魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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雌伏編第10話:「決意:後編」

 

 無数に放たれた流水の槍を、赤い髪の女性が俊敏な動きで回避して行く。

 流水の槍を走り、駆け、飛び、跳んでかわす女は、燃えるような赤い髪の端を掠れさせながら移動する。

 鋭角な動きは、やがて直線的な動きへと変わっていく。

 

 

「ちぃ……っ」

 

 

 苛立たしげに舌を打って、イオスは後ろに跳躍しつつ腕を振った。

 銀に輝く鎖が舞い、幾重にも連なる槍の如く降り注ぐ。

 それは並の魔導師ならば抜けもしない程の精度と威力を持っている、しかし。

 

 

「……!」

 

 

 アルフは今一歩を踏み込み、鎖が道を閉ざす直前に加速した。

 地面を削る程の魔力を踏み込みに使ったそれは、人間の動体視力では捉えきれない程の速度へと彼女の肉体を乗せる。

 そして鎖を放った張本人、イオスが気付いた時には彼の眼前で拳を腰だめに構えている。

 

 

<Water bind>

 

 

 しかしそれもイオスには予測できていた、アルフの腕、首、足に流水の枷が嵌められていく。

 設置型の魔法、特定の場所に踏み込んだ相手に対し、空気中の水分を集束して捕縛する。

 それを確認したイオスは後ろに下げた掌を開き、そこに新たな槍を作るために流水を発現させる。

 

 

「ぐはっ……!?」

 

 

 だがそれが放たれることは無かった、何故ならば流水の枷を擦り抜けたアルフがイオスの腹部に身体ごと体当たりをかまして来たからだ。

 人間形態では無い、獣形態に変化して枷を逃れて、だ。

 赤い毛並みの大型犬が、頭を叩きつけるようにしてイオスの腹に一撃を見舞っている。

 

 

『どうした!!』

 

 

 ダメージはともかく、勢いと衝撃はバリアジャケットでも防げない。

 アルフの一撃をモロに受ける形になったイオスは吹き飛ばされ、浮遊感を感じた。

 腹の痛みを極力無視し、空中で後ろに回転、足の裏を地面に突き刺すような勢いで身体を止めようとする。

 

 

『そんな程度じゃ――――!」

 

 

 目の前で輝きが走り、獣形態のアルフが再び人間形態を取る。

 勢いを殺し切れていないイオスに向けて、右足を蹴り上げる。

 すでに傷めた右手を避け、左手でガードするイオス。

 手甲と鎖が軋む程の衝撃が、ガードごとイオスの身体を吹き飛ばす。

 

 

「……っ、調子に……!」

 

 

 今度は勢いのままに横に回転し、地面に鎖の先端を刺して動きを止め、そのまま向かってくるアルフに対して振りかぶった右拳を叩きつけた。

 

 

「乗ん……っ!?」

 

 

 その拳は、アルフの左の掌によって受け止められた。

 バリアジャケットに守られていない彼女の手は、2人の魔力が威力を相殺し合ってなお残る衝撃に鈍い音を立てる。

 そこに至ってようやく、2人の身体が停止する。

 触れ合った拳と掌だけが、2人の力の強さを示すように震えていた。

 

 

「そんな程度の魔力の練りじゃあ……」

 

 

 拳越しに睨み、引き寄せ、残った右拳を振り上げ。

 

 

「私はっ……倒せないっ、んだよぉっ!!」

 

 

 振り下ろし、イオスの身体を顔から地面へと叩きつけた。

 地面が砕ける程のその一撃は、イオスの意識を一瞬だけ刈り取って――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 第92管理世界「コルドバ」の少数民族の領域に、それはひっそりと存在している。

 山岳地帯一帯に広がるその場所は、一見ただの山と森が広がっているように見える。

 ここに来る諸民族の人間には、そう見えるだろう。

 しかし……。

 

 

「アレが、近隣の村から人を攫って被験体にしてる違法研究所……」

 

 

 しかし、魔法の力を持つ者にはそうは見えない。

 魔導師にとっては一般的な、認識に誤認を引き起こし人を払う結界。

 ただ今回の場合は魔導師が張った物では無く、次元航行艦や重要施設を隠すために使われるステルス技術に近いようだった。

 

 

 そして魔法の力を持つ魔導師、しかも執務官であるフェイトは、森の木の枝に膝をつくように乗った体勢でそれを見ていた。

 森を切り開いて――普通の人間にはそう見えない――建てられたらしいそれは、白亜の研究施設だ。

 周囲数十坪に及ぶその施設は、発電施設や浄水施設、研究施設からなっている。

 

 

「……準備は良いですか?」

『了解、ストボロウ隊、配置についたよぉ』

 

 

 小さな声で訪ねれば、音量を落とした通信から返答が来る。

 武装隊の配置が終わった、そして施設側は気付いていない。

 ふぅ……と、緊張した吐息を漏らす。

 

 

「……『バルディッシュ』」

<Yes, sir>

 

 

 指に挟んだ待機状態の『バルディッシュ』が輝き、次の瞬間にはフェイトの姿を変える。

 黒のスーツに白の添えスカート、太腿まで覆う黒のソックスにショートブーツ、そして背中を覆う赤黒のマントに身体の各所を締める赤ベルト。

 手には漆黒の戦斧、ストレートに流していた金髪は2つくくりにされている。

 

 

 昔から変わらぬバリアジャケットは、幾分か成長した少女の身を確かに覆った。

 防護と保護、それを受けた少女が唇を動かして告げる。

 

 

「……作戦、開始」

 

 

 その言葉の直後、研究施設の一部が爆発した。

 発電設備を一瞬の後に破壊したそれは、施設への電力供給の大部分を停止させる。

 施設内部はパニックに陥り、停電の原因を調べ始めるだろう。

 

 

<Sonic move>

 

 

 そしてその次の瞬間、フェイトは高機動魔法で加速した。

 求められるのはスピード。

 民族地域に深く入っての作戦行動なので、素早く終わらせる必要があるためだ。

 

 

 たった1人、真剣な眼差しで……少女は、研究施設の上空に飛び出した。

 そして両手で構えた戦斧に魔力を通し、太陽を背景としながら。

 死神の鎌を手に、降り立った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 いつもと変わらぬ日々と思えば、緊急事態。

 何者かの襲撃と侵入を受けた研究所の中は、阿鼻叫喚と言うに相応しい様相を呈していた。

 相手から受けた降伏の呼びかけなど、意味を成さない。

 何故なら、それを判断する責任者がいるのはここでは無いのだから。

 

 

「ど、どうして局の部隊がここを襲うんだ!?」

「私達は、上の指示に従っていただけで――――!」

 

 

 赤色灯が輝き、警報音が鳴り響く中で、白衣を着た男女が慌ただしく通路を走る。

 時にぶつかり合い、押しのけ合いながらも、中には慌ただしく書類やデータの消去を行っている者もいるようだった。

 外に出る者もいないことは無いが、その悉くが。

 

 

「時空管理局だぁ! 違法研究の実行犯で逮捕する、抵抗するなら実力を行使するよぉ!」

 

 

 薄茶色の髪の女に指揮される10名前後の男女に捕縛されていく、軽鎧を模した簡易バリアジャケットの武装隊が展開し、施設の外を制圧していく。

 一方で、施設の奥ばった位置にいる一部の職員は……。

 

 

「最近結果を出せていなかったから、上は私達を処分するつもりなのかもしれん……」

「私達はどうなる?」

「わからん、ただこうなれば……せめて、証拠は……」

 

 

 ガラスで隔てられた壁の向こうを見て、少し年配の男が溜息を吐く。

 それは、せっかくの工作を壊さなければならなくなった子供のそれに似ていた。

 彼らはすぐ傍にあった端末に手を添えて……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 何でだ、と、イオスはそう思った。

 『ジュエルシード』事件の際、アルフとは幾度か拳を交えた。

 その時は、勝てるとは思わないまでも負けると思ったことは無かった。

 精神論的な意味では無く、事実としてもそう思っていた。

 なのに、今。

 

 

「アンタさ、最近……勝たなくちゃいけないとか、勝ちたいとか、思って無いだろ?」

 

 

 地面に仰向けに倒れたイオスを上から見下ろすような体勢で、アルフは言う。

 イオスの頭のすぐ傍に立つ彼女は、左手を腰に当てて。

 

 

「私と戦った時の……いや、『闇の書』事件の時まではさ、何だろうね。絶対に負けられないって言う気迫があったんだよ、アンタには」

 

 

 ……そうかもしれない。

 アルフに殴られてグワングワン揺れている頭の中で、イオスは彼女の言葉を肯定した。

 『闇の書』事件の時にはあった胸の奥の湧き立ちが、それ以降は失われてしまったようで。

 それが結果として、今のイオスの状態を生み出しているとも思えた。

 降格され、執務官試験に落ち、そして今かつては互角以上に渡り合った相手に殴り倒されている。

 

 

「アンタ言ってたじゃないか、現実はずっと続くんだって。何かが終わっても、その先も続いて行くから、だから抗い続けなきゃいけないんだってさぁ」

 

 

 そう、続く。

 現実は続く、『闇の書』事件が終わろうがどうしようが、「続き続ける」。

 それは、変わらない。

 なのに何故、その実感が薄いのか……。

 

 

「……何、やってんだい……!」

 

 

 気のせいで無ければ、見上げるアルフの顔はどこか泣きそうに歪んでいて。

 

 

「ここに、あるだろ……アンタの現実はここにあるんだ、あるじゃないか。私が、フェイトが、皆がここにいるんだよ。アンタの現実って、アンタだけの物じゃないはずだろう……!?」

 

 

 イオスの現実は、イオスだけの物じゃない。

 それは、イオスにとっては新鮮な響きだった。

 だけど良く考えてみれば、それは当たり前のことでもあった。

 

 

 人間1人だけで構成される物など存在しない、いろいろな人にとっての現実が重なって、初めて今の現実が形作られているのだ。

 要因と言っても良い。

 あるいは……現実を、世界と読んでも良いのかもしれない。

 イオスにとっての現実は他にとっても現実であり、そして、世界なのだから。

 

 

『それでも、虚数空間から母さんを引き上げてくれたのはイオスだから、だから』

『イオスのおかげで、短い間だったけど、通じ合えなかったけど、それでも母さんとお話ができたから。だから、本当にありがとう』

 

 

 だからこそ、アルフの言うように……「いる」のだ。

 いるじゃないか、「そこ」に。

 「ここ」に。

 

 

『イオスさん、ありがとう』

『今、この子がおるんはイオスさんのおかげや。イオスさんがあの子を眠らせてあげてて、言うてくれたからや』

『私がそう思とるだけやから、素直に受け取ってぇな』

 

 

 イオスの現実の、その結果。

 誰かの現実に影響を与えて、結果があるじゃないかと。

 意味があるのか無いのかは、この際は問題では無い。

 ただ、現実が重なり合うと言う事実だけがそこにある。

 事実は、認めなければならない。

 

 

 ――――救えたじゃないか、俺は。

 そう、何のために?

 単純だ、いつだって。

 自分のような……ロストロギアの被害者を出さずに、出しても助けて、少しでも。

 ほんの少しでも、こんなはずだった現実を、重ねていけるように……!

 

 

「……!」

 

 

 はっとした表情を浮かべて、アルフが後ろへと跳び退った。

 耳と尻尾の毛並みが逆立って、震えるように人間部分の産毛までもが総毛だっている。

 ぞわり、と震えるそれは、唾を飲み込んでしまう程に深い何かだ。

 

 

「う……」

 

 

 ゆらり、と、よろめきながらイオスが立ち上がる。

 アルフに背中を見せて立っている、しかしアルフは動かない。

 構えかけのような体勢で、じっとその背中を見つめている。

 

 

「うぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぁぁああああああああああああああああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 そして、イオスの突然の叫びのビクリと身体を震わせた。

 耳など、ピンと張って驚きを表現している。

 

 

「ああぁぁぁ……っしゃああぁっ!!」

 

 

 腰の横で両拳を握りこんで叫んだ後、イオスはクルリと後ろを向いた。

 左手を前に、右拳を下げるような構えを取って、腰は低く。

 それに対して何かを感じたのか、アルフも今度は完全に構えた。

 

 

「……思い出したぜ」

「へぇ、何をだい?」

 

 

 口元に笑みが浮かぶのを自覚しながら、イオスの言葉にアルフは問うた。

 

 

「執務官ってのは、俺にとって手段の一つでしか無いってことをだよ」

「何だい、負け惜しみかい?」

「そーだよ、悪いか?」

「……いいや」

 

 

 魔法は、心の力とも言われる。

 すなわち、術者の精神状態によって強くも弱くもなると言うこと。

 いくらデバイスが進化しようとも、魔力を発するのは人間であり、人間の機関であるリンカーコアだ。

 だから、とアルフは思う。

 

 

「良いんじゃないかい……!」

 

 

 この気分は、悪くないと。

 

 

「さぁて、良く考えたら仕事の時間に大遅刻じゃねぇかよ。ただでさえ傷だらけの俺の経歴に傷をつけて、お前、実は俺を艦から叩き出そうとしてんじゃねーのか?」

「あ、バレたのかい? 正直、鬱陶しいんだよねアンタ」

「奇遇だな、俺もお前の犬形態にはほとほと嫌気がさしてんだよ」

「はん、この尻尾の毛並みの良さがわからないなんてねぇ」

「ただの毛の塊じゃねぇか、くしゃむるわ」

 

 

 面と向かって悪口を言い合うのも、久しぶりだ。

 だからだろうか、アルフもイオスも笑みを浮かべている。

 構えをそのままに、お互いの足をほんの少しだけズラす。

 地面と靴が擦れる音が、お互いの耳に届く。

 

 

 イオスの周囲には流水が渦巻き、彼の足元からは薄青の輝きを放つ魔法陣が展開される。

 対抗するようにアルフも己の身にオレンジの輝きを纏い、主から与えられた残りの魔力を引き出している。

 お互いの身体が動く前に、魔力の端がお互いの魔力に触れる。

 

 

「……来なよ、現実主義者」

「行くさ、その向こうへ」

 

 

 そして。

 雄叫びを上げて。

 衝突した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 赤色灯が点滅する研究所の通路を駆け、フェイトは先へと進んでいた。

 降伏を呼び掛け、投降する者は外へ誘導し、抵抗したり逃げたりする者は警告の末に電撃を放って気絶させる。

 気絶させた者は、転移させるなり仲間に引き渡すなりするわけだが……これが思いの外、時間のかかる行為だった。

 

 

 ただ研究所の規模は大きくは無い、関係者も20人いるかいないかだ。

 武装隊は10名余り、やってやれないことは無い。

 そのため、突入から20分前後でフェイトは研究所の奥へと進むことが出来た。

 地下二階、探していた場所はそこにあった。

 

 

「時空管理局です! 管理局法違反の研究活動により、皆さんを拘束し……」

 

 

 鉄製の自動扉を蹴破り――牽制と威圧――中へ侵入すると、フェイトは言葉を止めた。

 右手に持つ『バルディッシュ』の死角を補うわけでは無いが、左を見たためだ。

 それなりに広い空間のその部屋は、独特な構成になっていた。

 中央に出た形のフェイトの左手には、部屋を2つに分ける分厚いガラスの壁が見える。

 

 

 問題はその向こう、ガラスの向こう側に見える光景だ。

 子供……肌の色や顔立ちなど、医療キャンプにいた近隣民族の特徴を備えた幼い子供が6人程、そこにいた。

 真っ白な壁と床に、医療キャンプの物よりはよほど上等で近代的な医療ベッドがある。

 その上に寝かせられていたり、あるいは座ったりしているが……様子がおかしい。

 

 

「時空管理局です! 救助に……もう大丈夫です!」

 

 

 叫んで駆け寄れば、普通は何らかの反応があるだろう。

 だが、反応が無い。

 ガラス壁を隔てて見えているはずだが、誰もフェイトに関心を持っていない様子だった。

 虚ろな目は、どこを見ているのかもわからない。

 

 

「何で……」

 

 

 予測は出来るが、受け入れるには重い判断がいる。

 その時、さらに異変が起こった。

 ガラス壁の向こう側、つまり子供達がいる側に……薄紫色の煙が、天井と床寄りの壁から噴出し始めたのだ。

 それは急速に部屋に広がり、子供達の方へも行く。

 

 

「あれは何だろう……『バルディッシュ』」

<Sir……That is poisonous gas>

「な……っ」

 

 

 毒ガス、その言葉にフェイトの顔が青ざめた。

 次の瞬間、フェイトの目の前のガラスに赤い液体が噴きかかった。

 それが何かなど、言うまでも無い。

 濡れたガラスの向こう側、子供達が次々にベッドから落ち、あるいは痙攣しながら。

 

 

「……『バルディッシュ!』」

「待て!!」

 

 

 フェイトが魔法を放ち、ガラス壁を破ろうとしたのは無理も無い。

 しかし、それを止める人間がいた。

 フェイトが振り向けば、そこに白衣を着た男が3人いた。

 部屋の隅、研究用の端末の筺体に隠れていたらしい。

 

 

「待て……待て、そこを破られたら、ガスがこちらにも流れて来てしまう、待ってくれ」

 

 

 弱り切った表情を浮かべる男の言葉が、一瞬、理解できなかった。

 

 

「そうしたら私達も死んでしまう、やめてくれ」

「何、を……言って……!」

「管理局法では、次元犯罪者の人権も認められているはずだ。私達が死ぬとわかっている行為を行うことはできない、そうだろう?」

 

 

 歯が、折れたのではないか。

 そう思えるほどに、フェイトは奥歯を噛んでいた。

 次元犯罪者であろうと人権を認める、それは確かに管理局法で認められていることだ。

 執務官であるフェイトには、それを破ることはできない。

 

 

 だが彼らを守れば、被験体と思われる子供達が死ぬ。

 子供達を助けようとすれば、研究者達が死ぬ。

 バリアジャケットを纏うフェイトだけは、生き残る。

 後ろでは、子供達が咽て吐血する音が聞こえる中で。

 

 

「……っ」

 

 

 子供達か、犯罪者か。

 そんな、現実。

 そんな現実の天秤に対して、フェイトは。

 

 

「……っ、ぅ、ああっ!!」

「ひっ……!」

 

 

 叫んで、跳びかかる。

 まず1人、こめかみを殴って気絶させる。

 そして残り2人に電撃を流して意識を刈り取り、その場に打ち倒した。

 それから、内部電源で動いているらしい端末に『バルディッシュ』を向ける。

 

 

「『バルディッシュ』、お願い!」

<Yes sir>

 

 

 黄色のコアクリスタルが煌めき、端末の強制侵入して操作する。

 フェイトが選んだのは、「どちらも助ける」だった。

 まず研究員達を無力化し、そして『バルディッシュ』の力を借りて端末を操作、ガスを止める。

 コアクリスタルが明滅するのを、早く、早く……と念じながら

 

 

<Complete>

 

 

 そして、『バルディッシュ』は見事に仕事を成し遂げた。

 ガスを止め、逆に吸引を開始、そして安全範囲になった段階でガラス壁を開いた。

 一も二も無く、フェイトは子供達に駆け寄った。

 

 

「大丈夫!? ね、ぇ……」

 

 

 最初の1人、ベッドの下に落ちていた子供は、抱えた途端に手遅れだとわかった。

 目と鼻孔から変速した血液を流していたその子供は、フェイトの声に反応を返さずぐったりとしていた。

 別の1人はガスに近かったのか、肌が溶けてさえいる。

 もう1人は、全身の毛穴から痙攣と共に体液を噴出し続けていた。

 

 

「ねぇ……!」

 

 

 さらに1人、血の色が紫色になり……触れた途端、溶けた肉が肌を破って飛び出してきた。

 

 

「ねぇ!」

 

 

 そして今1人、動かなかった。

 黒く濁った眼球が、ただこちらを見上げている。

 

 

「ねぇ!!」

 

 

 最後の1人、抱き上げた途端にぐったりとしていた。

 ただ、他の5人と違う反応が帰って来た。

 そう、反応だ。

 

 

「げほっ……えぶ……」

「……!」

 

 

 生きていた、ガラス壁寄りだったためガスの影響が少なかったのかもしれない。

 生きていてくれた、それが異常に嬉しかった。

 鼻血を流しているが、しかし温かく、相応の身体の柔らかさだった。

 マントで鼻から流れる血を拭ってやって、とにかく外へ運んで治療を、と思った。

 

 

「……っ、何!?」

 

 

 不意に、足元が揺れた気がした。

 『バルディッシュ』と子供を手に警戒すると、地震のように施設が揺れていることに気付いた。

 何事かと思い振り向けば、フェイトがこめかみを殴って意識を刈り取ったはずの研究員が起きていて、端末にしがみ付くようにしてそれを操作していた。

 

 

 そして次の瞬間、彼と彼の仲間2人が倒れている小さなスペースが、端末ごと上に上がっていくのが見えた。

 エレベーター、それに気付いた時……これが施設の倒壊であり、自爆だと気付いた。

 ぎり、と歯を食い縛った直後。

 

 

「……っ、き――――貴様ああああああああああああああぁぁぁぁっっ!!」

 

 

 これまで使ったことも無いような汚い言葉で、叫んだ。

 しかしフェイトは動けない、腕の中で子供が咳き込んだからだ。

 その間に、研究員達を乗せた床が天井の向こうへと消えて行ってしまった。

 

 

 そして後に残されるのは、施設の倒壊だった。

 激しく揺れ、どこかでは爆発も起こっている。

 とにかく無事だった子供を――6歳くらいか――抱え上げて、逃げようとした。

 その時……。

 

 

「あ……っ」

 

 

 一際大きく施設が揺れ、床が割れて段差が生まれる。

 それに戸惑った次の一瞬、施設の何か重要な部分がヘシ折れたような音がした。

 嫌な気配を感じて上を振り仰げば、天井が――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……あれぇ?」

 

 

 と、施設の外で研究員達を拘束する武装隊のリーダー、ルイーズは、不意に妙な声を上げた。

 手元に表示枠を開いているのだが、妙に乱れていて繋がらない。

 電磁波か魔力素か、何かしかの不調があるらしい。

 

 

「隊長、どうかしましたか?」

「いや、中の執務官と繋がらな……おぉ?」

 

 

 さらに不意に……ずん、と足元が揺れた。

 地震のように全体が揺れるのでは無く、どこかが発信源となって揺れるような、具体的には爆発物が爆発して周囲を揺らしているような揺れだ。

 揺れに驚いたのか、周囲の木々から無数の鳥が飛び立っている。

 

 

「うーん……ねぇ」

「は、はいっ?」

「この揺れに心当たりはない?」

「そ、それは……」

 

 

 拘束している研究員の1人に聞いてみるが、口ごもるばかりで要領を得ない。

 そこでデバイスの槍を突き付けて、もう一度。

 

 

「心当たり、無い? 他の人に聞いても良いんだけどぉ?」

「た、たぶん、機密保持のための自爆装置が作動したんだと思います! そこは、その、別電源なので」

「自爆ぅ? それはまたベタな……」

「ええと……メインの実験室とデータバンクを破壊することが目的なので、外までは巻き込まれないはずです。中央実験棟が崩れるだけなので……」

 

 

 中央実験棟、と言う言葉を聞いて顔を上げれば、確かに倒壊しかけている建物があることに気付く。

 正門前に集まっているルイーズ達は巻き込まれる恐れは薄いが、中央実験棟は上から地下に至るまで崩れる、そう言う仕掛けのようだった。

 つまるところ、証拠隠滅と言うことだろう。

 

 

 悪党が考えることは、万国共通と言うわけだ。

 しかし、それは少し不味いなと考える。

 何しろ、執務官が向かったのはその中央実験棟なのだから。

 

 

『ルイーズ!』

「わっ、ビックリしたぁ……」

 

 

 突然開いた新しい通信の表示枠に、ルイーズが肩を震わせる。

 

 

『すまん、遅れた! 状況はどうなってる!?』

「えーと……施設が自爆で執務官がピンチ、かなぁ?」

『了解した!』

 

 

 次の一瞬、ルイーズの目前に誰かが着地した。

 妙にズタボロになっているような気がしたが、その背中はしっかりとしているように見えた。

 そして短距離転移によって施設の入り口まで跳び、さらに次の瞬間には姿を消してしまった。

 

 

「……いや、何か言って行ってよ」

 

 

 ポツリと呟いて、ルイーズが肩を竦める。

 そしてその時、お、と声を上げた。

 イオスを追って中央実験棟を見たその視界に、それが映って……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……あの野郎……」

 

 

 医療キャンプに程近い場所で、アルフは仰向けに倒れていた。

 見上げる空は透き通るような青空で、見る者の心を洗ってくれるかのようだった。

 そんな空を、どこから飛んできたのか……多くの鳥が優雅に飛翔している。

 

 

 それを何とは無しに見上げる彼女は、何と言うか……ボロボロだった。

 衣服に破れが入った姿は、下手をすればどこかの悪漢に襲われたのかと心配されそうなレベルである。

 頬や腹部など外に露出した肌が砂埃で汚れていることが、痛々しさを表しているようだ。

 ただ、その顔には優しげな苦笑が浮かんでいる。

 

 

「普通、ああいう場合は大きいのをぶつけ合う空気だろうにさ……」

 

 

 ……最後のイオスとの衝突、アルフは自身の最大攻撃を繰り出すつもりで、実際そうしようとした。

 しかしイオスが何をしたかと言えば、アルフの攻撃の威力を殺すために用いてから地面に刺さったままだった鎖を使って、前にばかり集中していたアルフの足を引っ掛けて転倒させたのである。

 しかも、自分はそのまま大きいのを叩き込んで来た。

 卑怯極まりない、ただ……。

 

 

『はぁ? 重要なのはお前との戦闘を終わらせることで、お前に勝つことじゃねぇし。じゃ、俺行くわ!』

 

 

 ……ただ、その方がアイツらしいと、アルフは思う。

 思えば、最初に戦った時……アルフとの正面からの決闘をまるっきり無視して『ジュエルシード』を取った男なのだ。

 嫌味なくらい現実主義で、必要のないことは極力しないで、とにかく結果だけ手に入れる。

 

 

「……ま、少しは腑抜けも直ったんじゃないかい」

 

 

 主たるフェイトに負担をかけないよう、己の保有する魔力のみで戦って……結果がこれだ。

 今の自分では、これが限界なのだろう。

 フェイトを守る、フェイトの使い魔……かつてリニスが望んだその通りの自分。

 ただここの所は、傍にいて守るということが無い。

 必要とされていないのだ、フェイトに。

 

 

 別にそれは、フェイトのせいではない。

 今のフェイトは十分に強い、むしろ自分が傍にいれば気にさせてしまう。

 それにアルフだけが味方だった『ジュエルシード』事件の時とは異なり、フェイトを守り、助けてくれる人間はいくらでもいる。

 邪魔とまで卑下するつもりは無いが、頼りにされるより心配される対象になっているのは確かだ。

 

 

(……使い魔失格だねぇ……)

 

 

 今、傍にいないことも。

 戦力的に力になれないことも。

 だけど、それでも。

 

 

「……愛してるよ、私のご主人様。ご主人様の幸せが、私の幸せさ……」

 

 

 それでも、それだけは変わらない。

 何があっても、変わらない。

 

 

(役に、立てたかな……?)

 

 

 自分は、役に立てただろうか。

 フェイトの役に、立てているだろうか。

 それだけが、心配だった。

 力の足りない自分でも、もし、役に立てる方法があるのなら……。

 

 

「……潮時、だね」

 

 

 引退しよう、アルフはそう決めた。

 フェイトが『アースラ』から独立して独り立ちしたら、引退しよう、と。

 前線を退いて、フェイトの帰る場所を守る番犬になろうと。

 そう、決めた。

 

 

「あははは……頼んだよ、『みんな』」

 

 

 笑顔で、しかし瞳から涙の滴を零しながら。

 フェイト・T・ハラオウンの使い魔、ハラオウン家の番犬アルフ。

 彼女はこの瞬間に、己の進退を決めたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 フェイトは駆けていた、小さな背中に命を背負って駆けていた。

 ガスの発生が完全に抜けていない実験室の壁が崩れれば、そこからガスが漏れてくる。

 防御魔法で子供を庇いながら凌ぐことはできたが、それでは施設の倒壊に巻き込まれてしまう。

 

 

 だからフェイトは、子供を背負って走ることを選択した。

 そのため高速機動は使えず、身体強化による加速に留めている。

 地下2階から1階へ上がり、崩れる壁や天井を避けながら進む。

 

 

(もう少し……っ)

 

 

 置いてきた子供達――その亡骸――のことを想うと、泣きそうになる。

 助けられなかった命に、涙が出そうになる。

 あんな子供達を1人でも多く助けるために、執務官になったと言うのに。

 しかしだからこそ、今は背中に背負っている命を救わなければならなかった。

 地下を超えて1階に達し、いよいよ脱出と思ったその時。

 

 

<Sir!>

「あ……!」

 

 

 パートナーたるデバイスの呼びかけに、上を見る。

 最後の一段を上がる際に一際大きく揺れ、足先を引っ掛け、瞬間的に動きを止めてしまった。

 そして同時にその揺れで主要な支柱が折れたらしい建物が、重量に耐え切れずに横倒しになった。

 壁が折れ、天井が崩れ落ちて来て……。

 

 

(この子だけでも……!)

 

 

 背負っていた子供を前に回して、抱き締めるように庇う。

 天井方向から崩れる瓦礫に対し、『バルディッシュ』が自動防御を行おうとした時。

 

 

「フェイト!!」

 

 

 声に、顔を上げる。

 すると、階段から出口へと至る通路の向こうに銀の輝きを見た。

 それは鋼が擦れる独特の音を立てて飛翔し、鋭角的な動きを見せながらフェイトの上の小さな瓦礫をいくつも粉砕した。

 

 

<Chain impulse>

 

 

 もはや聞きなれたデバイスの電子音声、間違えようが無い。

 

 

「イ――――」

 

 

 鎖に続くような形で、長い距離を2度の短距離転移で駆けている姿。

 連続での短距離転移の負担のせいか、表情がやや固いのがわかる。

 彼の身体の周囲で舞う銀の鎖が、いやにゆっくりに見えた。

 

 

「――――イオス!!」

 

 

 叫び返した。

 名前を、呼び返した。

 

 

「どぅおぉりゃああああぁぁぁぁっ!!」

「きゃ……!」

 

 

 そしてフェイトは、腕に抱いていた子供ごとイオスの腕に掴まれて。

 そのまま、後ろの階段の下へと抱き締められるように飛んだ。

 直後、施設が崩れ落ちて……一瞬、視界が闇に染まった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 1階と地下1階の間、階段に出来たごく僅かなスペース。

 そこに、3人の人間が折り重なるようにして蹲っていた。

 階段隅の壁に背中を預け、鎖で編んだ傘で崩れた瓦礫を押し留めている。

 

 

「あー……ヤバかった」

 

 

 けほっ、と埃混じりの息を吐きながら、煤に汚れた頬を晒しながらイオスは言った。

 頭上と足元に鎖を刺して支えとしてはいるが、鎖の傘の隙間からは瓦礫や鉄骨が突き出ていて危ないことこの上ない。

 どうやら、しばらくは動けなさそうだった。

 ただ、フェイトとフェイトが抱えていた子供を一応の安全圏に運べたのは僥倖というべきか……。

 

 

「あー……悪いフェイト、遅くなった。もう何と言うか言い訳のしようも……って、おい?」

「……った」

 

 

 場違いながら、遅刻を謝罪しようとしたイオス。

 しかし一方のフェイトは、元々そこを気にはしていなかった。

 イオスとアルフが戻らない内に作戦を開始したのは、もちろん予定や執務官としての判断だ。

 ただ、そこに私情が無かったと言えば嘘になる。

 極端な言い方をすれば、避けたのだから。

 

 

「助け……られなかっ……た……!」

 

 

 ただ、今はそのことは良かった。

 目の前にいながら、助けてあげられなかった命が5つある。

 もっと自分が、という後悔……体液を噴き出し、痙攣しながら息絶えていく子供を見ているしか出来なかったと言う現実。

 ショッキングな映像以上に……その事実が、どうしようも無く彼女の胸を締め付けた。

 

 

 俯きながら肩を震わせるフェイトを見て、イオスは大体の事情を察した。

 自分がその場にいれば、はたしてどうなっただろう。

 そんなIFを考えても、現実は何も変わらない。

 何人かは助けられなかったと言う現実、ただ、逆の現実もあると彼は知っている。

 

 

「そっか、辛かったな……でも」

 

 

 フェイトが腕の抱いている子供を見ながら、イオスは言う。

 

 

「でも、そいつはお前が助けた命じゃねぇか」

 

 

 けほっ、と、状態が悪いのか青白い顔で咳き込む子供。

 けれど、生きている。

 腕の中でまだ温もりを保つその子供を見て、フェイトは顔を歪めた。

 そしてその子供を抱き締めたまま、それごと身体をイオスへと傾けた。

 

 

「お……っと……」

 

 

 バリアジャケット越しに伝わってくる体温に、イオスは思わず両手を上げて身を固くした。

 胸元に見える金糸の髪に、猫が瞬間的に総毛立つかのような反応を見せる。

 しかしそれも、徐々に肩を下げて収まっていった。

 

 

 そして口から漏れたのは、溜息だった。

 狭い空間で3人、まさに身を寄せ合うことになった。

 右腕で子供がズリ落ちないように足に乗せるようにして支えて、逆に足の間に身体を入れてくる形になった少女の頭を左腕で抱えるようにする。

 

 

「……ごめんな。俺、最近すげーヤな感じだったよな」

「そんなこと……」

「あるんだよ。俺はすげーヤな奴だったって、そう言うことにしとけ」

 

 

 実際、嫌な奴だったとイオスは思う。

 年上の威厳も先輩の威厳もあったものでは無い、ようは後輩に抜かれて悔しかっただけなのだ。

 嫉妬、だ。

 くだらないが、厄介でもある。

 埃っぽい中で、胸元から香る甘い匂いに眼を閉じる。

 

 

「俺さぁ……」

 

 

 そんな中で、イオスは告げる。

 アルフに渇を――認めたくは無いが――入れられて、考えて、出した結論を。

 

 

「――――……執務官試験、やめようと思う」

「――――どうしてっ!?」

「うおっ!?」

 

 

 がばっ、と身を起こして、フェイトが叫んだ。

 その拍子に子供が落ちそうになるが、それはイオスが支えた。

 

 

「あ、危ないだろ」

「ご、ごめんなさい……え、いや、でも!」

 

 

 掴みかからんばかりの勢いで、フェイトは言い募る。

 何故、どうしてと。

 それはもう、先程とは別の意味で泣きそうな顔で。

 

 

「も、もしかして、私が……」

「え、いや、それはあんまり関係ないなぁ」

 

 

 苦笑して、イオスはフェイトの顔に手を翳す。

 近い近い、とでも言うように。

 フェイトは口の中で何かをモゴモゴと呟きつつ、顔を赤くしてやや下がった。

 イオスは吐息を一つ漏らして、少しだけ説明する。

 

 

「と言うか、『アースラ』も降りようと思ってる」

「え……」

「ついでに言えば、そろそろリンディさんの家に厄介になるのもやめにしようかと思ってる」

「えぇっ」

「いやそもそも、管理局を辞めるのもアリかと思ったんだけど」

「ええええええええぇぇぇっ!?」

 

 

 フェイトからすれば、何が吹っ切れればそこまで極端になるのかわからなかった。

 ただイオスにしてみれば、前々から考えていたような気もするのだ。

 『闇の書』事件が、終わった時から。

 

 

「まぁ、管理局を辞めるのは無しだな。第六技術部のこともあるし、それに……母さんの入院費用とか、いろいろ入り用だしな」

 

 

 休暇やら何やらでは不自由な管理局だが、給与と保険制度は整っている。

 それこそ、下手な大企業よりよっぽどだ。

 今、サルヴィアが入院している病院も……イオスが管理局員と言う職に就いていればこそ置いてくれているような物だ。

 

 

「ただ、『アースラ』とリンディさんの家からは出るつもりだよ。執務官は、元々『闇の書』事件のためだけに、必要だと思ったから狙っただけだったんだから、さ」

 

 

 そこが、クロノやフェイトとは違う所だった。

 それを認めるのに、5年近くかかってしまった。

 しかしだからと言って、ロストロギア災害の被害者の減少という「戦略目標」を捨てたわけでは無い。

 ただ、執務官と言う手段を用いる必要を感じなくなっただけだ。

 

 

「言い訳くさくなるけど……結局は、そう言うことだったんだ」

 

 

 何かをするために、執務官になろうとした。

 その何かが済んでしまえば、執務官になる必要が無い。

 執務官になって何をすべきかを常に考えているクロノやフェイトのような者達に試験で勝てなかったのは、ある意味では当然だったのかもしれない。

 

 

 そして『アースラ』とハラオウン家は、居心地が良すぎる。

 それに自分がどう言った所で、フェイトとの差異で気を遣わせるのも嫌だ。

 ……独り立ち、言ってしまえばそう言うことなのかもしれない。

 今の彼の状況を考えると、かなり苦労することになりそうだが……。

 今までが、甘え過ぎだったのだから。

 

 

「……」

 

 

 フェイトは、何か言いたそうだった。

 しかし結局は何も言わずに、こてん、と再び頭をイオスの胸に乗せて。

 

 

「そっか」

 

 

 とだけ、言った。

 それから、小さく笑って。

 

 

「じゃあ、もう義兄さんって呼べなくなっちゃうね」

「いや、そこは元々、俺は養子じゃねぇし。ただ、アレだ」

 

 

 イオスは、急に表情を情けない物にして。

 

 

「家を出たって、家族は家族……ってね」

 

 

 言った後、やめておけば良かったと思った。

 恥ずかしい。

 物凄く恥ずかしいことを言ったという意識が急に出てきた、取り消したいくらいに。

 そして案の定、胸元で金糸の髪が笑いを噛み殺すように震えているのが見えた。

 

 

『……イオスぅ? 執務官も無事ぃ?』

「ルイーズか?」

「……っ、は、はいっ、無事です! でも要救助者が1名います!」

 

 

 急に開いた音声通信のみの表示枠に、フェイトが慌てて身を離して声を上げた。

 向こう側で応答するルイーズはこちらの状態を了解すると同時に、倒壊直前に逃亡を図っていた研究者達も捕縛したことを伝えてきた。

 これで、関係者は全員拘束したことになる。

 

 

「良かった……では、急いで救助をお願いします。ガスを吸ってしまった6歳相当の子供が1人、いるんです」

『了解、2分で穴を開けるよぉ』

 

 

 通信が切れた直後、上の方が何やら騒がしくなっていることに気付いた。

 救助だ、これで助かる。

 そう思い、イオスもフェイトもほっと息を吐いた。

 それから、笑い合って。

 

 

「じゃあ、今日の所は……帰ろう?」

「……そうだな」

 

 

 そう、言った。

 今日の所は、『アースラ』へ……そして、ハラオウン家へ。

 執務官になった少女と、執務官を諦めた青年。

 

 

 2人が笑い合って、肩を竦め合って、子供を背負って地上に抜け出したのは……この、1分20秒後の話だ。

 それから赤い毛並みの犬がやってきて、青年とまた一悶着あったりしたが。

 それはまた、別の話ではある。

 ただ、地下から抜け出す寸前に。

 

 

「ああ、ところでフェイト」

「え、何?」

「いや、その、何だ……そろそろそのバリアジャケットな? デザイン変えた方が良いんじゃ、ないかな」

「え? あ……そっか、そうだよね。流石に……」

「あ、ああ! 悪いな、その、変なこと言って」

「ううん、いいよ。確かにこれから先、流石にこの装甲の薄さじゃ厳しいもんね」

「ええと…………うん、そうだよな。装甲が薄いからな、危ないよな」

「……?」

「……何だろう、自分がすげー汚れた奴になっちまった気がする……」

「……? そうだね、埃だらけだし。でも、私もそうだよ?」

「…………そうだな」

 

 

 という会話が、あったとか無かったとか。

 

 





最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
ウジウジ状態のイオスを再起させるパターンはいくつか考えていたのですが、このパターンが一番平和的かつ後の展開でイオスの立ち位置を確保できるパターンと判断しました。
結果としてイオスは一時か永久か、執務官を諦めます。
どの方向に進むかは、次回あたりで述べる予定です。

うーん……主人公が当初の目標を放棄するって、かなり珍しいかもですね。
でも最終目的は変わらないので、詳しくは次回。
それでは、失礼致します。

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