魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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ややオリジナル設定があります、苦手な方はご注意ください。


雌伏編第7話:「新暦68年度上半期執務官試験」

 

 んっ……と、少女が息を詰める音が響く。

 四面の壁の内三面が窓、緑萌ゆる広い庭が見える部屋。

 ルームランナーやマッサージ用の寝台、歩行訓練用の手すりなどが完備されたその部屋は、いわゆるリハビリ施設だ。

 

 

 今は少女が1人、手すりに手をかける形でゆっくりと歩いている。

 ただ時折手すりから手を離して歩いているので、どうやら快復まであと一歩という所らしい。

 白い病院服に身を包んだ栗色の髪の少女が、手すりの終わりまで歩いて顔を上げる。

 少女が喜色を浮かべて顔を上げると、少女の前でいつでも身体を支えられるようにしていた妙齢の女性が微笑みを返した。

 

 

「ね、もう大丈夫でしょ? お母さん!」

「ええ、そうね。でも、あまり無理をしてはダメよ?」

「もう、大丈夫だってば~」

 

 

 少女……なのはは、母である桃子に苦笑とも照れともとれる笑みを見せた。

 母を前にして、少し幼さが出ているのかもしれない。

 もちろん、なのははまだ「幼い」と表現しても差し支えない年齢なわけだが。

 

 

 ここは、管理局が運営する職員用の病院である。

 もちろん管理外世界の住民である桃子がいることはできないが、娘のリハビリ日に限定して局員の同席の下、病院を訪れることが許されている。

 

 

(……やっぱり、なのはもお母さんの前だと元気だよね)

 

 

 その局員と言うのは、今日に限って言えばユーノだった。

 無限書庫の司書でもある彼は、かつての事件の繋がりを認められて桃子の案内役兼監視役を引き受けている。

 もっとも、彼自身には監視するつもりがほとんどないが。

 今も、リハビリルームの椅子の一つに座って高町親子の様子を見ているだけだ。

 

 

 なのはが第41無人世界の任務で撃墜されて、すでに半年近くが経過している。

 その間、なのははまさに血反吐を吐く思いでリハビリメニューをこなして――その一部始終を、ユーノは見ているわけだが――今では、ああして歩けるようにまでなっている。

 半年間の地獄が嘘のように、のどかな光景を見せている。

 

 

(ただ、まぁ、どうなんだろう……)

 

 

 それを見つめながら、ユーノは半年の間考え続けていることをまた考えていた。

 つまり、なのはが治って良かったのか、どうか。

 いや、もちろん快復は嬉しい、それこそ泣いて喜びたいくらいだ。

 だが、ユーノは……。

 

 

「なのは!」

「え……あ、フェイトちゃん!」

 

 

 その時、リハビリルームに息せき切って飛び込んできた少女に、なのはがさらに喜色を浮かべる。

 思わず手すりから手を放して歩き出し、桃子が注意するが聞かない。

 すると案の定、足を絡ませたなのはが転びそうになる。

 転ばずにすんだのは、やってきた少女……フェイトによって抱き止められたからだ。

 

 

「危ないよ、なのは」

「にゃはは……ありがと、フェイトちゃん」

 

 

 漆黒の制服の胸元に顔を押し付ける形になったなのはが、照れたように笑う。

 3年前に比べて幾分か成長したそこは、少女の気質を表すかのようになのはを柔らかく受け止めていた。

 

 

「こんにちは、フェイトちゃん」

「あ……お、お久しぶりです、桃子さん」

 

 

 なのはを抱きとめたままの体勢で、桃子に挨拶を返すフェイト。

 普通なら「おばさま」とでも呼ぶ所だが、桃子の外見年齢が大学生で通りそうなため、呼びにくかったのだ。

 フェイトまで来てますます和やかになった空気に、ユーノが苦笑気味の溜息を漏らす。

 

 

「その年で、なんつー溜息吐いてんだお前は」

「あ、イオスさん!」

「うぃっす」

 

 

 ユーノが声を上げると、クロノとフェイトの制服に似た、黒の制服を着た水色の髪の少年が手を上げつつやって来た。

 久しぶりに会った後輩の少年に笑みを見せてながらも、イオスは歩く速度を変えずにゆったりとユーノの傍へと近付いていった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「そっか、執務官試験なんだ」

「うん、明日の朝にイオスと一緒に会場まで行く予定なんだ」」

 

 

 リハビリルームの長椅子に隣り合って腰かけて、フェイトはなのはに近況を報告していた。

 病院服のなのはの横にきっちりとした制服姿のフェイト、なかなかのコントラストだった。

 

 

「一回試験が始まると、2日間は動けなくなるから。だから今日お見舞いに来たんだけど……なのは、走ろうとするんだもん」

「もう、ごめんって言ってるのに……」

「ごめん、でも心配したんだよ?」

「うぅ~……」

 

 

 心配……という言葉を告げた時、フェイトの表情が一瞬だけ翳った。

 今はこうして元気にお喋りが出来るなのはだが、ほんの半年前はベッドから下りることもできなかった。

 背骨まで損傷する大怪我をして、リンカーコアにも少なからぬダメージを受けて、シャマルなどは「飛ぶことも歩くこともできないかもしれない」とまで言っていたくらいなのだ。

 

 

 それだけでも涙が出るくらいに心配だったと言うのに、なのははリハビリでも無茶をした。

 医師の制止など聞かない、部屋に押し込められてもベッドを伝って歩こうとし、挙句の果てには『レイジングハート』に頼み込んで魔法の訓練までしていた。

 自分や皆が見ている時は止められるが、見ていない時にこっそりと。

 

 

『私は飛ばなくちゃいけないの――――飛ばなくちゃいけないの!!』

 

 

 あの時のなのはは、見ていられなかった。

 守れなかった悔しさやなのは達を降格処分にした局への憤りなど、消し飛んでしまうくらいに。

 それくらい悲痛で……そして、無力感を感じたことは無かった。

 自分の言葉がなのはに届かない、それが哀しかった。

 

 

 それに加えて、昨年末……つまりなのは撃墜直後の執務官試験が散々な結果に終わったことも、フェイトの精神に重みを加えたのかもしれない。

 そしてそれを、なのはのせいとまでは言わないまでも、理由にしようとしている自分が嫌だった。

 その意味では、この半年はフェイトにとっても辛い物だったと言える。

 

 

「なのは、フェイト。ココア買ってきたよ、ホットで良かったよね?」

「あ、ありがとーユーノ君♪」

 

 

 その時、ココアを買いに行っていたユーノが戻って来た。

 フェイトもお礼を言って受け取りながら、少し視線を動かした。

 ユーノの向こう、自分達から少し離れた位置で桃子とイオスが話しているのが見える。

 

 

「何を話しているんだろう……?」

「うーん、わかんない。でも、お店大丈夫かなぁ……」

 

 

 パティシエである桃子の不在は、喫茶店を営む実家にはかなりの負担になっているはずだ。

 なのはにはそれが心配で、何度か母にやんわりと「もう来なくても良いよ」と言ったのだが、桃子は笑って、しかし頑として自分の行動を変えようとはしなかった。

 定期的にミッドチルダに来てなのはの世話をして、家に戻れば喫茶店の仕事。

 

 

 疲れが無いわけではないだろうに、桃子はそれをおくびにも出さない。

 それは、フェイトの中にある「アリシアの記憶」に重なる部分でもあった。

 熱を出したアリシアを、研究と両立させながら看病していたプレシアの姿に……。

 

 

『いい加減にしなさい』

 

 

 ……ただ、なのはの状態を変えたのが母である桃子だったのは確かだ。

 当初のなのはの行動は怪我を悪化させこそすれ、リハビリにはなっていなかった。

 事情説明のために夫と共にやってきた桃子は、異常なまでにリハビリにこだわるなのはの頬を張った後、言ったのだ。

 

 

『お仕事の中で怪我をすることは、仕方無いわ。それはなのはの選んだことで、なのはが責任を持たなければならないことだもの。でも、お仕事以外の部分で怪我を増やすようなことを許した覚えは無いわ。だから――――いい加減にしなさい、なのは』

 

 

 そして次の瞬間には、それでも何か言い募ろうとしたなのはを、桃子は抱き締めた。

 怪我に障らないよう、しかし強く抱きしめて。

 

 

『大丈夫……そんなに不安に思わなくても、誰も貴女を嫌いになったりはしないわ。きっと皆、大丈夫。だから、ゆっくりで良いの。ゆっくり、一緒に、頑張りましょう……ね?』

 

 

 髪を撫でられながらそう言われて、なのはは泣いた。

 実の所、フェイトには桃子の言葉の意味が半分もわかっていなかった。

 ただ、それがなのはの心の何かを救ったことは確かで。

 それがわからなくて、何も出来ない自分が……嫌だった。

 

 

「ねぇねぇ、フェイトちゃん」

「え、何?」

「やっぱり、お家ではクロノ君とイオスさんのことを「お兄ちゃん」って呼んでるの?」

「あ、それ僕も気になる」

「え、えーと……」

 

 

 ぽりぽりと頬を掻きながら、フェイトは困ったような笑みを浮かべる。

 フェイト……フェイト・T・ハラオウン。

 彼女はテスタロッサの名はそのままに、この4月に正式にハラオウン家の養子になっていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 少女達が可愛らしくお喋りに興じる一方、イオスはかなり緊張していた。

 ある意味、執務官試験受験と言う事実以上に緊張している。

 キリキリと胃が痛む程に。

 

 

「本音を言わせて貰えればね」

「あ、あぁ、はい」

 

 

 理由は隣にいる女性、桃子だ。

 なのはの母親で、ここ最近は海鳴とミッドを行ったり来たりしている管理外世界人の女性。

 リンディやレティ並に若々しいその顔に浮かぶのは、穏やかな笑顔だ。

 

 

 しかし見る者を魅了するだろうその笑顔に、プレッシャーを感じてしまうのは何故だろうか。

 もちろん、なのはに重傷を負わせてしまった責任感というのもあるのかもしれない。

 ただ、それだけでは無い何かを感じているのも確かだった。

 

 

「……治らなければ良いと、思ってもいたの」

 

 

 笑顔で告げられた言葉は、娘の快癒を否定する言葉。

 声音は確かで、本気でそう考えているのだとイオスにはわかる。

 母として、これ以上ない背信の言葉だ。

 

 

「……まぁ、その。高町さんがそう考える理由は、何となくわかります」

「ふふ、桃子でも良いのよ? なのはもいるからややこしいでしょう?」

「いやぁ、勘弁してくださいよ」

 

 

 だがイオスは、その言葉の意味が少しだけわかる。

 イオスと桃子の視線の先には、フェイトやユーノと楽しそうに話すなのはがいる。

 この半年で、身体も魔力も随分と回復している。

 

 

 もう少しすれば、魔法の訓練に入れるだろう。

 半年のブランクは大きいが、なのはの才能であれば取り戻すのにそう時間はかからないはずだ。

 ただ、年内にSランク認定試験を受けるのは流石に無理だと思うが……本人がそう公言しているので、受験だけはするだろうと思う。

 

 

「……軽蔑、するかしら? 母親なのに娘の快復を喜ばないなんて」

「いえ、そんな。むしろ、らしいと思いますよ」

 

 

 ……母親と言う立場で考えるのであれば、仕方無いとイオスは思う。

 なのはは快復する、「不屈」の精神でもって空へと戻るだろう。

 そう、飛べてしまうのだ、なのはは。

 

 

 戻れば……飛べば、きっとまたいつか今回のことのようになる。

 また無茶をして大怪我をして、同じようにリハビリに血反吐を吐くことになる。

 今回のなのはの負傷はもちろん、任務の中での不測の事態と言う面が強い。

 だがなのはが仕事に熱中するあまり、自己管理を怠っていたのも事実だ。

 

 

 疲労と、消耗。

 例え半年前の事件がなくても、そう遠くない日になのはは墜とされていただろう。

 そして次は、飛ぶとか歩くとか、そう言う次元の話ではなくなるかもしれない。

 そう考えてしまえば、母である桃子が何を考えるのかなど。

 想像するに、難く無い。

 

 

「……誰に似たのか、あの子は一度決めたら曲げない子だから」

 

 

 貴女じゃ無いですかねとは、絶対に言わない。

 

 

「けれど……」

 

 

 そっと目を閉じて何事かを考える桃子に、イオスは何と声をかけたら良いのかわからなかった。

 大丈夫、今度は絶対こんなことにならないようにします。

 ……などと言えたら、どれだけ楽か。

 

 

「イオス君も知ってるかもしれないけど、あの子は辛い事とか哀しい事とかを胸の奥にしまいこんでしまう子だから。それは私達のせいでもあるのだけど……出来るだけ、見ていてあげてほしいの」

「……俺に、どこまで出来るかはわからないですけど。それでも良いなら、気を付けます」

「ふふ、あの子、貴方のことをお兄ちゃんみたいに想ってるみたいだから。うちの恭也が聞いたら妬きそうなくらい」

「この入院生活で、俺の知らない所でどんな会話が繰り広げられていたのか激しく気になります」

 

 

 胃が痛い、本来ならこれはリンディあたりの役目だとイオスは思う。

 まぁ、桃子のことだからすでにリンディにも頼んであるのかもしれないが。

 

 

「……お願いします」

 

 

 それでも、深々と頭を下げてくる桃子に。

 イオスは、それはそれは情けない表情で言葉を探すのであった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――新暦68年度上半期・時空管理局役職試験、執務官。

 俗に言う執務官試験は、ミッドチルダ南部の第二陸士訓練校校舎で行われる。

 様々な年齢層・地位・出身の者が集まり、2日間の日程で試験が行われるのである。

 

 

 試験は学科・面接・実技の3種あり、卒業生が抜けて新入生が入ってくる数日の隙間にスケジュールが捻じ込まれる形になっている。

 ミッド出身の受験生も含めて校舎の寮を宿泊施設として貸し出され、試験が始まれば24時間、生活態度や立ち居振る舞いまで全てを見られることになる。

 執務官は管理局の顔と言っても良い役職、振る舞いにもそれなりの品性が求められるのだった。

 

 

「……すぅ……はぁ……」

 

 

 なのはのお見舞いに行った翌朝、会場の門前で朝の清い空気を胸一杯に吸いこんでいる少女が1人。

 流れるような金髪は朝の日の光に煌めき、黒の制服に金糸の輝きを施して美しい。

 門を潜る他の受験生も、少女の清らかな美しさに目を奪われている様子だった。

 

 

 そして見られている少女……フェイト自身は、目を閉じて深呼吸をして落ち着こうとしていた。

 前回の試験は散々だったが、今回の試験こそは……と、自分を奮い立たせる。

 病院で励ましてくれたなのはやユーノ、家で自分を送り出してくれたリンディやアルフ達。

 自分を応援してくれる人達の顔を思い浮かべて、よしっ、と気合いを入れる。

 

 

「イオス!」

「な、何だ!?」

 

 

 隣に立つ――と言うか、家から一緒に来た――イオスに声をかけると、やたらに大仰なアクションで自分から離れるイオスがいた。

 頑張ろうねと、言おうとしただけなのに。

 ちょっと、ショックを受けた。

 しかし一方のイオスはと言えば、どうやらそれ所では無いようで。

 

 

「ど、どうしたフェイト、そんな急に大声をあげて……ま、まさか受験票を忘れたのか!? ええぇ、ちょ、おまっ、いや! 大丈夫だ、俺に任せろ。まずは家に連絡を……!」

「え、違うけど」

「そ、そうか……はっ、ま、まさか昨日眠れなかったのか!?」

「それも違う……と言うか、イオス、ちゃんと寝たの?」

「寝た! ……と良いな、と思う」

 

 

 挙動不審だ、今日のイオスは極めて挙動不審だった。

 昨日、桃子と真剣に何事かを話していた人間と同一人物とは思えない。

 試験当日に目の下にクマを作っている少年を見て、フェイトはそう思った。

 

 

 前回の試験は、いろいろな事情でイオスは受験できなかったため……執務官試験に臨むイオスを見るのは、フェイトはこれが初めてだった。

 だから勝手なイメージとして、緊張とは無縁の、もっと飄々としたいつものスタンスで受験するとばかり思っていたのだが……。

 

 

「大丈夫大丈夫イケるイケるお前はやれる俺はやれる今度は大丈夫大丈夫大丈夫大丈……」

(ち、ちょっと、一緒にいたくないかも……)

 

 

 何やら自分に暗示でもかけそうな勢いでブツブツと何かを呟いているイオスを見て、素直な表現をすれば、ちょっと引いていた。

 ただ、先程まで感じていた緊張は解れた気がする。

 まるで、イオスが自分の緊張まで背負ってくれたような。

 

 

「えーと、イオス。会場に行こう?」

「あ、ああ! 俺の受験番号は44番です!」

「私に言われても……」

「あ、ああ。だよな……だよな」

 

 

 どっちが先輩なのかわからない、そんなやり取りだった。

 ただ、このまま受験するのは不味いと思う。

 最初は学科試験だ、ボーダーはかなり厳しい。

 今のイオスの状態では、実力を出し切る前に終わる気がする。

 

 

(えっと……)

 

 

 何か緊張を解す方法は無いだろうか、結果的に緊張を解してもらった身として何かしたい。

 そう考えて、フェイトは数秒間考え込んだ。

 そして、親友のある言葉を思い出す。

 

 

「イオス……」

「ああ、な」

「……義兄さん?」

 

 

 ………………………………。

 時間が、止まった。

 ハラオウン家の正式な養子となってから2カ月弱、そろそろ良いかと思ったのだが。

 怒らせてしまっただろうか、失礼だっただろうか。

 反応が無い事に不安を覚えて、フェイトはオロオロし始める。

 

 

 不意に、イオスが右手を上げた。

 それを見て、フェイトが身を震わせる。

 ……かと思えば、イオスは左手で自分の右手を押さえた。

 

 

「……えっ……と?」

「すまん、落ち着いたわ。行こうぜ」

「え? え、あぁ……うん!」

 

 

 そそくさと歩きだしたイオスの後に続いて歩きながら、フェイトは首を傾げる。

 

 

(エイミィは喜ぶって言ってたけど、怒らせちゃったかな……?)

 

 

 イオスがこの様子だと、クロノも無理かもしれない。

 そんなことを考えるフェイトだが、下を見ながら歩いていたために気付かなかった。

 正面を歩くイオスは一見、平静を装ってはいたが。

 その顔が、照れたように朱に染まっていることに……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 次元航行艦『アースラ』は、本局のドックに停泊しつつ燃料補給などの整備を受けていた。

 その艦橋にあって次元航行システムのチェックをデータ面から行っていたエイミィが、気遣わしげに後ろの艦長席を振り向いた。

 

 

「ねぇ、大丈夫かなぁ……」

「大丈夫だろう、フェイトもついているんだし」

「うん、そうだよね。フェイトちゃんがついてる……いや、逆でしょ普通」

 

 

 エイミィはクロノの執務官補佐だが、執務官を目指しているわけでは無い。

 試験を受けたことが無いから、試験の時のイオスの様子を知らない。

 家族では今までクロノしか知らなかったことだ、今日でフェイトも知るだろうが。

 

 

(どうせまた、緊張しているんだろうな)

 

 

 回数を重ねるごとに酷くなる、意外と本番に弱い所があるのがイオスだ。

 引き合いに出すのは間違いな気もするが、『闇の書』事件の時もそうだった。

 ただ、イオスは最後には締める男だ。

 つまり後半戦に強いわけだが、逆に言えば前半戦は弱いわけだ。

 

 

「フェイトちゃんは2回目だけど、イオス君は……6回目だっけ?」

「5回目だ」

 

 

 静かに訂正して、クロノは処理し終えた表示枠を閉じて新しいのを開く。

 半年前の任務失敗以来、泥臭い仕事が増えた気がする。

 次元世界を股にかける賊の討伐、ロストロギアの移送、商船隊の護衛……。

 しかも『アースラ』単独での任務が多いので、負担が大きい。

 本局が支援が得られないのは、どのような意思が働いた結果か。

 

 

「前はクロノ君も1回は落ちてるからってフェイトちゃんを慰めれたんだけど、今回はどうかな……もし落ちちゃったら、何て言おう。イオス君なんて6回目だから! って言えば良いかなぁ?」

「5回目だ、そしてイオスが落ちる前提で話すな」

「それはそれで、イオス君は5回かかったんだよって言えるよね」

 

 

 ただ、わかっているのは……自分達が、少なくとも本局上層部の覚えがめでたいわけでは無いということだ。

 『ジュエルシード』事件、『闇の書』事件と、半ば上層部を無視する形で処断してきたのは確かだ。

 しかも結果として、自分達の周りに強力な魔導師・魔導騎士が揃い始めていたのも事実。

 

 

 他の地位ある者から見れば、面白かろうはずが無い。

 『アースラ』は半年前の事件に一切関わることが出来なくなっているから、確かなことは言えない。

 だがクロノは、半年前の事件が一種の狂言だったのではないかと思い始めていた。

 まさか、と思えるほどに、クロノは管理局を清廉潔白な正義の組織だとは思っていない。

 

 

「2人とも、受かると良いね」

「そうだな」

 

 

 そこだけは確かに頷いて、クロノはまた一つ表示枠を閉じた。

 それからまた別の表示枠を開き、別の案件の処理を始める。

 エイミィもまた、前を向いて自分の仕事を再開した。

 

 

 そこから先は、特に会話も無い。

 静かな艦橋に、スタッフがそれぞれ仕事を進める音だけが響く。

 ……今はいない2人の仲間が、上手く行けば良いなと思いながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 静かに扉を閉めた後、フェイトは深く溜息を吐いた。

 第二陸士訓練校の会議室の扉を閉めて、2秒後にはその場から離れる。

 そしてスタッフの女性に試験の終了を伝えた後、自由行動を告げられる。

 

 

 今、2つ目の試験である面接が終わった所だった。

 通路の窓から外を見れば、すでに空が赤らんでいるのがわかる。

 午前中いっぱいを筆記試験に、そして午後が面接試験。

 なかなか厳しい質問などもあって、厳しい場面もあったが、今の自分に出せるものは出したと思う。

 

 

(き……緊張したなぁ)

 

 

 それでも身体には力がこもっていて、校舎の外に出てようやく肩の力を抜けた。

 とはいえ宿泊先としてあてがわれた寮の部屋に入るまでは油断はできない、いつどこで誰が自分の立ち居振る舞いを見ているのかわからないのだ。

 フェイトは気合いを入れ直し、とにかくにも寮に向かおうとして。

 

 

「あれ? イオス」

「あぁ……フェイトか……」

 

 

 校舎そばの並木道、そのベンチに座る少年を見つけた。

 ぼんやりと空を見上げていた少年は、校舎から出てきたばかりの少女を見て居住まいを正した。

 

 

「えっと……どうしたの?」

 

 

 見るからに打ちひしがれている様子のイオスに、そう聞いた。

 少し周囲を気にするような素振りを見せつつ、イオスの隣にちょこんと座るフェイト。

 横からチラチラと見るイオスは、本当に、どこか……燃え尽きているような印象を受けた。

 

 

「面接、どうだった?」

「どうってもな……まぁ、普通、かな」

「そ、そうなんだ」

 

 

 ……そこで、会話が止まった。

 止まってしまって、フェイトはどうすれば良いのかわからなくなった。

 そしてイオスはイオスで、自分のせいでオロオロし始めたフェイトに気付く。

 そして、幾分か迷いつつも。

 

 

「いや、まぁ……面接が上手くいかなかったかな、って言うだけだよ。ほんと、そんだけ」

「そ、そっか。でも大丈夫だよ、私なんて、最初の挨拶で噛んじゃったし……」

「俺も流石に噛んじゃったことは無いなぁ」

「あ、ひどい!」

 

 

 苦笑する自分に綺麗な笑みを向けてくるフェイトに、イオスは内心でほっと息を吐く。

 嘘は吐いていない、が、本当のことを言ってもいない。

 と言うのが、先程のイオスの言葉だ。

 本当の所、上手くいかなかったとかそう言う話では無いのだ。

 

 

 ――――半年前に三つも階級が下がっているが、何があったのか?

 

 

 という、その質問があったことをイオスは黙っていた。

 言えばフェイトに気を遣わせるし、そこから万が一にもなのはに伝わりでもしたら面倒なことになる。

 桃子に「頼む」と言われた翌日だけに、それは是が非でも避けたい。

 

 

(一つならともかく、一気に三つも下がればなぁ……気になるよな、そりゃ)

 

 

 任務のことなので守秘義務がある、詳細は話せない。

 だからこそ、試験官側に与える印象がどのようなものか、というのは簡単に想像できてしまう。

 しかも、前回の執務官試験の受験資格を剥奪までされているのだ。

 立場が逆なら、イオスだって自分のような経歴を持つ人間は忌避するだろう。

 

 

(……絶望的かなぁ、今回)

 

 

 経歴と言うのはどこまでもついてくる、という良い証左だった。

 今回の受験者は102名と聞いているが、明日の実技に進めるのは10人から20人。

 結果は即日発表だ、筆記試験は表示枠に書き込む形式なので採点は午後の面接中に済んでいる。

 そして、面接も含めた結果は今夜中に出ることになっている。

 つまり夕食の後、8割以上の人間は泊まらずに荷物を纏めて帰ることになるのだ。

 

 

 その中に自分も含まれているのかと思うと、憂鬱になるイオスだった。

 しかし、そんな彼を。

 

 

「あのね、イオス」

 

 

 フェイトの声が、再びイオスを現実へと引き戻した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ありがとう」

「……?」

 

 

 急にフェイトにお礼を言われて、はてとイオスは首を傾げた。

 最近、お礼を言われるようなことを何かしただろうかと。

 むしろ今朝の醜態を思い出せば、お礼を言うのはイオスの方な気がする。

 

 

 そんなイオスの内心の困惑を知ってか知らずか、フェイトは柔らかく微笑んだ。

 綺麗な金糸の髪は、夕陽の赤に照らされて美しい。

 そんな少女の微笑みは見ていて不快では無いが、困惑の度合いは増す。

 

 

「えーと……ごめん、何について?」

「私、ちゃんとお礼を言ったこと無かったから」

 

 

 フェイトの中では何かが完結しているらしいが、イオスにはやはりわからなかった。

 正式な養子になって2カ月弱、局員としても養い子としても後輩であるフェイト。

 とはいえ、イオスが個人でフェイトに何かしたことはそんなには無いはずだった。

 

 

「母さんの……プレシア母さんの事件の時、母さんを助けてくれたこと」

「プレシア……? いや、こう言っちゃなんだけど、俺べつに助けたわけじゃ」

「それでも、だよ。それでも、虚数空間から母さんを引き上げてくれたのはイオスだから、だから」

 

 

 ありがとう。

 唇をゆっくりと動かして告げられる言葉に、イオスは面喰った。

 3年越しに伝えられたお礼、伝える側も受け取る側も微妙な感情に揺れている。

 

 

「イオスのおかげで、短い間だったけど、通じ合えなかったけど、それでも母さんとお話ができたから。だから、本当にありがとう」

「……いや、それにしたって俺だけの力じゃねぇし」

「そうかもしれないけど、でも、やっぱりありがとう」

 

 

 反論しても聞いてくれないフェイトに、イオスは溜息を吐いた。

 夕陽のせいか、どこか顔が赤く見える。

 ……純粋な意味でお礼を言われるのは、実は久しぶりかもだった。

 

 

「何でこのタイミングで言うかな」

「えっと、イオスと2人きりってあんまり無いから」

「あー……」

 

 

 言われてみれば、そうかもしれない。

 普段はクロノやらエイミィやらがいて、2人きりと言うのは確かにあまり無い。

 

 

「それに最近、何だかイオスって大人っぽいし」

「そうかぁ?」

「そうだよ、何て言うか……私と会った時とかはやての事件の時とかは、もっとこう、元気? っていうのかな、そんな感じだったから。でも最近は、大人っぽいって言うか、冷静って言うか……ごめんね、上手く言えなくて」

「いや、まぁ、言いたいことは何となくわかるけど……」

 

 

 確かに、以前に比べれば少し大人しくなったかなと自分でも思う。

 ただそれは目標だった『闇の書』事件が一応の解決を見てしまって、次の目標を決めかねているためとも考えられるのだった。

 当然、執務官はイオスの夢だし、目指すべきものだが……何のために、となると、『闇の書』事件に関わる前に比べればモチベーションが下がっているのは事実だった。

 

 

「だからきっと大丈夫だよ、私はわからないけど、イオスはきっと合格するよ」

 

 

 そして、どうやら今までの話は面接の失敗で落ち込んだイオスを慰める意味合いもあったらしい。

 その言葉を聞いた後、一瞬、イオスは両目をぱちくりと見開いてフェイトを見る。

 それから、苦笑混じりの吐息を漏らす。

 

 

(……後輩に慰められるって、情けない話だなオイ)

 

 

 そう思った直後、イオスはベンチから立ち上がった。

 

 

「ま、宿舎に行って飯にするか。明日は実技試験だかんな、しっかり食っとけよ」

「うん、義兄さん」

 

 

 ……いろいろなことを、考える。

 自分は養い子であって養子では無いのだが、その「義兄さん」という呼び方は何なのとか。

 どうしてそんな雛鳥みたいな足取りでついてくるの、とか。

 まぁ、いろいろ。

 

 

「え、えっと……?」

 

 

 そして何やら再び右手を押さえ始めたイオスに、フェイトはオロオロと困惑するのだった。

 いったい、イオスに何が起こっているのだろうか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イオスがフェイトに3年越しのお礼を言われた翌朝、新暦68年の最初の執務官試験は最終日を迎えていた。

 筆記、面接の試験結果は昨日の夜にすでに発表されており、実技試験を受けることができるのは全体の15%程度である。

 

 

 そしてその中には、フェイトと……本人も意外に感じているが、イオスの名前もあった。

 自分の言った通りだと喜ぶ――それこそ、自分の合格以上に――フェイトに苦笑しつつも、とにかく、イオスは最終試験である実技試験を受ける資格を得たのである。

 そして今、他の受験生が実技試験、つまり現役執務官の試験官との模擬戦を行っている様子をモニターで見ることができる控え室には、フェイトの姿は無い。

 

 

(……相変わらず、才能の塊みたいな奴だな)

 

 

 義妹同然の相手である金髪の少女は、今は画面の中で試験官と一対一の模擬戦を行っていた。

 射撃、砲撃、そして高速機動戦とあらゆる戦術を駆使して戦う幼い受験生の姿に、控え室の受験生達は感嘆と嫉妬の吐息を漏らしていた。

 あの年齢で、ここまで……と、言っているのが聞こえるかのようだ。

 そして、自分にもあんな才能があれば、とも。

 

 

(フェイトの後に実技試験受けるの、物凄くハードル高いよな)

 

 

 そして次はイオスの番である、もう数分もすればフェイトの試験が終わるだろう。

 昨日、フェイトはイオスならば大丈夫と言ったが、イオスからすれば「フェイトなら大丈夫」だ。

 何しろ……。

 

 

「ロストロギア、違法研究系列の執務官志望……か」

 

 

 ぽつりと呟くのは、フェイトが志望する執務官のスタイルだった。

 執務官にも個々人によって担当する事件に特色が出る、フェイトの出自と過去から考えて、彼女がその系列の執務官の目指すのは非常にわかりやすかった。

 一方、イオスは大規模災害に繋がるロストロギア事件を専門に扱いたいと思っている。

 

 

 それはもちろん、『闇の書』事件が原因である。

 ただ昨日も考えたことだが、『闇の書』事件が解決してしまった今、モチベーションはかつてほど高くはなかった。

 具体的なイメージが、湧かなくなってしまったのだ。

 不謹慎だとか、不真面目だ、と言うのは自分でも感じる。

 

 

「……終わったか」

 

 

 画面の中、模擬戦を終えたフェイトが試験官に元気よく礼をしていた。

 内容から見て、評価は低く無いものと思われる。

 もしかしたら、一発合格もあり得るかもしれない。

 

 

 真っ直ぐ、執務官になると言う目標を持っているからこそ、だろう。

 それに比べて、自分はどうだろうか。

 昔ほどに、執務官と言う役職を必要としているだろうか。

 かつてのように、執務官と言う役職に憧れを抱いているだろうか……?

 

 

「次、受験番号44番!」

「……はい!」

 

 

 一拍置いて、イオスは返事をした。

 自分を呼んだ試験官の声に応え、立ち上がって、試験会場に向かう。

 途中、試験を終えたフェイトと擦れ違った。

 

 

(がんばって!)

 

 

 両手の拳を胸の前で握りこんで、唇の動きだけで応援してくるフェイト。

 それに対して苦笑で応じた後、フェイトと入れ替わりで試験会場に出た。

 障害物も何も無い、ノーマルタイプのグラウンド。

 模擬戦を行うための、広い空間に出た。

 

 

 そこで待っていた先輩の現役の執務官の魔導師に、受験番号と名前を告げる。

 それから試験のルールを説明されて、承諾してバリアジャケットを展開。

 そして。

 

 

「試験……始め!」

 

 

 試験官の声と共に、イオスは飛びだした。

 試験に合格し、執務官になるために。

 執務官になり、先へと進むために。

 

 

 疑問を抱きつつも、悩みを抱きつつも、イオスは駆けた。

 少なくとも、後輩の前で無様を晒さないために。

 そして、イオスの悩みを余所に――――結果は、出るのである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――後日、海鳴市のハラオウン家に対し同じ内容の通信メッセージが二通届いた。

 夕食時に不意打ちで現れたそれは、それまで何かと賑やかだった食卓を静まり返らせた。

 特にその中の2人は、急激に顔色が悪くなった。

 

 

 しかしそうは言っても、緊急扱いで表示されているメッセージを無視もできない。

 食卓を囲む家族の内、2人の少年少女がメッセージを開くための操作をする。

 そして、その結果。

 

 

「……あ、死んだ」

 

 

 家族扱いで食卓を共にしているエイミィが、思わず目の前の事実を呟きで表現した。

 食器を鳴らす勢いで食卓に額を打ち付け倒れたのは、イオスとフェイト。

 全身から負のオーラを出しているあたり、何のメッセージか、また結果がどうなったのかは聞かなくて良いらしい。

 

 

「あー……まぁ、その、何だ」

 

 

 クロノがどう声をかけたものかと悩んでいる、しかし執務官試験にすでに合格している彼が何を言っても嫌味にしかならない気がして、結局は何も言えなかった。

 1人、リンディだけが苦笑のような笑みを浮かべて、席を立って台所へと引っ込んだ。

 それを視界で追いつつも、さてどうしたものかとエイミィは思う。

 

 

「フェイト、フェイト、どうしたんだい? お腹でも痛くなったのかい?」

 

 

 唯一、テーブルの下で骨付き肉にかぶりついていた子犬形態のアルフだけが、心配そうな声をフェイトに投げる。

 テーブルの下から歩き出て、フェイトの椅子の横でちょこんとお座り状態。

 心配そうに見上げて来るアルフのつぶらな瞳に、フェイトは目に涙を浮かべて抱きついた。

 

 

「うええぇぇ……あるふぅ~~~~」

「ふぇ、フェイト!? ど、どうしたんだい、ああ、そんなに泣かないでおくれよぉ」

 

 

 抱きついて泣き出したフェイトに、アルフはほとほと困り果てた様子だった。

 助けを求めるようにエイミィを見ると、何やら両腕を交差させている。

 それで、アルフも大体の事情を察した。

 ぼふんっと久しぶりに人間形態に戻り、力一杯フェイトを抱きしめてやる。

 

 

「ああ、よしよし。フェイトは良くやったよ、次にまた頑張れば良いじゃないかい」

「あぁるぅふぅ~~~~、うえええぇぇぇ……っ」

「うんうん」

 

 

 精神リンクで繋がっているアルフには、わかる。

 フェイトがどれだけ頑張って、実はどれだけ緊張していて、そして今どれだけ悔しいのか。

 ただ、それが無くともわかっただろう。

 そう思える程には、2人の間の絆は浅く無いはずだった。

 

 

 一方、エイミィはそんな2人を見て感心したように頷いていた。

 なるほど、その手があったかと言わんばかりに。

 イオスを見れば、誰にも構って貰えないのでテーブルに突っ伏したままだった。

 そう言えば自分の方が2つお姉さんなのだと思い至ったエイミィは、気合いを入れつつ両腕を広げ。

 

 

「さぁ、おいで!」

 

 

 と、言った。

 しかし、相手は何の反応も返さなかった。

 沈黙が続く。

 ……次第に恥ずかしくなって来たのか、エイミィは両腕を下ろして小さくなった。

 

 

「……ええと、まぁ、何だ、2人とも。そう気を落とすな、うん」

 

 

 ごほん、と咳払いと共にクロノがそう言った。

 いろいろな葛藤を超えて、とにかく慰めようと思ったらしい。

 ぽん、と隣で突っ伏しているイオスの肩に手を置いて。

 

 

「また半年後の試験に向けて、勉強すれば良いじゃないか。最終的な合格率が1%なのだから、その、上手く行かないことの方が多いさ。僕の場合、その1%の可能性が早めに来たと言うだけで……ああ、フェイトもそんなに泣くな、可愛い顔が台無しじゃないか」

(何か凄いこと言ってる)

 

 

 普段の彼なら絶対に口にしない単語だ、これで彼がかなりテンパってることがエイミィにはわかった。

 そして不器用だ、限りなく不器用だ。

 あまりにも不器用な慰めに、フェイトは未だグスグス言いながらもアルフの胸から顔を上げて。

 

 

「うん……ありがとぅ……お義兄ちゃん」

「……っ!?」

 

 

 固まった。

 完全に固まって使い物にならなくなったクロノを、エイミィはまじまじと見つめていた。

 それは面白い玩具を見つけたと言うような顔にも、逆に面白くなさそうな顔にも見えた。

 

 

「はいはい、お茶が入りましたよ」

 

 

 そこへ、お手製らしいお茶の湯呑を盆に乗せたリンディが戻ってきた。

 それを皆の前に置くわけだが、基本的に誰も手を付けない。

 と言うか、この家でリンディのお茶を平然と飲むのは1人しかいない。

 その1人が突っ伏している横にお茶を置き、そのまま何も言わずに自分の席に戻るリンディ。

 

 

 クロノやエイミィ、アルフと違って、慰めるような言葉は何も言わなかった。

 ただお手製のお茶を淹れて、それだけ。

 それだけなのだが、妙に何かを言われているような気分にもなった。

 凄く、奇妙な感覚だった。

 

 

「……あ」

 

 

 誰かが声を漏らす、イオスが身を起こしたのだ。

 身体を起こして湯呑を掴み、顔を隠すようにぐっとお茶を喉に流し込んだ。

 そして数秒後、その湯呑をテーブルに叩きつけるように置いて。

 

 

「――――うぃっス!!」

 

 

 と、言った。

 何を言われたわけでもないのに、それに応じるように。

 それは、リンディを除くこの場の誰にも不可能なことだったのかもしれない。

 それが理解できた時が、子供達がリンディに追いついた時なのだろうか。

 

 

 張り詰めていた空気が弛緩して、和やかな食卓が戻る。

 いつも通りだけど、いつもと少しだけ違う時間。

 その中で、少年達は「次」へと向かうのだ。

 それが、どのような「次」なのかは別として……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 さらに後日、海鳴とはまるで別の場所。

 機械と実験設備に囲まれたその部屋に、数人の男女が集まっていた。

 しかし話の内容は、その場所とはまるで関係が無い。

 

 

「……何や、イオスさん執務官試験あかんかったんか?」

「ええ、テスタロッサも同様だそうで」

「まぁ、フェイトちゃんも? 意外ねぇ」

「けっ、他の仕事ばっかしてるからじゃねーの」

「……心配なら、もっと素直に表現したらどうだ」

「うるせーよ、ザフィーラ」

「はいはい、喧嘩したらあかんよ。うーん、そーかそーか、イオスさんもフェイトちゃんも残念やったねぇ……私も来年には上級キャリア受ける予定やし、何や心配になってきたわ」

「はやてちゃんは大丈夫ですよ♪」

「そーだよ、はやて!」

「あはは、ありがとうな」

 

 

 姦しい限りである。

 その中で、中心にいるらしい茶色の髪の少女が何事かを考えるように腕を組んだ。

 

 

「どうしましたか、主はやて」

「うーん、いやなザフィーラ、何かこう、慰められる良い案は無いかなぁて思って」

「そう言えば、お世話になりっぱなしですものね」

「私は世話して貰った覚えはねーよ」

「まぁ、そう言うな」

「頭撫でんな!」

「はいはい、喧嘩したらあかんて。まぁ、こっちもこっちで早く人格型の分離(アウトフレーム)に目処つけて……そうや」

「主はやて?」

「はやて?」

「そーやそーや、うん、そーや、せっかくやから、最初に見せたろ、それがええわ」

 

 

 ふふふ、と微笑む少女に、他の面々が顔を見合わせる。

 どうやら、ここの所の徹夜でテンションが最高潮に達しているらしい。

 少女はしばらく含み笑いを見せた後、思い出したように後ろを向いて。

 

 

「ツヴァイー? それじゃ、もうちょっと頑張ってな。めいっぱいお洒落して、私のお友達に紹介したるからなー」

 

 

 すると、部屋の奥から返事が聞こえた。

 それは非常に小さな声で――存在自体が小さい――しかし、その場にいる全員を癒す声だった。

 

 

 

「はいですぅ――――マイスターはやて!」

 

 





最後までお読みいただきありがとうございます、竜華零です。
主人公イオスの執務官試験資格剥奪(12月試験分ですね)の直後にその次(フェイトさんにとっての2回目)の試験を描くというのは、どうかなぁと悩みもしました。
が、あえて描くことでその影響がわかりやすいかな、と判断してそうすることにしました。

次回は時系列的な事件を描くことになります、はたしてどうなるやら。
それはでは、失礼致します。

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