魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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StS編第16話:「査察官、入院する」

「なのはまぁまぁ――――ッ!」

「ヴィヴィオッ……!」

 

 

 公開意見陳述会の襲撃事件の事後処理に一晩かかって、翌日の午前になってようやくなのはは聖王医療院の門を潜ることが出来た。

 本当はもっと早くに来たかったのだが、自分の私的な感情を優先させられるような状況では無かったのだ。

 何しろ、今は彼女が機動六課の代表のようなものなのだから。

 

 

 しかしそれも、聖王医療院で自分が保護していた小さな女の子を前にすれば崩れてしまった。

 よほど怖かったのだろう寂しかったのだろう、泣き顔で胸に飛び込んできた小さな身体を抱き止める。

 胸元に顔を擦りつけてわぁわぁと泣くヴィヴィオの金色の髪の中に手指を埋めて、しっかりと抱き締めた。

 

 

「ママ、ママッ……ママぁ……うえええぇぇ~~~~っっ」

「ごめんね、怖かったね……夜までに帰るって約束したのに、遅れてごめんね……」

 

 

 泣きじゃくるヴィヴィオをぎゅっと抱き締めると、胸の中の何かが溶けていくかのようだった。

 じんわりと身体の芯に染みてくるそれは、あるいはただの庇護欲なのかもしれない。

 それでもなのはは、ヴィヴィオの無事を心の底から良かったと思う自分がいることに気付いていた。

 ほんの2カ月弱の時間を共に過ごしただけのヴィヴィオ、しかしそのヴィヴィオとの時間が自分の心の大きな部分を占めていることに、改めて気が付いた瞬間だった。

 

 

「フェイトちゃん、ありがとう」

「……ううん、アイナさんとシャーリー達がヴィヴィオを守ってくれてたんだよ」

 

 

 抱き合うなのはとヴィヴィオを温かい目で見守っていたフェイト、負傷しているのか片腕を三角巾で吊っている。

 骨や筋肉に異常があるわけで無く軽傷だと聞いてほっとすると同時に、ヴィヴィオを抱っこして立ち上がる。

 そしてヴィヴィオを抱っこしたまま、なのははその場で頭を下げた。

 

 

「皆も、本当にありがとう。ヴィヴィオのママとして、お礼を言わせてください」

「そんな! 頭を上げてください、なのはさん!」

「そうっスよ。ヴィヴィオちゃんみたいな可愛い子を守るのは当たり前のことっスから、全然気にしないでくださいよ」

 

 

 病室にいた面々が口々にそう言うと、なのはは視界が揺れるのを感じた。

 そしてヴィヴィオに促して、まだ若干の涙声ではあるが「ありがとう」と言った。

 それにベッドの上で包帯塗れになっているヴァイスや、ベッド脇のパイプ椅子に座っていたシャーリー……彼女自身も負傷して頭に包帯を巻いているが……などが、少し嬉しそうに頬を染めた。

 

 

 ただそれも、ヴァイスの隣のベッドで寝ている存在を見れば沈痛な色に変わった。

 そう、状況はけしてお互いの無事を喜びあえるような状況では無い。

 狼形態で――人間形態になれない程に消耗している――身体中に包帯を巻かれ、意識を失っているザフィーラを見ればそれは嫌でも自覚させられた。

 何しろ、機動六課は……。

 

 

「……はやて……」

 

 

 ……機動六課は、その支柱を失っていたのだから。

 ぽつりと呟くフェイトの声に、その場にいた誰もが沈痛な色を表情に反映させた。

 唯一ヴィヴィオだけは、なのはの制服を掴みながら不思議そうな顔をしていたが。

 そんなヴィヴィオにやや弱い笑みを見せつつ、フェイトは自分の迂闊さを悔いていた。

 

 

 昨夜自分は機動六課に向かい、結果として六課の完全崩壊を防ぎヴィヴィオを守ることもできた。

 しかしその代わり、地上本部方面の事態へ介入することが出来なかったのである。

 護衛としてついていたシグナムへの信頼の高さが、この場合は仇となってしまったのかもしれない。

 よくよく見ずとも、自分達は分散したのでは無く分散「させられた」と考えるべきだったのだから。

 六課に到着するまで、何の妨害も受けなかったことにもっと注意を向けるべきだった。

 

 

(でも、最初からはやてが狙いだった……?)

 

 

 地上本部と機動六課への攻撃は、単純に自分達へ対抗する戦力を削るのが目的だったのだろうと思う。

 しかし敵の……スカリエッティの狙いが最初からはやてだったのかは、少し自信が無い。

 はやてとスカリエッティの間には、自分とスカリエッティ程にも関係があるとは思えない。

 彼が基礎を組んだ技術で――「プロジェクト『F』」と呼ばれるクローン技術――生み出された自分程には。

 

 

 だからこそ、わからなかった。

 スカリエッティが、何を狙っているのか。

 執務官として追いかけて来た相手の思考を読むように、フェイトが思考の海に意識を沈めかけたその時……。

 

 

「ふざけんなっ!!」

 

 

 隣の病室から、聞き慣れた声が響いて来た。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 慌てて隣の病室に駆け込んだ時、フェイトは驚きに目を丸くした。

 と言うのも、部屋の中にいた2人の男性――どちらも彼女の義兄にあたる――が取っ組み合っていたからである。

 正確には、ベッドの上で上体を起こしたイオスが無事な左腕でクロノの胸倉を掴んでいたのだ。

 

 

「ふざけんなよ、てめぇ……!」

「……すまん」

「すまん、で、済むか……ボケがぁっ!!」

「イオス!?」

 

 

 非難めいたフェイトの叫びは、胸倉から離した左手でクロノの頬を殴ったイオスに向けられた。

 怪我人の拳である、避けようと思えば避けられただろう。

 しかしクロノは避けずにそのまま受け、椅子を倒しながら病室の床に尻餅をつく形になった。

 そんなクロノの傍に駆け寄って片手で彼を支え、非難を込めてベッド上のイオスにフェイトが非難を込めた視線を向けると。

 

 

「八神さんに頼まれて、嘘の『預言』を教えやがっただと……!」

 

 

 え、とフェイトが一瞬言葉を失う。

 『預言』と言えば、カリムのそれだろうとは思う。

 そしてイオスが『預言』について教えられたのは、フェイトやなのはと同じタイミングだったはずだ。

 その『預言』が嘘を含んでいた、と言うのは、彼女にとっても寝耳に水な話だった。

 

 

「……どう言うことなの?」

 

 

 フェイトが聞けば、クロノは顔を俯かせて唇を噛む。

 その姿に、フェイトは深刻な……それでいて嫌な予感を、覚えた。

 

 

「『預言』で示されていたのは、地上本部の壊滅と管理局システムの崩壊だけじゃ無かったんだとよ……」

「え?」

 

 

 顔を上げれば、クロノを殴った衝撃で痛みが走ったのだろう、やや表情を顰めながらそんなことを言うイオスがいた。

 ベッドの上のイオスから視線をクロノへと戻す、クロノは表情を変えずに、しかし静かに告げた。

 

 

「……イオスの死だ」

 

 

 クロノの言葉に、フェイトは息を飲んだ。

 先に聞いていたイオスはフェイトほど驚かない、が、それでも表情を歪めた。

 彼としても、まさか自分の死が地上本部壊滅などと同列に語られるとは思わなかったのである。

 しかしそれ以上に彼の感情を揺らしたのが、はやてがそれを知って行動していたと言うことである。

 

 

 彼を可能な限り六課に関わらせようとしたのも、ギンガの六課出向に拘らず彼の下にやったのも、あの日に偽の――と言うより、変化する前の――『預言』を伝えたのも。

 全ては彼を、イオスを守ろうとしての行動だったと言われて平然としていられる程、イオスははやてと薄い関係を築いているつもりは無かった。

 むしろ、大切に想っている――――後輩だと。

 

 

「機動六課の設立は……将来第六技術部と言う部署を一つ丸ごと持ちたいはやての希望と、騎士カリムの要請によって作られた部隊だと言うのは前に説明したな」

 

 

 ――――旧い結晶と無限の欲望が交わる地。

 ――――死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る。

 ――――使者達は踊り、中つ大地の法の塔は虚しく焼け落ちる。

 ――――天の鎖が地に墜ちて、夜天の翼が世を祓う。

 ――――その後、数多の海を守る法の船は砕け落ちる。

 

 

 ……それが、カリムの『預言者の(プロフェーティン・)著書(シュリフテン)』によって示された本当の最新の『預言』だった。

 最も重要なのは4文目で、「天の鎖が地に墜ちて」……これが、はやてにはイオスの死を暗示しているようで不安だったのだと言う。

 その後の「夜天の翼」が自分としか思えない以上、特に。

 

 

「もう一つ、はやてと僕達だけで共有されていた理由がある。それは、はやてが『預言』に巻き込まれるかもしれない仲間達を、目の届く所で守りたがった、と言うことだ」

 

 

 だから、六課は新人以外は――部隊構成に疑念を抱けない新人――全て身内で構成されていたのだ。

 イオスと、それに連座する形で誰かが死なないように、失わせないように。

 例え、法律の抜け穴をつくような裏技を使ってでも――――。

 

 

「けどそれで自分が攫われてりゃ、世話ねぇだろうが!!」

 

 

 ベッドから飛び下りた――まさに跳んだ――イオスが、クロノに飛びかかって床に押し倒す。

 大怪我を抱える右半身に走った痛みに顔と身体を引き攣らせつつも、しかしそれを堪えてクロノの腹に身体を乗せる形で馬乗りになって、左手でクロノの制服の襟元を掴んで引き揚げる。

 

 

「イオスッ、ダメだよ!」

 

 

 何に対して「ダメ」なのか自分でも判然としないが、フェイトは2人を引き離そうとした。

 イオスに半ば抱きつくような形で止めようとするが、片腕では力が足りずに果たせなかった。

 3人の男女が不格好に揉み合う中、イオスの叫びが続く。

 

 

「戦闘機人だかスカリエッティだか知らねぇが……それで、八神さんが攫われてりゃ、何の意味も無いだろうがよ……!」

 

 

 そう、はやては攫われた――連れ去られたのだ、陳述会の会議室から、戦闘機人によって。

 その場にいる人間の生命と身の安全の保障を約束させた上で、自分でついて行ったのだと言う。

 シグナムは不意打ちを受けて倒され、シャッハはカリムの傍から動けず……その他の人間は、はやてを守ろうともしなかった。

 

 

 それが何故かなど、議論するだけ無駄なことだ。

 重要なのは、機動六課の課長兼部隊長であるはやてが連れ去られ、地上本部と六課隊舎への攻撃がやんだことだ。

 そしてはやてが、他の皆を守って……それでいて、自分を守らなかったことだ。

 つまり、「侮られた」のだ、自分達が。

 

 

「なら、どうすれば良かったんだ……? お前に全て話せば良かったのか、それでいったい、何が変わったって言うんだ……!」

「てめぇ……!」

「ふ、2人とも、やめて!」

 

 

 はやてが、イオスや仲間の死を予感させる『預言』の成就を防ぐために1人で頑張っていたこと。

 そしてそれを知らずにはやてと共に頑張っていたと思っていた自分達と、はやての真意を知りながら何もできなかったクロノ……それらの事実全てに衝撃を感じながら、フェイトは2人を止めようとした。

 

 

 どうすれば良かったかなんて、誰にもわからないことだ。

 

 

 何をすれば最善の道に至れたかなんて、考えた所で意味の無いことのはずだ。

 それなのにそう思ってしまうのは、後悔の念が強いからだ。

 はやてがいないと言う現実が、それだけで何もかもを台無しにしてしまう、そんな現実が……。

 全てが手遅れだと、そう告げているようで。

 

 

「ど、どど、どうしよう……」

 

 

 それを病室の扉の陰から見ていたシャーリーは、人を呼ぶべきかどうか迷っていた。

 止められるとすればなのはくらいしか思いつかないが、ヴィヴィオがいる以上無理だ。

 それでいて自分が出て行っても……と、悩んでいた時。

 

 

「ちょっと、失礼しますね」

「……え?」

 

 

 その時、1人の女性がシャーリーの横を擦り抜けて病室に入っていった。

 茶色の髪を首の後ろで束ねたその女性を、シャーリーは半ば呆然と見送ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 突然現れたその女性に最初に気付いたのは、フェイトだった。

 イオスとクロノはお互いしか見えていないのか、気付いていない。

 しかしそれでもすぐ横に立たれば気付くので、諍いを止めて見上げた瞬間。

 

 

「いい加減にしなさい!!」

「「でっ!?」」

 

 

 どこかリンディを思わせる、しかしリンディでは無い怒鳴り声。

 同時に放たれたのは拳骨、イオスとクロノそれぞれの頭に叩き込んだ――イオスは怪我を考慮されてか、張り手だったが――のは、3人が良く知る女性だった。

 首の後ろで縛られた茶色の長い髪に、黄色のキャミソールに白の上着を合わせ、キャミ下にパンツとブーツと言う出で立ちの20代後半の女性は……。

 

 

「「「え、エイミィ!?」」」

 

 

 それはクロノの妻にしてイオスの幼馴染、そしてフェイトにとっては義姉にあたる女性だった。

 エイミィ・ハラオウン……旧姓リミエッタ、現在は2児の母である。

 第97管理外世界のハラオウン家で子育てに専念しているはずの彼女がどうしてここにいるのか、そんな感情のこもった視線に晒されて……エイミィは、肩を怒らせつつ腰に両手を当てて3人を見下ろして。

 

 

「イオス君が大怪我したって言うから来てみれば、何をフェイトちゃん困らせてるのかなこのダメ義兄貴共は……」

「エ、エイミィ? リエラとカレルはどうしたんだ?」

「アルフが見てくれてるよ、幼馴染が大怪我したって聞いて心配して来たのに……喧嘩できるくらいなら大丈夫だね、ほら行くよクロノ君」

「え、あ、ちょ……ま、まだ話が終わってな……!」

 

 

 ズルズルと夫を引き摺り、病室から出て行くエイミィ。

 わざわざ見舞いに来たのにすぐに戻ると言うのは、つまり思ったより元気そうで安心したということだろうか。

 とはいえだからと言って、床に放置される形になったイオスとしては。

 

 

「……って、おい待てクロノ! エイミィ! まだ話は」

「イオス君」

 

 

 病室の扉の所で、イオスの声に応じたわけでも無いだろうが、エイミィは夫の襟首を持ったまま振り向いて来た。

 昔に比べて、随分と落ち着いたように見える。

 その落ち着いた、どこか懐かしさすら覚えるような瞳に、イオスは言葉を詰まらせた。

 

 

「……現実、ちゃんと見てる?」

 

 

 それだけ告げて、エイミィは病室の外へと消えた。

 クロノもそのまま引き摺られて行ってしまって、イオスは半ば呆然とそれを見送るしかできなかった。

 それはフェイトも同じだが、しかし彼女はイオスよりも早く再起動すると。

 

 

「ち、ちょっと待ってよ、エイミィ!」

 

 

 イオスをその場に座らせた後、慌てて義姉の後を追いかけた。

 バタバタと義妹の少女が出て行ってしまえば、残されるのはイオス1人だ。

 エイミィに「現実を見ているか」と言い残されて、呆然とする青年だけだ。

 

 

 現実とは、この場合何を指すのだろうか。

 はやてが自分のために頑張っていて、そして連れ去られたことだろうか。

 その現実は、なるほどイオスにとっては苛立ちを含む辛い気持ちを呼び起こす物だろう。

 それとクロノへの……そしてクロノに当たった自分への苛立ち、それを現すように、イオスは病室の床を殴ろうとして……。

 

 

「あ、あの……すみません……」

 

 

 そのタイミングで、さらに1人の少女が訪れて来た。

 タイミングを計っていたのか、それとも偶然かはわからない。

 しかし声をかけられたのは確かなので、イオスは振り上げかけた拳を押さえてそちらを見た。

 

 

 病室の入り口に、1人の少女が立っていた。

 青い短髪の、どこかボーイッシュな雰囲気を漂わせた少女だ。

 イオスも良く知っているその少女は、しかしいつもと違う落ち込んだ雰囲気でそこにいた。

 スバル・ナカジマ、機動六課フォワードにしてギンガの妹。

 そんな少女が、イオスに向けて頭を下げていた……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 エイミィ、とフェイトが声をかけても、義姉が足を止めることは無かった。

 聖王医療院の廊下を、夫を引き摺りながら歩くエイミィ。

 フェイトは三角巾で腕を吊ったまま、心配と困惑が同居した顔で後を追うことしかできない。

 クロノも、そんな妻の行動に何を言った物かと悩み……。

 

 

「大丈夫だよ、きっと」

 

 

 不意に、エイミィが背中を向けたままそう言った。

 義兄妹の視線を感じているのか、肩を竦めて見せる。

 

 

「イオス君は大丈夫だし、はやてちゃんもきっと大丈夫。だから2人は、今自分にしかできないことをするべきだと、私は思うな」

 

 

 六課、今大変なんでしょう?

 そう言われて、フェイトは咄嗟には答えることが出来なかった。

 実際、部隊長が拉致されると言う事態に陥った機動六課は現在、とても苦しい状況にある。

 はやてが万が一のために申請していたおかげで、今はなのはを六課の課長代行に、フェイトを部隊長代理として権限を分けて運営している形だ、ちなみに実務はグリフィスが行ってくれている。

 

 

 つまりはなのは・フェイト・グリフィスの3人体制であって、以前のように部隊を動かすこともできない。

 例えばはやてが持っていたなのは達のリミッター解除権限は、後見であるクロノが有しているし――その関係でここにいたわけだが――ロングアーチや前線スタッフの半数が負傷している今、部隊と課を支えるのは容易では無かった。

 

 

「……はやては、これを全部1人でやってたんだね」

 

 

 親友(はやて)が六課運営のために何を頑張っているのか、一部を担っていたフェイトも知っているつもりだった。

 しかし実際に3分の1でも自分でやってみれば、処理しなければならない事務や必要な根回しの多さに閉口しそうになる。

 たった一晩、それだけで根を上げたくなるほどに。

 

 

 単独で動くタイプの執務官であるフェイトは、実は組織一つを動かす仕事の経験が少なかった。

 だからこそ今、苦しんでいる。

 法務担当として、臨時査察やルーテシアの件ではやてに陳情していた過去の自分を張り倒したいくらいに。

 そして同時に、哀しんでもいた。

 はやてが、この苦労の一部でも自分達に吐き出してくれていなかったという事実に。

 

 

(『預言』のことも、六課のことも……何も、教えてくれてなかったんだ……)

 

 

 哀しい、そして悔しい。

 話してくれなかった、そして、気付けなかった自分。

 その事実に、フェイトはイオスとは違う意味で苦しんでいた。

 

 

 そしてエイミィに活を入れられ、義妹のそんな苦しそうな顔を見て。

 クロノもまた、深々と後悔の溜息を吐いたのだった。

 ……世界は、いつだって。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 世界はいつだって、こんなはずじゃないことばかりだ。

 そんな当たり前のことを改めて思い出した現在、ベッドに身を戻したイオスの前で頭を下げている少女が1人。

 スバルが、先程までクロノが座っていた椅子に座ってお礼を言っている所だった。

 

 

「ギンね……じゃない、姉を守って頂いて、本当にありがとうございました」

「いや、まぁ……最終的に助けたのは、お前らと高町さんだと思うけどな」

「それでも、イオス査察官がいてくれなかったら……間に合わなかったと、思います」

 

 

 話の内容は要するに、地下通路での戦いで姉であるギンガを救ってくれたことに対するお礼だった。

 それから、ギンガの正体を知ってしまったイオスへの事情説明だった。

 つまり、自分達「戦闘機人」が何故普通の人間であるゲンヤの娘になっていて、あまつさえ管理局員として働いているのか。

 

 

「私達と父さん……あと、母さんとは、血の繋がりが無いんです。戦闘機人の事件を捜査していた母さんに、ちっちゃい頃に保護されて……まぁ、つまり養女にして貰ったんです。ヴィヴィオみたいな感じで」

 

 

 クイントが戦闘機人に関する事件を追っていたのは、イオスも知っている。

 ギンガとスバルは、クイントがその過程で保護した戦闘機人実験の被験者だったのだそうだ。

 クイントに保護されて以降は、周囲に正体を隠して人間として生活し――今に至るわけだ。

 その割にクイントに似ているのは、どうも……遺伝子的な繋がりが実際にあるかららしい。

 そこはそこで複雑な事情があるのか、スバルはそれ以上は語ろうとはしなかったが。

 

 

「黙っていて、すみませんでした」

 

 

 と、改めて頭を下げられて、しかしイオスとしては困る他無かった。

 と言うのも、謝られても反応の返しようが無かったのだ。

 ギンガやスバルにしてみれば話したく無かっただろうし、彼女達の「健康診断」を担当していたと言うマリーや親族であるゲンヤ等を除けば、機密事項に当たる話だろうからだ。

 もっと言えば、スバルにもギンガにも……「話す義務」は無かったのだから。

 

 

「……ギンガさんにも、似たようなことを言ったんだが」

 

 

 ギンガは今、この聖王医療院の集中治療室に入院する形になっている。

 専用の機材を運び込み、マリーを始めとする技士によって致命的なダメージを受けた左腕の「治療」を受けているのだ。

 意識は戻っていないが、命に別状は無いと言う。

 

 

「戦闘機人なんて、俺としては種族の一つくらいにしか認識できん。広い次元世界で仕事してれば、いろんな種族やら人種やら魔法生命体やらに会うさ。だからまぁ、お前らのことも人間の姉妹から戦闘機人の姉妹に変わるくらいで……それ以外に何かを思ったりはしねぇよ」

 

 

 ギンガの言葉を借りるなら、女性受けしない台詞だ。

 ただイオスとしては、ここで「お前は人間だ」なんて口が裂けても言うつもりは無かった。

 大体、一回りも年下の少女に女子受けする台詞を囁いても意味が無いだろう。

 それに、スバルが戦闘機人であることは純然たる事実なのだから。

 

 

「それに、やっぱ礼を言うのは俺の方だろう。お前らが助けに来てくれたおかげで命を拾ったんだ、だから、俺の方こそありがとう」

「そ、そんなこと無いです! それに……」

 

 

 頭を下げようとしたイオスを、慌てて止めるスバル。

 彼女としては、姉を守ってくれたイオスに頭を下げられてはいたたまれ無いのだ。

 それに、あの瞬間に現場に間に合ったのはスバルの功績では無いのだ。

 

 

「……あの時、なのはさんが言ってくれたんです。私の行きたい方に行こうって」

 

 

 思い出したのか、スバルはそこで初めて表情を柔らかな物にした。

 地下通路から侵入するガジェット達を排除していた時、スバルが感じた嫌な予感。

 漠然としていて、パートナーのティアナにも理論的に説明できずに困っていた彼女。

 

 

 そんな彼女に、分隊長であるなのはが言ってくれたのだ……『スバルの行きたい方に行こう』、と。

 何の根拠も無い自分の感覚を信じて、向かう先を変更してまで。

 そのなのはの心遣いのおかげで、スバルは間に合うことが出来たのだ。

 赤髪の戦闘機人が放ったトドメの一撃、それを阻んでギンガとイオスを守ることが。

 

 

「それでもやっぱり、イオス査察官が頑張ってくれていなければ間に合わなかったと思います。だからやっぱり、本当にありがとうございました」

「良いって、本当。俺は大したことしてねぇし……」

 

 

 何度も頭を下げてくるスバルに、鬱陶しそうに手を振って。

 

 

「……それに今は、お前らの方が大変だろ。八神さんが……まぁ、六課が、大変で、さ」

 

 

 それは、今のイオスにとっては出来れば触れたくない部分だった。

 しかし同時に、スバルにとってもそうだったらしい。

 だがそれは六課の一員として、と言うわけでは無い様子だった。

 スバルがはやての名を聞いて眦を下げるのは、どうやら別の理由で……。

 

 

 ……スバルは今、心の底からホッとしていた。

 負傷はしたが、それでも姉が無事な姿でいてくれて本当に安堵したのだ。

 昨夜から寝ずにギンガについている間も、頭の中はギンガのことで一杯だった。

 それ以外のことを考える余裕は無くて、ギンガの命に別状が無いと聞いて初めて周りを見て。

 部隊長を失って、意気消沈している部隊の仲間達を見て初めて。

 

 

「……大変、なんですよね。やっぱり……皆」

「まぁ、それは、な」

「でも私、八神部隊長が……あんなことになっても、何だかピンと来なくて」

 

 

 それよりも、母であるクイントの葬儀のことを思い出してしまって。

 だから正直、スバルはギンガの安否以外は何も考えていなかった。

 はやて個人のことも、それで衝撃を受けているだろう人達のことも……何も。

 

 

「ギン姉がいなくなっちゃうかもしれないって、そんなことばかり考えてて」

 

 

 呼び名を整えることもしない、それはそれだけスバルの感情が昂ぶりつつあることを意味していた。

 イオスもそれを感じたのか、やや目を開いてスバルのことを見やる。

 俯きがちに話す彼女の目には、ありありとわかる程に負い目の感情を感じることが出来た。

 

 

「だから、八神部隊長のことを皆が心配してても……ギン姉は大丈夫かな、ギン姉はいなくなったりしないかなって、そんな、個人的なことばっかり考えちゃってて……八神部隊長のこととか、本当、全然、考えて無かったんです」

 

 

 自分で言っていて、笑える。

 機動六課で活動するようになって数ヵ月、入隊の推薦から普段の仕事まで、はやてにはお世話になりだったはずなのに。

 それでなくても、普通、誰かが拉致されれば動揺したり心配したり、救出の決意をするなりするだろうに。

 

 

 これが、なのはに憧れて災害救助を志望した人間かと、自分で思う。

 4年前の臨海空港の火災事故、そこでなのはに救われたことがスバルの原点。

 助けを待つ誰かを、安全な場所までひとっ飛びで助けられる人間になりたいと。

 そう願い続けて努力を重ねた自分が、いざという時には身内のことばかり考えて動けなくなるなんて。

 

 

「私……私……ッ、全然、ダメで……!」

 

 

 自分で、自分が嫌になる。

 時間が経てば経つ程に、そんな気持ちがスバルの中で大きくなるのだった。

 処理しきれな気持ちは、涙の雫となって外に散る。

 

 

 ――――ダメだ。

 俯き、制服のスカートに涙の染みを作りながらスバルはそう思った。

 お礼を言いに来て泣くなんて、迷惑以外の何でもない。

 わかっているのに、止められなかった。

 哀しいのか悔しいのか、それさえもわからなくて……。

 

 

「……まぁ、なんつーかさ」

 

 

 そんなスバルを見て、もちろんイオスも困惑した。

 困惑したが、流石に立て直しは昔に比べて早かった。

 フェイトやティアナの経験と言うか、そう言う物が生きていたのかもしれない。

 あるいは……イオス自身が、泣きたい気分だったからかもしれない。

 泣いてしまう誰かの気持ちが、一番よくわかる状態だったからかもしれない。

 

 

「あの高町さんだって、ヴィヴィオのことを気にしてた。フェイトはエリオとキャロのことを気にしてたろうし、正直……俺だって、八神さんのことを最優先に考えてたわけじゃない」

 

 

 イオスは思う、おそらくスバルは彼が思っていたよりもずっと真面目で責任感の強い少女なのだろうと。

 ただ、それ故に少し勘違いしてしまっているのだろうと。

 

 

「お前、今でも八神さんのことを全く心配して無いのか?」

「そ、そんなことは無いです!」

「なら、皆と一緒だろ」

 

 

 跳ねるように顔を上げて言い返してきたスバルに、イオスは普通に言った。

 

 

「誰だって、そりゃ優先順位ってもんがあるだろ。お前の場合はギンガさんが最優先だったってだけで、それでお前が八神さんのことを心配しない人でなしってことにはならない」

 

 

 要するに、優先順位の問題。

 スバルにとって、ギンガの方がはやてよりも少しだけ優先順位が高かった。

 たった、それだけのことだ。

 それだけのことを、そこまで深刻に考える必要は無い。

 

 

「だから、まぁ……ギンガさんが無事だってわかって、少しだけ余裕が出来たんなら。お前も、他の連中と同じで……自分の部隊の隊長のことを心配する、普通の局員、部隊員だろ」

 

 

 気にするなとは言わない、が、深刻に考える必要も無い。

 そう言われて、スバルはまず真顔になった。

 子供のようにしゃくり上げて泣いていた表情を緩めて、しかし頬を流れる雫はそのままに。

 そして、すぐにクシャリと表情を崩して。

 

 

「ぅ……」

「う?」

「うあああぁぁ……ん……ッ」

「……え」

 

 

 いろいろ、限界だったのかもしれない。

 そのスバルの行動、と言うより感情の発露にイオスは戸惑った。

 泣き止むどころか、むしろ加速してしまった。

 

 

 イオスは嘆息して、しばらくは様子を見守ることにした。

 まぁ、泣きたい時に泣けるのは、良いことだと思うから。

 我慢して何も言わずに何もかもをしてしまうよりは、よっぽど。

 ただ誤算があったとすれば、その時、扉を丁寧にノックして入ってくる新たな来訪者がいたことだろうか。

 

 

「おーぅ、娘が世話になったってんで様子見に……」

「あ」

 

 

 そこに立っていた人物に――と言うか108部隊の長、先ほど話にも出て来たゲンヤ・ナカジマだった――イオスは、身体の中に響くような痛みに耐えるイオスが間の抜けた声を上げた。

 その時、彼は自分の今の状態を改めて確認した。

 

 

 まずイオス、ベッドの上で上体を起こしている状態だ。

 そこまでは良い、普通の怪我人だ。

 客観的に見て問題なのは、スバルだった。

 イオスと2人きり、そして声を上げて泣いている。

 客観的に見て、今のゲンヤの心境を想像してみるに……。

 

 

(……何だ、この状況)

 

 

 そう思って、イオスは傷の痛みに眉を顰めつつ天を仰いだのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『娘が世話になった、父親として礼を言わせて貰う、ありがとう』

 

 

 ゲンヤの訪問理由は、つまる所それだった。

 スバルと同じで、ある意味では親子らしさを感じることができた。

 産みの親より育ての親……と言う、イオスとしても考える所がある言葉が何故か脳裏に浮かんだ。

 ゲンヤとスバルを見れば、自然とそう言う風に考えてしまった。

 

 

 ただゲンヤは、スバルと違いギンガのこと以外の話もしに来たようだった。

 108部隊として、部隊長不在の六課への協力を変わらず続けるつもりだと言うこと、ギンガのイオスの合同捜査本部への出向についてもそのままの状態にすること。

 そして、戦闘機人について……いろいろと話をした。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 そして今、ようやく静かになった病室で……イオスは1人、考えていた。

 ゲンヤは難しい顔で、スバルは急に羞恥を覚えたのかやや顔を赤くして、退室していった。

 だから、今は静かに考えることが出来る。

 

 

 『預言』のことは良い、ただ、はやてが1人でそれを防ごうと頑張っていたと言う事実を見つめる。

 エイミィの言ではないが、今、はやてが自分の死を匂わせる『預言』の阻止の過程で拉致されたと言う事実から目を背けるわけにはいかなかった。

 関係ないと言って、はやてが勝手にやったことと言って放置するのは簡単だ。

 だが……。

 

 

「……~~~~っ」

 

 

 ベッドに仰向けに転がったまま、比較的動かせる左手で自分の額あたりを掴むイオス。

 くしゃり、と、前髪が掌の中で擦れた。

 それが、イオスの気持ちを代弁してもいた。

 

 

 彼は、苛立っていた。

 はやてが自分に本当のことを隠して行動していたことに? 違う。

 はやてがの行動に気付かず、彼女がスカリエッティ陣営の捕虜になったらしいことに? 違う。

 イオスが、何よりも我慢できないのは。

 

 

「あの、馬鹿……」

 

 

 はやてが、1人で恐怖や不安と戦っていただろう、その事実にだ。

 クロノは、はやてがイオスに関する『預言』の成就を恐れていたと言っていた。

 しかしそれと同時にイオスは、はやてが彼女自身の『預言』についても怯えていただろうと考えていた。

 

 

 『預言』の解釈など、イオスにはわからない。

 ただ『預言』の中ではやてを思わせる条文がある以上、彼女はそのことに怯えたはずなのだ。

 自分の身に何が起こるのか、何種類も想像して、怯えていたはずなのだ。

 それが、イオスは気に入らなくて仕方が無かった。

 

 

「…………おい」

 

 

 苛立ちを声の中に潜ませて、イオスは寝ころんだまま誰かに呼びかけた。

 返事は無い、だが、彼は構わずに続けた。

 

 

「いるんだろ……リイン」

 

 

 名前を呼ぶと、呼びかけに反応が返ってきた。

 扉でも窓でも無い、ベッドの下だ。

 先程クロノと揉み合っている時に、ベッドの下に垂れたシーツの陰に銀の輝きを見たのだ。

 だから、いつまでも出てこないそれに声をかけた。

 

 

 そして、出て来る。

 ベッドの下からおずおずと、しかしそれ以上は隠れることなく出て来たのは……銀髪の、小さな妖精。

 淡い光を纏いながら出て来たのは、八神はやての所有デバイスにして機動六課ロングアーチの一員。

 ――――リインフォース・ツヴァイが、どこか哀しそうな顔でそこにいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 けたたましい音が病室に響き、次いで何か柔らかい物が床に倒れる音が聞こえた。

 それが聞こえた時、シャマルはいつもの白衣とは異なる白い衣服――いわゆる病院服――を身に着けた格好で、音が響いた病室へと駆けこんだ。

 そして、中で起こっている事態に目を見開くことになる。

 

 

「シグナム、ヴィータちゃん! 何をしてるの!?」

 

 

 その病室に入ってシャマルがまず目にした物は、シャマルら守護騎士の肉体に合わせて調整された機材や点滴、それが床に無残な姿で散乱した光景だった。

 しかし、彼女が声を上げたのはそんなことが理由ではなかった。

 

 

 彼女の視線は、病室に並べられた二つのベッドに向けられていた。

 奥側のベッドには、素肌の上に包帯を巻いただけの上半身に制服の上着を引っ掛けただけの女性がベッドに手をついていた。

 

 

「……無理すんなよ、シグナム。はやては、私が……っ」

 

 

 そして扉側のベッドだ、こちらには赤髪の少女がベッドの端に腰掛けていた。

 こちらは黒のインナー姿だ、首元に僅かに包帯が見える他、腕や足にも手当ての跡がある。

 しかし彼女も、ベッドから降りようと動いただけで顔をしかめ、脇腹のあたりを押さえて身体を折ってしまった。

 

 

「2人ともダメよ、まだ傷が塞がりきってないんだから!」

 

 

 そう叫んで、シャマルはまずより深刻そうなシグナムの方へと駆け寄って身を支えた。

 温かく柔らかな身体を抱くと、痛みのためか筋肉が引きつるのを感じることが出来た。

 満足に歩くことも出来ないその身体で、髪も結ばずにどこに行こうと言うのか。

 

 

 そんなことは、聞かずともわかる。

 シャマルとて、シグナムやヴィータと同じ行動を取りたいと思っているのだから。

 だが、そんなことをしても。

 自分の身体を労わらず、無茶を成して無理を通そうとしても。

 

 

「はやてちゃんが、喜ぶわけ無いでしょう……!」

 

 

 はやての下に行きたい、繋がり(リンク)のある彼女達ならばもしかしたら見つけられるかもしれない。

 しかし、仮に見つけられたとしても。

 今のシグナムやヴィータが、戦闘機人を破ってはやてを救えるとは思えない。

 参謀役としてのシャマルは、怜悧な部分でそう判断できてしまうのだ。

 

 

 シグナムが這ってでも行こうとするのは、責任を感じているからだろう。

 はやての最も近くにいながら、何も出来ずにはやてを拉致されたのである。

 騎士としてはもちろん、烈火の将としてもあり得べからざる事態。

 誰が許しても、自分が許せない。

 騎士としての屈辱と、家族としての悲嘆、それがシグナムを突き動かしている。

 

 

「止めるな、シャマル……主はやてが、外道の手にあるというに。私が、ここで……っ、ぐ」

「まだ無理よ、シグナム。傷が……」

 

 

 赤い染みを作り始めた包帯に、自分の肩に食い込む手指に、シャマルは弱々しい声を上げる。

 傷がすぐには治らない、それは人間ならば普通のことのように思うだろう。

 しかし、シグナム達は魔法生命体――プログラムである。

 以前であれば、10年前であれば魔力の供給によって物の数秒で治癒できたのに。

 

 

 しかし今では、彼女達ヴォルケンリッターの治癒力は全盛期に比べ格段に劣っていた。

 傷はすぐに癒えず、下手を打てば病にもなるだろう、そしてはやてからの魔力供給の影響も細るばかりだ。

 守護騎士プログラムの劣化、とシャマルは判断している。

 思えば10年も稼動したのは……少なくとも『闇の書』の時代には、初めてのことなのだから。

 

 

「ヴィータちゃん!!」

 

 

 シグナムの身体を無理矢理にベッドの上に押し付けた後、シャマルは慌ててヴィータを追った。

 ヴィータは、シグナムに比べればまだ傷は浅い。

 しかし深く無いわけではない、実際、後ろから抱きとめた身体は熱を持ってフラついていた。

 

 

「離せよ……っ、はやてが……はやてが、待ってんだ……!」

「ダメよ――――死んでしまう……!」

 

 

 死んでしまう、などと人間のようなことを言う。

 しかし実際、10年前と異なる彼女達の身体には「死」と言う概念があるのかもしれないのだ。

 その人間らしい変化を一番喜んでいたのはヴィータで、だからこそ皮肉だった。

 

 

「離せ!」

「嫌よ!」

「シャマルは――――平気なのかよ!? はやてが、痛がってるかもしれない……苦しんでるかもしれないんだぞ、泣いてるかもしれないんだ! なのに、何でそんな平然としていられるんだよ!?」

「平気なように――――見えるの?」

 

 

 耳元の掠れた囁きに、ヴィータは押し黙った。

 自分の身体を抱いて止める腕が震えていることに、胸元の鈍痛で気付く。

 気付いてしまえば、もう、振り払うことは出来なかった。

 

 

「はやてに……会いたいよ」

 

 

 その時のヴィータの声は、幼子のようだった。

 何の力も無い、少女のようだった。

 少女の背中とベッドの上で泣く2人は、ただの女のようだった。

 騎士でも魔導師でも、ましてやプログラムでも無い。

 

 

「私……私達、何もできなかった。何も知らなかった……騎士なのに、家族なのに、何も……なに、も」

 

 

 はやては、自分達に何も教えてはくれていなかった。

 何でも知っていると、理解していると、支えていると馬鹿みたいに信じていた。

 だが、現実は……こんなはずじゃなかった、そんな状態で。

 

 

「……まずは、身体を治しましょう」

 

 

 だからこそ、シャマルはそう言った。

 

 

「傷を癒して、一刻も早く万全な状態にして、一日も早くはやてちゃんを見つけ出すの。そして私達で、助けるの。絶対に……絶対に」

「はやて……はやて、はやて、はやてぇ……」

 

 

 しばらくの間、その病室に少女の啜り泣きが響いた。

 それは愛しい家族の名前を呼ぶ声であり、後悔と……そして。

 再起への、鼓動のようにも聞こえた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……酷い有様ね。

 機動六課隊舎――いや、もはや隊舎跡と言った方が良いだろうか――を見上げながら、ティアナはそう思った。

 実際、戦闘機人3人と無数のガジェットに襲撃された六課は、まさに「酷い有様」だったのだから。

 

 

 隊舎正面から奥に向けて大きく抉られ、隊舎前の道路には大小のクレーターが出来ている。

 湾岸の堤防にも損傷があり、ヘリポートや訓練スペースもいわずもがな。

 以前のような機能を取り戻すには、しばらくかかりそうだった。

 幸いなのは、最も重傷の副隊長陣を含めて死者がいなかったことだろうか。

 

 

(まぁ、私自身が再建について考えることは無いけど……)

 

 

 隊舎のことも、地上本部のことも、そして――――部隊長のことも。

 課長・部隊長の代行・代理であるなのはとフェイト、そしてロングアーチとバックヤードを束ねるグリフィス達が考えるべきことだ。

 それよりも、新人フォワード4人のリーダー格であるティアナが目下考えなくてはならないのは。

 

 

(あっちのチビっ子2人のことね)

 

 

 スバルについては、良くも悪くも心配はしていない。

 ただ、ティアナの前で寂しげに半壊した隊舎を見つめているエリオとキャロについては、何とかしなければならないと彼女は自分に課していた。

 珍しく自分の頭の上に乗ってきているフリードの存在も、そう思わせる一因なのかもしれない。

 

 

「良かったじゃない」

「「え?」」

 

 

 幾分か自覚して明るさを滲ませた自分の声に、エリオとキャロが顔を上げる。

 見上げてくる視線に僅かな不可解と不快の感情を感じながら、ティアナは極めてドライに言った。

 

 

「誰も死んでないもの、ならいくらでもやり直せる……そうでしょ?」

「それは……」

「でも……」

 

 

 怪我は治せば良い、建物は建て直せば良い、組織は再編成すれば良い。

 そのどれもが取り返しのつく状態である限り、不必要に悲観する必要は無い。

 ティアナは6歳年上の「お姉さん」として、そう強がりを言ってみせた。

 

 

 エリオとキャロの寂しさは、彼女にもわかる。

 特にこの2人は初配属なのだ、聞き及んでいる境遇から考えても……「自分の居場所が壊された」、そう感じてしまっているのだろう。

 ティアナとて、濃密な時間を過ごした場所の無残な姿は見ていて辛い。

 しかし、ドライな部分が「場所は場所でしかない」と告げるのだ。

 

 

「アンタ達の居場所って、どこよ? 六課の隊舎? 違うでしょ、今は――――ここ」

 

 

 あ、と子供達が声を上げるのも構わず、ティアナはエリオとキャロを自分の両側にそれぞれ立たせた。

 右にエリオ、左にキャロ、頭の上にはフリード……これで正面にスバルがいれば完璧だ。

 機動六課、フォワードチームとしての彼女達の布陣だ。

 

 

「寝泊りする場所が変わるだけ、後は前と何もかも一緒。私達は来年の春まで六課のフォワードのメンバーだし、隊舎が壊されたってそれは変わらないわ。だから、そんな寂しそうな顔しないの」

 

 

 ぽんっと、頭を叩きながらそう言ってやると、2人の子供は強張っていた表情を少しだけ緩めた。

 そのこそばゆい視線から逃げるように、ティアナは視線も手も離して明後日の方向を見る。

 ああ、柄にも無いことをしたと、そう強く思いながら。

 

 

(とはいえ、かなり危機的な状況には違いないのよね……)

 

 

 地上本部は壊滅し、六課は部隊長と隊舎を失った。

 自分が考えることでは無いとは言え、不安にならないわけでは無い。

 いったい、上の人々はどうするつもりなのだろうか……?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「今、俺が何を考えてるかわかるか?」

 

 

 らしくない質問を、イオスは枕元に膝をそろえて座る――妖精サイズなので、人形のようにも見える――リインに対して告げた。

 受けたリインは、すぐ目の前にある横顔に首を傾げて見せた。

 イオスが、何を考えているのか、と。

 

 

「……はやてちゃんを助けに行きたい、とか?」

「惜しいな」

 

 

 一つ頷いて、イオスは答えた。

 

 

「正解は、八神さんを殴りに行きたい、だ」

「あれ?」

 

 

 再びリインは首を傾げた、今度は頬に一筋の汗を垂らしながらだ。

 彼女のイメージと若干違う、しかもその若干の部分の意味合いが違ったためだ。

 そんなリインに鼻を一つ鳴らして見せて、イオスは変わらず天井を見上げ続けた。

 

 

 もしかしたら、リインはイオスがはやて救出に二の足を踏んでいるとか、あるいは責任を感じているとか、いずれにせよ悶々としていると思っていたのかもしれない。

 事実、話を聞いた直後にはイオスとてそう感じることはあった。

 が、よくよく考えてみれば、こうも思うのだった。

 ここは、怒って良い所だと。

 

 

「俺を守るためだか何だか知らねぇが、勝手なことしてくれやがって……見つけたらまずは殴る、そして説教だ、この10年で何を学んでいやがったんだあの後輩」

「い、いや、あのー……ここは普通、はやてちゃんを救うために誓いを立てたりする所じゃ」

「映画の見すぎだ馬鹿、と言うか、今回ばかりはかなり腹立ってるからな俺」

 

 

 1人で勝手に怯えて、1人で勝手に何もかもを用意して、1人で納得して拉致される。

 正直に言おう、ちょっと待てと。

 『闇の書』事件の時と、何も変わっていない……酷くなってすらいる。

 失いたくないものが増えたからだろうが、しかし、それでも。

 言いたいことの一つや二つ、できようと言うものだった。

 

 

「ウジウジ悩んで足踏みするのは、『闇の書』の時とフェイトが執務官試験に受かった時にもう卒業してんだよ。だから今さら、どうこうは言わん。ただ……心配しないわけじゃない、が」

 

 

 もちろん、スカリエッティなどという外道な次元犯罪者の下に拉致されれば……碌な目には合わないだろう。

 だから心配するし、助けには行きたい。

 しかし現実的に、今、彼に出来ることが無いと言うのも事実だった。

 

 

「腹が立つとすればそこだな、畜生、戦闘機人対策もまるで思いつかねぇ……」

 

 

 苛立たしげに舌打ちする、何しろイオスがチンクを始めとする戦闘機人に敗北したばかりなのだ。

 ここで「絶対に勝てる」という程、イオスは自信家ではなかった。

 だから彼が苦しむとすれば、そこだった。

 

 

 彼の魔法は、チンクやセインなどには効果が無い可能性がある。

 他の戦闘機人も強力だ、またそれでなくとも……最高評議会のこともある。

 あらゆる意味で、力が足りない。

 悔やむとすれば、苦い想いを抱くとすればそこだ。

 打開できない現実に、イオスが表情を歪めたその時。

 

 

「……私は、そのために来たです」

 

 

 そっと、リインの小さな手がイオスの頬に触れた。

 イオスの頬にそっと自分の頬を寄せながら、淡い魔力の光を放ちつつリインは言う。

 

 

「私が、貴方の力になります」

 

 

 リインは言う、自分はイオスの力になるために来たのだと。

 今後、彼女はある命令に従ってイオスに自分の力の全てを貸すのだという。

 そしてその命令は、陳述会直前にはやて自身から下された最後の「お願い」。

 自分にもしものことがあったなら、イオスの所に行けと。

 

 

「だから……だから、はやてちゃんを助けてくださいです……!」

 

 

 涙ながらに訴えて、リインは一つの表示枠を開いた。

 イオスの目の前に開かれたそれは、録画されたメッセージだ。

 極めて短い、用件のみを伝えるような……そんな、メッセージだった。

 リインの手によりスタートされたそれに、イオスは目を細めた。

 

 

『……ええと、これもう映っとるん? 映っとる? あ、そう、じゃあもう始めんと……あー、改めてやと、何か照れるなぁ』

 

 

 それは。

 

 

『……ええと、イオスさん、ご無事で何より……やったらええなって、思います』

 

 

 それは、八神はやてからの「ラストメッセージ」だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――薄暗い、何も見えない。

 唯一の例外は、時折周囲に見える電子的な輝きだけだ。

 その輝きは、周囲から中心へと断続的に注がれている物も含まれる。

 

 

 うっすらとした輝きの中に見えるのは、華奢な体格の女性だった。

 幾十幾百の細いコードのような物に縛られた彼女は、両腕を広げ、両膝を床につけて……先の見えない天井から吊られたマリオネットのようにも見える。

 力無く項垂れる女性、しかし茶色の前髪の間から覗く眼光は鋭い。

 

 

『――――私のラボへようこそ、八神はやて君。いや……』

 

 

 目の前に開いた表示枠に、その眼は注がれていた。

 その画面の向こう、紫の髪に金の瞳の、白衣を着た男。

 彼女の、抗うべき「敵」だ。

 

 

『――――<夜天の王>、この世界の汚濁を祓う私の翼……』

 

 

 言葉に、眼光はさらに鋭さが増す。

 その間にも、女性の身体に巻きついたコードを通じて光が行き来している。

 そんな彼女の胸元には……。

 

 

 ――――黄金の剣十字が、何かに抵抗するように揺れていた。

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
ヴィヴィオ、無事です。
つまり聖王陛下覚醒せず、ただの子供です。
これひょっとして、ヴィヴィオ10歳時点での物語に凄まじい影響を与えますか。
まぁ、たぶんしないですけど……未来編とか遊んでみましょうか。

その代わりに再び夜天陣営が大ピンチです。
早くスカリエッティさんの計画について語りたい。
次回も頑張ります。

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