魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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StS編第21話:「査察官、流水+氷結」

 レジアス・ゲイズは、本局の将官の中でもギル・グレアムを嫌っていた。

 本局のエリートであり、地上本部と本局の折衝の際には必ずと言って良い程衝突したからだ。

 もちろん互いの立場の違いから、言葉の上で対立するのは仕方ないとはレジアスにもわかっている。

 

 

 気に入らないのは、グレアムが口にする綺麗事の数々の方だった。

 犯罪者を擁護し、重用し、信用するなどは最たる物だった。

 だから10年前の『闇の書』事件の際、彼が事件解決のためと称して罪を犯したと知った時は手を打って喜んだものだ。

 ……だが、同時に羨ましくもあった。

 

 

「……ふん」

 

 

 通信で送られてきた数々の資料を前にしても、レジアスは動じなかった。

 少なくとも表見にはそうだったし、傍で彼を見守るオーリスにも動揺を窺うことは出来なかった。

 しかし、彼女の目にはレジアスの窮地がはっきりと映っている。

 

 

 今、レジアスに送られてきた資料は東部の質量兵器保管庫に関するものだ。

 レジアスの名で管理されているはずのそこに、実はほとんど質量兵器が保管されていなかったことを示す証拠の映像資料。

 その他、保管されていたはずの質量兵器の部品が破壊されたガジェットの破片の一部と一致した報告資料や特定された流通ルートの証言、地上本部の通信記録……全て、ある事実を指摘していた。

 

 

「……地上本部の壊滅にかこつけて、忌々しい稀少技能保持者を使っていろいろと調べたようだな。聖王教会の小娘と組んで、本局らしい姑息な手段だな……しかも」

 

 

 目の前の表示枠に視線を向けて、レジアスは鼻を鳴らした。

 

 

「それを指摘してくるのが、まさか犯罪者崩れのギル・グレアムとはな」

『……流石に、良い耳をお持ちのようですね』

「ふん、当然だ……次元犯罪を幇助するような人間、信用できるはずも無いからな」

 

 

 そして今や、レジアスのその言葉は全てが自分へと跳ね返ってくるのだ。

 だからだろうか、彼の言葉にはいつものような力が無かった。

 動揺はしていないが、しかし弱々しい声音だった。

 

 

『……心中は、お察し致します』

「察する、だと? 貴様などに私の心中を量れるはずも無いだろう!!」

 

 

 レジアスが机を叩く音に、オーリスが身を竦ませる。

 それに構わず、レジアスは表示枠の向こうのグレアムを睨んだ。

 白髪の紳士然とした男が、今は昔以上に憎々しくて仕方が無かった。

 

 

「地上本部は常に人も金も足りん……貴様ら本局が人も金も吸い上げて行くからだ! それが次元世界間の平和のために必要と言うなら我慢もしよう、だが貴様らは自分達の能力の限界を無視して管理世界を広げるべく常に船を出し続けている! 現在も管理し切れていない物を、平和と秩序の名の下に拡大し続けているのだ!!」

 

 

 そして、管理世界が広がればまた人と金が必要になってくる。

 その調達は当然、次元の海で金を作れるはずも無いんでミッドチルダを含む各世界の地上から持っていくことになる。

 必然的に、地上は人的・資金的に枯渇していく。

 

 

 それでも必死でやっている所に、毎年のように本局からの介入がある。

 地上での犯罪率が上がればそれを口実に地上本部の発言力を削ぎに本局が口を出してくるわけだが、その度にレジアスは思うのだ。

 貴様らのせいで自分達がどれだけ苦労しているのかわかるか、と。

 

 

「だから私は20年前、ゼストや他の仲間達と共に地上の戦力を向上させるためにはどうすれば良いかを必死で考えた。地上の平和を守るためには、どうすれば良いのかと」

『それが、ガジェットを始めとする自律駆動兵器や、戦闘機人のような人造魔導師の生産だった……』

「……それ以外に、方法は無かった。それほど、地上の状況は切迫していたのだ」

 

 

 ゼスト……ゼスト・グランガイツは、レジアスの昔からの仲間だった。

 今、スカリエッティの下にいるだろうあのゼストが、レジアスの知るゼストであるかはわからない。

 しかし8年前、クイントが死んだ戦闘機人事件において彼が「死んだ」際……決定的に、決別してしまっていることは間違いが無かった。

 

 

『……私も、同じでした』

「何?」

『それしか無いと……それでこれ以上の被害が防げるならと、それ以外に取れる手段はもはや無いのだと、そう思い、思うってしまったことが、ありました』

 

 

 『闇の書』事件の際だ、グレアムは罪を犯した。

 ただそれは私腹を肥やそうとか、不正をしようとか、そう言う物ではなかった。

 事件の解決のために、他に方法が無いと思ったから――――そうしたのだ。

 

 

『ですが、それは間違いでした』

「……私も同じだとでも、言うつもりか?」

『いえ、そうではありません。ただ……私達が思っている以上に、下の人間達は私達を見ているのだと、それを貴方にも気付いてほしいのです』

 

 

 ギル・グレアムにリンディやクロノ、イオス達が存在していたように。

 レジアス・ゲイズにも、誰かがいると。

 下にいる誰かが、自分達が持っている以上の解答を見せてくれるのでは無いかと。

 そう、信じてほしいと。

 

 

 綺麗事だと、レジアスは思った。

 しかし彼は、それでも自分の後ろへと視線を送った。

 そこには彼の娘が、オーリスがいる、当然だ。

 だが、ふと思うのだ。

 自分が守っていたつもりが、守られていたのは実は自分の方ではないのかと。

 

 

「……仮にそうだとしても、もはや全てが遅い」

 

 

 最高評議会とは連絡が取れず、スカリエッティの離反で地上本部は機能不全の状態だ。

 手足だけでなく背骨まで抜かれてしまったような心地で、レジアスは頭を振る。

 

 

『いいえ、遅くはありません』

 

 

 しかし、グレアムは首を横に振る。

 何もかも、遅すぎると言うことは無いのだと告げる。

 かつて、彼がそれを知ったように。

 何かが終わっても、現実が続く限り何かをしなければならないのだと。

 

 

『下の者を……次代の子らを、信じてみてはくれませんか』

 

 

 繰り返しの言葉、今度はレジアスは何の返答もしなかった。

 彼は目を閉じ、大きな身体を膨らませて息を吸った後……。

 ……沈み込むように、吐いた。

 重く、長い歴史を感じさせる溜息だった。

 

 

 その溜息を聞いて、何故かオーリスは自分の目から涙が零れるのを感じた。

 理由などわからない、ただ。

 今までで一番小さく感じる父の背中に、彼女はそっと口元を押さえ、くぐもった声で泣くのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 まるで、その場にだけ冬が到来したかのような。

 そんなひんやりとした空気の中で、ウェンディは肌の上を舐めるように這ってくる魔力を感じた。

 空気が罅割れるような音を立てるのは、彼女を乗せているボード。

 イオスへのトドメの攻撃を止めた銀髪赤目の女が掴むその位置から、凍結を始めていた。

 

 

「じ……冗談じゃ無いっス!」

 

 

 慌ててボードを捨てて跳び下りる、残されたボードは完全に凍る前に装甲版が反り返り、内側から爆発して消えた。

 オレンジの閃光と同時に吹いた爆風に、ウェンディは片目を閉じながら身構える。

 ボードを失ったのは痛いが、しかしそれ以上に意味がわからなかった。

 

 

 あの銀髪赤目の女は誰か、いやそもそもどこから現れたのか。

 だがそんなことを考えつつ顔を上げた時、ウェンディは再び目を丸くすることになる。

 何故ならば、煙が晴れた先にいたのは銀髪の女などでは無かったからだ。

 

 

「お兄さん……っスか?」

 

 

 自信無さげに言うのは、仕方が無い。

 イオスがいたかと思えば奇妙な女が現れ、しかし今はやはり男がいるわけなのだから。

 先程の女は、幻か何かだったのかと首を傾げたくなる。

 しかも今、目の前にいる男は……造形こそイオスだが、自信は持てなかった。

 容姿が、変わっていたから。

 

 

 水色の髪と瞳は色素が抜けてより白に近くなり、水色と黒で構成されていたバリアジャケットも白と灰色の物に変化している。

 どこか、さっき見た女の姿に似ているとも思った。

 全体的に、色が薄くなり――――そして、魔力の質が変化しているような気がする。

 そのようなことが起こる現象を、ウェンディ達は知っていた。

 

 

「……ユニゾン、だと?」

 

 

 馬鹿な、とチンクは呻いた。

 融合機(ユニゾンデバイス)とのユニゾン、理論上は誰とでも可能だ。

 彼女らはアギトの例があるからそれを知っている、だが同時に適合率という問題を知っているのだ。

 

 

 アギト、そしてリイン、どちらも古代ベルカ式の力を使ったユニゾンデバイスだ。

 アギトとユニゾンすることができるゼストも、古代ベルカ式の騎士だ。

 ユニゾン可能な適合率に至るには、デバイス側とのリンク条件として古代ベルカの力が必要なのだ。

 ミッドチルダ式魔導師のイオスが、その条件を満たせるはずが無い。

 

 

「……だけど、あの小さいのがいない。それにこの魔力の質の変化は他に説明がつかない」

 

 

 天井から上半身だけを外に出して、セインがそう言う。

 実際、先程まで青年が抱えていたリインがいない。

 何よりも、他にイオスの外見と魔力の変化を説明できるものが無い。

 

 

 ならば、事実は事実として認めなければならなかった。

 イオス・ティティアは、今、彼女達の目の前で。

 ――――リインフォース・ツヴァイとユニゾンしたのだと。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イオスがリインとユニゾン出来たことには、当然だが理由がある。

 まず、リインにはミッドチルダ式の技術も利用されていることだ。

 その意味で、彼女は純正の融合機では無い。

 

 

 そしてもう一つは、イオス自身の秘密……経験だ。

 彼はかつて、『闇の書』と呼ばれたデバイスに溶けた男だ。

 『闇の書』の中枢と繋がることで、彼の魔力は若干だが確実に変質していたのである。

 かつてシャマルが思ったように……「相性が良い」のだ。

 

 

(……何て言うか、妙な気分だ)

 

 

 自分の身体の内側に渦巻く魔力の流れに、イオスは心地よさを感じていた。

 まるで海の中にいるような、大きな何かに包まれているような感覚。

 それは、いつか感じた……何かと溶け合う感触に似ていた。

 自分以外の意思持つ存在と繋がり、一つになる感触。

 

 

(くすぐったい……な)

 

 

 そう、くすぐったいと言う感覚が一番ぴったりする。

 こそばゆいと言うか、くすぐったいと言うか。

 ――――心地良い、そう思った。

 

 

<……イオスさんとのユニゾンは、あったかいです>

(リイン?)

<ご心配おかけしましたです>

 

 

 言葉にする必要が無い、何故なら身体の内側から声が響いてくるからだ。

 これが、ユニゾン。

 今、リインの意思と力は自分の中にある。

 

 

<さぁ、行くですよ!>

「……ああ!」

 

 

 細かな事情はイオスにはわからない、ユニゾンなど初めての経験だ。

 だが、イオスは酷く冷静に今の自分に出来ることを把握していた。

 右手を掲げ、ボードを失って呆然としているウェンディに向ける。

 

 

「あ……」

「ウェンディ!」

 

 

 ウェンディが反応するよりも早く、セインが反応した。

 天井から落ちてきた彼女は、そのままウェンディを掴んで床の下に逃げようとしたのである。

 だが、それが不味かった。

 途上で何かに捕らえられ、強く引かれ視界が揺れた。

 

 

(しまっ……狙いは私か!)

 

 

 毒吐くも遅い、感じるのは腹部の冷たい感触だけだ。

 魔力により有機化した流水の鎖、鋼の鎖であれば抜けられるがこれは無理だ。

 引かれた先で胸に重い衝撃が来た、イオスの拳だ。

 胸に拳の感触を感じた瞬間、喉奥まで貫く冷たさに呼吸を止めた。

 

 

 鎖で引かれた勢いと打たれた衝撃で身体が回り、イオスの後ろにぐりんと回った直後に再び引かれる。

 床に手足が触れない、これでは『ディープダイバー』で逃れられない。

 首の後ろ、肘が入る。

 その衝撃に目の前が白くなる……否。

 

 

(の、喉が……凍、る……!)

 

 

 セインの首、喉仏のあたりに小さな氷柱が立っていた。

 喉を貫いたのではない、首の後ろから前へ抜けた衝撃、それが氷柱となって現れたのだ。

 薄れ行く意識の中で彼女は見た、自分が倒れ行く床に水が渦巻いていたことを。

 そしてそれが、氷の枷として己の身を包み込んだことを。

 ――――床から離れた位置で拘束されるあたり、徹底している。

 

 

「……こ、の」

「待て、ウェンディ!」

 

 

 もはやウェンディには戦う手段が無い、が、彼女も戦闘機人だ。

 ただの拳でも十分に凶器となる、事実、彼女の飛び出しと拳は十分な威力を持っていた。

 

 

「よくも、セインをおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 勢い良く放たれた右拳を、イオスの左掌が受け止める。

 僅かにイオスの身体が後ろにズレる、それだけの威力があった。

 だが、直後に表情を歪めたのはウェンディだった。

 

 

「な、か……っ」

 

 

 右拳の先、イオスと触れ合った肌が異様に冷たい。

 そしてそれは這うように右腕全体に広がり、次の瞬間には肘までが氷結してしまった。

 内側の血液が凍り付いて爆ぜるように、人工表皮がスーツの布地ごと裏返る。

 それは、凄惨な光景だった。

 

 

「か、ぁ、がああああああああぁぁっ!?」

 

 

 右腕を押さえてその場に膝をつく、左手が感じる冷たさは、右腕の組織が死んだためだ。

 血さえも流れない、裏返った肌は雪の結晶のように剥がれて落ちてしまう。

 歯を食い縛り、焼けるような冷たさと言う矛盾した事象に直面する。

 

 

(こ、の……っ)

 

 

 それでも顔を上げて前を見れば、その顔を掌が覆った。

 身体を折られるかと思うような勢いで、ウェンディの後頭部が床に激突した。

 びし、と空気が罅割れるような音が響くのは、ウェンディの身体の後ろに薄い氷の膜が張ったためだ。

 それも、彼女の身体によって砕かれてしまったが。

 

 

「セイン、ウェンディ……!」

 

 

 それを、チンクは呆然とした心地で見ることしか出来なかった。

 指の間に挟んだ金属製のナイフの先が、カタカタと震えている。

 

 

(……馬鹿な)

 

 

 いかにユニゾンしたとは言え、戦闘機人2人がこうもあっさりと。

 いくらなんでも異常だ、特にあの凍結魔法。

 融合機の方が氷結の属性を持っていたとは言え、それを。

 

 

「……くっ!」

 

 

 気を抜いたわけでは無いが、虚を突かれたのは確かだ。

 銀の髪を靡かせ、背後からの蹴りを回避する。

 蹴りに掠れた髪先が凍る、凍えた空気が頬を撫でた。

 

 

 大丈夫、とチンクは自分に言い聞かせる。

 流水の鎖は自分には効かない、アドバンテージは自分にあると。

 蹴りをかわした体勢からナイフを放つ、爆発の中から白髪のイオスが飛び出し、自分の後ろに着地するのを目と身体で追う。

 

 

「……無駄だ!」

 

 

 そして案の定、イオスは自分の身に流水属性の鎖を巻いてきた。

 しかし先程同様、AMFによってただの水になって消える。

 

 

(――――水?)

 

 

 ぴし、と、音を立てるのは自分の衣服だ。

 流水の鎖が砕けて、チンクの身体が濡れる……当然のことだ。

 そしてその水が、氷結して枷となる。

 

 

「しまっ……!」

 

 

 理解した、分けて考えてはダメなのだ。

 今のイオスは、「流水」に加えて「氷結」の属性を持っている。

 それらを組み合わせて戦う、それはイオスの判断速度よりも早く行われる。

 何故ならば、彼は今1人では無いからだ。

 すなわち、今のイオスは。

 

 

(二属性持ち……!)

 

 

 通常、魔力変換資質は一属性だけだ。

 しかし今のイオスは、リインとのユニゾンによって2つの属性を持っている。

 それは単純に二属性の魔法を操ると言うだけでは無い、運用次第でそれ以上の力を発揮する。

 イオスが水を張り、リインが氷結する。

 その結果、究極形がこれだ。

 

 

「……!!」

 

 

 悲鳴すら形にならない、無数の針が身体を打ち抜く感覚に瞳を見開く。

 この魔法は知っている、地下水路でも見た『ダウンプア・ソーン』だ。

 多量の水を必要とするはずのこの魔法、それが即座に放たれたのはまさに氷結の属性による。

 

 

「……『フリージングソーン』」

 

 

 無数の「氷の針」、それがチンクの小さな身体を撃ち抜いた。

 それでも、彼女は立っていた。

 胸や腹に開いた小さな穴、そこから氷結が範囲を徐々に広がっていても。

 それが傷口を塞ぐ役割を果たしているのは、皮肉としか言いようが無かった。

 

 

 ゆらり、と身体が揺れる。

 しかしその瞳は、最後まで閉ざされることは無かった。

 それでも氷の針の衝撃に揺れる身体は、徐々に前に傾いていく。

 

 

「……何を求めて、の、ことかは知らないが……」

 

 

 掠れた声は、言葉としての呈を成していない。

 しかし、チンクの隻眼はイオスを捉えて離さない。

 強い、そう思う、認めざるを得ない……だが。

 

 

「……お前の望みは、叶わない」

 

 

 全てを知っているが故に、チンクの心は折れなかった。

 膝をつき、次いで前のめりに倒れる。

 顔を覆う冷たい氷の結晶の感触に溺れながら、チンクは意識を手放した――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 利用されると言うことに関して、ヴィータはそれなりに慣れているつもりだった。

 『闇の書』時代が典型だろうし、この10年で出自と力を頼みに使われたことは山とある。

 だが、自分の「存在」自体を利用されると言う経験は初めての物だった。

 それは、思っていた以上の不快感をその小さな胸に宿らせることになった。

 

 

「……行かなくちゃ」

 

 

 呟き、『グラーフアイゼン』を構えるヴィータ。

 月が中天を超えて下へと下り始めた夜の空、廃棄都市区画の上で彼女はゼストと向かい合っている。

 彼女は瞳の中に苛烈な色を宿らせながら、目の前の騎士を睨む。

 

 

「スカリエッティがそんなことを計画してるってんなら、私はなおのことはやての所に行かなくちゃならねぇ。お前を墜として……皆の後を追う」

「……俺としては、俺のことは無視してくれて構わんのだがな」

「ふざけろ、タコ」

 

 

 ハンマーの先端を向けて、ヴィータは言う。

 

 

「騎士の戦いに『また』はねぇんだ、そして管理局員は目の前の犯罪者を捕まえる義務がある。だから……!」

 

 

 カートリッジの空薬莢を飛ばし、ハンマーを後ろへと振りかぶる。

 いつでもと言う姿勢を見せるヴィータに対し、ゼストはしばし瞑目した。

 正面からの一撃、それ以外の選択肢を見せないヴィータ。

 愚かと笑うのは簡単だが、しかし同時に潔さも感じる。

 だから、彼も自らの槍を構えた……力の出し惜しみは、しない。

 

 

「ダメだよ、旦那!」

 

 

 アギトの制止の声を無視して、デバイスを最大出力(フルドライブ)へ。

 身体にかかる負担が増し、一瞬、意識が遠のきかけた。

 だがそれでも現実に自分の意識を繋ぎとめたのは、胸に抱く目的のため。

 

 

 かつての盟友であるレジアス・ゲイズに、戦闘機人事件の真相を聞くため。

 8年前、地上のために互いに努力していた、自分が槍を捧げていた男が。

 その裏で、犯罪に手を染め自分と部下を殺したのかどうかを問いただすためにも。

 ここは、突破しなければならないのだから。

 

 

「……行くぞ、古き騎士よ」

「来いよ、折れた騎士」

 

 

 次の瞬間、交差した。

 頭上から振り下ろされたハンマーを槍の柄で受け流し、頭の上で回転させた後に雄叫びと共に槍を振り下ろす。

 流されたヴィータはハンマーの石突部分を跳ね上げ、槍の刃の中央に当てて弾いた。

 

 

 衝撃に、お互いのデバイスが悲鳴のような音を立てる。

 相棒に謝罪しつつ、ヴィータはハンマーの噴射口から魔力を迸らせてその場で回転した。

 その遠心力のまま、ゼストに叩きつける。

 ゼストは腕を槍を重ねるようにしてそれを受けた、盾となった腕と槍が軋んで身体が浮く。

 チャンスだった、だからヴィータはさらに畳みかけようとして。

 

 

(――――何!?)

 

 

 その時、ヴィータは気付いてしまった。

 ゼストの背後、夜の闇に紛れたその存在を。

 偶然、雲の隙間から抜けた月明かりに照らされたことで……見えた。

 

 

 魔力隠蔽式の光学迷彩で隠れていたのだろう、ここまで接近を許してようやく気付いた。

 そこにいたのは、機械だ。

 多脚式の機械兵器、ガジェット、足を折りたたんで飛んでいるそれは無数の鎌を持っていた。

 そしてヴィータは、その兵器を見たことがあった。

 今まさに刺突によってゼストを貫こうとしているそれは、かつて彼女の仲間を。

 

 

「う……」

 

 

 ぐ……力の込められた瞳は、黒眼部が細く鋭くなり、魔力の燐光を放って蒼く燃える。

 トドメのために振り上げたハンマー、それを彼女は躊躇なく。

 

 

「……おおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 投擲した。

 ゼストからすれば驚愕である、相手がいきなり武器を放棄したのだから。

 だから彼は冷静にそれを避け、逆に到来したチャンスを物にすべく槍を振り上げ。

 

 

「……おぉっ!」

 

 

 躊躇無く、振り下ろした。

 デバイスを失って無防備になったヴィータの右肩から腹部にかけて、槍の衝撃が抜けていく。

 非殺傷設定が成されているとは言え、衝撃は凄まじい。

 ヴィータは衝撃のままに身体を折って下を向き、吐血して蹈鞴を踏むように後方へとヨロめいた。

 

 

 ゼストが僅かの疑念と共に勝利を確信した時、背後で何かが爆発する音が響いた。

 頬を掠める爆風と破片に振り向けば、そこに見覚えのある多脚式のガジェットがあった。

 スカリエッティのアジトにあったそのガジェットは、鋭い鎌を刺突する直前の体勢のまま……胴体にハンマーを突き込まれ、小爆発を繰り返しながら墜落していく所だった。

 

 

「……っ」

 

 

 振り向き、墜ちていくヴィータを急ぎ追った。

 廃棄されたビルに激突する寸前、ゼストはヴィータの身体を抱き止めることに成功した。

 彼の両腕にすっぽりと収まる小さな騎士に、ゼストは視線を向ける。

 フルドライブの一撃を受けた以上、ダメージは深刻だろう……それでも、ヴィータはかすかに意識を保っていた。

 

 

「貴様、なぜ俺を……」

「……て……」

 

 

 何故、庇ったのか。

 その理由は、ゼストにはわからない。

 あのガジェットは大方自分の勝手な行動を掣肘しようとしたクアットロあたりの差し金だろうが、いずれにしてもヴィータに自分を庇う理由は無いはずだった。

 

 

 ヴィータの理由を、彼は知らない。

 だが彼女が朦朧とする意識の中、何事かを呟いていることには気付いた。

 耳を寄せて、聞いてみると。

 

 

「て……や、て……はや、て……はやて……」

 

 

 いま、いくから。

 そう続く言葉を最後に、ヴィータは意識を失った。

 腕の中で力を失った身体に、ゼストは静かに視線を落とした。

 

 

「……旦那! 大丈夫か!?」

「ああ……」

 

 

 慌てて寄ってきたアギトにそう答えて、ゼストはヴィータの身体を近くのビルの屋上に横たえた。

 見た目程に負傷しているわけでは無いので、特に治療は必要ないはずだ。

 だからここに置いて行っても、問題は無い。

 だが……。

 

 

「……アギト、ここを頼む」

「え……い、良いけどよ、旦那は? 旦那だって休まないと」

「いや、俺が休むのは当面後だ……」

 

 

 槍を手に立ち上がり、ヴィータを見下ろした後、ゼストは。

 

 

「……しなければならないことが、出来たからな」

 

 

 遥か東の空を、見つめた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――究極の戦闘機人、それは2番目(ドゥーエ)のことだとクアットロは思っている。

 強く美しく、姉妹に優しく……そして敵に対して等しく残酷で冷酷。

 姉妹以外の人間を貶めることに毛程も躊躇しない「姉」のその完璧さが、クアットロにとっては酷く尊いものに思えるのだった。

 

 

 だいたい、身内以外に気を遣う生物がこの世にいるだろうか?

 肉食獣だって自分や自分の群れ以外に対して恩情など見せない、見せれば群れの中での地位となわばりを失うからだ。

 人間だってそうだ、モラルだ情だと言っておきながら身内以外を助けようとはしない。

 声高に人権を叫ぶ先進地域の人間が、しかし紛争地域の子供を救わないのを彼女は知っている。

 

 

(ドゥーエ姉様はその究極形、おためごかしも誤魔化しも無い、完璧に美しい)

 

 

 だからクアットロは考えたのだ、そんな完璧な姉に貢献するには何をすべきかと。

 結論は、姉にできないことをすることだった。

 身内以外に容赦しないのは当然、子供が昆虫を虐殺するように他人を蹴散らそう。

 そこまではドゥーエや他の姉妹にも出来る、だから彼女は決めたのだ。

 

 

「姉妹や身内が相手でも、駒として扱うことが出来る……それがこの私、クアットロ」

 

 

 ゆったりと自分のお腹などを撫でながら、クアットロはアジトである<聖王のゆりかご>近辺を含む全体の戦況を見つめていた。

 彼女の目論見が外れた所もあれば、成功した所もある。

 例えば本局に乗り込んだはずのオットーとディードからの連絡が、途切れたこと。

 

 

「あらら、どっちも役に立たないわねぇ……まぁ、最初から期待してないから良いか、これ以上の次元航行艦部隊の介入は牽制できただろうし」

 

 

 2人の身柄や安全については何一つ言及することなく、視線を転じる。

 敵方の赤髪の騎士を行動不能にしたゼストの姿に、笑みを浮かべる。

 こちらはまぁ、成功だろう。

 これで、ゼストの行動はかなり読みやすくなった。

 アギトは最初から眼中に無い。

 

 

「……あらあら、いけない子ですねルーテシアお嬢様」

 

 

 さらに視線を転じると、そこはルーテシアのいる戦場を映していた。

 召喚虫で管理局の部隊を近づけさせないのは良いが、それだけでは不十分。

 もっと蹂躙して、何もかもを破壊してもらわなければ。

 それこそ、二度と手を出したくなくなるくらいに。

 

 

「そうしないと……」

 

 

 唇の端を歪めて、クアットロは鍵盤のようなキーボードを叩く。

 

 

「……お嬢様の存在価値が、無いじゃないですか♪」

 

 

 ――――コンシデレーション・コンソール。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ルーテシアの理由は、とても単純な物だった。

 スカリエッティのラボの地下、生体ポッドの中で眠る「母」を起こすため。

 必要な物は11番の『レリック』、それがあれば「母」は起きると言われた。

 だから探してもらう代わりに、スカリエッティに手を貸している。

 

 

「お母さんの、ために……」

 

 

 それを聞いた時、キャロは複雑な表情を浮かべた。

 何を言えば良いのかわからないし、どうすれば良いのかもわからない。

 ただ一つわかることは、方法が間違っていると言うことだった。

 

 

「ダメだよ……それは、ダメだよ。ルーテシアちゃん!」

「……母さんのために頑張ることが、いけないこと?」

「違うよ、そうじゃない! そのために誰かを傷付けるのは、ダメなんだよ!」

 

 

 辛い現実と戦うか、逃げるかは個人の自由だ。

 だが戦うことを選んだとして、それで他人に迷惑をかけて良い理由にはならない。

 それは人が人となった時代から、何度も言われてきたことのはずだった。

 今、キャロが告げた言葉も……つまりは、その中の一つなのだろう。

 

 

「『レリック』のことも、お母さんのことも、私達が……私が手伝うから! だからお願い、武装を解いて! これ以上、召喚虫のお友達を戦わせないであげて!」

 

 

 友達を、召喚獣を戦わせることは召喚士にとって大きな負担だ。

 相手が高位の存在であればあるほど心の結び付きが強く、要するに情が移るためだ。

 キャロにとってはフリード達であり、ルーテシアにとってはガリュー達だろう。

 だからこそルーテシアは、ガリューが傷つけばすぐに送還していたはずだ。

 

 

 ……正直に言えば、ルーテシアは迷っていた。

 管理局の部隊を遠ざけるだけで排除まではしていないあたり、それが現れている。

 自分のために誰かを傷付けたくは無い、というのは彼女も首肯する所だった。

 ただ、それでも。

 

 

「……母さんを起こせるのは、ドクターだけだから」

 

 

 その呟きを、キャロだけでなくエリオも聞いた。

 母を求める気持ちは、彼にもわかるつもりだった。

 自分の心のために、誰かを傷付けることの辛さも。

 

 

「あ、が……!」

 

 

 その時、フリードの背から彼は見た。

 黒い甲虫の上に乗っていたルーテシアが、不意に身体をよじったのを。

 そして……紫色の彼女の魔力に、何か不純物が混ざったのを。

 彼だからこそ感じることが出来る微細な変化、それに気付いた時。

 

 

「……いない……」

「え?」

 

 

 不意に聞こえたルーテシアの呟きは、掠れて震えていた。

 様子がおかしい、それがわかるエリオは唇を噛んだ。

 そして手綱を引いてフリードを大きく後退させる、非難めいたキャロの声はこの際無視した。

 彼の勘の正しさが証明されたのは、この直後だった。

 

 

「母さん、いない……どこにも、いない……母さん、母さん……」

 

 

 どうして、と唇の形が動く。

 俯き、そして前髪ごと跳ね上げられた紫の瞳は。

 小さな身体の周りに迸る魔力と同じように、どこか黒ずんでいた。

 

 

「……どうしてエエエエエエエエエエエエエエエエエェェッッ!!」

 

 

 慟哭と共に、巨大な魔方陣が戦場に広がった。

 紫と黒の雷が、空間を制圧する――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……素晴らしい!」

 

 

 ルーテシアの暴走、その様子を離れた位置で見守っていた1人の科学者は、両腕を広げながら喝采を上げた。

 見開かれた瞳と三日月の形に歪められた唇からは狂気が漏れており、その哄笑は洞窟を繰り抜いて作られたラボに反響して不気味に響いた。

 

 

 壁に整然と並べられた生体ポッドの群れも、彼の異常性に拍車をかけているのかもしれない。

 それも仕方が無いだろう、彼……ジェイル・スカリエッティには倫理と言うものが無い。

 あるのは欲だけだ、知的好奇心と探究心という名の欲望だけが魂に刻まれている。

 それ以外のものは、彼には無いのだった。

 

 

「コンシデレーション・コンソール……生命における感情の揺らぎを余分として切り捨てるクアットロらしい判断だね。ドゥーエの影響かな? 自我を失ったルーテシアは破壊衝動の塊のようなものだ、ある意味では『レリック』ウェポンの完成体と言えるが、さて……」

 

 

 ルーテシアの言う所の「ドクター」、彼女の母を起こすと言うスカリエッティは、これでもルーテシアという存在を一つのサンプルとして非常に大切に思っていた。

 『レリック』ウェポン、その名の通り『レリック』の力を活用した人造魔導師だ。

 ルーテシアはその完成体の一つ、彼の大切な作品の一つだった。

 

 

 ただ、唯一スカリエッティが皮肉に思うことがあるとすれば一つだ。

 彼女が探し求めている「11番の『レリック』」を、すでに彼女が持っていることだろうか。

 何故なら、ルーテシアの力を高めている『レリック』は……。

 

 

「ジェイル・スカリエッティだな?」

 

 

 その時、澄んだ声が彼の背中を打った。

 哄笑を止め鑑賞を止めて、スカリエッティは後ろを振り向いた。

 するとそこには、金糸の髪を2つに分けた黒衣の魔導師がいた。

 それを見て、スカリエッティは再び笑みを見せた。

 

 

「やぁ……やぁ、やぁやぁやぁ! 『F』の遺産の最高傑作、フェイト・テスタロッサ君じゃないか! どうしたんだいこんな所で、いや今日は実に良い日だ!」

 

 

 まさかの歓迎の言葉にたじろいだ一瞬、ガジェットを多数破壊してスカリエッティのラボまで辿り着いたフェイトは、スカリエッティに手を掴まれて上下に振りたくられていた。

 

 

「キミの執務官としての活躍は私も注目しているよ、厳密に言えば私の作品で無いのが実に残念だが、それでも根幹は私の理論の成功体だからねぇ。いや、キミの母親は実に優秀な科学者だったよ」

「……っ、母さんの、ことを」

「それは知っているさ、彼女とは良く互いの研究成果を交換したものだよ。まぁ死んでしまったが、おお、そうだ!」

 

 

 喜色満面、どこか子供っぽくすらある様子でスカリエッティはラボのスクリーンを手で示した。

 

 

「今、ちょうど私の作品達が楽しい楽しい祭りをやっていてね、キミも一緒に見ないかね?」

「……楽しい祭り、だと!?」

 

 

 そこで初めてフェイトはスカリエッティの手を払い、『バルディッシュ』の切っ先を彼に突きつけた。

 

 

「何が祭りだ、ただの広域犯罪じゃないか!」

「私は管理局に市民登録されていなくてね」

 

 

 悪びれるでもなく、彼は言った。

 

 

「ならば私は、管理局の法を守る義務を有していない、違うかね?」

「管理局市民に損害を与えた時点で、その理屈は通用しない」

「なるほど、いや傲慢だね」

「傲慢は貴様の方だ! 何の罪も無い人々を傷つけ、奪って……貴様は、ただの犯罪者だ!!」

「管理局だって、己の傲慢で非管理世界の人々を蹂躙するじゃないか。私が実験材料にした人数より、遥かに多い数の人間を虐げていると思うがね。研究成果でキミを含む多くの命を生み出している私の方が、まだしろマシだと思うのだが……まぁ、そんなことはどうでも良いさ」

 

 

 本当にどうでも良さそうにそんなことを言うスカリエッティを、フェイトは強く睨んだ。

 実際、彼の言い分は一面においては正しい。

 しかしそれでも、理由にはならない。

 

 

 彼女の義兄の1人の言葉を借りるなら、自分の都合に他人を巻き込んで良い権利は誰も持っていない。

 だから許されない、スカリエッティは……スカリエッティ「も」。

 一方でフェイトを生み出した技術の根幹を作った男は、彼女の持つデバイスには何の脅威も感じていない様子だった。

 

 

「さぁ、どうやらキミのお仲間がルーテシアの究極召喚に挑むらしいよ。はたして私の作品に勝てるかな?」

「……勝てるさ」

「ほう?」

 

 

 興味深そうに自分を見るスカリエッティに、フェイトは静かに告げる。

 スクリーンの向こう、ルーテシアに必死に何かを呼びかける自分の子供達の姿を見ながら。

 『バルディッシュ』を構え、彼女は告げた。

 

 

「――――私は、皆を信じてる」

 

 

 極めて非科学的なその言葉に、スカリエッティは肩を竦めるだけだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 何もかもを破壊しろと、自分の中で誰かが告げるのをルーテシアは感じていた。

 何もかもを台無しにしてしまえ、そうすれば母が帰って来ると。

 邪魔をする者はお前が母に会うのを邪魔する敵だと自分の中で誰かが囁く、だから彼女は喚んだ。

 全てを破壊する、破壊の神を。

 

 

「『白天王』おおぉ――――――――ッッ!!」

 

 

 紫と黒の雷の中から出現したのは、白い硬質な外骨格と半透明の膜状羽を持つ人型の甲虫だった。

 黒の甲虫『地雷王』よりもなお数倍巨大な身体を持つそれは、どこかガリューにも似ている。

 腹部に水晶体を持ち、そこから放たれるエネルギーだけで周囲の森が弾け飛ぶほどの威容。

 その事態に、ガジェットの排除に専念していたなのはは眉を顰めた。

 

 

『母さんは……母さんは、どこ、どこにいるのおぉ――――ッッ!!』

 

 

 召喚士であるルーテシアの慟哭の声が聞こえる、そしてその声が『白天王』に力を与えて周囲を薙ぎ払う。

 それは、最悪の部類に入る暴力だった。

 陸士部隊では対応できないだろう、そして。

 

 

(あの魔力に余分な何かが混ざってる感じ……たぶん、洗脳か幻術だ)

 

 

 10年の魔導師経験から、なのははそう判断した。

 そしてそう言う場合、やらなければならないことは一つだけだ。

 『闇の書』の時もそうだったように、魔法・命令のリセットを行う。

 つまり具体的には、純粋な魔力ダメージによる昏倒。

 しかし、あの巨体の召喚虫がいると流石に。

 

 

 そう思った時、戦場に新たな光が満ちた。

 ルーテシアのそれと異なり、桜と白の輝きだ。

 それが特殊な環状魔方陣を彩り、さらに強い輝きを放った瞬間。

 大地に、漆黒の巨体が降臨した。

 

 

 

「ヴォルテェ――――ルッッ!!」

 

 

 

 少女の声が戦場に響く、召喚の呼び声に応じたのは、全長15メートル程の巨大な火竜だ。

 全身が黒い鱗に覆われたその竜は、アルザス――キャロの故郷の守護竜である。

 同時に、彼女がル・ルシエの里を追放された直接の原因である。

 余りにも強大な力を持つこの竜は、現在ではキャロのみが使役することが出来る。

 理由はただ一つ、彼女が召喚士として従属を求めず、ただ――――。

 

 

「ヴォルテール、お願い!」

 

 

 ――――ただ、友情を求めたからだ。

 だから黒き火竜の友は、キャロの求めに応じて参ずる。

 あの白い召喚虫も、本来は同じだったはずなのだ。

 

 

「あの子を……ルーテシアちゃんを、助けて!」

 

 

 苦手意識が無いわけでは無い、だが出来ることをしないで後悔するのだけは嫌だった。

 だからキャロは、己の究極召喚を行った。

 ビリビリと震える『ケリュケイオン』を、桜色の羽根を持つ最終形態のそれに魔力を込めて、彼女は自分の友に願った。

 

 

 応じるのは咆哮、二本の足で立ち上がったヴォルテールは地面を揺らしながら駆けた。

 『白天王』の太い腕が黒き竜のそれを掴み、2本の腕で組み合う。

 足元からは木々が抜け、地面が捲れて小規模ながら地震に近い現象が周囲に波及する。

 虫と竜、種族は異なるが巨大かつ稀少な2体の生物の咆哮と重量が戦場を蹂躙した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「何だぁ、ありゃあ! いつからここは怪獣映画の撮影会場になったんだよ!?」

「部隊長、ここは危険です! 後退をぉ!」

「そうだな……良し、ズラかるぞてめぇら!」

 

 

 一番の巻き添えを食ったのは陸士部隊である、戦場に2体の巨大な存在がいきなり現れては秩序など保てない。

 それでも被害を物的な物に留めているのは、責任者のゲンヤが即座かつ的確に撤退の決断をしたからである。

 それはそれは、凄まじく早い決断だったと周囲の部下は語っていた。

 

 

「グウゥ、ゥ……ッ、『白天王』ォッ、皆潰して!!」

「ヴォルテール、守って!!」

 

 

 甲虫と飛竜、それぞれの上から少女達の声が飛ぶ。

 応じる咆哮は2つあり、『白天王』は腹部の水晶体に、そしてヴォルテールは両肩にエネルギーの収束を始めた。

 見るだけで凄まじいエネルギーとわかるそれは、ものの数秒で放たれた。

 

 

 黒ずんだ紫と紫水晶のような輝き、なのはの『スターライトブレイカー』を思わせるそれは、しかしなのはのそれ以上のエネルギーを放出した。

 それらは射出口の位置が異なるためか掠めることなくそれぞれを、つまり『白天王』とヴォルテールの胴体を撃ち合った。

 衝撃が、余波が、何もかもを飲み込む勢いで吹き荒んだ。

 

 

「――――ッ」

「キャロ!?」

 

 

 2体の巨体が魔力の粒子と共に送還される中、フリードの背から崩れ落ちるキャロをエリオが支えた。

 抱き抱えた少女はどうやら気を失っている様子で、おそらくだがヴォルテールが受けたダメージのいくらかを引き受けた結果だろうと思う。

 声にならない声を上げて倒れた彼女を見て、エリオははっと気付いた。

 キャロがこうであるならば、条件が同じルーテシアは。

 

 

「……ア、ガッ……グ、ウウゥ……!」

 

 

 もはや進行方向さえ定かでは無い『地雷王』の上、細い少女の身体が折れそうに揺れていた。

 今や目の焦点すら合っていない、だがそれでもキャロとは違い意識を保っている。

 腕を押さえて上を見上げ、白い飛竜に乗る2人を憎々しげに見つめていた。

 しかしその瞳は、次に驚愕に見開かれることになる。

 

 

 2体の虫と竜が消えたその後に、桜色の輝きが生まれたからだ。

 まるで召喚の残り香を掻き集めているかのようなその光景に、その場にいる誰もが目を奪われた。

 そしてその収束を行っているのは、栗色の髪の女神だった。

 

 

「ごめんね……今、楽にしてあげるから」

<Cartridge load>

 

 

 なのははそう呟くと、両手で構えた『レイジングハート』を『地雷王』とルーテシアに向けた。

 正直、手加減は出来ない。

 全力全開、『スターライトブレイカー』通常版。

 

 

「……ッ」

 

 

 砲撃の体勢に入ったその時、なのはは周囲に明確な、それでいて機械的な敵意を感じた。

 視線の先には航空型のガジェットがあり、斉射の討ち漏らし組の一部だろう。

 数は多くないが、チャージに入っているなのはにとっては脅威だ。

 く……と、眉を顰めてガジェットが放ったミサイル郡を睨んだ。

 

 

 そして、そのミサイル郡が一斉に爆発した。

 左から右へ、空にオレンジ色の爆発が連なる。

 まさか視線でミサイルを破壊したわけでもあるまい、意外に思うなのはの前を複数の人間が通り過ぎていった。

 その人間達が身に着けている衣装、バリアジャケットに、なのはは見覚えがあった。

 

 

「次元航行艦所属の、武装隊……!」

 

 

 喜色混じりの驚きで迎えられた彼らは、一様に西洋風の軽鎧のような簡易バリアジャケットを身に着けていた。

 そしてそんな彼女に、四方八方から通信の声が響く。

 

 

『お久しぶりです、高町隊長!』『ばっか、今は隊長じゃねぇだろ!』『来たぜ、隊長ーッ』

「貴方達、『アースラ』の……!」

『今は『クラウディア』所属です!』『久々に高町隊長のデカいのが見れるってんで、俺ら超テンション上がってんスよ!』『あの変な連中は俺達に任しといてください、AMFで倒せないまでも、隊長の邪魔はさせません!』『おい、てかアレ前に隊長墜とした奴に似てねぇ?』『マジか!』『俺達の隊長に二度と手ぇ出させねぇ!』『行くぞお前ら!』『応!』『『『俺達の隊長を、守れぇっ!!』』』

「……皆……」

 

 

 懐かしい声に、思わず涙ぐんでしまいそうになる。

 なのはが『アースラ』を降りたのは、もうずっと昔のことだ。

 それでも、なのはは初めて所属した艦での生活のことを良く覚えている。

 忘れるはずも無い。

 

 

 10代の隊長に従うと言うのは、きっと大人の魔導師にとっていろいろあったはずなのだ。

 それでも、『アースラ』の武装隊の人達はなのはについて良く支えてくれた。

 それこそなのはが墜ちた時も、必死になって自分を守ってくれたのだ。

 所属が変わっても、離れても、彼らはなのはのことを気にかけてくれていたのだ。

 活躍を聞けば喜び、伸び悩めば心配してくれたのだろう、父母のように、兄姉のように……。

 

 

<Master?>

「うん……撃つよ、『レイジングハート』!」

<All right!>

 

 

 もはや背後に憂い無し、なのははただ前を向いてデバイスを構えた。

 見据える先には、母はどこだと咽び泣く小さな女の子がいる。

 その姿が自分をママと呼ぶ娘のそれに重なって見えて、なのはは僅かに目を細めた。

 ――――そして、撃つ。

 

 

「『スターライトォ……ブレイカァ――――』ッッ!!」

 

 

 集束砲撃、桜色の迸りが夜空を貫いた。

 それは寸分違わず『地雷王』とその主に直撃し、同時に込められた全ての魔力を放出した。

 黒の甲虫はたまらず還り、残された少女は光の奔流の中に飲まれた。

 

 

 抉られた大地にされに致命的なダメージを与えたその砲撃は、山の一部を削ぎ落として地滑りを引き起こし、キノコ型の雲を発生させて爆発した。

 先程の虫と竜の撃ち合いよりもなお激しい振動と余波が周囲を薙いで、味方でさえもしばし足を止めて踏ん張らなければならない程だった。

 そして、光の奔流に飲まれた少女は……。

 

 

「危ない……!」

 

 

 白い飛竜を操った赤毛の少年が、『地雷王』と言う支えを失って空中から落ちるのを途中で抱きとめた。

 背中にキャロを乗せ、両腕をルーテシアの背中と膝裏に回して横抱きにして受け止める。

 身体の前後を少女に挟まれたエリオは、心配そうな顔でルーテシアの顔を覗き込んで。

 

 

「ルーテシアちゃん、大丈夫?」

 

 

 憔悴した少女2人を抱えるのは楽なことでは無いが、それでもエリオはルーテシアに声をかけた。

 キャロもまた、エリオの肩に顎を乗せる形でうっすらと目を開けてルーテシアを見ている。

 今にも再び閉じてしまいそうだが、それでもだ。

 

 

 ルーテシアはそんな2人の顔を見て、消えかけた意識の中でエリオ達を認識した。

 小さな唇が何事かを呟くように震えたが、声にはならなかった。

 それでも、エリオとキャロが頷いてくれて。

 ……ルーテシアは、エリオの腕の中で安堵したように目を閉じた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 素晴らしい、本当に今日は素晴らしい日だとスカリエッティは思った。

 狂喜の感情を隠そうともしない、何しろ彼の目の前で解明すべき議題が目白押しなのだから。

 まずルーテシアの『白天王』……第一種稀少個体と呼ばれる極めて稀少な――唯一の個体と言う意味で――召喚虫と相討った黒い竜、『ヴォルテール』と言ったか、あの生物が気になった。

 

 

 もちろん『レリック』の力を借りて召喚を成しているルーテシアと対等の力を持つ桃髪の召喚士にも興味をそそられる、出来れば確保して実験と研究に協力してもらいたいものだ。

 赤髪の『F』の遺産も、目新しさは無いが貴重な素材だ、これも確保したい。

 そしてウーノが特記戦力と位置づけた栗色の髪の魔導師、単体でアレだけの破壊力と技能を誇る魔導師は次元世界広しと言えどもそうはいない、しかもアレで余力を残していそうだ。

 

 

「ふむ、彼女は本当に普通の人間かね? 実はどこかで特別な処置を施されたとか言うことは?」

「私の親友を化物扱いするんじゃない、そして彼女だけじゃなく……皆、人間だ」

「見解の相違だね」

「黙れ」

 

 

 もはやスカリエッティは、喉元に添えられている雷の大剣……『バルディッシュ』のザンバーフォームのそれを気にする素振りすら見せない。

 グローブ型デバイスを嵌めた両手を掲げて降参の意を示す彼は、壁によりかかってズリ落ちたような体勢をとっていた。

 

 

 別に自分で望んでそうなったわけでは無く、地上で『白天王』と『ヴォルテール』が戦闘を始めた頃からこの体勢だ。

 さしもの彼も、援護無しにフェイトと戦えば瞬殺の憂き目に会う他無いようだった。

 顔の右側、ラボの壁に突き刺さるザンバーフォームの『バルディッシュ』、そして左側には黒いバリアジャケットに覆われたフェイトの片足がある。

 

 

「ジェイル・スカリエッティ、お前を逮捕する……だが、その前に聞きたいことがある」

「何だい、キミの母親のことかな? 彼女は実に優秀な科学者だったよ、冷徹で冷酷で……」

「過去の中にしかいない人の話は、いらない」

 

 

 おや、とスカリエッティの目が意外そうな色を浮かべるのを、フェイトは憎々しい思いで見下ろした。

 母であるプレシアの話は、もちろん気になるが。

 しかし今は死んでしまった人間のことよりも、現実に起こっていることの方が重要だと思うからだ。

 

 

「……お前の目的は何だ、どうして八神部隊長を拉致した。地上本部と機動六課襲撃の動機は、後ろ盾や研究・開発のスポンサーは。聞きたい事は山ほどある」

「ふむ、それを説明すると極めて長い話になるのだがね」

「簡潔に話せ」

 

 

 おどけた様子で肩を竦める科学者の姿に軽く苛立ちながらも、フェイトは『バルディッシュ』の刃先でスカリエッティの首の皮一枚を切りつつ先を促した。

 スカリエッティはそんなフェイトのそんな様子にもう一度肩を竦めて、薄皮を切られる感触に動じることも無く、話し始めた。

 

 

 開発コードネーム、<無限の(アンリミテッド・)欲望(ディザイア)>。

 全ての始まりとなったプロジェクト、その全容を。

 そこから、何もかもが始まったのである……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ジェイル・スカリエッティが、最高評議会の作品……!?」

「そう、そして彼らは彼ら自身が生み出した力によって滅ぼされた。滅ぶべくして……ね!」

 

 

 ドゥーエの右手の爪を後ろに大きく跳んで回避する、ギンガとしては左手で受けても良かったのだが、そうもいかない事情があった。

 見れば『リボルバーナックル』の一部が欠けていた、いや欠けていると言うよりは鋭利な刃物でカットされたかのような滑らかな損傷だった。

 ドゥーエの爪の武装による物で、下手に受け止めれば腕ごと切り落とされてしまうだろう。

 

 

 ……最高評議会の正体が、今床にぶちまけられている脳みそだと言うのは驚愕に値する事実だ。

 彼らは150年前から存在し、スカリエッティや多くの優秀な存在を造り出し、管理局を裏から支配してきた。

 しかしその目的は次元世界の平和であり、人造魔導師計画も元々は彼らが次元世界の運用を任せられる人材を造るために始められたことだと言うから驚きだった。

 

 

(まぁ、そう言う裏の事情を話したってことは……始末する気満々ってことだよね)

 

 

 ドゥーエとギンガ、2人の戦闘機人の戦闘を目の当たりにしながらもヴェロッサは冷静に思考する。

 彼の脳内ではすでに、イオスから託された仮説の欠陥を埋める結論が完成していた。

 つまり、イオスの仮説通り……まず、地上本部(と言うより、最高評議会)は確かに密輸取締りと言う方式を使用して質量兵器や素材をスカリエッティのラボや各地の製造施設に流していた。

 

 

 イオスの仮説の欠陥は、地上本部が作った物が地上本部を襲うという自己矛盾にある。

 しかし、スカリエッティの最高評議会への反乱劇と考えれば納得も出来る。

 要するに自分達は、世界は、壮大な内輪揉めに巻き込まれたのである。

 

 

(その一端に、母さんは殺された……!)

 

 

 巻き込まれたと言う思いは、ヴェロッサよりもギンガの方が強い。

 ただし彼女の場合、スカリエッティの存在が無ければ戦闘機人は生まれず、従ってギンガが母クイントと出会うことも無かったと言う事実がある。

 その心中は、複雑だった。

 

 

「つまりキミは、最高評議会を始末するために送り込まれたスパイだったってわけかい?」

「ええ、そうよ。まぁ、その他にもいろいろとやっていたけれど……」

「……っ」

 

 

 振り下ろされた爪をかわしきれず、ギンガの右腕に3本線の赤い傷が出来る。

 僅かにかすっただけの傷は思いの外深く、鋭くぱっくりと開いた傷口からは赤い肉が見えている。

 血が噴き出すのはその後だ、どれだけ鋭利に切れるのかと思った。

 

 

「けど、、スパイだからと言って弱いと思われるのは心外。私にはこの爪と――――」

 

 

 先天固有技能(インヒューレントスキル)偽りの仮面(ライアーズ・マスク)

 それは、人も機械も欺く完璧な変身偽装能力。

 

 

「――――ドクターに頂いた、この能力がある」

 

 

 そう言って、ドゥーエは次々とその姿を変えた。

 ある時はベレー帽を被った女司祭、ある時は青髪の秘書官、ある時は……と、容姿も姿形もまるで異なる女性達へと変身して見せるドゥーエ。

 ただし、その笑みだけは……どれだけ姿を変えても重なると、腕を押さえながらギンガは思った。

 

 

 そして不意に、右腕の傷口に触れていた左手に力をこめた。

 『リボルバーナックル』の拳に赤い血が流れ、指の間から床に滴って水溜りを作り始める。

 しかしそれを無視して、ギンガは前を見続けていた。

 ドゥーエが新たに変身したその女性を、射抜くように睨む。

 

 

「――――久しぶりね、ギンガ。大きくなったわね」

 

 

 紫の髪を頭の後ろで縛ったポニーテール、細身ながらも鍛えられた肢体。

 父の執務卓の写真立て、幼い頃の記憶の彼方、そして涙で濡らした枕の向こう。

 何度となく見たその微笑みを、ギンガは忘れたとなど無い。

 ――――クイント・ナカジマ、母のその姿を。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 チンク達との戦闘を終えた後、いくつかの似たような広間と通路、そして巨大扉を通過した。

 そしてただの飛行魔法や身体強化であっても、ユニゾン状態では通常時よりも遥かに効率的に魔力運用が成されていることに驚いた。

 これも、リインと言うユニゾンデバイスの高度な演算能力があればこそだろう。

 

 

「これで5つ目か……いい加減嫌になるな」

<でも、確実に近付いてはいるです!>

 

 

 そして5つ目の巨大扉に手を添えた時、疲れたように息を吐くイオスをリインが励ました。

 初めてのユニゾンで気疲れしているのだろう、今のリインにはそれこそ思考から体調から記憶から、イオスに関することでわからないことは無い。

 彼の中に包まれて、イオスの全てをリインは感じていた。

 

 

「そうだな……うし、行くぜ!」

<はいです!>

 

 

 人の力では開くことも難しい巨大な扉、イオスがそれに手を振ると表面が一気に氷結した。

 扉の隙間から水が入り込み、凍りつくことで組織を破壊する。

 そこに流水の鎖を巻いた右拳を叩き込めば、人間が通れるか通れないかくらいのスペースが轟音と共に開くのだった。

 5度目ともなれば流石に慣れたもので、手際も良かった。

 

 

 しかし今度は、過去の4度とは違う点があった。

 先へと続く通路が無く、終点がそこにあったのである。

 通路とは比較にならない程の広さと高さを持つその部屋には、入り口から見てすでに2人の人間がいた。

 1人は、高い天井の向こうから伸びる無数のコードに吊るされた……。

 

 

<はやてちゃん!>

 

 

 自分と溶け合っているリインの心に自分の感情が強く引っ張られるのを感じながら、それでもイオスはその場に踏み止まった。

 彼の目の前には縦に長い空間があり、リインの感情が向いているのはその中央だ。

 天井から無数に伸びる黒のコード、地面に膝をついて両腕を広げてそれに縛られた1人の女性がいる。

 

 

 白のブラウスと陸士制服の茶色のスカート姿の、茶色の髪の女性士官。

 八神はやてが、そこにいた。

 間違いない、幻術……では無い、と思う。

 意識が無いのか俯いていて、様子がわからないが……。

 

 

「はぁーい、いらっしゃ~い♪」

「……!」

 

 

 不意に響いた声に身構える、しかしイオスに声をかけた張本人は慌てて両手を振った。

 茶髪のお下げの髪を揺らす彼女は、首元に4番の数字を刻まれた女だ。

 クアットロが、空間の最奥、豪奢な椅子の横に立っていた。

 彼女はあからさまな笑顔を浮かべ、そして両手を上げて見せると。

 

 

「あ、私は戦うつもりは無いですよ? もうまったく全然、戦う力とかありませんからぁ」

「……何のつもりだ?」

「何のつもりもそんなつもりもありませんよぉ。ほらほら、お姫様を助けてくださいな、王子様?」

 

 

 ニコニコとそんなことを言うクアットロに、イオスは疑惑の目を隠すことも無かった。

 と言うより、この時点でクアットロの言葉を信じる要素が無い。

 それでも、自分の中にいるリインの声を無視することは出来ない。

 彼自身、焦る気持ちが無いわけでは無いのだ。

 

 

「……あら?」

 

 

 右腕の鎖を放ち、クアットロを縛る。

 やや手応えに違和感を感じたが、しかしクアットロは確かに流水の鎖に束縛された。

 ケープの上から肌に食い込むほどにキツく縛られた鎖に、しかしクアットロは笑みを崩さなかった。

 それも、不気味だった。

 

 

<イオスさん、はやてちゃんを!>

「ああ……」

 

 

 クアットロに注意を向けつつ、イオスははやてに近付いた。

 早足と摺り足の中間のような速度で向かい、腕を振るい、作り出した氷剣でコードをブチブチと引き千切った。

 コードによる戒めを解かれ、崩れ落ちるはやての身体を……イオスは片腕で支えた。

 片腕で支えきれてしまう細く軽い身体は、頼りない程に柔らかかった。

 

 

「八神さん」

<はやてちゃん!>

 

 

 声をかければ、イオスの腕の中で仰向けになったはやての瞼が震えた。

 繰り返しリインが声をかける内、震えは大きくなり……そして、薄く開かれる。

 懐かしさすら感じる色合いの瞳が、ユニゾン状態のイオスを見た。

 

 

 そして、彼女は笑みを浮かべた。

 力の無い笑みであったが、しかし確かに彼女は笑った。

 ――――「八神はやて」は、イオスを見て微笑したのだった。

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
封印されたリインフォースさんの封印が一瞬だけ緩み、その緩みの間だけ主人公達を一瞬の幻として助ける……みたいなシーンが書きたかったわけなのですが、上手くできたかどうか。
まぁ、単純にリインフォースさんを書きたかっただけかもしれませんがね……!

と言うわけで、次回からはラスボス戦になります。
来週中にはあらかた終了すると思いますので、よろしくお願いいたします。

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