きるように崩れ落ちる。

 背中が擦れたその場所には、クアットロの物とは別の赤い液体がこびりついていた。

 

 

「……八神、はやてか……」

 

 

 個人的には、何の接点も無い。

 しかし、あの小さな気高い騎士への借りは返せただろうかと思う。

 その代わり、自分の願いを一つ諦めることになってしまったが。

 

 

「……レジアス……」

 

 

 かつての友に、問いかけたかった。

 お前は、今も地上の平和を目指して邁進しているかと。

 20年前と変わらない理想を、掲げ続けているかと。

 もしそうなら、自分や部下達の死にも多少の意味はあろうと……。

 

 

 深く息を吐いて、ゼストは顔を俯かせた。

 俯いた顔が上に上がることはそれ以降、無かった。

 そしてその身体が動かされたのは、通路の出入り口に立てかけられた彼のデバイスの信号を受信し、栗色の髪の管理局員がやってきてからのことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――そこは、夜天の空が輝く美しい世界だった。

 煌く無数の星々は命を主張するように輝き、時折流れ落ちる星は涙のように儚い。

 美しく、強く、そしてどこか寂しい……そこは、そんな世界だった。

 

 

(……つまらん世界やわ)

 

 

 そう、はやては独りごちた。

 見た目ばかり取り繕って、その実、益になる物は何も無い。

 そんな世界だと、そう思った。

 

 

「そう卑下するものでも無いと思うがね」

 

 

 360度を星空に覆われた世界の中心、何も無いその場所にどうやってか腰掛けているのははやてだ。

 白と黒の騎士甲冑姿で、ただぼんやりと夜天の空を見上げている彼女。

 そんな彼女に、声をかける存在があった。

 誰もいないはずの彼女だけの世界で、彼女に声をかけるのは。

 

 

「……ジェイル・スカリエッティ」

「の、記録情報だがね。しかし『レリック』が失われた以上、今はただ消え行く存在であると言える」

 

 

 はやてと背中合わせになる位置に座っているのは、白衣の男だ。

 彼女はそれを目で確認しようとは思わなかった、見る必要が無いからだ。

 

 

「いや、しかしどうやらキミを利用しての方法は失敗に終わるらしい。今となっては、他の方法が成功するかどうかが興味の対象だね。いやはや、実に面白い……」

「死ぬまで、科学者……か。けど、スカリエッティ。消えるって言うなら、どうしてこんな事件を起こしたんや? 後学のために教えといてくれるか?」

「それはもちろん、私が望んだ自由な世界のためにさ。どうも失敗のようだがね、まぁ生きていれば次もあるだろう」

 

 

 消え行く存在と言っておきながら、次の計画を考え始めるスカリエッティ。

 それは、本当に度し難い魂だった。

 遥か遠い過去――――アルハザードから産まれたクローン、無限の欲望。

 記憶を繋げたはやてだからこそ、わかる。

 プレシアがアルハザードの実在を信じた理由、全ての始まりの原因が彼だ。

 

 

 憎もうと思えば憎める、しかし彼がいなければ、はたして『闇の書』事件は解決に導けただろうか。

 フェイトはいなかったろう、なのはもいなかったろう、そしてきっと他にも。

 他にも、いろいろなことがなかったのだろう。

 良いことも、悪いことも。

 ……縁とは不思議なものだと、妙に達観した溜息を吐く。

 

 

「しかしキミも不思議な人間ではあるね、キミの記憶を見る限り、とても管理局に仕えるを良しとするとは思えない」

「…………」

「キミの能力を十全に活用できているとは言い難い、偏見による差別や妨害、陰に日向に随分な扱いを受けてきたようじゃないか」

 

 

 ……<夜天の書>の主、最後の<夜天の王>。

 10代で佐官、部隊長、いずれもはやてにとっては重荷だった。

 所属する地上に味方はほとんどいない、いや、いたとしても――――。

 ――――彼女を守り、支え、助けてくれる階級の者はいないのだ。

 

 

 だから彼女は1人気を張って、自分に向けられる悪意と戦わなくてはならなかった。

 それは精神的な物だけに限らない、物理的・肉体的な物も含まれる。

 そう言ったものから己の身を守ることにエネルギーを割けば割く程、本来の目的とは乖離した状況が生まれてくる。

 嫌悪と諦観、失望と停滞、管理局の中にある限り、はやてはそれらから解放されないだろう。

 

 

「後学のために聞かせてくれないかな、自由を求めたことは無いのかね?」

「自由……?」

「そう、自由さ。何者にも縛られることも煩わされることも無い、自分の願いを叶えるためだけに行動する、できる世界! キミはそれを求めたことは無いのかね?」

 

 

 自分の願いは、リインフォースの眠りを終わらせること。

 しかし現実には、自分はそれに専念できているとはいえない。

 原因は簡単だ、管理局という枠の中にいるからである。

 それは極端ではあっても、間違いではないのだった。

 

 

 それだけをやっていれば良い世界であったなら、どれだけ良かっただろう。

 不快な出来事に煩わされることも無い、そんな環境があったなら。

 どれだけ、幸福であっただろうか。

 ――――けれど。

 

 

「……私の」

「ふむ?」

 

 

 膝を上げて顎を乗せて、目を閉じて、はやては呟くように言った。

 

 

「私の大好きな人達が……そこで、管理局で、頑張ってるんよ」

 

 

 なのはであろう、フェイトであろう、シグナムであろう、ヴィータであろう、ザフィーラであろう、シャマルであろう、リインであろう、リンディやレティ、クロノ達管理局の面々であろう、グリフィスやシャーリー達機動六課の面々であろう、ゲンヤやギンガ達地上の面々であろう、アリサやすずか、桃子達地球の面々であろう……グレアムや、リーゼ姉妹であろう……そして、イオス。

 

 

「大好きやから……」

 

 

 自分を救い上げてくれた人間は皆、管理局で今も頑張っているのだ。

 だから自分だけが根を上げて、諦めるわけにはいかない。

 現実を否定して――――逃げ出すわけには、いかない。

 

 

 ふと気付いて、はやては顔を上げた。

 そこに、星が輝いている。

 他の星に比べて一際強く輝くその星は、黄金の煌きを放っている。

 黄金の、剣十字。

 

 

「ふむ、私には理解し難いが――――まぁ、頑張り給え」

 

 

 女の子の身体を乗っ取る変態が、偉そうに言うな。

 そう思いつつ、はやては目の前に浮かぶそれに手を伸ばした。

 天に輝く十字星に、求めるように手を伸ばした。

 そして、掌に何か暖かな……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 埃っぽい空気の香り、頬に押し当てられた硬いぬくもり、身体を揺らされる独特のリズム。

 薄らいだままの意識の中で、はやてが最初に感じたのはそれだった。

 うっすらと開いた瞳は、どこかまだぼんやりと焦点が合っておらず……。

 

 

「……死にたくなかったら、その手を離してくれ」

「ぇ……?」

 

 

 不意にかけられた声に、はやては目を瞬かせた。

 瞬きを繰り返すごとに瞳に理性の色が戻り、最後には完全な覚醒に至ることになる。

 そして、気付いた。

 

 

 自分の手が、自分を横抱きに抱き上げているイオスの顔にぺたりと当たっていることに。

 そしてそのイオスは、何かのエネルギーの奔流の跡のような空洞を上へ上へと徒歩で歩いている。

 しかし傾斜が厳しく、鋼の鎖――おそらく『テミス』――を器用に引きながら登っているらしい。

 つまりその顔を右手で押しのけているようにも見える今の体勢は、かなり危険だった。

 と言うか、横抱きでイオスの胸に頬を当てていたと言うことは……。

 

 

「え、わ……っ、ちょ、何? 何で!?」

「待て! わかったから落ち着け! 落ちつ……!」

 

 

 結果的に、イオス達は数メートルの後退を余儀なくされた。

 

 

「……ったく……」

「うぅ……す、すみません……」

 

 

 煙が出そうなほど顔を赤らめて、イオスの腕の中ではやては身を小さくした。

 イオスはと言えば、特に不快に感じた風でもなく……右手ではやての背中を持ち、膝にまわした腕に鎖を持って器用にスルスルと引いていた。

 一見すると、要救助者を運ぶ登山家にも見えるから不思議だ。

 

 

 その時はやては、身を縮めたために視界に入った小さな存在に気付いた。

 妖精サイズのその子は、はやての胸元をベッドとして眠っている様子だった。

 上から2つ目までのボタンを外した白いブラウスの上、銀色の髪の妖精がしがみつくようにして眠っている。

 

 

「リイン……」

 

 

 呟いて、はやては右手の指先で銀の髪を撫でた。

 むずかるように身動きするリインに目元を優しげに緩ませるはやてに、イオスはそっと息を吐いた。

 

 

(どーやら、八神さんの方らしいな)

 

 

 ほっと胸を撫で下ろすのは、内緒だ。

 もしこれがスカリエッティの演技だとすれば気持ち悪いことこの上無いが、そう言うことは無いらしい。

 嘆息して、イオスは身体の内面からくる痛みを堪えつつ上を目指して歩き続ける。

 

 

 一方で、はやての側も身体を乗っ取られている間の記憶を僅かだが所有していた。

 自分が、おそらくは多くの人間に結局は迷惑をかけてしまっただろうことも把握している。

 イオスの身体の内外の負傷についてはわからない、しかし自分が騎士達との直接のリンクを失ったこともわかっていた。

 だから、はやてはイオスの顔を見ることも出来ずにいたのだが……。

 

 

「……後で、良くやったって褒めてやれよ。すげー頑張ってからな、リイン」

「そう、なん?」

「ああ、高町さんの砲撃から俺を守ってくれたりな」

「それは……頑張ったんやね」

「後ヴェロッサにもな、アイツの送ってきたデータが無かったら今歩けてねぇし……」

 

 

 ……いろいろな所に、顔向け出来なさそうである。

 しかし同時に、自分が顔向けできないことを望んだりはしていないのだろうとも思う。

 怒りもするだろうし、文句も言うだろうが。

 こういう想像を、自惚れと言うのだろうか。

 

 

「あ、あの……イオス、さん」

 

 

 横抱きにされたまま、はやては視線を彷徨わせた。

 自惚れであろうとなかろうと、しかしイオスに対しては特に感情が揺れる。

 何しろここにいると言うことは、いろいろなことを知っているだろうからだ。

 

 

 何と言おうかと、はやては思った。

 しかし何を言っても言い訳にしかならない気がして、結局は何を言えば良いのかわからなくなる。

 そんなはやてに対して、イオスは。

 

 

「……しょーがねーだろ」

「え?」

「だってお前、タイトスカートじゃん……それで背負うって、無理だろ。肩とか脇で抱えるのはしんどいし、これが一番安定したんだよ」

「え……っと」

 

 

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 しかし数瞬して、わかった。

 どうやら、「お姫様抱っこ」についての言い訳をされたらしい。

 

 

 ぷっ……と、はやては噴き出してしまった。

 それから、クスクスと肩を震わせて笑うことになる。

 そんなはやてを見下ろして、イオスは溜息を吐く。

 気のせいでなければ頬が少し赤い、羞恥心から来るものかはわからないが。

 

 

「……笑うなよ……」

「す、すみませ……っ。うふ、うふふふふ、ふふっ」

 

 

 嗜めるような声にも、笑い声を返すことしかできない。

 胸の奥が熱くて、温かで……溢れるように、止まらないから。

 だから、はやては両手で口元を押さえた。

 声を、押し殺すように。

 

 

「ふふ、ふ……あはは、はっ……ひ、ふ、ぐ……ひぐっ、ぅ、うううぅ……っ……!」

 

 

 ボロボロと、瞳から透明な雫をいくつも零して。

 

 

「うぅ……っ、ふっ……ううぅ、ぅ……うぅ~……!!」

 

 

 自分の胸に顔を押し当ててくるはやてに、イオスは嘆息した。

 そして見ないようにしながら、後はただ歩いた。

 少しずつ、少しずつ、遅々とした足取りで――――。

 

 

 ――――後輩の「笑い」が収まるのを、ただ待った。

 ずっと……ずっと。

 待っていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――――――。

 ――――メッセージを記録します――――。

 

 

『……ええと、これもう映っとるん? 映っとる? あ、そう、じゃあもう始めんと……あー、改めてやと、何か照れるなぁ』

 

『……ええと、イオスさん、ご無事で何より……やったらええなって、思います』

 

『まぁ、これ見てるってことは、少なくとも私は全く無事やないんやろうけど……それで、皆が大変なことになっとるやろうけど……でも、きっと大丈夫って、思ってます』

 

『……怒ってるやろうなって、思います。でも他に、六課の皆とか……貴方を、イオスさんを守れる方法が、今の私には思いつけませんでした。自己犠牲とか本当、よくないってわかっとるけど……』

 

『でも私にとっては、自己犠牲とかじゃ無いです。必要なことやから、こうしました。こうすれば、一番被害を少なく出来ると信じたから、こうしました』

 

『抱え過ぎって、わかってます。でも、勝算も、ほんのちょっとだけどあるんです』

 

『私が頑張れば、きっと何とかなるって』

 

『皆には、なのはちゃんとかフェイトちゃんとか、クロノ君とかユーノ君とか、リンディさんとか……10年前からずっと、お世話になって……もちろん、イオスさんもやけど』

 

『そんな私が恩を返せるとしたら、何が出来るかなってずっと思ってました』

 

『……その結果が、これです』

 

『馬鹿やなって、自分でも思います』

 

『でも、怖くはないです。ただ……ちょっと、自信が無いだけです』

 

『…………えっ、と! つまり何が言いたいのかって言うと、心配しないでってこと! 後は……後は、怪我とか治して、元気にってことを、言いたかったんです! 後のことは、全部リインに託してあるんで……ああ、もう、リイン。泣いたらあかんって、これもしもの時のため用なんやから』

 

『ああ、もう終わり! 終わりにしよ、もう、な!』

 

『あー……っと、じゃあ、そう言うことで』

 

『…………さよなら』

 

 

 ――――。

 ――――――――。

 ――――――――――――――――。

 

 

 

『……助けに、来ないで。死なないで……お願いやから……大切――――』

 

 

 

 ――――記録を停止します――――。

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
最終決戦、終了です。
終了です……が、はやてさんのメッセージを導入する場所はもう少し考えたかったですねー。

流水の魔導師は、いろいろやりたいことをやれた反面、反省点も多い物語でもあります。
特に恋愛方面、「なのは」素材でここまで淡白なのはどうかと思ってみたり。
本編はエピローグを除くと次回で終了になりますので、そこで何とか最後に引き戻したいものです。
次回も頑張ります。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。