魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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雌伏編第9話:「決意:前編」

 人体実験、薬物実験、違法実験、この業界で生きていれば嫌でも耳にする言葉だ。

 嫌でも耳にする言葉、嫌な言葉ほど世に残るものだ。

 だから、それを少しでも無くそうと彼女は執務官を志した。

 

 

 自分と同じような境遇の人間がもしいるのなら、1人でもたくさん救うために。

 そう思って志し、そして到達した執務官。

 ただそこには、当初想定していなかった感情の動きもあって……。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 熱のこもった息を吐いて、フェイトはシャワーのノズルを締めた。

 何も身に纏っていない、細身ながら肉付きの良い身体を明かりの下に晒し、手の甲で額を拭う。

 次元航行艦『アースラ』の女性スタッフ用シャワールーム、仕切りで覆われた個室でしゃがみこむ彼女の前には、赤い毛並みの子犬がいた。

 

 

「うん、良いよアルフ……って、きゃあっ」

「あ、ごめんよフェイト」

 

 

 ブルブルと身体を震わせて毛先の水分を飛ばすアルフに、顔を庇いながらフェイトが小さな悲鳴を上げる。

 久しぶりにフェイトに身体を洗われたアルフはご機嫌な様子で、それを見ても軽く謝るだけだ。

 慣れているのか、周りの女性職員がクスクスと笑いながらその様子を見ている。

 

 

 それに対してシャワーの熱とは別の意味で顔を赤らめながら、フェイトは軽くアルフの頭に手を置いた。

 叩くわけではないが、見ようによっては押さえ付けている様にも見える。

 それはフェイトがアルフを叱る時のポーズのような物で、しかしアルフの尻尾の振り様を見ているとあまり効果は無いようだった。

 

 

「もう……ダメだよ、アルフ?」

「うん、ごめんよ」

 

 

 フェイトを下から見上げるアルフ、それは昔と変わらない構図に見える。

 ただ、着実に変わっていることもある。

 例えば、体格。

 使い魔であるアルフは魔法以外では変わりようが無いが、フェイトは違う。

 成長する、人間だから。

 

 

 5年程前と比べて……『アースラ』の面々に拾われた頃に比べて、まず身長がグンと伸びた。

 身体付きもどんどん女の子らしく、曲線を帯びてきている。

 スタイルなどは衣服や下着を一新しなければならない程に成長しているし、それでいて二の腕や大髄、お尻などは、アスリートのように鍛えられたそれだ。

 ますます綺麗さを増して行く容姿に、リンディに似てきた微笑み方。

 

 

(流石は私のご主人様だよ、大した美人だ)

 

 

 と言って、アルフは人間の美醜には詳しくは無いが。

 それでも「美人」だと思えるのは、贔屓目だろうか?

 

 

「はぁ……」

 

 

 しかし今、その贔屓目に見て美人に育ちつつあるフェイトは、先程とは別の意味で息を吐いていた。

 溜息、ここ最近、やけにフェイトは溜息を吐いている。

 それはアルフにもわかるし、何より精神リンクを通じてどんよりした気持ちを感じることが出来る。

 

 

 少し、元気が無いようにアルフには思えた。

 と言うより、ある時期から微妙に遠慮している部分があると思う。

 具体的には……ある特定の人物に対して、よそよそしい気がする。

 

 

(イオスだね、そう、確か……)

 

 

 フェイトが執務官試験に合格して、イオスが落ちた頃からだ。

 その頃から、家の中の空気が非常に微妙な物になっているような気がする。

 リンディはともかく、クロノやエイミィも気を遣っているように思える。

 そしてイオスも、それを感じ取っている節がある。

 

 

「フェイト」

「……今日もたくさんお仕事して、疲れちゃったね。早めに寝ようか」

「……うん」

 

 

 上手くはぐらかされた気がして、アルフの声のトーンが下がる。

 フェイトはアルフの頭を一撫ですると、自分の髪や身体を洗うために再びシャワーのノズルを開いた。

 仕切りから出て、「おすわり」の体勢でフェイトの背中を見つめる。

 

 

 最近では強くなって、執務官になって、仲間も友達もたくさん出来て。

 昔は自分だけがフェイトの味方で、自分だけがフェイトを守っていたけれど。

 けど、そんな時代はとっくの昔に終わっていて。

 そんな自分に、何かできることはあるのだろうか。

 

 

「…………フェイト」

 

 

 そんなことを考えながら、アルフは思いだす。

 4か月前、6月の執務官試験の結果がハラオウン家に届いた時のことを……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――4か月前、ハラオウン家。

 その日は狙ったように家族が揃っていて、久しぶりに賑やかな夕食だった。

 フェイトが2回目の試験に落ちた時とほぼ同じタイミングで、試験結果が通知されてきた。

 

 

 もちろん一緒に試験を受けていたイオスも一緒で、その時、食卓に微妙な緊張感が走った。

 受験者は2人、結果によっては最良の結果にも最悪の結果にもなる。

 そして、結果は。

 

 

「やった……!?」

 

 

 自分でも信じられない、そんな感情を声に乗せて飛ばしたのはフェイトだった。

 3回目の試験、今度こそ絶対にと気合いを入れて臨んだ執務官試験。

 いろいろな人のバックアップを受けて臨んだがために、プレッシャーも相当な物だった。

 しかしそれでも、そうした諸々を乗り越えて。

 

 

「やった……やった! やったぁ――――っ!」

 

 

 フェイトの通知画面に映るのは「合格おめでとうございます」の文字だ。

 不合格通知とは容量も様式も違うそれは、間違いなく合格を通知するものだ。

 嬉しく無いはずが無く、フェイトにしては珍しく飛び跳ねて喜んだ。

 エイミィと手を合わせて、アルフと抱き合って……と、かなり派手に喜びを表現していた。

 はしゃいでいた、だから。

 

 

 だから、忘れてしまっていたのだ。

 もう1人、自分と一緒に受けた人間がいたことを。

 そしてその人間が、通知を見てから何も言葉を発していないことに。

 

 

「あ……あ、えっと、イオス……は?」

 

 

 だから、聞くタイミングも最悪で。

 そして結果も、考え得る限り最悪の物で。

 ……自分が受かって。

 

 

 そして、イオスが、受からなくて。

 6回目の試験にも落ちてしまったイオスと、3回目で合格したフェイト。

 2人の間に、ある種の緊張が生まれるのはやむを得ないことだったのかもしれない。

 

 

「……んだよ、その顔」

「あ、う、えと」

「んな顔すんなって。クロノが先に受かった時は殺意が芽生えたもんだけど、お前にそんなん芽生えるほど器ちっちゃくねぇから、俺」

 

 

 その冗談には、引き合いに出されたクロノも何も言えなくて。

 

 

「合格おめでとう、これでお前も執務官だな」

「あ……」

 

 

 ぽんっ、と。

 頭に手を置かれて、イオスにされたのは初めてで、戸惑いながら見上げると笑顔が合って。

 だけどそれは、どこか無理をしているような気がして。

 努めて笑顔で、と言うような気がした。

 

 

 そして、その時から。

 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは。

 ……イオス・ティティアの前で、笑えないでいるのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 激しい音の直後に鈍い音が響いて、次いで金属製の長い物が地面に落ち続ける音が響いた。

 『アースラ』、朝の訓練場に響いたその音は……鎖が落ちる音だ。

 そして『アースラ』で鎖を扱うのは、1人しかいない。

 

 

「くっそ……!」

 

 

 円を描くように落ちた鎖の中央に膝から着地したイオスは、毒吐きながら上を見た。

 直後、さらに必要を感じて2歩分ほど後ろに下がった。

 目の前の地面を手で叩くような形で下がった直後、数瞬前まで彼の頭があった位置が爆発した。

 

 

 赤い魔力の軌道と共に叩きつけられたそれは、鉄製のハンマーだ。

 振り下ろしたのは、赤いおさげの少女。

 ヴィータは赤いドレスのような騎士甲冑のスカートを靡かせて、顔を上げると同時にハンマーの先を回転させた。

 

 

(やっべ……!)

 

 

 間に合わないタイミングで行われた切り返し、イオスはせめてもの抵抗に身体を後ろへと身体をのけぞらせる。

 しかしそれは無意味だった、赤い魔力を込められたハンマーの面がイオスの顎を打ち上げる。

 バリアジャケットの防護と訓練用の加減があるとは言え、衝撃は強烈だった。

 

 

 これが娯楽雑誌であれば、目から星のエフェクトが飛ぶ所だ。

 ただ現実には、激痛と共に宙を飛んで訓練室の壁に激突するだけだ。

 結論、かなり痛い。

 

 

「つぅ――……げ」

 

 

 そして、身を起こせば目の前に『グラーフアイゼン』を突き付けられている。

 見下ろしてくる少女の冷たい瞳に溜息を一つ漏らして、イオスは両手を上げた。

 降参の意を示す少年に、ヴィータは己のデバイスを下げた。

 その顔は、どこか不満そうだ。

 

 

「お前、最近どうしたんだよ」

「どうって?」

 

 

 どこか不機嫌な声音で応じつつ、イオスがバリアジャケットの汚れを払いながら立ち上がる。

 相棒たる『グラーフアイゼン』を肩に担ぐようにしながら、ヴィータが首を傾げる。

 ここの所、武装隊の訓練の一環として行っている模擬戦では、ヴィータがイオスに勝ち続けている。

 

 

 『闇の書』事件の時はもちろん、その直後の模擬戦は互角かやや不利だったのに、である。

 自分の力が急激に上がったとは考えられない、ならば相手に要因があるのだろう。

 最近のイオスは、ヴィータから見ても様子がおかしいと言うか……覇気が無い。

 その理由は、ヴィータにはわからない。

 だから彼女は、自分が打った顎を撫で擦るイオスを見て。

 

 

「……お前、最近変わったよな」

「は? 何だよ、藪から棒に」

「別に、ただ……何か、変わった。そんな気がする」

「何だそれ」

 

 

 何とも微妙な表情で微妙な物言いをするヴィータに、イオスが眉を顰める。

 何が変わったのかはわからないが、変わったと言うなら。

 

 

「変わったっつーんなら、他の連中もだろうよ」

「そう言うのとは、違うって言うか……」

 

 

 この『アースラ』に乗っている者達だけでも、随分と変わった。

 肩書きだけに限定しても、それは変わらない。

 クロノとエイミィは正式に『アースラ』の艦長と管制・通信司令に就いているし、

 内勤に移ったリンディはレティと共に本局で辣腕を振るい、順調に階梯を上っている。

 

 

 怪我から復帰したなのはは戦技教導隊と言う武装隊の花形部隊に入隊し、空を飛び続けている。

 はやては守護騎士達や第六技術部の面々の助けを借りつつも、古代ベルカやロストロギアに関連する事件を追う特別捜査官としての地歩を固めつつある、上級キャリア資格取得により階級も上がった。

 さらに何より、5年前には後輩扱いしていたユーノなどは無限書庫の司書長候補になっている。

 つまる所、抜かれまくりの置いて行かれまくりなのである。

 

 

(……それに対して)

 

 

 自分はどうかと言えば、大して変化はしていない。

 階級は変わらず三等空尉、執務官補佐・特別捜査官補佐資格は保持しているものの、過去6回に上る執務官試験では全て落ちてしまっている。

 いくつかの仕事を担当したものの、『闇の書』事件以降は大規模な事件を担当することも無い。

 実母の入院は相変わらず、まさにイオスの現実は何も「動いていない」。

 

 

 これが彼の実力から来る評価なのか、それとも局内において彼に関する悪い噂のせいなのかは判然としない。

 『アースラ』以外の職場で歓迎されることが少ないのは確かだ、ただ……。

 

 

「私が言ってるのは……」

「イオス、通信が入ってるよぉ!」

 

 

 その時、武装隊の連携訓練を行っていたルイーズが2人を呼んだ。

 ヴィータは何か言いかけた口を噤み、イオスは自分を呼ぶルイーズの方を見る。

 どうやら、次の仕事の時間らしい。

 そう思い、思うことで、イオスは自分の現実と向き合うのだった。

 後輩にどんどん追い抜かれていると言う、微妙な感情を呼び起こす現実に。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『アースラ』は現在、第121観測指定世界「ジュルンドゥル」の観測部隊に物資を搬入する輸送任務を行っている所だった。

 観測所の側に着陸、機材の搬出を端末の画面越しに見守りながら、管制・通信の責任者たるエイミィは満足気に頷いた。

 

 

「……うん、問題無し。観測基地建設用の起重機、運搬装置、資材その他諸々、無事に搬出完了。後は観測部隊側の責任者の確認が得られれば、引き渡しが正式に完了するよ」

「ああ、わかった。ご苦労だったエイミィ、皆も」

 

 

 エイミィの声にそう応じて、以前に比べてぐんと成長したクロノが声をかける。

 身長はここ2年程で一気に伸びて、平均身長からずっと下だった時代があったなどと信じられない程に長身の青年に成長している。

 どことなく父親に面影が似ているのは、血筋ということだろうか。

 

 

 一方、エイミィも以前に比べて落ち着いた空気を纏う女性になっている様子だった。

 癖っ毛だった髪を伸ばして黄色いリボンで後ろに流しているからか、幾分か成長した顔立ちと相まって柔和な女性と言う印象を周囲に与えつつある。

 彼女は椅子を回して指揮シートのクロノを見上げると、目を細めて柔らかく微笑んだ。

 

 

「別に、苦労なんてしてないよ?」

「形式だ、気にするな」

「うわ、それ言っちゃうんだー、嫌味ー」

 

 

 ただ、2人で話す時には以前の物に近い空気感が漂っている。

 成長しようとも、根本的な関係は変わらないのかもしれない。

 

 

「失礼します。フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官と使い魔アルフ、ただいま戻りました」

「ああ、フェイト。急に呼び出してすまない」

 

 

 その時、艦橋にフェイトがイオスとアルフを伴ってやってきた。

 正式な執務官章を付けた黒の制服が、彼女の金の髪を映えさせて良く似合う。

 フェイトは執務官としていつでも独立できるのだが、今はまだ『アースラ』所属だ。

 エイミィが妹の成長を喜んでいるかのように、執務官になったフェイトを見る。

 それが何だか気恥かしかったのか、フェイトはエイミィから目を逸らしてクロノを見た。

 

 

「えっと、もしかして任務?」

「そんな所だ、ただ……ああ、来たか」

 

 

 クロノの視線の先を追えば、フェイトの目にはたった今艦橋に入ってきた人間の姿が飛び込んできた。

 つまり、水色の髪の……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「イオス・ティティア、お呼びに預かり……って、おう、フェイト」

「あ、イオス……」

 

 

 イオスがそのタイミングで艦橋に入って来て、フェイトは身体と表情をやや固くした。

 それを見て、傍らのアルフ(子犬フォーム)が心配そうにフェイトを見上げる。

 

 

(あーあ……思いっきり気にしてるじゃないさ……)

 

 

 アルフにそれがわかるのだ、クロノやエイミィにわからないはずが無い。

 いわんや、イオスには。

 

 

「お、搬入終わる感じか?」

「うん、後は向こうの確認待ち」

「へぇ、じゃあ今日はミッドに帰れますかね、艦長殿?」

 

 

 ……実の所、フェイトが執務官試験に合格し、イオスが落ちていると言う状況がそれなりに緊張を強いている所は、無いとは言えない。

 ただそれを表に出さないだけの分別は全員が持っているし、出された日にはイオス自身が非常に居た堪れないことになるが。

 その点、フェイトの反応をあえて無視しているクロノなどは完璧と言える。

 

 

「残念ながら、まだ仕事だ。……フェイト、それからイオス」

「は、はい!」

「おう」

「キミ達2人には、これから第92管理世界「コルドバ」の違法研究所の摘発に向かって貰う。これは執務官としてのフェイトに来ている任務だ、詳細は後ほどデータで送るから確認してくれ」

 

 

 クロノの言葉に、フェイトが緊張した面持ちで敬礼する。

 執務官としての経験が浅いフェイトは、こうして『アースラ』経由で実績を重ねる形を取っている。

 すでにこの4カ月間で、この形で2件の事件を担当している。

 しかし、それに首を傾げたのはイオスだった。

 

 

「ん? じゃあ俺は何で呼ばれたんだ? 別件か?」

「いや、お前にはフェイトの補佐官として現場に向かって貰う。アルフと一緒にフェイトをサポートしてやってくれ」

 

 

 ……一瞬、艦橋が静まり返った。

 今、クロノは何と言っただろうか。

 イオスに、フェイトの補佐――執務官補佐として現場に向かえと言ったか。

 イオス達だけでなく、艦橋のスタッフ全員が唖然とした表情でクロノを見ている。

 

 

 法的にはもちろん、不可能では無い。

 執務官補佐には2種類あって、執務官に指名されてなる専属補佐と執務官の前段階としての候補補佐がある。

 エイミィは前者で、イオスは後者だ。

 だからエイミィは正式な意味での執務官補佐資格と言うのを、持っていない。

 

 

「お前……また面倒な」

「戦闘が予測される上、調査や交渉、調整なども必要になる可能性がある。3名くらいは人員がいた方が良いだろう」

「それはまぁ、そうなんだろうけどな」

 

 

 器が試される状況だと、イオスは思った。

 後輩だったフェイトに執務官試験で先を越されたこともアレな状況だが、そのフェイトの補佐につくと言うのもなかなかだった。

 普通、出来ることではない。

 

 

 しかし、ここで断ると言うのはいかにも器が小さいような気がした。 

 それは『アースラ』の運行上かなり問題だし、加えて言えばチャンスとも言える。

 イオスがフェイトに含む所は無いのだと、証明することが出来る。

 ただ……。

 

 

「あ、あの……別に私、アルフと2人でも」

 

 

 少なくとも、フェイトにこんなことを言わせるようではダメだ。

 イオスはそう思って、心の中で盛大に溜息を吐いた。

 その雰囲気が伝わったのか、フェイトが実に頼りなさげな表情を浮かべる。

 

 

「りょーかい、それでOKだぜ艦長」

「イオス……」

 

 

 気遣わしげな視線を周囲から感じつつ、イオスは思った。

 ああ、何とも……情けない、話だと。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 第92管理世界「コルドバ」中央部は陸士部隊も常駐し、比較的安定しているが……辺境部、特に東部には少数民族が多く、管理局を受け入れない民族がモザイク模様のように領域を広げている地域だった。

 そうした民族を取り込むべく行われているのが、局による医療支援である。

 

 

 東部の比較的中央寄りの地域に医療キャンプを作り、管理局の医療技術で各民族の病気や怪我の治療を行い、イメージアップを図ろうと言う物だ。

 すでに8年近く活動していると言う医療キャンプのおかげで、毎月何百人と言う人々の命が救われているのだった。

 

 

「ほい、到着ぅ」

「随分と遠かったな……交通の便悪すぎだろ」

 

 

 そしてある日、物資を定期的に運ぶ管理局の輸送ヘリが3機やってきた。

 医療関係者の印のついた白の制服を着た人々の中には、珍しいことに10代の若者が混じっていた。

 1人は金髪、1人は水色の髪、それと赤い毛並みの子犬が一匹。

 フェイトとイオス、そしてアルフだった。

 いつもの制服と違う服を身に纏ったイオスは、照りつける太陽に思わず目を細めた。

 

 

 何も無い赤い荒野に、ポツンと存在する医療キャンプ。

 数十程度の砂色に汚れた白のテントには、一様の管理局のマークが入っている。

 それぞれに外科や内科などに別れているのか、見たことも無い民族衣装のような物を着た老若男女がそれぞれのテントで順番を待っているのが遠めに見えた。

 

 

「じゃあ、私達は関係者のフリしつつ下準備と斥候やっとくからぁ」

「あ、はい」

 

 

 そんなフェイト達に声をかけて、白の上着をはためかせつつ医薬品のケースを運ぶのはルイーズだ。

 この近くにあるらしい違法研究所の摘発のため、ルイーズら十数人の武装隊もついて来たのだ。

 違法研究所の人々に察知されないため、医療関係者を装って現地入りした。

 

 

 平らな場所に白いラインが引かれただけのヘリポートから、改めて周囲を見渡す。

 川も何も見えない荒野だが、遠くには山や森があるように見える。

 おそらくあそこからが各民族の領域なのだろう、ちらほらと少数のグループがこちらに向かっていたり戻っていたりしている。

 

 

「ん、で、どーするよフェイト」

「イオスは、どうしたら良いと思う?」

「……いや、俺ってあくまでも補佐だし……」

 

 

 先輩だが部下、極めて扱いにくい事例だろう。

 しかし上司で後輩と言うのも、なかなかに扱いにくいのである。

 

 

「う、うん。でも、イオスの意見の方が参考になると思うし」

「…………まぁ、斥候と下準備はルイーズ達がやってくれるだろ。でも明日までは流石にかかるだろうから、とりあえず医療キャンプの中で働くのが良いんじゃないのか」

「そっか、そうだよね。じゃあ、私もそれで良いと思う」

 

 

 回転を続けているヘリコプターのプロペラの中でこんなにもスムーズに話せるのは、プロペラに消音魔法がかかっているためだ。

 機械に慣れていない各民族をプロペラの音で刺激するのを避けるため、基本的に無音だ。

 なので、フェイトの耳にはイオスの溜息がはっきりと聞こえた。

 

 

「あのな、フェイト」

「は、はい」

「今のお前は執務官で、俺はその補佐だ。そりゃ俺も意見は言うけど、でも基本はお前主導で行くべきなんだ。じゃないと執務官の意味が無いし……そんな、気ぃばっか遣ってたら仕事にならないだろ」

「うん……」

 

 

 それは、フェイトにもわかっている。

 音は消せても風は吹く、プロペラの回転が巻き起こす風からはためく衣服を手で押さえて守りながら、フェイトはイオスの言葉に頷いた。

 しかし眉根を寄せた表情は変わらず、どこか弁明するような声音で。

 

 

「でも、私は本当にイオスの意見が正しいって思ったから」

「いや、そう言うことじゃ無くて」

「だけど」

「……もう良いから、とりあえず行こう」

 

 

 不機嫌な溜息に、フェイトは眉根を寄せたまま俯く。

 それはどこか、泣きそうにも見えた。

 

 

「……ごめんなさい」

「何、謝ってんだよ……」

 

 

 いよいよ声に苛立ちが表れてきた時、イオスは足元に何かが触れたのに気付いた。

 アルフだ、赤い毛並みの子犬がイオスとフェイトの間に座り込んでいる。

 つぶらな瞳が、イオスを睨め上げていた。

 

 

(……俺が苛めてるみたいじゃねぇか)

 

 

 その考え自体が面白く無くて、イオスはフェイトとアルフに背を向けた。

 もう面倒だ、とにかくキャンプに向かおうと思ったのだ。

 ところが、ちょうどその時。

 

 

「……あら?」

 

 

 聞き覚えのある声と姿が、イオスの耳と目に入った。

 ブロンドのボブショートに紫がかった大きな瞳、どこか甘さと幼さを内包した容姿がともすれば母性へと変貌する不思議な魅力、陸士の制服に白衣を合わせた衣装。

 物資の確認をしているその女性は、見覚えがある所では無く。

 

 

「「「シャマル!?」」」

「わぁ、イオスさんにフェイトちゃん、それにアルフまで……こんな所で、どうしたんですか?」

 

 

 本当に不思議そうに目を丸くして、こてん、と首を傾げるシャマル。

 場違いな程に可愛らしいその仕草は、並の男なら大多数が撃沈できそうだと思える程に魅力的だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 付近の山脈に水源を持つ「コルドバ」の東辺境部だが、管理局の統計によれば安全な飲料水を日常的に得ているのは60%に過ぎず、残りの4割の人々は雨水を溜めて使用している。

 そのため医療キャンプを訪れる患者は内科疾患と眼科疾患が多く、原因は栄養失調と衛生観念の低さだ。

 

 

「私達の仕事は、そんな病気に罹った人達を治療すること。1日平均300人の患者さんを診て、この世界の技術では不可能なレベルの医療を提供することです。この世界のお医者さんや看護師さんに実地で技術を伝えるのも、私達の重要な役目なんです」

 

 

 流石に辺境にそこまで最新の設備は運べないが、1つのテントが大体15床から20床、簡素な作りながら診療用ベッドや患者用ベッド、医師のデスクに回転椅子、血圧計・聴診器・医薬品などの基本的な医療器具……そして、医療用簡易デバイスなども少ないながらある。

 健康診断から手術まで幅広く行い、未開発地域の人々を無償で病や怪我から救う。

 

 

 それは、まさに時空管理局の理念に従った活動だった。

 そして例え「諸民族の懐柔」と言う側面があるにせよ、役に立っているのは事実だった。

 その現実を無視する程、ひねくれてはいない。

 

 

「でも、本当にびっくりした……本局付き医務官のシャマルがこんな所にいるなんて」

「自分で志願したんですよ。本局で怪我をされた局員の人達を見るのも大切ですけど、こう言う場所でこそ私と『クラールヴィント』の力は役に立ちますから」

 

 

 未だに目を丸くしているフェイトに、シャマルが柔らかく微笑みながらそう応じる。

 辺境部で病に侵された人々を、自分の魔法の力で救う。

 それはおそらく、『闇の書』の騎士であった時には考えもしなかったことだろう。

 シャマルは何でもないことのように言っているが……おそらくこれも、贖罪の一部なのだろう。

 シャマルもフェイトもアルフも、そしてイオスも、そんなことは口にしないが。

 

 

「まぁ、それはそれとして……皆さんが来たと言うことは、何かの違法調査ですね?」

「えっと、詳細は教えられない。だけど、任務で来たのは本当」

 

 

 イオス達が案内されたのは、医療キャンプの中でもヘリポート寄りの位置にあるテントだった。

 木の枠に布をかけただけの粗末なベッドが並ぶそこは、キャンプに参加している医務官や看護官が寝泊まりしている場所だ。

 今の時間は誰もいないため、防音結界を張っての密談には丁度良い。

 

 

「シャマル、最近、このあたりで妙なこととか起こって無い?」

「妙なこと?」

「人が消えたり、前まで見てた人間が最近は見えなくなってたりとかだ」

 

 

 フェイトの言葉をイオスが若干捕捉する、するとシャマルは悩むように眉根を寄せた。

 

 

「うーん、病気が治ったりすると来なくなる人は結構いますし……それに、私も全部の人を担当しているわけでは無いので……」

「治療途中で来なくなったりしないのかい?」

「普通は治るまで来てくれるんですが……ああ、でも、そう言えば」

 

 

 何かを思い出すように額に指を置いて、言う。

 

 

「そう言えば、先月あたりから……エルチェ村って言う村が山2つ向こうにあるのですけど、そこの子供達が、来てくれて無いかも……」

「……子供」

 

 

 記憶の中から絞り出した風なシャマルの言葉に、フェイトが確かめるように呟いた。

 自分の任務との関連性を考えると、あまり考えたくはない可能性だった。

 

 

「もしかしたら……だな」

「うん……」

 

 

 現実を見るイオスの言葉に、フェイトが頷く。

 その表情は晴れない、どうやらあまり良い想像はできなかったらしい。

 そしてこの時点で、シャマルはイオス達の任務内容にだいたい当たりをつけた。

 しかし、それについて彼女が触れることはできない。

 だから、彼女はあえて空気を変えるように手を打って。

 

 

「そうだ! 少し早いですけど、昼食にしませんか?」

「まだ11時前なんだが……」

「お肉はあるかい?」

「って、食べるんかい」

 

 

 最も食い付いたのはアルフで、イオスが呆れたように突っ込みを入れる。

 シャマルはどこか楽しそうな雰囲気で、テントの奥の小型冷蔵庫の中に詰められていた紙皿を取ってきた。

 ミネラルウォーターと一緒に持ってきたそれは、ラップに包まれた……。

 

 

「……サンドウィッチ?」

「はい、朝食の作り置きで申し訳ないんですけど……何でか、誰も食べてくれなくて」

「そ、そうなんだ……」

 

 

 物資が豊かでは無いはずなのに、それでも残されるサンドウィッチ。

 フェイトは、何だか嫌な予感がしていた。

 そしてアルフはお肉が無いと言う時点でテンションが下がっており、興味を失っている様子だった。

 一方でイオスは、そもそも興味があまり無い様子だった。

 どこか無関心なその様子に、シャマルが一瞬だけ不安そうな表情を浮かべた。

 

 

「あ、私の作った物だと……不味いですか?」

「……別に、食い物に罪は無ぇだろ」

 

 

 少し表情を苦らせて、イオスはシャマルの手の皿からサンドウィッチを一つ取った。

 薄いハムと葉物の野菜が挟んであるそれを、一口で3分の1ほど口に入れる。

 そして、少し行儀悪くもっちゃもっちゃと食べ、飲み込んで。

 

 

「…………まぁまぁだな」

「ほ、ホントですか!?」

「リンディさんには及ばねぇけどな」

 

 

 笑顔を浮かべて喜ぶシャマルに、リスのように頬を膨らませるイオスがそんなことを言う。

 それを見て、フェイトは久しぶりに安堵を覚えた。

 そして同時に、何と言うか……不満を、覚える。

 イオスとシャマルの仲が良く見えて、少しだけ……そう、思ってしまった。

 

 

「フェイト……」

「い、いただきます」

 

 

 アルフの心配そうな声から逃げるように、フェイトもシャマルのサンドウィッチを手に取る。

 そしてイオスとは対象的に、遠慮がちに、小さく齧って食べる。

 すると。

 

 

「………………」

 

 

 ……舌の上に広がった微妙な味付けに、動きを止める。

 ハムと野菜の間に、ケチャップやマヨネーズの類では無い何かが挟んである気がする。

 食べられないことは無いが、正直微妙。

 

 

(……そう言えば、イオスって……)

 

 

 イオスの好物は、リンディのお茶。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 翌朝、シャマルは患者用のテントで目を覚ました。

 ふと顔を起こせば、粗末な木のベッド――患者用のそれだ――に身を突っ伏して寝ていたらしい。

 幸いそのベッドは子供が使っていたため、患者を押し潰さずにすんだようだった。

 

 

「んっ……あら?」

 

 

 身体を解すように伸びをした時、彼女の身体からやや黄ばんだ白布が落ちた。

 毛布代わりに使っている古いカーテンで、普通ならベッドの使えない患者のために配布される物だ。

 それがシャマルの身体にかけられていたと言うことは、患者の誰かが使えていないはず。

 そう思ってベッドと床に敷かれた布の布団が並ぶテントの中を見渡して……微かに微笑する。

 

 

 患者に気を遣われるとは、医務官失格かもしれない。

 ちゃんとベッドで休めと主人たるはやてに叱られる未来を想像して苦笑しつつ、シャマルは意識を完全に覚醒させた。

 眠気覚ましにテントの外へ出ると、非常に良い天気な……。

 

 

(……ん?)

 

 

 シャマルの視界の隅……テントとテントの間の微妙な空間に、見知った顔を2つ見つけた。

 それは、アルフとイオスだった。

 アルフが自主的にフェイトから離れて行動するのは珍しい、しかもイオスと2人きりだ。

 珍しいこともあるものだと思いつつ見ていると、何やらアルフがイオスに話しかけている様子だった。

 

 

 ただ子犬フォームだからか、イオスの腰が引けている。

 そのまま何やら話しているらしかったが、焦れたように人間形態になったアルフに首根っこをひっつかまれて、イオスがどこかへとズルズルと引き摺られて言った。

 

 

(……何かしら?)

 

 

 気にはなったが、さほど重要とも思わなかったので置いておくことにした。

 彼女には朝からしなければならない仕事もあったし、特に問題とも思わなかったからだ。

 せいぜい、仲が良くて良いですねぇ、くらいだ。

 

 

 しかしこの時に何も言わなかったことが、後で少し面倒なことになることになる。

 ただ、今はまだ気付きようが無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 朝起きたら、テントの外にアルフがいた。

 しかも子犬フォームで、何の嫌がらせかと思った。

 その上、何故か「顔を貸せ」と言うのである。

 

 

「だが断る」

 

 

 もちろん即座に断った、どうして朝一番に犬素体の使い魔と付き合わねばならないのかと。

 しかしそれは見事なまでに無視された、しかも首に腕を絡まされて引き摺られた。

 人間形態に戻ったは良いが、犬耳と尻尾はそのままである。

 非常に、よろしく無かった。

 

 

 そしてどこに連れて行かれるのかと思えば、キャンプの外だった。

 遮蔽物の無い荒野の真ん中で、しかも何故かアルフは自前で結界を張った。

 それほど特異でも無いはずだが、やけに上手かった。

 

 

「……で、何だよ」

「アンタさぁ……」

 

 

 ようやく解放されて、首のあたりを擦りながら問うと……アルフは背中を見せたまま話した。

 朝一番、誰もいない結界の中で、イオスはアルフの背中と尻尾を見つめている。

 タンクトップとショートパンツの間からは、くびれた腰付きが見えていた。

 

 

「……最近、変わったよね」

 

 

 またその話か、と素直に思った。

 正直な話、そんなことを言われてもイオスには上手い返答が思いつかない。

 だがアルフは返答を待たずに、振り向きながら言う。

 ぎゅっ……黒のグローブの端を引っ張りながら、イオスを正面から見る。

 

 

「『ジュエルシード』事件の時、アンタと戦った時。正直、勝てないと思ったよ」

 

 

 2度ほど行った戦闘、アルフは戦略的に常に負けていた。

 結果、プレシアとフェイトの僅かな対話の時間を守ってくれた。

 

 

「……『闇の書』事件の時には、近寄り難いくらいの覇気があった」

 

 

 まさに鬼気迫る勢いで、自分の全てを賭けて事件に取り組んでいた。

 結果、はやてと守護騎士の僅かな可能性を守った。

 

 

「だけど……今のアンタは、まるでダメだね。なっちゃあいないよ」

 

 

 それに対して。

 アルフからのその言葉に対して、イオスの反応は。

 ――――無かった。

 

 

 何も反応は無い、アルフの言葉を聞いてなお、何も。

 それは、どう応じるかを迷ったと言うよりは……自分でもどこか、感じていたことだったのだろう。

 そして何より、反応を返せなかった理由は。

 

 

「――――ルァッッ!!」

「ぐ、ぅ――――!?」

 

 

 ギシリ、と言う骨が軋む音が体内で響いた。

 防御に掲げた右腕、手首と肘の間の骨と肉が軋み、たわむ。

 アルフが打ち込んで来た拳の勢いはそれでも殺しきれず、足裏を地面に擦れさせながら3メートルほど下がってしまった。

 

 

「てめ……!」

「『闇の書』事件が終わってから、アンタ変わったよ」

「ああ?」

 

 

 アルフは自分が頭の良い方では無い事を自覚している、だから概して感覚で理解している。

 そして感覚で理解しているからこそ、わかることがある。

 

 

「アンタ、最近……何のために何をやってんだい?」

 

 

 イオスが何を求めて、何をしているのかがアルフにはわからなかった。

 クロノは母に追いつこうとしていて、エイミィはそんなクロノを支えようとしている。

 はやてはリインフォースの復活を求めて地歩を固めようとしていて、騎士達がそんな彼女を守る。

 フェイトは自分のような存在を二度と生まないような世界を作りたくて、なのはは自分の力で空と地上を守ろうとしている。

 

 

「アンタの……」

 

 

 皆が、新しい現実と戦い続けている中で。

 

 

「アンタの現実は、どこにあるんだい?」

 

 

 お前は、何をしているのか。

 そう問われて、イオスはジンジンと痛む腕を意識しつつもアルフを見つめた。

 拳を振り抜いた姿勢のまま、アルフは真っ直ぐにイオスを見ている。

 

 

「……何で、お前にそんなことを答えなくちゃならないんだよ」

「フェイトが気にしてるんだよ、執務官試験に合格してからよそよそしいんだ。気付いてたろ?」

「結局はそこか……」

 

 

 フェイトが自分に遠慮しているらしいと言うのは、わかっていた。

 と言うか、クロノやエイミィもそうだ。

 昔は冗談で済んでいた「先を越される」が現実の物になって、そもそも臨時とは言えフェイトの補佐につけられた。

 以前、はやての補佐に就いたこととは意味が違う。

 

 

「ああ、そっか、変わったんじゃないのかもしれないね。ただ」

「おい、自己完結すんなよ」

「ただ、フェイトに嫉妬しているみたいだ」

 

 

 ……今のは。

 今のは、ちょっと、キた。

 一瞬だけ身体の筋肉を硬直させたイオスは、局員服の懐に指先を忍ばせた。

 そして次の瞬間、斜めに回転させながら『テミス』のカードを投げた。

 

 

「……セットアップ」

<Setup,stand by>

 

 

 瞬間的な煌めきの後、イオスは空色のバリアジャケットを纏う。

 両腕に垂れた鎖が、擦れて音を立てた。

 

 

「……良いぜ。どう言うつもりか知らねぇが、家の中のヒエラルキーってもんを教えてやるよ、駄犬」

「はん……無理だね、今の腑抜けたアンタじゃ」

 

 

 鼻で笑って、アルフはゆらりと拳を揺らしながら構えた。

 左手を頭上に、右手を腰下で握り、身体を前に屈めて中心を下げて。

 そして――――自分から、突撃した。

 

 

 拳と鎖が、交錯する。

 実に、5年時間を置いての……戦いだった

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 任務自体は、本当に単純な物だ。

 武装隊と一緒に気付かれないよう人道支援施設に入って、気付かれる前に強制調査に入って現行犯逮捕する、それだけだ。

 難易度の問題はあるが、情報にある限りフェイトの実力なら問題無くクリア出来ると思われた。

 

 

「護衛はいなくて、本当に小規模な研究所が一つあるだけ……警備システムは?」

「外部電源依存型の施設だから、そこを私達が叩けば相手はパニックだろうねぇ。ただ、質量兵器くらいは所持してるかもしれないよぉ」

 

 

 医療キャンプのテントの一つを借りて、ルイーズを始めとする武装隊の面々と小さな会議を行う。

 中心にいるのはフェイトであって、14、5の娘を中心に20代~30代の男女が従っている構図は、魔力量が出世に影響する管理局ならではの光景だろう。

 彼女らは昨夜の内に夜間斥候を済ませて、いくつか印の入った表示枠の地図を前に話し込んでいる。

 

 

「……では、その作戦で行きましょう。最優先は被験者の救出、次点で施設関係者の拘束とします」

 

 

 会議は執務官であるフェイトのその言葉で終了する、ある意味で定石通りの結論だった。

 ただ一つ、気にすべきことがあるとすれば。

 

 

「あの、アルフと……イオスを見ませんでしたか?」

「アルフとイオスぅ? さぁ、見て無いけど……仕事の時間に遅れるような性格じゃ無いはずなんだけどぉ。誰か見た人いるぅ?」

 

 

 振り向きながらのルイーズの言葉に、周囲の隊員達は一様に「見ていない」と返してくる。

 朝にこの会議があることは2人ともが知っているはずなので、来ないことは考えにくい。

 まさか忘れているわけでも無いだろうし、フェイトとの関係を仕事を持ち込む様なことも無いはず。

 しかし、アルフに至っては精神リンクまで切っているようだし……。

 

 

「どうするぅ?」

「……行きましょう」

 

 

 もともと、戦力的には十分な任務なのだ。

 イオスが入ったのはクロノの配慮に近い物であることはフェイトにもわかっているし、何より自分一人が頑張れば良いと言う意識も少なからずなった。

 作戦の時間を遅らせられないというのも、理由ではあるが。

 

 

「私達だけで行きます、一刻も早く被験者の人達を救出しないと。2人には一応、メッセージだけ送っておきます」

「執務官がそれで良いなら、私達も構わないよぉ」

 

 

 ルイーズの言葉に一つ頷きを返して、フェイトはふと思った。

 もしかしたら、家族や友人の支援なしに出撃するのは初めてかもしれない……と。

 事実としてではなく、感情的な問題として。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ねぇ、クロノ君」

 

 

 『アースラ』艦橋でクロノにお茶を淹れながら――階級的に必要無いが、それでも彼女はクロノのお茶汲みを続けている――エイミィは、気になっていることを聞いた。

 それは、どうしてフェイトとイオスを同じ任務にしたのか、だ。

 

 

「それも、イオス君をフェイトちゃんの補佐にするなんて……」

 

 

 その部分について、エイミィは納得していなかった。

 イオスとフェイトがフェイトの執務官試験合格からこっち、微妙な空気を漂わせていたことは彼女も知っている。

 家も職場も同じなのだから、当然と言えば当然だ。

 

 

 だからこそ、クロノの真意がわからない。

 エイミィはハラオウン家も『アースラ』も、自分の家だと思っている。

 自分の居場所で、だからこそ守りたいと思える。

 だが今回のクロノの行動は、それと真逆のことをしているように見えたのだ。

 

 

「……いつかは乗り越えなくてはならないことだ」

 

 

 それに対するクロノの答えは、実に簡潔だった。

 必要なことだから、そうしたと。

 今、そうしなければ……ダメなのだと、そう言った。

 

 

 イオスがフェイトに、フェイトがイオスに。

 互いに良くない心を向け合っている2人が、今のまま進めばいつか必ずダメになるから。

 何かがダメになってしまう前に、例え荒療治でも乗り越えさせなければならないのだと。

 

 

「それは……」

 

 

 エイミィも、今のままではいけないことはわかっている。

 それが甘さなのか優しさなのかは判断が別れる所だが、つまりはそう言うことなのだった。

 

 

「……『アースラ』は今後も、何かと狙われるだろう」

 

 

 エイミィが黙しているのを見て、クロノは彼女を見ぬままにそう言った。

 なのはが墜とされたあの事件で、『アースラ』は外も内もダメージを受けた。

 不条理な任務も理不尽な辞令も、静かに調べれば出所は知れる。

 どう言う意図でもってああいう事態に陥ったのか、ちゃんとわかるのだ。

 

 

「母さんが艦長だった頃には無かった失態だ、つまり単純に僕が未熟だった……いや、今も、か」

 

 

 イオスの執務官試験の不合格には、確実に3階級降格と言う経歴が足枷になっている。

 それは裏を返せば、艦長として理不尽から彼を守れなかったこと意味している。

 あの時は、仕方無いと思った。

 

 

 だが今は、何が仕方無いだ、と思う。

 仕方無いで済ませてはいけなかった、抵抗すべきだった。

 ――――抵抗できなかった過去、その現実。

 だが、今後は?

 次は?

 

 

「……見ていろよ」

 

 

 今はまだ無理だ、力が足りない。

 しかし足りないことがわかっていれば、補うことが出来る。

 未熟者なら未熟者らしく、自分の精一杯で――――「不屈」の心で。

 

 

 もし自分の成長を感じる時があるとすれば、次に同じようなことがあった時だろうとクロノは思う。

 その時自分が何をして、何を貫き、何を得て、どのような現実に直面するか。

 それによって、自分と言う人間の、指揮官の器が決まるだろうと思う。

 何故ならば、それは。

 

 

 ――――いつかは、乗り越えなくてはならないことだから。

 

 


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