魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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何とかサイトが回復してくれて助かりました。
では、どうぞ。


雌伏編第8話:「ミッドチルダの慌ただしい休日」

 春の陽光に包まれるミッドチルダ、その東部パークロードにある喫茶店「クッシュ・トワ」。

 少年……いや、今年18歳になる青年イオス・ティティアは、そこにいた。

 たまの休日のコーヒーブレイク、別に何も不思議なことは無い。

 

 

 しかし周囲の客が楽しそうな談笑を行っている中で、彼はかなり微妙な表情を浮かべていた。

 幼馴染の青年が好きそうな苦いコーヒーを片手に、自分の向かい側に座る少女を見つめている。

 そして、彼は口を開いた。

 

 

「え、八神さん、上級キャリア試験受けるの?」

「うん、2ヶ月後にな」

 

 

 昔と比べて幾分か砕けた口調で、はやてが答える。

 いつもは陸士の制服姿だが、珍しくオフの今日は年頃の少女らしい装いをしている。

 透明感のある深青のカーディガンに白のマキシ丈スカート、スカートの下からチラリと見えるのはややヒールの高い華奢なミュール。

 アクセサリにいつもの髪飾りと剣十字、そしてシンプルなブレスレットと言う、簡素だがある意味しっかりとした服装である。

 

 

 一方、イオスも今日は局員服では無く、私服姿だった。

 黒のシャツの上に同色のベイズリージャケット、ベージュのブーツカットパンツにベルト付ブーツ。

 胸元には、はやてに合わせたのかキーリングアクセが揺れている。

 

 

「レアスキル持ちの特例措置とかで、まぁいろいろ優遇されるらしくて。将来的に持っとった方がええかなって」

「マジかー……これは、ついに八神さんに抜かれるのかな、俺」

「階級的には、もう追いついてるけど」

「うるせぇ」

 

 

 八神はやて、この時点で三等陸尉。

 イオスはこの春にようやく准空尉から三等空尉に昇進――階級を上がると言うより、戻っているわけだが――になったので、所属は違えど階級は同位と言うことになる。

 強いて言えばイオスの方が先輩だが、この場合はあまり意味が無い。

 

 

「それに、イオスさんも次の執務官試験受け直すんやろ? そこで受かればええやん」

「簡単に言うなぁ、オイ」

「フェイトちゃんも受けるんやろ?」

「まぁな、12月は俺もフェイトも仕事で受けれなかったし……フェイトは3回目で、俺は6回目」

 

 

 自分で言ってて哀しくなって来たが、事実なので仕方が無い。

 それはそれとして、先程も述べたがこの2人、今日は休日である。

 イオスには特に予定は無かったので、はやての誘いにノコノコ出て来たというわけだ。

 そして、何故はやてがイオスを呼び出したかと言うと……。

 

 

「はやてちゃ~ん」

 

 

 その時、小さな子供の声が店内に響いた。

 それは9歳くらいの子供の姿をしており、それほど広くない店内をトテトテと小走りで駆けている。

 腰まで伸びた銀の髪にシンプルな白のワンピース、可愛らしい女の子だ。

 その手にはクッキーを山盛りにした小皿が乗っており、満面の笑顔を浮かべている。

 

 

「リイン、そんな慌てて走っとったら転ぶで~」

「大丈夫ですぅ」

 

 

 はやてが「リイン」と呼ぶ、その女の子。

 その女の子は、人間では無い。

 はやてとマリエル・アテンザに代表される第六技術部が開発した、人格型融合機。

 その、アウトフレームの姿である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「いや、何度見ても不思議なんだが……」

「まぁ、私以外にユニゾンデバイス使ってる人はちょっとおらんからね」

 

 

 クッキーを美味しそうに頬張る少女の頬からクッキーの欠片を取ってやりつつ、はやてが笑う。

 リイン、改めリインフォース・ツヴァイ。

 それがその少女、と言うより、デバイスの名前だ。

 

 

 現在は9歳程度の姿をしているが、本来の姿は30センチ程度の妖精サイズである。

 今の姿は「アウトフレーム」と呼ばれる術式プログラムを行使した姿であり、非魔法文明世界などでの活動を想定して作られた能力だ。

 ミッドチルダで使う必要は無いのだが、はやての希望で今はそうなっている。

 

 

「驚いたやろ?」

「それはまぁ、驚くけど」

 

 

 悪戯を成功させた子供のような笑みで問うはやてに、イオスは肩を竦めながら笑い返す。

 アウトフレームで引き合された時は驚いたものだが、リインフォース・ツヴァイ自体にはすでに何度か会ったことがある。

 性格は生まれたばかりの子供のそれだ、好奇心旺盛で悪戯好きで甘えたがり。

 言ってしまえば、八神家の「末っ子」とも言うべき存在だ。

 

 

 しかしてその実体は融合機、今は眠る『夜天の魔導書』の管制人格と同じ存在だ。

 いや、聖王教会(古代ベルカ)と管理局(ミッドチルダ)の技術の結晶なのだから、全く同じ存在ではないだろう。

 それ故に、彼女は管制デバイスでは無く人格型デバイスと呼ばれている。

 現代技術の結晶、そしてはやての数年間の成果が彼女だ。

 

 

「美味しいですぅ~」

 

 

 ……が、本人は至って子供である。

 イオスとしては『夜天の書』並びに『闇の書』の管制人格の少女に瓜二つな容姿に思う所が無いでは無かったが、しかしながらリインフォース・ツヴァイ自身にあまりに邪気が無いので、複雑だった。

 

 

「……? イオスさんも食べたいですぅ?」

「いや、いらないよ」

「そうですかぁ」

 

 

 片手を振って断るイオスに首を傾げた後、再びハグハグとクッキーを頬張るリインフォース・ツヴァイ。

 それを見ていると、妙に毒気を抜かれてしまうイオスだった。

 実際、リインフォース・ツヴァイとの間に何かしかの因縁があるわけでは無い。

 

 

「イオスさん、ありがとう」

「あ?」

「今、この子がおるんはイオスさんのおかげや。イオスさんがあの子を眠らせてあげてて、言うてくれたからや」

「いや、それはちょっと違うんじゃないか? 認識が」

「私がそう思とるだけやから、素直に受け取ってぇな」

 

 

 うーん、とイオスは首を捻った。

 確かに凍結封印を提案したのはイオスだが、それ以降の頑張りに彼は関与していない。

 せいぜい、第六技術部の立ち上げや裁判の関係でちょっと手伝ったくらいで……。

 フェイトと良いはやてと良い、いらない部分まで感謝してくるなぁと、イオスは思うのだった。

 

 

「しっかし、何でまたアイツと同じ名前にしたんだ?」

「ん……まぁ、最初は悩んだんやけど。剣十字から生まれたこの子は、リインフォースの妹みたいなものやから」

 

 

 イオス的にはその理論で行くと、むしろ娘なのではと思ったのは内緒だ。

 

 

「まぁ、最初は執務官試験に落ちたイオスさんを慰めたろ思って作ったんやけど」

「遅っ、1年遅れだし」

「まだ次の試験受けてないんやから、ギリギリOKやん」

「いや、ダメだろ」

「イジワルやなぁ」

 

 

 2人の会話を、リインフォース・ツヴァイはクッキーを食べつつ首を傾げて聞いている。

 その様子はどこか小動物的だが、その身は現代技術の粋を極めたデバイスだ。

 おそらくは管理局で唯一の自作ユニゾンデバイス、試作機であり実験機という側面も持っている。

 

 

 はやてとしては、彼女の運用を通じてデータを集め、『夜天の書』リインフォースの「器」の修繕、あるいは開発に活かしたいと考えていた。

 もちろんリインフォース・ツヴァイはツヴァイですでに八神家の一員だが、母とも姉とも言える初代リインフォースのことを無視することはできない。

 防衛プログラムの再作成を許さない新たな基礎構造の開発、それが最終目的なのだから。

 

 

「まぁ、私は良いとして。皆はどんな感じ? なのはちゃんとか」

「高町さんはSランク普通に合格したよ、退院直後の試験で」

「……化物やな」

「否定はしないが、本人に言ったら砲撃されるぞ」

『……次のニュースです。2日前の次元犯罪者護送中に管理局員が護送中の犯人に刺され、死亡した事件で、管理局本局のマーグレーズ広報官は近日中に葬儀が行われると発表し……』

 

 

 誰がやったのか、それとも偶然かはわからないが、不意に店内に供えられた映像装置からニュース音声が流れて来た。

 音量が上がり過ぎたことに気付いた店員によって音はすぐに絞られたが、その内容にはやてとイオスは会話を止めて顔を上げていた。

 

 

「……今の、アレか。2日前の」

「みたいやね……」

 

 

 どことなく重くなった空気だが、意図してそうなったわけではない。

 ニュース……事件自体は、管理局員ならば良く聞く類の話だ。

 逃走した違法魔導師と交戦し、命を落とす。

 局員ならば誰しもがそうなる可能性がある、そう言う話だ。

 ただ首都で、しかも若きエリートの死と言うことで話題性はあるらしい、ニュースにはなっている。

 

 

「確か……ティーダ・ランスター一等空尉、だったか。首都航空隊のエリートで、話したことはねーけど、確か士官学校の先輩だったはずだ」

「そうなんや……私は所属が一応、地上やから。首都航空隊の人の事はあまり知らんのよ、ランスター一等空尉の……っと、二等空佐のことは」

「一等空尉のままだよ、二階級特進は無し」

「殉職やのに?」

「細かい事情は知らねぇ、ただ殉職扱いにはなってないらしい」

 

 

 片眉を上げて不審を示すはやてに、イオスは肩を竦める。

 執務官補佐とは言え、首都の事件全てを知っているわけではない。

 細かい事情となると、特に。

 

 

「あ」

 

 

 その時、ふとリインフォース・ツヴァイが声を上げた。

 気のせいか、その瞳が電子回路を走る電気のような輝きを放っているように見える。

 

 

「はやてちゃん、この近辺の部隊・局員に向けて本局から緊急通信が入ってるですぅ」

「何やて?」

「お、俺の方にも来た」

 

 

 世代差なのか、一瞬遅れて『テミス』の方にも来た。

 休日とは言え緊急出動はあり得るので、緊急用の専用回線は常に開いているのだ。

 そしてどうやら、休日返上……もとい。

 仕事の時間の、ようだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 事件発生現場の住宅街に最も近い位置にいたのは、航空武装隊第1039部隊に所属する巡回(パトロール)任務中の分隊だった。

 市民からの通報を受け、現場に急行する。

 そしてそこでは、どうやら子供を人質に取った男がマンションの一部屋に立て籠もっているらしかった。

 

 

「2名はマンションの管理人に協力を要請、部屋の出入口を固めろ。それから狙撃手の配置、あともう2名は犯人の説得に当たりつつ、気を引いて時間を稼げ」

「「『了解』」」

 

 

 通信と肉声、両方の返事を聞いて……マンションの向かいのビルの屋上に立ち、分隊のメンバーに一応の指示を出す。

 それを終えた後に、分隊長であるシグナム空曹長は油断なく眼下を見据えた。

 彼女の後ろには緊急着陸したヘリがあり、今も緩やかにプロペラを回転させている。

 

 

(通報によれば、人質は6歳前後の女の子……)

 

 

 いた、マンションの2階の一室に刃物を持った男がいるのが見える。

 カーテンの向こうから外を窺っている、武装隊のヘリが降り立ったのに気付いているのだろう。

 そしてその男の腕の中に、小さな女の子がいる。

 短い茶色の髪の、可愛らしい女の子だった。

 

 

 卑怯な、と思い、卑劣な、と思う。

 マンションの出入り口の方から物音がしたのか、ビクリと身体を震わせていた。

 それから、憎々しげに窓の外を見ている……どうやら、マンションに入っていない2名の部下が外から説得に当たっている声が聞こえたようだ。

 

 

(どうするか……)

 

 

 自分が行って叩き斬る、それが一番早い。

 しかし自分と『レヴァンティン』の一撃は強力過ぎて、子供をも巻き込んでしまう可能性が高かった。

 それでは意味が無い、子供は無傷で救出する必要がある。

 

 

 部屋に踏み込むのも得策では無い、犯人が自分の意思で外に出て来るように仕向けなければ。

 それにはまず、過度に刺激せずに交渉のためにと称してベランダに出てこさせるのが良いだろう。

 そして、無力化する。

 それには強力な一撃よりもむしろ、精密な一撃で無力化した方が良い。

 

 

「……グランセニック、聞こえるか。そこから犯人は狙えるか?」

『難しいっスね、カーテンのせいで子供の位置が確認できないっスから』

「そうか……犯人をベランダに誘き出せば、やれるか?」

『それなら、撃てます』

「良し……」

 

 

 通信先は、どこかでポイントを取っている分隊の狙撃手だ。

 今年で3年目の若手だが、シグナムが分隊で最も信頼している男でもあった。

 

 

(そう言えば、あの男と同い年だったか……)

 

 

 そんなことを思いながら、シグナムは通信で部下達に指示を送った。

 すなわち、犯人をベランダに誘き出して狙撃で無力化、しかる後に人質の安全を確保する、と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ふぅ――……と、大きく息を吐く音が響いた。

 高層ビルのテナントの入っていない部屋、マンションの2階のベランダと窓が良く見渡せるその位置から、男は狙撃銃型のデバイスを手に窓枠に肘をついていた。

 

 

 セミオート式狙撃銃のような外観の黒い銃は、ミッドチルダ式のデバイスである。

 名を『ストームレイダー』、主人たる武装隊員の青年が「相棒」と呼ぶ狙撃型デバイスである。

 彼は攻撃も防御も魔法制御も並以下だが、狙撃に関してだけは絶対の自信を持っていた。

 事実、武装隊に所属してからの数年の間に何人もの次元犯罪者を狙撃し、無力化している。

 

 

(子供を人質に取るたぁ、ふてぇ野郎だぜ)

 

 

 スコープを覗きこんだ体勢のまま、そんなことを考える。

 すでにカーテン越しに犯人の顔は確認した、見るからに悪そうな顔をしていた。

 事情は知らない、ただ6歳の子供を人質に立て籠もって良い事情などあり得ない。

 彼は別に聖人君子と言うわけではないが、人並の正義感くらいは持ち合わせているつもりだった。

 しかも同い年くらいの妹がいて、家が近所となればなおさらだった。

 

 

『……グランセニック、聞こえるか』

「了解です。良く聞こえますよ、シグナム分隊長」

『犯人が交渉のためにベランダに出て来る、あまり頭は良くないようだ』

「……了解っス」

 

 

 ヴァイス・グランセニック三等陸士、それが彼の名前と階級だった。

 武装隊入隊直後からずっとシグナムの部下として働き、それなりの信頼を得ていると自負している。

 今も彼女に犯人の狙撃を任されて、内心にある種の興奮を抱きながらも、頭は氷を叩き込んだかのように冷静だった。

 

 

 軽く音を鳴らして、『ストームレイダー』の引き金に指を添える。

 身を低くして犯人に姿が見られないよう気を配りつつ、未だ閉ざされているカーテンへと銃口を向ける。

 そして、カーテンが開かれて……。

 

 

「……!」

 

 

 その時、ヴァイスは息を飲んだ。

 犯人の男を見て、ではない、人質になっている女の子を見て、だ。

 肩ぐらいまで伸びた茶色の髪に、緑を基調にした可愛らしいカーディガンとスカート。

 見覚えがあるとか無いとか、そんなレベルでは無い。

 それどころか今朝だって、「行ってきます」を伝えた相手だ。

 

 

(ラグナ!? 何で……!?)

 

 

 内心の動揺を表現しているかのように、銃口が揺れる。

 それは正確無比な狙撃を求められる狙撃手にはあってはならないことで、僅かな銃口の揺れが弾丸の行き先にどれだけの影響を与えるか、知らない彼では無かった。

 人質になっている女の子は、彼の妹だった。

 

 

「く……!」

 

 

 犯人が女の子を片腕に抱えたまま出て来て、それは確信へと変わる。

 スコープ越しに見るまでも無く、それは彼の妹に間違いが無かった。

 怖いのだろう、泣いている女の子を見て銃を握る手に力がこまる。

 対象的に、引き金から人差し指が若干離れる。

 その指先は、やはり微かに震えていた。

 

 

『……グランセニック、どうした』

「……っ」

 

 

 犯人がベランダに出て来ている、マンションの外から拡声魔法で仲間が注意を引いてくれている。

 今しかない、狙撃するなら今がベストなタイミングだ。

 だが今、その狙撃手の心が揺れている。

 心臓の鼓動が早い、止まらない。

 

 

(……ダメだ、失敗する……っ)

 

 

 直感的に、そう感じた。

 そしてそう感じてしまっては、狙撃など出来ない。

 狙撃には、極端な話、自分の心臓の鼓動を止めるかのような覚悟がいる。

 それが無いと、ミスをする。

 ミスをすれば、人質が……この場合、彼の妹が、死ぬ。

 

 

『……グランセニック、何をしている。撃て!』

「……畜生ッ」

 

 

 毒吐いて、それでも撃とうとした。

 大丈夫、今までミスショットなどしたことが無い。

 だから今回も、きっと……!

 そう思い、引き金に指を添えて。

 

 

「ラグナ……!」

「あ、知り合いなのか?」

「……誰だ!?」

 

 

 あり得ない他人の声を聞いて、ヴァイスはスコープから顔を上げた。

 そのことに安堵する自分がいることに苛立ちを覚えながらも、背後を振り向いて。

 そこに立っていた水色の髪の青年を、視界に収めた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 当然だが、犯人の説得工作は難航していた。

 難航している、と言うか、こちらは難航させようとしているのだから当然だ。

 交渉など、時間稼ぎに過ぎない。

 

 

 頭の悪い犯人で助かった、とでも思うべきだろうか。

 万が一を考えて、周辺住民の避難も進めている。

 ここで、ベランダにノコノコ出て来た犯人を狙撃できれば……。

 

 

「グランセニック、何をしている。撃て!」

 

 

 しかしその狙撃手が、どう言うわけか狙撃しない。

 その狙撃の腕を信頼しているからこそ、シグナムは眉を顰めていた。

 不快を感じるが、同時に疑問も感じる。

 もしかしたなら犯人に仲間がいて、狙撃を阻止したのか……と。

 

 

「シグナム空曹長、増援が来ました!」

「増援だと? 聞いていないが……」

「私や、シグナム空曹長」

 

 

 後ろのヘリの操縦士の声に振り向けば、ちょうどその「増援」とやらが到着した所だった。

 短い茶色の髪を白いベレー帽で覆い、身体は金ラインの黒のショートワンピース。

 白を基調としたジャケット、軽鎧を附属した黒のロングスカート、黒のショートブーツ。

 そして手には剣十字の杖、背中には『スレイプニール』の黒き翼。

 

 

「……主はやて!」

「今は八神特別捜査官、または八神三尉やでー」

「は、はっ、失礼致しました!」

 

 

 はやての登場に驚きつつもきっちりとした敬礼をしてくるシグナムに苦笑しつつ、はやてはシグナムの隣にまで歩いた。

 そしてその時になって初めて、シグナムははやての肩に乗った小さな存在に気付く。

 

 

「ああ、リインも来ていたのか」

「はいです、シグナムー」

 

 

 そこには身長30センチ、妖精サイズのリインフォース・ツヴァイがいた。

 ニコニコ笑顔で自分を見上げる末っ子に、シグナムも笑みを見せる。

 が、先ほど主に指摘された通り、今は勤務中だ。

 すぐに厳しい表情に戻り、はやてと共に眼下の状況を見据える。

 

 

「事情は大体聞いとるよ、あれが立て籠もり犯やね?」

「はい、ベランダに出て来た所を狙撃する予定だったのですが……」

『いや、そいつは無理だぜ』

「お前」

 

 

 急に現れた表示枠には、水色の髪の青年が映っていた。

 イオスだ、その登場にシグナムは意外そうな表情を見せる。

 

 

「どこにいる?」

『いや、近くで状況を確認したいと思って移動したら何か狙撃手がいる場所に出てな。いや、それは良いんだ、それよりも狙撃は無理だと思う』

「どういうことや?」

『……人質、狙撃手の妹さんだってさ』

 

 

 イオスの言葉に、シグナムは一瞬だけ思考を停止させた。

 その一瞬の間に、イオスを半ば押しのけるようにして枠内に茶色い髪の青年が現れた。

 

 

『シグナム分隊長、俺、やれますよ!』

「…………いや、良い。そのまま待機していろ」

『大丈夫っスよ、撃てますって!』

「大丈夫だ、責めているわけじゃない……妹に当たるかもしれない狙撃など、出来る人間はいない。それよりすまない、私の配慮が足りなかった」

 

 

 ヴァイスの様子がおかしいと思っていたのに、理由を正さなかった。

 そのことを詫びると、いつもは精悍な顔つきをしている青年は弱り切った顔になって。

 

 

『シグナム姐さん……』

 

 

 犯人の間近に人質が存在する状況での狙撃は、それでなくとも緊張を強いる。

 それが肉親となれば、ますますもって平常心ではいられないだろう。

 人質の保護のためには確実に目標を無力化する必要があり、失敗は許されない。

 その意味において、この現場ではヴァイス・グランセニックは「死んだ」のだった。

 

 

「しかし、そうは言ってもどうするか……別の狙撃手を用意するにも、分隊の人的資源には限りもあるし、時間もそうは……」

「そやね……それなら、ちょっと頑張ってみよか」

 

 

 悩むシグナムの隣、はやては肩のリインを見つつ。

 

 

「リイン、それとティティア三等空尉、ちょっと私の話を聞いてくれますか?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「さっさと車を用意しろってんだよ、クソ野郎共がぁ!」

 

 

 怖い、と、局員に対して何やら叫びつつ刃物を振りまわす男を見て、女の子はそう思った。

 ラグナと言う名前のその女の子は、自分の首に回された腕の圧力に、苦しそうに顔を歪めていた。

 息が出来なくて苦しくて、声を上げて泣きわめくこともできない。

 逆に言えば、そのおかげで逆上した犯人に乱暴にされずに済んでいるのだが。

 

 

 ラグナが人質になったのは、一言で言えば、運が悪かったと言う一言に尽きる。

 この男は要するに空き巣であり、忍び込んだ家から出る所をラグナに見られたのだ。

 より正確に言えば、このマンションに住むラグナの友人とその母親も一緒に。

 母親は男がその部屋の住人ではないと気付き、そして気付かれたことに気付いた男がラグナを人質に部屋に戻った、そう言う流れである。

 

 

(怖いよぅ、お兄ちゃん……!)

 

 

 目尻から涙を零しながら、ラグナは心の中で兄を呼んだ。

 兄は局員で、仕事から帰ってくると武勇伝を聞かせてくれる大好きな兄だった。

 けれど聞こえるのは兄の優しい声では無く、男の怒鳴り声ばかりで。

 

 

「わ……わかった! 車を用意する、だから落ち着け!」

「我々はここから離れる、良いか、その子に変な真似をするんじゃないぞ!」

「うるせぇっ、俺に指図すんじゃねぇ!!」

「わかった、わかったから!」

 

 

 怖くて仕方無くて、ラグナは首を絞められながらもグスグスと泣き始めてしまった。

 局員が離れて安心したこともあるのか、男がラグナの様子に気付いた。

 

 

「うるせぇっ、静かにしねぇとぶっ殺すぞ!!」

「いやぁ、そいつはやめた方が良いなぁ」

 

 

 不意に、別の声が響いた。

 その声の人物は次の瞬間にベランダの手すりの上に降り立ち、男とラグナを見た。

 水色の髪の、空色の服を着て、両腕に鎖を巻いた青年だった。

 

 

「どーも、車が来るまでの連絡役でーすっと」

「な、何だぁてめぇはぁ!?」

「いや、だから車が来たら教えるための連絡役だって。ほら、丸腰丸腰」

 

 

 両腕を腕に上げて丸腰であることをアピールする青年に、しかし後ずさりながら男は刃物を向けた。

 

 

「ふ、ふざけんな、何だぁその鎖は! 馬鹿かお前は!?」

「あ、コレ? ああ悪い悪い、じゃあほら、捨てるから」

 

 

 両手を後ろに回し、ジャラジャラと鎖を階下へと落とす。

 次いで身体が輝き、瞬きの後には私服姿になった。

 黒のベイズリージャケットをバサバサとしつつ、再び丸腰であることをアピールする。

 

 

「ほら、バリアジャケットも解除したしデバイスも捨てた、ついでにボディチェックしても良いけど、本当に何も持って無いぞ、いやマジで」

「ち、近付くんじゃねぇ! 少しでも近付いたらこのガキ、ぶっ殺してやるからな!!」

「うえぇ……」

 

 

 窓まで下がって刃物で威嚇する男に、恐怖で泣く女の子。

 それを見て、青年は溜息を吐く。

 

 

「ええと、とりあえず自己紹介。俺はイオス、さっきも言ったけど連絡役だ」

「ち、近付いたらこのガキ」

「それはさっき聞いた、それとやっぱやめた方が良いよ? その子を殺すの」

 

 

 良いか? とイオスは手すりの上に足と膝を乗せたまま説明する。

 

 

「俺達がアンタの言うことを聞いてるのは、その子が生きてるからだ。その子を無傷で救出したいから、俺らはアンタの要求に付き合ってるわけだ。つまり裏を返せばだ、アンタがその子に傷をつけたり殺したりしたら、俺らは一切の遠慮を捨ててアンタを攻撃する。な? アンタはその子を大事に扱った方が良いんだって」

「んな、んな……!」

「な? だからさぁ」

 

 

 仲良くしようぜ、と、イオスは言った。

 笑顔で。

 しかしその水色の瞳の奥には、魔力の炎が揺らめいていたが……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ヴァイスは、狙撃の体勢のままそれを見ていた。

 肉眼では無くスコープ越し、いつでも狙撃できる体勢だ。

 しかしそれが、もはや格好だけであることは誰よりもヴァイス自身が良く知っていた。

 

 

「くそっ……」

 

 

 他人から見れば止まっているように見えても、狙撃手として培ってきたヴァイスの手は『ストームレイダー』の銃口の先が微かに揺れているのを感じている。

 銃撃には十分でも、狙撃には不十分。

 そんな揺れだ。

 

 

(てーか、アイツ、何考えてんだ……?)

 

 

 アイツ、と言うのは、上にいるという特別補佐官のことではない。

 シグナム経由ではやてとは知人だった、それ故に信頼のおける人物だとわかっているつもりだ。

 ただ、イオスについては完全に初対面だった。

 だから、わからない。

 三等空尉らしいが、ベランダの手すりに乗ったまま動いていない。

 

 

 狙撃するとすれば、非常に邪魔だ。

 とはいえ、ヴァイスにはもはや狙撃などできないが……。

 いずれにせよ、何をしているのかがヴァイスにはわからない。

 

 

「ラグナ……」

『心配するな、グランセニック』

「分隊長……」

 

 

 聞こえて来た通信は、彼の上官からのものだった。

 

 

『あいつは現実主義者だ、出来ないことを引き受けたりはしないさ。それに……』

「……それに?」

『主……八神特別捜査官の立てた策だ、必ず成功する。だから信じろ、お前も』

「……隊長、それティティア三尉を信じるって話じゃない気がするっスけど?」

『む、そうか?』

 

 

 口元に笑みを浮かべて、ヴァイスはやっと笑うことが出来た。

 どの道、自分に出来ることは無い。

 だから彼は、少しだけ信じてみることにした。

 

 

 何しろ、堅物で知られる彼の上官が茶目っ気を見せたのである。

 そんなことが起こる日には、大きな幸運が起こるものだ。

 立て籠もり犯ぐらい、何とかなるさと……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「て、てめぇ、ふざけやがって……!」

 

 

 お世辞にも的確とは言えないイオスの態度によって、立て籠もり犯は所持している大振りのナイフの刃先をイオスへと向けた。

 女の子から離して、イオスへと。

 そしてそれが、究極的なことを言えば、狙いだった。

 

 

 立て籠もり犯の男からすれば、イオスの言動に激高したと言うのもあるだろうが、デバイスを捨てた私服の局員など恐るるに足らないと考えたのだろう。

 まぁ、実際、イオスは本気で『テミス』を手放している。

 バリアジャケットを纏っていない以上、ただのナイフでも刺されれば大怪我確定だ。

 

 

「今だ……!」

『はいですぅ!』

 

 

 イオスは、背中に冷気を感じた。

 低温火傷でも起こしそうなそれは、ベイズリージャケットの内側から感じるものだ。

 より具体的に言うのであれば、イオスの服の内側にしがみ付いた銀髪の妖精が放っている物だ。

 

 

「な、何だ……い、いてえええぇぇっ!?」

 

 

 男のナイフを持つ手の手首が、凍りつき始めていた。

 徐々に氷が大きくなるそれは、まるで氷の手枷のようにも見える。

 そして見た目通りの冷気を放っていたようで、肌に張り付いた極低温の氷が男の触角を焼いた。

 反射的にナイフと子供を放し、子供を抱えていた方の手で凍りついた手首を押さえる。

 

 

「おぉ……るぅあっ!!」

「げぼぉ……っ!?」

 

 

 次の瞬間、手すりを両手で掴んだイオスが身体を回転させるように男のこめかみに足の爪先を叩き込んだ。

 蛙が潰れるような声を上げて吹き飛んだ男は、ベランダの隅に積まれていたゴミ袋の山の中に突っ込んで、動かなくなった。

 どうやら、この部屋の住人はゴミ出しを怠っていたらしい。

 

 

「っし、クリア! キミ、大丈夫か?」

 

 

 今度こそベランダに着地したイオスは、男に放り投げられて尻餅をついていた女の子に手を差し伸べる。

 救出対象である女の子、ラグナは何が起こったのかわかっていないようで、しばし呆けていた。

 しかし自分の状況を理解して、どうやら怖い男から解放されたらしいことを知ると。

 

 

「……う」

「お?」

 

 

 瞳を潤ませて。

 

 

「うええええええええええええええええええええええぇぇぇんっっ」

 

 

 泣き出した。

 恐怖感から安心感からかはわからないが、とにかく大声で泣き出した。

 無理からぬことだが、イオスはそれで大いにうろたえた。

 

 

「うおっ、何か俺、子供に泣かれる確率が高くないか!?」

「あー、イオスさん。女の子を泣かせたですぅ」

「その言い方は凄まじく語弊がある、間違っても八神さん達には言うなよ……!」

 

 

 もぞもぞとイオスの服の襟元から顔を出したのは、リインフォース・ツヴァイだった。

 彼女はその持ち前の小ささを活かして隠れ、イオスの合図で犯人の手首を凍結させたのだ。

 ナイフと人質さえ離してしまえば、後は生身でもイオスがやれる。

 作戦は、はやての発案だった。

 

 

「へぅ……妖精さん……?」

「リインは妖精じゃないです、マイスターはやてのデバイスですぅ」

 

 

 リインフォース・ツヴァイははやての魔法の管制を担当するデバイスであり、人格型だ。

 それはつまり、主と共にいなければ力を発揮できない初代リインフォースと異なり、ある程度自立的な活動と行動を行うことができることを意味している。

 言ってしまえば、デバイスでありながら魔導師と言えるような存在なのだ。

 

 

 実際、実は彼女には管理局員としての階級が付与されている。

 もちろん、まだ調整は必要だが……とにかく、今回はその特性を活かして単独で行動した。

 今は、ラグナに妖精扱いされているが。

 

 

「うーし、まぁ、とにかくその子を保護してだな……」

 

 

 犯人をノして、さらには人質の女の子も泣きやんで。

 それで気を抜いたためか、反応が遅れた。

 

 

「……!」

 

 

 イオスが気付いた時には、自分が蹴り飛ばしたはずの犯人は身を起こしていた。

 その目を怒りの色に染めて、イオス達を睨んでいる。

 どうやら壁では無くゴミ袋の山に突っ込んだために、気絶までは行かなかったらしい。

 

 

「てめぇ……!!」

 

 

 男が落ちていたナイフを拾って飛びこんで来るのを、イオスは舌打ちして見ていた。

 リインは反応できない、そして反応できるのは自分だけ、ラグナの方が男に近い位置。

 『テミス』の無い今、刺されるのを覚悟で庇うか、と半ば覚悟を決めかけた時。

 

 

 ――――銃声が、響いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ふしゅぅ――――……と、止めていた息を一気に吐くような音が響いた。

 イオス達がいるベランダを見下ろす部屋の窓、その窓枠に肘と銃を置いた体勢でヴァイスはスコープを覗いていた。

 セミオート式狙撃銃型デバイス『ストームレイダー』の銃口からは、魔力の弾丸を放った時特有の熱と煙が放たれている。

 

 

(危ねぇ……)

 

 

 引き金から離した指を見つめながら、ヴァイスはそう思った。

 指先は今も震えていて、しばらく使い物になりそうに無かった。

 妹が犯人から離れていて良かった、そうでなければ確実に妹を撃っていただろう。

 しかし、それでも。

 

 

(……撃てた、な)

 

 

 ぐっ、と利き腕の拳を握って、そう思う。

 犯人がイオスに蹴り飛ばされて、妹が解放されて心の底から安堵していた。

 それでも警戒を解かなかったのは、意地と言うより狙撃手として身体に染み込んだ癖のような物だろう。

 しかしその癖のおかげで、妹と……妹を助けてくれた連中を守ることが出来たのだ。

 

 

 イオス達が妹に気を取られている間に身体を起こした犯人に気付いて、思わず引き金を引いてしまった。

 そして今度こそ妹達が助かって、心の底が震えるのを感じた。

 それは彼が武装隊に入隊した当初に抱いていた、「理不尽な脅威に怯える人達を助ける喜び」と言う感情を呼び起こすには、十分な物だった。

 3年目、狙撃と言う仕事に慣れて……忘れかけていた、そんな気持ちだ。

 

 

『……グランセニック。撃ったのはお前か?』

「……すんません、シグナムの姐さん。命令無視になっちまいました」

『そうだな、後で始末書を書いて貰う。だが……』

 

 

 通信の向こうから、シグナムの声が響いた。

 

 

『……良くやった』

 

 

 その言葉に、ヴァイスは指先で鼻の頭を掻いて笑うのだった。

 本当に、今日は珍しい日だ。

 あの他人をめったに褒めない堅物の分隊長が、今日に限って自分などを褒めてくれるのだから……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「お兄ちゃん!」

「ラグナ!」

 

 

 イオスとリインフォース・ツヴァイが人質の女の子を連れて現場のマンションから出ると、そこにはすでにはやて、シグナム、そしてヴァイスがいた。

 ラグナは兄の姿を見つけると半泣きの状態で駆け出し、飛びこむようにヴァイスの腕の中にその小さな身体を投げ出した。

 ヴァイスもまたしゃがみ込んで受け止めて、ラグナの背中と頭に手を添えて抱きしめていた。

 

 

「2人とも、お疲れ様や」

「は、マイスターはやて~!」

「あはは、リイン、お疲れ様」

 

 

 ヴァイス達の方を一時置いて、はやてはイオスとリインに労いの言葉を投げた。

 するとまだ精神が幼いリインは、満面の笑みではやての傍へと寄って行った。

 指先でリインの頭を撫でてやりつつ、はやてはその様子に苦笑していた。

 初代とのギャップでも感じているのかもしれない。

 

 

 そんな様子を何とは無しに見つめつつ、イオスは疲れたように肩を回していた。

 そしてふと、『テミス』はどこに落ちたかなと考える。

 しかし探しに行く前に、彼の手の中に『テミス』のカードが放り投げられた。

 シグナムが先に回収して、渡したのだ。

 

 

「お、サンキュー」

「……いえ」

「……?」

 

 

 何か言いたげなシグナムに片眉を上げて見せると、シグナムから念話が来た。

 

 

『最後……なぜ油断した? 以前のお前なら、あんな場面で気を緩めたりなどしないはずだ』

『……そりゃ、どーも』

『……最近、気が緩み過ぎているのではないか?』

 

 

 不審そうな目で見て来るシグナムの視線を鬱陶しげに手で払って、イオスは歩き出した。

 良く考えたら、今日は休日である。

 イオスには休日返上で働くと言う趣味は無いので、さっさとすることをすませて休暇に戻りたいのであった。

 

 

「ティティア三尉、八神三尉!」

 

 

 その時、妹と一通りのコミュニケーションを終えたらしいヴァイスが、直立不動の体勢で敬礼しているのが見えた。

 イオスとはやてがそちらへと視線を向けると、ヴァイスの足にしがみつくようにしてこちらを窺っているラグナの姿も確認できた。

 

 

「いろいろ言うべきことはあるかと思いますが……まずとにかく、妹を救って頂いて、ありがとうございました」

「妖精さんも、ありがと……」

 

 

 そんな2人に対して、名指しでお礼を言われた3人はと言えば。

 

 

「どういたしましてですぅ」

「妹さんが無事で、良かったわぁ」

「仕事だからな、気にすんな」

 

 

 素直にお礼を受け取り、妹の無事を喜び、最後の1人はシビアなことを言った。

 そしてヴァイスが敬礼で見送る中、イオス達は事後報告のために管理局の車両の方へと向かった。

 シグナムもヴァイスに頷きを一つ送って、自身は現場の指揮のためにマンションへと向かった。

 彼ら彼女らの背中が見えなくなると、ヴァイスは敬礼を解いた。

 それから自分の利き腕の人差し指を見て……次に、空でバラバラと音を立てて飛ぶヘリを見上げた。

 

 

「へっ……反射で撃つようになったら、おしまいかもな……」

「お兄ちゃん、どうしたの?」

「何でもねぇよ。さ、とにかくお前を家に送ってやんねぇとな」

 

 

 不思議そうな目で自分を見上げてくる妹の頭に、ヴァイスは笑って手を置いた。

 そうできることの喜びを、噛みしめながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……その少女の瞳は、どこか澱んでいた。

 何かを映しているようで、しかし何も映してはいない。

 ガラス玉のような、そんな瞳だった。

 

 

「ねぇ、聞いた? 東部のマンション立て籠もり事件」

「聞いた聞いた、私うちが近所だからさー。犯人捕まってホントに良かったよー」

「だよねー」

 

 

 ピクリと、少女の肩が震えた。

 少女とすら呼べないような幼い女の子は、無感動な瞳を微かに細めた。

 

 

「何でもさ、人質って局員の妹さんだったんだって。しかもお兄さんって言うのが現場に向かった部隊の狙撃手さんだったみたいでさぁ」

「うわっ、それキツいねー。銃越しに妹がーみたいな?」

「そうそう! でも何か、最後はそのお兄さんが犯人狙撃して、それで助かったんだって!」

「うわぁ、カッコ良いなー。私もそんなお兄さんほしー」

 

 

 ツインテールにしたオレンジの髪が、ゆっくりと揺れる。

 廊下の長椅子に座る少女の前を、先程から首都東部で起こった事件についている女性2人が通り過ぎる。

 女性達は女の子の様子に気付くことも無く、世間話に華を咲かせながら歩いて行った。

 

 

「でも、最近物騒だよねー。2日前にも首都で局員が死ぬような事件起きるし……今日の犯人、逃げ出したりしないよね?」

「大丈夫でしょ、流石に本局も地上本部も同じヘマを何度も繰り返したりはしないと思うしさ」

「まぁねぇ、そもそも何で護送してた違法魔導師が脱走できたんだろうね?」

「さぁ? 担当してた人がミスったんじゃないの……」

 

 

 姿も声も遠くなって、見えなくなり、聞こえなくなった。

 そして後に残されたのは、オレンジの髪の女の子だけ。

 上げていた頭を再び下げて、前髪で目を隠す程に俯く。

 そして。

 

 

「……ミス、なんて……して、な……ぃ……」

 

 

 それだけ。

 か細い声で、たったそれだけ。

 それが、彼女が発した言葉の全てだった。

 

 

「……えぇっと、ティアナ・ランスターさん?」

「…………」

 

 

 しばらくして名前を呼ばれて、初めて顔を上げる。

 その視線の先には、さっき通り過ぎた女性2人と同じ制服を着た女の人が立っていた。

 

 

「総務の……ええと、わからないか。お兄さんのことでお話しがあるから、来てくれる?」

「…………」

 

 

 こくりと頷いて、緩慢な動きで女の子が立ち上がる。

 差しのべられた手をさらりと無視する形で、女の子は後ろを見た。

 さっきの女性達が消えた先を見つめて、そして。

 

 

「………………」

 

 

 何も言わずに、歩き出した。

 その瞳は先の何かを見つめているようで、そして何も見てはいない。

 ただ、胸の奥の喪失感と……それを埋めようとする空虚な力。

 

 

 それだけ。

 それだけが、今は全てだった。

 ……今は。

 

 




最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
今回はこの時期の2つの主要事件を扱いました、と言っても1つはサブ扱いになっていますが。
ティーダさんの事件に絡むかについては悩みましたが、最終的にはこの形に。
逆にヴァイスさんの事件に関しては、積極的に絡みました。

次回からは、また少し視点がフェイトさん関連になります。
それでは、次回も頑張ります。

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