魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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雌伏編第6話:「冬に咲く花:後編」

 な……と、唇が言葉を出し損ねる音を聞いた。

 それが自分の物だと気付けない程に、彼女は自分の目の前で起こった事態について呑み込めなかった。

 認識が追いついたのは、自分の身体に生温かい液体が降り注いでからだった。

 

 

 人肌に熱いそれは、雨では無い。

 シャワーのように降り注いでいるから、雪でも無い。

 何より、透明でも白くも無い。

 

 

「な……」

 

 

 今度は口に出して、音が紡がれる。

 大きく見開かれた瞳に、まるで鏡のようにそれが映って見える。

 それは当然、己の視覚を通して少女の意識に届く。

 現実、として。

 

 

 雪降る空の中で、赤い花が咲いた。

 

 

 白い衣服に染み込んで行くその色は、自分の騎士甲冑の色よりもなお赤い。

 紅色。

 ずるり、とでも聞こえて来そうなほど緩慢に、墜ちて、それで。

 

 

「なのはあああああああああああああああああああぁっっ!!??」

 

 

 赤い髪の少女(ヴィータ)は、叫び声を上げた。

 思えば、これが。

 彼女の名をちゃんと呼んだ、初めての瞬間だったかもしれない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――悲鳴が、聞こえた気がした。

 それが、現場に到着したイオスが最初に感じたことだった。

 誰の悲鳴かまではわからない、しかし、確かに悲鳴だった。

 

 

『高町さ……」

 

 

 なのはに念話を入れようとして、やめる。

 到着したことを告げようとしたが、やめる。

 わかったから。

 無駄だと、わかったから。

 

 

「な……」

 

 

 墜ちる。

 白の少女が、空から大地へと墜ちて行くのが見えた。

 それを、女の子を背負った赤髪の少女が追いかけるのも見えた。

 武装隊の面々が、撃墜された隊長を守ろうと陣形を張っているのが見えた。

 

 

<Searched jammer field>

 

 

 魔力結合阻害の反応を『テミス』が検知して、イオスに伝える。

 実際、遠目に見る武装隊の射撃魔法はその悉くが打ち消されている。

 そして、「敵」の爪だか脚だかわからない腕が武装隊員を蹴散らして……。

 

 

「……ぁにやってんだ、てめえええええええぇぇぇっっ!!」

 

 

 迷うことなく、両腕の鎖を放った。

 彼我の距離は数十メートル、その距離を2本の鎖が疾走する。

 それを察知した「敵」は、大きく跳躍してそれを避けた。

 避けられた鎖が地面に刺さり、小さな爆発が起こる。

 

 

「――――大丈夫か!?」

「わ、我々は大丈夫です! しかし隊長が……!」

 

 

 切り裂かれた肩を押さえながら、武装隊員が自分達の隊長の危機を訴える。

 見れば、すでに高町隊の面々は地面に落ちたなのはを背に半円の陣形を築いていた。

 

 

「俺達の可愛い隊長に何てことしやがる……!」

「隊長を守れ!」

「「「高町隊長を、守れぇ!」」」

 

 

 全員で障壁を張り、なのはと……なのはを抱えているヴィータ、地面に寝かせられているレイチェルを守るように、5、6人の男女が簡易デバイスを空に掲げている。

 そしてその集団の上に、影が落ちた。

 「敵」だ。

 

 

 多脚戦車のようにも見える外観の「敵」が、音も無く脚を広げて腹を見せ、下敷きにしようとしていた。

 腹のパーツが開き、そこから赤いコアクリスタルが露出する。

 

 

「魔力結合阻害フィールドだ!」

「気を付けろ!!」

 

 

 武装隊員が互いに声を掛け合う中で、イオスは動いていた。

 まず低く駆ける、そして短距離転移だ。

 リーゼロッテ直伝、そして次の瞬間、イオスの視界は空中へと移動していた。

 「敵」の後ろ、身体を回すようにして鎖を振り回す。

 

 

<Chain impulse>

 

 

 阻害フィールドが物理攻撃を防げないのはわかっている、だから鎖その物で攻撃した。

 ぐん……っと鋭く振られた鎖の腹が、たわむようにして「敵」の側面を叩く。

 金属音、そして火花。

 弾かれる形になった「敵」の巨体が、地面に落ちて泥混じりの雪に汚れる。

 

 

(……硬ぇ……!)

 

 

 鎖越しでも伝わる衝撃に、イオスは両腕がジンと痺れるのを感じた。

 実際、「敵」は側面の装甲にヘコみが出来た程度で、まだまだ動けそうだ。

 鎖を当てる程度では破壊できない、ならばどうするか。

 

 

「……総員! 衝撃に備えてくれ!」

 

 

 命令しつつ地面に着地し、泥に汚れた雪を蹴飛ばしながらイオスが駆ける。

 そして、再び鎖を放った。

 泥や雪を弾きながら低く這い進む鎖は、起き上った「敵」の身体に絡みついた。

 

 

<Chain bind>

 

 

 軋む程に締め上げたのを確認すると、イオスは空へと飛んだ。

 飛行魔法で持ち上げ、急加速の後に急停止する。

 慣性の法則に従い、イオスが止まっても上がり続ける「敵」。

 

 

(……筋力ブースト……!)

 

 

 ピンッ、と鎖が強く張る。

 腕の筋肉が引き千切れるのではないかと思うほどに、重みがかかる。

 それに負けないように筋力をブーストしつつ、今度は逆に鎖を引く。

 歯を食い縛って、そして。

 

 

「だぁらっ……しゃああああああああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 投げ落とした。

 鈍く輝く機械の塊が、プレス機に潰された自動車のような音を立てた。

 鎖を通して、確かな手応えを感じる。

 

 

 次いで、衝撃が来た。

 爆発だ、イオスが今まさに地面に衝突させたそれが起こした爆発。

 小さいが強力なそれは、茶と白に覆われた世界に明るい赤色を添えることになった。

 熱と冷気を孕んだ風を、その場にいる全員が伏せながら流す。

 

 

(どうだ……?)

 

 

 鎖を戻しながら、様子を窺う。

 ……30秒ほど待ったが、動く気配は無かった。

 そこでようやく、イオスは身体から力を抜いた。

 しかし、歓声は上がらない。

 

 

「…………くそ」

 

 

 イオスにも、勝利の余韻などありはしなかった。

 視界を向ければ、そこには武装隊の面々で人だかりが出来ている。

 医療班を呼ぶ赤髪の少女の声と、怒声に近い声を上げて医療班を連れて来る武装隊の隊員達。

 

 

 なのはは、武装隊の面々に気に入られていたのだろう。

 少なくとも、現場で仲間から死んでほしくないと思ってもらえる程には。

 現に、気絶しているレイチェルには誰もついていない……。

 

 

(……ユーノとフェイトに、何て言えば良いんだよ……)

 

 

 それに、家族も。

 現実として起こってしまったことは、覆せない。

 後味の悪い勝利の中、イオスは胸の奥の吐き気のような感情をどこに捨てるべきか、悩んでいた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 無力感と、虚無感。

 それを感じたことは今まで何度でもあるが、今回のは特別だった。

 それは、この場にいる全員が共有している感情でもある。

 

 

「血圧低下……出血が止まらない! 畜生ッ、骨の破片が内臓に刺さってんじゃねぇか!!」

「ああ、くそ、小せぇ身体だなぁもう! こんな小せぇの……パック追加ぁ!」

「高町隊長! 聞こえますかっ、高町隊長ぉ――――ッ!!」

 

 

 場所は変わっていない、危険だが、動けないのだ。

 動かせば、死んでしまうからだ。

 医療魔法の輝きがあたりを照らし、その場にいる全員が固唾を飲んで医療班の奮闘を見守っていた。

 負傷者もいるが、全員が「高町隊長を先に」と言って譲らなかった。

 

 

 それはイオスにしても同じことで、無理なブーストで傷めた両腕の筋肉の軋みは極力無視している。

 時折、思い出したかのように聞こえるくぐもったなのはの声に、眉を顰める。

 後輩の……なのはの重傷は、それだけの印象を彼に与えている。

 ユーノとほぼ同時期に出会った彼女を、管理局に正式に引っ張ったのは自分だと言う思いもある。

 だから、言葉に出来ない感情を胸の奥に感じ続けているのだが……ただ。

 

 

「早う、私を連れて行かんか!! 何をノロノロしておる役立たず共!!」

 

 

 ただ1人だけ、感情を共有しない人間がいた。

 レイチェルである。

 彼女は悲鳴を上げながら目を覚ました直後から、早く『アースラ』に連れて帰れと喚いていた。

 しかもどう言うわけか、イオスに対して。

 

 

 周りが静かな分、その声は良く通る。

 なのはの傍で俯いていたヴィータが、苛立ち以上の感情をこめてレイチェルを睨んだ。

 それを見たイオスは、自分を落ち着かせるように息を吐いて。

 

 

「……申し訳ありません、レイチェル嬢。現在、私の部下が非常に危険な状態なのです。そのため、まず応急処置をしてから」

「私の言うことが聞けぬのか!?」

「…………そう言うわけでは無く、部下の応急処置を終えてから」

「そのようなもの、どうなろうと私の知ったことではない!! 私はもう、こんな所にいたくなどないのじゃ!! 私だけでも連れて行くのじゃ!!」

「…………現在、『アースラ』がこちらに向かっていますので、もう少々お待ちください」

「何じゃ、ならば最初からそう言えば良かろう。ふん、庶民は頭の回転が遅く嫌じゃ」

 

 

 ……深く、イオスは深く息を吸った。

 レイチェルの立場からすれば、誘拐されて知らない場所にいるわけだ、だから不機嫌になるのも仕方が無い。

 そう、仕方が無いのだ。

 無理も無いと言って良い。

 だから、我慢しようと自分に言い聞かせる。

 

 

「……だいたい何じゃ、私を助けるのも遅すぎじゃ。あんなに怖い思いをしたのは初めてじゃ、役立たず共め。いったい何をしておったのじゃ、お前達など、お父様の支援が無ければ何も出来ぬくせに」

「……はぁ、まぁ」

「何じゃその返事は、無礼者め! そうじゃ、お前達がもっと早うに私を助けに来ぬのが悪いのじゃ! それをこんなに怪我ばかりしおって、給料泥棒とはお前達のことを言うのじゃ!!」

 

 

 イオスの態度が気に入らなかったのか、レイチェルの怒りのボルテージが上がって行く。

 

 

「……それでも、ここにいる皆は、貴女を救うために戦い、傷ついたのです」

「当然じゃ、それ以外に価値の無い者共であるのに。何を偉そうに、庶民が」

「最も重傷を受けている高町隊長は、艦で貴女と最も懇意にしていたはずではないですか」

「当然じゃ、私の相手をするのはお前達の義務じゃ。それを恩着せがましく、何様のつもりじゃ戯け者!! だいたい、その娘とて役立たずじゃ、暇潰しにもなりはせなんだ!」

 

 

 艦での生活の最後、なのはに噛みつかれた――レイチェル視点で――記憶が甦ったのか、レイチェルがなのはを罵った。

 元々、彼女がなのはを気に入ったのは……ドンくさそうだったからだ。

 フェイトは美人だから嫌で、ヴィータは生意気そうで嫌だったからだ。

 彼女にとって、暇潰し以外の何の意味も無かった。

 

 

「レイナ女史の捜索も」

「いらぬ、捨て置け。ただの使用人じゃ、早うお父様の所に行きたいのじゃ」

 

 

 あれほど自分の世話をしてくれていた者を、あっさり捨てる。

 レイチェルとしては、単に最後が刺激的すぎて忘れたかっただけなのかもしれない。

 ただ聞く者達は、そうは受け取らなかった。

 嫌な熱気が、雪が降る中でたちこめる。

 

 

「ああ、もうムシャクシャする……やはりそんな者捨て置いて、私を早う連れて行くのじゃ、待てぬ!! そのような庶民、例え死んでも何の損失にもならぬであろうが」

「てめ……!」

 

 

 キレた。

 そうヴィータが自分の状態を認識して、駆けようと膝を立てた時だ。

 彼女は、キレた人間が自分だけでは無い事を知った。

 

 

 パンッ……と、乾いた音がした。

 それは駆け出したヴィータの手によるものでは無く、レイチェルの最も近くにいた者の行為だ。

 レイチェルの頬を張ったのは、イオスだった。

 女に手を上げると言う最悪の行為に、しかし非難の目を向ける人間はいなかった。

 ただ1人、レイチェル本人を除いては。

 

 

「な、なな、な……!」

 

 

 ワナワナと震え、目尻に涙を湛えて……叩かれた頬を手で押さえながら、レイチェルがイオスを睨む。

 それに対して溜息を吐いた後、イオスは。

 我慢することを、やめた。

 

 

「……いい加減黙れ、クソガキ。てめぇを助けるために怪我した奴らが、浮かばれねぇよ」

 

 

 唸るような声音に、レイチェルが怯む。

 しかしそれは、すぐに別の激しい感情によって取って代わられた。

 それは、憤怒だった。

 

 

「お父様に……お父様に言い付けてやる……!!」

「どうぞご随意に。どの道、お前は俺らを頼らないと帰れないんだ」

「お父様に言い付けてやるっっ!!」

 

 

 泣きながらの怒声が、イオスの耳を打つ。

 お父様に言い付けてやる、と怨嗟のように続くレイチェルの声。

 しばらく、それだけがその場で響き続ける。

 

 

 それは別の音、次元航行艦『アースラ』が近付いて来る重厚な音が響くまで続いた。

 そして任務は、最悪の形で終わる。

 最悪の形で終わった任務は、最悪の結果をもたらすことになる。

 それがわかるのは、数日後のことだった――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「――――ご苦労だったね」

『いいえ、殿方の相手をするよりはよっぽど楽な仕事でした。まぁ、あのお嬢様の癇癪には付き合いきれませんでしたけど』

 

 

 そこは、どこかだ。

 場所はわからない、しかし……ミッドチルダの中枢もかくやと言う程に機械化された場所であることは確かだ。

 最新式のモニターの向こうで、長い黒髪を後ろで束ねた女性が笑みを浮かべている。

 

 

 どこかの次元航路を進んでいるのか、ミニター越しに見える船の窓の向こうが、幾何学模様に歪んでいる。

 女性はかけていた眼鏡を取ると、画面の外に置いた。

 すると、変化が起こった。

 それは弱々しかった瞳が鋭くなったとか、笑みの質が獰猛な物になったとか言うレベルでは無く。

 

 

「……ふむ、流石の性能だ。素晴らしいよ」

『お褒め頂き、ありがとうございます。ドクター』

 

 

 髪の色が、黒からブロンドへ……瞳、肌の色、身体のスタイルまで変化する。

 まるで貼り付けていた何かを落とすように、女性は別人へと変化した。

 馴染ませるように目を閉じるその女性は、場違いな程に妖艶だった。

 

 

『ガジェットの性能実験は、まぁ成功かと。幼少で不意打ちとは言え、管理局のエースを一撃で撃墜することが出来ましたし……AMFの試験運用も、最終段階です』

「まだまだ出力が足りないがね……まぁ、良い」

 

 

 言葉自体は普通だ……が、何故だろう。

 この「男」が口にすると、それが酷く粘着質に聞こえるのは。

 

 

『そう言えば、例の……サンプルの件はどうなりましたか?』

「ああ、評議会のお歴々が責任をもって届けてくれたよ。実に興味深いサンプルだ……まぁ、1人取り逃がしたらしいがね、あの老人達も仕事の手際が悪いのか何なのか」

『確か、クイント・ナカジマ……でしたか。タイプゼロのドナーの』

「興味はあったんだがね……」

 

 

 酷く残念そうな男に、画面の中の女性が苦笑の気配を漂わせる。

 しかし、それも長くは続かない。

 

 

「まぁ、戻って来てくれ。調整しなければならないだろう、ああ、大仕事に向けてねぇ」

『わかりました。では……』

 

 

 ぶつん、とモニターの画面が消えると、それが唯一の光源だったのか闇に包まれる。

 誰の姿も、いや、例外が……その部屋の隅に並べられた、人間大のガラスの円柱。

 その中身が、うっすらと光を放っていた。

 水で満たされているのか、時折、呼吸のように気泡が漏れる。

 男は、それをどこか愛おしげに見つめながら。

 

 

「……楽しみだ……」

 

 

 そう、呟いた。

 その呟きは、闇の底へと消えて行く。

 ……今は、まだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――数日後。

 『アースラ』は結局第55管理世界には向かうことなく、本局への帰路についていた。

 レイチェルは本局上層部の命令を直接受けてやってきた別の艦で運ばれて行った、事実上、『アースラ』は任務失敗を突き付けられた形だ。

 そしてその『アースラ』のスタッフに、管理局上層部からある辞令が下された。

 

 

 それを最初に受け取ったのは、当然艦長であるクロノだ。

 責任者である以上、当然のことではある。

 しかしそれは同時に、下からの突き上げを喰らう立場でもあることを意味している。

 

 

「――――どういうこと?」

 

 

 普段の間延びした声で無く、しっかりとした口調でルイーズが問いかけた。

 『アースラ』内の艦長室には、今はクロノとルイーズしかいない。

 そしてルイーズの手には、一枚の辞令があった。

 

 

「……そこに書いてある通りだ、上層部の決定がそこに書かれてある」

「そう言うことじゃない」

 

 

 厳しい声で告げて、ばんっ、と辞令の書類をクロノの机に叩きつけるルイーズ。

 その全身から、怒りのオーラが立ち上っている。

 ただクロノは椅子に座って横を向いたまま、それを受け流している様にも見えた。

 

 

「あのお嬢様の救出作戦に直接関わった人間は、全員1階級の降格。他のスタッフも厳重注意と減点、減棒に罰則。高町さんにまで罰則があるのも酷だけど、まぁ、任務失敗のペナルティだって言うなら理解も出来る。けど……!」

 

 

 イオス達を『アースラ』に戻した後、本局と連絡を取って指示を仰いだ。

 するとどう言うことか、レイナ・フランキスクスの捜索どころか事件後の検分すら禁じられて……とにかくレイチェル嬢を引き渡したら戻れとの命令が来た。

 事後の処理は、本局から別の部隊を送ると言う話だが……通常なら、『アースラ』が受け持ってしかるべき部分だ。

 

 

 何かある、とは思っていたが……それを見抜ける程、クロノには政治力は無い。

 少なくとも、今は。

 だから命令に従い、終始罵倒されながらレイチェルと別れた。

 レイチェルを受け取りに来た艦の局員と同乗していたMAe社員の侮蔑のこもった視線を、クロノは良く覚えている。

 

 

「イオスの3階級降格って言うのは、どう言うこと……いくらなんでも、こんな人事が通るはずが無い!」

「通った、だから辞令になったんだ」

「理不尽だよ!!」

 

 

 理不尽なのは、クロノにも良く分かっている。

 しかし悪いことに、3階級降格の前例があるのだ。

 ギル・グレアムと言う前例が。

 彼の場合、3階級降格して第六技術部の部長に収まったわけだが……。

 

 

 イオスの場合、一等空尉から3階級落として、准空尉にまで階級が下がった。

 これは士官学校卒業の段階の階級で、言ってしまえば彼はふりだしに戻ったことになる。

 理由は3つ、まずルイーズ達と同じ理由で1階級ダウン、そして護衛対象に手を上げたことで1階級ダウン、さらに前線指揮官として責任を取らされての1階級ダウンだ。

 しかも彼は、次の執務官試験の受験資格まで剥奪されてしまった。

 

 

「私も1階級降格で、経歴に傷がついたよ。これで、来年には行けるはずだった脅威対策室行きはかなり遠のいたと思う……」

 

 

 対してクロノやエイミィ、艦橋など前線以外のスタッフは降格されない。

 あからさまに待遇を分けることでスタッフ間に溝を作り、艦長の負担を増そうと言う嫌がらせの意思が透けて見える。

 

 

「あんな……」

 

 

 がり……と音を立てて、クロノの机にルイーズの爪痕が残る。

 俯いた彼女は、肩を震わせていた。

 悔しくて……ただただ、悔しくて。

 何故なら。

 

 

「あんな小娘の我儘のために、私達の夢が邪魔されるのか……!?」

 

 

 納得できない気持ちが、呻くような声に乗って空気を震わせる。

 それを聞いているクロノは、沈痛そうに俯くことしかできない。

 現実として、辞令は下りてしまった。

 不服申し立てをしても、おそらくは無理だろう。

 

 

「高町さんなんて、あんな小娘のために大怪我して……!!」

 

 

 なのはは、『アースラ』の医務室で絶対安静の状態だ。

 意識は戻っていない、今頃はフェイトがつきっきりの看病をしている所だろう。

 フェイトは、なのはの傍にいなかった自分を悔いているようだった。

 それにヴィータも、傍にいながら守れなかったことを後悔していた。

 

 

 クロノとて、平常心のままではいられない。

 特に医師の診断を聞いている彼は、なのはの怪我の様々の要因を知っているからだ。

 艦長として、部下の負傷には責任を感じざるを得ない……。

 

 

「ねぇ、クロノ。こんなことが許されて良いの? こんな、こんな理不尽を……っ」

「……世界は、いつだって」

「こんなはずじゃないなんて、納得できるの!?」

 

 

 叫んで、ルイーズははたと止まった。

 クロノは変わらず、表情を変えずに横を向いている。

 それは苛立ちを煽るが、しかし、椅子の肘かけを握る彼の掌は……。

 ……それを見て、ルイーズは顔を背けながら押し黙った。

 

 

「…………イオス、大丈夫かなぁ」

 

 

 普段通りの声音で、同期の仲間を慮る声に。

 応える声は、無かった。

 誰も、何も答えてくれなかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……悪ぃ」

「え?」

 

 

 イオスの腕から一晩歯っていた湿布を外しながら、エイミィが首を傾げた。

 無理な筋力ブーストの結果、腕を傷めたイオスは……謹慎の意味も込めて、『アースラ』の自室にこもっていた。

 そんな彼の手当てを、エイミィが買って出ていたのだ。

 

 

 幼馴染、弟分……エイミィから見たイオスはそんな存在だが、それだけが理由でも無い。

 誰も彼もが傷ついた今回の事件で、肉体的に一番傷ついたのがなのはだとして、精神的には……イオスなのでは無いかと、そう思ったからだ。

 クロノもフェイトも、ヴィータも、キツいだろうが。

 

 

「別に、このくらいのことでお礼なんていらないよ」

 

 

 だからかもしれない、軽い方向で受け止めてそう言ったのは。

 イオスの言葉の意味を、あえて軽く受け止めたのは。

 それがわかったからか、自室の椅子に座って湿布の取れた腕を擦りながら、イオスも微かに笑って。

 

 

「管制司令代行様に手当てなんてさせたら、どこから怒られるかわかりゃしねぇよ」

「あはは、何それ」

 

 

 努めて明るく振る舞って、医療キットを手にエイミィが立ち上がった。

 椅子に座るイオスの傍で床に膝をついていたのを、今度は彼を見下ろすように。

 それから二言三言話して、エイミィは退出した。

 ただ、その直前に。

 

 

「……イオス君」

「あ?」

「……あまり、気にしないでね」

 

 

 何を、と問う前にエイミィは扉を閉めた。

 それは逃げたようにも、守ったようにも見える。

 何を、と問われても、それは誰にもわからない。

 

 

 なのはのことかもしれないし、フェイトやヴィータのことかもしれない。

 事件のことかもしれないし、結果のことかもしれない。

 それとも……と、イオスも席を立った。

 壁際の机の前まで歩き、そこに置かれていた数枚の書類を見る。

 そして。

 

 

「…………っ」

 

 

 鈍い音を立てて、彼の拳が壁に打ち付けられた。

 殴りつけた拳を、そのまま壁に押し付けるようにしながら回す。

 ずれたそこには、微かな赤色が滲んでいた……壁紙は、白が基調なはずだが。

 

 

「……くそがっ……!」

 

 

 どれについての苛立ちかは、彼自身にもわからない。

 あえて言うならば、全て。

 全てに対して苛立って、彼は固い壁に拳を打ち付けたまま……俯いていた。

 

 

 ――――艦は進む。

 行き場の無い憤りと、理不尽への憤慨を抱いたまま。

 静かに、次元の海を進み続けていた。

 

 


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