魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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雌伏編第12話:「新暦70年の奇跡」

 何だか、懐かしい夢を見た気がする。

 そんなことを思いながら、エイミィ・リミエッタはいつもの朝を迎えた。

 目が覚めた途端、表示枠の明かりが目に入って目を瞬かせる。

 

 

「ん……っ、ん~……っ」

 

 

 カーテンが閉ざされた部屋の中、ぎしっと音を立ててつつ椅子の上で伸びをする。

 身体の中で背骨が音を立てたような気がして、エイミィは軽く眉根を寄せて息を詰めた。

 どうやら、昨夜は仕事の最中に落ちてしまったらしい。

 机に突っ伏して椅子の上で寝ていたため、頬に妙な痕がついていないか確かめながら立ち上がる。

 

 

「はふ……ん、今日も良い天気っと」

 

 

 欠伸をしながら窓のカーテンをさっと開けると、気持ちの良い朝日が視界一杯に広がってくる。

 もはや見慣れた海鳴の街並みは、冬の終わりと春の始まりの間の光景を見せている。

 真冬ほど寒くは無いが、まだ少し肌寒い空気。

 上のボタンを2つ3つ外したカッターシャツ1枚では、まだ寒さを感じてしまう季節だ。

 タイトスカートの下にはストッキングを穿いているが、それでも冷えるくらいだ。

 

 

 カーテンが開かれたことで、部屋の全容も明らかになる。

 無数のコードと、この世界では手に入らない通信機器、そして端末。

 部屋中に何らかのコードが張り巡らされているこの部屋は、エイミィの自室である。

 タンスやクローゼット、鏡台の類も置いてあるが……少なくとも、20歳を過ぎた女性の部屋には見えない。

 

 

「あー……皆が起きて来る前に、シャワーくらい浴びれるかな?」

 

 

 誰にともなく呟いて、エイミィは床のコードを慣れた様子で避けながら部屋の中を歩く。

 着替えをもってシャワーを済ませ、身嗜みを整えた後にリンディと共に家族の朝食を作るのだ。

 自分でも、なかなか溶け込み過ぎる程に溶け込んでいると思うが……。

 

 

「……ん」

 

 

 途中、壁に飾ってあるフォトフレームが視界に入った。

 そこにはこの世界のカメラと言う機材でとった写真が貼られており、妹分の中学校入学式の写真であるとか、赤い毛並みの犬が骨付き肉に齧り付いている姿だとか、友人家族との合同お花見であるとか、そう言った写真がいろいろと貼られている。

 

 

 その中に、仕事中らしい黒髪の青年の写真がある。

 エイミィは指先でその写真を撫でると、少しだけ口元に笑みを浮かべる。

 さっき見た夢のせいか――士官学校に入学した頃の夢――少しだけ、懐かしくなったのかもしれない。

 

 

「……なんて、ね」

 

 

 笑みを少しだけ寂しげなものに変えて、エイミィは着替えを持って部屋の外へと向かった。

 シャワーを浴びるためだ、他の家族を起こさないように静かに、音をできるだけ立てずに。

 迷惑を、かけないように。

 

 

 ……迷惑を、かけてはならない。

 きっと、自分の気持ちは彼に迷惑をかけてしまうから。

 彼を困らせてしまうから、彼が何を考えているのかがわかるから。

 だから、彼女は今日も何も言わない――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 しかし、エイミィ・リミエッタの心配をよそに、クロノ・ハラオウンは普通に起きていた。

 原因は彼自身が早起きと言うわけではなく、彼の同居人にある。

 

 

「んー……あー、クロノぉ? これって俺のだっけか?」

「……それは僕の私物だ。お前のはそっち」

「あ、そっか。いやぁ、下手に共有してるとわかんなくなるよなー」

 

 

 イオス・ティティア、もう長い間同じ部屋で生活している。

 これだけだとかなり怪しい関係に思えるかもしれないが、他の部屋を女性陣に譲った結果だ。

 あと、仕事の関係上便利だったからだ。

 しかしこうして引越しのために段ボールに荷物を詰めている幼馴染の後姿を見ていると、妙な寂寥感を感じる……のかも、しれない。

 

 

 イオスはもう、数日後にはミッドチルダに引っ越すことになっている。

 ミッドチルダのティティアの家に戻り、そこで生活するのだ。

 母親が在宅になるかはまだわからないが、当面は1人暮らしだろう。

 

 

「寂しいか?」

「バカ言え、お前こそ寂しいんじゃないのか?」

「死ねよ」

「お前がな」

 

 

 いずれにせよ、家は離れても関係性は変わりそうにない。

 これまでは同一だった進路も別れることになる、もう仕事を共にすることもあるかどうか。

 それでも、関係は変わらないと思えるのは自信なのか願望なのか。

 

 

 何の根拠も無く、ずっと一緒にいると思っていた相手と別れる。

 その経験は、父親を除けば今回が初めてかもしれない。

 ならばいずれ、自分もリンディやフェイトと別れて暮らす日が来るのかもしれない……。

 

 

「お?」

「……エイミィだな」

「良く分かるな、お前」

「別に、足音を聞き慣れてるだけだ」

 

 

 その時、誰かが彼らの部屋の前を通って浴室の扉を開ける音が聞こえた。

 程なく、シャワーの音が静かに聞こえて来る。

 言葉の通り足音で判断したわけでは無く、単純に部屋の位置だ。

 クロノ達の部屋を横切らないと浴室に行けないのは、エイミィの部屋だけだから。

 

 

「お前さぁ」

 

 

 段ボールに荷物を積める音と、遠くから聞こえるシャワーの音をBGMに、クロノはベッドの上で自分の腕を枕に目を閉じる。

 別に今さら寝直すつもりはない、ただそうしただけだ。

 

 

「お前、実際の所エイミィのことどう思ってるわけ?」

「またその話か……」

 

 

 そっと溜息を吐いて、クロノはごろりと身体を横にした。

 今年の正月あたりから、イオスは良くこうした話を振ってくる。

 クロノとしては、そう言う話はあまりしたくなかった。

 

 

「……エイミィは、何と言うか、家族みたいなもので。そう言うのとは……」

 

 

 恋人や結婚、というものについて、クロノはあまり積極的では無い。

 何故ならそれは、彼の父親の件があるからだった。

 

 

「でも、明日死んだらどうすんだよ」

 

 

 そしてそれは、イオスにもわかっている。

 クロノが何を考えているのか、もし予測できる人間がいるとすればイオスだろう。

 何故なら彼は、境遇的に最も近いから。

 だからイオスは、もし言うとすれば自分だと思っている。

 

 

「お前が、じゃねぇぞ。エイミィが、だ。何たってこんな仕事してれば、それこそいつ死んだっておかしくない。それこそ、俺らが一番良く分かってるはずだろ」

「それは……そうだが」

 

 

 彼らの父は、過去の『闇の書』事件で殉職した。

 ただそれは管理局員であれば誰しもがそうなる可能性を持っていて、次の任務で死んでしまっても不思議ではないのだ。

 その中にエイミィが入っていないなど、どうして言えるのだろう。

 

 

「別に死ななくても、エイミィが俺みたいにどっか行く可能性はあるだろ。いつまでも『アースラ』で働けるわけじゃなし、別の艦に行くことだってある。それに……それこそ」

 

 

 段ボールの蓋をテープで止めて、イオスは息を吐き出すように喋り切った。

 

 

「それこそ、エイミィが別の誰かと結婚して出て行くかもしれねぇだろ」

 

 

 イオスの言葉に、クロノは完全に沈黙する。

 それは、「なぜか」考えたことが無い可能性だった。

 ベッドの上、初めて提示された将来の可能性に、クロノは口を噤んでしまう。

 

 

「…………はぁ」

 

 

 そんなクロノを肩越しに見て、イオスは溜息を吐いた。

 まったくもって、面倒な幼馴染だ。

 そう思って、イオスは最後の段ボールを積み終えたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 2時間後、いつもの時間に家族が揃っての朝食。

 それまではシャワーで目を覚ましたエイミィが起きて来たリンディと一緒に朝食を作り、荷造りを終えたイオスとクロノが朝刊の奪い合いを演じ、子犬フォームのアルフを抱っこしたフェイトが寝ぼけたままリビングにやってきて……と、いつもの光景が広がっていた。

 

 

 朝食は、海鳴で言う所の西洋風の物が豪勢にテーブルの上に並べられている。

 3種のパンとマフィン、ハム、チーズ、ジャム&ペースト、シリアルとヨーグルト、そして卵・ベーコン・ソーセージのホットミール、季節のフルーツと焼きトマトのサラダ、そしてコーヒー。

 どこのホテルの朝食かと勘違いしそうな程豪勢なこの朝食は、半分以上はエイミィ作だ。

 リンディを目標に頑張った結果、今ではこの家で一番の料理上手なのかもしれない。

 

 

「あ、ところでさぁ」

 

 

 その朝食の席、末娘と言うことになるフェイトを中心に談笑しつつ朝食を楽しんでいた時、不意にイオスが声を上げた。

 彼はトーストにマーマレードを塗りたくりながら、リンディの隣で朝食を食べているエイミィへと視線を投げた。

 

 

 なお、ハラオウン家では特に決まった座席と言うものは無い。

 その日によって適当で、唯一の例外はテーブルの下で骨付き肉に齧り付いているアルフだけだ。

 今日はリビングの扉から最も遠い位置にリンディ、隣にエイミィ。

 そして向かい側、フェイトを真ん中にイオスとクロノと言う位置関係だ。

 

 

「エイミィ、お前って今日ヒマ?」

「え……ああ、うん。日曜日だし、ヒマだけど何?」

 

 

 不思議そうな顔で首を傾げるエイミィに、イオスは「ああ」と頷いて。

 

 

 

「今日、俺とデートしねぇ?」

 

 

 

 と、言った。

 ――――その時、最も衝撃を受けたのは誰だっただろうか?

 コーヒーのマグカップに口をつけたまま固まったリンディか、ぽかんとした表情でイオスを見つめるエイミィ本人か、シリアルを気管につまらせて咽ているクロノか、テーブルの下で尻尾を振っているアルフか。

 

 

 ……否、フェイトである。

 彼女は驚き切った目で隣のイオスを――何食わぬ顔でトーストを齧っている――見て、それから頬を真っ赤にして手で押さえた後、もう片方の手の指で膝の上あたりを叩き始めた。

 

 

(イオスって、エイミィが好きだったんだ……)

 

 

 今年で中学3年生になるフェイト、学校では男子から告白されることも無いわけでは無く、また姦しい友人達からその手の話を聞かないわけでは無い。

 恋愛経験などは無いが、それでもデートと言う言葉の意味くらいは知っているつもりだ。

 しかしそれがまさか、彼女の中で家族認定されている2人……しかもイオスとエイミィの間で成立するとは思わなかった。

 

 

『何やて!? イオスさんがエイミィさんを好きぃ!?』

『ほ、ほえぇ!? イオスさんってそうだったの!?』

 

 

 膝の上に展開した小さな表示枠に、たった今メールを送った2人の親友兼同僚から即座の返信が入る。

 今の時間から考えると、2人とも家族の前で不自然な程に驚愕していることだろう。

 他の2人の親友については残念ながら自重した、彼女らはイオスとエイミィについて詳しくない。

 

 

「いや、荷物整理したらクロノと共用だった物とか結構あってさぁ。デートついでに付き合ってくんね?」

「まぁ……別に良いけど」

「さんきゅー」

 

 

 実にあっさり、お出かけの約束を成立させたイオスとエイミィ。

 リンディはそれに対して小さく息を吐いて、フェイトは顔を赤くしたまま手元を忙しく動かしている。

 一方で、クロノはと言えば……まだ咽ていた。

 

 

 コーヒーを流し込むことで息を整える実の息子の姿を見て、リンディはまた溜息を吐いた。

 その目は、血の繋がりのある息子を見てこう語っていた。

 ……誰に似たのかしらね、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 朝食が終わった後、イオスとエイミィは連れ立って家を出た。

 片付けはリンディがしてくれるとのことなので――むしろ、追い立てられるように――軽く着替えとメイクなどして、エイミィはイオスについて家を出たのである。

 イオスの買い物の内容からして、デパートの揃った中心街へ向かう2人だったが……。

 

 

「……本当や……アレはマジにデートやで……」

「う、うーん、アレがデートなの? ちょっとイメージと違う……かも?」

「あ、あの……2人とも? 私が伝えておいてなんだけど、行動が早すぎるんじゃ……」

 

 

 そしてその2人から離れること数十メートル、マンションの陰からそんな2人を見守る3つの視線があった。

 と言うか、なのは、はやて、そしてフェイトである。

 私服姿の彼女達は、知り合いの恋愛模様に若干興奮している様子だった。

 

 

 フェイトのメールを受けてすぐに駆け付けたなのはとはやてだったが、フェイトからするとまさかの反応である。

 しかしフェイト自身もこの場にいるので、どうやらやはり気になってはいるようだ。

 何しろ今年で15歳になる少女達である、気にならないはずもなかった。

 

 

「んー……驚いて来ちゃったけど、アレって本当にデートなのかなぁ?」

「何を言うとるんやなのはちゃん、年頃の男と女が2人きりでお出かけする。これをデートと言わず何と言うんや……くぅ、何や言うててちょっと悔しくなってきた」

「は、はやて? ちょっと怖いよ」

 

 

 エイミィの服装は、春を意識した色合いで年上のお姉さんであることを考慮したコーディネートだ。

 フェミニンなキャミソールにボレロ風のカーディガンを合わせて、細身のデニムパンツに綺麗めの白パンプスで締めている、イオスとの身長差があまりないことを意識しているのか、パンプスはラウンド系。

 一方でイオスはと言えば、ミリタリーパーカーのカーキ色の上着に、Vネックのグレーのシャツ、折り返しラインのついたカジュアルチノパンツ、レザーブーツにリングアクセと言う格好だった。

 

 

 3人の視線の先では、大人っぽくオシャレしたイオスとエイミィが談笑しながら歩いて行くのが見えた。

 流石にこのままついていくつもりは無いのか、フェイト達はその場に留まっている。

 いったい、何をしに来たのであろうか。

 

 

「フェイトちゃん的にはどうなん? お兄ちゃん的な人とお姉ちゃん的な人のデートって」

「え? う、うーん……なのはで言う所の、恭也さんと美由希さんがデートしてるみたいな物だから……」

「そ、それはちょっと違うんじゃないかなぁ?」

 

 

 興味本位と言う形で集まったのは共通するが、しかし3人共に受け止め方は異なるようだった。

 フェイトは義兄と義姉のデートと言う現実に戸惑っている様子だし、なのはについてはまだ良くイメージと実感が湧かないらしい。

 でははやてはどうかと言えば、2人とはまた受け取り方が異なるらしい。

 気のせいでなければ、いつもに比べて口数が多い割に喋り方に力が無いようにフェイトには思えた。

 

 

「うーん……」

「……? どうしたの、はやて?」

「いや、何と言うかこう…………うん?」

 

 

 その時、何か言葉を探している様子だったはやてが、視線を巡らせる中である者を見つけた。

 それは自分達には気付いていない――彼女らがイオスとエイミィを尾行しているわけでは無いからだが――様子で、2人のことを見ている……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――何をやっているんだ、僕は。

 心の中でも現実でもそう溜息を吐いて、クロノは溜息を吐いた。

 私服姿の彼は、自分の今の状況を客観視できる人間だったからだ。

 

 

 一言で言えば、幼馴染の男女がデートしてる様を見張っている――より言えば尾行している――わけだが、これが人としてかなりどうかと思われる行動であることは理解していた。

 しかし、彼とて別に自分の意思だけでここにいるわけでは無い。

 

 

『クロノ、どこに行くのかしら?』

『え……いや、部屋に戻るんだけど』

『そう、早く着替えて出なさいね』

『え、いや別にどこかに行く予定は』

『出なさいね』

『………………はい』

 

 

 以上のような流れで、彼は実母たるリンディに半ば家から叩きだされたわけである。

 正直、母の意図はわからない……イオスの意図も。

 いや、違う。

 

 

 わかっている、わかっていて見ないふりをしているのだ。

 でなければ、外に出て優柔不断にもイオスとエイミィの後をついていったりはしないだろう。

 愛? 恋? そんな区別をつけること事態に意味を見出さない。

 ただ……。

 

 

「……何をやっているんだ」

 

 

 呟いて、歩きだす。

 視線の先には、彼の幼馴染が2人。

 その内の1人に今朝言われたことを思い出して、彼は目を閉じた。

 そして、心の中で反論する。

 

 

(……僕だって、明日には死ぬかもしれない。「そう」なった次の日に、死ぬかもしれないんだぞ……父さんの、ように)

 

 

 それでも、そうするのか。

 最後には幼馴染の男の子か自分か、どちらに言っているのかわからなくなったが。

 ともあれ家に帰ることもできず、行く所も無い彼は、当初の目的通りに動くしかないのだった。

 

 

「……こ、これって、もしかして」

「三角や……三角やな、これは……!」

「く、クロノも……そうだったんだ……」

 

 

 奇妙な確信を得た3人娘が、ある喫茶店で激論を交わすことになるのは。

 ――――また、別の話。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「バイマーか……羽毛か……それが問題だ……」

「……イオス君って、クロノ君と枕を共有してたの?」

「マジで言ってるんだとしたら、俺はお前の正気を疑うぜ」

 

 

 デパートの家具フロアで2種類の枕を前に考え込んでいるイオスに、エイミィが呆れたように感想を漏らす。

 あれから真っ直ぐ公共交通機関に乗って市街地まで来た2人は、この世界でも手に入る物を細々と揃えている所だった。

 ただ……管理外世界で手に入る物など、大したことは無い。

 

 

 正直、来る意味が無いとすら言える。

 それだけ、海鳴とミッドチルダの生活レベルは違うのだ。

 空間投影の表示枠さえ出せない第97管理外世界の家電や家具など、ミッドでは使えない。

 タンスであるとか本棚であるとかなら、あるいは使えるかもしれないが……。

 

 

(まぁ……何となくわかるんだけどねー……)

 

 

 何とも困った心地で、エイミィは枕について悩んでいる水色の髪の青年を見る。

 彼がどう言うつもりで自分を「デート」に連れ出したのか、何となくはわかる。

 数日後にはハラオウン家を出てしまう彼は、最後に気を利かそうとしているのかもしれない。

 少なくともイオスが自分を……と言うのは、この際は考えない。

 

 

(でもなぁ……)

 

 

 クロノのことについては、ある意味で諦めがついている。

 と言うのは言いすぎにしても、何も言わないことを彼女はずっと以前から決めていた。

 何故なら、彼が……クロノが怯えているから。

 もし誰かとそう言う関係になったとして、死なずに任務から戻り続ける自信が無いから。

 

 

 父親のように家族を遺して逝ってしまうことを、何よりも恐れているから。

 口には出さないが、自分にはわかるつもりだった。

 だから、彼女は何も言わない。

 

 

「何かお探しですか?」

「え、あ……ああ、はい。彼が枕を探してて」

「まぁ、彼氏さんですか?」

「いや、彼氏って言うか……」

 

 

 その時、店員らしき若い女性に声をかけられて、エイミィは曖昧に笑った。

 その笑みをどう受け取ったのかは不明だが、店員は実ににこやかな笑顔で片手を翻し。

 

 

「まぁ、ではご夫婦様ですか? お2人ともお若いのでてっきり! では、いっそこちらの枕などいかがでしょう? お2人でご一緒に使うタイプで、今お若いご夫婦に人気の商品なんですよ!」

 

 

 そう言って視線を動かせば、そこには籠に刺さるように展示されている長枕があった。

 かなり長いタイプで、ダブルベッドの横幅よりやや短いくらいだろうか。

 低反発の柔らか素材で、なかなか心地良い根心地を提供してくれそうではある。

 ただ夫婦用に勧めるだけあって、言外の意味を悟るとやや頬が熱を持つエイミィだった。

 

 

「ふむ……」

 

 

 いつの間にか隣に立っていたイオスは、顎に手を当てつつ目を細めてそれを見ていた。

 まさか気に入ったのだろうかとエイミィが訝っていると、親指を立ててこちらを見て。

 

 

「……共有するか?」

「叩くよ?」

「ですよね! 店員さん、それキャンセルでお願いします!」

 

 

 笑顔で返すと何故か機敏に商品を拒否した、エイミィ的にはかなり失礼な態度だった。

 調子の良い若旦那だとでも思ったのか、店員も笑いを堪えながら頷いている。

 実際は違うのだが、傍から見ればそう見えるのだろう。

 店員を適当に追い払うイオスを見ながら、エイミィはそう思った。

 

 

「やぁっと、いつもの調子出たな」

「ん?」

「家を出てからずっと何か考え込んでたろ? まぁ俺のせいでもあるんだろうけど、せっかくのデートなんだからさ、楽しもうぜ?」

「うーん……それはイオス君のエスコート次第かな?」

「おいおいおいおい、俺はこう見えて彼女いない歴=年齢の男だぜ? ハードル高いよ」

「自分でデートに誘っておいて、何を今さら」

 

 

 まったく、調子の良い弟分だ。

 そう思って、エイミィはクスクスと笑った。

 そうだ、何のことは無い。

 

 

 いつもの調子でいれば良いのだ。

 いつものように弟分と話し、弟分と遊べば良いだけ。

 そう思えば後は簡単だ、エイミィは考えることを放棄してイオスの腕に自分の腕を絡めた。

 

 

「うおっ?」

「じゃ、イオス君の買い物に付き合ってあげたんだから、今度は私の番ね? もちろんデートなんだから、お食事も服も面倒見て貰いまーす」

「マジでか、俺の財布が大ピンチ……!」

「はいはい、行くよー!」

 

 

 バッグをかけている方の腕を振り上げて宣言すれば、イオスも力無く片手を上げる。

 今日はこの近隣のデパートやブティックを制覇するつもりで、エイミィはイオスを引っ張って歩きだした。

 せっかくのデート、楽しまなければ損だ。

 

 

 思えばイオスと2人きりのおでかけは初めてかもしれない、その意味でエイミィは本当に楽しくなってきた。

 一方、イオスは急にテンションが上がったエイミィに苦笑しつつ、半ば連行されるように歩きだした。

 この後、彼はエイミィの「本気」と言う物を知ることになる……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「リンディ、お腹が空いたよ」

「……ああ、もうそんな時間なの? そうね、お昼にしましょうか。何かリクエストはあるかしら?」

「肉!」

「はいはい」

 

 

 子犬フォームのアルフの元気の良さに苦笑しながら、リンディは開いていたいくつかの表示枠を消して席を立った。

 家のリビングにいるのは、今はアルフとリンディだけだ。

 他のメンバーはお昼には戻ってこないはずで、まさに2人きり。

 

 

 イオスとエイミィはデート中だし、クロノはリンディによって叩きだ……でかけさせられている。

 そしてフェイトだが、こちらは喫茶翠屋……なのはの家の喫茶店でお昼を頂くと連絡が来ている。

 リビングからキッチンに移ったリンディはエプロンのリボンを後ろ手に結びながら、さてお昼の献立をどうしようかと考える。

 すると、アルフが彼女の足元にまでやって来て。

 

 

「手伝うよ」

「あら、ありがとう」

 

 

 人間形態……それも魔力消費を抑えた子供形態になって、リンディの隣に立つ。

 リンディにとって、それはなかなか嬉しいことだった。

 娘と同じキッチンに立てると言うのは、母親として嬉しいことの一つだ。

 エイミィとはもう何年もそうしているし、時にフェイトと立つこともある。

 あるいは、アルフも含めて4人で。

 

 

「息子じゃ、そうはいかないものね」

「? 何がだい?」

「ううん、何でも無いわ」

 

 

 小さく首を振って、冷蔵庫からお肉や野菜を取り出しながら料理の下準備を始める。

 時間があれば手の込んだ物でもと思うが、アルフが我慢できそうに無いので簡単に済ませることにした。

 アルフもリンディを手伝い、野菜の皮むきなどをする……お肉担当になると、我慢できず生で食べてしまうことがあるからだ。

 

 

「……ねぇ」

「ん?」

「何か今朝、皆の様子が変だったんだけど……何かあったのかい?」

 

 

 ニンジンの皮を剥いていたアルフが、ずっと気になっていたのか、そう聞いてきた。

 アルフだけはテーブルの下でお肉に夢中だったし、何より人間の色恋がどうとか言う話については詳しくない。

 それに深く考察することも得意では無いので、こうしてリンディに聞いているわけだ。

 リンディとしては、これも頼られていると言う風に理解した。

 

 

「大丈夫、別に何も無いわ」

「そうかい? 何かフェイトが妙に興奮してたような気がしたんだけど……」

 

 

 ブツブツと精神リンクを通じて感じた主人の感情について思うアルフだが、リンディが何でも無いというならそうなんだろうとも考える。

 いずれにせよ、自分に出来ることは無いらしい。

 ただ一つ、気になるとすれば。

 

 

「リンディ」

「ん、何かしら?」

「イオスの奴がいなくなると、やっぱり寂しいかい?」

 

 

 リンディは、一瞬だけ手を止めた。

 その手はすぐに作業を再開するが、表情はやや柔らかくなった。

 

 

「……そうね、寂しいわ」

 

 

 柔らかな表情でそう言って、しかしそれ以上は何も言わないリンディ。

 アルフは傍らからそれを見上げていたが、今度は何も言わずにニンジンの皮むきに戻った。

 言葉では無く、本能で感じたから。

 寂しい、でも、嬉しい。

 そんな複雑な感情の動きを、アルフは感じることが出来たから。

 

 

(イオスは行くわ……私の手を離れて。サルヴィア……)

 

 

 自分の手から離れる養い子と友人のことを想って、リンディは心の中で言葉を紡ぐ。

 

 

(でも、あっちの息子と娘の方は……どうなのかしらね、あなた……)

 

 

 そして亡き夫と、今はどこかで迷っているだろう2人のことを想う。

 想うことが多いのは、母として幸福なことなのだろう。

 ただ、思い悩む息子に、母としてではなく……女として言うのであれば。

 

 

 死の後のことを恐れて何もしない男は、誠実なようで不誠実だ。

 と、思う。

 それはかつて、彼の父親に彼女自身が告げた言葉でもあるのだが……さて。

 どうなるか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あっははははっ、もう、おっかしー!」

「いや待てよエイミィ、まだだ、今日はたまたまなんだって。まだ諦めるには早いって」

「3000円スって涙目だったのに?」

 

 

 ぐぅ、と言葉に詰まるイオスを見て、エイミィはますますおかしくなる。

 すでに日は沈みかけて夕方だ、今は2人並んで帰路についている所である。

 ただし、イオスの両腕にはこれでもかと言うくらい大量のブティックの買い物袋が提げられているが。

 流石に全部を奢らせるわけにもいかないので、大体は普通にエイミィが買っている。

 使う機会が少ないので、お金は同年代の中では割と持っている方だ。

 

 

 あれから、市街地に4つあるデパートの婦人服店などを全制覇し、あげく商店街なども歩き回って、最後にはこの世界のゲームセンターなる所に行った(イオスがキャッチャー系で3000円スった)。

 それから、昼食はイオスの奢りでイタリアンだった。

 そこは、エスコート役としての甲斐性を見せて貰ったわけだ。

 

 

「あー、何か久しぶりにスっとした気がする! ありがとね、イオス君」

「お褒めに預かり……と言いたい所だけど、俺も楽しかったよ」

「そう?」

 

 

 ここの所、いろいろと悶々と考えることも多かったし、仕事のストレスも溜まっていた。

 その意味では、イオスが連れ出してくれたことはエイミィにとってプラスになったと言える。

 エイミィのその様子に、イオスも荷物を持ち直しながら。

 

 

「ああ、人生初のデートにしちゃ上出来じゃね? 自分で言うのもアレだけど」

「え、初デート?」

「おお」

「……マジ?」

「マジ」

 

 

 真面目な顔で頷くイオスに、神妙な顔で頷くエイミィ。

 ……しばし、沈黙が続く。

 

 

「えっと、ごめん」

「待て、そこで何で謝る」

「いや、だって……人生初のデートが私じゃあ、ねぇ?」

「そこで同意を求めんなよ……つーかエイミィだって彼氏いたって話聞いたことねーから、初じゃねーの?」

「あー……そう言えばそうかも」

 

 

 そう言えば、男の子と2人きりで出かけるのは初めてかもしれない。

 士官学校時代は、女友達と出歩くか……男の子がいてもグループで行くのが常だった。

 局に勤めるようになってからは、仕事が忙しくてそんな暇は無かった。

 

 

「うわ……ヤバい、これ初デートだ。21にもなって恥ずかしい……!」

「おーい、帰ってこーい」

「あ、ごめん。うわ、今さらドキドキしてきた」

「どう言うことだおい、今日は俺の超カッコ良い場面を何度も見せたはずだぞ」

「3000円スって泣いてる所しか思い出せない……」

「うぉいっ!」

 

 

 泣いてはいない、イオスは己の名誉のために全力で突っ込んだ。

 それから、現実に戻ってきたエイミィを連れ立って歩こうとして。

 

 

「あ……喉渇かねぇ?」

「え? あぁ……うん」

「じゃ、休憩がてらコーヒーでも飲んでこうぜ。俺の奢りだ」

「何それ」

 

 

 少し笑って、エイミィはイオスについて路上のベンチに向かった。

 公園などにある物では無く、自販機の近くにある小さな物だ。

 今日のような休日なら、近所の高齢者が散歩途中の休憩所に使う場所だ。

 珍しく今日は誰もおらず、貸し切り状態であった。

 

 

「ほい」

「ありがと」

 

 

 ベンチに座ったエイミィにコーヒーの缶を渡して、自分も同じように缶を開けてコーヒーを飲む。

 普通よりも甘めに作ってあるそれが、渇いた喉を潤してくれた。

 ベンチはエイミィと荷物で埋まっているため、イオスは片足立ちのような体勢で彼女の傍に立っている。

 

 

「で、さっきの話だけど」

「え?」

「いや、初デートの話」

「ああ……」

 

 

 もう終わった物と思っていたのか、エイミィは曖昧な声を返した。

 

 

「お前は初デートの相手が自分でどうとか言ってたけど、俺はお前で良かったと思ってるよ」

「そ、そう?」

「ああ、少なくともルイーズやハロルドよりはよっぽど」

「はい、減点」

「がふっ」

 

 

 向こう脛に蹴りを入れられ、コーヒー片手に立ったまま悶えるイオス。

 デート相手を他の女子と比べるとは、エイミィ的にはかなりの減点だった。

 持ち上げて落とされた分、余計に。

 

 

「あっつつ……いや、まぁとにかくだ。お前は良い女だからさ、デートできて不機嫌になる男はいないだろって話、自信持って良いと思うぜ」

「……彼女作ったことが無い人に言われてもなぁ」

「ぐ、痛い所を突きやがるぜ」

 

 

 痛い所か、事実である。

 そんなイオスの様子に笑みながら、エイミィはふと俯いた。

 手元のコーヒーを指先で揺らしながら、笑みとも哀しみとも取れる形に目を細める。

 

 

「ありがとね、イオス君。気、遣ってくれたんでしょ?」

「気ぃ?」

「あはは……さっきはああ言ってうれたけど、今日はやっぱりノーカンだよ、ノーカン。好きな女の子と行くのが、ほんとの初デートってことで」

 

 

 寂しげに笑って、エイミィはそう言った。

 イオスが自分に……おそらくは自分とクロノに気を遣って、「デート」などと言ったのはわかってる。

 ただ、酷な言い方をしれば……必要では、無かったが。

 

 

 蓋をする、胸の内に秘めておく。

 見ないふりをして、気付かないふりをする。

 そうすることで、誰にも迷惑をかけない。

 今までを、今まで通りに……。

 

 

 

「――――本気だったら、どうする?」

 

 

 

 え? と顔を上げた時には、エイミィは動けなくなっていた。

 椅子の背もたれにイオスが手をつく形で屈んで、鼻先数センチの所にまで顔を近付けて来ていた。

 心持ち後ろに下がるが、座っているので大した距離は開かない。

 目を丸くして自分を見上げるエイミィに、彼女の瞳に映る自分の顔を見つつ、続けて告げる。

 

 

「俺が本気だったら、どうする?」

 

 

 真剣な目、表情の無い顔、揺れない声、力強い手。

 その全てに、エイミィは動けなくなった。

 初めて見る幼馴染の様子に、身体を固くしてしまう。

 潤したばかりの喉が、妙に渇いているように感じられた。

 半笑いのような表情を浮かべて、エイミィは唇を動かした。

 

 

「そ、そう言う冗談は……」

「エイミィ」

「……っ」

 

 

 固い声に、息を止める。

 ゆっくりと、幼馴染の顔が近付いて来る。

 嫌いでは無い、そう想っている幼馴染の突然の行動に、エイミィはパニックに陥る。

 

 

 なんで、どうして、そんな。

 そんな言葉ばかりが頭の中に浮かんでは消えて、結局は動けない。

 大きく見開いた目は、最後には全てを否定するように……諦めるように閉ざされかけて。

 

 

「……い」

 

 

 そして。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――本気だったら、どうする?

 その言葉に、思考を停止させたのはエイミィだけでは無かった。

 バカバカしい話ながら、今日一日、あてもなく彷徨い、しかも結局は2人を追いかけていた青年が1人いるのだ。

 

 

 彼は、幼馴染の青年の突然の行動に困惑すると同時に……思考どころか心臓までを止められたかのような錯覚を覚えた。

 もし仮に、幼馴染が本気だったら。

 そんなことは、考えたことが無かった。

 

 

『それこそ、エイミィが別の誰かと結婚して出て行くかもしれねぇだろ』

 

 

 そんなことは、考えたことが無かった。

 彼女が他のどこかへ行ってしまう可能性など、考えたことも無かった。

 いつだって振り向けば、そこで笑っていてくれるものとばかり思っていた。

 

 

 どこかへ? どこへ? 自分の傍を離れて……どこに?

 わからない。

 そう思って、思い至って初めて、彼は怖いと思った。

 そして。

 

 

 ――――それは、嫌だ、と。

 

 

 だけど彼には、どうすればいいのかわからなかった。

 どうすれば良いのかが、わからなかった。

 だけど、感情が彼を動かす。

 常に感情を制御している彼が、あろうことか、一時の感情に突き動かされた。

 人生初の失態かもしれない、だがそのおかげで。

 

 

「ま……」

 

 

 彼は。

 

 

「待った!!」

 

 

 動くことが、できたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 「待った!」と言う男の声と。

 「いやっ!」と言う女の声と。

 肌を打った時特有の渇いた音、2つの声と1つの音が響くのは、ほぼ同時だった。

 

 

「あー……って~ててて……」

 

 

 そしてその直後に響いたのは、地面の上に誰かが尻餅をつく音だった。

 エイミィに頬を張られて尻餅をつくという誠に情けない姿を晒しているのは、イオスだ。

 カラカラと音を立てて転がるのは、コーヒーの缶だ。

 彼は目の前のベンチで目を閉じて腕を振り切ったエイミィを見て、そして路地から飛び出してきたまま、彼と同じくらい情けない表情で立ち尽くしているクロノを見て。

 

 

 はぁ、と溜息を吐いた。

 赤くなっているだろう頬を擦りながら立ち上がり、目を開いてクロノの登場に驚いているエイミィを見てまた溜息を吐く。

 ……幼い頃から兄弟同然に育ってきた気配が、わからないわけがないだろうに。

 

 

「イオス君……」

 

 

 ヒラヒラと手を振って背を向けて、イオスは歩きだした。

 そして手を振るために上げた手を、今度は擦れ違うクロノの肩を叩くのに使う。

 何とも情けない表情の幼馴染の肩を2度叩いて、イオスはその横をあっさりと通り過ぎた。

 

 

「イオス……」

「……現実、見ようぜ」

 

 

 そう言って、イオスは歩き去っていった。

 その背中を、クロノは……クロノとエイミィは、見送ることしかできなかった。

 時折、わざとらしく痛みを訴えるような声がするだけ。

 それ以外のことは、何も無かった。

 

 

 ただ、彼の口癖でもある「現実」という言葉を残して。

 現実……つまり事実だ。

 イオスを拒絶した――本気かどうかはわからずじまいだが――エイミィの事実か。

 それとも、優柔不断にも今日一日を……費やしてしまった。

 そして今、こうしてノコノコと「待った」をかけたクロノ自身なのか。

 

 

「……クロノ君」

「あ……えっと……何だ、その……」

 

 

 そしてそう言う状況が終わってしまえば、また元の状態に戻る自分。

 それは、妙に間違っているような心地だった。

 もし仮に、今日のことが狂言だったとしても。

 幼馴染の彼の言うように、その「いつか」が永遠に来ないなど。

 

 

 ――――彼が明日死なないと言うことと、同じ確率の話でしかない。

 いや、確率云々の話ではないのかもしれない。

 少なくとも、目の前に立っている彼女は確率など考えたことが無いだろう。

 だから……。

 

 

「もしかして、ずっとついてきてたの?」

「え、あ、いや……その……」

「……馬鹿じゃないの?」

「ぐ……い、言い訳のしようも無い……」

「……ねぇ」

「…………」

「……ねぇってば」

「ああ……」

「ああ、じゃなくて」

「…………」

「……何か言ってよ」

「…………」

「………………」

 

 

 ……何も言えない。

 けれど、彼女の瞳は自分を逃がしてくれない。

 否、逃げるとかそう言う問題では無い……だから。

 

 

 そもそも。

 逃げたかったわけでは、無いのだから。

 だから。

 

 

「………エイミィ、僕は――――」

 

 

 ――――キミを。

 愛しても、良いだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 夕方になって1人で帰って来たイオスに、すでに帰宅していたフェイトは目を丸くした。

 昼食時には友人の家の喫茶店で盛り上がって――それも、かなりのレベルで予想ならぬ妄想を繰り広げて――戻ってきたので、1人で帰ってきたイオスを見て、かなり驚いた。

 

 

「えっと……イオス?」

「んー?」

「えーと…………お、おかえり?」

「おーう、ただいま」

 

 

 聞いてはいけないことだと判断して、普通に「おかえり」と言った。

 もう何度言えるかわからない台詞だが、今日ばかりはそうした感傷の気持ちは無かった。

 イオスとエイミィがデートに行って、クロノが後を追いかけて行った。

 そしてイオスだけが帰って来た。

 第三者的視点で、これが意味する所は……。

 

 

 15になる少女の頭の中では、何と言うか……喫茶店で膨らませるだけ膨らんでしまった妄想が臨界点を突破してしまったわけだ。

 とはいえ何をどうしたらいいのかわからないので、結果普段通りに行動することになったのである。

 

 

「いや、まぁ、アレだなぁ」

「え?」

 

 

 玄関先で靴を脱いだイオスは、何かを考えるように腕を組んで何度も頷いていた。

 ……頬が叩かれたように赤いので、何もカッコ良く無かったが。

 

 

「素直になれない幼馴染達を取り持つってのは、なかなか難しいよなぁ」

「えっと、はやてやすずかの好きな少女マンガとかなら、割とあるらしいよ?」

「残念ながら、これは現実でね。割と痛かったりもするんだ」

「あ……ま、待ってて!」

 

 

 頬を擦るイオスを見て、フェイトはパタパタと洗面所に向かった。

 その後ろ姿を見送りながら、イオスは思う。

 

 

(あれ、俺って今日で初デート&初フラレじゃね? 何かすげー損した気がするぞオイ)

 

 

 2人が戻ってきたら元を取らせよう、そう固く決意するイオスだった。

 ちなみに、彼がフェイトやはやて達の妄想のようにエイミィに想いを寄せていたのかどうかは、結局のところ本人が何も言わないため不明である。

 唯一確かなことは、彼は幼馴染の2人が結ばれることを心から望み、また喜んでいることだ。

 それこそ、士官学校の頃から。

 

 

 ちなみに、これは完全に余談であるが。

 この後、濡れタオルで頬を優しく擦ってくれたり、リンディのお茶を持って来てくれたりとフェイトが無意味にイオスに優しく接していた、それこそ腫れ物に触るかのように。

 ただお風呂で背中を流そうとしたり、添い寝を提案したりしたことについては……イオスは、しっかりとお断りしていたことも追記しておく。

 

 

「た、ただいま~……」

 

 

 さらに余談だが、クロノとエイミィが帰って来たのは翌朝だった。

 黙々と朝食をとっていた所に帰宅してきたわけだが、リンディは何も言わず、フェイトは無関心を装っているが2人をチラチラと見て、アルフはテーブルの下でお肉を食べている……が、今回は耳を立てて聞いてはいる様子だ。

 そして、もう1人は。

 

 

「……できちゃった結婚……か」

「へ!?」

「い、いや! そう言う心配は無いようにちゃんと……!」

「……ちゃんと?」

「「…………」」

 

 

 イオスとの会話の内容は、フェイトには良く分からなかったが……ただ、クロノとエイミィの距離感が以前より近くなっていることはわかった。

 それに3人の関係が悪い物になっていないことも、フェイトにとっては喜ばしいことだった。

 そしてこれが、最後だった。

 

 

 イオスがハラオウン家で関わった大きな「事件」は、これが最後だった。

 そこから先の家族の事情に関しては、イオスもわからない。

 この数日後、イオスはハラオウン家を出ることになる。

 そしてそこから先は……別の時間を歩むことになる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦70年4月、イオスはハラオンウ家を出てミッドチルダに引っ越した。

 そして春の人事異動で『アースラ』からも降りることになり、研修も兼ねてしばらくは本局付けとなった。

 当面の目標としてイオスが目指すべき「査察官」は、執務官とは別の意味で難易度の高い役職だ。

 

 

 ある意味で秘匿性が高く、経験しておくべき仕事や取得すべき資格も多い。

 自分が所属する組織の内偵と言う職務上、守秘義務も多い。

 しかし……執務官と同等かそれ以上に、自由度が高く独自の捜査権と捕縛権を持つ。

 現役査察官の下で2年以上働き、次元航行艦か部隊に所属して査察任務を行うこと……その他、当然だが必要な資格と突破すべき法務試験がある。

 

 

「あー……ここ、だよな」

 

 

 時空管理局本局のある区画で、局員服を纏ったイオスはある部屋の扉を見上げていた。

 周囲には人通りもあり、比較的賑やかだ。

 本局の応接間の一つに来ているのは、いわゆる「面接」のためだ。

 しかしノックをしても中から返事は無く、気配を探っても誰もいないような気がする。

 なのでデバイスの表示枠を出して区画と部屋を確認したのだが、間違ってはいない。

 

 

「失礼しますよーっと……」

 

 

 それこそ失礼かもしれないが、中に入る。

 するとどうしたことか、明かりがついていない。

 どうやら、誰もいないようだった。

 約束の時間はすでに5分ほど過ぎているので、いないはずが無いのだが……。

 

 

「やぁ、すまない。待たせてしまったかな?」

 

 

 その時、後ろから突然声をかけられ飛び上がりそうになった。

 振り向いて見れば、扉の傍にある明かりのスイッチを入れている男がいた。

 すらっとした背丈の男で、白いスーツに青のネクタイを締めている。

 長い緑の髪に鮮やかな青の瞳、人によって判断は違うだろうが美形だ。

 年齢の頃は……同年代くらいだろうか、どことなく適当そうというか、軽そうな雰囲気の男だ。

 

 

「いや、すまないね。遅れるつもりは無かったんだ、ただちょっといろいろ立て込んでいてね」

 

 

 そう言って、男はイオスの横を通り過ぎて応接室のソファに座った。

 長い脚を組み、呆気に取られているイオスに席を勧めるように右手を掲げる。

 それを見て、イオスは軽く会釈などしながら一応、向かいのソファに座る。

 しかし相手は特に何かを感じている様子も無く、思い出したように身を乗り出して。

 

 

「自己紹介が遅れたね、僕はヴェロッサ。ヴェロッサ・アコース、キミのことはクロノ君やはやてから良く聞いているよ」

「クロノ提督……はともかく、八神捜査官ですか?」

「敬語なんて良いよ、これから仕事を一緒にすることになるんだからね……あ、とりあえず握手でもどうだい?」

「は、はぁ……」

 

 

 クロノの紹介で会うことになった査察官、ヴェロッサ・アコース。

 ただ、はやての知り合いだと言う話は初耳だった。

 ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべて握手するあたり、悪い人間ではないように見えるが。

 

 

(なんつーか……胡散臭い雰囲気の奴だな)

「あはは、良く言われるよ」

「はぁ……って、あれ? 俺、今声に出してました?」

「うん、『出て』たね。いや、聞いてた『通り』の人みたいで僕も安心したよ」

 

 

 握手の後に首を傾げるイオスを見てニコニコと笑顔を浮かべながら、ヴェロッサは頷いた。

 それから、品定めでもするかのようにイオスを見る。

 そして上から下まで見て、何かを思い出すように軽く首を傾げて、やはり笑顔を浮かべた。

 

 

 直後、やおら真面目な表情を浮かべた。

 足を組んでイオスを見る目を細めて、そして言う。

 そしてここから、イオスにとっての……。

 

 

「さて、それじゃあ仕事の話をしようか、適当にね」

 

 

 ……新しい現実が、始まる。

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
昼ドラ的な展開を目指してみましたが、素直な結婚式よりは面白いかと思いまして。
ただエイミィからクロノはともかく、クロノからエイミィへの気持ちの描写が足りないような気もします。
でもクロノさんは、それくらいで調度良いのかもしれません。

さて、とりあえず雌伏編の時系列でやっておきたいイベントはクリアしました。
ここからはエピローグの流れで、StS編に入って行こうと思います。
では、失礼致します。

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