男は逃げていた、大きなアタッシュケースを左手に持って駆けていた。
白亜の陸士部隊隊舎の通路を駆ける男の前に、同じ服装の男達が姿を現した。
半袖シャツにカーゴパンツ姿の彼らは、指抜きのハーフグローブを嵌めた指で男を指しながら。
「見つけたぞ、こっちだ!」
「袋のネズミだぜ!」
良く見れば、男の後ろにも彼を追いかける形で何人かいることがわかる。
前と後ろに3人ずつ、狭い通路の中でまさに挟み打ちの状態だ。
しかし男は口元に笑みを浮かべた、まるでそんなことは問題では無いとでも言うように。
「……飛んだ!?」
「ここ3階だぞ!?」
「いや不味い、飛ばすな!」
驚く男達の声を背中に受けながら、3階の高さから落ちた浮遊感に身を委ねた男は右手で懐から取り出したカードを投げた。
「――――『テミス』、セットアップ」
<Setup,stand by>
一瞬の輝きの後に現れるのは、空色を基調とした蒼のバリアジャケットを纏った男だ。
空色のインナーと黒のパンツとブーツ、黒のライン入りの蒼のジャケット。
そして肘まで覆う手甲の上に巻かれるのは、銀に輝く2本の鎖。
「――――飛行魔法だ、やられた!!」
背中から聞こえる声に笑みを浮かべつつ着地、そして男――イオス・ティティアは、猛然と駆け出して。
逃げた。
◆ ◆ ◆
(つっても、隊舎全部が敵って想定は流石にキツいよなー)
そんなことを思いながら、イオスはアタッシュケース片手に隊舎の敷地の中を駆けていた。
目標は敷地の外に出ることだ、それが今日、この陸士108部隊で行われている大規模演習の内容だから。
見てわかる通り、108部隊の隊員達に追われているイオスは犯罪者役である。
内容はこうだ、陸士108部隊の管理する密輸品を強奪した次元犯罪者の捕縛。
次元犯罪者は魔導師想定、そのため単独で戦える魔導師であるイオスが犯人役に抜擢されたわけである。
一見そうは見えなくとも、これもれっきとした査察の一つだ。
まぁ正直、ちょっと後悔しないわけでもないが。
「あん?」
隊舎の建物を抜けるかどうかと言う時に、異変が起きた。
背後、後ろから光の帯のような物が伸びて来た。
しかも2本、紫にも見える深い青のそれは、特殊な魔力で構成される光の道だ。
それがイオスの前方を遮断するように展開されて、しかも。
「こちら時空管理局陸上警備隊第108部隊所属、ギンガ・ナカジマ捜査官です! ただちに逃走行動を停止、こちらの指示に従ってください。さもなくば――――」
あっという間に並走する形になった濃紺の髪の女性が、光の道の上でさらに加速、イオスを追い抜いて前に出た。
その髪の端を目で追えば、それは名乗りの通りギンガだった。
女性らしい柔らかで曲線のある肢体を、黒のハーフシャツと薄青のカーゴパンツと言う訓練着の中に押し込めている。
「――――墜とします」
問題、次元犯罪者が警告のみで行動を停止するだろうか。
答えは否だ、そしてイオスもその通りにした。
身を低くして、ギンガ自身と光の道を掻い潜るべく動きを加速させる。
それを確認して、ギンガも腰を落とす。
妹とお揃いの自作ローラーブーツの車輪から摩擦音を響かせ、腰だめに構えた左腕のアームドデバイス『リボルバーナックル』の
色合いは白基調、打撃部分に紫の塗装が施されたそれは……女性用としては、聊か無骨だった。
「お……」
重戦車よろしく突っ込んでくるギンガと交錯する瞬間、イオスは自分の動きに制動をかけた。
それは、正面からやってくる圧力にも似た魔力素に押されたようにも見えた。
次の一刹那、イオスの眼前をローラーブーツ付きの足が通り過ぎた。
風圧で前髪が揺れる程の鋭い蹴り、師の蹴りを見慣れていなければ直撃していただろう。
「おおっ……!?」
蹴りの衝撃は確かに左方向に抜けたはずなのに、次の一瞬には何故かギンガの身体はイオスの右側にいる。
光の道を降りた地上での肉弾戦、ボクシングのように両腕のガードを上げた体勢からの連撃。
鋭く、速く、そして重い。
右掌にコンパクトな流水の障壁を展開して威力をかわしつつ、身体の位置を前後で一旦入れ替える。
「はぁ――――ッ!」
ギンガの左拳の打ち下ろし、それをイオスは右掌の障壁で受け止める。
流水の魔力が込められたそれは、『リボルバーナックル』の生みだす魔力の回転によって渦巻きのように水分を散らす。
やがてそれは水蒸気へと変わり、障壁の効果を破壊されて砕け散る。
刹那、そのまま左拳を跳ね上げる形で打ち上げてくる。
逆手の拳が、イオスの腹部を目掛けて撃ち込まれてくる。
イオス自身がその威力に冷や汗をかく前に、『テミス』の方が反応した。
鎖が舞い、ギンガの左腕に絡まりその攻撃を止める。
「しっ……!」
「って、マジか!?」
そしてあろうことか、ギンガはその鎖の妨害に対して「掴む」ことで対抗した。
左腕のデバイスに絡め、強く引くことでイオスの動きを止める。
引き寄せた後は、白のハーフグローブに覆われた右手の出番だ。
その攻勢に対して、イオスは左手のケースを上に投げることで対応する。
右手の鎖がギンガの左手で腕ごと止められている以上、左腕で対応するしかない。
そして、魔力強化の施された互いの右手と左手での応酬が始まる。
(――――右左下上下下右フェイント左左上下右左フェイント右フェイント右右右……!)
(……正統派の格闘術か!)
鎖の巻かれた左腕の各所にギンガの右手が当たる、鎖の擦れる音と打撃を外された渇いた音が無数に響き続ける時間。
お互いの足は互いへの牽制に使い、繋がったままの移動のステップが息継ぎにも似たリズムを刻む。
そして最後、鎖に巻かれた左腕をそのまま振り上げるギンガ。
「『リボルバー……シュート』……ッッ!!」
「のぉわ……っ!?」
イオスが表情を引き攣らせるのと同時、ギンガの重い一撃が炸裂した。
交差した両腕の中心に命中したそれは、ビリビリとした衝撃をバリアジャケットの下に通しながらイオスの身体を吹き飛ばした。
ガードの上から吹き飛ばし、左腕から鎖を強引に抜きながらの一撃。
「……確保!」
その場に立ち止まり、両腕を前に。
狙いは、イオスが投げたケースだ。
これを確保すれば、陸士108部隊側の勝利……!
しかし、彼女は失念していた。
イオスにとって、別に打ち合いに勝利する必要は無いと言うことに。
「あっ……!?」
そして、ケースがギンガの手に落ちて来ることは無かった。
何故なら宙を舞っていたそれに、ギンガが弾いたはずの鎖が巻き付いたから。
それは引っ張られて、鎖の主人の下へとケースを運ぶ。
そして主人がケースをキャッチした場所、そこは。
「……俺の勝ちってことで、良いんだよな? これ」
「あ~……」
残念そうに肩を落とすギンガの視線の先には、左手でケースをキャッチし、『リボルバーシュート』の衝撃をモロに受けた右腕をプラプラさせているイオスがいた。
彼の足元には吹き飛ばされた時に踵で削った地面があり、それは……。
……陸士108部隊の正門の外に、達していた。
◆ ◆ ◆
訓練終了後は整列しての反省会、隊舎の一部を使用しての大規模演習だったために人数も多い。
敷地内の訓練・演習用のグラウンドに向かう人々を横目に、イオスは隊舎備えの水道で水を頭からかぶっていた。
すでにバリアジャケットは解除していて、しばらくすると蛇口の下から水滴を飛ばしつつ頭を上げる。
そして、第一声。
「……まー、部隊の錬度としては問題無いんじゃね? 稼働許可は継続して出るだろ」
時空管理局の各部隊は、定期的に査察官臨席の下で公開の訓練をすることが求められている。
これは部隊の質を下げないために必要視されていて、極度に錬度や隊員達の人格に問題のある部隊は最悪、解散させられることもある。
イオスは今回が初めてなのだが、しかし……。
「良く考えたら、別に俺が直接参加しなくて良かった」
「すみません、単独突破が可能な魔導師がうちでは私しかいないので」
「でもそれ、つまりギンガさんがこの部隊で最強ってことじゃね?」
「いえ、私なんてまだまだですよ」
査察官になって1ヶ月、こうしてイオスは徐々に査察官らしい仕事をすることを増やしていた。
当面はこの陸士108部隊や『テレジア』など、自分のコネを使っての仕事が中心になるが。
何事も少しずつ、と言うことだ。
それでもこの1ヶ月、いろいろな仕事を共にしてもなお、ギンガの名前を口にする度に声が上ずるイオス。
そんな彼の様子にクスクスと笑いながら、ギンガはイオスに白のタオルを手渡した。
それを半ば奪い取るように受け取って、目線を隠しつつイオスは水に濡れた頭を拭う。
それがまたおかしいのか、ギンガは口元に手を当てて笑いを噛み殺さなければならない。
「……で、今まではギンガさんが犯人役だったわけ?」
「はい、何しろ人手が足りないので……疑似でも空戦が出来るの、私くらいですし」
陸士部隊は艦に多大な予算・人員がかかる次元航行部隊の煽りを受けてか、基本的に予算・装備・人員の全ての面で海に水をあけられている。
海や空の方が出世も早く、それに便宜も図って貰える。
だが陸士部隊、つまり陸側は一言で言って「貧しい」。
予算も人員も最小限、かつ地上が活動範囲であるために泥臭い仕事が多い。
少ない予算で切り盛りするには、厳しい状態と言える。
「実際、さっきもイオス一尉を抑え切れませんでした」
「いやー、はは。でもあのままやってたらわからなかったよ、今も腕痺れてるし」
「ありがとうございます」
やや頬を染めてお礼を言う、その姿は可憐と言っても良いのだが……ただ、未だに腕が痺れているイオスからすると苦笑いするしかない。
バリアジャケット越しに打撃されたにも関わらず、衝撃を殺し切れていないのだから。
強固な防護力を持つバリアジャケットを抜く程の単純打撃、まさに冷や汗ものだ。
「ギンガさんって、何か格闘技とかやってる感じ?」
「あ、はい。シューティングアーツを……子供の頃、母から少し」
「……そっか」
「このデバイスも、『リボルバーナックル』も元々は母の物だったんです。母は両手で使ってましたけど、今は妹と分け合って使ってるんですよ」
イオスの表情の変化に気付いたのか、デバイスの話の際の声音はどこか明るかった。
それを聞いてしまえば、当事者で無いイオスには何も言えない。
だから表情を苦笑いにまで戻して、連れ立って歩きだした。
「ところで、あの光る道みたいなのって何?」
「あ、あれは『ウイングロード』と言って、私の
「へぇー」
ギンガの話を聞きながら、イオスは今日の予定を頭の中で考えていた。
今日は陸士108部隊と、そしてもう一つ、イオスの古巣の方と仕事を共にすることになっている。
確か質量兵器の密輸品だ……どうも局の組織が関わってる可能性があり、キナ臭い話になるかもしれない。
◆ ◆ ◆
そしてその訓練の様子を、隊舎の中から見下ろしている人物がいた。
ゲンヤ・ナカジマ三佐、この陸士108部隊の責任者である。
白い髪と眉に、年季を感じさせる顔の皺、かつての鍛錬の名残を見せるガッチリした身体付き。
何十年と地上の平和のために尽力してきた男は、眼下で動く部下達の後姿を見つめながら。
「……なるほど」
傍らの表示枠に対して、ゲンヤは重々しく頷きを返した。
その表情は何事かを考えているのか、難しい。
彼は顎を片手で投げながら小さく唸ると、視線を表示枠の通信画面へと向ける。
「密輸品のミッド地上本部への輸送をうちに、ですか」
『はい、ティティア君の信頼厚い108部隊に、是非お任せしたいと』
通信相手は、『テレジア』のハロルド・リンスフォード二佐だ。
ゲンヤより若いが上官、
ただ管理局では良くある話で、魔力資質が0のゲンヤはこれ以上の出世は望んでいるわけでも無い。
それとは別に、本来なら陸と海に所属が別れる2人が通信する機会などそうそう無い。
しかし『テレジア』と陸士108部隊はある事情で現在協力関係にある、最近増加しているミッドの密輸問題についてだ、しかも質量兵器関係。
「まぁ、元々それについては協力するって話でしたし、こっちとしても密輸は本業なんで助かりますがね」
『ボクとしても、地上に下りた密輸品については権限の外になりますから』
「逆に、こっちは空やら海やらに上がられるとねぇ……しがない陸上警備隊に過分な仕事ですな」
『またまた、ご冗談を……それにしても、最近は本当に多いですね』
「ああ……」
ゲンヤの部隊は、ミッドチルダ内の密輸事件の摘発などを得意分野としている部隊だ。
そのため密輸品の輸送や犯罪者の護送なども職務の一つとして行うし、他の部隊から要請を受けて出張ることもある。
4年前の空港火災も、その内の一つと言えるだろう。
しかしここの所、市民の知らない所でミッドチルダは俄かに騒がしくなっていた。
外の世界から質量兵器の素材などが非合法に密輸されるケースが増えており、実はイオスが査察部に異動になる以前から『テレジア』と陸士108部隊は協力して事に当たっている。
出所はバラバラだが、しかしどれも納入先がわからず、捜査が進んでいるとは言えない。
「ま、とにかくこっちで責任を持って地上本部に送り届けますわ。こっちからはギンガと……まぁ、査察官ご自身が検分に行くと思うんで、くれぐれもよろしく」
『感謝します。足の手配はこちらで済ませてありますので、実質的な確認と運搬をお任せすることになるかと』
「で、今回のブツは……やはり?」
『ええ、質量兵器です。噴射式飛翔体――――いわゆるミサイルですね。誘爆の危険性などはこちらで除去を……』
ミッドに運び込まれる直前、2日前に水際で防がれた密輸。
急なことなので、既存の貨物車両に相乗りさせる形になるらしいが……。
◆ ◆ ◆
華やかな女性2人の笑い声が、その部屋に響き渡っていた。
それは本当に楽しそうで、落ち着いた調度品で整えられた部屋に柔らかく響く。
笑う女性の1人、カリム・グラシアは、紫のリボンで彩った長い金髪の髪を揺らしながら笑んだ口元に手を添えながら。
「そう、六課の皆は楽しくやれてるのね」
「うん、おかげさまで。新人の子らも一生懸命や」
「若者の特権ね、一生懸命って」
「え、カリムっていくつやったっけ……?」
クスクスと笑うカリムを満足気に見つめて、はやて自身も笑いながら紅茶に口をつけ、唇を湿らせた。
場所はミッド北部のベルカ自治領、はやてにとっては本局に次いで赴くことが多い場所だ。
教会と言うより西洋風な作りのその部屋は、聖王教会大聖堂の一室である。
教会騎士カリムが、機動六課課長はやてとの会談、と言う名目で呼び出した形である。
今の話の内容は基本的に雑談だが、こう言うのも関係を築く上では必要なことだ。
関係、機動六課と聖王教会……特に教会騎士団のカリムは、機動六課の後ろ盾の1人でもある。
機動六課が設立された理由の大半はカリムに拠る所が大きく、設立の根回しも彼女の手で行われている。
その意味では後ろ盾と言うよりは、実質的な機動六課の産みの親と言えるだろう。
「でも良かった、六課の活動が順調そうで」
「おかげさまで。今の所は出動の機会も無く、準備に専念できて助かった面はあるよ」
「そう……それで、今日呼んだ理由なのだけれど」
本題に入った、そう感じたはやては意識の切り替えを行った。
親しい友人との雑談から、仕事における上司と部下と言う関係に。
「まず、これを見てほしいの」
部屋の照明を落とし、カリムは表示枠を開いてはやてにいくつかの映像を見せる。
そこに映っていたのは、教会騎士団の調査部が捕捉したある密輸品の外観と、その付近で発見された機械兵器だ。
機動六課の担当する機械兵器――通称「ガジェット」――は「Ⅰ型」と呼称されているが、カリムの映像では楕円形のあのフォルムとは異なる2種の機械兵器が確認できる。
「昨日からミッドチルダ内で確認されているタイプで、教会の調査部はⅡ型・Ⅲ型と呼称しているの。一昨日の段階で『レリック』らしき密輸品が確認されてから、すぐに出てきたみたい」
「情報源は、クロノ君?」
「ええ……今日のリニアレール便で地上本部に運ばれる予定」
ふむ、と難しい顔で考え込むはやて。
ピンチでありチャンスである、この状況について考える。
「このタイミング……か」
「難しいとは思う。本局はともかく、地上本部は機動六課を認めてはいないでしょうし」
「ん……」
本局指揮下の『レリック』専任部隊である機動六課を地上本部が疎んでいるのは公然の秘密だ。
そもそもの機動六課の……つまり地上で自由に動ける特殊部隊が必要とされた理由は、地上本部のそう言う姿勢にも根ざす所がある。
まぁ、今はそのようなことを気にしている場合では無い。
それにこの時期の密輸品、疑いを持つのは当然と言えるだろう。
ただ、どうなのだろうかとはやては思う。
機動六課の設立一ヵ月後に、お膝元とも言えるミッドチルダであからさまな密輸品の輸送。
どうも、誰かに「動け」と言われているような気もする。
ただ、ここで動かなければ設立に懐疑的な上層部などが何を言うか――――。
「いずれにしても……」
考え込むはやてに対してカリムが何事かを言おうとしたその時、彼女の手元に表示枠が開いた。
管理局員が使用している物とは様式が異なるのは、聖王教会が標準採用しているタイプだからだろう。
そしてカリムの傍に開いたそこには、ストロベリーブロンドのベリーショートの髪の女性が映し出されている。
『騎士カリム、調査部より緊急連絡です!』
「――――来たのね」
カリムの呟きに、はやては眉を立てた。
……いよいよだ。
そう、胸の奥に刻んで。
◆ ◆ ◆
はやて・カリムの会談の少し前、管理局が定める午後の勤務時間に入った頃。
その時間帯、イオスは陸士108部隊所有のヘリコプターからミッドチルダ郊外の地に降りたっていた。
旧式だが良く整備されたそれは、もう15年以上108部隊の足として活躍している。
(逆に言うと、第一世界の陸士部隊でも新型が回ってこないあたりが哀しいんだが)
査察官としては上申すべき事実だが、上申しても予算が降りる可能性も低い。
これもまた、どうにもならない現実の一つなのだろう。
バラバラと爆音を立てて回るプロペラが巻き起こす風を背中に受けながら、イオスはそんなことを考えた。
「すみません、ではよろしくお願いします!」
「了解! ナカジマ捜査官とティティア査察官もお気を付けて!」
ミッド西部の郊外に位置する局所有のヘリポート、ギンガの声に応じたパイロットがその場からヘリを浮上させる。
その際にローターの回転が強まり風の勢いが増す、ギンガは陸士制服のスカートの端を押さえつつ下がった。
なお、もう片方の手は横髪を押さえている。
「イオス一尉、お待たせしました」
「いや、良いフライトだったな」
「はい。では、私はここに何度か来たことがありますので、ご案内しますね」
「頼むわ」
そんな会話をした後、イオスは改めて周囲を見渡した。
彼自身髪先を押さえるような仕草をしつつ、徐々に弱まる風の中に佇む。
そこは地上部隊の郊外倉庫区画近くのヘリポートで、緑の山々に囲まれた場所だった。
リニアレールの貨物駅も隣接しており、そこからミッド西部の各地と中央部に向かうことができる。
まぁ、リニア自体は局と民間の共用であるため、近隣には企業の倉庫なども多い。
そしてとりあえずイオス達が向かうのは、先方との約束の場所である管理施設だ。
5階建ての管制施設で、駐留の警備隊の宿舎も兼ねている。
いろいろな部隊の人間が行きかう中を進んで、10分ほどで目的の部屋につく。
「やぁティティア君、1ヶ月ぶりくらいだね。今日はよろしくお願いするよ」
ノックの後に挨拶を済ませて、テーブルを挟んで先方と向かい合う。
陸士108部隊からはギンガ、相手は次元航行艦『テレジア』の艦長ハロルドと艦橋スタッフの
エミリア、そして一連の密輸事件を調査しているイオスである。
笑顔のハロルドと真顔のエミリア、共通項は眼鏡をかけているくらいだろう。
「さて、では改めて自己紹介。ボクは『テレジア』艦長ハロルド・リンスフォード二佐。今回は協力を感謝する」
「同じく、艦長補佐のエミリア・シュラフタ空曹長です」
「査察部所属、イオス・ティティア査察官です」
「同じくギンガ・ナカジマ捜査官であります。本日はよろしくお願い致します」
挨拶の後に仕事内容の確認だ、内容は単純、「密輸品(質量兵器)の移送作業の依頼」だ。
それ自体はゲンヤからすでに聞いていたため、特に疑問な点は無い。
ただ、どうしてもわからない点についてだけ聞くことにした。
「……そのまま本局で処理すれば良いだろうに」
空隊所属の人間だったからこその疑問、密輸品の確保場所の管轄問題の話を聞いても、イオスとしては納得できない部分ではある。
ハロルド達が確保した密輸品ならば、本局で処理を行うのが慣例であるはずだった。
「まぁ……大変だったんだよ。地方の空港で押さえたんだけど、そこでうちの武装隊と現場の陸士部隊が睨み合ってブツを取り合う形になってさ……確保はうちで、処理は地上、そう言う形で妥協したと言うわけさ。部隊指定が出来ただけボクの交渉力を褒めてほしいな」
「そ、それは、また……」
ギンガが表情を引き攣らせる、陸側の人間としてはそれ以外には出来ない。
しかしそれは、陸と海で同じ現場に鉢合わせた際には良くある話でもあった。
お互いに縄張りと権限を譲り合わないため、お互いの顔を立てる形での妥協を図るしかない。
4年前の空港火災などの大規模災害でも、そう言うことはあった。
「機動六課なんてものも出来たし、レジアス中将あたりがご機嫌ナナメになっても仕方ないさ」
「機動六課……ね」
古代遺失物管理部機動六課、先月発足したばかりの新部隊。
新進気鋭の若手で構成されたその部隊は、少数精鋭を掲げ、地上本部の許可なく地上で行動できる部隊として活動している。
今の所具体的な実績は無いが、今回陸士108部隊に移送依頼が来た『レリック』の専任部隊だ。
イオスは良く知っている、その部隊は彼の友人達の作った部隊だからだ。
ちなみにレジアス中将とは、ミッドチルダ地上本部の実質的な
入局40年、最強硬派の剛腕政略家としても知られるベテラン中のベテランだ。
ある意味、あのギル・グレアムよりも格上の人間と言える。
(……地上本部からの圧力があった、ってことか)
そしてその名前をわざわざ出したあたりに、イオスはハロルドの苦悩を読み取れた気がした。
正式な陸士要員であるギンガの前では、それがギリギリの発言だったのだろう。
機動六課の設立を地上本部の反対を押し切って通した本局としては、そのあたり、複雑な事情があるようである。
勢力争い、縄張り争い……だ。
◆ ◆ ◆
「じゃあ、よろしく頼むよ。今回、ボク達が関われるのはここまでだ」
短い話し合いの後、略式の引き渡しの事務処理を行って、イオスとギンガは『テレジア』スタッフが移送対象の密輸品を貨物車に乗せるのを駅で直接確認した。
全自動型、12両編成、無人タイプのリニアレール。
6両目の貨物車に順次乗せられたのは、簡易封印された
ただ貨物専用のリニアであるため、客室のような物は無い。
そのため、最後尾の車両に急ごしらえの人間用の臨時客室が設えられることになった。
とはいえ、貨物車の壁際に椅子を取り付けただけの粗末な物だが。
「悪いね。何分急なことだったから、これぐらいしか出来なかったよ」
「いえ、十分です。書類に不備は無いですし、地上本部の監査も問題無く通るでしょう」
申し訳なさそうな顔のハロルドと握手しつつ、イオスは仕事用のスマイルを向ける。
2人の後ろにはリニア、そして交わした手の上には署名交換した引き渡しの承認書。
後はこれを地上本部にまで運び、正式な部署にさらに引き渡すだけである。
2人の隣では、ギンガとエミリアが同じように握手をしている。
細部の確認事項などを話し合っていて、そこには陸と海の確執は無いように思える。
……まぁ、だからこそイオスが両者に手伝って貰えているわけだが。
ともかく、イオスがハロルドの小さな手から自分の手を離そうとして……ぐっ、と掴まれ、出来ないことに気付いた。
「え?」
『イオス』
にっこりと笑みを浮かべたハロルドの顔を目の前に、イオスの脳裏に固いハロルドの声が響く。
そのギャップに、一瞬戸惑った。
『今回の一件、ボクに知らされて無い何かがある。嫌な予感がするんだ、気をつけて』……では、ボク達は失礼させて貰うよ」
「……ええ」
ぱっとあっさり手を離して、ハロルドはエミリアを伴って去って言った。
転送ポートに向かい、軌道上に留まっている『テレジア』に戻るのだろう。
その背中を、イオスはやや眉を立てて見送った。
「それではイオス一尉、車内に……イオス一尉?」
「……いや、何でもない」
不思議そうに首を傾げるギンガにそう答えて、イオスは彼女に案内される形で車両の中へと向かった。
中に乗り込む直前、前方の車両を見やって――民間の人間と貨物もチラホラ見える――そして、乗り込んだ。
その際、懐のカードを指先で確認しながら……。
◆ ◆ ◆
古代遺失物管理部機動六課、数十人規模のこの部隊は大きく分けて2つの要素で構成されている。
まず第一に前線部隊たる「フォワード」、分隊が2つ所属しており、高町なのはとフェイト・T・テスタロッサの二枚看板が分隊長を務めている。
その他、ベテランの副隊長2名と新人のメンバー4人で構成。
そして|後方支援を担当する「ロングアーチ」、特別な戦闘技能を持たない人員が配置され、部隊長八神はやてが長を務めるために事実上の司令部と目されている。
索敵や人員輸送などの戦闘サポートが主な役目で、施設の保持管理や隊員寮の管理を行う「バックヤード」とは性格を異にするものだ。
「フォワード」の戦闘管制も行うため、非常に重要な部署であると言える。
「部隊長からの連絡は何かあるかい?」
「いえ、今の所は……」
ロングアーチ指揮所、次元航行艦で言う所の艦橋に当たるその場所には、現在は2人の人間がいる。
薄暗いその空間には青白い表示枠やディスプレイの光が浮かび、戦闘時にはスタッフの出入りすら規制される空間ならではのピリピリとした空気が満ちている。
そんな空間をぐるりと見渡しながら、部隊長補佐グリフィス・ロウランは聖王教会に向かったはやてからの連絡の有無を確認した。
陸士制服をきっちりと着こなしたこの若者は、ファミリーネームからわかる通り、あのレティ・ロウランの息子である。
4年前の最初の『レリック』事件にも関わっていた人間である、なのはやフェイトとはその時からの知人である。
母親似なのか、髪色や眼鏡をかけた顔立ちなどはレティの面影が強く残っている。
「今の所、部隊長含めて重要な通報等は無いですね。平和そのものです」
「そう、シャーリーは?」
「今はデバイスルームかと」
そんな彼の相手をしているのは、ルキノと言う名の女性陸士だ。
ルキノ・リリエ、ロングアーチの通信スタッフ、オペレーターである。
ベリーショートの髪に少し幼い顔立ち、どことなく悪い事が出来無そうな、人の良さそうな雰囲気を纏う女性だった。
ちなみにシャーリーとはグリフィスの幼馴染の女性で、本名はシャリオ・フィニーノ。
通信主任とデバイス担当の技術官でもある、多才な人材だ。
グリフィスやルキノと同じロングアーチスタッフで、有事にはルキノと共にオペレーターを務める。
ただ今は、前線メンバーの新人4人のデバイスの件で席を外している。
それともう1人アルトと言う通信士がいるが、こちらも今は別件でいない。
「1か月前はどうなるかと思ったけど、今の所は順調ですね」
「うん。ただ、えてしてこう言う時が一番危ないから。こう言う時こそ気を引き締めて行かないと」
「あはは、真面目です……ね?」
その時、ルキノの手元の通信端末に緊急連絡の前兆である赤ランプが灯った。
通信担当である彼女はその意味を悟ると、即座に――訓練で培った反射的な動作――掌で端末のあるキーを叩いた。
グリフィスとの会話を切って行われたその動作は、まさに身体に染みついた動きと言えた。
「どうした!?」
「部隊長より緊急連絡――――アラートです!」
直後、隊舎全体に響き渡るアラートの音。
赤色灯の点滅の中で、ルキノの言葉にグリフィスは息を飲んだ。
アラート、一級緊急体制……実戦だ。
そしてそれは、この1ヶ月間沈黙を保ってきた機動六課の初出動を意味していた。
◆ ◆ ◆
聖王教会からの出動要請、エーリム山岳丘陵地区にて通行中のリニアをガジェット30体以上が襲撃。
その報が部隊長であるはやてからもたらされた直後、機動六課は俄かに様々な動きを加速させた。
その中で、ヴァイス・グランセニックもまた速やかに隊舎屋上ヘリポートに駆け込んでいた。
「おいアルト、ヘリは出せるんだろうな!?」
「いつでもOK、ばっちりです!」
「いよぉしっ」
ヘリポートで大型輸送ヘリの最終チェックをしていた後輩は、茶色のショートヘアの髪先を揺らしながら親指を立てて来た。
彼女はアルト・クラエッタ、ロングアーチ通信士兼整備員を務める。
機嫌が良さそうに見えるのは、丹精込めて整備したヘリがいよいよ実戦投入されるからだろう。
何しろ六課への参加理由が、「最新型のヘリが触れると聞いて!」だ。
かく言うヴァイスも、不謹慎ながら胸を躍らせながらヘリのタラップに足をかけた。
何しろ六課の参加理由は「武装隊用の最新鋭ヘリを動かせると聞いて!」だったし、それに彼自身、訓練ばかりの毎日よりは前線に出たがる性分だったからだ。
ヘリの中に飛び込みながら、まだ誰もいない内部で声を張り上げる。
「『ストームレイダー』、発進準備だ!」
<Take off standby>
ヘリのAIとして搭載されているインテリジェントデバイスに声をかける、すると彼の声に応じるようにヘリのエンジンローターが回転を始める。
この輸送ヘリは六課の足だ、空を自由に飛べる隊長陣はともかく、陸戦が主体の新人フォワード陣はこれが無くては長距離の移動ができない。
特に今回のように現場が動く場合、転送では位置がズレてしまう可能性もある。
ヴァイスは操縦席に飛び乗るように座ると、サイクリックスティック――いわゆる操縦桿の間に足を入れ、コレクティブレバーの先端のライトとミラーのスイッチを確認する。
その他、高度計、昇降計、姿勢指示器、航法計器、対気速度計、航法計器、頭上の電気関係のパネルなどを次々にチェックしていく。
基本はデバイスが行うが、それでもパイロットの業務が減るわけでは無い。
「さぁーて、リイン曹長にしっかりやれって言われてるからな。きっちり仕事してやろうぜ、相棒」
<OK>
ガラス向こうで手振りでサインを送ってくる誘導員に指でサインを返しつつ、ヴァイスは初の出動に胸を躍らせる。
MAe製JF704式ヘリコプター、倉庫で眠らせておくには惜し過ぎる機体だ。
操縦桿を握り、いつでも、と言う体勢で彼が運ばなければならない前線メンバーの到着を待つ。
なお、彼はシグナム――武装隊での彼の直属の上司、今はフォワードの分隊副隊長――の推薦で六課入りしている。
現役の武装隊員でありながらA級ヘリパイロット資格を持つ人材は意外と少なく、「戦闘の出来るヘリパイロット」として配属されている。
多少裏技だが、これでも8年目、有事であれば彼自身も前線に投入される覚悟は出来ていた。
「機動六課フォワード部隊、到着しました! 点呼完了、よろしくお願いします!」
「おぉしっ、座席に座ってベルトを締めな! 急ぎで行くぜ、新人共!」
「「「「はいっ!」」」」
ヘリ後部のスペースに駆け込んで来たのは、機動六課のフォワード部隊、前線メンバーだった。
人数は6人と1匹、ただし1人はロングアーチスタッフだ。
そして4人は新人の若手、この1ヶ月間ずっと現役の戦技教導官を相手にガジェットとの戦闘を想定した訓練を受けていたのだ。
不意に、後部から操縦席に顔を出してきた人物がいる。
陸士制服を着た栗色の髪をサイドアップにした女性で、年齢の頃は20歳に届くかどうか。
意志の強そうな瞳に、10人中10人が「美人」と称するだろう容貌を持つその女性は、人懐っこそうな笑みを浮かべると。
「じゃあ、ヴァイス君。お願いね」
「うっす、なのはさん。任せといてくださいよ、安全運転でカッ飛ばしますんで!」
「うん、よろしくね」
高町なのは、階級は一等空尉、役職は戦技教導官。
機動六課の二枚看板の一角にして、フォワード部隊の一つであるスターズ分隊の隊長。
そして――――時空管理局の誇る<エース・オブ・エース>。
不屈の心を持つ女性の存在に鼓舞されたように、ヴァイスが操縦桿を引いて一気に機体を持ち上げる。
AIたる『ストームレイダー』がローターをさらに回転させ、浮力と速力を生み出す。
深緑のヘリが、ミッドチルダの空に飛び立った。
――――機動六課フォワード部隊、出動の瞬間である。
◆ ◆ ◆
「……うん?」
ガタゴトと揺れる車両の中で、イオスは不意に顔を上げた。
彼の手元にはいくつかの表示枠が開いており、彼の顔を照らしている。
壁際に椅子がついただけの無骨な車内には、鉄輪式のリニアが揺れる音以外には何も聞こえない。
ただ、天井近くの丸窓の向こう側を何かが横切ったような気がした。
「どうしたんですか?」
「いや……」
イオスと向かい合う座席に座りながら、同じように表示枠を開いて仕事を進めていたらしいギンガが顔を上げる。
時間を確認すれば、出発からすでに一時間強が経っている。
それまでは、特に何事も無かったのだが……。
鈍い音と共に、車両の床が震えた。
何かが衝突する音と、金属製の何かが抉れる音、そして突然の急ブレーキが突然襲いかかってきた。
ブレーキの音が耳をつんざくように響き、車両の揺れが異常とわかるそれに変わる。
イオスとギンガはそれぞれ座席や壁に手をつく形で身体を支える、流石に足場が揺れるくらいでバランスを崩すような鍛え方はしていない。
しかしその直後――――「それ」が来る。
「……っ、今のは何ですか?」
「さぁ、わからん。ただ……よろしくねぇな」
電磁波のように周囲に拡散した「それ」を、イオスは知っている。
感覚として理解したのか、ギンガが何かを確認するかのように左手の掌を開閉する。
<Searched jammer field>
そしてカード状態の『テミス』が検知したそれは、イオスにとっては懐かしさすら感じる物だ。
効果範囲内の魔力結合を阻害する、フィールド系防御魔法。
それが、極めて至近距離で発動されている。
「……AMFだ」
「AMF、これが……」
呟くように確認するギンガに、イオスは頷く。
AMFの中に取り込まれた魔導師がどうなるか、想定できない程に2人は物を知らないわけではない。
特にイオスは、実際にこれを放つ相手と戦闘を行ったことがあるのである。
(ハロルドの心配が当たった形か……)
非常に面倒な事態だ……イオスにとっても、ギンガにとっても。
さて、どうするか。
鋼鉄の牢獄と化したリニアの中、イオスは天を仰いだ。
最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
キャリバー来るまでは自作で頑張るしかない、そんな理由。
そう言うわけで、個人的に何故か無意味にギンガさんプッシュな回だったような気がします。
おそらく、プロローグの流れを引き摺ったのかもです。
そして次回は、原作で言う所の「ファーストアラート」ですね。
いくつか変えてみたい描写があるので、頑張ってみます。
それでは、またお会いしましょう。