魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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StS編第19話:「査察官、乱戦」

 

 ガラスの砕ける音と、水音、そして何か柔らかな物が踏みつけられる生々しい音。

 それらが3度続けて響いた後、聞こえてくるのは嘲るような声だ。

 

 

「飼い犬に手を噛まれる……と言う言葉があると聞きますが、それはまさに貴方達のためにあるような言葉でしょうね」

 

 

 くすんだ金の髪に、細く鋭い猛禽類のような金の瞳……成熟した女性らしい身体を青のスーツに包んだその女性は、粘り気のある水が付着した右手の爪をチロリと舐めた。

 ただしその爪は女性らしさとは程遠い、大きく鋭い鍵爪のような武装のそれだった。

 滑る水を舐め取るように這う赤い舌は、酷く色香を感じさせる。

 

 

「肉体を捨て、不完全な生命操作技術で脳だけとなって生き長らえて……そこまでして恒久平和のなった次元世界を見たいと言う欲望だけは、認めてさしあげますが」

 

 

 貴方達はここで退場です、と女は続けた。

 とは言えすでに相手は彼女の足の下である、答える声があるはずも無かった。

 それがおかしいのか、女はまたクスクスと笑う。

 その際、脳髄に押し付けた足先をグリグリと擦ることも忘れずに……。

 

 

「……どうやら、間に合わなかったようだね」

 

 

 その時、新たな声がその場に響いた。

 低い声だ、男性の物だろう。

 女が振り向けば、生体ポッドのある位置から見下ろす場所に緑髪の男が立っていることに気付く。

 男の足元には半透明の犬が2匹おり、彼を守るように足元に擦り寄っている。

 

 

 女は、男の登場に少し驚いたような表情を浮かべた。

 無人とは言え、しかし無人であるが故にセキュリティは強固なはずだ。

 ……考えることに意味が無い、と女は首を振る。

 現実として目の前にいるのに、経過や理由を考えても仕方が無い。

 

 

「僕は時空管理局本局所属の査察官、ヴェロッサ・アコース。ちょっと話を聞かせてほしいんだけど……」

 

 

 ヴェロッサの言葉が終わる前に、女は動いた。

 右腕の爪を振り上げ、跳躍して飛びかかる。

 美人に飛びかかられるのは嫌いじゃないけれど、とヴェロッサは思った。

 そして、後ろへと身体を傾けながら。

 

 

「残念ながら、僕は弱っちくてね……だから、頼りになるお友達について来て貰ったんだ」

 

 

 その言葉の次の瞬間、ヴェロッサの前に躍り出た人物がいる。

 濃紺の髪を靡かせるのは女だ、左拳を繰り出し、女の右腕を弾き飛ばす。

 想像以上に重い一撃に顔を顰めながら、弾かれた相手は元の位置まで飛ぶ。

 空中で体勢を整え、身体を後ろへ回転させながら着地した。

 そして、突如現れた敵に対して剣呑な視線を向ける。

 

 

「貴様は……!」

 

 

 ガシュンッ、と空気が抜ける音と共に『リボルバーナックル』が排熱する。

 床には『ブリッツキャリバー』のローラーの跡を残し、白を基調とした甲冑を纏いながら。

 

 

「……タイプゼロ・ファースト!」

「……その名前で私を呼ぶと言うことは、スカリエッティ縁の戦闘機人で間違いないようね」

 

 

 ギンガ・ナカジマは、己の敵を見据えて身を低くする。

 

 

「悪いけど――――話、聞かせて貰うわ」

 

 

 遥か東の地で戦う仲間達のために、戦う。

 その感情に気持ちが高揚するのを感じながら、ギンガは左拳を掲げて突進した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 巨大な身体を持つ動物は、基本的にそれだけで動物界で優位に立てる。

 しかし、だからと言って身体にたかってくる羽虫を全て潰せるかと言うとそうでも無い。

 そういう状況を、実はハロルド・リンスフォードは初めて経験している所だった。

 彼女はスクリーンに映る自艦の様子を認めた後、指揮シートに座りながらふむと頷いて。

 

 

「……『アルカンシェル』、撃っても良いかな」

「艦長、本艦には『アルカンシェル』は搭載されておりません」

「知ってるよ、哨戒任務に反応砲なんていらないからね」

 

 

 自分に代わって細かな指示をクルーに出している副官のエミリアの背中を見ながら、ハロルドは苛立ちながらそう言った。

 まったく、本局の規制と許可制は本当に鬱陶しい。

 しかし実の所、過剰な武力を持たないと言う地上側へのアピールと言う面もあるので仕方ない。

 反乱の抑制と言う意味もある、仕方ない。

 

 

「仕方ないで死にたくは無いけどね」

 

 

 シートに膝をつきながら、そんなことを呟くハロルド。

 ルイーズに乗せられ、クロノに付き合う形で哨戒任務に付き合った。

 そして今、無数の航空タイプのガジェットに周囲を取り囲まれている。

 正直、これは聞いてなかった。

 幸い、障壁のおかげで質量兵器の攻撃は艦体には届いていないが……。

 

 

 しかし、鬱陶しいことには違いない。

 あくまで攻撃してきた相手にだけ反撃しているので、武装隊を出すタイミングでもない。

 地上側から救援要請が来れば別だが、たぶん来ないだろうとハロルドは踏んでいた。

 だが、それはある事態の発生で引っ繰り返ることになる。

 

 

「9時方向より、高エネルギー反応!」

「着弾まで11!」

「魔力障壁、左舷に集中!!」

 

 

 オペレーターの報告にエミリアが反応する、だからハロルドは何も心配していなかった。

 『テレジア』の艦体を守る障壁を破られたことは無い、だからこその反応だ。

 まぁ正直、ハロルドはいるだけで良いと言うか――――。

 

 

 ――――次の瞬間、『テレジア』の艦体が揺れた。

 通常ではあり得ない揺れだ、衝撃と言っても良い。

 艦が傾く程の衝撃に、ハロルドはシートにしがみつく。

 そしてその間に、彼女の下にいくつもの表示枠が開いて報告が来た。

 特に大きなのは、直撃を受けたらしい場所にいた金縁眼鏡の女性下士官だった。

 

 

『こちら転送ポートですよって! 艦体に穴が……至急工作班を寄越して欲しいですよって!』

『いやエイダ曹長そこじゃないですって、敵に侵入されてる部分強調、強調して!』

『あ、そっか。武装隊寄越して欲しいですよって! ……艦長? 艦長――?』

 

 

 通信の表示枠から響いてくる声に、ハロルドは俯いて身体を震わせた。

 通信先も艦橋のスタッフも、そんな彼女を不思議そうに見つめている。

 もちろん指示を待っているのだが、しかしそれ以上に興味深そうな視線だった。

 

 

「ボ……」

「「「ぼ?」」」

「ボク達の艦に、傷をつけやがっただぁ~~……っ!?」

 

 

 叫んだ、悲痛な叫びだった。

 それはもう、宝物を略奪された村人の如き慟哭の叫びだった。

 しかし彼女にとっては、『テレジア』とそのスタッフが何よりも大事だった。

 

 

 それこそ、自分の身よりもだ。

 それが傷つけられたとあっては、冷静でいられるはずも無かった。

 足を強く踏み込んでその場に立ち上がると、腕を振るって唾を飛ばしながら。

 

 

「武装隊出動! 艦体左舷に補修、あと弾幕! 補修が済むまではガジェットを近づけるな!」

「り、了解!」

「どこの馬鹿かは知らないが、ボク達の城に土足で踏み込んできたクソ虫ににボク達の結束力を見せ付けてやれ!」

「「「了解!」」」

 

 

 打って変わった鋭い声音に艦橋が活気づく、それは慌しさをもって形容された。

 『テレジア』の外では、魔法と質量兵器が飛び交う空間が広がり続けていた。

 そしてそれは、眼下の地上の方が激しさを増しており……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『地雷王』、と言うのがその召喚虫の名前だった。

 基本的には大人しい甲虫に過ぎないが、しかしその存在自体が脅威ではあった。

 ただ進むだけで地面が抉れて森が潰れ、そこにいた人間の抵抗さえも無意味に弾き返す。

 

 

「な……何だぁ、あのバケモンは。あれもスカリエッティとか言う奴の生体兵器か何かだってのか」

 

 

 戦闘用の指揮車から顔を出しつつ、陸士108部隊の主力を指揮するゲンヤは頭を掻いた。

 彼としては捜査本部と機動六課、2つの部署への義理立て――極めて個人的な理由もあるが――で部隊を動かしているのだが、AMFの結界が張られるようになってからは後退を繰り返していた。

 そしてここに来てあの召喚虫である、指揮官としては頭が痛かった。

 

 

『こちら機動六課、高町なのは一等空尉です。陸士隊はあの召喚虫から距離を取ってください、こちらで対処します』

「ああ、お嬢ちゃん。すまねぇ、そうさせてもらうわ」

 

 

 情けないが、ギンガのいない今あれに対抗する力は無い。

 たまらず、ゲンヤは前線の小隊に対して後退を指示した。

 ただ、後退していく人間を見てほっと息を吐いたのは、味方ばかりではなかった。

 

 

(……良かった……)

 

 

 召喚虫の主、ルーテシアである。

 彼女は眼下の陸士部隊を見下ろしながら、無表情に息を吐いていた。

 下がってくれて、本当に有難いと思っている様子だった。

 彼女は自分の召喚虫(トモダチ)に人を傷つけさせたくなかったし、人間を傷つけたいわけでもなかった。

 

 

 だから、ほっとした。

 このまま、早く帰ってくれれば良いと思う。

 むしろ疑問だ、彼女には本当にわからないのだ。

 彼らは、ここに何をしに来たのだろうか。

 

 

「ルーテシアちゃん!」

 

 

 視線を上に上げれば、そこには白い飛竜がいる。

 『地雷王』は飛べないので、空にいる相手に対しては何も出来ない。

 白い飛竜の背に乗った2人、赤い髪の男の子と桃色の髪の女の子に対しては。

 ルーテシアは、何も出来ないのだった。

 

 

「お願い、教えて! どうしてこんなことをするのか! ルーテシアちゃんが何をしたくて、頑張ってるのか!」

「僕達にも、きっと出来ることがあるはずだから!」

 

 

 五月蝿い、と思う。

 自分の望みが何かも知らないくせに、何かが出来ると信じきっている目が鬱陶しかった。

 だから、ルーテシアは繰り返す。

 

 

「……貴方達には、関係ない」

 

 

 拒絶の言葉を、ただ繰り返す。

 そして実際、それはその通りだった。

 ルーテシアの事情は、キャロやエリオには関係ない。

 これがイオスあたりであれば、問答無用で拘束して事態を収めていたであろうくらいには関係が無い。

 

 

「……そうだね、関係ないかもしれない。でも……」

 

 

 しかし、である。

 同じくらいの年齢で、同じくらいの実力を持つ召喚士の少女、デバイスも同系統。

 ここまで条件の揃った相手に、キャロは初めて出会ったのだ。

 もしかしたらと思ってしまうのは、むしろ当然であったのかもしれない。

 

 

「でも、何もわからないままに戦い合うのは嫌!!」

 

 

 だからこそ、彼女はルーテシアに訴えかけなければならないことがあった。

 飛竜フリードの背の上で、キャロは小さな胸を張った。

 

 

「私はアルザスの召喚士――――機動六課から合同捜査本部に出向中! キャロ・ル・ルシエ!!」

 

 

 まっすぐな瞳で、キャロはルーテシアを見た。

 それを受けて、ルーテシアも視線を上空に固定する。

 

 

「貴女のことを教えて――――ルーテシアちゃん!」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 何故か、酷く懐かしい気持ちにさせられた。

 そんなことを思いながら、なのはは上空からの制圧射撃を続けていた。

 陸士108部隊の後退を支援する意味も込めて、地表近くの敵を特に徹底して叩いている。

 

 

「本当は、あの召喚虫も砲撃魔法で倒せれば良いんだけど……」

 

 

 エリオ達が相手にしている黒い甲虫を見ながら、なのははそんなことを呟く。

 不可能ではない、と思う。

 リミッターを解除されている今の自分ならば、おそらく倒せる。

 あれを倒せれば、地上部隊も少しは楽に展開できるだろう。

 

 

 ただ、懸念もある。

 以前、キャロはルーテシアが自分と「同格」の召喚士であると言っていた。

 その「同格」の意味合いがもし、なのはが思っている通りなのだとすれば……むしろ、必要以上に追い詰めるのは得策ではないかもしれない。

 

 

『――――なのは、聞こえる?』

「フェイトちゃん? うん、聞こえるよ」

 

 

 前線と後方、それぞれの位置取りでガジェットを殲滅していた――前方で黄色い線が駆け、後方で桜色の光が弾ける――2人は、念話で連絡を取り合った。

 それによれば、フェイトはガジェットの「根」を潰すために施設の中に先行すると言う。

 

 

「……大丈夫? 中には何があるかわからないと思うんだけど」

『それはもちろん承知の上だよ。でも、このまま無尽蔵にガジェットが出てくると消耗戦になる、それはちょっと嫌でしょ?』

「フェイトちゃん、何か聞き方が軽いよ……」

 

 

 苦笑を浮かべるなのは、しかし意味はわかるのですぐに引き締める。

 現在、ガジェットはなのはやフェイトが破壊する後から追加で投入されてきている状態だ。

 中に何機のガジェットが存在しているのかわからない分、蜂の巣でもイメージできそうで不気味だ。

 

 

 だからフェイトとしては、とりあえずルーテシアのことはエリオ達に任せて、陸士部隊を施設内に突入させるためにもガジェットの投入を止めさせようと言っているわけだ。

 なのはとしては一緒に行きたい所だが、なのはが抜けるとガジェットを止める壁がいなくなる。

 そして、限定空間で活動するならばフェイトの方が能力的に適任だろう。

 

 

「……わかった、でも無理しないでね」

『うん、なのはも』

「うん……『レイジングハート』!」

 

 

 せめて援護を、そう思ってなのははデバイスを構える。

 ここから施設に入り口にかけてのガジェットを、一掃する。

 射線上に出来る道が、フェイトのための道だ。

 

 

「さぁ、久しぶりの長距離射撃……行ってみようか!」

<Buster mode. Drive ignition>

 

 

 桜色の輝きが夜空を駆け、オレンジの爆発が星のように連なる。

 その間を、黄色い閃光が駆け抜けていった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 欲を言えば、はやてを助けに行きたかった。

 しかし直接彼の魔力を知っているのは彼女だけで、移動の途中で気付いた以上は放置も出来ない。

 だから、ヴィータは1人で彼ら……ゼスト達を討ちに来たのだった。

 

 

「ぜぇやぁぁああっ!」

<Raketenform>

 

 

 ハンマー後部から魔力を噴き出しながら回転し、その遠心力でもって相手に叩きつける。

 推進の最中、ハンマーから放たれる魔力の余波だけで空気が震える。

 まともに喰らえば今のコンディションではひとたまりも無い、故にゼストは受けずに流す方向で防御を組み立てていた。

 

 

 身体を後ろへ流しつつ槍を斜めに立て、先端から石突きへと流すようにハンマーの軌道を逸らす。

 柄から火花が散り、身体ごと空を切る形になったヴィータの攻撃の威力が後ろへと逸れる。

 廃棄都市区画のビルの一つ、その屋上のおおよそ4分の1が吹き飛ぶ程の威力だ。

 ガラガラと音を立てて崩れる瓦礫の中、『グラーフアイゼン』の先を引き抜きながらヴィータが後ろを振り仰ぐ。

 

 

(ゼスト……だったか、アイツ。マジで強ぇな、シグナムくらいか?)

 

 

 単純なスペックと言う意味では、ヴィータは将たるシグナムには及ばない。

 とはいえ、それは勝敗に直結はしない……状況にもよるからだ。

 ただ、気になることもある。

 以前立ち合った時よりも、相手の動きが鈍いのだ。

 

 

(……以前にも増して、気合いの乗った一撃だった)

 

 

 一方でゼストは、ボロボロのコートの裾を風にはためかせながらヴィータを見下ろしていた。

 腕の痺れを逃がすように息を吐き、感嘆の色を込めた瞳で眼下の騎士を見る。

 まさに、騎士の一撃。

 敵対する関係ながら、ゼストはヴィータと言う名の小さな騎士に尊敬の念を抱き始めていた。

 

 

「……見事な一撃だった」

「そらどーも、当たらなかったら意味ねーんだけどな」

「いや、術者の心根が伝わる良い魔力の通り方だった」

 

 

 柔軟性に欠けるわけではない、しかし真っ直ぐで「硬い」魔力の質だ。

 己の信じる何かのために、迷いなく戦えている人間特有のそれだった。

 そしてヴィータはそんなゼストの言葉に、軽く眉を動かした。

 

 

「……わからねぇな」

「何がだ」

「アンタのことだよ」

 

 

 軽く頭を振って、ヴィータは『グラーフアイゼン』の先端を突きつけた。

 

 

「一瞬の立ち合いで相手の攻撃の質を読める程の実力、それだけの力を持った騎士。それがどうしてスカリエッティみてーな次元犯罪者とつるんでんのか、それがわからねーってんだよ」

 

 

 そこは、以前に戦った時から思っていたことだ。

 ヴィータが見る限り、ゼストは正統派の騎士だ。

 正々堂々を旨とし、今もアギトとユニゾンせずに条件を合わせて戦っている。

 そんな人間が、何故スカリエッティなどと組んでいるのか。

 

 

「己の信じる主と仲間のために戦う、それが騎士ってもんじゃねーのか……!」

 

 

 それを言われれば、ゼストには応じるべき言葉が無かった。

 彼はすでに騎士としては道を踏み外しており、ましてや残りカスのような物だと思い込んでいるのだから。

 目の前に立つ騎士を羨ましく思ってしまうのは、だからかもしれない。

 

 

「己の信じる、主と仲間のために……か」

 

 

 自嘲するように唇を微かに歪めて、ゼストは何かを懐かしむように目を細めた。

 ……彼にはもう、そのどちらも存在しない。

 だからだろうか、彼女の正体を知っている――聞きもしないのにスカリエッティが話していた――ゼストは、ふと言葉を漏らしたのは。

 

 

「……だが、お前の主はもう……」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――何だと!?」

 

 

 スカリエッティ陣営の地下ダンジョン、突入口近くの通路に高い声が響く。

 剣閃と共に火線を走らせながら、シグナムがポニーテールの毛先を揺らして後ろに下がる。

 同じような体勢で後ろに下がった相手、トーレは全身に備えた紫の刃を羽根のように振動させて姿勢を制御しつつ顔を上げて。

 

 

「貴様らの主とやらは、すでにどこにもいない。貴様らの戦いは、無意味なのだ」

 

 

 女性にしては低い声だ、しかし良く通る声には違いない。

 だから聞き間違えることは無い、だからこそシグナムは首を傾げた。

 

 

(主はやてが、いない……?)

 

 

 単純に捉えるのであれば、はやてがすでに死んでいていないと言うことだろう。

 だが、それは絶対にあり得ない。

 守護騎士(ヴォルケンリッター)である自分がここにいることが、何よりの証明だ。

 

 

 自分達とはやての間には、魔力供給のラインとリンクが存在する。

 シャマルが言うには徐々に変質しているようだが、基本的には一心同体の関係。

 はやてに致命的な何かがあれば、まず間違いなく自分達の身にも変化があるはずなのだ。

 最低、ラインとリンクは解けてしまうはずだった。

 だから、シグナムの結論としては。

 

 

「下手なブラフだな、戦闘機人と言えども普通の人間と似たような思考をすると見える」

「ふ、ブラフか」

 

 

 シグナムの言葉に、しかしトーレは表情を変えない。

 その顔は、とても嘘を言っているようには見えない。

 ――――シグナムは、そこで思考を止めた。

 

 

 リンクは繋がっている、はやては無事かはわからないが生きている。

 ならば目の前の敵を撃破し、救いに行く。

 はやての騎士として、それだけがあれば十分だからだ。

 

 

「……そのリンクが、今は命取りなのだがな……」

 

 

 シグナムに届かない声音での呟きを最後に、トーレも口を閉ざす。

 それ以上の問答は不要と、全身の刃の輝きを強めて。

 

 

「――――『ライドインパルス』!」

 

 

 高速機動、シグナムの視界からトーレの姿が一瞬、消える。

 先日は、この次の瞬間には倒されていた。

 しかし今のシグナムは、気力・魔力共に最初から戦闘状態。

 

 

「見えているぞ……!」

 

 

 宣言し、その通りに動く。

 火線を伴った剣先が閃き、左側面からの紫の刃を受け止める。

 火炎と火花の向こう、驚きに見開かれたトーレと視線を絡める。

 

 

「以前の私と……同じと思うなぁ!」

<Explosion!>

 

 

 剣を振り切り、トーレの身体が衝撃に負けて後ろへと飛ぶ。

 空気の壁を蹴るように跳躍し、『レヴァンティン』の柄を両手で握ってシグナムが追撃に入る。

 後に残されたのは、弾き出されたカートリッジの薬莢だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 状況としては悪くない、と、目まぐるしくかわる攻防の中でイオスは判断していた。

 潜行能力を持つセイン対策の一つとして、空中から降りることなく戦闘を継続。

 リインも常にイオスの傍につき、彼を支援している。

 

 

「あの鎖の種は割れているから、さほどの脅威では無いと思ったんだがな……」

 

 

 チンクは個人では空戦能力を持たない、故に原則として地上からのナイフ射撃になる。

 広い空間であればある程、チンクは能力的に制限を受けてしまう。

 逆に、広い空間であればある程能力的に優位に立てるはずのウェンディはと言うと……。

 

 

「だぁっ、もー鬱陶しいっス!」

 

 

 ボードの上で身を屈め、ボードに片手を添えるような体勢で空中を旋回していた。

 彼女としては全面攻勢に出たい所なのだが、それをする体勢になると決まって。

 

 

「『フリジットダガー』!」

「~~~~ッ!」

 

 

 前傾姿勢から方向を変え、即座にその場から離脱する。

 まさに「鬱陶しい」と言いたげな表情を浮かべて、ウェンディは目の前の脅威から逃れる。

 彼女を追うように飛翔してきたのは、30本を超える小さな氷の剣だった。

 小さいとは言っても20センチ程度はあり、それが数十本単位でウェンディを追いかけるように壁に激突して砕けていく。

 

 

 それを放っているのは、リインだ。

 アギトを知っているウェンディ達ではあるが、魔力の放射を得意とするアギトと異なりリインは精密制御の方面に才がある融合機のようだった。

 まさか、ここまで厄介だとは思わなかった。

 

 

「くっそ……でも! 防御と牽制ばっかじゃ勝てないっスよ!」

 

 

 苛立たしげにそう言い、ウェンディはボードを水平にして砲撃の体勢に入った。

 こうなれば、遠距離からの攻撃に集中しようと判断したからだ。

 

 

「そうだな、それは俺も同感だよ」

「んなっ!?」

 

 

 そしてそれが、イオスにとっては狙い目となる。

 エネルギーのチャージが必要な砲撃になると、咄嗟の回避が難しくなる。

 後ろから肩を掴まれたウェンディが――短距離転移からの蹴り――それを知っているのにかわせないのは、そう言う事情からだった。

 

 

 それでも身を引いて衝撃を減らしたあたりは、流石は戦闘機人と言った所だろうか。

 だが、蹴りはかわせない。

 掲げた腕が蹴りの衝撃に軋み、ボードから投げ出される。

 ボードは自動で落ちるウェンディを追うが、それに追撃を加えるべくイオスが鎖を振り上げた所で。

 

 

「同じ説明は、二度しない」

 

 

 鼻が触れるか触れないかの至近距離、そこに銀髪の隻眼の少女の顔があった。

 上から落ちてきたかのように逆さまの体勢、実際、上から落ちてきたのだ。

 イオスには見えないが、もし見えていれば天井から上半身を生やしているセインの姿を確認できただろう。

 個人での空戦技能を持たないチンク、その先入観を利用しての空中戦だった。

 

 

 その両手は、ウェンディへの追撃に跳ね上がっていたイオスの左右の鎖を掴んでいた。

 完全に握ってはいない、緩めて滑らせている。

 黄色い光の粒子が飛ぶそれは、2度目の戦闘で見た技。

 

 

「IS発動、『ランブルデトネイター』……!」

 

 

 爆発、そして閃光と轟音。

 鎖の破片が飛び散り、銀の雨となって場に降り注ぐ。

 甲高い金属音を立てて銀の雨が降り注ぐ中、幾度か回転しながらチンクが着地する。

 膝をついて華麗に着地した彼女の横、上半身だけを床から出したセインが上を見つつ。

 

 

「おおっ、さぁっすがチンク姉……チンク姉?」

 

 

 能天気な声を上げるセインとは対照的に、チンクは厳しい表情を浮かべたままだった。

 彼女は床に膝をついた体制のまま、床に落ちる銀の雨を視界に納めつつ掌を見つめた。

 自分の固有技能を発動したばかりのそこは、若干の熱を持つのが常なのだが……。

 ……今は、何故か冷たい水によって「濡れていた」。

 

 

「爆破直前の感触、まさか……」

 

 

 以前の爆破の際には無かったその感触に、チンクは視線を上に戻す。

 すでに鎖の破片の落下は終わり、煙も晴れかけている。

 そして、黒ずんだ煙が晴れていくに連れて……見えてきた。

 

 

 ――――その鎖は、透明な環によって繋がれていた。

 手甲と先端のクリスタル部を繋ぐのは銀の鎖ではなく、しなやかで空気の震えに同調するように儚く揺れるそれは、見た目以上に強固に連環している。

 煙が完全に晴れた向こう側に、チンクは青年の笑みを見た。

 

 

「――――『流水の鎖』、俺の魔力変換資質に完全に依存した新しい『テミス』の形状……らしいぜ」

 

 

 無機物爆破の能力を持つチンクへの対策、それは鎖を無機物以外の何かにすること。

 セインとチンク、2人の戦闘機人に対する対策を携えて彼はここに来ていた。

 しなやかで強く、環境と状況によって強くも弱くもなるその鎖は……『流水』の属性を持つ彼の特質をよく表していると言えた。

 

 

「……喜ぶべきなのかな、セイン」

「え?」

「ドクター以外に、まさか私とお前のことをここまで考える男がいたとはな……!」

 

 

 すとん、とコートの袖からナイフを落としながらチンクが笑みを浮かべる。

 しかしその瞳は、自分達への対策を施してきた相手を睨んでいた。

 その対策のさらに上を、どうやれば目指せるかを考えながら。

 

 

「さぁ、行こうか……!」

 

 

 誰かがそう告げて、戦闘が再開した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 組織にしろ、制度にしろ……それは、人間の用い方次第でどのようにもなるものだ。

 制度論的なことを言う識者もいるが、制度が変わっても人が変わらなければ結果は変わらない。

 現在彼女達が直面しているのは、そう言う話だった。

 

 

「改めて見ると、完成された組織よね……時空管理局って」

「縦と横の違いこそあれど、基本的には陸も海も同じ構造だもの」

 

 

 地上本部の特徴は、硬直的とすら言える縦社会だ。

 叩き上げが好まれ、士官学校出のエリートはあまり歓迎されない。

 実直謹厳、縄張りを侵さず、上に逆らわず、規則を変えず、理屈よりも行動、標語よりも結果、地上本部とはそう言う場所だ。

 

 

 一方、本局は横の連帯が比較的強い場所だ。

 いくつもの部署を横断して働く人材など珍しくも無く、キャリアの選択肢も広い。

 資格取得の補助や部隊間の共同事業も多く、その分地上本部と異なり士官学校などを出ていないと出世の速度が遅くなる傾向になる。

 

 

「最高評議会という共通の上司がいなければ、正直、分裂するんじゃないかしら」

 

 

 人事部の執務室、机に肘をついたレティが物憂げな溜息を吐く。

 彼女の目の前の大きなスクリーンには、陸と海を含めた時空管理局の組織図である。

 50代経過した一族の家計図のように枝分かれした管理局の組織、しかしその頂点にあるのは最高評議会と、組織構造的には極めて告示している地上本部と本局だ。

 こうして見ると、まるで双子だ。

 

 

「分裂させないためには、2つの組織のトップ間での意思疎通が必要不可欠。私は機動六課関連の人事運用でそちらには関与していないけど、どうなのリンディ?」

「あの人が今向かっているから、私は心配していないわ」

「ああ、そう」

 

 

 他人を信じると決めた時のリンディには何を言っても無駄だ、だからレティは適当に頷いて手元の端末を操作してスクリーンを消した。

 ここ数日、人事と運用を司る人間としていろいろと気を配ることが多い。

 レティはそう思いつつ、数十年来の同僚に視線を向けて。

 

 

「……何?」

 

 

 その時、レティは足の裏に確かな振動を感じた。

 地上ならともかく、次元空間に固定された本局ではあり得ないことだ。

 次元航行艦が発艦する際ですら本局は微塵も揺れない、と言うか、その程度で揺れていては安心して多数の人間が働けも生活することも出来ない。

 

 

 だから、鈍い音と共に生じたこの揺れは――――異常だ。

 リンディの瞳が真剣さに細まるのを確認した後、レティは緊急の通信回線を開いた。

 通信先は本局中枢の管制室、普段は次元航行艦や転送ポートの管理を行っている部署だ。

 

 

「管制! 人事部のレティ・ロウランです。何があったの?」

『は……はっ! な、何でも転送ポートで爆発事故があったらしく……』

「爆発事故? ……転送事故ということ?」

『ああ、いえ。そうではなく、転送ポートで爆発が起こったとしか……現在、報告を待っている状況です』

 

 

 鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔でそう報告してくる管制員に、レティは眉を顰める。

 視線を上げてリンディを見れば、彼女も同じような表情を浮かべていた。

 転送事故では無い、しかし爆発事故。

 転送装置のジェネレーターが壊れでもしたのか、あるいは他の何かか……。

 

 

「……違う」

 

 

 呟きと共に足裏に感じるのは、二度三度と続く重く鈍い爆発の振動だ。

 ここから転送ポートは離れているためその程度だが、現場ではまた違うだろう。

 しかしレティとリンディにも判断できることが、一つだけあった。

 これは、転送事故などではない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 1週間前、時空管理局は地上本部施設の壊滅と言う史上初の事態に陥った。

 そして今、残る一角……次元の海に浮かぶ本局もまた、未曾有の事態を経験することになった。

 その歴史上初めて、賊の侵入を許したのである。

 

 

「……排除完了」

 

 

 青いスーツを着た茶色のストレートヘアの少女が、感情の無い声音でそう呟いた。

 両手には赤色の刃の双剣を携えており、周囲には砕けた通路の壁の一部が散らばっており、その細い足は武装隊の簡易ジャケットを来た男性魔導師の背中を踏みつけている。

 周りには似たような状態の魔導師達が倒れており、いずれも少女に昏倒させられた様子だった。

 

 

「…………」

 

 

 瞳の奥から駆動音を響かせつつ視界を回せば、少女のいる十字路の一方に人を見つけた。

 武装隊ではない、逃げ遅れた女性職員だろうか。

 腰を抜かした様子で尻を床につけており、少女と目が合うと「ひっ」と息を呑んだ。

 ……脅威では無いと判断したからか、少女は女性職員から視線を外した。

 

 

「オットー」

「うん、こっち」

 

 

 短い茶髪を揺らしながら、オットーが片手を掲げて反対側へと向ける。

 ちょうど北側と東側の通路の間の壁に向けるそれを、少女……ディードは無感動に眺めた。

 そしてオットーの掌から緑の砲撃が放たれ、転送ポートを破壊した時と同じように本局の壁を抉り抜いた。

 

 

 女性職員の悲鳴をBGMに、対魔防御措置が施された壁に緑の砲撃が何度も衝突する。

 しかし元々が内部への侵入を想定しない設計のため、過度の衝撃には耐え切れなかった。

 金属を熱で溶かしたかのような匂いが充満する中、オットーとディードは素早く駆け出した。

 ブチ抜いた自作の「道」を通りつつ、AMFを発生させる小型装置をいくつか撒きながら目的地に向かう。

 

 

「オットー」

「うん」

 

 

 時折立ち止まっては、オットーが砲撃によって壁を抜く。

 そうして辿り着いた先は、ある部署の裏だった。

 正面から正規の方法で入室していないため、裏口を自分達で作って入ってきた形である。

 オットーの放った光線の熱で溶けた壁、しかしそこに触れても熱は感じない。

 

 

 むしろ、凍えるような冷気が2人の戦闘機人の少女の身体を包み込んだ。

 明らかに氷点下の冷えた空気に、しかしオットーもディードも表情を変えない。

 その視線は環境の変化にも動じることなく、目的の物に注がれていた。

 

 

「あれが、ドクターの言ってたロストロギア」

「……『夜天の魔導書』」

 

 

 そこは、氷に覆われた部屋だった。

 壁も床も、天井も……何もかもが氷の中にある世界は、白銀の色に染まっていた。

 吐く息は白く、空気は吸い込むと肺が痛くなるほど冷たい。

 足を踏み出せば、降り積もった氷の結晶が砕ける音が響く。

 

 

 そしてその空間の中央に、最も高い氷像がある。

 2人の目的はその中にある物であって、薄い氷の中にそれは確かに見えていた。

 茶色い装丁に金の十字が装飾されたその本こそが、彼女達の目的だった。

 氷結し、沈黙したそれに――――オットーが手を掲げる。

 

 

「じゃあ、壊すよ」

「ええ」

 

 

 ディードの頷きを確認した後、オットーは前を向いた。

 その掌にはすでに薄い緑の輝きがあり、前を向くと同時に放つつもりだった。

 しかし突如、前を見れなくなった。

 視界を塞ぐそれは、掌だった。

 冷たく冷え切った掌が、オットーだけでなく……ディードの顔を覆っていた。

 

 

「「――――!」」

 

 

 馬鹿な、と言う意識を共有する。

 油断はしていなかった、瞳内のセンサーにも何の反応も無かった。

 なのに、2人共に前からかかる圧力に抗し切れずに押し出されるようにして吹き飛ばされたのだ。

 無様に転ぶような真似はしない、が、自分達が作った道を逆に進むことになる。

 足裏を床に押し付けて耐え、初めて表情を崩して前を見た。

 

 

「あー……待ち過ぎて寒い。うっかり冬眠しちまうかと思ったよ」

「そうだな、尻尾の毛先が痛んで仕方がない」

 

 

 そこにいたのは、オットーとディードと同じ――――双子だ。

 ロングヘアとショートヘアと言う点も同じだ、しかし違う点もある。

 物腰が柔らかそうな女性と、どこか粗野な印象を受ける女性。

 動作も表情も極めて告示しているオットーとディードは、双子の性質がまるで異なっていた。

 

 

「あれは……」

「使い魔……?」

 

 

 魔力の質と、そして何より相手の頭と腰のあたりにある猫の耳と尻尾からそう判断する。

 黒いタイトな制服に身を包んだ2人の「敵」に、オットーとディードは厳しい目を向ける。

 

 

「「何者」」

「何者と問われれば……使い魔で、師匠と答えるね」

「何をしていると聞かれれば……贖罪と、そう答えるわ」

 

 

 氷結した白銀の部屋を背に、使い魔の姉妹がオットーとディードの前に立ち塞がる。

 彼女達は、目の前で自分達を睨む若い2人の戦闘機人に対して。

 

 

「「――――『夜天の魔導書(あのこ)』には、指一本触れさせない」」

 

 

 リーゼアリアとリーゼロッテは、そう宣言した。

 

 


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