魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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雌伏編第11話:「新暦69年/70年:大晦日・お正月」

 時は新暦65年12月31日午後11時55分。

 第97管理外世界「地球・海鳴市」のハラオウン家において、久しぶりに家族全員が揃った時のこと。

 ――――その夜、ハラオウン家に激震が走った。

 

 

「子供が、できました」

 

 

 海鳴の文化で言う所の大晦日、新年を迎える最後の晩、しかも5分前だ。

 ハラオウン家のリビングのテレビでは最近流行らしいアイドルグループのカウントダウンライヴが流れていて、そして家族一同の手には「せっかくだから、この世界の風習に合わせましょう」と言うリンディの言葉で用意された「年越し蕎麦」なる物がある。

 

 

 しかし、その全員の箸――ここ数年の生活ですっかり使い慣れた――がその言葉でピタリと止まり、さらに言えばイオスなどは箸を取り落としてドラマのワンシーンのように「カラ……ン」と綺麗に音を立てた。

 そしてその場にいる全員の目が、ある一点を見つめることになる。

 例外は、テーブルの下で大晦日も変わらず骨付き肉に齧り付いている子犬フォームのアルフだけだ。

 

 

「……フェイト。ごめんなさい、もう一度言って貰っても良いかしら? お蕎麦に気を取られて、聞き間違えたかもしれないから」

「あ、はい、母さん」

 

 

 以前とは髪の結び位置を変えたリンディが、やや年齢を重ねた笑みをフェイトに向ける。

 養子縁組をしてから随分と経ち、最近は「フェイト」「母さん」呼びがお互いに定着している。

 一方、この1年でさらに女性らしさが増したフェイトは、それでも以前と変わらぬ素直さでもって頷きを返した。

 

 

 そしてその素直さに、その場にほっとした空気が流れた。

 弛緩した。

 それこそ「うちの子に限ってまさかそんな」と言うような雰囲気で、フェイトの次の言葉を待った。

 

 

「えっと……子供が、できました」

 

 

 何も変わらなかった。

 むしろ繰り返しで聞いたので、最悪だった。

 しかし二度目のためかフリーズは免れ、フェイト及びアルフを除く全員が視線を交わして。

 

 

『え、え、どう言うこと!? フェイトちゃんに限ってまさかそんな!?』

『ちょっと待てよ、今までほとんどずっと『アースラ』で一緒だったじゃねぇかよ! いつの間にそんな事態になってんだよ!?』

『お、落ち着け2人共、落ち着くんだ! 管理局員はうろたえない……!』

 

 

 大混乱である。

 エイミィ、イオス、クロノの念話会議はもはや会議とは呼べず、混乱に拍車をかけるだけだった。

 いや、しかしそれだけの大事である。

 クロノにとっては義妹、そしてイオス・エイミィにとっては可愛い妹分である、それが3人の預かり知らぬ所で「子供が、できました」である。

 

 

 混乱しないわけが、無い。

 しかし、そこでリンディが動いた。

 流石にこの場の誰よりも場数を踏んでいるだけあって、再起動も早い。

 ただ、当のフェイトだけは不思議そうに首を傾げていたが。

 

 

「……フェイト」

「は、はい」

「まずは……そうね、おめでとう。でもねフェイト、そう言うことは、何と言うか……とても大切なことなの。けして……けっして、軽はずみにして良いことでは無いし、むしろ軽はずみにしてしまったら貴女も皆も後悔して、傷つくことになるわ」

「……はい、わかってます。わかってる……つもり、です」

 

 

 真剣な表情で諭すリンディに、フェイトも真剣な表情で頷く。

 年齢の割に豊かな胸元に手を当てて、何度も頷く。

 その様子を見て、リンディは神妙な顔で目を閉じた。

 

 

「そう……ちゃんと考えてのことなら、私はもう何も言わないわ」

「母さん!? 正気ですか!?」

「ちょ、リンディさん! 何言ってんスか! ここは相手を殺……じゃなく、訴訟を起こして社会的に抹殺する所でしょ!?」

「そうですよ! 自慢じゃないですけど、私達3人が揃えば大体の訴訟は勝てますよ……!?」

「黙りなさい3人共、そんなことをフェイトが望むと思う?」

 

 

 リンディの言葉に、イオス達3人がぐっと押し黙る。

 そう、決めるのはフェイト自身。

 フェイトの身に起きたことは、フェイト自身が解決するべきなのだ。

 

 

 それにしても……と、リンディは短くも輝いていた日々を思い出していた。

 『ジュエルシード』事件から5年間、フェイトを育ててきた。

 良く出来た娘でまるで手がかからず、逆にこちらがヤキモキする日々だった。

 それが……いや、もはや言うまい、とリンディは胸に決めた。

 

 

(どんな人かはわからないけれど、フェイトが心に決めた相手なら……きっと大丈夫)

 

 

 しかしそうは言っても、形式と言う物は必要だろう。

 まずは直に会い、どのような人物なのかを知らなくては。

 

 

「それで、フェイト。お相手は、何て言う人なの?」

「お相手……って?」

「ええと、ほら、その……貴女と結婚する相手よ」

「結婚……?」

 

 

 頭の上に「?」を大量につけながら、フェイトは首を傾げた。

 

 

「えっと、私、結婚なんてしないよ?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――再び、ハラオウン家に激震が走った。

 とっくに新年になっているが、誰もそんなことは気にしていない。

 

 

「結婚、しない……!?」

「う、うん、だってまだ早いと思うし」

 

 

 事情が変わった。

 リンディの中で何かが切り替わった、彼女はそう自覚した。

 結婚しないとはどういう事だろうか、年齢的な問題だろうか?

 実際フェイトは、例えば海鳴の法律などではまだ結婚できる年齢では無い。

 しかし、今のフェイトの言い方だとそう言う意味とは違う気がする。

 

 

「いや、でもほらフェイトちゃん。その……できちゃったんでしょ? 子供」

「うん、できたよ」

 

 

 軽い。

 本当に軽い言葉で、フェイトはエイミィの言葉を肯定した。

 

 

「フェイト? 貴女に子供が出来たことについて、相手の人は何て言っているの?」

「何……って、別に何も。だって、相手とかいないし」

「相手が、いない……!?」

「か、母さん? どうしたの? 皆も、どうしてそんな怖い顔をしてるの?」

「「「「……!!」」」」

 

 

 その時、全員の見解が一致した。

 それはいろいろな裁判を見てきて、法務について詳しくなりすぎたが故の弊害かもしれない。

 つまり、こう言うことだ。

 

 

((((わかってない……!))))

 

 

 そう、フェイトは自分の身に起こっていることについてきちんとした知識を備えていないのだ。

 思えば、ハラオウン家の誰もフェイトにその手のことを教えていないことに気付く。

 特にその思いは、同性であるリンディとエイミィに強い。

 そうしたことについてきちんと教えるのも、家族の役目であったはずなのに。

 

 

 フェイトは心の底からわかっていないのだろう、きょとんとした表情を浮かべている。

 あるいは、それが普通だと思っているのかもしれない。

 素直……そう、良くも悪くも素直なのだ。

 目の届く所にいた分、油断してしまったのかもしれない。

 

 

「……エイミィ、イオス」

「うん、ここ半年でフェイトちゃんと接触した異性で怪しい人をリストアップするよ」

「そしてそいつらの人となりについて調べた後、素行についての証言者を集めるぜ」

「よし、ではさっそく手続きに入ろう――――この裁判、勝ちに行くぞ」

「「了解」」

「え、えぇ!? ちょっと待ってよ皆! どうしていきなりそんなことになるの!?」

「良いのよ、フェイト。大丈夫」

 

 

 クロノ達の行動に驚くフェイトを、リンディは近寄ってそっと抱き締めた。

 

 

「今度こそ、私達が守ってみせるから」

「そ、それは嬉しいけど……!」

 

 

 何だろう、もの凄く齟齬がある。

 フェイトは本能的にそう感じて、リンディの腕の中でジタバタとした。

 ただ齟齬の内容がわからないため、何と言って良いかわからず、結局。

 

 

「あれ? 皆して何をやってるんだい? 騒々しいねぇ」

 

 

 お肉を食べ終わった子犬フォームのアルフがテーブルの下から出てきて、皆を不思議そうに見上げた。

 それから、ふとフェイトの方を見て。

 

 

「あ、フェイト。この間仕事で助けた子供を引き取りたいって話、もう皆にしたのかい?」

 

 

 ……と、全ての前提条件を覆すような一言を、あっさりと言ったのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「いや……ビビったなオイ、マジでできちゃったのかと思ったぜ」

「まったくだ……心臓に悪い」

 

 

 場所は移って、ハラオウン家のあるマンションの近所。

 言ってしまえばなのはの家、高町家の玄関前である。

 すでに新年に入ったとはいえ、深夜だ。

 しかし高町家には煌々と明かりがついており、中からは姦しい少女達の声が聞こえてくる。

 外にいるのはクロノとイオス、そして本局から来たばかりのユーノ。

 

 

 そんな中クロノとイオスは深々と安堵の溜息を吐き、ユーノは苦笑を浮かべている。

 先程の話では「フェイトに子供ができた」としかわからなかったが、アルフを交えて話してみれば何の事は無い。

 ある事情で保護した子供を、保護責任者として養いたいのだと言う話だった。

 …………。

 

 

「……って、それはそれで大変なことじゃねーか!?」

「そうだな……いや、だが母さんの影響を受けているならあながち……」

「いや、そう言う問題じゃねぇだろ」

 

 

 15になるかならない少女が「できちゃった」と言うのも問題だが、そんな年齢で子供を養うと言うのも大問題だろう。

 だからこそフェイトはリンディに後見を求めて相談したわけだが、「できちゃった」衝撃と比較して軽い印象だったため、イオスもクロノも一瞬納得してしまっていたのだ。

 

 

「これがお前とエイミィなら、まだわかるんだが……」

「待て、そこでなぜ僕とエイミィが出て来る? そして何がだ」

「何がって……できちゃったり?」

「するか、殴るぞ」

「へいへい」

 

 

 しかし実際の所、どうなのだろうとイオスは思う。

 エイミィがクロノをどう想っているかは、士官学校時代から知っているつもりだ。

 それこそ、クロノ以外の同期生は皆が知っていることだ。

 だからこそ、イオス達もその方向でからかいの言葉を投げたりするわけだが……。

 

 

(でも、クロノがエイミィを……ってーのは、どうかなぁ)

 

 

 イオス個人の判断で言えば、「割とイイ線いってる」だった。

 ただあまりにもエイミィがハラオウン家に溶け込んでいるため、下手をすると「女性」では無く「家族」として見ている可能性がある。

 それが「姉」なのか、それとも……と言う所で、意見が別れる所だ。

 

 

「でもさぁ、お前、実際のトコ、エイミィのことどう」

「イオス」

「おう?」

 

 

 軽い言葉に、妙に重みのある声が返って来た。

 

 

「そういうの、やめてくれないか」

「……おう、悪い」

「いや、僕こそ空気を悪くしたな。すまない」

 

 

 さて、今のはどう言う意味だろうか。

 気持ちの無い男女の仲を揶揄することについてか、それとも……?

 とにかくイオスは肩を竦めて、話題を戻した。

 

 

「いやぁ、にしてもフェイトが子供ねぇ。つーか、お前知ってたか? ユーノ」

「え? ああ、はい。まぁ、それなりに。その子について無限書庫に聞いてきたりしてたので、少しは」

「無限書庫で調べなきゃならねぇガキって、どんな奴だよ……」

 

 

 それまではクロノとイオスの話を黙って聞いていただけのユーノだが、話を振られて反応を返した。

 流石にもうスクライアの民族衣装は着ていない、ミッドチルダで普通にいそうなベージュのコート姿の少年がそこにいた。

 金髪を伸ばし始めたのか、首の後ろで束ねて……子供っぽかった外見は身長が伸びたせいかすっかり大人びている。

 

 

「むしろ僕としては、なのはの使い魔であるお前にフェイトが相談したのが驚きなんだが」

「ちょ、またキミはそう言う……そんなこと言うなら、僕だって考えがあるよ?」

「ほう?」

 

 

 ユーノの反撃の兆候に、黒のコート姿のクロノはしかし余裕を崩さない。

 しかしその余裕は、すぐに崩れ去ることになる。

 

 

「キミ、家ではフェイトに『お義兄ちゃん』って呼ばせて悦に浸っ」

「なっ……だ、誰だ!? エイミィか、そんなことを……!」

 

 

 ユーノを羽交い絞めにして口を塞ぎ、クロノはエイミィがいるだろう高町家の中を睨む。

 相変わらず姦しい少女達の声が響くその中では、桃子とリンディによって初詣のための着物の着付け大会が行われているはずだった。

 何でも以前よりの約束だったとかで、男性陣がこうして外で待っているのはそう言うわけである。

 

 

「……イオス、どうして僕と目を合わせない?」

「…………は、恥ずかしくて」

「今さらそんなガラじゃないだろう! お前か、お前がユーノに吹き込んだのか!?」

「あ、安心しろよクロノ! この話は『アースラ』で知らない奴はいないくらい流れてっから!」

「それで何を安心しろと言うんだ!?」

 

 

 そんな風に騒いでいると、くっくっ、と喉の奥で笑いを噛み殺すような声が響いた。

 それはイオス達3人の比較的近くから響いており、3人が顔を少し動かせば視界に入る程だった。

 

 

「いや、すまない。随分と仲が良いんだね、キミ達は」

「あ、いや……ま、まぁ、いつもってわけじゃ無いですけど」

 

 

 そこにいるだけで、何故か緊張を強いる。

 それは彼の妻との間の共通項のような物だが、彼の……高町士郎の場合は、静かな出で立ちの中に言い知れぬ存在感を感じるのである。

 20歳を過ぎている子供がいるとは思えない程に若々しい外見だが、何よりも身体の軸が少しもブレていない。

 

 

 ちなみに彼の上の娘は中で母の手伝いをしているらしいが、息子の方はこの場にはいないそうだ。

 何でも、恋人の方に行っているのだとか。

 ほっとしたような気がする反面、この場で士郎単独で向かい合うのもプレッシャーはプレッシャーだった。

 

 

『や、やべぇ……何か、言い知れぬプレッシャーを感じるぜ……!』

『は、はい』

 

 

 クロノはともかくとしても、『ジュエルシード』事件の経緯からイオスとユーノは緊張する。

 別に初対面では無いが、それでも緊張は解けない。

 そんな2人を見てどう思ったのか、士郎は視線を流しつつ口元に手を添えながら。

 

 

「別にそんなに緊張しなくても良い、心配しなくとも、なのはのことについて私はもう何も言わないよ」

 

 

 なのはがどんな人生を歩むかは、なのはが決めるべきことだ。

 彼の息子はすでに決めているようだし、兄妹に比べて出遅れている上の娘もいずれは決めるだろう。

 それがそれぞれの考えた末の結論なら、士郎は何も言うつもりは無かった。

 もちろん父親として、こうしてほしかつた、という気持ちが無いとは言わないが。

 

 

「ただ、何かを望むとすれば……キミ達には、変わらずなのはの友人であってほしい。あの子が自分の道をきちんと歩めるように、踏み間違えないように、指摘してあげられる友人にね」

 

 

 父として、娘の幸福を静かに願う。

 父親に関する記憶の無い3人にとって、それは初めて見る「父親」像であったかもしれない。

 だからだろうか、3人はただ静かに士郎を見やって。

 

 

 静かに、頭を下げた。

 数秒後には士郎が笑って頭を上げるように言うのだが、3人はしばらくそのままだった。

 そしてそのタイミングで出てきた上の娘、美由希は、微妙な苦笑を浮かべる父親と父に対して頭を下げる3人の男の子、という不思議な構図を目撃することになるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 高町家が毎年初詣に行っていると言う近所の神社、そこへ向けて一同は歩いていた。

 一番前は着物に着替えて上機嫌ななのはとフェイト、そんな2人について歩くユーノに、その足元を歩く子犬フォームのアルフ。

 次いで道案内を兼ねる士郎と桃子、美由希、妻と娘は当然のように着物姿であった。

 

 

 そんな面々の後姿をぼんやりと見つめながら最後尾を歩くのは、イオスとクロノだった。

 ただ2人というわけでは無く、クロノとイオスを真ん中に挟む形でエイミィとリンディが歩いている。

 そして不意に、エイミィが小走りにクロノの前に出て両腕を広げる。

 冬の寒空の下、白い吐息を漏らしながら着物を見せ付ける形だ。

 

 

「どうどう、クロノ君? 似合うかな?」

「ん……ああ、似合うと思う」

 

 

 淡い水色を基調にした小花柄の小紋の着物は、明るく活発なエイミィに落ち着いた印象を加え、どこか新鮮な可愛らしさを演出している。

 ただエイミィは年齢的に「可愛い」よりも「綺麗」の方が前面に出ている、それは着物を彩る濃紺の帯が暗い道の中で映えているからだろうか。

 

 

 ただ、よりロマンチズムに傾倒した表現をするのであれば。

 クロノに着物が似合うと言われて、花開くように浮かんだ笑顔が彩りを加えたのだと言えるだろう。

 本当に嬉しそうな顔で隣を歩くものだから、いつもと違う空気感にクロノも戸惑っているようだった。

 

 

「あー……リンディさん、そのお着物お似合いですよ」

「うふふ、ありがとう」

 

 

 そしてその空気に巻き込まれたくないためか、あるいは邪魔をしたくないためか、イオスはリンディの方を向いた。

 ただ、着物が似合っているのは事実だ。

 薄い紫地に梅と松が描かれた小紋の着物、そして黒地に薄い色合いの梅を合わせた帯は、若々しい外見に年齢相応の落ち着きを纏うリンディに良く似合っている。

 

 

(……って、幼馴染の母親に何を言ってんだろうな俺は)

 

 

 しかも養母、いろいろな意味でアウトだ。

 そんなイオスの内心の苦笑を知ってか知らずか、リンディはやや顔を下に向けて微笑みながら。

 

 

「……こうして一緒に新年を迎えるのも、今年で最後になるのかもしれないわね」

 

 

 防寒用のストールに手を添えて直すリンディを、イオスは横目に見た。

 その表情はいつもと同じで、特に何かを感じたりはしなかった。

 ……最も、イオスがリンディの心の内を読めた試しんど無いが。

 

 

「……別に、これで最後ったことは無いでしょうよ」

「ええ……そうだと良いわね」

 

 

 11年……いや、もう15年を過ぎるのだろうか。

 父が死に母が倒れて、それからずっと自分の面倒を見てくれたリンディ。

 イオスの中では、実母以上に「母」と言う印象が強い。

 

 

 そしてその「母」の元を、イオスは離れるつもりだった。

 フェイトには2ヶ月ほど前に任務の最中に伝えたし、クロノ、エイミィも交えてきちんと話してある。

 『アースラ』を降り、ハラオウンの家も出ると。

 まぁ、引越しは春の人事が確定してからのつもりだが……。

 

 

「……母さんも、最近は容態が安定してるらしくて。このまま行けば自宅療養になれるかもしれないんだそうです」

「……そう、良かったわね」

「ありがとうございます」

「別に、お礼を言われることはしていないわ」

 

 

 ああ……と、イオスは一つ得心した。

 以前、プレシアのことでフェイトがお礼を言ってきた時があった。

 その時はイオスが「お礼なんて」という気分だったが、自分がお礼を言う立場になって初めてわかった。

 

 

 それでも、お礼を言いたい時があるのだと。

 

 

 それは、15年間のこと。

 それは、母のこと。

 それは……15年間、一度も「母」と呼ばなかった子供の。

 

 

「今まで、ありがとう……『お義母さん』」

 

 

 ……返事は、無かった。

 ただリンディは足を速めて、イオス達の前に歩き出た。

 桃子やフェイトの所に行くのかと思いきや、そうでも無い。

 ただ、誰も歩いていない微妙な位置を歩いて……指を、目元にそっと添えていた。

 

 

「……それで、イオス」

 

 

 こほん、と咳払いをして、クロノが聞いてきた。

 心なし顔が赤いが、イオス的にはそんなクロノを優しい目で見守っているエイミィの方が気になった。

 何となく、リンディと重なる眼差し……彼女もまた、リンディの「娘」なのだろう。

 

 

「お前、その……どこの部署に行くつもりなんだ?」

「あ、そうだね。それはちょっと気になるかも」

「そうだなぁ、とりあえずどこかの艦か部隊に所属して、それで……」

 

 

 執務官を諦めてから、自分の知識と経験を活かせる役職は何かと探していた。

 そして冬に入る前に異動願いを出して、すでにレティとの「面接」も済ませている。

 

 

「……査察官に、なろうと思う」

 

 

 監察を司り、組織・施設の調査を行い、独自の捜査権と捕縛権を持つ役職。

 調査・交渉に優れた人材が配置される部署であり、各世界の管理局部隊からは嫌われる「内なる司法官」でもある。

 法の守護者たる管理局、その管理局を内規によって縛る番人。

 

 

 執務官を目指し学んできた法務知識も役に立てることができるし、何よりいろいろな部隊で経験を積むことができる。

 汚れ仕事も多く、嫌われ者の自分には丁度良い役職だと思う。

 ただ、最終目的はそこでは無い。

 

 

「最終的には運用部か……あるいは、人事部かで迷ってる所だ。いずれにせよ、内勤に移ろうと思ってる」

「内勤? それも運用部となると……レティ提督の所か」

「うわぁ……イオス君、過労で死なないでね?」

「それ、レティさんの前で言ってみろよ」

 

 

 査察官はその仕事の特色上、短いスパンで各世界・各部隊を回る。

 そこで得た経験や知識を活かし、最終的には人員・艦船・装備の配置や待遇・配分を扱う運用・人事方面へと進むことにしたのだ。

 理由は、広域型のロストロギア災害に対する体制作りに関与したいからだ。

 

 

 例えば『ジュエルシード』や『闇の書』の事件は、ほとんど『アースラ』1隻で全てを解決した。

 しかし本来であれば、もっと艦や人員を出して捜査・解決すべき広域災害・事件である。

 それが出来なかったのは、単純に人手不足と言うよりは、迅速に人とモノを動かせる体制が出来ていなかったからだ。

 

 

「特に広域災害になると、対応できる部隊自体が少ねぇし……人とモノがあったって現実に動けるようになるのは大分後だ。だからロストロギア事件を担当する部隊や人間の負担はデカいし、被害の拡大を止められないことだってある」

 

 

 実際、『ジュエルシード』事件にしろ『闇の書』事件にしろ、ギリギリだった。

 ロストロギア災害から世界と人々を守れるかどうかの瀬戸際に、ずっと追いこまれていた。

 皆、過大な負担に絶えて戦い抜いた。

 それは、イオス自身が身体で知っている。

 

 

 執務官や捜査官としてそうした事件を解決して行くのも、大事な仕事だと思う。

 だけどイオスは、そうした人間達がより動ける体制を作る側に回りたいと思った。

 実際、目立たないが過去の事件でレティが果たした役割は大きい物があった。

 そうすることで、より多くのロストロギア災害から人々を守りたいと考えたのだ。

 

 

「査察官か……1人、知り合いがいるな。良ければ紹介するが?」

「マジで? 頼むよ……っと」

 

 

 と、イオスの将来についての話になった時、目的地についたようだった。

 実はここであるグループと待ち合わせなのだが、神社はすでに多くの参拝客で賑わっていた。

 普通なら、待ち合わせは難しい状況だが。

 

 

「えーと……あ、いたいた! ザフィーラさーん!」

 

 

 先頭を歩くなのはが、巾着袋を持った手をぶんぶんと笑顔で振りたくる。

 その先には、黒い紋付袴を着た長身で筋肉質な褐色の肌の男、ザフィーラが人込みの中で頭2つ分ほど抜ける形で立っているのだった……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 八神家の面々と合流した後、一同は初詣へと移行した。

 長い行列の間にグループがいくつかに寸断されてしまったが、それでも目的はわかっているのでとにかく参拝を済ませる。

 とは言え、後ろからぐいぐい来る参拝客達を背にしては長々と願い事をするわけにもいかない。

 

 

「ふぅ……深夜だってのに人が多いなオイ」

 

 

 参拝を終えてから横にズレて列の外に出ると、後ろにはまだまだズラりと行列が続いていた。

 それに縁日のような屋台の数々もあり、あるいは甘酒やおみくじなどで盛り上がっている人々もいる。

 正直、人込みは嫌いなイオスだが――と言うか、得意な者は少ないだろうが――この人々がこうして平和にお参りに来れているのも、『ジュエルシード』事件や『闇の書』事件を無事に解決したからこそだ。

 

 

 この世界でハラオウン一家と共に暮らし始めて、初詣というイベントに参加したのはこれが初めてでは無い。

 ただ、これは毎回思うことだった。

 ……この人々を、ロストロギア災害から守れてよかったと。

 

 

「わぁ、イオスさんですぅ」

「あん? ……おっと」

 

 

 その時、何かが腰のあたりに飛びついて来た。

 何かと思えば、清々しい空色の着物が視界に入った。

 愛らしい梅鉢の地紋に萌黄、朱色が見え隠れする華やかな柄だ。

 で、相手が誰かと言うと。

 

 

「こら、リイン! 人がいっぱいいるんだから走っちゃダメだろ!」

 

 

 リインフォース・ツヴァイのアウトフレームモードだった、イオスの足に笑顔でしがみ付いている。

 逃げられなくなった。

 そしてそのリインを追いかける形でやって来たのは、ヴィータだ。

 薄い赤の生地に紅葉が踊る鮮やかな色合いに着物に身を包んでおり、いつもよりなお鮮烈な印象をイオスに与える。

 

 

「げ」

 

 

 ただそれも、イオスの顔を見た途端に顔を顰めたことで台無しだったが。

 

 

「正月早々に会うとはな、しばらく会わなかったから忘れてたぜ」

「そいつは残念だったな、俺はお前にそう思われただけで来た意味があったと思うよ」

「……相変わらず、性格の悪い奴だな」

「お前はお前で、いつまで経っても生意気な目つきだなオイ」

「……? イオスさんもヴィータちゃんも、仲良しです?」

「仲が良い……?」

 

 

 リインの首を傾げながらの声に、イオスは鼻で笑うのを堪えた。

 

 

「それだけは無いな、天地がひっくりかえっても無い」

「……」

 

 

 首を傾げるリインの後ろで、ヴィータが身体を固くした。

 意識の底にあることが表に出た時の動きだ、イオスはそれを視界の端に収めながらリインの頭を撫でる。

 この子には関係の無い話だ、そう自分に言い聞かせながら。

 

 

「ヴィータちゃん、リインは……あ」

 

 

 続いてやってきたのは、シャマルだ。

 薄い緑の付き下げの着物の袖を揺らしながら、他の2人を伴ってやって来たのだ。

 シグナムとザフィーラだ、ザフィーラの紋付袴姿は集合時に見ているが、改めて見ると凄まじく違和感を感じる。

 ただイオスからすれば、狼形態で無いだけアルフよりマシだった。

 

 

「新年おめでとう、と言うべきか」

「よろしくするつもりは全くねぇから、しなくて良いさ」

「……そうだな」

 

 

 薄桃色の地紋に椿の柄、真紅の帯で締めたヴィータとは別の意味で鮮烈な印象を与える着物。

 髪をポニーテールでは無く結い上げているため、いつもと違う色気が漂っているように思える。

 そのせいか、周囲の男性の視線はシグナムに注がれているようだった。

 

 

 苦笑のような表情を浮かべているものの、その中には別の色も浮かんでいる。

 その色は、後悔と贖罪が混じり合った色だ。

 彼女は……彼女達は、許されたなどとは思ってはいないし。

 彼もまた、許した覚えなど無いのだった。

 まぁ、それでも付き合いはあるわけだが。

 

 

「……つーかお前ら、八神さんの傍にいなくて良いのかよ」

「主はご友人方と一緒に屋台を回っておられる」

「はーん」

 

 

 ザフィーラの言葉に適当に頷きつつ、イオスは周囲を見渡す。

 すると、屋台の賑わいの中にぽつりぽつりと見覚えのある姿があるような気がした。

 

 

「イオスさん、イオスさん」

「うん?」

「たこ焼き、食べるですぅ?」

 

 

 イオスの足元で、リインが甘えるように首を傾げる。

 自分が食べたいのだろうが、それを言えずにイオスが買った物を貰おうとしているようだ。

 それに、イオスは苦笑する。

 本当に子供らしい、なのはやはやてとは違って年齢相応の仕草でもある。

 

 

 ただ当然のように「姉」にあたる守護騎士達に叱られて、すぐに涙目になるハメになった。

 それを見て肩を竦めて、イオスはたこ焼きを購入するのだった。

 歓声を上げるリインが見たかったのか、末っ子を躾けようとする守護騎士達の邪魔をしたかったのか。

 その真意は、誰にもわからなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「あ、イオスさん!」

 

 

 守護騎士達から離れて屋台の並ぶ道を歩いている時、不意に声をかけられた。

 薄桃の着物に桜の花が散りばめられた可愛らしい着物と、サイドポニーの栗色の髪。

 初めて会った時に比べて、格段に少女らしくなったなのはだった。

 彼女は片手に綿飴を持っていて、ゆったりと歩きながらそれを食べているらしい。

 

 

 ――――ユーノと一緒に。

 

 

 イオスはなのはと一つの綿飴を食べる形になっているユーノを、非常に生温かい表情で見つめた。

 そして同じような温度の笑みを浮かべて、静かに人混みの中に消えようと……。

 

 

「ちょちょちょ、誤解! 誤解ですからね!?」

「いや、気にすんなよ。お似合いだと思うぜ俺、うん」

「違うんですって!」

「???」

 

 

 首を傾げるなのはの前で、ユーノがイオスにしがみ付いて何かを言い募っている。

 ただ小声で囁き合っているため、なのはの耳には何を言っているか聞こえていないが。

 もしかしたら、じゃれあってるだけだと思っているのかもしれない。

 なのはもまた、フェイトとは違った意味で素直な性格だから。

 

 

「友達! 僕となのははただのお友達ですから!」

「わかった、わかったって」

 

 

 必死に否定するユーノに苦笑しつつ、イオスは出会った頃に比べて成長した少年を改めて見た。

 それからなのはを、2人とも、この世界で起こった事件で関わりをもった後輩だ。

 なのはは母に似た強さを綺麗さの中に秘めて、ユーノは思慮深さの中に強さを隠している。

 その意味で、似た者同士なのだろうとイオスは思う。

 

 

 だからこそお似合いだと割と思うわけだが、冗談以上の意味はこめない。

 ユーノがずっとなのはを見ているのは知っているが、それがどんな感情によるものかはわからないから。

 まぁなのはにしても、はたしてフェレットのイメージを払拭できているのかが不明だが。

 

 

「お、そうだユーノ。無限書庫の司書長内定おめでとさん」

「え、あ、はい。ありがとう、ございます」

「えーっ、ユーノ君。無限書庫の司書長になったの!?」

 

 

 どうして教えてくれないの、と怒るなのはに、まだ確定じゃないんだよ、と宥めるユーノ。

 八の字の形に眉を顰める笑みを浮かべるユーノと、頬を膨らませて見上げるなのは。

 戦技教導官と、無限書庫司書長。

 部署が異なるため比較は難しいが、2人共がかなりのスピードで出世を果たしているのは事実だった。

 

 

(すっかり、置いてかれちまったなぁ)

 

 

 フェイトもそうだが、本当にこの世界で出会った後輩達は優秀だ。

 と言うか、優秀すぎる。

 今はまだ精神的に先輩面が出来るかもしれないが、5年もすれば無理だろう。

 彼女らが部下やら教え子やらを引き連れるようになれば、イオスなど霞んで消えてしまう。

 おそらく、それが現実的な事実だろうが……。

 

 

(俺も、いつまでも負けてらんねぇよな)

 

 

 すでに出世コースからは外れてしまったかもしれないが、その現実にショックを受けて泣き寝入りする時期はとうに過ぎた。

 だからこそ、今、イオスはなのはとユーノを自然な気持ちで見ていられる。

 可愛くも憎らしい、才能に溢れすぎている後輩達を。

 

 

「あ! ちょ、イオスさんっ、どこに行くんですか!? 助けてくださいよ!」

「ユーノ君? それちょっとどう言うことかなぁ……?」

 

 

 イオスさんが蒔いた種なのに~っ、と言う悲鳴にイオスはまた苦笑を浮かべる。

 そんな彼が後輩に残した物と言えば、片手を上げてヒラヒラ振ることだけだった。

 その顔に、優しげな笑みを浮かべて。

 ……やっていることは、後輩を見殺しにしたただけだが。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 なのは達がいた場所から少し離れると、石造りのベンチのある場所に出た。

 そこは屋台のある場所からやや離れていて人通りも少なく、休憩するのに丁度良い場所だ。

 それだけに、はぐれた獲物を狙う狼もいるわけで。

 

 

「……何だこれ」

「あ、イオス」

 

 

 黒地に菊柄の着物を着て、髪を結い上げてうなじを見せているフェイトがいた。

 それは別に良い。

 西洋的な外見と和装と言うギャップが生み出す魅力に溢れた義妹同然の少女に会うことは、もちろんイオスとしても否やとは言わない……が。

 

 

「何やってんだお前、もしかして逮捕した方が良いのか俺?」

「はぁん? ……って、何だいイオスかい。来るのが遅いよ」

 

 

 3人の柄の悪そうな男が折り重なるように倒れている前で、タンクトップにショートパンツと言う誠に寒々しい服装の赤毛の女が手をパンパンとはたいている。

 見るからに、「私がノしましたが何か?」な雰囲気だった。

 アルフはイオスに気付くと、鼻を鳴らして。

 

 

「コイツらがフェイト達にしつこく絡んで来たんだよ、断っても聞かないからノしてやった」

「決まりだ、管理外世界住民への傷害で現行犯逮捕だ駄犬。二度と俺の前に姿を見せるなよ、犬形態でな」

「私は犬だから人間の法律は適用されないねぇ」

「そうか、それは残念だよ」

 

 

 欠片も残念そうで無い口調でイオスが言うと、アルフは3人の男を引き摺りながらどこかへと行ってしまった。

 どこか人の通る所にでも捨てて来るのだろう、きっとそうに違いないとイオスは信じている。

 

 

「あ、あの……イオス……」

 

 

 イオスがぼんやりとアルフの背中を――あんな寒々しい格好の――見送っていると、着物姿のフェイトが弱った顔で彼を見上げていた。

 右手を着物に覆われた胸の前で握り締めて、あと一押しで泣かせてしまうのではないかと思えるくらいに不安そうな瞳がイオスを見上げて来る。

 しかも、左手がそっとイオスの服の端を掴んでいたりする。

 

 

「アルフは、その、私達を守ってくれただけなんだ。元はと言えば下駄を履き慣れてなかった私が悪くて、だから……」

「……えーと」

 

 

 推定、フェイトが履き慣れていない下駄のせいで足の指の付け根を傷める。

 そして友人と一緒に休んでいた所をナンパされる、断るもしつこい、アルフ登場で実力行使。

 と言う流れは、大体理解できている。

 

 

 この流れならば判例的にも情状の余地は十分にあると法律的な思考をする以前に、別にアルフをどうこうするつもりはイオスには無い。

 しかしどうやら「傷害で逮捕」云々の部分を本気だと受け取られてしまったのか、フェイトが取り成して来ていると言うわけらしかった。

 ……いや、素直過ぎるだろうとイオスは思った。

 

 

「あ、アンタ! 何フェイト泣かそうとしてんのよ!」

 

 

 そこへ飛び出して来たのが、オレンジの着物が鮮やかな金髪の少女だった。

 フェイトとは違う髪質の金髪は跳ねるように動き、イオスから遠ざけるようにフェイトの前に立つ。

 横髪の長い独特のショートヘアの女の子で、例えるならば――――炎のような印象を受ける。

 強く激しく、しかし時として儚く揺れる炎。

 両手を腰に当てる姿は強い炎で、それでもやや不安な色を浮かべる瞳は儚い炎、と言うように。

 

 

「フェイトに変なことしたら承知しないからね!」

「変なこと……?」

 

 

 変なこととは、具体的には何だろう。

 若干不安になるイオスだったが、家族の範囲内で全て収まるはずだと納得した。

 何について? それはもちろん過去に行った所業の数々についてだ。

 

 

「あ、あの、アリサ。その人は私の義兄さんで……」

「義兄さん? クロノさんの方……じゃないわね、あれ? でもどこかで会ったような……」

「アリサちゃん、ほら、『アースラ』にいた人だよ。5年くらい前に一回会ってるよ」

「そうだっけ? すずかが言うならそうなんだろうけど……」

 

 

 黒……いや、深い紺色の夜のような着物を着た黒髪の女の子が、アリサと言う少女をフェイトと共に宥める。

 アリサと言う少女は思い出そうとするかのようにイオスを見るが、覚えてないのも無理は無いと思う。

 何しろ『闇の書』事件の事情説明の時に立ち合っていただけなのだ、会話すらしていない。

 その意味では、すずかと言う少女の記憶力が非常に優れていると言える。

 

 

 アリサ・バニングスに、月村すずか。

 それで完全に思い出した、『闇の書』事件以降この世界の現地協力者になった少女達だ。

 フェイトとの会話の中でも何度か出ていたかもしれないが、今言ったように面識はほとんど無い。

 

 

「えっと……ごめんなさい、失礼なことを言いました」

「あ、ああ、いや」

 

 

 ぺこり、と丁寧に頭を下げて来るアリサに慌てて手を上げて見せて、気にしていないことをアピールする。

 まぁ、どうやらフェイトは良い友達に恵まれているようだ。

 ただ……。

 

 

「…………」

 

 

 淑やかに微笑み、軽く会釈をしてくるすずか。

 烏の濡れ羽色の髪を綺麗に結い上げて、藤の描かれた濃紺の着物を乱さず着こなすその姿はまさに大和撫子だ。

 髪飾りの白い造花など、すずかと言う少女の淑やかさをより引き立てている。

 だが何故だろう、大人しそうなこの少女に気圧される何かを感じるような。

 

 

(……気のせい、だよな)

 

 

 桃子と言い士郎と言い、この世界の住人は不思議な圧力を放つ。

 いつか論文でも書いてやろうかと思うが、学術的根拠が無いのでやめた。

 なのでとりあえず、アルフは逮捕しないと伝えておいた。

 ……安堵で涙を浮かべたフェイトを見て、アリサに再び怒鳴られたのはまた別の話だ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

(しかし、まぁ……アレだよなぁ)

 

 

 それからしばらくの時間が過ぎて、場所を移動した。

 やや離れているが、そこからは海が見えて……初日の出を見るのに最適なのだと言う。

 海鳴市の、海辺の公園。

 もう何度来たかわからないその場所に、イオスはいた。

 皆の輪からやや外れた位置に、1人で白い息を吐きながら。

 

 

 視線を向ければ、そこには賑やかな声が広がっている。

 徹夜だと言うのに元気なことだと思う、特に大人組。

 ただ、賑やかなのは嫌いでは無い。

 ……そこに参加するのは、また別の感情が必要になるが。

 

 

(随分とまぁ、メンツが増えたもんだよな)

 

 

 最初は、クロノとリンディだけだった。

 そこからエイミィや士官学校の同期生、『アースラ』スタッフの面々が加わって。

 それで十分に自分の周囲は賑やかだとばかり思っていたが、それだけで済まないのが人生と言う物だろうか。

 

 

(『ジュエルシード』事件のあたりからだよな、やたらに忙しくなったの)

 

 

 ぼんやりと視線を動かせば、なのはの機嫌を直そうと必死になっているユーノがいる。

 全ての始まりは、あの2人の後輩だった。

 今にして思えば……全ては、あの2人からのスタートだったと思う。

 もちろん、なのは経由で関わった高町家の面々も忘れるわけにはいかない。

 

 

 さらに視線を転じれば、フェイトがアリサ・すずかと何かを話している。

 先程の件で一仕事終えた気分になったのか、足元では子犬フォームのアルフが丸くなっている。

 犬形態であるため、イオスは近付く気になれない。

 まぁ、今更かもしれないが。

 

 

(……で、『闇の書』事件、と)

 

 

 視線の先に、クロノとリンディがいる。

 どうやらリインフォース・ツヴァイがクロノに何やら質問しているらしい、しかもエイミィに関することらしかった。

 何故わかるのかと言うと、エイミィが困っていて、リンディがクスクスと笑っているからだ。

 

 

 そしてそれを、守護騎士の面々がまた別の意味で困った顔で見ている。

 イオスにとっては、永遠に許してはならない4人。

 しつこいくらいに恨み、憎み続けて……そして、行く末を見なくてはならない4人だ。

 彼女らがどのように生きるにしろ、イオスは見続けるだろう。

 その、贖罪の道を。

 

 

(まぁ、それに付き合う物好きがもう1人いるけど……って、あれ?)

 

 

 不意に1人足りないことに気づいて、イオスは視線を動かした。

 すると、いた。

 イオスと同じように輪から離れているが、イオスと違って皆を見ずにただ天を見ている少女を。

 夜空に何を見ているのかは、イオスにはわからない。

 

 

 そして何となく、イオスはその少女が腰掛ける公園のベンチに向かってゆっくりと歩き出した。

 相手は、ある意味でこの世界で最初に出会った少女。

 『ジュエルシード』事件で出会い、『闇の書』事件で再会し、運命を超えた少女。

 ……八神、はやて。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その時、イオスはふと思い出した。

 海と海鳴の街並みが見渡せるその場所は、はやてにとっては神聖な場所だ。

 何故ならば、その場所は。

 

 

「リインフォースが眠った場所……やね」

 

 

 近付いてきたイオスに気付いたのか、夜空を見上げる少女が小さな声で囁く。

 夜空……夜の天空、『夜天』を見上げる少女。

 最後の『夜天の主』、はやては着物の胸元に揺れる剣十字に指先で触りながら、ベンチの真ん中に座っていたお尻を横へとややズラした。

 

 

 どうやら、座っても良いらしい。

 そう判断したイオスが隣に腰かけると、ふふ、と悪戯っぽい笑みがイオスの耳に聞こえた。

 

 

「……イオスさん、執務官諦めたんやってね」

「ぐ、最初がそれか……」

「今日ずっと話かけてくれへんかったんやもん、これくらいは言うよ」

「いや、それは別にわざとじゃねーし。と言うか、八神さんも高町さんやフェイトと喋ってたじゃんか」

「あはは。でも、まぁ……意外と言えば、意外やったかなぁ」

 

 

 ほぅ、と溜息を吐いて、はやては再び視線を天へと向けた。

 その横顔は街灯の明かりに照らされて、夜の闇に浮かんでいるように見える。

 

 

「イオスさんは絶対、諦めへんて思ってたわ」

「……そいつはご期待に添えなくて悪かったよ。ただ言わせてもらえれば、手段が変わっただけで夢は変わってねぇよ」

「何か、言い訳くさいなぁ」

「厳しいこって」

 

 

 肩を竦めると、隣から再びクスクスと笑い声が響く。

 ただその声には、どこか力が無く揺れているように感じた。

 何故そう感じたかと言えば、イオスもつい先日までそんな声で話していたからだろうか。

 つまり、先が見えなくて怖がっている者の声だ。

 

 

「なぁ、八神さん」

 

 

 だから、イオスは言った。

 言うべきことを、ただ言った。

 少し前の自分に言うつもりで、特に感情も込めずに。

 

 

「俺の願いと八神さんの願いは、何の関係も無いよ」

 

 

 隣で少しだけ、息を飲む音が聞こえた気がする。

 

 

「仮に俺が執務官を諦めずに頑張って、もし合格したとしても……それは八神さんには何の関係も無い。俺の動静如何に関わらず、八神さんの現実は何も動かないよ」

「……イオスさん」

「何だ?」

「…………イジワルやな」

「良く言われる、かもしれない」

 

 

 そこで初めて、イオスは顔を横に向けて……はやてを見た。

 はやてが着ている着物は、灰みの白藤色地にくすんだ青藤色の変わり格子の柄の着物で、小さな分銅・丁子・金嚢・向い鳥・七宝・笹・竹などの吉祥文様が至る所に描かれている物だった。

 ぱっと見た時の派手さは無いが、近付いてみればめでたく楽しい、それが着ている者の性格を表しているかのようにイオスには思えた。

 

 

 そして濃い赤茶色地に金、白、淡い黄、くすんだ青、緑などの色使いの毬、桜、菊模様の帯に、白鼠色の八掛。

 草履は青磁色地にこげ茶の入った白色の小花柄、そして防寒のための羽織は淡い色に楓模様。

 全体的に淡い色合いだが、それが街灯の明かりの下で少女を儚く見せているようだった。

 

 

「ちょっとくらい、関連付けさせてくれてもええやん」

「でも、現実だ」

「……うん」

 

 

 イオスが執務官に合格した所で、それではやての願いが叶うわけでは無い。

 リインフォースが目覚めるわけでは、無い。

 現実として、何の関連も無いから。

 

 

「でもなぁ……怖いんよ、すごく」

「ああ」

「頑張っても……このまま頑張っても、意味なんてないんやないかって思う時があるんよ。そんな時、すごく……すごく、怖くて……仕方無くなる」

 

 

 ……顔を元の位置に戻して、両足の膝の上に乗せた両腕の指を合わせる。

 目を閉じて視覚を閉ざすが、それでも感じることが出来る。

 今、夜空を見上げる夜天の少女が、空を見上げる顔に両手の掌を当てていた。

 

 

 

「……こわい……!」

 

 

 

 泣いてはいない、ただ、不安に揺れる声だ。

 現在までの疑念と、未来への不信に苛まれている声だった。

 

 

「もし、間に合わへんかったらどうしようって……私が何か方法を見つける前に、防衛プログラムの再作成が始まったらどうしよう……私が生きてる間に、起こしてあげられへんかったらどうしよう……もう、もう……こわくて、怖くて……もう、どうしたらええかわからへん……!」

 

 

 夜、1人で第六技術部に残って頭を抱えている時。

 昼、『闇の書』事件の遺族会の人々に罵声を浴びせられる時。

 朝、成果の無かった昨日を思い出して最悪の可能性を思った時。

 どうしたら良いのか、わからなくなる時がある。

 

 

「どうしたら……どうしたら、この胸の奥のモヤモヤ、消せるん……っ」

「……」

「……教えて……どうしたら……っ……」

 

 

 何か大きな目標に向かう時、誰もが必ず不安を覚える。

 それは日に日にどんどん大きくなって、いつしかどうしようも無いくらいに膨らむ。

 だが、それは。

 

 

「……消せないよ、それは」

 

 

 それは、消えない。

 消せるわけがない、何故ならその不安を生み出しているのも自分なのだから。

 

 

「『闇の書』事件が解決する前はさ、俺、ずっと不安だったよ。このまま解決なんてできやしないんじゃないか、自分が今やってる努力が報われる日なんて来ないんじゃないか、何も出来ずに失敗だけするんじゃないか……」

「……うん」

「……これが消えたのは、事件が解決してからだよ。だから、八神さんのその不安が消えることがあるとすれば、それはアイツを起こすことが出来たその瞬間だろうな」

 

 

 それは、とても現実的な話だった。

 夢が無くて、優しさの欠片も無く、そもそも慰めですら無い、厳しいだけだ。

 そしてだからこそ、はやてはそこにイオスらしさを見ることが出来た。

 不思議と、嫌では無い……かつて『闇の書』の中で記憶と精神、心を交換した彼なりの気持ちの表し方だとわかるから。

 

 

「……イオスさん」

「何だ?」

「…………イジワルやな」

「良く言われる、かもしれない」

 

 

 同じ言葉を別の意味で繰り返して、はやてを顔から掌をどけた。

 視界には、満点の星空。

 夜天が広がるその世界に、はやては目を細める。

 漆黒だったその世界の端に、白い光を見つけたから。

 

 

「はやてちゃーんっ、イオスさーんっ、初日の出っ、始まるよーっ!」

 

 

 太陽のような笑顔を浮かべるなのはが、ぶんぶんと手を振って2人を呼んでいる。

 そして実際、彼女の後ろの空は白み始めていた。 

 日の出の時間、だ。

 夜天が終わり、光が始まる時間。

 

 

 それに対して、はやては目を閉じて微かに笑う。

 明けない夜は無い、などとセンチメンタルなことを言うつもりは無い。

 ただ、不安だろうと何だろうと……「明日」は、来るのだ。

 今日のように。

 

 

「ほら、砲撃される前に行こう、八神さん」

 

 

 立ち上がって、そっと差し出された手。

 細いが意外とゴツゴツしているその手は、青年から大人へと変わりつつある男の子の手だった。

 女友達の手とは似ても似つかないその手を見つめて、はやては改めて顔を上げた。

 その顔に、何かが吹っ切れたような……すっきりとした微笑みを浮かべて。

 

 

「それは、ちょっとなのはちゃんに酷いんやない?」

 

 

 握るのではなく、ただそっと手を乗せるだけ。

 指先を乗せるだけに留めたそれを支えに、はやてもベンチから立ち上がった。

 自分よりも背の高いイオスを下から見上げるようにして、綺麗に笑う。

 

 

 そんな言葉と笑みに、イオスはもう片方の手で頭を掻くような仕草をした。

 それは何かを誤魔化しているようにも見えて、はやては右手をイオスの手に添えたまま、左手を軽く握って口元に当てて吐息のような笑い声を上げた。

 そして、想う。

 ああ、今は……不安では無い、と。

 

 

「なぁ、イオスさん」

「何だい、八神さん」

 

 

 手を放して歩き出しながら、はやてはイオスに言った。

 その声は不安に揺れたものではなく、いつも通りの……。

 

 

「いい加減、はやて、って呼んでくれてもええんやない?」

 

 

 ……悪戯好きそうな、そんな声に戻っていたと言う。

 水色の髪の青年は、それはそれは困った顔を浮かべてそれを聞いていたと言う。

 それを見た茶色の髪の少女が声を立てて笑ったのは、言うまでも無い。

 

 

 ――――不安を抱えたまま、誰もが進む。

 そんな現実と戦うか、逃げるかは……個人の自由と、かつて誰かが言った。

 はたして彼ら彼女らは、逃げるのだろうか。

 それとも、戦うのだろうか。

 それはまだ、誰にもわからない……。

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
現実ではまだ1ヶ月以上ありますが、話の展開としてまとめと次への布石をわかりやすく説明するのに、新年ネタをやらして頂きました。

何より着物の描写を悩んだ気もします、イオスの進路よりも(え)。
実際、晴れ着を着て行く人と行かない人って半々くらいな気がします。
と言うわけで、次回はあるイベントを消化するために士官学校編の3つ目を出します。
それでは、失礼致します。

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