魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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StS編第15話:「査察官、結末の形」

 

「くたばれええええぇぇぇ――――ぇッッ!!」

 

 

 青いスーツに細身を覆った赤髪の少女の叫びと共に、イオスの右腕に凄まじい負担を生み出した。

 赤髪の少女の蹴りを彼は回避せず、鎖を巻いた右腕の手甲でもってそれを受け止めなくてはならなかった。

 イオス自身、額から血を流し……空色のバリアジャケットは所々が破れ、焦げ付いている。

 

 

「ぐ、く……くそ、がぁ……っ……!」

 

 

 ミシミシと身体の中に響く骨の軋みに悪態を吐く、水色の瞳の片方は切れた額から流れた血が入って朱色に染まっている。

 身体中に打撃と爆発の傷を受け、流れた血が地面に飛び散った跡が各所に見える。

 それでも彼がその場から離脱しない理由は、負傷では無い。

 

 

 その腕に抱いた、濃紺の髪の女性のためだ。

 

 

 イオス以上に深刻な負傷を、特に左腕に受けている彼女のために。

 その女性を守るために、今、彼は必死で敵の蹴りを堪えている所だった。

 赤い血とそれ以外の何かを流す彼女を左の腕で掻き抱いて、彼は耐えるのだった。

 

 

「うおおおおぉぉぉ――――ッッ!!」

「――――――――ッッ!」

 

 

 赤髪の少女の気合いを乗せた声に、右腕がさらに軋みを上げる。

 ガクリとつきそうになった膝を叱咤し、イオスはその少女を睨み据える。

 女を抱く左腕に力を込めて、耐えながら、思う。

 

 

 なかなか不利な状況に陥ってしまったものだ、と。

 何故こうまで不利な状況になってしまったのかと言えば、それはほんの10分か20分ほど前。

 この赤髪の少女を含めた3人の「戦闘機人」の迎撃を受けた所にまで、遡ることになる――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――これはこれは、とイオスは思った。

 目指す場所は地上本部の上層部が集合しているだろう大会議室、今いる場所はそこからまだ距離がある場所、隔壁などの迂回を目的に潜った地下通路だ。

 彼はそこでギンガと共に、やや懐かしい顔ぶれと出会っていた。

 

 

「これはまた随分と……って言うか、またお前か昆虫戦士(ガリュー)

「…………」

 

 

 まずイオスの目を引いたのは、紫のマフラーを揺らす黒い人型召喚虫だった。

 彼がいると言うことは、間違いなくルーテシアもいるのだろう。

 ルーテシアが自由になっている、と言うことは、連れて行った最高評議会関連がミスをしたか。

 それとも……。

 

 

「お前らの仲間、あの潜行能力持ちの奴の仕業かい?」

「それを貴様に答える筋合いは無いな」

 

 

 そう言うのはチンク、すでに両手の指の間に例の金属製のナイフの束を挟んで構えている。

 話し合いは無用、最初から臨戦態勢である。

 コートの端をたなびかせながら両足を広げて立ち、眼帯に覆われていない隻眼がこちらを見る。

 

 

「ついでに言えば、今回はお前よりむしろそっちの女に用がある」

 

 

 それを聞いたギンガは、弾かれたように身を低くした。

 細かい事情などはわからない、が、確かにチンクは自分を見ている様子だった。

 彼女の勘が告げる、おそらくは自分の事情による何かなのだろうと。

 それは(クイント)のことであり、あるいは自分の「身体」のことであろう。

 ふと気付けば、首をやや回して自分を見ているイオスの視線に気付いた。

 

 

 反射的に、首を横に振った。

 知らない、そうジェスチャーで示してしまった。

 胸の奥にすっきりしない気持ちを抱えたが、しかしそうしてしまったのだ。

 幸いなのは、イオスがそれ以上の追及をしてこなかったことだ。

 彼はチンクを睨むと、先程の言葉の真意を糺そうとした。

 

 

「あん? そいつぁいったい――――」

「御託はどーでも良いっスよ、細かい事情なんざどーだって良いじゃないっスか」

 

 

 しかしそれは遮られる、濃いピンクの髪を頭の後ろで雑に束ねた少女によって。

 右腕の大きなボードを抱えたその少女は、ウェンディだ。

 彼女は笑みを浮かべて、しかし苛烈な感情を瞳に込めてイオスを睨んでいた。

 

 

「この痣の恨み、晴らさせてもらうっスよ……!」

 

 

 ぐい、とスーツの首元をこちらへと見せてくる。

 そこには、確かにうっすらとだが赤黒い横一線の痣が出来ていた。

 前回の戦いで、ボードで加速した際に設置型のバインドにかかった時のものだろう。

 消すことも出来たが、彼女はあえて残していた。

 

 

「忘れないっスよ、あの時のことは……!」

 

 

 聞きようによっては凄まじく誤解が生じそうな発言だ、と、イオスは他人事のように思った。

 と言うのも、彼にとってウェンディの身体に痕をつけたことはそれ程の意味をもたない。

 撤退戦の最中、追撃してくる敵の足止めに容赦のよの字も考えてやる必要は無いからだ。

 

 

「……実は、それほど覚えちゃいないんだけどな」

「はぁ!? 女の子の身体を傷物(キズモノ)にしておいて、そんなこと言うんスか!? どんだけ鬼畜なお兄さんなんスか!?」

 

 

 さらに表現が危なくなった、何故だ。

 

 

「どいてろ、ウェンディ。そいつはあたしがブッ飛ばす」

「なっ、ノーヴェ! ズルいっスよ、そいつはあたしの得物っス!」

 

 

 ウェンディの肩を掴んで、前に出て来た少女がいた。

 名前をノーヴェと言うらしいその少女は、ウェンディ以上にキツい眼差しをイオスに送っていた。

 その金の瞳は瞳孔が開かんばかりに見開かれており、視線だけでイオスを殺そうとでも言うかのようだった。

 

 

「お前、あたしの姉妹が世話になったらしいじゃないか」

 

 

 言葉の端々から怒気を感じる、もはや憎まれていると言っても良いくらいだ。

 服装はチンクやウェンディと同じ青の装甲付きのスーツ、身体付きはウェンディの方が女性らしい曲線が多く、チンクの方が小柄で細い、しかしノーヴェ自身には他の2人には無いシャープさがあるように思える。

 身体の造りの方向性としては、むしろスバルやギンガに近いかもしれない。

 

 

 ただスバルやギンガの髪色が青系統であるのに対して、ノーヴェは燃えるような赤い髪だ。

 エリオのような目の覚めるような色では無く、まさに燃える炎を顕現したかのような赤。

 そしてそれ以上に、苛烈な熱情を宿した瞳。

 その瞳の輝きに呼応するように、彼女の足元から金色の粒子が浮かび上がる。

 

 

「アレは……!?」

 

 

 そして次の瞬間、ノーヴェが生み出した物を見て、ギンガが驚愕に息を飲んだ。

 何故なら、ノーヴェが金の粒子を固めて造り出したそれは。

 

 

「IS、『ブレイクライナー』……!」

 

 

 色こそ違うが、ギンガやスバルが造る空の道。

 『ウイングロード』、そのものだったからである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 厳密にはギンガやスバルのそれとは違う、しかし効果は同じようだった。

 狭い空間を有効に活用するように展開されたそれは極めて短い、しかしだからこそ虚を突くには十分だった。

 ノーヴェと言う赤髪の少女は、空中の金色の道から飛び降りるように右腕を振りかぶり。

 

 

「くらぁええええぇぇ――――ッ!」

「……!」

 

 

 一瞬の虚脱状態から脱したのは流石と言うべきか、ギンガが『ブリッツキャリバー』のローラーを回す形で移動、ノーヴェが跳び下りるその先に回り込んだ。

 その際に振り下げた左拳を、ノーヴェの右拳を迎撃するように振り上げる。

 次の瞬間、激突した。

 

 

「……!」

 

 

 その際、ギンガは驚愕に目を見開いた。 

 と言うのも、ノーヴェの右腕に装着された篭手だ。

 黄色いシリンダーのような部品を露出した無骨なそれは、どこかギンガの『リボルバーナックル』を思わせる形状をしていた。

 つまり、ノーヴェ自身のスタイルが自分と似ていることに驚いたのである。

 

 

(この子、まさか……!)

「あたしの攻撃を受け止めるとは、流石だなタイプゼロ。だがなぁ……!」

 

 

 タイプゼロ、その呼び名にギンガは奥歯を噛み締めた。

 左腕にかかる圧力による物では無い、言うなれば過去の「続き」への感傷だ。

 そして感傷に浸っている間は彼女には無かった、何故なら。

 

 

 何故ならば、彼女の右側に黒い影が現れたからだ。

 視界の端に映る紫のマフラー、ガリューである。

 腕の突起物に魔力を通し、ドリルのようにギンガを狙って突き出してくる。

 右側、ギンガにとっては死角とも言うべき側だ。

 

 

<Chain bind>

 

 

 しかしその動きは、銀の鎖によって阻まれる。

 ガリューの腕に鎖が巻き付いて引かれ、ギンガへの攻撃を阻止する形になる。

 そしてその次の瞬間、イオスがガリューの背後に短距離転移した。

 いつかのように蹴りを繰り出すその蹴りは、しかし今回はガリューを捉えることは無かった。

 

 

「うお……だっ!?」

 

 

 大きく屈んで蹴りをかわされる、流石に二度も同じ手が通じるわけではなかったらしい。

 逆に鎖を捕まれ、強く引かれて地面に叩きつけられる形になる。

 左肩を強く打ち、表情を苦悶に歪めるイオス。

 

 

「イオス一尉!」

 

 

 叫んで、身を回転させてノーヴェの攻撃を後ろへと流し、ギンガがガリューに飛び掛った。

 

 

「うおおおおおおぉぉっ!!」

 

 

 左拳をガリューのガードの腕に叩きつけ、その威力のままに吹き飛ばした。

 巻かれたままの鎖を引いていきながら、ガリューは遥か遠くの壁にまで吹き飛ばされた。

 

 

「……っ!」

 

 

 と言って、イオスも助けられてばかりでは無い。

 残りの腕の鎖を跳ね上げ、ノーヴェが右拳の篭手から放った無数のエネルギー弾丸を弾き飛ばす。

 そしてガリューから鎖を解き、地面に膝を立てながら自分とギンガを守るように鎖の網を張った。

 そして次の瞬間、聞き覚えのある複数の金属音。

 イオスの鎖に触れたチンクのナイフである、爆発し、2人は爆煙の飲まれる形になる。

 

 

『――ッ、ダメだ、前と逆……多勢に無勢って奴だ!』

『はい……!』

 

 

 前回の戦いではフォワードの4人と1匹の存在が、イオス側に数的有利を生み出してくれていた。

 結果、ルーテシアの捕縛と『レリック』のケース奪取と言う戦果を得ることが出来たのである。

 しかし今は違う、逆に敵のほうが数が倍いる分不利にならざるを得ない。

 しかもチンクにしろガリューにしろ、イオスやギンガと比べて申し分ない力を持っている。

 

 

『これはちょっと、逃げの一手に徹した方が良いかも……って』

 

 

 ナイフの爆発の煙が晴れた所で、イオスは表情を引き攣らせた。

 何故なら、視線の先でボードを横に構えているウェンディの姿を捉えたからだ。

 ボードの先端には、砲撃直前のスパークを灯すエネルギー弾があった。

 

 

「――――『エリアルキャノン』」

 

 

 そして、砲撃。

 イオスを狙ったそれに、ギンガが即座に反応を見せる。

 自分以外の仲間のために動く、それは実に人間らしい動きだった。

 左拳を握り、排熱しつつ濃いピンクのエネルギーの塊に叩き付けた。

 

 

「――――ッ」

 

 

 『リボルバーシュート』、シューティングアーツの基礎に忠実な動きで砲撃魔法と勝負する。

 正拳突きのような形の打撃が、ウェンディの砲撃の爆破の衝撃を散らすように防いだ。

 衝撃の強さに顔を顰めるギンガの顔が灰色の爆煙の中に消えるのを、ウェンディは口笛を吹きながら見ていた。

 

 

 爆煙の中、ギンガは左腕を引く形で一歩を下がった。

 ウェンディの砲撃の衝撃は思いの他強く、唇から覗く噛み締めた歯がそれを物語っていた。

 しかし彼女に休む暇は無かった、左側の煙が揺れ、そこから右拳を構えたノーヴェが突撃してくる様が視界の端に入ったからだ。

 

 

「なろ……っ!?」

 

 

 イオスはそれに対し、鎖の防御を行おうとして――出来ないことに気付いた。

 見れば、鎖の線材……つまり環状の輪のいくつかが金属製のナイフによって縫い止められていたのである。

 金属製のナイフ、驚愕するイオスの耳にチンクの静かな声が届く。

 

 

「――――爆発物に変えるかどうかは、私の「任意」によって決定される」

 

 

 先程のナイフによる投擲の中に、爆発物に変化されていなかった物があったのだ!

 その事実に気付いた一瞬が、致命的だった。

 イオスの妨害に合うことなく、そしてギンガの防御が整う間も与えずに。

 ノーヴェの右拳が、ギンガを捉えたのだ。

 

 

「く、ぁ……っ!」

 

 

 咄嗟に左腕を上げガードする、が、ノーヴェの右拳はギンガを確実に打撃した。

 その強力な腕力と膂力によって繰り出された一撃は、『リボルバーナックル』に守られていない二の腕寄りの肘に命中した。

 ――――ギンガは、左腕と肩、脇腹に異様な感触を覚えた後。

 

 

「ギンガさんッ!!」

 

 

 イオスの悲鳴のような声を最後に、視界の回転と共に浮遊感を得て――――。

 ――――途絶えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 その時、不意に背筋に寒気を感じてスバルは動きを止めた。

 その眼前では、今し方スバル自身が必倒の『ディバインバスター』を叩き込んだⅢ型ガジェットの巨体がよろめき、倒れた所だった。

 着地し、後ろを振り向くような体勢だった彼女の前で、ガジェットが爆発する。

 

 

 バリアジャケットの一部である白いハチマキを爆風に揺らしながら、スバルはどこか遠くを見るような目をしていた。

 その胸には、彼女自身何故かはわからないが……どうしようもなく焦燥感が漂ってきていたのだった。

 まるで何か大切な物を壊されたかのような、そんな気持ちだった。

 

 

「スバル! 何をボサっとしてんの!」

「ご、ごめん、ティア。でも……」

 

 

 中衛にいたティアナが、それまで最前線を走り続けていたはずのスバルに追いついてきた。

 いつもならガジェットを破壊した後も走り続けているだけに、ティアナにはスバルの突然の停止の理由がわからなかった。

 負傷や不調かと思えば、そう言うわけでは無さそうだ。

 むしろ、今にも泣き出してしまいそうな……そんな目をしていた。

 

 

「何よ、こんな時に」

「えっと……わ、わかんない」

「はぁ?」

 

 

 聞いているのはティアナだ、なのにスバルは「わからない」と言った。

 つまり、スバルは自分の行動の意味を自分で理解できていない。

 感覚による何か、と言うことだ。

 

 

「でも、何か……凄く、嫌な感じがするの。私にも良くわかんないけど、でも……」

「でも、でも、じゃわかんないわよ」

 

 

 と言いつつ、ティアナはこうしたスバルの勘が良く当たることを知っていた。

 だから無視するのは懸命では無いと理解している、が、具体性が無いことにも頭を悩ませていた。

 

 

「どうしたの、何か問題?」

「「なのはさん」」

 

 

 その時、教え子2人と共に地上本部地下のガジェットの殲滅を行っていたなのはがやってきた。

 白のバリアジャケットに身を包んだ彼女は、『レイジングハート』と共に後衛からの精密射撃に徹していたのである。

 それが前に出てきたのは、ティアナと同じ理由による。

 

 

 彼女はまずティアナを見て、それからスバルを見た。

 そして、不安に揺れる彼女の瞳を認めると首を傾げた。

 どうしたの、と言う言葉が聞こえてきそうな眼差しだった。

 スバルは、そんななのはの静かな眼差しに形の良い眉を困ったように眉を寄せた。

 

 

「……スバル?」

「あー……その」

 

 

 いつになく歯切れの悪いスバルに、なのはは内心で不思議を感じた。

 スバルは何かを感じている、が、それを言葉にできないでいる。

 こういう場合、なのはは……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 機動六課は、危機的な状況に陥っていた。

 と言うのも、オットー・ディード・ディエチの3人の戦闘機人はザフィーラ・シャマルの2人によって抑えられているけれども、雑兵とも言うべきガジェットの攻撃までは2人には捌けないのである。

 もちろんヴァイスなどが援護してはいるが、それでも多勢に無勢なのは変わらない。

 

 

「くそ、このままじゃジリ貧だぜ……!」

<I think so>

 

 

 ヴァイスの言葉に『ストームレイダー』が応じる、彼らの周辺だけでも大変な状況になっているのだった。

 消火活動に当たっていた男性職員がシャマルの防御を抜けて来たミサイルの爆発に巻き込まれて負傷する事例が相次ぎし、そしてその数は着実に増えているのである。

 隊舎の鉄柱や木材が焼け落ちる嫌な匂いが充満し、そこに血と汗と涙と鼻汁が加わるのである。

 まさにここは、戦場だった。

 

 

「負傷者はとっとと下げろ! バックヤードの連中は無事なんだろうな!?」

「女子連中が守ってるから、大丈夫だぁ!!」

「ヴィヴィオちゃんはどうしたぁ!?」

「フィニーノさんと一緒のは……って、デカいの来るぞぉ!!」

 

 

 後続の声にヴァイスが顔を上げれば、そこには飛行型ガジェットが一斉に空対地ミサイルを放つ姿が見えた。

 シャマルはディエチの砲撃を受け止めるので精一杯だ、ザフィーラも結界の向こうに消えて以来戻らない。

 舌打ち一つ、自分がやるしかないと腹を決めた。

 

 

「『ストームレイダー』!」

<Snip shot>

 

 

 銃身下のクリスタルを煌めかせて、ヴァイスと『ストームレイダー』が精密射撃の連射に入る。

 とはいえヴァイスの魔力値は良くて自称凡人のティアナの半分、多重弾殻弾頭の連射もいつまでも保たない。

 それは、苦しげなヴァイス自身の顔を見れば一目瞭然だった。

 

 

「畜生、せめてなのはさん達の誰かが戻って来るまでは……っ!?」

 

 

 その時、ヴァイスの表情が引き攣った。

 ヴァイスと『ストームレイダー』が撃ち抜いたミサイルの爆発の向こうから、まるでタチの悪い雨のような勢いでミサイルが降り注いで来たからだ。

 それは彼が後続に「伏せろ!」の言葉を紡ぐことすら許さずに、彼がいる隊舎正面に殺到した。

 

 

「ヴァイス君!! ……あうっ!?」

 

 

 シャマルが背後のミサイル群の炸裂に気を取られた瞬間、彼女を2つの衝撃が襲った。

 一つは、彼女の防御を相殺して割ったディエチの砲撃、そして背後から来たミサイルの爆風だった。

 彼女の軽い身体が後者によって吹き飛ばされ、熱風に煽られるように地面へとうつ伏せに倒れる。

 ――――そしてそれが、致命的な隙となった。

 

 

 しまった、と頭の中で思った時にはもう遅い。

 柔らかな身体を固い地面に打ち付けた痛みを堪えて顔を上げれば、そこには。

 そこには、すでにシャマルに向けて無反動砲を構えたディエチの姿があった。

 

 

「もらった……!」

 

 

 IS『ヘヴィバレル』、自身のエネルギーを無反動砲――狙撃砲『イノーメスカノン』の砲弾へと変換する技能を発動する。

 照準は変わらずシャマル、彼女を沈めれば結界も解け、かつ六課の隊舎を守る者はいなくなる。

 そうすれば、彼女達の目的である「例の娘」を確保することも出来るだろう。

 ルーテシアがこちらに来れていれば、もう少し楽に目的を遂げることが出来ただろうが。

 

 

 しかし、それももはや時間の問題だった。

 この一撃で、六課の守りを完全に崩壊させることが出来る。

 だから彼女は、欠片の躊躇も見せずに引き金を引こうとした。

 

 

<Haken form>

 

 

 ――――その時、聞こえたのは低い電子音だった。

 そして彼女の人並み外れた視力を持つ瞳は、もしかしたなら稲妻の端を捉えたかもしれない。

 顔も身体も向けない、反応できたのは瞳だけだ。

 精密機械の駆動音を立てながら動いたそれは、確かにその姿を捉えた。

 

 

 黒衣の死神の姿を。

 隊舎を焼く炎の赤に煽られ、同時に夜の漆黒に映える白のマントに金糸の髪。

 制服じみた黒服に、太腿までを覆う黒のオーバーハイ、手足を覆う銀の装甲。

 その手に握るのは、稲妻を友とする漆黒の大鎌……。

 

 

「……っ」

 

 

 ディエチが息を飲み、跳ね上がるように身を翻そうとしたその一刹那。

 赤い瞳が鋭く光を放ち、大きく振りかぶったそれを容赦なく振り下ろした。

 

 

「『ハーケンスラッシュ』……!」

 

 

 流石の反射神経と言うべきか、ディエチは直撃は何とか避けた。

 しかし、回避しきれはしなかった。

 何故ならばフェイトの斬撃によって、彼女の持つ狙撃砲が半ばから断ち切られてしまったからである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……頬に何かの飛沫が飛ぶ感触と、肩に感じる強い力にギンガは意識を覚醒させた。

 意識と触覚の次に覚醒したのは、聴覚と視覚だった。

 聴覚に響くのは金属音と打撃音、風を切る音、そして視覚に映るのは水色の髪。

 下から見上げるその顔は、見覚えがある……。

 

 

「イ、オス、一尉……? って、きゃあっ!?」

「おっと、起きたかギンガさん……!」

 

 

 ガクンッ、と身体が人形のように軋む。

 しかし気付いてしまえば、今の自分の体制はまさに人形のようだった。

 力の抜けた自分の身体を、イオスが右腕一本で身体の前で抱き抱えている状態だ。

 そして頬に飛んだ飛沫は、彼の額や頬から滴り落ちる赤い……!

 

 

「イオス一尉!?」

「舌噛むぞ……!」

 

 

 再び身体が力なく揺れる、イオスが後ろに跳んだためだ。

 人間1人を抱えてのバックステップ、魔力強化が成されたとは言え厳しいだろう。

 しかしそうしなければ、正面から飛び込んできたガリューの攻撃が顔面に直撃するのだ。

 下がる際、足先で円の3分の1を描くように地面を削る。

 

 

 するとそこから水が噴き出るように流水のカーテンが築かれ、ガリューの放つ一撃を受け止める。

 水の表面が弾けて飛び、突起物の先端が眼前にまで迫る。

 しかしほんの数ミリの距離で伸びが足りなかった、元より防御のためのスクリーンでは無い。

 いわば、距離感を錯覚させるためのレンズのような物だったからだ。

 ガリューのような召喚虫に効果があるかはわからなかったが、あったらしい。

 

 

「……く、ぉらぁっ!」

 

 

 左腕を振り、突き出されたガリューの腕に鎖を巻きつけて引く。

 鎖を擦れ合わせる音が響くと同時に、前へ跳んで蹴りを入れる。

 ガリューの身体が吹き飛び、しかしギンガを抱えているためかいつもより遠心力がつき、ぐるりと半回転した体勢で着地した。

 

 

「……だぁっ、クソが!」

「はあああぁぁ――――ッ!」

 

 

 1つを捌けば次が来る、少数側の苦しい所だった。

 とりあえず、イオスとしては背後から回り込んでいたノーヴェの一撃を何とかする方が先だった。

 幸い、ガリューへの一撃で後ろ向きに着地したおかげで正面から迎え撃つことが出来る。

 しかし、左の鎖を戻す際にそれが出来ないことに気付いた。

 

 

「貴様のデバイス……鎖自体は無機物だ。射出の際に無機物構成と操作の術式を同時に込めることで射程距離を任意にしている。例外は手甲と先端のクリスタル部……」

 

 

 視線の先、いつからそこにいたのか。

 跳躍の最中なのだろう、銀の髪を靡かせてチンクがそこにいた。

 その手はナイフではなく、宙を舞う鎖を撫でるように緩やかに握っている。

 掌から漏れる黄色の光は、彼女自身の力の発現だ。

 ――――つまり。

 

 

「IS発動、『ランブルデトネイター』」

 

 

 次の瞬間、イオスはその瞳を大きく見開いた。

 強力な砲撃魔法で消し飛ばすのではなく、それこそチンクにしか出来ない対『テミス』法。

 すなわち、魔力の通っていない無機物状態の鎖を。

 触れた金属を爆発物に変える、先天固有技能(インヒューレントスキル)で。

 

 

 爆発した。

 弾け、千切れ飛ぶ鋼の破片にイオスは瞳孔が開く程に目を見開いた。

 左の鎖が死んだ、しかしこれはそれ以上に大きな意味を持つ。

 例えば、今目の前にある脅威。

 

 

「ガンッ……ナァァ――――ックルッッ!!」

 

 

 ノーヴェの、ギンガ・スバルクラスの重い重い一撃。

 ガリューの一撃もチンクのナイフも捌くだけで良かった、しかしこれは別だ。

 左の鎖の防御は無い、流水の壁もノーヴェの一撃には無意味だ。

 後はもはや、自身の身体で受けるしか無い。

 腕の中のギンガが左腕の負傷で動けない以上、そうするしか。

 

 

「イ……!」

 

 

 踵で地面を蹴り、ノーヴェに背中を晒す形に……。

 

 

「イオス――――――――ッッ!!」

 

 

 ……なる、直前、そのイオス自身の腕の中から飛び出した女性がいる。

 ギンガだ、彼女は左腕を振り上げてノーヴェを迎撃する構えを見せていた。

 無理だ、と直感的にイオスは思った。

 

 

 何故ならギンガは先のノーヴェの一撃で、二の腕及び脇腹に深いダメージを負っていたのだから。

 骨が折れている状態で、筋肉にだって損傷があるだろう。

 何しろ、攻撃の瞬間にはノーヴェのナックルの形に二の腕が陥没したくらいなのである。

 それを、それを無視してギンガは左拳でノーヴェの一撃を受けた。

 

 

「うおおおおぉぉ――――ッ!!」

「……ッ、この!」

 

 

 苛立たしげに顔を顰めるノーヴェ、濃紺と黄色のエネルギーの余波が空間に波を起こした。

 そして威力はほぼ互角だったのか、お互い足裏を地面に引き摺りながら後退した。

 ……が、どうやら見た目程に互角では無かったようだ。

 

 

 イオスは見た、ノーヴェの一撃を支えきれずにギンガの『リボルバーナックル』が砕け散るのを。

 そして砕け散ったのは、デバイスだけでは無かったということを。

 後ろに仰け反って吹き飛ぶギンガの身体、飛び散ったのは赤い血だけでは無く……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――壊れても良いと思った。

 だからもう一度だけ力を頂戴と、母の形見に祈った。

 母がそうしたように、自分にこの人を守れる力を頂戴と。

 

 

「ギンガさん……!」

 

 

 仰向けに後ろへと倒れる自分を、力強い腕が抱きとめてくれる。

 そんな彼に、笑みを作ってみせようと思った。

 自分は大丈夫と、そう伝えようと思ったのだが……伝わらなかったらしい。

 何故ならイオスは、悲嘆と驚愕に表情を引き攣らせていたからだ。

 

 

「大丈夫なわけねぇだろ……!」

 

 

 左腕で抱え直し、まだ生きている右腕の鎖を展開してノーヴェの射撃による攻撃を弾く。

 黄色のエネルギー弾を弾いて、鎖がたわむ。

 しかしイオスには、そんなことを気にしている余裕は無かった。

 敵の攻撃では無く、身内の事情でだ。

 

 

 ギンガの左腕が、デバイスと共に潰れた。

 かなりの負荷がかかったのだろう、肘から骨が飛び出して血が噴き出ていた。

 だが、そこにあったのは普通の人間のような血と肉ではなかった。

 駆動関節と人工繊維、血の色をした潤滑材……それは義手とか、そう言うレベルでは無い。

 機械の身体、人造の生命、そんな存在をイオスは皮肉なことに一つ知っている。

 

 

「はっ、何だお前、そいつの正体を知らなかったのかよ!」

 

 

 宙を金の道に乗って走りながら、ノーヴェが嘲るように言う。

 

 

「そいつが……戦闘機人、タイプゼロ・ファーストだってことにさ!!」

 

 

 戦闘機人、その単語にこめかみを動かす。

 チンクのナイフの群れを右の鎖で捌き、背中に受けたガリューの蹴りにしかしギンガは離さず、倒れることを己に許さずにノーヴェの上からの一撃を跳んで回避する。

 バリアジャケット越しとは言え、衝撃がキツい。

 

 

「ほらほらぁ、あたしのことも忘れて貰っちゃ困るっスよぉ!」

 

 

 ノーヴェの道の陰から飛び出したボードの少女、ウェンディがイオスに正面から飛び掛る。

 イオスは歯を食い縛って顔を上げ、右足を大きく上げた。

 そして、突っ込んで来たウェンディのボードの正面を右足の裏で力尽くで止めた。

 右の太腿の肉と股関節が軋みを上げる感触に、イオスは獣のような唸り声を上げた。

 

 

「おおー、凄いっスねぇ~。で・もぉ♪」

「――――!」

 

 

 ボードの先を足裏で蹴り上げる、次の瞬間先端の砲口からピンク色の弾丸が放たれた。

 僅かにボードを蹴り上げ、もう片方の足で摺り足のように身体を移動させたおかげで直撃は避ける。

 しかし完璧な回避は無理で、肩の上――頬と耳が焼けたような気さえする――が焼かれてしまった。

 バリアジャケットが破れ、焦げた肌から黒ずんだ鮮血が飛んだ。

 

 

「い、イオス一尉……私を、置いて……」

「口、閉じてろ……!」

 

 

 ギンガの身体を両腕で抱き、ウェンディの砲撃に振り回されるように地面に足裏と膝を擦りながら威力のままに吹き飛ばされた。

 地面には、まるでマーキングのように赤い液体がこびり付いていた。

 そしてそれは、止まった後でも変わらない。

 むしろ止まった方が、身体から流れる血の量を意識して疲れが増す。

 

 

「私、普通の人間より、頑丈ですから……」

「黙ってろって……!」

「……イオス一尉だけなら、逃げ……」

「せぇっ! 黙ってろ!」

 

 

 普通の人間より頑丈だから大丈夫とか、イオスだけなら逃げ切れるとか。

 それを言うなら、タイミングが遥かにズレている。

 まぁ、言えなかったのであろうが。

 

 

「もしここでお前を放ったら、俺の頑張りとか負傷とかがまるっきり意味無くなるだろうがよ……! 言うの遅いって!」

「だ、黙ってて……すみま……」

「謝罪もいらん!」

 

 

 正直に言えば、イオスはかなり混乱していた。

 取り乱していたと言っても良い、ギンガが戦闘機人だという事実はそれだけで衝撃的だ。

 しかも相手の攻撃は未だ続いている、左腕が使い物にならなくなったギンガを抱えながらではダメージはどんどん蓄積されていく。

 失われていく血は、ただでさえ人から徐々に冷静さを失わせるのだから。

 

 

 ギンガが、戦闘機人。

 しかしそれでも、イオスにはギンガを見捨てて逃げると言う選択肢は無かった。

 ウェンディと、あと何故かノーヴェが自分を見逃してくれるとは思えない。

 それに何より、例え戦闘機人であったとしても、これまで共に捜査して、戦ってきたという事実は消えない……それに。

 

 

「何を、ごちゃごちゃと!」

 

 

 その時、再び金の道を駆けたノーヴェが上から飛び掛ってきた。

 しかも次は拳では無い、蹴り……『マッハキャリバー』にも似たローラーブレードを装備した足での蹴りだ。

 拳より得手なのか、鋭く速い蹴りだった。

 

 

「くたばれええええぇぇぇ――――ぇッッ!!」

 

 

 左の鎖はすでに死に、イオス自身にも回避するだけの体力はすでに残っていない。

 だから彼は、左腕に抱いたギンガの身体を引き寄せるようにしながら右腕を立てた。

 その右腕に、凄まじい一撃が直撃する。

 手甲とローラーブレードのスピナーが互い弾き合い、火花と共に異臭を放っている。

 

 

「ぐ、く……くそ、がぁ……っ……!」

 

 

 骨の軋む音と共に、『テミス』の手甲にも異常が現れてくる。

 鎖を断たれたことはあっても、手甲が砕かれたことは無い。

 しかし今、ノーヴェの攻撃の圧力によって手甲が砕けつつあった。

 

 

「うおおおおぉぉぉ――――ッッ!!」

「――――――――ッッ!」

 

 

 ノーヴェの咆哮と共に、膝が折れそうになる。

 しかし折らない、火花が頬の火傷を疼かせるがそんなことはどうでも良い。

 左腕、ギンガの肩を掴む指先に力を込める。

 柔らかな、普通の女性と変わらない薄く儚げな肩だった。

 

 

 視線を下げれば、泣きそうな、酷く弱気な瞳が自分を見上げていることに気付く。

 ああ、とイオスは思った。

 いつだったか、義妹にこんな瞳で見上げられたことがあったかもしれない。

 受け入れて貰えるかどうか、いや、叱られるのを不安がる子供のような目だ。

 そんな瞳を見て、だからこそイオスは……言った。

 

 

「――――ギンガさん!」

「は、はぃ……?」

「お前は人間だ、こんな連中とは違う! ――――なんて、ドラマや映画みたいに言える性格は俺はしてない! だからそんなことは期待しないでくれ、すまん!!」

 

 

 一瞬、驚きに目を開いて……そして、哀しげに目を伏せた。

 仕方ない、と言うような諦めの目だった。

 そんな彼女の反応を見つつ、イオスは続けた。

 

 

「だから、戦闘機人・ギンガとしてこれから付き合って行こう!」

「は?」

「お前は普通の人間とは違う! これはもう俺には覆しようの無い事実だ! そこはもう、現実を受け入れて頑張ってくれ! 俺も受け入れる、ギンガ・ナカジマは普通の人間じゃない、戦闘機人! よし受け入れた、だからお前らも勘違いすんなよ!!」

 

 

 身体の軸をズラすように後ろに無理矢理下がり、ノーヴェの蹴りの威力から逃れる。

 

 

「ぐ、おおおおおぉ……っ!?」

 

 

 それでも、イオスは右腕の骨の砕ける音を体内で聞いた。

 すぐ背後でノーヴェが着地する音を聞きながら、正面のチンクやウェンディを睨んで。

 

 

「俺がお前らを逮捕すんのは、お前らが戦闘機人だからじゃねぇ。お前らが犯罪者だからだ、それを忘れんなよ……!」

 

 

 ……言うなれば錯乱しての世迷言、要するにヤケクソ。

 極めて無責任だ、お前は今まで何を聞いてきたのかと言いたくなる。

 ただ、一つの真理でもある。

 ギンガは――卑屈などではなく――普通の人間には、なれない。

 

 

 映画のように、自分だけの王子様に「キミは人間だ」と言われることを夢見たことが無いとは言わない。

 義父ゲンヤや義母クイントは、どちらかと言えばそんな人達だったとギンガは思う。

 それは幸福で嬉しいことだ、だけど逆説的に「戦闘機人のギンガ」を否定する言葉でもある。

 だからイオスは言うのだ、「お前は戦闘機人だ、それ以外の何でも無い」、と。

 

 

「……イオス一尉、モテないでしょう?」

「……ぐ」

 

 

 血を失うのとは別の理由で、精神的にダメージを受けるイオスだった。

 それは確かに、イオスは彼女や恋人が出来たことは無いが。

 

 

「つーかお前、さっき俺のこと呼び捨てにしたろ」

「え……?」

「あ、覚えてないのね……まぁ、良いけど」

 

 

 自然な会話だ、ギンガの正体が露見する前と何も変わらない。

 イオスは確かに、幼い女の子が夢見るような王子様では無いのだろう。

 王子様にしては、現実的過ぎてつまらないからだ。

 ただ、ギンガにとっては……未知の喜びに繋がるかもしれない物だった。

 

 

 しかし、状況は何も変わっていない。

 ギンガがもはや戦闘に耐えられない以上、4対1の構図に変化は無いのだ。

 だから、全体を見ているチンクはイオスをこの場で沈めることは可能だと踏んでいた。

 だが、状況は時間と共に変わるものだとも彼女は知っていた。

 だからこそ、誰よりも早くその事実を察知することが出来た。

 

 

「さっきからゴチャゴチャとぉ……ッ」

 

 

 押せば倒れそうなイオスの背中、その中央を狙ってノーヴェが飛び込む。

 

 

「言ってんじゃねぇえっ!!」

 

 

 右腕の篭手から排熱しつつ、拳を振り下ろす。

 イオスにはもはや回避も防御も出来ない、しかも荷物(ギンガ)付きだ。

 直撃して、倒せる、彼女はそう踏んだ。

 だが――――。

 

 

「避けろ、ノーヴェ!!」

「え――――」

 

 

 耳にチンクの声が届いた、次の瞬間。

 ノーヴェは顔面……右頬に凄まじい衝撃を感じた。

 

 

(な――――!?)

 

 

 高速で回転する中で彼女が見た物は、ギンガに似た青色の髪の少女だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ノーヴェッ!!」

 

 

 叫んで反応したのは、ウェンディだった。

 彼女は自らのボード、『ライディングボード』で空中を駆けて救援に向かった。

 殴り飛ばされ、吹き飛んで来たノーヴェが壁に激突する直前、彼女の身体を受け止めることが出来た。

 

 

「ノーヴェ!」

「う、ぁ……」

 

 

 かなり強い一撃を叩き込まれたのか、右頬に痛々しい痕が残されている。

 いつも勝気な表情を浮かべている顔に出来たその痕に、ウェンディは流石に飄々とした表情を消した。

 瞳の中のセンサーを使用してチェックすれば、幸いフレームなどに致命的なダメージは受けていない。

 

 

 しかし最新鋭の戦闘機人であるノーヴェの意識を一時的にしろダウンさせる程の一撃、その威力の高さは想像するに生唾を飲み込んでもおかしくない物だ。

 ウェンディが顔を上げて睨めば、そこにいるのは水色の髪の魔導師でも濃紺の髪のタイプゼロ・ファーストでも無い。

 ――――少年のような短い青髪の、ハチマキを締めた少女だった。

 

 

「タイプゼロ・セカンド……!」

 

 

 現れたスバルのことをそう呼んで、チンクはウェンディとノーヴェの前に出た。

 両手に金属製ナイフの束を持ち、すかさずそれを投げる。

 それらはスバルの背後から飛来した無数のオレンジの魔力弾を全て撃ち落とし、同時に爆煙による煙幕を周囲に張った。

 

 

「――――ウェンディ、ノーヴェ、ガリュー! 撤退するぞ!」

「な……でもチンク姉、まだ!」

「潮時だ……王は確保した、これ以上は意味が無い!」

 

 

 非難を込めたウェンディの声にそう応じるチンク、その手元には一枚の表示枠があった。

 「借り物」の戦力であるガリューも呼び、ダウンしたノーヴェも確保した。

 敵に援軍が来たこのタイミングで撤退するのが良いと、チンクは判断した。

 

 

「……っ、不味い、特記戦力か……!」

 

 

 呟き、大きく後ろに飛びのくチンク。

 ウェンディのボードに手をかけて、ガリューを伴いながら飛ぶ。

 そして次の瞬間、頬から顎先へと冷や汗をかくチンクの視界一杯に桜色の光が広がった。

 

 

 ズズン……ッ、と、地下通路全体を揺るがすような重い地響きが起こった。

 同時に、砲撃魔法の着弾を伝える煙と風。

 それらに煽られながら、なのはは2つに括った栗色の髪を揺らしながら手応えを確かめていた。

 結論としては……。

 

 

「……外した、かな」

<Sorry, master>

「追いますか?」

 

 

 ティアナと『レイジングハート』、双方に対して首を横に振るなのは。

 おそらく追っても意味が無いだろうし、それになのは達のフロントアタッカーが追撃できるような状態ではなかった。

 それになのは自身、置いてはいけない人物がそこにいたからだ。

 

 

「ギン姉……ギン姉!」

「だ、だぃ……ぅ……」

「ギン姉ぇ……ッ」

 

 

 スバルはギンガに取り縋っている、表情は不安げな子供のそれで、身内を失いかけた恐怖に引き攣っていた。

 ギンガ自身、意識がやや朦朧としているのか、スバルに応える声にも力が無い。

 それがスバルをさらに不安にさせているのだろう、スバルはもう泣きながらギンガのことを呼ぶことしか出来ない。

 

 

 もはや、戦闘に耐え得るような精神状態で無いことは明らかだった。

 ふぅ、と、なのはは自身の戦闘による熱を冷ますかのように息を吐いた。

 それからギンガの左腕を見ないようにしつつ、ティアナに目配せをした。

 

 

『ティアナ、スバルをお願い』

『……はい』

 

 

 なのは自身は、スバルのことを――経由してギンガのことも――知っているし、ティアナがそれを知っていることも承知していた。

 だからスバルのことはティアナに任せて、救護をいつ呼べるかと思いつつ、早足でもう1人の方に近付いた。

 ギンガをスバルに渡した後、力尽きたようにその場に膝をついたイオスの方へ。

 

 

「イオスさ……ッ」

 

 

 イオスの前に回り込んで、なのはは息を呑んだ。

 一言で言えば、朱に塗れていた。

 流した血で地面に水溜りが出来る程、空色のバリアジャケットは一部がその機能を果たしておらず、見た目では肩や頬の火傷が最も酷い怪我のように見える。

 左の砕けた鎖や、右腕や右足の骨の異常、頭部からの流血……見ただけで重傷だとわかる。

 

 

 なのはのイメージの中のイオスは、いざと言う時には必ず負傷する。

 プレシアとの戦闘、『闇の書』事件、いつだってイオスはここ一番で大きく負傷してきた。

 現実主義を標榜する割に、退いてはならない場面では絶対に退かないためだ。

 

 

「イオスさん」

 

 

 それでも命に関わるような負傷はほとんどしない、何故なら常に事実を認めて無理な状況を避けようとするからだ、ただ……今回は、それらに増して深い傷を負っているようだった。

 それだけ、不利な状況を強いられたのだろう。

 自分達を待っていたとは思わないが、しかしギンガを置いて逃げるつもりは無かったのだろう。

 

 

「イオスさん、大丈夫ですか……?」

「ん……ああ、高町さんか……」

 

 

 10年前にそう呼ばれてからずっと、彼は自分を「高町さん」と呼ぶ。

 それを不満に思う気持ちもある、が、それで良いと思う自分もいる。

 彼は追い越された気分になっているのかもしれないが、なのはは追い抜いたなど思った事は一度も無い。

 むしろ、まだ追いかけているのだと思っているのに。

 

 

「すぐに……すぐに、救護の人が来ますから」

「ああ……頼、む……」

「あ……ッ」

 

 

 ふらりと倒れた青年の身を、なのはは正面から抱きとめて受け止めた。

 ジャケットが血で汚れるが、そんなことは構わなかった。

 子供の頃見上げた背は、いつの間にか随分と追いついてしまっていて。

 膝立ちの状態で受け止めたなのはの胸元に見える水色の髪は、思ったよりも小さかった。

 

 

「……に……ギンガさんに、早く治療、を……大怪我、してっからな……」

「……イオスさんだって……!」

 

 

 むしろ、ギンガよりも酷い。

 だからなのはは、子供の頃から見上げてきた先輩魔導師の頭を、傷を刺激しないように柔らかく抱き締めた。

 もう良いんだと、伝えるように。

 

 

 自分の状態もわかっていないのだろう、イオスはそのまま大きく息を吐いた。

 そして息を吐くと同時に力も抜けて、それが緩やかに意識を奪っていった。

 柔らかな温もりに抱かれて、イオスはその意識を手放した……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 オレンジの髪、水色の髪、白地に黒のラインと腰の茶の革リボンのドレス。

 元の姿とはかけ離れた、色素の薄い姿。

 しかし『グラーフアイゼン』を持つその少女は、間違いなくヴィータだった。

 

 

 赤色を象徴色として持つヴィータだが、今のその姿からは普段の姿を想像することもできない。

 例外は、顔や腕、白の衣服を濡らす赤い液体だけだ。

 彼女が己の身から流す血、それだけが彼女を象徴するように流れていた。

 見れば愛槌『グラーフアイゼン』も所々が破損し、罅割れていた。

 

 

「……何がお前をそうまでさせる、古き騎士よ」

 

 

 地上本部の南、地上本部と機動六課の中間地点に位置する空域だ。

 そこでヴィータは、1人の「騎士」と戦闘を行っていた。

 管理局員のコードも持たずに飛行禁止区域――陳述会のため――を飛行していた敵、ロングアーチの計測ではオーバーSランクの魔導師……否、騎士が相手だった。

 

 

 正直、リミッターのかかった状態のヴィータではかなり厳しい。

 せいぜい、後ろから六課へと抜けていくライトニングの方へ意識を向けさせないことに気を遣うのが精一杯だった。

 相手の名は「ゼスト」、はやての騎士になってからは初めてと言って良いだろう。

 古代ベルカ式の騎士と、戦うのは。

 

 

「最後の一撃、わざと軸を外したな」

「……ごちゃごちゃうるせー野郎だぜ」

 

 

 頭から流れる血を鬱陶しげに払いながら、ヴィータは目の前の黒髪の騎士を睨んだ。

 彼、ゼストが言う最後の一撃と言うのは、敵のデバイス・フルドライブによる攻撃のことだ。

 その一撃によって、ヴィータは今の負傷を受けることになった……が、倒されてはいない。

 オーバーSの渾身の一撃、10年前の彼女ならそれで終わっていただろう。

 

 

『リイン、大丈夫か?』

『はいです、まだやれるです』

 

 

 アイゼン、と声をかければ、相棒はコアクリスタルを煌かせて応じてくれる。

 もってあと一撃、それ以上は無理だろうと思う。

 しかしそれでも、地上本部を目指しているらしいこの男を後ろに行かせるわけにはいかなかった。

 目的はわからないが、今の地上本部の状態では目的もわからない「敵」を通すわけにはいかない。

 

 

 ヴィータも、彼女とユニゾンしているリインフォース・ツヴァイもそれを理解しているからここにいる。

 そしてリイン以上に、ヴィータには負けるわけにはいかない理由がある。

 だからゼストのフルドライブの攻撃を正面から受けるのではなく、騎士の意地とプライドを捨ててでも直撃を避ける方向に動いたのだから。

 己の勝利よりも敗北を厭う、それは。

 

 

「私達は――――」

 

 

 何があっても。

 

 

「負けたら、アイツに顔を見せらんねぇんだよ……!」

 

 

 いや、負けるのはまだ良い。

 だがそれは、目的を達した上での敗北で無ければならない。

 勝利への意地と、敗北への制限、現実の状況を把握した上のコントロール。

 それが、この10年でヴィータ達が身に着けた術だった。

 だからここは、「通さない」。

 

 

 ……見事だ、と、ゼストはヴィータのその姿を見て思った。

 言葉の意味も、鋭い眼光の意味もゼストにはわからない。

 だが、だからこそ眩しく見えるのだ。

 朱に塗れた、小さな古きベルカの騎士の姿が。

 今の、道を踏み外してしまった彼には特に。

 

 

「……ッ」

 

 

 身体の奥から込み上げてきた何かに堪えるように、ゼストは眉根を寄せた。

 そして、ヴィータに背を向ける。

 デバイスの戦闘モードを解き、そのまま元来た方向へと飛んだ。

 撤退、である。

 

 

「旦那!」

 

 

 その時、ゼストの肩のあたりで赤い輝きが生まれた。

 アギトだ、彼女は心配そうな顔でゼストに取り縋っている。

 そしてその顔が悲痛に歪む、ゼストの口元から流れ出る赤色の液体によって。

 

 

「旦那、6番から……ルールーは無事だって!」

 

 

 言っても聞いてくれないだろう、だからせめてと思ってアギトはそう言った。

 しかしそれで、ゼストの表情が晴れる事は無かった。

 代わりと言うわけでは無いだろうが、ゼストはちらと後ろを見て。

 

 

「騎士の精神(ココロ)、見事だった……だが、俺は……」

 

 

 一方でヴィータも、その背中を見送ることしかできない自分に歯噛みしていた。

 気合いだけで立っていただけだ、だから追うだけの体力は残っていない。

 いや、そもそも撤退に行く敵を追う選択肢が取れない。

 

 

「待て……っ……!」

『ヴィータちゃん!?』

 

 

 血を流しすぎたか――10年前にはあり得なかった消耗の現象――ガクリと、視界がブレる。

 次いで、浮遊感。

 

 

『ヴィータちゃんっ!!』

 

 

 小さな末の家族の声に、ヴィータは胸の内であの青年の顔を思い浮かべた。

 つまりは、こうだ。

 ……「どーだ、コノヤロー」……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 硝子の砕けるような音と共に、機動六課隊舎の戦いは終わりを告げることになった。

 それはシャマルの封鎖領域が解けた音であって、つまりは。

 

 

「「ザフィーラ!」」

 

 

 すでにキャロによる召喚を受け巨大化したフリードの背中の上で、エリオとキャロが声を上げた。

 と言うのも、封鎖領域の中から現実の世界の地面に倒れ墜ちたのが青い毛並みの狼だったからだ。

 フリードの背から見下ろす限りでは、大きなダメージを追っているように見える。

 シャマルが駆け寄り、治療を施しているのが見えた。

 

 

 エリオとキャロがフェイトを追って隊舎に到着した時、ちょうどザフィーラが倒れたその時だったのである。

 隊舎はすでに表層が焼かれ、火の手が上がっている――この時点で、キャロは両手を口元に当てて悲鳴を飲み込んでいた――無数のガジェットが六課の空を覆っていた。

 そして、ザフィーラと同時に封鎖領域の外に出てきた2人……。

 

 

「――――『ストラーダ』!」

<Dusenform>

「エリオ君!?」

 

 

 イオスの槍型デバイス『ストラーダ』の第2形態、魔力の噴射口が側面部、石突のそれぞれに追加された高速戦闘用の形態であった。

 キャロの制止を振り切る形でフリードの背から飛び出した彼は、『ストラーダ』に捕まる形で空中を駆け――――攻撃した。

 

 

 相手は、ザフィーラと共に封鎖領域から現実の空域へと出てきた茶色の髪の少女。

 茶色のロングヘアにカチューシャをつけた少女、「戦闘機人」ディードはエリオの姿を認めると、エリオの突撃を身を回してあっさりと回避してみせた。

 虚を突かれたエリオの腹部に、重い衝撃が走った。

 

 

「ああ……『F』の遺産ですか」

「な……!?」

 

 

 腹部に膝を叩き込まれた、しかしバリアジャケットの防護のおかげでダメージ自体は大したことは無い。

 だが個人での空戦技能を持たないエリオは、飛び続けることが出来ないのだった。

 

 

「フリード!!」

 

 

 キャロの呼びかけにフリードが咆哮で応じ、墜落しつつあったエリオを拾うために飛翔した。

 しかしそこに、緑色の光線がキャロとフリードの斜め上から降り注いだ。

 エリオがフリードの背に落ちてきたその瞬間、それは行われたのだ。

 

 

「唸れ光禍の嵐――――『レイストーム』」

 

 

 ディードと顔立ちを同じくする戦闘機人、オットーが放つ広域攻撃技能だった。

 その掌から放たれた4条の光の線がキャロとフリードに殺到し、そして爆発する。

 キャロはフリードの手綱を強く握り、キツく目を閉じた。

 防御も回避も間に合わないそのタイミング、次に来るだろう衝撃……。

 ……しかしそれは、永遠に訪れることは無かった。

 

 

「……?」

 

 

 不思議に思い、キャロは後ろを振り仰いだ。

 そしてその大きな瞳は、今度は驚愕に見開かれることになる。

 何故なら、彼女の視界には金糸の髪と黒衣の衣装があったのだから。

 

 

「フェイトさん!」

「2人とも無事だね……なら、それで良い」

 

 

 ザンバーフォームの『バルディッシュ』を盾のように持ち、短く言葉をかけてくるその背中にキャロは泣きそうになった。

 エリオも同じだ、フリードの鞍に背中を乗せる形で「母」の背中を見つめている。

 先の砲撃、少なくないダメージを受けているだろうに……それを露とも見せない、強い背中を。

 

 

「貴様ら、スカリエッティの部下か!? どうしてこんなことをする!?」

 

 

 頭上、2人の戦闘機人が無数のガジェットをバックに佇む空に向かって怒鳴る。

 

 

「奴は……スカリエッティは、どこにいる!?」

 

 

 しかし、オットーとディードは何も答えるつもりが無いようだった。

 無表情にフェイトを見下ろす2人に変わってフェイトに応えたのは、フェイトの攻撃で狙撃砲を失ったディエチだった。

 彼女は飛行型のガジェットの背から、オットーやディードの頭越しにフェイトを見下ろしていた。

 その瞳は、愛用の狙撃砲を破壊された憎悪に燃えているように見えた。

 

 

「産みの親に会いたいのであれば、坊ちゃま共々いつでも帰参してください、お嬢様」

 

 

 産みの親、と言う単語にキャロは首を傾げた。

 何のことか、「彼女だけが」わからなかったからだ。

 

 

「何を……!」

「ディード、オットー、帰るぞ。こちらの目的は達せられなかったけど、これだけやれば十分だ」

「もう良いの?」

「ああ、トーレ姉から連絡があった……王を」

 

 

 ――――王を手に入れた、そう告げるディエチの言葉にフェイトは眉を立てる。

 言葉の意味がわからなかったからだ、「王」とは何のことか。

 そしてその間に、ディエチ達は一部のガジェットを率いて撤退しようとしていた。

 

 

「待て……!」

 

 

 追おうとするも、それが出来ないことを悟る。

 オットーが残りのガジェットを一纏めにして、隊舎の方へと突撃させたからだ。

 六課の隊舎にはもはや防御力は無い、抜かせるわけにはいかなかった。

 そして、多数の戦力を殲滅できるのはフェイトだけだった。

 

 

「く……『バルディッシュ』!」

<Load cartridge>

 

 

 カートリッジを2発消費し、フェイトは掌を空のガジェット達へと向けた。

 この段階で、すでにディエチ達の姿は見失いつつあった。

 しかしそれでも、六課を守るためにフェイトはその場に留まらなければならなかった。

 

 

「『トライデント……スマッシャー』ッッ!!」

 

 

 放射面の魔法陣中央、上、下から放たれた3本の雷撃砲が束ねられ、正面へと放たれた。

 それを片手で放ち、正面に並んでいたガジェットの群れの中心に撃ち込まれる。

 そして空に次々に光点が生まれ、無数の爆発の花火が夜空を彩った。

 

 

 爆風に煽られ、白いマントと金糸の髪を光と共に揺らす黒衣の魔導師(フェイト)

 その時キャロとエリオは、生涯その光景を忘れる事は無いだろうと思った。

 役に立てぬ悔しさと共に、目に、胸に刻みつけようと思った。

 あの優しく、自分達の前では常に優雅で余裕を失わなかったフェイトが。

 まるで自分の無力さを悔やむように、噛み切った唇から血を流している顔を……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 カリム・グラシアは、戦火の収束した地上本部の外に出ていた。

 上は美麗だったビル郡がほとんどが破壊され、下は道路や芝生の庭が跡形も無く吹き飛ばされている。

 瓦礫や破壊されたガジェットの除去と負傷者の救出、事後処理が行われる中で彼女が何をしているかと言えば……。

 

 

「騎士カリム、どうぞ」

「ええ……」

 

 

 事件翌朝、開けた土地に作られた臨時ヘリポートから最初のヘリで北部ベルカ自治領へ避難、である。

 地上本部の将官は全て崩壊した本部に留まることがレジアス命令されているし――よほど屈辱だったのだろう――本局からの陳述会出席者は昨晩の内にすでに避難を済ませている。

 地上本部の幹部達も、本心では逃げたいのだろう。

 

 

 しかし、そんな彼らを非難する資格はカリムには無かった。

 騎士団の要請に従う形で、仲間達の誰よりも先に逃げ出す破目になっている。

 理由はたった一つ、カリムの稀少技能を失いたくないが故だ。

 己の持つレアスキル故に、カリムは身の安全を誰よりも保障されるのだった。

 

 

(私の『預言』なんて、何の役にも立たないのに……)

 

 

 ――――旧い結晶と無限の欲望が交わる地。

 ――――死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る。

 ――――使者達は踊り、中つ大地の法の塔は虚しく焼け落ちる。

 ――――天の鎖は地に堕ちて、夜天の翼が世を祓う。

 ――――その後、数多の海を守る法の船は砕け落ちる。

 

 

 カリムの稀少技能『預言者の(プロフェーティン・)著書《シュリフテン》』による、今回の地上本部崩壊と、付随する機動六課隊舎の半壊の『預言』。

 3文目の『預言』は、おそらく昨晩成就されてしまった。

 

 

『ミッドチルダ地上の管理局員諸君、気に入ってくれたかい?』

 

 

 昨夜、地上本部襲撃が終息した直後、一通の映像付きメッセージが送られてきた。

 それも、オープンチャネルで完全公開。

 ミッドチルダ中の管理局員にそれは送られた、地上本部の壊滅の映像と共に。

 最悪である、今頃都市部では混乱と暴動が起こっているかもしれない。

 それくらい、地上の守護の象徴の壊滅は衝撃的な出来事だったからだ。

 

 

「ジェイル・スカリエッティ……」

 

 

 今回の事件で最大の容疑者だった男、しかし昨夜のメッセージで確定した。

 紫の髪、金の瞳、長い白衣の……白面の男。

 口元に薄ら笑いを浮かべたその顔を、カリムは瞳に刻み付けていた。

 いや、刻み付けられたのだ。

 『預言』阻止のための手を、悉く無視されて突破されたと言う事実を。

 

 

 スカリエッティは言った、これは治安維持や規制を理由に、正当な権利を剥奪された稀代の技術者達の恨みの一撃だと。

 人的被害が最小限なのは、スカリエッティ側の恩情のつもりなのだろうか。

 いずれにせよ、彼は昨夜の技術を望む者に提供すると言っていた。

 だが、そんなものは嘘だ。

 

 

「……まだ、終わっていない」

 

 

 『預言』の全てが、成就されたわけでは無い。

 1文目はわからないが、3文目が昨夜だとすればこれから4文目と5文目に入るはずだ。

 2文目については、おそらくすでに覆っているのでは無いのだろうか。

 死せる王――聖王医療院の検査では、おそらくあの娘のことか――はこちらの手にある、それが何かはわからないが、「彼の翼」らしい物はまだ甦っていない。

 

 

 まだ予断は許さないが……覆ったのだ、2文目の『預言』は。

 それはささやかな物かもしれない、意味の無い代替可能な部分かもしれない。

 しかし、それを覆したのは……。

 

 

「……はやて……」

 

 

 ヘリの扉が閉まる音を背中で聞きながら、カリムは目を閉じた。

 8年前からの友人の顔を、思い浮かべながら。

 手の中にある、再起の可能性を見つめながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――――――目覚めると、まず視界に飛び込んで来たのは見知らぬ天井だった。

 ぼんやりとしか映らなかった視界は、時間を置けば徐々にだがはっきりしてきた。

 冷静に見れば、そこがどこかの部屋だと言うことがわかる。

 ただ、管理局に比べてどこか古式な……洋風な天井に見える。

 

 

「聖王医療院だ、ここは」

 

 

 ふと声が聞こえて、彼……イオスは声のした方へと首を動かした。

 すると頭と右肩に鈍痛を感じて、イオスは軽く呻き声を上げた。

 そしてどうやら、自分がベッドに寝かせられているらしいことに気付く。

 

 

「……無理をするな」

 

 

 視線を上げれば、点滴や心電図らしい機材がいくつか見える。

 そして改めて、痛みを堪えつつ横を見れば……そこに、見覚えのある黒髪の青年がいた。

 黒の制服を着たその青年は、ベッド脇のパイプ椅子に座ってイオスのことを見ていた。

 

 

 ずっとそこにいたのか、それとも来たばかりなのかはイオスにはわからない。

 ただ、すでに日が高い時間だと言うことはカーテン越しの光でわかった。

 先程の声を信じるなら、自分が今いるのが聖王教会系列の病院だと言うことも。

 

 

「右腕・圧迫骨折、右肩・脱臼骨折及び温熱熱傷深達度Ⅱ度、右足・不全骨折、肋骨5本骨折・2本に罅、右頬にも温熱熱傷1度……」

「……鬱になるから、それやめろ」

「……お前がここまで負傷するのは、流石に初めて見るな」

 

 

 プレシア戦の時も、『闇の書』戦の時も、ここまでの負傷はしなかった。

 しかも今回はデバイスにまでダメージを喰らっている、一晩で回復しきれないダメージだ。

 それ程の状況だった、と言うことなのだろう。

 

 

「つーか、聖王……?」

「……本部の施設は使えないから、騎士カリムの好意で昨夜の内に運び込んだんだ。機動六課の負傷者もこちらに運んで貰っている。ヴィータやザフィーラなどは普通の医療施設では診せられないからな、お前はついでだ」

「ついでかよ……つーか、ヴィータとか怪我したのか」

「ああ、色々あってな……立派に役目を果たしていたよ、彼女達は」

 

 

 そうかい、と呟くイオスの横顔を、クロノはパイプ椅子に座ったまま見ていた。

 幼い頃から共に修行してきた2人だが、立場はもうまるで違う。

 後ろで指揮する立場になったクロノと、前線で動くタイプの査察官であるイオス。

 

 

 だからこうして、クロノにはイオスの負傷を聞いて、見ることしか出来ない。

 『闇の書』事件の時には、肩を貸すことが出来た2人。

 おそらく、もう戦場を共にすることは無いだろう。

 それは、寂寥感を呼び起こすには十分な事実だった。

 現実、と言う奴だ。

 

 

「つーか、何でお前ここにいんだよ。本局はどーした」

「いや、その……機動六課のことで、いろいろとな」

「六課……はぁん。あ、そう言や、ギンガさんは……」

「彼女もここにいる。怪我はしているが、無事だ。むしろお前の方が重傷だ馬鹿」

 

 

 これも事実だ、ギンガについては……まぁ、いろいろあるが。

 しかし損傷の度合いであれば、むしろイオスの方が上だった。

 

 

「他の連中は? 何か最後、高町さんに助けられた覚えがあるんだが」

「なのははほとんど無傷だ、フォワードの4人も。ヴィータとザフィーラが一番重傷で、フェイトが軽症、六課のメンバーではそれくらいだ。むしろ地上局員の方がダメージが大きいが……六課関連の施設が半壊状態でな、本拠地を失った形だな」

「そうか、まぁ……生きてるなら、いくらでも再起できんだろ……」

 

 

 生きていれば、再起できる。

 それは、『闇の書』事件の時にも聞いた言葉だった。

 ただ今回の事件では、地上本部の局員を中心に少なく無い犠牲が出てしまっているのだ。

 再起も出来ない、そう言う人達がいるのだった。

 その意味では、『闇の書』事件の時とは違う。

 

 

「つーか、だったら八神さんとか大変だろーな」

「あ、いや……彼女は」

「あ?」

 

 

 笑みつつ言ったその言葉に、クロノは言葉を濁した。

 クロノにしては珍しい、そしてやや歪んだ眉の端。

 それを見逃す程に、イオスはクロノを知らないわけでは無い。

 

 

「八神さん、どうかしたのか」

「いや、はやては……」

 

 

 怪訝に思って重ねて聞けば、クロノはやはりはっきりと答えない。

 しかしイオスの目に負けたのか、あるいは言わないわけにはいかないと思ったのか。

 

 

「はやては……」

 

 

 クロノは。

 

 

「……はやては、いないんだ」

 

 

 そう、告げた。

 

 





最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
元日に6年来の相棒パソコンがついに壊れ、今は新しいパソコンでこれを書いています。
キーボードの位置が違うので、凄まじくやりにくいです……。

そして出来ればシャマルさんの「旅の鏡」をディエチさんにブチ込みたかった。
でも戦闘機人は魔導師と違って魔力で力使ってないので、はたしてリンカーコアとかあるのかがわからず断念……結果、こんな形に。
くそう、ザフィーラさん共々もっと活躍のシーンを!

そういうわけで、次回もがんばります。
後は最終決戦に向けて転がり落ちるばかり、種明かしと伏線回収の時間ですね。

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