魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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雌伏編第14話:「人生、まとめに入ってます」

 

 時空管理局査察官ヴェロッサ・アコースの下で働くようになって2年以上が過ぎた頃、イオスは少しずつではあるが上司の裁可を受けずに処理できる仕事を増やしていた。

 そして残暑厳しい9月の中旬、その日もイオスは査察任務のためにミッドチルダ西部のある場所を訪れていた。

 

 

 他の管理局の施設もそうであるように、白を基調とした巨大で荘厳な作りの隊舎。

 管理局、陸士部隊、そしてこの部隊のシンボルが刻まれた三つの旗を掲げるその施設の正門には、立派な表札にこう刻まれている。

 

 

「……陸士108部隊、地上部隊の中でもリベラルで知られる部隊、ね」

 

 

 周囲を焦げ茶の地上部隊の制服に囲まれる中、紺と白が基調の空隊の制服を着た彼は非常に目立っていた。

 陸と海は同じ組織に包合されているとは言え、現実には制服からシンボルから文化、人事制度、装備に至る全てが異なる。

 対立する中で共通性が失われたのか、共通性の希薄さが対立を生んだのかはもうわからない。

 

 

 わかっていることは、それでも互いにある程度協調しなければ次元世界の平和を守れないと言うことだろう。

 そしてそれでも完全には協調し得ない所に、現実の厳しさがある。

 中には、例外ももちろんあるのだが。

 

 

「失礼します、イオス・ティティア査察官補でお間違いないでしょうか?」

 

 

 その時、正門前で静かに待つイオスの前に1人の女性が姿を現した。

 先日、スケジュールを合わせた際にここでの待ち合わせと言うことになっていたのだ。

 査察任務のため、部隊側から内部の案内と紹介を頂ける迎えの人材だ。

 この2年の経験で、査察任務に対する各部隊の妨害にも似た歓待は何度も経験している。

 だからイオスは、さして期待値を上げること無く振り向いた。

 

 

「その通りだ。失礼だが、貴女、は……?」

「はい、私、ここ陸士108部隊に所属しております。部隊長専属秘書の……」

 

 

 しかしそうした冷めた思考を、イオスは瞬間的に忘れることになる。

 何故か? 相手が自分より年下、14、5歳前後の美しい少女だったからだろうか。

 いや、そうしたハニートラップ的なものは過去2年で何度か経験した。

 何よりある意味で「美人慣れ」している彼に、女と言う籠絡方法は効果が薄い。

 

 

 だが、それでもイオスは目を丸くして目の前の少女を見つめた。

 深い紺色の髪を腰まで伸ばして、どこかのお嬢様のようにロングの髪の一部を頭の後ろで青いリボンで飾っている。

 その髪色、顔立ち、そして雰囲気が……彼の記憶中枢を刺激した。

 と言うのも、彼は数年前に一度だけその女性に会ったことがある。

 

 

「……クイント、さん?」

「え……?」

 

 

 突然のイオスの呟きに、少女は目を丸くして自己紹介を止めた。

 中途半端な形になった敬礼はどこか間の抜けた風に見えるが、それでもそうは見えないのは少女の纏う清新な空気のせいだろうか。

 とにかく、イオスと少女……かつてイオスを助けた女性に似た少女は、しばし見つめ合うことになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「なるほど、クイントに……」

「ええ、何年か前の任務で救って頂きました」

 

 

 陸士108部隊の応接室において、イオスは相手の言葉に頷いた。

 テーブルを挟んで上座のソファに座る相手は、少しくたびれた陸士の制服を着た壮年の男性だった。

 髪も眉も白いその男性は陸士108部隊の部隊長、ゲンヤ・ナカジマ三等陸佐である。

 彼は懐かしそうに顎先を撫でると、深々と息を吐いた。

 

 

 それを見つめるイオスの手元に、紅茶の入ったカップが置かれた。

 紅茶を置いたのは、隊舎の正門前でイオスを迎えに来た少女だ。

 深い紺色の髪の、かつてイオスの窮地を救った女性捜査官に酷似した少女。

 

 

「どうぞ」

「ああ、どうも……」

「いえ」

 

 

 ふわりと微笑するその少女の名は、ギンガ・ナカジマ。

 かつてイオスが出会ったクイント――クイント・ナカジマの娘であり、娘であるが故に似ているのかとイオスは納得した。

 ただ、イオスがクイントに再会できる可能性も同時に潰えてしまったのであるが……。

 

 

「……何も知らず、無神経なことを」

「ああ、いや、海の連中が知らないのは無理も無ぇさ。なぁ?」

「はい、父さ……部隊長」

 

 

 慌てて言い直したが、ギンガはこのゲンヤの娘でもある。

 つまりゲンヤとクイントは夫婦であり、そして……クイントは、もういない。

 すでに故人だったのだ、事情はイオスにはわからないが何年か前に。

 だからこそイオスも過ぎたことを言ったと謝罪しているわけで、ゲンヤは手を上げてそれには及ばないと言っているのである。

 

 

「まぁ、何だ。もし気にしてくれるなら、俺達じゃ無く、クイントに直接言ってくれや」

「……わかりました。いずれ、また」

 

 

 詳細については家庭の事情と言うこともあり、聞かない。

 そんなイオスの様子に頷いて、ゲンヤは別の話を切り出す。

 つまり仕事の話で、イオスもそもそもの訪問理由を思い出して居住まいを正した。

 

 

「それでは、不定期査察に関する報告と、最終チェックの手続きについて。本題に入らせて頂きます」

「ん、頼むぜ若いの」

 

 

 イオスの訪問の目的は陸士108部隊の活動に関する査察、その最終報告のための手続きだ。

 本来ならば嫌がられるはずの訪問、しかし故人を介した繋がりが、場の雰囲気を和やかな物にしていた。

 それは、イオスにとっても初めてのことだったかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 査察官及び補佐を行う査察官補は、不定期に各世界・各部隊の査察を行う。

 定期的な物だと査察される側は備えをしてしまう、だからこその不定期査察。

 基本的に対象部隊に内密で行われ、ある日突然通知される。

 ……「貴部隊の査察を完了した」、と。

 

 

 そしてその数日後に査察官か査察官補が出向き、査察の結果の報告が行われる。

 極めて査察官側に有利な内容であるため、各世界・各部隊の局員達からは嫌われる手法だ。

 しかし査察官側から言えば、これくらいしなければ管理局の内部秩序を保てないと言うことだろう。

 

 

「陸士108部隊の査察に関してですが……概ね、ミッド地上本部の規定の範囲内であると認められます。月々によって支出に差が出るのは気になりますが……昨年4月の支出については、例の空港火災に関する物として了解していますが?」

「ああ、そうだ。あれはひでぇ事故だった……」

 

 

 いくつかの表示枠を開き合って見つめる中で、ゲンヤは思い出すように頷いていた。

 新暦71年の4月、イオスは直接関わっていないが、彼の知り合いが何人か介入して解決した大規模事故。

 原因は未だに不明だが、臨海空港の設備が壊滅した大規模事故だった。

 

 

「あの時は、付近の部隊が陸のも空のも呼び出されてなぁ……ああ、いや」

 

 

 話が逸れたと感じたのか、ゲンヤは首を左右に振って話を切った。

 その際ゲンヤの後ろに立つギンガがやや表情を翳らせたが、それはすぐに消えた。

 確かに、それは査察とは直接は関係の無い話だと感じたからだ。

 イオスも目を閉じ、考えを落ち着かせた後、仕事として言うべきことを言うことにする。

 

 

「昨年4月の支出増と5月の歳入増、これ以外については概ね「可」であると認めます。よって今回の不定期査察に関しては、陸士108部隊を了とします」

「了解、任務ご苦労さん」

 

 

 席を立って軽く敬礼、同時に周囲に展開していた陸士108部隊の財務関連のデータなどが記された表示枠を消した。

 それで仕事は完了、後は速やかに隊舎を去るだけだ。

 その後は行きと同じように、ギンガに隊舎の外まで送って貰った。

 特に会話が弾んだわけではないが、周囲の視線をかわすことが出来た。

 

 

「妹が今、陸士の訓練校にいるんです」 

 

 

 別れ際、ギンガはそんなことを言った。

 イオスはそれを受けて、クイントの娘がもう1人いるのかと思った。

 あの、強い輝きを瞳に秘めた女性の娘が。

 まぁ、イオスが陸士訓練校に赴くことがあるかはわからないが。

 

 

「いつか、会ってやってくださいね。元気な子なので、ちょっと面喰ってしまうかもしれませんが」

「はは、まぁ、機会があったらな」

「はい、ぜひ」

 

 

 その時のギンガの微笑は、妙に印象に残った。

 それがクイントに似ていたからか、ギンガ自身の人間的魅力なのかはわからない。

 ただ、イオスの目に印象的に残ったことは確かだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 陸士108部隊での査察任務を終えた後、イオスは本局へと戻った。

 それは直属の上司に報告するためであって、しかし彼の上司はいつものように遅刻してやってきた。

 2年もその下で働いていれば慣れて来る物で、しかもヴェロッサ自身が仕事を滞らせることは無いので気にしても仕方が無いと言う心境に達してさえいた。

 

 

「いやいや、イオス君が優秀で助かるよ」

「そいつはどーも」

 

 

 特に感慨も無くヴェロッサの言葉に頷いて、イオスは陸士108部隊の査察に関する表示枠を消した。

 今回の任務はイオスの査察官補としての最後の任務でもあり、試験としての意味も兼ねていた。

 査察官補が査察官へと位階を上げるためには2年以上査察官補の下で経験を積み、その上でいずれかの艦か部隊に所属して研修を受け、その上で試験を経る必要がある。

 そして今日の任務で、イオスは査察官の下での研修を完了することになったわけだ。

 

 

「キミの配属先についてはいろいろ案はあるけど、まぁ、数日以内に人事部の方から連絡があると思うよ。それまではいつも通りかな」

「なるほど……ちなみに今日は?」

「うーん、とりあえず今日の所は後は休みで良いと思うよ。思ったより早く終わったみたいだしね」

「りょーかい」

 

 

 適当な敬礼をした後、イオスは姿勢を崩した。

 そんなイオスにヴェロッサが歩み寄り、片眉を上げる親しげな笑みを浮かべて肩を叩く。

 

 

「どうだい、お茶でも?」

「いや、仕事しろよ」

「してるさ、ちゃんとね」

「……そうか、なら義姉のお付きのシスターに言い付けても大丈夫だよな?」

「それだけはやめて!?」

 

 

 などと上司と部下とは思えないような会話をしつつ、イオスはヴェロッサと共に本局のヴェロッサの執務室――こう言う日でも無いと使わないが――から出た。

 会話の内容は、何と言うか、彼らの2年間を象徴しているかのようだ。

 以前、彼の義姉のお付きのシスターから受けた同情の視線が忘れられないイオスだった。

 

 

 とはいえこの後の予定は特に決めていない、なので何なら本当にヴェロッサの提案に乗って軽食でも食べに行くのも悪くないかもしれない。

 そんなことを考えて、2人連れ立って食堂の不味いコーヒーでも飲みにいくかと言う話になった。

 流石に勤務時間中にミッドの街に繰り出すわけにはいかない、いやヴェロッサは乗り気だったが。

 

 

「何だ、珍しいな。2人揃って」

「おや、クロノ君じゃないか」

「あらほんと。そっちこそ珍しいな、戻ってたのか」

 

 

 ちょうどその時、次元航行艦の長期任務でしばらく会っていなかった友人と出くわした。

 黒髪の長身――子供の頃の面影が無い程――の彼は、イオスとヴェロッサに気安げな笑みを返すと立ち止まった。

 すると、イオスとヴェロッサは急にニヨニヨとした笑みを浮かべる。

 

 

 それに対してクロノは首を傾げるが、彼らが自分の左手を見ていることに気付いて慌てて隠した。

 提督服を着ている青年がそれをやると、非常に違和感がある。

 ちなみに隠したのは薬指の銀のリング、いわゆる結婚指輪と言う物だった。

 相手が誰かと言うのは、もはや言う必要も無い。

 つい数ヵ月前に籍を入れたばかり、いわゆる新婚さんと言うものだ。

 

 

「いやぁ、それにしても意外でしたねヴェロッサ先生」

「そうだねイオス先生、まさかクロノ君に限って……いや、意外と見た目通りだったりして?」

「み、妙なことを言うな! こんな公衆の面前で……」

 

 

 顔を赤くして叫ぶクロノに、2人はますます笑う。

 クロノは周りを気にしているようだが、実際、周囲の局員、特に女性局員は彼らを見ている様子だ。

 ただ意味合いはクロノが考えているようなものとは違うだろう、おそらく。

 まぁ、クロノが考えている通りの意味で見ている人間もいるのかもしれないが……。

 

 

「いや、だってまさかお前ができちゃっ」

「うわああぁっ、黙れこの馬鹿!」

 

 

 もがもが、とクロノに口を押さえられる呻くイオス。

 その様子を見ていたヴェロッサがたまらず腹を抱えて噴き出し、クロノはますます顔を赤くする。

 とても憮然とした表情を浮かべつつも、しかし事実なので反論はしない。

 ……何しろ、常に彼の傍についている女性が今はある事情で休暇中なのだから。

 

 

「まったく、タチが悪い……」

「はっはっはっ、失礼しました、クロノ提督」

「まったくだ」

 

 

 軽く敬礼などして見せるイオスに対して憮然とした溜息を吐いて、クロノは腕を組んでそっぽを向いた。

 ただ、そんなクロノをイオスは感情のこもった目で見つめている。

 その感情が何なのかは本人にしかわからない、眩しい物を見ているようでも、懐かしさを覚えているようでも、喜んでいるようにも見える。

 

 

 ただ、幼馴染の幸福そうな姿は見ていて心に優しい。

 そう思って、イオスは心の中で「良かった」と頷く。

 何しろ、幼い頃に一緒に修行を始めた頃にはまさか……。

 ……今となっては、懐かしいばかりだ。

 

 

「……ああ、そうだ。今から暇か?」

「ん? まぁ、時間は少しあるが……」

 

 

 急に話を振られて首を傾げるクロノに、イオスは頷きを返した。

 ヴェロッサが興味深そうに見守る中、彼は笑みながら言った。

 それはどこか、彼の士官学校時代を思わせる口調で。

 

 

「ちょっと、付き合えよ」

 

 

 そんなイオスに、クロノは首を傾げていたが……。

 しかし、不意にイオスの雰囲気から何かを察したかのような表情になって。

 苦笑するように笑って、頷いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あー……もう何も上手くいかへんー!」

「あ、主……? ストレスが溜まるのはわかりますが……」

 

 

 本局第六技術部、古代ベルカ式デバイスを専門に研究するその場所で、はやてはストレスと戦っていた。

 今日も今日とて『夜天の書』の再起動に関する研究開発が上手く行かず、癒し系として第六技術部に華を添えていたリンフォース・ツヴァイも今はフルメンテでマリーの所なので、彼女のストレスは頂点に達しようとしていたのだ。

 

 

 だからなのか、家族の中で唯一の役職なしであるザフィーラの狼形態に抱きつき、その豊かな青い毛並みに顔を埋めているのである。

 ちなみにザフィーラ自身は困った様子で、しかし主を振り払うことも出来ず、はやてに抱き締められるまま不動を保っている。

 

 

「ああ、もう……どうしたらええの? 基礎構造の構築式って夏休みドリルみたいにネットの回答載ってないん!?」

「あ、主。それは流石に載っていないかと……」

「わかっとるわー!」

 

 

 うりうりうりうりー、と、ザフィーラに抱きつくはやて。

 数ヵ月前に中学を卒業してからはミッドチルダに引っ越したため、以前にも増して第六技術部に泊まり込む日々が続いている。

 そのためかストレスの爆発も激しい、ザフィーラとしては耐える他ない。

 

 

「まぁまぁはやて、大丈夫だって。それでもちょっとずつ進んでるから」

「そやかて……」

 

 

 ザフィーラのモフモフの毛並みを抱き締める少女の髪について毛を指先でいくらか取ってやりながら、リーゼロッテは微妙な笑みを浮かべてはやての隣にしゃがみ込む。

 猫の尻尾が力無く揺れているのは、はやてを心配しているためだろうか。

 しかし、彼女がこうしてはやてを心配していられる状況自体が一種の奇跡であるとも言えた。

 ロッテ自身、強くそう思う。

 

 

 リーゼロッテ……もっと言えば、はやてとギル・グレアムの関係は、そう言う物だ。

 利用した者と、された者。

 そんなリーゼ姉妹がはやての目的である『夜天の書』の再起動を手伝うのも、運命の皮肉のように思えてならない。

 贖罪の形としては、そう思わざるを得ないだろう。

 

 

「……ちょっと外に出て、気分転換でもしてくれば? ここは私達で見てるから」

「でも……」

「昨日は寝てないでしょ? ただでさえ捜査官と部隊長研修で忙しいのに……このままじゃ効率も下がるし、仮眠くらいはしないと」

「……」

「主」

 

 

 沈黙するはやてに、ザフィーラが初めて自分から声をかけた。

 毛並みの中に顔を埋めた少女は、沈黙したままそれを聞いた。

 

 

「アレも、貴女が無理をするのを望みません」

「……うん、そうやね。そうやよね」

 

 

 その様子に、ロッテは寂しげな笑みを浮かべる。

 そこには確かに、彼女には入れ込めない空気があった。

 ザフィーラの言葉に素直に頷いたはやては、その場を彼とロッテに任せて、それから目の前のガラスの向こう側を見て……それから、第六技術部を後にした。

 

 

「……うー、急にキた……」

 

 

 そして部屋を出た途端、急に意識が朦朧とするのを感じた。

 流石に徹夜はキツいらしい、今、緊急の出動があればかなり厳しい状態に置かれそうだった。

 いつかのなのはの例もある、休息には気を付けようと思った。

 

 

 しかし……と、はやては仮眠室に向かう通路の途上で周囲を見渡した。

 妙に騒がしい気がしたのだ、いつもより人が多い。

 人通りが多いのはいつものことだが、しかし今日はいつにも増して……。

 

 

「おい、聞いたかよ!」

「ああ、聞いた。すげーんだってな!」

「提督と査察官補が模擬戦だって――――」

「あの『アースラ』の艦長が……」

「アコース査察官とこの……」

「ハラオウン組がまた何か――――」

 

 

 ……?

 欠伸を噛み殺しながら首を傾げて、はやては人々の話の尾ひれを耳に入れた。

 どうも気になる単語が出ているようなのだが、はたして。

 

 

 そう思って話の内容を辿って行けば、そこは本局の訓練室の一つだった。

 とりとめて特徴の無いノーマルなタイプのそれで、はやては首を傾げる。

 どうやら、誰かが訓練以外で遣っているようだ。

 

 

「何やの……?」

「ん? ……ああ。やぁ、はやてじゃないか!」

「あー……ロッサ?」

 

 

 その時、何やら自販機か何かで買ってきたらしい缶コーヒーを3つ持った白スーツの青年がやってきた。

 はやてに親しげに近付いて来るその青年ははやても良く知っていて、つい愛称を口にしてしまった。

 まぁ、呼ばれた相手はそれでさらに笑みを深めたのだが。

 

 

「久しぶりやねー……って、そのコーヒーどうしたん?」

「ああ、これかい? これは……っと、もう始まってるね。はやても来るかい?」

「……?」

 

 

 良く分からないが、手招きに応じる形ではやてはヴェロッサの後を追った。

 ロッサは直接訓練ルームの方へは行かず、少し遠回りして別の部屋へと入った。

 そこは士官クラスの人間が武装隊の公開訓練を視察する際に使う部屋で、ガラス張りの壁の向こうに訓練ルームが臨める部屋だ。

 はやては来るのは初めてだったが、ヴェロッサはそうでもない様子で。

 

 

「お、始まってる始まってる」

「あれって……」

 

 

 ヴェロッサの横に立ち、はやては眠気が飛んだ顔でガラスの前に立った。

 その向こう側では模擬戦が行われているらしく、2人の魔導師が入れ替わり立ち替わり……と言うか、その2人ははやても良く知る人物だった。

 

 

「クロノ君に、イオスさん!?」

(うーん、これはどっちの方が近しいと判断するべきかな?)

 

 

 驚くはやての隣で、ヴェロッサは苦笑する。

 はやての2人への敬称のつけ方について考えながら、彼は缶コーヒーを開けた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 加速のコマンド・ワードの宣言と共にお互いの魔力弾と流水の矢が加速する。

 それは迎撃に向かうお互いを器用にかわし合いながら相手を捉え、回避と制御を同時に行うことを術者に要求する。

 その一方、青白い魔力弾を避けつつ回避しつつイオスは舌を打っていた。

 

 

(ちっ……相変わらずいやらしい位置に魔法を仕掛けやがる)

 

 

 例えば、設置型のバインドの仕掛け方だ。

 魔力弾で自分をある一定方向に誘導しつつ、あらかじめ設置しておいた不可視のバインドで捕らえようとしてくる。

 しかもクロノの死角に向かうと必ずと言って良い程の確率で仕掛けられているのである。

 正直だんだんと嫌になってくる、魔力の帯を指先で空間に躍らせながらそう思う。

 

 

(こうして見ると、本当に便利なデバイスだ……)

 

 

 一方でクロノもまた、舌打ちしたい心地に陥っていた。

 何しろイオスの方が機動自体は速い、それだけならフェイトで慣れているのだが、不可視の仕掛けに対する探知能力の点でイオスの『テミス』の右に出るデバイスは無い。

 半自動防御をプログラムされたストレージデバイスは、設置型バインドが発動する前と直後、イオスに絡まる魔力の鎖を弾いたり絡んだりして防いでいる。

 

 

「……『スティンガーレイ』!」

<Stinger ray>

「うおっと、『スピア・レイ』!」

<Spear ray>

 

 

 自分を中心に広い訓練室を回りながら回避するイオスに直射型の光の槍を放てば、同じだけの規模の流水の槍が放たれてくる。

 魔法構成が似ているのは、単純に師が同じだからではない。

 幼い頃、共に考え修得した魔法だからだ。

 

 

 光が弾け飛び、水が蒸発する音が響く。

 それに対して、2人の魔導師はそれぞれに心の中で舌を打つ。

 一方は相手の魔法制御力の高さを毒吐き、一方は相手の展開速度に対して毒吐いた。

 

 

((……埒が明かない!))

 

 

 このままでは消耗戦だ、こうしている間にも小規模の魔力弾や流水の矢が互いの近くを擦過している。

 こうした小規模魔法をマルチタスクによって維持することは簡単だ、しかしそれは同時に魔力を消耗して行くことと同義だ。

 決定的な攻撃を行うためには、邪魔ですらある。

 それを互いに察した数秒後、イオスがグルグル訓練室を回っていた足を止めると同時に。

 

 

「行くぜ……!」

 

 

 互いの弾幕にも似た攻撃を途切れさせて、同時に着地に使った足に魔力を込めるイオス。

 それはかつて、彼の師の1人から教えられた加速法だ。

 極めて短い距離を転移するための術式を、自身と相手の後方を繋げるように使用する。

 そして、跳ぶのだ。

 

 

「――――オラァッ!」

 

 

 転移、そして相手の背中。

 視界の急激な移動に頭も身体も置いて行かれないようにするために、どれだけの時間をかけたか。

 右足、相手の背中から右の脇腹へ爪先へと叩き込む……!

 

 

 しかしそれは、防がれてしまう。

 防御される。

 まるでイオスの行動を読んでいたかのように、クロノはデバイスの白い杖を立てて脇腹に触れる寸前でイオスの蹴り足を押さえていた。

 

 

「お前自身が言った言葉だ、イオス」

「あ?」

「その蹴りは――――」

 

 

 ――――僕達が、最も受けて来た蹴りだ。

 そう言った直後、イオスの右足に異変が起こった。

 急な冷気を感じた後に逆に熱、それを感じて、イオスは足を逆に振ってクロノから離れた。

 身体を回して立てば、右足はまるで霜でも……否、霜どころでは無く。

 

 

「氷結……か!」

「その通り」

 

 

 バリアジャケット越しに凍りついた右足を軽く振り、表面の氷を払い落とす。

 もう少しあの白き杖、クロノが掲げて見せる『デュランダル』に触れていれば完全に凍りついてしまっていただろう。

 それはつまり、近接での攻撃のほとんどが受け切られてしまう可能性を示唆していた。

 

 

「おいおいおいおい、氷結とかお前……ダメだろう、それ」

 

 

 だがそれでもなお、イオスの表情は翳らない。

 それに対して、クロノは己の中の警戒心が首をもたげるのを感じた。

 冷えた空気の中、クロノは『デュランダル』を構えながら後ろを……と、その時。

 ぽつり、と、何かが彼の肩を打った。

 

 

「……雨!?」

 

 

 そう、それは雨だった。

 もちろん訓練室に雨は降らない、ならば答えは一つだ。

 それこそ、クロノはこの雨を一度見たことがある。

 

 

「『レイン・フォール』、いつの間に術式を……さっきの回避の最中にか!」

「ご明察、別に好き好んでアクション激しく逃げ回ってたんじゃねーっての」

 

 

 不敵に笑って、イオスが鎖を巻いた右腕を、まるでガッツポーズでもするかのように拳を握り。

 

 

「『ダウンプア・ソーン』……!」

<Blast>

「――――!?」

 

 

 土砂降りになった空間の中、雨の粒が形状を針へと変える。

 『流水』の属性のそのままに、雨粒の針へと姿を変えたイオスの魔力が全方位からクロノを襲った。

 クロノは『デュランダル』を掲げたが……防ぎきれるはずもなく、そのまま飲みこまれる。

 

 

「ふぅ……悪く思うなよクロノ、これも勝負ってね」

 

 

 策が嵌まった形になったイオスは、掌の甲で額を拭う。

 右足と言う犠牲を払ったものの、概ね満足できる内容だ。

 通算の勝敗などいちいち数えていないが、しかし最後の模擬戦で勝てば勝ちだ。

 いろいろなことに白黒つけたくて、最後の模擬戦を行って……。

 

 

「うぉ……」

 

 

 しかし、イオスはそれを見てかすかに引いたような声を出した。

 彼の眼前で起こっている光景は、それだけの価値があった。

 何しろ『ダウンプア・ソーン』の余波が去った後にそこに存在していたのは、無数のつららのような物を備えた白い塊だった。

 もっと言えば……氷結して固定された、雨の粒。

 

 

「……やべ!?」

 

 

 イオスはそれから一歩下がった、何故ならその氷の塊の周囲に青白い無数の魔力の刃が形成されたからだ。

 イオスは、あの術式を嫌と言う程知っている。

 師匠譲りの高密度魔力展開、しかも速度と精度が半端ではない。

 アレは、クロノの『スティンガーブレイド・エクスキューションシ――――。

 

 

 イオスが懐に入れた指先を掲げるのとほぼ同時に、無数の魔力刃がイオスに殺到した。

 着弾と同時に連鎖爆発したその魔法は、対象ごと周囲の全てを薙ぎ払った。

 その衝撃で震えるように崩れた氷の塊の中から、多少バリアジャケットを汚れさせたクロノが顔を出す。

 

 

「……悪く思うなよイオス、相手が勝利を確信した瞬間こそ最も隙が生じる瞬間だからな」

 

 

 そう言って、肩先に積もった氷の結晶を払う。

 イオスがクロノの先を読むように、クロノもイオスの先を読む。

 それくらいの付き合いはあるつもりだし、何よりクロノも負けるつもりは無かった。

 幼い頃から、何度も繰り返した組み手や模擬戦に……決着をつけようと言うのだから。

 

 

「属性的に『流水』は『氷結』に対して不利だ。現に発動が遅れてもギリギリの所で防げる……」

 

 

 魔力変換資質持ちは、そのレアスキル故に純粋な魔力攻撃が不得手だ。

 だから基本的の資質に依存した魔法を使う、その意味でイオスはクロノに対して不利なのだ。

 そして『デュランダル』ある限り、ほとんど唯一クロノに勝る近接戦も……。

 

 

「……確かに、属性的にはそうだな。けどよ……」

「……っ!」

 

 

 『スティンガーブレイド・エクスキューションシフト』の余波の中、クロノの視界に声と共にある物が映った。

 1メートル程はある楕円形のフォルム、コアクリスタルを包む漆黒の外観。

 倒し切れていない、そう判断して、クロノは『デュランダル』を構え直す。

 そう、失念していた……イオスには、『デュランダル』を対を成すデバイスがもう一つあった。

 

 

「『カテナ』か……!」

「おうよ、展開ギリギリでマジでヤバかったぜ……」

 

 

 それでも全ての余波を受け切れなかったのか、端々を切れさせたバリアジャケット姿のイオスが白煙の中から姿を現す。

 『カテナ』、全ての――特に正面からの――魔力攻撃に対して強固な防御力を誇るデバイス。

 かつて、『スターライトブレイカー』でさえ防いだ黒き盾である。

 

 

「あー……何か、ギャラリー増えてね?」

「そうだな……ロッサの奴か?」

「アイツ何とかしろよお前、友達だろ」

「上司だろうが、キミが何とかしろ」

「無理だろ」

「僕もだ」

 

 

 ギャラリーが増えようがどうしようが、しかしやることは変わらない。

 最後に勝つ、それだけだ。

 それぞれのデバイスを構えて、2人の青年が向かい合う。

 

 

「さて……仕事もある。そろそろ決着と行こうか」

「負けてくれんのか?」

「まさか」

 

 

 ぎし、と杖を強く握って、共に修行を始めた5歳の頃よりずっと大人になった青年は笑う。

 その微かな笑みは、幼い頃から変わっていない。

 対する水色の髪の青年も、子供の頃から変わらない笑みを浮かべている。

 変わったのは、環境と立場、そして想い、いや、想いと願いは変わらない。

 

 

 しがらみと、やるせない出来事と……虚しさが満ちた世界で。

 それでもなお、それぞれのやり方で光に手を伸ばしながら。

 それが欲しいと、手を伸ばしながら。

 

 

「キミが……!」

「――――負けろ!!」

 

 

 幼い頃よくそうしていたように、2人の姿が交錯する。

 ギャラリーの歓声をバックにするのも、違う点かもしれないが……ただ。

 ただ、観客の1人である八神はやてと言う少女は、それを見て後にこう語ることになる。

 

 

「何と言うか、大きな子供が喧嘩遊びしてるようにしか見えへんかったわ。男の子やねー」

 

 

 そしてそれは、彼女を通して模擬戦の映像を見ていた他の女性陣全体の意見でもあった。

 ただ2人、緑の髪の母親と癖っ毛のお嫁さんは、苦笑を浮かべるだけで何も言わなかったと言う。

 ちなみに、最後に勝ったのはどちらかと言うのは……それを見ていた者達だけが知る所だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……2日後、第1世界ミッドチルダ首都郊外の緑豊かな森林地帯。

 もうすっかり見慣れたその病院の門を潜って、イオスはある人物に会いに行っていっていた。

 夕方、面会ギリギリのその時間に、エル・ベスレム病院と言う名の施設を訪れていた。

 

 

「そ、そう、なの……航行艦で、巡航、するのねぇ……」

「ええ、昨日、正式な辞令を受け取りました」

 

 

 その一室、内側にドアノブの無い真っ白なその部屋で、イオスは年齢以上に年老いて見える女性と面会していた。

 手入れの粗い長い髪はほつれているが、以前に比べれば乱れが緩い気もする。

 何よりの違いは、ずっと腕に抱いていた人形が……今は、枕元にそっと寝かされていること。

 

 

 それは、ほんの少しの変化かもしれない。

 実質的には、何も変わっていないのかもしれない。

 しかしそれでも、それは目の前の女性の……サルヴィア・ティティアの確かな変化なのだろうと、血の繋がった息子であるイオスには思えるのだ。

 それが現実なのか願望なのかは、人によって判断が変わるだろう。

 

 

「かなりの長期に渡る研修になるんで……下手したら、何カ月か会いに来れ無くなるかもしれないです」

「そう、なの……それは、寂し、ぃわねぇ……」

 

 

 相変わらず、声は頼りなく細い。

 ただ、以前に比べれば表情は柔らかいように見える。

 病院の人間によれば、最近は発作もひきつけも起こさないのだと言う。

 まぁ、それでも日常生活が遅れるほどに回復しているわけでも無い様子だが……。

 

 

「で、も……お仕事、だものねぇ……仕方無いわ」

「ええ……」

 

 

 こうして見舞うのも、もう何度目だろうか。

 そんなことを考えながら、イオスはベッドの上で身を起こす実母を見る。

 母親らしいことをされた記憶は無いが、それでも母子であると言う事実は消せない。

 それこそ、現実と言うものだろう。

 

 

 その時、看護師の女性が顔を出して面会時間の終わりを告げて来た。

 イオスはそれに対して適当な返事を返しつつ、椅子から立って。

 

 

「じゃあ、また来ます」

 

 

 その「また」がいつになるかは、正直わからない。

 普通なら通信やメッセージもあるだろうが、この病院にサルヴィアが入院している限りは難しい。

 ここはそう言う施設だから、外と連絡を取ることは基本的に出来ない。

 それに対して、イオスは安堵と落胆を同時に感じると言う奇妙な感覚に陥っていた。

 それは、なかなか折り合いをつけるのが難しそうな感情ではあった。

 

 

「い、イオス、君……」

 

 

 そんな彼の胸中を知ってか知らずか、イオスが病室のドアを潜りかけた時、その背中にサルヴィアは声をかけてきた。

 それは珍しいことで、イオスはふと足を止めて顔だけで後ろを見た。

 するとベッドの上のサルヴィアは、引き攣ったような歪な、しかし確かに微笑みを向けてきていて。

 

 

「ぃ……いって、らっしゃい」

 

 

 と、言った。

 それは妙に母親らしい響きを持っていて、イオスは軽く目を見開いた。

 リンディのそれと重ねそうになってしまったのは、この際は仕方が無いのかもしれない。

 しかしとにかく、サルヴィアは「いってらっしゃい」と言った。

 それを背中で聞いた形のイオスは、それに応じる返答を返したのだった……。

 

 

「……さて」

 

 

 その後は特に何も無く、施設の外へと出た。

 昔、フェイトを連れて歩いたその道を歩きながら、夕焼けの赤に染まる空を見上げて。

 

 

「行くかぁ」

 

 

 どこか晴れやかな表情で、そう言った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 さらに数日後、10月1日をもってイオスは正式に新たな研修場所へと配属された。

 殊の外配属までの期間が短いことから、どうやらヴェロッサは前倒しで申請を行っていたらしい。

 上司の気遣いなのかどうなのか良くわからない行為に感謝しつつ、イオスはそこへ向かった。

 

 

 てっきりどこかの地上部隊に査察官研修として配属されるのかと思っていたが、彼の予想は良い意味で外れていた。

 次元航行艦任務、『アースラ』での長期間の任務実績が妙な所で活きたのかもしれない。

 それでも、まさか自分のような経歴の者を抱き込みたがる艦があるとは思えなかったのだが。

 ……しかしその疑問も、配属される艦の前に到着すると氷解した。

 

 

「ふふふ……良く来たねイオス・ティティア君」

 

 

 まだ挨拶も敬礼もしていない段階で、「彼女」はイオスに声をかけて来た。

 周囲に並んでいるのは艦の幹部達だろうか、本局ドックに接舷したままの次元航行艦をバックに「彼女」は不敵そうな笑みを浮かべている。

 背後に見える艦は形状こそ二叉の矛のようで似ているが、『アースラ』よりはやや大きいクラスだ。

 カラーリングも、黒を基調として星の海に溶け込むかのようなデザイン。

 

 

「ふむ、驚いているようだね? 無理も無い、ボクらが別れてからもう何年も経っているからね。とはいえボクはストボロウ君やハラオウン君――あ、今は2人いるんだったね、失敬――達からキミのことは逐一聞いていたよ、配属先が無くて困っているとね」

「いや、別に困っては……ってマジか? 受け入れ先が実はマジでここしか無かったのかオイ!?」

「だが安心したまえ! ボクがいる! ボクがボクの権限でもってキミを受け入れようじゃないか!」

 

 

 卒業の時に別れてから変わっていない、小柄な身体に萌黄色の髪に黒縁の眼鏡をかけた20代前半の女性士官が、イオスの言葉を流す形で両手を広げていた。

 妙にテンションが高いのは、久しぶりに「同期」に会えて嬉しいからだろうか。

 「彼女」はふふんと笑うと、自分の艦をバックに両腕を広げたまま。

 

 

「改めて言おう、ようこそティティア君! 時空管理局次元航行部隊所属、X級次元航行艦『テレジア』はキミを歓迎する! ボクは……!」

 

 

 何故か、そこで溜めた。

 

 

「ボクは、『テレジア』艦長、ハロルド・リンスフォード三等空佐だ! 艦長2年目の新人ではあるが、どうかよろしく頼むよ!」

 

 

 彼女はハロルド・リンスフォード、イオスの士官学校の同期生である。

 ここが、イオスが今後の数年間を過ごす場所だ。

 艦長が知人とは言え、他の面々とは何一つ面識が無い、イオスの悪い噂も聞いているだろう。

 一筋縄ではいかない、そんな環境だ。

 

 

 しかしイオスはそれに対して悲観しない、何故ならそれは現実だから。

 何かを考えた所で何も変わらないし、何よりもこの事実はイオスだけでは無い。

 不安なのは向こうも同じだ、向こうの面々も直接イオスと関わったわけではないのだから。

 だから、条件は同じだ。

 なのでイオスは必要以上に気負うことなく、これまでの日々と同じように挑むことにした。

 

 

「――――申告。イオス・ティティア二等空尉、査察官研修の一環として貴艦に着任いたします! 至らぬ点も多々あるかと思いますが、何卒、よろしくお願い申し上げます……!」

「――――受領。こちらこそよろしく頼むよティティア君、ではまず艦橋スタッフの紹介から……」

 

 

 昔と異なる声音のハロルドの声を聞きながら、イオスは前を向いた。

 その先に何があるのかはわからないが、しかし悲観だけはしない。

 どんな現実であれ……それを歩む限り。

 彼は、彼の目指すものに近付くことが出来るのだから。

 

 


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